生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家における肉食禁止とノーミート運動 (40045)
日時:2021年03月31日 (水) 08時02分
名前:本音の時代

スレッド「生長の家の政治運動」の主題からズレて「肉食禁止とノーミート運動」に関する投稿がメインになってきたようなので別スレッドを立ち上げました。


(40031)
日時:2021年03月30日 (火) 13時28分
名前:転記

こうした自分の思想を政治に反映しなければ世界平和は実現しない、と考えておられた大聖師。 (39129)

日時:2021年03月09日 (火) 21時34分
名前:wikiより


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。
— 心と食物と人相と




しかし、このような徹底したプロライフ(=生命尊重)の主張が政界で受け入れられることはなかった。1978年(昭和53年)に雅春氏は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退き、1983年(昭和58年)には優生保護法廃止が実現しないこと等を理由として生長の家政治連合の活動停止が決定され、以後生長の家は自民党政権と距離を置くようになる。


>しかし、このような徹底したプロライフ(=生命尊重)の主張が政界で受け入れられることはなかった。 (40032)
日時:2021年03月30日 (火) 14時02分
名前:本音の時代

生政連は、そのような主張はしていないのではないでしょうか。
谷口雅春先生も信徒にも強硬な肉食廃止は主張していないと思います。


(40033)
日時:2021年03月30日 (火) 17時42分
名前:閲覧者


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。
— 心と食物と人相と

「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのであります/雅春先生

と言われているのにどうして

谷口雅春先生も信徒にも強硬な肉食廃止は主張していないと思います。/本音の時代さん

となるのでしょうか、本音の時代さん、理解が難しいです


強硬な肉食廃止は主張していない (40034)
日時:2021年03月30日 (火) 18時27分
名前:本音の時代

政治とは法律を作ることです。
肉食廃止の法律を作れと谷口雅春先生はおっしゃいましたか?

谷口雅春先生は「新版幸福生活論」の中で次のように書いています。

【・・・・吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。それがまだ備わらない人々には生長の家は何人にも何物も強制しないのであるから、強いて肉食をやめよとは云わないのである。】

