生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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生命の實相を拝読して (53666) |
- 日時:2022年10月09日 (日) 03時00分
名前:トキ
毎日、「生命の實相」を拝読しておりますが、気がついたところを抜粋して、個人的な感想を申し上げたいと思います。
「ともかく、わたしは皆さんとともに「生長の家』の一読者として、それを読み、習い、修養して皆さんとともに一歩一歩向上さんと努力している一求道者にすぎないのであります。わたしだって道をはずせば立ちどころにそれが具象化するのであります。 かくのごとく『生長の家』は単なる人間なるわたしが書くのでないからこそ尊い現代の経典たるを得るゆえんで読んで病気が治るほどの真理が書けているのであります。 聖書やお経も肉体のキリストや釈迦の言葉ではなく神の啓示が、キリストや釈迦の口からほとばしり出たからこそ尊いのであります。」
(生命の實相 第2巻 97ページ)
ここで「わたし」とありますのは、谷口雅春先生であります。生長の家総裁であっても、道から外れると、具象化すると言われているのであります。
「聖書やお経も肉体のキリストや釈迦の言葉ではなく神の啓示が、キリストや釈迦の口からほとばしり出たからこそ尊いのであります。」とありますが、それを言い換えると、生命の実相の言葉も、肉体の生長の家総裁の口から出た言葉だから尊いのではなく、神の啓示が生長の家総裁の口からほとばしり出たから尊いのであります。
昔はその点はよく戒められていて、「中心帰一」とは、肉体の生長の家総裁の言うことに追随するのではなく、そこに真理があるから従うべきで、真理から外れた言葉には従うのは「中心帰一」ではないのであります。
とにかく、谷口雅春先生ご自身が、「自分の言うことが絶対である」と書いておられず、間違ったことをしたら、自分でも道から外れたらそれが具象化すると言っているのです。ましてや、信徒が、間違ったことをしたら、たちまち具象化するのであります。
信徒は、ここに生命の実相などの聖典を典拠にするべきであると思う次第であります。
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生命の實相 第1巻 8ページ より (53687) |
- 日時:2022年10月09日 (日) 20時40分
名前:トキ
「生長の家」の説くは机上の空論ではなく生命の法則であるから道すなわち生活であるのである。この法則を自分自身の生活に生きるとき「生長の家の生き方」として展開し、他人の生活におよぼすとき隣人への愛行となる。ここに一つの道は展開して生活となりさらに展開して愛行となるのである。愛行のうちに生活があり、生活のうちに道があり、道と生活と愛行とは三位にして一体である。道が生活の上に悟られるときそれは救いの相をもって顕われ、メタフィジカル・ヒーリングとなって、健康境週性格の改善等をおのずから成就する。
生命の實相 第1巻 8ページ
統一協会などのカルトが世間では糾弾されています。これらの教団は、「人間は罪の子」と教えて、恐怖で支配する宗教で、谷口雅春先生は、「宗教強盗」と喝破されました。
しかし、生長の家でも、これを他山の石として、謙虚に反省するべきだと思います。宗教をすることが、何か異常なことであるような雰囲気が世間にはありますが、この原因は全て宗教者にあると思います。生長の家でも、戦前、谷口雅春先生がご指導をされていた時期には、この点は行き届き、ごく普通の生活の中に真理を実践するような姿勢が尊ばれました。
それが、組織が大きくなると、組織を維持することが至上命題になり、組織の都合を信徒に押し付けるようになりました。最近になると、石を拝んでありがたがる異常な信仰を本部が言い出し、それを一部の狂信的な信徒が実践するという異常な状態になっています。
ここに、私達は、生長の家の信仰の原点に戻り、信仰の本質は、一人一人の「神の子」の自覚であり、生活の向上であると言うことを認識することかと思います。
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何版か書いてちょ (53688) |
- 日時:2022年10月09日 (日) 21時49分
名前:進言者
たぶん頭注版の第1巻とか第2巻とかなんだろうけど、それなら頭注版の第何巻かって書いてちょ
新編は論外って主義らしいけど、たとえ新編じゃなくてもいろんな生命の實相が読まれていて、うちにあった母親のは携帯版だったし、徳久先生の「『生命の實相』に学ぶ」だって頭注版なら何ページで携帯版なら何ページって必ず両方出ているし
ものを論じたり感想言ったりするなら自分だけの常識で大丈夫かちょっと立ち止まって考えて、管理人さん
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ご指摘に感謝申し上げます (53699) |
- 日時:2022年10月10日 (月) 10時40分
名前:トキ
ありがとうございます。
ここで引用する生命の實相は、全て頭注板とご理解ください。
よろしくお願い申し上げます。
