生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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阪田成一先生がこちら側であったころの話 (48903) |
- 日時:2022年02月28日 (月) 22時26分
名前:千葉教区青年会会員
《問題提起!》疑惑の法燈継承=c教団を根底から揺り動かす阪田成一先生の論文にご注目ください! (9611) 日時:2018年07月02日 (月) 14時24分 名前:破邪顕正
表題は、『真理を生きる』61からの紹介です。
ここで、阪田先生は「三代目の法燈継承≠フ真相とは」と題して、重大な問題提起を書いています。
何故、これが重大な問題提起と言えるのか?
結局、信徒が現総裁に「中心帰一」している唯一の根拠は、現総裁が法燈継承された唯一の存在だから、ということに尽きるからです。
よく、お孫様信仰≠ェ問題なのだということを耳にしますが、私はそれは必ずしも正鵠を射た指摘ではないと思っています。
何故と言って、お孫様ということで言えば、総裁以外にもおられるからです。
お孫様の中で、なぜ、信徒は現総裁にだけ「中心帰一」するのか?
煎じ詰めたところ、それは総裁だけが法燈継承≠オている、ということになっているからではないでしょうか。
もし、その法燈継承≠ェ、総裁の総裁による総裁のための擬装∞偽装≠ナあったとしたらどうでしょう?
偽総裁≠ニいうことになってしまうのではないでしょうか。
ザックリ言って、今の教団は、「法燈継承≠ヘ真実」という大前提の上に成り立っています。
だから、現総裁が谷口雅春先生の教えとは真逆な教えをどんなに説こうとも、「法燈継承≠ネされているのだから」という一言で、信徒はそれを呑み込んでしまうわけです。
だから、今の生長の家教団にとっての一番の弱点は、法燈継承≠フ擬装、偽装が暴かれること、それに尽きると言っても決して過言ではないのです。
確かに、これまでにも、この法燈継承≠ノついては、疑義を訴える声がなかったわけではありません。
しかし、今回は、『生長の家五拾年史』を執筆し、教団の歴史に通暁していることにおいてこの方の右に出る者はいないとまで言われる阪田先生の手になる論文ですから、その信憑性はこれまでとは格段に違います。
前置きが長くなりました。
それでは、阪田先生の論文をご紹介することにいたします。
まず、阪田先生は、法燈継承の話がどのようなところで出て来たかに注目します。
《総裁代行となった雅宣副総裁は、平成13年の「白鳩会全国大会」で「今の教え≠学ぶこと」を強調し、平成15年7月16日には、東京都江東区・お台場のTFTホールで、本部講師、本部講師補を対象とする「生長の家教修会」を開催して、その席上で、唐突に法燈継承≠ノついてつぎのように発言したのです。》
その発言の出典について阪田先生は明示していませんが、これは、『谷口雅宣監修 歴史から何を学ぶか』に記載されているものです(178〜179頁)。
《……それから最後に確認しておきますが、法燈継承がいつ行われるかという問題です。
皆さん、どう思いますか?
現行教規においては、生長の家総裁は谷口清超先生で、私は副総裁になっていますけれども、法燈継承はいつ行われると思いますか?〉
と、我々に壇上から問うたあと、
〈実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)
それで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって、「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。
私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)
――ズバリそのまま聞きました。
すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね、「それはあなたが副総裁になった時に……」とおっしゃった。(拍手)〉
〈ですから、生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば個人的≠ノ内密に″sわれるのではなく、公に発表する形でも行われるし、そのことを「教規」に書いてきちんと制度化しているのであります。(中略)
まあ、そういうことで、私が自分で言うのは非常にもったいないことでありますけれども、この規定に従って私が副総裁になったので、その時法燈は継承されたというのが正しい答えであります。〉》
これをその場で聞いていた阪田先生はどう思ったか。
続いて、こう記されています。
《私はこの話を間近で聞いていましたが、大変驚くと共に、本当に清超先生は「あなたが副総裁になった時に……」と言われたのであろうかと疑問を持ちました。
ところで教規の10条には、総裁の後継者は創始者の家系から推挙されたる者を「次期の総裁候補として副総裁の位置につく」と定めてあって、いうなれば副総裁とはあくまで「総裁候補」なのです。
さらに「総裁代行」とはそれは「総裁の担任せる宗教法人の事務の全部を代行」するものの役職であり、「生長の家総裁」の任期は「終身」であるが故に、副総裁になったときに法燈が継承されるなどありえないことです。
なぜなら一つの教団に二人の法燈継承者が存在することなどありえないからです。》
つまり、法燈継承≠フ正統性を、現総裁は、清超先生の「あなたが副総裁になった時に……」のお言葉に求めているわけですが、阪田先生に言わせれば、それは全く根拠をなさないと言うわけです。
それはそうでしょう。
副総裁になったときに、既に法燈継承≠ウれたのだということであれば、百歩譲ってそうだとすれば、当然、そのときに法燈継承≠フ御祭りを行って然るべきなのです。
しかし、誰もそんなことをしようとはしませんでした。
