生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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タブー 生長の家教団と生政連 (49840) |
- 日時:2022年03月28日 (月) 13時31分
名前:本音の時代
【したらば掲示板 生長の家政治連合と「今の教え」を考える】は熟読しておりません。 私自身の過去の生政連に関する投稿についても、ほとんど忘れています。
生政連は雅春先生の理想実現のために作られた組織であった思います。教えの現実世界への実践。理想を実現しようとしても現実は厳しい。生政連という政治団体が現実に動き出した時、教団はどのように対処したのか。 結局、教団は宗教性の犠牲を是正できず、生政連を解散したように考えます。 何事もすぐに諦め、臭いものには蓋をし、都合の悪いことは排除するという組織体質が継続しています。立派な教えをいただきながらそれを実践できない組織や指導層に対する疑問がある。
現実、私たちは政治の中で生きている。すべて法規制の中で生きている。無関係では生きていられない。法を作るのは政治。宗教は政治とどのように向き合えばいいのか。
教団も学ぶ会も社会事業団も密室主義がお好きなようです。何が怖いのでしょうか。隠せば隠すほど信用は低下します。
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雑感 (49848) |
- 日時:2022年03月28日 (月) 17時51分
名前:トキ
釈尊がご存命中、教団の運営については合議制を採用し、釈尊の命令が絶対視されることはなかったと聞いております。初期の生長の家でも、やはり合議制が採用されており、組織の運営には話し合いが重視されたと聞いています。
ある時期から、総裁の命令が絶対視されるようになりましたが、その時期から組織運営がおかしくなったと感じます。現在では、意思決定の過程が全く見えません。
立憲主義とか民主主義を声高に叫ぶ組織としては、おかしなことだと思います。
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資料 「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」に関し生長の家50年史から (49866) |
- 日時:2022年03月29日 (火) 10時00分
名前:本音の時代
勝利に傲らず聖胎を長養すべし
昭和43年7月に行なはれた第八回参議院選挙において、生政連は優生保護法の改正の実現を期するために、当時、参議院議長であつた重宗雄三氏と、新人の玉置猛夫氏を全国区に立てることになった。生政連から二名の候補を出すことに対して大方の予想は、重宗議長の場合他に支持票がある程度考へられるためともかくとして。玉置猛夫氏の場合は全く生長の家の組織票だけであったから、当初は落選必至とみなされていた。 しかし、全国の信徒は一丸となって谷口雅春先生の教示された「日本国実相顕現の祈り」を実修しつつ、参院選に取組んだ結果、大方の予想を覆して見事、二人を当選させたのであつた。重宗雄三候補は882,036票で第5位(タレント候補を除くと第一位)また苦戦といわれた玉置猛夫候補は627,897票で第21位であつた。 この参院選の勝利によって生政連の評価は高まり、その後の生政連活動を推遣する上で大きな力となったのである。 しかし一方、参院選に力を注いだ結果、これまでの純粋宗教的な立場から、幾分運動の方向が政治的方面に転換されて、宗教の純粋さや、清潔さが失はれてきたことは否めなかつた。こうした傾向を察知された谷口雅春先生は、『聖使命』9月1日号に「勝利に傲らず聖胎を長養すべし」という文章を発表されたのである。まづ冒頭において谷口先生は、
《今度の参議院議員選拳で、生政連はたしかに勝ったのである。全国区での得票総数約153万票余、そして吾々が全国区で推薦した重宗雄三氏が参議院議長に、吾々が東京の地方区で推薦した安井謙氏が参議院副議長に選ばれた。吾々の推薦した候補が悉く当選しただけではなく、議長と副議長との最も重要なる椅子を吾々の推薦議員で独り占めしたわけだ。たしかに生長の家は今度の選挙戦に勝ったのである。しかも以前の玉置和郎氏を立てた時から、誌友数は殆ど増加していないのに、あの時の得票の2倍近い票数を得たのは、生政連会長の田中忠雄氏の運動方針の指示が宜しきを得た結果であるのは勿論、年々300万人に及ぶ堕胎児の生命を救うための宗教的熱願と、45年の安保危機が国家にとってどんなに重大なものであるかの認識に出発して、生長の家の地方幹部、相・白両方の連合会長、講師会長、自鳩会、青年会の各メンバーが一斉に立ち挙つて、殆ど睡眠の隙も暇もないまでにして運動して下さったからである。私はこの事を深く感銘し、感激し、まだ日本にはこのような愛国者が多く残つていることを感じとって心強く思わずにいられなかった》
