生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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打開策は「ひとつだけ」あります、破邪サン(まじめな話です) (46818)
日時:2022年01月03日 (月) 22時50分
名前:「訊」

 『生命の實相』のたしか21巻だったと思いますが、こういうシーンがあります。雅春先生が「ここまで私は実相を〇〇〇と説明してきましたが、ここで大きくその説明を転換するのであります」(趣旨)として、理解の進んだ読者への対機説法を「もう一段上げて」開始される箇所なのですが、私は「ああ、ここの記述に繋げるために今まで、20巻を費やして雅春先生は語っておられたのか」と感激したものなのですが、それくらいに重要なんですよ、『生命の實相』の「章立て」は。
 『生命の實相』の各章は精緻に設計されて連動しております。私のような宗教ギライまで魅了する同書ですが、本当に奇書と申しても差し支えないと思っております。通読してますと不思議なもので「ああ、その、神想観というものをオレもやってみたいなああ」と私が思い始めた頃、開始されるのが第8巻(神想観の説明)だったりしますし、「そもそも谷口雅春先生って、どんな生い立ちだったんだろう?」という興味が湧くと今度は、19巻や20巻が開始されるという具合なんです。繰り返しますが雅春先生は、『生命の實相』の各章を精緻に設計されて連動させておられるのです。私のような宗教ギライが魅了される背景にはそんな、雅春先生の緻密さがあるのです。

 と、云うことで本題なのですが、破邪サンはそろそろ「問題の核心に入るべき」ですよ。そして問題の核心とは、ズバリ、「貴方がたは雅春先生より翻案権も譲渡されているんですよね?」への返答です。おさらいしますが「著作権を有する」とは、「章立てを変更する権利までも有するわけではナイ」のです。そして改編するのであれば貴方がたに「翻案権が譲渡されていることが前提」になります。ですので、そこに対する返答をせぬことには、やれ「阪田先生は教団へ忠誠心がある!」だの、「トキさんも忠誠心は教団に対してだ!」だのの論点回避をして時間を浪費するのは、無礼を通り越して哀れみを催しますし、なにより破邪サンたち組織幹部の危機管理は、児童に等しい程度の能力として世間に広報する効果しか、持たぬものだと考えます。

 いや、これ、控えめに申しても「未曽有の危機だと」観じます。私が当事者ならば、毎晩眠れないくらいの危機ですし、会社で言えば「倒産直前の事態」でしょう。そんなときに幹部が、問題から目をそらし、やれ「阪田先生は教団へ忠誠心がある!」だの、「トキさんも忠誠心は教団に対してだ!」だのの文章遊戯にふけっておられるのですから「貴方がたは確実に崩壊する」でしょうね、残念ですが。

 まとめますが、『生命の實相』の各章は精緻に設計されて連動しております。章立てを変更してしまえば読者は「ああ、その、神想観というものをオレもやってみたいなああ」と思い始めた頃、第8巻(神想観の説明)が開始されぬかもしれません。否、そもそも「神想観というものをオレもやってみたいなああ」との思いが、読者に沸いてこない可能性すらあります。さらに言えば、「翻案権の有無」です。そして破邪サンはそろそろ本題に入るべきですよ。「貴方がたは雅春先生より翻案権も譲渡されているんですよね?」への返答が、9回裏2アウト状況への打開策です。




追伸

 妙案はひとつだけあります。この、法律違反の誹りを回避し事態を打開できる策ですが、ひとつだけです。それをやらないことには、おそらく発刊本の発売禁止は免れないことになりましょう。ご興味はおありでしょうか。もしもあおりならばその旨、ご表明ください。

翻案権か編集著作権か法律は知らないけど (46820)
日時:2022年01月03日 (月) 23時53分
名前:神の子

なんか新編生命の実相は頭注版を
編纂委員会が権利が無いのに編集
して内容を改竄(具体的には特に
章立ての変更)したから法律違反だ。みたいな話になってますね。

 (46822)
日時:2022年01月03日 (月) 23時57分
名前:神の子

愛蔵版と革表紙版を基準にしてる
から頭注版とは関係無いから比較
するなら、それと比較するのが
妥当では無いですか?

