生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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【全文引用】日本民族は外部から渡来したのではなく琵琶湖で発祥した「太陽民族」である! (32623)
日時:2020年09月02日 (水) 19時29分
名前:STEVE

二〇一九年如月廿八日22:15
カテゴリ日記
「水茎の岡」(倚)−日本民族の誕生

 合掌、ありがとうございます。

 この「水茎の岡」「水茎文字」あるいは「琵琶湖」と谷口雅春先生との関係が、いまひとつわからないという向きもあるかと思う。


 今回、なぜ「水茎の岡」のことをを取り挙げたかというと、以前、本流派掲示板に投稿した記事を掲載したい。それは、生長の家教団の現総裁の「日本の皇室は韓国から来た」といふ言葉への反証として書いた文章の一部である。ただ現在は、固有名詞を挙げての批判は出来る限り控えているので、その部分は、割愛させていただきたい。

 さて、以前の投稿の記事である。


光明掲示板・第二

「日本民族は日本列島に原生した」−谷口雅春先生 (7848)
日時:2014年04月30日 (水) 23時15分
名前:亀の子
  ・・・(前略)・・・

谷口雅春先生のご文章から日本民族のルーツ(ご皇室のルーツでもある)を紹介します。
『理想世界』昭和49年6月号−
輪読のための青年法語 「日本民族は日本列島に原生した」

二十六日のことば  日本民族はどこから来たか?
二十七日のことば  日本民族の原郷土はこの日本列島である
二十八日のことば  日本民族は渡来民族ではなく日本列島に原生した
二十九日のことば  『古事記』にあらわれた日本民族の誕生

 上記の御文章を簡単にかいつまんで要約すると、

 「二十六日のことば  日本民族はどこから来たか?」で、日本民族のルーツを問題提起され、大陸から渡って来た、南洋から渡来した、イスラエルの十二種族のなかのガド族が住みついた、またギリシャの地名に日本の地名に類似する地名があるから日本民族の始祖は、ギリシャ人であるというような諸説を紹介されている。

 「二十七日のことば  日本民族の原郷土はこの日本列島である」では、「ここで私(亀註:谷口雅春先生自身のこと)が注意したいことは、何故、人々は、日本民族は、大陸その他、よその国から渡来して住みついたという前提を握って研究しなければならないかということである。「日本民族は日本に原生した」という考え方になったらどうしていけないかということである。」と多くの学者・研究者の唱える説に注意するよう促されている。


「二十八日のことば  日本民族は渡来民族ではなく日本列島に原生した」では、「日本民族が日本列島に住みついていたのは歴史以来の出来事ではなく非常に古いのである」として、「日本人が日本列島に住むようになったのは、稲荷台土器などの研究、ロームの堆積から考えて1万年くらい前からと思われる」という研究者の諸説を紹介され、「日本列島が四面環海であって、陸行のほか、大洋を航行する能力の殆どない石器時代の人間が、他の遠洋を航海してこの列島に渡って来たということは無理であり、日本民族が、この日本列島に原生したと結論する方が一層合理的であると考えさせる根拠となるものである。」と結論付けされている。


「二十九日のことば 『古事記』にあらわれた日本民族の誕生」では、谷口雅春先生は、『古事記』に日本民族の根拠を求められ、「琵琶湖」附近に最初の日本民族が誕生したことを「断定」されているのである。最後に「日本民族は、他の民族とは別個に誕生したのであって、太陽民族と称してもよいのである。」と結ばれている。


 また、先生は昭和53年5月4日の青年会全国大会で、同様な事を全国の青年に向けて話されている。


「住吉本宮の建立と日本の進路」と題するご講話の一部を紹介すると、
「実相世界の琵琶湖が、地上に影を映して、近江の琵琶湖となっている。彼処(あそこ)に、天照大御神さまの霊と須佐之男命(すさのおのみこと)様の霊が交叉して、そして五男三女という神様がお生まれになったわけであります。それが地上発生人類のはじめになっているわけです。或は、日本民族発生のはじめと見てもよろしいけれども・・・・・。」
(青年会全国大会第二日目の講話筆記−於 日本武道館『理想世界』昭和54年6-9月号) 
と説かれている。