※参考
『人間と食物の問題』
 ・・・・たとえば、人が此処に魚をたべていたとする。現象的にはかう見えているのであるが、実相に於いては人間は、魚を殺してたべると云う事はなどはない、現にたべてはいないのである。だから殺すと云う業もなければ、殺された恨みの業もない ―― 魚を食べるにも、かくの如く知って食べねばならないのである。殺すと思い、殺されると思って食べるときには、そこに殺生の業も生み、〈業とはナリである、鳴りである。心の鳴りひびきである。心のひびきを止めるとき業の実態は消えてしまう〉その業は心がその存在を支えている限り流動し、輪転し、殺生は次の殺生を生み、ついに人類相互の一大殺生なども生むようになるのである。だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして〈換言すれば人類が殺生によって〉生を保つかぎり、人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰にあると考えざるを得ないのである。
 だから、現象本来無しとわかるまで生き物を殺して、又は捕殺せしめて食べない方が好い。それは殺生の業を輪転せしめる事になるからである。私は『生命の實相』の中で、肉食厭離の心を起さしめるためにトルストイの肉食反対論や屠牛場の悲惨な光景を書いた。現象無しと悟れば凄惨なる屠牛場の光景もない。肉食していると云うこともない。それはただ夢中に幻を見ているのと同じことであるから、一休和尚が般若心経をとなえながら平然と魚を食って、しかも、此の魚はこれで成仏していると云い得る境地になれるでのであろう。しかし、かかる悟りと心境になれないで、ただ習慣で生き物を食う故に、凄惨な気がしないだけであるならば、それは平俗な殺生の肯定であり、戦争するのが習慣になった軍人が平気になっているのと同じであって、「本来殺生なし」の悟境ではない。かくの如き殺生は、凄愴悲惨な感じを伴わないままに、知らずに犯した罪の方が知って犯す罪よりもその被害が大きいように、殺生の業の存在を強引に肯定しているのである。
 真に此の世界から戦争を根絶し、絶対平和の世界を実現するためには、殺生の業を積まないようにすることが必要なのである。現象が本来無であり、空華(くうげ)であることが真に自覚できない限りに於いては、みずから殺生し、又は、他をして捕殺せしめる「殺害」の業上に築かれたる肉食を人類はみずから勇猛心をもって根絶しなければならない。釈迦は自分の弟子に、みずから殺さずして他の人が布施し供養をした肉食のみはこれを受けても好いとした。それは‘受けても好い’のであって、進んでその饗応を強制したり、なるべくそうするように勤め、又仕向けてはならないのである。純粋の愛念又は報謝念又は布施心をもって供養されたる肉食は、その愛念、報謝念又は布施心によって浄められているから浄食である。自分が儲けるために捕獲したる獣鳥魚肉は、利己心のために殺生を肯定したものであるからけがれたる殺生である。しかし漁夫がかくの如き業務をもって生活するよりほかに生計の道を見出し得ざるが故にやむを得ず魚等を捕獲するのは生活権として尚ゆるされ得るであろう。しかも自己の生活の必需に迫られずしてただ閑暇の娯楽のためにする魚釣の如き、他の生命を玩弄するのであるから、聖霊を涜す罪として赦されがたいのである。生命は聖霊であるからこれを弄殺する事は赦されない。
 斯くて吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。それがまだ備わらない人々には生長の家は何人にも何物も強制しないのであるから、強いて肉食をやめよとは云わないのである。
 或る人は生物を共食いするのは浄食ではないと云うことを反駁して、生物は必ずしも動物のみではない、植物もまた生物であり、米も麦も豆も野菜も生きているのである。それを収穫と称して捕殺するのは残虐なる殺生ではないかと云う。
 生命あるものを切って生(せい)を奪うことは真に罪悪であろうか。吾々の髪の毛や爪は吾々の身についている間は生きている。それを身から切り放ったとき、それは死ぬのである。しかし、吾々は髪を整え、爪を揃えするために、それを悦んで切り捨てるのである。切り捨てられた髪と爪とは生を失う。それは快い業であり、悲惨でもなければ苦痛でもない。それは何故悲惨でなく苦痛でないのであろうか。それは髪を切り、爪を切っても苦痛を感じないからである。然らば苦痛を感じないように切り、生を奪うことならば悲惨でも残虐でもないのである。或る“かまきり”虫の一種は、その雄は交尾の佳境期の最中に雌にくわれて死んでしまうのである。それが苦痛であるならば交尾をやめて逃げ出して了いそうなものであるけれども逃げ出しはしないのである。彼は恋愛の快感の最中に、その生命が雌の生命にとけ込んで、現象的には自分の個としての生命を失う、彼は却って幸福だと云わなければならないのである。考えて見れば動物を捕え殺し食するのが悲惨であり残虐であるのは、彼が捕えられ、殺され食されることを苦痛として逃れようとする。その逃れようとし避けようとする自由を奪って、殺すところに殺生の罪悪があり残虐性があるのである。生命は不死であり、現象界から生命は去っても霊界にその生命は天現するのであるから、自由意志で転出する場合には罪悪ではない。またそれが痛苦を伴わない場合には残虐ではない。ところが肉体の苦痛は、痛覚細胞があって、末梢神経の痛覚細胞の刺戟が大脳の痛覚中枢につたえられて脳細胞のエネルギーが心の痛みに変化して始めて感じられるところのものである。爪や髪の毛は生きていても痛覚細胞がないから痛みを感じない。“とかげ”の或る種類はその尾をもって捉えようとするとき、みずからその尾を自然に切断して逃れ去る。その尾は暫くは生きてもがくが如く跳ねているが、それは脳髄の痛覚細胞から切断されてしまっているから痛覚は無いのである。肉体のもがきは必ずしも本人の苦痛の表示でない事もある。首を突如として切られたる人間は、その胴体にある手足は暫くもがいているが、それは脳髄中枢から切断されているから痛みを感じていない。それでは切り離された方の頭首は痛んでいるかと云うと、瞬くうちに多量の出血が頚動脈から噴出するので、一定の圧血量を失った脳髄は知覚を失って痛みを感じない。結局苦痛と云うものは、肉体でショックを受けたのを知らせる極短時間か、痛むだろうと想像する人間〈又は生物〉の心の観念中にあるのみであると云える。死と見える現象そのものの中にはそれほどの苦痛はないのである。神は決して生き物にそれほどの実際の苦痛を与えてはいられないのである。
 それ故、残虐とは、相手に恐怖心を起さしめ、苦痛の観念を起さしめる行為に名づけられるのであって、“かまきり”の雌が雄をその交尾中に食ってしまっても雄を恐怖せしめず苦痛を感ぜしめなかったら残虐ではない。之に反して、相手を打ちも斬りも傷けもしないでも心に恐怖や苦痛を与えることは残虐であると云い得る。
 ここまで思索してくるとき吾々が植物の果実や菜根を食うのは悲惨であろうか。残虐であろうかと云うことになる。決してそうではないのである。植物はみずから翼なく、脚がなく、位置をかえる飛翔も歩行も出来ないので、動物にその運搬を以来するのである。“ただ”運搬して貰う訳には行かないので、その報酬を与えるために美味の果汁や果肉を備えて動物をひき寄せる。若し動物が果実を運搬してくれなかったり、間抜きをしてくれなかったりしたら、同じ狭い面積に、多数の種子や苗が重り合って、同類相互に殺し合って、種属の播殖が出来ないので、種子を適当にバラ播いて貰ったり、間抜きをしてもらったりする。その代りに美味の果汁果肉や、葉根等を動物に与えるのである。そのために、種子の熟した頃になると果実を鳥獣に目立つところの赤や黄や紫に色どって彼らの目を引くのである。若し鳥獣人間等が適当な時にそれを捩ぎとってくれなかったら失望したかのようにみずから腐り落ちる。植物はまた余り茂りすぎると、通風と日当りが悪くなり却って枯死するので、剪定と云って枝を切って、通風と日当りをよくしてやると却って元気になる。それは吾らが爪を切るのと同じ様に痛覚細胞がないので痛みを感ぜず、しかして吾々に薪炭の材料を供給してくれるのである。それゆえ吾々が植物の果実や枝や葉や根などから食物や薪を得ることは残忍ではなく、これは相互扶助だとも言い得るのである。
 されば吾々が愛ふかく、残忍性少なき食物としては植物食が最もよいのであり、動物食をとるならば、痛覚細胞のあまり発達していず苦痛を感じる度の少ない軟体動物の如き下等動物又は小魚の如き幼若な動物を食する方が好いのである。〈なまこ≠フ如きは腸を針金で引きずり出してこのわた≠ニ称して食し、あとを海中へ放り込んで置くと、そのまま腸が再生する。人間のように痛みを感じないらしいのである〉牛馬等の高級動物は人間に類似して、死に対する恐怖又は嫌悪を感じて屠殺場に行くときに涙を流して行きたがらない有様を示すのもある。かくの如き動物を殺し又は殺さしめて食することは甚だしい残虐であるから私は避けられるならばそれらの食を避けたいと思うのである。
 この問題に連関して、或る日道場からの帰りに私を追いかけて来た一人の青年が、『食物は動物食を食べなければ、食べないで生活出来ますけれども、社会生活を送っている上から革靴等は穿かずに生活することは出来ません。しかし皮靴を穿けばやはり動物を殺さねば皮は得られませんから、肉は食わなくとも殺生をすることになると思います』と真摯な面持ちで私にたずねかけたのである。その青年の足もとを見ると皮の靴をはいていた。
『それは君が決心すれば、下駄を穿いて出勤すると云うこともできます』と私は自分が穿いているゴム靴に眼を落しながら 『僕の穿いているのも動物性ではありません。』
『しかし下駄穿きでは事務所へ入ることは出来ません』 とその青年は云う。
『君が決心が出来れば、途上は下駄を穿いて往って、事務所は上草履を穿くことも出来ます』
『だけどもそう云う下駄も上草履も得られなければ・・・?』
『それは君の決心一つで、跣足ででも生活出来るのです。一度そこまで人間は真剣に自分を追いつめて考えて見ることが必要です』
 私の心の中には、過去の青年時代の自分が浮び上がって来た。空気を吸っても、空気中の微生物を殺さねばならぬし、道を歩いても無数の昆虫その他の小さな虫を踏み殺さねばならない。思えば息を吸うことも、水を飲むことも、歩むことすらも出来ない世界に窒息しそうなその頃のひたむき≠ネ自分を思い出したのである。
『・・・・そうして出来るだけ自分を追いつめて往って、もう二進も三進も行かなくなったとき、詫びつつ祈り祈りして生活する。兎も角殺生を正面から肯定しては可けない。そこから忽然別の世界がひらかれて来るのですよ。殺し合いだと見えた世界が殺し合いの世界でないとわかって来る。生命は互に問題と問題を提供しつつ生かし合っている。生命は死なない、永遠に死なないと云うことが解って来ます。色々の問題、切実な悩みは、それを解決しようと努力することによって、魂が進化し向上するための課題だとわかってまいります。 あなたの靴が牛革か馬革か知りませんが、牛も馬も生命は死なないとしたならば、それは殺生ではない、ただ牛や馬の生命が自分の生命力で造り出し、或る期間つかい古したこの「皮袋」を、二度のお役に人間のためにつかうと云うことになるでしょう。若しあなたが偉大なる聖者になれば、聖者の靴となて自分の屍を捧げたいと云うのがその牛馬の魂の本心の願いではありますまいか。聖者の役に立つと云うことによって其の功徳によってその牛馬の生命も異常に進化する。法華経の中には仏に自分の身体を献げることが無限の功徳であると云って、自分の全身に香油を潅いで燃やしたら八万四千歳の間燃えていて、燃えつきると同時に忽然と新生している一切衆生憙見菩薩(きけんぼさつ)の事が書いてあります。あなたの生命は真に仏になるならば、どんな革靴を穿いても、肉食をしても、それは却って偉大なる功徳をほどこすものとなる。形を見れば同じ肉食であり、革靴をはくのであるかも知れぬが、外形だけを見て判断してはならない。とも角、君の地上生活が偉大になり、浄まり、多くの人々を救い得る人となれば、あなたの地上生活を維持するために必要な一切の行為は浄まったものとなる。まず自分が浄まることが大切だ。』
新版『幸福生活論』 人生研究ノート 186 〜197P


(40035)
日時:2021年03月30日 (火) 19時48分
名前:閲覧者

【・・・・吾らは一切の獣肉食、鳥魚食等からなるべく遠離することが宗教的に必要なのである。否、実相世界に於いては「一切の生物処を得て、相食むものなき」状態であるから実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。‘自然に’食べたくなくなると、‘自然に’食膳に上らなくなることなどがそれである。それは‘自然に’であって、実相の顕現は‘自然に’それがあらわれるのである。併し、‘自然に’肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。/雅春先生


