生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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「汝たちの死後霊界での行く先は閻魔の庁では決定済みである。それは最下層の煉獄である」(閻魔大王) (51016) |
- 日時:2022年06月07日 (火) 01時00分
名前:まともな青年会
尊師の霊言にも驚きましたが、こう言う霊言もあったみたいです。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/&mode=res&log=1840
閻魔の庁、閻魔大王から「森のオフィス」へ配達証明付きで届いていると聞く「親展・通達」の中味とは? (4517) 日時:2014年07月10日 (木) 09時32分 名前:画龍点睛
発信者 : 閻魔の庁・閻魔大王
受信人 : 「生長の家」総裁・谷口雅宣、理事長・磯部和男、 参議長・大塚和富、その他の全理事・全参議達
< 霊界の最高権威の一人、閻魔の庁の「閻魔大王」直々の「頭書の者共に対する親展通達」の内容 >
@ 磯部和男「生長の家」理事長に通達す。汝、6月30日、日本教文社株主総会に於いて、事前に仕組まれた独善的かつ非常識運営及びヤクザまがいの暴言は宗教家としてあまりも品性識見に欠ける事おびたたしい。一般人なら許されるが、世の人心を良導する立場にある宗教団体の最高地位に在る者としては、汝の今回の言動は、閻魔の庁の基準からすれば重大な「懲罰」に価する。
A 更に、汝、総裁を補佐する立場にありながら、その職責をわきまえず、純真善良なる信徒のことを顧みず、宗教家にあらざるあまりにも行き過ぎたる金と権力志向、総裁に諫言するどころか総裁と一体となって「生長の家」解体を遂行しつつある事、信徒から「開祖に対する忘恩の輩」・「悪魔に魂を売った理事長」と評されていること、もっともな事である。汝のこれ等の言動もまた閻魔の庁の基準からすれば重大なる「懲罰」に価する。
B 谷口雅宣「生長の家」総裁に通達す。汝、宇宙本源の神より人類の苦悩の救済の為に特別に地球に派遣せられたる住吉の大神の御化身たる谷口雅春師の創設せる「生長の家」を地上より解体抹殺せんとのこれまでの悪行の数々、閻魔の庁の基準からすれば、一般人の幾百相倍、いや幾千相倍の「懲罰」に価する。
C さらに、雪島副理事長、大塚参議長以下の全理事・全参議の者共、汝たちは閻魔の庁から見れば全員すべて金と地位の世渡りのために「開祖に対する忘恩の輩」・「魂を悪魔に売り渡した者共」である。汝たち全員、それでも宗教家ならずや? 汝たち、宗教家と称して来たからには、地球人間世界の法律などを超越して「因果の法則」が未来永劫の汝たちの転生人生に厳然と働くことを知っていよう。今生、只今において自覚せずんば、その未来永劫背負い行く汝たち今生の“因”に基づく『果』は限りなく厳しいものになるとは宗教家ならば知っているはず。然るに、一切の反省心なく、宗教貴族として振舞い続けるこの悪行! 「知っていて犯す罪は、知らずに犯す罪よりも重い」ことを汝たちは信徒に説教して来た。何故自らを省みぬ?
