生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

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志恩様へ (30278)
日時:2020年07月06日 (月) 18時48分
名前:tokumei

 志恩様お元気でいらっしゃいますでしょうか、書き込んではいけない事になっているのですが、今、黙示録のキリストの事で大騒ぎになっているようですので、かつて私も、そう信じて宣伝していましたので、訂正と謝罪の為にご連絡させて戴きます。

 志恩様が、「金龍と大天使聖ミカエルは同じ」というような事をひとことおっしゃっておられていて、「その証拠はどこにあるのかな」と分からぬまま、受け入れていたのですが、

ずっと調べたのですが、膨大な量ですので、全部ご説明しきれないのですが、

それより前に、黙示録冒頭のキリストと、雅春先生の教えは、関係が無いようなのです。


 ちょうど今どきは、関係があるという事で、ご神像などの事が問題になってますけれども、関係は無さそうな気がします。


 志恩様は、大天使聖ミカエルがお好きでらっしゃって、それと浅草寺の観音様そして金龍が同じという事で、甘露の法雨も、大天使聖ミカエルが書いたという事になっているのですが、もしかしたら、
最近、以前お好きだったドリーンバーチューさんが、それまでのスピリチュアル系のお仕事をやめられたような感じで、ニューエイジ系の教えは、危ない時代のサインかも知れないのです。


 以前私は、生長の家のマークを捨てないでと懇願させていたのですが、本心では、あの緑の十字が嫌で、でも、本流掲示板で、「あれは十字架だよ」と言われて、仕方なく従って、受け入れてましたが、
どうやらあの十字架の恰好は、やっぱりおかしいように思いました。

 入信当時から、あの十字架が嫌で仕方なかったのですが、周りから「そう?」と言われて、自分が間違ってるのかなと思ってました。

 そしたら、今になって、黙示録のキリストの!という大騒ぎになって、真相を調べたら、そう真剣に争うような理由でなく、争うのは損な事に感じました。

 お世話になった志恩様に、また聖旗や総本山を大事にしてほしいとお願いさせて戴いた方々や、曳馬野様に逆に悪いお願いをして、ご負担をお掛けしてしまったと申し訳なく思って、謝罪とお知らせをさせて戴きたいと思いました。

tokumei様 (30281)
日時:2020年07月06日 (月) 21時10分
名前:志恩

再掲:
光明掲示板・第一より

(以下、tokumei様の過去文)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『聖経甘露の法雨』について、
“既に在ったもの (1017)
日時:2012年09月03日 (月) 17時55分

名前:tokumei


神聖なお聖経について話す時ですので、慎んで申し上げます。

『甘露の法雨』は、元々、實相界に実在していたものだと思います。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五に、

「甘露の法雨をそそぎ、煩悩の炎を滅除す(以下割愛)」とあります、

それが、谷口雅春先生によって、現象界にも表現されたもので、

無かったものが、突然、産み出されたものではないと思います。

すでにあるものが、現象に投影しているので、

すでにあるもの、とは、実相である實在のことで、
實在は、善しかない、というのが、生長の家の説く真理です。

地球温暖化や、原発事故の対応のために書かれたということでしたら、

善しかない實在には、そのようなものはそもそも存在していないので、

それらの解消のために作られたという言い分は、

實相の独在を説く生長の家の真理の見地から言えば、

論理的に破綻しています。

つまり、そのお経は、實相にすでに在ったものでないことになります。

聖経には、こう記されてあります。

「實在にあらざる物を實在せるが如く扱ふこと勿れ。

 實在にあらざる物には、實在をもって相対せよ」



 實在には無かった、その偽経にて、

實在にあらざる物に、
相対することは出来ないのではないでしょうか?”

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掲載させて戴いて… 
(4859)
日時:2012年12月20日 (木) 19時44分

名前:tokumei

合掌 ありがとうございます


 黙示録を掲示板に掲載させて戴きましたのは、文語体での黙示録が、
web上で見当たらないのと、住吉大神様に復活して戴きたかったからです。
 生長の家内の混乱は、私の力では及ばず、どうか大神様に御出御戴きます事
を請願させて戴く気持ちでした。

 近年では、生長の家に於いても、
黙示録のみならず住吉大神様も忘れ去られ、
立教当初の息吹を思い出して戴きたかったのもあります。
 当初は、少しご説明をさせて戴こうかとも考えておりましたが、
間違ってはいけないと、取りやめさせて戴きました。

 黙示録がどんなに大事かと申しますと、

谷口雅春先生の随行をずっとしておられた、
古事記で有名な福島先生にして、「最も大事」と言わしめたものであります。

 福島先生は、雅春先生が東京に行かれて、
御留守になった神戸と藤棚の家を一生守り通されました。

毎朝、本住吉神社に神想観に通われ、
その場所は、コンクリートでありながら、色が変わっておりました。


 黙示録の重要性は、最近は、お解り戴けないようで、

今日、私が、黙示録の重要性について、
古い先生にお電話で再確認させて戴いている時、
目の前に金色の光がよぎり、「貧血なのかな?」と疑いましたが、
「そうでない」と言わんばかりに、それがクルクルと龍のように動いて消えました。

金の龍とは、なぜだろう? 
住吉様なら、白龍のはずだけれど…と不思議に思って、webで調べてみましたら、

金龍は、浅草の浅草寺に縁のある龍だったのですね。
浅草寺は、生長の家にとって、大切なお寺なのです。

Wikiより抜粋↓

>浅草寺は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。
山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。
東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。
江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。

>毎年12月13日に開扉法要が行われ

>法華経(国宝)- 昭和26年(1951年)指定。平安時代の11世紀頃の装飾経。
別名「浅草寺経」。
金銀泥で装飾した「装飾経」の代表作で『法華経』8巻に開結経の『無量義経』『観普賢経』を
含む全10巻が完存し表紙、軸、巻き紐まで含めて制作当初のままに残されている。
東京国立博物館に寄託。

>宗派を問わず全く無関係な人でも供養を申し込めるため、
五重塔内の位牌には昭和天皇・マザーテレサ・ダイアナ妃の位牌まで存在するという。


どうして大事なのかと思ったら、法華経があるお寺なのですね。



この浅草寺の聖観音菩薩像については、

『谷口雅春童話集』5巻の『観音霊験記』にこう書かれております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全世界には黄色い中心があり、
そしてその中心に花びらが集まるように、
すべての国々民民は、黄色い中心に集まるようになっているのです。

黄色い中心というのは、
やがてこの世界には弥勒菩薩が黄金色の体をしてうまれておいでになり、
弥勒菩薩を中心に世界平和がくるということです。

弥勒菩薩はまだ眼に見える世界には、生まれてきておられません。
これは、この蓮華蔵世界が開いていないからです。
英語でいえばまだコスモスが開いていないからです。

この蓮華をだれが開かせるか。このコスモスをだれが開かせるか、
みなさんは知りたいでありましょう。

(中略)

・・・これが今の浅草寺のはじまりであります。

その左手にまさに開こうとする蓮の花を持っていられるのは、
観音さまこそ、蓮華蔵世界の大蓮華を開いて、この世は蓮華の花のように、
中心にみんなが仲良く集まってなんの争いも戦いもない、
弥勒菩薩のお治めになる平和な世界になさいますためのお役目の方であるからであります。

 明治のはじめ、政府の寺や神社の係の役人が浅草寺に出張して、
その観世音菩薩の尊像をしらべて見ようといたしました。

役人たちはお厨子を引き出し、幾重にもなっている箱をだんだん開いて、
しまいにお袈裟につつまれているお像のところまできたとき、
いよいよどんな観音さまかと見ようとすると、御威光に打たれて
一同だれも眼を開くことができないので、そのまま箱のふたをして、
また元のとおりお厨子に入れておいたのでありますが、
それ以来、どんなえらい坊さまでも見たことがないというのが、
この浅草の観世音菩薩であります。

 ところがこの観音さまのお姿を見たという人が出て来たのです。
その人は門脇観次郎という人でした。
門脇さんは、観音さまのお姿を次のように拝んだのであります。


 神戸高等商船学校教授の門脇観次郎さんは五十五歳になると、
老人になったというので学校をおやめになりました。

 門脇教授は
慢性中耳炎と慢性胃腸病、神経痛などの持病をおもちだったのですが、
生長の家へお入りになりまして『生命の實相』をお読みになり、
教えを受けていらっしゃるうちに、これらの病気がだんだんよくなって、
いつのまにか健康になっていられました。

「ああ生長の家の神さまあありがたい、
いっぺん生長の家の神さまのお姿を拝みたいものだ」
と門脇教授はお考えになりました。

 そしてある日、正しくすわって眼をつむり、
生長の家でやる神想観という祈りをおやりになりまして、
「どうぞ私に生長の家の神さまのお姿を拝ましてください」
とお願いになりました。

 その時、空中に、一メートルばかりの瓔珞、
神々しく垂れ下がった宝冠をかぶった観音さまのお像が現れてきたのです。

左の手には、開きかけの蓮の華お一本持って立っていられました。
光がさんらんと、その観音さまから現れていました。
その宝冠の正面になんだか見なれない徽章をつけておられましたが、
気にもおとめになりませんでした。

「生長の家の神さまを拝ましてくださいとお願いしたら、
観音さまのお像があらわれた。ふしぎなことがあるものじゃが、
生長の家の神さまは神さまだし、観音さまは仏さまじゃが、
どうしてこんなふしぎなお像を見たのだろう」
 これが門脇教授の心のうちに疑いとなっていました。


 それから三年たって帝展審査員の

山根八春先生が、生長の家の徽章をお作りになりました。

生長の家は何宗にもかたよらないですべての教えを説くのだというので、
日本精神を象る太陽、仏教を象る卍字、キリスト教を象る十字を一つにした徽章が
でき上ったのでした。

門脇教授のところへこの徽章が、銀七宝の誌友メダルとして送られていったときに、

門脇教授は、

「この徽章は見たことがある。この徽章は三年も前に、
自分が神想観をして観世音菩薩のお姿を空中に拝したときに見た、
その観音さまの宝冠の正面にあった徽章だ」と気がつきました。

 人間がその徽章をこしらえる前に、
観音さまの世界で、三年も前に、その徽章はできていたのであります。


 観音さまというのは、「音を観る」とか「世音を観る」とか書いてありますが、
観るとは「現わす」ことであります。

つまり「音」とか「世音」とかいうのは心の中に起こす音―
―世の中の人の心のひびきのことで、
心に何を考えてもその考え、思いというものが、

まず観音さまの世界に形に現れるのでありまして、
観音さまの世界にあらわれた徽章の形を、
その後三年たって山根八春先生がこしらえられるようになったのは、
この世界は観音さまの世界にできたことの現われであるからであります。

 蓮華蔵世界が開かれて、中心が一つになりまして、
八方の国ぐにがみなその中心にしたがって世界連邦となるには、
観音さまのお手にある蓮華が開かねばなりませんし、
観音さまの世界のことは、われわれの心のうちの思いのひびきが
形にあらわれるのですから、われわれ日本人が大いに覚悟して、
日本の国家を輝かすようにしなければなりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

黙示録に書かれてあるのは、
久遠のキリストであり、住吉大神様の御姿であるということは存じておりましたが、
ここで観音様が関係して来られるとは、意外でした。

考えるに、黙示録は、再臨のキリスト及び、弥勒下生についての預言書であるからではないか?
と思い至りました。それくらいしか、今は思いつきません。
後日、何か分かるかもしれませんが…。

 雷門の事ですが、黙示録に書かれている、
久遠のキリストの聲は、雷のようだ、と書かれています。

 それから、この門は、朱塗りですね。
再臨のキリストは、血に染みた衣を着ている、とあります。

 黙示録について、書かせて戴くつもりが、
観音様(弥勒菩薩様)についての記述のようになってしまいました。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2020/07/06(月)記
⬇️

tokumeiー
>>略
今、黙示録のキリストの事で大騒ぎになっているようですので、
かつて私も、そう信じて宣伝していましたので、
訂正と謝罪の為にご連絡させて戴きます。

 志恩様が、「金龍と大天使聖ミカエルは同じ」というような事を
ひとことおっしゃっておられていて、
「その証拠はどこにあるのかな」と分からぬまま、受け入れていたのですが、
ずっと調べたのですが、膨大な量ですので、全部ご説明しきれないのですが、<<


志恩ー
tokumei様
お久しぶりでございますね。ご投稿くださいまして、ありがとうございます。
tokumei様が本流(光明)掲示板やトキ掲示板の常連投稿者でいらしたのは
いつごろだったかしらと、検索してみましたら、今から 約8年前のことでしたね。

私は、あの頃は、確かに 大天使聖ミカエルは、お気に入りの大天使でした。

しかし、「金龍と大天使聖ミカエルは同じ」だなどと、そのような
ことをあの頃の私は、言いましたでしょうか?
自分では、全然 覚えておりませんが..。

今の私は、まったく、これっぽっちも、そのようには  思っておりません。
もしも、過去に
私がそのようなことを言ったのでしたら、訂正して、お詫びいたします。


tokumei-
>>志恩様は、大天使聖ミカエルがお好きでらっしゃって、
それと浅草寺の観音様そして金龍が同じという事で、
甘露の法雨も、大天使聖ミカエルが書いたという事になっているのですが、<<


志恩ー
私は、甘露の法雨は  大天使聖ミカエルが書いたなどということは、
いまだかって一度も思ったことは、ないのですが、そんなアホなことを
言ってましたか? 8年前に? 私が? どうしちゃったんだろう8年前の私!💦


tokumei-
>>もしかしたら、
最近、以前お好きだったドリーンバーチューさんが、
それまでのスピリチュアル系のお仕事をやめられたような感じで、
ニューエイジ系の教えは、危ない時代のサインかも知れないのです。<<


志恩ー
これについて、今、調べてみましたが、ドリーンバーチューさんは
永年、霊界のある方からのメッセージを受信(チャネリング)して、
それを信じて
実は、彼女自身は、聖書を  読んだことがなかった人なのに、

聖書に書かれてあることよりも、上のことを、自分は、皆さんに伝えているのだ
と自負して皆さんにメッセージを送り続けていたのだそうですが、

最近になって、それが間違いだったと気づき、チャネリングを辞め、あらためて、
クリスチャンになって聖書を読んで勉強しているのだと、ご本人が語っていますね。
いいことです。


tokumei-
>>黙示録冒頭のキリストと、雅春先生の教えは、関係が無いようなのです。
ちょうど今どきは、関係があるという事で、ご神像などの事が問題になってます
けれども、関係は無さそうな気がします。<<



志恩ー
以前は、tokumei様は確か
関係があるとおっしゃってませんでしたか?
それが
>>黙示録冒頭のキリストと、雅春先生の教えは、関係が無い<<

と、今になって、お考えが、変わられた理由は、なんなのでしょうか?
お考えが 変わられた理由が、書かれていませんので、
意味が よくわかりません。



tokumei-
>> 以前私は、生長の家のマークを捨てないでと懇願させていたのですが、
本心では、あの緑の十字が嫌で、
でも、本流掲示板で、「あれは十字架だよ」と言われて、
仕方なく従って、受け入れてましたが、
どうやら あの十字架の恰好は、やっぱりおかしいように思いました。

 入信当時から、あの十字架が嫌で仕方なかったのですが、
周りから「そう?」と言われて、自分が間違ってるのかなと思ってました。

 そしたら、今になって、黙示録のキリストの!という大騒ぎになって、
真相を調べたら、そう真剣に争うような理由でなく、争うのは損な事に感じました。

 お世話になった志恩様に、
また聖旗や総本山を大事にしてほしいとお願いさせて戴いた方々や、
曳馬野様に逆に悪いお願いをして、ご負担をお掛けしてしまったと申し訳なく思って、
謝罪とお知らせをさせて戴きたいと思いました。<<



志恩ー
もうしわけありませんけれど、
これも、何をおっしゃりたいのか、意味がわかりません...。
tokumei様は、つまり、ご本心では  元々の生長の家のマークは、
おかしいと思われていて、あのマークは、ほんとうは、お嫌いだった?

