生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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太平洋戦争は「聖戦」であったと言われた谷口雅春先生でしたが、果たして、そのお言葉は、太平洋戦争のことだけではなく今後の戦争を肯定した意味を含んだお言葉だったのでしょうか。信徒の皆様は、どのように思われますでしょうか。再度、お考えください。 (45209) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 18時20分
名前:志恩
唐松模様ブログ 2021-10-28 三代目総裁・谷口雅宣先生のお言葉より
一部抜粋ー 題名: 【「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績】 略 <谷口清超先生は、新総裁になられてから『新しい開国の時代』、『歓喜への道』を出版され、太平洋戦争は満州の領土や資源Seicho_13mem01などの物質的な価値や権益に執着する唯物的な迷妄によって起こり、軍隊は、憲法上は天皇に直属しながらも、実質的には天皇の御心をないがしろにする「中心不帰一」の姿勢で独走したことが重大な問題であったと書かれ、その歴史の教訓から学ぶことの大切さを教示されました。また、先生は生長の家の信仰においては「聖戦はない」ことを明確に示されました。>(pp. 38)
>>つまり、先生は「戦争の否定」ということを教義の上で明確化されたのです。初代総裁の谷口雅春先生も、戦争を肯定されていたわけではないのですが、戦前、戦中の非常時には当時の政府の検閲や社会の風潮が大きく戦争に傾いていたこともあり、大東亜戦争のことを「聖戦」だと形容されたことが何度かあり、それが書物になって戦後まで残っていました。このため、信徒の間には明確な戦争否定の考え方が必ずしも浸透していませんでした。
この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、 初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。
どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、
それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で 表現したものが残っていたからです。
それなのに、 雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」など とハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。
で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、 表にまとめてみました――<<
志恩ー 以前、トキ掲示板に投稿されていた春らんまんさんというHNのお方が、 この谷口雅春先生が亡くなられたすぐ後に谷口清超先生が出版された著書に 明記してあるという、 「太平洋戦争(=大東亜戦争)は聖戦だった、というのは、間違いである。」という この谷口清超先生の本の文を読み、ドン引きしたという感想をトキ掲示板に 寄せられていたことを 私は、よく覚えております。
そして、この本の編集者は、当時、日本教文社で 編集の仕事に携わっていたという谷口雅宣先生であったということも 書いておられました。
つまり、「太平洋戦争は、聖戦であったと言われた谷口雅春先生のお言葉は、 間違いであった。」ということを明確に表した文章を、 創始者であらせられた谷口雅春先生亡き後、生長の家の著書に、明確に発表されたのは、 谷口清超先生と、その背後に編集者としておられた 谷口雅宣先生お二人の 訂正のお言葉だったのだと存じます。
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谷口雅春先生がおっしゃった「太平洋戦争は聖戦であった」というお言葉だけでなく、その他にも、谷口雅春先生との考えの相違を、心の底に強く、いくつか、谷口清超先生と谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のご生前に、抱えていらしたのではないでしょうか。その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し、そして、清超先生がされようとして成し遂げられなかった、いわゆる生長の家の近代化を清超先生の息子さんである雅宣先生が、誰よりも尊敬してやまない父親である清超先生のご意志をついで、その後、着々と、元の生長の家とは、似ても似つかぬ、今の教えに変えていったのではないかと思っております。 (45210) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 19時03分
名前:志恩
谷口雅宣総裁先生の唐松模様の言葉より
>>この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、 初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。
どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、
それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で 表現したものが残っていたからです。
それなのに、 雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」など とハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。
で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、 表にまとめてみました――<<
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谷口雅春先生の教えではなく、谷口雅宣先生の教えは、「神・自然・人間の大調和」を目指す“新しい文明”の構築に向かって、新たな決意をもって邁進することです。 (45211) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 19時32分
名前:志恩
いくつかの生長の家の教化部のブログやHPを 拝見しましたが、
すべて、「自転車、クラフト、家庭菜園」、 つまり「神・自然・人間の大調和」を中心においた運動を展開中です。
教団に属しておられる教化部長先生や本部講師の皆様も全て 谷口雅宣先生、純子先生の著書を主に、テキストにされた ご指導を信徒の皆様にされています。
本音で谷口雅宣先生と純子先生に、従っている方々は、 そんなには多くはおられないと存じますが、 お辛い御心境の方々もいらっしゃると存じますが、
この世に生きるということは、ある意味、本音ばかりでは、 生きていかれないことも、私も、この年まで生きてきて、 わかります。 それをお察ししますと、大変だなぁ、と、いとおしくさえ感じまして、 教団所属の皆様の御安泰を祈るばかりです。
三代目総裁・谷口雅宣先生
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谷口雅春先生の御言葉 (45212) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 20時18分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(略)僕は『皇軍必勝』と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」(略)「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」
(『生長の家』昭和21年2月号)
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志恩さんの表題には根拠があるのか (45213) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 21時57分
名前:事情通
>>その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し・・・
「皇學館大学」にと、希望されていたという事は誰がいつ誰に対して語ったことでしょうか。それとも雅春先生が記述されたご文章がありますか。ちなみに、ご家族の方は聞いたことが無いと証言されています。 さらに、何故国学院ではないのですか。
清超先生が、谷口雅春先生の側近を排除したとの記述がありますが、具体的にその方々の名前をあげることができますか。
そもそも、雅春先生は側近という特別な人達はおられたと聞いていません。また、高弟という特別な人も後世の人が勝手に想像して書いているだけで、しいて言えば谷口雅春先生の認可された当時の本部講師は全てが側近という立場だと思います。
その中でも、最も信頼され次を託されたのが谷口清超先生であることは、雅春先生の文章として明確に残されていますが。
貴女が、谷口清超先生を雅宣氏と同じように考える発言には事実誤認があると思います。今回の雅宣氏の発言は、自分と谷口清超先生とは同じ思いであったという自己正当化の詐術に引っかかった妄言です。
雅宣氏の文章を読むと、谷口清超先生はおそらくこのように考えておられたという想像に過ぎません。 その様な重要な事を想像でしか書けない雅宣氏は谷口清超先生と会話も継承もしていないという事ではないでしょうか。
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谷口雅春先生が、孫の雅宣さんを「皇学館大学」に進めたかったのは神道と国史を学ばせたかったからだという文は、今までに、あちこちで読んでいます。「国学院大学」にではなく「皇學館大学」に です。そのことは、他のご兄弟などのお方が知らなくても、雅宣先生ご本人が一番よくご存知のはずです。また、清超先生が総裁先生になってから清超先生が排除されたのは、谷口雅春先生の可愛がっていた弟子達というのは、谷口雅春先生の側近のことだとは、私は書いておりません。谷口雅春先生が、特に可愛がっていた方たちです。それは、私が原宿本部を辞めたあとの話ですが、原宿本部在職中の大幹部の方々から、私も、その実情は直に聞いています、しかし、誰と誰と誰から聞いたかは言えません。多くの方々がご存知です。私は過去に聞いているこのことも、清超先生のご家族のお方の耳には、入っていないことかもしれませんが、かなりの数の方たちから実情を聞いているのです。 (45216) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 22時51分
名前:志恩
以下の引用文は、 則天去私さんのブログからのもので、 紹介されていた 大塚○英さんの文からの一部抜粋です。
>>雅宣さんは、上の二人の姉と同じ青山学院に通うが、 本当は雅春先生は、雅宣さんを皇学館大学に進め、 神道と国史を学ばせたかったようだ。
しかし最終的には父親の清超先生が雅宣さんの意向を認め、 青山学院大学法学部に進む。雅宣さんは大学卒業後、 教団の出版部門ともいえる「日本教文社」に入り、 その後、米コロンビア大学に留学し、国際関係論を学んだ。 帰国後、彼はサンケイ新聞(現在の産経新聞)に入社。 横浜支局記者勤務を経験した後に、退職して生長の家本部職員となっている。<<
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(45217) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 22時52分
名前:神の子A
谷口先生が
皇學館大学には、私もききました。
どの巻かわかりませんが、生命の実相テープだったと思います。 私は、雅春先生がそう仰っているのをテープではっきり聞いていますが、 それがどのテープだったか、 沢山あるテープを一つ一つ聞いてみて下さい。 必ず巡り会えて、雅春先生が直接仰っている事が分かります。
志恩さん、 雅春先生は、戦争中は直後は聖戦と日本をかばうしかないでしょう。
2代目の発言の時代は、豊かさを感じるゆとりある日本になっていたから 全てどんな戦争でもよくないと言うように、雅春先生も2代目も同じで 一貫していると理解しております。
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神の子Aさん (45218) |
- 日時:2021年11月02日 (火) 23時32分
名前:志恩
コメントありがとう!!
