生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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脱会者が止まらないらしい (55742)
日時:2023年02月08日 (水) 11時21分
名前:ウワサ

脱会者が増えてて焦ってるみたい

尊師の御教えに反するからです (55743)
日時:2023年02月08日 (水) 11時42分
名前:真の生長の家信徒

教団は一刻も早くお孫様信仰を捨てて尊師の御教えに還るべきです。

 (55744)
日時:2023年02月08日 (水) 12時08分
名前:ウワサ

脱団者と書くべきでした

その理由は (55745)
日時:2023年02月08日 (水) 12時38分
名前:地獄耳

尊師の御教えに反するからです。

お孫さま信仰という言葉について (55748)
日時:2023年02月08日 (水) 23時44分
名前:事情通

>>教団は一刻も早くお孫様信仰を捨てて尊師の御教えに還るべきです。

このお孫様信仰という造語は誰から発せられたのでしょうか。

破邪顕正こと前原君も掲示板で語っていましたが、その言葉はおそらく彼の上司の言葉だと推察しています。

谷口家のほぼすべての人は、尊師のみ教えに還るべきだとのご意見で共通していると聞き及んでいます。


しかし、このお孫様信仰という造語による印象操作による行動をとる学ぶ会に対して、本来の正当な本流ともいえる谷口家の雅宣氏以外の皆様は、学ぶ会には協力できないと思っておられることを聞き及んでいます。

さらに踏み込むと、この造語を使い創始者家族を否定する人物をご存じで、社会事業団にもその人物が大きく影響していると悲しんでおられることをお伝えしておきます。

事情通様に参考資料をお見せします (55749)
日時:2023年02月09日 (木) 00時53分
名前:まともな生長の家信徒

谷口貴康先生。申しわけありませんが、それは無理です。 (10944)
日時:2019年05月07日 (火) 19時40分
名前:一求道者

合掌 

まず最初におことわりを申し上げます。

私はスレッド
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2549
の子記事10871「なるほど、それでは質問です」、10872「慎むとは」、10874「おや」等々を投稿された「求道者」さんではありません。

「全国大会は明るく柔らかな光と、真理国家日本を実現せんとする強い意志に満たされていました。 (10877)」
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2549
を投稿した「一求道者」です。

名前が似ていますが、まったくの別人です。また、破邪顕正さんでもありません。別人です。



最近、谷口貴康先生のブログ「田舎もんのブログ」のなかの「令和に解決したい課題」
https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/34663250.html
を拝見しました。

その結果……貴康先生の御気持ちはよく解りますが……先生のご主張は無理です。下手をすると、無理を押し通す発言だと誤解されることにもなりかねません。以下、貴康先生の御意見を一つずつ引用して、愚考を申し上げます。





>最近、生長の家が分裂状態になっているのは谷口家のせいだと公言する人がいる。そしてそれを信じて騒ぐ人がいる。実に嘆かわしい事である。

のっけから貴康先生のお言葉に逆らうようですが、「分裂状態になっているのは谷口家のせいだ」と言っている人は、ほとんどいません。「分裂状態になっているのは谷口家が原因だ」と言っているだけです。





>谷口家が分裂していると言いたいのであろうが、谷口家の事について勝手な想像はお断りしたい。

ふたたび御言葉に逆らうようですが、谷口家は分裂しています。谷口家の方々の「生長の家に関する意識」は、明らかに分裂しています。もし貴康先生が、「いや。分裂していない。」とおっしゃるのならば、次の谷口貴康先生の御発言を御覧ください。

   まさか教団にこんな時代が来るとは…。
   まさか選挙で共産党の応援する候補者に投票せよとは…。
   自分の信念に従って行動する時だと思います。天地に恥ずることなしです。
   https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/33483328.html

   最近になって驚くべき話が伝わってきました。
   信仰の中心とされる総本山の境内地内において、自転車競技をするという事なのです。
   大鳥居をスタートして東雲台を登りさらに奥津城までを走破するという事のように
   聞きました。驚きと悲しみの後に、ふつふつとして怒りがこみ上げてきました。
   https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/33271420.html

谷口貴康先生は総裁の信仰と教団運営にたいして、「ふつふつとした怒り」を感じておられます。この事実を冷徹に見てください。谷口家(含。総裁)の方々の意識は分裂しています。





>そもそも、一家の中で個人と個人が分裂するというのはおかしな表現だ。

三たび御言葉に逆らうようで恐縮ですが、私のご近所には旦那さんと奥様が別居して、結局、旦那さんが亡くなるまで別居が続いたお宅があります。そのほかに離婚して分裂したご夫婦もあります。親子が何十年も会っていないお宅もあります。これらは、一家のなかで個人と個人が分裂した姿です。





>組織が分かれて別の組織を作り対立状態になっているのならば分裂と言えるかもしれない。個人と個人は同じ家庭でも考え方も趣味も、思想傾向も違うのは良くあることで、それを分裂だと騒ぎ始めたら世の中分裂だらけである。そんなバカな事はない。

おっしゃるとおりです。たしかに、同じ家庭でも人によって考え方も趣味も思想傾向も違うということは多くあります。その程度ならば「分裂した」とは言わないでしょう。

しかし、ご夫婦の別居や離婚になると、ご近所が噂をして「あそこの夫婦は分裂した」と言い、離婚した夫婦の息子さんは、「僕の家は分裂した」と嘆きます。だから、組織だけでなく家のなかも分裂します。





>私は、いまだかつて兄と敵対関係になった記憶がない。

貴康先生。まことに申し上げにくいことですが、「敵対関係になった記憶がない」と思っているのは谷口貴康先生とご家族だけです。

総裁は谷口家(総裁家以外)を「敵対関係」あるいは「ほぼ敵対関係」だと思っています。もし総裁が敵対関係だと思わなければ、教団から実質的に貴康先生を追放したり、さらに教団関係者が貴康先生と接触することを禁ずるなどという冷酷な処置をほどこすはずがありません。

また、貴康先生が「田舎もんのブログ」の記事、「より高い表現のために提案します」
https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/33272201.html
のなかで、

   私は批判のための批判は大嫌いで、以前より、
   (教団が)より良くなるための質問や提案をしてきたつもりですが、
   それを、「あなたはことごとく私のやることを邪魔する」と言われ
   誤解されてきた…。

と述べて、自分が「ほぼ敵対関係」扱いされたことを語っておられます。貴康先生には事実を冷徹に直視してくださることをお願いいたします。





>教団に居た時にその運動方針の一部や聖典の扱いで大きく考えが食い違ってしまったことは事実としてある。それを対立していると考えられないように在職中に努力を重ねてきた。それでも誤解は自分を護ろうとする周辺の人達によって拡大して伝わり、何時の間にか私は反対勢力の頭のように思われるようになったらしい。

貴康先生は立派です。

「対立していると考えられないように在職中に努力を重ねてきた」という貴康先生の気遣いと行動は、どのような組織にいる者も見習うべき立派なものだと思います。





>組織というモノには秩序が必要だから、意見の食い違いが原因で組織の混乱を招くのであれば、彼より下の地位にある私が身を引く以外にないと思い悲しみを堪えて下野しようとした。分裂を避けるためにである。