だって、それをしてしまったら、阪田先生が指摘されるように、法燈継承者≠ェ清超先生と現総裁と、二人もいるということになってしまうからです。
だから、副総裁というのは、あくまでも、「次期の総裁候補」であって、それ以上でもまたそれ以下でもないという立場なのです。
どう考えても、「副総裁になった時に……」法燈継承がなされていたというのには無理がありすぎます。
如何に、それが無理筋であるか。
如何に、それが胡散臭いものであるか。
阪田先生の論文から更に紹介させていただきます。
法燈継承≠フ疑惑の数々 (9612) 日時:2018年07月02日 (月) 16時31分 名前:破邪顕正
阪田先生の論文には、続いてこうあります。
《雅宣氏は先の発言の中で〈生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば個人的≠ノ内密≠ノ行われるのではなく、公に発表する形でも行われるし、そのことを「教規」に書いてきちんと制度下している〉と言っています。
しかし雅宣氏は副総裁に就任した時に、龍宮住吉本宮の御神前で奉告の儀≠したかといえば、手持ちの「聖使命」紙で確認しても、そのような記事はなく、ただ11月21日の夕方、総本山の練成道場で「副総裁就任祝賀会」が行なわれ、その時の雅宣副総裁の言葉≠ニ、祝賀会の模様と、会の冒頭で総裁谷口清超先生が「本当に全てが神様の御心にあることでありまして、ただ感謝するのみであります」と、わずか一分半という短いご挨拶をされたと報じているだけで法燈の継承≠ノ関することなど一切ありません。》
本当に、この時に法燈継承≠ェなされていたとするのであれば、「聖使命」紙の扱いがこの程度ですむわけがありません。
どう考えても、無理やり、後付けしたとしか思い得ないのです。
更にオカシイのは、総裁の言っていることとやっていることとが余りにも違い過ぎるという点であります。
総裁は、こう言っているわけです。
《生長の家の法燈継承というものは、単に「師と弟子」の二者間でいわば個人的≠ノ内密≠ノ行われるのではなく、公に発表する形でも行われる》
ところが、実際はどうであったか。
《この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって、「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」》
何のことはない、総裁は
《「師と弟子」の二者間でいわば個人的≠ノ内密≠ノ行》
っているのです。
法燈継承は
《公に発表する形でも行われる》
そう言うのであれば、その場に谷口清超先生においでいただいて、みんなの前で、谷口清超先生から直に、法燈継承者は誰か、表明してもらうべきだったのではないでしょうか。
ところが、現総裁は、そうしなかったのです。
阪田先生は、これについて、こうはっきりと疑いの眼差しを向けています。
《すると清超先生は「不思議そうな顔をされましてですね。
それはあなたが副総裁になった時に…≠ニおっしゃった。」
私はこれを聞いた時、それを証明するいわゆる第三者はおらず、ましてや清超先生ははっきりと「副総裁になった時」と明言されたのではなく「時に…」のあと言葉が続いていないのです。
そのことを証言する立会人はいないのであるから、悪く言えば雅宣氏の一人芝居≠ニ疑うこともできなくはない。》
法燈継承という宗教的にとても重大なことが、
《雅宣氏の一人芝居≠ニ疑うこともできなくはない。》
と言われてしまう。
そういうスッキリしない、何とも釈然としない空気が、ずっと三代目の法燈継承にはまとわりついているのです。
そして、阪田先生は、この論文の中で、はっきりとこう書いてもいます。
《このような人が三代目になったことはそもそも間違いであったのです。》
今の教団がどんどん教勢を落とし、日本共産党から同志≠フ如き扱いを受けるまでに「護憲=左翼化」としているのを見れば、阪田先生ならずとも、そう嘆かざるをえないのではないでしょうか。
ともあれ、私は、今後、教団信徒が「総裁先生が唯一の法燈継承者である」ことを拠り所として「総裁先生に中心帰一せよ」と声高に叫ぶのであれば、「何の証拠があって法燈継承者であると断言するのか?」と逆に問いただしていこうと思っています。
阪田先生が、事実≠もって、そこに横たわる重大な問題を抉り出していただきましたので、それをもっともっと大いに広げていきたいと思う次第です。
だって、何度も申し上げて恐縮ですが、その一点こそが、教団にとって致命的な弱点であると思うからです。
法燈継承は一人芝居≠セったという疑いが持たれているんですよ!
その疑いは、今、いろんな事実から指摘されているんですよ!
それを信じるか信じないか、まずはこの資料を読んでみませんか?
これは『生長の家五拾年史』を書き上げられた阪田先生のお書きになったものですから、決して眉唾ではありませんよ!
そう言って、広めていこうと考えています。
皆さんの周りに、「総裁先生に中心帰一せよ」と言い張って聞かない信徒がいたら、ぜひ、そう進めていただきたいと念願する次第です。
著書「歴史から何を学ぶか」 (9616) 日時:2018年07月03日 (火) 00時36分 名前:そーれ!!
絶版にされたと聞いています。
理由は、雅宣さんが、法燈継承?の現場を、
詳細に書いたが故に、法燈継承が無かった事を、
暴露してしまったからです(清超先生との会話の中で)
雅宣さんが書いたこの本の中にも、
谷口清超先生が、雅宣さんに、法燈継承する
とは、一言も書かれていません。
雅宣さんは、30年間、用意周到に行動して
こられましたが、墓穴を掘った訳です。
いままで数々の失言がありますが、
この事は、大失敗でしたね。
信徒は簡単に騙せません。
善意で教団に残る人々を、踏みにじっている
とも言えるのではないでしょうか。
事は重大です。
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