生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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歴史に学ぶ:(とても長いです。小冊子だと思われて読んでいただければ幸いです。)  生政連板。2~176  (1065)
日時:2017年12月07日 (木) 14時19分
名前:あの頃は過ぎてゆき

トキ掲示板より

今から約8年前の2011年6月20日からスタートしてます。

生長の家政治連合の概略と、現在の組織に与えた影響の考察。
それらの大事なことを語り合っている 初期の頃の 

生政連板。2~176

志恩ー

お懐かしい亡き義春さんも投稿されてましたし、
トキさん、訊けさん、ぼるぼさん...
それから、なんと、山ちゃん1952さんも、たくさん参加されてた


まるで1冊の小冊子を読むような内容だと思います。

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2: トキ :2011/06/20(月) 13:12:10
<はじめに>

 この論考は、現在の状態に至までの生長の家と生長の家政治連合の概略を述べるとともに、
現在の組織に与えた影響を考察したものです。

 生長の家政治連合は、現在の生長の家教団内部では、タブーになっています。
また、「本流復活」と言われる人々の間でも、評価は別れております。

 最初にお断りしておきますが、
私は、生長の家政治連合の活動そのものの評価をこの文章で行うつもりはありません。

しかし、生長の家政治連合をタブーにしている現状には、一石を投じたいと考えております。

私自身は、当時、生長の家政治連合(生政連)にはほとんど関わっていません。
ですから、生政連の是非や結果を論じる資格はないと思っています。

また、直接、関与していなかったため、
その情報の多くが、書物や伝聞によるものである事はご理解下さい。

ここに書かれている事が「正しい」というつもりはありません。
あくまでも、現在の生長の家の状態を説明する、一つの仮説だと思って下さい。
おそらく、当時の関係者や歴史に詳しい人からは、不満がでるとおもいます。

 実は、この問題を論じると、本が1冊できるぐらいです。
ですから、かなり事実関係を簡略化しました。其の点、あらかじめお詫びします。

 生長の家政治連合の関係者は、現在でも多数ご存命です。
また、当時の関係者の証言もようやく聞かれるようになりました。多数のご投稿をお待ち申し上げます。
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3: トキ :2011/06/20(月) 13:13:38

<初期 谷口雅春先生時代>

 生長の家は、谷口雅春先生が始められたのですが、集会も当初は近畿地方や東京に限られていました。

そのうち、全国で本を読んで、救われたという人達が本部に問い合わせて、近所の誌友と連絡を取り、
勉強会を始めて、自然発生的に各地で支部が出来たのです。

その後、急激に教えが広まると、各地で支部が出来、講演会も開かれるようになりました。
しかし、支部の運営は有志の寄付などに頼っておりました。

教化部長も常駐せず、定期的に本部から本部講師が派遣され、講話をするシステムでした。
ですから、各地の支部は独立独歩の気概が強く、本部方針も細かい点まだは指事されませんでした。

言い方は悪いですが。
家族的な雰囲気があると同時に、まだ、現在的な意味での「組織」ではなかったとは言えるでしょう。

 谷口雅春先生は、人間的な魅力に溢れ、教えの素晴らしさと相まって、
信徒は父親のような気持ちで接しておりました。

家族のような雰囲気が部内には溢れていました。
 戦争中、あるいは戦後は困難な時期が続きましたが、信徒はよく団結し、教団を守りました。

(私は、この時期までの生長の家を“初期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)


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4: トキ :2011/06/20(月) 13:15:05

<前期 谷口雅春先生時代>

 戦後は、生長の家の信徒が急速に増え、組織も拡大しました。

そのため、従来のような組織では、運営が出来なくなりました。
試行錯誤の末、聖使命会員制度が発足、近代的な組織への一歩を踏み出しました。

同時に、やや中央集権的な組織になりました。が、組織は順調に拡大し、
信徒も増加の一途をたどりました。

その頃、共産党などの左翼党派が跳梁跋扈し、安保改正などもあり、
国内の思想状況は悪化していきました。

そこで、愛国者陣営といわれるグループから生長の家に支援要請が届くようになり、
それに応えて生長の家も少しずつ政治への接近を始めました。

当時は、右翼陣営の世間的な信用は低く、評価の高い生長の家への期待が高かったのです。

が、思想の悪化と左翼勢力の拡大は止まりません。

国内の危機的な状況に、ついに、谷口雅春先生は、
「日本を守るためなら、生長の家が潰れても良い」とのご信念のもと、
生長の家政治連合を結成し、全面的な政治への参加を決意されたのです。

(私は、この時期までの生長の家を“前期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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5: トキ :2011/06/20(月) 13:17:56

<中期 谷口雅春先生時代>

 この時期以後、生長の家は、純粋な信仰運動だけでなく、政治運動も始める様になりました。
そのため、組織のあり方も中央集権的になり、運動のあり方もや組織のあり方、部内の雰囲気など、
多くの点で変化が生じました。

森田=安東の両先生などはこの時代の申し子と言えるでしょう。

 一部の信徒は、政治への接近に批判的でしたが、反面、当時の青年を中心に、
情熱的な運動を求める雰囲気が強く、青年会を中心に、活動は活発化しました。

その意味で、当初は生長の家の教勢発展に寄与したと言えるでしょう。
元号法制化運動など、各種の運動で成果を挙げると、いよいよ政治への接近傾向が強まり、
生長の家政治連合の関係者が肩で風を切る傾向が強まりました。

 生長の家政治連合は、生長の家教団の一関連団体にすぎないのに、
実際には、生長の家を代表するような言動すらするようになりました。

時には、総裁の権威をも無視する場合もありました。
その反発を押さえる為に、生長の家政治連盟を中心とする上層部から中央集権化を合理化する教学が
強化されました。

私はこれは、組織教学と密かに呼んでいます。

当時、谷口雅春先生はご高齢で教団運営の実務から離れつつあり、
後継者の谷口清超先生の権威はまだ完全には確立していなかったので、
生長の家政治連合の人達がその間隙をぬい教団に大きな影響を与えました。

そして、彼らが、この組織教学の中心的な提唱者でした。
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6: トキ :2011/06/20(月) 13:20:49

<組織教学>

 これは、私の勝手なネーミングです。

 生長の家の「中心帰一」とは、真理や理念の中心への無条件の帰依を意味しました。

あるいは、「道」を大切にすること、「大調和」を大切にする事をも含みました。
無理矢理の服従ではなく、心からの調和がポイントでした。

が、この時期以降の中心帰一は、「上層部への無条件の服従」という意味へ拡大解釈されるようになりました。

その上、総裁=副総裁=み教え、というラインが、
現象人間の「総裁、副総裁」という意味をも含むまで広まりました。

これが行き着くと、その世界は、生長の家ではなく、昔の陸軍の内務班になります。

実際、谷口雅春先生の直弟子の本部講師が、
「これは(生長の家の)中心帰一ではない。支那式服従だ。」と断言されたのを、
この耳で聞いております。

 この時代までの教団内部の雰囲気は家族的でしたが、
これ以後は、良い意味でも、悪い意味でも、軍隊のような雰囲気が混じりだした、
と古い信徒さんは回想をしております。

 組織教学の弊害は、教団が正しい理念に基づき、運営されている間は、問題が生じませんでしたが、
今日のような間違った理念の下で運営されると、その弊害は著しいものになります。

 生長の家政治連合の当時は、ご高齢になられたとはいえ、谷口雅春先生もご健在で、
上層部にも谷口雅春先生の直弟子がご健在でした。

暴走を指摘される生長の家政治連合の指導部も、部内では実力者だった森田=安東先生ラインでしたから、
それなりの権威もありました。

いわば、優れた指導者と有能な側近が健在なため、弊害はすぐには表面化しませんでした。

なお、組織教学は、これ以後、総裁の 交代や 重要な運動方針の 変更で、
組織部内に 動揺が生じたたびに、動揺を収めるための手段として、強化されていきました。
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7: トキ :2011/06/20(月) 13:22:11

<政治との絶縁生命>

教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、
次第に部内からも批判があがるようになりました。

生長の家政治連合の関係者の専横も目立つようになりました。
生長の家政治連合が推薦した議員のスキャンダル、支持政党の政治汚職なども加わり、
内外から批判の声があがるに至りました。

優生保護法改正での支持政党が約束を反故にした事等、
政治への不信が強まり、

遂に、谷口清超先生が、谷口雅春先生のご了承を得て、
政治活動の停止を宣言しました。

同時に、生長の家政治連合も解散となりました。

(私は、この時期までの生長の家を“中期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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8: トキ :2011/06/20(月) 13:24:00

<政治活動停止の疑問点>

教団の政治活動停止の経過は、今日でも 公に なっていない点が多いです。

政治活動停止が正しい決定だったとしても、段階的な廃止という手段もとれたはずです。

なのに、何故、いきなりの停止だったのか、疑問があります。

 当時、「聖使命」新聞紙上に掲載された、
「生長の家政治連合解散、政治活動の停止」についての声明文は、

今から思うと、谷口雅宣先生のご文章と類似点があるような気がしております。

気のせいでしょうか? 

最近、公表された村上氏の回顧録を見る限り、谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて
批判的な言動を 当時から していたようです。

谷口雅春先生が、生長の家政治連合の解散の 報告 を 聞き、激怒された、
という噂が教団内部に今日でもあります。

が、教団の公式見解、ならびに本流復活の中にも、谷口雅春先生はご納得されていた、
との事です。  この点について、私は判断をする材料を持ちません。

その他、不明の点が多々あります。今後の解明が待たれます。
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9: トキ :2011/06/20(月) 13:26:35

<後期 谷口雅春先生時代>

 谷口雅春先生は、長崎に生長の家総本山を建立、
信仰の力での日本国の実相顕現と世界平和に方向を転じられました。

その後、共産主義の間違いが周知になり、冷戦崩壊へとつながったのはご承知の通りです。

谷口雅春先生は、教団運営の実務を 谷口清超先生に任せ、ご自分は長崎の総本山で、
もっぱら、祈りによる日本国実相顕現に時間を費やされました。

その後は、亡くなられるまで、総本山での活動を継続されました。
この時期は、比較的に安定した時期でした。

(私は、この時期の生長の家を“後期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
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10: トキ :2011/06/20(月) 13:29:18

<谷口清超先生時代>

さて、生長の家政治連合の解散は突然発表され、部内での説明も不十分だったので、
生長の家政治連合の関係者を中心に、多くの信徒からの激しい反発がありました。

そのために生長の家から離れて、独自の運動を始める人も出ました。
本部の権威も傷つきました。

それを納める為に上層部がとった手段が「組織教学」の強化でした。

が、当時はまだ谷口雅春先生がご健在だったので、何とか納める事ができました。

しかし、もっと順序を踏んでの議論をすれば、情勢は違ったと考えています。

 重大な事は、生長の家政治連合がなくなったのに、
教団内部に生長の家政治連合の組織体質、発想、部内の雰囲気は残った、という点です。

「純粋な信仰」を目標と掲げながらも、運動の発想などは、生長の家政治連盟当時と同じままでの
運動が展開し、現場の活動者や会員は、その齟齬に悩みました。

生長の家政治連合までは、生長の家は、外部への関わりを積極的に推進する方針でした。

が、生長の家政治連合解散後は、内向き、閉鎖的な体質への変化をしました。

それまで生長の家の行動は、社会に一定の影響を与えていました。
また、生長の家から各界で活躍する有為な人材が多数輩出されていました。

が、この時期以降、そのような事は少なくなりました。

さらに、敢えて言うと、このときから、生長の家の迷走が始まったと言えるでしょう。

私見では、谷口清超先生の目的は、生長の家を政治への介入以前の状態、
つまり信仰だけを目的とする組織に戻すものだったと推測できます。

しかし、谷口清超先生には大変申し訳ありませんが、それに成功したとは感じていません。

組織の目的が何なのか、現場の活動者にも不明なまま、活動をする状態が続きました。

 しかし、谷口清超先生は、
偉大な指導者であり、谷口雅春先生の正当な後継者でした。

この困難な時期にもかかわらず、教団を純粋な方向へと指導され、内外の信徒の尊敬を集めました。
この先生だからこそ、この困難な状態を乗り切れたと言えるでしょう。

(私は、この時期の生長の家を“谷口清超先生時代"と呼んでいます)
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11: トキ :2011/06/20(月) 13:32:41

<谷口雅宣先生の時代>

  谷口雅宣先生は、副総裁時代に
「大東亜戦争侵略論」をいきなり発表し部内を混乱させるなど、

適性には最初から疑問視する声も一部にありました。

 その後、生長の家総裁に就任された谷口雅宣先生は、
「国際平和信仰運動」なるものをご提言、

「愛国的国際人」とか「両軸体制」とか「座禅的瞑想」とか、
一見、おどろおどろしいが、実は内容のない合成語を羅列し、

迷走状態にあった生長の家をまとめあげ、滅亡へと しっかりとご指導されているのです。

彼は、生長の家政治連合を 毛嫌いしていましたが、
皮肉な事に、トップダウンが大好きで、議論を嫌い、邪魔な人間は片端から追放し、

信仰以外の目的に組織を使うなど、やっている事は、
生長の家政治連合の連中と似たり寄ったりの事をしているのです。

しかも、その総裁の独裁を理論的に裏付けしているのが、
生長の家政治連合時代に生み出された組織教学だったのです。

 彼の組織指導を見ていると、
<中期 谷口雅春先生時代>の全否定だと言う事が見えます。

この時代は、組織の一部が暴走し、制御が きかなくなっていました。

その時代に感じた恐怖が現在の暗黒体制の動機になっているのでしょう。

そして、生長の家政治連合について「正しい判断」を下した自分への過大な評価と、
「間違った」信徒への過小な評価も見えます。

強引な独裁体制を引いているのは、
自分の頭脳への自信過剰のなせるものだと言えます。

 

 公平を守る為に彼を援護すると、
生長の家という古い体質の組織を改革する必要は確かにあったのです。

生長の家政治連盟当時の体質を改善し、普通の社会通念から見ても通用する組織にする
意欲は持っていたと思います。

当初、私を含めて、彼に期待していた人間は少なくないです。

が、信徒の皆様がご存知の通り、組織指導の結果は悲惨なものです。
今日では、もはや行き詰まりは明白、という状況になっております。

 以上が、生長の家と生長の家政治連合との関わりです。
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12: トキ :2011/06/20(月) 13:33:43

<現在の生長の家政治連合の教団からの評価>

 この生長の家政治連合の一連の事件は、当時の関係者に深いキズを遺しました。
生長の家という組織の威厳も低下しました。谷口雅宣先生が、かって

「祖父は間違いをしました。」と

言ったのは、この点をさします。

 彼は、もともと、生長の家政治連合を嫌っていました。

また、村上正邦氏によると、自分が新聞社で希望する部署に行けないのは、
生長の家政治連合関係者の妨害によるもの、と思い込んでいたようです。

当時の生長の家政治連合推薦の議員が谷口雅宣先生に、
散々、叱られたという話もあります。

いくつか要因が重なり、彼は、生長の家政治連合に嫌悪感を持っているようです。

 今日の生長の家では、生長の家政治連合とその時代は、
生長の家の「汚点」と見なされています。

少なくとも、現在の総裁はそう考えています。

で、「日時計主義」を唱える原宿教団では、
「臭いものにフタ」とばかり、この件を議論する事は禁じられています。

そのくせ、生長の家政治連合と親近性のある言動は取り締まられる、という現実があり、
このあたりが部内を萎縮させる原因となっています。
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13: トキ :2011/06/20(月) 13:34:51

<現在の生長の家政治連合の関係者からの評価>

 生長の家政治連合の末期には、
その専横や内容に対し教団内部でも批判が強かったので、

生長の家政治連合の活動停止には、賛同する声が多かったです。

しかし、生長の家政治連合は信徒の自発的な動きではなく、生長の家教団の意向で始まり、
活動をしていたのです。

発表も突然でした。

ですから、関係者からは「裏切られた」という声があがりました。

現在でも、「本流復活」掲示板などに、当時の関係者が怒りの投稿をするのは、
こういう背景があるのです。

それが嵩じて、生長の家政治連合廃止の急先鋒だった谷口雅宣先生への
敵意へとつながっているのです。

 特に、谷口雅宣先生は、
谷口家の他の兄弟姉妹と違い、運動には参加せず、冷笑的な立場だったと言われています。

当時の活動者からは 嫌悪されていた、との投稿が 別のサイトにありました。

これが一般信徒ならともかく、信徒の浄財で小学校から一流私立大学に通い、
海外留学までされた人物だったから当然です。

言い換えれば、闘わなかった人間が、「美味しい汁」だけ頂戴し、
闘った人間を批判し,その上、指導者になったのです。

賛否は別にして、関係者の怒りは 理解は 出来ます。
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14: トキ :2011/06/20(月) 13:35:40

<私見>

 現在の教団内部では、生長の家政治連合は、タブーになっています。

それは、関係者が生長の家政治連合を「汚点」と考えている点や、
この問題を掘り下げると、生長の家教団、ひいては谷口雅春先生の責任論が
噴出しかねないと考えているのでしょう。

しかし、この問題をタブーにしていたために、
現在の迷走が始まったと思うのです。

ですから、どこかで、一度、きちんとした総括なり反省は
しなければいけないと思います。

この文章で、生長の家政治連合の是非を論じるのは、
あまりも範囲が広すぎるので、省きます。

また、私は、当時、生長の家政治連合には反発を感じて距離を置いていた人間でしたから、
論じる資格もないです。

 今日から考えると、
谷口雅春先生は、日本国 という立場で 行動をされました。

生長の家の損得ではなく、国家の正義 という観点からの 行動だったのです。

現在の政治の混迷を見る限り、
生長の家政治連合が目指したものは、否定はできないのではないか、という気がします。

また、谷口雅春先生と当時の指導部が目指したものは、
当時の社会情勢を見る限り、当然とも言えるものでした。

ですから、生長の家政治連合を論じても、決して、谷口雅春先生を否定するものではない、
と考えております。

この点については、当時の関係者の積極的なご投稿を期待しております。
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15: トキ :2011/06/20(月) 13:36:48

<雑感>

生長の家政治連合の突然の解散は、
関係者に深いキズを残しました。

これこそが、日本を救うのだと信じて、政治活動をしていたのに、
いきなり「間違い」にされてしまったのです。

私は、生長の家政治連合にはいくつかの点で否定的な考えを持っていますが、
この点については、彼らが怒るのは当然だと思います。

当時の理事長の和田英雄さん(のちに教団を離れました)など、
当時の責任者の説明も心のこもったものではありませんでした。

今でも、この問題がぶり返されると、教団上層部は上から目線で説教をします。
が、彼らにそんな資格があるか、どうかは疑問だと思います。

 極端な言い方をしたら、生長の家政治連合が問題というよりも、
その後始末のまずさこそが問題だと考えています。

 現在の谷口雅宣先生は、
再三、生長の家政治連合は「間違い」だった、と断言をしております。

実は、私自身、生長の家政治連合には批判的だったので、この点について、何もいう権利はありません。

しかし、彼は評論家ではありません。

生長の家総裁です。

もし、生長の家政治連合の活動が「間違い」だったというのなら、
彼の立場では、先ず、生長の家という組織がした間違いについて、当時の関係者に謝罪をすべきです。

これは彼の個人的な見解とは別の話です。

公人としての義務です。

さらに、生長の家政治連合はなくなったのに、当時生み出された「組織教学」は、
そのまま残りました。

少なくても、「前期 谷口雅春先生の時代」までは、総裁がここまで独走できる体制ではなかったです。

これが、現在、谷口雅宣先生の「独裁」を正当化する理論とされているのです。

この「組織教学」を否定する事ができないまでも、21世紀の新しい「組織教学」の検討が
必要な気がします。

もし、生長の家政治連盟の活動に「負の遺産」があるとしたら、
この「組織教学」かもしれません。

生長の家が、ある時期、政治に関わり、運動をしていたのは、
否定できない事実です。

それを単に否定するのではなく、もっとポジティブにとらえ、
将来への教訓にもする姿勢こそが、必要だと考えています。

その意味で、皆様のご投稿をお待ちしております。
生長の家政治連合の肯定的な側面からの投稿も歓迎します。よろしくお願い申し上げます。
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16: トキ :2011/06/20(月) 13:53:39

<追加>

 生長の家の長い歴史を見ると、障害もなしに順調に発展をしたとは言えません。

「生長の家30年史」「40年史」「50年史」も良い本ですが、
谷口雅春先生のかかれた「明窓浄机」が実は、生長の家の歴史を知る上では、たいへん参考になります。

それを読むと、谷口雅春先生がたいへんなご苦労をされたのがよくわかります。

その歴史の中で、栄光もあれば、挫折もあったのです。

 私自身、長く活動をしてきて、その間には、良い事がたくさんありました。
が、否定的な事も、現象としては、現れた事があります。

組織としての生長の家にも、類似の事があったと思います。

これは、たいへん畏れ多い事ですが、生長の家という組織は、
世界や国家、個人にとって、優れた貢献を多数しました。

が、何十年という間には、知らない間に「業」は積んでいた部分があったと感じます。
多くの本を読み、そう感じました。
 
ここで、「業」というと、
生長の家と谷口雅春先生を批判する人がいますが、それは間違いである、という点は申し上げます。

人間であれ、組織であれ、行きて活動をする人は必ず「業」は積んでいるといえるでしょう。

私は、この文章を書いている時点ですら、生長の家と谷口雅春先生の偉大さを一点の疑いもなく、
信じております。

谷口雅春先生の愛国心、理想を求める純粋な姿勢とともに、
教団運営のために、隠れたご苦労をされた点を、現在の信徒一同、深く感謝申し上げるべきだと強調したいです。
その点は、何回でも繰り返したいと思います。

 今日、生長の家で起こっている混乱、あるいは総裁の暴走は、
今日、突然、生まれたものではなく、生長の家という組織に生じた永年の「業」が。

出たものかもしれません。今回、生長の家政治連合をテーマにしましたが、
実は、生長の家という組織の永年の「業」がでたものだと考えています。

その意味では、総裁や生長の家という組織の問題であると同時に、
生長の家に関わった信徒一人一人の問題だとも考えています。

 でも、悲観をする必要はありません。

「業」は現れたら、消えて行くと教えられています。

 今回の一連の事件で現れた以上、消えると確信しています。
間もなく、問題は解決すると信じております。
その意味で、夜明けは近いと確信しています。
______________________________________________________________________________________

17: 山ちゃん1952 :2011/06/21(火) 01:02:15

トキ様 ご提言 ありがとうございます。

さて、本部内部の事情はわかりませんが末端の信者などを無視した行動は組織
としてどんな事情があるにせよ失格であり、私は擁護など出来ません。

そうしたツケがそのまま今の現状になっていることは本来猛省するしかありません
が今の組織に「祖父は間違っていた」という資格はないことは明確であり。

反対に反省しても、どうする対処も出来ないことは自明である。

それは組織の総括も出来ない組織は他を批判は出来ません。

さて、私は以前に「生長の家」の歴史を勉強することの大切さを提言しました。

何故そう書いたのか理由は書きました。

ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史を学ぶ」という言葉がありますが
人の経験というのはその人の歴史しかわかりませんが、歴史は綿々と流れた
縦の歴史を学ぶものです。