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雅宣先生とその取り巻きを異常者みたいに言わないでください。 (53716) |
- 日時:2022年10月11日 (火) 21時38分
名前:神の子
石を拝む…石神さまを拝むと言うことはイワナガヒメ、国歌君が代にもありますが長寿の神ですよね。高齢の信徒たちの長寿と健康を石神さまにお祈りして信徒にも実践させてるのかもしれませんよ。
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>石を拝む…石神さまを拝むと言うことはイワナガヒメ、国歌君が代にもありますが長寿の神ですよね。高齢の信徒たちの長寿と健康を石神さまにお祈りして信徒にも実践させてるのかもしれませんよ。 (53719) |
- 日時:2022年10月11日 (火) 23時09分
名前:本音の時代
雅宣総裁のfacebookのコメント欄で確認してくださいナ。私はアクセス禁止の身なもんで。
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(53731) |
- 日時:2022年10月12日 (水) 11時04分
名前:トキ
これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があり ます。 「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、写 えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かし て使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。
この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことが自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。
頭注板 生命の實相 第2巻 189ページ
先日、本部から届いた通達を見たら、
「この間、機関誌につけて送った”世界平和の祈り”新バージョンを印刷したケードを破棄してください。
新しいカードを送ります」
とありました。
なんでも、カードの下部に Seicho-no-ie という文字を印刷するのを忘れたので、全部破棄して印刷して送り直す、という話だそうです。以前、日時計日記のWeatherの誤植を指摘しても無視して、翌年、しれっと直したのと対応が違います。しかし、これはもったいない話だと思います。
が、逆に、あれをしてはいけない、これを買ってはいけない、というのも、窮屈だし、必要なものを買わず、不要なものを溜め込むのも、循環を止めることになります。
生長の家の要諦は、「感謝」であります。
私は、昔、ものを買うのも、ものを売るのも、「感謝」の気持ちが大事だと教わりました。この気持ちがあれば、何を買っても、買わなくても、自由だと思います。
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ウクライナ戦争を見て (53804) |
- 日時:2022年10月16日 (日) 12時54分
名前:トキ
人間はなぜ、平和をもとめながら戦争をするのであろうか。その本当の理由を知る人は少ないのである。人類は生命に至る道をもとめながら死への道を選んでいるがごとく見える。それは、人間が自己の本来清浄の霊的実在なる本質を知らないのと、キリスト教的原罪または仏教的罪業観で自己処罰、自己破壊をとげつつあるからである。自己の「霊」なる本質を知らないで、自己を「物」として観、「肉」であると自覚する人間は、「物」としての自分を持続し、拡大しようと望まずにはいられない。しかも「物」は有限であるから、自己を無限に拡大しようとする希望は互いに衝突したり、奪いあったりするほかはなくなる。だから、唯物論的人生観にたつ以上は、人間は平和を欲しながら戦争へと突入し、生命の完全なる伸展を欲しながら、自己破壊をつづけてゆかなければならないのである。
頭注版 生命の實相 第3巻 巻頭 第1ページ
ウクライナ戦争の光景を見ると、この言葉に解説は不要かと思います。
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(53807) |
- 日時:2022年10月16日 (日) 14時48分
名前:長崎の晩霞
トキさん お年のせいか、すべての投稿に、打ち間違いの文言があります。 投稿前に読み直すか、後からでも訂正をお勧めします。
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長崎の晩霞さま (53808) |
- 日時:2022年10月16日 (日) 14時59分
名前:トキ
貴重なご指摘に感謝申し上げます。
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読んでいますか? (55541) |
- 日時:2023年01月22日 (日) 00時33分
名前:神の子
三日坊主ですか?日々精進が大事ですよ。
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