そうでしたか。谷口雅春先生ご本人がおっしゃっていらしたのを、 何かのテープで聞いたことがあるのでしたか。
証言してくださって、ありがとうございます。
谷口清超先生は、善意ある 先生でしたから、 (雅宣先生が悪意ある先生だという意味ではありません。 雅宣先生は、独特のご自分の考えに固執した、全相を捉えられない、 偏狭で考えの足りない 先生だとは思っておりますが。) 清超先生の代では、 清超先生の場合は、根本の教えを変えようとは、されなかったと存じます。
清超先生は、カタチとしては、歌はオペラが大好きで、 原稿も手書きではなく 和文タイプで打たれてましたし、 とにかく西洋風が、とてもお好みの先生でしたから、 生長の家の運動を、1つの事業として考えた場合、 先生は、原宿本部の大道場全体に椅子席を導入されましたように、 生長の家に、もっと西洋文化の風を吹き入れて 急速に近代化をはかり、生長の家をご自分の代では、 より発展してゆきたいという お心で、なさっておられたのだと 私の場合は、思っております。
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(45219) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 00時07分
名前:証拠不十分
谷口雅春先生が、孫の雅宣さんを皇学館大学に進めたかったのは神道と国史を学ばせたかったからだという文は、今までに、あちこちで読んでいます。国学院ではなく皇學館大学です。そのことは、他のご兄弟などのお方が知らなくても、雅宣先生ご本人が一番よくご存知のはずです。また、清超先生が総裁先生になって排除されたのは、谷口雅春先生の可愛がっていた弟子達というのは、谷口雅春先生の側近のことだとは、私は書いておりません。谷口雅春先生が、特に可愛がっていた方たちです。それは、私が原宿本部を辞めたあとの話ですが、原宿本部在職中の大幹部の方々から、私も、その実情は直に聞いています、しかし、誰と誰と誰から聞いたかは言えません。多くの方々がご存知です。私は過去に聞いているこのことも、清超先生のご家族のお方の耳には、入っていないことかもしれませんが、かなりの数の方たちから実情を聞いているのです<
誰と誰と誰とは、はっきり言えないのですね。
>そもそも、雅春先生は側近という特別な人達はおられたと聞いていません。また、高弟という特別な人も後世の人が勝手に想像して書いているだけで、しいて言えば谷口雅春先生の認可された当時の本部講師は全てが側近という立場だと思います。
その中でも、最も信頼され次を託されたのが谷口清超先生であることは、雅春先生の文章として明確に残されていますが。
貴女が、谷口清超先生を雅宣氏と同じように考える発言には事実誤認があると思います。今回の雅宣氏の発言は、自分と谷口清超先生とは同じ思いであったという自己正当化の詐術に引っかかった妄言です。
雅宣氏の文章を読むと、谷口清超先生はおそらくこのように考えておられたという想像に過ぎません。 その様な重要な事を想像でしか書けない雅宣氏は谷口清超先生と会話も継承もしていないという事ではないでしょうか。<
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決して嘘じゃないですから、言おうとさえすれば、もちろん言えますよ。 (45220) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 00時12分
名前:志恩
私と一緒にそのことを聞いていた人もいますから、 でも、差し障りがあることを考えれば、 うかつには、誰と誰と誰が言ってましたよ、なんてことは、 私は、言えません。それだけのことです。
といいいますか、あなたとその他、お身内の数人だけじゃないかしら、 実情を知らないのは、、、と思います。
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事情通様の話から逸れている。 (45221) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 00時17分
名前:証拠不十分
>といいいますか、あなたとその他、お身内の数人だけじゃないかしら、 実情を知らないのは、、、と思います。<
意味不明です。 しかし、意味のある話ができるとも思えないので 返信は不要です。
● 質問内容
誰と誰が側近か?
● 回答内容
誰と誰から聞いたかは言えない。
決して嘘ではありませんよ。
● 回答がとんちんかんだし、 嘘だ本当だと、これではわからない。
以上
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(45223) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 04時44分
名前:神の子A
実情などは、 家族ほどよくご存知だと思いますよ。 ただし、正当化されてみますがね。
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志恩さんが紹介された谷口雅宣総裁のブログ記事の感想 (45228) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 07時34分
名前:アクエリアン
>つまり、「太平洋戦争は、聖戦であったと言われた谷口雅春先生のお言葉は、 間違いであった。」ということを明確に表した文章を、 創始者であらせられた谷口雅春先生亡き後、生長の家の著書に、明確に発表されたのは、 谷口清超先生と、その背後に編集者としておられた 谷口雅宣先生お二人の 訂正のお言葉だったのだと存じます。<
これはやはり、谷口雅宣総裁の解釈は間違っていると、私は考えています。
確かに、戦争は迷いと迷いの争いで、迷いそのものの自壊過程であるというのは確かに正しい。
しかし、宗教的次元まで思考を上げていけば、人類の意識の進化の過程で、どうしても起こらなければならない意義を持つものであった、と谷口雅春先生は解釈されておられた。
その宗教的意義を語らなければ、谷口雅春先生創始の生長の家の教えの継承者としては、失格していると言わざるを得ないのではないか。
>この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、 初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。<
「戦争の否定」は、世界平和を願う宗教者は常に主張していかなければならない姿勢だと思います。
しかし、この「戦争の否定」が行き過ぎると、「パシフィシズム」に陥ってしまう危険があり、中国共産党というジェノサイド政権によって日本が乗っ取られてしまいかねない。
「戦争の否定」と共に、人権の擁護、思想信仰の自由など、自由な世界を守る決意も同時に語っていくというバランス感覚が今の宗教者には求められと思います。
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感想 (45230) |
- 日時:2021年11月03日 (水) 09時34分
名前:トキ
谷口雅宣総裁が、副総裁になりたての時に大東亜戦争侵略論を理想世界に発表し、問題になりました。この時に、本部講師を引退した谷口雅春先生の直弟子にこの件を尋ねると、