その歴史がその人を見ていると悪い人は沢山いますが
それを長いスパンで考えると悪人と思えるひとが実は歴史に功績を残した実例は
あります。

たとえば、徳川綱吉は「犬公方」ともよばれ当時の新井白石すらその悪行を綴った
と言われます。

だが、長い歴史から見ると、
日本人の優しさのようなものが熟成された初期にも感じます。

またいろいろと述べてみたいところですが、結論からすれば歴史は長い
スパンが必要なのです。

藤原正彦さんは近現代史は「共産主義」の脅威を語らないのでいる。分野の異なる
私がその歴史を紐解くことをされている。(数学者)

そこなんですよ、生長の家の政治に何故谷口雅春先生は推進されたかを語らないと
片手落ちのような気がします。トキ様にはそういう事を語って戴きたい。

しかし、私論では行けませんので生長の家政治連盟の作成した文書や経緯など
わかる範囲でお願いしたい。

私はそういうパンフレットや著書など僅かしかなく資料とはいえない。

是非公けにしていただければ助かります。ただ外部にマル秘は致しかたない。
許せる範囲でお願いいたします。

それにより、負の歴史というのはそうでないことも理解できるように思える。
___________________________________________________________________________

18: トキ :2011/06/21(火) 09:42:05
>>17

山ちゃん1952様

 コメント、ありがとうございました。

 こんな長い文章を読んで下さり、ありがとうございました。

 生長の家政治連合の事を調べるのは、部内でも難しいです。
複数の当時の生長の家政治連合の関係者に当時の話を聞いても、皆さん、話してくれませんでした。

教化部でも、当時の資料は処分されているみたいです。
たまたま、個人が所蔵していた資料が、ご本人が亡くなり、ご遺族により表に出るのが数少ない例外
です。

生長の家を辞めた、生長の家政治連合関係者にも会った事がありますが、
これは、ろくでもない人でした。

なるほど、生長の家政治連合が活動停止になったのも、宜なるかな、です。

生長の家の歴史を勉強する事の大切さは、全く同感です。素晴らしいご提言です。

生長の家の歴史で言うと、
30年史にしろ、50年史にしろ、生長の家に都合の悪い事は書いてないです。

50年史を編集した人は、森田=安東先生派の人でしたが、
あまりにも谷口雅春先生を尊敬するあまり、
生長の家を美化し過ぎるし、
編集者の主観に会わない部分は控えめにしてあります。これも良くないと感じます。

 一番、頼りになる資料は、谷口雅春先生の「明窓浄机」で、
これは、結構、生長の家に都合の悪い話もたくさん掲載されています。

「ゆにはデパート」の話なんか、この本がなければ、知らなかったと思います。

 谷口雅春先生は、ご自分に都合の悪い話も、全部、正直に書いておられます。
この点は、素晴らしいと感じます。

 ただ、生長の家政治連合というのは、
日本の政治史の上でも、一つの大事な存在だと思うのです。

私も勉強中です。

生長の家政治連合については、これから、当時の関係者の投稿をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます
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20: 山ちゃん1952 :2011/06/21(火) 13:49:23

普通会社では社史などは自社の悪いことは書きません。
勿論余程社会の通念でなければ避けるとは思います。

過去に悪い印象を残したくないのは当然だと思います。それぞれの編纂史があります。

先日池田市の池田文庫に行ってきましたが、阪急電車の社史や宝塚歌劇団の通史が
掲載されていましたが、そこに悪いことは流す程度で良い方向に書くのは通史です。

それぞれの通史があります。
神社は神社史や市史などいろいろありますが、自分の事は悪くは書きません。

生長の家50年史編纂に関わったのはS氏と言われますが、
その細部に関わったOさんは生長の家
の歴史には大変詳しく、
何度も大本教に行ったことなど詳細に語っていただいた事があります。

今は異なる所で活躍されておられますので、
名前は出せませんが現在東京にお住まいであります。

昨日会社を休んで戦後を中心に雅春先生の年譜作成していました。

数年前は気にも留めなかった
生政連のパンフレットが見つかりました。田中忠雄先生を中心の時代の小冊子です。
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21: トキ :2011/06/21(火) 15:51:00
>>20

山ちゃん1952様

 コメント、ありがとうございました。

古い信徒さんと話していた時に、聞いた話です。

生長の家の組織は、各地の信徒さんが、
自発的にお金を出し合い、分担して労力を提供し、独立独歩、作ったものが大半です。

もちろん、谷口雅春先生のご活躍が中心ですが、各地の信徒さんの協力がなければ、
今日の組織はあり得なかったのです。

今日の原宿教団の歴史には、その視点が欠けていると感じます。

ですから、過去、各地の信徒さんが、本部の専横には断固抗議したのは、そう
いう背景があるからなんですね。

谷口雅宣先生が、
森のオフィスとか、環境とか、勝手な事をするのも、そういう視点が欠けているのが
原因だと思います。

言い方は悪いですが、こんな勝手気ままをするのは、近代的な組織ではなく、
”谷口商店”ではないか、という感じです。

組織教学についてですが、具体的な証言は紹介できないですが、
谷口雅宣先生が、谷口清超先生の言う事には従わなかった、という証言は
複数あります。

ところが、自分の言う事には従え、という世界ですから、困ったものです。

あと、生政連については、
関係者もタブーとして、証言されませんね。見事なものです。

本当は、森田先生や安東先生など、関係者がきちんと証言を残して欲しいと願っています。

やはり、体験者の投稿は勉強になります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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25: 現職員、妻 :2011/06/21(火) 22:15:42
トキ様

生長の家史論文を読ませて頂きました。
大変貢献の高い仕事をして頂き、ありがとうございます。

今の組織のあり方は、生長の家の歴史から
自分なりに理解していましたが、

トキ様が示して下さった「組織教学」、
私には組織を考えるに、
ずっと理解の課題でしたので、納得するところでした。

また組織自体の業の行方。

トキ様は、
一般的には、こういう状態の組織は、組織が崩壊するか、

指導部が失脚するか…
と書かれていましたが、

これからの生長の家の組織のあり方や方向の可能性に、
何か展望のようなお考えをお持ちでしょうか。
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26: エンジェル :2011/06/21(火) 22:22:02
トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのT考察のために

 実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて
(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので)

もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生なら
ご存知かと思いうかがった事があります。

それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが
お話を聞いて驚きました。

私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると
「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、
預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」

「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど
俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」

「て゛もね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく
 政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」

だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。
でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの
臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。

 さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)
生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを
会話形式にして書きます(文責はエンジェル)

「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、
あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」

(実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が
三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で
貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)

清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も
     今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」
     「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。

     ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、
      圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、
      先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」
 貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」
 清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」
 貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」
 清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの
      無いように信仰的に熱烈に、
      信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」
 貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」

このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。

 このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、
解散と云うことではなかったわけで
実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。

 「この活動の凍結の決定はおそらく当事の理事会であったはずで、このころの理事会の書記は
森田征史さんだったろうから詳しくは聞いたらいいよ」とのことでした。

 ちなみに、雅宣さんはとお聞きすると、あの当事は生長の家にはいなかったと思うよ、
 完全に解散になるころには
本部に入っていて当然大きく関わったとと思う。との事でした。
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27: トキ :2011/06/22(水) 10:25:05
>>26

エンジェル様

 たいへん貴重な証言をご紹介下さり、ありがとうございました。
 驚くような内容ですね。
貴康先生は、ご紹介下さった清超先生との会話の一番最初の部分は、
部内での文章で明らかにされていました。

が、続きの部分は、こちらで紹介されるのが、初めてだと思います。

 この証言が、当時、紹介されていたのなら、後の流れが変わったかもしれません。
その意味では、惜しいとも感じます。

あれ以降、組織にガタが出る様になってきましたから。

 清超先生が、そのようなお考えだったとしたら、

 ますます雅宣先生が生政連の活動停止について占める役割りが大きいと推察できます。
 が、証拠はありません。

 共産党なんかも、スターリン批判とか、六全教とか、突然の方針転換で組織が動揺した歴史がありますが、
この問題は、もっともっと歴史が明らかになるべきですね。

 今回は、本当にご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます
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28: トキ :2011/06/22(水) 10:44:41
>>25

現職員、妻様

 ご投稿、ありがとうざいました。

 実は、不確定要素が多すぎて、予測不能です。神様しかご存知ないでしょう。(笑)

ただ、今の生長の家は、運動にしろ、組織にしろ、あまりにも「澱」というか、
少し余分なものがついていると思います。
一度、リセットして、シンプルなものに戻すべきかもしれません。

 柳田国男さんの「零戦燃ゆ」という本を読んでいたら、こんな話がありました。

 戦争末期、硫黄島を守る為に零戦隊が硫黄島に進出しました。
が、飛行機が足りないので、最新式の零戦が半分しか手に入りませんでした。
そこで、倉庫に眠っていた
古い零戦を引っ張りだして使う事にしました。

 やがて、アメリカに戦闘機が空襲に来たので、レーダーで探知した零戦が飛び上がって迎撃しました。
戦闘が終わってから零戦が戻ってきましたが、驚いた事に
最新式の零戦の大半は撃墜されて帰ってきませんでした。

逆に古い零戦は全機、無傷で帰ってきました。
おまけに、全員がアメリカの戦闘機を撃墜したと報告しました。

 何故、こんな事になったのか?

 最新式の零戦は、研究の結果、いろいろな装備がついていました。

が、肝心のパイロットがそれを使いこなす事が出来なかったのです。

おまけに、いろんな余計な装備をしたため、動きが鈍くなり、
そこをアメリカの戦闘機につけこまれて撃墜されたのです。

 古い零戦は、基本的な装置以外は、何もついていませんでした。

ですから、パイロットが飛行機を使いこなす事が出来たのです。

余計な装備がないので、飛行機の動きも俊敏でした。

ですから、アメリカの戦闘機と空中戦をしても、動きが早いですから、
敵がモタモタしているところを巧みな動きで優位にたち、次々と撃墜していったのです。

最近の家電でも、携帯電話でも、多機能になり過ぎて、かえって使いにくいという話はあります。

生長の家も、少し、余分なものが憑き過ぎたと感じています。

絵手紙や環境が悪いとは思いませんが、それは、個人の判断に任せる事だと思います。

もっと基本を大事に すべきだと思います。

どうも、勝手な事を書きまして、すみません。

合掌 ありがとうございます
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29: 現職員、妻 :2011/06/22(水) 14:10:10

トキ様

トキ様の見識にすがりたくなり、漠然とした組織の行く末をお尋ねすることとなり
すみません。

私にも分かりやすい例をあげて下さり、ありがとうございます。
しっかり狙いを定めて操縦できるシンプルな零戦に戻って頂きたいですね。

トキ様のようにはっきり意思を
持って組織に残る方を、
私は周りに知らなかったので…
(まあ話せることでもなかったのですが、)

トキ様の実感では、そういう傾向もいまの組織には感じられますか。

信徒の方も含め組織を辞めるか、今の雅宣先生のやり方に迎合していくか…だと思ったり、
なかなか客観的に組織を考えられなくもなっていたので、
それだけではない力に希望を感じたいです。

正直、今の講習会や全国大会を
推進する気にはなれないですが、
(本当はもともと「宗教を推進する」というのは、感覚的にずっと抵抗がありますが…)

若い方が生き返るような真理を、スパッと説いてくださる様な集まりが現実に出来ないというのは、
今触れる新しい方には、逆に気の毒な気がしたりします。

信徒さんが組織を離れて幸せになるならそれはそれでよいと思います、が、
私の知人には、組織に失望して逆に宗教アレルギーになったり、
真理を精神世界に求めて(ある意味魑魅魍魎?の世界に)いった方もいるので、
極端な例ですが、真理を求める方のそうした流れはやはり残念です。

宗教組織の宿命でもあるんでしょうか。

本当に私にはわからない事が多く、とりとめない事を書きまして、失礼しました。

自分としても組織との関わりをこれからも考えていきたいと思ってます。

ありがとうございました。


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30: 義春 :2011/06/22(水) 16:05:44

全国大会ネタがあったので、一寸書いてみる。

確かに、今年の全国大会は行く気になれんかったなぁ…

そりゃ青年会の会長から推進の葉書頂いたりで、
あぁ、頑張ってらっしゃるんだ…とは思ったし、

それには 人として尊敬します。

だけど、さ…まぁ〜色々付き合いというものがあるから行って感じたけど、

体験談まで 環境は ないでしょうよ(泣)

そりゃエライよ…農業とかって呂氏春秋じゃないけど農人に謀らずな天と土との対話を

しなくちゃいけないからさ…俺には出来ないと思う。

だけど、それが人に何か影響を与えるの?

真理は何処に行ったの?

…と。まぁ…でも、体験談した人を責める訳じゃないよ。

以下の事が考えられるからね。

去年の全国大会の体験談をした人が内幕教えてくれたけど、

本当は話した内容ではなく、

周りの人が生長の家の真理で救われた…ていう話をしたかったのに、

本部の都合で無理矢理変えられた、

しかも色々手際悪くて、もう厭だ!と嘆いていた…

だから、
もしかしたら、今年もそうなんかもしれないからね。

まぁ…来年は行かないと思う。

高橋是清みたいな苦労人の事を
『古い考え』とか切り捨てる人の話を
聴く気になれん…まぁ…今年も思いっきり寝てたけど(笑)

ちなみに 
私の周りの バイオや環境関係の人達は 彼の話を聴いても
情報のソースを疑うし、生物系の人間を いっさいがっさい 切る言い方には、
かなり 反感持っているンだよね。
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31: 現職員、妻 :2011/06/22(水) 17:43:26

体験談、不手際事件〜
残念ながら私も体験しました…
まあ妻になる前の話なんですが、
本部のせいねんかいってとこは
大丈夫なんだろうか…
なんて、その時は思いましたよ、、

普及誌も機刊誌も誰のため?って話がありましたが…

結局、全国大会の体験談も、
総裁先生のご満足なお話を、
お聞かせする場なのでしょうか。

義春様もいなくなる全国大会、
ますますさみしくなりますわ…
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33: トキ :2011/06/22(水) 19:40:35

 青年会の全国大会、残念でしたね。
いい時代に自分が青年会が出来た幸せを感じると共に、
これから入る青年が可哀想だなあ、と思ってしまいます。

看板は生長の家で、中味は環境の家では、羊頭狗肉ですよね。

 教区では、情報が入らないので、若手の活動者では、
「本部の考えている事だから、大丈夫だろう」と思っている人が多いです。

でも、古手の活動者と話をすると
「もう、ダメだろう」と言います。

理念がどうの、というレベルではなく、組織運動という側面から観察すると、
成功するはずがないのです。

昔の陸軍のインパール作戦とか、山一証券の倒産とか、ワンマンな指導者の暴走で
組織が崩壊する、という話はよく聞きますが、

我々は、今、リアルタイムでそれを見ているのですね。

で、この際、生長の家という組織体が、どういう動きをするか、予想は難しいです。

 ただ、一般論ですが、個人であれ、組織であれ、
過去にその人やその組織の歴史を観察すると、だいたい同じパターンを取るのですね。

ですから、生長の家の歴史を
調べると、だいたい、有る程度の予想はできるのではないか、と考えているのです。

総裁が暴走する、というのは過去にないパターンですが、生長の家が存亡の危機に
なった、というのは、終戦時などはありました。

ですから、少し調べてみようかと考えています。
それがわかると、次に、どう動けば良いか、予想がつきますから。

合掌 ありがとうございます
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34: 義春 :2011/06/22(水) 19:59:31
>>31
現職員妻さま

仕方ない事ですよ。

今年だって『俺は行かんぞ!』と宣言してたのを折れに折れて参戦したら、
この体たらく…俺はこんなもんを見る為に生きたのじゃない!

こんなんだったら(古代の習わしで貴人の往く道を掃除する)除道として

清超先生の先に逝っておけば良かった…

と怒りと悲しみと悔しさと…言葉に言い表せない苦しみだったんですよ…。
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35: 義春 :2011/06/22(水) 20:10:58

・・・かと言って、雅春先生を学ぶ会にも行く気はないんだよな…会報は読んだけど、
若い奴が求める創造性がない。

確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。

今の時代に必要とされる事、次の時代の展開がない…雅宣総裁の批判より、
それを前面に出したら生長の家を知らない層にも生長の家の真理を伝えられるのに…と
凄く残念に思ってる。

これからは生長の家を知らない層にどう伝えるか?だと思っているんです。
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36: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/23(木) 11:00:34

>義春さん

 うーん・・・貴君が「学ぶ会に魅力なし」と申されるか。うーん、「それ
じゃあ少し考えよう」てな感想を持つ次第ですね。(あなたの見る目を評価
してるんで)そうか・・・貴君印象では、学ぶ会も「あんまり」か。

>確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。

 そうなんだよね。それは(組織部外者)の私も強く感じることだね・・・と
は申せ私のは、ホニャララ掲示板から推察した「学ぶ会イメージ談」的話だけ
どね(世間では「妄想」とも云う)でも貴君までそう評されるとは・・・やや
残念感はあるね。

>若い奴が求める創造性がない。

 会報未読の身ではなにも申せぬとは云え、まあ、(くどいが)ホニャララ掲
示板の雰囲気から推察するに、「そうなんだろうなあ」とは感じるかな。
 たとえば、ですよ、たとえば『生命の實相』に触れたばかりの若者(20代)
がなにを求めているのか?こういった視点は完全に抜けている気が(私も)し
ています。
 今の若者って――こんな断言は危険とは云え、それでも自信があるんで言わ
ざるを得ないが――現在の団塊世代以上に苦労≠オている世代ですよ。詳細
過ぎる例で恐縮だけど、まあ例えば、団塊世代が普通に得られた「休業手当」
ってヤツ・・・今の若者には「夢のような待遇」でしょう、これ。そしてそん
な認識はあまり、現在の団塊世代以上は持ちえていないのかなあ、と。

 ああなんか、とりとめの無い話になりましたが、まあ貴君認識に(妄想ベー
ス談とは申せ)「同意」ですね。
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37: 現職員、妻 :2011/06/23(木) 11:55:20

そうですね、
まさにその行き場のない想いを抱える信徒さんの受け皿は
どこなんだろう、と、ずっと思ってました。

他の会が受け皿に、というならそれで良いと思いますが、
義春さまの受け皿になる会に感じた実感が伝わります。

今は逆に生長の家の救いを伝えていく入り口がますます狭くなってるのが現実なんですね。

森の本部、については、
教区や信徒さんの本音はだいたいどんな感じなのでしょう。

若い人は本当に関心持つ人は多いのかしら…(私とだからかな)森、に関して話をしてますが。

私はいくら意義を理解しようとしても、心ではしらーとした気持ちになります…

本部が森へこもれば、
総裁の森論文、純子先生森エッセイにますます拍車がかかるだろうし、
本部も信徒さんの声からますます乖離しますよね。

雅宣総裁は、
雅春先生の真理のお言葉をちょこちょこと引用してご自分の「新しき時代の教義(狭義)」を解説されますが、
論理で導かれる結論と、
自分の中で感じる違和感の乖離がやはり、大きく感じ、
雅春先生の偉大な真理から、あれ、いつの間に巧妙に論理のすり替えをされて、
こんなところにつれてこられたのだろう…と、正直そんな感じが否めないのです。
(この度の谷口雅春大聖師の二十六年祭のお言葉も、なんだか私にはそんな印象でした)

トキ様の歴史に学ぶ姿勢は、頼もしいです。

崩壊も暴走も、諸共に行こうと思います。
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38: 義春 :2011/06/23(木) 12:36:03
>>36
雅春先生に訊けブログ管理人さま

そうなんですよね…残念過ぎます。
ガンダム0083でガトーが決め台詞言って(GP02の)アトミックバズーカを
ぶっぱなす時に不発だった並みに残念感があります。

・・・実を申すと10年近く前に向こうの上の人にに電話掛けた事があるんですよ。
やっぱり直接話さないと分からないですからね。

その時も雅宣総裁より遥かに、いや比べたら申し訳ないくらいに温かみを感じた。
信仰者としても尊敬もした。

だけど、若者に対しての眼を感じなかった…だから、行けなかった。
今もだけど、あの頃も命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求めてましたから。

某掲示板には、同じ匂いを感じますね。

創造的・建設的なものを求める心、又、身近な悩みや将来への不安を
若い世代は抱えてますから。

だから、日本や世界の将来へのビジョン…方向性を指し示し、
具体的に動く事が雅宣総裁を凌駕する唯一の道だと想うのです。

まぁ…私も仲間にそれを図って動いています…まっ、中々、あんまり上手く
行ってないけどね!

