生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家と三島由紀夫......etc (25102)
日時:2020年03月29日 (日) 18時07分
名前:志恩

ネットより
2013年11月02日

三島由紀夫を観る

三島由紀夫が、宗教法人「生長の家」の谷口雅春著「占領憲法下の日本」に序文を書いている
ということである。この本は手にしていないので以下は、ネットで見つけた序文である。

**************************************

          本書に寄せる


      三島由紀夫

 谷口雅春師の著書『生命の実相』は私の幼時、つねに病める祖母の枕頭に並んでゐた。
燦然たる光明の下に生命の芽の芽生えるその象徴的デザインは、幼い私の脳裏に刻まれてゐた。

 それから四十年、俄に身辺に、谷口師に私淑してゐる人たちを見出すやうになったのである。つい先頃も、「生長の家」の信仰を抱く二三の学生が、私の自衛隊体験入隊の群に加わったので、親しく接する機会を得た。かれらは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄もよく、しかも闘志にみちみちた、現代稀に見る好青年ばかりであった。

そして、「もし日本に共産革命が起きたら、君らはどうする?」という私の問に、「そのときは僕らは生きてゐません」といふ、最もいさぎよい、もっともさわやかな言葉が帰ってきた。これだけの覚悟を持ち、しかもかういふ明るさを持った青年たちはどうして生れたのだらうか、と私は愕いた。

現代の汚れた常識人は、そんな青年は物語の中にしかゐる筈がないと笑ふであらう。又、敗戦後に生れた現代青年が、無視し、あるひは避けてとほる天皇の問題についても、この人たちは、素直な、実に自然な受容の態度を示してゐた。天皇は日本民族の存立と自立の自明の前提として理解されてゐた。

 私は再び問うた。こんな青年がどうして生まれたのだらう?

 かれらは谷口雅春師に対する絶対の随順と尊崇を抱いてゐた。
私はどうしても、師のおどろくべき影響力と感化力、世代の差をのりこえた思想の力を認めざるをえなかった。私どもがいかに理論を持つて青年を説いても空しいのである。

 私も亦、言葉により文字によつて世を渡る人間の一人である。もし谷口師の著書だけによつて師に近づけば、そこに当然疑ひも生じたであらう。しかし現実に、その信仰と思想の生きた結実を見せられると、もはや疑ふ余地を失つた。

 なぜなら信仰とは、個人の魂の内部に起る「全体」との融和感合一感であるから、その個人の魂の個的自覚を経過しない人間には、信仰者の外側にあらはれた行動の形でしか、判断しやうがないからであり、キリスト者の殉教は、そのやうな意味を担つてゐたのである。

 このたび谷口雅春師の『占領憲法下の日本』といふ、憂國慨世の書を読むに当り、私は殊に、その「生命体としての日本国家」の章に深く感動した。これこそ久しく私の求めてゐた日本の国家像であり、生命体としての個的自覚と、生ける全体とをつなぐ唯一の橋が、ここに語られてゐると思はれた。

 現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、情報を蒐集し、これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の上つ面を撫でるだけの、究極的にはニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に堕するのは何故であらうか。このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悩の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代世界に於いて、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか?日本もそこまで来てゐるやうに思はれる。

『占領憲法下の日本』には、幾多の政治的事象がとらへられ分析されてゐるけれども、それらは決して現象論でもなければ情勢論でもない。すべては烈々たる精神の顕現である「生命体としての日本国家」に集中してゐるのである。私はこの書によつて自信と力を与へられたと感じ、この書がただ「生長の家」の信仰者ばかりでなく、ひろく江湖に迎へられることを望む者である。       (原文のまま)
 
  昭和四十四年四月


*********************************
http://blog.livedoor.jp/dorci/archives/52011799.html

三島由紀夫が序文を書いているという谷口雅春先生著「占領憲法下の日本」は、アマゾンコムで中古本で売っていましたから、ただいま、注文したところです。 (25104)
日時:2020年03月29日 (日) 18時22分
名前:志恩

谷口雅春著「占領憲法下の日本」
(1969(昭和44)年に出版)

谷口雅春 先生、76歳の時、
三島由紀夫 氏、44歳の時。



https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/614ulC-vFEL.jpg

谷口雅春先生著「愛国は生と死を超えて・三島由紀夫の行動と哲学」(1971(昭和46) 年出版) (25106)
日時:2020年03月29日 (日) 19時03分
名前:志恩

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アマゾンコムのほうの
この著書のブックレビューより

○ 三島氏の自決の意味と生長の家との関係が分かる本
2017年5月17日に日本でレビュー済み

三島由紀夫は、
事件の3日前に谷口雅春に会いたいとの電話を自宅や教団本部にかけている。
谷口は『占領憲法下の日本』において、序文を三島に依頼しており、
事件に参加した古賀浩靖と小賀正義が生長の家の会員という関係がある。
三島は「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」
と遺言を残したという。
谷口による三島の自決の分析は正確で、批判できるような箇所が無い。
読んで損はしないと思います。

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谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板より

谷口雅春先生の『愛国は生と死を超えて《三島由紀夫の行動の哲学》』
「はしがき」よりNEW (11761)
日時:2020年03月29日 (日) 20時56分
名前:下総の野人

谷口雅春著『愛国は生と死を超えて《三島由紀夫の行動の哲学》』
(日本教文社、昭和四十六年十一月十五日)

「三島由紀夫氏の靈に献ぐ」と献辞のある本書。

その「はしがき」より少し引用紹介させていただきます。

〈近いうちに三島由紀夫氏が市ヶ谷の自衛隊総監室で壮烈な自決を遂げてから一周忌の日がめぐって来るのである。わたしはこの三島氏が自決せずにいられなかった突き詰めた氏の精神の分析*狽ヘ心の評伝≠ニでもいうべきものを世に出すのは、その一周忌にあたって、氏の霊に献げる供花のつもりでもあるのである。〉

〈わたしは、三島氏とは別にその生存中に交友関係があった訳ではない。しかし、あの死の決行には、「日本を毒しつつある現行の占領者の押しつけ憲法に体当り」するために三島氏にいのちを托して決行を伴にした四人の青年がある。そのうちの古賀浩靖君と小賀正義君とは生長の家の若い信徒であって、三島氏は、あの自刃の数日前に、これら決行を伴にする青年に「ただひとり谷口先生だけは自分たちの行為の意義を知ってくれると思う」といわれたということを、私は、生き残ったうちの二人の青年から後に聞いたのである。そしてあの自刃の数日前の十一月二十二日、三島氏は、私に会いたい≠ニいって私に対して電話をかけて来たのだったが、その日の午前は、生長の家の秋季大祭の行事があり、午後は私の金婚式を多勢が祝ってくれるためにホテルオークラに集まる予定になっていたので、電話口に取次ぎに出た者が、会う時間がない由を告げて軽く断ってしまったのであった。その夜おそく三島氏は今からでも、谷口邸へ直接出掛けて行ったら、面会できるかも知れないから、失礼だが押しかけて行こうか≠ニかもうお眠(やす)みになっているし、面識が今までにないから矢張り面会を断られるだろう≠ニか、青年たちと色々協議せられたそうだが、ついに遠慮して訪問して来られなかったので、私はまことに残念なことをしたと思っている。もうこの世で逢う機会のない人で、あれだけ会いたがっていた人に会えないで惜しいことをした、と私は今も歎いているのである。〉

〈私はこの三島氏の自決≠決して犬死に終らせてはならないと思うのである。私がこの書を氏の一周忌に際し公刊して世に問うのも、三島氏の自決の真の意義を伝えて、今や誤まれる民主主義の美酒に陶酔して、一方には生活の頽廃を来しつつあり、他方には内乱的様相を呈して自己崩壊を来たさんとしつつある我が国に祖国愛の精神を復活せしめて、危機に面するわが国を救わんがためであるのである。
  昭和四十六年十一月三日 
                         谷口雅春〉

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メルカリで発見、(この著書は私は購入しませんけれど)三島由紀夫は日本教文社からも本を出版されてたのですね。存じませんでした。 (25107)
日時:2020年03月29日 (日) 19時34分
名前:志恩