新編生命の実相は (46823)
日時:2022年01月04日 (火) 00時08分
名前:神の子

生命の実相のリニューアル版で
あって、頭注版生命の実相の
リニューアル版では無いと思いま
す。

はい? (46824)
日時:2022年01月04日 (火) 00時12分
名前:「訊」

 私、そんなことを話題にはしておりませんよ。私が(というか阪田先生やトキさんも)申し上げているのは「章の改編」です。頭注版13巻第二章にある記述が「なぜか新編の45巻第五章にある!」(譬えですよ)ということを問題にしているのであり、章の順番を変えたことについて「ご説明を」と申し上げているのです。ですので「光明思想社が内容を改ざんした」だなんて、私は一言も申し上げておりません。

>>>内容を改竄(具体的には特に章立ての変更)したから法律違反だ。みたいな話になってますね。<<<

 ちなみにこれ、私の文章の「どこをお読みになられた」のでしょうか。章立ての変更は「内容の改ざん」ではないです。そして改ざんでは「ない」んですが、破邪サンたちが翻案権を有していない限り「それは法律違反になる可能性がある」ということを主張、しているのです。






追伸

 これにも触れておきましょう。


>>>愛蔵版と革表紙版を基準にしてる
から頭注版とは関係無いから比較
するなら、それと比較するのが
妥当では無いですか?<<<


 はい、これです。そして、あっさりと申せば「愛蔵版と革表紙版を基準に」しても光明思想社版は「×」になります。意味は伝わりますか?光明思想社版はその、愛蔵版と革表紙版を基準にしても「章立てが違うため」です。内容を改ざんしているわけではナイにせよ、光明思想社は雅春先生から「章立てをも変更できる権利(=翻案権)を譲渡されていない限り」そんなことはデキナイのですからね。


余談 (46825)
日時:2022年01月04日 (火) 00時35分
名前:「訊」

 余談ですが、もう10年も前に私は「章立ての変更はまずいですよ」と警鐘を鳴らしておりました。掲示板のどこかにその記述が、あるはずなのです。ですんでその当時に「即時対処しておられれば」こんな事態を、招かずに済んだんだと思います。

 異論を容れない組織は、かくもモロイのです。警鐘が攻撃に映り、手遅れになってからの対処を強いられるからです。気をつけたいものですね。

 さて、破邪サンやそーれサンたち「学ぶ会」ですが、「この10年間を浪費してお過ごしになられた」わけです。でも、過去は変えられないにせよ、未来は変えられます。「今日からどうするか」の方針を早急にお示しになられるのが、よろしいかと。さもなくば本年からの集金面(会員さまからの寄付金)の大幅減少問題が浮上、することと確信しますので。






追伸


 ちなみに本流系の投稿人には「経済問題は後からでもどうとでもなる!」な意見が主流ですが「それ、甘いですからね」(笑)社会を経験すれば誰もが了解できますが、経済問題ほど「あとからはどうにもならない」です。組織は¥が重要な要素のひとつです。従って幹部は繊細に、この問題に対処すべきなのです。

 ・・・・・で、初動を間違うと大惨事を招きますよ。「発刊停止処分に伴う損失補填のための寄付金をお願いします!!!!」なんてかっこわるい運動を、するハメに(後略)ですんで、手を打つなら「早く」です。さもないと、歴史に刻まれる学ぶ会評は「自分たちで自分たちを兵糧攻めにした摩訶不思議な団体」なんてものにしか、なりませんため。

愛蔵版と比較してもらえれば異論無いです。結果は同じでも。 (46826)
日時:2022年01月04日 (火) 02時37分
名前:神の子

ただ、これが翻案に当たるのか、
複製の範疇かは微妙な気がします。
少し弱い気がしますが法律違反の
可能性は有りますね。

大変 (46829)
日時:2022年01月04日 (火) 10時13分
名前:本流ウォッチャー

かなり知れ渡ってますね。
本流は改めないとまずい。
嫌いな訊け氏が言ってて無視したく
なるのかもしれないが
寄付金拒否につながればそっちが大変。

神の国寮の子供達は助けたいから寄付はして
欲しいけど
本流の体制のままじゃまずい

事業団が宗教活動をしていると思われないため? (46832)
日時:2022年01月04日 (火) 11時48分
名前:感想

「久遠の實在」復刻版  最終ページに斯くあります


本復刻版は著者の意向に依り、別頁の經濟篇を割愛しました。



割愛された事情はどこにあるのでしょう。
昭和七、八年当時の經濟事情下での表現が、昭和五十九年発刊時点では不都合と雅春先生が判断されたからと考えます。

生長の家誌に説かれたものはその時代に合った表現がとられています。真理の表現も実相は斯くの如しと説かれるとともに、現象面から、斯くすれば人生勝つと、時処に適う表現がとられます。

同じく、戦前の表現で、実相から戦争は迷いと迷いのぶつかり合い、迷いの自壊作用というような表現がなされ、戦時下の現実において皇軍必勝と心に日本国の必勝を持たせるよう表現されたものもあります。

