生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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則天去私様ブログより【私の疑問と「生長の家」とは何か…】 (54399) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 15時40分
名前:志恩
(志恩ー 則天去私様、いつもすみませんが、 引用させていただきます。) ________________ 則天去私様ブログより 【私の疑問と「生長の家」とは何か…】
私は自分の判断で 「谷口雅宣」氏というのはどうしょうもない人間で 「生長の家の教え」を根本的に歪めている と書いていました。
それは現象的には確かにその通りなのですが、 どうしてそのような人間が 「生長の家のみ教え」において 成り立ってしまうのであろうか。
今回の「社会事業團」においてもそうです。
「学ぶ会」代表もそうです。
講話すれば良いことを言っていると思います。 しかし“實”が伴わない。
それは、何故なのか?
これほど、生長の家の勉強をしながら どうして“實”の伴わないことを して しまうのであろうか?
腹を立てるのは、誰でもありますが 法人が 個人を 訴訟するとは 私にはたまらないほど、異常な行動だと思っています。
しかも何件もの裁判を起こしている。 もしこれを 「社会事業團」「学ぶ会」の幹部の人達が読んでいたならば、 裁判しないと「学ぶ会」が、成り立たないのかどうか... そこを考えて欲しい。
『生命の實相』も 皆に読んでもらうことを目的にしたことを 「谷口雅春先生」はお書きになっておられます。
その為に、戦前及び戦後には様々な形式で 『生命の實相』を出版されておられます。 パテントさへも信徒の皆様へ譲られています。
「谷口哲學」を自分だけに閉じ込めて、 会員には 多額の費用をとり、それを払った人だけに 教える。 そんなことを行っていません。
谷口雅春先生の真理の言葉を 出来る限り沢山の人に頒布してほしいと 無料でパンフレットを配っています。
何でも裁判となれば、 谷口雅春先生のお言葉を引用して、 それを印刷して講話で使ったならば、 裁判を起こされることになり、
雅春先生の言葉を使うことは、出来なくなります。 私もブログでは、谷口雅春先生の真理の言葉を 出来る限り使わないようにしています。
このような裁判とかすると、 私達は、委縮して、「雅春先生」の言葉を 講話では使えないことになります。
私は今回の裁判で、そのことが気になります。
谷口雅春先生のお言葉を、伝えられなくなるのではないか と思っています。
今回の阪田先生においてもそうです。
「神示」を引用すると裁判なんですから、
本来は「社会事業團」「学ぶ会」の幹部の人達が 怒らなくてはならないことです。 そんなこと可笑しいと言わなければならないこといです。 だか、誰も言わない。
私の疑問というのは、
「神示」を引用すればダメです、ということで、 著作権の許可をとらないと「引用」出来ないのは
「伝道」の邪魔になるのではないか、と 代表に、学ぶ会の会員の皆様は、どうして言わないのだろうか?
ということです。 _________________
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上のスレッドの、感想です。 (54400) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 16時02分
名前:志恩
「学ぶ会」で勉強されているという「本音の時代」さま 「社会事業団」に寄付されたという 「社会事業団に寄付して後悔している者」さまは、
社会事業団や学ぶ会に対して、 批判の声をあげておられますが、 社会事業団の理事長の久保さまも 学ぶ会代表の前原さまも、知らん顔です。
そして訊けさまが、調べてくださったことを、 今朝、トキ掲示板の トキラジオとコメントで おっしゃってましたが、
社会事業団は、財団法人なので、 裁判にいくら使ったか、という 収支報告を、出さなくていいことになっている とのことでした。
ですから、久保理事長さんは、やりたい時に、社会事業団の お金を使って自分の部下の理事にしてある内田弁護士を 使って、好きな時に、好きなように、これまで通り裁判に 勤しめるわけです。
それに社会事業団の理事長を選ぶのは、社会事業団の 評議員である自分だそうですから、自分で自分を選ぶ わけですから、 久保さまは、終身理事長でいることができる仕組みになっている とも聞きました。
もはや、宇宙一の著作権者は、 宇宙で一人のみ、久保さまでありまして、 久保さまは、谷口雅春先生より、えらい人になりました。
阪田先生をご覧になれば、 お分かりになりますよね。
あのように、すぐにスラップ訴訟裁判にかけられます。
社会事業団の久保さまが、阪田先生に要求している 損害賠償金は、合計で1000万円ですよ。
著作権を振り回して、阪田先生から、ぼったくろうとしている 賠償金の額です。77歳の一個人の 高齢者の年金生活者から 財団法人が、ぼったくろうとしているお金の額が、なんと1000万円です。
誠にも恐ろしいことです。
そして、残念ながら、この悪の連鎖は、誰も断ち切ることが できない仕組みになっているということも聞きました。
われわれ、昔からの純粋な良き信徒たちに取りましては、 信徒たちの力では、解決の方法がない、 とても悲しむべき憂うべき悪魔のような現実が起きているのです。
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(54407) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 20時54分
名前:真理の把握のできた人いるのだろうか
これほど、生長の家の勉強をしながらどうして“實”の伴わないことを して しまうのであろうか?/則天去私さん
われわれ、昔からの純粋な良き信徒たちに取りましては、 信徒たちの力では、解決の方法がない、 とても悲しむべき憂うべき悪魔のような現実が起きているのです。/シオンさん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「生命の實相哲学」という言葉を使っているように、意識上の観念論になっているからでしょうか。
「本流派」の掲示板に参加していた人達が、ここで議論しても仕方ないとして11年前に「トキ掲示板」が出来たのでしょう。 その時点で話し合い、また真理の実践により、統一した「生長の家」を出現させることができなかったという結果が出ている。
「実相を観ずれば実相が現れる」という真理の言葉「天地一切に和解せよ、和解するとは感謝することである」という真理の言葉、これらが正しい真理の言葉であれば、その実践ができた人がいなかったというのが結果でありましょう。
「真理をしれば自由に生きられる」、とか言われているでしょうが、60年以上生長の家にいて本部勤めをし、「私の知っている生長の家が本物です」とばかりの発言するシオンさんが、「信徒たちの力では、解決の方法がない」という。 また、「これほど、生長の家の勉強をしながらどうして“實”の伴わないことを して しまうのであろうか?」と他人事のような言い方をする人。ご自分で実のある生き方をし、調和ある生長の家という結果を出したらいいのでは。
