生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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破邪顕正さん、阪田先生と話をしてください。 (47055) |
- 日時:2022年01月12日 (水) 19時43分
名前:本音の時代
阪田先生はパソコンをおやりにならないようです。 破邪顕正さんができないのなら、学ぶ会か社会事業団か光明思想社の誰か、お願いします。関係改善のため、動いてください。 生長の家は「大調和の教え」「神は愛なり」の教えではありませんか。 生長の家の立派なところを、見せてください。
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(47056) |
- 日時:2022年01月12日 (水) 21時25分
名前:tapir
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窮鳥懐に入れば猟師も殺さず 【読み】きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず 【意味】窮鳥懐に入れば猟師も殺さずとは、窮地に陥った者が助けを求めてきたら、どんな理由があろうと助けてあげるものだということ。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さずの解説】 【注釈】逃げ場を失った鳥が懐に飛び込んでくれば、鳥を撃つのが仕事である猟師であっても、哀れに思って殺したりはしないということから。 『顔氏家訓・省事』に「窮鳥の懐に入るは仁人の憫れむ所なり。況や死士、我に帰す。当にこれを棄つべけんや(逃げ場をなくして困窮した鳥が懐に飛び込んできたら、慈悲深い人はこれを助ける。まして死を覚悟している兵士が助けを求めてきたら、どうして見捨てることができるだろうか)」とあるのに基づく。
(『故事ことわざ辞典』 http://kotowaza-allguide.com/ki/kyuuryoufutokororyoushi.html)
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猟師でさえ、勇気を振るって懐に飛び込む窮鳥を殺しません。思い切って電話をなされば、きっと道が開けると思います。
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山ちゃんさんの正論転載 (47057) |
- 日時:2022年01月12日 (水) 21時32分
名前:通行人
2022年01月12日19:02
十七条憲法に立ち還ろう、十曰く「絶忿棄瞋、不怒人違」 私は「前ブログ」で記載しました「著作者人格権」の「同一性保持権」について記載しましたが、それで相手を訴えようとか、こんな事言われたので、仕返しをしてやろうとか、相手を苛めて懲らしめてやろうとか、自分がこんな事言われたから、言い換えそうとか、そうした争いする心はありません。
そんな事すれば、自分も傷つく事になるからです。私はどこの団体にも所属していませんが、少しの宗教心はもっているつもりです。こんな私でも相手を拝む心は持っています。
だからこそ、相手を傷つけたり、闘争心はもたないようにしています。まずは、相手が悪くない、己が姿を写しているんだ。私が悪いのだ、そんな相手を裁判に訴えたりするのは心の中に自我を持って相手を傷つけ、謝らせようとしていた、卑しい心がそうさせたのである。
本當に心から拝み、懺悔して謝ろう。“私が悪くない”というような個我ではいけません。仏心になるということはそんな、自分だけは間違いないというような心ではありません。
『新編 生命の實相』もそうである。今更、止めるわけにはいきません。それに伴い、様々な人のご苦労があるのです。それに感謝しなければならない。
その編集長は当初の阪田先生、故森田先生、中島省治氏も反対していた。そうした反対をされたのは意味があったのだと深く反省しなければなりません。いろんな意味があったのです。独占的な気持が人を迷わすのである。
ただ、今回の破邪顕正氏の発言により蒸し返す事となったが、「学ぶ会」も居丈高に叫ぶのではなく、また、高飛車には決してなるのではなく、宗教者の代表の存在なんだから、まずは感謝する事だと思う。拜むことだと思います。こういう争いが生ずるのそれが出来ていないということであります。
『立ち向こう人の心は鏡なり。己が姿を映してや見ん。』
これは御存知の通り、黒住教の黒住宗忠の言葉ですが、本来、「立ち向こう人の心は鏡なり」という言葉はその言葉通りではありませんが、同じように書いている言葉が「十七条の憲法」です。聖徳太子の言葉です。
漢文では
十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。
第十条、忿を絶ち瞋を棄て人の違ふを怒らざれ……。
訳文「十いわく いきどおりを絶ちいかりを捨て。人が従わないことを怒らない。人には皆それぞれの心が有ります。心は各人思いとらわれるところが有ります。彼は我では無く。我は彼では無い。我も必ずしも物事の道理に通じた者では無い。彼も必ずしも愚か者では無い。共に凡夫なばかりです。これが道理で無くて、どんな定めが出来ようか。お互いに道理に通じた者でもあり愚か者でもある。まるで金輪に端が無いように。それで彼が人を怒る事が有っても。顧みて我がしくじりが無いか心配しなさい。我一人が適任と考えても。皆に合わせて同じ様に用いなさい。」聖徳太子十七条憲法の訳文、原文、読み方 – iTSCOMから抜粋