では、現在の白鳩がオリーブの葉っぱをくわえている現教団の
生長の家のマークの方が、おかしくないと思っていらっしゃるのですか?
そして、こちらの方が、いいとお思いなのでしょうか?


志恩様 (30296)
日時:2020年07月07日 (火) 17時02分
名前:tokumei

 ご親切な志恩様、ご返信下さりありがとうございました。

 どこからお答えさせて戴いたらよいかわからない位ですが、私は、本流掲示板の言う通りに従って、本流へ行ったの間違いだったのかもと思うようになりました。

 最初に、本流掲示板の管理人様が、黙示録の事を悪く仰られた時に、そこでもう雅春先生と黙示録の教えは、無関係なんだとして、信仰をやめたらよかったのに、雅春先生の教えを信じるあまり、「黙示録と関係あり」と信じたり、主張し続けて、皆様にご迷惑をお掛けしてしまうし、志恩様にもお手数をお掛けして、私のめんどうをみさせてしまいました。志恩様は、普段から、沢山のお孫さんを面倒みられるのに慣れてらっしゃるので、私一人分のお世話まで引き受けて下さいました。志恩様は、夜遅く寝不足になるまで、黙示録の事で本流掲示板を出された私の弁護をして下さいました。

 なにせ「黙示録のキリストが最後の審判で再臨した最終の教え」というのが、神示の内容で、雅春先生の教えですから、こののちにもう宗教はたたないし、キリストについていかなきゃと必死でした。
 今まで、住吉大社や、本住吉神社の近所に住んで、なんとかこの最終のキリストの教えを習得したいと熱願していました。
 そうしたところに住んでますと、昔からの詳しい先生がいらっしゃって、甘露の法雨は、法華経になっている事とか、聖典のハスの華の巣の絵のページの時に、ぐっと頭をおさえられて、おじぎするようにさせられたという事を聞いてきました。

 雅春先生は、「先生、お久しぶりです」と近づいていらっしゃた方に、「あなたは、山上の垂訓?の時にいらしていた方ですね」と仰っていたとか、だから雅春先生は、昔イエスとして生まれていた方の生まれ変わりなんだとかそんな会話が交わされてました。


 甘露の法雨を大天使聖ミカエルが書いたというのは、雅春先生の教えです。

 実際に、私が黙示録の事で本流掲示板を出された時も、光のらせんが龍のように回転して目の前を走って、その時に、「金龍」で検索したら、浅草寺の事がわかったのです。ふつう、金龍で検索したら、ラーメンが出て来るのに、その時、2回だけ、浅草寺が出て来たのです。それ以降は、ラーメンになりました。

 ですから、生長の家の創始者は、浅草寺の観音様である説は、本当だと思いましたし、調べたら、お坊さんと雅春先生のお命日が一緒とか、いろんな証拠のようなものがみえて、それを知ったら、みんなで喜べると思って、お伝えしていたのですが、ほぼ伝わらなかったみたいです。

 浅草海苔とは有名ですが、日本書記では、住吉大神様が、自己紹介の時に、自分は、海藻のような神だ、と仰られていて、古事記でも、海藻の詩は、見事ですし、住吉大神は、言葉や文章の達人みたいな印象があります。

 その後も、甘露の法雨は、巻物の開いた姿として、日本列島の形なっていそうだとか、地上に、甘露の法雨と同じ風景があるとか、『如意自在生活365章』に書かれてあるとおりの毘盧遮那仏的生長の家の神の姿が日本にある事も探してきました。

 そんな風におもいあたるのは、他にもお子さんでいらっしゃったみたいで、地を形成した古い龍のすみかとか、私も、住吉大神のおひざ元に暮らしていたので、不思議なつながりでわかるような感じいていました。

 雅春先生も、入龍宮幽斎殿とか、出龍宮顯斎殿 龍宮住吉本宮を建造されて、生長の家の神は、龍が関係するようなのですね。
浅草寺も金龍の舞というのがありますね。

 法華経も、八大龍王が守るお経なのだそうです。龍が地を形成するのを手伝ったというのはインドの考え方らしいです。法華経は、南インドのお経です。

 神社の巫女さんの衣にミルという緑の文様がありますが、あれも海藻の事らしいです。私は、最初、「海藻のような神だ」という意味が解らなかったのですが、海藻は、そういえば、龍に見えます。

 世界で唯一、海藻を消化できる酵素を持っているのは日本人だけですし、海藻をよく食べる地域は、新型感染者は出てないそうです。住吉様は、日本を守りたい神なのか…と同時に浅草寺の観音様は。

 しかし、観音様とハスのご説明にもありますように、それらは、レインボーチルドレンが伝える内容と一致しているのですが、
聖書からすると、それは聖書の内容の逆なのです。

 生長の家の聖光録の、万教帰一要典の最後の行には、「バベルの塔」の事が書かれてあります。

又、神示では、生長の家の神は、法華経で出て来る塔の神で、それはこの法華経を支持するという内容となってます。法華経は、雅春先生も仰られてますとおり、世界中の教祖を一堂に会する熱願がかけられてあると


 ご存じのように、バベルの塔は、建設するのは聖書的には神の意思に反するのです。
 ですから、法華経と聖書は、逆の方向性の主張をしている本となるような気がしています。


 そのように、法華経を推進すると、聖書に反する、という、本来なら、キリストの教えを推進しているはずのところ、逆行している形になってしまって、「黙示録のキリストが最後の審判で再臨した最終の教え」という事であるはずが、なぜキリストの意思の反対をしているのか? そしたら、黙示録とは、無関係であるのではないか?という事になったのです。



 マークの事は、八芒星に切り込みをいれている形は、悪魔の十字架と言われる事もあるそうです。 傾けられてますし…
 ニューソートのエディ夫人のマークも、傾いた十字架です

 そして、ルシファーが、キリストに宣言していたのは、「お前の十字架を傾ける!」という事だったのです。

 そしたら、今では、正しい教会が、殆ど無いほどにまでなってしまったそうなのです。
 外観は、教会にみえても、キリストの教えが変更されてしまった教会なのだそうです。

 鳩のマークがよいという訳ではなくて、歴史的な観点では、ニューエイジの時代、傾いた十字架は、ニューエイジ、翻訳すれば光明思想の特徴かもしれず、そしたら、黙示録のキリストである可能性が低くなっているように思うのです。

tokumei様 (30306)
日時:2020年07月08日 (水) 05時11分
名前:志恩

tokumei様   コメントをありがとうございました。
お返事が遅くなってしまいまして、どうもすみません。

私は昨日は掲示板へ入らず『碧巌録・後篇』を読み進めていましたもんで。

tokumei様は、本住吉神社のご近所である神戸辺りにお住まいのお方で
いらっしゃいましたよね。

>>甘露の法雨を大天使聖ミカエルが書いたというのは、雅春先生の教えです。<<
と申されますが、
私は、谷口雅春先生のご講話とかご著書で、そのことは聞いたことも読んだ
記憶もないのです。

『碧巌録』にも、谷口雅春先生は、
旧約聖書から引用された天地創造のことアダムとイヴの話、イエスキリストが
盲目の少年の目を、見えるようにした奇跡の話......も書かれておられます。
しかし、そこにも大天使ミカエルには触れておられません。

そのことは、どの本に書いてありましたでしょうか?
もしかしたら、
私の聞き落とし  か、読み落とし  かもしれませんので、
よろしかったら書かれてある著書名を教えてください。


tokumeiー
>>本流掲示板の管理人様が、黙示録の事を悪く仰られた時に、
そこでもう雅春先生と黙示録の教えは、無関係なんだとして、信仰をやめたらよかったのに、
雅春先生の教えを信じるあまり、「黙示録と関係あり」と信じたり、主張し続けて、
皆様にご迷惑をお掛けしてしまうし、(略)
なにせ「黙示録のキリストが最後の審判で再臨した最終の教え」というのが、
神示の内容で、
雅春先生の教えですから、
こののちにもう宗教はたたないし、キリストについていかなきゃと必死でした。<<


志恩ー
先のコメントで、tokumei様は、
>>雅春先生と黙示録の教えは、無関係である<<と、
以前の考え方を変えられた
言葉を書いていらっしゃいますが、

その理由は、あとのコメントで、次のように書いておられます。

tokumei-
>>観音様とハスのご説明にもありますように、それらは、レインボーチルドレンが
伝える内容と一致しているのですが、
聖書からすると、それは聖書の内容の逆なのです。
生長の家の聖光録の、万教帰一要典の最後の行には、
「バベルの塔」の事が書かれてあります。

又、神示では、生長の家の神は、法華経で出て来る塔の神で、
それはこの法華経を支持するという内容となってます。
法華経は、雅春先生も仰られてますとおり、世界中の教祖を
一堂に会する熱願がかけられてあると

ご存じのように、バベルの塔は、建設するのは聖書的には
神の意思に反するのです。

 ですから、
法華経と聖書は、逆の方向性の主張をしている本と
なるような気がしています。

そのように、法華経を推進すると、聖書に反する、という、
本来なら、キリストの教えを推進しているはずのところ、
逆行している形になってしまって、
「黙示録のキリストが最後の審判で再臨した最終の教え」という事であるはずが、
なぜキリストの意思の反対をしているのか? 
そしたら、黙示録とは、無関係であるのではないか?という事になったのです。<<


志恩ー
以上の理由により、
谷口雅春先生が書かれた信仰は、今は、信じなくなったので、そう考えを
改めたのだ、ということでしょうか?

生長の家の創始者は、浅草の観音様(金龍)だという説は、ほんとうだと
思っていらっしゃるそうですが。

私の場合は、生長の家の教えは、万教帰一の教えですので、
キリスト教の教えも法華経の教えも、
その説いている
根本的な点のところでは、一致していると、今でも思っております。


tokumei-
>>浅草海苔とは有名ですが、日本書記では、住吉大神様が、自己紹介の時に、
自分は、海藻のような神だ、と仰られていて、
古事記でも、海藻の詩は、見事ですし、
住吉大神は、言葉や文章の達人みたいな印象があります。

 その後も、甘露の法雨は、巻物の開いた姿として、
日本列島の形なっていそうだとか、地上に、甘露の法雨と同じ風景があるとか、
『如意自在生活365章』に書かれてあるとおりの
毘盧遮那仏的生長の家の神の姿が日本にある事も探してきました。

 そんな風におもいあたるのは、
他にもお子さんでいらっしゃったみたいで、地を形成した古い龍のすみかとか、
私も、住吉大神のおひざ元に暮らしていたので、
不思議なつながりでわかるような感じいていました。

 雅春先生も、
入龍宮幽斎殿とか、出龍宮顯斎殿 龍宮住吉本宮を建造されて、
生長の家の神は、龍が関係するようなのですね。
浅草寺も金龍の舞というのがありますね。

 法華経も、八大龍王が守るお経なのだそうです。
龍が地を形成するのを手伝ったというのはインドの考え方らしいです。
法華経は、南インドのお経です。

 神社の巫女さんの衣にミルという緑の文様がありますが、あれも海藻の事らしいです。
私は、最初、「海藻のような神だ」という意味が解らなかったのですが、
海藻は、そういえば、龍に見えます。

 世界で唯一、海藻を消化できる酵素を持っているのは日本人だけですし、
海藻をよく食べる地域は、新型感染者は出てないそうです。<<


志恩ー
ここにも法華経のことが書かれてますが、それは置きまして、

>>世界で唯一、海藻を消化できる酵素を持っているのは日本人だけですし、
海藻をよく食べる地域は、新型感染者は出てないそうです。<<

この話は、私も存じておりますが、これを調査したのはいつのことかと、
調べてみましたら、2010年のことで、日本人四人とアメリカ人四人に
海藻を食べさせてみて、調査した結果の話なのだとネットに載っていました。
https://55096962.at.webry.info/201801/article_11.html

つまり、その時の調査では、
日本人以外には、アメリカ人しか調べていないのでした。
しかも、ごく少人数のみでの調査でした。

実際には、海藻を食べる民族は、日本人以外にもあり、
アイルランド人やスコットランド人も、
海藻を、昔から食べる習慣があるのだそうです。

ですから、絶対に日本人だけしか、海藻(ヨード)を分解する消化機能を
持っていないのだと、いうことでも ないようなのですが、

昔から、海藻である”海苔、ワカメ、ひじき、もずく”、などの
ヨードを多く含む食品を毎日のように食事の一部として
普通に食べ続けている民族は、
日本人が 世界では一番多い民族なのだということは
言えると思いますし、ヨードは、栄養もあり免疫力を高めますので、
コロナにかかりにくい体質を作っていることも、確かなことだと
思っております。