 以上のように、「日本民族は、日本列島に原生した」わけであり、なぜ、そこに他の民族である「韓国」が出てきて、「日本の皇室は韓国から来た」という方が、よほどどうかしている。

 そもそも「大韓民国」(通称:韓国、南朝鮮)が独立したのは、1948年8月15日であり、皇室は、それ以前からあることは、歴史を学んだことのない小学生低学年以下の子供を除けば、知らぬ人は皆無に近いであろう。もっともこの場合、「韓国」ではなく、「朝鮮半島」から来たといいたいのであろうが・・・。

  ・・・(後略)・・・

  合掌

 以上が、以前投稿した内容の一部である。

次回は、二十九日のことば の詳細を紹介しておきたい。

禮拜

【全文引用】「日本民族は、他の民族とは別個に誕生した」 (32624)
日時:2020年09月02日 (水) 19時32分
名前:STEVE

二〇一九年弥生朔日22:35
カテゴリ生長の家
「水茎の岡」(出)−日本民族の誕生2

 合掌、ありがとうございます。

 前回のことばの中に、

「二十九日のことば 『古事記』にあらわれた日本民族の誕生」では、谷口雅春先生は、『古事記』に日本民族の根拠を求められ、「琵琶湖」附近に最初の日本民族が誕生したことを「断定」されているのである。

 と簡単に紹介するに留めたが、今回は、詳細を紹介したい。




   二十九日のことば ♧『古事記』にあらわれた日本民族の誕生

 それでは日本民族は日本列島のどの辺に最初に誕生したのであろうか。私はその根拠を『古事記』に求めたいのである。
 それは、『古事記』の天照大御神と、須佐之男命との「受け霊(うけひ)」の段(くだり)を摘記すれば次の如く録されているのである。

「故爾(かれここ)に各々、天之安河(あめのやすかわ)を中に置きて、うけふ時に、天照大御神、・・・(中略)・・・」

 からはじまる段において、

「天之真名井に振り滌(すす)ぎて、さがみにかみて、吹き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧に成りませる神の御名は、多紀理昆売命(たぎりひめのみこと)、次に市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、次に多岐津比売命(たきつひめのみこと)・・・速須佐之男命、天照大御神の左の御(み)みづらに纏(ま)かせる八尺勾瑰(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)のみすまるの珠(たま)を乞(こ)ひ度(わた)して、ぬなとももゆらに、天之真名井に振り滌(すす)ぎて、さがみにかみて、吹き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧に成りませる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・(後略)・・・」

 重要なところは、太陽神・」天照大御神の霊気と、地球の霊である須佐之男の霊気と、換言すれば天地の霊気の相互の「受け霊」によって五男三女の子供がお生まれ遊ばしたことである。これを日本列島に於ける人間誕生の最初の記録と私は見るのである。

 天之真名井がその誕生の生殖器の象徴として描かれているのであるが、天之真名井いったい何処かということによって、日本列島の何処に人類が原生したかという根拠が定まるのである。“天之真名井”の“天之”というのは「実相世界の」又は「天界の」という意味で、「真名」というのは「真魚(まな)」即ち淡水魚である。だから真名井は淡水魚の住む湖であり、それは女性生殖器の形をした淡水湖「琵琶湖」であると私は断定するのである。 ・・・(中略)・・・

 その天界に於ける霊気の交合が地上に影を映して琵琶湖付近に最初の日本民族が誕生したのである。琵琶湖付近には天之安河を地上に映した野洲(やす)川という川もあり、琵琶湖の中の一ばん大きい島であるところの竹生島(ちくぶじま)には市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)を祭祀した宮もあるのである。こうして日本列島には太陽と地球との霊気の交流によって日本民族は、他の民族とは別個に誕生したのであって、太陽民族と称してもよいのである。 >