十七条の憲法の第十条です。
相手ばかり、欠点や行いを批判して、自分がその欠点を認めている。内在している心に悪しき存在を認めている己の心を反省しなければなりません。それが最初に行う事です。
“映し鏡”という言葉があります、自分の発言した言葉は己がそのような行為を行っているからこそ、見えるのです。
そこを本来は反省するのが宗教者の立場なのです。
昔は「生長の家」は地域に名士がいて、その人が生長の家幹部なんです。そのために、その人だったら間違いないという評判もあり、「生長の家」入信される人も多かった。
私の住んでいる吹田市にも名士と呼ばれる人が数人いた。その長が片村四八先生である。片村先生なら間違いないという評判があり、その地域は生長の家信者も多かった。
昔の生長の家の信仰者は謙遜されながらも、爭い事を嫌うという幹部の殆どが、そんな人であった。今では、「怪(け)しからん」と憤怒に変わってしまっている。
「忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。」
この気持ちを大切に互いにしていこうと思います。とりわけ、私自身が反省して実行しなければならない。
私は今回の件で今年になってから三回電話がかかってきたりかけたりして、阪田先生の本音の一部を聞いている。こうした、一回の電話が人は和み、爭い事も消えるのである。
人間というのはすぐに相手の欠点につけこんで、相手に有無も言わせない態度をとる。しかもいきなりである。根回しなどない。自分に逆らえば承知しないぞ❗とヤクザ紛いの嚇しである。
今は何か宗教の行っている団体に見えない。本来は人を救い、導く団体が使命である、今は本来の真理の光はの蔭は潜め、闘争のみに神経を費やしているのだ。
谷口雅春という名前を使用する事さえ穢らわしく思う。だがそういう自分も憤怒の心を反省しなければならない。
生長の家では私が若い頃には、怒りを棄てる事や感謝する事の大切さを教えて戴いた。観音菩薩として相手を拝む心がいかに大切かを教えて戴いた。
相手を訴えるのはもってのほかです。それこそ両刃の剣です。自分の心も傷つけることになっていることを知って戴きたい。
阪田先生は前に書きましたようにパソコンをされません。あまりにも今の状態だと反論出来ないので一方的に攻撃しているしか見えない本当に憂慮しています。

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学ぶ会の代表でいらっしゃる中島省治先生も、『新編 生命の實相』の編集について、反対であったと伺いまして、少し安心しました、 (47061) |
- 日時:2022年01月13日 (木) 00時45分
名前:しんなりモナカ
則天去私様のお言葉より一部抜粋ー >>『新編 生命の實相』もそうである。今更、止めるわけにはいきません。 それに伴い、様々な人のご苦労があるのです。 それに感謝しなければならない。
その編集長は 当初の 阪田先生、故森田先生、中島省治氏も反対していた。 そうした反対をされたのは意味があったのだと深く反省しなければなりません。いろんな意味があったのです。独占的な気持が人を迷わすのである。<< _______________ しんなりモナカー 則天去私様が書かれておられますように、『新編 生命の實相』の刊行は、 ここまできましたら、今更、刊行をやめるわけにはいかないのだということはお察しいたします。
『新編 生命の實相』第1巻が 発刊された年月日は、今から10年前の2012.1.11です。 最新号の『新編 生命の實相』第48巻が 刊行された年月日は、2021.10.26です。
この10年間で、毎年約5巻づつ、発刊されてきたことになります。 65巻までは、あと残り17巻ですから、今後も、毎年、順調に5巻づつ刊行してゆけば あと、3年半ぐらいで、全巻の65巻に達します。
しかし、このたび、阪田先生が、大変重要なことを、「光明の音信」とやらに 発表してくださいましたので、 この世から、抹殺され、刊行することも不可能にされていた、 生長の家にとりましては肝心要の谷口雅春先生が作られた大聖典である 谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』の存在に、光が当てられまして、 皆で、そのことに、気づくことができました。
もしも、阪田先生が、書いてくださらなかったら 谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』は、このまま、闇に埋られたままになっていたと 思いますと生長の家信徒の一人として、ゾッとする思いです。
再度、書かせていただきますが、阪田先生がご主張されておられることは 全くの正論のど真ん中です。阪田先生のおっしゃったことは、間違っておられません。
谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』は、こんなふうに、この世から抹殺されたままで 終わってはならないと強く私も思っております。
『新編 生命の實相』は、そのままに。