まだまだ時期じゃないのかもしれない(笑)

そういえば、学ぶ会の見真会の感想が某掲示板にあったから、
丁度、他教区を放浪中でベテランの先生といたから『こうだった様ですよ』と
伝えたら『そんなんだと雅春先生はお怒りになるだろうな…雅春先生に
近づくどころか全く逆に行ってないか?』というような感想を述べてらっしゃいました。


まぁ…私達の世代は団塊の…親父達の世代より苦労してるかな?
ただ、パワーを感じないですけど…ね。

困難と戯れよ!どころか困難の奴隷と化してる感すらあります。
現象と闘え!己が限界を越えろ!困難を喰え!喰って力をつけろ!パワーこそ力だ!
…と想う事がバシバシ…いや、しばしば…色々あるんですよ(泣)

私は病気と闘ってきた人間なので、その喩えは身に染みるくらいに分かりますよ。
私は闘病時、社会保険の傷病手当と限度額負担免除を併用して乗りきりました。

ちなみに手術前に万事手筈を整え、金という兵坦線を確保しなくっちゃ戦は
出来ませんので、兵坦を整えてこそ気合いも空回りせんですからに。

ホント、私もとりとめない事を書いてしまいました
…ホント、何処に命をかける場があるんやら…。

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39: 義春 :2011/06/23(木) 12:52:20
>>37
現職員妻さま
まぁ〜教団がどうなっても生きてれば再起出来る。現に私は仕事も金も家族も…
身体さえも失っても神の子無限力で諦めずに頑張ったら再起しましたもん。

今だと上司に『義春君がいないと仕事回らん』と言われてるくらいに仕事人間ですよ。

五体満足な皆だと、これくらい何も問題なくこなせると思いますよ。
教団も同じ。問題という迷いは現れたら消える、今は力を蓄えて準備する時なんだって思ってます。

森なんて俺からしたらどうでも良いレベルですよ。ネット的に言えば『日本語でOK』とか
『環境破壊して環境保全?バロス』な感じです。

Mなんかは『自然を破壊しといて環境保全?オカシイじゃん』なんて言ってたらしいけど 全 く 同 感 で す(笑)
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40: エンジェル :2011/06/23(木) 20:28:37

『C02出さないために森までガソリン車で行って森で薪拾ってストーブで燃やして』
ってのもひっくり返りそうなギャグですね。

『動物が嫌いで特に虫は天敵!ゴキブリみるとカナきり声だしてスリッパ片手に追いかける夫人』
この人のワクワクする笑みの日々もさてどうなるものか。

 それにしても今まで散々環境破壊してきた大手ゼネコンにオフィスを作ってもらうなんて・・
コリャアシャレニならんね。Mくんの感性はとってもまとも。

 横から失礼しましたーw
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41: トキ :2011/06/23(木) 20:48:10
>>40

 余談ですが、宇治の練成を受けた時に、新練成道場が出来てすぐに、手抜き工事から
ひび割れや雨漏りがすると聞いた記憶があります。工事を担当したのが、某大手ゼネコンらしいです。
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42: 現職員、妻 :2011/06/23(木) 21:17:35

「命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求める」義春様の姿は、
周りにきっと大きな影響を与えていますね。

(私にさえ「熱い心の火の粉」が飛んできてますから…)

義春様のご友人たちは、こんな友達を持って幸せだろうな〜と、想像しています。

それにしても、長い、
この長い、ひっくり返りそうなギャグに、
一体誰が最後に
「おい!」
ってツッコミをいれるのでしょうか…。
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43: 義春 :2011/06/23(木) 22:19:26
>>42

現職員妻さま
まっ、周りにとっては破壊神らしいですから迷惑でしょうよww

でも、命をかけるものがなくなる・・
虚無感に襲われそうにもなったのは事実ですよ。

だから自分で場を作ろうと頑張ってるんですよ。

自分は基本的にアナログ人間なのでネットとかを使わないで
実際に会ってく方法ですけどね(笑)

だいたい、ネットde真実なんていうネット右翼と同類化する
可能性があるから厭なんですわ。

此処?此処は某掲示板で暴れたから最後まで責任取らないといけないなぁ…
というアレですよw

まぁ…暴れさせた方が悪いと 自己弁護しておきますねw
黙ってみてる方がフラストレーションがたまって仕方なかったですからのw

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44: 義春 :2011/06/23(木) 22:36:51

まっ、雅宣総裁には 色々マジギレする事が 多々あるが 山梨ルールで
怪我されても 面白くないから 一寸書いてみたw
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45: トキ :2011/06/25(土) 10:27:29
義春様

 学ぶ会は、確かに大きくはなりましたが、現在の教団の状態を考えると、驚くほどの発展ではないと感じます。
原宿教団を辞めた人はたくさんいるのですが、そのうち、本流復活の諸派に入ったのは一部でしょう。

 実際、私の周囲を見ても、「学ぶ会」に入ったメンバーは、必ずしも、教区でのベストメンバーではないです。
また、風の噂を信じるのなら、「ときみつる会」も、「学ぶ会」とは、少し距離を置いているとは聞いています。

 この当たりを考えると、思う程発展しないのは、いくつか原因があると思います。

*「今の教え」に不満を覚えている人の中には、「初期 谷口雅春先生時代」の教学を信じている人から、
「谷口清超先生時代」の教学を信奉している人まで多岐にわたります。

ところが、「学ぶ会」は「中期 谷口雅春先生時代」の教学を根底に置いて運営がされており、
それ以外の人達を切り捨てて います。

「中期 谷口雅春先生時代」というのは、あの時代だから魅力的だったので、今の時代では少し無理があるのです。

もし、私が「学ぶ会」の立場なら、「初期」か「前期」の「谷口雅春先生時代」の組織を参考に
今の時代にあった運動を構築すると思います。


*「本流復活」の掲示板は、生長の家から谷口雅宣総裁を追放し、まともな総裁をつける事を目的にしています。

私は、「学ぶ会」の人達の本音も、このあたりにあるとは考えています。

しかし、これは「きわめて難しい」ことです。
その論証は、あちらの掲示板で「一白鳩会員」が書いた文章を読んでもらうとして、
組織内にいる人間からは、不可能に近い事です。

それなら、もう「分派」という立場に立って、原宿教団は無視する方針で、運営をした
 ほうが良いでしょう。

そのうち、原宿教団内部で変化が起こり、合併という話が出たら、その時に考えたらよいではないでしょうか。


*谷口雅宣総裁への怨嗟の感情が強すぎると感じます。
もちろん、彼は、生長の家という教えも組織も無茶苦茶にした、とんでもない人間です。

しかし、それを全面に出したら、生長の家の信仰という観点からは問題です。

そんなに彼に恨みがあるのなら、藁人形に顔写真と名前をはりつけ
 深夜 卯の刻、五寸釘と金槌を持って、神社の「森の中」に行って,トントンと打ってしまえばいいのです。

そうではなくて、その先をどうすれば
良いかという論点をメインにすれば良いと思います。

(注:卯の刻参りは、恨みの念が自分にも返ってきますから、やった本人の運命もたいへん
 悪くなります。絶対に、しないで下さい。)

*「原宿教団」もそうですが、「学ぶ会」も、閉鎖的だと思います。
もっと、開放的な態度をとったほうが良いと思います。

 他にも、いくつか感じる点がありますが、おもいつくまま、書きました。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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46: 山ちゃん1952 :2011/06/25(土) 14:07:32

トキ様

あまり難しく考えないで下さいね。

雅春先生の初期とか中期とか?

昔は良かったなんてセンチメンタルなことだけは考えないようにしたいと思っています。

それじゃ、いまの崩壊の状態に責任取れますか?

そんな取れることが出来ない。

雅宣氏に悪く言うのも情けなくなるような感情です。

分派やゴタゴタなど戦前にも沢山ありました。戦後間もない頃にもありました。

過去の良かったのは勢いがあったということです。

今後正しく導くにはしっかり勉強することです。感情に押し流されない。
泰然自若な精神を持ちたいですね。

それとここは『生長の家政治連合の話』のスレッドですね。

田中忠雄先生のような立派な先生がおられたということは、「生長の家」というのは
素晴らしいことなんですよ。誇りを持って下さい。
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47: 義春 :2011/06/25(土) 14:20:47
>>45
トキさま

全く同感ですね…ときみつる会は前期・初期雅春先生の時代の感じでやられているみたいです・・
・宮澤先生の御文章のスタンスも『自分は生命の實相という神殿への橋の橋守みたいな存在』と書かれています。

原宿教団は殆ど無視みたいな感じですね。
学ぶ会の会報と比べると心に葛藤を引き起こさなくて済むのは大きいし、
雅宣総裁を抜きにして生長の家を人に勧められる・・・其所も原宿教団を見せなくて良いのは気が楽…です。

違う総裁を就けるのは現状から言って絶対に無理ですね。

だいたい、中の人にそんな発想があるとは到底思えないンです。
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48: トキ :2011/06/25(土) 15:26:37
>>46

山ちゃん1952様

 素晴らしいご教示、ありがとうございました。田中忠雄先生、懐かしいです。
神誌には、常連で執筆をされていました。

難しい文章でしたが、風格のあるご文章でした。

今も時々、昔の神誌を拝読するのですが、お弟子さん達も深い心境をお持ちでしたね。

 確かに、終戦後、栗原先生の独立問題などもあり、揺れた時期がありました。
あの時もたいへんだったみたいです。

あの時は、谷口雅春先生も苦労されたみたいです。
ただ、話を聞いていると、あの頃は、谷口雅春先生も誠実に対応をされたので、
信徒も結局は組織や運動への信頼を失う事がなかったと思います。

 生長の家政治連合の活動停止の際の説明では、
日本国の実相顕現という目標は今後も維持するが、政界を通じての活動には無理があるので、止める、
という内容だったと記憶しております。(違ったらごめんなさい)。

それが、いつのまにか、日本国の実相顕現という目標自体が消滅し、事前にも事後にも説明がなかった、
と言えるような気がします。

勝手な想像ですが、谷口清超先生は、日本国の実相顕現という目標は持っておられた、と思うのです。

が、現在の総裁には、「どうでもよい」事かと思います。

 生長の家政治連合については、私は「傍観者」だったので、よくわからない部分があります。

ただ、生長の家政治連合の活動停止以後、生長の家という組織や運動への信頼感が、
信徒から薄らいだような感想を持っています。

生長の家という組織は、二階にあげて梯子を外すようなマネをする、という感じです。

実際、私と同期で、バリバリ活動し、バツグンの実績をあげていた人が、本部から声がかかったのですが、
断りました。

後日、理由を聞くと「総裁が変わるたびに、方針が変わるような組織に人生をかけられない」
と言っていました。

 個人的には、当時、生長の家政治連合にかかわった人達が、何を感じていたのか、
生長の家政治連合の活動停止にどんな感想があるのか、知りたいと思っています。

山ちゃん1952様ご自身は、当時どんな事を考えておられたのでしょうか。
差し支えなければ、ご教示下されば幸いです。

どうも、行き届かない事が多々ありまして、申し訳ありません。

合掌 ありがとうございます
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49: トキ :2011/06/25(土) 16:04:49
>>47

義春様

 「ときみつる会」の事は知らなかったので、勉強になりました。
宮澤先生は、ずっと外国におられて、あまり日本国内のゴタゴタには
関与されていないので、それが良かったとは思います。

 この騒動の行き先ですが、長期的には、心配はしていないのです。落ち着くところへ落ち着くでしょう。

ただ、短期的には、考える点があります。組織や運動に関わっている人の中に、深いキズをおう人もいます。

あと、1年間に自殺者が3万人も出て、このあたり、教団があんまり関心もないみたいで、その点も残念です。

昔の運動も、ずいぶん不合理な事とか、馬鹿な事もありましたが、
今みたいに、外界の事に無頓着な体質はなかったと思います。

 生長の家政治連合に関しては、「学ぶ会」は、当時の関係者もいるでしょうから、正面から論じて欲しいと思います。

あの運動が、あのまま、うやむやになるのは、生長の家の将来のためにも、良くないし、
関係者の心情を考えると、たまらないだろうとも思います。

私も、当時の本なんかを読んでいるのですが、内情まではわかりません。
やはり、関係者のオーラルヒストリーを 期待したいです。

 とりとめもない話を書いて、失礼をしました。また、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます
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50: 山ちゃん1952 :2011/06/26(日) 01:14:06

トキ様

私は1番気にしているのは憶測でものを言うことです。
生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。

戦後間もない頃にも自ら衆議院に参戦されようと京都で進められました。
だが時期尚早ということで断念されたと「五十年史」に記載されています。

しかし、執筆追放から思いを秘められておられました。

だが昭和27年頃から
我思いの根底を揺らぐような気持ちで政治に言葉を発せられます。

だが、理事の反対にも遇いなかなか思いも伝わらなかったように感じます。

沸沸たる思いを持続させ生政連発足に漕ぎ付けられます。
だからとはいえ、雅春先生の迷いは相当です。

この最初にトキ様が指摘した

教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、
次第に部内からも批判があがるようになりました。

だが、ご存知のとおり明窓浄机の昭和50年頃には「共産党とも手を組むことも」
考えなければならない。と記載しています。
だからとはいえそこだけ読むと解釈を間違えます。

当時の自民党が「生命尊重」をしない政党にウンザリしていたからです。

だから「日本再建」をしたいが、遅々として進まず「本流復活掲示板」に記載した遺言のような
遺文「耿耿の言」です。

谷口雅春先生が昭和58年5月号に寄稿された文章を掲載させていただきます。
寄稿されたのは『動向』であります。

寄稿としての文章はこれが最後の文であります。
遺稿の御著書は『碧巌録解釈』がありますが、

お亡くなる二年前に書かれ、政治に対して、私たち信徒に対しての遺稿の文章だといえます。

私はこの雅春先生がどうして「耿耿」としてお書きになられたのか?
何か涙が出るのです。

「耿耿」は”気にかかることがあって、心が安らかでない様。

最後まで”安らかでない気持ち”とはいかなるものか

私は「生政連」の活動停止は「雅春先生」は許可をしていないように考えます。

それは連続して「明窓浄机」を読んだ感想です。
また『動向』に寄稿された文章を読んでです。


活動停止にどのような印象があるかですが

停止しても良いが
筋道を通した行動ではなかった。議論を重ねて行うのが筋であろうと思います。

当時の大阪生政連委員長は「本部」に抗議文を提出されていました。

それは本当にまともな文面でした。


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51: トキ :2011/06/26(日) 13:14:33
山ちゃん1952様

 投稿、ありがとうございました。

 出先なので、資料がないのですが、確か、明窓浄机に谷口雅春先生が過去、参院選にご出馬をかんがえ
られた事があり、鳩山一郎さんの奥さんの薫さんから、「政界は汚いところですから、出馬はお止めに
なられたほうがいいです」との忠告を受け入れ、断念したと書かれていました。
 ですから、政治へのご関心は強かったと思います。
自民党への失望も、どこかに書かれていたと記憶しております。他にロクな正当がないから、仕方なしに支持している
という趣旨の御文章もあったと記憶しています。

 反面、生長の家に対する影響などもかなり心配をされていました。
谷口雅春先生は、結構、他人に気を使う方で、やさしいご性格でしたから、意に添わない事を我慢する
事も多かったと拝察します。ご本心では、かなり失望をされたとは思います。

 簡単なお返事になり、申し訳ありません。また、投稿します。

合掌 ありがとうございます
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52: トキ :2011/06/27(月) 09:35:39
>>50

 京都から立候補を考えられたというくだりですが、何故、京都から? と疑問に感じたので、
京都第一教区にいる古い誌友さんに電話をして、聞いてみました。

 その方の説明では、当時の関係者は既に全員が亡くなっているので、詳細は不明だ、との事です。
ただ、その方の話では、終戦直後の京都教区は、以下の理由で、谷口雅春先生は頼りにされていた、との事です。

*当時は日本の大都市の大半は、戦災で壊滅状態であり、大半の組織も活動停止に近い状態だった。が、京都には戦災がほとんどなく、
 生長の家の組織も温存されていた。

*当時の京都財界の指導者 石川芳次郎氏は、生長の家の熱心な指導者であり、石川氏の奥様の貞子先生は、京都教区の
 支部長だった。その他、京都の政財界に信徒や理解者が多数いた。

*戦争中も京都教区は活動を継続していたほど、しっかりした組織だった。

 その後、谷口雅春先生が公職追放を受けると、京都教化部は、西日本教化部として、西日本の生長の家の組織指導をした
事実があります。

 昔の事を調べると、いろいろと面白い事がわかると思います。もう少し、調べてみます。

合掌 ありがとうございます
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53: 山ちゃん1952 :2011/06/27(月) 12:15:39
トキ様
京都教化部が戦後間もない頃は西日本教化部としてGHQの関係もあり分けていました。
二三年の間だけだと思っています。その為に昭和50年頃にも京都教化部の地下倉庫に戦前の本が山積みされていました。

京都には『甘露の法雨』を最初に発行した経緯もあります。戦災に遭わなかったために組織がまだ
しっかりしていた部分もあったのでしょう。

私も一時期戦後の生長の家の歴史を調べたことがあります。主に大阪中心です。ただ船越縫次郎先生(立教当時からの信者)の
伝道はすこぶるわかりやすく面白かったですね。

船越先生はカバン職人です。地方に行ってそこで商売と伝道するのですが、長崎県がどうして南と北に分かれているのだと
いうと、当初の船越先生の真理の宣布の方法でそうなったと聞いています。

仕事の関係だけではすぐに帰阪できるのですが、それよりも生長の家を熱心に取り組まれておられ
数日間の地方滞在のほとんどが真理の宣布です。

そうした諸先輩のお陰で生長の家が発展していったのですね。
また吉田清吉先生にもお会いして昔の話を聞いたことがあります。
昔はそうした伝道の姿勢が今と違います。

昨日も昔の資料を見ていたのですが、やはりそうした資料を今は見せないのです。
組織として駄目ですね。歴史があってこその生長の家ですから…
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54: トキ :2011/06/27(月) 20:46:23

 東山半之助先生の「ざっくばらん」という本を読むと、当時の地方信者の心情がよくわかり、面白いです。

山ちゃん1952さんのご文章を拝見し、それを思い出しました。
昔の神誌を読むと、地方道場の由来を書いていますが、
みなさん、本当に、手弁当で、独立独歩、教えを広めてこられたのです。

大阪も阿倍野道場の由来が書いてあり、
信徒さんが、お金を出し合って運営された様子が生き生きと描かれていました。

 昔の人の話を聞くと、谷口雅春先生を含めて、人間味があるのです。
今の組織みたいに、ハイアラーキーな組織では
なく、義理人情の通る世界でした。

これが間違っているとは思いません。信徒が寄付をし、労力を提供する以上、
信徒にはそれを要求する権利があると思っています。

 大阪の話は、私も勉強になります。どんどん、お願いします。また、私も投稿をします。

合掌 ありがとうございます
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55: 山ちゃん1952 :2011/06/28(火) 09:18:28

トキ様
東山半之助先生の「ざっくばらん」という著書は持っていませんので、ぜひとも読みたいですね。

私は過去のそうした歴史を大切にする組織が発展すると信じています。

それぞれその誌友さんがそうした、地元の先生の事を信頼してそれにまとまって生きている姿が本来の生長の家でした。

私の地元に「片村四八先生」という大阪教化部長まで歴任された人がおられます。
大東亜戦争では陸軍の総司令官でインパ−ル作戦では総指揮を執られた立派な人です。

その人が自宅の離れ部屋を提供し、信徒達を呼び集め吹田道場を設立されました。
そうした人の無償の提供が組織が発展する土壌が築かれる。

そういう人は何人もおられ、現在の道場とかよばれるところはほとんどそうした
無償の寄付によりなりたっています。

吹田道場で育って本部講師にもなられた人もおられます。
昭和30年代は神童会も盛んで300人以上の人を集めて賑やかに行っていました。

私も神童会出身なんです。幼稚園の所を借りて行っていました。当時は薫英学園でも
という学校でも少なからず誌友会を行っていました。

そうした有志の人が多く集まったのも生長の家の特色です。

そこで組織がどうして発展したのか今の組織は分析する必要があると思います。
過去の断罪ばかりででは組織は成り立ちません。総括とともに生きた組織の運営
が必要です。
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56: トキ :2011/06/28(火) 11:13:51

 片村四八先生は、戦史に登場する有名な方ですね。興味は持っていました。

悪名高い牟田口廉也中将の後を受けて、インパール作戦で壊滅した日本軍の再建を指揮した人です。

 牟田口廉也中将は、独善的で、我が侭、無能な人物で、実行不可能な作戦計画を立てて沢山の兵隊
を殺し、作戦が失敗すると、部下の師団長に責任を転嫁して次々に解任した人物として知られています。

作戦が失敗しても、責任を取らなかった点も評判が悪いです。
(どこかに似たような人がいると思っては、いけません。)

 戦史では、牟田口廉也中将に解任されて入院中の山内師団長を見舞い、優しい言葉をかけてねぎらった
ので、山内師団長が感激のあまり泣き出した、という記述もあります。

 「ざっくばらん」の話では、奥様の病気がきっかけで入信をしたみたいです。

 昔の陸軍の将官の中にも、信徒さんは何人もいたみたいです。
横山中将という方が、確か信徒さんで、
戦記雑誌に、その方の部下の回顧録が書いてありましたが、「最近の軍隊からヒューマニズムが消えてしま
ったのは、残念だ」と言われていたとあります。

 片村先生は、戦後の事はあまり知られていませんが、こういう事もしっかりと記録する必要があると思います。

合掌 ありがとうございます
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57: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 11:05:19

>山ちゃん1952さま
>トキさま

 いやー、信仰五歳児にとってはスゴイ話です。いやほんと、生長の家って
戦前、日本の「なにか」を支え続けていた気がしています。こういった歴史
は大切にすべきですよね。そしてそんな歴史は他宗と比較しても、偉大過ぎ
る物語が溢れているんじゃないでしょうか。わたしももっと、そんな話を聞
いてみたいです。

 余談になりますが、私の祖父も陸軍大尉でした。こんな話を読みますと、
まあ、「祖父の連隊長が生長の家の方だったら・・・」なんて思ってしまい
ます。もしも祖父上官が誌友の方であられれば、我が家にももっと早くに、
この御教えが入っていたでしょうから・・・まあ御教えなしで武功を上げ、
かつ生還した祖父もスゴイですけどね(笑)祖父は「敵前上陸二回+白襷隊
(決死隊)二回」の、尋常ではない猛者でありました(笑)戦史解説は非常
におもしろかったですけど、まあ、連隊長は誌友の方ではなかったのであり
ましょう(笑)我が家には雅春先生の本、一冊しかありませんでしたしね
(笑)
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58: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 12:01:22

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

もうすでに御存知だと思いますが、一度靖国神社の就遊館に行かれたよいと思います。
確か人造半皮『生命の實相』に日記が認められているのが展示されていると思います。

もし、展示されていなければ聞けばわかります。
そうした、戦前の日本の姿を垣間見ることも必要だと思います。

私は遅々として進まない『社会運動の状況』という昭和11年から昭和16年までの
内務省警保局(特高)の資料をコピ−しています。
生長の家の当時の状況が特高という地点から見れるので大変参考になります。
当時どのような運動をしていたのか、教勢はどうであったかという一部は細部まで
見れます。
人間の嫉妬のような文章もあり、生長の家の経験が少ない人には一部見せられない
資料であります。

戦後の『日の丸推進運動』を積極的に推進したのは「生長の家」なのです。
街頭で「日の丸行進」をしてアピ−ルしたのも今や懐かしい思い出しかありません。

トキ様

東山半之助先生は昔から有名な先生ですね。
北海道網走市編纂の資料には『生長の家本部講師東山半之助講演会』と題して
講演会を開催されています。そういうのが市史編纂に掲載されているのです。
昭和26年7月7日開催

「生長の家」本部でもそういう資料が少ないのも事実です。整理が出来ていなかったのでしょうね。
以前に書きました『谷口雅春著作集年譜』の編纂をしているのですが、未確認の
いろいろな資料があり、お蔵入りというのもあります。調べてもわからないのが実情です。

たぶんこの私の資料は「生長の家」の著作集では一番網羅していると思います。
また徐々に発表していきます。

昔は講演会場が少ないので「○○市立小学校」で講演会を行っていたのも
今では考えられない事ですね。
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59: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/29(水) 12:52:05

>山ちゃん1952さま

 靖国神社の件ですが、当然ながら知りませんでした(笑)へえ、そんな資
料が展示してありましたか。次回上京の際には確認してみようと思います。
あの就遊館は上京の際、必ず行く場所です。私の大叔父(祖父の弟)が海軍
少佐でありまして、そしてサイパンで戦死したのですけど、遺影が飾られて
おりますもので。(非常に優秀な人であった模様です。双発爆撃機の設計に
も携わっていたらしいのですが・・・なんでも前線で一次情報収集中だった
とかで。)