ここに
「実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。」

と言われていますが、志恩さんを見れば明白でしょう、夏にはバーベキュウを家族でしているそうです。昔の教えで実相を生きていますという人にして、自然と肉食から遠ざかる様にはなっていません。

つまり自己に好ましい状態が現れることが実相顕現であって、肉は美味い、という感覚が自然となくなりはしないということを示しています。

そういう意味で、生長の家本来の教えに帰れば、肉食が止まり戦争の危険度が下がることへの貢献が増すということにはならないと言えます。でありますから外国の内政をとやかく云う暇に、脚元国内の政治を変えることが先なのです。

本来の教えを実践して、つまるところ日本人の性状(明治以前の山が意外ではほとんど肉食していなかった頃の穏やかな)が良くなるのか、生長の家の現実からすればとてもじゃないが良くなると思えません。


>つまり自己に好ましい状態が現れることが実相顕現であって (40036)
日時:2021年03月30日 (火) 20時48分
名前:本音の時代

これはきっと間違いですね。
実相顕現がどういうものなのか、私はうまく説明できませんので、自分で調べてください。


江戸時代も実際には日本人は肉食していたそうですし、縄文時代から肉食の無い時代は、なかったそうです。 (40038)
日時:2021年03月31日 (水) 01時04分
名前:志恩

>>江戸時代の肉食よりー

「肉は薬?」

江戸時代に彦根藩は将軍家に対して
「薬用牛肉」なるものを献上していたという記録がある。
牛肉の味噌漬けを、将軍家などに贈っていた。
薬という「隠語」を用いて肉食を行っていた。

(江戸時代は、冷蔵、冷凍、が ない時代でしたので、
肉は、保存のため、味噌漬け、塩漬け、干し肉にしていたそうです。)


江戸時代において肉食は基本的にはタブーであった。
しかし、生類憐みの令が施行された期間を除けば
犯罪とまではいかない。

そのため、庶民も広く肉を食していたようだ。
特に都市部以外では、自分たちで狩った野生動物の肉を
食べることに抵抗がなかった。

庶民は、猪、鹿、兎、キジ、鷹、などを狩猟して肉を食べていた。<<


志恩ー
江戸時代は
庶民の口には、牛肉は入らなかったそうですが、
その代わりに、庶民は、狩猟した獣肉、鳥肉を、食べていたそうです。
江戸時代に限らず、古代から、肉食は、していたそうです。

ですから肉食しなければ、戦いが起こらないか、といいますと、
そうとは限らないと思います。

日本では、江戸時代は、海外との戦争はしていませんが、
江戸時代を描いた浅田次郎の小説「壬生義士伝」を読みますと、
武士たちは、平気で人間の試し斬りをしていましたし、国内での
殺し合いは、頻繁に起こっていました。つまり、戦いは常に
ありました。

谷口雅春先生のお言葉に

「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」
というのがございますが、

それも、その通りだと存じますが、

もう一方で、
私のように、悟りを開いていないものでも、

年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるように思います。


谷口雅春先生は肉食についての著書も、確かに出版されてますが、
谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代は、本部講師の皆様も
信徒の皆様も、普通に肉も 礼拝されて召し上がっておられました。

今の、三代目の雅宣総裁ご夫妻のように、肉食禁止を 教えの運動方針の
前面に出されますと、若い方々は、生長の家に近づくと、肉が食べれなくなる
というわけで、なかなか、生長の家に入信されないと思います。

この、頑なな考え方を、押し通されますと、生長の家は持たないと思います。



【実相が顕現するに従ってといいますよりも】 (40039)
日時:2021年03月31日 (水) 02時19分
名前:閲覧者

谷口雅春先生のお言葉に
「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」

というのがございますが、

【実相が顕現するに従ってといいますよりも】、年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるということのように思います。
_______________________________________________________________________

どんな理屈を言ったところで、これでは

先生の述べたことよりも、志恩さんの言うことが真理であると言っていることになります。

この様な人を作るのが光明化運動と言うのならまっぴらでです。


(40040)
日時:2021年03月31日 (水) 03時49分
名前:意見

谷口雅春先生
る。だから現象本来無しとわかるまでは殺生の業はつぎの殺生を生む。人類が肉食をして〈換言すれば人類が殺生によって〉生を保つかぎり、人類相互の殺し合いも休むことがない。戦争の根本原因は爰にあると考えざるを得ないのである。
 だから、現象本来無しとわかるまで生き物を殺して、又は捕殺せしめて食べない方が好い。それは殺生の業を輪転せしめる事になるからである。私は『生命の實相』の中で、肉食厭離の心を起さしめるためにトルストイの肉食反対論や屠牛場の悲惨な光景を書いた。現象無しと悟れば凄惨なる屠牛場の光景もない。肉食していると云うこともない。それはただ夢中に幻を見ているのと同じことであるから、一休和尚が般若心経をとなえながら平然と魚を食って、しかも、此の魚はこれで成仏していると云い得る境地になれるでのであろう。しかし、かかる悟りと心境になれないで、ただ習慣で生き物を食う故に、凄惨な気がしないだけであるならば、それは平俗な殺生の肯定であり、戦争するのが習慣になった軍人が平気になっているのと同じであって、「本来殺生なし」の悟境ではない。


志恩さん
江戸時代は
庶民の口には、牛肉は入らなかったそうですが、
その代わりに、庶民は、狩猟した獣肉、鳥肉を、食べていたそうです。
江戸時代に限らず、古代から、肉食は、していたそうです。

ですから肉食しなければ、戦いが起こらないか、といいますと、
そうとは限らないと思います。

日本では、江戸時代は、海外との戦争はしていませんが、
江戸時代を描いた浅田次郎の小説「壬生義士伝」を読みますと、
武士たちは、平気で人間の試し斬りをしていましたし、国内での
殺し合いは、頻繁に起こっていました。つまり、戦いは常に
ありました。



生長の家三代目総裁
肉食をやめよう

を推奨中ですね。
肉食強制でしょうか、そうは思いませんが。
誤解では?


閲覧者さん (40041)
日時:2021年03月31日 (水) 06時18分
名前:志恩

私の書き方が、谷口雅春先生の言われることよりも、
志恩がいう方が正しいみたいな、誤解を招く書き方を
してしまいまして、申し訳ございませんでした。

谷口雅春先生、閲覧者さん、ごめんなさい。

以下に訂正します。
40038の方も、いまから訂正します。

【谷口雅春先生のお言葉に

「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」
というのがございますが、

それも、その通りだと存じますが、

もう一方で、
私のように、悟りを開いていないものでも、

年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるように思います。】
_______________________________________________


生長の家総裁谷口雅宣先生ご夫妻は、このように理由を掲げられて、ご著書でも、ご講演会でも、強力にノーミート運動を推進されてます。 (40042)
日時:2021年03月31日 (水) 06時59分
名前:志恩

生長の家総裁 谷口雅宣先生の著書『足元から平和を』より

我々日本人を含む先進諸国の人たちが家畜や家禽や養殖魚を食べるために、世界の穀物の35.5%が人間以外の動物の口に入るという結果になっている。それだけの量の穀物を、動物にではなく人間に与えれば、地球上の飢餓の問題はほとんどなくなるはずです。もちろん私たちは、これを意識してやっているわけではない。つまり、貧しい国の人々を飢えさせるために肉食をしているわけではないけれども、結果的には、我々先進国の肉を食べる人たちが、貧しい国の人たちの穀類を奪うことになっているわけです。