D 二代目・清超師のお通夜での宗教家ならざるマサノブ暴言、そして今回のヤクザまがいのイソベ暴言、そして「生長の家」解体破壊の共同謀議、汝たちの死後霊界での行く先は閻魔の庁では決定済みである。それは最下層の煉獄である。最高責任者のマサノブ総裁にはもっとも厳しい環境の煉獄にいってもらう。その他の全理理・全参議も同じ。
E されど、今なら、多少の情状酌量の余地はある。汝たちが宗教家としては許されないこれまでの悪業を心の底から悔いて、今直ちに全員「生長の家」を「辞去」する事である。後は汝たちの決断あるのみ。 以上
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距離を置きたい (51130) |
- 日時:2022年06月11日 (土) 22時51分
名前:神の子
エンマ大王まで登場する骨肉の争い。 教団とも本流とも距離を置いて 生命の実相だけ読んでいたい。
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まともな青年会様、尊師の霊言とはこれですか (51136) |
- 日時:2022年06月12日 (日) 06時58分
名前:普通のまっとう人
>尊師がある偉大な先生を通じて降された啓示であります (35035)
日時:2020年10月29日 (木) 21時14分 名前:まともな青年会
神界の尊師のお言葉を伝統掲示板より全文引用させていただきます。
神界の谷口雅春先生からの叱咤激励か - 夕刻版
2016/06/12 (Sun) 19:00:22
今私は天界にいて世界の行く末を、日本の行く末を、そして生長の家を見守っている。 私は聴いたのである。 心から私を愛してやまない、私のためには命を投げ出すことをもいとわないN生の悲痛な叫びを。
N生は、行動力がある男である。しかし、必ずしも文章で思いを十全に表現することが出来ない。 N生はそれをもどかしく思いながらも、現状の生長の家の動きを見て矢も楯もたまらず 叫びを挙げようとしている。
併し筆がかなわず心は掻き乱され、思いは千々に揺れている。 N生の私を思う熱き心に答え、S生を通じて私の考えを改めて伝えることにする。
この言葉はS生の筆を通して語られる。 これが私のものであるかどうかは、言葉の響きをもって判断されよ。
かつて私が地上で文章を書き連ねていた時に伝えたことがあるであろう。 或る言葉が、神の啓示か、はたまた、高級霊の伝言か、迷いの霊の言葉であるか、 最終的には、その内容と響き―私は神韻といった―で判断せよと。
私は昭和60年6月17日に世を去った。 それ以降に世の中で起こっていることについて地上の言葉で述べることはできない。 このため、生長の家の信仰熱き者も、判断に迷うことが多くなった。
その挙句の果て、ついにこのたびの生長の家の方針なるものが発表され、 古き信徒を含め右往左往している。
私の教えを正しく捉えていても、 問題点を指摘し反論をうまく表現できないものは悲痛な叫びをあげている。 天界にいる私には、皆の悲痛な叫びが聞こえてくる。
私が起こした生長の家は、生前繰返しているように、何も目新しいことを述べているのではない。 釈迦が、キリストが、弘法大師が、親鸞が、エマーソンが語った真理を、 現代人が解るように説き直しただけである。
だから私を教祖とは呼ばせず、ラッパだと言い続けてある。
しかし、私はこうも言っている。 私は心よりキリストを信ずるものである。 キリストの精神を体得したものである。
霊感によって書かれた書物は、霊感を通してのみ理解しうると。 私の書物は、私が霊感で読み解いた聖書のように読み解きにくい書物ではない。
にもかかわらず、生長の家の信徒と云いながら、私が驚くような解釈がなされている。 私の浩澣な書物を十全に読み解けばそのようなことは起らないはずである。
しかし、時は流れ人は易きに就くようになった。 私の書物をつまみ食いして自分の都合のよいように後付けの解釈をするものが 後を絶たない始末である。
そこで私はN生の悲痛な叫び、N生の叫びを現界で受け途方に暮れているS生の呼び声に答え、 ここに再度私の言葉を伝えることにする。
心に眼ある者は見るべし、心に耳ある者は聴くべし。
私は、『生命の實相』、人生問答篇で示したが、生長の家の教えは何も目新しいものではない。 私が幾十万という書物を三十年読み解き、そのエッセンスを書いたものであると。
その心は、人間には神が宿っており、いやしくも古今の名著と云われるものには、 神の真理が宿っていること、それであればこそ、時を紡いで読み継がれているのであると。
従って、私の教えは何も神懸りにならなければわからないとか、 現象は神懸りにならなければわからないとかいうものではないのである。
私が教えを伝えひろめる中で、度々繰り返した言葉があるであろう。 それは、聖書に出てくる、「樹の善悪はその果実を見て知れ」と云うコトバである。