日本人は、ヨードを多く食べすぎましても、
昔から、いつも多く食べているので
余分なヨードは
外へ排出する機能を持っているのだそうですが、

それに引き換え
欧米人は、ヨードを多く食べすぎますと、外へ排出せず、
ヨードが、体内にこもり
甲状腺に異常をきたす場合がありますから、
欧米人の場合は、
今は、あちらも  寿司ブーム、健康食ブームですが、
日本人同様に海苔など、多く食べるのではなく、
海藻は、すこしだけ、食べるように!! とも記されてました。

 
続く

 

tokumei様 つづき【生長の家のマークについて】 (30307)
日時:2020年07月08日 (水) 06時00分
名前:志恩

tokumeiー
>>マークの事は、八芒星に切り込みをいれている形は、
悪魔の十字架と言われる事もあるそうです。
 傾けられてますし…
 ニューソートのエディ夫人のマークも、傾いた十字架です

 そして、ルシファーが、キリストに宣言していたのは、
「お前の十字架を傾ける!」という事だったのです。

 そしたら、今では、正しい教会が、
殆ど無いほどにまでなってしまったそうなのです。
 外観は、教会にみえても、
キリストの教えが変更されてしまった教会なのだそうです。

 鳩のマークがよいという訳ではなくて、
歴史的な観点では、ニューエイジの時代、
傾いた十字架は、ニューエイジ、
翻訳すれば光明思想の特徴かもしれず、
そしたら、黙示録のキリストである可能性が
低くなっているように思うのです。<<
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

志恩ー
生長の家のマークについては
次のように、詳しくネットに載っていますけれど、

>>八芒星に切り込みをいれている形は、
悪魔の十字架と言われる事もあるそうです。
 傾けられてますし…<<

などと言われる tokumei様は、考えすぎだと思います。
私は、ここに書いてある通りに今まで受け取ってまいりました。

http://hikarinoshingun.giri.jp/01-donna-oshieka/0101dno-sendou-ronbun/01seichou-no-ie-no-mark.htm

志恩様へ (30313)
日時:2020年07月08日 (水) 16時31分
名前:tokumei

 こんにちは、ご親切な志恩様、ご返信下さりありがとうございました。
 甘露の法雨は、大天使聖ミカエルが告げた、そして、大天使聖ミカエルと、観音様は、同一人物だ、ミカエル⇒身変える という音にもそれが表れているというのは、雅春先生のお考えですが、出典は、はっきり憶えていません、おそらく、『甘露の法雨解釈』あたりだろうと推測します。

 また、如意自在生活365章には、観音様=エホバという事が書かれてあります。


 歴史的には、南インドにキリスト教が伝わった頃かそれ以降の、法華経の成立かもしれないので、万教帰一というよりは、仏教がキリスト教をとりいれていたかもしれないという事と、法華経の内容から、聖書と法華経の内容は相反するかもしれないと思うようになりました。

 雅春先生は、神示集などで、さかんにアガシャ霊の事を絶賛されていましたが、アガシャ霊の本の表紙は、ピラミッドや目やオベリスクなど、フリメソンが好むデザインが描かれてあって、アガシャ霊は、生前は、キリストだったという事を言っているのですが、キリストがピラミッドの秘儀の復活を願うという事はほぼ無いので、そういった系列の霊になるのだろうと思います。

 そもそも心霊学研究系統は、そういう系列に当てはまるみたいなんです…


(志恩様)> 生長の家の創始者は、浅草の観音様(金龍)だという説は、ほんとうだと思っていらっしゃるそうですが。


 はいそれを信じておりまして、その証明に心血を注いできました。
 しかし、本流の偉い先生に、「浅草寺の観音様の冠のマークに、生長の家のマークがついているなんてね、そんなの夢で見た話しだから、嘘かほんとか分からないよ! 大切なのは現実」のような内容の事を言われたのです。

 末端の生徒である自分が信じていて、『生命の實相』を推進する偉い先生がそんな事を言っていて、そんな事を信じるあなたは、おかしい!みたいな叱り方で、それを信じてない人が、どうして先生をしているのかなと、今だったら思うのですが、ただ信じているこちら側が悪い姿勢で、それを正さねばならない(夢より現実)というような指導を受けました。



(志恩様)>私の場合は、生長の家の教えは、万教帰一の教えですので、キリスト教の教えも法華経の教えも、その説いている根本的な点のところでは、一致していると、今でも思っております。


 志恩様に、キリストの磔の事でお話しさせて戴きました時に、死海文書?なら生命の實相の通りですねぇと言う会話になったのですが、磔と復活に関しては、昔の言い伝え通りをとらないといけない理由が肝心要な要点らしかったのです。
 今でも、磔と復活などについての情報は色々あって、しかしどうして昔通りの内容が大事なのかという理由のほうが大事だったらしいです。すみませんでした。


 もし、色々なくいちがいを超えて、雅春先生の教えが黙示録キリストの教えであったとしたら、黙示録の中の「新しい歌」というのが、甘露の法雨に相当するとかでないと、と思うのですが、大天使聖ミカエルは、実際には、カトリックの守護神であるので、仏教をよろしという事は発言しない可能性の方が高そうなのです。

 本流との論争も激化しているのを見るように、イスラム教がよくないのもイスラムは武力で改宗させるのが間違いなのをそれを指示している神は、さすがに同じ神では無いという事で、仲良く出来ないらしいのです。雅春先生は、イスラムも良いというように記述されてますけれども、同じ神の筈がそうではなさそうな場合に別宗教になるので万教帰一はニューエイジ的考えであり、ニューエイジはルシファー的な要素が多いみたいなのです。


 法華経にも燃えている菩薩が出て来ますが、火や炎、オリンピックも、オリンポスの神に捧げる聖火、これも世界をまとめようとする動きのものです。なぜかナチスが始めて、秘密を書き記された本
が焚書されています。


 その秘密の一端は、法華経の薬草癒品のような内容で、すべての宗教の教祖は宇宙から派遣されたという事が特徴です。それがフリメソン系列の教えの特質らしいです。

 そしたらその結果、何が起こるかというと、本物のイエスが建ててた素の教会が、倒れてしまうという流れになってくるのです。それが現実に起こりつつあって、実は大変な事態が静かに進行していたのでした。

 不十分ですが、長くなってしまいましたので、いったんここまでで送信させて戴きます。

tokumei様 (30319)
日時:2020年07月08日 (水) 19時28分
名前:志恩

tokumei様、
出典を教えてくださって、ありがとうございます。

>>甘露の法雨は、大天使聖ミカエルが告げた、
そして、大天使聖ミカエルと、観音様は、同一人物だ、
ミカエル⇒身変える という音にもそれが表れているというのは、
雅春先生のお考えですが、出典は、はっきり憶えていません、
甘露の法雨は、大天使聖ミカエルが告げたと書かれてあるのは
おそらく、『甘露の法雨解釈』あたりだろうと推測します。<<

とのことですので、その著書は、今、私の手もとにありませんので、
先ほど、注文して、取り寄せ中です。届きましたら、見てみます。

>>また、如意自在生活365章には、
観音様=エホバという事が書かれてあります。<<

志恩ー
神様は、三十三身に身を変じて、救済のために現れてくださるそうですから、
ユダヤ教やキリスト教へは、エホバ神(ヤハウエ)に、
他へは観音様などに、身を変じて、出て来てくださるのでしょうね。

頭注版『生命の實相』、第11巻には、エホバ神についても、
また、法華経についても、
詳しく谷口雅春先生はお書きになっておられますね。

頭注版『生命の實相』第11巻(萬教歸一篇・上)から引用−−

 
p.57 
《「これエホバ神、天地創造の日に、天地と、地に発生する以前の野の植物と、
地に発生する以前(まで)の野の草蔬(くさ)とを創造り給いし由来なり」。》

 

この『生命の實相』第11巻の
谷口雅春先生のエホバ神の天地創造のご解釈によれば、

 第1番目の天地創造の話は“霊の世界”における真実の天地創造であり、
2番目の話は“物質世界”における偽りの天地創造だというご解釈。

初の天地創造は“実相世界”の創造を描き、
2番目の天地創造は“現象世界”の成り立ちを描いている
と考えておられます。

これは、生長の家・谷口雅春先生 独特の『創世記』についてのご解釈。


tokumeiー
 >>歴史的には、南インドにキリスト教が伝わった頃かそれ以降の、
法華経の成立かもしれないので、万教帰一というよりは、
仏教がキリスト教をとりいれていたかもしれないという事と、法華経の内容から、
聖書と法華経の内容は相反するかもしれないと思うようになりました。

 雅春先生は、神示集などで、さかんにアガシャ霊の事を絶賛されていましたが、
アガシャ霊の本の表紙は、ピラミッドや目やオベリスクなど、
フリメソンが好むデザインが描かれてあって、
アガシャ霊は、生前は、キリストだったという事を言っているのですが、
キリストがピラミッドの秘儀の復活を願うという事はほぼ無いので、
そういった系列の霊になるのだろうと思います。

 そもそも心霊学研究系統は、そういう系列に当てはまるみたいなんです…<<


志恩ー
tokumei様のおっしゃってることは、私には、とてもわかりづらいのですが、
アガシャのことや心霊科学研究のことは、ニューエイジのことをお調べになって、
おっしゃっておられるのでしょうか。

アガシャについては、ニューエイジでは、どのように言われているのか、
まだ私は調べておりませんが、
ニューエイジの「心霊科学研究」については調べてみました。

ニューエイジは、アメリカで
約1960年頃に始まった宗教の考え方ですが、

私が、母と共に、生長の家に入信する前にお世話になっていた「心霊科学研究所」は
1923年に、浅野和三郎氏が、宗教とはまったく関係なく創立したものの、流れでして、
ニューエイジの「心霊科学研究」とは、全然別物ですので、その点はご理解くださいませね。


tokumeiー
志恩様に、キリストの磔の事でお話しさせて戴きました時に、
死海文書?なら生命の實相の通りですねぇと言う会話になったのですが、

 今でも、磔と復活などについての情報は色々あって、
しかしどうして昔通りの内容が大事なのかという理由のほうが大事だったらしいです。
すみませんでした。


志恩ー
>>磔と復活に関しては、昔の言い伝え通りをとらないといけない理由が
肝心要な要点らしかったのです。<<

私も、いろいろな言い伝えがあることは、少しだけですが、情報を読んだことは
ありますが、正確なことは、わかりません。


 tokumeiー
もし、色々なくいちがいを超えて、雅春先生の教えが黙示録キリストの教えであったとしたら、
黙示録の中の「新しい歌」というのが、甘露の法雨に相当するとかでないと、と思うのですが、
大天使聖ミカエルは、実際には、カトリックの守護神であるので、
仏教をよろしという事は発言しない可能性の方が高そうなのです。


志恩ー
大天使ミカエルは、カトリックの時は、カトリックの守護神で現れて、
別の宗教のところに出てくる時は、別の顔に変装して出てくるのかもしれませんよ。


tokumei-
 本流との論争も激化しているのを見るように、イスラム教がよくないのもイスラムは武力で改宗させるのが間違いなのをそれを指示している神は、さすがに同じ神では無いという事で、仲良く出来ないらしいのです。雅春先生は、イスラムも良いというように記述されてますけれども、同じ神の筈がそうではなさそうな場合に別宗教になるので万教帰一はニューエイジ的考えであり、ニューエイジはルシファー的な要素が多いみたいなのです。


志恩ー
ニューエージについて調べてみましたが、良いのと悪いのがあるみたいです。
ニューソートもニューエージに入ると載ってました。
ニューソートは、いい思想です。
悪いのは、なんだったか、読みましたけれど、忘れました。
(フリーメーソンが 関わっているみたいなやつ)
悪い方を 覚えてみても しょうがないですからね。
そういうのは すぐに 忘れることにしています。


tokumeiー
 >>法華経にも燃えている菩薩が出て来ますが、火や炎、オリンピックも、オリンポスの神に捧げる聖火、これも世界をまとめようとする動きのものです。なぜかナチスが始めて、秘密を書き記された本
が焚書されています。

その秘密の一端は、法華経の薬草癒品のような内容で、
すべての宗教の教祖は宇宙から派遣されたという事が特徴です。
それがフリメソン系列の教えの特質らしいです。

 そしたらその結果、何が起こるかというと、
本物のイエスが建ててた素の教会が、倒れてしまうという流れになってくるのです。
それが現実に起こりつつあって、実は大変な事態が静かに進行していたのでした。<<


志恩ー
私は、谷口雅春先生の説かれた法華経解釈が、心が穏やかになれるので
やはり好きです。
フリメーソンについても、私も興味はありますけれどね。
最近では、コロナのワクチンもフリーメーソンが、権利を握っているという
情報を読みました。ほんとか、うそかは、わかりませんけれど。


tokumei様は、
頭良すぎて、あれもこれもと、考えすぎるんじゃないのですか?
ますますお元気でお暮らしください。



ニューエイジWikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8

アガシャの予言は「天と地を結ぶ電話」 J .クレショー、谷口清超先生訳(日本教文社出版)に載っています。 (30320)
日時:2020年07月08日 (水) 20時28分
名前:志恩

天と地を結ぶ電話(2020年の予言)
※「天と地を結ぶ電話」という本の中に2020年の予言があります。
http://blog.hangame.co.jp/H387333299/article/41244325
(2013年9月の記事)より

『 2020年といえば、一つ興味深い予言がある。

「天と地を結ぶ電話」という本がある。

これは1935年(昭和10年)アメリカのロサンゼルスにある

アガシャ教会というところで定期的に行われていた降霊会において、
リチャード・ゼナーという人が霊媒師になって、

アガシャと名乗る高級霊を降霊し、

その霊が今後の世界の動向について予言したものを、
ジェームズ・クレンショーという新聞記者が本にまとめたものだ。
(これはイギリスのシルバーバーチなどの霊界通信と同時期)

「天と地を結ぶ電話」という本は昭和35年に「生長の家」という宗教団体が出版した。

その本に書かれてあることは、例えばパレスチナ問題
(1935年当時にはパレスチナ問題は発生していない)についてや、
ソ連の崩壊(1935年当時、共産主義は最も勢いのある勢力であった)などである。