教団に素直について行く信徒を「一部の狂信者」と表現するトキ管理人さん、どうして調和が出て来ましょうか。
今回の阪田さんの出来事にしても、彼が真に真理を体得しているのであれば、彼の周りには調和のみ現れたことでしょう。しかし事業団と一致しての真理の把握でなかったからこそ、「あなた方事業団のすることは間違っている」として「光明の音信」という印刷物を配布するに至った。事業団にしてみれば敵対行為をしてきたことになります。坂田さんは「なぜ裁判ごとに引き込まれたのか」を反省すべきでしょう。真理の実践者に敵対する者はいないと講和しながら、自らには敵対者がいる現実。彼の各錬成道場での講話が実生活には結果が出ないのでは、単なる哲学としての講話であったということでしょう。
「あなたは真理に外れている」と言葉でいうのは簡単です。でもそのような発言をするもとには「私の真理の把握は正しい」という観念に支配された自己の観念があります。
『生命の實相』の版権問題にしても、信徒がどんどん増えて、本がどんどん売れる状態であれば出てこなかったのではないでしょうか。売れなくなったからリニューアルしようとの話が出てきたのではないですか。その延長線上にある生長の家の本流派の伝道では『新編生命の實相』の売れないのも当然です。
本当の真理の把握のできている(実践できている)信徒がただの一人もいないということでしょうか。一年にわたり、事業団学ぶ会は変だ、阪田さんは正しいと他者批判をしたところでどんな結果が出るのでしょうか。

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核心 (54408) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 21時16分
名前:言いにくいことを言ってくれたと思った
>今回の阪田さんの出来事にしても、彼が真に真理を体得しているのであれば、彼の周りには調和のみ現れたことでしょう。しかし事業団と一致しての真理の把握でなかったからこそ、「あなた方事業団のすることは間違っている」として「光明の音信」という印刷物を配布するに至った。事業団にしてみれば敵対行為をしてきたことになります。坂田さんは「なぜ裁判ごとに引き込まれたのか」を反省すべきでしょう。真理の実践者に敵対する者はいないと講和しながら、自らには敵対者がいる現実。彼の各錬成道場での講話が実生活には結果が出ないのでは、単なる哲学としての講話であったということでしょう。
>「あなたは真理に外れている」と言葉でいうのは簡単です。でもそのような発言をするもとには「私の真理の把握は正しい」という観念に支配された自己の観念があります。
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>今回の阪田さんの出来事にしても、彼が真に真理を体得しているのであれば、彼の周りには調和のみ現れたことでしょう。 (54409) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 22時27分
名前:本音の時代
イエス・キリストの周りには調和のみ現れたでしょうか? どのように説明してくれるのかな?
ことの発端は、「託していない」ものを、「託された」と表記したことです。
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それですか? 永遠に蒸し返すのですか? (54410) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 23時09分
名前:言いにくいことを言ってくれたと思った
「託された」云々はその号の第3頁を「普通の注意と読み方」で読むと名誉毀損にあたるという判決が出たので不服なら控訴するしかない その号の次の頁の第4頁を見れば著作権は社会事業団にあると書いてあるから前の頁の第3頁だけしか読まなかった人には誤解を与える表現でも名誉毀損に当たらないという判決にはならなかった、ということがみんなの情報からわかる
キリストのことは聖書を読むか雅春先生の聖書に関する御文章を読み込む努力を自分ですべき
キリストは調和したか? 普通は深淵すぎてイエスかノーかなんてネット掲示板で安易に持論を展開したりしないのでは
形の上では厳しい態度で毅然として神を犯す者には叱責した(神殿で縄の鞭)
弟子達を伝道に遣わす時には敵対するサドカイ人の所に行ってはいけないと諭した
鳩の如く穏やかであって蛇の如くさとくあれ(マタイ10)とも教えた
調和とは相手の現象に妥協することではなく相手の実相と調和する(祈って拝みきる)
キリストはどうだったか? それは雅春先生の聖典と原文の聖書を読み込んで自分でまず答えを見出す努力を
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迷っても悟っても 我が内なる神様のいのちの中。 (54411) |
- 日時:2022年11月21日 (月) 23時52分
名前:志恩
阪田先生は、 谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代から 原宿本部に奉職されていたお方で、
山口悌治先生のもとで、9年間もお仕事をされ、 「生長の家の五十年史」の編纂も、 山口先生が編集長で、阪田先生は、その下で編纂の仕事にも 携わり、
徳久克巳先生からも 非常に信頼されていらしたお方だったと、伺っております。
ということは、本物をご自分の目と耳で、しっかり観て、聴いて 永年、生きていらした。
だからこそ、本物ではない、偽物が、はっきり、わかるのだ と思います。
阪田先生が、エゴイストでいらしたら、あのようなことは お書きにならなかったと思います。 谷口雅春先生のために、書かれたのです。
阪田先生は、著作権が社会事業団にあることは百も承知の お方です。阪田先生の一番おっしゃりたかったことは、 人類にとって、宝である『生命の實相』を、 谷口雅春先生が亡き後、 どこの馬の骨か、わからない人間が、勝手に章立てを変えたり しては、決してならないと強く思われていらしたから、あのような 文章を書かれたのです。
昔から、『生命の實相』を「リニューアル」しよう という話は出ていたということは、私も存じておりますが、 「リニュアール」とは、「章立てを 変えてしまうことでは ない」 と聞いています。
せいぜい、字を、多少大きくしたり、表紙のデザインを、今風に 垢抜けたものにするようなことが、「リニュアール」することだった と聞いています。
谷口雅春先生の教えを生きて、我がものに できていれば、 自分の身の回りに、良いことばかりしか起きてこないなんて ことは、谷口雅春先生はおっしゃっておられません。
人間この世に生まれてきて生きていれば、 様々なことが起こって、当然のことだからです。 人間は、この世には、魂の進化のために修行するために 生まれてきている。
自分の家の家庭内のことは、誰かと、不調和な状態だった場合 真理を実践して 調和をもたらすことは、誰でも教えを実践すれば、調和することの 実体験は、しているはずです。