「戦争というものは、迷いと迷いのぶつかり合いだから、それは絶対に良くない。しかし、戦争の結果はアジア民族の解放という結果を生んだから、大変、意義はあったのだ。」
という趣旨のことを言われたと記憶しております。
「神、真理を告げ給う」にも類似の記述がありますが、心霊的には、戦争や災害の大勢に人の死亡は、背景があるのかもしれません。
ただ、人心の影響を考えると、戦争などは実によくないのも確かです。
私の考えでは、当時、左翼勢力が「大東亜戦争は侵略戦争だった」と日本を貶める発言をしていたので、日本人の精神教育に悪影響を与えていました。
それを憂いて、聖戦ということを言われましたが、戦争そのものは、やはり否定はされていたと考えます。
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もちろん、戦争は否定すべきことでありますし、戦争は悪いこと というのは、子供でもわかることですが、「太平洋戦争」(=大東亜戦争)は、果たして、日本軍の「侵略戦争」だったのか、それとも「聖戦」だったのか。歴史はその立ち位置で認識も違ってくると思います。日本は戦争をして戦争に負け、たくさんの犠牲者も出しました。しかし、あの戦争を契機に白人の大英帝国は没落し、アジアの大部分の植民地は放棄させられ、アジアの大部分は、あの時の日本軍のおかげで、自由を獲得し、欧州の一島国の昔に 返ることが出来ました。戦争が悪い、戦争はしてはならないということは、当たり前のことですが、それなら、もしも中国が日本を侵略してきたら、戦争は悪いのだからと言って、日本は戦争を避けて、無抵抗のまま中国にやられ放題で、中国の植民地になればいいというのでしょうか。そういう現実問題も考える必要があるのではないか、ということも思っています。 (45243) |
- 日時:2021年11月04日 (木) 02時16分
名前:志恩
アクエリアンさん、トキさん、コメントを感謝します。
今でも、 あの太平洋戦争(=大東亜戦争)は、 軍部の暴走で、起きたのである。 日本は、太平洋戦争で、近隣諸国を侵略する戦争をやり、 アメリカをはじめとする連合軍により敗北させられた戦争犯罪国なのである、 という現在の日本人の中には、そのような認識を持っている人達もいます。
片や、 それは戦勝国が一方的に作り上げた虚妄であると断じて、
あの戦争で、日本軍は、 欧米の植民地であったアジアやオセアニア諸国の 独立を実現させ、差し違える形で大英帝国を滅亡させた アジア植民地解放戦争であった。 あの戦争は、アメリカをはじめとする連合国の 勝利という結果だったが、それとともに一つの白人の大英帝国が 滅んだのだ。 大英帝国は、先の大戦により世界中に広がっていた版図のほとんどを 失った。連合国の一員だったにもかかわらず──。
ということは あの太平洋戦争というは、実は、大東亜戦争のことであり、 「人種平等の世界実現へと舵を切らせる歴史的偉業をやった 『聖戦』だったのだ」と、結論付けている人達もいます。
そして、 そのようなことを書き表しているイギリス人の人の最近の本もあります。
確かに戦争は、やってはならない悪でありますが、 あの戦争については、 支配されていた側に立てば、白人による植民地支配から解放してくれた 日本軍による大東亜戦争だったのだ、という見方も あると思います。
この戦争は、今から70年以上も前に起きた戦争です。
いうまでもなく、戦争は、絶対に してはならないと 私も思っています。
20代であった私の実父が、あの戦争に駆り出されて戦死した体験のある 生き残った娘である私でありますので、なおのこと強くそのことは実感しております。
しかし、戦争は悪い、戦争はしてはならない、と、 日本国だけがそう固く思っていても、日本国を狙っている近隣国の 存在のあることも念頭に入れておかねばならない、 日本国の平和をこのまま継続するためには、 防衛のための戦争も、 必要悪として考えておかなければ、未来永劫の日本国の平和は保てない のでは?ということも 常々考えております。
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百田尚樹氏の警鐘 (45244) |
- 日時:2021年11月04日 (木) 11時23分
名前:アクエリアン
>もしも中国が日本を侵略してきたら、戦争は悪いのだからと言って、日本は戦争を避けて、無抵抗のまま中国にやられ放題で、中国の植民地になればいいというのでしょうか。そういう現実問題も考える必要があるのではないか、ということも思っています。<
志恩さんの警鐘は、百田尚樹さんも、同様に、いや、もっと深刻に発信されています。
百田尚樹@hyakutanaoki https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1456078053642104833
近いうちに日本は中国に飲み込まれるが、もう手遅れかもしれん…。 中国が巨大になりすぎたのもあるが、政治家や財界やメディアに、中国べったりの人間が増えすぎた。彼らは自分の利益のためなら国なんかどうなってもいいと思ってる。あるいは、まさか国が乗っ取られることはないと甘く考えている。
百田尚樹@hyakutanaoki https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1456079162918137864
私の死後、何年かしたら、私の本は全て発禁処分にされるかも…。 『カエルの楽園』とか『日本国紀』は、発禁どころか焚書にされ、跡形もなく消滅させられるかもしれない。 それは墓をあばかれるより辛いな…… その頃には、日本語も禁止になってるかもしれない。 このツイートを杞憂と笑うと者は笑え。
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百田尚樹さんは、『カエルの楽園』などによって、日本の平和ボケに警鐘を鳴らしてきましたが、ようやくこの危機を深刻に考える国民も増えてきたように思いますが、まだまだ、政治家、メディア、言論人には、中国共産党というジェノサイド政権の怖さを実感できていないように思います。
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アクエリアンさん、アマゾンコムで「日本が消える」で調べたら、数多くのその種の本が出ていました。結局、政治の無策からきているようですね。 (45245) |
- 日時:2021年11月04日 (木) 16時28分
名前:志恩
例- 【日本が消える日──ここまで進んだ中国の日本侵略 】 佐々木 類 (著) 「多文化共生」は「他文化強制」!?
武力を使わない“静かなる侵略" このまま日本は中国の“自治区"となり世界地図から消えてしまうのか──
外国人勢力による“支配"が着々と進む わが国の現状を、産経新聞の現役記者が徹底した取材で明らかにする!
チベット・ウイグル・香港…次は台湾、日本!
秘かに進む中国の日本占領計画 このままでは、日本は滅びる! ・北極海の「一帯一路」で、北海道が危ない! ・各地に蠢く不気味なチャイナタウン構想 ・文化侵略の工作機関「孔子学院」の深い闇 ・深刻さを増す首都圏「チャイナ団地」の現状 ・外国人にタダ乗りされる日本の医療保険制度 ・和牛から農産物まで、強奪される日本の知的財産 ・中国発の豚コレラは、もはや「バイオテロ」? ・政府主導「留学生30万人計画」と「消えた留学生」 ・ずさんな「改正入管法」は事実上の移民政策
志恩ー 日本の政治家は、国防意識がひどく薄いのか!
