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令和3年宮中の歌会始 (39979)
日時:2021年03月27日 (土) 16時52分
名前:tapir(テパ)

昨日、3月26日、宮中の歌会始が行われました。

毎年、1月中旬に行われていたのがコロナのために延期されていました。
お題は「実」でした。

天皇陛下の御製及び詠進歌は、宮内庁ホームページの「新着記事」→「令和三年歌会始御製御歌及び詠進歌」に掲載されています。

https://www.kunaicho.go.jp/

また、「皇室に伝わる文化」→「歌会始」→「御題一覧」で、「令和3年」をクリックすると同じファイルを見ることができます。

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/odai.html


天皇陛下の御製と皇后陛下の御歌とその解説を、謹んで転載申し上げます。

☆☆☆

”御製

人々の 願ひと努力が 実を結び 平らけき世の 到るを祈る

天皇皇后両陛下には、昨年、世界全体で新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、多くの人命が失われ、現在まで引き続き世界中の人々が大きな試練に直面していることにお心を痛められています。こうした中、両陛下には、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、困難に直面している多くの人々の状況をよりよく理解し、お心をお寄せになりたいとのお気持ちで、様々な分野の専門家や、現場で対応に当たられている方々などからお話をお聞きになってこられました。この御製は、天皇陛下が、人々の願いと、人々がこの試練を乗り越えようとする努力が実を結び、感染症が収束していくことを願われるお気持ちをお詠みになったものです

皇后陛下御歌

感染の 収まりゆくをひた願ひ 出で立つ園に 梅の実あをし

天皇皇后両陛下には、新型コロナウイルス感染症の発生以来、感染拡大の収束を心から願ってこられました。そのような中、感染拡大に伴う緊急事態宣言下にあった昨年五月に、皇后陛下には、お住まいのある赤坂御用地内の御散策にお出になった折、御所のお庭の先にある梅林で、梅の木々に実った実がいつの間にか青々と大きくなっていることに目を留められました。感染症の感染拡大で人々の日常が様々な面で大きく変わった世の中にあっても、それまでの年と同じように花を咲かせ、実を育んでいる梅の木に、変わらぬ自然の営みの力をお感じになり、感慨深くお思いになりました。この御歌は、その時のお気持ちをお詠みになったものです”

(「令和三年歌会始御製御歌及び詠進歌」
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-r03.pdf

☆☆☆


世界中の新型コロナ感染症が早く収束して、安らかな日常が戻ることを、天皇皇后両陛下と共にお祈りさせていただきます。

天皇陛下の御製、皇后陛下の御歌はもちろん素晴らしいですが、秋篠宮殿下以下の皇族方の御歌も、しみじみと考えを深めさせられる御歌(秋篠宮さま)、透き通った御心にほっとする御歌(紀子さま)、新しい発見の御歌(彬子さま、承子さま)など、それぞれ味わうと、心が豊かになる思いがいたします。


宮内庁のホームページ「歌会始」の説明から、「歌会始」の歴史の一部を学びます。

https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai.html


「歌会」は、奈良時代にも行われていたことが万葉集にも書かれていて、天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といい、天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。

「歌御会始」の起源は,必ずしも明らかではなく、鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。

明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ,それまでのような皇族・貴顕・側近などだけでなく,国民も宮中の歌会に参加できるようになりました。

明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。

大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められて、それまで歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。

[感想]

歴代天皇の御製を学んでいると、「歌御会」という言葉がよく出て来ます。萬葉集の時代から「歌会」があったとのこと。「歌御会」では、天皇と臣下が心を通わせる和歌のやりとりがあり、御製を読みながら、その情景を思い浮かべると、とても楽しいです。

「和歌の前に平等」という言葉があります。私はこの言葉が大好きです。和歌を通して、身分も年齢も一切の差別のない世界が現実に存在することが、ありがたいと思います。

一般からの詠進は、明治7年(1874)からで、「歌御会始」で披講されることになったのが明治12年(1879)とのこと、明治とは、そのように、国民参加の歌会始のはじまりの時代でもあったのですね。

詠進:詩歌をよんで宮中や社寺などに差し出すこと。

披講:詩歌などの会で、作品を読み上げること。歌会では読み上げた後に節をつけて歌うこと。

私は毎年の一般からの詠進歌では、最年少の詠進者、主に中学生や高校生、の歌が好きです。

今年の歌は、長崎県 久田桃香さんの歌です

”実感がどうしてもない私が中学一年だといふことが”