その予言にはこうある。

『1965年と2020年との間に無限の進歩の時期が訪れ、「新アトランティス」が建設されるであろう。

2020年より後には地上天国が現れ、
(中略)神がすべて神の子たちのために計画し給うた生活が訪れるであろう。』

2020年より後には地上天国が現れると言っている。

では、その地上天国というのは何か、これについても詳細に述べている。

『 政治的にも経済的にも、
世界はもっとも楽観的な理想家ですらも予想するこができなかったほど完全に組織化されるであろう。
その準備として人々は人生の非物質的側面を一層はっきりと自覚するようになる。

ロサンゼルスは哲学研究の世界最大の中心地の一つとなり、
全世界から南カリフォルニアへ幾千人もの人々が集まってくるであろう。
そして南カリフォルニアのある山の頂上に一つの大きな建築物「霊的記念館
(地震に耐えうるほどの充分に強力な建築物)」が建てられ、
そこではちょうど七千年の昔に、エジプトの大ピラミッドの中で行われたように
、神秘的研究が行われ、その時代の記録が供託されるであろう。』

どうやら、その有り様は、私の想像を超えてすばらしいものらしい。

ならば、その時代の兆候はあるのか。

『 光の指導霊たちは、世の中が変わってゆく兆しに注意せよと言っている。
それは子供や青年たちが心霊的なものに興味を持ち、
科学と宗教は一致すべきではないかと疑問を持ち始めて勉強をするようになり、
年長者以上に賢明になるというのである。』

つまり、魂の次元の高い人たちが生まれてきて、
旧来の唯物論的な政治・経済からとって変わってくるというのである。

しかし、そうなると、気になるのは新旧入れ替わりの過渡期のありようである。

アガシャの預言ではこうなっている。

『 宗教的、経済的戦争は既に行われており(1935年現在)、
それが好転する前にひどく悪くなるであろう。』

つまり、夜明け前は最も暗い、ということなのだ。
このあたりは『日月神示』で言うところの「大峠」と非常にニュアンスが似ているように思う。

さらに、アメリカは没落するとある。

『 アメリカ自身は未曾有の世界的指導国となるであろうが、
それと同時に「没落期」をも迎えるであろう。
すなわち、国内分裂の時期と大いなる災害の時期ともいうべきものを迎えるであろう。』

1935年当時に、既にアメリカの没落を予言している。
当時アメリカはまだ「モンロー主義」の時代であり、世界的指導国ですらない。
しかし、2013年に生きる我々は、この意味するところが非常によくわかる。

というわけで、長々と書いたが、
つまり2020年は予言によると記念すべき節目の年となるわけである。』

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71mlfk5ZdVL.jpg

志恩様 (30331)
日時:2020年07月09日 (木) 16時22分
名前:tokumei

 こんにちは、ご返信ありがとうございました。エホバ神は、キリスト教徒が怠けて居たら、イスラム教などにけしかけて襲撃させるぞとか、反対勢力に加勢する事でけしからん状態を許さずにおくらしいですから、心の法則とか、三十三身に身を変じてという事も言えるかもしれないのですが、基本的には使いの動物などをしないそうです。

 アガシャ霊の予言の子供達の部分は当たっていて、現代では、レインボーチルドレンの子供達が、悟った状態で生まれて来て、「人は神、すべては一つ、日本は素晴らしい国」などと、雅春先生と同じ真理を伝えていて、2020年に地上天国実現という事も言っていました。法華経にある華も宇宙へ行って見て来れて、絵が描けるという事も、かつて数回掲示板に投稿した事があります。

 でもその内容は、聖書とは逆の福音となっていて、聖書の神は、「人を神と言うのか!それなら殺されそうになった時にそれを言えるのか!軍隊を送ってやる」というような事を話していて、実際に、日本は、そうした考えの元に生きてましたから、軍隊に攻められて敗北してしまいました。

 そしたら、予言の中で、聖書の系列のがよく当たっているのに気が付きました。

 現実にも、日本は、どうやって生き延びて行ったらいいか、現実が厳しすぎる状態ですが、アメリカが日本を失った後の事も、現実に則していて、愛国者の努力よりも、エホバが勝つような印象を受けました。

 間違った福音を説くところに赤き龍は送られて、家庭の中でも不和になってしまうらしいです。

 聖書では、死者の言葉を聞くのを禁じているのに、それをしている所へ、「こらーけしからん」と叱りに来るのではなく、悟りをもたらしにやってくるキリストは、これをどうとらえたらいいのかと。
 谷神不死という言葉の神だそうですが、調べると、牝牛の門であるとか。牝牛では獣になってしまうような気がします。
 神戸の滝にも龍宮伝説がありましたが、神示にも「いづのめの神があらわれ…のちに住吉の神があらわれて…日本の實相顕現が」という事でした
https://ontaki.jimdofree.com/%E5%B8%83%E5%BC%95%E6%BB%9D%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5%E3%81%A8%E9%BE%8D%E5%AE%AE%E4%BC%9D%E8%AA%AC/


 私が、雅春先生の教えを信じなくなったのかという事よりも、かつて、雅春先生の本に黙示録の12,13章の実現の事が書かれてあって、それは実現しているという事を訴えさせて戴いていたのですが、相手にされなくて、結局雅春先生のその予言も気にされなくて、現実に起こっていても、活用されないなら、12,13章の予言と雅春先生の教えの関係は無関係なのかもと思うようになりました。

 それまでは、甘露の法雨の展開としてのこの地上という事で、水晶が含まれる甘露の泉をみつけたり、生長の家の大神の姿であるという毘盧遮那仏の姿に似た山を見つけたり、三つの桃の山をみつけたりしていました。

 でも、もう和解出来ないという結論が出されてしまって、和解しないという姿勢が正しいという事になってしまって、「天地一切のものと和解せよ」の掛け声に従った自分はよくわからない事になってしまいました。和解しないほうが正しいのだそうで、やっぱり、キリスト教のような、小乗の考え方が正しかったのかなと思うようになりました。
 キリスト教は、地上に天国を見出さないそうです。そうした訳でお別れを申し上げに来ました。

tokumei様 (30347)
日時:2020年07月10日 (金) 05時58分
名前:志恩

tokumei様はご文章の最後のところに書いてありますが、
なんのために今回、新・トキ掲示板へお越しになったかといいますと、
生長の家にお別れをいうために、わざわざいらしたのでしたか。

人それぞれに、どのようなことを 信じながら生きてゆくかということは
人それぞれですから.....、どの道へ歩まれましても、お元気で
お幸せに今後もお暮らしくださいますように。

で、この度も、tokumei様が、せっかくご意見を述べてくださいましたので
それに対しての、お返事は させていただくことにいたしました。


tokumeiー
>>エホバ神は、キリスト教徒が怠けて居たら、イスラム教などにけしかけて
襲撃させるぞとか、
反対勢力に加勢する事でけしからん状態を許さずにおくらしいですから、
(略)基本的には使いの動物などをしないそうです。<<


志恩ー
創造主であると、キリスト教の聖書に書かれてある”エホバ神”は、
ご自分の教えを信心している世界中のキリスト教徒のどなたかが
怠けていたら、そのような けしからん状態は 許さない神様だと
おっしゃるのですね。
すごく生真面目なご性格の神様!!

”エホバ神”はキリスト教徒のお一人お一人を
目を皿のようにして年がら年中厳しくチェックしていている神様で
怠けてる教徒を見つけると、罰を与えるという閻魔大王みたいな
お働きもされる神様だったのですか。

私は、そういう神様なら、お近づきになりたくないですね。
だって、私って、日常茶飯事怠けてばかりいる人間ですから、
そういう神様とお近づきになったら、一日中気を張り詰めっぱなしで
コマネズミのようにくるくるくるくる生きなきゃなりませんから、疲れますもの。
たとえば、
さっ、いまから風呂掃除するぞ!と思いながら、その前にと思って、
急いで お紅茶いれて レモンケーキ、食べたりしてますもんで。

やっぱり私の場合は、今まで通り 生長の家の神様の方で、いいです。
たとえ怠けていても
イスラム教徒に襲撃されることもないですし、安心して
のんびり楽しく明るく幸せに生きていられますからね。


tokumeiー
 >>アガシャ霊の予言の子供達の部分は当たっていて、
現代では、レインボーチルドレンの子供達が、悟った状態で生まれて来て、
「人は神、すべては一つ、日本は素晴らしい国」などと、
雅春先生と同じ真理を伝えていて、2020年に地上天国実現という事も言っていました。

法華経にある華も宇宙へ行って見て来れて、絵が描けるという事も、
かつて数回掲示板に投稿した事があります。
 でもその内容は、聖書とは逆の福音となっていて、
聖書の神は、

「人を神と言うのか!それなら殺されそうになった時に
それを言えるのか!軍隊を送ってやる」

というような事を話していて、
実際に、日本は、そうした考えの元に生きてましたから、
軍隊に攻められて敗北してしまいました。

そしたら、予言の中で、聖書の系列のがよく当たっているのに
気が付きました。<<


志恩ー
「地球の波動を上昇させるために肉体転生してきた宇宙人」と言われる
レインボーチルドレンやインディゴチルドレンの存在は私も知っています。
地球上の人間たちの魂の向上を
助ける使命を持って  この世に生まれてきた人たち、名前はチルドレンですが、
チルドレンが大人になって生きてる
人たちもいるという話は、私も知っています。

そういう人たちは、決して自己中心的ではなく、
地球人たちに心の安らぎと暖かさとはげみを与える。
お金儲けをした人でも、その儲けた
お金を、それこそ、自分だけのものにせず、人類に還元してゆく
生き方をしていると聞きます。

調べてみましたところ
実際のところは、生前の魂の尊さを忘れて犯罪者と変わらないような
だらしない生活を送っているレインボーチルドレンや、インディゴチルドレンが
とても多いそうですが、
しかし中には強烈な光を放ち、地球人に良い影響を与えている
人たちもいるそうです。


tokumeiー
>>(略)でもその内容は、聖書とは逆の福音となっていて、
聖書の神は、
「人を神と言うのか!それなら殺されそうになった時に
それを言えるのか!軍隊を送ってやる」
というような事を話していて、

実際に、日本は、そうした考えの元に生きてましたから、
軍隊に攻められて敗北してしまいました。<<


志恩ー
そいういう考え方のもとに生きてきたから、軍隊に攻められたんじゃなくて、
日本が軍隊に攻められた理由は、現代になってから、キチンと 歴史的に
封印されてたものが、解禁されて、明らかにされてますけれどね。


tokumei-
>>間違った福音を説くところに赤き龍は送られて、
家庭の中でも不和になってしまうらしいです。<<

志恩ー
もしかしたら、谷口家のことを言ってるのでしょうか?
谷口雅春先生が、間違った福音を説いたから
三代目さんみたいな赤き龍が送られてきたのだと。
もしも、そうでしたら、それは、こじつけだと思います。

まだまだ、ございますが、
まだまだご文章が長いので、すみませんが、
あとは省略させていただきますけれど、
 
 >>そうした訳でお別れを申し上げに来ました。<<

ということですので、

先に申し上げましたが、
tokemei様、
どうぞ、お健やかに生きていかれますように!!good luck。

本当に本物なのですか? (30355)
日時:2020年07月10日 (金) 09時37分
名前:tokumei

 志恩様おはようございます。志恩様のお話しでは、本当に生長の家の神が、本物のキリストなのか、黙示録のキリストなのか不明瞭なのですが、「違う」という事でよろしいのでしょうか?

 今は、ご神像は黙示録キリストだという事で、そういう主張で、教団と本流が争っているのですが、違うのでしたら、争う必要は無いような気がするのですが。

 ナチスの焚書した本によると、事の真相は、
 洗礼の神 VS 七変化が得意な神(獣である龍)
という構図になっているそうです。

 生長の家の神は、洗礼も不要で、七変化が得意で、龍宮で、という事ですと、

洗礼の神(本物)とVSの関係になっているような気がするのです


 だったら、「黙示録キリストだ!」と言って争うのは、無意味な気がするのですが

tokemei様へ生長の家の神が、本物のキリストなのか、 黙示録のキリストなのかについて (30357)
日時:2020年07月10日 (金) 12時22分
名前:志恩

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
tokumei様のご投稿文
:再掲;
本当に本物なのですか? (30355)
日時:2020年07月10日 (金) 09時37分
名前:tokumei

 志恩様のお話しでは、本当に生長の家の神が、本物のキリストなのか、
黙示録のキリストなのか不明瞭なのですが、「違う」という事でよろしいのでしょうか?