物事の判断をする時に、事実がどうであるかを吾々はよく見なければならないということである。
私は早稲田大学で英文学を学ぶことを通していろいろ教えられた。 それが後の生長の家の教えとして大きく花開く基になったと説いたであろう。 「神ハ愛也」の冊子にもその事は示してある。
その中でも大きな影響を与えたのが、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムの教えである。 何を言っているかではなく、言われたことで何が起っているか、その起っていることから 言われたことが正しいかどうか判断せよという教えである。
だからこそ、私はあれほど体験談を重視したのである。
今の国際関係を見るがよい。かつて神示で示したことがあろう。 国際連盟は中心がないから、いくらいつまで論争(ことあげ)してみたところで善きことは生れぬと。 そして中心とは何かについて私は詳しく説いてきた。
今の世界もその時と何も変わっていない。
先般開かれた伊勢サミットで、安倍首相は、改めてアジア地域での国際法順守を説いた。 各国首脳もそれに賛意を示した。
その結果何が起ったか。 一昨日6月9日、中国の軍艦により尖閣海域で示威行動がとられた。 かつロシアの艦艇を追尾中の出来事である。
アメリカの中国問題の第一人者マイケル・ピルズベリーはその著書China2049でこういっている。 アメリカは、西欧諸国は、中国の甘言に騙され続けてきたと。 いまこそ、世界覇権を目指す中国の甘言から目が覚めねばならないと。
その著書の推薦文で、元CIA長官は、親中派のひとりだった著者が、 中国の軍事戦略研究の第一人者となり、親中派と袂を分かち、世界の覇権を目指す 中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすようになるまでの驚くべき記録であると書いている。
恐らくこの書で目覚めたアメリカは、中国海軍の行動に対し即座に日本は同盟国であると 宣言したと今日11日の新聞は報じている。
改めて伝える。 現在は「冷戦終結後」の時代ではない。
冷戦が終結したように見えたのは、米ソの冷戦が一旦終結したのであって、 その裏では100年計画で世界覇権を目指す中国の戦略が進行している。
冷戦など終っていない。 唯物論にとらわれた国家はせめぎ合いを続けているのである。
かのピルズベリーによれば、お人好しな米国人もついにその事実に気付いたのである。 EUを巡りイギリスが独立を目指す中で、ドイツがヨーロッパの覇権を目指す動きをしているのも 同じことである。
国際情勢は何も変わっていないのである。
すべての国が生長の家の説く物質無の真理に目覚めるまでは状況は変わらない。 生長の家の使命は大なのである。
かつて私は説いたであろう。なぜソ連がこの日本の国を狙うのかと。 それは、かつて日本は東海姫氏の国と云われたように、資源豊か、人材優秀、工業力優秀、 まさに素晴らしい乙女のような国であるからであるからと。
このうるわしき乙女を自己のものにせんと、淡々と狙っているのであると。
うるわしき乙女日本を護るには、米国との安全保障条約が欠かせないと。
私は、実相世界は神の国で大調和しているが、 此の世は光と闇が交錯している世界であると説いてきた。
闇に対しては光をもって相対せよと教えているが、 その光とは、必ずしも甘いだけの対応ではない。
『生命の實相』道場篇で、道場破りともいうべき青年との対話を思い出すがよい。 私はコトバで説き伏せた。殴りかかろうとする青年の心が痛いのだと。
併し、わたしの高弟の野村義隆元陸軍大佐は、殴られる前に即座に殴り返し、 自ら痛みを知れと云うコトバを返した。そして私は書いたはずである。
それぞれに個性が出ていてよいのであると。 野村氏のやり方が間違っているとは一言も言っていない。 個人の対応でもこうである。
まして国家と国家の対応は言わずもがなである。
諸君は思い出すがよい、60年安保の時を。あの時マスコミは何といったか、 世の学者は何といったか。
安保を締結すればとんでもないことになる。 日本は軍国主義に舞い戻ると。
その時、敢然と方針を貫いたのは時の首相岸信介氏であった。 さすがの岸首相も、官邸、岸邸を取り巻く反対の群衆で心が折れそうになった。
後日判ったことであるが、その時私が聖使命新聞に書いた安保条約に賛成するとの言葉に、 百万の味方を得た思いがして安保締結を貫徹することが出来たとのことであった。
これこそ真理の燈台たる生長の家なのである。
わたしは自伝の中でこう云うエピソードを残したであろう。 中学時代の先生で大男だが気迫のない先生がタコとはやし立てられ顔を赤くして 学生に嘗められている一方で、小男ながら気迫のある先生には、 先生より大きい学生が叩かれても首をうなだれて従っていると。
そして、人間関係で重要なのは気迫であると。 ましては国家の関係に於いてをやである。