【若きサムライのために】 単行本 – 三島 由紀夫 (著)  日本教文社



\688 (税込) 送料込み
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
男の生活と肉体は、危機に向って絶えず振りしぼられた弓のように
緊張していなければならない―。
平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑し、
ニセ文化人の「お茶漬ナショナリズム」を罵り、
死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、
挑発と警世の書。
死の一年前に刊行された、次代への遺言。


登録情報
単行本: 218ページ
出版社: 日本教文社 (1969/01)
言語: 日本語
ISBN-10: 4531060199
ISBN-13: 978-4531060191
発売日: 1969/01 昭和61年47版
商品パッケージの寸法: 18.6 x 13.2 x 1.6 cm

曼荼羅花ブログより (25108)
日時:2020年03月29日 (日) 19時44分
名前:志恩

【三島由紀夫の命日です】

2015-11-25 07:07:23


 昭和45年11月25日、三島由紀夫は市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地の総監室で『楯の会』の会員、森田必勝と自刃した。


 三島由紀夫は自刃する前に、どうしても会いたかった人物がいた。『生長の家』という宗教団体の谷口雅春氏である。


 国柄に合った自主憲法の制定ということに於いて、二人の考えは一致していたので、互いに会いたいと思っていた。


 三島は生前に自分の行為を、世間は批難するだろうが、唯1人理解してくれるのは谷口雅春師だと・・・


 昭和45年11月22日、谷口雅春氏の自宅と生長の家本部に、三島は谷口先生に会えないかと電話をしている。


 当時、生長の家は行事で忙しく、電話を受けた担当者が谷口氏に相談することなく面会を断ったという。


 谷口雅春氏は著書『愛国は生と死を超えて】の中で、運命が、彼と私を会わせなかったのだとも言える。と・・・


 谷口雅春氏と三島が会っていたならば、何かは三島の心に変化を与えたかも知れない。だがその行動に揺らぎはなく決行されていただろう。


 谷口氏は、三島は愛他行の美的生活と肉体美の綻びた後の霊的貴族の生き方を実践したのだと・・・


 即ち『人、その友のために命を棄てる』のキリストの言葉のように『国民同胞のために命を棄てる』を渇望し、決行したのだと・・・

 

 簡単に申せば、歴史や伝統に宿った宝物と国家国民という公のために死する美学に殉じたというのです。


 僕は生長の家の信徒ではない。だが谷口雅春氏の言葉ほど理解出来る三島由紀夫論は見当たらない。三島がオスカーワイルドに本人も気づかぬ内に影響を受けていたとも指摘している。


 その生長の家も、今や左翼環境団体となってしまった。綺麗な言葉や合理的な教義に変化してしまった。物事の本質を見抜く力の源である言葉が失われた為であろうか、信徒数も谷口雅春氏当時よりも3分の一以下になってしまった。


 これは何処の教団にも見られる現象で、言葉に力のない2代目、3代目になると求心力を失う。物事の本質を見抜く力を元に戻すには、原点回帰であり、甘く薄っぺらな戦後の言葉で人間の魂は救済出来ないのです。


 三島由紀夫を好む人も、嫌いな人も、三島を通して、日本を世界を考えて見ようではありませんか。




https://ameblo.jp/fgh1234/entry-12099327653.html

理知的かつ詩的文体で描く著名作家 (25109)
日時:2020年03月29日 (日) 20時23分
名前:トキ掲示板ウィキ班

『仮面の告白』(かめんのこくはく)は、三島由紀夫の2作目の長編小説。三島の初の書き下ろし小説である。大きな成功をおさめた代表作で自伝的作品でもある。人と違う性的傾向に悩み、生い立ちからの自分を客観的に生体解剖していく「私」の告白の物語。自身の性的志向への自覚と、男女の愛への試みと挫折が、苦痛と悲哀に満ちた理知的かつ詩的な文体で描かれている。当時、同性愛というテーマを赤裸々に綴ったことは大きな話題を呼び、この作品により三島は一躍、24歳で著名作家となった。日本文学史上でも、その異質性においても画期的な作品だとされている。

美貌の女盗賊“黒蜥蜴”が繰り広げる耽美と闇の世界。江戸川乱歩の傑作を三島由紀夫が戯曲化した究極のエンターテイメント「黒蜥蜴」を、三島に懇願されて舞台で主演した、彼の親友でもあった美輪明宏が、彼のエピソードを次のように語っています。 (25110)
日時:2020年03月29日 (日) 20時45分
名前:志恩

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【三島由紀夫が指摘した美輪明宏の“5%の短所”】

2015年3月21日 19時0分 女性自身より

 今年、生誕90周年を迎えた三島由紀夫。
彼に懇願されて美輪明宏さんが主演した舞台『黒蜥蜴』。

47年前の初演は大好評を博し、以後再演を重ねてきたが、ついに今春、
ファイナル公演を迎えた。
この名舞台の“生みの親”でもある三島との知られざる交流を美輪さんが語る――。

 自決される1週間前、
三島さんは私がコンサートをやっている日劇の楽屋を訪ねてこられました。

「出演おめでとう!」と言いながら、抱えきれないほどのバラを持って。
普段ならご家族のことなどはあまり話さない方なのに、その日に限って
弟さんの話をしたりして、
いつもの様子とはちょっと違っていました。



 三島さんが劇場の控室からお帰りになる際、突然楽屋を振り返り、
「もうこれっきり、君の楽屋には来ないからね」と。
「どうして?」と聞いたら、
「今日も奇麗だったよ!なんて嘘をつくのがつらいから、もう来ないよ」、
そんな皮肉交じりの冗談を笑いながらおっしゃって出ていかれました。

 その後三島さんは、客席のいちばん前の方に座られて、
眼鏡をかけて私のステージをずっとご覧になっていました。

そして私が三島さんの大好きだった曲『愛の讃歌』を歌っているときに、
彼の考えていることが、波動となってすべて伝わってきたのです。

私との出会いから最近までのいろんな出来事を、走馬灯のように思い出している波動が送られてきた。
あれは不思議でした。

 私たちのことを“恋愛関係”と書き立てるメディアも多くありましたが、
とんでもない話です。昔ある雑誌で文壇の方々と対談する連載をやっていました。

その対談に三島さんにも出ていただきました。そのときこんなことを言われました。

「君には95%の長所がある。才能もあるし美貌もある。だけど、5%の短所がある。
その5%の短所は、95%の長所をいっぺんで吹っ飛ばしてしまうくらいの最悪な短所だ」と。

 私は「95%の長所を吹っ飛ばしてしまう短所って何?」と聞いたら、
「俺にほれないことだ」って(笑)。

 面白いでしょ?私は尊敬する人には恋愛感情を抱きません。尊敬できる人はあくまでも尊敬している人。
恋愛感情になってしまうと何かグレードが落ちるような気がするからです。

そして年齢や容姿・容貌、そんなのはいっさい関係ない。
何か気の毒でかわいそうな陰がある人を好きになるのです。

 三島さんは劣等感の塊でした。
でもそれを補って余りある才能がある人、天才でした。

誰にでも悩みやら欠点があるのですから、劣等感などは本来持つ必要はないのです。

ただ三島さんは純粋で、とてもチャーミングな方でした。

私の前ではまったくの無防備で、それだけ安心されていたのだと思います。

無二の親友ですね。
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トキ掲示板ウィキ班さんー
>>理知的かつ詩的文体で描く著名作家
『仮面の告白』(かめんのこくはく)は、三島由紀夫の2作目の長編小説。
三島の初の書き下ろし小説である。大きな成功をおさめた代表作で自伝的作品でもある。
人と違う性的傾向に悩み、生い立ちからの自分を客観的に生体解剖していく「私」の告白の物語。<<

志恩ー
トキ掲示板ウィキ班さんがご紹介くださいました三島由紀夫の二作目の長編小説『仮面の告白』は
内容も ご紹介くださいました通り、三島由紀夫が、自分は実は同性愛者なのだということを書いた
告白本でもあるのだそうなんです。

ですから、ネットで調べたのですが、三島は自分のことを「あたい」と言ったりしてたそうです。
私は、同性愛者は、個人的には、キモくて、大嫌いなんですけれど、生理的にも受け付けられないのですが、

三島の場合は、その性癖を大きくカバーするほどの、別の面で、知的さやら、天才的な文学的才能やら、
真面目さやら、育ちの良さやら、純粋さやら、人間的魅力さやら、を兼ね備えて持っていた人なんだろうな、と
思っております。