と述べられたあと「私はこの際、沈思し静慮して深く思いをめぐらさなければならないことは、生長の家が、純粋宗教的立場から幾分方向転換して政治方面に運動を進めて来たために、宗教の純粋きや、清潔さが少しでも失われて来ていないかと言うことである」と、光明化運動のこれまでの在り方についての反省が加へられた。そしてその上に立って谷口先生は
《今、私は今度の参院戦で勝利を得て、勝に乗じて尚進んで政治戦に力を尽すべきか、暫く退いて宗教の純粋圏に止まるべきかについて、考へをめぐらすとき、今暫く退いて宗教の純粋圏のサークルをっと大きくすることに力を尽すべきだと思わずにはいられないのである》
と判断をされた。つづいて、
《‥‥宇宙には一進一退の法則があるのである。伸びるためには一時縮まるのである。それは心臓の鼓動でも、肺臓の呼吸でも、胃腸の蠕動でも、細胞の運動でも同じことである。今まで、宗教方面が縮んでその力を政治方面に結集して、政治方面が伸びて来たのであるが、今度は宗教方面が伸びるために政治方面に伸びる力を内に秘め養う必要があるのである。それはやがて国を救う大いなる力となって花咲くためである。春爛漫の花を開くためには桜の樹は一時落葉して、その養分の蓄積を樹木の視えざる部分に蓄えるのである。来年の衆院選挙戦に打ち勝って更に吾々の同志を殖やし、昭和45年の日本の危機を乗り越え更に次の参院選のために力を蓄えるためには、ここ暫く表面に動く政治的活動を沈潜させて純粋宗教活動の力を増大し、魂の共鳴者の数を増加しておく必要があるのである。》
と述べられて、これまでの政治活動を中心にした運動から、生長の家の信徒の絶対数を拡大してゆくところの純粋宗教活動へと転換するすることを指示されたのである。しかし、生学連だけは次のような理由でこの対象から外されたのであった。
《併し生長の家の大学生運動(生学連活動)は別であり、一層今より活動し易い状態に応援する。これは選挙戦とちがってイザという時だけに起ち上つたのでは間に合わないからである1960年の安保闘争のときに「日の丸か赤旗か」の標語の下に具体的に全学連を阻止するために活動したのは吾々の青年会員であり学生であった。吾々は来る1970年の闘争に日本を衛るために日本全国の大学の自治会の大多数の支配を生長の家の国を護る学生たちの手によって占めるまでに力を増大する計画である。そうでなければ、各大学が、革命軍の拠点となり発火点となるからである。それには啓蒙運動をしっかりやらなければならない。『生学連新聞』を出すことになったのもそのためである。現行の憲法が非合法な占領憲法であることや、もし革命が日本に起ったならば、国民が幸福になるどころか、一切の自由が失なわれることも知らせねばならぬ。日本国の天皇制が世界に比類なき真理実現の体制であり、従って日本国のみが真理国家であり、この国家こそ日本民族の創作せる最高の文化的芸術であることを知らせねばならない。そのために「憲法の正しい理解」の本や『日本を築くもの』『限りなく日本を愛す』『古事記と現代の預言』等の書籍を通じて、日本国民全体を(そして特に、理解力ある大学生たちを)祖国を護る真の勇気ある闘士にまで養成しなければならないのである》
かくして生学連は、大学を革命の砦から衛るために大学の正常化と憲法復元運動に邁進して行くと共に、 一万、相愛会、白鳩会、青年会は、信徒の絶対数の拡大に向けて、『生長の家』臨時増刊号百万部をもって、参院戦で新たに生長の家と縁を結んだ人々を着実に誌友に迎へるため、 「全国一斉祝福運動」を展開して行ったのである。
第3次5ケ年計画の実施
さて、立教40周年を迎えた記念すべき昭和44年、その2月28日、生長の家宇治別格本山において、全国代表者会議が開催され、昭和44年4月から実施きれる「人類光明化運動第3次5ケ年計画」が決定された。 「第3次5ケ年計画」の基本方針には、昨年9月に谷口雅春先生が、
《強力なる魂の共鳴者、確固たる信仰の大集団を確保していなければ、政治は勿論の事、立教の本来の使命すらはかばかしくは遂行し得ない。よって、暫く表面に動く政治的活動を内に沈潜させ、純粋な宗教活動に総力を集中して、魂の共鳴者の絶対数の拡大を何としても進めなければならない》
と、今後の光明化運動の推進の在り方について指示されたことが、その中心に置かれている。そして立教40周年という記念すべき好機に第3次5ケ年計画が開始されたことに伴い、立教にあたって、谷口雅春先生が「蝋燭の如くおのれを燃やし、光明の炎となって人類を照す」と宣べられたところの気魄と精神とを信徒一人一人の決意とし活動の規範とすることが唱われ、確固たる信仰集団を築くために、第3次5ケ年計画の最終目標を、 《実質誌友500万、聖使命会員300万》 に置き、その達成に総力を投入するという内容であった。この実質誌友500万の目標数についてはつぎのやうな解説がされているのである。