貴康先生の態度は立派です。

大西郷の鹿児島下野を思い出します。

西郷隆盛は新政府の機能停止を懸念して鹿児島に引っ込みました。





>最初は組織活動とは距離のある総本山に自分から志願して父にお願いして移動させてもらった。しかし、2年も経たないうちに突如移動の決定に正直兄に梯子を外されたと悲しい思ひがした。もうこれは、教団そのものから去れと言う事だと判断して教団を去った。分裂しないためである。父を悲しめたことは後悔したが、自分を偽りながら生きる芸当はできなかった。私は組織を離れて畑を耕し生きることにした。生きるために新たな資格も取った。

貴康先生が取られた行動は極めて立派なものです。

ただ、ここから言えることは……冷たいことを言うようですが……貴康先生の「分裂しないため」の行動に対して、総裁は「梯子を外」したということです。つまり、どんなに貴康先生が分裂しないための貴い配慮を続けても、実際には貴康先生と総裁の意識は分裂していたし、今も分裂しているということです。

いや。現実には、分裂しているなどという甘いものではありません。現実には「断絶」しています。貴康先生や谷口家の方々は総裁の教団運営を「もはや理解できない」と思っておられるのではないでしょうか。その証拠に、「田舎もんのブログ」の記事「より高い表現のために提案します」
https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/33272201.html
によれば、総本山で行われたヒルクライムについて壽美先生が、

   総本山に天之御中主之神という最高の神を勧請すると言って、
   その境内地で自転車競技をしてしまうことの不思議(矛盾)を
   だれも感じないのかしら

と、おっしゃったことを紹介しています。

この壽美先生の御言葉は、谷口家の方々が総裁の考えを理解できなくなっていることを示しています。だから谷口家(含。総裁)の方々の意識は、もはや分裂ではなく断絶しています。それが現実です。その現実を嫌がらずに直視してください。現実を正確に見なければ、正しい結論を導き出すことはできません。





>私よりも前に、同じように姉夫婦も意見の食い違いが元で、教団を去った。ときみつる会という団体名でご夫婦二人だけで『心のかけはし』誌を発行しておられる。谷口雅春先生を唯一の師として原点に戻り、純粋にひたすら教えを護ることを願われている。

私も宮澤先生ご夫妻の『谷口雅春師に捧げる誓いと信仰』を拝読して感銘を受けました。宮澤先生ご夫妻のご努力に敬意と感謝を申し上げ、「ときみつる會」がさらに発展されることを祈念します。





>私は現在、新教育者連盟の理事に無給で奉仕しているが、新教育者連盟は公益財団法人としていかなる宗教団体と無関係であるという立場であるが故に対立もしない。「生命の教育」という立場から谷口雅春先生の教えを伝える社会教育団体にすぎない。しかし、事実と違い教団と対立していると思われる人がまだいることが悲しい。敵対関係ではなく、利害の対立もない関係のそれぞれを和解しなければならないほどの分裂状態などと言うのであろうか。

貴康先生が新教育者連盟の理事に無給で奉仕しておられることに感謝申し上げます。そのうえで……「新教育者連盟は教団と対立していない。利害関係もない」と断言できるのかどうか……少し疑念が残ります。しかし、それはここでの本論から逸れるので触れません。新教育者連盟のますますのご発展を祈ります。





>ましてや、谷口家の分裂が原因となって教団が分裂したと言うのであろうか。開いた口が塞がらない。

貴康先生。

申し訳ありませんが、谷口家の分裂が原因となって教団が分裂したのです。「分裂は谷口家のせい」とは言いませんが、谷口家(含。総裁)の分裂が原因となって教団が分裂しました。この単純な事実を正面から見てください。

もしそれでも貴康先生が、「いや。ちがう。生長の家教団が分裂した根本原因は、谷口家とは別のことだ」と仰るのならば、貴康先生は谷口家(含。総裁)以外の「分裂原因」を挙げることができるはずです。しかし貴康先生はその「分裂原因」を挙げることができないでしょう。

たとえばインターネット上の情報を見ると、安東巌先生や「生政連」が教団分裂の原因であるかのように語る情報もあります。しかし、総裁はいつも安東巌先生の影響力を極力排除しようとし続けたそうで、しかも安東巌先生は教団から身を引いて何年もたっています。

もし安東巌先生が教団分裂の原因だったのならば、安東先生が教団から身を引いて何年もたった現在、教団は元の一つにもどっているはずです。だが、教団は分裂したままです。まして「生政連」が解散したのは今から何十年も前のことです。貴康先生は谷口家(含。総裁)以外の「教団分裂の原因」を挙げることができないでしょう。谷口貴康先生。どんなにつらくても事実を冷徹に見てください。





>谷口家はそれぞれバラバラに分裂などしていない。しかし、その中のたった1人と個人として私達姉弟はまだ和解できているとは言えないかもしれない。私の人生で成し遂げなければならない最後の課題である。日々、そのたった一人の人と和解する日が来ることを心から祈っている。新しい御代において和解は出来ると信じているし、その努力をしなければならないと心に決めている。

貴康先生。

先生が和解の日が来ることを祈っておられることは、一求道者として本当にありがたいことだと感謝いたします。見習うべき貴い態度だとも思います。

しかし、言いにくいことですが……こちらが和解を願っていても相手がこちらを鼻にもかけないような気持ちでいる場合は、こちらが思っている和解は実現しにくいものです。

もちろん、生長の家の第一の教えからいえば、実相の世界には不調和や不完全は存在しません。それのみが本当の実在する世界です。しかし……偉そうなことを言うようですが……心の反映である現象世界では、たとえ相手の心境が向上したように見えるときでも、それは高級守護神が干渉した結果にすぎない場合があります。なぜならば相手の心を無理やり向上させることは相手の心の自由を奪うことになるからです。まして、相手がこちらを鼻にもかけないような心境でいる時に、和解は実現しにくいものです。

と言っても……余計なことを言うようですが……それでこちらが不幸になることは決してありません。自分の心の反映として、さらに高級守護神の加護や絶対神の発顕として、こちらが幸福・調和の世界に住むようになることは間違いありません。

だから、貴康先生におかれては「和解できる・できない」を生長の家の神様にまかせるのが良いと思います。さらに、次の総裁に誰が就くかを含めて、あらゆる物事を握らず、すべてを生長の家の神に全託するのが良いと思います。生長の家のことは生長の家の神が最もよく知り、最も正しく導いておられるからです。





>是々非々で考えが一致しない場面があっても、以前のように相手の立場を理解しあえると思っている。本来一つのいのちなのだから。組織を離れていつでも話し合う準備はしている。

貴康先生は「組織を離れていつでも話し合う準備」をしておられる。これも貴い態度です。信徒は見習うべきだと思います。

しかし……相手の人は「組織」を心でにぎっています。だから「組織を離れて話し合う」つもりはありません。もし…もしですが…相手の人が貴康先生との話しあいに応じるならば、それは貴康先生が、「私は今までの思想信仰を捨てて、あなたの思想信仰と教団運営方針に全面賛同する。今までの非礼をお詫びする」というような内容を提示した時だけです(もっとも、それでも話し合いは不可能だろうと思います)。





>最後にひとこと申し上げる。一般に公開された掲示板で匿名で谷口家のことをあれこれ推測で言う事は止めていただきたい。三流週刊誌に「骨肉の争い」との見出しで過去において書かれた時の悲しみや怒りは、どれほどのものであったかは想像できない人なのでしょうか。ご自分の〇〇家を公然と批判された時、どのような気持ちになるか想像してみてください。公人ならともかく家族を否定された時の気持ちを考えてみてください。

