生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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「【まさに命をかけて】徹底的に闘う」ことについての所感 (25933)
日時:2020年04月18日 (土) 14時26分
名前:tapir



本音の時代様が、愛国本流掲示板に「生長の家の看板」というスレッドを立てて、次のような投稿をしておられた。

>>が、教団を離れたエライ先生方は、
教団にいた頃、【まさに命をかけて】徹底的に闘ったのだろうか?
左遷され、居場所がなくなった。ツラいのは理解できるのだが、
ツラいから教団をやめた。楽になりたいから教団をやめた。
ツラいからこそ、雅宣氏やら雅宣氏に同調する人たちが行う
不当行為に徹底的に闘う方法もあったろうに、その選択をしなかった。
それは、何故だろう。<<

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=9488

本質を突いた投稿だと思う。

本音の時代様が、闘うというのはテロを起こせという意味では無論ない。

ここで「闘う」というのは、相手を敵と認めることではなく、問題から逃げないで、真正面から、真剣に向かい合うという意味だと思う。


一言で言えば「一切者の自覚に立て」という意味だと私は解釈する。
それは自分との闘いである。

「一切万事(環境も運命も)わが心の影」、「自分が変われば世界が変わる」これが生長の家の教えである。

相手が悪いからこうなったという恨み節、被害者意識は、生長の家の教えとはほど遠い。

生長の家の指導者を志すなら、第一に「相手が悪いからこうなった」という、自分の被害者意識を根こそぎ捨てることだ。

人生の目的が魂の進歩であるなら、問題に直面したときは、その人や物や事が何を教えてくれているのかを、考えるべきだ。

そしてそれは人にこうせよと求めるものではなく、まず自分自身が率先して実行すべきものであることはいうまでもない。

私は「エライ先生方」でもないし、学ぶ会のリーダーでもないが、生長の家が大好きで、自分なりに真剣に運動に携わってきたつもりだ。その生長の家の運動から、今は身を引いて、この掲示板で意見(批判も含めて)を述べている。

その自分は生長の家(教団側)組織の中にいる間、そこを去る前に、事態の改善を求めて、【命をかけて】徹底的に闘ったのだろうかという問いかけについて、深く考えさせられた。



自分に当てはめると (25934)
日時:2020年04月18日 (土) 14時28分
名前:tapir


闘う手段は人それぞれだろう。

思いつく手段の一つとして、「信仰に命をかけて、徹底的に祈り、そこから発するアイディア(批判も含む)を、総裁や教団幹部にメールや手紙で、さらに可能であれば対面して直言する(直接意見を述べる)」ということがあげられる。

直接「注意」できなかったのはなぜか

そんなことを考えていたとき、「そっと(直接)注意する」ことがなぜできなかったかという命題が、突き付けられた。

直接注意すること、それは勇気のいることだ。



現代日本で、(言論に)【命をかけて】徹底的に闘う人と言えば、小林よしのりだと思う。

オウム真理教に脅されてもまったく屈せず、文字通り暗殺されそうになっても少しも恐れずにオウム真理教を告発し続けた時に、私は「こんな人が世の中にいるのか」と驚嘆し、それ以来、彼の作品に注目し続けている。現代日本において、言論に【命をかけて】闘っている稀有な人物である。


今の自分にいつでもそれができるかと問われれば、否である。

若くて、係累(親族、関係者)への影響を考えなかったときは、気付いたことは相手に直言することを最善の策と考えていたし、直言居士になりたいと思っていた。(どちらかというと、せいぜい一言居士だったが。)


しかし一定の年齢に達して、守るべき家族ができて、職場内の人間関係を意識し始めると、それが難しくなって、そのような生き方が容易でないことを思い知らされる。



言い訳になるが、直言する相手が以下のような人であれば、遠慮なく直言するだろう。

1、直言を受け止めて、肯定にせよ否定にせよ、直言した本人に直接、返答してくれる。
2、相互に誤解の無いように、できれば直言した人に直接対面して、直言の詳細な背景や、どのような改善を希望するかを十分に聴取して、正確に理解してくれる。
3、直言したことを理由に、直言した人やその上司、関係者に懲罰を与えない。


反対に、直言する相手が以下のような人であれば、直言しないだろう。

1、直言した相手に対して、内容を受け止める前に激怒して、直接返事をくれる前に、以下の行動をする。
2、直言の内容や背景をよく確認せずに、直言した件について、見当ちがいの処分を下す。
3、直言したことを理由に、直言した人、またはその上司、関係者に、懲罰を与える。


「上司(たとえば教化部長)、関係者に懲罰を与える」というウワサを聞いていれば、なおのこと慎重にならざるを得なくなる。


2に関しては、直言の手紙を出す前に、内容と言葉を慎重に吟味することである程度は回避できるだろうが、1と3は、直言する人の力の及ぶところではない。自分だけならともかく、周囲に多大な迷惑を及ぼすのは耐え難いことである。


「自分には誰も直言してくれない」と思っている人は、胸に手を当てて、この点をよくよく考えてみてほしい。



小林よしのりのすごいところは、法律を十分に調べて理解する知性があり、時には司法や警察の手を借りても、言論に【命をかける】ことを、貫いたところだ。

大人が、言論に【命をかける】ためには、強靭な精神力や度胸だけでなく、深い知性、とっさの判断力、現実に係累を守り通せる自信が必要だ。


私には、そこまでの度胸や知性はない。私が若い時に考えていた【命をかける】は、実質の伴わない単なる「匹夫の勇」であったことを、ここに深く反省する次第である。


今は、できることをできる範囲で、祈りを重ねつつ、粛々と実行するだけである。


友を信じること (25935)
日時:2020年04月18日 (土) 14時32分
名前:tapir


(以下引用)

明治天皇御製

あやまちを いさめかはして へだてなく
かたらふ友の たのもしきかな


 あやまちをお互いに忠告しあって、何のへだたりもなく
 心の底から語り合える友達は、信頼できるものです

(「明治神宮カレンダー令和2年版」 4月分 より)

(引用終わり)

あやまちをお互いに忠告し合える友人は生涯の宝物です。そんな友人に巡り合えたことに感謝しています。

自分の未熟さも反省しなければならない。 (25936)
日時:2020年04月18日 (土) 14時45分
名前:tapir


前の投稿では、直言する相手に備えてほしい条件を挙げたが、直言する側の自分の未熟さ、徳の無さについても反省せねばならないと思う。

直言する相手との確かな信頼関係が成立している場合と、そうでない場合がある。

自分は、相手との信頼関係の薄い状態でも、一方的に意見を述べてしまう傾向があった。甘えがあったのだと思う。

厚い「信頼関係」を構築する努力と、直言の内容を相手に誤解されないように正確に伝える努力が足りなかったと思う。それは私の未熟さゆえである。


 (45833)
日時:2021年11月29日 (月) 22時16分
名前:涙


   tapir様に感謝します。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3367



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