いくつもの動画も拝見しましたが、決して感じの悪い人では、ありません。

私は、同性愛者のお相手は、もしかしたら、美輪さんなのかしらと、ふと思っていましたけれど、
美輪さんのコメントを拝見すると、そうでは、ありませんでした。

それに、三島由紀夫が自分が同性愛者だと告白した本を書いたのは、彼が、24歳の時ですが、彼は、33歳の時に、
川端康成さんのご媒酌で日本画家として有名な杉山 寧 画伯の娘さんと、結婚されてます。
そして、離婚はされおられません。

お子さんについては、
2人(男の子一人と女の子一人)いたという記事がございました。


ですから、三島は、生涯を通して、同性愛者だったのか、どうかは 不明なところです。

館内が騒然…今も生きる討論の熱気 映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」 2020.3.29 (25111)
日時:2020年03月29日 (日) 22時26分
名前:志恩

予告編
https://gaga.ne.jp/mishimatodai/
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解説

1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。伝説とも言われる「三島由紀夫 VS 東大全共闘」のフィルム原盤をリストアした映像を中心に当時の関係者や現代の識者たちの証言とともに構成し、討論会の全貌、そして三島の人物像を検証していく。ナビゲーターを三島の小説「豊饒の海」の舞台版にも出演した東出昌大が務める。監督は「森山中教習所」「ヒーローマニア 生活」の豊島圭介。

2020年製作/108分/G/日本


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ネットより

新潮社のカメラマンが壇上からとらえた三島の写真も
映画に登場する新潮社のカメラマンが壇上からとらえた三島の写真も
映画に登場する

 ついに首都圏などではシネコンも営業休止に。
少し前から自粛ムードで客席はまばらだったが、このドキュメンタリー映画だけは違った。

平日午後に東京・日比谷で見た「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」は、
同時代を生きた人を中心に映画館は8割ほどが埋まり、題材が題材だけに客席のマスク姿が妙に似合っていた。

 1969年5月、東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会は一触即発。
その伝説の映像を識者の解説を交えて公開する。

 三島は警視庁の警護を断り、1000人の学生と対峙した。
だが、三島は学生の挑発に乗らず、互いに真摯な思想をぶつけあう。

今の国会討論より数倍、見応えがある。

 映画の開始早々、客席の一部がざわついた。
初老の男は三島が登場するや「嘘つき」「口パクだ」と毒づいた。
「アメリカに嫉妬しているんだろ」などと、答えの返ってこないスクリーンに向かって罵る。
周囲が諫めても聞く耳を持たない。これは絶叫上映会なのか? 
途中、映画館のスタッフが注意に来たが、そのときだけは黙っていたらしい。

 終演後、「こっちはお金払って見てるんだから、なんとかしてくれよ」とスタッフに詰め寄る客も。
こちらも同感ではあったが、途中から男のタイムスリップしたやじが、まさに「50年目の」反応なのかと、思いいたった。

過去の映像が届けてくれた三島と学生の言葉は今も生きている。(中本裕己)

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【三島由紀夫 ・年譜】 (25112)
日時:2020年03月29日 (日) 22時53分
名前:志恩


1925年(大正14年)1月14日
◎東京市四谷区(現・東京都新宿区)に、
元農林省水産局長の父・平岡梓と母・倭文重の長男として生まれる。

本名・公威(きみたけ)。
幼時は 祖母 の膝元で育てられる。
(志恩;注:この祖母が 生長の家の信徒だった)


1931年(昭和6年)
4月◎学習院初等科入学。詩歌、俳句に興味を持ち始める。


1937年(昭和12年)
4月◎学習院中等科進学。文芸部所属。

1938年(昭和13年)
3月◎初めての短編「酸模」を校内誌「輔仁会雑誌」に発表。

1938年(昭和13年)
3月◎初めての短編「酸模」を校内誌「輔仁会雑誌」に発表。


1940年(昭和15年)
◎校内誌「輔仁会雑誌」に「彩絵硝子」などを発表。


1941年(昭和16年)
9月◎「花ざかりの森」を同人誌「文芸文化」に発表、連載。
初めて三島由紀夫というペンネームを使う。

1942年(昭和17年)
4月◎学習院高等科文科乙類(ドイツ語)進学。
7月◎同人誌を創刊。


1944年(昭和19年)
5月◎兵庫県で徴兵検査を受け、第二乙種に合格。
9月◎学習院高等科を首席で卒業し、天皇陛下より銀時計を拝受。
10月◎東京帝国大学法学部に推薦入学。初の短編集「花ざかりの森」刊。


1945年(昭和20年)
2月◎入隊検査の際に、軍医に誤診されて即日帰郷。
8月15日◎東京で終戦を知る。


1946年(昭和21年)
6月◎川端康成の推薦で「人間」に「煙草」を発表し、本格的に文壇に登場。


1947年(昭和22年)
11月◎東大卒業。「岬にての物語」刊。
12月◎高等文官試験に合格。大蔵省銀行局に勤務。

1948年(昭和23年)
9月◎創作に専念するため大蔵省退職。
11月◎「盗賊」刊。


1949年(昭和24年)
7月◎「仮面の告白」刊。


1950年(昭和25年)
6月◎「愛の渇き」刊。
7月◎金閣寺放火事件勃発。
12月◎「青の時代」刊。

1951年(昭和26年)
12月◎アメリカ、ブラジル、ヨーロッパを旅行。

1953年(昭和28年)
◎「三島由紀夫作品集」の刊行が始まる。

1954年(昭和29年)
6月◎「潮騒」刊。
12月◎「潮騒」で新潮社文学賞受賞。

1956年(昭和31年)
10月◎「金閣寺」刊。


1957年(昭和32年)
1月◎「金閣寺」で読売文学賞受賞。
3月◎「鹿鳴館」刊。


1958年(昭和33年)
6月◎川端康成の媒酌で画家杉山寧の長女・瑤子と結婚。剣道を始める。


1959年(昭和34年)
6月◎長女紀子誕生。
9月◎「鏡子の家」刊。

1960年(昭和35年)
3月◎映画『からっ風野郎』で主役を演じ、主題歌を歌う。
5〜6月◎安保闘争。
11月◎「宴のあと」刊。

1961年(昭和36年)
1月◎「憂国」発表。

1962年(昭和37年)
5月◎長男威一郎誕生。
10月◎「美しい星」刊。

1963年(昭和38年)
9月◎「午後の曳航」刊。


1964年(昭和39年)
10月◎東京オリンピック開催。「絹と明察」刊。


1965年(昭和40年)
4月◎「憂国」を自らの監督・主演で映画化。
10月◎ノーベル文学賞候補に。

1966年(昭和41年)
1月◎「サド侯爵夫人」で文部省芸術祭賞受賞。
4月◎「憂国」刊。
6月◎「英霊の声」刊。芥川賞選考委員就任。


1967年(昭和42年)
4月◎陸上自衛隊に体験入隊。
12月◎航空自衛隊のF104戦闘機で超音速飛行を体験。


1968年(昭和43年)
3月◎学生19名と社会人1名と陸上自衛隊に体験入隊。
7月◎「文化防衛論」発表。
10月◎楯の会結成。


1969年(昭和44年)
5月13日◎東大全共闘討論会。
8月◎映画『人斬り』に出演し、切腹を演じる。
11月◎国立劇場の屋上で「楯の会」結成1周年パレードを行う。

1970年(昭和45年)
3月◎アメリカの「エスクァイア」誌の企画「世界の100人」に芸術家として
 日本よりただ一人選ばれる。

11月25日◎「豊饒の海」最終巻「天人五衰」の最終回原稿を編集者に残し、
     4人の楯の会隊員と自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起、その後、東部方面総監室にて
     森田必勝の介錯で自決。

11月26日◎自宅で密葬。


三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました 341 「NEWS23」スタッフノート (25113)
日時:2020年03月29日 (日) 23時19分
名前:志恩

https://note.com/news23/n/nb7cee2963258

1968(昭和43)年10月に楯の会を三島由紀夫は結成し、【三島由紀夫VS東大全共闘】は1969年5月に行われ、翌年の11月に三島由紀夫は自決したのですが、あれから約45年経った今、日本はどうなっているでしょうか。そして、あの当時の、谷口雅春先生と、谷口雅春先生対する絶対の随順と尊崇を抱いていた三島由紀夫の歴史的認識は、どこに共通点があったのでしょうか。 (25114)
日時:2020年03月30日 (月) 00時01分
名前:志恩