貴康先生。

三流週刊誌に「骨肉の争い」と書かれたとのこと、さぞかし深い悲しみを感じられたことと思います。同情の念を表白します。

しかし、掲示板での匿名投稿は普通の事です。匿名での投稿を非難することはできません。さらに、生長の家に関して信徒や元信徒が谷口家(含。総裁)のことをあれこれ言うことも批判できません。それは、たとえば会社のことに関して社員や元社員が社長や創業家に関してあれこれ言うことに問題がないようなものです。

実際に、『生長の家四拾年史』の365ページには、栗原得二という人が「私の見た先生の御日常」という題で谷口雅春先生と輝子奥様はじめ御家族との素晴らしい関係を報告して讃えておられます。さらに日本教文社から出版されたご本のなかには、谷口家のことを称賛する内容も多くあります。

だから、貴康先生が「谷口家のことをあれこれ言う事は止めていただきたい」と言っておられるのには少し無理があります。へたをすると、「貴康先生は『谷口家のことを称賛するのならば言っても良いが、批判的なことは言うな』と主張しているのだ。」と誤解されてしまいます。このあたりは充分にお考えください。

ただ…、

貴康先生は「推測で言う事は止めていただきたい」と仰っています。これは100%正しく、また正当な主張です。それは先ほどの例えでいうと、会社のことに関する内容であっても、社員や元社員が推測で創業家に関してあれこれ言ってはならないようなものです。まして、一瞬の間に情報が拡散してしまう掲示板上で推測にすぎない谷口家情報や谷口家批判を語ってはいけません。この点に関して貴康先生がおっしゃるとおりです。





>該当するのは以下の破邪顕正氏の掲示板記載文言です。

   そもそも、何で、生長の家が分裂≠オたのですか?
   谷口家が分裂≠オたからでしょ。それが全ての全て、
   始まりの始まりなのではありませんか。
   (中略)「谷口雅春先生を学ぶ会」に向けて和解しろ、
   和解しろ≠ニいうのであれば、それ以前に、谷口家に
   対してこそ、それをいうべきなのではありませんか。

この破邪顕正氏の発言は、同氏の記事、「和解派≠名乗るのであれば、もっと『元職員のひとり』さんの投稿に注目すべきです」
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2550
での発言だと思われます。

しかし、

……まことに申し訳ありませんが……この貴康先生の御意見は無理です。なぜならば、

@
破邪顕正なる人が匿名投稿していけない理由がないから。
A
破邪顕正氏のこの発言は「生長の家が分裂した原因は谷口家の方々の意識分裂が原因である」と、事実を語っていて「推測」を語っている内容ではないから。
B
破邪顕正氏は『元職員のひとり』さんに向って、「和解しろ≠ニいうのならば、谷口家に対して言うべきだ」と主張していて、貴康先生も上記のように「新しい御代において和解は出来ると信じているし、その努力をしなければならない」と仰っていて、この点に関して両者の意見に違いがないから。
C
なお、破邪顕正氏はここで「谷口家は総裁と和解しろ」とは言っていません。「和解しろ≠ニいうのならば……」という条件付きで物を言っています。これは気を付けるべきことだと思います。さらに、破邪顕正氏は今までに「生長の家が分裂したのは谷口家のせいだ」と非難がましく言ったことは無かったと思います。「生長の家が分裂した原因は谷口家の意識分裂だ」と事実を言っただけです。この点もご留意ねがいたいと存じます。



一求道者 拝


一求道者様、ありがとうございます。 (10945)
日時:2019年05月07日 (火) 22時43分
名前:フラワーロード

合掌、ありがとうございます。

私は貴康先生は親孝行で動物をこよなく愛されるお優しい素晴らしいお方だと尊敬申し上げております。

がしかし、この度の「田舎もんのブログ」を拝読して、一求道者様と同じ想いでございます。

一求道者様、分かりやすく整理してくださりありがとうございます。

私たちは 唯々 谷口雅春先生の尊いみ教えを正しく歪みなく多くの方々にお伝えし、幸せになっていただきたいのです。

そして天皇国日本に生まれた、その喜びを伝えていきたいのです。

純粋に心の底から 生長の家を愛しています!!


フラワーロード様。共鳴してくださり、ありがとうございます。 (10947)
日時:2019年05月08日 (水) 00時52分
名前:一求道者

私も、「谷口雅春先生の尊いみ教えを正しく歪みなく多くの方々にお伝えし、幸せになっていただきたい。」と、願っています。

愚論に共鳴してくださり、ありがとうございます。

なお、しつこいようですが、私は「破邪顕正」さんとは別人です。そのうち、「同じ人物ではないのか」という意見が出てきそうなので、前もって……。

破邪顕正様はそのようなお方ではございません。 (10948)
日時:2019年05月08日 (水) 02時29分
名前:フラワーロード

合掌、ありがとうございます。

一求道者様、ご心配はご無用でございます。

破邪顕正様は色々と名前を変えて投稿なさるようなお方でないことは、みんなが承知しております。

ご安心くださいませ!!(笑)


「一求道者」さんへ (10951)
日時:2019年05月08日 (水) 18時15分
名前:破邪顕正


谷口貴康先生のブログの記事を紹介しつつ、一つ、ひとつ、谷口家の分裂≠ニいう問題点を浮き彫りにしていただきましたこと、その労を私は大いに多とするものであります。

ところが、中には、「一求道者」は破邪顕正か?

そういうところに、関心をもっていこうとするような動きもある…。

この際ですから、はっきりと言わせていただきます。

「一求道者」さんには、失礼にあたるかも知れませんが、私は、夜の12時をまわって投稿することはありません。

何故と言って、私には、朝のお勤め(神想観実修、聖経読誦、「真理の吟唱」拝読等)がいのち綱!

これを日々、欠かさないことが、自分の信仰生活を護る生命線と捉えておりますので、よほどのことがない限り、深夜まで起きていることはありませんし、ましてやそんな時間に投稿することもありはしません。

ぜひ、これまでの私の投稿時間をお調べになったらよろしいかと思います。

それを知るだけでも、「一求道者」さんと私とは別人であることがご理解いただけると確信しております。

もう一つ、「一求道者」さんの投稿に関しての反応で残念だったのが、これを「谷口雅春先生を学ぶ会」への非難にすり替えるような投稿があったことです。

貴康先生のブログ記事にもとずいて、「一求道者」さんは、自分の見解を述べているだけではありませんか。

だったら、その捉え方はオカシイ、そう指摘すればいいだけの話ではありませんか。

今回の投稿は、貴康先生のブログ記事の捉え方の問題なのであって、そこにどうして「谷口雅春先生を学ぶ会」が関係してくるのか…。

私には、全く、理解できませんでした…。

もう一つ、今回の投稿は貴康先生に失礼だ、みたいな投稿もありました。

谷口雅宣総裁についての批判は許しても、谷口貴康先生の投稿には何も言うな!とでも言うのでしょうか。

たとえ、谷口貴康先生であろうと、見解が違えば、その捉え方には私は反対です、私はこう考えますと当然、発言することは許されなければならないと私は思うものであります。

さて、前置きはこのぐらいにして、私の言いたいことを書かせていただきます。

そもそも、今回のことは、私が「トキ」さんに対して、本気で「和解」を考えるのであれば、谷口家の皆さまにこそ、まずはそれを提言すべきであるということを申し上げたことに起因しています。

私は、あくまでも「トキ」さんに向けて申し上げたのであって、谷口家の皆さんに申したつもりは毫もありはしません。

ただ、そのやりとりの中で、私が申し上げた

〈そもそも、何で、生長の家が分裂≠オたのですか?