そうした戦前の社会事情に合わすべく表現されたものを削除されて、戦後定番の『生命の實相』が発刊されたものと考えます。その雅春先生がこれでよいと認定された『生命の實相』の著作権(印税)を事業団の基本財産として寄付されたものと考えます。

昭和十年十月一日初版発行の、人造洋皮装『生命の實相』地の巻の内容は初版生命の實相から僅か四年後の発刊ですが、内容には生長の家誌巻頭言などが挟まれて変化しています。これら戦前の生命の實相すべての発行を許可するということでの『生命の實相』の著作権が寄付されたとする事業団の見解は雅春先生逝去後の勝手な言い分と考えます。

戦前の満州教化部版の単行本には雅春先生の意思で廃刊になっているものがあります。
その廃刊本を久保理事長が青年会当時の本部青年会執行委員たちは探し回っていました。

この様に雅春先生の意思と違うものを腹に持つ人たちの集団が自性本流派という人達でしょう。

事業団を宗教団体とするわけにいかないため、事業団は文化振興事業などと一般人向けに装い、宗教的信仰活動の前線部隊として学ぶ会を設定しているものと考えます。であるから事業団のすることへの批判を、生長の家の宗教内の揉め事と世間に思われてはならない為、あくまで学ぶ会という宗教団体と生長の家教団という対比にして、破邪氏が矢面に立たざるを得ないのでしょう。

そのような意味からすれば破邪さんは損な役回りをさせられているといえます。
久保理事長が表に出て発言すべきでしょう。


ところで「生命の實相」の発行権は日本教文社にあるとした上での著作権寄付ではないのでしょうか?発行権をも事業団に与えたのでしょうか雅春先生は。法律談議でなく、雅春先生の意図は如何でしょうか。ご存じの方おれば教えてください。

「訊」様の重要なご指摘について(私見) (46884)
日時:2022年01月06日 (木) 17時46分
名前:tapir

>『生命の實相』の各章は精緻に設計されて連動しております。私のような宗教ギライまで魅了する同書ですが、本当に奇書と申しても差し支えないと思っております。通読してますと不思議なもので「ああ、その、神想観というものをオレもやってみたいなああ」と私が思い始めた頃、開始されるのが第8巻(神想観の説明)だったりしますし、「そもそも谷口雅春先生って、どんな生い立ちだったんだろう?」という興味が湧くと今度は、19巻や20巻が開始されるという具合なんです。繰り返しますが雅春先生は、『生命の實相』の各章を精緻に設計されて連動させておられるのです。私のような宗教ギライが魅了される背景にはそんな、雅春先生の緻密さがあるのです。<

この部分に感動いたしました。「訊」様が書かれたとおり、谷口雅春先生は、読者を悟りに導く精緻な順序で『生命の實相』を執筆されました。言葉の選び方、並べ方に心血をそそがれました。それは各章の並び順も同じことです。それを「訊」様は、実体験から、分かりやすく表現されています。私も同じ思いでいます。谷口雅春先生の行き届いたご文章の行間から、先生の筆を通して神様の愛が伝わって参ります。一見寄せ集めに見える章の並び順は、決しておろそかにしてはならないと存じます。そのご文章を章ごと入れ替えるなど、御教えの改竄に等しい冒涜だと考えます。


>はい、これです。そして、あっさりと申せば「愛蔵版と革表紙版を基準に」しても光明思想社版は「×」になります。意味は伝わりますか?光明思想社版はその、愛蔵版と革表紙版を基準にしても「章立てが違うため」です。内容を改ざんしているわけではナイにせよ、光明思想社は雅春先生から「章立てをも変更できる権利(=翻案権)を譲渡されていない限り」そんなことはデキナイのですからね。<

愛蔵版と革表紙版と比較して、『新編生命の實相』の章立てを確認してくださってありがとうございます。わが家に新編は無く、比較できていなかったので確認していただいただことが有り難いです。

つまり、谷口雅春先生の作品ではない、ニューバージョンの『生命の實相』を、光明思想社が勝手に章立てを改竄した偽物に、谷口雅春先生のお名前を冠して、販売しているといってもよいかと思います。(「改竄」は悪意がなくても誤解や知識不足、の場合も含まれるとのことなので、ここであえて使いました)


>ちなみに本流系の投稿人には「経済問題は後からでもどうとでもなる!」な意見が主流ですが「それ、甘いですからね」(笑)社会を経験すれば誰もが了解できますが、経済問題ほど「あとからはどうにもならない」です。組織は¥が重要な要素のひとつです。従って幹部は繊細に、この問題に対処すべきなのです。