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【三島由紀夫VS東大全共闘】

「討論のテーマは
天皇陛下に移行します。」と「その解説」より、再掲:

1969(昭和44)年5月

🟢三島
「私のいう天皇というものは
 現実の天皇つまり統治的天皇と、文化的、詩的、神話的天皇とが、
 一つの人間でダブルイメージを持ち、二重構造をもって存在している」

🟣全共闘G
「要するに天皇というものは一体何のためにあるかというと、
 固い言葉を使うならば、ブルジョア秩序総体を、
 ある程度補完する意味で、天皇があるということ。

 それはハッキリと見せておかなければならない」
「そこにおいて三島さんがそういう天皇の理念形態をたてること自体、
 空想以上の何物でもない」


 天皇主義者でありつつも
 戦後の天皇制を批判していた三島。

社会学者の宮台真司氏はこう話します。

●社会学者 宮台真司氏
「戦後、天皇主義者が一夜にして民主主義者に変わる。
 この連中は三島に言わせるとただの”一番病”。」

「周りが天皇主義的な空気だったら、”はい、僕が天皇主義者です!”と手を上げ、
 周りが民主主義の空気に代わると、
 "はい、私が一番の民主主義者です!"と手を上げるタイプの、
  本当に空っぽな入れ替え可能な存在」

「そういう空っぽのクズが日本人であり、日本もそうなっていると」

「それを回復するためには、一番病の道具としての天皇ではなく、
 心から、細胞の一つ一つまで天皇が宿るような構え。
 それだけが日本を日本にし、日本人を日本人にするのだと考えた。
 これが三島の思想ですね」



🟢三島
「僕らは戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が座っておられて、
 3時間全然微動もしない姿を見ている。
 とにかく3時間、木像のごとく全然微動もしない。(学習院高等科の)卒業式で。
 そういう天皇から(首席卒業の)私は時計をもらった。」

「そういう個人的な恩顧があるんだな。こんなこといいたくないよ?俺は。
 言いたくないけどもだね、人間の個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。
 そしてそれがどうしても俺の中で否定できないのだ。
 それはとてもご立派だった。その時の天皇は」

 そして、三島は
 学生たちにこう訴えかけました。



🟢三島
「これはあなた方に論理的に負けたということを意味しない。
 つまり諸君が天皇を天皇だと、ひと言言ってくれれば、
 俺は喜んで諸君と手をつなぐのに、
 言ってくれないから、いつまで経っても殺す殺すと
 言っているだけのことさ。それだけさ」



 約2時間半にわたり続けられた討論。
「極左」と「極右」
 思想的にかけ離れていたと思われていた
 両者でしたが
 最後に三島はこう結んでいます。



🟢三島
「天皇ということを口にすることも汚らわしかったような人が、
 この2時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、
 天皇なんて言ったはずがない。」

「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び回ったんです。」

「この言霊がどっかにどんな風に残るか知りませんが、その言葉を、言霊を、
 とにかくここに残して私は去っていきます。これは問題提起に過ぎない。」

「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、
 これだけは信じるということを分かっていただきたい」

この討論会について
「大変愉快な経験であった」と記した三島。
翌年、1970年11月25日。自決。
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今から約45年前の時代の、谷口雅春先生と三島由紀夫の共通の歴史認識。 (25117)
日時:2020年03月30日 (月) 04時02分
名前:志恩

【三島由紀夫VS東大全共闘】は(昭和44)1969年5月13日に東大の駒場キャンパスで、
東大の全学連の学生1000人対、三島由紀夫一人にて 行われた2時間半にわたる討論。
__________________________________________________________________________
この討論が行われた時代の、【時代背景】とは、
(ウィキ参照)
共産主義思想家に背後で操られていた全学連の学生たちが、各大学で
バリケード ストライキなどの武力闘争をやり、
「日米安保反対、日米安保反対」と叫びながら、デモ行進をするという街頭闘争を行ったり
天皇陛下のことは、馬鹿にして「天ちゃん」と呼んだりして、
日本国じゅうが左翼に乗っ取られて荒れに荒れていた時代でした。

【全共闘】は、
東大の全学連が発端で、その背後には、共産主義思想があったのですが、
全国の大学の全学連の組織に入っている学生が、国や大学に対して、共に闘う
という意味が全共闘です。

1968年から1969年にかけて 日本の各大学で、その学生運動は
特に盛んでした。

三派全学連(共産主義者同盟、革命的共産主義者同盟全国委員会、社青同解放派の全学連)や、
それを支持した二次ブント・革共同その他の新左翼諸党派との関連が、中心でした。

全学連の中でも、東大全共闘が有名でありました。

東大全共闘では「大学解体」「自己否定」といった主張を掲げ
マスコミが伝え、広く流布しました。
「実力闘争」を前面に出し、デモでの機動隊との衝突では
投石や「ゲバ棒」(ゲバルト棒)も使われました。

一般には、
1970年代に入り、新左翼諸党派間で内ゲバにより累計100人以上の殺人が発生したほか、
連合赤軍によるリンチ事件およびあさま山荘事件や、日本赤軍によるよど号ハイジャック事件などの
事件がありました。
__________________________________________

つまり、全学連の背後に存在していたのは、左翼思想家や共産主義思想家でしたから、
それは、日本国の伝統である 天皇制 を解体する思想だったわけです。
天皇陛下を中心にした日本の国体が、ひどく危ぶまれていた時代だったのです。

谷口雅春先生は、この頃、天皇を中心にされた国体を護持する運動をされ、そのために
共産主義思想を敵に回して、生長の家総裁として、生長の家の全組織を挙げて
闘っておられました。

三島由紀夫も、天皇陛下を日本の中心に置くという日本の国体を護持するために
共産主義思想家は、敵だと、いう闘いをされてました。


これが、この当時の
谷口雅春先生と三島由紀夫の共通の歴史認識であったと理解しています。

三島由紀夫は、昭和43年10月に、なぜ、「楯の会」を立ち上げたかと言いますと
もしも自衛隊が日本の天皇陛下を護れなかったら、楯の会が命を張って、盾となって
天皇陛下をおまもりしようという貴い高いこころざしのもと、立ち上げられたのでした。

______________________________________________________________________________________________

あれから約45年という歳月が流れました。
現代の大学には、全共闘は、ありませんし、
谷口雅春先生が支持されていた自民党の議員さんたちも、
今の時代は、
アメリカや、公明党のご機嫌伺いをして政策を決めているという
情けない有様です。

ですから、今の時代は、安倍政権に対しては、
その政策により、われわれ国民は、是々非々で
考えていかないと、日本国民はモルモットにされてしまう危険な時代に
なっております。


 (25118)
日時:2020年03月30日 (月) 04時33分
名前:pyua

ですから、三島は、生涯を通して、同性愛者だったのか、どうかは 不明なところです。

 (25119)
日時:2020年03月30日 (月) 04時46分
名前:習慣

ですから、三島は、生涯を通して、同性愛者だったのか、どうかは 不明なところです。


妻子がいるのと平行して性癖が変わらなかったというなら、妻子を裏切っているという矛盾を抱え、社会がどうのといきどうるには自他に説得力が失せますからね。きっと性癖であった同性愛は無くなっていたのでしょうかね。



習慣さんへ (25120)
日時:2020年03月30日 (月) 05時27分
名前:志恩

三島由紀夫は、24歳の時の初期小説に
自分は同性愛者なのだということを告白した小説を書いていましたが、

私は、三島が生涯、そうだったのかどうか、
あのコメントを書いた時点では、不明だったのですが、

「三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました 341 「NEWS23」スタッフノート (25113)」スレッドを、文だけ読んでいたのですけれど、

