生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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破邪顕正さんのコメントについて (47191)
日時:2022年01月15日 (土) 02時09分
名前:トキ

 破邪顕正さんからコメントが来ましたが、どのスレッドも埋まってきたので、新しくスレッドを立てました。

 「「阪田先生」がまず、社会事業団に対して、憎悪の感情を抱いているから、こちらは、ただ、それは最高裁判決と違っていますよ、と言っているだけなのに、それを憎悪だと思ってしまっているのではありませんか。」

とありますが、憎悪のくだりは、普通に考えて、則天去私さんの感想ではないかと思います。これを元に阪田氏を叩くのはどうかと思います。

 破邪顕正さんが言いたいのは、おそらく、阪田氏が同志だと思って信頼していたのに、裏切られたという感想でしょうか。しかし、阪田氏は、新編「生命の実相」については、生長の家社会事業団に森田先生と共にやめてほしいと何度も陳情したのに無視されたとも聞いております。阪田氏にしても、言い分はあるとは思います。

 私の知る限り、阪田氏は評価の分かれる人で、彼を尊敬する人もいれば、嫌っている人もいます。ところが、今回の件については、私の周囲にいる人では、彼を嫌っている人ですら、「今回は阪田市の言うことが正論である」と言っています。頭注版がでない現状をかんがみると、このままでは、新編「生命の実相」が基準となる可能性があります。今後の生長の家のあり方が決まる段階なので、阪田氏にしても、大義親を滅す、と言う感じで書いたのではないか、と思います。

 教団本部が支離滅裂なことを言っているのは諦めるとしても、本流を名乗る人達まで支離滅裂な事を言い出すのはがっかりです。私個人は、別に頭版が以前のように入手可能なら、新編「生命の実相」を止めろとは言いません。ここは冷静になってほしいと思います。

今回は「装丁」を取り上げさせていただきます.『生長の家五十年史』 (47193)
日時:2022年01月15日 (土) 06時29分
名前:しんなりモナカ

阪田成一先生が編纂に 携わられたという
『生長の家五十年史』は、
「装丁」も
しっかりしていて、立派です。

『頭注版 生命の實相』の装丁。 (47194)
日時:2022年01月15日 (土) 06時33分
名前:しんなりモナカ

こちらが
今、話題にのぼっている
谷口雅春先生が作られました
谷口雅春先生著『頭注版 生命の實相』。
「装丁」も
大聖典らしい落ち着いた品格がございます。

『新編 生命の實相』の装丁。 (47195)
日時:2022年01月15日 (土) 06時57分
名前:しんなりモナカ

『新編 生命の實相』の
「装丁」。

ご神像の写真は、表紙にではなく
内側の最初の辺りのところに載せ、
表紙の装丁は、大聖典らしい品のある感じ
のものにしたほうが良かったというご意見が
私の耳には、多く届いていました。

頭注版 (47196)
日時:2022年01月15日 (土) 07時10分
名前:神の子

古い人は愛着が有っても
現代の若い人には受け入れ難い
デザインだと思う。
リニューアルの必要は
有ったのでは?

両建て、というか、二つの版があったほうがいいのでは (47197)
日時:2022年01月15日 (土) 07時14分
名前:アクエリアン

かつて「愛蔵版」「携帯版」「頭注版」があったように、

令和の時代には、

『新編 生命の實相』

と、

『頭注版 生命の實相』

の二つの版が刊行されるのが、いいのではないか、と思いますが、どうでしょうか。

神の子さんへ (47198)
日時:2022年01月15日 (土) 07時28分
名前:しんなりモナカ

リニュアールにつきましては、
表紙の装丁を変えるのは 、OKでしょう。
問題ないでしょう。

あと、『頭注版 生命の實相』
の活字をできれば多少大きくして
(200頁→280頁)