ある人は云うであろう。 対米従属は駄目なのだと。 それはその通りである。
しかし、神の言葉を思い出すがよい。 神の国は必ず実現する。 しかし、その時が何時かは誰もわからぬと。
神は絶対であり時空を超越している 。併し現世は映画のフィルムがスクリーンに展開する世界である。 現世は因果律の法則に沿って展開されねばならぬ。
神とは超次元、異次元の存在ではないとあれほど言って聞かせたであろう。 諸君が良心の判断に従って行動すること、それが神のコトバに従うことである。
現世は過去の因果を解きほどく中で展開する。 今の世も人類の迷い罪が解きほどかれる流れのなかにある。 因果の法則、現世の法則を見極めねばならぬ。
先の大戦は、大東亜戦争の名が示すとおりである。 戦争目的は立場によっていかようにでも言える。
大事なのは、樹の善悪は果実を見て知れ、の精神である。 大東亜戦争の結果何が起ったか、それを見れば、あの戦争の意義は一目瞭然である。
大東亜戦争の結果、アジア、アフリカの民が独立したのである。 戦前戦後の世界地図を見比べれば、赤子にでもわかる理屈である。 一切の言挙げは不要である。
神示で示したように、戦争は迷いと迷いが打ち合って消える過程である。 戦争である以上悲惨な事、行き過ぎたことが起こるのは当然である。 迷いはないに越したことはない。
しかし、現象を見れば迷いはあるのである。 心が変らぬ限り、人が生き物を殺すことを止めぬ限り、 その業の自壊作用として戦争は起こるのである。
併し、間違えてはいけない。 迷いは現れているのであって、根本的にあるのではない。 さればこそ、消えて行くのである。
しかし、手を拱いて消えるのを傍観せよと言ったことは一回もない。
『真理』青年篇での私の悲痛な叫びを思い出すがよい。 誰か愛国の青年は出でざるかと。赤坂の学生道場等あらゆる手を尽くして 真理宣布に行動する青年を育てんとしたのに、 研究研究に没頭する学生か、自分の個人的信仰に閉じこもる青年しかいない。
一方で、共産主義を信奉する青年は生命を賭した運動をしている。 生命の実相を悟った青年が左翼の戦士に伍して世界平和を招来する思想を 人類に広めよと悲痛な叫びを上げたのである。
この叫びに起ち上がった青年が、火の玉となって活動したおかげで、 紀元節が祝日となり、元号は法制化され、日の丸の国旗が実現し、 天皇御在位50周年の式典も行われたのである。
この動き無くして、東日本大震災での陛下によるお言葉があり得たであろうか。
生長の家が政治活動をする中で、思わず私は言ってしまったなかに、 「生長の家の一つや二つつぶれてもいい。天皇国日本が残るのであれば」と云う言葉がある。 あれほど言葉の力の大切さを唱え、大東亜戦争中に「海行かば」を歌うことは 敗戦を招くことになるからと反対していた私がである。
これは私の言葉ではない、神が言わせたのである。 現実はその通りになった。 当に神の予言だったのだ。
生政連の運動は、窮極の目的である憲法復元、改正はならなかったが、 日本国の象徴たる国旗日の丸は残り、紀元節も残った。
諸君たちの働きは無駄になったのではない。
大東亜戦争では、日本国が十字架にかかりアジア・アフリカの民は独立を勝ち取ったのである。 特攻隊の英霊の死は無駄になったのではない。 十字架のキリストであったのだ。
生長の家も然りである。 大東亜戦争で十字架にかかり死にかかった天皇国日本を救うために、 今度は生長の家が殉死したのである。 生政連の解散後の動きをめぐる中で、生長の家は確かに死んだのである。
形の上で教団は残っている。 しかし現世で生長の家を名乗る教団は、生長の家としては死んでいるのである。
考えて見るがよい。 私は常々言っていたはずである。 藤棚の家は生長の家発祥の記念となる家であるから永久に保存すべきであると。 そして今長崎に保存されている。
わが愛娘恵美子がわが愛する妻と一緒に吾が神殿生長の家神誌を郵便局まで運んだ 乳母車が総本山に展示されているのもそのためである。
生長の家の今日の発展の基となったのは昭和9年に東京進出してからであるが、 日本国の使命を受け大東亜戦争を戦うことで日本国は瀕死の状態になり、 生長の家もGHQにより解体の危機に瀕した。
その危機から立ち上がり、戦後の教勢拡大の原点となったのが原宿の本部建物であった。 藤棚の家に相当する建物である。
この建物は、信徒の献資のたまものであり、岸田日出刀東大教授と云う 当時の第一人者である建築家の設計による歴史的な価値のある建造物でもある。
その建物を壊すということは教えの心を損なうことである。
さらに神殿たる『生命の實相』、その縮約たる『甘露の法雨』も閉じ込められてしまっている。 生長の家はそこにはない。死んだのである。 1昨年に生長の家の大神の化身たる住吉大神を祭神の一つに格下げしたのはその最後の象徴である。
でも、歎く必要はない。 『生命の實相』第1巻はしがきにあらかじめ予言してあったことが実現しただけである。