今さっき、あのところに貼付されてあった動画も見てみましたところ
1つの動画で、
三島が、それについて語っているものがありました。

結論を先に申し上げますと、同性愛は、だんだんそういう
ものが嫌になって、というように語っていますから、
ある時期から、同性愛は、やめていたようです。

三島由紀夫の言葉
「エロティズム、これは全くサルトルの言う
いわゆる猥褻感でありまして.......
私の初期の小説は、エロティックのみ社会に
関わっていて、大江健三郎とよく似ていたと
思うのですが、
そのうちにだんだん、そういうものが嫌になって、
どうしても一つの関係に 入りたくなっていった。
それが対立を生むことになって....」

と、表現は、文学的ですが、
同性愛は、ある時期から、やめたんだな、と、
この動画を視聴して、
私は、思いました。


 (25135)
日時:2020年03月30日 (月) 13時08分
名前:習慣

>>>男女の愛への試みと挫折が、苦痛と悲哀に満ち

とありますから、この客観が合っているならば、愛したからではなく、愛そうとしてみたがなんらかの挫折を経験したのでしょうかね。
相手のあることですから、それがやはり「女」を真底愛せなかったのか、一人に縛られる結婚という関係性に抵抗したのか、その相手とは駄目だったのか、推測の域を越えませんね。仮面の告白を読みたくなってきました。

『仮面の告白』のブックレビューは、85こ、ありましたが、ほとんどの人が五つ星をつけているのには、驚きました。 (25136)
日時:2020年03月30日 (月) 14時40分
名前:志恩

習慣さんー

>>>男女の愛への試みと挫折が、苦痛と悲哀に満ち

>>とありますから、この客観が合っているならば、愛したからではなく、愛そうとしてみたがなんらかの挫折を経験したのでしょうかね。
相手のあることですから、それがやはり「女」を真底愛せなかったのか、一人に縛られる結婚という関係性に抵抗したのか、その相手とは駄目だったのか、
推測の域を越えませんね。仮面の告白を読みたくなってきました。<<
____________________________________________
アマゾンコムのブックレビューより
(最初のほうの2つだけ転載します。)

🔵日本文学研究者のドナルド・キーンはノーベル文学賞の候補に川端康成ではなく三島由紀夫を推していたそうだ。

歴史に「もし」はないというが、もし三島が自決せずに、もしノーベル文学賞を受賞していたら、
日本文学界の景色はかなり変わっていただろう。この作品は三島の最初の長編書き下ろし作品だという。

 先日平野啓一郎の『日蝕』を読んで、彼が「三島由紀夫の再来」と言われているのを見て、
しばらく三島を読んでいないと思いこれを引っ張り出した。

 三島はこの小説でフィクションを書くと言っていたそうだが、
この「仮面」の裏側にあるのは三島自身であり、それは自画像ではないかと言われる。
『仮面の告白』というタイトルが言うとおり、三島自身の自伝であるという論に賛成したい。

 全体を通して一貫していることは、異性に対してではなく同性に心を動かされていたということだ。
終いには自分でも恋していると思っていた園子さえ避けてしまった。女性に対して興味を持てなかったことを告白している。
今でこそ芸能人などがカミング・アウトする姿が報道されるなどしてあまり違和感がなくなってきたが、
当時は恐らくかなりセンセーショナルな話題であったのだろう。
『仮面の告白』というタイトルがあまりに相応しく思えてくる。



🔵.私と、近江が腕を組んで歩いているのさえ、格別目立つ風景ではない筈だった。
しかし、彼の腕に凭れて歩きながら、私の喜びは無上であった(P67〜)。
・・これは、三島由紀夫先生の自伝的小説と受けとる方がいい(P264)。少年時代は性に目覚める時代である。
誰しも。本書は昭和25年の先生の青年期の作品である。

その後昭和45年11月25日市ヶ谷自衛隊で自決される3年前、42年に「葉隠入門」をお書きになりました。
その中で、葉隠は恋愛哲学である。それは、もっとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨てても
つくすべき理想に一直線につながるという確信である。

葉隠の恋愛哲学はここに基礎を置き、当時女色よりも高尚であり、精神的であると見なされた男色を例に引いて
・・そのまま「主君に対する忠義」に展化されると考える、(葉隠入門62ページ)。
仮面の告白での三島先生の「精神」が三島由紀夫先生自決にまで繋がると思いました。71歳

__________________________________________________________

三島由紀夫 『仮面の告白』を購入しない閲覧者の皆様宛に、この本のおおまかなあらすじ もサービスでおつけします。LGBT文学の先駆作を解説 更新日 : 2020年3月13日 (25137)
日時:2020年03月30日 (月) 14時59分
名前:志恩

https://rhinoos.xyz/archives/19946.html


志恩ー
仮面の告白のブックレビューの中に
園子という名が出て参りましたので
「三島由紀夫と園子」で検索しましら
おおまかな
あらすじを載せてる人がいました。

高倉健と三島由紀夫と奥さんのエピソードがネットに載っていました。 (25177)
日時:2020年03月31日 (火) 10時48分
名前:志恩

https://blog.goo.ne.jp/fuwafu-wa/e/3a698a1fa4eaefb70f39f0ae7eb0c0fe

____________________________________________________
⬇️三島由紀夫が珍しくご家族と一緒に写っている写真
奥様と二人の幼いお子さん
1階のほうに三島由紀夫が

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d6/e38bb4231e8d2802270ee324d4318855.jpg

三島由紀夫と美輪明宏の親密な関係の真相は?!恋人同士だったの?! 歌手の美輪明宏さんと日本を代表する三島由紀夫さん。三島由紀夫さんは生前、美輪明宏さんとの親密な仲でしたが、その本当の関係が気になります。三島由紀夫さんの片思いとも言われていますが、2人の間に恋愛感情はあったのでしょうか? (25178)
日時:2020年03月31日 (火) 11時10分
名前:志恩

https://career-find.jp/archives/118687



志恩ー

だんだんと三島由紀夫さんについての高尚だった話題が、
こんどは女性週刊誌っぽい話題になって参りました。

本流第二掲示板の管理人さんのほうから
以前のように「トキ掲示板は、低級だぞ!」というような
鋭いヤジが またもや 飛んで来そうな あぶない気配を
感じておりますが、

三島由紀夫と美輪明宏は、恋人同士だったのか?
ということを気にされてるお方のご発言もございましたので
一応、それに関することが記されている記事も
載せさせていただくことにいたしました。

三島由紀夫には子供は何人いた?その子供達の現在から妻まで調査しました! 今回フォーカスしたのは三島由紀夫さん。国語の教科書にも小説などが登場し知らない人がいないくらいだと思いますが、ノーベル文学賞候補になるくらいの大作家。そんな三島由紀夫さんの子供について調べてみました。その子供は現在どうしているのでしょうか? (25179)
日時:2020年03月31日 (火) 11時15分
名前:志恩

https://career-find.jp/archives/119926

2020/3/31 10:47神戸新聞NEXT ドキュメンタリー映画三島由紀夫vs東大全共闘 「三島の言葉の力確かめて」内田樹氏 (25182)
日時:2020年03月31日 (火) 16時59分
名前:志恩

2020/3/31 神戸新聞より

内田樹ー



全共闘運動はピークを越えていたが、討論会には千人を超える学生らが集まった。
70年に東大へ入学する内田氏は当時、浪人生。「水と油ほど考えが違う両者がなぜ」と、
討論会が成立したこと自体に驚き、やりとりを詳報する書籍が発売されると、
むさぼるように読んだという。

 会場で、
全共闘側は「自分と他人」「認識と行動」「時間と空間」「天皇制」といった論点を掲げ、
時に挑発的に三島を論破しようと試みる。

それに対し三島は終始、誠実で上機嫌な態度を貫いた。

内田氏は「三島にとって、学生を論破するのは赤子の手をひねるくらい簡単なことだった」
というが「雄弁術を自制し、胆力とユーモア、包容力がある男だと印象づけることにこそ
気を使っていた」とみる。

 民兵組織「楯(たて)の会」を率いていた三島。

自衛隊の一部とともにクーデターを起こすことを本気で考え、東大生の一部をその仲間に
引き入れようとしていたのではないか−というのが、内田氏の見立てだ。

 「体を張って国家権力と戦ってきた何人かの学生を、
立場を超えてリクルートできると信じていたのだろう」と内田氏。

映画では、討論会の後で三島から「楯の会」に入ることを誘われたことを
打ち明けた元学生も登場する。

 「20歳そこそこの学生の言葉にほとんど生活実感、
身体実感が感じられず、まったくの空語だった」
と内田氏が語る討論。

しかし、画面から伝わってくる熱量は圧倒的だ。

 あの日から半世紀。

「三島と何人かの学生は、自分の主義主張に殉じて死ぬ気があった。

そんな時代があったこととともに、自分の主張を貫いて投獄される覚悟がある人すら
皆無な現代日本の軟弱さに気がついてほしい」



https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013235744.shtml

【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 2020年3月22日  (25183)
日時:2020年03月31日 (火) 18時05分
名前:志恩