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志恩さん、ありがとうございます「中国共産党秘密文書「日本解放第二期工作要綱」」とは何か (45259) |
- 日時:2021年11月06日 (土) 00時30分
名前:アクエリアン
>結局、政治の無策からきているようですね
結局、そういうことだと思います。
谷口雅春先生は、1972年の「日中国交正常化」での、台湾断交には、断固反対されておられた。
理想世界誌昭和49年一月号の「輪読のための青年法語−−共産主義はどこがどう悪いか」において、当時日本教文社から発刊された西内雅著『中国の正体』の内容を紹介されながら、中共の危険性を切々と説かれていました。
「言語空間+備忘録」というブログ記事で、「中国共産党秘密文書「日本解放第二期工作要綱」」とはどういうものなのか、紹介されています。参考のために、引用転載させてもらいます。
https://blog.goo.ne.jp/memo26/e/072b8131252b140a34aea58efeabbd67
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中国共産党秘密文書「日本解放第二期工作要綱」
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.197 )
1972年の日中国交樹立時に、中央学院大学の西内雅教授(当時)が入手し、『國民新聞社』が世に問うたものに、中国共産党秘密文書「日本解放第二期工作要綱」がある。中国共産党が当時の工作員に与えたとされるこの指示書には、「我が党(中国共産党)の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」、そのためにはまず「群衆掌握の心理戦」だと書かれている。文化事業などを通じて中国への「警戒心を無意識の内に捨て去らせること」が重要で、それは「日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子」を孤立させるのに有効だと記されている。
★したたかな中国の戦略
文化事業は「日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている」「『日本文化の来源』『文を重んじ、平和を愛する民族の国』というイメージを掻き立て、更に高まらせる」効果があるとも書かれている。 日本の大衆に中国語学習を普及させ、各大学に中国研究を進めさせて親中感情を各分野で醸成することの重要性を強調し、政治家、メディアへの積極的な働きかけも驚くほど詳細に指示されている。そうした活動のために2000人の工作員を、学界、マスコミ界、実業界など全分野に送り込むことも記されている。 日中関係をふりかえれば、中国が展開してきた対日外交が右の基本戦略を反映しているのは明らかだ。中国の対日戦略においては、目標は不変だが、戦術は状況次第で、変化する。「A級戦犯」合祀が公になった靖国神社に首相が参拝し始めてから6年半の間、靖国問題に一言も触れず、逆にGNPの2%という具体的数字をあげて日本に軍事力の増強を求めたのも、その後、1985年9月に突然、非難し始めたのも、靖国問題が戦術上の道具にすぎないことを示している。 (中略)
中国政府は日本との関係を常に外交の材料にしてきた。『江沢民文選』全3巻には98年8月に江主席が在外公館の全大使を呼び戻し、日本には永遠に歴史問題を突きつけていくと訓話したことが書かれている。江氏の対日強硬外交は72年の「日本解放第二期工作要綱」に示された文化交流などのソフト路線とは異なるが、日本の国力を中国の利益に資するという基本戦略は不変である。 72年の日本解放第二期工作要綱が最終目標を日本の社会主義化と戦犯としての「天皇の処刑」に置いていることを、その実現性はともかく、日本側は忘れてはならないだろう。
■追記 國民新聞(昭和47年8月) 中国共産党「日本解放第二期工作要綱」の全文(↓)です。 http://web.archive.org/web/20071213044215/www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html

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雑感 (45296) |
- 日時:2021年11月10日 (水) 22時21分
名前:トキ
どうでもいい話ですが、谷口清超先生のご命日祭で、総裁が「大東亜戦争は聖戦ではない」と改めて主張していました。ところが、途中で機械がトラブルを起こしたみたいで、スピーチが中断しておりました。不思議な話です。
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(45307) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 19時49分
名前: 谷口雅春先生がおっしゃった「太平洋戦争は聖戦であった」というお言葉だけでなく、その他にも、谷口雅春先生との考えの相違を、心の底に強く、いくつか、谷口清超先生と谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のご生前に、抱えていらしたのではないでしょうか。その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し、そして、清超先生がされようとして成し遂げられなかった、いわゆる生長の家の近代化を清超先生の息子さんである雅宣先生が、誰よりも尊敬してやまない父親である清超先生のご意志をついで、その後、着々と、元の生長の家とは、似ても似つかぬ、今の教えに変えていったのではないかと思っております。 (45210) 日時:2021年11月02日 (火) 19時03分 名前:志恩 谷口雅宣総裁先生の唐松模様の言葉より >>この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、 初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。 どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、 それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で 表現したものが残っていたからです。 それなのに、 雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」など とハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。 で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、 表にまとめてみました――<< 谷口雅春先生の教えではなく、谷口雅宣先生の教えは、「神・自然・人間の大調和」を目指す“新しい文明”の構築に向かって、新たな決意をもって邁進することです。 (45211) 日時:2021年11月02日 (火) 19時32分 名前:志恩 いくつかの生長の家の教化部のブログやHPを 拝見しましたが、 すべて、「自転車、クラフト、家庭菜園」、 つまり「神・自然・人間の大調和」を中心においた運動を展開中です。 教団に属しておられる教化部長先生や本部講師の皆様も全て 谷口雅宣先生、純子先生の著書を主に、テキストにされた ご指導を信徒の皆様にされています。 本音で谷口雅宣先生と純子先生に、従っている方々は、 そんなには多くはおられないと存じますが、 お辛い御心境の方々もいらっしゃると存じますが、 この世に生きるということは、ある意味、本音ばかりでは、 生きていかれないことも、私も、この年まで生きてきて、 わかります。 それをお察ししますと、大変だなぁ、と、いとおしくさえ感じまして、 教団所属の皆様の御安泰を祈るばかりです。 三代目総裁・谷口雅宣先生 IMG 谷口雅春先生の御言葉 (45212) 日時:2021年11月02日 (火) 20時18分 名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 . 「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
〇谷口雅春先生がおっしゃった「太平洋戦争は聖戦であった」というお言葉だけでなく、その他にも、谷口雅春先生との考えの相違を、心の底に強く、いくつか、谷口清超先生と谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のご生前に、抱えていらしたのではないでしょうか。その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し、そして、清超先生がされようとして成し遂げられなかった、いわゆる生長の家の近代化を清超先生の息子さんである雅宣先生が、誰よりも尊敬してやまない父親である清超先生のご意志をついで、その後、着々と、元の生長の家とは、似ても似つかぬ、今の教えに変えていったのではないかと思っております。 (45210)
「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(略)僕は『皇軍必勝』と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」(略)「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」
(『生長の家』昭和21年2月号)
🔵志恩さんの表題には根拠があるのか (45213)
日時:2021年11月02日 (火) 21時57分 名前:事情通
>>その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し・・・
☑「皇學館大学」にと、希望されていたという事は誰がいつ誰に対して語ったことでしょうか。それとも雅春先生が記述されたご文章がありますか。ちなみに、ご家族の方は聞いたことが無いと証言されています。 さらに、何故国学院ではないのですか。
☑清超先生が、谷口雅春先生の側近を排除したとの記述がありますが、具体的にその方々の名前をあげることができますか。
そもそも、雅春先生は側近という特別な人達はおられたと聞いていません。また、高弟という特別な人も後世の人が勝手に想像して書いているだけで、しいて言えば谷口雅春先生の認可された当時の本部講師は全てが側近という立場だと思います。
その中でも、最も信頼され次を託されたのが谷口清超先生であることは、雅春先生の文章として明確に残されていますが。
――――――――――――――――――――
事情通さんの「質問」に、 明確に答えていないような、 気がします、志恩さん。 チェック箇所のご返答宜しく、 お願いする次第。

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(45308) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 20時04分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
コピパが下手でご無礼を致しました。 雅春先生の御言葉を正確に、 直させて頂きます。
日時:2021年11月02日 (火) 20時18分 名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。
「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(略)僕は『皇軍必勝』と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」(略)「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」
(『生長の家』昭和21年2月号)
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事情通さんへ、あなたが再度、貼られたのでしょうか?私はお答えできるところは、すでにお答えしています。 (45310) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 21時04分
名前:志恩
>>🔵志恩さんの表題には根拠があるのか (45213)
日時:2021年11月02日 (火) 21時57分 名前:事情通
>>その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し・・・
☑「皇學館大学」にと、希望されていたという事は誰がいつ誰に対して語ったことでしょうか。それとも雅春先生が記述されたご文章がありますか。ちなみに、ご家族の方は聞いたことが無いと証言されています。 さらに、何故国学院ではないのですか。
☑清超先生が、谷口雅春先生の側近を排除したとの記述がありますが、具体的にその方々の名前をあげることができますか。
そもそも、雅春先生は側近という特別な人達はおられたと聞いていません。また、高弟という特別な人も後世の人が勝手に想像して書いているだけで、しいて言えば谷口雅春先生の認可された当時の本部講師は全てが側近という立場だと思います。
その中でも、最も信頼され次を託されたのが谷口清超先生であることは、雅春先生の文章として明確に残されていますが。
―――――――――――――――――――― 事情通さんの「質問」に、 明確に答えていないような、 気がします、志恩さん。 チェック箇所のご返答宜しく、 お願いする次第。
志恩ー 皇學館大学の件は、お分かりでしょうか?