次に、著作権を握っている社会事業団に、早急に考えていただきたいことは、 あなたがたが、闇に葬ってしまった谷口雅春先生が作られました 谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』を、この世に蘇らせていただくことです。

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『頭注版 生命の實相』を子孫に引き継ぎたいと、私も思います(私見) (47107) |
- 日時:2022年01月13日 (木) 21時37分
名前:tapir
志恩さまの書かれた通りだと思います。今のまま、『頭注版 生命の實相』が消えて行くのは、谷口雅春先生御存命の時の、生長の家の運動の歴史の重要な部分を断ち切ることになると思います。
>谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』は、こんなふうに、この世から抹殺されたままで 終わってはならないと強く私も思っております。
『新編 生命の實相』は、そのままに。
次に、著作権を握っている社会事業団に、早急に考えていただきたいことは、 あなたがたが、闇に葬ってしまった谷口雅春先生が作られました 谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』を、この世に蘇らせていただくことです。<
私が「著作者人格権」の侵害の疑惑と、法律のことを書いて来たのは、別に、社会事業団を追い詰めて、裁判に持ち込んで、事業団に損害を与えたいからではありません。そんな費用があれば、聖典の出版費用、子供たちの福祉の費用に充てていただきたいと思います。
『頭注版 生命の實相』40巻のご文章を、谷口雅春先生が編集されたそのままで、出版していただきたいと、心から願っているからです。
『頭注版 生命の實相』は、1962年(昭和37年)に出版され、総数1900万部以上になったとの広告を何年も前に見たことがあります。
私も、入信以来、『頭注版 生命の實相』を、何人かに献本しました。 あの人は初心者だから、第7巻、または第1巻がよい。神想観なら第8巻、女性の生き方に関心があれば29巻、霊界のことは9,10巻…。一番献本したのは、7巻です。
伝道活動と献本活動は、一体でした。
コ久克己先生著『生命の實相に学ぶ』を今日、読み返しました。
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谷口先生が 「一切の問題の解決は『生命の實相』に書いてある」 とおっしゃっておられたことを思いおこして、まことにそのとおりである、と今更のように教えられました。その自問自答で拝読さしていただいた時の気持ちを、そのまま、ここに質問と解答という形式で書かしていただきました。しかし、ここに出ている解答は、紙数の関係で、その中心になる所だけの抜粋ですので、必ず『生命の實相』をひもどいて、その前後を詳しく熟読して、正しく理解していただくことをお願いします。なお、引用させていただきました『生命の實相』は頭注版により、携帯版のページ数を括弧で示しました。 (コ久克己著『生命の實相に学ぶ』 はしがき (P2)日本教文社)
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コ久先生の『生命の實相に学ぶ』も、練成会でいつも精読を薦められました。このように、40年以上、光明化運動と連携して伝道に、学習に親しんで来た40巻が、65巻に変えられて、「先輩から受け継いだ運動が断ち切られた」と感じたのは、私だけではなかったと思います。
また、同書10ページには、50冊の『生命の實相』を知人に贈呈した、ブラジル人信者の話も書かれています。かって、日本語の話せないブラジル人信徒からポルトガル語で「そのことは、〇巻にこう書いてありますね」と教えられて、国境、言語を超えて生長の家の真理が伝わっていると感動したことがありました。このように共通の話題にすることも、巻数が変われば、難しくなります。
法律のことを書いて来たのは、そのように身に染み込ませるようにして拝読し、伝道の大切な手段でもあった頭注版の、内容が入れ替えられたことがどれだけ衝撃であったか、運動意欲を削いだかを、分かっていただきたいからです。
新編65巻を出すことに反対しているのではなく、頭注版40巻の出版が停止していることを残念に思っているのです。 運動の流れが断ち切られた、断ち切られたが言い過ぎなら、遠回りになって停滞してしまったことを、憂えているのです。

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tapir様のご意見に賛成です (47109) |
- 日時:2022年01月13日 (木) 23時33分
名前:トキ
tapir様のご意見に賛成します。
私は頭注版が出版されなかったことは大きいな衝撃を感じております。新版「生命の実相」が出版されても、従来の頭注版が継続して出版されていたら、今回の騒動は起きなかったと私は思います。別に教団の本部を支持するつもりはないし、信徒にとっては頭注班がそのまま出ていれば文句は言いにくかったのです。
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著作権法は、著作者の権利を守るために人間が作った法律ですが、 (47110) |