 今は、ご神像は黙示録キリストだという事で、そういう主張で、教団と本流が争っているのですが、
違うのでしたら、争う必要は無いような気がするのですが。

 ナチスの焚書した本によると、事の真相は、
 洗礼の神 VS 七変化が得意な神(獣である龍)
という構図になっているそうです。



 生長の家の神は、洗礼も不要で、七変化が得意で、龍宮で、という事ですと、
洗礼の神(本物)とVSの関係になっているような気がするのです
だったら、「黙示録キリストだ!」と言って争うのは、無意味な気がするのですが
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
頭注版『生命の實相』第一巻(總説篇/實相篇 上)の表紙を開けますと
谷口雅春先生がお書きになった「われ振り返りて...」から始まる巻頭の言葉が
ございますが、それで、この巻頭の言葉の最後のところに、出典が記されていますよね。

そこには(『黙示録』第一章、十二節ー二十節)と。

で、tokumei様の私への質問は、

>>本当に生長の家の神が、本物のキリストなのか、
黙示録のキリストなのか不明瞭なのですが、
「違う」という事でよろしいのでしょうか?<<

ということですが、
結論を申し上げれば、
生長の家に現れたキリストは、やはり本物のイエスキリストだ
と私はたくさん調べ直した結果、思いました。

この際ですから、私は、色々と「黙示録」について調べてみたのです。

そして、この時代になって、「黙示録」についても詳細に
調査が進んだお陰で、谷口雅春先生が、この「黙示録」をここへ載せられた
重要な意味が、調べれば調べるほど、わかって参りました。

(黙示録は他にもあるのだそうですが、
谷口雅春先生が引用されたのは、「ヨハネの黙示録」です)
「黙示」と「啓示」とは、同じ意味なのだそうです。

神からの啓示が、イエスキリストに降り、それを後世に残すために
ヨハネが記録したのが、「ヨハネの黙示録」とのこと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ネット記事より引用ー

『ヨハネの黙示録1章』

フィンランド語原版執筆者: ヤリ・ランキネン(フィンランドルーテル福音協会、牧師)
日本語版翻訳および編集責任者: 高木賢(フィンランドルーテル福音協会、神学修士)

題名 1章1〜3節
 「ヨハネの黙示録」という題名は誤解を生みかねません。
黙示を受けたのはイエス様であって、ヨハネではないからです。

復活されたキリストが父なる神様から受けた黙示を伝えるためにヨハネに天使を遣わしたことが、
最初の節に書いてあります。

これを「黙示の連鎖」と名づけることができるかもしれません。

罪深い存在である人間は聖なる神様の直接の語りかけに耐えることができません。
イエス様は人間と神様の間をつなぐ仲介者です。

またイエス様は「変圧器」のようなお方です。
罪深い存在である人間の許容力に合うように、神様の巨大な力を変えてくださるからです。
神様がお決めになったこととそれに基づき将来起こることを自らの僕に伝えるために、
イエス様は黙示を受けたのです。

 「ヨハネの黙示録」の書き手は自分のことを「イエス様の僕(あるいは奴隷)」と呼んでいます。パウロも自らを同じ名称で呼んでいます(フィリピの信徒への手紙1章1節)。このヨハネとはいったい誰なのか、私たちは序章で究明を試みました。断言はできませんが、十二弟子の一人、使徒ヨハネその人であった可能性は大いにあります。

 「ヨハネの黙示録」はヨハネ自身の考えや
これから世界で起こることに関する想像が記された書物ではありません。

このことは2節からわかります。
ヨハネは神様から書くように言われたことを書き記しました。

それゆえ、彼は神様の御言葉とキリストの証について語るのです。

このことを念頭におくかぎり、私たちは「ヨハネの黙示録」を正しく読んでいると言えます。

この本を通して私たちが取り組んでいるのは、
人間の精神が作り出したものではなく、

神様が私たちに語るべきだと思われたことがらだからです。

 神様がヨハネに黙示を与えた目的は、

その黙示が記録保存され、神の教会で読まれ、皆に聴かれるようにすることでした。
黙示が与えられたのは、人間の際限ない好奇心を満たすためではなく、
人々が黙示の内容を信じ、それに基づいて正しい判断を下すようになるためでした。

3節にある「守り抜く」というのは、そういう意味です。

「ヨハネによる黙示録」は、
イエス様の再臨を直前に控えた時代に生きている人々のためだけに書かれたものではありません。

この書物には、あらゆる時代のすべての人々に対するメッセージが込められています。

それゆえ、ヨハネは自分に示された黙示をすべての人が読むように促しているのです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
つづく






頭注版『生命の實相』第一巻(總説篇/實相篇 上)の (『黙示録』第一章、十二節ー二十節) 口語訳全文掲載 (30358)
日時:2020年07月10日 (金) 12時33分
名前:志恩

【ヨハネの黙示録より】

第1章
1:1
イエス・キリストの黙示。
この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すため
キリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、
僕ヨハネに伝えられたものである。

1:2
ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、
すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。

1:3
この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、
その中に書かれていることを守る者たちとは、
さいわいである。時が近づいているからである。

1:4
ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。
今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、
また、その御座の前にある七つの霊から、

1:5
また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、
地上の諸王の支配者である
イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、

1:6
わたしたちを、その父なる神のために、
御国の民とし、祭司として下さったかたに、
世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

1:7
見よ、彼は、雲に乗ってこられる。
すべての人の目、ことに、
彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。
また地上の諸族はみな、
彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

1:8
今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、
全能者にして主なる神が仰せになる、
「わたしはアルパであり、オメガである」。

1:9
あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、
わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

1:10
ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。
そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。

1:11
その声はこう言った、
「あなたが見ていることを書きものにして、
それを
エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある
七つの教会に送りなさい」。

1:12
そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。
ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。

1:13
それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている
人の子のような者がいた。

1:14
そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、
目は燃える炎のようであった。

1:15
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、
声は大水のとどろきのようであった。

1:16
その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、
顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

1:17
わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。
すると、彼は右手をわたしの上において言った、
「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、

1:18
また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、
世々限りなく生きている者である。
そして、死と黄泉とのかぎを持っている。

1:19
そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。

1:20
あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、
こうである。
すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、
七つの燭台は七つの教会である。


つづく

頭注版『生命の實相』第一巻(總説篇/實相篇 上)P5 (30359)
日時:2020年07月10日 (金) 13時08分
名前:志恩

P5
谷口雅春先生ー

最初、”生命の實相”哲学をわたしの個人雑誌『生長の家』で
発表したものであって、これを宗教運動というよりは、
哲学的思想運動として出発したのであるが、それを読む
人々に無数の奇跡的事実があらわれると同時に、

巻頭に掲げた「黙示録」第一章に現れた白髪の神姿のごとき
神秘的な異象を見る人や、不思議なインスピレーションを
感ずる人があらわれるにいたって、人々は、これを一宗一派の
運動ではなく、全ての宗教の神髄ー言い換えればすべての宗教に
共通する救いの根本原理が、わたしの実相哲学で説かれている
ところの真理に一致するので、すべての宗教の伝統の家に
生まれた人が、そのまま改宗せずして、祖先伝承の宗教の本尊を
礼拝しつつ、その神髄である救いの根本原理を把握して、
それを実生活に応用しうると言って悦ばれているのである。

『生命の實相』は、最初の版が出てからすでに三十有余年、
その頒布部数九百万部を超える由で、現在も、なお
その需要ひき切れない有様である。

(1962(昭和37)年5月1日)


つづく

『ヨハネの黙示録』は『新約聖書』に収められた正式な預言書であります。「黙示録」は原始キリスト教時代に成立しました。 (30361)
日時:2020年07月10日 (金) 13時24分
名前:志恩

ネットより
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『ヨハネの黙示録』は『新約聖書』に収められた
正式な預言書であります。】



『ヨハネの黙示録』は、397年に開催されたカルタゴ会議において、
現在の27巻から成る正典『新約聖書』の中に組み込まれました。
632年のトレド会議では、
復活祭から聖霊降臨祭の間、教会で読まれなければならない
とその役割が確認されました。

「世界の終末」と「最後の審判」、
そして「新しい世界の到来」が記されている
『ヨハネの黙示録』は、世界の終末の様子と、
再臨したイエス・キリストによる最後の審判、
そしてそのあとに続く新しい世界の到来が記されています。略

その内容は、
七角七眼の子羊が巻物の七つの封印を次々に解くと、
地上で戦争や飢餓などが起こります。

第七の封印が解かれると、七人の天使に
七つのラッパが与えられます。
天使がラッパを吹くと、
さらに激しい災いが起こり、地上の悪が滅びるとともに
世界が終末を迎えます。

その後イエスと殉教者が支配する王国が
千年続きますが、
封印されていたサタンが再び現れます。

しかし天から火が降り注いでサタンは滅ぼされます。

イエスによる最後の審判が行われ、
善人は祝福されて神の国へ、
悪人は永遠の罰を受けます。
新しい天と地、新しいエルサレムが現れます。

以上のように、『ヨハネの黙示録』は、
カタストロフィーやこの世の終わりだけを語るものではなく、

その後に訪れる「千年王国」を経て、

新しい世界の到来を示す救済の書です。

しかし、その救済の前に起こる破滅的な災害の模様が、
想像を絶する衝撃的な内容であるため、

「黙示録」は「世界の終わりの大災害」とイコールとなって
イメージされるものと考えられます。
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【「獣の数字」の謎が有名になった『ヨハネの黙示録』に
登場するエピソード】


「獣の数字」の謎が有名になった
『ヨハネの黙示録』に登場するエピソードには、
「七角七眼の子羊」「ラッパを吹く天使」など、
象徴的・神秘的でかつ印象的な架空の動物や天使が
登場します。

その中でも「獣」と「獣の数字」が人々の想像力を
かき立てました。

『ヨハネの黙示録』には、
十本の角と七つの頭を持つ、海から上がった「獣」と、
二本の角を持ち、竜が吠えるように語る、地中から上がった
「獣」という二匹の獣が登場します。

そしてその獣の数字は「666」であり、その意味を考えよ、
と記されているのです。
なお、獣は、サタンとともに滅ぼされます。

獣の数字についてはいくつかの解釈がありますが、
紀元1世紀に暴君として恐れられていた
「皇帝ネロ」を指すとする説が有力です。

当時、キリスト教徒を迫害していた「獣」である
ローマ皇帝を打ち破り、
神は新しい世界を作り直すことを示しているとされます。
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(引用終わり)


志恩ー
わたしはわたしなりに調べた結果、「ヨハネの黙示録」
のイエスとは、本当のイエスキリストだという結論になりました。

志恩様、ありがとうございます (30369)
日時:2020年07月10日 (金) 17時58分
名前:tokumei

黙示録の事を偽書のように言っていたのは、管理人様でした。


私の疑問点は、生長の家の神が黙示録のキリストというのは、本当?という事なのです。


だって、本当だったら、いいつけを守らなかった人が褒めらるという事になりませんか? それなら、イエスの教えの逆になります。逆点させて善という事にしておくというのは、悪い系のやりかたらしいのです

tokumei様 (30373)
日時:2020年07月10日 (金) 18時24分
名前:志恩

志恩ー
tokumei様のコメントを読まないうちに、私が土日は留守にする話を
書きました。

_________________________________________
tokumei-
>>黙示録の事を偽書のように言っていたのは、管理人様でした。<<

志恩ー
この管理人様とは、光明掲示板の方の管理人さんですか?

tokumei-
<<私の疑問点は、生長の家の神が 黙示録のキリストというのは、
本当?という事なのです。<<


志恩ー
生長の家の神は、言うまでもなく住吉の大神様ですが、
イエスキリストが、ご降臨されて、谷口雅春先生の元へ
現れたと言うことではないのですか?
もしかしたら、谷口雅春先生の前世のお姿なのかもしれませんし、
その点は、どうなのか、私は、そこまでのことは、わかりませんが。

tokumei様の私への最初の質問は、

>>本当に生長の家の神が、

本物のキリストなのか、
黙示録のキリストなのか

不明瞭なのですが、
「違う」という事でよろしいのでしょうか?<<

というものでした。

最初の質問の内容と、この度の質問の内容が変わりましたね。

tokumei-
>>だって、本当だったら、いいつけを守らなかった人が
褒めらるという事になりませんか? 
それなら、イエスの教えの逆になります。
逆点させて善という事にしておくというのは、
悪い系のやりかたらしいのです<<


志恩ー
おっしゃる意味がわかりません。
すみませんが、もっとわかりやすく具体的にお話くださると
ありがたいのですが。

志恩様 (30390)
日時:2020年07月10日 (金) 21時41分
名前:tokumei

 こんばんは、質問の内容が変わっているように思わないのですが、変わってますでしょうか?
 志恩様は、エホバよりも、生長の家の神の神のほうがケーキが食べられていいという事を仰っていて、そしたら違う神と言っている事になりませんか?



 管理人様とは、そうです。その後、志恩様は、「魔女裁判みたいなことして」と私をかばって抗議して下さいました。


 一応、黙示録は、偽書ではないそうなんです。そして今は、生長の家の神(ご神像含む)は、黙示録キリストだという事で、団体間で、とりあいみたいになってます。


 そしたら、「黙示録キリスト=生長の家の神」というのは、本当か?という事が気になりますよね

 調べたら、どうやら、イコールではない可能性があると、そしたら、両者の争いは、しなくていい事をしているのかもと


 イコールだったら、まだいいのですが。
私も信じてたので、応援していたので、もし、イコールでなかったら、訂正しないといけないと思って、無理して書き込みさせて戴いたのです。
お手数をお掛けして、本当に申し訳ないです。最初から、応援しなかったらよかったのに



(志恩様)>生長の家の神は、言うまでもなく住吉の大神様ですが、イエスキリストが、降霊されて、谷口雅春先生の元へ現れたと言うことではないのですか?
もしかしたら、谷口雅春先生の前世のお姿なのかもしれませんし、
その点は、どうなのか、私は、そこまでのことは、わかりませんが。


 はいその点なんです。それが本当の事かにすべてがあるような気がします。
 イエスが現れたという宗教は、他にもいっぱいあったり、しかし、それらがもし繁栄すると、本家本元が消えてしまうようになると、それは本家本元を攻撃しているようなものとなるような気がします。

 本家本元は、生前のイエス様本人が、直接指導の元、設立したもので、ほかと、内容が違うのです。

 本人の内容と違う内容の教えが繁栄して、本元が消えると、本当のイエス様の教えが地上から消えてしまう


 でも、雅春先生の教えは、「生長の家の中に本物のキリスト教もあり」という事でした。



 再度申し上げますと、イエス様本人が設立した教え内容 VS すべての教祖は宇宙が派遣したマスターという考え となっていて、

 ドリーンバーチューさんも、イエスは、アセンデッドマスターの一人のうちに過ぎないと考えて居たのが、「違った! 本物の神だった!」と大慌てして訂正されたのでした。


 イエス様をアセンデッドマスターの内の一人みたいな位置づけをしている宗派は多そうです。

 プロテスタントは、そうではなくても、なんだかカトリックの中に侵入して、カトリックは、プロテスタントに近づいて、ここでも、イエス様本人の教えが消えて行っていて、現代は、危機的状況で、それこそ黙示録の内容の通り、終末の様相を呈していて、聖人の方々の予言に信ぴょう性を感じるようになってきました。

 志恩様はお出かけでらっしゃるのですね。相談に乗って下さってありがとうございました。

“ご神像”について (30395)
日時:2020年07月10日 (金) 23時49分
名前:志恩

tokumei-
 >>一応、黙示録は、偽書ではないそうなんです。
そして今は、生長の家の神(ご神像含む)は、
黙示録キリストだという事で、団体間で、とりあいみたいに
なってます。<<


志恩ー
原宿の本部会館の円塔の外壁に据え付けられてあった
彫刻家・服部仁郎先生作の“ご神像”は、
生長の家の大神様では ありませんよ。

この像については、谷口雅春先生は、
生長の家大神様そのものではなく、
一つの「イメージ」であり「象徴」であり「表現」です
と様々な著書に書かれておられます。


 『生長の家』誌の昭和27年11月号の「明窓浄机」欄には、

谷口雅春先生は
この像のことを
「“七つの燈台の点燈者”を象徴せられる聖像」だと書かれておられます。

「“七つの燈台の点燈者”の聖像」とは書かれずに

「点燈者を象徴せられる聖像」と 表現しておられる のです。

イエスキリストをイメージして作られたもののようですが、
生長の家の大神様とは違います。

なぜなら、九州総本山にご本尊像を頼まれ、
彫刻家・片岡環先生が教団に依頼されて
作られたのは、”観世音菩薩像”だったからです。

観世音菩薩像も、生長の家大神様ではないように
ご神像も、生長の家大神様ではないのです。


生長の家の信徒さんは霊視で、輝子先生は、夢の中に現れて、
みられたのは、
同じように
白い衣を召された神々しい神様のお姿だったったことは、
書かれてますが、
 谷口雅春先生ご自身は、
この神姿をはっきりとご覧にはなっていないようなのです。