それと、もう一つの方は、 私が直に伺ったのは、お名前を出せば、皆様がよくご存知の大幹部の方々からでした。
その大幹部の皆様方は、今は霊界にいらしておられる方々ばかりですので、 誰と誰と誰から、私は、直接、伺っておりました、というように、実名を ここへ出していいかどうか、わかりませんので、差し障りがあるといけませんので、 言わないだけです。
そのことは、昔、本部にいた方達でしたら、知ってる人は多くいましたよ。 その知っている方たちも、差し障りがあるといけないので、言わないだけですよ。
しかし、そういうことが、あったことは、事実のことです。 谷口家のお身内の方々のお耳には、届いていなかったのかもしれませんが、 その当時の本部職員の方々でしたら、ほとんどの方達が知っていましたよ。
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(45312) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 22時23分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
志恩さん、 どうもご飯論法のようで、 頂けませんが?
質問は、 「☑清超先生が、谷口雅春先生の側近を排除したとの記述がありますが、具体的にその方々の名前をあげることができますか。」
つまり清超先生が「排除したという側近」だという、 その方々そのもののご氏名を聞いてるんです。
そう噂をしていた人々の、 ご氏名ではないのでは?
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(45313) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 22時44分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
別スレッドで、最近トキ管理人さんが、 清超先生に代替わりした折、 戦前からの本部講師が多く排除された、 と書いておられたが、それと同じ事を、 志恩さんは言っておられましょうか。 それとはまた別? 排除されたという戦前からの本部講師なら、 雅春先生が御昇天された年には、 すでに90歳以上の年齢に、 なられておった方々かと。
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(45314) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 22時59分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
因みに、 「組織数学の憂鬱」スレの中に、 昔話というタイトルで書かれて、 いるのを拝見しました。
噂であるとか、聞いた話というのは、 あてにならないものだと、 私はそう思いますがね。
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(45316) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 23時31分
名前:志恩
ご自分が清超先生に排除されたと大幹部、幹部ご本人数人に 直接聞いております。
私は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちがと書きました。 雅春先生の側近がとは、書いておりません。
トキさんが以前、書かれたそのトキさんの投稿文も読みましたが、 その人のことかどうかは、わかりません。
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感想 (45317) |
- 日時:2021年11月11日 (木) 23時39分
名前:トキ
私は、元本部講師の先生から、直接、話を聞きました。その先生は、人事を担当した責任者の人からも直接、そのような話を聞いたと言われました。その話を聞いたのは数人いましたが、存命なのは、当時、青年会員だった私だけです。ご参考まで。
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(45319) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 04時32分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
1945年ー太平洋戦争終戦。
1983年ー生長の家政治連合の活動停止。
1985年ー谷口雅春先生御昇天。
そして谷口清超先生が『総裁』として始動。
トキさんに伺いたいのは、 誰から聞いたということでなく、 少なくともその時点で、 高齢の戦前からの本部講師の方が、 「要職」に就くという事が、 適格な人事配置であると思うか、どうか。
清超先生が新しく船出をするにおいて、 何処に何方のどんな才能を認め、 一緒に船出するかを熟慮、人事配置し、 率いて来られたかを拝察しますと、 要職からは退く結果となられた御仁、 新たに要職に就かれた御仁、 その配置は、人間的遠慮を超えた、 清超先生の御裁断だったのではないでしょうか。 ましてや生政連解散から間もない時であり、 新しい船の帆を揚げる時の配剤であります。
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(45320) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 04時50分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
志恩さんへ、
>事情通さんへ、あなたが再度、貼られたのでしょうか?
何故事情通さんと私を混同の推察をするのだろ(笑) 志恩さんの想像や推察には曲解が多いようですよ。 度々その点を指摘されてきたのではないでしょうか。 言うまでもなく、私は事情通さんでは無い。
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(45321) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 07時54分
名前:志恩
谷口雅春先生がご逝去されましたのは、92歳、1985年 その時の清超先生のお年は、66歳、 雅宣先生のお年は、34歳、
その後、清超先生が二代目総裁先生になられたわけですよね。 66歳とは、高齢に入られたお年ですから、34歳でいらした 頭も良い副総裁である自分の息子さんを頼りにされたのは、自然の成り行き でいらしたでしょう。
そのころは、谷口雅春先生に可愛がられていた大幹部や幹部の皆様方も、 30代、40代というような若い年代の方達ではなく、 その方達は、自分は、雅春先生に可愛がっていただいてきたのだという 強い自負心もお持ちの方達だったのでしょうし、
清超先生が、総裁というお立場になられたときは、清超先生にとっては、 この人たちとは、一緒に やりづらいと 思われた方々もいらしたのでしょう。
それで、清超先生は、ご自分とコンビを組んで、やってもらえるような ご自分の考えと同じ考えの人であるような、 ご自分が指示したら、気持ちよく動いてくれるような、 そういう ご自分が気にいった人たちは、残して、 そうではない方々は、すべて、排除されたのではないでしょうか。
この考え方も 志恩の曲解でしょうか?
しかし、雅春先生に可愛がっていただいてきた、絶大な信頼も寄せていただいてきた 方々に取りましては、清超先生の代になってから、突然、自分が排除されたことに対しては、 そういう方々は、かなりのショックを受けられたことでしょう。それも当然のことです。
お立場によって、考え方の相違が、でたのだと思います。
ちなみに、 私が昔、原宿本部にいたのは、私が20歳くらいからでしたから、 そのころは、清超先生は、私よりも、23歳年上でいらっしゃいますので、 まだ、清超先生が43歳〜という青年でいらっしゃいました頃のことです。
私は清超先生に 一人だけ、個人教授で和文タイプをお山で教えていただいてもいましたし、 ですから、普通は、本部職員は、お山の先生には、直接、電話はしては いけないという本部には、規則があったのですけれど、私だけは、いつでも 電話して良いですよ、と特別扱いされていて、そのように言われておりました。
なので、私は、和文タイプの件で わからないことがありますと、 すぐに、お山の清超先生に直接電話をかけて教えていただいたり、 他の真理のことで、わからないことがあっても、電話して聞いたりと、 ちょくちょく個人的に 清超先生とは 電話で お話をしていました。
清超先生からもよくお電話をいただいたりしていました。 清超先生は、原稿を和文タイプで打っておられましたので、宗教用語の 活字の不足が度々ありましたので、新しい和文タイプの希望する 活字を秋葉原へ、清超先生と私の二人分を、注文しに 秋葉原にある活字やさんへ、急いで行ってきてほしいとか、その他の用件で。
その当時は、パソコンもスマホも携帯電話もありませんし、宅急便もない時代でしたので、 自分で秋葉原へ注文にゆき、出来たという電話があれば、また、秋葉原まで自分で取りに 行っていたのです。取りに行った活字は、お山へ行き、届けていました。
ある時、 私の和文タイプの機械が、どうしても作動しなくなり、その旨、清超先生に電話 をしましたら、10分もしないうちに、車で清超先生が、本部の白鳩会中央部の 私のところへとんで駆けつけて来てくださって、不具合な箇所を、直してくださったりもして、 一人の人間としての 清超先生は、そのように 大変お優しくて しんせつなご性格のお方でいらっしゃると、 私は思っております。
もしも、清超先生が二代目総裁になられました66歳の時にも 私が本部を辞めないで いたとしましたら、 その場合は、66ー23=43で、私が、43歳になって いました。
私も、谷口雅春先生、輝子先生にも、とても気に入られておりましたし、 可愛がっていただいても、おりましたが、清超先生にも大変好かれておりましたので、
私の場合は、43歳くらいまで本部を やめないでいましたら、 たぶん書籍販売の売店のおばさんとか 掃除のおばさんぐらいにはなって、本部に存在していたかもしれませんが、 総裁になられた清超先生には、私の場合は、排除されることは、なかったと思います。
なぜかというと、私は誰の敵にも 相手にもなれないほど、本部講師にもなれないほど、 何も才能もない人間ですし、 空気のように、居てもいなくても、誰の気にもならない 毒にも薬にもならない 人間だからです。
でも、いないよりは いたほうが いいかな、と思ってもらえる楽しい性格の人間 でもあると自分では思っております。
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ご飯論法の意味を調べてみました。 (45322) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 11時04分
名前:意味
「ご飯論法」の意味とは ご飯論法とは、「議論のすり替えや言い逃れをするための論法」という意味です。
ご飯論法(ごはんろんぽう)は、「朝ごはんを食べましたか?」と聞かれて、「ご飯は食べませんでした(パンは食べたが黙っておく)」という議論のすり替え法。
朝食を食べたことを言いたくない場合に、「朝ごはんを食べていない」とは言わず、「ご飯(お米)を食べていない」と答えれば、ウソをつかずに質問をかわすことができます。
このように、議論をすり替えて質問をかわし、言い逃れをすることをご飯論法といいます。
>@widebridge1125 発見しました!