 なんてことを述べながら、さてここからが本文なんですが、その貴殿がコピ
ー中と申されますその特高資料・・・も の す ご く 興 味 が あ 
り ま す(笑)いやーすごい方ですね、貴殿(笑)それはぜひ、(一部で
も構いませんが)公開願いたいものだと。そうです、生長の家の「明」の部
分も「暗」の部分も、包み隠さずに行って頂きたいものだと(笑)よろしく
お願い致します。

追伸

 トキさまへ提案なんですが・・・本年末の忘年会でもしませんか(笑)こ
こにおられる方々の都合を聞きまして、そしてどこかに一同会しようではあ
りませんか。
 やや気が早い話とは申せ、今から動けばなんとか、年末予定も空けられる
と思うのです。そして既に、もう6月末でもあります。もう高校野球予選が
開始されますと、体感速度的には「2ヶ月で年末が」くるような昨今(年な
んでしょうかw)・・・と云うことで、どうでしょうか。皆で一同結集する
機会を持とうではありませんか。
(それにしてもおもしろそうな方が、多すぎですここw)
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60: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 13:42:26

先日の「生長の家本流掲示板」でのもみじ様の「谷口雅宣氏を撃つ」という表現を
指摘したのですが、「穿つ」に変更をお願い致しましたところ、早速訂正していた
だきました。なお、少し腹がお立ちだったのでしょう。
わたしの間違い記入も言われました。(笑)

あの時初めて携帯でスレッドの書き込みしたので、深層心理の真相心理という字にしてしまって
いたのです。間違って気が付いたときには送信した後。電車内ではどうすることも出来ません。
もみじ様はプライドが高いのでしょう。

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
いえいえ全くの勉強不足です。わからない事だらけで知ったかぶりをしているだけです。

恥ずかしいかぎりですよ。

皆様より少しだけ長く生長の家の活動を底辺でしていただけです。

本部とか教化部には現在では縁がありません。

『陵墓』や『怨霊』や『万葉集』『日本書紀』『古事記』『日本霊位記』
などに興味を示す。少し変わった人間です。

それ以外に最近は友達と旅行行ったり飲んだりして楽しんでいます。

趣味は 読書にトレッキングにサイクリングです。
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61: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 13:52:43

すいません。『日本霊異記』の間違いです。
この本は『行基』などの説話で深くしり、大変興味がありそういう場所は近畿では沢山ありますので
信仰するうえでも面白いです。

また『石田梅岩』なども江戸時代の初期の人ですが中期から後期にかけて日本全国に
その思想が広まり「規範」「しつけ」など日常における道徳観念を教えて人ですね。

辻説法で教えを広めて行かれたのです。
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62: トキ :2011/06/29(水) 16:24:46

山ちゃん1952さま

 当時の「内務省警保局」は、検閲などを担当していた部署ですね。

「日本憲兵正史」という枕になりそうな分厚い本によれば、
当時の陸軍の憲兵も、内務省警保局に出向して検閲に当たっていたようです。

思想運動全般を扱っていましたから、おそらく、生長の家に関しても貴重な資料が山盛りでしょう。

あと、戦後のGHQでも検閲をしており、当時の生長の家の刊行物が、保存されているみたいです。
何かのカタログで、大阪の青年会の機関誌が出ていました。

 まあ、運動をしていると、正直、きれいごとばかりではないです。人間ですから、感情的にもなります。

こういうボランティア運動の場合、厚意で皆さん動いているので、一つ間違えると、深く傷つける事になります。
だいたい、どんな文章が予測はつきますね。

 生長の家の地方の教化部の歴史は、だいたい、パターンがあります。

本とか神誌で救われた人が、自発的に立ち上がり、連絡を取り合って、会合を始め、そこから、お金や労力、不動産
を提供して組織を作り、講演会を始めて、組織を大きくする、というものです。

その中に、いろいろな人間のドラマ
がある訳で、義理人情もあれば、葛藤もあるのです。それを無視しては、間違うと感じますね。

 また、ご投稿をお待ちしております。

合掌 ありがとうございます
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63: トキ :2011/06/29(水) 16:40:39

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 そうですか。ブログ「雅春先生に訊け」管理人様も優秀ですが、ご親族も優秀な方が多いのですね。

サイパン島で亡くなられたのは、本当に惜しいです。余談ですが、サイパン島は、名古屋の師団が
守備についており、在留邦人の大半は沖縄県の出身の方だと聞いております。

鹿児島県の方は、硫黄島で多くなくなられたと聞いています。
おじいさまは、本当に勇敢な方だと尊敬の念を感じます。

さすがブログ「雅春先生に訊け」管理人様のご親族です。

 個人的な事情で年末の予定が立てられない状態なのですが(すみません)、
有志でお会いする事は素敵だと思います。

 遠隔地の人などは、どうすれば良いか考える必要があり、
また、組織にいる方の中には、顔と名前は内緒、
という人もいるので、そのあたりどうするか、など、宿題もあるので、皆様のご意見も募集したいです。
もちろん、参加したい人だけになるでしょう。「挨拶」板もありますから、ドンドン、ご意見をお願いします。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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64: 山ちゃん1952 :2011/06/29(水) 17:44:36

トキ様

GHQの検閲に関しては「谷口雅春先生著作」で私の方でまとめて資料を出しました。

大阪の青年会の歴史については纏めたことがあり、その当時はまだ揺籃の時期で
あり「生長の家50年史」に掲載されていますが、主に戦前の図書に関しては検閲
作業はされています。だが、昭和23年?ぐらいの草創期なのでもしGHQに資料があるので
あれば、情報は多岐にわたっていたのでしょうね。

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65: トキ :2011/06/29(水) 21:24:50
>>64

 「プランゲ文庫」というものがあります。終戦後に検閲された資料がここに集められています。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/プランゲ文庫

 この資料の中に、大阪青年会の会報があるみたいです。業者がマイクロフィルムをコピーし、有料で頒布して
いた時期もあったみたいです。その中に、「生長の家大阪青年会の会報」という文字があったのを記憶しています。
 とにかく、量が異常に多いので、探すのが少し大変かもしれません。しかし、オリジナルの資料が残っているのは
ここぐらいでしょうね。

 大阪青年会の歴史をまとめられたとは、すごいですね。吉倉先生もご健在ですから、記憶しておくとし
たら、今ですね。

 余談ですが栗原得二先生は、その後、どうなったのでしょうか?(つまらない質問をして、すみません)

合掌 ありがとうございます
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66: トキ :2011/06/29(水) 21:26:38
「Wikipedia」より

プランゲ文庫(プランゲぶんこ)とはゴードン・ウィリアム・プランゲ博士(Gordon William Prange)によって
占領下の日本で検閲された出版物が収集されたコレクションである。

米国メリーランド大学の歴史学教授に籍を置きつつ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の
参謀第二部(GII)で戦史室長の任を勤めていたゴードン・ウィリアム・プランゲ博士によってGHQにより
検閲された資料がメリーランド大学に移送された。当時、発禁となった刊行物も多数含まれており、
占領下の日本の資料として他に類を見ないものである。

当時の時局を反映して紙質が悪く、更に空調設備のない書庫により資料が経年変化で劣化していることから、
80年代よりマイクロフィルム化が進められてきた。早稲田大学の山本武利教授を代表とするプロジェクトチームは、
2007年にデータベースを完成させ、現在はその修正作業を行っている。
(占領期新聞・雑誌情報データベース)

(ご参考まで)
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67: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 08:57:12

 トキさんすみません・・・ブログコメント欄不調のため、こちらに掲載さ
せて頂きます。

>茉莉香さま

 返信が遅れてすみません。しかしながら驚いたことを一点。
 貴女が弊ブログに寄せられた「盲亀浮木」の故事でありますが、これ、ち
ょうど一週間前に知ったものでありました。貴女が投稿してくださらなけれ
ばあやうく失念するところでした。ありがとうございました。
 本当にこの故事は、含蓄に富んだものですよね。素晴らしい例え話だと思
います。また貴女さまと関心の所在が一致しておりまして、嬉しく思う次第
です。今後もよろしくお願いします。
 なおコメント不調の件ですが・・・管理人直接投稿以外はOKです(笑)
ですんでガンガンにお願いします。(返信はこちらになるやもw)笑える話
がありまして、先日貴女さまへ返信を書きましたらいきなり、投稿記事が乱
れまして、そして掲載していた写真がなぜか「藤原敏之先生」に代わってし
まい(爆笑)「もう、先生・・・そこまでファンを(貴女のこと)大切にな
さるのか」とツッコミを入れた次第でした(笑)

>商人さま

 上記のような次第でありまして、コメント返信遅れを深くお詫び致します。
さて最近、感動したお話など。
 栄える会に所属される方が、電話で教えてくださったことなんですけどね、
なんと神は、会社創業の際に(   )までも同時にお創りになられておられ
るとかで・・・で、この(    )内に入る言葉、お解かりになりますか?

 まあ多分、この話・・・たぶん私と貴殿しか「おおお!」と感動できぬと云
う、そんな話になりますけどね、ですんでこの答えですが、あきんどの方以外
はあまり期待されない方がよいのですが・・・やや余談を述べますと、なんせ
かのドラッカー先生ですが「どんな聖人君主でも天使でも、ひとたび彼がCE
Oの座についたその30秒後には・・・ 利 益 の こ と を考えざるを得
ない」なんておっしゃってます・・・まあ、こんな世界に生きている人しか感
動できぬ、そんな話になりますが。

 で、カッコ内の答えなんですが、これ、「顧客」らしいです。

 おお、神は会社創業の際、顧客までもお創り給うておられたか(!)いやー
バンザイ三唱でも足りないくらいのお話しですね。

南京攻略時の熊本第六師団なみの大音声で「バンザーイ」と叫びますかね
(ちなみにわが祖父、六師団ですたw)

 私はこの言葉で、だいぶ気持ちがラクになりましたよ。
「事業に於ける有効な定義は唯一つしかない。それは『顧客の創造』である」(ドラッカー)

なんて云われ、そしてあせりまくっております昨今ですが、雅春先生ならド
ラッカーさんに対し「・・・もうそれは、創造済みなのでありますよ」とお
答えになろうかと(笑)

 追伸

 でもまあドラッカー先生ですが、この人はやはり、天才だと思います。私
は同先生を「日本的経営を肯定している点」で評価します。非常に好きな人
なんですがね。ただ高校野球の女子マネには、経営よりも「男ゴコロを」学
んで欲しいですが。
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68: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:00:50

>トキさま
>山ちゃん1952さま

 有益なる御話をありがとうございます。なお以下は、生長の家「偉大な
る$謾y談」の呼び水として、そして一方的ではありますが、「我が家の先
祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。お付き合い頂けますと幸
いです。

 我が祖父は、かの熊本第六師団――司馬遼太郎談「日本最強の師団」の基
幹連隊・都城二十三連隊におりました。支那事変では、杭州湾上陸戦に参加
しまして「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)
圧勝を以ってかの地へ上陸した模様です。

支那軍は、この祖父所属連隊の数字「23」を見るだけで潰走したらしいのですが、
まああんな「祖父みたいなイキモノが何万人も来れば、そりゃ逃げるわ」と
同情する次第でもあります。

その後この六師団ですが「鹵獲兵器20余万点」という、空前絶後の戦
史レコードを作っています。個人的には「当時の支那人に生まれなくてよか
った」と思えるほどの、そんなオソロシさです(笑)

 そして以下は、まああまり戦史に記録されていないことですが、祖父現場
談を述べますと、「三菱は鬼畜である」と(笑)

 なぜといって蒋介石軍陣地を占領しますと、なんと多数の日本製兵器があ
ったとかで・・・ああこれ、あまり話すとヤバイんでしょうかね(笑)まあ
三菱ですが、敵方にも兵器を売っていたんですね(笑)ですんで就職活動の
時、祖父は私に「三菱に行ったら孫に非ず」と厳命してましたが(笑)

 その後の祖父ですが昭和16年開戦時に、比島リンガエン湾上陸戦に参加
します。あの小林よしのり氏『戦争論』にて、高村氏という方の戦場記録が
描かれておりますが、あの上陸地点で照明弾を上げたのは・・・なんと、我
が祖父の小隊でありました(笑)

「上陸前日、なーぜーかーオレの部隊だけ、食事に『梅干』がついていた。」
「他は米だけだった」「だから『あっ、明日は命日だ』と思った」とかで(笑)
いやー、ヒューマニズム欠如の日本陸軍ですが、まあ、照明弾を上げる部隊
に「梅干をサービスする」くらいの配慮は、あったんですね(笑)

 ・・・「梅干を食べたから」かどうかは知りませんが、まあ予想どおり祖
父小隊は「照明弾をあげよ」と命じられます。そして上陸した祖父は照明弾
を上げたのですが、その後「 重 機 関 銃 !!!ババババババババ!
!!」(口調、祖父のソレそのままw)の猛射を受けます。もうそれは「大
便をもらしたゾ」てな位の脅威であったらしく、さすがの祖父も「ここで死
ぬ」と思ったようです。しかし「ここで逃げたら先祖に申し訳ない」とのこ
とで、祖父、ここで部下に「前進撤退」を命じます(笑)

いやー、この前進撤退ですが、
ヤンキー共は度肝を抜かれたらしく・・・なぜか祖父は生存します。
しかも部隊全員生還だったとかで(笑)島津家は関ヶ原でほとんど戦
死しましたが、祖父は強運でしたね・・・しかし迫ってくる、その帝国陸軍
中尉には、ウンコ(梅干入り)ついているだから、なにも逃げなくてよかっ
たのに、米軍(笑)
 
 ・・・その後コレヒドール要塞攻略戦に参加し、「マッカーサーを捕り逃がし
た!」(祖父談)が勝利しまして、そしてあの捕虜護送「バターン死の行進」
にも参加しております。『東洋の凱歌』という記録映像にバッチリ映ってい
るらしいんですが、どれだか判りません。

 その後祖父はマラリアに罹患し、野戦病院で母方祖父の上官(軍医)に出
会います。軍医だった母方祖父(野球の名手でもありました)とはここで縁
ができまして、そしてその後、肉体の私が誕生した次第です。まあ肉体の私
がここにいるのも、マッカーサー菩薩様のお導きと云えようかと(笑)

 祖父も11年前に亡くなりましたが、亡くなる前日の言葉は「マッカーサ
ーを捕り逃がした・・・」でしたが、いやー祖父にも御教えが入っていれば
・・・(中略)・・・まあ、まだまだオモシロイ話があるのですが、本日は
このあたりで。

69: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:23:37
「我が家の先祖供養」を兼ねましての、そんなお話になります。

 ・・・なんて云いながら「ウンコもらした」はないですね(笑)ごめんなさい、
おじいさま(笑)
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70: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 09:28:49
追伸

 大切なことを云い忘れておりました。補足です。テーマは「愛国心」にな
ろうかと。
 愛国心とか申しますと、なんか祖父のような系統の、そんな武勇伝がメイ
ンになりがちです。でも私は、「これは少し違うぞ」とも思うのです。
 そんな気持ちを込めまして、先日こんなブログ記事をアップしました。こ
の「筑前の正助」ですけど、こんな一見地味な行為の積み重ね・・・これぞ
真の愛国者の姿ではなかろうかと。

●利己心を死に切る
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65562827.html
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71: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 09:54:52
トキ様
名前は占領史のなかで聞いていましたが実際の資料は見ていませんでしたので
本当にありがとうございます。
ただ、会社ではこのブランゲ文庫は開封することが出来ません。
財団法人でその資料のコピ−等を行っているのですね。

当時の生長の家は進駐軍の所在地から近くあり、当時の上六(上本町六丁目)
付近で都ホテルが焼け残っていたと聞いています。たぶん目立ったのでしょうね。

吉倉先生は草創期の青年会のメンバ−です。御著書にはそうした当時のご様子も記入
していますが、詳しくは残っていないです。
さて、我らの大先輩である吉倉修三先生のお宅に訪問してみます。
____________________________________________________________________________

72: トキ :2011/06/30(木) 10:29:59

ブログ「雅春先生に訊け」管理人様

 どうぞ、どうぞ、どんどんご利用下さい。

 ところで、昔の陸軍では、九州の部隊は強かったみたいです。東北の部隊は粘り強く、関西の部隊は計算をする、と読んだ事があります。

>>「演習の時のほうがたくさん死んだ」という(どんな演習だ、それ?!)

って、その通りですね。今なら、大問題になるでしょうね。w
 しかし、こういう貴重な英霊の犠牲の上に、今日の平和と繁栄があるのですから、私達は心からの感謝と尊敬の気持ちを護国の英霊の皆様に
表しなければいけないと思うのです。

 愛国心についても、ご教示の通りだと思います。
 昔は、よく戦争をしておりましたから、戦争で闘うのが愛国心である、という発想でも通用しましたが、これからは、もっと地道で目立たないが
コツコツとした行いをし、それを継続する事が、大切であると感じます。

 いつもすばらしいご投稿に感謝申し上げます。忘年会の件も、関心の有る方は、「挨拶」板へご投稿をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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73: トキ :2011/06/30(木) 10:42:35
山ちゃん1952様

 生長の家の歴史を調べる時に、どうしても部内の資料を集めるとうい発想をしますが、部外の
資料を見る発想は出て来なかったです。『社会運動の状況』は、左翼運動に歴史を調べる人には
常識なのですが、生長の家の運動が記録されていたとは思わなかったです。

 他には、古い「生長の家」誌(緑色の表紙)を読むと、各地方道場のいきさつが連載されていて、面白
かったです。こういうのも貴重な資料ですね。

 他には、信徒さんや講師さんが、自費出版で回顧録を出しているのを、古本屋でよく見受けます。
以前は見逃していたのですが、少しずつ、集めてみようかと思います。

合掌 ありがとうございます
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74: 商人 :2011/06/30(木) 12:37:13
我が尊敬するブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
 今日もとてもすばらしいお話しありがとうございます!!
今日もまた幸せな気持ちになりました。
只今、藤原先生のご本を繰り返し繰り返しよんでおります。
とてもよいご本を紹介していただき感謝しております。

6月も今日でおしまいですね。7月もよい方へ善い方へ進めますようにがんばります。
我が尊敬する管理人さんのブログとてもためになります。 ありがとうございます。
いろいろ教えていただけるすばらしい!私の先生です。

トキさん 
ここの掲示板もすばらしい内容ばかりですね。
どんどん増えていきますね、過去の記事が埋没するのがもったいないくらいですね。
 
すばらしいですね トキさん
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75: トキ :2011/06/30(木) 12:44:50
商人様

 過分のお褒めのお言葉、恐縮いたします。商人様を始め、すばらしい投稿者ばかりですから、素晴らしい掲示板になったのです。
本当に感謝申し上げます。藤原先生も、きっとお慶びでしょう。ご存命中に会う機会がなくても、藤原先生は、きっと皆様のそばに
おられます。目は鋭かったですが、暖かい先生でしたから。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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76: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/06/30(木) 17:32:49
>商人さま

 最近流行っている言葉があるようですね。それは幻冬舎社長の見城さんの
言葉らしく、サイバーエージェントの藤田社長経由で広まっている言葉らしい
のですけど、その言葉とは、

憂鬱でないのは仕事じゃない

 なんて言葉らしいのですwこの言葉、確かに迫力ありますし、「流行るのも
頷ける」次第ですし、たくさんのビジネスマンが「感動しました」と意志表明
するのも分かります。けど・・・
 我々は良かったですよねwなんせ我々にある言葉は「憂鬱でないのは仕事じゃない」
なんて言葉ではなく、「自壊作用」「向こう倍力」なんて(強力な)言葉です。
「ああ早く、皆に雅春先生の御教えを届けてやりたい」なんて思う次第です。
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77: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 19:35:58
トキ様
栗原得二先生は『人間性の解剖』昭和24年二月一日発行の場合、著作として出版されておられます。
後ほどに編者として名前が出てきます。
はたして、どういうことか今では分からないが、三通り考えられる。
まず、谷口雅春先生が執筆追放のため著作を栗原得二様にて出版なされたのか?十分にありえます。
もう一つは栗原得二先生がそのまま編集のみ行っておられたのか?
次に栗原先生の文章を谷口雅春先生が校閲されたかです。今ではわかりません。

さて質問にあった栗原得二先生ですが、大阪に住まわれたのか知りません。

ひょっとすると、栗原保介先生ではありませんか?

