生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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谷口雅宣総裁の説明不足 (38913)
日時:2021年02月23日 (火) 11時17分
名前:本音の時代

書籍「平和の先人に学ぶ」の281ページの総裁の文書です・

「単に病気治しをしているだけでは、ダメです。確かに病気を治すことも重要で素晴らしいかもしれないけれど、医者の方がよく病気を治す。病気を治しすぎて、人を死なせない研究までしている人もいるわけですから、我々宗教者が今もし何か役割があるとすれば、それはもう少し別のことである。」

単に病気治しではないですね。総裁の文章には心の部分が欠落しています。また、「我々宗教者が今もし何か役割があるとすれば、それはもう少し別のことである。」では今までのことは今後否定するというニュアンスにもとれます。
総裁は、279頁で「我々でしては」という言葉を使っています。そうです、創始者・谷口雅春先生の弟子なのです。弟子なのですから、その心得をしっかり持っていただきたい。教えの基本は書籍「生命の實相」と「聖経」です。
「新経本」では「聖経」の代わりはできません。

【“森の中"へ行く】が神意であるならば (38921)
日時:2021年02月23日 (火) 15時31分
名前:本音の時代

法燈継承者が唱える【“森の中"へ行く】が神意であるならば、み教え第一で総裁の母親である恵美子さんも森の中へ移住することが、み教えに生きる人としては当然のことであったと思う。現実はそうではなかった。ということは、【“森の中"へ行く】は神意ではなく、総裁個人の思想の範疇のことではなかったのではないかと私は思う。独居を選んだ母親は、生長の家を退会した娘夫婦である「ときみつる會」代表の宮澤潔・壽美夫婦に引き取られ、「父母に感謝」を唱える総裁夫妻は訪問すらしないというこの不思議はなんだろう。

本音の時代さんへの感想 (38922)
日時:2021年02月23日 (火) 15時36分
名前:長崎の晩霞

「単に病気治しをしているだけでは、ダメです。確かに病気を治すことも重要で素晴らしいかもしれないけれど、医者の方がよく病気を治す。病気を治しすぎて、人を死なせない研究までしている人もいるわけですから、我々宗教者が今もし何か役割があるとすれば、それはもう少し別のことである。」/雅宣総裁

単に病気治しではないですね。総裁の文章には心の部分が欠落しています。また、「我々宗教者が今もし何か役割があるとすれば、それはもう少し別のことである。」では今までのことは今後否定するというニュアンスにもとれます。/本音の時代さん

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「単に病気治しをしているだけでは、ダメです。確かに病気を治すことも重要で素晴らしいかもしれないけれどむ」

これと同じ文意の雅春先生のものがあります。以下
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=4312

「単に病気治しではないですね。総裁の文章には心の部分が欠落しています」

はですね、「心の持ちようが生命発露の道に乗っていない、道に外れている、からこそ病気というものを顕わしている」、という生長の家においては、心の持ちようにて病気その他環境をよくする、ということは当然のこととなります。「総裁の文章には心の部分が欠落しています」は当たらないと思います。

「我々宗教者が今もし何か役割があるとすれば、それはもう少し別のことである。」

「社会事業団設立目的」についての雅春先生の文言を投稿したことがありますが、遥か彼方裏に行ってしまいまして見つけられませんでした。
そこには、生長の家を病気治しの病院かに思い、治れば生長の家を去る人が大変多いと嘆かれ、一人一人を感化しているようでは始まらない、であるから政治的、社会的に日本を住みよき国にせんとして、色々なことをする組織として事業団を立ち上げるとされました。

「今もし何か役割があるとすれば」の「今」と言われていることは、雅春先生が戦前と違う仕方で光明化運動をしようとしたことと同じではないでしょうか?

「今までのことは今後否定するというニュアンスにもとれます」

過去は過ぎ去ったものです。否定するも何も今現在存在しない過去の出来事を否定することはできません、在ったことは在ったことで事実ですから。今から何をしていこうか、ということであり、何をするにしても今何をするか、どうしたら生命が顕現するか、が問われることでしょう。

戦前の神道篇を定番の生命の実相では削除されているのに(前と違う生命の実相を発行した、という今を雅春先生は選択された)事業団が独自の編纂をするという方が、余程「雅春先生の今」を否定するものと思います。

神意でも売却の可能性(笑) (49691)
日時:2022年03月23日 (水) 21時32分
名前:身バレした職員はだれか?


【“森の中"へ行く】が神意であるならば (38921)

  森の中へ行く、とは書いていませんが
 トキさんは、森のオフィス建設は神意だと思います。

 そして数年後に売却の可能性もある、
 というからびっくりしました。

 可能性だけの話や憶測や、現役の職員が
 こういうところでやるのが恐ろしいですね。

 



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