今、菜食に切り替えようとしている人たちの中には、そういう地球規模の問題を考えている人が多いのです(168頁〜169頁)               

志恩ー

食肉用の牛や豚にふんだんに与えられる穀物のせいで、
飢餓と空腹の為に多くの命が消えているということが書かれています。

ご著書の中だけではなく、日本各地で開催されていた
生長の家のご講演会でも、ノーミートのお話は、必ず、されてます。

数年前、雅宣総裁ご夫妻はブラジルへいらして
「世界平和のための生長の家国際教修会」が開催されました。

 「食事と世界平和を考える」というテーマで開催されましたが、

そしてその時の資料によれば、その時も、
肉食の弊害を次のようにご指導されました。

白鳩会総裁・谷口純子先生は、この教修会において、
肉食の弊害について次の6つを挙げられました。

(1)同じ人類の食料を奪う…(発展途上国の人々の食料を奪う)

(2)動物の命を奪う   …(すべては神の生命において一体である)

(3)森林破壊      …(穀物飼料栽培のため、また放牧のために森林を伐採し、農場や放牧地にする)

(4)環境汚染      …(約1sの肉の生産には、飼料となる穀物の栽培、放牧地の灌漑と家畜の排泄物を洗うために、約2万リットルの水が必要となる。その結果一層の水不足を招く)

(5)貧富の格差から憎悪が生まれる(発展途上国の人々の主食であるトウモロコシが、先進国の人々の肉食のために使われるため、トウモロコシ等の穀物の値段が高騰し、充分な食料が手に入りにくくなり、飢餓を生じる。その原因は先進国の人々のライフスタイルにあるため、そこに、憎悪が生まれる)

(6)メタンガスの発生  …(温室効果ガスはCO2の23倍のため、地球温暖化につながる)

「信仰心を持って神の御心を生きる者として、自他一体の自覚を深め、肉食削減に努め、世界平和実現を目指しましょう。肉食を減らすことは、愛行です。」とご指導されました。


私たちが人間として生活するうえで、食事は一番身近なものです。
私たちは、日々の食事に際して、人から奪わない、動物から奪わない食事を心がけ、
神の御心を現していきましょう!とご指導されました。

https://www.ssfk.or.jp/p/a/575919.htm

志恩ー

しかし、世界の飢餓の理由は、私たちが肉食をしているからでは無いという
ことが、最近の環境問題で、言われるようになりました。

私たちが肉食をしているから、そのために、食糧が不足しているのでは無いと
いうことが、明らかにされるようになっております。

食べ物自体は、不足しているのでは無い。

山のように食糧が、飢餓で困っている国に届いているのだが、それを
そこまで届けるというルートが大きく不足しているのが、
飢餓が続いている理由だということが、言われるようになりました。

環境問題は、たびたび申し上げますが、日進月歩しております。

谷口雅宣先生と純子先生が述べられていらした
「肉食=世界の飢餓」のことは、過去に環境問題の専門家たちが述べられていた ことで、
これは、過去の情報です。

今は、飢餓問題は、ノーミートとは、別の理由が、あげられるように
なっているということも 事実です。

ですが、世間の皆様や信徒の皆様から見ましたら、いまだに、
生長の家教団上層部は、
「肉食=世界の飢餓」のためのノーミート運動を推進していると
とらえていると思います。











閲覧者さん (40043)
日時:2021年03月31日 (水) 07時55分
名前:志恩

閲覧者ー

>>略

ここに
「実相が顕現するに従って、かかる食物から自然に遠ざかる様になるものである。」(谷口雅春先生)

と言われていますが、志恩さんを見れば明白でしょう、夏にはバーベキュウを家族でしているそうです。昔の教えで実相を生きていますという人にして、自然と肉食から遠ざかる様にはなっていません。<<

志恩ー
それは、古くから入信しているくせに
私がいまだに悟っていないからだということも言えますが、

肉食を別に考えれば、

長年、どれだけ、おりに触れことに触れ、教えのおかげで
救われてきたか、しれません。

私は娘時代から、
自然食の東條百合子さんの信奉者でしたので、
娘時代から、玄米菜食を実践し、ノーミートにも、はまっていた
ことがありました。

結婚後も、自分だけは、それらを実践していました。

結婚後は、自分だけは玄米を食べ、
玄米嫌いな夫には白米を炊いて
夫は白米を食べて、という具合に私は、自分だけは、
実践していましたが、子供たちが生まれてから、自分の考え方を
変えたのでした。

日々、ノーミートにすることも玄米食にすることも、やめました。
時々、玄米を炊いてて、子供たちに食べさせてはいましたが、

その代わりに
化学肥料を使わないで育てた、肉や、野菜に、こだわって、
おやつは、なるべく手作りにして、子供たちを育てました。

それから、志恩さんは、夏は庭でバーベキューをしていると
書いていらっしゃいますが、

私ではなく、娘夫婦である若夫婦がしているのです。
私は、その時、お相伴にあづかっているだけです。

炭火で焼いてくれているのはいつも義理の息子ですが、
牛肉や豚肉は、焼いていませんよ。

肉は、鶏肉かラムです。

ですが、私が魚の方が好きなのを知っていますから、
サンマ、サバ、アジ、イカの一夜干し、などを
私には、焼いてくれています。




 (40048)
日時:2021年03月31日 (水) 19時00分
名前:素朴な疑問

>谷口雅宣先生と純子先生が述べられていらした
「肉食=世界の飢餓」のことは、過去に環境問題の専門家たちが述べられていた ことで、これは、過去の情報です。


そうですか。
志恩さんの認識ではこの情報は間違っているという事で了解です。


>自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。


この雅春先生のお考えはどう思われますか。



>生長の家総裁谷口雅宣先生ご夫妻は、このように理由を掲げられて、ご著書でも、ご講演会でも、強力にノーミート運動を推進されてます。
日時:2021年03月31日 (水) 06時59分
名前:志恩


強力にノーミート運動を推進されています。″

積極的に推進という事イコール強制ではありませんね?
上記、開祖の御考えを実行している事に何か引っ掛かります?
志恩さん自身は食している、それでいいじゃありませんか?

ノーミート運動は強制ではないですが (40050)
日時:2021年03月31日 (水) 20時06分
名前:本音の時代

「今の、三代目の雅宣総裁ご夫妻のように、肉食禁止を 教えの運動方針の前面に出されますと、若い方々は、生長の家に近づくと、肉が食べれなくなるというわけで、なかなか、生長の家に入信されないと思います」
と志恩さんが書いていますが、肉食をやめられない自分も近づきにくいと感じました。
近づきにくいと思っている人をどのようにして生長の家に近づけるのか。そこのところはどうなっているのでしょうか?