昭和11年頃には東京下落合の相愛会の責任者です。
その後大阪の豊中に移られ、萬成書房の出版責任者として活躍されます。
その当時は本部講師役職です。
昭和30年代にはその名前は消えていきます。
以前に大先輩に聞いたのですが、控えていなかった為、忘れています。
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78: 義春 :2011/06/30(木) 19:47:59

♪またも負けたか第8連隊
…っと大阪から、こんばんわ。

上記の節は婆ちゃんから習いました。

先祖供養がてらに私が聞き及ぶ話を一寸書いてみますか。

私の家は代々、海軍の一家で何代か前の先祖は
海軍大将となった様です。

今も母方の本家に海軍大将の正服があります。

私が昔語りするのは曾祖父の事です。

何から話すか悩みますが戦前の大事なところを観た人なので長文ご容赦下さい。

曾祖父は(恐らく明治末期から)大正時代及び昭和初期に海軍に属してました。
呉の海軍兵学校卒業後に世界一周に出るのですが、
アメリカには寄港しなかった…との事。

大東亜戦争開戦よりだいぶ前だった筈ですが…
アメリカにはオレンジ計画があったので、
お互い仮想敵国として観ていたのかもしれません。

帰国した後、閑院宮の侍従武官として宮中にも出入りし、
大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』も現場で観ていたそうです。

大正天皇様の資質が問われる事件だったので、
私自身、衝撃を受けたものです。
(※私は大正天皇様の漢詩に飛行機を詠みあげる作品とか好きなんで)

…で、此処からは私には血の繋がりを感じさせる話なんですが・・
・曾祖父…或る時、閑院宮様を連れ出して呑み歩いたそうですw

ひいじいちゃん、あんた、何してるんですか!?(汗)な話ですが
…本当の話なんで質が悪いw

で、宮さん、お土産に饅頭買っていって宮家の人に
『これは預からせて頂きます』と言われて没収された…らしい…ホント、
何やってるんですかw

ちなみに、どっちが金を出したかは知りませんw

(続きます)
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79: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 19:49:45
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様
私も大阪出身ですから陸軍のことは父から聞いています。
『またも負けたか八連隊 それでは勲章九連隊」
(京都の歩兵第9連隊 「くれんたい=もらえませんよ」のもじり)」

大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。
それは「西南の役」にその噂が始まったとされます。『近世日本国民史』徳富蘇峰がその
一躍を買ったといえます。

だが、噂というのは今も確証なしに語られています。
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80: 義春 :2011/06/30(木) 20:09:11
それで海軍の教官等をし軍歴の最後は戦艦武蔵に乗って終わったそうです。
退役の際に昭和天皇様に拝謁し銀杯を頂いたそうです。
これも戦火を逃れて母方の本家に残されています。

これから話すのは歴史の闇になる事ですが、
曾祖父の娘である祖母から聴いた通りに書きます。

廬溝橋事件というものが支那の国民政府と起こりましたが、
その時、現場にいた兵士が祖母の担任にいました。

それで授業中にこういったそうです。

『あの事件は日本側から発砲した』

と・・・勿論、政府や軍部の発表とは全く違います。

戦前に於いて、これは非常にヤバかったのは言うまでもありません。

それだから
(その頃、都島で地主をやっていた事から町内会長をしていた)
曾祖父は担任や校長に口止めし担任が憲兵に捕まらない様に
世話をしたそうです。

それで・・・大東亜戦争の開戦。
曾祖父は『この戦は負ける。
だが、これは戦わねばならぬ戦である。』と言ったそうです。
若い時に世界を観てきた曾祖父は全てを悟っていたのかもしれません。
圧倒的な工業力・国力の差、白人支配の世界の恐ろしさ…その全てを…。

で、戦中の大阪大空襲…。
祖母が今でも言ってる事ですが…
『絶対に米軍のパイロットは私達が見えてたよ。

だって私、米軍のパイロットを見たよ。
あいつらは私らが逃げられないように淀川に焼夷弾を落として焼いて
逃げられんようにしよった。』

『おばあちゃんの一番仲の良かった子も撃たれてね、死んだ。
夜になると蛆が死体を喰ってる音がしたよ。だから、
今でも鬼畜米英と思うよ。』


…焼け野原になった都島ですが曾祖父は進んで朝鮮人の世話をしたそうです。
大半は世話をしても知らん顔でしたが、時折、恩を返しにくる人がいて
喜んだとの事です。

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81: 義春 :2011/06/30(木) 20:27:11
…曾祖父の最期ですが…私は曾祖父の逸話の中で一番感動し、
又、その曾祖父を誇りとする話です。

曾祖父も私と同じ様に直腸癌で死にました。まだ昭和30年代。

私も身を以て知っているのですが末期になると手をつけれない痛みに苦しみ、
人格すら崩壊する激烈で凄惨な痛みに襲われるのですが、
曾祖父は一言も『痛い』とは言わなかった…
それどころか人格を保つ為にモルヒネすら使わなかった
…そして看護婦さんに凄く気を遣っていた…と。

病状を知ると…ただ、『●●君に頼む。』と知り合いで
小さな頃から世話をした医師の名を挙げ、淡々としていた…と。

私は、身体は癌に侵されても、心や魂までは病に負けず、
己の生き方を通した曾祖父を誇りに思う。

だから、人工肛門を観た(曾祖父の娘である)祖母が
『お父さんも苦しんだ人工肛門がお前にまで・・・』と
涙にくれたのを観ても、曾祖父が守ってくれてる様な気がして、
逆に嬉しくなった…母方の一族が苦しんだ大腸の病、
我が代で必ず、勝ってみせる、
そして黄泉でまみえた時に胸を張って会いに行こう…と。

その曾祖父も黄泉から私を助けてくれている様で、
前回の闘病後に買った家の引っ越しの折り、
祖母の心に『水回りの道具持っていかんでどうする!』と
叱ってきた…そうです。

俄に信じられないけど、買った家も有り得ないくらいのタイミングで
手に入ったりで、先祖達の助けがあるのだと思わざるを得ない。

…そんな、とある一族の歴史でした。

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82: 義春 :2011/06/30(木) 20:33:17
>>79
山ちゃん1956さま

そうなんですよね〜結構強かったりするんですけど、
都市部出身者は弱兵だというイメージが強かったみたいですね。

そういえば、私が異常に歴史に詳しいのを以てド阿呆な事を
書いていた輩がいましたが…

一言言うなら『こっちは先祖達の想いが詰まってるんだよ!
そんなそこらの奴と一緒にするな!
あんたらはどれだけ先祖達と共に生きたかった分かるか?
どれだけ先祖達の想いを後世に遺したいか分かるか?』と
だけは言いたいかな。

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84: トキ :2011/06/30(木) 21:20:59
>>77

山ちゃん1952さま

 栗原先生で勘違いをしておりました。申し訳ありませんでした。
栗原保介先生と栗原得二先生を混同しておりました。

 私が、古い信徒さんから聞いているのは、以下の通りです。

 大阪の栗原先生は、青年の育成に努力をされ、大阪の青年会を大いに発展させました。
が、その後、野心を起こされ、独立して別派を立てられました。そのときは、生長の家の青年を
大勢、引き抜いたと言われています。谷口雅春先生は、たいへん悲しまれました。その時に
生長の家に残った数少ない幹部が、吉倉先生という事です。

 戦前からの本部講師経験もある方から聞いた話では、当時の本部講師は薄給で、栗原先生はお子様
が多数おられたので、生活のために、やむを得なかったのではないか、と話をされていました。

 ただ、独立後は、噂をきかないので、どうなったのかなあ、と思っています。

 一般論として、別派を立てた人は、長く続かないみたいです。幸福の科学の善川さんと、白光の五井さん
ぐらいしか、続いた人はいないみたいです。

合掌 ありがとうございます
_______________________________________________________________________

85: トキ :2011/06/30(木) 21:24:13
 義春様の先祖はすごいです。きっと、指導霊として、正しく導いていますよ。

>>大正天皇様の俗に言う『丸眼鏡事件』

 すごい現場におられたみたいですね。
やはり、素晴らしいご先祖様がおられるから、義春様も素晴らしいと
思います。これからも、期待しております。頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます
_______________________________________________________________________

86: 義春 :2011/06/30(木) 21:41:31
>>85
トキさま
絶対にそうだと思います。

曾祖父も和籍・漢籍に詳しかったのですが、
私も小学生時代から普通に読んでました。

何か趣味とか色々なエピソードが似てるんですよね…で、
困った事に俗に守護霊の1.5割増くらい強烈に影響されるというので、
この困った性格も曾祖父の影響なんだと思います(笑)

まっ、嬉しいンですけどね(笑)

ちなみに生長の家は現象的には父方から受け継いだのですが、
曾祖父の嫁さんの曾祖母も戦前、未だ初期の頃に生長の家を
信仰していたみたいです。

でも曾祖父が『軍人の嫁たる者が宗教信じるなんて赦されん』と
いう事で止めたらしいです。

その曾祖母は私が3歳の時に亡くなりました。
(あぁ雅春先生と同じ年に逝ったのかな?)

曾祖母に母方の一族は男子が居なくて大変可愛がられたとの事なので、
たぶん、霊的には母方の方から伝わったのだと思います。

何故かと言うと、
何故か生長の家に関しては色々口では言い表せないのですが
上手くいかなかった…だけど、

国の事を学び始めてから自然と上手くいく様になった…
それだから、黄泉に於いて、曾祖母が曾祖父を説得なされたのと、

曾祖父は私の根性がマシになったのを御覧になられ私の信仰を
許されたのだと想うのです。

だから、信仰は四代目にして活動は初代という滅茶苦茶な
感じになってしまいました。

_________________________________________________________

87: 山ちゃん1952 :2011/06/30(木) 21:43:43
トキ様
そうですね。たしか別派を立てられて出て行かれましたね。

青年会の一部を引き連れてです。

栗原保介先生は『白鳩』誌の創刊号に掲載されていますから有名です。

だが急遽に本部講師になると駄目ですね。勉強はしていないし、理屈のみで対処
するからいけません。やはり伝道や家庭訪問を通して育った人は筋があります。

それと歴史観と国家観が熟成していないと無理でしょう。
______________________________________________________
88: 山ちゃん1952 :2011/07/01(金) 10:37:55
義春様

大東亜戦争の勃発時の国民の状況というのは凄まじいものを感じます。
当時の新聞や雑誌等は非常事態を煽り、国民は疲弊していたのにも拘らず
それを推進していた部分もあります。
また、食糧難や物資の配給等戦前でもありました。

しかし、戦争は駄目だとは簡単に言えます。
だが当時の状況下で果たしてそういうことが言えるかどうかは
が難しい所であります。

国民は騙されていたということも簡単に言えます。
だが、国際的にもそうした国が多かったのも事実であります。

私も近世の歴史をあらゆる部分で見た時に「15年戦争」とかいう大学教授はいますが
決して歴史というのはそういうスパンではみれない。

たとえば、明治時代の「岩倉使節団」からの日本の脅威の発展は江戸時代の優れた技術
というのがあればこそなんです。
それを無視して日露戦争や日清戦争は語れないのです。それこそ江戸時代は未開の
地であった日本が何の技術もなく、たとえイギリスやドイツの技術者を呼んでも
そこまで到達するかは疑問であります。
そこには”文字書き”が出来る要素があり、語学を学べる要素があったからなのです。

「逝きし世の面影」は渡辺京二著の大著であります。江戸時代の後期の日本人の人物像
を探るには欠かせない書物であります。
また「江戸という幻影」という書物も見ごたえがあり、いかに日本人が生きたか
また現在とあまり変わらない生活にびっくりされると思います。


また、大阪では町人の町ですが、だからと言って武士の人数はどうだったのかしっかり
判別できていません。だが武士と商人との格差というのを感じなかったというのが
判明している所です。

戦後66年、どれだけのことを私を含め知っているのでしょう?
自虐的史観だけでは到底歴史はわかりません。
今は「生長の家」からそうした専門的な分野で博識な人は
いません。

まだ、私が青年会時代は歴史に詳しい人は何人もいました。勿論
憲法についても同じです。
運動もやりながら必死に勉強していた人ばかりです。
千葉県教化部長を歴任された安東先生は博識であり勉強家でありました。
家には蔵書といわれるものが30数年前でも2万冊はあるといわれていました。
森田先生もそうですね。一度聞いたことがありますが「数えたことが無い」と言われましたが
大宰府では家に書斎を作られています。

私も天皇陛下の関連書物は1000冊は超えます。憲法や歴史や大東亜戦争
そして生長の家の本と1万冊は軽く超えます。だがいつも勉強不足を痛感
致します。
とりとめのない話になりましたが、歴史をある一点だけで見ないことが大切
です。
__________________________________________________________________________

89: トキ :2011/07/01(金) 10:46:14
>>86

 昔の軍人さんの中には、生長の家とか信仰を毛嫌いした人がいたみたいです。
硫黄島守備隊関係者の回顧録に、部隊長が「生命の実相」に感激し部下に配布しようとしたら、
副官が反対して止めさせた、という話が書いてありました。

 でも、霊界で、ご先祖様も、きっと真理を勉強されています。
義春様のご活躍も、ご先祖の導きによるものでしょう。

 今後とも、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます
_____________________________________________________________________________

90: トキ :2011/07/01(金) 11:23:08
>>87

山ちゃん1952様

 生長の家の講師で、たまに分派をされる人がいますね。
谷口雅春先生は、秘密主義ではなく、何でもオープンにしますから、
やる気の有る弟子だとすぐに上の方に行けます。
 特に、ある種の霊感がついてきた人は、独立をされたり、ある種、
勝手な振る舞いをする人が多いです。しかし、そういう人が続くのは
あまりないみたいです。栗原先生は、どうだったのでしょうか。

 幸福の科学の善川三郎さんとか、白光の五井昌久さんなどは例外的に
続いています。生長の家から信徒を引き抜いて独立する人もいます。

 生長の家の幹部や講師の中には、夜郎自大になり尊大な人がたまに
います。救済力はあるのですが、危ないな、と感じるときがあります。
谷口雅宣先生の尊大な態度も、こういう教団の風潮と関係がないとは
言えないと感じます。

 あと、榎本先生が、晩年、回顧録を書いておられて、信頼の出来る人
だけに配布してた、という噂を聞いた事があります。自分の気持ちを理解
してくれる人だけに渡していたみたいです。

 とりとめもない感想を書いて、すみません。
また、ご教示のほど、お願いします。

合掌 ありがとうございます
_____________________________________________________________________________

91: 義春 :2011/07/01(金) 11:37:28
>>88
山ちゃん1952さま

先ず、お名前間違ってしまっていた事、お詫び申し上げます。
(何となくですが、書き込みを拝読しながら私、山ちゃん1952さまを
存じ上げてる様に感じました。)

勿論、歴史は川の流れみたいに途絶える事がなく、
又、色々な立場により色々な見方がある・・・そう感じ、理解してます。
(自虐史観はその流れを絶ち、断絶的に観るから断絶史観と自分では思ってます)

細かいところになりますが・・例えば、江戸時代の手拭いのデザイン等は
今と何ら遜色がないというより…むしろ斬新さがあり観る度にはっとさせられたり、

大坂では今と同じ様に先物取引が開始されたり…又、曾祖父の生きた
大正時代の東京を調べると大変華やかで洗練された都市だなぁ…と感じます。

確かに、道はアスファルトではなく良くて
(『盲目のアッピウス』以来のローマ時代から使われていた)
石畳ですが、それすらアスファルトにはない味すらあるなぁ…と
感じました。

正直、今の大阪の青年会には・・
・最早、歴史に詳しい方は殆ど…数人くらいしかいらっしゃらなくなりました…ね…尊敬する先輩方も次々に卒業なされました・・

ですが、今ほど勉強したいとって想える時はないです。
(※曾祖父の話に出てきた廬溝橋事件等は私自身は資料を
漁ってると八路軍の工作によるものしか思えないから、
何でそんな発言が出てきたか…と少しずつ調べてます。
そもそも教員に復職出来たのか?とか色々疑問点があるので…。)

森田先生のいらっしゃった頃にもう少し勉強しとけば良かった…
と思いっきり反省してます。

重ね重ねのご教示、真に有り難うございます!
____________________________________________________________________________

92: 義春 :2011/07/01(金) 11:46:04
>>90
トキさま
大川隆法の『谷口雅春の霊言』は善川三郎の著作みたいですね。
善川自身は生長の家の組織を手本にしたかった…と聴いてます。
(ちなみに能力的には大川の兄、富山(故人)の方が高かったらしい)

で、此処だけの話、アレの元は幹部限定の講話資料を本部より…
したという事だと聞き及んでいます。

そういえば・・・雅宣総裁に苛められ辞めた人が幸福の科学に入り、
幹部となり、この前の衆院選で幸福実現党の幹部になってました…。
_____________________________________________________________________

93: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/01(金) 11:50:53
>山ちゃん1952さま
>義春さん

<「またも負けたか八連隊」の件>

>大阪の陸軍は弱いという定説が広まりましたが、実際は違うようですよ。

 同意です。「大阪朝鮮高ラグビー部」を例に出すまでもなく、あの大阪人
が、ヘタレなわけがない(笑)
 以下は祖父談を元にした類推なんですけど、まあ、かの帝国陸軍ですが・
・・都市部の連隊の扱いには「非常に困っていた」様子ではありますね。ど
う困っていたかと申せば(祖父曰く)「戦死者出ると、大量の未亡人が出る
だろ?」「都市部未亡人は、身を寄せるところがないだろう?」てなお話し
でありました。日露戦後の日比谷焼き討ち事件に見られるが如く、まあ、都
市部連隊で戦死者が大量発生しますと、政情不安を喚起するとかで・・・

 で、そこで登場するのが九州ですよ(笑)ここの連隊は非常に便利≠ナ
す。いくら死のうが政情不安になりません(笑)むしろ「○○さあんとこ死
んだ?」「ああ、名誉なこって、かっこよかー!」てな連中がゴロゴロおり
ますし、家計も長男が死のうが「次男三男・・・八男」まで、豊富に取り揃
えております。さらに戦争未亡人を支える共同体まで、完備されているとい
う(笑)ですんでまあ、九州連隊、「強かった」のは確かでしょうけど、
「運用されやすかった」ゆえの、そんな強さだったのではなかろうかと。
「他と比較して実戦経験が尋常ではなかった」なんてところが、要因なので
はないでしょうかね(笑)

追伸

「戦争未亡人が 大 阪 で 大量発生したら」なんてイフ話・・・おそろ
しくで想像できません(笑)おそらく日比谷焼打事件を、軽く超える規模の
暴動に・・・(中略)・・・ゆえに「またも負けたか八連隊」ですが、誰か
が、仕掛けた話なのかもしれませんよね。「またも負けたか八連隊」である
限りは、まあ、「大阪連隊の投入・・・今回は見送りましょう」てな空気を、
会議席上で醸成しやすかったでしょうからね。

余談・・・

 書きながら思い出した、祖父戦場談などを。なにかの小ネタにお使いくだ
さい(笑)
 この、連隊に於ける強さ≠フ定義なんですが・・・日本陸軍には特殊事
情があった模様です。その特殊事情のキーワードは武器の故障≠ナあり、
連隊の強さとは「故障修理のうまい兵隊が、どれだけいるか」なんて部分が、
大きかったとか(笑)
 これ、山本七平さんも述べておられましたけど、「射撃の名手とは、修理
の名手なのだ」というのが実情だったようで・・・要するに日本陸軍、「武
器の故障に悩まされたつづけた」のが実態のようです。そんな視点を入れれ
ば田舎連隊、強かったでしょうね。都市部よりは九州連隊、手先の器用な兵
隊がワンサカいたでしょうし、そしてそれゆえの「九州連隊最強」神話、な
のかもしれませんね。

 ところで我が祖父、「三菱が兵器に菊の御紋≠入れるから、現場から
苦情が言えなかったのだ」なんていう、ミモフタモ無いストレートを投げて
ましたが(笑)「あの菊の御紋≠ヘ、メーカーのクレーム回避術だったの
か!」と気づいた次第です(笑)陛下からタマワッタなんていうことにしと
けば、これ、現場はクレームつけられませんもんね(笑)ですんで祖父は、
戦後も日本製、あまり信用してませんでしたね。「余程怖い思いをしたんだ
ろ(日本製品で)」てな私見を持っている次第です。

>義春さん

 あんたの祖先、おもしろい(笑)あとでツッコミます(笑)
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94: 義春 :2011/07/01(金) 12:08:47
>>93
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
うちのひいじいちゃん、オカシイ過ぎるw
何で皇族連れて呑み歩くんだ…と色々、あの世に逝ったら
ツッコミたいw今から死ぬのが愉しみになってきましたw(ヲイ


ちなみに、実際に聴いた私はその場で茶噴きましたw

ってか閑院宮…たぁ〜ぶん年齢や行状からすると
最後の閑院宮だと想いますけど、閑院宮って軍籍は陸軍なんですよね・
・・で、曾祖父は海軍。

侍従武官になれんかと思ったりしますw
もしかすると閑院宮が軍籍に入る前かもしれませんけどw

(戦艦武蔵は戦前の物みたい、戦艦も代替わり(?)していたみたい)

大阪で未亡人大量発生したら大阪城の駐屯地がエライ事になってたと確信しますよ、
考えたらだけで恐ろしい。
(・・・そういえば、薩摩出身の父方の婆ちゃんの弟、海軍で戦死なさってました。)
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95: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/01(金) 12:15:52
>義春さん

 へえ、戦艦武蔵って戦前にもあったの?知らなかったよ(笑)
しかし宮様と交流なんてすごいわ(笑)

 うちの祖父は近衛連隊、受験してオチたらしいんだけど、あとで他の方に
聞いたら「近衛は美男子でないと」とのオチがあり(笑)でも孫のオレ
はなんで、福山雅治ソックリなんだろう・・・(中略)・・・
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96: 義春 :2011/07/01(金) 12:39:51
>>95
ブログ「雅春先生に訊け」管理人さま
何処かは知らんけど母方の一族、たぶん、(曾祖父の)植田家ではなく、曾祖父の嫁さんの方が華族の出だったみたいで、こうなったみたいです。

まぁ…こっちが驚きですわなw
ホント、何やらかしてんの!?と冷や汗流れます。

戦艦武蔵は私も嘘だろーと思ってましたよ。そうしたら友人から『これの事か?』と写真送られてきました。巡洋艦みたいな武蔵でしたよ。

そういえば、友達に憲仁親王殿下とお付き合いがあるんですが、靖国神社について某国には触れず『(賊軍として)西南戦争や戊辰戦争で亡くなられた方々も祭らないといけない』と仰っていたそうです。

なるほどと納得しました。
西郷さんも祭られる日がくる事を祈ってます。
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97: 義春 :2011/07/01(金) 12:53:34
…やっぱり気になったから調べてみたけど、やっぱり武蔵はレイテ沖海戦に沈んだものしかないんだよなぁ・・・ひいじいさんは昭和30年代前半に64歳で亡くなってるから、1942年の着水に軍籍があった…と言えば疑問なんですが・・・まぁ…あの世逝ってから聴いてみますか…この辺り、知りたくて仕方ないのですが、婆ちゃん呆けて聴けないのが痛いです。
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98: トキ :2011/07/01(金) 14:47:28
>>97

 日本海軍では、軍艦の名前は襲名して使用しておりました。

 有名な戦艦大和や戦艦武蔵も2代目で、初代は明治時代に建造されましたと
読んだ事があります。初代が除籍後に、2代目が誕生した訳です。

合掌 ありがとうございます
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99: 義春 :2011/07/01(金) 21:47:50
>>98
トキさま
レスを乗っ取ってしまって申し訳ありません。それから御教示有り難うございます!
じゃあ、曾祖父の話は本当だったみたいですね・・・嬉しかったです!本当に有り難うございます!
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100: トキ :2011/07/04(月) 21:21:59
トキです。「生長の家」誌の昭和42年11月号の「明窓浄机」に興味深い記事がありましたので、
ご紹介申し上げます。

 藤田組という建築会社が、那須高原の百万坪を整地して都市づくりを始めるので、そのうち二千坪
を谷口雅春先生に寄付をしたい、との申し出が、藤田組の副社長からあったそうです。谷口雅春先生
は、

「忙しい生活を送っているから、別荘を作って避暑にでかけるほどの贅沢ができる身分ではない
けど、かねがね日本の若い人達に日本精神を少年時代から養って、将来、日本の国の柱となる人物を
養成するために高等学校を建設したい思っていたので」

 その場所を別荘ではなく、学校建設をしたいとお考えになり、その調査を本部の教育局に命じられた
そうです。が、調査の結果、別荘には良い場所だが、傾斜がきつく学校用地としては不適当である事
や、避暑には良いが、冬は摂氏マイナス20度にもなる事から、冬期の生活が大変だ、という理由で
計画を断念し、土地もそのまま藤田組に返却をしたそうです。

 藤田組の副社長は、「先生は欲がないなあ。やっぱり神様だ。」と驚いたみたいです。


合掌 ありがとうございます

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101: トキ :2011/07/05(火) 10:55:11
 余談ですが、今度、生長の家本部が行く八ヶ岳あたりは、おそらく「坪」単位ではなく、「反」単位で
購入が可能な土地の値段が安い場所だと思います。それなら、「学ぶ会」の人達も「本部移転反対」ばかり
叫んでいないで、本部移転地の近所に土地を買って簡単な家を建てて、住民のみなさんに布教をする、本部
職員をオルグする、とか発想の転換をすればいいのに。私が「学ぶ会」の人間なら、そうしますがね。
 看板も「谷口雅宣被害者の会」とか看板をかけて、本部職員の悩み相談も受けたりして。
 でも、学ぶ会も、正直、私は反省してもらいたい点はあります。

