生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家の政治運動 (40010)
日時:2021年03月29日 (月) 13時23分
名前:本音の時代

【元来「生長の家」は人類の思想中よりそのまよい(転倒妄想)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に出現したのではありません。】(頭注版「生命の實相」第1巻3頁 「七つの光明宣言」の解説から)

人類生活の全面を光明化するのだから、生長の家の政治運動はいやだというのは間違いです。
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。(徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より)


だから、日本の政治はよくならのか。やはり、生政連の活動停止は間違いだったようです。

ドロドロ世界 (40011)
日時:2021年03月29日 (月) 15時25分
名前:生命の実相信者

政治はただの金の世界さー。

生長の家の言い分だとて、金を支払えば通る世界らしいよ。
そんな世界だから
ひいたのでは、ないですか???

今は昔だよ、懐古してるだけ無駄さ。

と、思いますね。

ドロドロ世界だから (40012)
日時:2021年03月29日 (月) 16時10分
名前:本音の時代

だから、生長の家の出現の意味はない?
人類光明化を唱える意味もない?

ハンドルネームは生命の実相信者だけで、中身は生命の実相信者ではないようだ。

現代世界は、政治を避けては、宗教運動はできない時代になっている (40013)
日時:2021年03月29日 (月) 16時32分
名前:アクエリアン

>だから、日本の政治はよくならのか。やはり、生政連の活動停止は間違いだったようです。

今の時代、政治を避けては宗教は語れないのだと思います。

アメリカの光明思想家マリアン・ウィリアムソン女史も、去年のアメリカの大統領選挙に出馬したぐらいですから。

実際、谷口雅宣さんも、政治的な発言が、最も勢いがあるようです。

今、世界で中国共産党のウィグル民族に対するジェノサイドに対して糾弾の声が鳴りやまなくなっていますが、生長の家も、宗教者として、自らの考えを発信していくべきではないか。

 (40014)
日時:2021年03月29日 (月) 16時50分
名前:志恩

同じ生長の家でも

谷口雅宣総裁率いる生長の家教団側の政治的発言は、
「自民党は支持しない」で。

片や
谷口雅春先生に学ぶ会の政治的発言は、
「自民党を支持する」でしょう?

意見が正反対でバラバラですよね。

それぞれで、いいってことですか?
アクエリアンさん。

教団は、今後、政治的発言をされるのでしたら、国際社会に向けた発言を (40015)
日時:2021年03月29日 (月) 17時04分
名前:志恩

アクエリアンさんがおっしゃるように、

>>谷口雅宣さんも、政治的な発言が、最も勢いがあるようです。<<

なのですから、
教団として、公式に

「自民党は支持しません」
というような 単に 国内向けの
信徒向けの、政治的発言ではなく、

アクエリアンさんがご指摘のように、

今後は、谷口雅宣総裁も、

>>今、世界で中国共産党のウィグル民族に対する
ジェノサイドに対して糾弾の声が鳴りやまなくなっていますが、
生長の家も、宗教者として、自らの考えを発信していくべきではないか。<<

というような国際社会に向けた政治的発言でしたら、
大いにしていただきたいですよね。

私見 (40016)
日時:2021年03月29日 (月) 18時24分
名前:アクエリアス

だから、日本の政治はよくならのか。やはり、生政連の活動停止は間違いだったようです。<

生政連の先達が中核を為すのが今の日本会議でしょう。
安倍〜菅内閣の閣僚の大半がその連盟に属し、今の日本の政治の状況です。。活動停止が間違いだったとは到底絶対思わないなあ。



生政連と日本会議は目的が違うのではないでしょうか (40017)
日時:2021年03月29日 (月) 19時25分
名前:本音の時代

(再掲)
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。(徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より)

生政連 (40018)
日時:2021年03月29日 (月) 19時51分
名前:本音の時代

生政連が誕生したのも、最初の動機は、当時、年間三百何十万名という腹の中の子供が虐殺されているというのを、どうしても助けなくてはならないというので、これは宗教だけで、教えを説いているだけでは間尺に合わない。妊娠している人を戸別訪問して堕胎したらいかんぞといっても、それはなかなか三百万人の所へ歩いて行くわけにはいかない。これはどうしても政治の世界で、政治家を動かしてそしてひとつ、堕胎ということは犯罪であると、人道上善くないことであるということを本当に知らせるのに、一番手近なのは、それは政治であると、こういうふうに考えまして、そしてこの生長の家政治連合というのが出発したのであります。(谷口雅春著「日本の政治と宗教 120頁)

本音の時代様 (40019)
日時:2021年03月29日 (月) 20時00分
名前:転載ちゃん

谷口雅春先生の御言葉を以前教えて頂きました。

『「私は社会党にも自民党にも属しないものでありますし、生長の家そのものも自民党に応援するものではない。略 決して生長の家が自民党ヒイキという訳ではありません 略 生長の家が自民党ではなく、鳩山首相が生長の家党だった訳であります。これを逆に考える人は、宗教が一党に偏するがごとき誤った観念を伝えるのでありまして、それは大変危険な事であります。決して生長の家は自民党に偏向していない。」』

この御言葉は重要です。


ある意味、生命の実相信者様の仰ることは当たっており、
政界の魑魅魍魎さに辟易して活動を停止されたのだと思います。
生長の家の思想活動をと申しましても、まず、外に出る前に「歴史認識」など多くの整理すべき内的課題があるように思います。

政界の魑魅魍魎さに辟易して活動を停止されたのだと思います。 (40020)
日時:2021年03月29日 (月) 20時21分
名前:本音の時代

上記の通りだとすれば、生長の家は人類光明化などできないことになります。谷口雅春先生も生長の家大神様もは嘘を言っていたことになりますよ。

本音の時代様 (40022)
日時:2021年03月29日 (月) 23時47分
名前:転載ちゃん

上記の通りだとすれば、生長の家は人類光明化などできないことになります。谷口雅春先生も生長の家大神様もは嘘を言っていたことになりますよ。



『真理はただ一つ、人間は神の子である』
この生長の教えに基づいた思想において、本音の時代様は、
生政連活動は何故停止したと考えておられますでしょうか。

新世代ニューソート3.1の考え方 (40027)
日時:2021年03月30日 (火) 04時38分
名前:アクエリアン

志恩さん、

>というような国際社会に向けた政治的発言でしたら、
大いにしていただきたいですよね。

環境問題も大事ですけれども、人権問題も宗教団体としては、無視できないのではないか。

ニューソート生長の家の存在感を示すときではないかとも思います。

ひょっとして、現総裁は生長の家がニューソートの団体だという意識が希薄なのかもしれませんが。

ニューソートのサイトに次のような文章が掲げられています。

■Reasons that New Thought 3.1 is growing:
ニューソート3.1が成長している理由

https://www.newthought.info/

ニューソート3.1には、the UDHR が含まれるのである。
The UDHR とは『世界人権宣言』のことである。
ニューソートミレニアル世代は『世界人権宣言』を人類を通して受け継がれている最高の霊的な教えであると考えるのである。ニューソート3.1は、『世界人権宣言』に同意しない、それ以前の霊的な教えは、もはや、正当なものとは認めない。そして廃棄されなければならないと考えるのである。

_____


こういう考え方が出てきた背景には、やはり、中国共産党のようなジェノサイドという、人類に対する罪を公然と犯している全体主義犯罪集団が出現してきたことに対する危機感があるように思います。

勿論、最も大きな要因としては、オウムのようなカルト集団による人権侵害やテロ行為に対する警戒感があらわれているように思います。

生政連活動は何故停止 (40029)
日時:2021年03月30日 (火) 09時25分
名前:本音の時代

当時は教団が思っていたような政治展開にならなかったし、選挙運動による信徒の疲弊もあったのでしょう。
教団の生政連に対する不信が原因です。私は現総裁は当初から生政連を良く思っていなかったと考えています。玉置和郎氏の確執もあったようですから。
不信が原因ですから、生長の教えに基づいた思想は忘れられていたのでしょう。

 (40031)
日時:2021年03月30日 (火) 13時28分
名前:転記

こうした自分の思想を政治に反映しなければ世界平和は実現しない、と考えておられた大聖師。 (39129)

日時:2021年03月09日 (火) 21時34分
名前:wikiより


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。
— 心と食物と人相と




しかし、このような徹底したプロライフ(=生命尊重)の主張が政界で受け入れられることはなかった。1978年(昭和53年)に雅春氏は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退き、1983年(昭和58年)には優生保護法廃止が実現しないこと等を理由として生長の家政治連合の活動停止が決定され、以後生長の家は自民党政権と距離を置くようになる。

>しかし、このような徹底したプロライフ(=生命尊重)の主張が政界で受け入れられることはなかった。 (40032)
日時:2021年03月30日 (火) 14時02分
名前:本音の時代

生政連は、そのような主張はしていないのではないでしょうか。
谷口雅春先生も信徒にも強硬な肉食廃止は主張していないと思います。

 (40033)
日時:2021年03月30日 (火) 17時42分
名前:閲覧者


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。
— 心と食物と人相と

「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのであります/雅春先生

と言われているのにどうして

谷口雅春先生も信徒にも強硬な肉食廃止は主張していないと思います。/本音の時代さん

となるのでしょうか、本音の時代さん、理解が難しいです

強硬な肉食廃止は主張していない (40034)
日時:2021年03月30日 (火) 18時27分
名前:本音の時代

政治とは法律を作ることです。
肉食廃止の法律を作れと谷口雅春先生はおっしゃいましたか?

谷口雅春先生は「新版幸福生活論」の中で次のように書いています。

【・・・・吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。それがまだ備わらない人々には生長の家は何人にも何物も強制しないのであるから、強いて肉食をやめよとは云わないのである。】