今さっき、『世界の飢餓の原因は?』で最新情報を調べてみましたが、肉食が原因だなんて書いてあるところは、ただの1つもありませんでしたよ。 (40051)
日時:2021年03月31日 (水) 20時50分
名前:志恩

世界の飢餓の原因を知ろう。
https://gooddo.jp/magazine/hunger/

志恩ー
それで、アフリカなどの飢餓地帯に、膨大な量の食糧支援物資が全世界から
寄せられているそうなのですが、大きな港だか空港までは 届いているのだそうですが、
なにせ、日本と違って、交通網ができていないし、広大な土地の 国なので
飢餓の人たちのところへ、実際に配達するルートがないことが、飢餓が続いている
原因なのだ、ということが報じられておりました。

素朴な疑問さん (40053)
日時:2021年03月31日 (水) 21時53分
名前:志恩

>自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。<
(素朴な疑問ー)
>>この雅春先生のお考えはどう思われますか。<<

志恩ー
谷口雅春先生のように大悟されたお方ですから、真理を語られると
同時に現象世界の、肉食のことにも触れられまして、

ご自身も、肉食は極力避けられて生きていらしたのだと存じます。
仏教でいえば、修行僧のような生き方を されていらしたのだと存じます。

しかし、雅宣先生は、谷口雅春先生が説かれた重要な数々の真理の中から、

ご自分たちが、これだと思われた「ノーミート」のみに、焦点を当てられまして

他の真理は、受け継がず、こればかり、運動の中心の1つに入れて推進されておられます。

創始者であらせられました谷口雅春先生は、と申しますと、

谷口雅春先生は、総裁先生時代には、本部講師の皆様や
信徒の皆様に、
「だから、あなたたちも 私と同様に、肉食はすべきでない」とか
「あなたたちも肉食は極力控えるように」などと、おっしゃったことは、
私の記憶の限りでは、一度もございませんでした。
ご自分だけで、ひっそりと実行されておられたお方でした。

雅宣先生は、今、69歳ですが、今年の12月で70歳になられますが、
今は奥様の作られるノーミート
の生活を続けられて、本当は大好物だったお肉を召し上がらなくなって、
これで たしか、十数年目になられるのですよね。

雅宣先生が以前、書いていらしたご文章で、どこに書いてあったか
探したのですが、見つかりませんけれど、本当は、お肉が大好きで、
肉ばかり たくさん食べていたので、痛風でしたでしょうか、
何かの重い病気になってしまったので、それをきっかけに、
病気治癒のために、お肉を食べるのをやめたのですよね。

ということは、しばらく前までは、雅宣先生ご夫妻は、
ノーミートでは なかったということです。

で、ノーミートは、飢餓を救うと、だいぶ以前に、世間で、言われていましたので
環境問題のこととマッチしていましたので、

雅宣先生ご夫妻は、信徒の皆様にも  全組織を通じて、
環境問題とノーミートを結び付けて、ノーミートを 生長の家の運動の1つに取り入れられまして
強力に推奨されるようになられたのだと推測いたしております。

肉ばかり食べていますと、なぜ、アレルギーとか痛風とか
その他の病気になりやすいかと言いますと、牛も豚も鶏も、狭いオリや柵の中に
押し込められて、自由を束縛し、ストレス過大にしておいて、その上に、
早く、大きくして食肉にするために、餌に、大量の抗生物質や化学肥料を
投入しているからだと言われています。

ですから、私たちが健康で生きていくためには、
食べたい時は、肉も適度に食べていいのですが、化学肥料や抗生物質を
与えない天然の肥料で育てた、もしも鶏でしたら、なるべく放飼で育てた
健康な鶏の鶏肉を、買って食べれば、われわれは、健康でいられるのだと思います。

肉を食べるな、ではなく、

化学物質や抗生物質を使わずに育てた肉を買いましょう。
(どこのスーパーでも売っていますから)
健康保持のためには、
肉を食べる場合は、なるべく、肉は少なめに、野菜を多く食べましょう。
と推奨された方が、若者たちも生長の家を、理解してくれると思います。




 (40059)
日時:2021年04月01日 (木) 18時59分
名前:素朴な疑問

私の志恩サンへの素朴な疑問はこうでした。


日時:2021年03月31日 (水) 19時00分
名前:素朴な疑問

>谷口雅宣先生と純子先生が述べられていらした
「肉食=世界の飢餓」のことは、過去に環境問題の専門家たちが述べられていた ことで、これは、過去の情報です。


そうですか。
志恩さんの認識ではこの情報は間違っているという事で了解です。

〜〜〜〜1件落着。



『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。』


この雅春先生のお考えはどう思われますか。

〜〜〜〜

志恩ー
谷口雅春先生のように大悟されたお方ですから、真理を語られると
同時に現象世界の、肉食のことにも触れられまして、
ご自身も、肉食は極力避けられて生きていらしたのだと存じます。
仏教でいえば、修行僧のような生き方を されていらしたのだと存じます。


その雅春先生が、

『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。』


と、我らに仰っているわけです。


=====================


>生長の家総裁谷口雅宣先生ご夫妻は、このように理由を掲げられて、ご著書でも、ご講演会でも、強力にノーミート運動を推進されてます。
日時:2021年03月31日 (水) 06時59分
名前:志恩


強力にノーミート運動を推進されています。″


積極的に推進という事イコール強制ではありませんね?
上記、開祖の御考えを実行している事に何か引っ掛かります?
志恩さん自身は食している、それでいいじゃありませんか?


〜〜〜〜〜という素朴な疑問。

雅宣総裁がどうしたこうしたの志恩サンの捉え様を聞いているので
無く、貴女サマが何故肉食を続けているのか聞きたいのでも無く、
総裁がこの雅春先生の御考えを継承実行している事実に、何故文句たらたらなのであろうか・・・。(肉食一点の話です。)
貴女サマは貴女サマの思う道をそのママ、素直に歩いてゆけばいいではありませんか。という話です、終わり。

素朴な疑問さん (40060)
日時:2021年04月01日 (木) 19時16分
名前:志恩

雅宣先生は,谷口雅春先生が肉食を控えるようにと
著書に書かれたから、十数年まえに、大好物だった
肉を食べるのをやめたんじゃなくて、

肉ばかり食べていたせいで、痛風とやらの病気になったから、
肉が食べられなくなったから、
谷口雅春先生の教えにかこつけて、肉食をやめたんじゃないの?

環境問題にもむすびつけて...。


 (40061)
日時:2021年04月01日 (木) 19時34分
名前:素朴な疑問

肉ばかり食べていたせいで、痛風とやらの病気になったから、
肉が食べられなくなったから、
谷口雅春先生の教えにかこつけて、肉食をやめたんじゃないの?
環境問題にもむすびつけて...。


=================
志恩さんのこういう言葉。
少なくとも私の知る生長の家人の考え方では無いご心境のようです。毎日、聖経読誦や神想観をマンネリで無く続けている方々から、こういった言葉は…。
身・口・意を統合し、まず、自らの光明を自ら引き出す教えであるはずです。

 (40064)
日時:2021年04月01日 (木) 20時33分
名前:閲覧者


『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。ただそれには強固なる意志と大いなる勇気とを要する。』


この雅春先生のお考えはどう思われますか。

〜〜〜〜

志恩ー
谷口雅春先生のように大悟されたお方ですから、真理を語られると
同時に現象世界の、肉食のことにも触れられまして、
ご自身も、肉食は極力避けられて生きていらしたのだと存じます。
仏教でいえば、修行僧のような生き方を されていらしたのだと存じます。
_____________________________________
谷口雅春先生のように大悟されたお方ですから

そんな人が

ご自身も、肉食は極力避けられて生きていらした
仏教でいえば、修行僧のような生き方を されていらした

修行僧のような生活をしていたとは、日本語の意味不明です。

相変わらずの質問者の意図とかけ離れた返事ですね。
(40061)の素朴な疑問さんに同意です。


素朴な疑問さん (40065)
日時:2021年04月01日 (木) 20時37分
名前:志恩

人間は、時には、病気にも有難い気付きをいただくからですよ。
もしも雅宣先生がお肉を食べ過ぎていなくて
お肉をたくさん食べていたせいで、病気にならなかったら、
お肉をやめようと思われなかったかもしれないじゃないですか。

