生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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『生長の家』誌 昭和39(1964)年 新年号「愛国心特集号」より抜粋: (49990)
日時:2022年04月02日 (土) 13時48分
名前:志恩

光明掲示板より
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【山口悌治 本部講師・理事、
佐脇嘉久 本部講師・理事、お二人の 対談  】


日時:2013年07月03日 (水) 11時39分
名前:童子

 【『生長の家』誌 昭和39(1964)年 新年号
「愛国心特集号」より抜粋】

 “神の子の自覚” をもっと拡大しよう!!
ついにその限界に来た人間物質観より真の “人間” 確立へ


教えの受けとり方、個人の救いから国民としての意識への橋渡し
生長の家信徒の国家的使命、日常生活における国民総自覚運動参加のあり方、
祖国繁栄のバックボーンとなるべき私たちの自覚についての率直な感想と展望

        
  ◆個人と国家との橋渡し
       ― 神の子の自覚を展開すれば国家問題に結びつく


[記者]  大よそ信徒の人は、病気が治るとか子供がよくなった、商売が繁昌したという個人の救いの面で信仰に結びついているわけですが、谷口先生の説かれる国家問題とは、あまり魂的に結びつきがないんでは ・・・・・・



[山口]  結局、神の子の自覚が個人的な家庭的な自己満足だけに陥っている点があり過ぎると思いますね。 だから神の子の自覚、久遠生命の展開の全相をもっともっとつきつめつきつめて自分のものとしなければならない。 神の子の全相の把握に心が及べばどうしたって国家の問題に結びつかざるを得なくなる。 〈そこから日本の実相顕現も出てくるし、当然前に言ったような国民総自覚運動の展開に結びつく〉 ということなんですが。



[記者]  先の宣言に 『個人と国家との相即一体の原理を理解せしめ』 とありますが、個人の問題と国家の問題が密接な関係をもっているという点、そして私たちの日常の信仰生活そのものが、国民総自覚運動に連るという点を明らかにしてゆきたいと思いますが、



[山口]  密接というよりか、国家の問題はそのまま自分の問題なんですよ。 無理に自分の問題にせよというのではなく、自分がそのまま国家と一つであり、国家がそのまま自分なのです。


 もちろんこの場合の国家とは今ある現実の国家をさすのではなく、原理としてです。 社会とか国家というものを兎角自分の外にあると思い違えているが、神は国家に顕現し、その国家の実相の顕現において人間の実相が顕現するのです。


 国家の理念も人間の理念もともに神から発して不可分です。 それを自分勝手に、小さくせまく受けとったワクの中に自分をとじこめているんですね。



[佐脇]  これは総裁先生のお言葉を通じて考えればわかることなんですが、私自身、大体こうだろうと思っていたことだが、山口先生の論文 『神・国家・人間』〈27年8・10月号『生長の家』誌に発表の運動方針の基礎理論〉 を読んではっきりしたことがあるのです。


 その中に 【私とは如何なるものか】 というところに、『家では子供であり親であり、社会にとっては会社員であり、渋谷区の住民であり、日本にとっては日本人であり、アジアにとってはアジア人であり、世界にとっては人類の一員である。 そして神の子の一人であり仏の子の一人である』 とあります。


 “私” という自覚が動物の進化したものであれば、猿か豚の親類かもしれない。 『自分』 なるものの自覚の中味によって、同じ私がずい分変ってくると思うのです。 自分なるものの自覚が大きい場合には、いかに大きな問題に直面しても自由自在に動けるけれども、 『自分』 の自覚が小さいほど利己的だったり、動物に近くなる。



[山口]  自分と言った場合、つねに神も国家も全部入っていなきゃならないわけです。 ところが自分が肉体的存在となれば、神も国家も人間もバラバラに対立してしまう。 ですから救われた、おかげを受けたといった受け身の神の子の自覚では容易に肉体人間観を脱けられませんね。


 だから、国家や社会が自分の外にはみ出してしまう。 積極的には五十歩も百歩も踏み出して、一切を自分の責任として生活を切りかえるのです。 『信徒心得十三ヶ条』 もそういう観念を一掃するために、正しい自覚を打出すために出されたと思うんです。 


_____________________________
超宗教としての生長の家 (9626)
日時:2013年07月03日 (水) 12時48分
名前:童子

 
 ― “秘められた神示” を拝読して、教えの受けとり方の小ささを痛感 ―



[佐脇]  信徒大会宣言にも謳われていますし、そもそも谷口先生は立教の初めの初めから‘人類’光明化の悲願を打出しておられるわけですが、受ける信徒の側が普通、そういう〈国家的な大きな〉問題を考えていない場合があり勝ちですね。


