生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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新編『生命の實相』に関する疑問:文字の変更と作者名表記について (56827)
日時:2023年03月14日 (火) 14時06分
名前:tapir

立葵様が、谷口雅春先生に帰りましょう 第二掲示板で、昨年12月24日に投稿してくださっていたことに関連して、かねがねの疑問を書かせていただきます。


1,世間一般の常識は、作者の死後、一文字も変更しないことではないでしょうか。

「青空文庫」という著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを配信している「文庫」がネット上にあります。「青空文庫作業マニュアル【本という財産とどう向き合うか】」の文中にある、「内容に関する権利」が、私が思う世間の常識です。

++++++++以下引用+++

“3)内容に関する権利
〈使い方〉に関する権利に加えて、著作者はもう一つ「何をどのように書くか」をすべて、完全に自分で決められるという、〈内容〉に関する権利を認められています。

青空文庫が取り扱う言葉の作品に即して言えば、作者以外の者には、原則としてたった一つの文字、たった一つの句読点であっても、変更したり削ったりすることはできません。

作者が付けたタイトルも、他人には勝手に変えられません。

著作権法では、〈内容〉に関するこの権利を〈使い方〉に関するものと特に区別して、著作者人格権と呼んでいます。

表現やタイトルを、自分の意志に反して誰かに勝手に変えさせない権利(同一性保持権)に加え、発表するかしないかを決める権利(公表権)、作者の名前を出すか出さないかを決める権利(氏名表示権)を、日本の法律は著作者人格権として認めています。“

(「青空文庫作業マニュアル【本という財産とどう向き合うか】」
https://www.aozora.gr.jp/aozora-manual/

++++++++++++引用終わり+++++++++


@「作者以外の者には、原則としてたった一つの文字、たった一つの句読点であっても、変更したり削ったりすることはできません。
A作者が付けたタイトルも、他人には勝手に変えられません。

新編『生命の實相』は、この2点を、守っていません。


2,また、立葵さんは次のように書かれています。

>およそ世間一般の「全集」類には「凡例」があつてその版に於ける編緝方針が明示されてゐます。<

世間一般の「全集」類の「凡例」は、作者の許可のもとに作られています。作者の死後には、「凡例」を書いた編集者の個人名が明記されます。


【例1】

“大聖師御講義『続々甘露の法雨』”の表記を例に挙げます。

“大聖師御講義『続々甘露の法雨』”
単行本 – 1993/8/10
谷口 雅春 (著), 谷口 清超 (編集)

*谷口清超先生の「編集」であることが表紙に明記されています。

【例2】
一般書籍の例を挙げます。

“日本書紀 上巻 黒板勝美編”

*黒板勝美氏の「編集」であることが表紙に明記されています。


【対照】

“新編生命の實相”の表記。

新編生命の實相 第1巻 総説篇・光明篇 単行本 – 2012/1/11
谷口 雅春 (著)

*編集者名が無く、谷口雅春先生のご著書だとされる表記です。

「谷口雅春著作編纂委員会」の代表責任者の個人名は、どこにも表記されていません。編集責任者を明記せず、亡くなった作者の著書と錯覚させる表記は、世間一般の「全集」では、見たことがありません。

厳しい言い方をすれば「偽装」に該当する表記に思われますが、いかがでしょうか。


3,立葵様のご投稿続けて引用します。

>新編が著者の御昇天後に出版されることによつてその存在の意義を有しないが如き文脈には違和感を禁じ得ません。<

>谷口雅春先生がその表記法(「当用漢字」と「現代かなづかい」)を御自身では決して進んで使用されずにその弊害を訴へ續けてこられたとしても、ルールには從はなければならなかつたでありませうと、畏れながら拜察いたします。
 ですから、頭注版や愛藏版が「ご生前のご著書」であつたことが、さうではない新編の存在を不當に貶める根據には決してならないと考へます。<


「作者以外の者には、原則としてたった一つの文字、たった一つの句読点であっても、変更したり削ったりできない」(作者以外の者)が「ご生前のご著書」に手を入れたら、その時点でアウト。仮に手を入れるなら、「編集者」個人名の明記が、「世間一般」だと思います。表紙に、編集者名を表記することも。

「不当に貶める」のではなく、「正当に表記するべき」と申し上げたいのです。


4,社会事業団は、以下のように、かつて主張していました。

〇社会事業団には編集著作権がある。
〇社会事業団は完全な著作権を保有している。

最近は次のように主張しています。

〇谷口雅春先生は生長の家社会事業団に『生命の實相』等の著作権を託された(教団の今日に惨状を予見された生長の家の大神の神計らいであったと言える)