 「二十九日のことば」は、実に2頁近い長い御文章であり、谷口雅春先生が日本民族の誕生を「断定」されている貴重なおことばである。

 野洲川は、この「水茎の岡」がある近江八幡市のすぐ隣の野洲市にあり、このあたり一体に日本民族が誕生したということを谷口雅春先生がいわれたということであり、「近江高天原論」(後日、紹介予定)の流れを汲む思想を説かれていたのであるが、「生長の家」の古い方でも知らない人が多い。(小生の知人でも知る人は皆無であった。この御文章を知る人も皆無であった。数人にこの法語を教えた。)

 知る人・伝える人が少ないが為に「日本人は韓国から来た」とか「朝鮮半島から来た」などと言われて顔つきが似ているなどから何となく納得しているのである。自分が納得出来るまで数種の文献を紐解き、実際、その場所に行き、それが本当かどうかを確かめる人が出てこないと客観(かっかん)視できない。他人の言うことを簡単に信じてしまうから詐欺が後を絶たないのである。

 現在の掲示板でも他を見下した大人げない言い方をする人や自分の信仰の押し売りする人の投稿を読むとこれが本当にこれが「生長の家」の信仰者であろうかと哀しくなるのである。

 他の人の批判に時間を費やすより「実相」を「感じる(観じる)」時間を増やしたいものである。

 また。現在、多くの日本人が何とはなく感じているであろう最近の国際情勢(特に近隣諸国)との関係における日本民族の特性は、まったく「日本民族は、他の民族とは別個に誕生した」という厳然たる実感からくるものではなかろうか。

 生長の家の御教えを受けた吾々は、この谷口雅春先生の「おことば」の意味を深く実感しなければならないのである。「実感」とは、正に「実相」を「感じる(観じる)」ことである。

 三月一日の佳き日にあたり、日本民族として生まれたよろこびと本当の「生長の家」の御教えに触れることのできたよろこびを噛みしめながら、投稿する次第である。


                                           感謝 禮拜

谷口雅春先生が現象世界のことを書かれたのは、もう何十年も前のことです。その後、現代科学が急速に進化しまして、昔は、わからないことが、次々に判明しています。日本の旧石器時代の人類の骨を分析すれば、DNAだけでなく、どこからきたのかもわかるようになったそうですから、昔、谷口雅春先生が現象世界のことを書かれたことについては、現象世界のことは移り変わるものであり、過去に書かれたことと違ってくることもあるのではないでしょうか。 (32625)
日時:2020年09月02日 (水) 21時30分
名前:志恩

谷口雅春先生ー
>>二十八日のことば  (略)、
「日本列島が四面環海であって、陸行のほか、

大洋を航行する能力の殆どない石器時代の人間が、

他の遠洋を航海してこの列島に渡って来たということは
無理であり、

日本民族が、この日本列島に原生したと結論する方が
一層合理的であると考えさせる根拠となるものである。」
と結論付けされている。<<

__________________________________
NHKクローズアップ現代より

2019年7月24日(水)放送

独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツに迫る
歴史

なぜサピエンスだけが大海原を越え日本列島に到達できたのか?
この謎に挑む人類学者や考古学者たちが、
実際に古代の技術や道具で製作した船で、
台湾から沖縄へ渡海する実験に挑んだ。苦節6年間の挑戦の末、
ついに今月、初めて200kmの航海に成功、
人類学に大きな一歩を刻んだ。 NHKはプロジェクトに独占密着。
大海原で繰り広げられた苦闘の航海の裏側を初公開。
冒険を可能にした人間ならではのチカラとは?

独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツは?
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4313/index.html
________________________________