生長の家の本部は地上にはない、神界すなわち実相の世界にあるのである。 すべては神の御心の展開である。
何故かかる事が起るのか。 諸君の奮起を促すためである。 太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れずと云うコトバがあるであろう。 眠れる信徒よ目覚めよ。
かのキリスト教の大発展は、イエス亡き後ローマ帝国の迫害を乗り越えた熱き信徒にあるのだ。 仏教を見よ、御簾の奥、上座にしがみつく人々を振り払い大衆に向かって行った人々が 大乗仏教を立てたのである。
諸君は改めて思い出されるがよい。 なぜ私が晩年80を過ぎてから長崎の総本山を建立したかを。 そしてそこに何が祭ってあるかを。
私は立教当時、吾に神殿は不要である、神殿とは『生命の實相』であるという神示を伝えた。 それがゆえに、それでも総本山を作るのは、鎮護国家のためであると伝えた。
さればこそ、奉祭の対象は護国の神剣であるのである。 生政連発足の際に申し上げたはずである。
人間神の子を説く教えはほかにもある。 現象は心の影と説く教えも他にある。 それではなぜ、この時、この日本国に生長の家が生まれたのであるかと。
生長の家の教えとは、真に世界平和を実現するためには、仏教でハチスに中心があると説くように、 キリスト教で一つの御心が成っているのが天であると説くように、 地上も中心が無ければ治まらないということである。
その中心にふさわしい国は何か。 それは中心がある国でなければならない。 中心は変らないものでなければならない。
世界で中心が変らない国はどこか。 それは日本しかないのである。
覇権による王権交代の国では世界は治まらないのである。 天意を受けた御子が中心にあってしらしめす国であればこそ、丸く治まるのである。
さればこそ、西欧の叡智アインシュタインも、伊勢神宮を参拝して理解したのである。 神が闘争の世界を平和に導くために天皇国日本を残していたことを。 そしてそれを神に感謝すると。
伊勢神宮とはなんであるか。 天照大神を祭るところである。 天照大神とは、日本の大御親である。
そして、天皇とは、天照大御神の御子孫である。 そして吾等は大神の日子、であり、日女である。 このことは伊勢神宮の大神の前で神想観をすれば誰でも感じることができるのである。
この天皇を抱く日本が占領憲法下で危うくなっているから、 今こそ住吉大神を直接仰いで日本国の実相顕現をせねばならぬと建立されたのが総本山である。
この使命を実現をするのが生長の家の信徒の使命なのである。
天皇というのは何も日本の王と云うだけではない。万国の王である。 神道の神だけではない。キリスト教の神でもある。
生長の家の歴史、私が啓示をうけた経緯を顧みるがよい。 私は、住吉大神、神功皇后を祭る、元住吉神社、生田神社にお参りする中で啓示受けた。
啓示の発端は、キリストの流れを汲むニューソートの フェンウィック・ホルムスの本に巡り合ったことである。
この本を読んで、不完全な現象は神の創造ではなく、心の現れであると教えられた。 それによって、不完全な現象を見て神を否定していた私の迷いが覚めた。
実相は完全、神の世界は完全という縦の真理と、 現象は心の現れと云う横の真理がわかったのである。
さらに、現象には実相そのものの現れである真象と、 迷いの顕れである偽象があり、 光を照らし闇の無を暴露して行くのが現象生活の使命と判ったのである。
すべてはホルムスの本、ひいてはキリストの教えからである。
もともと私は大本教で聖書を読み込みキリスト再臨論で注目を浴びたが、 ホルムスの本で啓示を受け真理の光で改めて聖書を読む中で、更に教えられたのである。
聖書の最終章はヨハネの黙示録である。 創世記のエロヒム神の創造で始まった完全な神の国が、エホバの神で善悪相対の世界となった。 最後には再び神が降臨して新天新地が実現する。まさに、新天新地の神示にある通りである。
新天新地を迎えるためには、王の王たるかたは、血に染まった衣をまとわれている。 つまり血みどろの戦いをせられるということである。 そのお方は、忠実また真、又の名を神の言、すなわちミコトと云われる方である。
キリスト教の奥伝たる黙示録はキリスト教徒にとっても解読が難しい所である。 神の啓示を受けた私が霊感で読み解いたのが、 王の王は、天皇、スメラミコトということである。
このことは、戦前の『生命の實相』にはハッキリ解いてある。 『古事記と日本国の世界的使命』のはしがきで引用された私の言葉にあるように、 戦後の『生命の實相』にはない。
占領下の日本人を救い、日本国の復活をするために 『生命の實相』の再刊を急ぐ中で割愛されたのである。 このため多く信徒は知らないままでいる。
しかし、今こそいう。 私がなぜ、戦後すぐに、日本国の将来を憂い『限りなく日本を愛す』というような 愛国の書を出したかを。割愛された部分を説くためである。