頭注版『生命の實相』第20巻(自傳篇)に、

谷口雅春先生は“神の声”に導かれて悟りへ至った際のご体験を、
次のように書かれておられます。

p. 136
 「わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲(みなぎ)った。
何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。
しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、
合掌したまま座っている自分をそこに見出したのであった」。



それから、
”ご神像”は、教団と学ぶ会(団体間)で、
取り合いみたいになって
争っているのでは  ありません。

あの原宿本部会館も、生長の家上層部は清水建設に耐震構造可能であると
言われておきながら、ほんの一部と塔だけ残して、取り壊してしまいました。
しかし、
あの塔は、そのままにしてあるのですから、何もわざわざ”ご神像”を取り外す必要も
なかったのに、御供養もお礼の儀式も何もせず、ただの美術品扱いで
教団上層部は、取り外し、八ヶ岳の国際本部では、地面に野晒し状態で
置かれていることに対して、心ある信徒の皆様が悲しみ怒っているのです。

志恩様、ありがとうございました (30477)
日時:2020年07月12日 (日) 08時47分
名前:tokumei

 お忙しい中ご投稿下さったのですか。どうもすみませんでした。
総本山の為に作られた像とは、霊宮にお祀りされている像の事でしょうか

(志恩様)>イエスキリストをイメージして作られたもののようですが、生長の家の大神様とは違います。


『生命の實相』には、輝子先生が、服部先生に、具体的に形をお伝えして作られたというように書かれてあったと思います。

 志恩様のご説明では、新しい本の表紙になっている方は、生長の家の大神様とは違うという事になるのでしょうか?


 黙示録では、7つの星を手に持っておられるキリストの姿が出て来ますが、
生長の家大神様も、信者のところにあらわれる時に、7つの星を持って現れられたりしてますが、

そうした似た出現は、一般的には、危ないそうです。だから、証拠にならないそうです。悪い霊ほど、光の天使の神々しい姿に化けるそうです。


 あまりに本物にそっくりなので、多くの人が信じて聖堂でも建つというのが世界的に行なわれているみたいです。
 空中遊歩さす程の霊でも、キリストを名乗りながら、強烈な悪霊なのです。大勢の人が、良い事と思って、悪事に加担させられるのです。
 それは、昔の教えを”変える”という事に加担させられるのです。例えば地獄は無いという事に変えさせるとか



 とりあいというのは、両者で「こちらのほうが本物の教え」と主張しあって、掲示板には、ご神像を取り返すというような事も書かれていて、著作権の裁判もあったり、それは、とりあいではないのですか?


 私は、こうした事がおこる上に、掲示板上でのやりとりが悲しくて、泣き続けておりました。そしたら心臓おかしくなり、続けていられなくなり、


大きな団体の先生方がこぞって、「聖書を使用しないようにするキリスト教徒が居ないように、『生命の實相』を使用しないなんてありえない」というような説明をされるのです


生長の家の大神は、再臨のキリストで最後の審判で来たという事になっているのに、聖書はキリスト教徒の物になっていて、それに対して、生長の家の信徒は、『生命の實相』を読んでいたらいいと、

でも、生長の家の神は、黙示録の神であると、そしたら、聖書も要るのではないでしょうか?


本物のキリストなら、聖書も要る筈です。聖書を不要みたいに言って、黙示録の数カ所だけ持ってくるのは、支離滅裂な説明な印象があるのですが、疑問に感じないものでしょうか

前後関係というか、つながりというか、これがあるからこれがあるというような、聖書があるから、黙示録もある、黙示録があるから、黙示録が予言する未来の状態がある、雅春先生の説では、その将来の状態が、生長の家の出現である、という事なのですから

tokumei様 (30621)
日時:2020年07月13日 (月) 09時29分
名前:志恩

tokumeiー
>>志恩様のご説明では、新しい本の表紙になっている方は、
生長の家の大神様とは違うという事になるのでしょうか?<<


志恩ー
「谷口雅春先生は、この""ご神像""のことを
「“七つの燈台の点燈者”を象徴せられる聖像」だ
と書かれておられますので、
生長の家の大神様とは違います。」
と申し上げた通りです。

「實相」の額も、「実相」そのものでは、ありませんよね。
何も無いよりは象徴があるほうがやりやすいから、
「實相」の額を通して、実相を礼拝する。
それと同じ考え方。


 
tokumei-
>> 黙示録では、7つの星を手に持っておられるキリストの姿が
出て来ますが、
生長の家大神様も、信者のところにあらわれる時に、
7つの星を持って現れられたりしてますが、

そうした似た出現は、一般的には、危ないそうです。
だから、証拠にならないそうです。
悪い霊ほど、光の天使の神々しい姿に化けるそうです。

 あまりに本物にそっくりなので、
多くの人が信じて聖堂でも建つというのが世界的に行なわれているみたいです。
 空中遊歩さす程の霊でも、キリストを名乗りながら、強烈な悪霊なのです。
大勢の人が、良い事と思って、悪事に加担させられるのです。
 それは、昔の教えを”変える”という事に加担させられるのです。
例えば地獄は無いという事に変えさせるとか<<



志恩ー
それについては、昔から言われていることなので私も存じています。
信じることにより、自分も他人も日本国も、不幸に陥れるのは、悪霊。
信じることにより、自分も他人も日本国も、幸せにいい方向に向かうのが善霊。



tokumeiー
 >>とりあいというのは、両者で「こちらのほうが本物の教え」と主張しあって、
掲示板には、ご神像を取り返すというような事も書かれていて、
著作権の裁判もあったり、それは、とりあいではないのですか?

私は、こうした事がおこる上に、掲示板上でのやりとりが悲しくて、
泣き続けておりました。そしたら心臓おかしくなり、続けていられなくなり、

大きな団体の先生方がこぞって、
「聖書を使用しないようにするキリスト教徒が居ないように、
『生命の實相』を使用しないなんてありえない」
というような説明をされるのです<<


志恩ー
”ご神像”については、教団の八ヶ岳の教団本部の敷地内の地面に置き、
野晒し状態であることを、学ぶ会が批判していますが、取り合いになってはいません。


tokumeiー
>>生長の家の大神は、再臨のキリストで最後の審判で来たという事になっているのに、
聖書はキリスト教徒の物になっていて、
それに対して、生長の家の信徒は、『生命の實相』を読んでいたらいいと、

でも、生長の家の神は、黙示録の神であると、
そしたら、聖書も要るのではないでしょうか?

本物のキリストなら、聖書も要る筈です。
聖書を不要みたいに言って、黙示録の数カ所だけ持ってくるのは、
支離滅裂な説明な印象があるのですが、疑問に感じないものでしょうか

前後関係というか、つながりというか、これがあるからこれがあるというような、
聖書があるから、黙示録もある、黙示録があるから、
黙示録が予言する未来の状態がある、雅春先生の説では、
その将来の状態が、生長の家の出現である、という事なのですから<<



志恩ー
谷口雅春先生は、聖書は要らない、とか、
生長の家のヨハネの黙示録解釈のみを読んでいればいいなどと
おっしゃったことはありません。


谷口雅春先生著『ヨハネ伝講義』(388頁)は、
ヨハネの黙示録の
ほとんど全章についての解釈が載っていますが、そのはしがきに
谷口雅春先生は、こう記されておられます。

《「ヨハネ伝」はキリストの福音書のうちで最も霊的な著作である。
だから真にキリスト教を理解し、キリスト・イエスの霊的人格に
触れるためには「ヨハネ伝」を数十回、数百回読んでキリストの
生命に直接触れなければならない。

教会キリスト教についてはむしろ門外漢である私が「ヨハネ伝」を講義
するのは僭越のそしりを免れないかもしれぬが、既成の教会に属する
人たちは、伝統的な解釈や教権にしばられていて、
ふるき無力な解釈になずんで、
却って真にキリストの生命に触れ得ない
うらみがあるのである。

レッテルやポスターは
「キリスト教会」と称しながら中味は全然、
反キリスト教を説いている教会すらあるのである。

私が、あえて、キリスト福音書のなかで最も霊感的解釈を必要とする
「ヨハネ伝」の講義の速記を
ここに発表しようとするのは、読者諸賢に
真のキリストの生命に触れて新生して頂きたいからである。

「では、汝はキリストの生命に触れたのか」と問う人があるならば、
私は躊躇なく
「私はキリストの生命に触れ、キリストの魂を理解し得たと信ずる」
と答えるであろう。

イエスは、
「誠にまことに何時らに告ぐ、我を信ずる者は我がなす
業(わざ)をなさん。かつ、これよりも、大いなる業をなすべし」
と「ヨハネ伝」第十四章に断言していられるのに、なぜ、
現在の概(おお)くのキリスト教会では、イエスが行ったほどの
奇蹟を実演することができないのであろうか。
イエスのこの言葉をキリスト教会の人たちは、
ただ空言だと信じないのだろうか。

イエスの言葉を空言として  信じないならば、
彼らは既に  キリストを信じない者である。
(中略)

わたしは、どんな既成のキリスト教にも属しないが、わたしは独自の
霊感によって聖書に接し、キリストの生命に触れたのである。

そして、誰よりもキリストを信ずる者である。
(中略)

私は、あらゆるキリスト教会に属する人たちが、信者も宣教師をも
ひっくるめて、このヨハネ伝講義 により、
本当にキリストの生命に触れることができ、
キリストよりも 大いなる業(わざ)をなすことができることになり、
真の「キリスト教会」として
その人類救済の使命をまっとうせられんことを
希望する者である。
(略)

名称がキリスト教徒であるばかりではなく
真にイエスの魂に触れ、イエスに
従う者のみが真にクリスチャンである。

   (昭和35(1960)年8月25日)      》


志恩ー
当時の鳩山一郎首相の奥様でいらした鳩山薫さんも
昔からの熱心なクリスチャンでしたが、
生長の家の教えによりまして、キリスト教のことが、
よくわかるようになったと感謝されてたお方のお一人でした。

余談になりますが、.....
谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代、薫さんは、
お忍びでお山での誌友会にも参加されていらしたことは
輝子先生も白鳩誌に書かれておられますが、

私が原宿本部に奉職中にも
鳩山薫さんは、
数回、原宿本部へ谷口雅春先生ご夫妻にご相談に
いらしていました。私が覚えているだけでも、二回は
こられました。私が、鳩山薫さんをお部屋へご案内いたしまして、
お茶とお菓子を 
谷口雅春先生ご夫妻にご相談中の
お部屋へ運びましたので、間違いでは ありません。

鳩山薫さんは、当時、音羽邸の はなれ で、
白鳩会支部会も開いておられました。

当時の1月1日には、新年祝賀式が本部の大道場で
午前中に開催されておりましたので、私は、その頃は、
午前中は、本部の祝賀式に参列いたしまして、
午後からは、東京都文京区にある音羽邸に一人で、行きまして、
鳩山薫さんに新年のご挨拶をしに、例年、伺っておりました。
そして、音羽邸の応接間で、鳩山薫さんと私の二人で歓談しておりました。

______________________

20世紀日本人名事典より

【鳩山 薫(読み)ハトヤマ カオル】


明治〜昭和期の教育者
共立女子学園中、高、大、大学院の校長。
共立女子学園理事長。 鳩山一郎元首相夫人。
生年明治21(1888)年11月
没年昭和57(1982)年8月15日
出生地東京
学歴〔年〕女子学院卒
主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和38年〕,
勲一等瑞宝章〔昭和41年〕
経歴明治41年鳩山一郎と結婚。
4代にわたる政治家一家を支える一方、女子教育にも力を入れ、
昭和13年から義母のあとを継いで共立女子学園の理事長を務めた。
没後の平成11年「鳩山一郎・薫日記」が刊行された。

______________________
鳩山薫さんのお写真
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcSL6-cb18RyHFqZk0rUq0QHC8VqLgJ7kdQB2w&usqp=CAU

tokumei様 (30622)
日時:2020年07月13日 (月) 10時42分
名前:志恩

本日、tokumei様ご紹介の
谷口雅春先生著;【新講『甘露の法雨』解釈】が届きました。
拝読後、感想を のべさせていただきます。
____________________
2020/07/06
tokumei-
>>志恩様が、「金龍と大天使聖ミカエルは同じ」というような事を
ひとことおっしゃっておられていて、
「その証拠はどこにあるのかな」と分からぬまま、受け入れていたのですが、
ずっと調べたのですが、膨大な量ですので、全部ご説明しきれないのですが、<<

tokumei-
>>志恩様は、大天使聖ミカエルがお好きでらっしゃって、
それと浅草寺の観音様そして金龍が同じという事で、
甘露の法雨も、大天使聖ミカエルが書いたという事になっているのですが、<<

(30313)
tokumeiー
>>甘露の法雨は、大天使聖ミカエルが告げた、
そして、大天使聖ミカエルと、観音様は、同一人物だ、ミカエル⇒身変える という音にも
それが表れているというのは、雅春先生のお考えですが、
出典は、はっきり憶えていません、おそらく、『甘露の法雨解釈』あたりだろうと推測します。<<

____________________________

志恩様へ (30637)
日時:2020年07月13日 (月) 20時58分
名前:tokumei

 お忙しい中ご返信下さりありがとうございました。私は、知恵遅れと言われるので、あのご神像が、生長の家大神の姿を表したものだとばかり思ってました。また、著作権などもとりあいになっていると思ってました。難しすぎて、私にはわからないです。みんな仲良いんだと思って安心するように致します。


 ところで、生長の家の神が、黙示録冒頭のイエスというのは、どうなったのでしょう?