※参考
『人間と食物の問題』
 ・・・・たとえば、人が此処に魚をたべていたとする。現象的にはかう見えているのであるが、実相に於いては人間は、魚を殺してたべると云う事はなどはない、現にたべてはいないのである。だから殺すと云う業もなければ、殺された恨みの業もない ―― 魚を食べるにも、かくの如く知って食べねばならないのである。殺すと思い、殺されると思って食べるときには、そこに殺生の業も生み、〈業とはナリである、鳴りである。心の鳴りひびきである。心のひびきを止めるとき業の実態は消えてしまう〉その業は心がその存在を支えている限り流動し、輪転し、殺生は次の殺生を生み、ついに人類相互の一大殺生なども生むようになるのである。だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして〈換言すれば人類が殺生によって〉生を保つかぎり、人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰にあると考えざるを得ないのである。
 だから、現象本来無しとわかるまで生き物を殺して、又は捕殺せしめて食べない方が好い。それは殺生の業を輪転せしめる事になるからである。私は『生命の實相』の中で、肉食厭離の心を起さしめるためにトルストイの肉食反対論や屠牛場の悲惨な光景を書いた。現象無しと悟れば凄惨なる屠牛場の光景もない。肉食していると云うこともない。それはただ夢中に幻を見ているのと同じことであるから、一休和尚が般若心経をとなえながら平然と魚を食って、しかも、此の魚はこれで成仏していると云い得る境地になれるでのであろう。しかし、かかる悟りと心境になれないで、ただ習慣で生き物を食う故に、凄惨な気がしないだけであるならば、それは平俗な殺生の肯定であり、戦争するのが習慣になった軍人が平気になっているのと同じであって、「本来殺生なし」の悟境ではない。かくの如き殺生は、凄愴悲惨な感じを伴わないままに、知らずに犯した罪の方が知って犯す罪よりもその被害が大きいように、殺生の業の存在を強引に肯定しているのである。
 真に此の世界から戦争を根絶し、絶対平和の世界を実現するためには、殺生の業を積まないようにすることが必要なのである。現象が本来無であり、空華(くうげ)であることが真に自覚できない限りに於いては、みずから殺生し、又は、他をして捕殺せしめる「殺害」の業上に築かれたる肉食を人類はみずから勇猛心をもって根絶しなければならない。釈迦は自分の弟子に、みずから殺さずして他の人が布施し供養をした肉食のみはこれを受けても好いとした。それは‘受けても好い’のであって、進んでその饗応を強制したり、なるべくそうするように勤め、又仕向けてはならないのである。純粋の愛念又は報謝念又は布施心をもって供養されたる肉食は、その愛念、報謝念又は布施心によって浄められているから浄食である。自分が儲けるために捕獲したる獣鳥魚肉は、利己心のために殺生を肯定したものであるからけがれたる殺生である。しかし漁夫がかくの如き業務をもって生活するよりほかに生計の道を見出し得ざるが故にやむを得ず魚等を捕獲するのは生活権として尚ゆるされ得るであろう。しかも自己の生活の必需に迫られずしてただ閑暇の娯楽のためにする魚釣の如き、他の生命を玩弄するのであるから、聖霊を涜す罪として赦されがたいのである。生命は聖霊であるからこれを弄殺する事は赦されない。
 斯くて吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。それがまだ備わらない人々には生長の家は何人にも何物も強制しないのであるから、強いて肉食をやめよとは云わないのである。
 或る人は生物を共食いするのは浄食ではないと云うことを反駁して、生物は必ずしも動物のみではない、植物もまた生物であり、米も麦も豆も野菜も生きているのである。それを収穫と称して捕殺するのは残虐なる殺生ではないかと云う。
 生命あるものを切って生(せい)を奪うことは真に罪悪であろうか。吾々の髪の毛や爪は吾々の身についている間は生きている。それを身から切り放ったとき、それは死ぬのである。しかし、吾々は髪を整え、爪を揃えするために、それを悦んで切り捨てるのである。切り捨てられた髪と爪とは生を失う。それは快い業であり、悲惨でもなければ苦痛でもない。それは何故悲惨でなく苦痛でないのであろうか。それは髪を切り、爪を切っても苦痛を感じないからである。然らば苦痛を感じないように切り、生を奪うことならば悲惨でも残虐でもないのである。或る“かまきり”虫の一種は、その雄は交尾の佳境期の最中に雌にくわれて死んでしまうのである。それが苦痛であるならば交尾をやめて逃げ出して了いそうなものであるけれども逃げ出しはしないのである。彼は恋愛の快感の最中に、その生命が雌の生命にとけ込んで、現象的には自分の個としての生命を失う、彼は却って幸福だと云わなければならないのである。考えて見れば動物を捕え殺し食するのが悲惨であり残虐であるのは、彼が捕えられ、殺され食されることを苦痛として逃れようとする。その逃れようとし避けようとする自由を奪って、殺すところに殺生の罪悪があり残虐性があるのである。生命は不死であり、現象界から生命は去っても霊界にその生命は天現するのであるから、自由意志で転出する場合には罪悪ではない。またそれが痛苦を伴わない場合には残虐ではない。ところが肉体の苦痛は、痛覚細胞があって、末梢神経の痛覚細胞の刺戟が大脳の痛覚中枢につたえられて脳細胞のエネルギーが心の痛みに変化して始めて感じられるところのものである。爪や髪の毛は生きていても痛覚細胞がないから痛みを感じない。“とかげ”の或る種類はその尾をもって捉えようとするとき、みずからその尾を自然に切断して逃れ去る。その尾は暫くは生きてもがくが如く跳ねているが、それは脳髄の痛覚細胞から切断されてしまっているから痛覚は無いのである。肉体のもがきは必ずしも本人の苦痛の表示でない事もある。首を突如として切られたる人間は、その胴体にある手足は暫くもがいているが、それは脳髄中枢から切断されているから痛みを感じていない。それでは切り離された方の頭首は痛んでいるかと云うと、瞬くうちに多量の出血が頚動脈から噴出するので、一定の圧血量を失った脳髄は知覚を失って痛みを感じない。結局苦痛と云うものは、肉体でショックを受けたのを知らせる極短時間か、痛むだろうと想像する人間〈又は生物〉の心の観念中にあるのみであると云える。死と見える現象そのものの中にはそれほどの苦痛はないのである。神は決して生き物にそれほどの実際の苦痛を与えてはいられないのである。
 それ故、残虐とは、相手に恐怖心を起さしめ、苦痛の観念を起さしめる行為に名づけられるのであって、“かまきり”の雌が雄をその交尾中に食ってしまっても雄を恐怖せしめず苦痛を感ぜしめなかったら残虐ではない。之に反して、相手を打ちも斬りも傷けもしないでも心に恐怖や苦痛を与えることは残虐であると云い得る。
 ここまで思索してくるとき吾々が植物の果実や菜根を食うのは悲惨であろうか。残虐であろうかと云うことになる。決してそうではないのである。植物はみずから翼なく、脚がなく、位置をかえる飛翔も歩行も出来ないので、動物にその運搬を以来するのである。“ただ”運搬して貰う訳には行かないので、その報酬を与えるために美味の果汁や果肉を備えて動物をひき寄せる。若し動物が果実を運搬してくれなかったり、間抜きをしてくれなかったりしたら、同じ狭い面積に、多数の種子や苗が重り合って、同類相互に殺し合って、種属の播殖が出来ないので、種子を適当にバラ播いて貰ったり、間抜きをしてもらったりする。その代りに美味の果汁果肉や、葉根等を動物に与えるのである。そのために、種子の熟した頃になると果実を鳥獣に目立つところの赤や黄や紫に色どって彼らの目を引くのである。若し鳥獣人間等が適当な時にそれを捩ぎとってくれなかったら失望したかのようにみずから腐り落ちる。植物はまた余り茂りすぎると、通風と日当りが悪くなり却って枯死するので、剪定と云って枝を切って、通風と日当りをよくしてやると却って元気になる。それは吾らが爪を切るのと同じ様に痛覚細胞がないので痛みを感ぜず、しかして吾々に薪炭の材料を供給してくれるのである。それゆえ吾々が植物の果実や枝や葉や根などから食物や薪を得ることは残忍ではなく、これは相互扶助だとも言い得るのである。
 されば吾々が愛ふかく、残忍性少なき食物としては植物食が最もよいのであり、動物食をとるならば、痛覚細胞のあまり発達していず苦痛を感じる度の少ない軟体動物の如き下等動物又は小魚の如き幼若な動物を食する方が好いのである。〈なまこ≠フ如きは腸を針金で引きずり出してこのわた≠ニ称して食し、あとを海中へ放り込んで置くと、そのまま腸が再生する。人間のように痛みを感じないらしいのである〉牛馬等の高級動物は人間に類似して、死に対する恐怖又は嫌悪を感じて屠殺場に行くときに涙を流して行きたがらない有様を示すのもある。かくの如き動物を殺し又は殺さしめて食することは甚だしい残虐であるから私は避けられるならばそれらの食を避けたいと思うのである。
 この問題に連関して、或る日道場からの帰りに私を追いかけて来た一人の青年が、『食物は動物食を食べなければ、食べないで生活出来ますけれども、社会生活を送っている上から革靴等は穿かずに生活することは出来ません。しかし皮靴を穿けばやはり動物を殺さねば皮は得られませんから、肉は食わなくとも殺生をすることになると思います』と真摯な面持ちで私にたずねかけたのである。その青年の足もとを見ると皮の靴をはいていた。
『それは君が決心すれば、下駄を穿いて出勤すると云うこともできます』と私は自分が穿いているゴム靴に眼を落しながら 『僕の穿いているのも動物性ではありません。』
『しかし下駄穿きでは事務所へ入ることは出来ません』 とその青年は云う。
『君が決心が出来れば、途上は下駄を穿いて往って、事務所は上草履を穿くことも出来ます』
『だけどもそう云う下駄も上草履も得られなければ・・・?』
『それは君の決心一つで、跣足ででも生活出来るのです。一度そこまで人間は真剣に自分を追いつめて考えて見ることが必要です』
 私の心の中には、過去の青年時代の自分が浮び上がって来た。空気を吸っても、空気中の微生物を殺さねばならぬし、道を歩いても無数の昆虫その他の小さな虫を踏み殺さねばならない。思えば息を吸うことも、水を飲むことも、歩むことすらも出来ない世界に窒息しそうなその頃のひたむき≠ネ自分を思い出したのである。
『・・・・そうして出来るだけ自分を追いつめて往って、もう二進も三進も行かなくなったとき、詫びつつ祈り祈りして生活する。兎も角殺生を正面から肯定しては可けない。そこから忽然別の世界がひらかれて来るのですよ。殺し合いだと見えた世界が殺し合いの世界でないとわかって来る。生命は互に問題と問題を提供しつつ生かし合っている。生命は死なない、永遠に死なないと云うことが解って来ます。色々の問題、切実な悩みは、それを解決しようと努力することによって、魂が進化し向上するための課題だとわかってまいります。 あなたの靴が牛革か馬革か知りませんが、牛も馬も生命は死なないとしたならば、それは殺生ではない、ただ牛や馬の生命が自分の生命力で造り出し、或る期間つかい古したこの「皮袋」を、二度のお役に人間のためにつかうと云うことになるでしょう。若しあなたが偉大なる聖者になれば、聖者の靴となて自分の屍を捧げたいと云うのがその牛馬の魂の本心の願いではありますまいか。聖者の役に立つと云うことによって其の功徳によってその牛馬の生命も異常に進化する。法華経の中には仏に自分の身体を献げることが無限の功徳であると云って、自分の全身に香油を潅いで燃やしたら八万四千歳の間燃えていて、燃えつきると同時に忽然と新生している一切衆生憙見菩薩(きけんぼさつ)の事が書いてあります。あなたの生命は真に仏になるならば、どんな革靴を穿いても、肉食をしても、それは却って偉大なる功徳をほどこすものとなる。形を見れば同じ肉食であり、革靴をはくのであるかも知れぬが、外形だけを見て判断してはならない。とも角、君の地上生活が偉大になり、浄まり、多くの人々を救い得る人となれば、あなたの地上生活を維持するために必要な一切の行為は浄まったものとなる。まず自分が浄まることが大切だ。』
新版『幸福生活論』 人生研究ノート 186 〜197P

 (40035)
日時:2021年03月30日 (火) 19時48分
名前:閲覧者

【・・・・吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。/雅春先生


ここに
「実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。」

と言われていますが、志恩さんを見れば明白でしょう、夏にはバーベキュウを家族でしているそうです。昔の教えで実相を生きていますという人にして、自然と肉食から遠ざかる様にはなっていません。

つまり自己に好ましい状態が現れることが実相顕現であって、肉は美味い、という感覚が自然となくなりはしないということを示しています。

そういう意味で、生長の家本来の教えに帰れば、肉食が止まり戦争の危険度が下がることへの貢献が増すということにはならないと言えます。でありますから外国の内政をとやかく云う暇に、脚元国内の政治を変えることが先なのです。

本来の教えを実践して、つまるところ日本人の性状(明治以前の山が意外ではほとんど肉食していなかった頃の穏やかな)が良くなるのか、生長の家の現実からすればとてもじゃないが良くなると思えません。

>つまり自己に好ましい状態が現れることが実相顕現であって (40036)
日時:2021年03月30日 (火) 20時48分
名前:本音の時代

これはきっと間違いですね。
実相顕現がどういうものなのか、私はうまく説明できませんので、自分で調べてください。

江戸時代も実際には日本人は肉食していたそうですし、縄文時代から肉食の無い時代は、なかったそうです。 (40038)
日時:2021年03月31日 (水) 01時04分
名前:志恩

>>江戸時代の肉食よりー

「肉は薬?」

江戸時代に彦根藩は将軍家に対して
「薬用牛肉」なるものを献上していたという記録がある。
牛肉の味噌漬けを、将軍家などに贈っていた。
薬という「隠語」を用いて肉食を行っていた。

(江戸時代は、冷蔵、冷凍、が ない時代でしたので、
肉は、保存のため、味噌漬け、塩漬け、干し肉にしていたそうです。)


江戸時代において肉食は基本的にはタブーであった。
しかし、生類憐みの令が施行された期間を除けば
犯罪とまではいかない。

そのため、庶民も広く肉を食していたようだ。
特に都市部以外では、自分たちで狩った野生動物の肉を
食べることに抵抗がなかった。

庶民は、猪、鹿、兎、キジ、鷹、などを狩猟して肉を食べていた。<<


志恩ー
江戸時代は
庶民の口には、牛肉は入らなかったそうですが、
その代わりに、庶民は、狩猟した獣肉、鳥肉を、食べていたそうです。
江戸時代に限らず、古代から、肉食は、していたそうです。

ですから肉食しなければ、戦いが起こらないか、といいますと、
そうとは限らないと思います。

日本では、江戸時代は、海外との戦争はしていませんが、
江戸時代を描いた浅田次郎の小説「壬生義士伝」を読みますと、
武士たちは、平気で人間の試し斬りをしていましたし、国内での
殺し合いは、頻繁に起こっていました。つまり、戦いは常に
ありました。

谷口雅春先生のお言葉に

「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」
というのがございますが、

それも、その通りだと存じますが、

もう一方で、
私のように、悟りを開いていないものでも、

年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるように思います。


谷口雅春先生は肉食についての著書も、確かに出版されてますが、
谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代は、本部講師の皆様も
信徒の皆様も、普通に肉も 礼拝されて召し上がっておられました。

今の、三代目の雅宣総裁ご夫妻のように、肉食禁止を 教えの運動方針の
前面に出されますと、若い方々は、生長の家に近づくと、肉が食べれなくなる
というわけで、なかなか、生長の家に入信されないと思います。

この、頑なな考え方を、押し通されますと、生長の家は持たないと思います。


【実相が顕現するに従ってといいますよりも】 (40039)
日時:2021年03月31日 (水) 02時19分
名前:閲覧者

谷口雅春先生のお言葉に
「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」

というのがございますが、

【実相が顕現するに従ってといいますよりも】、年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるということのように思います。
_______________________________________________________________________

どんな理屈を言ったところで、これでは

先生の述べたことよりも、志恩さんの言うことが真理であると言っていることになります。

この様な人を作るのが光明化運動と言うのならまっぴらでです。

 (40040)
日時:2021年03月31日 (水) 03時49分
名前:意見

谷口雅春先生
る。だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして〈換言すれば人類が殺生によって〉生を保つかぎり、人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰にあると考えざるを得ないのである。
 だから、現象本来無しとわかるまで生き物を殺して、又は捕殺せしめて食べない方が好い。それは殺生の業を輪転せしめる事になるからである。私は『生命の實相』の中で、肉食厭離の心を起さしめるためにトルストイの肉食反対論や屠牛場の悲惨な光景を書いた。現象無しと悟れば凄惨なる屠牛場の光景もない。肉食していると云うこともない。それはただ夢中に幻を見ているのと同じことであるから、一休和尚が般若心経をとなえながら平然と魚を食って、しかも、此の魚はこれで成仏していると云い得る境地になれるでのであろう。しかし、かかる悟りと心境になれないで、ただ習慣で生き物を食う故に、凄惨な気がしないだけであるならば、それは平俗な殺生の肯定であり、戦争するのが習慣になった軍人が平気になっているのと同じであって、「本来殺生なし」の悟境ではない。


志恩さん
江戸時代は
庶民の口には、牛肉は入らなかったそうですが、
その代わりに、庶民は、狩猟した獣肉、鳥肉を、食べていたそうです。
江戸時代に限らず、古代から、肉食は、していたそうです。

ですから肉食しなければ、戦いが起こらないか、といいますと、
そうとは限らないと思います。

日本では、江戸時代は、海外との戦争はしていませんが、
江戸時代を描いた浅田次郎の小説「壬生義士伝」を読みますと、
武士たちは、平気で人間の試し斬りをしていましたし、国内での
殺し合いは、頻繁に起こっていました。つまり、戦いは常に
ありました。



生長の家三代目総裁
肉食をやめよう

を推奨中ですね。
肉食強制でしょうか、そうは思いませんが。
誤解では?