 反対に、教区の人間から見たら、本部が地元で布教をしない、という覚え書きをしたのは、教区にすごく失礼な話だと
思います。これが事実なら、あなたたち、もう教区にエラそうな事を言うな! と思いますね。これで、
「生命の実相」裁判の最高裁判決が出て対応を間違えば、教区の怒りは爆発する可能性はあります。

 教区の人間として、少し言わせてもらうと、喧嘩というのは、いつかは和解しなければいけないのです。
本流派も教団も、頭に血が上り、その点を忘れているのではないの? と感じます。
 だから、このスレッドでも良いので、お互いに言いたい事をどんどん書いて、その上で、どこかで
話し合いを始める必要があると思いますね。
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102: 緑の意思 :2011/07/05(火) 12:37:20

なぜ現総裁が環境や森に真理そっちのけ?で執拗にこだわるのか自分なりに考えたら、彼は「このままじゃ説得力がないでしょ」っていうことをいつも言ってるんですよね。
これも断片的情報の浅はかな一推測ですが、早くから家族にも違和感を持っていたような発言があるし、信仰による神との一体感を感じられなかったと思われる総裁には、自然の中に置かれたときの一時の一体感を、自然との共存という主張の根拠にしたい節があるようにも見えますね。
信仰の体験を持たないので、真理は本当には語れない。環境問題からなら知識で共存を語れる。真理はわからないから布教は関係ない、森に暮らせば、自然との一体感を味わえると思っている、みたいな。
本当は神との一体感を感じる人間は、住む場所なんか執拗にこだわらないですよ。
どうしても自分に「説得力」を、持たせる必要があると思っているんじゃないでしょうかね。
森のオフィス構想は彼の人間知の生真面目さが産んだ生長の家の悲劇の一つに思いますよ。

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103: トキ :2011/07/05(火) 14:47:47

 緑の意思様、トキです。鋭い考察に敬意を表します。説得力のある意見だと思いました。

 総裁の頭の中では、論理は完結しているのでしょうが、外部の人間にとっては、何の話だろう? という世界です。
講習会で蜂に殺虫剤をかけた話をしていましたが、蜂ぐらいでビビっていて、森の中に住めるのかしら? と思います。
 私のごとき程度の幼い信仰でも、家に蜂が巣を作っても、襲われたりしません。まあ、基本的に真面目な人で、彼な
りに理想とかビジョンとかがあるのはわかるのですが、残念ながら先行きが見えているのですね。本業そっちのけで、
余興に走っている昔の若旦那みたいなもので、信徒も、そろそろ気がつきだしています。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます
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104: トキ :2011/07/07(木) 14:18:25
本流掲示板の

赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

の件で、少し書き込みをします。実は、あの文章を読んだ後、書き込みをしようと考え、法律に詳しい身内に確認を取りました。

 先ず、「お山」を谷口雅春先生の死後本部へ寄贈する内容の遺言書を登記所に登録する話です。
登記所とは法務局ですが、遺言を登記する事はありません。しかし、類似の方法としては、法務局で登録する場合、
法律上の手続では、「始期付所有権移転仮登記」という方法があるそうです。普通は、遺言書を公証人役場で作成するのが
一般的だそうです。しかし、両方とも遺贈者が、その後、意思を変更したら、変更登記が可能です。

 この場合、遺贈者は谷口雅春先生ですが、遺贈を受ける人は生長の家であり、総裁は当時谷口雅春先生ですから、
仮登記あるいは遺言書でも変更は可能です。おそらく、発言当時は谷口雅春先生はそのようなご意志だったと拝察しますが、
その後、谷口清超先生、あるいは別の親族の方のご要請を受けて、ご意志を変更された可能性はあると思います。

 その件との整合性をとるために、著書の一部を改定したのではないか、という話でした。

 ですから、一連の谷口雅春先生の著作の絶版とは、意味合いが違うような気がします。


合掌 ありがとうございます
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105: トキ :2011/07/07(木) 20:53:10
私の書き込みが続きますが、お許し下さい。

本流掲示板で

>>
赦されべからざること『霊性の目覚め』のこと (3187)

について、思い出した事を書きます。

 谷口雅春先生が、聖典を出版されても、その後、改定された事はあったようです。
私も、古い信徒さんから具体的な例をあげて、聖典が改定された話を聞いた事はあります。

 具体的な部分は差し障りがあるので書きませんが、東山半之助先生の「ざっくばらん」の
中に、信徒の問い合わせに応じて、谷口雅春先生が聖典を改定された事実を書いておられます。

 ですから、基本的な部分に差し障りのない場合は、改定自体はしばしばされていたみたい
です。しかし、基本的な部分を改悪、改竄する事は前代未聞みたいです。

 以上は、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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106: 山ちゃん1952 :2011/07/07(木) 23:15:47

トキ様
谷口雅春先生の著書の修正や改定もしくは検閲、焚書があります。
勿論、先生自ら修正に応じたり、出版されなかったりすることは多くあります。
この項目に関しては私なりにかなり詳しく自分のブログで掲載しております。
それでは本の修正や発禁や削除はどのようにして行われたか記載します。
@ 国民総動員法による自主的な出版停止
『生長の家光明叢書』
@ 生長の家の経済学(最初はこの本)S10.4.01
A 現代に機會ありや S13.6.5
谷口雅春先生自ら経済的分野の論文を出されています。こうした本は叢書として
10冊あるのですが、全て発禁になる可能性がありますので自主的に取替えをやられています。有名なのは『秘められたる神示』の大聖典『生命の實相』における掲載され
なかった。
A 内務署警保局による削除や修正命令
たとえば『天皇絶対論とその影響』は初版発行のみです。これはかなり内務署警保局の圧力がかかったため、限定販売されております。
昭和15年頃から今まで出版されていた『生命の實相』に削除命令が出されます。
大聖典を購入出来なかった人の為に(本来非売品と記入されていますが、実際は販売されております。また御揮毫入りとそうでないものとに販売価格は異なります。)に菊装版『生命の實相』は削除対象となり本の見返り部分に「削除済」という判子が押されています。
B 戦後GHQによる検閲と修正と焚書
「生長の家」は占領後の焚書(検閲)に対して占領軍にどのような対策をしたのであるかは『生長の家30年史』に詳しい。P155に山口悌治先生のお言葉に
「谷口先生の著書のリストをGHQに提出することになったが、危険と思われるものは、資料焼失として省いて提出したんですが、向こうは実に精密に調べてあって閉口しました。それでもGHQの中にも好意的な人もいて、旧版『生命の實相』の第十六巻(『日本国の世界的使命』が収録)は不問にして『慨世血の書』とかその他の単行本のみを発禁にして、全集の刊行は許可になったんです。そこで戦後版の全集は第十六巻を「戯曲篇」に変更されたんですよ。やはり占領期間中は低い姿勢でいく以外やむを得ない面が多分にあったんです。」
C 時代背景の違いによる修正(自主修正)
これも結構沢山あります。
一項目全部無くなっている部分があります。先生みずから校訂され修正された本は意外と多いのです。はしがきに記入している本もあります。
D 本が違う人の翻訳がいろいろ校訂が加わり、谷口雅春先生著作になっている本。
E 戦後GHQによる執筆追放による著作者の変更
 田中忠雄先生か服部仁三郎先生か忘れましたが著作者となっている本が實は雅春先生が書かれていた本がある。

だが今回は理由があるとはいえ「谷口雅春先生の講演筆記」です。そういうことを度々言われていたことを存じ上げていますので、著者と異なる人が修正する場合はやはり説明責任が必要であります。付箋をするなりすればいいことであるのに、内務署警保局のような遣り方には違和感があります。当時の状況を知らないとか言っていますが、方法がおかしく、方策が間違っています。そのように思われても反対に悪く思ってしまう。
また愛国書の絶版とは全く関係ありません。
また年に二冊発行されるというのは4年程守られていますが、それからはあまりまもられていません。
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107: 無関係な人間 :2011/07/08(金) 10:20:47
>>106

山ちゃん1952様

 詳細なご教示、ありがとうございました。なるほど、こういう感じだったのですか。
戦前を知る信徒さんとはよく話しましたが、過去の困難な時期、例えば戦争中とか
生長の家政治連合時代の話は、話をされませんでした。個人としての信念は感じましたが、
それが逆に組織へ教訓が残らない結果になったと感じます。

 余談ですが、元憲兵隊関係者で作っていた「憲友会」からは、「日本憲兵正史」
「日本憲兵外史」などの本が出版されています。この本は、自分達に都合の悪い話も
掲載されています。憲兵の汚職や不祥事なども書いています。

 内務省警保局の検閲官は、当時の帝国大学卒業者で、高等文官試験に落ちたような
人が就職していたそうです。軍事関係の事は、憲兵が出向していたようです。

 他にも、谷口雅春先生の執筆内容に間違いがあり、それを信徒さんが指摘して改定
された事はあったようです。

 今後とも、ご教示のほど、お願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます
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108: 山ちゃん1952 :2011/07/08(金) 15:34:48
無関係な人間様へ
ありがとうございます。よく御存知なので驚きました。
そういえば、信徒からの指摘で直されたというのは聞いたことあります。

私は大変難しい問題を御提示頂いております。それは「年史」というのは悪く
は書かない。
そこの点ですね。だいたい悪いことは簡単に経歴のみで掲載する。
とりわけ信徒数や講習会の入場者数などがそうですね、受講券だけカウントする
という行いですね。
だが、私はある面「年史」とか仕方がない部分もあるのを認めています。

よくない部分は承知です。今後の教訓にもならない事もわかります。それも
承知で記しています。

それではどうするのかであります。一部幹部のみに総括や反省の「実務ノ−ト」
を作成することだと思っています。それには主宰者の高等な判断が求められます。

それは反対に必要だと思っております。それが出来るかどうかは実務者の能力であると
理解しております。
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109: トキ :2011/07/08(金) 17:15:01
 無関係な人間様、ご投稿ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 さて、組織の歴史の扱いは難しい問題です。
共産党など、指導者が変わるたびに歴史の評価がコロコロ変わります。
どの組織でも、そういう問題はあると感じます。

 もし、現在の谷口雅宣総裁が失脚し、別の指導者が総裁になり、方針を
一変したとしましょう。その時、谷口雅宣先生の評価をどうするか、という
問題があります。極端な話、学ぶ会が教団の指導部に就任したら、おそらく
は、谷口雅宣総裁の時代は全否定し、抹殺すらするかもしれません。

 しかし、組織文化が続くと、同じ失敗を繰り返す可能性はあります。
その意味で、失敗じたいも正直に記録する度量が必要かもしれません。

合掌 ありがとうございます
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110: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/10(日) 14:33:39

>本流宣言掲示板ご投稿中の方々

<本流復活とはなんですか?>

 長々語ると読んで貰えないでありましょうから、シンプルに問いかけを致
します。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

 まずこれが疑問なのです。貴殿方がなにを以って、つまり「どのような状
況の出現を以て」その理想実現の瞬間と捉えられるのでありましょうか?ま
た「それは現総裁の引退だ」と申されるのであれば、「引退後、なにをされ
るの?」と問いかけ致したいものだ、と(つまり「総裁引退」とは、どんな
目的のための「手段」なのでありましょうか)


● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。
 懸念点を挙げるならばこれ、少なくとも愚生の如き信仰歴五歳児にとっては
「雅宣総裁、可哀想」との印象にしかならぬと思うのです。つまり、貴殿方が
批判対象を批判すればするほど、雅宣総裁への同情が寄せられてしまうという
・・・そんな感じなのです。
 ここ、理解できますか?普通、「『生命の實相』を読むくらいの読書階級な
ら」ですよ、トイレの落書きレベルのことを言われると、なにか自然と「そこ
まで言わなくていいじゃないか」な方向に脳みそが働いていくのです。そして
脳内で自然に「雅宣総裁を擁護する方向へ」思考の舵が切られてしまうという
・・・


 うーん・・・運動を知らないんでなんとも言えませんが、まあ、一、教団部
外者から診れば貴殿方のご印象、ほぼ斯くの如しであります。どなた様かお相
手くださると助かります。どうぞよろしくお願い致します。

追伸

 以下は本来、議論後半で提出すべき(細かな)疑問になりますが、まあ、
「現信徒へ覚醒を促す」戦術に関して。

 これにはやや、取り越し苦労とでも称するべき懸念点があります。まず、
貴殿方の戦術が機能し、そして現信徒が動揺したと致しましょう。そして聖
使命会員費(?)が大幅に集まらなくなり、現総裁が財務的にピンチを迎え
たと致しましょう。こうなりますと・・・ここからが既述の「取り越し苦労」
な話なんですが、教団が財務的に追い込まれますとこれ、それこそ生長の家
の聖地等々が、銀行管理下に置かれる事態を招きますぞ。

 まあそれでも「神殿は『生命の實相』である。その事態もやむなし」の合
意が取れれば良いですが、「掲示板雰囲気からはそうは思えない」んであり
ますがねぇ・・・あまり財務的に追い込むと角を矯めて牛を殺す≠アとに
なったりせぬかと、懸念するものです。
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112: 義春 :2011/07/10(日) 15:32:33
>>110
ブログ管理人さま
自分も一寸感じた事を書いてみますね。
正直なところ、上が変わらん限り、どうにもこうにもならんだろうなって思います。
中心帰一を前提にした組織である以上、活動方針にどうやって逆らえのるかって話です。
残ってる人達も分かって残ってる人が、かなりいるのです。

だから、私はやはり、生命の實相の出版権問題が片付かない限り、
身動き取れないと思います。

まっ、法的には、どっからどう見ても教団が負けると思いますよ。
現に裁判官も教団の扱いに困っていたと聴いてます。
(※困っていた…というのは、それだけ…残念な感じだと思って下さい)

それだから、向こうさんには、今は組織を温存させる方が、後々再建するのが早いと想うのですけどね。
(攻撃してると、今、残ってる人達の反感を買い、後々、又、同じ事に繋がりかねない…というか既に
反感を買っている。現に、その流れで義春突貫につながってるのですから。)

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113: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/10(日) 16:02:26
>義春さあ

 思い出したうちに書いておきたいことを「書いておこう」以下はそんなネタ
です。

 彦左さんが言及されておられた「本流掲示板・閲覧者」数に関してだけど、
同氏は「500」と観ておられるようだが・・・まあ、愚生私見では「そんな
にはいない」と云えようかと。
 この主張根拠はね、私があそこを追放される前と後からの、ブログ訪問者数
からの類推になるのでけれども・・・大凡、かの掲示板から弊ブログに来られ
る方々は「100前後」なのよ。しかも追放前、後もそんなに変化、見られない
んだよなあ・・・

 かの本流掲示板は、私見を述べれば「10,000人が100回見た掲示板」
なのではなく、「100人が10,000回アクセスした掲示板」になろうかと。
まあそんな影響力と云えようか・・・

以上、余談でありました。
____________________________________________________________________

114: 山ちゃん1952 :2011/07/10(日) 16:28:07
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
次の質問に答えます。
ただし、答えになっていないかもしれません。

● 貴殿方の申される「本流復活」とは、これ、なにを指すのか?

1.谷口雅春先生の教えを根本にして「拡めていく」ことが正しき正統なる教えだと思います。
2.今の教えとか言う言葉は実際はありません。そのようなことをすると真理が歪められるから
です。「般若心経」が漢文でわからないから「今」の言葉に変えるとどうなるでしょう。
言葉は響きです、言霊から解釈すればいいのであります。だから本流という言葉も正解でしょう
が、やはり「正統」という言葉のほうがいいのではないでしょうか?
3.『古事記』や『日本書紀』そして歴代天皇様の事をいうのが「生長の家」の役目では
ないかと思っています。

ただ復活というのは違うとおもいます。「正統」に戻すだけです。

● 理想のための手段は、有効機能しているのか?

 ・・・ここでは「引退が目的だ」との前提で疑問を呈しましょう。この「現
総裁の引退」を目的とした場合、貴殿方が採用されておられる戦術はこれ、有
効機能しているのでありましょうか?
 たとえば、身も蓋もないストレートな質問をするならば「日本中のトイレに
雅宣総裁の悪口を書くと、その理想は実現されるのか?」と云ったものになり
ましょうか。<

これは難しいですね。何回も言うように「雅宣氏」は宗教家として失格の烙印
を押していますが、悪口を書いてばかりは空しいですね。
それより、正しい事を発言する方が大事になります。
たとえば、皆さんが言われる「谷口雅春先生」の御著書を再販しないとか
兄弟の争いとかは誰が書いても、生長の家と矛盾しております。

だから『七つの燈台の点燈者』の神示を読誦するように勤めましょう。
『懺悔の神示』を読誦しましょう。

そうした、本来の生長の家を実践する事を勤めることが大切です。
手段は敵対しても何も生み出さないように思います。
何れ『生命の實相』も語れない生長の家になります。その時が運命を
定める大事な時期と思います。
いまこそ『生命の實相』を語り!
実相研鑽出来るような誌友会が本来の生長の家です。

それと本当に拡大してから「いろいろなこと」は考えた方がいいでしょう。
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115: ブログ「雅春先生に訊け」管理人 :2011/07/11(月) 06:40:07

>山ちゃん1952 さま

 貴殿のような御仁からまさか、ご回答を頂戴できるとは思ってもおりません
でした。誠にありがとうございました。

 「本流復活とがなにか」に関する貴殿ご投稿文章1〜3ですが、「もう全く
同意」する次第です。本当にこれらを無視して本流復活などないですよね。
(そしてそれ復活ですらない≠ニのご主張ですが、そこも同意です)

 私はかつて、本流掲示板にて「運動を定義しませんか」と呼びかけました。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=471その後の反応は
・・・「あーあ」てな感じのものでありました。まあでもこのトキさん掲示板
であれば、こんな話題も良質のやり取りが可能と見ています。

 今後もよろしくお願い致します。

追伸

 なお精読の上、さらに質問など浮上しましたらその際は、再度ご教授頂け
ますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。
________________________________________________
1
122: 「訊け」管理人 :2011/07/12(火) 16:22:46
>トキさま

 聡明なる管理人様のご慧眼に感謝致します。

 礼拝


あっ、ここで笑ってもらわないと、
ほか笑うとこないですよ皆さん。
_____________________________________________

123: トキ :2011/07/12(火) 16:26:34
>>122

「訊け」管理人様

 いえいえ、とんでもないです。脂汗をタラタラ流しております。(笑)
____________________________________________________

124: 「訊け」管理人 :2011/07/12(火) 17:08:03
(またしてもコメント欄が爆発しています。こちらにて返答しますこと
お許しください)

>茉莉香さま

 いつもコメントをありがとうございます。貴女へ返信しますと前回は、
なぜかブログ記事が「藤原先生写真集」になってしまいました。今回は
アウシュビッツの画像がなぜか突如・・・

 いやさて本題に。着眼点をお褒め頂き光栄です。まあなにか、貴女と問題
意識が似ているのでありましょうね。今後もよろしくお願い致します。

>広大なる慈門さま

 いつもありがとうございます。貴ブログの営業マンになりますので、
返信の不手際をお許しください。

【同氏ブログです】
http://volvo.white.coocan.jp/

>らん..♪ さま

 六文の定やん・・・あれは本当に感動しますよね。書き写していても
笑いと涙が止まりませんでしたよ(笑)またよろしくお願いします。
 ちなみに藤原先生を「ライヴで」ご堪能されたのですか・・・嫉妬します。

>マダム・カラスさま

 ああ、あの歌は「堅信歌」というのですか。素晴らしい歌ですよね。
あの歌は何度か聴いていたんで、暗記しちゃいました。他にも生長の家の
歌ですけど、youtubeにアップされると良いですよね。また、よろしくお願い
します。
___________________________________________________________

125: トキ :2011/07/13(水) 11:20:16
 理想世界の昭和46年7月号を読みました。

 第23回青年会全国大会が5月3日に台東体育館で開催されました。
その記事が掲載されているので、紹介させていただきます。

 2日目の5月4日の午後から、当時、青山学院大学1年生だった谷口雅宣先生が
初講話をされています。昨年のブラジル訪問と大学生活の話をされたとあり、
「少し上気気味」で「ユーモアを混じえた素晴らしいお話」とだけで、具体的
な事はわかりません。

 ただし、 理想世界の昭和46年5月号には、世界にのびる生長の家青年会と
題して座談会があり、徳久日出一氏(徳久克巳先生のご子息)、ブラジル青年会会長の
本田諌雄先生(故人)ご夫妻、井脇ノブ子氏(元衆議院議員、小泉チルドレンで有名)
と交えて谷口雅宣先生が座談会をされています。
 この座談会で、目立つのはやはり井脇ノブ子氏で、率直に申し上げて谷口雅宣先生
は一番、存在感がないのです。(これをご覧でしたら、お詫びします。)彼女は当時、
大学院生ですが水泳教室を開き、マスコミでも取り上げられていたようです。
 谷口雅宣先生は、

「僕は、生長の家青年会会員について考えてみた時、青年会というのは誰の事かと言えば
僕の事なんですね。」

と言われていまして

「生長の家の運動と自分の生活を2つに分けておいて、自分の生活に都合良い時のみに
それを表明し、悪かったら隠しておく ーそういうのではいかんのじゃないかと思うので
す。(P65)と書かれております。

とも言われています。

 ここから先は憶測ですが、谷口雅宣先生が大学生になったので、後継者として講話や
座談会にデビューされたのですが、御本人はいまいち、乗り気でないというか、
戸惑っている、という印象が残る誌面でした。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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126: 山ちゃん1952 :2011/07/13(水) 11:49:09
トキ様

懐かしいですね。
初めて全国大会に参加したのが「台東体育館」です。昭和45年と昭和46年は参加
しています。
前年の日比谷公会堂での日の丸運動での「雅宣」氏の話の方が憶えています。
その時はまともでした。(失礼)
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127: トキ :2011/07/13(水) 20:48:59
>>126

山ちゃん1952様

 若い頃はまともだったのですね。年齢が行ってからおかしくなる、というのは珍しく
ないですが、やはり若い頃にやんちゃをしても、年齢が行ってからは落ち着かないと。

 しかし、昔の理想世界を読んで感じるのは、生長の家政治連合もそうだし、百万運動
もそうだけど、正しいとか間違っているとかの問題ではなくて、こういう運動に命をかけ
た人達がいる、という事実を、ありのままに記録に遺すべきだと思います。

 これは、当時の運動方針をそのまま、現代に再現するという主張ではないです。
当時は共産党や共産主義が跳梁跋扈しておりました。しかし、現代では共産主義の間違い
は周知の事実です。違う脅威が登場しておりますから。

 ある意味では、あの時代の「業」が、今日の混迷の背景となっているとも思います。
否定的な意味ではなく、肯定的な観点からも、どんどん体験者の方の投稿を期待したい
です。