この討論会は書籍化はされているが、ここまでまとまって
映像が作品化されるのは初めてだろう。
TBSに秘蔵されていたフィルムということで、歴史的価値は大きい。

しかし本作は「過去の遺物を垣間見る」という以上の強烈な面白さをはらんでいる。

この作品を面白く鑑賞するためには、
それなりの予備知識が必要だ。まず三島由紀夫。

戦後を代表する作家であり、この討論会の翌年に市ヶ谷の自衛隊に突入し、
自決して果てたのは誰でも知っている。

もうひとつの知識として、
三島が日本の戦後社会をどう見ていたのかということを知っておく必要がある。

大正生まれで戦中派の三島は、終戦時に20歳で東京帝大の学生だった。

招集され学徒出陣するはずだったが、入隊検査で肺浸潤が見つかり即日帰郷となる。

病床で終戦を迎えた。多くの若者が戦死した中で自分だけは戦場にも行かず、
生き残ったということへのわだかまりが、三島の精神に長く暗い影を落とすことになる。

その帰結が、1960年代の三島の「右旋回」だった。

終戦後に人間宣言した昭和天皇を否定し、「天皇」を古代から続く日本の歴史と文化の中心であり、
の天皇個々人の人格を超えた、抽象的な「神聖」の概念だと捉えるようになった。

三島はその「天皇」という概念によって、彼が堕落したと見ていた戦後社会がひっくり返せる
と考えたのだ。

では、討論の相手だった東大全共闘とは何か。

1960年代末は日本のあちこちで学生運動が起こり、さまざまなセクトができたが、
それらのセクトが大学ごとに集まって作ったのが「全学共闘会議」、すなわち全共闘。

東大全共闘というと、この討論会の少し前に本郷キャンパスの安田講堂を学生が占拠し、
機動隊と対決した「安田講堂攻防戦」が有名だ。

東大全共闘のユニークさは、もっと別のところにある。

東大生たちは、受験戦争を勝ち抜いたエリートである。
戦後民主主義は平等を教え、自分だけが利益を得ることは倫理に反すると教えたが、
受験エリートはそうした戦後の価値観をもともと否定したところに成り立っている。

加えて、いくら学生運動に邁進して反体制を唱えても、卒業後には官公庁や大企業などでの
エリートの座が約束されている。

これらの現実に対する「罪悪感」が、東大全共闘の根底にあった。

自分たちは資本主義を口では批判しながら、
実は資本主義を支える側じゃないか、という強烈な自己矛盾があったのだ。

だから他の大学では学費値上げ反対や自治会の自主独立など、おおむね具体的な運動目的が
あげられていたのに対し、東大闘争だけはまったく違った。

「自分たちの生き方を変えていかなければならない」
「自分たちにとって学問とは何なのか」という抽象的な理念が目標として
掲げられたのである。

つまりはエリートである自分を否定しなければ運動は始まらないという、
当時流行した言葉でいえば「自己否定」をテーマとしたのだ。

この自己否定と自己の変革という話は、本作の討論にもところどころに出てくる。

東大全共闘屈指の論客と呼ばれていた芥正彦(のちに劇作家・演出家)とのやり取りが面白い。

三島が目の前の木製の机をさして言う。

「机は授業のためにあるが、バリケードの材料にもなる。
生産関係から切り離されて、戦闘目的に使われているということだ。
しかしそれは諸君が生産関係から切り離されているからではないか。
それが諸君の暴力の根源ではないのか」

つまり、しょせんは働いていない学生じゃないかと皮肉を飛ばし、
生産関係という資本主義から切り離されてる。

だから運動は持続しないんじゃないかと迫ったのである。

に対して芥は鋭く言う。

「大学の形態の中では机は机だけど、大学が解体されれば定義は変わる。
 この関係の逆転に革命が生まれるんだ!」

このあたりのやり取りは今見ても、実にスリリングである。
芥正彦の鋭い応答に、三島もたじたじとなっている感がある。しかし本作で最も面白いのは、後半になって出てくる天皇についてのやりとりだ。

小阪修平(のちに評論家)から天皇観について聞かれ、三島はこう答える。

「天皇親政と直接民主主義には区別はなく、ひとつの共通要素がある。それは国民の意志が、中間的な媒介物を経ないで国家意志と直結することを夢見ているということだ」

端的に言い切ってしまえば、

三島にとっての「天皇」というのはルソーの一般意志のようなものなのだろう。
三島がこう答えているときに、会場からヤジが飛ぶ。
「チンはたらふく食ってるぞ なんじ臣民飢えて死ね」。

終戦直後の窮乏期にデモのプラカードに書かれた有名な言葉だが、
三島はヤジにこう返す。

「「もし本当に天皇がたらふく食ってたブルジョワジーだったら、革命は簡単にできただろう。
そうじゃなかったから革命は難しいのじゃないのか」

つまり天皇とは概念であり、たらふく食ったりする実在の人間ではない。
続けて三島は言う。

「それは民衆の底辺にあるものなのだ。それに私は天皇という名前を与えている」

これに芥がかみつく。

「天皇と自己を一体化させることに美を見出すわけ?」。

三島は

「そうだね」と答える。

芥「それはオナニズムじゃないか。あなたは日本人であるという限界を
  超えることはできなくなってしまうだろう」

三島「できなくていいんだよ。僕は日本人として生まれ、日本人として死んで、
  それでいいんだよ。その限界を抜けたいとは全然思わない」

芥「人間には最初から国籍なんかない」

三島「それは自由人として尊敬するけれども、僕は日本人であることを否定しない。
   そこに喜びを感じるのだ」

ここで芥は「僕はもう帰るわ。退屈だから」と吐き捨てて、壇上から去ってしまう。

しかしこのあたりから、

討論会の会場には不思議な空気が流れ始める。

1000人の全共闘学生と三島のあいだに、なにか共感のようなものが生まれてくるのだ。

小阪修平が言う。
「天皇という観念を三島さんも全共闘も共有できるのだったら、
 そこに天皇という名前をつける必要はないのでは」。

これに三島はなんとこう答える。
「天皇とひとこと言ってくれれば、僕は諸君と手をつなぐのに」

三島は、日本の戦後保守が親アメリカになっていることに反発していた。
それに比べれば全共闘は左翼であっても、反米である。

だったら全共闘とはナショナリズムという一点で共通しているのではないかと
三島は考えていたのだ。

そして、そのハブとなるのが天皇概念だと考えたのだ。

ではもし、三島と全共闘がともに手をつなぐことがあったとしたら、
共通の敵は存在したのだろうか? 

それに対する答えも本作の終わりの方で用意されている。

「熱情」と題された本作の最後のパートは、実にスリリングで面白い。

ハードルの高い作品だが、

日本の戦後の左右のイデオロギーとはいったい何だったのかについて
考えたい人には、かなりお薦めできる。

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https://eiga.com/news/20200322/4/

 (25185)
日時:2020年03月31日 (火) 18時58分
名前:習慣

ですから、ネットで調べたのですが、三島は自分のことを「あたい」と言ったりしてたそうです。
私は、同性愛者は、個人的には、キモくて、大嫌いなんですけれど、生理的にも受け付けられないのですが、

三島の場合は、その性癖を大きくカバーするほどの、別の面で、知的さやら、天才的な文学的才能やら、真面目さやら、育ちの良さやら、純粋さやら、人間的魅力さやら、を兼ね備えて持っていた人なんだろうな、と思っております。>


性癖をカバーといいますか、
三島を理解しようとするなかにおいて、いかなる門からであっても、それぞれに愛を学んでいるのだという認識が、すべての同性愛者に拡がっていくと更に奥深くなりますね、もともと両性具有なのですから。

 (25187)
日時:2020年03月31日 (火) 20時26分
名前:転載移転


三島由紀夫は同性愛者ではなかった (25186)