それは、あなた様の身近な方々は、あなたに、おっしゃるわけないです。



閲覧者さん (40067)
日時:2021年04月01日 (木) 21時09分
名前:志恩

(志恩ー)
>>谷口雅春先生のように大悟されたお方ですから、真理を語られると
同時に現象世界の、肉食のことにも触れられまして、

ご自身も、肉食は極力避けられて生きていらしたのだと存じます。
仏教でいえば、修行僧のような生き方を されていらしたのだと存じます。<<


志恩ー
谷口雅春先生は、仏教でいえば、修行僧のようにとは、

仏教の修行僧は、毎日、精進料理を食べていて、
肉食はしませんよね。

そして毎朝、朝早く起きて、座禅をし、読経をし、仏様に
祈りを捧げますよね。

そのように という意味です。

谷口雅春先生は、師であられながら、
生長の家の教えを学び実践される信徒のお一人として、
ご自分を律して生きていらしたお方でした。

という意味です。



 (40068)
日時:2021年04月01日 (木) 22時45分
名前:閲覧者

それは、あなた様の身近な方々は、あなたに、おっしゃるわけないです。/志恩さん


「あなた様」って知ってる人なんですか?

思い込み200%な発言かなぁ〜、ここまで来ると、あ〜あ

ノーミートについての信徒のブログ (40071)
日時:2021年04月02日 (金) 00時08分
名前:トキ掲示板ブログ観察班

肉食を止めないでください
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/36019156.html
大半の会員は従っていません
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/65961961.html
教団の行事では本部主催でも
https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/04/01/122230

 (40073)
日時:2021年04月02日 (金) 03時48分
名前:感想

>谷口雅春先生は、師であられながら、
生長の家の教えを学び実践される信徒のお一人として、
ご自分を律して生きていらしたお方でした。

という意味です。(志恩)

―――――――――――――――――――――――――



その雅春先生が我らに

『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。』


と、我らに仰っているわけです。(素朴な疑問)

――――――――――――――――――――――――――

肉ばかり食べていますと、なぜ、アレルギーとか痛風とか
その他の病気になりやすいかと言いますと、牛も豚も鶏も、狭いオリや柵の中に押し込められて、自由を束縛し、ストレス過大にしておいて、その上に、早く、大きくして食肉にするために、餌に、大量の抗生物質や化学肥料を投入しているからだと言われています。

ですから、私たちが健康で生きていくためには、
食べたい時は、肉も適度に食べていいのですが、化学肥料や抗生物質を与えない天然の肥料で育てた、もしも鶏でしたら、なるべく放飼で育てた健康な鶏の鶏肉を、買って食べれば、われわれは、健康でいられるのだと思います。(志恩)

――――――――――――――――――――――――――

『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。』谷口雅春尊師


雅春先生は吾々の肉体の健康保持の為にこう言われたのか、
生長の家道を生きるに言われたのか。
だから志恩様は志恩様の思う道を生きられよと皆言ってる。





感想さん (40074)
日時:2021年04月02日 (金) 05時14分
名前:志恩

閲覧者、素朴な疑問、意見、感想、...と、
次々にハンドールネームを変えて出ていらしても、

谷口雅春先生の昔、書かれた
数多くございます「神の子人間」の眞理のご文章ではなく、

現象世界の食生活の部分の
ご自分にとって都合のいい、一文章だけ、ピックアップし、転載し、
だから雅宣先生ご夫妻のされてるノーミートを強力に推奨している運動は、

谷口雅春先生が言われたことをやっているのだから、正しいのだ。

志恩さんの方が間違っているのだ。

志恩さんは、谷口雅春先生がおっしゃっていたことに逆らって
古い信徒のくせに、まだ肉を食べていて、
肉は、食べてもいいのだと言ってるのだから、志恩さんは、
志恩さんの雅春先生の教えに逆らった生き方を
今後もしてゆけばいいでしょう。

と、そのように、あなたはおっしゃっている。

次々に HNを変えて、出てこられましても
おっしゃっている内容は同じですから、
たとえ、名前は変えて書かれましてもね。
同じお方だということは、
私はもう、トキ掲示板に 10年前からおりますから、
いくら私が にぶい人間でも、あなた様の手法や、あなた様の手の内は、
わかっておりますよ。笑

そして、「人間が、肉食しているために、世界の飢餓が続いているのだ」
というご主張も、

これは、昔、環境問題の専門家が言ってた
世界の飢餓についての古い情報ですのに、今でも、
頑固にそれにこだわられていて、

谷口雅宣先生も、純子先生も、今後も、相変わらず、変更せず、
主張され続けられることでしょう。

たとえ、世間の若者たちや現信徒の青年会の若者の皆様が、
その今や化石となった「肉食=世界の飢餓の原因」主張を 読み、聞き、
あきれて生長の家から遠ざかろうとも、
たとえ、生長の家が、今後、そのために、もたなくなろうとも、そのような
人間世界の現実は 無視し続けられまして、かたくなに、主張され続けられる
ことでしょう。

なぜ、私が、そう思うかと いいますと、

白鳩会総裁・谷口純子先生が、最近、刊行された
ご著書『森の日ぐらし』を、私は、Amazonコムから購入しまして
すでに、拝読いたしておりますが、

この本にも
「肉食が世界の飢餓の原因である」ことが
しっかりと主張されているからです。

このご著書の内容につきましては、
谷口雅宣先生ご夫妻、そして、生長の家本部もそうですが、

東京の原宿から北杜市南山麓に、総裁邸は、その地の今泉に
越して
8年目になるそうですけれど、

足元にある暮らしに喜びを見つけて生きていらっしゃる
谷口雅宣総裁先生と、純子先生のご様子が
純子先生の手で、生き生きと描かれており、
ノーミートのレシピ12品、
季節に寄り添うエッセイ19本、
森での暮らしを紹介するコラム6本、
が載っています。

そしてこの本を 特に若い人たちに推薦する
と述べられている
谷口雅宣総裁の推薦の言葉も載っています。

この著書の全体の印象としては、ほのぼのとした
森の暮らしを描いた良書であると存じます。


しかし、
先に書きましたように、
やはり、この本の中でも
世界の飢餓の原因は、われわれ人間が肉食を
しているからだと、明記していますから、このノーミートの運動方針は、
今後も、生長の家の教団として、
雅宣総裁ご夫妻は、変更されないのだな、と痛感しました次第です。

(この本の編集者であり、企画者は、
次期総裁の最有力候補と言われているご夫妻のご長女で、
北杜市の国際本部 クロスメディア勤務である
谷口暁子本部講師補で、いらっしゃるそうです。)