【日本人】 (32626)
日時:2020年09月02日 (水) 21時58分
名前:志恩

Wikiより
【日本人】一部抜粋

『分子人類学による説明』

分子人類学の進展により、
日本人に関してもDNAからルーツをたどる研究が行われるように
なった。

最初に発達したのが、
母系をたどるミトコンドリアDNAハプログループの研究だった。

ミトコンドリアは染色体のある核の外部にある構造で、
情報量は染色体と比べ非常に少ないが、それゆえに効率的に
分析ができたからである。

また、変化の速度が速いため、
遺伝的な多様性が高いという特徴があった。

次に発展したのが、
父系をたどる核内のY染色体ハプログループで、
情報量がミトコンドリアDNAよりも多く、長期の追跡に適していた。

さらに、2004年のヒトゲノムの解読を契機に、
核内の常染色体全体を分析するゲノムワイドな研究が
盛んになった。

ミトコンドリアDNAとY染色体は
それどれ母系・父系にさかのぼっていきつく一人の先祖の
遺伝子を分析するものだが、

常染色体はその人間に関わる全ての先祖の遺伝子情報を
調べられるという利点がある。

また、ある人物間のDNAを比較する場合、
遺伝子情報がひとつしかないミトコンドリアDNAとY染色体は、
遺伝子情報をハプログループで分類することによって比較するが、
どこまで分類を細分化し、
またどこまで近縁と理解するかによって判断が変化してしまう
欠点があった。

しかしながら、
2017年時点で核DNAの解析はまだ途上の段階であることに
注意しなければならない。

また母系・父系の情報がわかるという点で
ミトコンドリアDNAとY染色体は未だ独自の価値を保っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

唯物論的・・・ (32677)
日時:2020年09月04日 (金) 15時15分
名前:千葉教区青年会会員

DNAという唯物論的なキーワードで雅春先生が「断定」された事実を否定するとは・・・。総裁と一緒だ・・・。

私は、栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』(光明思想社発行)を拝読しておりますが、先生は科学利用を疎かにされませんでした。常に進歩的であらせられます(p85)。また、別の頁にも、先生のご生活は大変科学的であります(p224)。そして、直言を悦ぶお方で、あらせられた(p162)。ということも書かれてあります。谷口雅春先生は、科学的進歩で判明したことも、神への従順と捉えられておられまして、唯物論的考えであるとは、捉えておられなかったのです。ですから、千葉教区青年会会員(=STEVE)さんのように、科学の進歩で分かったことを唯物論的考え方だと決めつけることは、谷口雅春先生に対する ひどい侮辱の言葉であると存じます。 (32679)
日時:2020年09月04日 (金) 17時22分
名前:志恩

昔、谷口雅春先生が、旧石器時代の日本人のことを 書かれた時代は、
まさか、旧石器時代の人間たちが、他国から、海を渡ってくる方法を
知ってるわけがないということが、定説になっていた時代だったのだと
思います。


ですから、谷口雅春先生は、

>>二十八日のことば  (略)、
「日本列島が四面環海であって、陸行のほか、

大洋を航行する能力の殆どない石器時代の人間が、

他の遠洋を航海してこの列島に渡って来たということは
無理であり、

日本民族が、この日本列島に原生したと結論する方が
一層合理的であると考えさせる根拠となるものである。」
と結論付けされている。<<

と著書にお書きになられたのだと存じます。


しかし、時代が進むにつれて、
今までは、わからなかったことが、科学の進歩によって、
どんどん、分かってきたわけです。

なんと、旧石器時代の 
⭕️3万年前どころか、

アフリカにいたサピエンスの一部は、
⭕️約6万年前の  出アフリカの時に
アフリカ・ジプチとアラビア半島・イエメン間のバベルマンデブ海峡を渡っている。

その時点で彼らはすでに高度の航海術を身につけていたことが、
判明したそうですし、


さらに
⭕️5万年前には 東南アジアのスンダ半島(当時)から
ロンボック海峡などのいくつかの海峡を越え
ニューギニアとオーストラリアとタスマニアの合体した
サフル大陸にまで 渡っていることも判明したのです。


そして、先日、ご紹介させていただいたクローズアップ現代の、
丸木舟を使った黒潮を利用した
昔ながらの方法でやった実験が成功したことで。

⭕️約3万年前の
旧石器時代人の航海術が大変優れていたことが示されたのでした。

それを実証するのは、3万年前に南西諸島にいた人間のDNAと、旧石器時代に日本に
住んでいた人間のDNAなどが、一致したから、科学的にも証明されたわけです。

それと、 DNA
で見ただけでなくて、同じ文化の共有、ということも状況証拠としてあったのだそうです。

それは、沖縄本島で発掘された旧石器時代人・港川人の骨格は
オーストラリア原住民ものと非常に似ているということも、彼らが航海術に長けた
出アフリカ第一波の「海岸移住」の一員だったことを示唆している、
と言われているのです。