章立ての変更はしない、

巻数も変更はしない、
全巻は、40巻のまま。

定価は、多少は、あげる。

そして、
谷口雅春先生が、考えられて作られたままの
新『頭注版 生命の實相』を作り
このような感じに 刊行すれば、

谷口雅春先生も
「近代化した 『頭注版 生命の實相』を作ってくれて、
ありがとう。
装丁も近代的で品格のある美意識に高いものにして
くれて、ありがとう。」と

大変喜ばれると思います。

そして、全世界におられる多くの古い信徒さんたちも
これならと、こぞって、買ってくださり、献本用にもと
たくさん買い求めてくださると思います。

内容は素晴らしいが頭注版の造り、そんなに良いですかね? (47199)
日時:2022年01月15日 (土) 07時58分
名前:神の子

紙が薄くて裏ページの文字が透けて
見えるのが安っぽくて嫌なんです。
紙の質は新編が良いんですが、40巻
300ページだと分厚く重くなる。
そう考えると新編の作り方も理解
出来るな。と。

神の子さんへ (47200)
日時:2022年01月15日 (土) 08時25分
名前:しんなりモナカ

私は『頭注版 生命の實相』、『新編 生命の實相』
両方とも持っていますので、
見比べられますが、『頭注版 生命の實相』の
紙は薄い、透ける、と感じたことは一度もありません。

『新編 生命の實相』は紙は、厚くしてあるな、とは
感じましたが、厚くしたからいいとか、読みやすいとかは
私はこれも一度も思ったことはありません。

新編は、紙を厚くしたせいか、頁数が、すごく少なくなった。
約220頁→約180頁。


印税を寄与する目的で谷口雅春先生のご好意で
著作権を与えられた社会事業団のお抱えの、頭はいいらしいですが、
センスは、ひどく悪い、どこの馬の骨か、わからない
新編作成の編集者が 頭脳知を捻って考え、章立てまで
勝手に変えてしまった 新編は
紙を厚くして、頁数をすごく少なくして、
1676円(税込)という高値にしました。

私は、頭注版は、750円で買いましたが、
新編は、頁数を少なくしたのに、倍の値段にしたわけです。

薄いのに高い、章立て、変更してしまった、
表紙の装丁も 見るからにカルトっぽくてダサい、
あれじゃ、売れないと思いますよ。

頭注版を、活字を少し大きくしようと思い、
1.5倍にしますと、300頁になりますが、
1.25倍にしとけば、280頁です。

紙は薄くていいですよ。
軽いほうが、軽いから持ち運びに便利です。

定価は、高齢者でも買えるように、安めに設定したほうが
薄利多売の精神で、
新頭注版だと思えば、古くからの信徒たちもこぞって買うと
思います。

練成会や講習会や誌友会のテキストにしても、前の、頭注版を
すこしだけ、変えただけでしたら、馴染みがあるし、新だと
思えば、買うこと間違いなしです。

アクエリアンさんへ (47201)
日時:2022年01月15日 (土) 09時04分
名前:しんなりモナカ

アクエリアンさんー
>>かつて「愛蔵版」「携帯版」「頭注版」があったように、
令和の時代には、
『新編 生命の實相』
と、
『頭注版 生命の實相』
の二つの版が刊行されるのが、いいのではないか、と思いますが、
どうでしょうか。<<


しんなりモナカー

もちろん、いいと思います。

新編の方は、今後も、光明思想社から、刊行されるでしょう。

しかし、今、阪田先生が、「光明の音信」とやらに発表されたことがきっかけで、
トキ掲示板と第二掲示板で論戦中の話題は、
『頭注版 生命の實相』が、この世から消えてしまったという事実です。

社会事業団が自分たちが保持している著作権を盾に、
『頭注版 生命の實相』の刊行を
させないようにしているために、『頭注版 生命の實相』全巻が、
この世から消されたという事実です。

ですから、この世から 『頭注版 生命の實相』全巻を  抹殺してしまった
社会事業団は、その責任を痛感されまして、
深く反省し、抹殺してしまった 『頭注版 生命の實相』全巻を
この世に蘇らせて、刊行する方向で即刻、ご検討願いたいということを
申し上げているわけです。