しかし、たとえ、自分の家族のことでも、家族が間違ったことをしている と思えば、それは 間違っていると、言うことは、正しいことです。
そして、他人が、間違っていると 思うことも、 はっきりとここが違うと思うと 指摘して差し上げることも、これも1つの光明思想なのです。
もしも虫歯だらけの人間が、歯医者に行ったとします。 ところが、歯医者が、「どこにも虫歯が ないですよ、」と悪いところを見ないで、言ったとしましょう。
そうしたら、虫歯が進行して、大変な結果になりますよね。 医者が、正直に、こことここが、虫歯になっていますよ、と悪いところを 指摘してくれるから、大事に至らずに、治療して良くなるわけです。
世の中のことも、それと同じです。
政治のこととか、コロナワクチンのことは、政府の変えるために (相手が大きすぎて変えられないですから)言っているのではなく、 より多くの皆さまに、知って ためになる と思う 情報を 知っていただきたいために 書いているのです。
私は、トキ掲示板が あるおかげで、 第二掲示板で言ってることが違うと思った場合、トキ掲示板で 反対意見が述べられて、嘘がまるで事実のように 広まらずに済むと 思っております。
私は、トキさまが トキ掲示板を立ち上げてくださり、 トキ掲示板が、存在していることも、神様のお計らいだと、 神様はいうまでもありませんが、、トキさま、訊けさまや、トキ掲示板に 投稿してくださる皆さまにいつも感謝しております。
トキさまは、教団に関することも、批判の言葉が おありになるのは、 教団に対する深い愛があるからです。 聞く耳を持たない上層部ですけれどね。
何年 言っても変わらない、同じじゃないか と申されますが、 今夕のトキラジオでチコちゃんと訊けさまが言われてましたように、 すぐには結果は出ませんが、100年後には、成果が出ているかも しれませんよ。何事も やって 無駄なことは ございません。
話は変わりますが、 白隠禅師が、「生涯で大悟が三度、小悟は数知れず」 とおっしゃたことは、あなたもご存知の通りです。
道元禅師の場合は、悟ればこうなるだろうとあらかじめ考えていたような 悟りは大した悟りではないといわれまして、 本当の悟りというものは、まったく想像もつかないようなもので、 本当に悟ったら、迷いなどというものは、なくなると断定していらっしゃると 本で読んだように思います。
私などは、そのような立派な方々と全然違う、学びの途中のものです。 でも、私は、生長の家が いのちでして、この教えを 信じて生きてきて、 今の幸せがあり、娘夫婦も、同じように思ってくれていますので、嬉しい ありがたい最高に いい人生を 送らせていただいております。

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本音の時代さま (54412) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 00時31分
名前:志恩
いい例をご提示くださって、感謝します。
おっしゃる通り、イエスキリストは、買収された弟子ユダの 裏切りによって、ユダヤ人指導者たちの手に渡され、 磔の刑に処せられました。
お釈迦様(ブッダ)は、食中毒で死にました。 鍛冶屋チュンダが供養した食事だったとされます。
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「託された」について (54414) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 07時46分
名前:本音の時代
蒸し返しではありませんね。全く別の話になりますね。
「託された」という言葉は「寄付」したと同じ意味になるでしょうか。 谷口雅春先生は、「著作権を寄付」しましたが「著作権を託した」と言っていたでしょうか。 社会事業団には設立目的が確定しており、そこに「著作権が託された」ということを関連づけすることは、そもそも必然性はないのです。 社会事業団は、なぜ「託された」を使い、「寄付された」という言葉を使わないのでしょうか? あるのは、一種の思惑です。
>今回の阪田さんの出来事にしても、彼が真に真理を体得しているのであれば、彼の周りには調和のみ現れたことでしょう。
そこまで言及する必要があるでしょうかということです。
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>キリストは調和したか? (54417) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 15時27分
名前:本音の時代
これは私の投稿 (54409)に対してかな? 私は、【キリストは調和したか?】について論じていません。
参考文 >今回の阪田さんの出来事にしても、彼が真に真理を体得しているのであれば、彼の周りには調和のみ現れたことでしょう。
イエス・キリストの周りには調和のみ現れたでしょうか?
主題は「真理を体得した人」になります。
まあ、上記はどうでもよいことなのですが。
行き着くところなんですが、阪田先生がなぜあのような文章を書いたのかを考えなければ、真意が見えなくなってしまうと考えます。
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《聖書は神の啓示であり、また人間に対する神のみことばであることを、神ご自身が認証されたものです。/『聖書通読の計画表』(一般社団法人 聖書同盟)[1977年6月発行]〈この通読表の特徴〉》 (54420) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 17時25分
名前:抜粋を適当に(※Uペテロ1:20−21)
《私は、あなたがたを恥じ入らせるために、こう言っているのです。あなたがたの中には、兄弟の間を仲裁することができる賢い人が、一人もいないのですか。
それで兄弟が兄弟を告訴し、しかも、それを信者でない人たちの前でするのですか。 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか。
それどころか、あなたがた自身が不正を行い、だまし取っています。しかも、そのようなことを兄弟たちに対してしています。 /コリント人への手紙 第一 6−5〜8(新改訳)》
《実際、あなたがたの間で本当の信者が明らかにされるためには、分派が生じるのもやむを得ません。/ コリント人への手紙 第一 11−19(新改訳)》
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意味が、わかりません。 (54423) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 18時36分
名前:志恩
結局、あなた様は、何が おっしゃりたいのかしら!? 本音の時代様と私に。
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仲裁は谷口雅春先生 (54426) |
- 日時:2022年11月22日 (火) 19時16分
名前:本音の時代
谷口雅春先生は、社会事業団に著作権を託したと言いましたか。 久保理事長、どうでしょうか?