谷口家が分裂≠オたからでしょ。

それが全ての全て、始まりの始まりなのではありませんか。〉

それがどうも、谷口貴康先生の勘気に触れたようです。

これについては、「一求道者」さんから、きちんとご説明していただいておりますから、私が敢えて屋上屋を重ねる必要はないと思いますが、一般信徒の目で見たら、そここそが事の本質なのではないかと、やはり、思うのです。

だから、私は、

〈大塚家具の親子対決、和解へ≠言うのならば、谷口家の和解を≠ニいう結論へと持っていくべきなのでは? (10904)
日時:2019年04月28日 (日) 10時47分〉

その中で、こう書かせていただいたのです。

〈事の経緯から言えば、谷口恵美子先生が、お山から出られたこと、それこそが非常に重要なポイントだと私は思うのです。

そして、ご存じのように、谷口恵美子先生が赴かれた先は、総裁自身が裁判で争った義兄である宮澤先生の元であったわけです。

それを見て、心ある信徒は、総裁、並びに現教団の方針を谷口恵美子先生御自ら否定なされた、そう判断したのだと思うのです。

思うに、心ある信徒は、教団の分裂よりも、谷口家の分裂にこそ、心痛めているのではないでしょうか。

そうであれば、「トキ」さんは、はっきりと、大塚家具の親子も和解へと向けて話し合いを始めましたから、谷口家の皆さまも、ぜひ、話し合いのご検討をお願いします≠ニ言うべきだったのではないでしょうか。〉

貴康先生に、敢えて、申し上げたいのは、谷口家の身内からの視点と信徒のそれとでは、自ずと物事の捉え方が違ってしまうのは致し方ないということなのです。

誤解を恐れずに言わせていただけば、身内からしたら、谷口家も、なるほど私的な存在なのかもしれません。

実際、貴康先生からすれば、尊師・谷口雅春先生も祖父≠ナあり、総裁も兄≠ニいうことになるのかもしれません。

しかし、信徒から見たら、尊師・谷口雅春先生は生長の家創始者であり、教え親であり、救い主であられるわけです。

また、総裁は「生長の家総裁」以外のなにものでもないわけです。

そして、谷口家こそは、生長の家の法燈を継承し、生長の家教団を率いる、実質上、唯一の家系≠ナもあるわけです。

とても、私的な存在では済まされない、谷口家とは実に公的な存在である言わざるを得ません。

そして、今日の教団の問題は、一にかかって、その法燈を継承し、教団を率いる谷口雅宣総裁が尊師の教えとは異なることを説き、尊師とは全く異なる思想をもって、異なる路線を突き進んでいることに起因しているのではないでしょうか。

総裁が尊師と同じ路線を歩んでいれば、何の問題も生じなかったし、今日のような分裂騒ぎなど起こり得よう筈がなかったと思うものであります。

そして、ここが一番、申し上げたいことなのですが、そういう総裁に納得がいかない、ついていけないと判断されたからこそ、総裁以外の谷口家のごきょうだいの皆さんは、谷口雅宣総裁が率いる教団とは袂を分かち別の道を歩むという選択をなされたのではありませんか。

総裁以外のごきょうだいは仲が良くて、何の問題もない。

そして、尊師・谷口雅春先生を心からご尊敬申し上げ、その教えを広めることに尽力されてもいる。

それを見て、普通は、総裁と、他のごきょうだいとは分裂≠オていると言うのではないでしょうか。

その事実をもって、私は、谷口家の分裂という表現を使わせていただきました。

そして、私は、その分裂をよしとするものでもあります。

谷口家の中に、尊師を慕う良心があった!

谷口家としての矜持がそこにはあった!

分裂こそが、まさしくその証しにほかならない!

分裂は決して悪い事に非ず!

それが私の申し上げたいことであります。

引用元:https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/mode=res&log=2597

誰かの造語か? 自然発生的なコトバか? (55750)
日時:2023年02月09日 (木) 01時19分
名前:『わが心の窓』『いのちを拝む』愛読者

谷口輝子先生の御著書
『わが心の窓』(昭和34年)と『いのちを拝む』(昭和43年)が大好きです。
お孫様方との明るく楽しく賑やかな輝子先生の御日常が目に浮かんできます。
お孫様方のお名前も輝子先生の御著書で覚えました。

お孫様はお一人ではない
ので、お孫様信仰との否定的な呼び方を聞かれた他のお孫様方のお気持ちをよくよく考慮すべきであったと振り返らされました。

お孫様信仰との呼び名はお孫様方のうちの一人の人だけしか指さないのにその一人の人にはあまりにも当て嵌まるのでいつしか流布してしまった感があります。
だから特定の誰かが造った言葉だと決めて犯人探しをしても意味がないのでは?

 (55751)
日時:2023年02月09日 (木) 08時34分
名前:神の子

学ぶ会はちょっと政治色が強くてね。
次回の全国大会では、ついにゲスト講師の体で安東先生が壇上に上がる。
そして、ときみつる会だが今も活動してるんだろか?
ネットで検索しても何も出てこない。

きちんと読んでください (55752)
日時:2023年02月09日 (木) 10時57分
名前:まともな生長の家信徒

神の子様、先程引用した一求道者様の文章をきちんと読んでください。

>たとえばインターネット上の情報を見ると、安東巌先生や「生政連」が教団分裂の原因であるかのように語る情報もあります。しかし、総裁はいつも安東巌先生の影響力を極力排除しようとし続けたそうで、しかも安東巌先生は教団から身を引いて何年もたっています。

もし安東巌先生が教団分裂の原因だったのならば、安東先生が教団から身を引いて何年もたった現在、教団は元の一つにもどっているはずです。だが、教団は分裂したままです。まして「生政連」が解散したのは今から何十年も前のことです。貴康先生は谷口家(含。総裁)以外の「教団分裂の原因」を挙げることができないでしょう。谷口貴康先生。どんなにつらくても事実を冷徹に見てください。<

恐らくは総裁が流したであろうデマを信じてはいけませんよ。

事情通様のご投稿を拝読して (55753)
日時:2023年02月09日 (木) 12時12分
名前:神童会のチコちゃん

谷口家の皆様は、どなた様も
ご自身が信仰の対象になることは不本意のはず。

「お孫様信仰」という造語によって、
谷口家の皆様がどれほど不快な思いをされたのか
想像できない者は、生長の家の信徒以前に
教えを語る資格はないと思います。

本流生長の家はお孫様信仰を否定しているのですよ? (55754)
日時:2023年02月09日 (木) 12時21分
名前:まともな生長の家信徒

チコちゃんには判らないかもしれないですが、本流は教団によるお孫様信仰を否定しているのですよ。

別のブログからも引用させていただきますね。



私の思いNEW (2229)
日時:2016年06月22日 (水) 01時59分
名前:あめのうずめ

掲示板を見る限りにおいて、雅宣総裁の批判はあっても、貴康先生に触れる事は、タブー視扱いされている空気が、流れていました。

しかし、だからこそ私は挙手するつもりで、あえてスレッドを立てた訳ですが、

内容に関しての御投稿が増えてきました事を、大変嬉しく思います。

自分のなかの謎が、解けていくようです。


トキ様と志恩様の、貴康先生「大石内蔵助説」は、ドラマ的には、面白いと思いますが、さすがに貴康先生も、これには苦笑いなさっているのではないでしょうか(笑)

>現在、かなり難しい立場なので、軽率に動けないと思います。

それが、第三者の目から見たら、遊んでいると誤解されるのかもしれません。

ただ、討ち入り前の 大石内蔵助が

一力茶屋で遊んでいるように時期がくるまで待っておられると思います。<

トキ様は、“論点そらし”が、お上手でしたね。

私は、貴康先生が、“遊んでいる”と思った事は、一度もありませんが何か??