日時:2020年03月31日 (火) 19時42分
名前:千葉教区青年会会員

習慣さんへ (25120)
日時:2020年03月30日 (月) 05時27分
名前:志恩

三島由紀夫は、24歳の時の初期小説に
自分は同性愛者なのだということを告白した小説を書いていましたが、

私は、三島が生涯、そうだったのかどうか、
あのコメントを書いた時点では、不明だったのですが、

「三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました 341 「NEWS23」スタッフノート (25113)」スレッドを、文だけ読んでいたのですけれど、

今さっき、あのところに貼付されてあった動画も見てみましたところ
1つの動画で、
三島が、それについて語っているものがありました。

結論を先に申し上げますと、同性愛は、だんだんそういう
ものが嫌になって、というように語っていますから、
ある時期から、同性愛は、やめていたようです。

三島由紀夫の言葉
「エロティズム、これは全くサルトルの言う
いわゆる猥褻感でありまして.......
私の初期の小説は、エロティックのみ社会に
関わっていて、大江健三郎とよく似ていたと
思うのですが、
そのうちにだんだん、そういうものが嫌になって、
どうしても一つの関係に 入りたくなっていった。
それが対立を生むことになって....」

と、表現は、文学的ですが、
同性愛は、ある時期から、やめたんだな、と、
この動画を視聴して、
私は、思いました。

頭脳の中に在る現実、国体の精華の内に身体も住むことができれば、馘が飛ぶことはなかったかもしれない。 (25190)
日時:2020年03月31日 (火) 23時54分
名前:芸術家は嘘がつけない。

国家防衛の中枢である駐屯地の総監室に於いて、国体の理知的精華である頭部と生命体としての、情念を内包している国家の象徴である胴体部分が、氏の云うところの道理、その執行者としての介錯人によって切断された。

「其人民政治の権を失いて他国人の制御を受くるときは、則ち之を名づけて国体を断絶したるものという」(福沢諭吉)

戦後の日本を文字通り体現している。

【持丸博】「楯の会」初代学生長が語る在りし日の三島由紀夫[桜H22/11/20] (25191)
日時:2020年04月01日 (水) 00時54分
名前:アクエリアン

https://www.youtube.com/watch?v=uzh2CEhHmwo

三島由紀夫氏が自決をしてから40年目を迎える今年。「憂国忌」に先だって、「楯の会」初代学生長を務められた持丸博氏らが、在りし日の三島由紀夫について語った講演会の模様をお送りします。


登壇:

 水島総(日本文化チャンネル桜 代表)

 湯澤貞(元靖國神社宮司)

 松浦芳子(東京都杉並区議会議員)

 持丸博(「楯の会」初代学生長)

____


この動画の最初に挨拶されている松浦芳子さんは、生学連で活動されていた方で、鈴木邦男さんの紹介で、持丸博さんと会われて、それが縁で結婚されることとなりました。

持丸博さんは、三島さんが最も信頼されていた方でした。

中杉弘氏の「三島由紀夫と全共闘」 (25195)
日時:2020年04月01日 (水) 07時48分
名前:アクエリアン

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12586139898.html

※細かいことはどうでもよいのです。結論は、こうです。三島は「日本は天皇がつくった国である。天皇の文化が花咲いた国が日本なのだ」という立場です。「天皇が悪い。ぶっ殺せ!」とは、まるっきり違う立場です。その立場を表したのですが、全共闘は三島由紀夫に反論できなかったのです。


 「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」という映画が上映されています。大変な人気で新聞でも宣伝しています。

 三島由紀夫という人は、偉大な人です。ずいぶん、いろんな人を感化しています。まず、全共闘の委員長だった西部邁です。西部邁は、バリバリの左翼だったのですが、三島由紀夫が影響を与えたのです。西部邁は、右になってしまったのです。

 石原慎太郎も左のリベラリストだったのですが、三島由紀夫に感化されたのです。石原慎太郎は一橋大学の時に社会心理学の南博ゼミに所属したのです。バリバリの左翼だったのです。

 三島由紀夫は知らない間に、相当の人間を感化していたのです。これが目的だったのです。三島由紀夫は何の感化をしたかったのかというと、政治目的ではありません。

中杉弘氏のブログより

中杉弘さんも、三島由紀夫さんに感化された一人のように思います。

今回は、三島由紀夫が29歳の時、書き下ろしたという第10作目の長編小説『潮騒』(新潮社文学賞取得)を取りあげさせていただきます。アメリカで翻訳されたものがベストセラーになり、世界各国でも翻訳されて発売されているそうです。この作品は、5回も映画化され、私は『潮騒』の映画は、山口百恵と三浦友和が主演(1975年)のを昔、観ました。でも、原作者が三島由紀夫だということは、忘れていましたので、改めて、三島の文学的才能を見直しているところです。このような優れた才能の持ち主だった三島が、彼が45歳の、あの時、自分の才能や名誉や、奥様や、まだ幼いお子さんが二人もいたのに、全てを捨てて、国のために、あのような思い切ったことをされ、割腹自決した心情を考えますと、凡人では理解し得ない、国を憂い未来を想う深い想いがあったからなのでしょうね。。 (25198)
日時:2020年04月01日 (水) 10時08分
名前:志恩

[ 潮騒 (小説)]
作者三島由紀夫 (刊行新潮社 1954年6月10日)
受賞第1回 新潮社文学賞(1954年度)


答志島から望む神島

『潮騒』(しおさい)は、
三島由紀夫の10作目の長編小説。中編小説とみなされることもある。

三島の代表作の一つで、何度も映画化されるなど一般的にも人気の高い作品である。
三重県鳥羽市に属する歌島(現在の神島の古名)を舞台に、若く純朴な恋人同士の漁夫と海女が、
いくつもの障害や困難を乗り越え、成就するまでを描いた純愛物語。

1954年(昭和29年)6月10日に書き下ろしで新潮社より刊行された。
たちまちベストセラーとなり、第1回(1954年度)新潮社文学賞を受賞した。

刊行後すぐに複数の映画会社が映画化をめぐり争奪戦となり、
アメリカでも翻訳出版されベストセラーとなった。文庫版は翌1955年(昭和30年)
翻訳版はメレディス・ウェザビー訳(英題:The Sound of Waves)をはじめ、世界各国多数で行われている。

三島由紀夫原作  映画『潮騒』百恵ちゃんの歌つき
(3:33)
https://www.youtube.com/watch?v=CGYtQEpzWGU

三島由紀夫の奥さんも、大したお人だった、という証言がございます。そして、三島由紀夫は奥さんを愛しており、奥さんも三島を深く愛しており、二人の魂は強い絆で結ばれていたのだということです。 (25201)
日時:2020年04月01日 (水) 12時02分
名前:志恩

私が、先のスレッドに貼付させていただいたURLの中から引用ー

三島由紀夫の奥さんについて書かれてある情報より

>>割腹自決についてですが、あの事件を三島由紀夫が起こしたあと、
奥様は関係する人で、怪我をした一人一人に謝罪してまわったり、
総監室の血まみれになったソファー、カーテン、絨毯、机の
補償額600万円を
すぐに支払われたそうで、なかなかしっかりした人だったみたいです。

(志恩:注;今の時代の、600万円では、ありません。今から45年前の
 600万円ですから、今の時代の金額に 換算しますと、もっともっと
 大金になります。)


 それに、三島由紀夫没後、
この奥様は数々の関連書籍の出版停止、回収、絶版騒動を起こされたそうです。

 関連書籍の騒動は、私の推測では一見、尋常ではない事件を起こしてご主人を亡くされて
いますので、中には誹謗中傷する人も、沢山、いたと思うのです。

だから、当時、幼かったお子さんへの悪しき影響や諸々の懸念から、
あのような騒動を起こしたのではないでしょうか?
 母親にとって大切なのは、わが子の健やかな成長ですから、
奥様の行動は、私はよく分かる気がします。

 だったら、三島由紀夫はあんな事件を起こさなければよかったのにというご質問ですが、

ここで私が、あなたに気づいてほしいのは、
三島由紀夫亡き後、奥様が再婚しなかったという点です。

 そして、もう一人、思い起こしてほしいのは、
三島事件の起きる7年前に暗殺されたアメリカの大統領ジョン・F・ケネディの奥さんのジャクリーンです。
 ジャクリーンは、大富豪のオナシスと再婚してますよね?
 普通に考えたら、三島由紀夫は自ら死を選んだのだから、奥様が再婚しても誰も文句は言
わないはずなのに、自分の意志とは関係なく、突然、命を奪われたケネディの奥さんの
ジャクリーンの方が再婚するって、おかしいと思いません?