《この数字は国民総人口1億人に対する20分の1に当る。この数字は1億を動かすに可能な最低の数である。日本の実相顕現の使命を全国民運動として強力に展開するためには当然の目標としてこの数字を実現しなければならない。全国に500万の同志を得れば各府県は勿論の事、全国的に光明化運動の主体性を確保することが出来る。かくして憲法復元への輿論の獲得も初めて可能となる。 人口100人に対して5人の誌友。日本を革命せんとする勢力を克服し、日本の運命を正しく展開し、立教の使命を達成するためには何としても最低500万という同志が必要であるということを、幹部はじめ最末端の信徒にまでこの事の理解を徹底して目標達成を期する》
ところで谷口雅春先生は、この時全国代表者会議において、「国家の危機を迎えて吾等何を為すべきか」と題する結語を述べておられる。 その中で注目すべきは新聞の左傾化に対抗するため自ら『帝都日日新聞』に毎週一回「月曜随想」を執筆されること、また政治活動を一時的に沈潜させたということは、生政連そのものを凍結したことではなく、「生政連の会員を勧誘する働きを凍結して、そのエネルギーを誌友増加に集中する」ことであり、生政連そのものは優生保護法改正をはじめとする国家問題の解決に従来通り取組んで行くことが述べられたことであった。そして最後に谷口先生は「吾々の主張が(国会で)通るためには院内交渉団体になるだけの人数を」もたなければならないとして「盟友500万を作るため一人100名の同志を作れ」と次のように述べられたのである。
《そこで吾々は院内交渉団体になり得るだけどうしても人数を殖やさなければいけない。同志の人数を殖やさなければ、自民党の犬みたいになるより仕方がない。そこで皆さんにお願いするわけです。「第3次5ケ年計画書」の印刷物には、誌友500万人をつくるために一人が四人の誌友を増加することが目標と書いてあるけれども、一人が100人の同志を作ってもらいたいのが私の希望であります。「一人が100人」といっても、その伝えられた人がまた100人に伝えてくれるというわけには行かないで、そこで停まってしまう場合が多いものですから、一人が100人に伝えるつもりでも、一人が4人殖やしその4人がまた各々4人を殖やすという風にねずみ算のようには、なかなか伸びない。だから、一人が100人を殖やすつもりで、結局、合計4人位殖えたくらいになるわけであります。ですからあたまから一人が4人だけ殖やしたらよいなどと安易な計算をすると、結局、今までのように、2人か3人位しか国会に代表者を出すことができなくなる。我々は、もつと目標を大きくして、できるだけ大勢の誌友をこしらえなければ日本を救うことはできない。愛国の諸賢にこの点を充分考慮していただきたいのであります》
かくして光明化運動は、「強力なる魂の共鳴者、確固たる信仰の大集団を確保」することに運動の主眼が置かれ、相愛会、臼鳩会、青年会は組織の総力を上げて誌友拡大に取組むことになったのである。そして憲法、優生保護法、靖国神社の国家祭祀等の国家問題に関しては、生長の家本部内に国家問題綜合委員会を設置し、そのもとで生政運が主体となって具体的な活動を行なって行くことになったのである。

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(49874) |
- 日時:2022年03月29日 (火) 16時47分
名前:う〜ん
>> ある時期から、総裁の命令が絶対視されるようになりましたが、その時期から組織運営がおかしくなったと感じます。
トキさんの微妙な言い回しはどうかと思う。 雅春先生総裁の時代、生政連幹部によりそうなったと書いていませんでしたか。肝心なところは明確に願いたい次第。
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ここに (49875) |
- 日時:2022年03月29日 (火) 16時59分
名前:う〜ん
トキ :2011/06/20(月) 13:17:56
<中期 谷口雅春先生時代>
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政治活動の話はお腹いっぱい。 (49876) |
- 日時:2022年03月29日 (火) 17時06分
名前:神の子
心がザワザワするから嫌。 生命の実相だけ読んでいたい。
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昭和44年4月から実施された「人類光明化運動第3次5ケ年計画」 (49944) |
- 日時:2022年03月31日 (木) 22時03分
名前:本音の時代
最終目標《実質誌友500万、聖使命会員300万》
昭和52年参院選挙得票数 1,119,574票
昭和55年参院選挙得票数 1,037,410票
これが生長の家の集票力。院内交渉団体なんて無理無理。
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自民党の犬みたいになる (49947) |
- 日時:2022年03月31日 (木) 22時45分