教えに今も昔もない。 生長の教えの本質は未来永劫不変である。 そして、それは、仏教とも、キリスト教とも、矛盾しない。
それは何か。世界には全て中心があること、原子に原子核があり、細胞に細胞核があり、 雪の結晶に核があり、地球に核があり、太陽系に太陽があるのと同じである。 この中心帰一がなければ世界は治まらぬのである。
そして世界の中心になるのは、神勅に基づく天皇を中心に仰ぐ日本しかないのである。 そして、それは黙示録にも予言され、さればこそアインシュタインも伊勢で実感したのである。
このことを説くのが生政連発足の言葉で述べたように生長の家であるのである。 この教えを理解するものであれば、天皇を単なる象徴でかつ国民の総意に基づくというような 不安な位置付けをする憲法が到底受け入れられるものでないことは判る筈である。
さればこそ、憲法を改正すべし、さしあたっては明治憲法に復元すべしと私は説いたのである。
冷戦が終わったから今の憲法に基づく天皇制のままでよいという議論が誤りであることは、 冷戦が過ぎたという認識自体が誤りであることから言うまでもないが、
それ以上に、天皇への中心帰一こそが生長の家の教えの核心であることを 知らねばならないのである。
これを明確にする為に憲法を改正せねばならないのである。 幸いにも復刊された『久遠の實在』では中心に帰一する道という章で、 中心をすめろぎとフリガナを振ってあり、その事が明確に説明してある。
この章を、今の『生命の實相』の万教帰一篇、古典に現れたる宇宙構造の中心理念と 読み比べて見れば、先ほどの『古事記と日本国の世界的使命』はしがきで説いた 天皇と日本国に関することがどのように削除されたかを如実に感じることができるであろう。
今神界では日本国実相顕現の大きなうねりが起きている。 今まで日本国を貶めていた暗黒思想を解き放つ動きが大きくなっている。
『生命の實相』生活篇で、夜明け前が一番暗い、最後まで耐え忍べ、 信仰成就には時間が必要であると説いたであろう。 いよいよその動きが本格化するのである。その前には、闇がうごめくのである。
キリストもサタンに誘惑された。 生長の家教団が今の教えと唱えこれまでの私の教えを信奉するものを原理主義と 唱える動きもそれである。
人はさばくなと教えてあるが、妄説とは決して和解するなと教えてある。 生長の家の教えは、天皇信仰である。日本の中心に天皇が座り、 その日本が世界の中心になるとき世界に本当の平和が来るというのが根本の教えである。
日本は真理国家であるが、真理国家に軍備が必要でないとは一言も言っていない。 心の改善で戦争を起らせないようにするまでは、次善の策として力のバランスで 日本を侵略不可能ならしめないといけない。
軍備も安保も不要だという議論は現実には調和しない。 人時処の三相応がなければ、どんな善も善とならないと説いてある。
生長の家とは、蛇のように聡く鳩のように柔和であるところである。 迷いの世界で戸締りをしないのは寧ろ迷い人を盗人に促す罪作りな行為である。
私の真の教えは、天皇国日本の実現である、 之に邁進するものは、わたしの真の教えを継ぐものである。
至嘱。ますます精進されんことを。
( http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=394 より転写)
<感謝合掌 平成28年6月12日 頓首再拝>

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そうですね (51137) |
- 日時:2022年06月12日 (日) 09時46分
名前:STEVE
誰がどう見ても尊師の霊言ですね。
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(51138) |
- 日時:2022年06月12日 (日) 11時55分
名前:?
誰がどう見ても尊師の霊言ですね。≫
「霊言」なるものを送ることができるのであれば、
もっとどんどん降して、素晴らしいものにしたらいいのにね。
教団についても、事業団についても、裁判についてもね。
どうして神界から導かないのかな、不思議だね。
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(51153) |
- 日時:2022年06月13日 (月) 01時52分
名前:感想後記1
●界の尊師のお言葉を伝統掲示板より全文引用させていただきます。
伝統掲示板は何処、若しくは何方の運営だったのか?
●<霊界の最高権威の一人、閻魔の庁の「閻魔大王」直々の「頭書の者共に対する親展通達」の内容>
画龍点睛様は何処かの信仰者の方なのか? 将又✘翼界の何方かなのか?
という淡い想像に掻き立てられた次第です。
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