これらの主張は、谷口雅春先生が生長の家社会事業団に、著作権(財産権)のみならず、著作者人格権まで託された、だから、章立てやタイトルの変更、編集の変更をする権利があると、聞こえます。そう錯覚する人が出るのではないでしょうか。

社会事業団が谷口雅春先生に任されたのは、「人類にみ教えを広める」ことを第一とする、高潔な公共心を持ちつつ、『生命の實相』の財産的価値を管理することのみだと思います。『生命の實相』は、人類全体の公共の至宝ですから、生長の家社会事業団、または光明思想社という一団体が、匿名の編集者の意のままに、内容やタイトルを変更することは、含まれないと思いますがいかがでしょうか。(世間一般の通念においても、法律においても)


参考資料:

1,立葵様のご投稿
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3582

2,護法の天使氏のご投稿

>生長の家大~様の神慮


 以上の事実が示すとおり、谷口雅春先生は生長の家社会事業団に『生命の實相』等の著作権を託されたことは明らかであり、それは単に財産権の問題としてではなく、教団の今日の惨状を予見された生長の家大~様が、御教えを正しく歪みなく後世に伝えるために谷口雅春先生を通じて行われた神慮深き神計らいであったと言えます。<
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3572

以上

超ド級の爆弾投稿ですね。 (56828)
日時:2023年03月14日 (火) 18時23分
名前:⊕「訊」⊕


 tapirさん、今回は超ド級の爆弾投稿ですね。これは光明思想社が吹き飛ぶレベルの法律違反ではないでしょうか。そして著作権者の事業団は、どんな反応を示すのでしょうか。注目ですね。





tapirさん (56829)
日時:2023年03月14日 (火) 18時53分
名前:志恩

訊けさんー
> tapirさん、今回は超ド級の爆弾投稿ですね。これは光明思想社が吹き飛ぶレベルの法律違反ではないでしょうか。そして著作権者の事業団は、どんな反応を示すのでしょうか。注目ですね。<

志恩ー
私もそう思います。
著作権者の社会事業団は、ちゃんと反応していただきたいと
心底、思います。

補足 (56833)
日時:2023年03月14日 (火) 20時52分
名前:⊕「訊」⊕

 今回私は「光明思想社が吹き飛ぶレベルの情報」と表しました。そのことについて特に補足いたします。テーマは「取り締まるべき相手」です。

 そして突然ですがクイズです。この場合、もしも取り締まられる対象あらばそれは、いずれになりましょうか。

1)光明思想社
2)疑問を呈したtapirさん


 答えは当然ながら、1)になります。理由は「ここは日本だから」です。








追伸


 もしもこの場面で答えが2)ならば、その者は日本人ではなく、どこかのポルポト派と言えるでしょうね。

 また、本流派からの反論に期待します。特に、「暴走老人」先輩のコメントが聞きたいですね。他の口だけのヘタレさん達(立葵サン含む)には返信は、もはやムリだと思います故。

こちらも上げます (56848)
日時:2023年03月15日 (水) 11時12分
名前:⊕「訊」⊕


 こちらも上げます。

 (56850)
日時:2023年03月15日 (水) 11時15分
名前:tapir

>今回は超ド級の爆弾投稿ですね<

世間一般の常識的な感覚を、整理しただけのつもりでしたが、爆弾を落としたのでしょうか。

昨日、午後8時半ごろ、カーラジオから流れてきた執筆者・編集者である、いとうせいこう氏の話を聴きました。

いとうせいこう氏は、ものを食べながら編集中の原稿を読むことはしないと言っていました。私も親から、本を大切にせよ、食べながら読むなと言われましたが、せいこう氏の理由は、原稿に食べ物のシミが付くと、そのページの誤植になる可能性がある、点によって文字を間違う可能性があるからだそうです。

私も読書好きなので、この感覚が分かります。一点、一文字でも原文が変えられると、ページから受ける印象が崩れ、作家の文章が台無しになる気がします。せいこう氏は、編集者として、食べ物のシミがつくことを恐れるそうです。プロの編集者のこだわり、本への愛情が感じられます。

たとえ善意であっても、谷口雅春先生の御文章の漢字を変えたり、章を入れ替えたりして、平気でいられる感覚が、私には信じがたいです。谷口雅春先生が神様の啓示を受けて書かれたものと思えばなおさらです。『生命の實相』頭注版第一巻を初めて開いたとき、ページが輝いているように見えました。紙面に谷口雅春先生のお気持ちが込められ、人類への愛が、余すところなく、表現されていたからだと思います。