(【サピエンス 日本上陸3万年前の大航海】– 2020年2月13日
by(国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長)海部陽介 (著)参照)

続く

【信念】と【信仰】の違いについて (32680)
日時:2020年09月04日 (金) 18時08分
名前:志恩

宇治別格本山の E本部講師補のオンラインご講話を
ちょこっと拝聴しましたが、生長の家信徒としての心構えの
とてもいいお話をされてました。

私は、その中で、なるほどな、と、心に深く刻んだ ことば 
がございました。

(テキストは、谷口雅春先生著『生活の智慧365章』)
p330
[若い人に愛されるには...]

その中から、
「信念」と「信仰」の違いについてを、教えてくださいました。

○「信念」というのは、
  これはこうだと決めつける。
 かたい。
 はがねのような融通性のない頑固な
 凝り固まった
 心を持つこと。


○「信仰」というのは、
 やわらかさが失われてない。
 自由になんでも、話し合える、
 生命の歩む姿の途中にいるわけですから、
 信仰が深まるにつけ、ひとまず全部を受け入れる
 心を持つこと。

だそうです。
ですから、私たち信徒は、いくつになっても
明るく柔らかな心を失わずに、
若い方々にも愛されるような「信念」ではなく
「信仰」の持ち主でいたいものだと、
教えていただきました。







なぁ〜んだ (32691)
日時:2020年09月04日 (金) 19時40分
名前:千葉教区青年会会員

>宇治別格本山の E本部講師補のオンラインご講話を
ちょこっと拝聴しましたが、生長の家信徒としての心構えの
とてもいいお話をされてました。<

結局、教団の講師の言うことを真に受けているじゃん。

千葉教区青年会会員さんへ (32699)
日時:2020年09月04日 (金) 20時34分
名前:志恩

千葉教区青年会会員ー
(志恩ー)
>宇治別格本山の E本部講師補のオンラインご講話を
ちょこっと拝聴しましたが、生長の家信徒としての心構えの
とてもいいお話をされてました。<

結局、教団の講師の言うことを真に受けているじゃん。


志恩ー

あなたは、教団所属の本部講師の言うことは、
まに受けちゃ
ダメだと思ってるのですね。

あのね、先に書きましたが、
教団所属のE本部講師補は、
谷口雅春先生著『生活の智慧365章』)
p330
[若い人に愛されるには...]
その中から、
「信念」と「信仰」の違いについてを、解説してくださったの。
ご自分の考えを 述べたのではないのですよ。

別の話のときは、『生命の實相』(頭注版)第7巻、生活篇をテキストに,
p104「わが心の王国を支配せよ」の解説を大変上手にわかりやすく
されてました。

私は、光明思想社発行の栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』も
拝読しましたしね。

私は、教団の先生のお話も
学ぶ会を応援している側の先生のお話も、
いいお話は、どちらも 拝読したり、拝聴したりして学んでいます。

でも、学ぶ会は、政治面では、熱狂的な自民党丸呑みの会なので
私は、最近は、学ぶ会には、心が引きました。

もう 学ぶ会の全国大会に行く気は 失せました。

栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』(光明思想社発行)を拝読して (32759)
日時:2020年09月05日 (土) 05時38分
名前:志恩

栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』より
__________
p85
「”メモ”のこと」

>>私が随行者であったころ、先生は旅行中絶えず、メモを
なされていらっしゃいました。神からのインスピレーションを
受けてのことでございましょう。
略<<
______________
p112
「すべてが"ネタ"」

>>新聞、雑誌等すべてが、先生の講演著述の材料に
なってゆくのであります。

この間など共産党の講演を渋谷公会堂で
お聞きになっていらっしゃるのであります。

広き見聞こそ、先生の話題豊富な原因となるのであります。

吾々も、出来るだけ多くのことを見たり聞いたりして、
それを完全消化吸収して
自分の知識とすべきであります。<<
_____________
p 224
「湯加減を見る法」