「ご飯論法」🍚ありがとうございます👍 論点のすりかえ、 「論」を葛藤や様々な感情が あらゆる方向に動かしてしまうと 問題→整理→手段(方法)→ビジョン→ゴールまで遠退いてしまう ような気がします。 私の主観であります。
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ご飯論法と、再度、言われるかもしれませんが (45323) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 17時31分
名前:志恩
誤解をされるといけませんので、なぜ、あの頃、 清超先生が、お山にて 私一人だけに和文タイプを教えてくださっていたか、の理由を 書かせていただきます。
それは、輝子先生が、清超先生に、〇〇ちゃん(志恩)に、 和文タイプをあなたが教えてくれませんか。と 清超先生に頼んでくださって、お口添えしてくださったからです。
つまり、輝子先生公認で、私は、お山へ通って、清超先生に和文タイプを 教えていただいていたのです。
あの当時、原宿本部には、和文タイピスト専門の部屋がありまして、 和文タイプができる人は、二人しかおりませんでした。 各局から全国組織に発送する書類は、当時は、原稿を和文タイプを 打ってもらい、それを、輪転機で、一枚一枚印刷してから、 全国へ発送していたのです。 ネット時代の、今では考えられないことですけれど。
ところが、和文タイピストのところへは、各局から依頼が殺到していました。
そこで、白鳩会中央部の局長さんと事務局長さんが、話し合って、 なんなら、若い志恩さんを 本部の仕事が終わったあと、夜間の和文タイピスト学校へ通学させて、 自局内で、タイプを打てば、いいんじゃないか、という結論になりまして、 白鳩会総裁でいらした、輝子先生に、その旨、お話ししまして、 夜間の和文タイピスト学校へ、半年間、志恩さんを通学させるお金を 本部から出していただけませんでしょうか、と 局長が、お伺いを立てたんです。
すると、輝子先生のお返事では、 わざわざ、和文タイピスト学校へ志恩さんを 通学させなくても、清超先生が、和文タイプは、マスターされておられますから、 志恩さんをお山へ通わせて、清超先生に和文タイプを教えて貰えばいいと思う。私が、清超先生に、頼んで上げますから、大丈夫ですよ。そうなさい。
と、お返事くださいまして、それで、私が、清超先生に和文タイプを 習うことになったわけです。
何もかも、ほのぼのとしていて、のどかな いい時代でした。 今となっては、大変ありがたく光栄なことだったんだなぁと、 改めて、輝子先生、清超先生に、深く感謝しているところです。
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(45324) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 17時59分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
>しかし、雅春先生に可愛がっていただいてきた、 絶大な信頼も寄せていただいてきた方々に取りましては、 清超先生の代になってから、 突然、自分が排除されたことに対しては、 そういう方々は、かなりのショックを受けられたことでしょう。 それも当然のことです。
お立場によって、考え方の相違が、でたのだと思います。<
清超総裁の当時からのお立場は、 🔵宗教法人『生長の家』を雅春先生から、 『法灯継承』された御立場です。
「排除」というより、 より適任だと熟考された人物を、 選出されたのでしょう。
私もこれ以上の返信は不要です。 有難う御座いました。 合掌礼拝。
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志恩さんありがとうございます、私にとって、志恩さんの書き込みを読むことは、至福の時間です (45325) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 18時17分
名前:アクエリアン
志恩さんが、清超先生や、雅春先生、輝子先生の思い出を、出来得る限り公開されることは、私にとって、何よりも楽しみです。
というか、生長の家の信仰者にとって、当時の現場を体験しておられる信仰者による貴重な体験談であり、これからの生長の家教団にとっても、非常に重要なメッセージともなり得るものですね。
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一言追申 (45326) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 18時32分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
>今となっては、大変ありがたく光栄なことだったんだなぁと、 改めて、輝子先生、清超先生に、深く感謝しているところです。≺
深い感謝は、一点の曇りなき信頼に変換できる筈。
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アクエリアンさん (45328) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 21時25分
名前:志恩
身に余るあたたかいお言葉、ありがとうございました。
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志恩さんの想像は真実とは遠い (45330) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 21時48分
名前:事情通
>>そのころは、谷口雅春先生に可愛がられていた大幹部や幹部の皆様方も、 30代、40代というような若い年代の方達ではなく、 その方達は、自分は、雅春先生に可愛がっていただいてきたのだという 強い自負心もお持ちの方達だったのでしょうし、
清超先生が、総裁というお立場になられたときは、清超先生にとっては、 この人たちとは、一緒に やりづらいと 思われた方々もいらしたのでしょう。
それで、清超先生は、ご自分とコンビを組んで、やってもらえるような ご自分の考えと同じ考えの人であるような、 ご自分が指示したら、気持ちよく動いてくれるような、 そういう ご自分が気にいった人たちは、残して、 そうではない方々は、すべて、排除されたのではないでしょうか。
志恩さんの以上の発言は全て推測ですね。志恩さんの。
何故ならば、貴女は総裁が変わった時には本部には勤務していない。そして、誰がそのような発言をしたのかも明確に示せない。
つまり、噂を信じたただの想像をマコトシヤカニ一般社会に事実の様に発表したという事です。
私は、側近という言葉を使いましたが、側近ではなく雅春先生が可愛がっていた人というわけですね。
ますますわかりませんね。谷口雅春先生は個人的にある特定な人を可愛がるというご性格ではないと、うかがっています。
しいて言えば、吉田国太郎先生以降、山口元理事長。徳久元理事長しか思い浮かびませんが、このお二人を清超先生が排除された事実はあり得ません。
従いまして、貴女が具体的に誰が自分が排除されたと語っていたのかを明らかにしない以上、真実がどうなのかが明らかになりません。
貴女は、何かの流れの中で想像を書いたのであればまだ容赦できますが、スレッドの表題に長々と想像に過ぎない事を事実の様に書いたという重大な責任があります。
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事情通さん (45333) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 22時13分
名前:志恩
事情通ー >>貴女が具体的に誰が自分が排除されたと語っていたのかを明らかにしない以上、真実がどうなのかが明らかになりません。
貴女は、何かの流れの中で想像を書いたのであればまだ容赦できますが、スレッドの表題に長々と想像に過ぎない事を事実の様に書いたという重大な責任があります。<<
志恩ー 私は、自分の責任を問われましても、証言したお方の実名は、 そのお方に差し障りがあるといけませんので、 申し上げられません。
そして、想像で書いたのではありません。 事実を書いております。
清超先生に多くの幹部の皆様の面前でひどいことを言われたり、 役職をひどく格下に下げられたりと、排除されたとご本人が言われた 数人の方々とは、
あなたの書かれた 吉田国太郎先生、山口元理事長、徳久元理事長、ではありませんし、 そして、渋谷晴雄先生でもありません。
主に女性の大幹部と幹部の方々ですが、男性の幹部のお方も おられました。
谷口家のお方の前では、その方達は、言わないでしょう。
といいますか、あなたは清超先生が総裁になられてから、 清超先生が、 谷口雅春先生が可愛がっていらした方々を、排除など、されるはずが ない、自分はそばで見ていたから、知っているが、、とか、 おっしゃりたいのでしょうか。
もしもそうでしたら、
ご本人からの嘆きの言葉や、多くの本部職員の証言も私は直に 本当に、いく回も聞いていますのに。 あなたの耳には、全く届いていなかったのですね。 そのことに、驚きます。
私は、排除された方々から、直接、嘆きの言葉をいくつも聞きまして、 私の存じ上げているお優しい清超先生とは、イメージが大きくかけ離れていましたので 私のほうが、ひどくショックを受けたくらいです。 そのことで私は嘘など言いません。
実名をあげないのなら、嘘だと断じるのでしたら、 そのように勝手に思っていてください。 残念ですが、仕方のないことです。
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お名前を出してもその方々は教団ともう無関係ではないですか (45336) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 22時32分