 三島由紀夫にも、ケネディにも、共に幼い二人のお子さんがいたのだから、
妻としての境遇はまったく同じなんです。

 そりゃあ、オナシスは 大富豪だから、
ジャクリーンは お金に目が眩んだのさという人もいるかも知れません。


 でも、私は ジャクリーンは、ケネディに愛されてたという実感がなかったから、
再婚しちゃったのだと思います。

 ケネディの女好きは超有名で、結婚してからも何人もの女性と関係があり、
そのなかには
セックス・シンボルと言われたあのマリリン・モンローまでいたんです。

 そのマリリン、1962年のケネディの45歳の誕生日パーティで、体の線も露なドレス
姿で、「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」をお色気ムンムンで歌ってるんです。
当時、ジャクリーンはケネディとマリリンが性的関係にあるのを知っていて、誕生日パーテ
ィを欠席しちゃってるんです。

 だから、ケネディが自ら死んだ訳でもないのに、さっさと再婚しちゃった訳。(笑)

 そこへいくと、三島由紀夫の奥様は愛されていた実感があったんです。

 私が、そう感じたのは、「反貞女大学」を読んだ時です。
 あの作品は、女性の読者に宛てて書かれていますが、
 その底辺に流れる奥様への愛情をひしひしと感じずにはいられませんでした。

 それとですね、三島由紀夫は割腹自決するとは、
もちろん、奥様にも内緒にしていたのですが、最後の著書、
「豊饒の海」の4巻めのカバー絵を、奥様に依頼して亡くなってるんです。

 奥様は有名な画家の娘さんで、絵心もあったのですが、
三島はそれまでカバー絵も挿絵も奥様に頼んだ事はなく、
最後の最後で初めて、描くように言ったそうなのです。

そのカバー絵は、毎年、夏に家族旅行していた伊豆を
思い出しながら描かれたのでしょうか?
 青々と広がる海の向こうに、小さく船がぽつんと浮かんでいて、その上ににょきにょきと
勢いのある入道雲が浮かんでいる伊豆のホテルから眺めたような海の景色でした。



 その奥様もすでに他界されているのですが、
生前、監修された三島由紀夫の写真集「グラフィカ 三島由紀夫」
の一番、最後の写真を、家族で撮った写真にしているのが、とても印象的です。

 夫と一緒に撮った写真もあるはずなのに、
三島は自邸の一階で、奥様と二人のお子さんは二階のベランダにいます。

 そうして離れて写っていますけど、写真を注意深く見ると、
由紀夫も奥様も二人のお子さんもみな、カメラのレンズという一点を見つめているのです。

 私には、それが生と死が、私達を隔ててしまったけれど、私達、家族の思いはひとつ、
絆は決して、離すことは出来ないと言っているように思えてならないのです・・・

 
 そういう事で、今回は三島由紀夫がいかに男らしくて、
奥様を愛し、愛されていたかを書きました。<<
______________________________________________________

知恵袋で検索ー
(45年前は、載っていませんでしたから、50年前で
 調べましたら、20倍と出ました。

50年前の大卒の初任給が12000円
映画の入場料が100円

よって、当時100円のモノが
現在約20倍の
2000円位になっていると考えてよいでしょう。
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三島由紀夫は昭和33年の 33歳の時、当時、大学生だった21歳の瑤子さんと、お見合いで結婚されてます。 (25203)
日時:2020年04月01日 (水) 13時04分
名前:志恩

上のスレッドで、志恩が貼りました URLより引用

>>三島由紀夫さんが結婚されたのは昭和33年。
西暦で言えば1958年となります。お見合いの後にご結婚されたわけなんですが、
その前に幼馴染の湯浅あつ子さんから写真を見せられて一目で気に入ったことから
見合いになったそうなんです。
妻となったお相手は当時女子大生の杉山瑤子さん。

子供は2人


結婚後は三島由紀夫さんの本名である平岡姓となり、
平岡瑤子さんとなります。
三島由紀夫さんの本名は平岡公威(ひらおかきみたけ)さんというんです。
杉山瑤子さんは日本画家の杉山寧さんの娘さんです。
長女の方です。
21歳の大学生と結婚したってところがちょっとびっくりです。

ちなみに、大学と学科は日本女子大学英文科です。当時2年生でした。
以上が三島由紀夫さんの結婚についてです。<<

志恩ー

つまり、三島由紀夫と奥さまとの年の差は、12歳。

三島由紀夫が昭和45年に45歳で割腹自決したときの
瑤子奥さまの年齢は、33歳。

その時、お子さんは、(年譜参照)

>>1959年(昭和34年)
6月◎長女紀子誕生。

1962年(昭和37年)
5月◎長男威一郎誕生。<<

ゆえに

女の子さんは、11歳(小学4年生ぐらい)
男の子さんは、8歳(小学1年生ぐらい)
でした。

当時、彼には、こんなかわいい盛りの
2人のお子さんが
いらした なんて........。

 (25205)
日時:2020年04月01日 (水) 13時20分
名前:時系列


三島氏が自殺したのは、1970年(昭和45年)11月25日、
よって、50年前の出来事です。

50年前でしたか、笑 (25207)
日時:2020年04月01日 (水) 13時33分
名前:志恩

時系列さんー
>>三島氏が自殺したのは、1970年(昭和45年)11月25日、
よって、50年前の出来事です。<<


志恩ー
教えてくださって、ありがとうございます。
どうも、そそっかしくて、すみません。

三島由紀夫のフアンだという鈴木邦男が語るあの割腹自決とその後に立ち上げた一水会のこと: 運動の原点は三島事件、森田必勝の死。 (25226)
日時:2020年04月02日 (木) 04時44分
名前:志恩

http://salitote.jp/people/interview014-2.html

昨日、アマゾンコムに注文してあった中古本の谷口雅春先生著『占領憲法下の日本』が届きましたので、早速、三島由紀夫氏がこの著書に書いた”はしがき”のところから、夜中に読み進めていたところです。 (25227)
日時:2020年04月02日 (木) 05時16分
名前:志恩

親スレッドに、三島由紀夫氏の、この”はしがき”の全文は、
掲載させていただきましたが、

三島由紀夫氏は、
さすが文豪らしい素晴らしい表現力で、
書いていらっしゃるなあと、改めて思いました。

この谷口雅春先生著『占領憲法下の日本』は、
昭和44年(1969年)5月5日 初版発行(日本教文社)
となっております。

ということは、
あの【三島由紀夫一人 VS 東大全共闘1000人】の
東大駒場キャンパスでの
2時間半にわたる例の討論会が行われたのは
その直後の
昭和44年(1969年)5月13日でしたから、


三島由紀夫氏は、
この谷口雅春先生著『占領下の日本』の
本になる前の原稿を読まれてまして、
はしがきを書かれましたのちに、
今、映画にもなっている討論会に臨まれたのですね。



三島由紀夫氏の”はしがき”、一部のみ、再掲ー

>>私も亦、言葉により文字によつて
世を渡る人間の一人である。

もし谷口師の著書だけによつて師に近づけば、
そこに当然疑ひも生じたであらう。

しかし現実に、
その信仰と思想の生きた結実を見せられると、
もはや疑ふ余地を失つた。

 なぜなら信仰とは、
個人の魂の内部に起る
「全体」との融和感合一感であるから、
その個人の魂の個的自覚を経過しない人間には、
信仰者の外側にあらはれた行動の形でしか、
判断しやうがないからであり、
キリスト者の殉教は、
そのやうな意味を担つてゐたのである。

 このたび
谷口雅春師の『占領憲法下の日本』といふ、
憂國慨世の書を読むに当り、私は殊に、
その「生命体としての日本国家」の章に
深く感動した。

これこそ久しく私の求めてゐた日本の国家像であり、
生命体としての個的自覚と、
生ける全体とをつなぐ唯一の橋が、
ここに語られてゐると思はれた。<<



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