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夏目漱石の話 (54437) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 00時24分
名前:トキ
夏目漱石は、亡くなる前にかなり苦しんだらしく、鏡子夫人の回顧録によれば、「胸に水をかけてくれ」と頼み、「死ぬと困るから」と言い、これが最後に言葉になったそうです。
この部分だけを取り出し、ある作家が「夏目漱石が、則天去私などと偉そうに言っても、この程度のものだ」と揶揄したことに、息子の夏目伸六さんが激怒し、「父が則天去私と唱えたのは、既に則天去私の境地にあると言う意味で唱えたのではなく、その境地を目標としたのだ」「この作家さんは、父のことを何もわかっていない」と説明をしたと、子供の頃に読んだ本の中にあったと記憶しております。(余談ですが、則天去私さんを意識して、このエピソードを書いたわけではありません。念の為、)
谷口雅春先生も、「自分も一求道者である」とおっしゃられ、その史跡を生涯、続けられました。このスタンスは、生長の家という組織では、現在も尊重されている建前になっています。これは当たり前に話で、この人間界で修行をしている立場では、人間界の煩雑な関係があることが前提となるのです。
「真理の把握のできた人いるのだろうか」という人が、生長の家をしているのにトラブルがあるのはおかしい、と揶揄しておりますが、これは人間界のあり方を無視した考えです。「小聖は山に篭り、大聖は街に出る」と古人は言いましたが、人間関係のトラブルを恐れるあまり、事なかれ主義になるのは魂の向上というスタンスで考えると、有害無益の考えであると言わざるを得ません。
なお、私が、一部の信徒を「狂信者」と表現しましたが、幸いなことに、最近では、これらの狂信者の中でも、ようやく、現在の本部の方針が本来の谷口雅春先生の教えから逸脱していることに気がついた人が増えて起きており、内心、喜んでいる次第です。
無用な争いは避けるべきですが、争いを恐るあまり、間違いをするのも考えものです。「真理の把握のできた人いるのだろうか」という人のお考えは、机上の空論、観念論であると思案する次第です。
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高みに立った発言と言うよりタブーを衝いた指摘だった (54438) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 01時11分
名前:言いにくいことを言ってくれたと思った
トキさんが真理の把握や実践のできた人は一人もいないと指摘した投稿者に対してあなたこそ観念論だと反撃しているが
この投稿者は自分こそ真理を把握したなどという高見からの発言をしているわけではないと思う
ただタブーを衝いたのだ 被告を応援する人々の間には、原告だけが一方的に悪であり、身勝手であり、卑劣であり、被告には告訴される要因など皆無だという図式が構築されていた
そこに被告にも告訴される要因がなかったかという疑問を呈したのだ その逆の原告への批判を許さないという立場でもなく、喧嘩両成敗かもしれないという一般の人の感想を書いたのだ
と、解釈している
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考え方がヘン。 (54440) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 03時29分
名前:志恩
社会事業団の理事長の久保氏(+学ぶ会の代表の前原氏) と、阪田先生との、この度のことは、
社会事業団が阪田先生との、話し合いに応じず、 突然、内容証明付き謝罪要求書を阪田先生に送りつけて、
阪田先生に「光明の音信」に、社会事業団に対する詫び状を書け、 とか 社会事業団のブログにも謝罪の言葉を書け、 とかいう大人気ない要求をし、それを阪田先生が、やらないからと言って、
有無も言わせず、1000万円の賠償金を要求した訴訟裁判を 起こした理不尽な事件であって、
「喧嘩両成敗」というような小学校の男の子同士の 単なる幼稚な子どものケンカとは異なる次元の問題です。
裁判に、持ち込む方が、頭がおかしい。
個人が出している会報に、ある人が、 自分たちにとっては、反論すべき ことがら が 書かれたと思うなら、
財団法人が、出している正式な会報に、 正々堂々と、それに対する反論を書けば済むことです。
荒々しく裁判を起こさなくても。
世の中の人は、 生長の家教団も、 生長の家社会事業団も、 同じ類の、生長の家の団体だと、みなします。
そして、生長の家とは、すぐに個人に対しても、 訴訟裁判を起こす おぞましい宗教団体だと、今回のことで誤解されます。
つまり、社会事業団がすぐに裁判を起こすこと、 それをわがことにように推す、学ぶ会、 両方とも、やってることも言ってることも、 生長の家の恥です。 谷口雅春先生に 誠に申し訳ないことを しているのです。 と申し上げているのです。
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生長の家とはどんなところ (54456) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 11時36分
名前:真理の把握のできた人いるのだろうか
谷口雅春先生も、「自分も一求道者である」とおっしゃられ・・・・・・・・。これは当たり前に話で、この人間界で修行をしている立場では、人間界の煩雑な関係があることが前提となるのです。
谷口雅春先生の教えを生きて、我がものに できていれば、自分の身の回りに、良いことばかりしか起きてこないなんてことは、谷口雅春先生はおっしゃっておられません。
人間この世に生まれてきて生きていれば、様々なことが起こって、当然のことだからです。人間は、この世には、魂の進化のために修行するために生まれてきている。
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まことに面白き意見です。
以下の引用文は夢のまた夢、実現不可能な希望を持たせるだけなのだろうか?「人間界の煩雑な関係があるという自縄自縛」「魂の向上のため輪廻を繰り返すのであるから一足飛びには自由自在にはならない」という「実相独在」を否定するかの言。
以下の文言は「嘘」なんですか?
引用
「真理は汝を自由ならしめん」とキリストは教えたのであるが、真理を自覚し得たものは自由自在をを得るのであって、それを仏教では解脱という。真理を自覚して大自在の境地にまで解脱したる者を仏教では覚者すなわち仏陀と言うのである。
「解脱を以って仏となす」と涅槃経には錄されている。
キリスト教も仏教も結局は、真理を知ることによって、一切の苦悩その他の繋縛から脱して大自在の境地に衆生をして達せしめんとするのがその教えの最後の目標だと言い得るのである。
人間界の一切の苦悩は、戦争等によって、自己破壊を刻々自己身辺にちかづけつつあることをも含めて、すべて迷いによって自己の想念行動を自縄自縛しているからである。
※※ 真理を知ってこの自縄自縛を解き放てば、地上に天国浄土ともいうべき至福の世界が実現することは必至である。※※
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本音の時代さん (54459) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 12時04分
名前:真理の把握のできた人いるのだろうか
以下の文言は「嘘」なんですか?