新型コロナのために、入学式や授業に制限があったのでしょうか。そう思うと心が痛みます。それでも、中学に期待する若さと初々しさが感じられます。その時にしか作れない和歌が選ばれたことに思いを馳せます。

このような日本文化の核をなす行事が、宮中を中心に毎年、開かれていることを、ありがたく思います。


《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》掲示板 の立葵さまのご投稿に賛同いたします (39980)
日時:2021年03月27日 (土) 16時53分
名前:tapir(テパ)

《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》掲示板の立葵さまのご投稿に賛同いたします。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3244

立葵さまのご文章は格調が高く、内容が深いと思います。《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》掲示板に投稿されているので、「谷口雅春先生を学ぶ会」を支持されている方と存じますが、このように深い思いの方もいらっしゃるのかと、「学ぶ会」を少し見直しました。


『週間新潮』4月1日号の記事において、眞子内親王の御歌を、歌会始で公表される前に公開した上に、曲解した深読みをして、あろうことか、一人の民間人の方に捧げた和歌であるというような論調で取り上げたとのことです。私はタイトルをネットで目にしたのみで、中は読んでおりませんが、立葵さまが、《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》掲示板に投稿されていたので、その内容を知りました。

詠進歌というのは、宮中や社寺等に差し出す歌、神仏に差し出すものであり、歌会始においては、詠進を呼びかけられた天皇陛下に捧げ奉るものです。

それを勝手な解釈で、しかも歌会始の披講前に、一人の民間人に捧げたように曲解して掲載した「週刊新潮」の罪は重大だと思います。

歌会始で公表される前日に発表するという行為も合わせて、日本文化と皇室に泥を塗るような行いです。 

「週刊新潮」のみならず、一部マスコミの、皇室に対する曲解記事の非常識ぶりは、最近、目に余るものがあります。売れさえすれば何を書いてもよいというものではありません。皇室の皆様が、反論できないお立場であることを知らないのでしょうか。

マスコミ関係者も、皇室のことが学校教育で教えられないことによって、行いの正邪の判断ができなくなった、被害者なのかもしれません。

皇室についての正しい知識を深く身に付けて、世の中を混乱させる記事に惑わされないよう、学びを深めて参りたいと思います。そして機会があれば誤解、誤報を正すために、声を上げて参りたいと思います。

合掌

御礼申し上げます (40054)
日時:2021年04月01日 (木) 01時06分
名前:立葵

tapir様

合掌
拙稿への勿体ないお言葉をありがたうございました。
このたびは『週刊新潮』の記事の最後に「不穏な歌」とまで書かれてゐることが看過できませんでした。
何をどのやうにお詠みになっても必ず某氏への執着と御両親殿下をはじめとする周囲への反逆といふ結論に結びつけるに決まってゐると思はざるを得ません。

なほ、この点だけでしたらその結論部分だけを申し上げれば足りるのかもしれませんが、歌御会について長々と前置きしましたのは、現在の歌会始のあり方そのものに少なからぬ憂念があるからです。

現在の歌会始の選者や召人の中には宮中の歌会始の御事を司るのにふさはしいとは思へない方々もをられると思ふからです。
それぞれの流派や結社で自由に詠むこととは別だと思ふのです。
ほんの一例ですが、以下は『不二』三月號から教へられたことです。

平成二十九年の勅題「野」で、選者の一人S氏の歌として紹介されてゐました。

書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎

これに対してのコメントです。
「結句の『野郎』とは何だ。勅題『野』から『野郎』を発想するといふのも不自然、不真面目であるし、陛下に献上する歌に『野郎』などといふ言葉を用ゐることは不適当極まりない。自分の結社歌会で披露する歌ならいざ知らず、詠進歌にはそれにふさはしい条件があつて然るべきである。」(p.15)

このやうに色々と考へさせられることがあります。君民唱和の歌の「道」を護り伝へるためには御歌所の再興が必要であると考へます。
そのやうな思ひがあり、冗長な駄文を連ねてしまひました。研鑽を重ねて参りたいと思ひます。
再拝