閲覧者さん (40041)
日時:2021年03月31日 (水) 06時18分
名前:志恩

私の書き方が、谷口雅春先生の言われることよりも、
志恩がいう方が正しいみたいな、誤解を招く書き方を
してしまいまして、申し訳ございませんでした。

谷口雅春先生、閲覧者さん、ごめんなさい。

以下に訂正します。
40038の方も、いまから訂正します。

【谷口雅春先生のお言葉に

「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」
というのがございますが、

それも、その通りだと存じますが、

もう一方で、
私のように、悟りを開いていないものでも、

年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるように思います。】
_______________________________________________

生長の家総裁谷口雅宣先生ご夫妻は、このように理由を掲げられて、ご著書でも、ご講演会でも、強力にノーミート運動を推進されてます。 (40042)
日時:2021年03月31日 (水) 06時59分
名前:志恩

生長の家総裁 谷口雅宣先生の著書『足元から平和を』より

我々日本人を含む先進諸国の人たちが家畜や家禽や養殖魚を食べるために、世界の穀物の35.5%が人間以外の動物の口に入るという結果になっている。それだけの量の穀物を、動物にではなく人間に与えれば、地球上の飢餓の問題はほとんどなくなるはずです。もちろん私たちは、これを意識してやっているわけではない。つまり、貧しい国の人々を飢えさせるために肉食をしているわけではないけれども、結果的には、我々先進国の肉を食べる人たちが、貧しい国の人たちの穀類を奪うことになっているわけです。

今、菜食に切り替えようとしている人たちの中には、そういう地球規模の問題を考えている人が多いのです(168頁〜169頁)               

志恩ー

食肉用の牛や豚にふんだんに与えられる穀物のせいで、
飢餓と空腹の為に多くの命が消えているということが書かれています。

ご著書の中だけではなく、日本各地で開催されていた
生長の家のご講演会でも、ノーミートのお話は、必ず、されてます。

数年前、雅宣総裁ご夫妻はブラジルへいらして
「世界平和のための生長の家国際教修会」が開催されました。

 「食事と世界平和を考える」というテーマで開催されましたが、

そしてその時の資料によれば、その時も、
肉食の弊害を次のようにご指導されました。

白鳩会総裁・谷口純子先生は、この教修会において、
肉食の弊害について次の6つを挙げられました。

(1)同じ人類の食料を奪う…(発展途上国の人々の食料を奪う)

(2)動物の命を奪う   …(すべては神の生命において一体である)

(3)森林破壊      …(穀物飼料栽培のため、また放牧のために森林を伐採し、農場や放牧地にする)

(4)環境汚染      …(約1sの肉の生産には、飼料となる穀物の栽培、放牧地の灌漑と家畜の排泄物を洗うために、約2万リットルの水が必要となる。その結果一層の水不足を招く)

(5)貧富の格差から憎悪が生まれる(発展途上国の人々の主食であるトウモロコシが、先進国の人々の肉食のために使われるため、トウモロコシ等の穀物の値段が高騰し、充分な食料が手に入りにくくなり、飢餓を生じる。その原因は先進国の人々のライフスタイルにあるため、そこに、憎悪が生まれる)

(6)メタンガスの発生  …(温室効果ガスはCO2の23倍のため、地球温暖化につながる)

「信仰心を持って神の御心を生きる者として、自他一体の自覚を深め、肉食削減に努め、世界平和実現を目指しましょう。肉食を減らすことは、愛行です。」とご指導されました。


私たちが人間として生活するうえで、食事は一番身近なものです。
私たちは、日々の食事に際して、人から奪わない、動物から奪わない食事を心がけ、
神の御心を現していきましょう!とご指導されました。

https://www.ssfk.or.jp/p/a/575919.htm

志恩ー

しかし、世界の飢餓の理由は、私たちが肉食をしているからでは無いという
ことが、最近の環境問題で、言われるようになりました。

私たちが肉食をしているから、そのために、食糧が不足しているのでは無いと
いうことが、明らかにされるようになっております。

食べ物自体は、不足しているのでは無い。

山のように食糧が、飢餓で困っている国に届いているのだが、それを
そこまで届けるというルートが大きく不足しているのが、
飢餓が続いている理由だということが、言われるようになりました。

環境問題は、たびたび申し上げますが、日進月歩しております。

谷口雅宣先生と純子先生が述べられていらした
「肉食=世界の飢餓」のことは、過去に環境問題の専門家たちが述べられていた ことで、
これは、過去の情報です。

今は、飢餓問題は、ノーミートとは、別の理由が、あげられるように
なっているということも 事実です。

ですが、世間の皆様や信徒の皆様から見ましたら、いまだに、
生長の家教団上層部は、
「肉食=世界の飢餓」のためのノーミート運動を推進していると
とらえていると思います。










閲覧者さん (40043)
日時:2021年03月31日 (水) 07時55分
名前:志恩

閲覧者ー

>>略

ここに
「実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。」(谷口雅春先生)

と言われていますが、志恩さんを見れば明白でしょう、夏にはバーベキュウを家族でしているそうです。昔の教えで実相を生きていますという人にして、自然と肉食から遠ざかる様にはなっていません。<<

志恩ー
それは、古くから入信しているくせに
私がいまだに悟っていないからだということも言えますが、

肉食を別に考えれば、

長年、どれだけ、おりに触れことに触れ、教えのおかげで
救われてきたか、しれません。

食に関しては、私は娘時代から、
自然食の東條百合子さんの信奉者でしたので、
娘時代から、玄米菜食を実践し、ノーミートにも、はまっていた
ことがありました。

結婚後も、自分だけは、それらを実践していました。

結婚後は、自分だけは玄米を食べ、
玄米嫌いな夫には白米を炊いて
私だけが、玄米を食べて、夫は白米を食べて、という具合に私は、自分だけは、
とにかく実践していましたが、子供たちが生まれてから、自分の考え方を
変えたのでした。

日々、ノーミートにすることも玄米食にすることも、やめました。
時々、玄米を炊いて、子供たちに 食べさせては いましたが、

その代わりに
化学肥料を使わないで育てた、肉や、野菜に、こだわって、
野菜も自分で育て、
おやつは、なるべく手作りにして、子供たちを育てました。

それから、志恩さんは、夏は家族で庭でバーベキューをしていると
書いていらっしゃいますが、

私ではなく、娘夫婦である若夫婦がしているのです。
私は、その時、お相伴にあづかっているだけです。

炭火で焼いてくれているのは 、いつも義理の息子ですが、
牛肉や豚肉は、焼いていませんよ。

肉は、鶏肉かラムです。

ですが、私が魚の方が好きなのを知っていますから、
サンマ、サバ、アジ、イカの一夜干し、などを買ってきてくれて
私には、魚類を、主に焼いてくれています。




スレッドの主題からズレてきましたね。 (40044)
日時:2021年03月31日 (水) 07時58分
名前:本音の時代

別スレッドにしませんか。
スレッド名 生長の家における肉食禁止とノーミート運動

徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より (40046)
日時:2021年03月31日 (水) 08時19分
名前:本音の時代

スレッドの主題がズレてしまったので、あらためて確認ということで。

徳久克己先生の講義から、生長の家の出現の目的は、人類生活の全面を光明化せんがためのものですから、政治運動は除外するというものでないのです。そして、生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。ということだったのです。


ここからは、私の考えです。
しかし、教団も生政連も「ミイラ取りがミイラになったのか」、政治の迷いの中に染まってしまった。ここで生長の家の政治運動がいかなるものなのか再確認し軌道修正する方法もあったと思うのですが、教団は政治とは縁を切るということで生政連の活動を停止(解散)してしまった。これは、人類生活の全面を光明化するといことから退歩したのではないかということです。

 (40091)
日時:2021年04月03日 (土) 06時57分
名前:現政府/国費の使途

日本版カジノ、ポーカーやバカラなど9種類OK 政府管理委が案

4/2(金) 19:42配信

毎日新聞

規則案によると、9種のゲームは、バカラ▽トゥエンティワン(ブラックジャックなど)▽ポーカー▽ルーレット▽シックボー▽クラップス▽カジノウォー▽マネーホイール▽パイゴウ。

 
ギャンブル依存症対策として、カジノ事業者は、依存症の疑いがある利用者に対して最低1年以上の入場禁止または入場回数を制限する。事業者に、利用者や家族ら向けの相談窓口設置を義務づけることも明記した。

生政連活動停止は、生長の家が掲げている問題に対する運動の停止ではなかった (40100)
日時:2021年04月04日 (日) 19時01分
名前:tapir

本音の時代様

生政連活動に関する本音の時代様のご質問について『歴史から何を学ぶか』のp302~307に詳しい資料が掲載されています。よろしければ、ご一読をお薦めいたします。

その中で、「生政連活動停止は、生長の家が掲げている問題に対する運動の停止ではなかった」という部分を、取り上げます。

生政連活動停止の年、昭和58年9月1日号の「聖使命」(聖使命新聞)によれば、

生政連活動停止は、

天皇中心の国家のあり方≠フ実現、憲法の間違いの是正、堕胎流行の問題など、
こうした風潮是正に対する運動、

の停止ではありませんでした。

『歴史から何を学ぶか』のp302~307から、一部を抜粋します。


+++++++++++++++++++

資料2:生政連に関する質問に答えて(『聖使命』昭和58年9月1日号)
生政連に関する質問に答えて ――今後は教勢拡大に全力を――

(中略)

生命尊重、憲法問題への対応は

問い 生政連活動停止ということになりますと、吾々が今まで取り組んでまいりました優生保護法改正、並びに憲法復元運動などへの対応はどうなるのでしょうか。

答え 生長の家が掲げている”天皇中心の国家のあり方≠フ実現、憲法の間違いの是正、堕胎流行の問題など、こうした風潮是正に対する運動は、今後も益々盛んに行われる事に変わりはありません。

(『歴史から何を学ぶか―平成15年度生長の家教修会の記録』p303、p306)

++++++++++++++++++++++++++++++++++


上記文章の続きに、以下の説明があります。


+++++++++++++++++++++++++++++++++

 ただし、政治家を選ぶというやり方で行うわけではありません。今までの経験からして、吾々が選んだ政治家が、本当に理想的に吾々の意見を代弁してくれるかというと、必ずしもそうではない。とかく政治的な世界で泳ぐことを覚えて、生長の家をかくしたり、純粋に生長の家の理念を伝えてくれない人もでてきました。
 憲法問題についても、結局、多くの国民の理解がなければどうしようもありません。日本は法治国であって、一部の人々でクーデターをやるような国柄でないからです。 
堕胎の問題でも、たとえ吾々が主張したように経済的理由≠フ削除が実現したとしても、その効果はきわめて悲観的なものがあります。実際に自民党内では、経済的理由≠削除しても、その代わりに精神的理由≠入れるという動きが主流です。これでは、中絶はもっと野放しになる可能性が出て来ます。

(中略)

 結局、私達は、沢山の人々の中に、真の神性・仏性を目覚めしめて、その結果として国の問題、生命尊重の問題等を正しく自覚する人を増やし、そこから正しい方法で国の法律も改正されて行くという風にもって行かなければならない、ということになる。それで今回、生政連の活動停止という措置がとられたわけです。巷間で伝えられるような、他の団体に対する対抗処置とかいった問題ではなく、宗教活動の純粋性を保持するための措置ですから、その点どうぞご了解頂きたいと思います。

(『歴史から何を学ぶか―平成15年度生長の家教修会の記録』p306~307)

++++++++++++++++++++


政治家を選ぶというやり方は停止するが、以下の各運動が、今後も益々盛んに行われる事に変わりはない。

@天皇中心の国家のあり方≠フ実現
A 憲法の間違いの是正
B 堕胎流行の問題など、こうした風潮是正


また、上記9月1日号に先立つ、『聖使命』昭和58年8月15日号には、次のように書かれています。


+++++++++++++++++++

資料1:生政連活動停止の決定(『聖使命』昭和58年8月15日号)

(中略)

吾々の運動は立教本来の布教使命の自覚と人類光明化運動の根本的な基盤確立が必要欠くべからざるものとの観点から、出来るだけ多くの国民の中に「神の子・人間」と実相日本の霊的使命を伝道し、全世界の組織網を確立することが急務と考え、生政連活動は停止されたのであって、決して後退したのではない。それは新たなる前進である。今後は、人間神の子の真理・真理国家日本の理念を自覚した国民をもっともっと多数うみ出すことにより、そうした国民の正信がおのずからに、政治家は勿論、あらゆる階層の人々に反映され。生活・教育・家庭・事業、及び政治の変革が実現するような状況をつくり出して行こうとするのである。それはこれまで以上に幅広く、根の深い雄渾な活動への重大な第一歩と言えるであろう。
こうした目的を達するためには、生長の家の各組織を拡大・充実させつつ、飛躍的な教勢拡大を図るほか、安易な道はどこにもありえない。そしてそれこそが、人類光明化運動の原点でもあるのだ。吾ら信徒一同、この原点に立ち、菩薩行に邁進したいと決意を新たにする次第である。

(『歴史から何を学ぶか―平成15年度生長の家教修会の記録』p302~303)

+++++++++++++++++++++++++++


○人間神の子の真理・真理国家日本の理念を自覚した国民をもっともっと多数うみ出すことにより、そうした国民の正信がおのずからに、政治家は勿論、あらゆる階層の人々に反映され。生活・教育・家庭・事業、及び政治の変革が実現するような状況をつくり出して行こうとするのである。

○こうした目的を達するためには、生長の家の各組織を拡大・充実させつつ、飛躍的な教勢拡大を図るほか、安易な道はどこにもありえない。そしてそれこそが、人類光明化運動の原点でもあるのだ。

○沢山の人々の中に、真の神性・仏性を目覚めしめて、その結果として国の問題、生命尊重の問題等を正しく自覚する人を増やし、そこから正しい方法で国の法律も改正されて行くという風にもって行かなければならない


生政連活動停止後も生長の家が掲げていた運動を益々盛んに行うことに変わりないとのことでしたが、その後の、そして現在の生長の家の運動はどうなっているでしょう。

生政連活動停止は、生長の家が掲げている問題に対する運動の停止ではなかった・・・が (40108)
日時:2021年04月05日 (月) 18時32分
名前:本音の時代

『歴史から何を学ぶか』は出版後まもなく買って読みました。
生政連活動停止時には誌友であり聖使命会員でもありましたから、
聖使命新聞を読んでいたかもしれませんが記憶に残っていませんでした。それから生政連会員でもありましたから、年に数回は会報も送られて来ていたと思います。すべて処分してしまって惜しいことをしたと感じています。
「生政連活動停止は、生長の家が掲げている問題に対する運動の停止ではなかった」のですが、以後の経過を見ますと、「生政連活動停止が、生長の家が掲げている問題に対する運動の停止と教勢低下につながっていった」と感じています。

生政連活動停止が生長の家の低落につながっているのか。 (40110)
日時:2021年04月05日 (月) 21時14分
名前:本音の時代

前にも書きましたが、不信です。
政治や政治家は信用できないと決めつけたのでした。
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動でもあったのですよ。潜在意識では生政連活動停止以後の生長の家は不信が基礎となっているのです。雅宣総裁は生長の家の教えを自分の好きな環境保全に利用しますが、正統な生長の家の教えは信用していないので、次々新しいことを試みます。その結果はことごとく長続きしないで失敗しています。

生政連活動停止の動機(相互不信)が生長の家の低落につながっているのでは? (40112)
日時:2021年04月06日 (火) 12時26分
名前:tapir

本音の時代様

本音の時代様は、生政連活動停止時に、生政連会員でもいらしたのですね。

生政連活動停止が生長の家の低落につながっているとのご意見について、低落の一因だったかも知れません。しかし、私は、生政連活動停止も、一つの結果、因縁果の「果」であると考えます。

「因」は、「不信」です。

雅宣先生及び先生を支持する人々の

○生政連事務局幹部である人々への不信

が、生政連活動停止の背後にありました。

一方、生政連事務局幹部たちには

○雅宣先生の人格・人間性への不信

がありました。

不信と不信、迷いと迷いの対立です。どちらも相手を神の子と観ることができなかった。生長の家内部で相互に不信を抱く人々が、外部の政治家を感化できるはずがありません。あの時点での活動停止はやむを得なかったと思います。