と問いかけたのです。
徳久講師の話を披露されましたが、それを聞かれた上であなたはどう返事をなさるのでしょうか。
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re:本音の時代さん (54459) (54461) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 12時28分
名前:本音の時代
「真理の把握のできた人いるのだろうか」という語句に対する私の考えですというか、雅春先生の言葉を借用しました。 雅春先生の言葉に嘘はないです。
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>『生命の實相』の版権問題にしても、信徒がどんどん増えて、本がどんどん売れる状態であれば出てこなかったのではないでしょうか。売れなくなったからリニューアルしようとの話が出てきたのではないですか。その延長線上にある生長の家の本流派の伝道では『新編生命の實相』の売れないのも当然です。 (54462) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 12時36分
名前:本音の時代
著作権は社会事業団にあるから、リニューアル版を出すのはよいでしょう。 でも、頭注版や愛蔵版を出版停止にする必然性はないのです。
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前投稿文の続き (54467) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 13時25分
名前:真理の把握のできた人いるのだろうか
続きを引用
しかし、如何にすれば、人類が自己解放を遂ぐべき真理を自覚し得るであろうか。
神想観というものは、私が修行中に神授せられたる般若の智慧を禅定によって到達せる道である。・・・・・動的修行としては、・・・・
静的修行としては禅定によって般若の智慧を【体得するほかはないのである。】
この書が世に出ることによって、できるだけ多くの人たちが、真理をただ書籍上で知るだけでなく、身をもって実修し、【真理を全心身をもって体得し】、一切の繋縛を脱して自由自在の境地に達せられんことを希望するのである。
・・・・【私自身も、これによって尚、修行中のものであるが】・・・・ 昭和45年7月1日 谷口雅春
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感想
「体得するほかはないのである」「真理を全心身をもって体得し」と説かれ
自己解放を遂ぐべき真理の自覚を「体得」すべきものと言われる。
けれども、体得し自由自在になるなどということは空理空論、観念論である、との意見を言う人が本来の生長の家の教えを、未来に引き継ごうとしていると主張する。
【私自身も、これによって尚、修行中のものであるが】と開祖自身いうのであるから、自由自在の境地には未だ達していないということになるのだろうか。
そうであればいまだ自由自在の境地に達した生長の家人はいない、つまりは空理空論観念論が生長の家の教えということなんだろうか。
「真理の把握のできた人いるのだろうか」のHNは「体得するほかはないのである」「真理を全心身をもって体得し」を成し遂げた人がいるのだろうか、との意です。
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re: (54467) (54471) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 14時29分
名前:本音の時代
前原代表に聞いてみてね。結果報告はこの掲示板でお願いします。
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迷論について (54487) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 21時47分
名前:トキ
「真理の把握のできた人いるのだろうか」と言う人が、またまた茶々を入れています。 この掲示板は、生長の家の信仰をしている人のために開放している場所で、そうでない人が嫌がらせの投稿を繰り返すのは、本来の投稿者様に失礼だと思います。ですからこの人は、本来、投稿する資格はありません。が、こう言う考えをする人も多いと思いますから、とりあえず、私見を披露しておきます。
生長の家の信仰をしていたら、(あるいは、何かの信仰をしていたら)、何も問題が起きないとはあり得ないのです。生命の実相第3巻にも、熱心な信仰をしている人が、病気になったり、暴漢に襲われるケースが紹介されています。が、仮に、現在の心境が高いレベルに達していても、過去の業が現れる以上は、問題が起きるのは当たり前なのです。
そもそも、この人間界に生まれるのは、ある種の魂の修行のために生まれてきたのです。人間として生まれてきて、何か問題が起きるのは、それが当たり前になるようなプログラムになっているからです。釈尊やキリストですら、問題が起きております。仮に、学校に入って、勉強もせずに卒業証書だけもらっても、何も実力が伴わない話になります。「真理の把握のできた人いるのだろうか」さんは、信仰をしたら、信仰をしたのに、問題が起きたと揶揄しております。
が、神様から見たら、信仰をしている人も、していない人も、大事な神の子です。信仰をしている人は大事にするが、していない人は粗末に扱うのは、ある種の霊魂のレベルです。このレベルの霊魂がつくと、人間界の生活には都合の良いように守護してくれる場合もあります。そう言う霊魂は霊魂で大事にしても良い場合がありますが、それは本来の神様ではない、と言うことは理解をしておく必要があるでしょう。
ですから、「真理の把握のできた人いるのだろうか」様は、生長の家ではなく、ある種の霊魂を崇拝する信仰に帰依することを唱えていると考えております。
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私見です (54488) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 23時22分
名前:トキ
「真理の把握のできた人いるのだろうか」のHNは「体得するほかはないのである」「真理を全心身をもって体得し」を成し遂げた人がいるのだろうか、との意です。」と言うご質問について、私見を披露します。
入学試験でも、資格試験でも、合格点と言うものがあります。受験者は、満点を取ることは理想ですが、実際には、合格点を目指します。
以前、司法試験の問題が漏洩したことがありました。それが露見した契機は、不正受験をした人の点数が異常に高く、どう見ても不正があったとしか説明できないからです。司法試験ですら、そうなのです。
仮に、ある種の試験で、満点をとった人がいない、と揶揄されたら、受験者はどう反応するでしょうか? 恐れ入ったと恥じ入る人はいません。そんな傲慢な質問をした人に、「では、あなたが満点を取ってみてください。」と反論するでしょう。
真理の研鑽についても、修行をする人は、目標としては、完全な境地を目指します。しかし、肉体を持った人間には、それが容易ではないのです。
求道者が、完全な境地を目指して修行をするのは賞賛されるべきですが、修行者を指して、「あなたは完全な境地ではない」などとを他人への批判の材料とするのは、激しく批判されるべきです。
この点において、「真理の把握のできた人いるのだろうか」様のご投稿の内容は、ここにおられる人たちへの侮辱を意味するものであり、抗議するものです。
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(54489) |
- 日時:2022年11月23日 (水) 23時29分
名前:道
494: トキ :2011/06/28(火) 20:46:08 本筋とは少しずれますが、最近、感じる事を書いてみます。
宗教と科学というのは、どうも天敵のような感じで見られる事が多いです。昔は宗教が神様の名前の下で科学を弾圧し、 「それでも地球は回っている」と言ったとかいう話は有名です。 反面、科学の暴走に宗教がストップをかけることができない 場面もあります。ノーベル賞の汚点と言われるノボトミー手術などもそうでしょう。 今日に目をやると、米国のような先進国でも、 進化論を巡って論争が継続しているのは周知の事実です。 科学と宗教との緊張関係は、生長の家以外の世界では、容易には解けないような気がします。