歌のことは余り知りませんが (40056)
日時:2021年04月01日 (木) 13時27分
名前:長崎の晩霞

「結句の『野郎』とは何だ。勅題『野』から『野郎』を発想するといふのも不自然、不真面目であるし、陛下に献上する歌に『野郎』などといふ言葉を用ゐることは不適当極まりない。/立葵さん投稿文

『書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎』

ごく普通に解釈すればご意見のように読めますね。
今では「野郎」は男性を侮辱する意味に使われています。

ちょっと別の考え方をしますと

「野」は「野生」「野人」という言葉がありますように野、市井を指します。高貴な方のいる場での詠歌でありますので、遜って下々の私が朗詠しますとの意が込められているとも言えます。

また「郎」には「郎君」「郎子」という言葉があるように、他を尊敬してよぶ意もあります。

「野郎」の前に「きまじめ→生真面目」とありますから、「野郎」は侮辱したものとしますと、きまじめ(善い人)野郎(馬鹿なやつ)となり意味が通じなくなると思います。

ですので私は

「献上歌を詠うために、いつも全ての資料を揃え、読み漁ることが習慣となっている市井の真面目な人々よ」

と献歌の為に努力を惜しまない人々を讃える一句と読みます。
それこそ『君民唱和の歌の「道」』に適っているのではないでしょうか。

御意見ありがたうございます (40076)
日時:2021年04月02日 (金) 06時56分
名前:立葵

長崎の晩霞様

合掌
御意見をありがたうございました。

およそ作品と名の付くものは一旦発表したらその解釈なり鑑賞なりは作者の手を離れて受け手に委ねられます。「野」と「郎」それぞれの語意からの意外な歌意の御呈示に、そのことを改めて感じました。とても参考になりました。

この選者の歌が
一、自分の性格が生真面目だとおどけて言った
二、詠進する国民の苦心や努力をほめた
の二通りに取れるといふことでせうか。

二、の場合ですが、それならこの選者様は何様といふことになりませうか。
選者も一国民として天皇陛下に詠進するのではないでせうか。この年でしたら、その年のお題「野」を詠み込んだ自分にとっての「野」を。
応募してきた詠進者は生真面目に頑張りましたといふことを自分の詠進歌とするものでせうか。
自分の所属する流派内でその他の意味の作品を発表するのは自由としても。

そのため、私は一応上記の一、と解して申し上げます。
歌御会、歌御会始、そして現在の歌会始は申すまでもなく題詠です。天皇陛下からいただいた勅題(お題)で詠みます。
題詠ですからできるだけその題そのものについて詠むのが自然のやうに思ひます。
現在の詠進要項に

※お題は「何々」ですが,歌に詠む場合は「何々」の文字が詠み込まれていればよく,「何々辺」,「車何々」,「同何々」のような熟語にしても差し支えありません。
とありますので、それについてあまり言へないかもしれませんが、いくらさうでも、その字が入ってゐれば何でもいいといふわけでもないと考へます。あくまでも「何々」といふお題にちなんだ熟語が想定されるのではないでせうか。

まして選者の歌ですから、奇を衒って、「野」といふお題をお出しになった天皇陛下や一般の詠進者の度肝を抜くやうな発想の作品を率先して詠進するものでせうか。

そのやうな違和感がありましたので縷々申し述べましたました。
和歌にしろ、散文にしろ、読んですぐにわかるといふことを心掛けていきたいと思ふ者です。
今回貴重な御意見をいただきまして、自分の発言に独善的な点がなかったか振り返る機会をいただきました。ありがたうございました。
再拝

こころのかげ (40086)
日時:2021年04月02日 (金) 09時43分
名前:長崎の晩霞

二、詠進する国民の苦心や努力をほめた

二、の場合ですが、それならこの選者様は何様といふことになりませうか。
選者も一国民として天皇陛下に詠進するのではないでせうか。この年でしたら、その年のお題「野」を詠み込んだ自分にとっての「野」を。
応募してきた詠進者は生真面目に頑張りましたといふことを自分の詠進歌とするものでせうか《

「献上歌を詠うために、いつも全ての資料を揃え、読み漁ることが習慣となっている市井の真面目な人々よ」と献歌の為に努力を惜しまない人々を讃える一句と読みます。
_________________________________________________________________________
この選者様は何様といふことになりませうか

選者であればこそ、「今年も数多のお歌が献上されました、有り難いことですね陛下」と語りかけるが如き心情より、「今年もまた陛下に歌を聞いていただける時節が来ました、聞いてもらえましたら大変嬉しいです、一所懸命歌います」と詠進する市民の心を感得してのものと感じました。