だから「信仰を深めよ」というのが活動停止時のメッセージだったのですが、「相互不信」は消えませんでした。

同じ「因」(不信が基礎)が、その後の運動低落の「因」になっているというのは、本音の時代様の見立ての通りです。


なお、生長の家は、他人を変える教えではない、自分(の観方)が変われば他人も変わるのだと説かれています。一切者の自覚です。

谷口雅春先生は、第2次世界大戦の時、ヒットラーが戦争をやめないのは私の信仰が足りないから、とおっしゃったとのこと。

私は、谷口雅春先生を深く尊敬する者として、不信と不信の対立と見てしまう自分、何もできない自分の力不足を痛感いたします。

私に真に双方の実相を観る力があれば、必ず解決するはずですが。

遠回りでも、今は自分の信仰を深めて、正しいと信じることを実行していくのみです。

谷口雅宣総裁は生長の家の教えとは異質の考えを持った人 (40118)
日時:2021年04月07日 (水) 12時03分
名前:本音の時代

谷口雅春先生の講話か文章の中にあったと思うのですが、生長の家の教えで肺病?が治った青年が講師として話していた。どういう話かというと病菌に感謝していれば、肉体に少しくらい寄生していても大丈夫というような内容(うろ覚えです)。雅春先生は同じ会場でその話を聞いて忠告しなくてはと思っていたが、その青年は次の講演のためすぐにその会場を去り、以後もその青年と会う機会がなく、その青年は間もなく亡くなってしまったというものです。
谷口雅宣総裁は生長の家の教えとは異質の考えを持った人ですから、当時の雅宣氏の考えに気づいた人たちが不信を抱くのは当然だったと思います。不信どころでではない、雅宣氏が組織の中枢に入れば、いずれ組織は変質しまうだろうと危惧した人もいたでしょう。現実に生長の家は変質し、変質に気づいた人は居場所がなくなり退会しています。谷口雅宣総裁は生長の家総裁の肩書で生長の家の教えの都合の良い部分だけを自分の思想に利用し、都合の悪い部分は雅春先生は間違っていたとか雅春先生の教えを補足するという言葉を使い変質に成功しています。
しかし、徳久克己先生が講演で話されているとおり、谷口雅春先生の御教えや言葉を信ずることが生長の家の信仰なのです。
私は生長の家に復活入会しましたが、教化部でいまだ集会は中止されたままです。ネットで谷口雅春先生の御教えを発信していきたいと思います。

私は信仰を深めるための生政連活動停止は口実に過ぎなかったと思います。

生長の家からも何か、メッセージを発信するべきではないか (40119)
日時:2021年04月07日 (水) 13時20分
名前:アクエリアン


有本 香 Kaori Arimoto@arimoto_kaori
https://twitter.com/arimoto_kaori/status/1379609647611441157

昨日行われた「人権外交議連」の会合には、対中非難決議に消極的な公明党の議員も参加。れいわ、共産党も入って全会派の議員が顔を揃えた。菅総理の訪米には間に合わないが、まず他議連(ウイグル議連等)と協働して対中非難決議を今国会で実現してほしい。その後、日本版マグニツキー法の立法を期待。

______


安保法案に対して、反対の声明を出した、生長の家教団。

この問題は安保法案よりもはるかに人類にとって重大な問題である。

宗教団体からも、現代進行中のジェノサイドを糾弾する声明を出すことは、大いに意義のあることではないでしょうか。

生政連活動停止は谷口雅春先生もご承認されていたのでは? (40120)
日時:2021年04月07日 (水) 21時40分
名前:tapir

本音の時代様

谷口雅宣先率いる生長の家教団の先行きを案じられるお気持ち、お察しいたします。

生政連活動停止の時のメッセージは、生長の家は、政治家を政界に送り出す運動は停止しても、政治に関心を持ち一定の見識を持って発言を続けることを宣言した、と理解しております。それが円滑に進んだかどうかは検証する必要がありますが。


>私は信仰を深めるための生政連活動停止は口実に過ぎなかったと思います。<

それは言い過ぎではないでしょうか。

生政連活動停止における谷口雅宣先生の役割を過大評価すると、本質を見誤ると思います。

私も生政連活動停止の時、生長の家の誌友、聖使命会員でした。選挙運動(村上正邦氏、寺内ひろ子氏)、元号法制化運動も末端で手伝いました。そこで色々見聞したこともあります。


生政連活動停止当時、それ以後の時系列を見てください。

昭和58年(1978)7月:生政連活動停止
昭和60年(1985)6月17日:谷口雅春先生ご昇天
昭和60年(1985)11月22日:谷口清超先生総裁就任
平成2年(1990)11月22日:谷口雅宣先生副総裁就任


生政連活動停止の時、谷口雅春先生は御存命でした。教団運営は当時の副総裁・谷口清超先生に任せておられましたが、副総裁・谷口清超先生は折々、総裁・谷口雅春先生を訪問されて相談されていたと思います。 ましてや生政連活動停止という重要事項について、谷口雅春先生の御承認を得ずに、谷口清超先生の独断で実施されることは考えられません。谷口雅春先生は、ご昇天直前まで講話も執筆もなさり、しっかりした判断力をお持ちでしたから、必ずご承認をいただく手順を踏まれたと思います。

私事ですが選挙運動を手伝った身として、寺内ひろ子氏の、比例代表制の順位、21位の、自民党の決め方はひどいと思いました。自民党の比例代表名簿21番目というのは、当落ギリギリの順位付けだったからです。結局、自民党の当選議員は20番目までで、寺内候補は1位違いで落選しました。生長の家の人々が必死に集めた票は、寺内ひろ子氏の当選につながらず、自民党の推す上位20名の当選にまんまと利用されたのです。生長の家をなめるな!と言いたいところでした(私も若かったですから)

某本部関係者から、谷口雅春先生が、自民党に翻弄された選挙について、生政連所属の某議員を呼んで叱りつけたという話も耳にしたことがあります。そのようなことをきっかけに、谷口雅春先生も、生政連活動停止をやむを得ないと思われたのだと、推察いたします。

本音の時代様は所属される教区の活動の中で生政連活動停止が運動停滞の原因とお感じになられたかも知れませんが、私の教区では、活動停止そのものについては、これで選挙活動で疲弊しきった組織を立て直せるとの声が多かったように思います。


なお私は、生長の家創始者・谷口雅春先生が御逝去された時点から、生長の家の組織が伸び悩み、教勢が低下したのは、谷口雅春先生の強力なリーダーシップを失った新興宗教の教団としては必然的なことであったのではないかと思います。

それほど、谷口雅春先生の人間的魅力が大きかったということです。谷口清超先生は2代目として、他の誰にもできない絶大なご努力をなさいました。それでも、教えの創始者の時代の教勢を維持すること、ましてや拡大することは、生長の家でなくても、どんな新興宗教でも困難なことであるのは、様々な教団の歴史を見ると、そう思います。

生政連活動を続けていたら、むしろその混乱がひどくなっていた可能性があります。ひょっとしたら、宗教法人「生長の家」が、「谷口雅春先生を学ぶ会」や本流派のようになっていたかも知れません。それでもよかったのでしょうか?

以上は谷口清超先生が総裁でいらした時のことです。谷口雅宣先生が総裁に就任されてからの教勢低下については、もちろん別の要素を考察する必要があります。

生長の家の出現の目的の視点からの考察 (40122)
日時:2021年04月07日 (水) 22時36分
名前:本音の時代

先日ネットで聞いた徳久克己先生の講話からさらに考えが固まったのでした。


【徳久克己先生の講義から、生長の家の出現の目的は、人類生活の全面を光明化せんがためのものですから、政治運動は除外するというものでないのです。そして、生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。ということだったのです。】 (40046)


政治活動を除外は、人類生活の全面を光明化に反しないでしょうか。当時の生長の家は勢いもあったから結果を出すことを急ぎすぎたのではないでしょうか。政治家の思想を変えることは難しいですよ。何より当選すること、政党所属の議員が増えることが優先ですから。


>生政連活動を続けていたら、むしろその混乱がひどくなっていた可能性があります。

それは理解できます。しかし、反省点を改善していくという困難な道を選択せず、活動停止という楽な逃避を選択したように思えます。結局、そのツケは残りましたね。
当時、自分は公務員であったので積極的な選挙運動には参加していません。スミマセン、楽をした人間です。



>生政連活動停止は谷口雅春先生もご承認されていたのでは?

承認されたでしょうね。
でもそれは、ご高齢あったこともあるでしょうが、ご自身がいつまでも教団のトップとして指導(強制)するものではないとうお考えもあったのではないかと私は推察しております。それに政治方面の一線から退くことを明窓浄机欄(昭和49年12月号)で宣言しておられましたから。皆さんの内にある「谷口雅春」を信じていたのではないかと思います。

 (40128)
日時:2021年04月08日 (木) 21時26分
名前:通りすがりのヒトリゴト

>ご高齢あったこともあるでしょうが、ご自身がいつまでも教団のトップとして指導(強制)するものではないとうお考えもあったのではないかと私は推察しております。


雅春大聖師を信じておれば、
生半可なお気持ちで教団の大なる方針転換に判子を押す事は、
あり得ないだろうと思う筈。ましてやご高齢であられ、今生から
旅立たれるのはそう先ではない事は大聖師御自身が一番お判りであったことは、あの最晩年の御講話を拝聴すれば一目瞭然。
ある意味、本音の時代さんの推察は、大聖師に無礼な推察ではなかろうか。



>生政連活動停止当時、それ以後の時系列を見てください。

昭和58年(1978)7月:生政連活動停止
昭和60年(1985)6月17日:谷口雅春先生ご昇天
昭和60年(1985)11月22日:谷口清超先生総裁就任
平成2年(1990)11月22日:谷口雅宣先生副総裁就任



これは省略ですか? (40130)
日時:2021年04月08日 (木) 23時00分
名前:本音の時代

それに政治方面の一線から退くことを明窓浄机欄(昭和49年12月号)で宣言しておられましたから。

【政治のことは今後、副総裁に全託してやって頂くことにする。】
と書いていましたよね。

生政連活動停止は、政治運動の除外ではなかったはずです (40131)
日時:2021年04月09日 (金) 13時30分
名前:tapir

本音の時代様

>【徳久克己先生の講義から、生長の家の出現の目的は、人類生活の全面を光明化せんがためのものですから、政治運動は除外するというものでないのです。そして、生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。ということだったのです。】

政治活動を除外は、人類生活の全面を光明化に反しないでしょうか。<

徳久先生の説かれている通り、生長の家の出現の目的は、人類生活の全面を光明化せんがためのものですから、政治運動を除外するというものではないと思います

生政連活動停止は、政治運動を除外することではなかったというのが、以下の「聖使命」紙の言葉です。再掲します。(40100)

>>政治家を選ぶというやり方は停止するが、以下の各運動が、今後も益々盛んに行われる事に変わりはない。

@天皇中心の国家のあり方≠フ実現
A 憲法の間違いの是正
B 堕胎流行の問題など、こうした風潮是正<<


生政連活動の停止は、政治運動の除外(停止)ではなかったはずです。

政治運動は、日常の光明化運動を通して、「今後も益々盛んに行われる事に変わりはない」と宣言したのに、今はどうなっているでしょう。

@は、忌避され、黙殺されています。
Aは、立憲主義を論じています。(政権批判の域を出ない中途半端なものですが)
B何かしていますか? していれば大熊さんは独立しなかった?

生政連活動停止は、政党(自民党)を介して「政治家を選ぶというやり方」の停止でした。

生長の家の日々の運動で、党派を超えて個々の政治家に伝道して、「政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。」その政治家に「国会の中において生長の家の思想運動をしてもらう」ことを、企図していたとも言えるのではないでしょうか。


>反省点を改善していくという困難な道を選択せず、活動停止という楽な逃避を選択したように思えます。結局、そのツケは残りましたね。<

反省点を改善していくという困難な道を選択しないのは、政治活動だけでなく、生長の家の運動全体がそうなっていますね。困難を逃避して安易な道ばかり選んで、新しい方針を次々出すけれども、反省せず、反省点の改善はしない。その結果が、運動全般の凋落となるのは、理の当然です。


>>生政連活動停止は谷口雅春先生もご承認されていたのでは?

>承認されたでしょうね。
でもそれは、ご高齢あったこともあるでしょうが、ご自身がいつまでも教団のトップとして指導(強制)するものではないとうお考えもあったのではないかと私は推察しております。それに政治方面の一線から退くことを明窓浄机欄(昭和49年12月号)で宣言しておられましたから。皆さんの内にある「谷口雅春」を信じていたのではないかと思います。<

>それに政治方面の一線から退くことを明窓浄机欄(昭和49年12月号)で宣言しておられましたから。

【政治のことは今後、副総裁に全託してやって頂くことにする。】
と書いていましたよね。<


谷口雅春先生は、昭和49年(生長の家総本山建設が始まった頃)の明窓浄机にそのように書いておられたのですね。勉強になりました。教えていただいて、ありがとうございます。

「政治のことは今後、副総裁(谷口清超先生)に全託してやって頂くことにする」それが谷口雅春先生のお気持ちだったと思います。そういうことも含めて生政連活動停止を承認されたと推察すると申しましたが、谷口雅春先生が承認の書面やご捺印を残されたというのではなく、谷口清超先生からの口頭のご報告だったかも知れません。詳しいことを知っておられる方がありましたら、ご教示ください。


余談ですが、元生政連幹部の中には、副総裁・谷口清超先生に不信を抱いている人々もあったようで、谷口清超先生もずいぶんと御心労が多かったと聞いております。谷口雅春先生が政治の事を全託された谷口清超先生に不信を抱くということは、谷口雅春先生の御心に不信を抱くのと同じなのに思ったことでした。

 (40132)
日時:2021年04月09日 (金) 15時57分
名前:通りすがりのヒトリゴト

本音の時代さん
>それに政治方面の一線から退くことを明窓浄机欄(昭和49年12月号)で宣言しておられましたから。

【政治のことは今後、副総裁に全託してやって頂くことにする。】
と書いていましたよね。

これは省略ですか。<


ええ、
本音の時代さんは下記の文言を含む文章を唐松模様からコピペ、
「これはほんとうでしょうか」というスレタイでの投稿を削除
されてますね。


雅宣総裁(唐草模様より一部転載)

『生政連は昭和39年9月に結成されましたから、それ以降約20年にわたって、生長の家は政治運動を展開したという歴史をもっています。 

しかし、そういう政治運動はやめようということになりました。これは、第2代総裁の谷口清超先生の決断によるものです。しかし、谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。谷口清超先生は、その意を汲まれ、さらにご自分の信念にもとづいて、この重大な決断を下されたのです。』