(志恩ー)
今の時代でしたら、皆様のお宅や私の家のお風呂場には、
当たり前のように
風呂の湯の温度をはかる寒暖計が置いてありますけれども、
昔の時代は、ほとんどの皆様は、風呂の湯の温度は、
手加減で見ていました。

そういう昔の時代に、
谷口雅春先生宅の
お山では、
先生のご生活は大変科学的でいらして、
風呂の湯の温度を、手加減ではなく、
寒暖計で、見ていらしたのでした。


>>入浴する際何度で、入浴を終わる時は何度と、寒暖計を
ご利用になってみていらっしゃるのでした。

科学的と言えば、この通り徹底しているのであります。
いい加減では承知できない几帳面な先生なのであります。

入浴に適当な温度は大抵摂氏42度がよろしいのです。
先生は41度位から入浴し43度位でおあがりになります。
略<<
___________________

志恩ー

引用させていただいた上記の事柄でも、わかりますように、
谷口雅春先生は、著述にしてもご講演にしても、
先生がおうけになられたインスピレーション(啓示)のみ
に頼られていたのではないのでした。

先生は、新聞、雑誌等すべてが、
先生の講演著述の材料に
なって行ったし、

共産党の講演を渋谷公会堂まで、
ご自分でいらして
お聞きになっていらっしゃるのでした。


ですから、前に書かせていただいたように
現象世界のことは、インスピレーションでうけられたことを
書かれておられたのではなく、

世の中の、新聞、雑誌などを材料にされて、
書かれておられたのです。

ですから、その当時では、まだわからなかったことが
その当時から何十年という年月が経ち、

科学が進歩し、今の時代になってから、
新たに、判明したこともあるわけです。

なので、谷口雅春先生が、当時、著述や ご講演の
材料にされていた現象世界のことについては、

当時、書かれたことと 
違ってきていることがあっても、
当然のことなのです。




続・栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』(光明思想社発行)を拝読して (32760)
日時:2020年09月05日 (土) 06時26分
名前:志恩

栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』より
___________________
p162
「直言を悦ぶ」

>>先生の日常生活の中から「直言を悦ぶ」と言うものが
にじみ出て くるのであります。
先生はそのことにつき  少しもお厭いにならないのであります。
遠慮あるところに  意見の相違をきたし、「一」のものに
ぴたりとしない何者かが   伏在するのであります。

こんなことでは、人類光明化運動に参加したところで大した働き
をなすこともできないのでありましょう。直言せよ。

中略

「直言する者を愛し、自分の耳に  心よくない者を、悦んで
神の声と思ってきく者は、必ず 魂磨けて 向上するものである。

人には よいことを語って、自分には 痛いことを言われて、
かえって 悦ぶようにならればならぬ。

欠点を言ってくれるのは 愛があるからである。

耳をよろこばす追従の言葉のみを喜んで、慢心すれば
魂の向上は  期待出来なくなり、受ける心に  なって、
はじめて魂が 進歩する。

良人や親や舅や姑が あんなに言うのは、自分に
愛があるからだと知らねばならない。

隣の夫は 私には何も叱ってくれないのである。
それは愛がないからである。」

と谷口雅春先生は教えてくださっている。

師でさえ、直言してくれる人のあることを喜んでいらっしゃるのだ。

吾々も このことにならって、もっともっと直言してくれることを
よろこばなければ ならない。

師の生活態度には、誠にも「神」へ従順そのもので
満たされているのであります。

師の姿を自己の手本となすべきでございます。<<

______________________

志恩ー

谷口雅春先生は、すぐおそばで接していましても、
只者ではないというカリスマ性のある雰囲気を
漂わせていらっしゃるお方でしたが、

ご自分も生長の家の教えを学びつつある一人の
信徒である、と言う謙虚な雰囲気も漂わせて
いらっしゃるお方でした。

私が、本部に奉職させていただいて、はじめて
会議室だったか、総裁室だったかの、出入り口で、
どなたかが、私を、谷口雅春総裁先生に ご紹介くださった時、

私と真正面で向かい合った 
谷口雅春先生は 右手で、
ご自分の背と私の背を、茶目っ気たっぷりな
ご表情を 浮かべながら、比べてみて、

「あんた、背が高いのねぇ」と 

意外な出来ごとでしたが、はにかんだ笑顔で
おっしゃってくださった光栄な風景を、
いまだに  私は、覚えております。

(その 谷口雅春先生と私のやりとりを、輝子先生は
  雅春先生の横で、微笑みながら ご覧になられてました。)