しんなりモナカさん (47203)
日時:2022年01月15日 (土) 09時31分
名前:アクエリアン

>>ですから、この世から 『頭注版 生命の實相』全巻を  抹殺してしまった
社会事業団は、その責任を痛感されまして、
深く反省し、抹殺してしまった 『頭注版 生命の實相』全巻を
この世に蘇らせて、刊行する方向で即刻、ご検討願いたいということを
申し上げているわけです。<<

つまるところは、印税の問題に行き着くわけですね。

頭注版生命の実相を日本教文社から再刊すると同時に印税は著作権者に支払うこと。

これですね。

果たして、教団側にこの意思があるのか、どうか。


アクエリアンさま (47206)
日時:2022年01月15日 (土) 10時04分
名前:しんなりモナカ

アクエリアンー
>>つまるところは、印税の問題に行き着くわけですね。

頭注版生命の実相を日本教文社から再刊すると
同時に印税は著作権者に支払うこと。

これですね。

果たして、教団側にこの意思があるのか、どうか。<<

しんなりモナカー
さすがアクエリアンさまです、いいところを、つかれましたね。
つまり、『生命の實相』の印税は、『新編』にしても、
新しく、『新頭注版 生命の實相』を刊行し、日本教文社が
売っても、社会事業団側に著作権が有る限り、
社会事業団の方へ、永遠に印税は、入る。

という仕組みになっているわけなんですね。
ですから、今後、『頭注版 生命の實相』は、社会事業団側で
刊行しないと、いけないというわけでしょうか。

社会事業団側の光明思想社が、もしも、『頭注版』を刊行しても
教団が使った場合、印税は、社会事業団に入るとなりますと、
教団は、社会事業団のために、売ることになりますから、その場合は
練成会のテキストにはしないですよね。

これは、簡単には解決しない問題ですね。

訊けさまでしたら、どう解決されるのかしら...



某掲示板一部転載 (47212)
日時:2022年01月15日 (土) 16時00分
名前:論点ずらし

「トキ」さん、論点ずらしをしないでください。著作権について、「阪田先生」がきちんとお詫びさえすれば、一件、落着するのです。それだけの問題なのです!NEW (13996)
日時:2022年01月15日 (土) 08時13分
名前:破邪顕正


「トキ」さんのコメントを読んで、どうして論点ずらしをしたがるのか、残念な気持ちでいっぱいです。

著作権問題については、既に最高裁判決が出ている…。

それに関しては、何も言えない…。

だから、新編『生命の實相』の問題にすり替えていこう、そういう意図がありありですね。

分が悪いとみると、違う問題を仕立てて、問題の本質を眩まそうとする…。

何度も言いますが、今回の「阪田先生」の問題は、お詫びの文章を書けば言いだけのことです。

それだけのことです!

とりあえず、「トキ」さんの投稿を引きます。

………………………………………………

破邪顕正さんのコメントについて (47191)
日時:2022年01月15日 (土) 02時09分
名前:トキ

 破邪顕正さんからコメントが来ましたが、どのスレッドも埋まってきたので、新しくスレッドを立てました。

 「「阪田先生」がまず、社会事業団に対して、憎悪の感情を抱いているから、こちらは、ただ、それは最高裁判決と違っていますよ、と言っているだけなのに、それを憎悪だと思ってしまっているのではありませんか。」

とありますが、憎悪のくだりは、普通に考えて、則天去私さんの感想ではないかと思います。これを元に阪田氏を叩くのはどうかと思います。

 破邪顕正さんが言いたいのは、おそらく、阪田氏が同志だと思って信頼していたのに、裏切られたという感想でしょうか。しかし、阪田氏は、新編「生命の実相」については、生長の家社会事業団に森田先生と共にやめてほしいと何度も陳情したのに無視されたとも聞いております。阪田氏にしても、言い分はあるとは思います。