名前:事情通
>>ご本人からの嘆きの言葉や、多くの本部職員の証言も私は直に 本当に、いく回も聞いていますのに。
何らかの理由で失脚した人の嘆きの言葉を貴女は信じたという事ですね。そしてそれを清超先生がされたというのですか。
失脚して辞めた人が愚痴を言うのは良くあることです。
学ぶ会の代表や副代表が典型的な例となるでしょう。
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- 日時:2021年11月12日 (金) 22時51分
名前:志恩
学ぶ会関係の方々では、ありません。 その方々は、皆さん、今は霊界におられます。
でも実名をあげれば、どなたでもご存知の方々ですから、 えっ、あの人が、そんなことを嘆いて、あなたに言ってたのですか。 ということになるでしょう。そのお名前が、心に刻まれてしまうでしょう。
ですから、そのようなこともあった、ということで、これも生長の家の 1つの歴史ですから、現象世界の出来事ですから、1つの物語として 冷静に受け止めていただきたいです。もう終わったできごとです。
私は、色々と伺っていましても、今でも清超先生のことは 敬愛申し上げている一人です。 清超先生の著「正法眼蔵を読む」も全巻、大切に持っております。
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尊敬しているのならばなぜこの様な書き込みを・・・ (45340) |
- 日時:2021年11月12日 (金) 23時44分
名前:事情通
>>谷口雅春先生がおっしゃった「太平洋戦争は聖戦であった」というお言葉だけでなく、その他にも、谷口雅春先生との考えの相違を、心の底に強く、いくつか、谷口清超先生と谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のご生前に、抱えていらしたのではないでしょうか。その1つに、谷口雅春先生が、孫の雅宣先生の大学の進学先を「皇學館大学」にと、希望されていたのに、清超先生は、「青山学院大学」に雅宣先生を進学させました。また、谷口雅春先生が亡き後、清超先生は、雅春先生が可愛がっていた弟子たちを次々に排除し、そして、清超先生がされようとして成し遂げられなかった、いわゆる生長の家の近代化を清超先生の息子さんである雅宣先生が、誰よりも尊敬してやまない父親である清超先生のご意志をついで、その後、着々と、元の生長の家とは、似ても似つかぬ、今の教えに変えていったのではないかと思っております。 (45210)
この表現では、今の生長の家の変貌と衰退を清超先生が原因であり、それを継いで雅宣氏が行っていると誰もが思うのではないですか。発言の不確かさと軽さに驚きます。
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事実ではないことを歴史と言わないでほしい (45341) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 00時13分
名前:事情通
>>ですから、そのようなこともあった、ということで、これも生長の家の 1つの歴史ですから、現象世界の出来事ですから、1つの物語として 冷静に受け止めていただきたいです。もう終わったできごとです。
空想の物語を歴史としてはいけません。
貴女に愚痴を言った上司を貴女が尊重するのはある程度理解できますが、谷口雅春先生の正式な法燈を継承された清超先生を誹謗するがごとき事実に基づかない書き込みには、強く抗議します。
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(45343) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 01時26分
名前:志恩
事情通ー >>貴女に愚痴を言った上司を貴女が尊重するのはある程度理解できますが、谷口雅春先生の正式な法燈を継承された清超先生を誹謗するがごとき事実に基づかない書き込みには、強く抗議します。<<
志恩ー たとえ正式な法燈を継承された先生でも たとえ尊敬している先生でも、間違ったことは、間違ったと正直に申し上げるものですよ。 あとは、平行線ですので、生長の家の神様に お任せします。
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雑感 (45344) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 01時35分
名前:トキ
平素は、この掲示板をご利用くださり、ありがとうございます。
歴史上、聖人君子が指導者になれば良い政治が行われ、悪人が指導者になれば悪政が横行してきました。それでは困るので、指導者の資質に極力、左右されないような政治を志して「政治学」というものが発展してきたと聞いております。今の生長の家が声高に叫ぶ「立憲主義」「法の支配」「権力分流」などはその実例です。経営でも、経営者の暴走を防止するためにコンプライアンスという概念が取り入れられています。
生長の家で言えば、初代の谷口雅春先生、2代目の谷口清超先生という文字通りの「聖人君子」が指導者であった時代は良い指導がされてきましたが、現在の生長の家は、どう贔屓目に見ても、おかしな指導が横行しております。現場にいる人間から見たら、唖然とする話です。本来なら、ここで事情を知る人たちがきちんとした総括なり反省を述べるべきですが、それがなされないままであることが、混乱に拍車をかけていると感じます。私は、その原因を組織教学という概念に求めましたが、それは私個人の考えで、それが一般化できるか不明です。しかし、信徒数数十万人という巨大な組織が、指導者の個人的な資質に頼る運営をしてきたことは確かに、問題であったとは感じております。
谷口清超先生は、謙虚で無私な方でしたし、純粋に教えを継承する努力を生涯された偉大な指導者でした。が、ここまで巨大な組織に発展したのに教団の統制を個人の資質に依存したことは、生長の家という組織としての反省点はあったのかもしれません。
私自身も、少々ですが、組織指導の経験はあります。自分が指導者でああった時期はベストを尽くしますが、任期が終わり、次の人に役職をバトンタッチをした以上は、その人に全部を任せるしかありません。逆に言えば、次の人のやったことに前任者は責任を負うことはない、というしかないです。親子であっても、谷口清超先生と谷口雅宣総裁の指導は独立して考えるべきで、結果論として谷口清超先生のされたことが現在の生長の家に影響を及ぼすことがあっても、それが谷口清超先生と谷口雅宣総の評価に影響を与えないと考えております。
ちなみに、私が話を聞いた先達は、「初代の谷口雅春先生から2代目の谷口清超先生に実権が移行するにつれて、人事も谷口清超先生に近い人が要職に就いた。これは当然のことだと思う。」と淡々と事実を述べておられました。ただ、役職を外された人の中には、いろいろな感想を持った人がいても不思議ではないと思います。私も指導する立場になれば、自分が責任をとる以上は、自分と意思疎通ができる人を役職につけるのが当然だと思います。仮に、それをしたと言われても、それが当然だし、評価を下げることにはならないと思います。事実関係の抽出と、具体的にその事実への評価をどうするかは別の話だと思います。
私は現場の人間で、本部のことはわかりません。ただ、生長の家がこのような状況になった以上は、広く議論がなされ、それなりの検証がされることは期待しております。
以上は、私個人の感想ですので、適当に読み飛ばしてくだされば幸いです。

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(45345) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 02時38分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
>私は、排除された方々から、 直接、嘆きの言葉をいくつも聞きまして、 私の存じ上げているお優しい清超先生とは、 イメージが大きくかけ離れていましたので 私のほうが、ひどくショックを受けたくらいです。<
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日時:2021年11月12日 (金) 22時32分 名前:事情通
>>ご本人からの嘆きの言葉や、 多くの本部職員の証言も私は直に本当に、 いく回も聞いていますのに。
何らかの理由で失脚した人の嘆きの言葉を貴女は信じたという事ですね。そしてそれを清超先生がされたというのですか。
失脚して辞めた人が愚痴を言うのは良くあることです。
学ぶ会の代表や副代表が典型的な例となるでしょう。
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>私は、色々と伺っていましても、 今でも清超先生のことは敬愛申し上げている一人です。<
「深い感謝」であるとか、 「敬愛申し上げる」とか、 こういった美しくも深淵な使う事は容易なことです。
但し、他の誰かの言葉によりイメージがかけ離れ、 ひどいショックをうけるような程度の、 感謝や敬愛などは、 この言葉の意味する実質と乖離あり。
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トキさんへ (45346) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 03時10分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
>事実関係の抽出と、 具体的にその事実への評価をどうするかは別の話だと思います。<