それでいて、貴康先生に、期待を持たせるように、さりげなく読者を誘導されていますね。


かつての私は、貴康先生が、本流の為に立って下さったらどんなに素敵だろうと思っていましたが、

それもまた、お孫様信仰である事に、だんだん気が付き始めました。しかも、“どうか頼みます根性”だったのです。

“汝、自らで立て”と、あれほど教えられていたのに、弱い私でした。(起て、だったらごめんなさい)

そんな事では、本流の復活など、出来る筈がないのです。



濁流にのまれた人を救うには、自らを濁流に投じなければなりません。

現実には、雅宣総裁や教団側と戦わなければならないという事です。

なりふり構わず、命懸けで、本流復活の為に身を挺している“学ぶ会”を、

私は、大変立派だと思いますし、応援せずにはいられないのです。


“教えとは違う”と言って、川辺に立っている人達からみたら、毎日のように教団批判を書き込む私達は、きっと無様で、カッコ悪いのでしょうけれど(笑)


でも、どちらが愛の道であるか、私は問いたいのです。


そして何よりも、貴康先生のお考えが、本流の結束の妨げになっているのではないかと、大変憂いております。



最後になりましたが、「覚醒」様、「維新のとき」様から励ましを頂きまして、嬉しかったです。

どうしても、書かずにはいられませんでした。

“便所の落書き”と言われようとも、投稿を続けようと思っております。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます♪


私が「今 私達が戦うべきは、「安倍内閣の与党には投票するな。共産党 を含む野党に投票せよ」と信徒に命令された谷口雅宜総裁に対してです」を書いた理由NEW (2233)
日時:2016年06月22日 (水) 10時45分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 あめのうずめさま 有難うございます。

 スレッドにあるように、私があの時点で投稿したのは、冒頭に書いたように、


 《日付が6月20日に変わって半日を過ぎたというのに、「貴康先生のブログに思うこと」を巡ってのご意見唯一つです。

 皆さんだんまりを決められているのは、何か言うとそれがまた別の誤解を招いたりして、なかなか着地できないことが解っているからでしょう。

 このサイトは、生長の家に関係ない一般の人も見ています。

 その人達が「貴康先生のブログに思うこと」を読む限り、到底、私達の「谷口雅春先生の教えに帰りましょう」という熱い思いは伝わらないでしょう。残念な事です。

 勿論、私を含め、日頃から共に戦って来ている同志には、皆さんの言われている事は正しく伝わっております!  だからこそ、残念なのです。》


 という苛立ちからでした。もどかしい気持ちでした。この辺でストップして頂きたいという思いから、


 「谷口貴康先生は、生長の家に全く関係のない、「一般の方」ではなく、今現在、社会事業団や新教育者連盟のお仕事もなされていますし、谷口雅春先生のお孫様ですから、どうしても皆さんの期待が募る事は避けられないと思います。ですが後は貴康先生のお心次第です。そこまで私達が踏み込んでいくことは出来ません。なさりたいようになさるでしょう。」

 
 と書かせて頂きましたが、雅宜総裁の目に余る諸々の為さりようが始まって早や30年、皆様ご存じの今回の声明に至っては、嘆息あるのみでした。

 にも拘らず、貴康先生は、本音を書こうと思うという事を述べられつつも、旗幟を鮮明にして、立ち上がられる事はなかったのですね。ですから私は、裏の事情は全く存じませんが、貴康先生は、有体に申せば、よほどの状態の変化がない限り、立ち上がられる事はないと思っておりますので、当てには出来ないと思っております。

 これが有りのままの私の思いです。

 以上、あめのうずめさまに、私の思いを知って頂きたく、一筆申し上げました。

 尚、この点に就いては二度と申し上げるつもりはございませんので、どなたであれ、質問や折り返しの投稿については、書きませんので、よろしくお願い致します。それはこれ以上、この問題を引き延ばしたくないからでございます。

 あめのうずめさま、共に頑張りましょうね。有難うございました。






もうこれ以上、お孫様扱いしないのが、ご本人の為です。NEW (2239)
日時:2016年06月22日 (水) 14時09分
名前:ご参考までに


志恩さま、お会いしてないから、なんでもお孫様の色眼鏡かけてみてあります。


一度、お招きして講演会なさってみたら、すぐに分かると思います。



>私は、貴康先生には、お目にかかったことはありませんし、
ご一緒に 活動させていただいたこともありません。<




>>貴康先生は、ただの人>>
>>貴康先生が「大石内蔵助」、買いかぶりもほどほどに!<<


ですが、貴康先生は、教団に在籍されていらした時代は、確か、
理事とか、全国青年会長とか、本部講師とかの 要職もされてましたよね。そういうお方が、果たして、ただの人なのでしょうか?
この度の貴康先生のブログの言葉で、やっぱり、ただの人だったと、
覚醒さまは、思われたのでしょうか?<





貴康先生は、ただの方ではありません。


今迄、お孫様、お孫様と、誰も嫌な事は言われませんでした。


ご注意されていません。

今の新教連の中でも、周りでも、誰もいわれません。


だから、ただの人ならなさらない事でも、平気でなさいます。


ご兄弟、そっくりだなあとおもいます。


そういう意味では、ただの人でないとおもいます。


ご自分に役に立たないとなれば、ハンドルネーム変えて物凄いバッシングされたかたです。ある事、ない事。

これ以上、余りちやほや、お孫様お孫様扱いは、ご本人のために一番良くないとおもいます。


お小さい時に、何でも思いとうりなることの怖さをおもいます。


お孫様のメガネをかけてみたり、昔はどうだったと言っても、今です。


もう、これ以上、おじいさまに悲しい思い、ご兄弟揃ってなさらないで欲しいです。


いくらハンドルネーム変えてみても、正直だから、すぐに解りますよ。


引用元http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/47849522.html

岡正章先生の魂の言葉 (55755)
日時:2023年02月09日 (木) 12時24分
名前:神聖なる宇治

岡正章先生もお孫様信仰を反省されていましたね。お孫様信仰批判を攻撃する人の意図が全く分かりません。


375 私の中にすべてがある。すべては私である (6)


 私は1991(平成3)〜1992(平成4)年当時、谷口雅宣副総裁(当時)の 「日本侵略論」 を容認し、これに異を唱えた二川守氏を激しく批難し否定するような文章を書いて発表していた。

 実はそこで本当に叫びたかったのは――

 「唯神実相・実相独在」 が生長の家の 「いのちのいのち」 であり、それは中心帰一のすがたであって永遠不滅なるものである。しかし、現象界は時空間のスクリーン上にその影を映し出すすがたであって、まだ不完全であるが、それは 「無」 なるもの。

 本当の日本、実相の日本は戦争をしたことなく、侵略した事なく、負けたことのない光の国である。そこに立つことが大懺悔だ。大懺悔をして、神に中心帰一の生き方をしよう!