しかし、私は、現在は78歳になりましたので
背丈が縮みまして、159pになりましたが、
娘時代の20歳前後の時は、162pありました。

なのに、
「背が 高いねぇ」、と言われたということは、
谷口雅春先生は、そんなには、背は お高くは
なかったのかもしれません。






続々・栗原得二著『谷口雅春先生のご日常』(光明思想社発行)を拝読して (32782)
日時:2020年09月06日 (日) 07時27分
名前:志恩

________________________
志恩ー

生長の家のお方の中には、生長の家の信徒さんの中で
どなたかが病気になったり、
うつになったり、職場を失ったり、離婚したり......
そのような一見、不幸と見える現象が
起きている人に対して、
批判する人が
いますが、

それは、生長の家では、
その人の一生のうちの(良くなる前の)
「途中の段階だ」と教えていただいていますから、
そうゆう方達を、愛の心で観ず、裁きの心で観て、
鬼のように批判することは、間違っていると思います。

この『谷口雅春先生のご日常』の本にも
書かれてありますが、

________________
p100
「そのまま生くる」

>> 悟り高き先生でさえ、医者にかかられるのであります。
(虫歯の痛みでお苦しみになられることがありました)
ですから、吾々が医者に診てもらうことは当たり前くらいの
ことであります。安心して医者にかかるのがよいと思います。<<

___________________

p104
「先生と病気」

谷口雅春先生は、蒲柳(虚弱)の体質である。
大抵、11貫五百匁くらいの体重が 平均的に続いている。

それでいてあれだけの多忙なお仕事を1日も
休まないで続けていられるのは不思議なくらいである。

しかし、現象世界で生活するために、肉体の革袋を
持っていらっしゃることだから、
先生も又、一般人と同じように病気せられることもある。
中略

先生は蒲柳(虚弱)体質だけではなく、
易感性なデリケートな心性を持っておられる上に、

病気の人が先生の名を唱えて自分の病気を
治してもらいたいと念ずるものだから、
その病念を受信して、その病気を浄化し切るまで肉体的に
苦しまれたり、発病的状態になることも多いのである。

『維摩教』にある
「衆生病むがゆえにわれ病む」である。

そのような不利な状態にありながら
1日も休まれないのは、
毎日の神想観によって、
感受した病念を浄化なさるからである。<<


________________________

志恩ー

いかに神様と直結する神想観が大事か、
自分で自分を浄化することが大事か、
わかりますよね。


それから肉食についてですが、
私は、普通にお肉も、いただいておりますが、
いまだに無病です。


今の生長の家教団は、雅宣総裁ご夫妻が、
ノーミートにひどく拘っておられて、
信徒の皆様に、ノーミートを実践するように
生長の家の全組織を使って導いていますが、


谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代は、
先生は肉食について、本に書かれておられることは
私も存じておりましたが、これといって、ノーミートについて
雅春先生は、ご講演会の時も、白鳩会の質疑応答の時も
触れられては、おられませんでした。


谷口雅春先生は、ご日常では、肉食は控えて
おられましたが、外へいらした時は、ご愛念で出された
肉料理は感謝して召し上がっていたことが、この本にも
記されています。(p124,「肉食について」)


先生は、弘法大師のようなお心で、接待された肉料理も
仏の供物として、召し上がっておられたのだと思います。


前にも掲示板に書いたことがございますが、
私は輝子先生から
白鳩中央部の私にお電話があり、誘われまして
雅春先生ご夫妻とともに、観劇に連れて行って
いただいことがあったのですが、


その時、幕間に、劇場(日比谷)の食堂で、
谷口雅春先生ご夫妻と私は、同じテーブルで、
向かい合って、
輝子先生が注文された
(前もって輝子先生が、予約されていた)
幕の内弁当を 劇の感想を 語り合いながら
楽しい雰囲気で、食べたのです。