 つまり入信のキッカケがどちらかというと、自分自身の問題を救われたいと願って入って来る人が多いといことと、因襲的な 『宗教』 に対する考え方が我々の中に抜き難く根ざしていて、『宗教』 といえば、『救ってくれるもの』 『しあわせにしてくれるもの』 と信じこんでいて、自分から積極的に現実を改造するものだと受けとらない場合が多い。


 生長の家もその小さな自分の考えのワク内で受けとってしまう。 だから谷口先生が折角、実に驚くべきほど広く、あらゆる問題にわたって説いていらっしゃるのに、聞く側は狭い自分のワク内でしか受けとらない。 自然、集会の話題も、個々の救いがほとんど中心になる傾向にあった。


 最近、日本の実相顕現ということが叫ばれ出して、関心が国家的な方向に拡がりは見せて来ましたが、教えを受けとる精神の基盤や発想の場が因襲的な宗教観を脱し切れないでいるため古くて拡がりが少なく、谷口先生があれ程懸命に世界や日本国家の問題を取上げておられるのに、我々信徒の方が運動を小粒にしたり、古くさくしたりしてしまうんですね。


 現今のような時局に直面して、もうあまりぐずぐずしてはいられないじゃないですか。 今は我々一同が生長の家は出発の最初からの本質的に遥かに大きいものであるということを互に自覚し合って、これ迄の考え方のワクから早く脱却しなければならない時です。



[記者]  脱却といいますが、【生長の家三拾年史】 をみますと、たとえば座談会で 『谷口先生の第一回の講習会〈昭和十年〉のとき、古事記講義や中心帰一など国家的な話が主になったので、‘自分’が救われたいと思って来た人たちが不満を言い出し、山口先生たちが取りしずめた』 とありますが、その傾向が已むなく中断したわけですね。



[山口]  先生は 【無門關の日本的解釋】 など一連の書物でたえず “真理国家日本の実相” を打出し、戦争に対してもその立場から発言し運動してこられたわけですね。 もちろん信徒も先生について成長していったと思います。 

 それが終戦から占領下に宗教活動が制約をうけ、信徒の国家意識の成熟を妨げてきたことは言えますね。



[佐脇]  実は今度 『生長の家』誌で、一連の “秘められた神示” を拝読したのですが、 私自身、これまで実に生長の家の受けとり方が小さかったということを痛感したんです。 何しろ読んでいる中(うち)に能みそがキューッとねじ曲げられて、一斉に方向転換していくような感じでした。


 今まで 『生長の家はこうだ』 などといとも簡単に言っていたけれども、こいつはまるで話が違うぞというような気がしてきたわけです。 


 生長の家は一応宗教法人になっているけれど、 俗に 『宗教』 と言われているものとは全く別ものだ。 全然違うものだという感じに強烈に打たれたわけですね。 気易く 『神様のみ心に生きる』 などと言うが、本当にみ心に生きるとは、この神示に示されたことを全面的に身に体して生きる時初めて言い得るという感じでした。


 生長の家に来る人の中には生長の家に来てうまくいかなきゃ他の○○教へ行く、というようなことを平気でするような人があるが、既成宗教、新興宗教と言われているものとは、教えの流れ出す次元がまるで違う。 何とも大きい。



[山口]  生長の家が大きいということは同時に、自分という人間がそれだけ大きいと云うことなんですよ。 “神の子” というのはそれだけ大きい。 簡単にチョコチョコ動いたり変わったりするのは人間じゃない。 それは人間をとり違えている。 人間とは、久遠の昔から久遠の未来に向って生き通しのもの、天と地をつないでいるもので、自分において天と地が一つになるわけです。



[佐脇]  宗教というものを、時代をリードするエネルギーとして考えずに、救われるもの、相談するものとしてだけ受けとっている、自分自身が神につながる “いのち” として立つことを願いとしないで、何か折があったら相談するとか、救ってほしいという信仰態度が生長の家に入っていながら相変わらず根強い。 つまり大多数が前時代的な感覚で受けとっている。 