136頁の「心の声」のところに、著者・谷口純子先生は
次のように書かれています。

>>略
科学の進歩と技術革新で、第二次世界大戦後は大量の
食糧生産が可能となった。現在の世界では、地球上で
生きている人間を養うだけの生産ができる。

ところがここに 厄介な問題が生じている、
人間の主食である穀物を、穀物が主食ではない動物に与えて
肥育し、その動物の肉を 人間が食べるのだ。

その結果、人間用の穀物が不足し、市場原理で穀物価格の
上昇をきたしている。貧しい人たちが穀物を買うことができず、
飢餓の問題が一層深刻化している。<<

と。






 (40075)
日時:2021年04月02日 (金) 06時42分
名前:志恩

たぶんでは ありますが、
谷口雅宣総裁先生は、

【肉を 食べないのではなく、
肉を 食べれなくなった。】
のである。

なぜなら、今から十数年前までは、
雅宣先生は、
ほんとうは肉が、大好物だったので、肉ばかり食べていた。
そのために、
重い痛風という病気になってしまいました。

で、大好きな肉を、これ以上食べると、病気が悪化して
死んでしまうかも
しれないと思われまして、仕方なく、肉 断ちをし、
ノーミートの暮らしに入られました。

その時がきっかけで、
谷口雅春先生の肉食は控えるようにという教えを
思い出し、

その当時は、肉食は全世界の飢餓の原因であると
環境の専門家が言っていた時期でしたので、
ノーミートは、環境問題と、マッチすると思われまして、

全信徒たちにも組織を通じて、環境問題の一環として、
肉食は控える運動を推奨され始められました。


 (40077)
日時:2021年04月02日 (金) 07時17分
名前:感想

感想さん (40074)

日時:2021年04月02日 (金) 05時14分
名前:志恩

閲覧者、素朴な疑問、感想、...と、
次々にハンドールネームを変えて出ていらしても、

谷口雅春先生の昔、書かれた
数多くございます「神の子人間」の眞理のご文章ではなく、



志恩様は、いつからかトキ管理人になっていたのかね。
全て合っているなら、管理人しか分からないことである事に言及。
メールで問い合わせたとしても、当方の投稿は3:48、志恩さんの
この決めつけ投稿は5:14、この時間差の間w
あれほど千葉教区青年会会員さんが、H君のなりすましだと多くの
投稿者を決めつけても、そうでは無いと否定しなかった管理人様が
唯の一投稿者である志恩様からの問い合わせに答えるとは理屈が
通らない。トキ管理人様はいつの頃から交代しましたか?
それとも志恩様のゲ✘のかんぐりか。



>【実相が顕現するに従ってといいますよりも】 (40039)
日時:2021年03月31日 (水) 02時19分
名前:閲覧者

谷口雅春先生のお言葉に
「実相が顕現するに従って、
かかる(肉食)食物から自然に遠ざかる様になるものである。」

というのがございますが、

【実相が顕現するに従ってといいますよりも】、年を重ねるに従って、
だいたい人間のからだというものは、肉より、魚を好むようになるように
出来ていますから、自然と肉から遠ざかって、魚や野菜という和食を
好むようになるということのように思います。
_________________________________________________________________

どんな理屈を言ったところで、これでは

先生の述べたことよりも、志恩さんの言うことが真理であると言っていることになります。

この様な人を作るのが光明化運動と言うのならまっぴらです。<


当方もこういう意見に同調しています。







 (40078)
日時:2021年04月02日 (金) 07時35分
名前:感想

>谷口雅宣総裁先生は、

【肉を 食べないのではなく、
肉を 食べれなくなった。】
のである。

なぜなら、今から十数年前までは、
雅宣先生は、
ほんとうは肉が、大好物だったので、肉ばかり食べていた。
そのために、
重い痛風という病気になってしまいました。

で、大好きな肉を、これ以上食べると、病気が悪化して
死んでしまうかも
しれないと思われまして、仕方なく、肉断ちをし、
ノーミートの暮らしに入られました。

その時がきっかけで、
谷口雅春先生の肉食は控えるようにという教えを
思い出し、

その当時は、肉食は全世界の飢餓の原因であると
環境の専門家が言っていた時期でしたので、
ノーミートは、環境問題と、マッチすると思われまして、

全信徒たちにも組織を通じて、環境問題の一環として、
肉食は控える運動を推奨され始められました。<


雅宣総裁は十数年前まで「肉ばかり」食されていたのか。
「痛風」という診断名の重い病気の原因は、肉の摂取過多なのか。
そして雅宣総裁もそう信じているのか。

>で、大好きな肉を、これ以上食べると、病気が悪化して
死んでしまうかも
しれないと思われまして、仕方なく、肉断ちをし、
ノーミートの暮らしに入られました。

その時がきっかけで、
谷口雅春先生の肉食は控えるようにという教えを
思い出し、<


志恩様の、稚拙な創作劇にみえますよw
志恩様のその目に映る経緯は事実かどうか。


「たぶん」の話でしょう (40079)
日時:2021年04月02日 (金) 07時56分
名前:本音の時代

志恩さんの投稿は
「たぶんでは ありますが、
 谷口雅宣総裁先生は、」
で始まっていました。

しかし、
総裁は肉食をしていたが、結果的には肉食をやめた。
痛風の既往歴がある。
というのは事実のようです。

「肉離れ」 (40080)
日時:2021年04月02日 (金) 07時59分
名前:志恩

トキ管理人さんへは一度も問い合わせなど致しておりませんよ。
私は、よく間違える性格ですから、次々に同じことを言われるお方が
HNで出てこられますので、わたしの予想は違う場合もございますが、
7割、8割方は、あっていると思います。

志恩さんのは、ゲスの勘ぐりだと、あなた様がおっしゃるのでしたら、
それは、あなた様の考え方です。

それから最近、谷口雅宣先生は、自転車に乗っている時に
「肉離れ」を足の部分に起こされたそうですが、正直に言われたのは
いいことだと存じました。
全治されたそうで、よかったですね。

それで「肉離れ」の原因を調べてみましたが、いくつかありますが、
栄養不足、タンパク質不足というのも、1つの理由に書いてありますね。

「肉離れ」は、繰り返すそうですから、タンパク質のものも、どうぞ、今後は
たくさん召し上がってくださいますように。

別に、肉から離れたから、肉離れした  というわけではございません。
肉だけが タンパク質ではございませんから。




 (40081)
日時:2021年04月02日 (金) 08時05分
名前:感想

>136頁の「心の声」のところに、著者・谷口純子先生は
次のように書かれています。

>>略
科学の進歩と技術革新で、第二次世界大戦後は大量の
食糧生産が可能となった。現在の世界では、地球上で
生きている人間を養うだけの生産ができる。

ところがここに 厄介な問題が生じている、
人間の主食である穀物を、穀物が主食ではない動物に与えて
肥育し、その動物の肉を 人間が食べるのだ。

その結果、人間用の穀物が不足し、市場原理で穀物価格の
上昇をきたしている。貧しい人たちが穀物を買うことができず、
飢餓の問題が一層深刻化している。<<<


副総裁の見解、当方もそう思いますね。
飢餓問題もいくつかの原因が複合的に重なり合って
志恩様のネットサーフィンで知り得た原因も重要な要因となっていると考えます。
「戦争」でもそうでしょう。
「地球環境」もそうでしょう。
その因となるものは一つでは無い。



『自然に肉食が遠離されるようになるまで、道を生きるのに勇猛なる人々は決して待つ必要もないのである。吾々は生き物を殺すことが悲惨であると云うことを知り、その屍を食うことが浄食でないことを知るならば、勇猛心を揮って肉食を遠離することは一層好いことである。』

肉体健康維持のための御文章では無きことを読み採られ。

過去の情報だと騒ぐ志恩様がもう少しだけ視野を広くと思う
ばかりではありますが、せめて飢餓問題に取り組む宗教法人「生長の家」を気にする事無く、心穏やかに、この先の志恩様の食の道を歩かれますよう。