一、自分の性格が生真面目だとおどけて言った

選者が自己宣伝するため戯けて云ったもの、などとはとても感じられませんし、其のような感想を書いたつもりはありません。

飢饉になり市井の民の家から立ち上る煙の少ないものが、数年後多く立ち上るようになったことを見て、安堵の歌を読まれた天皇陛下、其のように、詠進歌が多いことと数多の竈の煙とが重なって見えているであろう陛下の気持ちを推し量っての選者の気持ちを表現したもの、と感じました。
陛下にとりましては、詠進歌は「野」に居る「郎」そのものではないかと推察します。

確かに歌からどのような意を感得するかは読み手のものではありますが、作者にとってはただ一つでしょう。投稿文の意味でも、どのようにでも読み取れるということでは話が進みません。通じるように書く必要があるのもその通りですが、読みても虚心坦懐に読んでこそ、より正確に相手の意が読み取れるのではないでしょうか。「三界唯心、現象は心の影」の真理も又難しいものですね。

私の解釈です―「野郎」について (40088)
日時:2021年04月02日 (金) 21時27分
名前:tapir

立葵様 

ご投稿いただき、有難うございます。ようこそお越しくださいました。感謝申し上げます。


>平成二十九年の勅題「野」で、選者の一人S氏の歌として紹介されてゐました。

書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎<


立葵様のお考えを読んで、「野郎」という言葉に、マイナスのイメージを持つ人があったことを知りました。

長崎の晩霞様の「野郎」のご解釈の一部は、私と共通するところが感じられます。


私は、和歌というものは、明治天皇御製のように

「おもふこと おもふがままに いひてみむ 歌のしらべに なるもならずも」

詠む人の心がすなおにあらわれていれば、それでよいのではないかと思います。

もちろん、新年の歌会始というおめでたい席で披講されるので、すなおさの表わし方に、おのずから限度があるでしょうが、「野郎」が限度を超えた非礼なものという感じは、私には起きませんでした。


S氏がどのような思いで、この和歌を詠進されたのだろうと、想像してみました。

S氏はどのような方なのか。平成29年以後の詠進歌を見ますと、勅題の言葉の使い方に工夫をこらす方のように思われました。言葉を楽しむという感じでしょうか。

また同氏の著書をアマゾンで検索しました。同氏は、過去の和歌だけでなく、現代の和歌、庶民の和歌を集めて編集した著書を出されていて、読者のコメントを読むと、初心者が和歌に親しみを持てる内容のようです。

そういうことを総合して、私は、「きまじめ野郎」は謙遜の意味で、S氏が、自分自身を指しているのだと思いました。

日本語には、自分を謙遜(卑下?)する言葉がたくさんあります。「愚考.」、「愚見」、「拙著」など。親鸞聖人は「愚禿親鸞」と称されました。それで「野郎」は、自分を卑下した謙遜の言葉なのだと思いました。


なお、辞書で調べますと、「野郎」は、若い男性の意味とのことで、詠進者には女性もいらっしゃいますから、詠進者全般を指した言葉とは、思えませんでした。

ただし、S氏には自分は庶民の一人として和歌の興隆に努めてきたとの誇りが感じられますから、自分を通して「市井の人々」の気持ちを代弁するというお気持ちが、詠進歌の裏にあったという気はいたします。(この辺りは長崎の晩霞様の感覚に相通ずるように思います)

自分は一庶民である、和歌というものはすべての庶民が、貧富、社会的地位、老若男女にかかわりなく、詠進できるものであるという気持ちを込めて、謙遜の気持ちで使ったのが「野郎」ではないでしょうか。


「野郎」は、辞書(goo辞書)で引きますと、次のような意味があります。

++++

1 男性をののしりさげすんでいう語。「あの野郎、ふとい奴だ」「ばかな野郎だ」

2 前髪をそり落とした若い男。

「さてさて利口な―ぢゃな」〈浄・丹波与作〉

3 野郎歌舞伎の役者。

「歌舞伎といふ事法度になり、太夫子残らず前髪おろして―になりし時は」〈浮・男色大鑑・五〉

(以下略)
+++++


2.以下を見ますと、江戸時代にはマイナスな意味でなく、成人した(前髪をそり落した)若い男、野郎歌舞伎の役者という意味で、使われたようです。

また1960~1970年代には、『からっ風野郎』(三島由紀夫主演)、『トラック野郎』(菅原文太主演)など「○○野郎」という映画がありました。威勢のいい、いきがっている、やや不良がかっているが「カッコいい」青年が、「野郎」でした。その時代の、あこがれの対象でもありました。