事実というのが、 もうすでに全員霊界に往かれ、 確認のしようが無い話を前提に基づいた話である事。 何故、清超先生が人前も憚らず、 厳しく叱責されたのか、その理由も判明せず、 「排除」という言葉を使い、印象を持ち来すなら、 今回の志恩さん、トキさん発信の話は、 推測の域であるなかの事実関係であるといえましょう。
何方かに聞いたこと、 聞いたという事実、 そのことは本当でも、 その方達の正義と、 雅春先生が絶対的信頼をもって法灯を託した、 清超先生のお考えとを、推測・想像のなかで、 我々が評価などできるものでは無い、と私は考えます。
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野木清司先生ありがとうございますありがとうございます (45347) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 05時19分
名前:志恩
数人のみ、実名、言います。 野木清司先生に私は直に色々と 遠回しな言い方で実情を伺っておりました。 あの先生が生長の家の組織を離れることになった お気持ちを切々と。 野木先生は亡くなられるまで先生の唯一の師は、 谷口雅春先生でいらっしゃいました。
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古川恵偉全国講師ありがとうございますありがとうございます (45348) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 05時35分
名前:志恩
古川恵偉先生
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藤原安子全国講師ありがとうございますありがとうございます (45349) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 05時37分
名前:志恩
藤原安子先生
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白鳩誌編集長 瀬戸口久子さんありがとうございますありがとうございます (45350) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 05時39分
名前:志恩
瀬戸口久子さん
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〇〇 〇〇本部講師ありがとうございますありがとうございます (45351) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 05時53分
名前:志恩
〇〇 〇〇先生は他界されましたが, 奥様は、まだお元気でいらっしゃるので、〇〇先生のお名前は控えさせていただきます。
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(45352) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 07時35分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
『法灯継承』とは、どの様な意味をもつのか。
雅春先生を敬愛する人が、
雅春先生に、ただ一人、継承指名を受けた清超先生に、
叱責されたその理由、要職には就けなかった、その理由。
我々には、想像や推測や詮索しか、出来ない。
清超先生も昇天されております。
雅春先生と共に、 天界の生長の家本部にて。
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(45353) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 07時55分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
>志恩ー
たとえ正式な法燈を継承された先生でも (省略)間違ったことは、間違ったと正直に申し上げるものですよ。<
志恩さんには、こう申し上げます。 正式な、生長の家『法灯継承』。 とは、誰が御指名をされた正式な継承であるか。
〖谷口雅春先生〗であります。
間違っているとの判定は、 志恩さんら、「自身の我」の判定でしかない事だけは、 自覚されたし。 そう思いますよ。
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そうおっしゃるならば (45354) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 08時44分
名前:志恩
生長の家の創始者でいらっしゃる 谷口雅春先生が正式に生長の家『法灯継承』を認められた
谷口清超先生は、
ご祭神は、変えませんでした。
「甘露の法雨」を補強するなどと言って、 怪しげなお経も作りませんでした。
「實相額」の前に、「實相額」が見えにくくなる あのような邪魔な 「七重の塔」や、「新たな神々を祀ったお社」も 設置しませんでした。
なのに、正式に生長の家『法灯継承』は,していないと言われている 次のお方が、次々に、清超先生がされなかったことを強行したのは
創始者・谷口雅春先生に対するのみならず 正式に生長の家『法灯継承』をされた谷口清超先生に対する 冒涜行為になりませんでしょうか。
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(45355) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 09時27分
名前: 一考の御参考になれば良いと、紹介します。 .
上のような志恩さんらの見解は、
今回の清超先生の話に限定している最中
またもご飯論法を頂く感ですな。
私が問うているのは、
>志恩ー
たとえ正式な法燈を継承された先生でも (省略)間違ったことは、間違ったと正直に申し上げるものですよ。<
志恩さんには、こう申し上げます。
正式な、生長の家『法灯継承』。
とは、誰が御指名をされた正式な継承であるか。
〖谷口雅春先生〗であります。
間違っているとの判定は、
志恩さんら、「自身の我」の判定でしかない事だけは、
自覚されたし。
そう思いますよ。
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この一点です。 能々読んで頂ければ幸甚です。
能々読んで、話を逸らすのでなく、 的を得た、的確で、明快な、 志恩さんにおかれましては、、 「自覚」のある、無し、の話を聴きたいものです。
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(45356) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 09時43分
名前:志恩
正式の法灯継承者どころか、 正真正銘の生長の家の創始者であらせられます 谷口雅春先生が、大東亜戦争は聖戦であると言われましたのに 正式の法灯継承者である谷口清超先生が、雅春先生の言われたことは 間違っているあの戦争は、聖戦ではない。と言われたではないですか、 つまり清超先生は谷口雅春先生の間違いを指摘されたではないですか。 それが、正しい指摘だったのか どうかは、別問題にして。 ですから、信徒たちにも 共産国ではないのですから、発言の自由は認められているのです。 あれは、間違っていると思ったことは、間違っていると正直に言っても 差し支えないのです。
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本当のことはわからない。 (45358) |
- 日時:2021年11月13日 (土) 19時38分
名前:本音の時代
【この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。】 (ブログ唐松模様から)
本当のことはわかりません。あくまで雅宣総裁の推測です。 雅宣総裁は自分の都合の良いように、谷口雅春先生の言葉を引用する時もあれば、都合の悪い谷口雅春先生の言葉は、清超先生の言葉を引用し否定します。
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「大東亜戦争は聖戦である」という言葉のひとりあるき (45369) |
- 日時:2021年11月14日 (日) 09時09分
名前:本音の時代
「大東亜戦争は聖戦である」という言葉を使うときは、ただし書きが必要だと思います。それは、谷口雅春先生が大東亜戦争を否定する言葉も残しているからです。歴史というものは単純なものではないですからね。
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(48540) |
- 日時:2022年02月19日 (土) 14時39分
名前:一考のご参考になれば良い、と紹介します。
「聖戦」などありはしません。 ただひとつの例外もありません。
戦争は愛の不在であり、智慧の不明であります。
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どこでも世間話 (49522) |
- 日時:2022年03月20日 (日) 00時40分
名前:低レベルの住人
急に裁判沙汰話が出てきたので、 再度考える余裕がなくなりました。
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(53641) |
- 日時:2022年10月07日 (金) 18時47分
名前:一票の重み
事情通さんの強い抗議に賛同するものです。
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