個人的には、大学の物理学の授業で、「ビッグバン」仮説を知ってから、宇宙の発生前の世界に関心をもち、ここに宗教の 存在意義があるのではないか、という期待を持った事もありました。(ビッグバン仮説というのは、宇宙は137億年前に 大爆発の上で出来たという発想です。今日では「標準理論」として、認められています。)
が、生長の家の真理、特に実相論を学び、感じたのでは、 過去の宗教の多くは「現象」というレベルでの解決に終始していた 事、そして、「現象」というレベルで話をする限り、永遠に科学と宗教は対立した存在であるという事です。 「実相」という存在、それが信仰になって、初めて、 科学と信仰は矛盾しない存在になるだろう、という事です。
まあ、そうすると、ビッグバンから素粒子がうまれ、 原子が誕生し、宇宙が生まれ、現在も加速度的に発展しているように、この世の森羅万象の法則は、「実相」が根本にあり、全ては「実相」を根底にして、有機的に連結をしておりまして、この点を知って初めて理解できる、という発想もできるのかもしれません。
(余談ですが、最近、米国で「タイムマシン」の理論的な構築は 終わっており、人類が「時間」を有る程度は左右できる日が来るかもしれません。時間すらも絶対の存在ではないという訳ですね。)
ただ、私の様に、何十年も生長の家をしていると、生長の家という枠組みから離れた発想をするのが難しいとは思います。 ですから、あまり邪魔をしないほうが、皆様のためかと拝察する次第です。
でも、楽しく投稿は拝見しているので、これからも、活発な議論を期待しております。
まとまりの悪い文章を書いて、すみません
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上記、2011年のトキ管理人様の話、 とんでもない邪魔になんかなりませんよ。 2022年、仰ることが解る御仁も多くいるでしょう。
この度の、「真理の把握のできた人いるのだろうか」と言う人が、またまた茶々を入れています。との反応こそトキ管理人様はどうした? との淡い疑問が湧くくらいであり、
<人間界の一切の苦悩は、戦争等によって、自己破壊を刻々自己身辺にちかづけつつあることをも含めて、すべて迷いによって自己の想念行動を自縄自縛しているからである。>
※※真理を知ってこの自縄自縛を解き放てば、地上に天国浄土ともいうべき至福の世界が実現することは必至である。※※
「生長の家」の御教えを示され、同時に、問いかけを伴う貴重なご意見ではありますまいか?と、思う次第です。

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「道」さま (54495) |
- 日時:2022年11月24日 (木) 18時45分
名前:トキ
ご投稿、ありがとうございました。
私個人の発想は、自分の信仰はこうあるべきだと思うのは自由だが、他人に押し付けるのは良くない、と言うものです。ここに書かれている人たちの投稿は、全て正しいが、同時に、現象としての人間として、限界があるのも事実だと思っています。ただ、ここは、自由に発言を保証する場所ですから、一個人という立場からすると、別に何を言われようと、放置すべきだと思っています。
ただ、管理人という立場からすると、「真理の把握のできた人いるのだろうか」様のご投稿の「本当の真理の把握のできている(実践できている)信徒がただの一人もいない」という表現をされた場合、これは投稿者様全体への侮辱になるので、抗議をせざるを得ないのです。フーテンの寅さんではないですが、「それを言っちゃ、おしまいよ」と言うことになると思います。このような観念論的な発想は、自省の意味で使うのならともかく、他人を批判する内容で使われたら、言われた人間は深く傷つくと、私は考えます。言われた方も、この表現については、返答ができないし、逆に、「では、あなたは、真理の把握ができているのか」と言う逆ギレで終わるしかないのです。
例えば、阪田さんについて言えば、その評価は毀誉褒貶があります。私も阪田さんとは何回か話したことがあります。どなたかが、「阪田先生は、苦手」と言われた人がいましたが、私もそれに近い感想はあります。しかし、今回の光明の音信の問題については、阪田さんの主張は筋が通っており、また、その内容も生長の家全体の将来に取って、重要なものであると考えております。阪田さんが、人格者かどうか、信仰者としてどうか、と言う問題と、阪田さんが、今回、提起した問題の重要性を唱えるのは、不可分だとは思いません。私は、阪田さんが、個人としての安寧な生活を選ばず、自らの信念に従い、正論を提起されたことは、信仰者として、それなりに評価するべきだと思っています。
ただし、私が書いた文章で、不愉快に感じた人がおられましたが、それはそれで抗議は甘受するべきだと思います。その点については、お詫びをしたいと思います。それは、自覚しているか、どうかは別にして、管理人としての態度に誠実さが欠けているから、閲覧者を不愉快にさせたのは、否定ができないからです。これはこれで、反省し、今後の戒めとするべきかと思います。
その意味では、貴重なご指摘を頂戴したことに、心から感謝申し上げる次第であります。
以上、愚見を披露しましたが、ご不明の点がありましたら、お尋ねください。よろしくお願い申し上げます。

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教えに疑問を呈することはダメなことですか (54497) |
- 日時:2022年11月24日 (木) 21時55分
名前:真理の把握のできた人いるのだろうか
真理の研鑽についても、修行をする人は、目標としては、完全な境地を目指します。しかし、肉体を持った人間には、それが容易ではないのです。
求道者が、完全な境地を目指して修行をするのは賞賛されるべきですが、修行者を指して、「あなたは完全な境地ではない」などとを他人への批判の材料とするのは、激しく批判されるべきです。 *********************************************** と、トキ管理人は述べていけれど、飛田給やら総本山で講話をして、正しい生長の家の教えを説いてきたとされる人間が、調和ある人生でないとするならば、一般信徒の人生はどうなるのでしょうか?
阪田氏を批判しているのではないのです。教えの真偽を質問しているのです。
生長の家とはどんなところ (54456)ではっきり書いたことです、以下の通りに質問しています。
以下の文言は「嘘」なんですか?
引用
「真理は汝を自由ならしめん」とキリストは教えたのであるが、真理を自覚し得たものは自由自在をを得るのであって、それを仏教では解脱という。真理を自覚して大自在の境地にまで解脱したる者を仏教では覚者すなわち仏陀と言うのである。
「解脱を以って仏となす」と涅槃経には錄されている。
キリスト教も仏教も結局は、真理を知ることによって、一切の苦悩その他の繋縛から脱して大自在の境地に衆生をして達せしめんとするのがその教えの最後の目標だと言い得るのである。
人間界の一切の苦悩は、戦争等によって、自己破壊を刻々自己身辺にちかづけつつあることをも含めて、すべて迷いによって自己の想念行動を自縄自縛しているからである。
※※ 真理を知ってこの自縄自縛を解き放てば、地上に天国浄土ともいうべき至福の世界が実現することは必至である。※※
この質問に対し本音さんだけが嘘ではない、と返事されました。 間違ったことへは批判するのは当然、として1年にわたり裁判ごとへの批判話が続いているし、そもそも教団はおかしいとして本流はなるものができ、その議論の中で、学ぶ会流の本流には今一つ納得いかないということで、トキ掲示板を立ち上げたのではないですか?
私は掲示板を見るにつけ、最高の教えを正しく後世に伝えなければならないと主張する人たちが言う、「本来の教え」「正しい教え」とは何か、と質問しているのです。
勝手に信じることは信仰ですから構いません。しかし指導者レベルの人、あなたも勿論含まれますが、10年一日何ら統一した教えの理解に至らないのが不思議です。 ですから「どんな教えを後世に伝える心算なのか」との問いを過去しばしばしてきたのです。
※※ 真理を知ってこの自縄自縛を解き放てば、地上に天国浄土ともいうべき至福の世界が実現することは必至である。※※ この「詳説神想観」の巻頭言は絵空事なのですか?
「自縄自縛を解き放てば」との条件が「魂の進化の途上としてプログラムされて地上に人間として誕生しているから、総務をするほどの本部講師でも、この条件をクリヤーするのは難しい」のであれば、「地上に天国浄土ともいうべき至福の世界が実現することは必至である」との言葉は単なる気を引くための言葉となりませんか?