 だから谷口先生が目指されている超宗教としての理想が、百%生かされない結果を生ずるわけですね。 端的に言うと、生長の家を新興宗教としか受けとらない人の随分多い感じがします。 折角の教えをその一部だけ局限して受け、前時代的な感覚の中に押しこめてしまおうとする濃厚な精神態度があるような気がするんです。 谷口先生はすーっと前進したものを説かれているのに、受ける方が古くしよう古くしよう、安易にしよう安易にしようとして生長の家を引きずりおろすような・・・・・。


 つまり、生長の家の “国家的役割”〈国民総自覚運動〉 は立教の使命に必然的に含まれている。 神様の意図(みこころ)の延長、具体化のわけだが、それが自分の信仰 = 神のみ心だと思っている内容 = がそこ迄拡大し、一つに結びついたとき、運動に参加できる。 ところがそうでないのは、 “御心のままに” と口では言っているがその実、神のみ心ではなく自分でワクを作った “我意のままに” ということになる場合が多い。 ウソついていることになる。



[山口]  それに関連して力説せねばならぬのは、現在世間一般に言われている国家なるものの概念が、国家とは理念的なものではなく、 “国家は一つの手段である〈唯物史観では支配者の支配機構〉だから国民全体が希望すれば、国家の形態はどのように変えても構わない” とする “機関” とみる危険な考え方が一般化しつつあるということですね。


 私たちが把握しているのは、 “人間を人間たらしめている原理と日本の国を国たらしめている根本原理は神の御心であり、宇宙の真理である” というわけで、 “国家とは一つの真理を地上に顕現していくための最高の形態” と信じているわけです。


 現実の国の姿はそうなっていないところに日本の実相顕現運動の必然があり、神の子の自覚に立つものは、特にこの事を明確に自分のものにして日常生活を生きていかなきゃならない。 そこから超宗教としての運動の立体的な体制も生れるし、歴史的な大きな役割も果せると思います。



以上で引用終わります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
また、志恩さんは、引用文が長文すぎると、あの人から叱られそうですが、
これは、全文、載せませんと、意味が通じないと存じますので、
長文ですが全文を、掲載しました。

今から58年前の、
昭和39年(1964)年の『生長の家』誌、新年号「愛国心特集号」です。

山口悌治先生と、佐脇嘉久先生のお二人で愛国心について対談された
珍しい過去文を見つけましたので、再掲します。

(私は、この時は、原宿本部に 勤務中でした。)

しかし、この当時は、熱心に愛国心について 語っていらしても
愛国心を実行するためには、自民党を応援しなければいけないとか、
われわれは、政治に参加せねばならない というような話は、この時は、
いっさい出ておりませんでした。
あくまでも、精神論(→訂正:”実相論”でした、バカですみません)を
語っていらっしゃるお二人の本部理事で、本部講師の
先生でした。


生長の家政治連合は、 (49991)
日時:2022年04月02日 (土) 13時58分
名前:志恩

Wikiより

生長の家政治連合は、
1964年(昭和39年) - 1983年(昭和58年)に活動していた
日本の政治団体(政党)。
生長の家の信徒らが中心となって結成した。


1983年(昭和58年)、生長の家が方針を転換し、
政治関与を止めたことで、生政連は活動停止した。

1995年(平成7年)には正式に総務大臣へ解散届を提出した。


山口悌治先生の著書は有名ですが、佐脇嘉久先生も著書を出されています。 (49992)
日時:2022年04月02日 (土) 14時36分
名前:志恩

『中のこころ 』 山口悌治 著 日本教文社,1978/11
『万葉の世界と精神 前編』〔新装版〕 山口悌治 著 日本教文社,1997/8
『万葉の世界と精神 後編』〔新装版〕 山口悌治 著 日本教文社,1997/8
『いのちを詠う 歌壇選評』 山口悌治 著 日本教文社,1990/7
_____________________________
『国と人のロマンを語ろう』, 佐脇嘉久 著, 日本教文社, 1983/2.
『やさしく書いた日本の神話』, 佐脇嘉久 著, 日本教文社, 1976/10

 (49993)
日時:2022年04月02日 (土) 15時16分
名前:めちゃくちゃ

あくまでも、精神論を語っていらっしゃるお二人の本部理事で、本部講師の先生でした。>>



バカも休み休みにしていただきたい。

実相論を精神論に落とすとは。



申し訳ありませんでした。 (49994)
日時:2022年04月02日 (土) 15時47分
名前:志恩

どうもすみませんでした。
実相論を精神論なんて言ってしまって。

(49990)を、以下のように訂正しました。
精神論(→訂正:”実相論”でした、バカですみません)



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