- 日時:2022年01月13日 (木) 23時41分
名前:しんなりモナカ
谷口雅春先生は、 その大事な『生命の實相』の著作権を、善意で 私欲を放ち、社会事業団に印税を与えるために 寄与したことで、
人類光明化運動のために谷口雅春先生ご自身が作られて 発売された『頭注版 生命の實相』が、 著作権を寄与した社会事業団のせいで、刊行できなくなるなんて いう悪夢は、全く予想だにされておられなかったことだったと存じます。
『新編 生命の實相』は、谷口雅春先生が亡くなられたあと、 著者を除いた編集者が、勝手に章立てを変え、装丁も変え、 全巻数も、変えてしまって、発刊したものです。
これで著作権法が改正されずに、70年でなく50年のままでしたら あと13年経てば、『頭注版 生命の實相』は、刊行できましたのに、 70年に改正されてしまいましたので、あと33年も経たないと 著作権は、社会事業団が握ったままなので、 『頭注版 生命の實相』は、日本教文社からは、刊行できません。
しかし、その後、もし、70年が100年に改正されましたら、 あと63年後でないと、社会事業団に著作権がありますので、 日本教文社は、『頭注版 生命の實相』は、刊行できません。
ということは、完全にこの世から『頭注版 生命の實相』は 社会事業団の手によって、抹殺が完成したことになります。
『新編 生命の實相』は、『頭注版 生命の實相』とは、別の人間である 著者ではない、谷口雅春先生ではない、別の編集者が作成したものです。 どんな学者を揃えて考えたのちにやったことだと言われましても その方達は、谷口雅春先生とは別人の方々が、考えたことです。 『新編 生命の實相』は、『頭注版 生命の實相』とは、別物です。
tapirさんも申されておられますが、 献本を生きがいにして生きていた私の実母も、 この『頭注版 生命の實相』全巻を、どれだけ、人様にプレゼントして きたことでしょう。
繰り返しますが、 社会事業団は、『頭注版 生命の實相』を、消したままで終わらさず この世に蘇らせていただきたいと、切に願っております。
著作権法で、社会事業団が、裁判で勝利したとかですから、 日本教文社が刊行できないのでしたならば、 社会事業団、学ぶ会、光明思想社の三社の手で 『頭注版 生命の實相』を是非とも刊行していただきたいです。
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谷口雅春先生のような、誠実な人になりたい。 (47367) |
- 日時:2022年01月17日 (月) 21時02分
名前:本音の時代
でも、自我が出てしまうのです。 そしてその後にまた思うのです。 「谷口雅春先生のような、誠実な人になりたい。」と。
自分が管理する掲示板に載せた文章があります。 【生長の家の生き方 - 尊師は壇上に泣き給う】 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/&mode=res&log=3161
谷口雅春先生の誠実さに憧れるが故に、生長の家が好きなのだと言っても良い。
則天去私さんの1/17のブログを読みました。 社会事業団の対応に驚きました。 谷口雅春先生や生長の家を好きな人は『誠実』を第一に考えると信じたい。それは個人も組織も同じです。 谷口雅春先生のような、誠実な人になりたい。
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雑感 (47372) |
- 日時:2022年01月17日 (月) 21時58分
名前:トキ
谷口雅宣総裁は、当時、教団で権勢を誇っていた安東巖さんを憎み、その追放に執念を燃やしました。自分が権力を握り、人事と金を左右できるようになると、念願叶って安東さんを追放しました。が、安東さんやその支持者を追放すると、今度は自分が権勢を振るい、気がつけば安東さんですらしなかったような無茶苦茶なことをやり始めました。そのような傍若無人の振る舞いに嫌気がさして教団をやめた人たちにより「学ぶ会」ができましたが、いつの間にか指導部が暴走を始めました。
今回、私は阪田氏の主張を支持しました。が、調べてみると、阪田氏が教団で要職についていた時期には、阪田氏も謙虚だったとは言えない態度だったみたいです。当時の関係者に話を聞くと、個性の強い人なので、コアなファンもいますが、反対に「敵」も多かったみたいです。もちろん、これは何十年も前の話なので、今の阪田氏の評価ではありません。くれぐれもご注意ください。私は、阪田氏が、谷口雅宣総裁の教義の歪曲を指弾し、同時に「本流復活派」の暴走も指弾する姿勢は公平なものであり、それなりに評価をしています。
今回、「最高級掲示板」の管理人さんがした一連の投稿者への不当な行為は、私は筋違いの酷い行為であると思います。しかし、自分も掲示板の管理人ですから、同じ間違いを犯さないという保証はありません。考えてみると、恐ろしい話です。
現在の教団本部が谷口雅春先生の教えを歪曲し、信徒を騙しているのは否定できないと思います。が、それを指弾する人たちにも程度の差はあれ、似たような問題が起きたわけです。これは自分の身にも起きうる事案だと考え、謙虚に反省したいと思います。
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