そもそも地上の生活を卒業するまでの魂になれば、他の霊圏に移行ると説いていないですか? とすれば地上生活に自縄自縛した魂、霊魂が地球上人間ということになり、「自縄自縛を解き放てば」との条件がそもそも不可能な条件に聞こえてきます。
初心者がこの巻頭言を読んで、周りを見回し、どこにも至福の世界など実現していないとして、このような質問をしても、「途上の信徒を侮辱すねものである」、と的外れな答えをするのですか?

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真理の把握さんの論点は良いと思います。 (54498) |
- 日時:2022年11月24日 (木) 22時49分
名前:神の子
前に、ここの常連のS恩さんに『貴方の人間神の子無限力は何処へ行ったのか?』みたいな質問をしたら『よくも、そんな事が言えますね!』と言われた事を思い出しました。
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ご返答申し上げます (54500) |
- 日時:2022年11月24日 (木) 23時39分
名前:トキ
「真理の把握のできた人いるのだろうか」様へ
ご投稿を賜り、感謝申し上げます。
冒頭にありますように、
「どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。」(誤植はお詫びします。)
と言う投稿のために開設された掲示板です。
弊掲示板は、生長の家の信仰をされていることを前提に、組織のあり方や信仰の実践について議論をする掲示板となっております。したがって、それ以外の投稿は、目的外となります。ましてや「教えに疑問を呈する」場所ではないのは、明確に申し上げます。
その上で、申し上げることは、私は、開設時から、「末端の信者」と言う立場であると表明しており、あくまでも掲示板の一管理人に過ぎないと言う立場です。これは、10年前から一貫して申し上げております。まず、この点を誤解がないように、お願いします。
次に、私個人が考えているのは、信仰で先ず目指すべきは、「個人救済」であります。もちろん、社会の救済も大切ですが、それは個人の救済を通じて目指すべきだと言う発想を持っています。良き人が増えて、愛他的な人が増えたら、自然と社会は良くなるという発想です。「快き、普通の人間でありたい」と生命の實相にありますが、先ず目標とするべきは、それ以上でも以下でもないと言うスタンスです。このスタンスは、生長の家という世界では、少数意見ですが、私はその立場でいます。ついでに言うと、宗教組織は、政治とは距離を置くべきだという考えを持っています。これも、生長の家という組織内では、異端の立場でおります。
現在の社会で問題になっているのは、多くの人が「自己肯定感」を喪失していることです。これが、社会不安の原因になっています。一部のカルト教団などは、この自己肯定感を否定することで、社会不安を煽っています。その中でこそ、人間神の子の自覚を深める生長の家の信仰は、人間神の子という絶対の自信をつけることで、自己肯定感を深め、結果として、個人も社会も安定すると信じております。
ただし、この考えを他人さまに強要するつもりは全くありません。それは、人格の自由を神様は与えておられ、それを否定する権利は、私にはないからです。そもそも、掲示板を開設したのは、今はやりの「多様性」を前提にしているからです。ここにいう「多様性」とは、生長の家の信仰を全面的に肯定したという条件が付きますが、それ以外の条件をつけるつもりはありません。釈尊は対機説法を重視しましたが、信仰の実践においては、柔軟な発想こそが必要であると信じております。しかし、この条件を外すつもりは絶対にありません。これについては、はっきりと明言しておきます。
しかし、争いがない事実はあります。生長の家では、「神想観」「愛行」「聖典読誦」を三正行と言います。この3つ(先祖供養を含めて)をすることが生長の家の信徒の基本的な行動であると認識されており、私もそれに賛同しております。後世に継承するべき教えの基本は、この3つです。建前としては、この考えは、教団も「本流復活派」も争いはないです。ところが、教団も一部の「本流復活派」も、この基本的な部分に改竄を始めています。これは、私個人にとっては、容認できるものではないし、抗議をするべきだと考えております。さらに言うと、教団も一部の本流復活派の組織も、矛盾する言動をしており、これは信徒として、はっきりと異議申し立てをするべきであると、私は考えております。
私の発想は、あくまでも個人としての魂の向上を目指すべきと言うもので、他人に対して、それ以上の注文をするものではないです。
ついでに言うと、私は、今の本部講師について、云々するつもりはありません。私が青年会時代に師事した谷口雅春先生の直弟子とも言うべき本部講師には、今も深い尊敬の念を抱いておりますが、今の本部講師でも素晴らしい人はいるが、だからと言って、本部講師という立場を崇拝する発想はないです。無学文盲の人でも、教えを実践する人は幸せになれるし、周囲を幸せにできます。それで良いと思います。
基本的な発想は、自分が神の子の自覚を深め、周囲の人を少しでも幸せにし、その結果、自分の周囲の世界が光明一元の世界になれば、それで十分だと思っています。
もちろん、「真理の把握のできた人いるのだろうか」様が、それ以上の目標を立てて、精進されるのなら、それは素晴らしいことだし、止めるつもりはありません。
以上、私の基本的な立場を説明させていただきました。よろしくお願い申し上げます。

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(54503) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 00時33分
名前:うーん。
神の子サン、コントかよ!(笑) ユニークな合いの手ありがとうございます。 短いひとくちコメントも多様な彩に貢献!
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真理を自覚し得たものは自由自在をを得る (54504) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 00時40分
名前:本音の時代
のであるから、真理の自覚しかないなぁ。
「真理の把握のできた人はいるのだろうか」と言われても、 その都度、「真理を自覚することです」としか言いようがない。
たとえば、批判をした者に対して、批判された側の真理を自覚した人はどのように対処すればよいのでしょう?