ですので、停止10年前程前に雅春大聖師が【全托】されたという
ことを再確認したまでで、あえて問うことも言うことも全く無い故に、読み、通りすぎたということです。


【全托】という言葉の非常な重み、解る人には解るでしょう。 

 (40133)
日時:2021年04月09日 (金) 16時05分
名前:通りすがりのヒトリゴト

タピアさん
>谷口雅春先生が承認の書面やご捺印を残されたというのではなく、谷口清超先生からの口頭のご報告だったかも知れません。


ヒトリゴトにて、
「雅春大聖師を信じておれば、
生半可なお気持ちで教団の大なる方針転換に判子を押す事は、
あり得ないだろうと思う筈。」と申しましたが、
これは稟議書に印鑑を押すといったことではなく、
所謂、暗喩でありますw、ご了承のほど願います。

投稿削除は【全託】とは全く関係ありません。 (40134)
日時:2021年04月09日 (金) 17時30分
名前:本音の時代

【全託】の件は、もう一度「明窓浄机」を読んでみます。

>谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。

上記の理由ではないと思います。
この一点に集中するのは、いかにも谷口雅宣総裁らしい引用の仕方だと感じました。

【全託】に至る文 (40136)
日時:2021年04月09日 (金) 21時03分
名前:本音の時代

トキさんの【生長の家政治連合と「今の教え」を考える】に投稿されたものを再掲します。


明 窓 浄 机(昭和49年12月号『生長の家』誌)
  ▽わたしが選挙の実際問題に口を挾む事から退いた理由△
  ▽田中忠雄・村上正邦両氏の次期衆院選出馬は中止した△
  ▽田中忠雄氏は禅学の天分を生かす道こそ国の為である△
  ▽副総裁にお委せした次期参院選候補者の今からの展望△
                     谷 口 雅 春

○(管理人注:住所省略しました)の熱心な誌友某氏から丁重なお手紙を頂いた。前文を略して本題に入るところから敬意を表してここに再録させて頂く。
『……“明窓浄机”九月号を拝読し、万感胸迫るものがあり、又総裁先生が今次選挙の実情について御理解戴いてない点につき早速筆をとりかけましたが、組織の表面には出られない影武者として動いた立場上、黙して語るべきでないと心得て今日迄差控へてをりました。
 ところが十月号を拝見し、日本に於ける唯一最高の愛国団体、「生長の家」が懸崖の縁に立つ危機を感じて止むなく筆をとらさしていただきました。
 既にトップ層の会議で充分練られたものとは推測されますが、御文章によれば、田中、村上両氏を衆院選に立候補せしめられる由、まことに先生の御胸中をお察し申し上げれば無理からぬ御判断とうけたまはりますが、日本の危機であればある程、冷静に、慎重に言挙げいただきたく、以下の点につき御考慮賜はりたく伏して御願ひ申し上げる次第であります。
 一、総じて選挙なるものは地域社会の住民の与望をになつて立侯補するものであり、一団体が半年乃至一年間、不惜身命の奉仕を致しましても、民意と連帯するものではありません。日本に於ける高度の著名人である石原慎太郎、小坂徳三郎ですら衆院出馬の為に五年、十年の熟成する時をかけ然も、非常に危険な賭事であつたと言はれてをります。田中、村上両氏には、内部はともかく社会的には全く知名度がなく、全国を探しても一年そこそこでは根を下す土地も、葉を繁らす場所もありません。
 惟ふに衆院選への御判断は、
  一、この儘では次期参院選は候補者が四人になる。
  二、信徒の熱ある中に鉄を打つ。
  三、参院選の名誉挽回をはかる。
 の三点からなされたものと推測されますが、何事も御教への通り、人と、時と、処の要素は重大でございます。
 何としても衆院に人を送るとなれば四人の内、衆院へ出られる潜在勢力の持主は玉置議員のみでありませうが、時の点で非常な無理がございます。
 田中氏は評論家としては立派ですが、凡ゆる意味で候補者としては、衆参共に不適格であります。
 村上、鹿島、両氏は共に参院向きの良き候補者であります。一刻休んで民意と候補者の徳を養ふのも政治にとつて大切な要件と存じます。
 二、結論としまして、人、時、処、を勘案致しますと衆院選には誰も出馬させないのが最上の策でありまして、この位の事が判らぬ生政連ならば解散を命じられた方が国家の為と存じます。以上篤と御賢察賜り度くお願ひ申し上げる次第でございます。敬具』
 最後の一句「これ位の事が判らぬ生政連ならば解散を命じられた方が国家の為になります」は、私の胸に正面から鋭いメスで刺される思ひがした。これ位のことがわからぬのは生政連の幹部ではない。選挙に無知な私自身なのであるからである。
○生政連の参謀室からは、詳細なる理由を挙げた上で、次のやうな献言が来てゐた。
『以上から判断して、
 1、正攻法では全く当選の見込み両氏ともなく、泡沫候補扱ひを受け、生長の家の誌友も、また候補者本人たちも、余りにも惨めな思ひをすること。
 2、参院選で受けた恩を仇で返すといふ、信義を失ふ結果になること。
  (参院選で吾々の候補を応援して下さつた国会議員諸氏と同じ地盤で票の争奪戦をすることになり、どちらの候補も落選のおそれがある)
 3、教勢発展に支障を来たし、生長の家をやめてゆく者が続出するであらうこと。
 (選挙疲れのため選挙が厭になつてきてゐる)
 4、それでも強行するとすれば、一候補当り五億円の金を用意しなければならぬこと。生政連本部では参院選中の借金が皆済されてゐない現在、十億円どころかその十分の一も金策できる現状ではないこと。さらに泡沫候補だから自民党公認はとれないため、党や派閥からは金が出ないこと。
 5、仮に信徒の熱意で金が出来たとしても、殴り込み戦術だけに、周囲や色々の人間関係に摩擦や相克を生じてそれがさらに教勢に大きなマイナスになること。
 等々の理由から、今回の衆議院出馬は無理であり、ぜひ見合はせて戴きたいと思ふのであります。衆議院を狙ふなら、公明、共産のやうに、まづ地方議員を大量に育成し強化し、生政連の地盤を固めてからやるほかありません。そのためには急いでも最低五年の準備歳月が必要であります。
 ところが総裁先生が最近の最高首脳者会の席上、田中、村上両氏を衆院選に出馬させると発言せられたので、総裁先生のご命令なので、ハイと素直に受ける他なかつたのですが、勝算は全くないこと、金策もたたぬこと(村上君はこんどの選挙で五百萬圓ほど借金を残し、その返済に目下苦慮してゐる状態です)そしてさらに、勝算のない選挙を実際にやる地元の生長の家幹部が気の毒でならぬことなどを考へ合せて、本心は辞退したい気持でをりますが、御命令に背くので、それも申し上げられないといふのが現在の実情です』
 以上流石に生政連の参謀室は其の道に詳しいのである。村上氏を立候補させることにした愛媛県の白鳩連合会長の寄野美枝さんからは次のやうな手紙がが家内宛に来てゐた。
『合掌 ありがたう御座います。
 御奥様、御見舞ひも申し上げませず失礼をいたしてをりますことを御許し下さいませ。実は私も選挙のあと、すぐ入院いたしまして、只今は大変よくなつてをりますのですが、医者は、数字的(血圧と、糖尿)に見ますものですから、一切を白紙から、出なほすつもりで素直な気持になつてをります。ところがどうしても、心境を御報告、申し上げておかねばならぬ事が起つて參りました。
 それは例の村上正邦先生を愛媛の一区から、出すことについてで御座います。私が此の事を人の噂によつて知つたのは九月六日で御座いました。其の時の私の驚きやうは、血圧も下つてをりましたのに一ぺんにはね上り二百六十にもなつた程でした。早速、息苦しい中から、本部、生政連へ電話させて頂きました。愛媛一区の松山は、愛媛県でも一番弱いところで此の地域の人達を引張つて行くのに、どれほどの苦労をしてゐるか、とてもお話にならない位です。其の上現状を分析いたしますと、前回生政連から推薦いたしました塩崎代議士と、共食になつてしまふのです。まだ其の上、社会党か出る湯山勇氏は党籍は社会党ですが、松山の婦人等、教育者たちに熱狂的な人気があり、革新ぎらひの人々でも湯山さんだけは別問題だと言つてをり、前々回知事選に出馬した時などわづかの差で惜敗したが、大多数の票を松山の婦人票で取つたほどでした。又聞くところによると菅太郎氏が出ないので其の地盤を頂くさうですが、とても三分の一もむつかしいであらうと言ふのは誰しも知つてゐる事で御座います。
 一応此の実情を大峡事務局長に申しましたところ、大峡局長の申されるのに、生長の家十月号、明窓浄机を拝読したか?(六日では地方は届いてをりません)とにかく明窓浄机を拝見して下さいとの事でした。待てど暮らせど今月に限つて、おそいのです。私は、其の夜から寝られない幾夜を過しました揚句、悩みに悩み抜いた結果、或る夜明けハツとして神の声なき声を聞くことが出来ました。
 現象的に分析したならば常識で考へたなら、どんな手を打つても勝目のないやうに見える事も、又個人的には塩崎代議士など一緒に同行して各家を訪問した際、私の肉体では、足が、もう一歩も進まない程、自動車のドアを開けて下さつても後から押して貰はなかつたら座席に乗れないほど、ヘトヘトになるところまで歩いて頂きました。そんな事何回となくくり返しました。たつた昨日まで塩崎先生、此の御恩返しは次の衆議院選で返礼いたしますからと、口を揃へて言つてをつた矢先、今度は、其の人と戦ふ、こんな事が、人間として、出来る事であらうか。
 「此のやうな、苦しい事も、顔の悪くなる事も、都合の悪い事も、皆、切つて捨てて無條件で、中心に帰一する事だよ」此の声なき声に、ハツとして起き上りました。そして、今まで悩んだ事は、ほんたうにすつきりといたしました。大きな壁にぶつつかつて大きな風穴が開いたやうに、身も心も一ぺんで軽くなりました。
 さうしましたら不思議なことに、其の日の午後、「生長の家」誌を手にした塩崎代議士夫人が、東京からかけつけました。そこで私は初めて総裁先生の御筆を拝読させて頂きました。併し私の心は、六日に生政連へ電話した時とは打つて変つて、澄み切つた青空のやうな気持でしたから、私は塩崎夫人の前へ頭を深々とたれまして、「つい先日までお世話になつた私達が、今度はお宅様と競ふやうな事になりまして誠に申わけないと存じますが、個人の立場としたならば到底、出来ることではないと思ひますが、愛国の至情に立つて、中心に帰一する立場としては、私は生長の家をやめる事は出来ないのですから、何卒御許し下さいませ。貴女のお気持は判りすぎるほどよく判らせて頂きます。どうかお気の済むやうに、なさつて下さいませ」と、頭をたれたまま涙ながらに申しました。
 さすがに塩崎夫人も御教を頂いてをられる方だけに涙を浮べてまた逆に、私を、いたはり激励して、お帰りになりました。それはそれは美しい光景で御座いました。さて此の程度ならば何も事更に手紙にまでしなくともと思ひましたが、明窓浄机をよくよく拝読させて頂きますと、やはり一応は、現象面のことも申し上げておいてなほ其の上で、私の無條件のハイが、松山の至極おとなしい、割合ひ消極的な人の多い信徒の一人一人に、此の心を伝へて行くことが出来るか、私も、ひたすらな精進を続ける覚悟でをりますが、どれほどの奇蹟が現れるか、唯々、結果は神様にまかせて、松山の信徒の一人一人に勇気の湧いて来ることを祈りつづけてをります。拙い筆で御座いますが、御奥様から、親しく総裁先生にお話し申し上げておいて下さいませ。再合掌
   寄能美枝
 谷口輝子御奥様御前に』
 この手紙は涙なしに読むことはできないのである。私の我武者羅な注文のために、高血圧になり、入院まで寄能さんにさせたことは、まことに申訳がないと思ふ。寄能さんひとりではなく関係方面に色々の迷惑をかけてゐることだと思ふ。ここに皆さんにおわびする。この位の事がわからぬ位ならば解散してしまへと木間さんはいはれる、それは私に、生政連関係の仕事をやめて引込めといふ神様の言葉だと私は受取るのである。しばらく私は住居を東京から僻遠の小村に居を遷して国の中央部とは遠ざかることになつてゐるのも神さまのお指図であると思ふ。
 私は本誌にも、他の市販の政治雑誌にも、次期衆院選に田中、村上を出馬させると公表したのに、それを今更とり消する、私の面子は丸つぶれであるけれども、私は政治方面の天分など持ち合はさないのだけれども、国家の危機と、年間三百万人殺される胎児のことを思ふと止むに止まれない気持で、政治方面にここまで努力して来たのである。しかし生政連もここまで育つて来て、私のやうな素人が口を挿まないでも一人立ち出来る錚々たる人物が中央には数人はゐるからこれらの人々に委せておけば大丈夫だと思ふ。私が生政連関係の仕事に嘴をはさまないことにしても信徒及び誌友諸賢は生政連から後退しないやうにして頂きたい。現在の日本国は思想や国民の精神状態から見れば開闢以来の一大国難の秋なので、その国難を支へる宗教、政治、思想団体といへば、まだ力が充分発揮できないが、生長の家のみであるからである。
○田中、村上が衆議院出馬を断念した場合、三年後の参院選をどうするかといふ問題が残ります。この両氏に玉置、鹿島を加へて四名では三年後の参院選には、生長の家の資力からは勝算がないので、なんとかこの四人を生かしてあげたいといふので、この四名を二つに分け、二人を先づ衆院に出馬させ、残りの二名を三年後の参院選に出馬させれば、無理なしに四人の国会議員が生長の家から出て、それだけ発言権が増え、優生保護法でも通過させ易いし、一且、吾々が推薦した味方の人たちを彼を推薦し、此れを推薦しないといふ不公平を無くしたいといふ愛念からであつたのである。しかし、智慧なき愛念は結局、選挙関係の信徒及び誌友たちを精神的に苦しめて、高血圧で入院までする人までも生じました。「心、全相に達せざるを迷ひといふ」と大乗起信論にある通りです。
 そこで田中忠雄氏に立候補をやめるやうに説き、三年後の参院への出馬をも断念して頂いて、生政連会長として本部に残つて、後進の指導にあたつて頂くと同時に、従来の天分である禅学の完成に邁進して頂くやうに致しました。田中忠雄氏は、落選の時点では、私の勧めで衆院選に出馬を決意されましたが、現在の心境は、国会議員の泥仕合の中に自分を汚すよりも、座禅に徹し、明鏡止水の心境を取り戻して道元の研究の大作に取り組みたい心境になつてゐられる。
 作家の林房雄氏は参院選では田中後援会長をせられたが、田中氏の出馬を最初から反対で、政治家にするのは惜しい人物で、落選してよかつたと喜んでゐられる由で、誌友の評判でも「田中さんは政治には不向きだ。七十歳を過ぎてしかも新人として衆院選に出ることなどは無謀だ。学者的風貌があり、程度が高い点があり、それが一般になつかしがられないし、少しであるが村上票より少なかつた原因だ。候補者はもつと程度を下げて大衆に親しまれるところまでゆかないと、全国区でさへもこのやうに票が辷る。これが地方区しかない衆院選では、とてもだめだ」といふことが一般の声のやうであつた。三年後の参院選では、尚老齢といふことになり、信徒の運動意欲が喪失するので、さらに票が辷り、こんどのやうに五十万票を得ることは不可能だらうといふ人もある。かうして私も誌友及び信徒の先輩に教へられて、選挙といふものの実態が大分わかつて来たのである。
 田中忠雄氏を生かす道は、もっと他にある。ある人は、田中氏の禅学の蘊蓄に大いに期待して、今後静かに退いて、道元禅師の全著作の決定版と、その完訳版並びに解説といふ大掛りの大事業を生涯賭けてやつて頂きたい。その方が、僅か二人が国会に出て、国会議員一年生では、あまり発言の機会も与へられないし、発言しても用ゐられない状態でゐるよりは、その方が余程、日本国家のためになるといふ人もある。十目の見るところ、十指の指さすところ、誠にそのやうに考へられるのである。
○村上正邦氏については、本人はまだ若い(四十二歳)し、将来があり、政治家として大成する素質と、伸びる前途の年齢がある。非常に純粋であり、本人は、たとひ国会議員のバッヂを将来ともつけられなくとも、愛国の一念、生政連の中にゐて献身したいといつてゐる由で、それだけに、次期参院選で雪辱戦をやらせたいし、全国区で次期に出馬すれば、全国各道府県の幹部も一斉に協力して頂けると思ふ。
○田中忠雄氏が三年後には出馬しないとすると、次期参院全国区については村上正邦氏を加へて玉置、鹿島の三人が出馬することになると思ふ。今回は健実に内輪に見積もつて、生政連の実力票九十数万と見て、そのうちの二十万票を、鹿島俊雄氏に差上げれば、後は歯科医師会の票が四十万票以上あるので鹿島氏は非常に楽に当選できると思ふ。また選挙資金の面でも、鹿島氏のそれは歯科医師会が全部負担するするので、生長の家の荷は軽いのであります。玉置氏は、後進の村上氏に生長の家の票の大部分を譲つて、残りの票を加へて、百万票以上をとるべく大いに張り切つてその準備に入つてゐる由。生長の家以外から五十万票を集めようといふ張り切り方ださうである。かういふ風に三人が協調して参院選に出馬すれば、三年後の生長の家の教勢はもつと発展してゐるだらうから、三人とも当選するだらうと思ふ。
○三年後の選挙には、三人のうち、一人か二人にしぼつて応援して、立候補させて、必ず当選さすといふ方法をとれといふ説もあります。これでは非常に楽な選挙となります。その代り、ほつといても当選するよと甘い考へに陥りやすく、あまり必死の活動をしなくなるので、今年の参院選ほどには票が出ないかも知れない。今年、田中、村上両氏で得た百十万票が恐らくその半数に減るかも知れない。さうしたら立候補を1人にしぼつても落選するかも知れない。やつぱり、二人か三人を立候補させ、せめて胎児の虐殺をやめさせる法律が通るまでは、吾々の国会代表を減らすことはできない。これは私の生涯の願ひである。
 しかし、政治方面の知能や機略は私の専門外にあるので、此処には希望をのべるだけで私が長崎に退いた後は、政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。私は九州別格本山を、別格を消して大本山に完成することに人生の最後の任期を賭けたいと思ふ。(後略)