合掌 ありがとうございます
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128: 山ちゃん1952 :2011/07/14(木) 12:08:59
トキ様

そう思います。
だが、現在の活動との乖離があり今の人では引いてしまうと思います。
中には感動する人も多く存在します。
100万運動当時の活動指針や方策や報告書は現在では残っていないと思います。
だが活動状況などはある人が所有されていると聞いていますが、総括として記録
に残すのかどうかはわかりません。

たとえば『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』など貴重な体験集です。
そういうのは破棄されたと聞いています。

それと隠れ蓑としての共産主義の台頭があります。たとえば「九条の会」などは
まさしく「白い共産主義」でしょうね。また今の「反原発」に象徴するような
主義はまさしく「国家」よりも「個人」という主張が正しいという誤解がります。

民主党政権となり国家に対する瓦解がおきています。
”日の丸”か赤旗か-それが聞きたい という谷口雅春先生の御著書をもう一度振り返らないと
いけません。
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129: トキ :2011/07/14(木) 18:31:45
>>128

山ちゃん1952 様

 『燃ゆる青春』『燃ゆる青春 第二』は、貴重な資料です。評価は別にして、保存して欲しいです。

 共産党の元活動者と最近、お酒を呑む機会がありました。
民青からの生え抜きで、永年、共産党と共産主義の理想を信じて活動をしてきた人です。
 その人がしみじみと話していました。

 「私の青春は、民青だった。が、私の青春には、何も楽しい事はなかった。」

 どうやら、組織の道具とした利用されていた実態に気がついたみたいです。

 省みて、私は生長の家青年会で活動をしてきて、確かに不合理な事も、嫌な思い出もありますが、
それでも、後悔はないです。どうしてか、というと、多分、「情」というものがあったからだと
感じます。学べた事、経験した事は貴重な財産ですし、得難い友人を得た事も感謝しております。

 こういう経験を今の青年会の諸君ができているのか、気になります。

合掌 ありがとうございます
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130: 山ちゃん1952 :2011/07/14(木) 23:16:09
トキ様
『燃ゆる青春』に私は掲載されています。
あの当時の青年会は今も友達です。
いろいろな苦難もあり、喧嘩もしました。ほとんど寝ないで活動しました。
でも、私は誇りをもっています。
いまだに動員とか成績では破られた事のない記録があります。
練成会では当時高校生では10名〜20名の数でした。中学生では30名がやっとでした。
それを150名動員したり、小学練成では参加者は100名程度でしたが最高
350名参加して教化部のほうから怒られました。人数多すぎで怒られました。

たった一人の誌友会を常に20名超える誌友会にしたり、最高50名参加して
これも多すぎのため怒られました。(笑)

そうした活動に誇りを持って行っていました。
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132: トキ :2011/07/15(金) 11:53:23
山ちゃん1952様

 本当に、青年会の頃は寝食を忘れて活動をしていましたね。よくやったと思います。
たぶん、山ちゃん1952様の頃だと、ものすごい活動をされていたと思います。
 あの頃の仲間は、ほんとうに生涯付き合える人です。
あー、懐かしいです。と、懐古趣味に走ってはいけないので、頑張ります。

合掌 ありがとうございます
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138: 山ちゃん1952 :2011/07/15(金) 15:22:26
緑の意思様

組織の歴史というのを学ぶというのは大変大切な事です。その歴史を知らない
ため、そこに生きた人物やその土壌に這えた人脈などわかりようがありません。
これは何回も申し上げているのですが、現在”社会運動の状況”という云って
みれば反生長の家です。それがどのように生長の家を見ていたのか等は重要な
歴史資料であります。生長の家では”30年史””40年史””50年史”と
歴史の編纂を行って来ました。

しかし、生長の家では教勢などは書かないでいたり、人事における左遷なども掲載していま
せん。悪くは書きません。
そうして教えられるのもいいのかもしれませんが、事実は隠してはいけない箇所もあります。

よく云われる講師が病気にかかると”それに対して云わなくなる”
「あの人は”病気はない”と言っていたんじゃないか”と蔑まれるのじゃないかと
ある意味、戦々恐々としているのです。

そうした事、は真理に対しての本人との思いが乖離しているのです。あまりにも
”他人に云う”のと”自分の行い”とが乖離している。

それが平気になるのです。平気になるのはいいのですが。自分に枠を作り
”こうでなければならない”と勝手に思い込むのです。

生長の家で講師と言われる人の御子息は”生長の家”に無関心であったり、
反発さえしている。だからほとんどが生長の家を継ぐような人はいません。

そこが非常に問題なのです。緑の意思様はどう考えますか?
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139: 緑の意思 :2011/07/15(金) 18:07:47

真理と行動の乖離は、往々にしてあることですが、
例えば、病なし、を日頃講話されていた道場の講師が病気で入院されましたが、

一般練成員はもちろん、職員にも、亡くなるまで徹底して病気を隠していたのを知った時、
何か…痛々しいものを感じました。

また青年会でも親が幹部活動者で、ウチに帰るといつも組織の悪口を言っていたから
絶対活動はしない、と言ってる人もいるので…講師や幹部ほど、そうした面が露わになりますね。

教義と人の行ってきた組織の歴史の乖離を、残せないものがあることは理解しました。

何というか、今は先人の想いまで消してしまう雰囲気が組織にいると感じるので、それが悔しくはなります。

歴史を学ぶというのが、難しい面があると理解しました。
しかし、人類光明化の歴史を受け継ぐという意識を持てると持てないとでは、全然違いますので、
そういう想いまで消されて欲しくはないなと思います。
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140: 志恩 :2011/07/16(土) 08:26:40

「生長の家政治連合」を立ち上げるにあたり雅春先生のご指示により素案を作成したお方は、
雅春先生のご指名により、最初は、お一人でされてたので存じ上げています。

そのお方の作った素案が、雅春先生のご許可を得て完成し、
そのお方は、政治局を立ち上げ 政治局事務局長となり、

生長の家の政治について最後の最後まで携わって全国指揮をされていたお方は、
元企画局の大峡 儷三(おおはざま れいぞう)先生というお方です。

(ずっと後に、大峡先生は、裝道(礼法きもの学院)へ講師としてヘッドハンティングされ、
 そこで、 礼法の著書も出されました)

政治に手をつけられたのは、何年だか、はっきりしたことは、わかりません。
昭和37年~40年頃でしょうか。

大峡先生は、当時30代後半。(私は20歳を過ぎたころ)

最初は、大峡先生は、お一人で 素案作りを 始められましたが、
そのための 下準備、 下調べが また大変でしてね。

厚生省、国会参議院議員会館・衆議院議員会館。その他........あちこちへ行きました。
優生保護法関連、その他の法制化をめざしていたので。
私も大峡先生に一緒に来るようにたのまれて 先生と二人で あちこちへ行きました。

厚生省では、これという書類を、二人で手分けして一日中かけてノートに書き写しました。
(コピーは、まだ、ない時代でしたから)

当時は、お給料も安い上に、残業手当も0。なのに、先生は,毎晩遅くまで残業されてました。

谷口雅春先生の想いをどのように政治にこめて行くか,どのように全国の組織に
発信してゆけばいいのか、試行錯誤の連続でおられまして、

私は、ささやかながら全国の組織に発信する書類を和文タイプに打つ,
お手伝いも させて頂いていました。

大峡先生は、とても優秀でいらして、
情にも厚いのお人柄なので人望もあり、企画力・判断力・統率力の全てを兼ね備えておられた
総合的バランスに長けた先生でした。

理論的なことは、トキ様がお調べのようですから、トキ様の方がお詳しいと存じます。

生長の家には、現在も もちろんおられるでしょうけれど、目にみえないところでお金に関わり無く、
命がけで、人類光明化運動をされておられたお方が、たくさんいらっしゃいました。

ですから、私は、信徒の一人として
こういう先達の方達のあのころの貴い想いを思い出しながら考えますと、
本来あるべき姿に....と強く期待してしまいまして、
ついつい身分不相応な生意気なことを申し上げているかと存じます。誠に すみません。

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145: トキ :2011/07/16(土) 21:47:16
>>140

志恩 様、貴重なご証言をありがとうございます。
大峡 儷三先生の事は初めて知りました。

こういう事は本当に記録しないとダメですね。
公式の歴史では知る事のない証言です。

理論的な事も他の方のほうが詳しいと思います。本当に勉強になりました。
感謝申し上げます。

裝道(礼法きもの学院)の山中先生も確か生長の家の方でしたね。
青年会活動の経験があると聞いております。

 今後とも、貴重なご証言を期待しております。

合掌 ありがとうございました

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146: トキ :2011/07/16(土) 22:05:59

中公新書クラレ 歴代陸軍大将全覧(昭和編/太平洋戦争期)
半藤一利、横山恵一、秦郁彦、原剛 共著 P179より抜粋

*この本は4名の歴史家の座談会形式でまとめた本ですが、生長の家
が登場したので、ご紹介します。

田中静壱大将の部より

 田中大将は、フィリッピンを守備する第14方面軍の司令官として赴任
しましたが、セブで発熱し病状が悪化します。

(原)18年5月初旬、東城(首相)がマニラに来て田中の病気が重いのに驚き、参謀
本部付の発令になります。(中略)そのまま第1陸軍病院に入院しますが、衰弱は増す
ばかりでした。天皇は田中に特に葡萄酒を下賜し「とくに大将に進級せしめよ」と言われ
田中は9月に大将に親任されるのです。

(横山)10月になると、血圧、体温が極端に下がり、軍医もサジを投げました。その
月末、夫人が信仰している「生長の家」の中島講師が面会謝絶の病室を訪れ、この宗教
の基本聖経である「甘露の法雨」を枕頭で読み始めます。中島が読み終わると、田中の
瞳に希望と歓喜の光が溢れ、その夜、寝汗をかかずに安眠し、翌日から食欲もまし、体力
を回復していったそうです。

(半藤)本当は死ぬはずの人が治っちゃうのでしょう。なんとも不思議な話ですよ。
田中を調べていくと「生長の家」が出て来るので、書きづらくて書きづらくて。
「そんな事があるのか」とも書けないし。

(以下、略)

ちなみに、病気が奇跡的に回復した田中大将は、東部軍司令官になり、終戦時の
近衛師団の反乱を見事に鎮圧したあと、責任をおい自決されています。この田中
大将がいなければ、クーデターは成功し、戦争はあと数ヶ月継続した可能性が高
いと言われています。

 以上、ご参考まで。

合掌 ありがとうございます
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147: ぼるぼ :2011/07/17(日) 23:20:24
本流の伝統さんのスレッドに初投稿してみた。

ただし、雅春先生の詩集スレッドだから余計なメッセージは省略した。

古い生政連の小冊子にあった護国の神剣の歌詞である。

ここにもコピペする。

護国の神剣ー生政連讃歌=NEW (3403)
日時:2011年07月17日 (日) 22時12分
名前:広大なる慈門

釈尊出でてわが国に
聖王うまれ天が下
すべての民を救うぞと
弥勒下生の聖経に
預言し給ひし時いまぞ

また黙示録は預言せり
されど其の日の来るまでに
サタンと呼ばるる赤き龍
暫し檻より放たれて
四方の国民まどわすと

古事記の預言に照すれば
このサタンなる赤き龍
八岐遠魯智と称されて
瑞穂の国の稲田姫
ひと呑みにすと身を構う

この時姫を救わんと
須佐之男神いでたまい
天授の神剣うち揮ひ
赤き龍をば寸断し
姫を危機より救いけり

この須佐之男の神剣は
実相真理のつるぎなり
剣は神人両極を
真釣り合わせる神政を
奉じて起ちし生政連

この神剣のある限り
如何なるサタン窺うも
鉄壁の護り堅固なり
この聖使命受けて起つ
天使の集団生政連
護国の使命受けて起つ
天使の集団生政連


     <日本の政治と宗教ー護国の神剣ー、谷口雅春より>

生政連という理念は、今日の日本においてなおさらに現実化する必要があると思う。

戦後日本がアメリカの占領下にあり、今もなおその重石の下で国民が呻吟しているのである。

そもそも、占領下で発布された日本国憲法という作文に原因があることは明らかである。

ならば、さっさと日本国憲法を閣議で無効宣言し、帝国憲法の改正により時代の要請にあった法体制にすればよいのに、
これが遅々として進まない。

すなわち、戦後の日本政府が売国奴に牛耳られているからである。

自民党も民主党も同じ穴のムジナである。

なぜ、サンフランシスコ講和条約で国連との和解をして戦後日本がスタートしたのに、足を引張て、東京裁判の呪縛に国民を縛りつけるのか。

昭和60年の中曽根内閣の時、国会における土井たか子の質問と外務省の小和田氏の出来レースが元凶であるという指摘を渡部昇一さんがしている。

中曽根は大勲位、小和田氏は皇太子妃の父という見せかけの権威で国民を騙し続けてきた。

中国と韓国になんで不自然にペコペコしている理由が、ここにある。

今日見たYouTubeを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=VA1H2x9L_gs&feature=youtube_gdata
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148: 河本 :2011/07/18(月) 04:32:50
先生方、
愛国「本流☆生長の家」でも
ぜひ、いいお話を御投稿下さい。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/415415.html
_______________________________________________________________________________

149: 志恩 :2011/07/18(月) 08:11:47
「護国の真剣ー生政連讃歌」をお載せ下さって、ありがとうございました。
生政連という言葉も とても懐かしいです。

大峡 儷三先生(愛称ーおっぱ さん)もご生存中で、これをご覧になられたとしたら、
涙目で懐かしがられると存じます。


それから、別途 佳い新スレッドもできたのですね。拝見しました。
ネーミングもいいですね。
愛国「本流☆生長の家」


トキ様のところは、次回は、どんなネーミングをされるのでしょう。
たのしみです。
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151: ぼるぼ :2011/07/19(火) 11:13:21

古い生政連の小冊子「日本の政治と宗教」をめくっていっていると、
志恩さんが書かれた大峡氏の名がありました。

昨年の暮も押し迫った12月29日のこと、福田赳夫さんが、お山に尋ねて来られたのであります。
総選挙の分析と今後の政局の動向にについて暫く話し合ったのですが
共産党の進出によって政局はいよいよ多難となり、49年の参院選では与野党の差が逆転するといふ
非常な危機が予想される、ということをお話になりました。
インナ
発表しても差し支えないと思われる部分の話の内容を要約すると次のようになります。

福田さんは選挙前の観測では共産党がこれまでの14議席から20台に乗るかどうかと思っていたと言うんですが、
38議席を占めるに至ったことに、自民党としても反省しなければならないということ、
共産党員の熱心な隣人に対する日常活動の成果と、田中内閣の日中国交樹立が共産党に対する
恐怖心を取り除かせる結果になったこと。

自民党が中国ブームに乗って日の丸ワッペンからパンダワッペンに切り替えた事への批判、
日本列島改造論への批判等々、選挙の分析と反省はいろいろありましたが、
これらのことは「生政連ニュース」1月1日号に生政連本部の大狭君が詳しく書いている、云々


という箇所で、大峡氏の名前が出てきました。
志恩さんが書いているので目に止まった次第です。

なお、政治は昔から、権力闘争であります。
今日の日本は、当時福田さんや雅春先生の危惧した事態になってしまいました。

政界は大浄化されなければなりません。

新しい生政連を担う若者によって、生長の家の再建と同時進行で
生政連も再建される必要があります。

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152: トキ :2011/07/19(火) 13:30:16
ぼるぼ 様

 貴重な資料のご呈示、ありがとうございました。

 当時の熱い雰囲気がうかがわれます。あの頃は、共産党が政権党になる可能性を
共産党自身も考えていた時期でした。あの時代の事は、きちんと記録されなければ
いけません。
 具体的な政治状況は当時とは違いますが、その精神は学ばなければいけないです。

 新しい資料や当時の思い出など、今後も投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

____________________________________________________________

153: 志恩 :2011/07/19(火) 19:58:31
ぼるぼ様

そうでしたか、古い生政連の小冊子に、生政連本部の”大峡先生”のお名が記されていましたか。
うれしいです。お知らせ下ってありがとうございました。

谷口雅春先生が政界の清浄化を思い起たれたのは、信徒だけでは、日本の真の清浄化はできない。

やはり、政界に宗教も出て、強い愛国の念から発しられた自主憲法制定や、いのちを護る中絶防止の
優生保護法などなど、國として
法制化されなければ、國及び政界の清浄化は、絵に描いた餅に過ぎず実現しないと思われたからだと,
当時、うかがっておりました。

生長の家から玉置和雄先生が参議院選挙に立候補され、そのときは、本部講師、全職員、
そして全国の組織を挙げて
選挙運動も活発に行われ、玉置先生は、見事当選され、喜びに沸いたことを覚えています。

玉置和雄先生の秘書は、当初二人おられて、男性は村上先生、女性は、寺内様でした。

のちに村上先生も国会議員になられましたね。

玉置和雄先生は、谷口雅春先生のご意思を実現するため頑張られましたが、
法制化には、国会議員の過半数の賛成票が必要で、それが得られず、
法制化には、至らなかったのですよね。

それをもって、政治運動したことは、まちがいであったと結論ずけるのは,
愚かであると存じます。

雅宣先生は、そう結論ずけられましたが。なにごとも、無駄はなかった。
よい経験だったのはないでしょうか。

福田赳夫先生は、私が本部在職中、まだ彼は総理大臣ではなくて、
自民党の幹事長時代でしたが、本部にいらして、小道場で本部講師・全職員を集めて、
講演をされたことがありますよ。なんのためにいらしたかは、おぼえていませんけれどW

鳩山一郎先生(元総理大臣)の奥様の ”鳩山 薫様(教育者・元共立女子大学学長)”が、
私の本部在職中、2度 原宿本部にお忍びでお越しになられまして

谷口雅春先生・輝子先生ご夫妻とお話合いにこられたことも覚えています。

その時、私は、お山係も拝命していましたので、本部へお越しになった鳩山薫先生を、
会議室まで、ご案内させていただいたことを覚えております。

2階の会議室でご歓談されてましたが、1時間半〜2時間ぐらいずつでした。

鳩山薫様は、クリスチャンですが、生長の家の熱心な信者でもいらして、文京区音羽のご自宅「音羽御殿」の離れで、
毎月白鳩会支部会も開いておられたほどでした。

私は、ご歓談中の合間に お茶をお運びしましたので、とても和やかにご歓談されてるご様子も拝見ています。

谷口雅春先生が総裁でいらした時代は、このようにトップの政治家さんたちも、雅春先生にご相談にこられていた訳です。
それだけ、人間的にも絶対の信用がもたれていたからだと存じます。

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154: 志恩 :2011/07/19(火) 20:12:48
しかし、
あの生長の家に熱心でいらした気品がお着物を召されておられるような”鳩山 薫”様のお孫様の、

鳩山由紀夫様・邦夫ご兄弟。

特に,兄、由起夫様の 情けなさ!!信じられません!!!!!!!!

あのお方も戦後教育・日教組によって毒されてしまった 最左翼の思想の持ち主ですからね。

育て方が、どうのとかいう問題じゃないと思います。

悪徳 教師 軍団によって、毒されたんです。!!!

雅宣先生と おんなじ 大○○な男です。!!!!!!

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155: 義春 :2011/07/19(火) 20:27:23
>>154

志恩さま

激しく同意します!ポッポみたいな…ポッポみたいな奴がいなかったら、
中川昭一先生も死なんで済んだのに…こんな事にならんかったのに
…いや、中川(酒)先生のお葬式に参列して、お子様の姿見て泣いた口なので。

中川昭一先生の奥様からの御礼状を今も持ってますが、たどたどしくて練れた文ではないけど、
その分、奥様の心が籠った御礼状でした。

…ふと思い出した事を書いてみました。
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156: 志恩 :2011/07/19(火) 20:56:51
義春様

激しくご同意くださって,ありがとうございます。

義春様が、中川昭一先生のお葬式に参列されてたとはね。

最近の生長の家の教えは、『ノーミート」が、全面にでていますが、
できれば、あの はとぽっぽを、焼き鳥にして、タレつけて 喰ってしまいたいくらい腹立たしいです。
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157: 義春 :2011/07/19(火) 21:09:23
>>156

志恩さま

友達に自民党の兵庫県議の学生秘書がいて、誘われましたんですよ
。良い漢が志半ばで死んだんだから、弔いたくなって、バスに飛び乗ってました。

…あの鳩の丸焼き食したら、宇宙人になるので 食べたくないですね(笑)
むしろ、浄心行の浄火の炎で、浄化して下せい…と。

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158: トキ :2011/07/19(火) 21:24:00
>>155

 中川昭一先生に関しては、ジャーナリストの上杉隆氏の著書で、こんな事を読んだ事があります。

 朝日新聞の本田某という記者が、「中川昭一先生がNHKの番組に圧力をかけて改編させた」という報道をしたのですが、
上杉氏が中川先生に取材をするときっぱりと否定されました。そこで上杉氏が中川先生の行動記録を調べると、中川先生が
NHKに国会内で圧力をかけたとされた日の前後には、中川先生は国会にいなかった、という事が証明されたのです。これは
国会の公的な記録です。しかし、上杉氏がいくらその事を主張しても、朝日新聞は全く謝罪しなかったと言います。自社の
メンツを守る為に、ウソを突き通す姿勢に上杉氏は激しい憤りを感じたと言います。

 他にも、例えば、相撲の貴乃花親方が暴力団と関係しているという報道をし、
それが否定されても訂正記事を出さないなど、
どうかと思う姿勢があります。

 谷口雅宣先生ご推薦の朝日新聞ですが、あまり推薦を真に受けないほうがいいみたいです。

合掌 ありがとうございます

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159: 義春 :2011/07/19(火) 21:55:55

そういえば中川昭一先生の葬列に並んでいると、私の前に猪口邦子さんがいましたよ…
落選されていたからして、遠慮なされて一般の列に並ばれてました。
堅い表情で、何度かお迎えがありましたが、最初の方は、断られてました。

思想は全く合わないですが、一般の列に並んでる姿は立派なものだと感じたものです。

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160: 山ちゃん1952 :2011/07/19(火) 22:29:05

『GHQ焚書図書開封』西尾幹二著という本を以前に読みましたが、
焚書というのは昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までの期間に刊行物が公刊されたのが
22万タイトルの発行である。

それを審査して、7769点に絞って「没収宣伝用刊行物」に指定して焚書を行った。
そうしたリストを作ったのは占領軍ですが、実際没収作業を行ったのは日本政府です。

確かに、戦後の出版物に対する規制は検閲です。
そうしたことも占領軍はおこないつつも焚書行為も行ったのであります。
現在の教育現場で墨塗り教科書などは教えられたりします。
実際検閲ということは以前から知っていました。

また皇国や大東亜戦争や聖戦などそうした言葉などの規制も実際行っています。
だが、そうした歴史が封殺されようとしている。
GHQの検閲に携わる人の募集は英語の翻訳ができ、
知性があり大学の教授や専門的知識のある人も多かったと思います。