 鳩山氏がキリスト教がよくわかると仰っていても、法華経解釈の著者佐藤勝美氏も、よくわかると仰っていたのにその後去ってしまわれたし、
カトリックとプロテスタントの言い分は、解決のめどがたたない内容で、雅春先生の内容は、プロテスタント寄りの内容で、それだと反キリストになってしまう可能性があるので心配しています。なぜかと申しますと、プロテスタントがカトリックを侵略して、カトリック消滅の危機で、数えるほどしか居ない位までになってまして、そうなってくると、危ないというのが昔からの言い伝えだからです。

 (30641)
日時:2020年07月14日 (火) 08時54分
名前:志恩

志恩ー

tokumei様へ
ご深切にコメントをくださいまして、
色々と教えてくださいまして、ありがとうございます。

さて、早速ですが、

私は、tokumei様ご紹介の
谷口雅春先生著【新講『甘露の法雨』解釈】を読みはじめて
いるところですが、19頁に早、『□ ミカエル大天使』という章で
谷口雅春先生は、お書きになられていますね。

それより  ずっと前の頁から
『甘露の法雨』の成り立ちについてのご文章が載っておりますが、

tokumei様の最初のコメントによりますと
>>「甘露の法雨」は大天使ミカエルが、書いた<<、と
おっしゃいました。

次のコメントでは、
>>「甘露の法雨」は大天使ミカエルが、告げた<<と
おっしゃいました。

で、正しい方は、”・・・告げた”のほうでしたよ。
______________________________
谷口雅春先生著【新講『甘露の法雨』解釈】より
:一部抜粋:

p.17
「甘露の法雨」の最初にかかげてある招神歌の第四首目に、
「天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家大神守りませ」
とありますが、この「天地の祖神」というのが宇宙に充満して
居られる本源神であります。

本源神は、普遍的であって、一切處にみちみちて居られる。
宇宙を貫く法則、宇宙を貫く生命、宇宙を貫く心というように
「甘露の法雨」の中には示されてありまして、宇宙のどこにも
貫いてみちみちておられる普遍的存在でありますが、

その普遍的な神様の御心である道を伝えんがために
人格的に現れたお方が、生長の家の大神であり、
観世音菩薩であります。


神様が普遍的な存在であるところの宇宙にみちみちている
単なる法則であったり、姿形もなにもないところの宇宙に
みちみちている生命であったり、単なる無形の真理であったり
しただけでは、直接に人格的に触れ合って、親しく人に対して
教えをするというわけには行かないのであります。

神がただの法則でありましたなら、法則というものは、たとえば
二二んが四というような法則ですね。略

だから人を救わんがためには、神の救いの霊波が人格的に
あらわれる必要があるのでありまして、

この神の救いの霊波が人格的にあらわれたものを
「てんのつかい」または天使というのであります。

仏教における諸菩薩ー観世音菩薩とか普賢菩薩とか
文殊菩薩とか、勢至菩薩とか言われるところの菩薩たちは

キリスト教でいう天使たちに当たるのです。


宇宙の本源神が救いのために、ある人格的な姿を持って
現れて来られたのを「天使」と申し上げるのであります。
_________________________________
p.19  □ミカエル大天使

観世音菩薩は、キリスト教では ミカエル大天使とあらわれて
ましますので、萬教帰一的立場から言えば同じ
「天のつかい」であります。

ミカエル大天使というのは、天使の中の最高の大天使...

ミカエル大天使というのが、生長の家の神様ーすなわち、
仏教における観世音菩薩に当たるところの方であります。

三十三身にミカエル(身変える)神通力をお持ちになって
救い給うのであります。

_________________________________
p.20 □住吉大神と 鹽椎神

ミカエル大天使は、神道では「古事記」に 記載されている
住吉大神にあたる神様であります。

またこの神の別の名を、鹽椎神と申されまして...

この 鹽椎神は、鹽椎翁とも言われて
翁の姿をもってあらわれるのであります。

けれども、それは決して老耄という意味ではないのであって、

時間なき宇宙の始めから、久遠を通してズーッといき通している
という意味で、老人の姿をもってあらわれるわけであります。

__________________________________
p.21□七つの燈台の点灯者

新約聖書の最後のところに「ヨハネ黙示録」というのがありますが、
黙示録の第一章に「七つの燈台の間をあゆみ給うところの
人の子の如きものあり」と書かれてあります。

人の子というのは、キリストでありますが、それが白髪の老翁の
姿をもって、現れていられるのであります。

このように久遠不滅を表す場合には、それを象徴して老翁の姿で
あらわれられます。

宇宙にみちみちていられるところの神様が、人格的にあらわれて、
人を救わんがために出てこられた場合に「てんのつかい」または
天使というのであります。
_________________________
p.260□神道では住吉大神として

生長の家の神様は龍宮の神様ともいうのであって、イザナギの大神の
宇宙浄化(みそぎ)の最後にお生まれになった住吉大神と読まれ、
生みの底(海の底)即ち實相世界の大神であります。

實相世界は住吉世界、これは極楽世界とも称せられ、住み吉(よ)い
世界であり、そこの大神であるから住吉の大神と言われているのであります。

『古事記』にイザナギ・イザナミ大神及び天照大神の他に、大神という名が
書いてあるのは住吉の大神だけであります。

_________________________
   □白髪老翁の姿を象徴するもの

住吉大神は白髪老翁の姿であらわれられます。

久遠無窮を表象するのが白髪であります。

これがキリスト教の聖書『黙示録』の本尊であられる久遠のキリストの姿です。

肉体のキリストは33歳の若さで磔けになったのでありますが、そのような弱輩の
肉体キリストではなくて、永遠不滅のキリスト、白髪の老翁のキリストこそ本当に
實相のキリストであるわけです。

仏教ではそれが応化して観世音菩薩として現れていられるのです。
かくのごとく33身に 応化しておられるのです。


宇宙普遍の大神が  応化して いろいろのお姿にあらわれられたのが、
天の使いであります。
________________________
p.231□萬教帰一ということ

萬教帰一というのは、味噌もくそも一緒くたにして、食膳にのぼすというわけではないのです。

その中の成分を、純粋にし、ここに正味の栄養があるという 生粋の成分をキレイに純粋にして
出せば、どの食品の中にも同一の栄養要素がある、その同一の真理に帰一するというのが
萬教帰一なのであります。

________________________
p.22,23□「生長の家」の意味するもの

天使が「生長の家に来たりて歌い給う」というと、
生長の家本部の講堂にでも来て歌をおうたいになったようにも受け取れますが、
決してこの生長の家の本部の建物に来てお歌いになったのではないのであります。

「生長の家」とは宇宙のことであります。

それですから「ある日天の使い生長の家に来たりて歌い給う」というのは、これは単に
表面から見ると、羽根の生えた天使が生長の家の本部の屋根にでも降りてきて、真理の
歌でも歌ったというふうに取れるのでありますけれども、それは表面の意味であって、

本当の意味は、天使が宇宙に、”ある日”即ち「久遠の今」「常住の今」真理を語っているー
換言すれば、真理の言葉の展開が、この宇宙そのものであるという意味であります。

では、その真理の響きは何を語っているかといふと、次に、

  創造の神は
 五感を超越している
 六感も超越している

と示されているのであります。

「創造の神」というのは一切のものを産み出されたところの本源の神、
みなもとの神であります。

=======================================
志恩ー
私が、自分の考えを書かせていただくよりも、
谷口雅春先生が、ポイントを、とてもわかりやすくご講義されておられますので、
抜粋して、記させていただきました。






つづく








同じキリスト教なのに争いあっているという【カトリックとプロテスタントとの違いについて】 (30743)
日時:2020年07月15日 (水) 06時01分
名前:志恩

参照文献:「カトリックとプロテスタント」
ホセ・ヨンバルト司祭著(「サンパウロ」出版)
参照文献:ブリタニカ国際大百科事典より
_______________________________
【カトリックとプロテスタントとの違いについて。】
______________
✝️「教会」理解について

カトリックでは
目に見える人間となった神(イエス・キリスト)の救いの業を
すべての人に与え続けるために、
キリスト自身ははただ一つの目に見える教会を直接意思で作った。
そしてその教会は神と人間の間に介在するものではなく、
むしろ教会の中で人間が直接キリストに結ばれるものと考えます。

 プロテスタントでは
教会という組織はあるものの、
これは人間の作ったものであり、真の教会とは目に見えない信仰によって
結ばれた信者たちのことであり、信者を拘束するような教会の権威は
認められないと主張します。
目に見える教会は信者の意思に基づくもの、
すなわち、民主主義的な制度であるととらえられます。
______________
✝️教職名と内容の違い

カトリックは神父。プロテスタントは牧師と呼びます。

カトリックの神父は生涯をもっぱら神職に献げるため独身です。

プロテスタントにおいての牧師は神のもとでは一般信徒と変わらず身分において
平等とされるため、妻帯も許されています。


カトリックでは洗礼、堅信、聖体、罪のゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の
7つがありますが、

プロテスタントでは洗礼、堅信、聖体(聖餐)以下は人間の定めたものとして、
これを認めません。

_______
✝️洗礼名

洗礼を受けると日本のカトリックの場合は洗礼名が授けられますが
大半のプロテスタントには洗礼名はありませんが、
たとえば聖イエス会には洗礼名があります。

______________
✝️聖母マリアの扱い

カトリックではいわゆる「聖母マリアへの祈り」などマリアは聖家族の一員として扱い、
教会堂内にはイエスの像とならびマリアの像が見られますが、

プロテスタントではマリアは普通の人間として考えます。
讃美歌の「聖しこの夜」ではカトリックは「救いの御子は御母の胸に・・・」と
あるのに対して、プロテスタントの場合は「救いの御子は馬槽の中に・・・」
となっています。


カトリックでは信者同志が結婚し、上記秘跡により結婚が成立した場合には
離婚は認められません。
英国のヘンリー8世の離婚問題がローマ法王との間でこじれたことに端を発し、
そこに政治的な思惑も絡んで、英国のカトリックはローマから離れ、英国国教会が
生まれたのは有名な話です。
_____________________________________
 

tokumei様 (30744)
日時:2020年07月15日 (水) 07時10分
名前:志恩

tokumei-
>> ところで、生長の家の神が、黙示録冒頭のイエスというのは、
どうなったのでしょう?<<


志恩ー
谷口雅春先生のご説明によれば、
住吉大神様=『黙示録』の本尊であられる久遠のキリストであり、
實相のキリストであるということです。


tokumei-
>> 鳩山氏がキリスト教がよくわかると仰っていても、法華経解釈の著者佐藤勝美氏も、
よくわかると仰っていたのにその後去ってしまわれたし、<<


志恩ー
鳩山薫さんは、生涯生長の家から去っておられません。
佐藤勝美さんは、去られたかもしれませんが。
私も教団の組織からは去りました。でも、生長の家の教えからは
去っておりません。佐藤さんの心のうちは、ご本人でないとわからないと
存じます。


tokemei-
>>カトリックとプロテスタントの言い分は、解決のめどがたたない内容で、
雅春先生の内容は、プロテスタント寄りの内容で、それだと
反キリストになってしまう可能性があるので心配しています。なぜかと申しますと、
プロテスタントがカトリックを侵略して、カトリック消滅の危機で、数えるほどしか居ない位までになってまして、
そうなってくると、危ないというのが昔からの言い伝えだからです。<<


志恩ー
私は、キリスト教は、イエス・キリストだけが”神の子”で、他のものは皆、”罪の子”だと
説いているけれど、 谷口雅春先生は、生長の家の独自のご解釈で、
イエス・キリストだけが”神の子”なのではなく、
他の人間も皆 ”神の子”なのである。というふうに、
イエス・キリストとは、別の解釈をされておられるのかと思っておりましたが、
『新講「甘露の法雨」解釈』を拝読しまして、そうではなかったことが、理解できました。
_____________________________
p233より
イエス・キリストご自身は、「お前は罪があるぞ」ということは、
一言も言っておられないのであって、「汝の罪赦されたり」と、
”罪というものは本来ない”という意味を端的に表明して
おられるのであります。

あるいは、
「この子供が盲にして生まれたのは、親の罪であるか、
祖先の罪であるか、本人の罪であるか」といって 弟子が訊いたら、
キリストは誰の罪であるとも言わないで、
「親の罪にもあらず、本人の罪にもあらず、
神のみ業(わざ)のあらわれんがためである」
というような回答をしておられて、決して罪というものを認めておられない
のであります。

志恩ー
(で、次のこともp.223に書いてあります。)

キリスト教でも、やはりその時代によって説きかたが変わってくる。
大概、キリスト教というものは、イエスキリストの教えがキリスト教であって、
新約聖書全体がキリスト教というわけではないのであります。

本当にキリスト教を知りたいと思ったら、
聖書会社にもあると思いますがね、キリストの言った言葉だけを、
赤で印刷した聖書がある。他のところは、弟子が色々と言ったり、
為したりしたことが書いてあるわけなんですから、
弟子自身の考えが這入っております。

そのキリストの言ったところだけを抜いて、
そしてその真理を深く極めたならば、
これは 本当のキリスト教というわけになるんです。
(略)

そのキリストの教えを説いているはずのキリスト教会のうちには、
キリスト教というレッテルを貼りながら、罪の存在を強調して、
「汝ら罪人よ」という。

そうして、キリストイエスだけが、”神の子”であって、
他の者は皆、”罪の子”である。
そういう説き方をするものですから、

キリスト教のレッテルを貼りながら、キリスト教でない
中味が入っている教会が
ずいぶんたくさんあることになっております。(略)
________________________________


志恩様 (30782)
日時:2020年07月15日 (水) 19時53分
名前:tokumei

 こんにちは、志恩様、本の内容を打ち込んで下さりありがとうございました。たくさんの分量で同一人物が沢山変身しているのでややこしくて、少しづつですが、ご返信させて戴きます。

 ミカエルは古事記の住吉大神と観世音菩薩と書かれてありますね、甘露の法雨を告げたのもミカエルである観世音菩薩、そして、本源の神からの教えを伝えたのが生長の家大神である住吉大神、

如意自在生活365章には、観世音菩薩はエホバとも書かれてあります。

 わからない点は、黙示録冒頭のイエスは、實相のイエスという事ですが、そしたら、昔のイエスは、現象のイエスという事で、現象のイエスの言っていた事と、實相のイエスの言う事は、違っていて良いのでしょうか?