それと、生政連活動停止に関して引用される言葉に「聖胎を長養すべし」を目にします。これは、昭和43年9月1日号の『聖使命』紙に谷口雅春先生の「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」と題されたご文章なのですが、ブログ則天去私で説明されてあるように、次期の参院選に勝つためのものでもあったのでした。

「これはほんとうでしょうか」 (40137)
日時:2021年04月09日 (金) 21時23分
名前:本音の時代


雅宣総裁(唐草模様より一部転載)

『生政連は昭和39年9月に結成されましたから、それ以降約20年にわたって、生長の家は政治運動を展開したという歴史をもっています。 
しかし、そういう政治運動はやめようということになりました。これは、第2代総裁の谷口清超先生の決断によるものです。しかし、谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。谷口清超先生は、その意を汲まれ、さらにご自分の信念にもとづいて、この重大な決断を下されたのです。』



>谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。谷口清超先生は、その意を汲まれ、(略)

これは雅宣総裁の思い込みなのではないでしょうか。
大体、清超先生が、その意を汲まれていたのなら全託されてから活動停止までの間、なんらかの改善策を講じるはずです。不思議なことに活動停止の説明にもこれらの話はありません。危惧は感じていたが何もしなくて最後は匙を投げたように見えます。雅宣総裁はもともと自民党に好意的ではありませんでしたよね。雅宣総裁は昭和58年に生長の家理事になりましたので、当然、発言力は強くなったと感じます。

 (40139)
日時:2021年04月10日 (土) 02時14分
名前:閲覧中

〇私事ですが選挙運動を手伝った身として、寺内ひろ子氏の、比例代表制の順位、21位の、自民党の決め方はひどいと思いました。自民党の比例代表名簿21番目というのは、当落ギリギリの順位付けだったからです。結局、自民党の当選議員は20番目までで、寺内候補は1位違いで落選しました。生長の家の人々が必死に集めた票は、寺内ひろ子氏の当選につながらず、自民党の推す上位20名の当選にまんまと利用されたのです。生長の家をなめるな!と言いたいところでした(私も若かったですから)

某本部関係者から、谷口雅春先生が、自民党に翻弄された選挙について、生政連所属の某議員を呼んで叱りつけたという話も耳にしたことがあります。そのようなことをきっかけに、谷口雅春先生も、生政連活動停止をやむを得ないと思われたのだと、推察いたします。

本音の時代様は所属される教区の活動の中で生政連活動停止が運動停滞の原因とお感じになられたかも知れませんが、私の教区では、活動停止そのものについては、これで選挙活動で疲弊しきった組織を立て直せるとの声が多かったように思います。




◌生政連活動を続けていたら、むしろその混乱がひどくなっていた可能性があります。

それは理解できます。しかし、反省点を改善していくという困難な道を選択せず、活動停止という楽な逃避を選択したように思えます。結局、そのツケは残りましたね。
当時、自分は公務員であったので積極的な選挙運動には参加していません。スミマセン、楽をした人間です。

◌大体、清超先生が、その意を汲まれていたのなら全託されてから活動停止までの間、なんらかの改善策を講じるはずです。不思議なことに活動停止の説明にもこれらの話はありません。危惧は感じていたが何もしなくて最後は匙を投げたように見えます。




タピアさんに一票。

宗教と政治の関係は、他山の石ではないですけれど、他宗教の創価学会の例を.. (40141)
日時:2021年04月10日 (土) 02時24分
名前:志恩

(谷口雅宣総裁ご夫妻が尊敬している
島薗進氏(上智大学教授・東京大学名誉教授)の言葉を借りれば..)

『内側から見る創価学会と公明党』という本を推薦して書いています。

創価学会が政界に進出、公明党として自民党を支えている
現在の有様について、

【「御本尊を広めるための 政治進出」から

「選挙を応援することが 信仰の証」に至る変貌......】

という本の内容の推薦です。
「宗教社会学の視座による創価学会分析はここまで来ている」と。


生長の家が 政治の世界に 初めて参加した 昭和39年とは、
私が原宿本部に在職中のことでしたので、
その頃のことは、骨身に染みるほど、私はよく知っておりますが、

宗教団体が、政治に参加するということは、
選挙期間中は、本部だけではなく、
全国の地方組織である各県の どの相愛会も、白鳩会も、青年会も
隅々にわたり、宗教の話は 皆無となりまして、
政治の話だけに終始するということです。
指導に行く講師たちは、全員が、選挙のためのオルグに変身して。

当時も、そうでした。
全国の地方の本部講師、地方講師、光明実践委員だけでなく
原宿本部の本部講師、
そして、本部職員の私までも、

本職である  宗教活動の光明化運動は、そっちのけで、
政治の選挙のオルグとして、

選挙運動に駆り出されまして、
私もでした。くる日もくる日も、
選挙カーに乗って  マイクで 連呼して やるあれですよ。
あのウグイス嬢をやらされたり、朝から晩まで
ある時は、電話戦術なども、やらされておりました。

しかも、それらは、全部、ただ働きで...

(一政治家が、個人で、選挙カーのウグイス嬢を アルバイト員で
公募し雇いますと、一人 一日、平均 1万5000円 だった時代でしたが、
宗教団体が、やれば、愛行奉仕で、ただで やってもらえるのです。)


あの頃は、生長の家は
ある候補を立てては、参議院全国区の選挙で、当選させるために
全組織を挙げて、戦っておりました。

選挙期間中は、政治一色になって しまいますので
組織に属している人は、否が応でも
選挙活動をしなきゃならないのですから、
組織に属している信徒たち、全員が、
政治、政治ばかりで、疲労困憊するわけですよ。

そうやって、全国の組織を挙げて、立候補させた 候補者を
見事 当選させ、国会議員に させた としましても、
真の目的であった、優生保護法改正法案は、
国会で通らなかったのですから、
(自民党の大きな支持団体に、全国医師会がありますからね)

こういう 結果が出ましても、創価学会のように、
会員数が多いところは、なんとか、
組織は、持ちこたえるでしょうけれど、
生長の家の会員は、創価学会ほどは、多くないですし、

肝腎要の、宗教活動は、やらないのですから、どうしても
組織は、衰退して行くのです。

宗教団体が、政治を語るのでしたら、
アクエリアンさんが
おっしゃってますように、
中国のウイグル人、虐待についてのこととか
国際的なことに、宗教団体として意見を述べるとか、

国内政治の おかしいところはおかしいと、
宗教団体として、意見を述べる程度でしたらば、いいと思いますが、

生長の家の全組織を挙げて、昔のように、信徒全員を巻き込んでの
政治参加は、信徒たちが、
ただで 選挙のオルグの一員として、こき使われ、
票集めの、政治家に利用されるだけですから、
絶対にやめてほしいと思います。

谷口雅春先生は、一度や二度は、優生保護法改正が、通らなかってとしても、
再度、力を貯めてから、再度、政治の世界に参加して、優生保護法改正案を
法的に国会で、なんとか、成立させたいという純粋な宗教家としてのお気持ちを
持っていらしたので、あのような ご発言をされたのだと存じますが、

政治連合板に載っていましたでしょう、寄能美枝さんのお話が。
寄能さんは、私も彼女が本部へいらしたときに、お目にかかってお話したことが、
あるお方なので、存じ上げているお方ですが、愛媛県の白鳩会県連合会長さんでした。

あのお方が輝子先生に、お手紙をお出しになられたのですよね。
選挙、選挙で、疲れて、体調を壊してしまったことを、ご報告されたお手紙でした。

あれが、宗教団体が組織を挙げて、政治に参加するという現実です。

宗教団体は、政治に参加しますと、どうしても その組織を政治家の票集めに利用されて
終わりますから、私は、自分の体験からしましても、宗教は 政治とは 距離を置いた方が
いいと思っている人間です。

ですから、谷口清超先生が谷口雅春先生の ご許可を 得られた上で、
生長の家が、政治活動から、
身を引いたことは、正しい選択であったと思いますし、この件について
谷口雅宣先生が述べられたことも、間違っていないと思います。

(志恩:注;
雅宣総裁が、共産党と手を結んでいるとか、共産党と共闘するとかいう話が、
他の掲示板に出ています。もしもその話が、本当のことでしたら、とんでもない
ことだと思っております。
その話とは、別の、宗教が組織を挙げて、政治に参加する、についての
感想です。)

ただし、政治から撤退する時、全国の信徒さんたちに対する説明が
ひどく足りなかったということですから、その点は、おかしいと
私も感じておりますけれど...。

生政連と雅宣総裁  (40145)
日時:2021年04月10日 (土) 08時12分
名前:本音の時代

魚住昭著 「証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも」からの抜粋になります。なお、役職や肩書きはこの本が出版された2007年当時のものです。


 背信行為

 中絶を防止して、尊い胎児の生命を守ることは谷口先生の悲願でした。だから昭和57年3月の参院予算委員会で初質問の場を与えられたとき、私は屋久杉の保護と同時に優生保護法の改正を訴えました。
「総理はじめ閣僚の皆様に、ぜひ聞いていただきたい歌がございます。お手元にその歌詞を配りますからお開きいただきたいと思います
そう前置きして私は次のような、歌詞を読み上げました。

ママ! ママ!
ボクは、生まれそこねた子供です
おいしいお乳も知らず
暖かい胸も知らず
ひとりぼっちで捨てられた
人になれない子供です
ママ! ママ!
ボクの声は 届いているの
ここはとても寒いの
ママのそばに行きたい
ボクは 生まれそこねた子供です

読み上げた後で鈴木善幸首相らの感想を開くと、鈴木首相は「幼い生命についての切々たる叫び、そういうものを私はこの詩から感じる」と言い、森下元晴厚相は「まことに示唆に富んだ、内容の深い歌であり詩であると思う」と答えたので私はこう言いました。
「この歌を開くたびに中絶された胎児の啾々(しゅうしゅう)とすすり泣く悲しみの声が海の底から聞こえてくる思いがする。優生保護の名のもとに聞から闇へと葬り去られた五千万から七千万にも上る胎児の御霊に懺悔し、御霊鎮まれと祈り、合掌しつつ本論に入らしていただきます」
 生長の家は法改正のために七百万人の署名を集めました。玉置と私で二百人近い国会議員を集めて『生命尊重議員連盟』もつくった。そうやって中絶は生命の尊厳を否定するものだから中絶理由から経済条項を削除すべきだという一大運動を展開したんです。
 昭和57年11月に総理になった中曽根康弘さんは生長の家の2代目総裁・谷口清超先生と東大の同期だった。そのうえ奥様が生長の家の活動に熱心で、ご主人が朝出かけるときは『甘露の法雨』を必ず背広の胸のポケットへ入れておかれるから、中曽根さんも法改正に積極的だった。
 「(優生保護法改正に積極的だったのは) 堕胎が奔放にやられるのを少し慎重にした方がいいと考えたのです。これは『生長の家』の考えで、参議院の村上正邦君とか、玉置和郎君とか『生長の家』の支持者が強く主張していました。私も昔から『生長の家』の機関誌を読んでいて、それで甘露の法雨とか、生命の実相というのは、たいしたものだと思っていました。ある程度共鳴していたわけですよ。(中略) 堕胎の実数というのは明らかにはなりませんが、生まれてくる赤ちゃんの数とあまり違わないかもしれませんね。もし、堕胎がなかったとすれば、少子化、高齢化問題もかなり解決するわけで、その意味では重大な問題ですね」(中曽根康弘著『天地有情 五十年の戦後政治を語る』文芸春秋刊より)
 こうして昭和58年の通常国会でようやく優生保護法の改正問題が再浮上した。だが、この動きに反対する女性たちの声をバックにした『母性の福祉を推進する議員連盟(森山眞弓代表)』も党内に誕生した。
 結局、党内の混乱と女性の反発を恐れた自民党執行部は優生保護法の改正案提出を見送りました。生長の家にしてみれば、これは自民党の背信行為以外の何ものでもない。選挙のときに利用するだけ利用しておいて肝心のときには何もしてくれないという不満が募った。それが後に生長の家が政治から手を引く原因の一つになったんです。