 ――ということを言いたかったのであった。

 しかしながら、私の信仰が不徹底で、谷口雅春先生とそのお孫様である谷口雅宣先生はわれわれとは異次元の別格の尊い方であるという思い――“お孫様信仰” というようなものがあって、「日本侵略論」 をも容認するような発言をしてしまったと思う。

 それは、すべての人間が等しく神の子であるという生長の家の信仰ではなかった。

 一方で、谷口雅宣 現総裁のすがたを見て、

 「総裁が、尊大な姿勢で、信徒を敵として攻撃しておられるような物言いは、今もあまり変わっていないようです。」

 などと他人事のように、批難の思いをもって言うようになっていたのも、私のまちがいであった。

 谷口雅春先生は、

≪ 外界が自分を包んでいるように見ているけれども、実は自分が外界を拵(こしら)えているのです。自分の心の世界がプラネタリウム(天象儀)みたいに展開しているのです。プラネタリウムの機械の仕掛が空の星になって現れるように、自分の心の世界が外の世界に現れているのだけれども、これに気がつかない人が多いのであります。

 そして外の世界に外のものがあると思い、「あの人が悪い、此の人が悪い」 と、こう思うのです。
 しかし、実は 「あの人」 と思っていたのは、実は 「自分の心の姿」 なんです。「他の人」 じゃないのです。「自分」 なんです。親が怒っていると思っているんですけれども、そうじゃないのです。自分が怒っているのです。そうしたらそれが映って親が怒った顔しているんです。≫

 とお教えくださっている。

 「総裁が尊大な姿勢で、信徒を敵として攻撃しておられる」

 と見たのは、実は私がそれをしていたことに、今やっと気がついたのであります。

 申し訳ございませんでした。

 私の中に、すべてがあったのであります。

 私はすべてのすべてであったのであります。

 このことに気がつかせて下さった総裁先生、すべての皆さま、ありがとうございます。

          ○

 谷口雅春先生はまた、かつて 『動向』 という武藤貞一氏主宰の雑誌に、連載で 「耿耿(こうこう)の言」 という随想を執筆していらっしゃいましたが、その一つのコピーが出て来ました。
 それを、感動しながらここに録させていただきます。


≪  『動向』 誌所載 《耿耿の言》

   暴力から合掌へ ─ 学内暴力の一掃策 ─

                           谷口 雅春

 毎朝わたしは神前に坐して 『甘露の法雨』 又は 『天使の言葉』 の如き生長の家の聖経を朗読することにしているのである。その聖経の中に

 「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて
 相対せしむれば百万の光を発せん。
 人は神より発せる光であって
 甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれども
 すべて “神” なる一つの光源の反映であって、
 本来一つの光であって、
 すべて一体であるからその実相を自覚すれば
 互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」

 という意味の事が書かれているのである。

 それを読みながら近頃、頻々として起っていることが報ぜられている教師と生徒との間に於ける反感や暴力沙汰は、この真理を互いに自覚すれば、教師と生徒との間に起る反感や暴力沙汰は自然に消えてしまうのに!! と思いながら、日本の文部大臣にこれ位のことがどうして出来ないのかと歎息の溜息を吐いたのであった。

 教師と生徒とが一つの大生命(神)より発した光であり、
 互いに兄弟姉妹であり、
 互いに愛と讃嘆の念が起るならば、
 教師と生徒との間に起る暴力の原因が消えてしまうのである。

 こんな簡単明瞭な真理が、どうして
 現代の教師にも生徒にも解らないのだろう。
 すべて教師と生徒との両者に生長の家の説く真理を会得さしてしまえば、
 それで万事はOKである筈である。
 それが出来ないのは皆な唯物論者であって、
 互いの神性を拝むということを知らないからだ。

 そう思ったとき、私はもう数十年も前の事であるがこんな記憶があるのを思い出した。

 大阪の難波の駅から急行電車に乗って和歌山へ私は行くことになっていた。

 その時信徒の人たちが多勢私を見送りに来て、皆々私の方を向いて合掌していた。

 私も見送りの人たちに向って、列車の窓に両肘を突き窓から半身を乗り出すようにして合掌していた。

 肉体の形が合掌しているのではない。互いの魂が相互に合掌して礼し敬しているのである。

 その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘ
 つっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。

 「私は今日、刑務所から出て来た者であります。
 娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。
 しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。
 そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」

 私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。
 「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」 と私は心で念じた。


 今、日本の諸方の学校で起っている校内暴力はどうして起るのであるか、
 総理大臣も文部大臣も唯、拱手傍観していて、
 「暴力者は悪い奴である」 と念ずるばかりで
 為すべきすべを知らないらしいのである。
 そして此の暴力沙汰を引き起す原因については
 何ら御存知ないらしいのである。
 本当の暴力の起る原因は教師の 「心」 の中にあるのだ。

  (註)その暴力者を 「悪い人である」 と念ずる教師自身の 「心」 の中にあるのだ。

 現在、学校で教職についている先生方は
 自分の知りている知識を生徒に授けるのが教職者の
 仕事であるとのみ思っているらしい。

 “授ける” “受ける” の立場に立って、
 先生と生徒との関係は、上位と下属との関係である
 と漠然と思っている先生が多いのではあるまいか。

 なまけていて進歩の少い生徒は劣等の人間であると、
 先生はその生徒を軽蔑する。
 生徒は教師の自分に対する軽蔑を
 先生の表情又は雰囲気で直感する。

 生徒はこんなとき先生よりも霊感的であり、
 先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する──
 “何クソ” と生徒は先生に反感を起すのだ──

 もうこうなったら “正しい教育” は成り立たないのである。
 生徒は先生に対して敵意をもつ。
 生徒の教師に対する校内暴力は
 此の敵意のあらわれであるのだ。


 私は老齢既に卒寿を越えて脚腰の動作が不便であり、坐位でも椅子でも直立でも、相当時間一定の姿勢をつづけて講義することは勿論、執筆すらも長くつづけることができない。併しもう少し若かった頃公会堂その他の大会場で、皆に話すために演壇に立った時、いつでも聴衆に向って私は低身合掌して 「皆さん、ありがとうございます」 と先ず礼拝の言葉を演べた。私は講演するとき、相手を見くだして教える心で立ったことはない。

 皆なを拝む心で演題に立てば、皆なが話者を拝んでくれるのである。演者は別にその効果を期待して、聴衆を合掌して拝んでいるのではない。真理の講話を話しに来る者、またそれを聴講に来る者、倶に深い因縁のあることである。

 学校暴力とか校内暴力とか云う乱暴な出来事が起るのは、教師も生徒もその深い因縁に気付かないで教師が、“生徒を拝む心” で講壇に立つのではなく 「万一の事が起った時には護身のために必要だから」 と理窟づけして、教師の方がポケットに護身用ナイフを忍ばせて演壇に立つからである。

 即ち、相手を傷つける想念は隠し持ったる護身用具に随伴する。想念は造る力であるから、自分の予想するものが形の世界にあらわれて来て、自分を傷つけ又、相対する相手を傷つけることになるのである。