批判した者に対して、あなたは間違っているから謝罪せよ。謝罪しない場合は、裁判に訴える。これが、真理を自覚した人の対処として正しいでしょうか。
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とにかく批判されたら、話し合いにも応じず、有無も言わさず、訴訟裁判を起こすのは、異常であり、愚の骨頂です。すごくおかしいです。 (54511) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 07時48分
名前:志恩
世間の皆様から生長の家自体が、 あきれかえられるような
谷口雅春先生の評判を地に貶すような 蛮行な行為である、何でもかんでもの訴訟裁判行為は、 生長の家を昔から愛して生きてきた信徒にとりましては、 世界全体に対して、非常に恥ずかしいことであり、大反対です。
裁判三昧の、社会事業団の理事長の久保さんは 深く反省し、これらの責任をとって 即、辞任すべきだと 思っております。
その事業団の裁判裁判に明け暮れる行為を、当然の如く応援する 学ぶ会代表の 前原さんである 破邪顕正さんは、誰が考えても、オオバカ ヤロウだと思います。
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人類の理想への出発と発展 (54514) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 10時09分
名前:本音の時代
(たまたま開いた本からの抜粋です。)
人間とは如何なるものか
現実(現にあらわれているもの)の人間は三重の存在である。それは肉体的存在であり、精神的存在であり、同時に霊的存在であるのである。併し最も根本的な本質が、"霊的存在"であるにも拘わらず、その部分は五感的感覚(眼耳鼻舌皮膚での感じ)に触れないために忘れられがちであり、主として外面的な存在であるところの肉体と精神との問題が論議の中心になっているのである。人間の本体は「霊」であり、「霊」は肉体と精神とを道具として色々のことを享受し、悦び、悲しみ、苦しみ、その経験を通して「宇宙」とは如何なるものか、「人間」とは如何なるものか、「愛」とは如何なるものかなどと云うことを知り、「霊」が向上するのである。多くの「霊」(特殊の高級霊〈いくども生まれかわって徳性及び能力に於いてすぐれた霊魂〉は別)は霊界に於いて睡眠状態で休養をつづける。そしてその睡眠的無意識の状態に於いて、生まれ更りの波動にのせられて受胎するのは、放送の波動が無意識でラジオ・セットにかかって来るのと似ているのである。そして出産すると共に「霊」の意識は徐々に目覚める。
「霊」「精神」「肉体」の関係
人間の「霊」は放送局にいる放送番組のプロデューサーのようなものである。彼は「精神」と「肉体」と云うスターを組合せて、人生劇(人生を芝居にたとえたもの)を想念の世界と云うスタジオにて演出し、それを現象界と云うテレビ・セットで、現象的に見える形に作り出して、その対人生効果を色々にテストしてみて、こう云う行為は良いとか悪いとか、勇気は賞讃すべきことであるとか、愛は掬す(両手ですくう。喜んで大切にする意味)べきことであるとか、争いは人間の魂を粗雑なものにするとか、施しは善であるとか、但し、施しによって却って相手が依頼心を起こして堕落する場合があるとか、色々の場合があることを知り、知的にも愛情的にも、段々その魂が深くなるし進歩し高まってくるのである。もっとも、「精神」と「肉体」と云うスターは「霊」と云うプロデューサーの演出指導通りにやらないで、勝手な自我を出して失敗することがあるのである。「霊」による「精神」と「肉体」との完全支配が出来ることによって人生の演出効果(実際にやる時の結果や感じ)が高まってくるのである。
霊と精神と肉体との三重の進歩のために
私たちの生活が肉体の飢え渇きや、装飾欲(飾りたい欲)や、色欲(男女間のたがいにさわりたい欲)や、快感要求(肉体のよろこびを求める欲望)のみに支配されているならば、吾々の意識は、非常に狭い範囲に自己局限されているわけであって、「霊」の進歩は完全に遂げられないのである。また私たちの生活が物理的な、又科学的な知識の追求だけに局限されているならば、肉体の快不快にのみ振り廻されている生活よりも高級であるけれども、それは尚、「霊」の世界に眼がとどかないところの自己局限の生活に陥っているのだと云わざるを得ないのである。吾々は、「肉体」も「人生テレビ」の映像であり、舞台のスターであるから軽んじてはならない。それをして健全に快適な生活を送らしめるように適当な資料を供給し、その行動を適当に制御(適当におさえ支配する)し、更に「精神」の知的要求(精神的なねがい)をも満足せしめつつ、哲学的思索や、科学的発見発明を、推し進め、その発見発明にかかる諸事項を高き「霊」の目的のために自己制御すべきである。(谷口雅春著『新版 真理』第10巻 45〜47頁)

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本音の時代様 (54515) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 13時05分
名前:志恩
人類の理想への出発と発展 (54514) (本音の時代ー) >(たまたま開いた本からの抜粋です。) 人間とは如何なるものか
「霊」「精神」「肉体」の関係
霊と精神と肉体との三重の進歩のために<
志恩ー 谷口雅春先生の著書からの抜粋のご文章、 拝読いたしました。
で、だから、本音の時代様は、 誰に、何をおっしゃりたいのかが、わかりませんので、 本音の時代様のコメントも書いてくださると、 ありがたいのですが。
私への批判でも、だいじょうぶです。 遠慮なく、おっしゃってください。
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re:本音の時代様 (54515) (54517) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 14時46分
名前:本音の時代
「真理の把握のできた人はいるのだろうか」からみです。
「真理の把握のできた人はいるのだろうか」にとらわれることなく、この世でどのように生きていけばよいのか。すべてを解決できるわけではないかもしれませんが、ふと感じるものがありました。
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本音の時代様 (54518) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 15時17分
名前:志恩
本音の時代様ー >「真理の把握のできた人はいるのだろうか」からみです。
「真理の把握のできた人はいるのだろうか」にとらわれることなく、この世でどのように生きていけばよいのか。すべてを解決できるわけではないかもしれませんが、ふと感じるものがありました。<
志恩ー そうでしたか 「真理の把握のできた人はいるのだろうか」なんてね。
谷口雅春先生ご自身でさえ「私は、一求道者である」と おっしゃっていらしたことは、信徒なら 知らない人は、 いないくらいの話です。
真理の把握が、できたか、できないかなんて、 たましいとか、こころの問題であり、目に見えない世界のことですので、 計れません。
それに、自分でどのくらい把握できたかも、 自分で判断することじゃないですしね。
その真理を信じて生きてきたら、こんなに運命が好転したとか 宗教が大嫌いだった父が、宗教が大好きな人に変わってくれて、 とても良い人間になってくれたとか、その他にも多々、実体験やら はありますが、
それは、自分がどうのこうの、というよりも、やはりこの真理は、 本物だったとありがたく実感できた、という方に 気持ちは、いつも行っていました。
自分が真理を把握したかどうかについては、考えたことは 今まで一度もありません。
ですから、 その問いは、愚問だと思います。
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愚問か、愚問でないかはよくわからんが (54520) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 15時38分
名前:本音の時代
「真理の把握のできた人はいるのだろうか」にとらわれて明るくなれるのかなぁーとは思います。
頭注版『生命の實相』第1巻によると、 生長の家の救済法は、自性(そのまま)円満の自覚と実相円満の自覚なので。あと、生長の家七つの光明宣言ね。私、基本がわかっていないようなので、学びなおしです。
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(54525) |
- 日時:2022年11月25日 (金) 16時57分
名前:志恩
(本音の時代ー) >「真理の把握のできた人はいるのだろうか」に とらわれて明るくなれるのかなぁーとは思います。<
それは、 生長の家の、ご自分以外の全信徒に対する大否定の言葉ですから、 誰も明るくなれる言葉ではありません。
全信徒の皆を、大変不愉快にする嫌なことばです。 それをいう人間も、すごく嫌な人間だと思います。
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