くら替え

 (略)ところが、(昭和58年)2月に入って思わぬ事態が起きた。玉置が参院から衆院へのくら替えを表明したんです。玉置は生長の家の組織票で過去3回の参院全国区に当選してきた男です。それが衆院にくら替えするということは、生長の家との関係を断絶させることを意味していた。
 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めようがないほどに大きくなってしまったということでしょう。
直接のきっかけは、前年8月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことでした。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。 この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
 それに比例区の名簿順位は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させるには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に関わる問題だったわけです。

 教団三代目

 玉置が教団と絶縁した理由はもう一つあります。これは教団の三代目である谷口雅宣さんの玉置に対する不信感なんです。
 二代目総裁の清超先生は初代の雅春先生の実子ではありません。若いときに肺結核にかかり『生命の實相』を読んで救われたのをきっかけに生長の家に入られて、教団の雑誌、出版物の編集をしておられた。
 雅春先生の原稿を毎日取りに行く。そのとき玄関に出て応対されたのが、雅春先生の長女である恵美子先生なんです。お二人が結婚されて雅宣さんが生まれた。雅宣さんは青山学院大を卒業して産経新開の記者になった。
 ところが雅宣さんは支局勤務のままで、すぐに本社の政治部に上げてもらえなかった。それが玉置の差し金じゃないか、雅宣さんが政治部に来て玉置の政治的動きを全部知られたら困るから、玉置が圧力をかけて本社に上げないようにしたのではないかという俗っぼい話になっているようだと、当時、玉置がぼやいていました。
 もちろん玉置はそんなつもりは毛頭ないと弁明したが、そのうち雅宣さんは産経を辞め、教団に帰ってしまった。まもなく私と玉置は教団の全国教化部長の会議に呼ばれて、
「なぜ勝手に選挙制度を変えたんだ」
 と幹部たちからやり玉に挙げられ、雅宣さんからもお叱りを受けた。その時、私が前面に立って、
「そうじやないんです!」
 と弁明しました。玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信感をぬぐえなかった。
 ちょうどそのころ、かつて玉置がつかえた早川崇先生が病死して、和歌山2区の後継者の話が持ち上がった。それで玉置は
「生長の家からそんな糾弾を受けるくらいなら、俺は衆議院に行く」
と決心して、その直後に衆院選で無事当選を果たした。

 孟蘭盆会

 昭和58年(1983年)2月に玉置が衆院へのくら替えを宣言してから3ヵ月後には、前に述べたように優生保護法の改正案も成立の見通しが立たなくなりました。さらに同年6月に行われた参院選では玉置の後継者として生長の家が送り出した寺内弘子さんが次点で落選してしまった。寺内さんは玉置の秘書だった人で、玉置が参院からくら替えするときに「寺内は必ず当選させる」と教団に約束した経緯があった。
 ところが自民党が彼女を比例名簿の21位にしか載せなかったので落選の憂き目に遭った。これで玉置や党に対する教団の不信感がさらに募ったんです。
 生政連は昭和58年の8月15日、ついに活動停止を宣言しました。つまり教団が政治との絶縁を宣言したわけです。
 生政連が活動停止を宣言してから数日後、京都府宇治市にある生長の家の別格本山で孟蘭盆会がありました。その折、私は清超先生にこう言われました。
「あなたの今後のことは、中曽根さんに頼んでおいたからね。中曽根さんは、ぜひあなたを中曽根派に欲しいと言っている」
 私は、
「はい。ありがとうございます」
 と答えました。私は雅春先生や清超先生の絶対的な信頼を受け、あふれるような愛情で育てられた政治家ですから、教団の指示は「はい」とお受けするしかない。
 このとき清超先生は、生政達は解散するけれども、生長の家の福祉団体の理事としては残りなさい、次の選挙のときに生長の家推薦と書くのは構わないとおっしゃられた。
 ところが玉置はその話を開いて、不快感を抱いたらしい。
「村上は何だ! 玉置と行動を共にして生長の家からきっぱり出るべきではないか。それを足を半分残して調子のいいことばかり言って、清超先生にとり入っているじやないか。けしからん」
 と、玉置の側近連中が彼にご注進していたことを開かされました。
 だから、私は玉置と会い、こう言いました。
「私はいま、生長の家のたった一人の政治家としているわけですから、生長の家の総裁のご命令に従っていくしかないんです。これが筋だと思います」


国旗・国歌法案

 昭和58年(1983年)夏、生長の家が政治との絶縁を宣言したのは衝撃的な出来事でした。その余波は宗教界や政界はもちろん民族派の諸団体や国民運動などいろんなところに及びました。
 一例を挙げると、皇居の一般参賀です。毎年、1月2日と天皇誕生日には皇居に集まった大勢の国民が日の丸の小族を振りますね。あの小旗、だいたい10万本前後になるんですが、それを調達して配布していたのは生長の家でした。もう少し正確に言うと、全国日の丸連合会(会長・中林政吉生長の家理事長)という組織の中核にいた生政連(生長の家政治連合)だったんです。
 ところが昭和58年の10月末になって生政連が日の丸連合会からの離脱を通告した。つまり日の丸の小旗を調達・配布する人たちが突然いなくなったわけです。
 正月の一般参賀まであと2ヵ月しかない。天皇ご一家が出てこられたときに日の丸の小旗が振られなかったら大変なことになる。生政連と二人三脚で活動してきた明治神宮はかなり慌てたようです。それで急遽、神社本庁や彿所護念会など全国組織の10団体に集まってもらって皇居参賀協力委員会を設置し、10万本前後の日の丸の小旗を調達することになったということです。
 生長の家は政治と絶縁しただけではありません。昭和60年(1985年)に初代総裁の谷口雅春先生が亡くなられて二代目の清超先生が後を継がれると、三代目候補の雅宣さん(現生長の家副総裁兼総裁代行)の主導権がそれまで以上に強くなった。そして雅宣さんは初代の雅春先生の教義についての解釈自体まで変えていったんです。
 雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、雅宣さんは明治憲法の復元どころか改憲も主張しなくなった。挙げ句の果てにはあの戦争は侵略戦争だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった。
 そのうえ雅春先生が書かれた政治に関わりのある書籍も一部絶版にしてしまった。『我、誰よりも国を愛す』などの良書がたくさんあったんですが、それが全部、絶版になったんです。
 こうした生長の家の路線転換に生政連や生学連(生長の家学生会全国総連合)などを拠点に活動してきた人たちが反発した。彼らは雅春先生の教えを勝手に変えるのはおかしいと訴えた。でも雅宣さんから見れば、従来の生政連は実質的に玉置和郎中心の路線だったから、その路線で突っ走ってきた活動家たちを信用できない。それで「こいつらはダラ幹だ!」とか何とか言って切ってしまうわけです。


 若手活動家たちの離脱

 雅春先生の薫陶を受けた優秀な民族派の活動家はたくさんいました。たとえば「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」の事務局を切り盛りしていた椛島有三さん。後に安倍首相のブレーンといわれるようになる伊藤哲夫さん。「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長になる高橋史朗さん。さらには自民党参院議員として活躍する衛藤晟一さん。それに教団の幹部職員から私の秘書になり、平成7年(1995年)に参院議員になる小山孝雄さんたちです。
 彼らは生長の家の路線転換に伴って教団から排除されたり、自ら離脱したりした。そして政治や教育や国民運動など、それぞれの分野で雅春先生の教えに従って独自の活動をはじめるわけです。
 ただ、こうした活動家たちのなかでただ一人、雅宣さんが切れなかったのが、若手のリーダー格と目されていた安藤巌さんです。安藤さんは結核で何度も死にかけたところを生長の家の教えに救われた人で、彼自身が病いに苦しむ多くの人たちを信仰の力で救ってきた。信徒の人望も厚かった。それに彼は雅宣さんからいろいろ課題を与えられても、それを見事にこなした。だから安藤さんだけは今も生長の家に残って神奈川県の教化部長という重職を務めています。
 私の場合は二代目の谷口清超先生のご厚意で、当初は生長の家の福祉団体の理事として残りました。それで、次の選挙のときには今までのように、組織的な応援はできないけれども、生長の家推薦ということは了解するよと清超先生がおっしゃってくださった。
 だから私は生長の家推薦で2期目の参院選挙(昭和61年7月)を闘いました。1期目のように生長の家の組織を挙げての応援は受けられなかったけど、信徒の皆さんが自ら自民党員になってくださったから、私は比例名簿の6位にランクされて当選を果たすことができたんです。心ある生長の家の信徒の方々は、私が選挙で地方に行くと、「先生、がんばってね」とたくさん応援に来てくれました。
 しかし、その後、三代日の雅宣さんの意向が強くなって、政党とは一切、一線を引くという厳格な方針が出されたため、私は生長の家の推薦を受けるどころか、教団に行くことさえもできなくなりました。
 平成7年(1995年)に私が参院幹事長になったときも、ご挨拶に清超先生を訪ねましたが、合わせてくれない。もちろん講習会に行くことさえも、講習を受けることさえも拒否された。政治家・村上正邦はね。
今は政治家でなく、村上個人として行けば門を開いてくださるかどうか。しかし、今の私としてはなかなかサッと行けるような心境ではありません。申し訳ないという気持ちがありますから。「刑事被告人」がどうして生長の家の門をくぐれるかという自分自身の気持ちがありますからね。
私はいつか参院議長になったら、表玄関から清超先生にお礼を申し上げに行くつもりでした。谷口雅春、清超両先生から与えられた使命を必ず果たしますと、誓いの言葉を述べにいく日を待っていました。それが私の願いだったけど、それができなくなったことが非常に悲しいですね。


 (40146)
日時:2021年04月10日 (土) 09時09分
名前:意見

 そうなった理由はいくつかありますが、結局のところ、生長の家と玉置の間の溝が埋めようがないほどに大きくなってしまったということでしょう。
直接のきっかけは、前年8月に参院全国区制度改革のための公選法改正案が成立したことでした。全国区の選挙には大変な金がかかる。候補者は全国をかけずり回って体力を極端に消耗させる。これではいけないというので全国区をやめ、比例区を導入したんです。この制度改革の旗を振ったのが玉置でした。それを教団側の一部の幹部が「玉置は自分の利益のために勝手に制度を変えたんだ」と誤解したんです。
それに比例区の名簿順位は候補者が獲得した党員数や党への貢献度で決まるので、当選させるには、生長の家の誌友(信徒)を自民党の党員にしなくてはならない。信徒が党員になれば、生長の家は自民党の下部組織になっていく。それは教団側にしてみれば宗教組織の根幹に関わる問題だったわけです。


玉置自身は制度改正をよかれと思っていたし、私もそう思っていた。独断でやったわけではない。生政連で機関決定して進めたことなんです、と説明しても教団の不信感をぬぐえなかった。<



組織の根幹に関わる選挙制度改正の問題を、組織中枢をとばして
生政連と議員で独断に機関決定し進めたなら当然でしょう。


>組織の根幹に関わる選挙制度改正の問題を、組織中枢をとばして 生政連と議員で独断に機関決定し進めたなら当然でしょう。 (40148)
日時:2021年04月10日 (土) 09時45分
名前:本音の時代

教団は生政連に積極的に関与していなかったということになるのでしょうか。そうであるならば宗教主導でなくなる可能性は高くなる。
生政連会長は田中忠雄氏でしたよね。谷口雅春先生との関係も深い。しっくりしないです。

雅春先生時代も先生のおっしゃることは絶対命令と受け取るのは組織幹部。その中で雅春先生に苦悩を訴える勇気ある人があり、雅春先生もそれを素直に受け取られた。それ以後、どうなったのでしょうかね。
今の雅宣総裁は讃嘆評価しか受け取らない。すなわち誌友の苦悩など範疇にない。

※訂正しました。
雅春先生の苦悩 → 雅春先生に苦悩

教団は生政連に積極的に関与していなかったということになるのでしょうか。そうであるならば宗教主導でなくなる可能性は高くなる。 生政連会長は田中忠雄氏でしたよね。谷口雅春先生との関係も深い。しっくりしないです。 (40149)
日時:2021年04月10日 (土) 12時29分
名前:意見

しっくりきませんね。
雅春先生との関係も深いのに当時の総裁・副総裁に秘密裏に
話を進めていたとは。。。



>生政連活動を続けていたら、むしろその混乱がひどくなっていた可能性があります。ひょっとしたら、宗教法人「生長の家」が、「谷口雅春先生を学ぶ会」や本流派のようになっていたかも知れません。それでもよかったのでしょうか?