 私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇に立ったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて 「先生に礼拝……直れ」 などと音頭をとって 「形式的に敬礼」 させる。

 それでは軍隊式で、形式が先に立って
 「先生に礼拝する」 ごとき、魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出来てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。

 生徒の中には、そんな形式的な命令に従ってお辞儀をさせられる事は、「自由を縛る束縛だ」 と反感を懐きながらお辞儀をしている者もあっただろうと思うが、私もそれ等生徒の一人であった。

 尤もその時代の中学生と先生とは、弟子と師と云うような階級的な次元に於いて対立感情で向かい合っているのではなかった。儒教的な 「三尺さがって師の影を踏まず」 という 「礼」 の秩序性が表現されたものであって、先生と生徒とは互いに共学の研心の同朋であった。

 相互は、学校の授業時間だけに於いて共学研心の同朋であるだけでなく、学校の授業時間を了えて校外に出ても、先生と生徒とは何らかの意味に於いて研心の同朋であった。

 あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。

 私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云うと、先生は 「もう谷口君にかかったら負けだ」 と笑いながら云った。

 今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。

 教師が本当に生徒たちに皆一視同仁的に各々の生徒を愛の心を以って立ち向うならば、教師の表情が愛に満たされた様子で、常にどの生徒に対しても同様に立ち向うことになる。

 その時には黒住教祖の宗忠尊師が

  立ち向う人の心は鏡なり
    おのが姿を映してや見ん

 と、いみじくも詠われた状態が現れて、生徒はその教師に対して親愛の感情を感ずるのである。これは空想ではない、現実に成り得る問題だ。

 (中略)

 生長の家の箴言にある、いつも天気に対してお礼を云う気持で “神様、好いお天気を与えて下さいまして有りがとうございます” と念ずる習慣のある人は、天気に祝福されて、その人が旅立つときには好天気が常につき添うて下さるのである。

 もう十数年も前のことであるが、私たち夫婦は各国を身を以て知るために世界旅行に出掛けたことがある。ドイツを廻った時の季節は、朝晴れているかと思うと数時間もすると雨が降る 「秋しぐれ」 の季節であった。

 ドイツで私たち夫婦を道案内して下さった方は、日独交換教授として、ドイツに駐在中の日本の早稲田大学の独逸語教授の山田先生であった。山田先生は

 「ドイツのこの季節にはいつ時雨るかも知れませんから雨具を用意してまいりましょう」

 と時々云われたが、わたしは、

 「常に天気に対して私たちはお礼を云っていますから、私が観光に出掛けている時間には雨は降らないでしょう」

 と答えたものである。そして“雨降る”予報の天候は、私の言った通りに私たちが宿舎に帰ってから降り始めるのであった。

 私たちの案内役をつとめて下さった山田先生も、天候が私の云う通りに適当に変化するので偶然としてはあまりに不思議だと感心していられた。

 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっている点があるのを御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。

 今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、

 「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」

 とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないのである。

 現下の日本に必要なものは、何よりも為政者の心の姿勢を反省することである。

 今こそ私は 「教育勅語」 の復活を中曽根総理大臣に宣言して頂いて、為政者自身の心を浄めることを 「第一の事」 として、先ず何事も第一の事を第一に為し、国民総じて実践する道を行く扉を開かれんことを希望するのである。

 今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起ることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。≫


 ――上記は谷口雅春先生の御文章のみのコピーが出て来たので、『動向』 誌何年何月号に書かれたものか不明ですが、「中曽根総理大臣」というのは昭和57年11月7日から62年11月6日まで約5年間在職しており、谷口雅春先生は昭和60年6月17日に御昇天になっているから、先生最晩年のご執筆である。

 「耿耿(こうこう)の言」の「耿」には、<耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない>という意味があり、「耿耿」は、<光が明るいさま>と、<心が安らかでない。気にかかって寝付かれない>という意味があります。先生は90歳の最晩年にも、そのような深い祈りの気持を持っていらっしゃったのであります。

 「私の中にすべてがある。すべては私である」 という自覚から

 「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」

 という思いにつながる。それが 「神の子」 の自覚であろうと思います。

 ありがとうございます。合掌


   (2017.8.8)

破邪顕正先生の言葉に感動します (55756)
日時:2023年02月09日 (木) 12時28分
名前:STEVE

お孫様信仰については破邪顕正先生が次のように説明されています。



“「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず” (2994)
日時:2016年07月23日 (土) 18時31分
名前:破邪顕正


表題は、『生命の實相』第13巻「倫理篇上」にあるお言葉です。

そこのところを引いておきます。

《キリストを肉体イエスにのみ見いだして、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在るなり」とイエス自身いわれた「永遠の神性」を見ることができず、「肉体イエス」を通さなければ人間は救われないなどと、「肉体」をもって「神性」に代え、「迷い」をもって「実相」に代えているキリスト教徒のいかに多いことでありましょうぞ。…

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。》(81〜83頁)


これを引いたのは他でもありません。

「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない。」

この“お孫様信仰”に注意を喚起するためであります。

そもそも、背教総裁≠ヘ盛んに「谷口雅春先生も間違われたのです!」ということを谷口恵美子先生の最初のご結婚の失敗を引いてはそれを強調しているわけです。

普通ならば、谷口雅春先生も間違われたならば、当然、3代目だって大いに間違いを犯す筈だとならなければオカシイのです。

ところが、どういうわけか、信徒さんの中には、先述したように、「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない」という、それこそ“偶像崇拝”の信仰に生きているわけです。

結局、これは、表題に掲げたとおり、“肉体谷口の家に”すがりつこうという“「迷い」をもって「実相」に代えている”からではないのかと私には思えてならないのです。

背教夫妻≠ェ教団のすべてを支配するに到った今こそ、生長の家においても、新たな“信仰革命”を起こさなくてはならいと強く強く思うものであります。


引用元https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/mode=res&log=633



生長の家は「肉体谷口の家」ではなく、法脈です。

「易姓革命だー−−!」等と言っている人は「生長の家」ではなく「肉体谷口の家」の信者なのでは無いでしょうか?

コピペうぜぇよ (55757)
日時:2023年02月09日 (木) 13時33分
名前:神童会のチコちゃん

まぁ、読んだ方に判断してもらいましょう。

背教 (55758)
日時:2023年02月09日 (木) 14時33分
名前:本音の時代

背教総裁及び背教幹部に対し教団にとどまらずして異を唱える者も背教者と言えるのではないでしょうか。何故ならば、谷口雅春先生が創立した教団を捨ててしまったのだから。教団に留まり意を唱えることもできたはず。教団にいなければ守れないものもあるはずなのに。私も背教者の一人であります。

STEVE群様へ (55759)
日時:2023年02月09日 (木) 17時09分
名前:AI


「お孫様信仰」てさ、宗教法人〖生長の家〗に自らの選択で、
意思をもって其処に属する人達を愚弄する造語でしょう。

ホント、そんな悪口をもって退団する人には、
そんな悪口と共に退団してもらって良かったですよ。

さいならお元気で!




法脈は法脈でも (55762)
日時:2023年02月09日 (木) 18時05分
名前:ほー、そー(法曹)ですか

>生長の家は「肉体谷口の家」ではなく、法脈です。

法脈って著作権法?