 私の知る限り、阪田氏は評価の分かれる人で、彼を尊敬する人もいれば、嫌っている人もいます。ところが、今回の件については、私の周囲にいる人では、彼を嫌っている人ですら、「今回は酒田市の言うことが正論である」と言っています。頭注版がでない現状をかんがみると、このままでは、新編「生命の実相」が基準となる可能性があります。今後の生長の家のあり方が決まる段階なので、阪田氏にしても、大義親を滅す、と言う感じで書いたのではないか、と思います。

 教団本部が支離滅裂なことを言っているのは諦めるとしても、本流を名乗る人達まで支離滅裂な事を言い出すのはがっかりです。私個人は、別に頭版が以前のように入手可能なら、新編「生命の実相」を止めろとは言いません。ここは冷静になってほしいと思います。

……………………………………………………

「憎悪のくだりは、普通に考えて、則天去私さんの感想ではないかと思います。」

了解しました。

私が早とちりしたようです。

「阪田先生」のことと思ってしまいました。

「阪田先生」には、この場を借りて、お詫びしたいと思います。

過ちては改むるに憚ること勿れ

それでいいのではないでしょうか。

「阪田先生」も、著作権が社会事業団にあることに異論は無いと考えているのであれば、ただ素直に、〈先生は事業団の運営のために著作権収入即ち印税を寄付されたのであって、著作権を託されたのではありません〉と書いたのは間違いでした。

そうお詫びすれば、すむことです。

簡単な問題ではありませんか。

論点ずらしをして、問題を紛糾させて、何が事の本質だったがわからないようにしようというのは如何なものかなと思うばかりです。

素朴な疑問 (47227)
日時:2022年01月15日 (土) 23時13分
名前:トキ

 最初のお断りしますが、私は破邪顕正さんが誰かを知りません。

 別のところで、事情通様が学ぶ会の副代表さんについて触れられています。

 学ぶ会の副代表さんは、青年会時代は「レオナルド熊」と言うアダ名で、浄心行で参加された高校生練成会では、名前を言えば誰でも知っている超大物芸能人のMさんの指導をしたのが自慢の面白い人だったと言う印象はあります。今の本部の偉い人たちの官僚的な態度を見たら、本当に嫌気がさします。だから、彼のことは、個人的には嫌いではないのですが、どうも一連の聖典の再編集の問題については、どう考えても賛成できないと思っています。阪田氏も個人的な好き嫌いで書いているのではなくて、おそらくは阪田氏なりの使命感から書いていると想像しております。

 ただ、彼も最近はだいぶん、尊大になったとも聞いているので、それが事実ならとても残念ですが。

 現在、教団の本部は「石にタガネで三角形の印をして、それを拝む」行為を「石上げの行」と称して(生長の家機関誌12月号の30ページ)本部員が実践しだしています。これを見た現場の幹部は、「前はカルト教団になると恐れていたが、もっと悪く、オカルト教団になりそうだ」「黒魔術を本部は推奨しだした」「いよいよ、頭にきたらしい」と呆れています。

 そう言う状況を見ると、賛成するかどうかは別にして、別派なり本流復活派なりの独立した組織や運動体を作り、谷口雅春先生の教えを継承しようとする動きは、理解はできます。

 しかし、聖典を再編集すると言う発想は、どこから湧いてくるのか理解ができません。著作人格権の理由から許されないのは当たり前ですし、信仰上の理由からも許容できないと思います。それ以上に、その必要性があるとは到底、思えません。これを憂うのは、別に学ぶ会や生長の家社会事業団を妨害するためではなく、頭注版が出版されないのが納得できないからです。

 一体、誰が、どう言う動機で、今回の聖典の改変を始めたのか、そこのあたりはすごい疑問を感じております。ここのところを、事情をご存知の方はご教示をお願いしたいと思っています。特に、学ぶ会や生長の家社会事業団はご説明をしてほしいと思います。



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