幸福はあなたの心で (56887)
日時:2023年03月16日 (木) 06時45分
名前:神の子

って本がありますね谷口雅春選集のやつで。
あれ文章が歴史的仮名遣いで読みづらいな…と思ってるんですが例えばの話、神の子の要望を聞いてくれて編集者が善意で現代仮名遣いにリニューアルして出した場合には問答無用で容認出来ないと云う事になりますか?
言葉を借りれば文章が台無しになるそれがプロの編集者のこだわりですか。

蛇足だが。 (56888)
日時:2023年03月16日 (木) 06時54分
名前:神の子

日本教文社がやるのは認めるけど光明思想社がやるのは認めないって事は無いですよね?
自分は歴史的仮名遣いを習ったから読めるからリニューアルの必要を感じないって意見なら高齢者のエゴだと思う。習ってないけど自分は独学で平気で読めるようになったから貴方も倣えと言うならあれは世間から忘れられていくだけになる。

 (56889)
日時:2023年03月16日 (木) 07時14分
名前:栞

日本教文社の方の、谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のお孫さんで、
「著作人格権」を持っておられる谷口家のお一人なんですから
それは、できるんじゃないのですか。

光明思想社の白水社長や、社会事業団の久保理事長や、
学ぶ会の前原代表は、谷口雅春先生とは、赤の他人で、
「著作人格権」を持っておりませんから、
それは、やっては、いけないということでしょう。

そうですよね、tapir様。

テパ様 (56890)
日時:2023年03月16日 (木) 07時36分
名前:神の子

そうなんですかテパ様?

なんか風の谷のナウシカの似たような名前の人物を思い出しました。

 (56911)
日時:2023年03月17日 (金) 14時40分
名前:tapir

神の子さま

コメントをいただきありがとうございます。

>なんか風の谷のナウシカの似たような名前の人物を思い出しました。<

「テパ」という「風を見た」少女(アニメには出てこない、原作のみ)があるのですね。「風の谷ナウシカ」はアニメを見ただけで原作は読んでいませんが、ナウシカの再生が印象に残りました。壮大な物語ですね。


>あれ〔註:『幸福はあなたの心で』〕文章が歴史的仮名遣いで読みづらいな…と思ってるんですが例えばの話、神の子の要望を聞いてくれて編集者が善意で現代仮名遣いにリニューアルして出した場合には問答無用で容認出来ないと云う事になりますか?(神の子さま)<

『生命の實相』が「旧字・旧漢字」の版しかないならば、「常用漢字」におき替えることは、「その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合」として、著作権法第六十条で、認められると思います。(参考資料1,に著作権法を抜粋します)


立葵様は2022年01月15日 (土) 22時58分に、新編『生命の實相』は、光明思想社が「愛蔵版」を底本とした現代仮名遣い(常用漢字版)であるようです。と同時に「頭注版」をそのまま出版するのは反対と〈谷口雅春先生に帰りましょう 第二〉掲示板に投稿されています。

>頭注版の生まれた經緯は理解しますし編輯者には敬意を表しますが、そのままでの再出版には反對いたします(頭注版で改變された尊師の正當國語表記の恢復は惡いことでせうか) (14001)(立葵さま)<

>その中で、谷口雅春先生御存命中の最後の全集である愛藏版を底本とする新編の用字の試みに注目してをります。
 歷史的假名遣や正漢字そのままでは今や受け容れられないことによつて「現代仮名遣」「常用漢字」に改めつつも、頭注版のやうな中學三年生が基準といふ、つまりは義務ヘ育の範圍といふ束縛からはより自由に、谷口雅春先生の原文の表記に戻せる言葉は極力戻してゐることが窺へます。(立葵さま)<

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3407


立葵さまは、光明思想社の考え方を代弁されているのでしょうか。歴史的仮名遣いを尊重したいお気持ちはわからないでもありませんが、頭注版の再出版に反対するという立葵さまのご投稿に、疑問を感じます。立葵さま自身も気づいておられる通り、谷口雅春先生、高弟の皆様、徳久先生、鹿沼景揚先生、楠本加美野先生は、頭注版『生命の實相』発行以来、全巻拝読を運動の中心にして、伝道されていました。また海外に目を向ければ『生命の實相』の全巻翻訳(ポルトガル語、スペイン語、韓国語、中国語)が成し遂げられたのも、頭注版が翻訳の底本として、外国出身者にも読みやすかったことが、翻訳作業の助けになったと思われます。読書が苦手な人の間で『生命の實相』が広く読まれるようになった運動を支えた頭注版を出版停止にすることは、人類光明化運動の歩み(歴史)の重要な一時期を否定することになります。頭注版を出版しないで、有無を言わせず新編に置き換えよというのは、御教えの中心を交換する、いわば「革命」です。