他の意見では、朝野という言葉を引いて、「朝」は朝廷、「野」は野人、この場合の野人は、庶民という意味があるから、「野郎」も庶民を指すと書いている人もあります。

「野郎」の語源は「遊治郎(ゆうやろう)」という薩摩言葉だという説もあるようです。

そういう様々な背景を考えますと、S氏が、現代人が抱く1.のマイナスの意味ではなく、江戸時代や、1960~1970年代の人気映画など、少し前の時代の日本語の意味合いで使った言葉だと思われます。87歳のS氏の青年期、壮年期の思い出のことばでもあるのでしょう。

万葉集にも、方言で詠われた和歌があります。そのままの心を、粗野と見られる言葉や、ふだんづかいの言葉で詠うことも、和歌の心であると思います。

私には、S氏が選者として「詠進」に臨んで、日常の歌作りとは次元の異なる謹みを覚えて、緊張しながら、どのような和歌にしようかと、多くの文献を並べて、言葉を練り上げる自分のすがたを詠まれたと思います。


少し言葉を足して解釈すると以下のようになります。

「私のようなしがない庶民が、歌会始の選者として詠進歌を詠むのは、身が引き締まる思いで、決して気楽なことではないが、おろそかにできないから、あの本、この本とすべての資料を揃えるのが、毎年の習わしになってしまった、こんな私は何と生真面目な庶民であることだろう!」

87歳の作者が、若者のような初々しさで作歌に取り組んでいる自分を見て、照れながら詠んだように思われます。

「野郎」というくだけた言葉と、「きまじめ」のコントラストが、江戸落語などのユーモアを思わせます。型にはまらず、若いつもりで、のびのびと枠にとらわれない歌を作る日ごろの自分に似合わず、生真面目に、必死になっているありさまを、客観視しています。

「ほととぎす ほととぎすとて 明けにけり」

との加賀の千代女の俳句を、ふと思い出しました。

歌を詠む自分を、別の自分が外から見ているという意味で。


私はS氏の詠進歌の「野郎」を謙遜語だと受け取ったので、度肝を抜かれることはありませんでした。

拝察するのは畏れ多いことですが、天皇陛下も広い御心で、S氏のユーモアをそのまま受けとめられたのではないかと、想像いたします。


「奇をてらう」言葉遣いは、S氏の自己顕示欲のあらわれであるかも知れません。が、和歌というものは、「詠み人のこころそのまま」が表わされているなら、その自己顕示欲さえも包み込み許容するおおらかなものであると思います。和歌に限らず、絵画でも音楽でも藝術とはすべからく、そのようなものではないでしょうか。すなおな心の表現であれば、時には社会的な儀礼や慣習を破ることも許容されるような…。

もちろん「歌会始」など、時と場合によって、「型破り」にはおのずから限度がありますが、「野郎」が限度を超えた非礼なことばという感じは、私には起きませんでした。


和歌の解釈については、相手(作者)の身になって考える思い、心遣いから発しているなら、人それぞれの解釈があってよいと思います。

それでも、作者の意図を知りたければ、ご本人に確かめるのが一番でしょう。

なお、一部週刊誌のような「曲解が酷すぎる」と、良識ある人なら誰もが思うような解釈が、論外であることは言うまでもありません。


長崎の晩霞様が言われるように、一般の議論ではロジックが重要です。そのため、書き手も読み手もあいまいさを嫌います。

しかし、文学、絵画、音楽など芸術は、ロジックを超えた世界を表現するものだと思います。
芸術鑑賞は、作品と鑑賞者の1対1の対話ですから、他の人と違う感じ方、考え方があっても、それでよい時もあるのではないでしょうか。

そこが哲学や、数学などの学問と違うところだと思います。


「野郎」という言葉を色々と調べたり考えたりできて、楽しゅうございました。

言葉は時代が変われば、意味や感じ方が変わっていくことも、考えさせられました。

有難うございました。

合掌



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