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天理教「上田ナライト」事件 (21067)
日時:2019年11月23日 (土) 09時20分
名前:トキ

 「天理教」でタブーとされている上田ナライト事件について、興味深い話が書かれていたので、紹介します。

 天理教は中山みき先生が開祖ですが、中山先生が「出直し」(死去)された後、弟子の飯降伊蔵先生が信仰面での後継者(本席)になり、中山先生の子供が教団運営面での後継者(真柱)となりました。飯降伊蔵先生が亡くなると、飯降伊蔵先生の指名により弟子の上田ナライトが本席になりました。

 が、中山家により上田ナライトは追放され、現在の天理教ではタブーになっているとも言われています。

 その経過について、興味深い話が書かれていたので、紹介します。

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上田ナライト 信仰の柱「本席」の断絶

2018-11-29 02:49:26

テーマ:さとさと たをとたをと びよさまびよさま
芹沢光治良『死の扉の前で』新潮社、昭和53年。

『天理時報』の「教祖様」の執筆にあたり、その資料収集を紙面で依頼したところ、
××大教会長から電話があり、賀川という人物を紹介される。

賀川氏は東北大学で阿部次郎先生に私淑した35−36歳の青年である。
この賀川氏の話として「上田ナライト」に関する話が以下のようにある。(75頁以下)

「おやさまが昇天してから、飯降伊蔵先生が本席として、約20年間、神のおさしずを取り次ぎましたね、その間、初代真柱様は行政の柱として、本席は信仰の柱として天理教を支えたが、信者は言うまでもなく先生方も、神の取り次ぎ者であり信仰の柱である本席に、自然に心を寄せがちでした。教祖の孫であり、相続者である初代真柱様夫妻は、そのことが不満であったが、教祖の定められたことですから、どうにもできなかったのでしょう。

本席が亡くなると、また神のおさしずに従って、上田ナライトさんが『おさづけおはこび』をなさることに決まっていました。『おさづけおはこび』は、また、信仰上の中心行事であるから、信者はナライト様を本席に代わった信仰の柱と仰いだのです。それはまた、初代真柱夫妻はよろこべなくて、若様こそ行政の柱と信仰の柱とを兼ねた強い真柱に育てようとしたのです。

初代真柱様が大正三年に49歳の若さで亡くなられると、十歳の若様が管長になったが、ご母堂様は、後見人の山沢や松村という大先生方の力を借りて、少年真柱を絶対権力をもつ真柱に成長させようと懸命でした。その手始めに、大正7年にはナライト様が狂気だとして、ご母堂様が自ら『おさづけはこび』をなさるようにしました。

大変孝心の厚い真柱様は、ご両親の口惜しさや願望をじっくり胸におさめていると思います。それ故、天理教の専制君主のような独裁者になったが、敗戦前は天理教自身が政府や軍部から弾圧を受けて、真柱様も絶対権力を振るえないで、自制していたのでしょうが、敗戦後は、信仰の自由が保証されたので、復元という美しい名目で、大っぴらに自己の復権をはかっているのです。

行政面では、しきりに教規を創って、教庁機構を変え、中央集権をはかっています。信仰面では明治経典にかえて新教典を創り、正式の教祖伝を編集して、天理教の絶対権を中山家のものにしようと励んでいます。その点、真柱様は偉大な徳川家康です・・・。教祖伝で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりになってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなくて、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。

新教典も精読してみれば、中山家の天理教だと、判明します。ですから、先生にお願いするのです。真柱様を説いて、まちがったお道にするのを防いでください。」

「先生、真柱様は教祖様の書き残された『おふでさき』と『みかぐらうた』しか、信じてはならぬと言って、教祖様がお話になったと伝えられるお言葉はすべて抹殺しました。そればかりかでなく、史料を全部掴んでいるので、『おふでさき』でも、真柱の意とする天理教に都合の悪い部分は抹殺する恐れがあります。特に本席様を通じて20年間親神様がさしずしたお言葉は(これを『おさしず』と呼んでいますが)控えていた先生方が速記して、厖大な史料として残っていますが、これを全部通読した者はいないでしょうから、都合のわるい部分を削除するのは、簡単です。

真柱様は本席の存在をも抹殺したいらしく、本席様の話をしても不機嫌になるので、本部の先生方はたがいに本席様のことは禁句だといっておりますし、本席様の子孫は本部で重要に扱われていません。そんなことはともかく、親神が教祖様を通じて語られたお言葉も、本席を通じての『おさしず』も、中山家のものではなくて、人類のものとして、すべて永久に伝えるべきではありませんか…、それ故、また、先生に真柱様の友達になって、真柱様が史料を廃棄なさるのを、とめて頂くか、それが不可能ならば、廃棄なさった史料について、将来のために記録して頂きたいのです。」

「ナライト様のことも、一般の教会長や信者には、すでに完全に抹殺して全然知られていません、私など、発狂したと聞かされて信じていたが、最後までナライト様に仕えていたという婦人が、随筆で晩年のことを書いていたけど、立派なお方のようですよ。昭和12年の1月に75歳で亡くなられたが、その朝、正装し、威容を正して机に向かい、立派に松竹梅の絵を描き、それに辞世の詞・・・「松竹梅でおさめまいらせ候」と、たしかこんな詞をみごとな手蹟で書き加えて「おばあさまのところへ参ります」と、その婦人に話して、掌をあわせてそのまま静かに息を引き取ったそうです。私は感動してその婦人を詰所にお訪ねして、お話を聞こうとしたが、お話しすることは他にないからと拒否されました。真柱様からお咎めがあったのでしょうね・・・・

先生が真柱様の友達になったら、こうした新しい史実も掘り出されて・・・神様が約束したことはすべて守られたと実証できるのですけれど、お願いします」。(77‐79頁)


動画 存命のおやさまのお言葉「おてふり」について28分
https://www.youtube.com/watch?v=t9ys-Xv693o

 (45708)
日時:2021年11月28日 (日) 05時17分
名前:感想1


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