 (40082)
日時:2021年04月02日 (金) 08時11分
名前:感想

総裁は肉食をしていたが、結果的には肉食をやめた。
痛風の既往歴がある。
というのは事実のようです。<


本音の時代様、存知ています。

 (40083)
日時:2021年04月02日 (金) 08時18分
名前:感想

>「たぶん」の話でしょう (40079)

日時:2021年04月02日 (金) 07時56分
名前:本音の時代

志恩さんの投稿は
「たぶんでは ありますが、
 谷口雅宣総裁先生は、」
で始まっていました。<


その「たぶん」が稚拙であると申しました。
この掲示板の中には志恩様の決めつけ・思い込みの投稿が多々存在し、多くの閲覧者は驚きはせず、またかという感じを持っている
でしょう。たぶんではありますが。

 (40084)
日時:2021年04月02日 (金) 08時29分
名前:感想

>私は、よく間違える性格ですから、次々に同じことを言われるお方が
HNで出てこられますので、わたしの予想は違う場合もございますが、
7割、8割方は、あっていると思います。


他掲示板投稿者コスモス様を、こちらの掲示板で品性を欠く発言
を連弾していた千葉教区青年会会員様のなりすましだと疑い言及した騒ぎあり。たしか謝罪していましたね。
以後ご注意されたし。

 (40085)
日時:2021年04月02日 (金) 08時38分
名前:感想


訂正

副総裁ではなく、白鳩会総裁。

>副総裁の見解、当方もそう思いますね。

教団(総裁夫妻以外)の実態 (40087)
日時:2021年04月02日 (金) 10時48分
名前:本音の時代

総裁絶対讃嘆の日野くんが書いてました。


日頃教団が本音で語らないことを非難している本音の時代さんだが、教団が本音でノーミートを言っていると疑っていない点では、思わず笑ってしまう。

谷口雅宣先生や谷口純子先生は本気かもしれないが、教団の行事では本部主催でも鶏肉粉末入りのフリカケが出るし、地方だと堂々と青少年練成会で豚肉おにぎりを買ってきて配ったりする。

それが教団の実態である。全く本気ではない。


総裁夫妻は自分たち以外の実態を知らないということでしょうかね。知ろうともしないのでしょうかね。ノーミートを実践できない人へのホローがあっても良いと思うのですが。私の知らない発言もしくは文章があるのかもしれません。

 (40093)
日時:2021年04月03日 (土) 08時07分
名前:素朴な疑問

志恩サン

谷口雅春先生は、総裁先生時代には、本部講師の皆様や
信徒の皆様に、「だから、あなたたちも 私と同様に、肉食はすべきでない」とか「あなたたちも肉食は極力控えるように」などと、おっしゃったことは、私の記憶の限りでは、一度もございませんでした。ご自分だけで、ひっそりと実行されておられたお方でした。



雅春先生が「心と食物と人相と」を執筆され、教団から発刊されたのは、志恩サンが数年本部にいた、それより以前、又はその当時でしたか?そうとは思えませんがいかがかな?
少し気になったので返答希望です。

素朴な疑問さん (40094)
日時:2021年04月03日 (土) 09時52分
名前:志恩

今、スポーツクラブへ出かける時間なので、遅刻するといけませんので
急いで書かせていただきます。

私が本部へ入りましたのは昭和36年のはじめですが、その時期に
「心と食物と人相と」が出版されていたかどうか、今は
はっきりしませんが、この本の内容は、その当時、
私は知っていたと言いますか、谷口雅春先生がなぜ肉食がいけないのか
と言うことを書かれたのか、わからなくて、
私は、その当時、疑問を深く抱いていていましたので、

わざわざ、本部の企画局の本部講師の佐脇嘉久先生に
この件で、個人的に質問したことを、覚えているのです。

すると、佐脇先生は、少し、僕に時間をください。
明日の昼休みに食堂にきてください。その時までに
僕もよく考えてから、調べ直してから、お答えしますので。

と言われまして、そして次の日の昼休みに、結構長い時間かけて
私にとても詳しく説明してくださいました。

ですから、「心と食物と人相と」の内容は、私は、読んで知っていました。

しかし、「生命の實相」とか別の本に書いてあったのを読んで質問したのか、
本として独立したものを読んで、佐脇先生に質問したのかは、
今は、思い出せません。



私は、この本の内容をAmazonコムで調べてみて、知っている内容だと思いました。
[心と食物と人相と]
は、今は手元にないですが、以前に、もちろん読んでいます。

[心と食物と人相と]の出版日 (40095)
日時:2021年04月03日 (土) 10時48分
名前:本音の時代

初版は昭和51年6月25日です。
はしがきは昭和51年5月12日です。

 (40096)
日時:2021年04月03日 (土) 15時07分
名前:素朴な疑問

昭和51年(1976年)初版刊行であるのは知っていました。そして
その後昇天されるまでは、雅春先生が総裁先生でありました。

‷谷口雅春先生は、総裁先生時代には、本部講師の皆様や
信徒の皆様に、「だから、あなたたちも 私と同様に、肉食はすべきでない」とか「あなたたちも肉食は極力控えるように」などと、おっしゃったことは、私の記憶の限りでは、一度もございませんでした。ご自分だけで、ひっそりと実行されておられたお方でした。‴


この志恩サンの話がいつ頃のことなのかを知れて合点がいきました。当然、雅春先生はいつの時代も信徒に向け〖こうしろと強制〗されることは無いことも解りきったことではあります。
その点についても、この御著書に書かれてある通りです。

志恩サン、勤務しておられた時代のエピソードなど、
本音の時代サン、
有難う御座いました。
又お会いしましょう。
再拝。



 (40478)
日時:2021年04月19日 (月) 22時09分
名前:いろいろ考えさせられる

「鳴き声が人間の悲鳴のよう…」 夜を徹した殺処分、県職員らに精神的疲れ 栃木・那須塩原の豚熱
4/19(月)
下野新聞


豚熱の感染が確認された〇県〇市の養豚場では18日、白い防護服に身を包んだ県職員らが前日に続き殺処分や消毒などの作業に追われた。8時間ごとに入れ替わり、夜を通しての作業。県職員からは使命感とともに、精神的な疲れを訴える声も漏れた。

 午前8時すぎ、作業拠点となる同市内の体育館には、一晩の作業を終えた県職員たちが疲れた表情で戻った。

県によると、豚は電気ショックや薬品の注射で殺処分される。殺処分は獣医師の役割だが、豚舎内の豚を追い込んだり、殺処分後の豚を豚舎の外に運び出したりするのは県職員らの仕事だ。

――――――――――――――――――――――――――――


いづれ殺処分され食肉となる運命にあったにせよ、
むごいこうけいだ....

むごいこうけいだ.... (40514)
日時:2021年04月21日 (水) 19時52分
名前:本音の時代

日本と言うこの国では、中絶という「むごいこうけい」が毎年何件発生しているのだろう。

 (40523)
日時:2021年04月22日 (木) 16時36分
名前:基

生長の家における肉食禁止とノーミート運動

日時:2021年03月31日 (水) 08時02分
名前:本音の時代

スレッド「生長の家の政治運動」の主題からズレて「肉食禁止とノーミート運動」に関する投稿がメインになってきたようなので別スレッドを立ち上げました。





日時:2021年03月30日 (火) 13時28分
名前:転記

こうした自分の思想を政治に反映しなければ世界平和は実現しない、と考えておられた大聖師。


>日時:2021年03月09日 (火) 21時34分
名前:wikiより


「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争もなかなかおさまりそうにないのであります。

— 心と食物と人相と



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