断固NO!!です。


>しっくりきませんね。 雅春先生との関係も深いのに当時の総裁・副総裁に秘密裏に 話を進めていたとは。。。 (40150)
日時:2021年04月10日 (土) 14時19分
名前:本音の時代

間違えました。当時の生政連会長は田中忠雄氏ではなく、八日市屋二三雄氏でした。
スミマセンでした。

選挙敗北及び優性保護法関係で会長以下6人から辞任願が提出され生長の家理事会で受理されていますね。
6人の顔ぶれを見ると、受理すれば生政連は実質機能しなくなるのは判断されたと感じます。
それが分かっているのに6人は辞職願を出した。これまた、しっくりしませんね。

受理すれば生政連は実質機能しなくなるのは判断されたと感じます。 それが分かっているのに6人は辞職願を出した。これまた、しっくりしませんね。 (40156)
日時:2021年04月10日 (土) 15時57分
名前:意見

しっくりします。
事があまりに大きな教団組織根幹に関わる問題だったからです。
大勢の信徒の献金と無料奉仕と先導により培われた志を、
無碍にする結果となったからです。


>国内政治の おかしいところはおかしいと、
宗教団体として、意見を述べる程度でしたらば、いいと思いまが、

生長の家の全組織を挙げて、昔のように、信徒全員を巻き込んでの
政治参加は、信徒たちが、
ただで 選挙のオルグの一員として、こき使われ、
票集めの、政治家に利用されるだけですから、
絶対にやめてほしいと思います。

生長の家の政治運動 「七つの光明宣言」の否定か? (40157)
日時:2021年04月10日 (土) 17時36分
名前:本音の時代

40010 再掲


【元来「生長の家」は人類の思想中よりそのまよい(転倒妄想)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に出現したのではありません。】(頭注版「生命の實相」第1巻3頁 「七つの光明宣言」の解説から)

人類生活の全面を光明化するのだから、生長の家の政治運動はいやだというのは間違いです。
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。(徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より)


目的から外れた政治運動に対しては「NO」と言えばいいのです。「NO」と言えない時代もあったようですから、そこは政治運動全否定ではなく、教訓として生かせば良いのではないかと感じます。

 (40158)
日時:2021年04月10日 (土) 18時40分
名前:意見

生長の家の政治運動 (40010)

日時:2021年03月29日 (月) 13時23分
名前:本音の時代

【元来「生長の家」は人類の思想中よりそのまよい(転倒妄想)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に出現したのではありません。】
(頭注版「生命の實相」第1巻3頁 「七つの光明宣言」の解説から)


―――――――――――――――――――――――――


人類生活の全面を光明化するのだから、生長の家の政治運動はいやだというのは間違いです。
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。(徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より)

―――――――――――――――――――――――

本音の時代さん、

〖七つの光明宣言〗の1つと、

『生長の家指導者のための生命の實相講義』とは題されている
徳久講師の講義内容、現象の「政治」に介入することの当時の考えとを同等にしては駄目でしょう。意味判りますか。

生政連停止時の宗教法人生長の家理事長は徳久理事でありました。
今御存命であったらなんと仰るだろうか。


【元来「生長の家」は人類の思想中よりそのまよい(転倒妄想)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に出現したのではありません。】
(頭注版「生命の實相」第1巻3頁

病気治療のみを目的に出現したのではないという意味を、
取り違えていないか?、私の感想です。


>目的から外れた政治運動に対しては「NO」と言えばいいのです。「NO」と言えない時代もあったようですから、そこは政治運動全否定ではなく、教訓として生かせば良いのではないかと感じます。<



某本流派では政治運動していましたか。
SNSで発信することくらいでしたか。
具体的活動をしたことがありましょうか。
思想が同じならば、そちらで頑張ってみてはと思いますが、
現教団に活動を呼びかける気持ちは、本音の時代さんの中で、
これという選出候補者がいるのかどうか?












 (40159)
日時:2021年04月10日 (土) 18時55分
名前:意見

>ここからは、私の考えです。
しかし、教団も生政連も「ミイラ取りがミイラになったのか」、政治の迷いの中に染まってしまった。ここで生長の家の政治運動がいかなるものなのか再確認し軌道修正する方法もあったと思うのですが、教団は政治とは縁を切るということで生政連の活動を停止(解散)してしまった。これは、人類生活の全面を光明化するといことから退歩したのではないかということです。


私は考えます。
「教団も」と言うからには、当事者総裁、副総裁、理事長の、
責を問うていることと同じです。本音の時代さんが、
現在の総裁に反感をもちいるとしても、決定は、
宗教法人生長の家、最高機関でした。


>病気治療のみを目的に出現したのではないという意味を、 取り違えていないか?、私の感想です。 (40161)
日時:2021年04月10日 (土) 20時54分
名前:本音の時代

徳久克己先生の講話を聴いて確認してください。



>決定は、宗教法人生長の家、最高機関でした。

承知しております。

本記事投稿の本音の時代管理者さんへの質問はこれです。 (40162)
日時:2021年04月10日 (土) 21時36分
名前:意見


某本流派では政治運動していましたか。
SNSで発信することくらいでしたか。
具体的活動をしたことがありましょうか。
思想が同じならば、そちらで頑張ってみてはと思いますが、
現教団に活動を呼びかける気持ちは、本音の時代さんの中で、
これという選出候補者がいるのかどうか?

今の時代 (40163)
日時:2021年04月10日 (土) 22時42分
名前:本音の時代

今の教団も本流も政治運動をする器はないでしょう。
それが生政連活動停止の結果です。取り返しのできない結末であり、代償はあまりにも大きすぎたと感じます。
だから、嘆きしかでてこない。

粘ります。 (40166)
日時:2021年04月11日 (日) 04時53分
名前:意見

>今の教団も本流も政治運動をする器はないでしょう。
それが生政連活動停止の結果です。


◉◉の科学や◉◉学会はその器というわけですね。

>◉◉の科学や◉◉学会はその器というわけですね。 (40168)
日時:2021年04月11日 (日) 05時53分
名前:本音の時代

興味ありません。

>興味ありません。 (40171)
日時:2021年04月11日 (日) 06時20分
名前:意見


知ってる。


男前だがもちっと柔軟性をもったが、、、。

ではこれにて
コロナ気をつけよ互いに。

及川幸久氏というインフルエンサーの登場 (40176)
日時:2021年04月11日 (日) 08時50分
名前:アクエリアン

意見さんのコメントに触発されて雑感を書かせてもらいます。

>>今の教団も本流も政治運動をする器はないでしょう。
それが生政連活動停止の結果です。


◉◉の科学や◉◉学会はその器というわけですね。<

アメリカ大統領選報道で、ユーチューブで非常に人気が出てきた及川幸久氏。

SNS全盛の今という時代を象徴しているように感じています。

幸福の科学信者ということをネット上で堂々と明かしており、一般にカルトだと日本で認識されているにもかかわらず、毎回、10万を超える視聴回数を記録しているし、コメント欄も盛況です。

この人のユーチューブでの発信がどれだけ幸福の科学の信者数の増加に寄与しているのか分かりませんが、幸福の科学がおかしなカルト団体ではないのではないか、というイメージアップに寄与していることだけは確かでしょう。

最近では、人気作家百田尚樹チャンネルにも登場されて、大いに話題になったりもしています。

これからの宗教運動の在り方を考えるとき、非常に面白い現象だと思い紹介させてもらいました。

 (40177)
日時:2021年04月11日 (日) 09時27分
名前:通りかかり

アクエリアンさん「人気作家」の百田何某と紹介されましたが、
その百田何某氏と、橋本何某氏とのバトルみましたか!笑
オモロイす。

これからの宗教運動の在り方を考えるとき、非常に面白い現象だと思い紹介させてもらいました。<


色んな面白い現象ありで、ミイラ取りがミイラに挟まってしまわないようしっかり自燈明してなきゃいけないね!
まあアクエリアンさんは大丈夫でしょうが⤴



色々と勉強になりました。有難うございました (40196)
日時:2021年04月11日 (日) 21時33分
名前:tapir

本音の時代様、皆々様


色々なご意見、体験談等、とても勉強になりました。ありがとうございました。

村上正邦さんは、にこにこされた温厚な方で、私は好感を持っておりました。


私は、生長の家の信仰を生かした政治運動が、生長の家(教団にせよ、学ぶ会にせよ)の組織の中でしかできないとは思いません。もっと自由に考えたいです。

個人として色々と学び、必要に応じて、自分の理想を実現してくれそうな個人(政治家、思想家)、団体、組織を、できる範囲で、時には全力で、応援するということで良いのではないかと思います。

その際に、神仏への祈り、天皇陛下を尊崇する思い、冷静な判断、庶民としての智慧をめぐらす、議論を重ねて人の意見を聞く、相手の実相を礼拝する、というように生長の家の教えをできるだけ、生かして参りたいと思います。(まだまだ理想の自分にはほど遠いですが…)

ひとつ思いますのは、運動というものは、目的を達成したら、一度組織を解散するのが本筋ではないかということです。これは小林よしのり著の『脱正義論』の考え方です。

組織ができた→運動の目的を達成できた→せっかくできた組織を別の目的に利用しようとする→組織を守り拡大することに汲々として組織が本来の目的から外れて腐敗していく。

こうなりますと色々の弊害が起こります。

青年の場合、政治を動かす組織運動に酔ってしまい、実生活に戻れなくなるという弊害もあると思います。


短い文章では十分に言い表わすことができませんが、

運動目的を立てる→目的を達成したい個人が集結して運動を支える→運動の目的が達成できる→互いの健闘を称えて組織を解散する→それぞれの持ち場(職場、学校)に戻る。

というあり方が、庶民の生き方として無理がなく、健全なのではないかと思っています。


色々と教えていただき有難うございました。

合掌

>青年の場合、政治を動かす組織運動に酔ってしまい、実生活に戻れなくなるという弊害もあると思います。 (40207)
日時:2021年04月12日 (月) 09時00分
名前:本音の時代

一般論はそうなのでしょうね。
生長の家のみ教えをメインとするなら、その時点でみ教えとの整合性を考えながら行動して行くことになるのでしょう。
生長の家誌昭和49年12月号で、谷口雅春先生がご自分の考えを修正撤回されたにも誌友の苦悩に耳を傾けられ、苦悩からの解放というみ教えの基本を実践したのではないでしょうか。組織も個人もみ教え(神は愛なり)をメインと心がけるということでしょう。

志恩さんが出てくると「ズレ」ますね。 (49788)
日時:2022年03月26日 (土) 18時50分
名前:他からも苦情が


スレッドの主題からズレてきましたね。 (40044)
日時:2021年03月31日 (水) 07時58分
名前:本音の時代

別スレッドにしませんか。
スレッド名 生長の家における肉食禁止とノーミート運動

 (50063)
日時:2022年04月04日 (月) 17時51分
名前:ひとこと

>>>>日時:2021年04月10日 (土) 18時40分
名前:意見

生長の家の政治運動
日時:2021年03月29日 (月) 13時23分
名前:本音の時代

【元来「生長の家」は人類の思想中よりそのまよい(転倒妄想)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現したので、病気治療のみを目的に出現したのではありません。】
(頭注版「生命の實相」第1巻3頁「七つの光明宣言」の解説から)

―――――――――――――――――――――――――

人類生活の全面を光明化するのだから、生長の家の政治運動はいやだというのは間違いです。
生長の家の政治運動は、政治家の思想を変えていく運動。政治家の思想の中から迷いを取る運動。だから、生長の家の思想・考え方を持つ政治家を国会に送り、国会の中おいて生長の家の思想運動をしてもらうのです。(徳久克己先生『生長の家指導者のための生命の實相講義』より)

―――――――――――――――――――――――

本音の時代さん、

〖七つの光明宣言〗の1つと、

『生長の家指導者のための生命の實相講義』とは題されている
徳久講師の講義内容、現象の「政治」に介入することの当時の考えとを同等にしては駄目でしょう。意味判りますか。

生政連停止時の宗教法人生長の家理事長は徳久理事でありました。
今御存命であったらなんと仰るだろうか。(後略)


≻生政連活動停止当時、それ以後の時系列を見てください。

昭和58年(1978)7月:生政連活動停止
昭和60年(1985)6月17日:谷口雅春先生ご昇天
昭和60年(1985)11月22日:谷口清超先生総裁就任
平成2年(1990)11月22日:谷口雅宣先生副総裁就任≺

昭和58年生政連活動停止のときの教団理事長は、
本音サンが度々引用の徳久先生でありましたね。


>昭和58年生政連活動停止のときの教団理事長は、 本音サンが度々引用の徳久先生でありましたね。 (50064)
日時:2022年04月04日 (月) 19時25分
名前:本音の時代

そうですね。

>徳久講師の講義内容、現象の「政治」に介入することの当時の考えとを同等にしては駄目でしょう。意味判りますか。 (50068)
日時:2022年04月04日 (月) 23時30分
名前:本音の時代

同等でないならば、求めるものが違うことになるのですから、政治に介入すべきではありませんでした。

 (50072)
日時:2022年04月05日 (火) 04時35分
名前:引用転載

(49919)

日時:2022年03月31日 (木) 00時28分
名前:素朴な質問

名前:本音の時代

〇生政連活動停止は寺内候補の落選が影響していると私は考えています。比例区が導入されたが、寺内候補の名簿順位は当選確定圏外だった。


🔵昭和58年(1983年6月)中曽根首相の時の参院選ですね。


〇なぜそのようになったのか。

🔵比例区の名簿順位はその候補者獲得の党員数で決まっていた
からでは?


〇生政連の母体である教団は調べればわかることなのに、
生政連批判に終わるだけで、原因詳細の情報は信徒たちに伝えなかった。そこに見えるのは、生政連批判による教団組織の保身。

🔵なんでやねん。


〇政治に疎い教団が行った判断は、昭和49年の雅春先生の間違った判断(衆院に候補を立てたこと)と似たような構図。


🔵昭和49年(1974年)雅春先生の判断が間違っていた、
と言える程政治に明るい本音の時代様が思うその間違いの根拠を御教示下さい。





 (52175)
日時:2022年08月04日 (木) 04時10分
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封印された統一教会「公安捜査ファイル」驚きの内容 記された現職議員らの名前とは

8/3(水) 17:00配信

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デイリー新潮
機密文書に記された政治家の名前

統一教会による政界汚染が次々と報じられる中、今度は新たに警視庁公安部が作成した捜査資料の存在が明らかになった。そこには、統一教会関係者の個人情報と併せ、関係が疑われる政治家の名前も記載されており、現職議員の名前も……。

この捜査ファイルには、約2万6千人に及ぶ統一教会関係者の名前がずらっと並び、職歴や勤務先、教団内での地位などが細かく記載されている。公安部は統一教会について、法治国家を脅かすカルト教団だと見ていたため、こうしたリストを作成していたのである。

このファイルを精査すると、1995年に都内のホテルで行われた、統一教会幹部・朴普煕(パクポヒ)が開いたイベント「朴普煕博士『希望の日』晩餐会」に招かれた政治家の名前が記されているのだ。

安倍派の現職議員でその晩餐会に招待された一人に衛藤晟一参院議員がいる。衛藤事務所は、
「全く記憶にありません」と答えるのみ。


8月4日発売の「週刊新潮」では、捜査資料の詳細な内容と併せ、統一教会が企ててきた政界浸透工作の実態について詳報する。

****


部分的に引用させて貰った週刊新潮の記事です。

統一教会日本政界浸透の経緯の詳報!!


読む。


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日時:2022年08月04日 (木) 09時26分
名前:志恩

8月4日発売の「週刊新潮」
アマゾンコムへ注文しました。
440円(送料無料)

8月5日の午前中にうちへ届くそうです。







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