 ・・・・・で、初動を間違うと大惨事を招きますよ。「発刊停止処分に伴う損失補填のための寄付金をお願いします!!!!」なんてかっこわるい運動を、するハメに(後略)ですんで、手を打つなら「早く」です。さもないと、歴史に刻まれる学ぶ会評は「自分たちで自分たちを兵糧攻めにした摩訶不思議な団体」なんてものにしか、なりませんため。<


章立てを戻す、40巻に戻す、これまでの頭注版と同じものを出版する。それなら、教団の読者でも買うようになるでしょう。今の「新編」は、まったく買う気が起こりません。元の形に戻すだけで、経済面でも、運動面でも、大きな改善になると思います。


「訊」様に、ひとつだけご確認いただきたい言葉があります。

「訊」様の使っていらっしゃる「翻案権」(がない)は、この場合、意味が違うように思います。

「翻案権」は、「著作権」の「財産権」に含まれます。原作を映画化、ドラマ化等を許可する権利です。

https://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime2.html

例えば頭注版19巻、20巻を原作にして「谷口雅春傳」という映画をA監督が映画化したいとする。 その場合、映画製作の許可を与える権利が「翻案権」です。 社会事業団には、許可を与える権利があります。翻案された映画「谷口雅春傳」は二次的著作物と呼ばれ、作者はA監督になります。原作者は、谷口雅春先生です。

『新編 生命の實相』のように、原作の文章に手を入れて、谷口雅春先生のお名前で公表することは、「著作者人格権」の「同一性保持権」違反に該当すると思います。

tapirさまへ取り急ぎ「翻案権」についての言い訳(笑) (46889)
日時:2022年01月06日 (木) 18時14分
名前:「訊」


↓↓↓
(翻案権について)
複製権は著作物をそのままの形で利用するものですが、翻案権は著作物を用いて新たな著作物を創作する権利です。この翻案権に基づいて創作された著作物を二次的著作物といいます(2条1項11号)。
↑↑↑

 ご投稿のお礼は後日にまわしまして、「翻案権」について触れます。さて、翻案権についてはtapirさまご指摘の通りでございまして、私の理解と一致いたしております。そこで当方がなぜ今回、「翻案権」を用語に破邪氏へ問いかけを行っているかの理由を述べますと、議論錯綜回避のための「牽制球」なんです(笑)。翻案権は上記定義の通りでありまして、「新編は二次的著作物だ。だから改編はOKなんだ!」とか主張されることを「事前に予防したかったから」です。

 そんな意図がございましたことを、貴方さまには早急にお伝えいたしたく、投稿いたしました。なお、冒頭述べたごとく貴殿ご投稿への感想は明日以降に掲載いたします。





 (46891)
日時:2022年01月06日 (木) 20時07分
名前:通りすがり

学ぶ会掲示板、ぴたりと止まってる。

tapirさま (46894)
日時:2022年01月06日 (木) 21時22分
名前:「訊」


>>tapirさま


 拙文内容を重要だとおっしゃってくださり、ありがとうございました。また、「私も同じ思いでいます。谷口雅春先生の行き届いたご文章の行間から、先生の筆を通して神様の愛が伝わって参ります。」「一見寄せ集めに見える章の並び順は、決しておろそかにしてはならないと存じます。そのご文章を章ごと入れ替えるなど、御教えの改竄に等しい冒涜だと考えます。」に対して賛同いたします。
 そして「どうして?」な気持ちがむくむくと湧き上がるのですよね、「どうして?」と。どうして「あんなに軽く章立てを、変えることが出来るのだろう」と。本当に不思議ですし、不気味でもあります。

 さて、学ぶ会、あるいは事業団なのか光明思想社なのか、「権利関係への意識が希薄である」のが気になります。実は(いぜんも書いたんですが)安東先生宛に私は、手紙を書いたことがあるのです。そしたら後日、びっくりすることがありまして「私が書いた生命の実相への感想」の一部がなんと、新編まえがきに「パクラれて掲載されてあった」ことがありました。特殊な言い回しをしましたし、論の展開がそのまま「私の文章」でしたから嗚呼直ぐに気づいたのですが嗚呼・・・・・・・事前になんの連絡もなかったことは、言うまでもありません。

 さて、彼らのそんなところ≠ヘ必ず、組織を危うくすると診ます。「権利関係への意識が希薄である」のが気になりますし、著作権を有する集団なのですから、恥ずかしくない振舞いに期待したいものですね。と、云うことで私の意見に賛同頂き、ありがとうございました。今後もどしどしとご意見をお願いいたします(特に反論は大歓迎です)






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