その幕の内弁当には、肉料理も 入っていましたけれど、
谷口雅春先生ご夫妻は、それらも 残さず
きれいに召し上がっていらっしゃるのを、
私は、この目でしかと 見ましたから、 


本当に、外食に、出された肉料理は、肉だからといって
よけたりせず、感謝の気持ちで、召し上がっておられた
のです。


当時、私が所属していた白鳩会中央部でも
年に数回、慰労会という名で、原宿本部の近くにある
有名な中華料理屋さんで、肉食も含めたお料理を
皆で、食べに行っていました。
(本部の経理からは一円もお金は出してもらっていません。
 部局内で毎月、積み立てていたお金で
 食べに行っていたのです。
積み立ては、先生方が 多く出してくださっていた。)


生政連の事務局長でいらした大峡先生と私の
二人で、生政連関係の仕事で、
国会、厚生省、参議院、衆議院などへ
仕事で行った日の帰りがけの外食は、
もちろん大峡先生が毎回私におごってくださっていた
のですが、
よく  ビフテキ を
大峡先生と二人でレストランで食べていました。
(大峡先生は、ビフテキがとてもお好きだった。)


今みたいに、生長の家教団が、
ノーミートを、色濃く出しましたら、
よほど、変わった偏食志向の人でない限り、
生長の家の教団組織には入らないと思います。


特に、普通に肉を食べている若い人たちは、
生長の家の組織に入りますと、肉が食べられなく
なると思いますので、よほどの変人でない限り、絶対に
生長の家の組織には、加入しないと思います。


それから、私は、前に掲示板に、
輝子奥様に私が、直接伺ったお話で、


”雅春先生は、お酒は飲まれませんが、ビールは
お好きで、夏はビールを飲まれているそうですよ。
少しづつだそうですが。”


と書きましたら、どなたかが、志恩さんは嘘つきだ
谷口雅春先生は、お酒は飲まないのだから、
ビールも飲むはずがない。と反論した人がいました。


しかし、この本には、谷口雅春先生は、夏は好んで
ビールを飲まれるお話も書かれてあります。
(p116「先生とビール」)



________________________
(備考-)

1貫は1000匁(もんめ)
11貫500匁 は
1貫(3.75kg)に11貫500匁(11.5)を
掛ければ求められるので

計算式=3.75kg×11.5=43.125kgとなります。
________________________



その通り! (51003)
日時:2022年06月06日 (月) 23時40分
名前:STEVE

>今みたいに、生長の家教団が、
ノーミートを、色濃く出しましたら、
よほど、変わった偏食志向の人でない限り、
生長の家の教団組織には入らないと思います。<


日野を擁護する訊け氏やtapir氏もきちんと日野を批判して!菜食は偏食です!

 (55880)
日時:2023年02月13日 (月) 18時22分
名前:読者

宇治別格本山の E本部講師補のオンラインご講話を
ちょこっと拝聴しましたが、生長の家信徒としての心構えの
とてもいいお話をされてました。

私は、その中で、なるほどな、と、心に深く刻んだ ことば 
がございました。

(テキストは、谷口雅春先生著『生活の智慧365章』)
p330[若い人に愛されるには...]

その中から、
「信念」と「信仰」の違いについてを、教えてくださいました。

○「信念」というのは、
  これはこうだと決めつける。
 かたい。
 はがねのような融通性のない頑固な
 凝り固まった
 心を持つこと。


○「信仰」というのは、
 やわらかさが失われてない。
 自由になんでも、話し合える、
 生命の歩む姿の途中にいるわけですから、
 信仰が深まるにつけ、ひとまず全部を受け入れる
 心を持つこと。

だそうです。
ですから、私たち信徒は、いくつになっても
明るく柔らかな心を失わずに、
若い方々にも愛されるような「信念」ではなく
「信仰」の持ち主でいたいものだと、
教えていただきました。

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これからの更に厳しい時流を担う、Z世代を支援したいものです。
有難うございます。



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