名前:本音の時代
昭和44年に開催された全国代表者会議で雅春先生は「吾々は院内交渉団体になり得るだけどうしても人数を殖やさなければいけない。同志の人数を殖やさなければ、自民党の犬みたいになるより仕方がない。」と発言された。 昭和58年の比例区導入で自民党名簿に載ることは、「自民党の犬みたいになる」と嫌悪した人は教団にいるだろうな。教団は生政連を責めたけど、教団独自で選挙に出るという選択はしなかった。生長の家の集票数も伸びていなかったじゃないだろうか。
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【したらば掲示板 生長の家政治連合と「今の教え」を考える】の誤り発見 (49954) |
- 日時:2022年04月01日 (金) 14時24分
名前:本音の時代
【26: エンジェル :2011/06/21(火) 22:22:02 トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのT考察のために
実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので) もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生ならご存知かと思いうかがった事があります。 それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが、お話を聞いて驚きました。
私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると 「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」 「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」 「て゛もね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」 だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。
さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを会話形式にして書きます(文責はエンジェル) 「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」 (実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)
清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」 「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」 貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」 清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」 貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」 清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの無いように信仰的に熱烈に、信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」 貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」
このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。 このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、解散と云うことではなかったわけで実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。 「この活動の凍結の決定はおそらく当事の理事会であったはずで、このころの理事会の書記は森田征史さんだったろうから詳しくは聞いたらいいよ」とのことでした。 ちなみに、雅宣さんはとお聞きすると、あの当事は生長の家にはいなかったと思うよ、完全に解散になるころには本部に入っていて当然大きく関わったとと思う。との事でした。】
>ちなみに、雅宣さんはとお聞きすると、あの当事は生長の家にはいなかったと思うよ、完全に解散になるころには本部に入っていて当然大きく関わったとと思う。との事でした。
雅宣さんは生長の家誌(昭和58年5月号)で「比例代表制を考える」なる文章を書いてますが、肩書は《生長の家理事》です。

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