>日本教文社がやるのは認めるけど光明思想社がやるのは認めないって事は無いですよね?<

日本教文社だから、光明思想社だからという問題ではありません。著作権法の著作者人格権が守られているかどうかの問題です。栞さまが書かれていることに近いのですが、厳密に言えば、ご遺族でも著作者人格権は持っておられません。

>日本教文社の方の、谷口雅宣先生は、谷口雅春先生のお孫さんで、
「著作人格権」を持っておられる谷口家のお一人なんですから
それは、できるんじゃないのですか。(栞さま)<

誤解している方があるようですが、「著作者人格権」を持つのは、著作者である谷口雅春先生のみです(著作権法第五十九条、「一身専属性」)「著作者人格権」は「著作権(財産権)」とは性質が違って、相続も譲渡もできません。ご遺族は、「著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹)」は「著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者に対し、」「訂正その他著作者若しくは実演家の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求する」ことができます。

「声望回復の適当な措置を請求」できるというのは「著作者人格権」を持っているからではありません。ご遺族が「名誉・声望回復」の「措置を請求できる」ということです。

言葉の使い方の問題ですが、この際、訂正させていただきます。


>光明思想社の白水社長や、社会事業団の久保理事長や、
学ぶ会の前原代表は、谷口雅春先生とは、赤の他人で、
「著作人格権」を持っておりませんから、
それは、やっては、いけないということでしょう。<

「赤の他人」だからいけないということではありません。「その行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合」かどうかということです。すなわち、タイトルの変更(「新編」『生命の實相』としたこと)、各巻の表紙にサブタイトルを加えたこと、第一章と第二章の差し替えが、谷口雅春先生の「意を害しないと認められる」かどうかということです。

第一章と第二章の並び順に深い意味があることを、谷口雅春先生は『別冊真理』に書かれています。その深い意味を無効にする章立て変更だから、「著作者の意を害しない」とは思えず、「著作者人格権」抵触の疑いを生じているのです。

ご遺族でも、著作者の文を理由なく変更することはできません。“大聖師御講義『続々甘露の法雨講義』 谷口清超編纂”の意味は、単行本になっていなかった谷口雅春先生の御原稿を谷口清超先生が編纂されたものですが、御講話原稿ですから、繰り返しを省くことはあったとしても、谷口雅春先生の御文章の原意を損ねないよう、必要最小限しか直していないと思います。(参考資料2参照)


参考資料:

1,著作権法
“第五節 著作者人格権の一身専属性等
(著作者人格権の一身専属性)(著作者人格権の一身専属性)
第五十九条 著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。

(著作者が存しなくなつた後における人格的利益の保護)
第六十条 著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。“
(著作者又は実演家の死後における人格的利益の保護のための措置)

“(名誉回復等の措置)
第百十五条 著作者又は実演家は、故意又は過失によりその著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者に対し、損害の賠償に代えて、又は損害の賠償とともに、著作者又は実演家であることを確保し、又は訂正その他著作者若しくは実演家の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求することができる。

第百十六条 著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。以下この条において同じ。)は、当該著作者又は実演家について第六十条又は第百一条の三の規定に違反する行為をする者又はするおそれがある者に対し第百十二条の請求を、故意又は過失により著作者人格権又は実演家人格権を侵害する行為又は第六十条若しくは第百一条の三の規定に違反する行為をした者に対し前条の請求をすることができる。”

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=345AC0000000048


2,”大聖師御講義『続々甘露の法雨講義』はしがき抜粋

“さて最初、この『続々甘露の法雨』についての大聖師の御講義が行われたのは、昭和三十年十一月に秋の記念祝賀講習会が東京の本部会館で行われた時であった。その部分の収録は第一話から第十話までであるが、その後さらに数多くの追加原稿が、昭和四十三年一月号から昭和四十八年九月号にかけて「白鳩」誌に連載された。しかし途中には休載の月もあり、その全部はここに収められてはいない。即ちこれらを谷口貴康氏が克明に纏めて編集して出来上がったのがこの書物である” (“はしがき 3ページ、”大聖師御講義『続々甘露の法雨講義』 谷口清超編纂” 日本教文社)