いや、ほら、谷口雅春先生の教えに準拠するならば、話し合い抜きに内容証明を送りつけたり、個人を訴えたりしないでしょ。
しかも谷口雅春先生の財産を使って。

お孫さん信仰 (55763)
日時:2023年02月09日 (木) 20時27分
名前:本音の時代

谷口雅春先生の孫という肩書は、効力はありますよ。

谷口雅春先生の教えに準拠するならば、と説教する悟りの深いほー、そー(法曹)ですかさんに敬服 (55764)
日時:2023年02月09日 (木) 22時17分
名前:いきなり考

話し合いを抜きにいきなり内容証明と裁判て言いますけど
そうすると何だか反論できないみたいな雰囲気になりますけど
ウォッチする限り
そもそものいきなりは第8号の読者の疑問に答えるとのいきなり論難でしたよ
なぜいきなりと言うかというと無料でも何でも影響力の計り知れない印刷物の流布ですから

ご親切に某掲示板でも管理人が率先して拡散してくれてましたし
個人の配布物だから影響は小さいと言えるとは思えないですよ普通は

印刷して配布する前に話し合いも何もなかったわけですから
裁判の前に話し合うために会ったとしても内容になり得る双方の主張は第8号と内容証明でそれぞれ言い尽くされていたわけですから
会ったらどちらかがまげて退くことはあり得ないで物別れになったであろうことは火を見るよりも明らか

裁判は心的に大きな禍根を残すからできる限り避けたい
だから避けられなかったことを盲目的に擁護する心情でないのと同様に避けられなかったことにやむを得ない点をも見出す
避けられなかったことを原告の人間性にすべてを転嫁して被告はどこまでも瑕疵のない被害者だと白黒を付けて見る限り分かり合えませんね

それを考えきれないで裁判はとにかく悪だ非道だとしか言えないなら分かり合えませんね
仮に掲示板で反対のことを言い合っている人同士が会って話そうと言われても会ったら自分の考えを見直しますか?

 (55765)
日時:2023年02月09日 (木) 22時43分
名前:ウワサ

寄付が集まらないと聞きますが

裁判と信仰 (55766)
日時:2023年02月09日 (木) 23時43分
名前:本音の時代

裁判で善悪が判断されたとしても、それが信仰に結びつくものではない。
信仰の何たるかについては、裁判という手段は無益のようだ。

本音の時代様 (55768)
日時:2023年02月10日 (金) 00時08分
名前:兎

社会事業団が、教団に裁判を仕掛けて、裁判をやった結果、
教団が裁判に勝ったとき、それによって
教団の信徒数が、増えたわけじゃないですよね、
反対に、激減しているわけでしょう。

本音の時代様が言われますように

>裁判で善悪が判断されたとしても、
それが信仰に結びつくものではない。
信仰の何たるかについては、裁判という手段は無益のようだ。<

は、正解だと思います。


 (55771)
日時:2023年02月10日 (金) 09時51分
名前:一言

だいたいあんな裁判やりながら、入会が増えると
思ってたのか久保さんは!
減るに決まってるじゃないか

そもそも (55772)
日時:2023年02月10日 (金) 10時01分
名前:ほー、そー(法曹)ですか

>そもそものいきなりは第8号の読者の疑問に答えるとのいきなり論難でしたよ

いやいや、そもそものいきなりは、著作者人格権を無視して、谷口家に無許可で章立てを変えた『新編生命の實相』を出版したことでしょう。

阪田先生は森田先生とともにそれを止めようとしたものの、聞く耳を持たなかった。それがはじまりですよ。

>仮に掲示板で反対のことを言い合っている人同士が会って話そうと言われても会ったら自分の考えを見直しますか?

喜んで会いますよ。そして、自分の考えが間違っていたと思ったら見直しますし、謝罪を求められたら謝罪しますよ。

著作者人格権を侵害してるのを著作者でも無い人が勝手に憤ってる? (55782)
日時:2023年02月11日 (土) 08時33分
名前:神の子

著作者人格権とは難しい言葉を言いますな。
法律の専門用語でしょうか?
そんなら法的手段に出れば良いんじゃないかな?

『新編生命の實相』 (55783)
日時:2023年02月11日 (土) 10時38分
名前:本音の時代

『新編生命の實相』は章立てを変更しており、谷口雅春先生が考えていたオリジナルなものではありません。あくまで【新編】だという認識が必要でしょう。


>著作者人格権を侵害してるのを著作者でも無い人が勝手に憤ってる?

その通りでしょうね。想像するに、著作者人格権を継承している人は、法的手段に望む必要はないと考えているのでしょう。書籍『生命の實相』についての認識も薄らいでいるのでしょう。

当事者ですよ。 (55784)
日時:2023年02月11日 (土) 11時29分
名前:ほー、そー(法曹)ですか

>著作者人格権を侵害してるのを著作者でも無い人が勝手に憤ってる?

谷口雅春先生は、「人類光明化運動のパテントは諸君に譲られた!」と、おっしゃいました。だから生長の家信徒は皆、当事者でしょう。

当事者意識がなく、かつ自分の頭で考えないから、今の事態を招いたのではありませんか。

実際、『新編 生命の實相』は全巻揃っていないですし、頭注版は発行されていません。

 (55788)
日時:2023年02月11日 (土) 16時57分
名前:通りすがりに

雅春先生雅春先生と言うは容易い仕草です。

>当事者意識がなく、かつ自分の頭で考えないから、今の事態を招いたのではありませんか。<

ここまで気付くほどの御仁が驚くほど少数なのが現実でしょう。

ふーん (55789)
日時:2023年02月11日 (土) 17時40分
名前:名乗るほどの者ではない者

>ここまで気付くほどの御仁が驚くほど少数なのが現実でしょう。

あなたは一生、通りすがりの傍観者でいてください。

私は私自身の使命を生きますから。

 (55790)
日時:2023年02月11日 (土) 17時49分
名前:通りすがりに

>私は私自身の使命を生きますから。

貴女の使命とやらはなんですか。
なんに関するどんな<当事者意識>をお持ちで?
是非開陳してみて下さい。

 (55791)
日時:2023年02月11日 (土) 18時36分
名前:名乗るほどの者ではない者

私は谷口雅春先生の教えで救われました。
その御恩に報いることが私の使命だと思っていますが、それが何か?
いずれにしましても傍観者の貴方にとっては関係のないことです。

 (55795)
日時:2023年02月11日 (土) 21時52分
名前:通りすがりに

>私は谷口雅春先生の教えで救われました。


貴女が<救われた>ことで、周りに<救われる>人々が多くなれば幸いです。。。  合掌

 (55804)
日時:2023年02月12日 (日) 02時18分
名前:神の子

当事者ですか。まぁ確かに当事者ですけどね。
他人事では無い重大な事ですよ。
生長の家をやってる人なら誰でも。

しかし法律の話をしていたと思ったんですが。
人格権を継承した人が訴訟をしないなら本人は侵害されたと認識してない。本人…当事者が問題無しだと思ってるのに外野が勝手にワーワー騒いでも余計なお世話だと思う。



日本人は精神論が好き (55805)
日時:2023年02月12日 (日) 02時29分
名前:神の子

当事者意識とかの話と法律の話をごちゃ混ぜにしたら収集つかないでしょう。

普通の会員一人一人に当事者意識が欠けてたのが原因、それなら当事者意識を持っていたからって何が出来るのか?何も出来ないですよ。



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