 これは、法華経もそうですが、生前のお釈迦様の仰っていた事と違っていても、ずっと後の成立のお経のお釈迦様の言っている事のほうが、「お釈迦様の真意」となっていて、しかしそれは、本人に聞いたのではなくて、霊から聞いた内容みたいなのです。



 カトリックとプロテスタントの違いは、例えば、本流の人が、「男系死守」の一点だけは譲れないという姿勢だけは崩せないような感じと似ていて、どうしても引くわけにいかない一点をプロテスタントは、崩すので、プロテスタントは、自分達のほうが、正しいのだと主張されてますが、安心できないように思います。

 今回志恩様が抜粋して下さった内容もプロテスタントよりなので、プロテスタントも黙示録は使用するでしょうが、
私も、住吉大神がキリストだと堅く信じていたのですが、一般的客観的な論にあてはめますと、「龍宮」「龍王」「海の底」となりますと、「海からの獣」に該当すると思われるのが通常の見解な気がします。

 再掲ですが、神示でも、「谷神不死」で牝牛の門のような自己紹介で、獣のような印象です。


 そして、お話しが少し飛ぶのですが、現象の対処法としても、マキャベリズムはやっぱりキリストの教えではないと思うのです。

 社会性を重視して生きると、普通の善良な人でも、マキャベリズム的ふるまいになるきらいがあるように見受けられます。そうしないと、角がたってしまう場合など

 でもキリストの教えは、マキャベリズムではないから、マキャベリズム的になってしまうと、もうキリストの教えではなくて、

雅春先生は、旧約聖書に書かれているような狼と羊があいたわむれて、草をはんでいるような世界がやってくるのを心待ちにされていて、人間の心のあらわれで弱肉強食の世界があらわれているのだから、菜食をこころがけようという事で、それは、マキャベリズムではなかったと思います。

 そもそも菜食をする人は、動物に痛みを与える事がつらくて、「どうしたら、食べないでおれるか」というほうに熱心になるので、人間にも苦痛を与えたくないものな筈であるので、マキャベリズム的生き方とは対照的だと思います。


 だから、私には、本流などの主張でどっちが正しいのかわかりません。

 (30785)
日時:2020年07月16日 (木) 02時48分
名前:志恩

tokumei様は、物事を綿密に考えられる頭のいいお方のようなので、
多くの皆様よりも、考えすぎでいらっしゃるようにお見受けします。
正直に言いますと、
私はtokumei様が、何をおっしゃりたいのか、ほとんどわかりません。

昔から、谷口雅春先生がわれわれに教えてくださっている真理は、
われわれがこの世に生きてきて、現象ばかりに引っかかって、
現象面の一面的な角度ばかりで見てきた習慣を
別のほんとうの角度からみる...という大切なことを
教えてくださっているのだと思います。

自分の身の周りに起きることや、身近な人に対して感じることを、
批判も大事ですが、
自分自身の見方や解釈を変えることによって、
世界が変わるという心の法則を教えてくださっているのだ
と思っております。

状況や現象は、自分の力では なかなか変わりませんけれど、
自分が見方を変える、受け取り方を変えることによって、
一見、悪いことが起きているとしても、これは何か意味があるのだと
考えられるようになりますから、憎む、呪う、の気持ちを
ありがとうという気持ちに変えることが自然にできるようになります。

そして、そういう感謝という心の立ち位置に変えて
生きてゆくことによって、

自分から出ている波動やエネルギーが
マイナスの波動から プラスの波動に変わります。

そうしますと、実際に、宇宙を味方につけられますし、
守護霊様にも悦ばれますので
守護霊様からも、ますます守護していただけます。

このような どなたでも
好転した人生を送れるという魔法の法則を
谷口雅春先生は教えてくださっているのだと思います。

現代社会になりまして、多くの方々が、その人の考え方を認めている
小林正観(2011年に亡くなられている)という人が いますが、
この人も、
人生を変えられるのは「ありがとう」という言葉だと
すでに谷口雅春先生が説いていらしたことを、現代風な
言葉で著書に書いている本が、今の時代、売れていると聞きます。

(【小林正観】絶対に信じてもらえないありがとうの奇跡。
劇的に人生変わる!
https://www.youtube.com/watch?v=kAcaoeXegEo

人間、見方を変えることにより、心が穏やかでいられますから、
現実に、自分にも優しく身近な身の回りの人にも
優しく生きられ、深切にありがとうという感謝の気持ちで生きられますから、
そして、また会いたいなと思ってもらえるような魅力的な人間にもなれますから、
運命も好転し、幸せな日常生活を送れるという
昔から、谷口雅春先生は、そいう真理を教えてくださっているのだと思っています。

生長の家の教えのおかげで
私は、今も とても幸運な いい人たちに恵まれた いい人生を
日々送らせていただいております。

志恩様 (30846)
日時:2020年07月17日 (金) 21時19分
名前:tokumei

 お教え下さりありがとうございました。もうすぐ退去させて戴きますのでお許しください。知恵遅れらしい私には難しくて、本流と教団とのやりとりも難しくて分からないし、和解は悪い事らしいという事になってきて、私のしてきた事も悪い事という事で、皆さんに申し訳ないなあと思う気持ちでいっぱいです。最初に本流掲示板が、色々書かれているので、うのみにしてしまって、でも、結局は、黙示録の冒頭キリストとの関係性の真偽が、ハッキリしないし、「和解しない」「黙示録キリスト」という主張で、ずっと、言い争い続いて、私は、「???」と混乱したままの日々が続くなんて、もう生長の家の信仰自体を諦めるしか無いなぁと思っています。政治はマキャベリズム的なのに関わって良くなかったと反省しました。

 家庭が不和のまま、キリストの看板を掲げて教師をしていたら、悪魔と同じ法廷にたたされるらしいですし、黙示録キリストを名乗るのは、とても重大な事なので、本流の掲示板は、黙示録キリストだという事を名乗っておられて、今後もそれで行かれるようですので、かつ、和解しないという事で、

 そこで私は、雅春先生のいくつかのご文章から、和解への道筋が書かれてある箇所を発見して、それで無理して投稿させて戴いていたのですが、かえってご迷惑だったようで、でも、それら雅春先生のご文章が、不要という事でしたら、その事態をどう考えたらいいか分からなくなりました。私が一人撤退したら、その和解もできなくなるのかもと思って無理して続けていましたけれども、一切受け付けないという事と、間違い論かもしれないので、やめてもいいんだと思いました。

 雅春先生が、目的の為に手段を選ばないと地獄の門を開くと書かれてありましたので、気になって、自分一人抜けると、それだけ、この分裂が永遠化するかと思って、そしたら、みんなで苦しまないといけないかもと思って、無理してました。
 でも、私のせいでないなら、本流の人が和解しないとおっしゃるのを気にしなくていいのですね。

 キリストが仰るには、和解しないと天主の子と呼ばれないらしいので、焦ってましたが、和解しなくても良いのなら
雅春先生は、生長の家とは大宇宙の事で、大乗の教えで、すべての人が入るべき最終の教えだと、いう事で、私も、すべての人に入信して戴けるよう勧めて来ましたし、一人でも欠けたらいけないものと思い込んでいました。大乗は無理があった理想だったのでしょうか。

tokumei様 (30871)
日時:2020年07月18日 (土) 10時03分
名前:志恩

tukumei様と私の、生長の家の教義に関する会話は
2013年にも行われておりました。
tokumei様は、謙遜された
おっしゃり方をされてますが、

私などよりも、はるかに生長の家の教義について
誠実に勉強されておられるお方でいらっしゃると思っております。

この過去文をひさしぶりに読み返してみまして、
今のtokumei様の生長の家に対する疑問の回答は
2013年にtokumei様が自ら語られている中にあると
私は、思いましたが、長文なので、
あたらしく親スレッドを立てて、そちらに再掲させていただきました。

https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=6591

tokumei様 (30876)
日時:2020年07月18日 (土) 11時10分
名前:志恩

tokumei
>>和解は悪い事らしいという事になってきて、私のしてきた事も悪い事という事で、皆さんに申し訳ないなあと思う気持ちでいっぱいです。最初に本流掲示板が、色々書かれているので、うのみにしてしまって、でも、結局は、黙示録の冒頭キリストとの関係性の真偽が、ハッキリしないし、「和解しない」「黙示録キリスト」という主張で、ずっと、言い争い続いて、私は、「???」と混乱したままの日々が続くなんて、もう生長の家の信仰自体を諦めるしか無いなぁと思っています。政治はマキャベリズム的なのに関わって良くなかったと反省しました。

 家庭が不和のまま、キリストの看板を掲げて教師をしていたら、悪魔と同じ法廷にたたされるらしいですし、黙示録キリストを名乗るのは、とても重大な事なので、本流の掲示板は、黙示録キリストだという事を名乗っておられて、今後もそれで行かれるようですので、かつ、和解しないという事で、

 そこで私は、雅春先生のいくつかのご文章から、和解への道筋が書かれてある箇所を発見して、それで無理して投稿させて戴いていたのですが、かえってご迷惑だったようで、でも、それら雅春先生のご文章が、不要という事でしたら、その事態をどう考えたらいいか分からなくなりました。私が一人撤退したら、その和解もできなくなるのかもと思って無理して続けていましたけれども、一切受け付けないという事と、間違い論かもしれないので、やめてもいいんだと思いました。
ぶ雅春先生が、目的の為に手段を選ばないと地獄の門を開くと書かれてありましたので、気になって、自分一人抜けると、それだけ、この分裂が永遠化するかと思って、そしたら、みんなで苦しまないといけないかもと思って、無理してました。
 でも、私のせいでないなら、本流の人が和解しないとおっしゃるのを気にしなくていいのですね。

 キリストが仰るには、和解しないと天主の子と呼ばれないらしいので、焦ってましたが、和解しなくても良いのなら
雅春先生は、生長の家とは大宇宙の事で、大乗の教えで、すべての人が入るべき最終の教えだと、いう事で、私も、すべての人に入信して戴けるよう勧めて来ましたし、一人でも欠けたらいけないものと思い込んでいました。
大乗は無理があった理想だったのでしょうか。<<


志恩ー

和解についてのことですから、
教団上層部と、
本流である「学ぶ会」の上層部のお方あてのコメントではないかと思っております。

谷口雅春先生は、和解とは、相手に感謝することであると、書かれておられますよね。

雅宣総裁が、ご自分自ら、なさらなければならないことは、疎遠になっていると
想像される母親である恵美子先生に
お目にかかりにゆくこと、ご兄弟姉妹の方々とも、心を開いて打ち解けて歓談されること、
本流の上層部の皆様とも、試しに対談の場を設けることでしょうか。

学ぶ会の上層部の皆様に対しては、和解は断じてあり得ないというような強行な
態度ではなく、何か一つでも、和解できる糸口を見つけるために、
教団上層部との対話の場を設けるということでしょうか。


現象的なこと、相手が、やってはまずいこと、本来の教えと相反することをやったことに対しては、
大批判するべきだと、私もずっと前から、そういう場合は、批判して来ている人間ですから、
大批判はすべきだと私は、そう思います。

和解とは、相手が間違った言動をした場合、その間違った言動に、妥協して、それに合わせる
ことじゃないですから、本来の教えに和解することですから、間違った言動に対してではなく、
神様に中心帰一して
自分の内なる神様に和解することですから.....

相手と喧嘩していているとか、そういうことは、現象世界のことで、いつかは消えてゆくことなので、
いちいち、起きている現象世界のことは、引っかからずに
お任せ!という気持ちで、それこそ、ずっと前に tokumei様がおっしゃっていらしたように、
神想観をして、問題と見えることは、心から放ち、こころを楽に穏やかにして

今、今、今、自分ができる最善のことを思い、実践してゆけば、あとは、神様や高級霊や天使の皆様が
こぞって良い方へ向かわしてくださるものと、私の場合は、思っております。



 (31386)
日時:2020年07月29日 (水) 17時27分
名前:谷口雅春先生に帰りましょう・第二


宇治別格本山からこういう通知が教化部に送付されているようです… (12433)
日時:2020年07月27日 (月) 15時19分
名前:破邪顕正


ご存じのように、今年の宇治・盂蘭盆大祭は中止となりました。

その動揺は大きかったようで、それを押さえるために、こんな通知が送られているようです。

「月見草」さんの投稿の何かの参考になればと思います。

〈宇治別格本山には昨年約410万柱の霊牌が届き、盂蘭盆供養大祭では7月1日から8月18日までに届いた131万余柱の御霊(霊牌)を招霊祭祀しています。一方、盂蘭盆供養大祭以外で招霊した御霊(霊牌)279万柱は、宇治別格本山の本部講師(補)、近隣教区の地方講師のご奉仕を頂き毎月2回、霊牌合祀祭(招霊の御祭)を行い、宝蔵神社の霊殿に合祀しております。本年は例年には行っていない7月と8月に霊牌合祀祭を行い、盂蘭盆霊牌を宝蔵神社の霊殿に祭祀いたします。なお、昨年の大祭で招霊祭祀された霊牌と霊牌合祀祭で祭祀され1年以上奉安された霊牌は、宇治別格本山の神官により浄火の儀を執り行い焼納いたします。〉

要するに、大祭は中止になったけれども、「浄火の儀」は実施されて例年のように霊牌供養されるから安心して奉納するようにということなのでしょう。

しかし、一番の問題は、きちんと「聖経」のみで供養されるのか、というところにあるのではないでしょうか。

今回、出版された『“新しい文明”を築こう』には、堂々と「讃歌」が聖経と同じように「先祖供養祭」でも読誦されることが謳ってあります。

実際、練成道場では、「聖経」と「讃歌」とが読誦されています。

そういう情報がどんどん知信徒の耳にも入るようになって、「讃歌」なんかで供養されたらご先祖様がお怒りになる…。

そういうところにきて、盂蘭盆中止となり、これを機に、霊牌は「谷口雅春先生を学ぶ会」に出すようにすると仰る信徒さんも出てきています。

年々歳々、霊牌もどんどん減っていますし、宇治としても危機感をもって、上記のような通知を出したのではないでしょうか。

しかし、繰り返しますが、もっとも大事なことは、何によって供養されるのか、なのです。

「聖経」なのか「讃歌」なのか…。

これが必ず重大なテーマになります。

そのことを念頭に入れながら、「聖経」だけで純粋に供養される「谷口雅春先生を学ぶ会」に霊牌をお出しくださるよう、ご案内していただければと思います。

組織会員の方でも全然、構いませんので、遠慮無くお勧めください。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




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