戦後まもない職もない、大変な時期でしたから同情も出来ます。
だがそうした人は革新自治体の首長になったり、大会社の社長や有名な
ジャナリストであります。

それに携わった人数は8000人〜1万人ともいわれ、ほとんどの人が口を閉ざしたままです。
こうした検閲という自国の歴史を裁いた人達は平然として暮らしているのです。

歴史を裁き、人をも裁き社会を裁いているのです。
発禁書の多くは新聞社が発行した書物が多いのも皮肉である。国威掲揚とはいえ
、今の変わり身は哄笑するしかない。

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161: 志恩 :2011/07/20(水) 04:59:17

山ちゃん1952様は、なんでもよくご存知でいらっしゃるのですね。

詳しい情報、ありがとうございました。
戦後、日本政府は、GHQとつるんで、このような膨大な図書を焚書にし、
売国奴行為をやっていたんですか。

それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、
今は、上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、よくいわれていますよね。
例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して事実であるかのように記事にしたり、

「爆撃された上海駅・1937』の写真も「捏造写真」と証明されているのに、
嘘の写真を続ける。

一番問題にされているのは、国内の問題をわざわざ外国に出向き、その半分は捏造とも言える内容を
外国人に焚き付け、
故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。

そこまでして金儲けしているメディアは,朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、
公然とおっしゃっておられました。

なのに、

雅宣先生は好んで 朝日新聞、日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。

その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。

_______________________________________________________________________________________

162: トキ :2011/07/20(水) 19:52:50


<口上>

証言 村上正邦 ー我、國に裏切られようとも (魚住 昭 著、講談社 2007年10月10日)

の一部を紹介します。村上氏は、言うまでもなく、生長の家政治連合の当事者のお一人であり、
その証言は、貴重なものです。以下、数ページを使いますが、ご了承のほど、お願い申し上げ
ます。

______________________________________________________________________________________

163: トキ :2011/07/20(水) 19:56:41
(以下は村上氏の著作からの引用です。生長の家政治連合から出馬していた玉置和朗氏の動向
から始めます)


ところが、二月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明した
んです。玉置は生長の家の組織票で過去三回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院
にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めよう
がないほどに大きくなってしまったということでしょう。

 直接のきっかけは、前年八月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことで
した。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗
させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。
 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利
益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順任は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させ
るには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれ
ば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に
関わる問題だったわけです。
(p157~158)
_______________________________________________________________________________________

164: トキ :2011/07/20(水) 19:58:47
玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの
玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり
『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の
編集をしておられた。
雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女で
ある恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を
卒業して産経新聞の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それ
が玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に果て玉置の政治的動きを全部知られたら困る
から、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぽい話になって
いるようだと、当時、玉置がぽやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教
団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立
って、
「そうじゃないんですー・」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断
でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信
感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山二区の後継者の話
が持ち上がった。それで玉置は、
 「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
 と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。
(p159~160)
_____________________________________________________________________________________

165: トキ :2011/07/20(水) 20:00:26
 昭和五十八年(一九八三年)二月に玉置が衆院へのくら替えを青書してから三カ月後には、
前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年六月
に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選し
てしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は
必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
 ところが自民党が彼女を比例名簿の二十一位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭っ
た。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
 生政連は昭和五十八年の八月十五日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治と
の絶縁を宣言したわけです。
(p160)
_____________________________________________________________________________________

166: トキ :2011/07/20(水) 20:02:17
生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆
会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中
曽根派に欲しいと言っている」
 私は、
「はい。ありがとうございます」
 と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育て
られた政泊家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
 このとき清超先生は、生政遵は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残り
なさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。 
(p161)
______________________________________________________________________________________

167: トキ :2011/07/20(水) 20:04:51

生長の家は政治と絶縁しただけではありません。

昭和六十年(一九八五年)に初代総裁の谷口雅春先生が亡くなられて
二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅宣さん(現生
長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。

そして雅宣さんは、初代の雅春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。

雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、
雅宣さんは明治憲法の復元どころか改憲も主張しなくなった。

挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争
だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。

そのうえ雅春先生が善かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。

『我、誰よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。

こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国紙連合)などを拠点に活
動してきた人たちが反発した。

彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。

でも雅宣さんから見れば、
従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線で突っ走ってきた
活動家たちを信用できない。

それで「こいつらはダラ幹だ」とか何とか言って切ってしまうわけです。

(p167)
_____________________________________________________________________________________

168: トキ :2011/07/20(水) 20:07:04

 私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、
当初は生長の家の福祉団体の理事として残りました。

それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、
生長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。

だから私は生長の家推薦で二期目の参院選挙(昭和六十一年七月)で闘いました。

一期日のように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、
信徒の皆さんが自ら自民党員になってくださったから、私は比例名簿の六位に
ランクされて当選を果たすことができたんです。

心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とた
くさん応援に来てくれました。

 しかし、その後、三代目の雅宣さんの意向が強くなって、
政党とは一切、一線を引くという厳格な方針が出されたため、
私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもで
きなくなりました。

 平成七年(一九九五年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねました
が、会わせてくれない。

もちろん講習会に行くことさえも、、講義を受けることさえも拒否された。  

 政治家・村上正邦はね。
(p169)

*以上が村上氏の証言でした。
 なお、文中、「私」とあるのは、「村上氏」のことです。
________________________________________________

171: 山ちゃん1952 :2011/07/20(水) 20:50:37
志恩様

私など勉強不足で知らない事ばかりで恥かしい。
自分で調べる場合が多いのですが、抜粋も多いです。現在は「陵墓」関係と万葉集
を調べています。万葉集はやはり山口悌治先生の影響ですね。

大和三山と藤原京と橿原を中心とした歌、初瀬川や山之辺の道を中心とした万葉歌は
なんとも云えません。
________________________________________________

172: 志恩 :2011/07/20(水) 23:10:49
山ちゃん1952様

「万葉の世界と精神」(前・後)ですね。深いですよね。
山口先生は、学者でもいらした。

山口先生の目黒区にあったご自宅へ遊びに伺ったことがありますが、
壁という壁、床という床、難しい単行本で埋まってました。

本で できた カマクラのような中で、お話させていただきました。

__________________________________________________

173: ぼるぼ :2011/07/20(水) 23:52:25

村上正邦さん、昨年5月に刑期満了して社会復帰されたんですね。
もう、79才になるんだ。

僕は全く面識がないんですが、ユニークな政治家だとおもいます。

Wikiによれば、

東京拘置所拘置経験者である鈴木宗男・佐藤優とともに奈良県吉野を訪れ、
後醍醐天皇陵を参拝して再起を誓った後、鼎談する様子が放送された。

また山田洋行事件で逮捕された守屋武昌にも逮捕後に差し入れをするなどして人脈を広げている。

これにより、逮捕・起訴されて刑事被告人と自分と同じ境遇を受けた鈴木宗男・佐藤優・守屋武昌ら
様々な分野で政官界の舞台裏を知りうる主要人物と人脈ネットワークを構築している。

とか。転んでもタダでは起き上がらないタフな精神を持っているなあ。

ぼくが飛田給を出て、国際組織をつくろうとしたことがあった。
その際、生長の家有力者の協力を得たいと思って、玉置さんの事務所を訪ねたことがありました。

玉置さんは、自分は自民党の政調会長で、とても偉いのだ、と態度であった。

その後、原宿の本部にいたとき、たまたま玉置さんがやって来て、僕をみるや、
向こうから握手を求めてきた。

政治家の二面性を見て、こんなもんかなあ、と思ったものだ。

永田町は魑魅魍魎の住む世界で、ぼくはあんまり近寄りたくはない。

でも、今、日本が潰れそうな時なので、どうしても生政連の復活が必要だとおもう。
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174: ぼるぼ :2011/07/21(木) 04:15:41

訂正、今調べたら玉置氏は党3役をやった形跡はないね。
当時、総務をやっていた、ということがわかりました。

あんまり偉そうだったもんで、僕の記憶が勝手に捏造したようです。

で、そのころ、志恩さんとは生で本部廊下あたりですれ違ったかもね。

____________________________________________________________________________

175: 志恩 :2011/07/21(木) 07:22:57
ぼるぼ様

はい。玉置和雄先生も村上正邦先生(秘書時代)も、まめに本部にいらしてましたから、
何度もお見かけしていました。

玉置先生が、当選後、玉置先生の参議院議員会館事務所へ、大峡先生(おっぱさん)とご一緒に
伺ったことも 何度か、ありました。

女性秘書の寺内様は、やりてで 男勝りの「仕事人」という感じの人でしたが、
トキ様が載せてくだった記録により、後に選挙にも立候補して落選したことを知りました。

でも、私がお見かけしていたころの玉置先生も村上先生も、まだ初々しい感じの頃でした。
後にテレビで拝見するような「政治家」らしい かっぷくのいい威風堂々とした感じは、まだありませんでした。

私は、当時から ほんとは 政治関係は、苦手でしたし、あまりすきじゃなかったです。
人それぞれに向き向きがありますからね。

__________________________________________________________________________________________

176: 志恩 :2011/07/21(木) 09:01:10

ぼるぼ様

ぼるぼ様が、体験されたように議員会館でお会いされたときは、地位のある政治家の顔になり、
本部にいらしたときは、腰が低くなって、笑顔で向こうから 握手を求めてくる
やさしいおじさんの顔になるというのは、昔からそうでした。

そういう二面性がないと、政治家はできないのでしょうね。
そういう魑魅魍魎の世界が 政治の世界。

再読価値あり (45841)
日時:2021年11月29日 (月) 23時45分
名前:会


「【公式】谷口雅春先生の説いた生長の家の本当の教えとは掲示板」の記事より (37530)
日時:2021年01月14日 (木) 00時38分
名前:トキ

「善意の上に胡坐をかく本部職員」という記事がありました。なんだか、もろの感想が書いてあり、面白かったです。少し引用します。

「生長の家で活動をするということは
基本的に奉仕でお手伝いさせていただくのですから
『信徒の善意』によって成り立っているのが
生長の家の活動だと思います。

それなのにそれなのに・・・・

何故、本部職員は地方教区信徒に対して
上から目線なんでしょうか?

そして、何か自分の意にそぐわない意見が出ると
すぐに真理を持ち出して、自分の都合のよいように真理を利用して
自分の我を貫こうとする。

一体何様でしょうか?
本部職員様は!!

地方教区に行くと、「先生先生」と言われるので
勘違いしているのでしょうか?

生長の家には各教区があって
その教区をまとめているのが本部であり
要はその本部事務処理をしているのが本部職員だと思います。
その中で、講師の資格を取ったのが本部講師というだけの話だと思います。

ですから、どちらが偉くてどちらが下だという関係ではないと思います。
お互いが対等のはずなのですが・・・

それなのにそれなのに・・・・
あぁ、それなのに・・・

本部職員は
勘違いをしているんですね。

本部という肩書がつくせいか
自分のことを、信徒より偉いと勘違いしてしまっているそうです。

ハッキリ書かせていただきます。

本部職員、あなたたちは、信徒のお金を
給料としてもらっているんですよねぇ。
つまり、生長の家に対する愛も、有償の愛ですよね。
信徒は無償の愛で活動しているんですよ。

何故、有償の愛の人々が、無償の愛で活動している人たちに対して
態度がでかいのですか?
いい加減、勘違いするのはやめたほうがいいと思いますよ。」

 念のために付け加えると、そういう傲慢不遜な本部職員もいますが、中には謙虚な人もいます。

ただ、教化部長などを見ていると、確かに勘違いをしている人もいます。(もちろん、謙虚な人もいますが。)これは、ご本人も、現在の本部の方針が間違っているもは知っているので、権力で抑え込まないとやってられないと思っているのでしょう。ある意味、お気の毒です。

 戦前に入信された大先達が、「昔の本部派遣講師は信仰のことだけを考えていればよかったけど、今の教化部長は経営もしないといけないから、大変なんです。」

とこぼしておられtこともありました。

 ただ、昔の本部講師は、社会経験を積んだ人がなっていました。例えば、堀 静先生は看護婦長をされていたし、東山半之助先生は新聞社の社長、片村四八先生は陸軍中将でした。

 やはり信念が違うというか、威厳もあり、尊敬できる存在でした。

それが、いつの間にか、本部の間違った方針の提灯持ちみたいに見られているので、気の毒です。思うに、最初は。青雲の志を持って本部員になった人も、いつの間にか流されてしまい、気がついたら初心を忘れてしまったのでしょう。給与をもらってやる信仰指導者はどうしても「生業」になります。生活の安定がないと活動はできませんが、やはり、経済的な独立がないと、信念を通せないのも事実で、難しい話だと思います。

 
https://ameblo.jp/tadashiioshie/entry-12134813960.html

 (45948)
日時:2021年12月03日 (金) 14時07分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

このスレ、拝見しましての感想。
「訊け」管理人さんは、
客観性における視点鋭く、
それでいて、ユーモアに満ち溢れる人柄ですな。
面白くて、ライブドア/ブログに行ってみましたが、
サービス終了の為か、読めなくなっていました故、残念至極。

 (46324)
日時:2021年12月15日 (水) 05時22分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

>志恩 :2011/07/20(水) 04:59:17
山ちゃん1952様は、
なんでもよくご存知でいらっしゃるのですね。
詳しい情報、ありがとうございました。

戦後、日本政府は、GHQとつるんで、
このような膨大な図書を焚書にし、
売国奴行為をやっていたんですか。


それで,政府のみならず、それらを行った知性のある一般人達も、
今は上部の人間として平然と生きているとは、ひどい話ですね。


それから
トキ様がおっしゃるように、
朝日新聞は「捏造記事」が多いということも、
よくいわれていますよね。
例えば「南京大虐殺」にしても小説から歪曲して、
事実であるかのように記事にしたり、

「爆撃された上海駅・1937』の写真も、
「捏造写真」と証明されているのに、嘘の写真を続ける。

一番問題にされているのは、
国内の問題をわざわざ外国に出向き、
その半分は捏造とも言える内容を外国人に焚き付け、
故意に外交問題に発展させるようにしたりしてる事実。

そこまでして金儲けしているメディアは,
朝日新聞しかないそうですね。
国賊新聞ではないでしょうか。

谷口雅春先生は、
朝日新聞 = 赤旗(共産主義の新聞、最左翼新聞)と、
公然とおっしゃっておられました。

なのに、

雅宣先生は好んで朝日新聞、
日本経済新聞から様々な記事を引用されてブログに載せています。

その思考回路もやはり、最左翼頭脳の証ですね。


―――――――――――――――――――


ほほう、......。
今から10年以上前の見解。
何かその後、志恩さんに見識の変化はありましたか。

 (46428)
日時:2021年12月19日 (日) 23時21分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

トキ管理人さんの言われる<初期/中期 谷口雅春先生時代>に、

公明党(創価学会)との関係性はどうだったのでありましょう。

危機感を抱いておられませんでしたか?


 (46429)
日時:2021年12月20日 (月) 00時17分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

>講談社レビューから一部転載ご参考

日時:2019年01月28日 (月) 07時05分
名前:転載

優れた“保守”がどのように生まれ、
その背後にある理念や団体(この場合は生長の家)が、
何を考えてきていたかを明らかにした好著です。

村上正邦さんと言えばかつては“参院のドン”とも、
“村上天皇”とも呼ばれた自民党の大物政治家で、
小渕首相が倒れた時、森喜朗首相を作り上げた密室会議を行った、
5人組の一人としても知られています。
その後2001年のKSDの贈収賄事件で有罪判決を受け、
政界を引退しました。

この本は下獄する前に魚住さんが行ったロングインタビューです。また徹頭徹尾、「生長の家」の誌友、信者であり、
堂々とその影響下の政治家であることを公言していた政治家の、
言行録として、
日本の政治と宗教(とりわけ神道)との、
関わりを明らかにしたものとして極めて興味深いものがあります。

村上さんが一貫して私淑していた「生長の家」の創始者、
谷口雅春の思想とはどのようなものだったのでしょうか。
戦時中は聖戦完遂を唱え、
軍国主義を支えた組織として知られています。
戦後は元号法制化の急先鋒としてなど、
戦後体制に保守の側から異議を唱えていました。

ところで、魚住さんが言うように最近は、
「論壇とか政界で『右派』の力がすごく強くなってきている」といわれますが、
保守政治家として村上さんはこの動きを歓迎しているのでしょうか。意外な言葉を語っています。


──私が政治に関わり、
生長の家の谷口雅春先生の教えに触れて以来、
思い描いてきた国家のありかたというのは、
今の日本のように腐敗した官僚たちと、
庶民の生活とかけ離れた政治家たちが好き勝手なことをやる国家ではありませんでした。
彼らは特権にしがみつき、
厚顔無恥な権力集団と化してしまいました。
私は今度の事件(KSDの贈収賄事件)に遭遇して初めて、
自分がイメージした、
自分が愛した国家と現実の国家がまったく別物であることに気づかされました。──

これは痛切な声というべきでしょう。
村上さんが「生長の家」に見ていた国家とはどのようなものだったのでしょうか。
それは、天皇制家長原理に貫かれた、
農本主義的な社稷国家であり、
そこには家族国家といったものの姿がうかがえるように思われます。

実はこのような保守の形には、
左右のイデオロギーを越えたものすらあったのです。
この本でも魚住さんが取材した鈴木邦男さん、
(政治団体「一水会」元最高顧問)のこんな言葉が収められています。

──僕が学生のころはまだ、右翼運
動のなかに自由があった。
愛国心を疑う自由さえあったけど、
いまは『愛国心を持つのは当たり前じゃないか』、
『韓国や中国になめられるな』、
挙げ句に『核武装だ!』なんて滅茶苦茶なことまで言い出している。

本当の覚悟も何もなしに、自分と国家がすぐにポンと一体になっちゃうんですね。──

保守はもっと懐が深かった……。
それに比べて恐ろしく幼稚化した現在の保守・右翼の姿がうかがえるようです。

この姿の延長に現在のヘイトスピーチを行う団体やネトウヨというものが現れました。
そこには村上さんが願っているような相互扶助的な関係などというものはありません。
他者を貶めて自らを尊しとする傲岸不遜な強者志向があるだけです。
そしてそれを鏡に映しているような、劣化した保守政権があるというのが私たちの現在なのでしょう。

かつては輝かしい国があった、というのが村上さんの心の奥にあるものでした。その思いは九州の炭鉱で厳しい労働をしていた青年時代からあったものだったようです。その“かつての日本の栄光”は苦しい生活から民衆を救いだす希望でもありました。村上さんが政治家を目指したのもこの栄光を再びもたらすことでの救世済民というものでした。

村上さんの行動原理を支えるものとして「生長の家」の谷口雅春の存在がありました。興味深いことに村上さんは一貫して谷口雅春を称揚していますが、必ずしも「生長の家」の組織そのものを称揚しているようには見えないことです。

元号法制化等で「生長の家」はその存在を強く政界に印象づけたものの、次第に政治の世界から距離を置くようになりました。谷口雅宣氏が3代目の「生長の家」総裁になるとその流れはさらに加速されていきました。この時、かつて政治活動を行っていたグループが日本青年協議会を結成し、神社本庁の流れを汲むグループ、日本を守る青年会議と合体し日本会議の結成となったのです。村上さんはこの「生長の家」の脱政治過程と日本会議の結成過程を見据えながら政治家として活動していたといっていいのではないでしょうか。


──でもね、今の自公連立政権、
今の二世三世の議員たちのやることを見ていると、
彼らの手で憲法改正なんかやってほしくないですね。
彼らは自民党の世襲制度のなかから出てきた議員たちですから、
一般庶民の生活も知らなければ苦労も分からない。
彼らは親の財産をそのまま受け継いで努力も何もしない。
彼らが政治を支配している限り、
日本の国は堕落してしまう。<

「公文書」偽造の疑い (46598)
日時:2021年12月26日 (日) 08時18分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

https://www.asahi.com/articles/ASPDS71YWPDSUTFK03K.html

この頃から〔決裁済みの文書〕に追記か...。
とんでもない国になってしまった感持続。
恐ろしき事この上無きなり。

 (49065)
日時:2022年03月04日 (金) 00時59分
名前:禁止用語



「公文書」偽造の疑い (46598)
日時:2021年12月26日 (日) 08時18分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。                                                                                                                        .                                                                     

https://www.asahi.com/articles/ASPDS71YWPDSUTFK03K.html

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  参考になりました。ありがとうございます。

 (49774)
日時:2022年03月26日 (土) 13時09分
名前:一考の御参考になれば良いと、紹介します。 


最高責任者の決裁済みの文書に<追記>ですからね。
しかも国防に携わる一員の仕業、酷いものです。
一員が一存ででき得るものなのかは、民には藪の中かも知れません。

 (50109)
日時:2022年04月07日 (木) 23時54分
名前:節目

この論考は、現在の状態に至までの生長の家と生長の家政治連合の概略を述べるとともに、現在の組織に与えた影響を考察したものです。最初にお断りしておきますが、直接、関与していなかったため、その情報の多くが、書物や伝聞によるものである事はご理解下さい。ここに書かれている事が「正しい」というつもりはありません。あくまでも、現在の生長の家の状態を説明する、一つの仮説だと思って下さい。


といった内容のトキ管理人さんのことわり書きを了解した上で、
引用再転記。

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5: トキ :2011/06/20(月) 13:17:56

<中期 谷口雅春先生時代>

この時期以後、生長の家は、純粋な信仰運動だけでなく、政治運動も始める様になりました。
そのため、組織のあり方も中央集権的になり、運動のあり方もや組織のあり方、部内の雰囲気など、
多くの点で変化が生じました。

森田=安東の両先生などはこの時代の申し子と言えるでしょう。

一部の信徒は、政治への接近に批判的でしたが、
反面、当時の青年を中心に、情熱的な運動を求める雰囲気が強く、青年会を中心に、活動は活発化しました。

その意味で、当初は生長の家の教勢発展に寄与したと言えるでしょう。
元号法制化運動など、各種の運動で成果を挙げると、いよいよ政治への接近傾向が強まり、
生長の家政治連合の関係者が肩で風を切る傾向が強まりました。

生長の家政治連合は、生長の家教団の一関連団体にすぎないのに、
実際には、生長の家を代表するような言動すらするようになりました。

時には、総裁の権威をも無視する場合もありました。
その反発を押さえる為に、生長の家政治連盟を中心とする上層部から中央集権化を合理化する教学が強化されました。

私はこれは、組織教学と密かに呼んでいます。

当時、谷口雅春先生はご高齢で教団運営の実務から離れつつあり、
後継者の谷口清超先生の権威はまだ完全には確立していなかったので、
生長の家政治連合の人達がその間隙をぬい教団に大きな影響を与えました。

そして、彼らが、この組織教学の中心的な提唱者でした。

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生政連を明確に解散するまではコントロール不能の常態にあったとの、他のスレッドtapiaさん投稿でより頷けるものだと思われる。



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