以上

 (56914)
日時:2023年03月17日 (金) 16時12分
名前:閲覧者C


誤解している方があるようですが、「著作者人格権」を持つのは、著作者である谷口雅春先生のみです(著作権法第五十九条、「一身専属性」)「著作者人格権」は「著作権(財産権)」とは性質が違って、相続も譲渡もできません。ご遺族は、「著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹)」は「著作者人格権又は実演家人格権を侵害した者に対し、」「訂正その他著作者若しくは実演家の名誉若しくは声望を回復するために適当な措置を請求する」ことができます。


「声望回復の適当な措置を請求」できるというのは「著作者人格権」を持っているからではありません。ご遺族が「名誉・声望回復」の「措置を請求できる」ということです。

言葉の使い方の問題ですが、この際、訂正させていただきます。<<



テパさんが訂正されたいのはテパさんのどの文ですか、
過去ログにありますか。

 (56915)
日時:2023年03月17日 (金) 16時23分
名前:tapir

閲覧者Cさま

私自身はご遺族が著作者人格権を持っていると書いたことは無いと思います。そう思っていませんでしたから。

他の方のご投稿で、ご遺族に著作者人格権があると書かれていることが何回かあったので、その都度、気になっていながら、これまで取り立ててコメントしないでいました。

著作者人格権の話題が多くなってきたので、著作権法と照らし合わせて、皆さまと、認識を共有しようと思った次第です。

tapir様、大変詳しくご説明くださいまして、ありがとうございました。 (56917)
日時:2023年03月17日 (金) 16時37分
名前:栞

私は、「著作者人格権」について誤解しておりました。
ご遺族の方々は、持っているのかと思っておりました。
私の思い違いを、お詫びして訂正いたします。

tapir-
>「著作者人格権」を持つのは、著作者である谷口雅春先生のみで、
厳密に言えば、ご遺族でも著作者人格権は持っていない。<

tapir-
>ご遺族でも、著作者の文を理由なく変更することはできません。“大聖師御講義『続々甘露の法雨講義』 谷口清超編纂”の意味は、単行本になっていなかった谷口雅春先生の御原稿を谷口清超先生が編纂されたものですが、御講話原稿ですから、繰り返しを省くことはあったとしても、谷口雅春先生の御文章の原意を損ねないよう、必要最小限しか直していないと思います。(参考資料2参照)<

栞ー
tapir様のご説明によれば、
>ただし、ご遺族である場合、理由があれば、
谷口雅春先生の御文章の原意を損ねないよう、
必要最小限は、直せるということですね。<

「旧仮名遣い」を、若い人や、子供たちにも読みやすくするために
「現代文」に、直すのは、セーフかしら?

しかし、『新編生命の實相』のように、生命の實相編纂会のメーバーがやった
章立ての変更や、漢字をひらがなに変えたりしたことは、
「著作者人格権」の法的にふれて、もってのほかの、アウト。

 (56919)
日時:2023年03月17日 (金) 17時40分
名前:tapir

>「旧仮名遣い」を、若い人や、子供たちにも読みやすくするために
「現代文」に、直すのは、セーフかしら?<

旧仮名遣いを新仮名遣いにするのも、旧漢字を常用漢字に直すのも、法的にはセーフです。

新編の法的な問題は、タイトルを変えたこと(『生命の實相』を”新編『生命の實相』”としたこと)、第一章、第二章を入れ替えたこと、底本(原典)に無いサブタイトルを加えたことだと、認識しています。

愛蔵版を底本(原典)にして、旧仮名遣いを新仮名遣いにする、旧漢字を常用漢字にするだけなら、法的にはセーフだと思います。

 (56920)
日時:2023年03月17日 (金) 17時55分
名前:tapir

前にも書きましたが、私は新編『生命の實相』の出版自体を、非難するつもりはありません。それほど思い入れがあるなら、どうぞ出版してください。

新編は、しかし頭注版に代えられるものではないので、頭注版、愛蔵版も、並行して、出版してほしいだけです。光明思想社にその余裕はないでしょうから、日本教文社から出版できるように、許可するのが現実的だと思います。

愛国本流掲示板の「生命の實相」様の投稿文は、頭注版(第22巻聖語篇)からの引用ですね。本流派の方が、なぜ新編から引用しないのか、関係者は考えてみてください。

ナウシカ漫画版 (56922)
日時:2023年03月17日 (金) 18時14分
名前:日野智貴

これはとてもお薦めです。特にドルク僧会の描写は生長の家信徒にとっても参考になると考えます。

この掲示板常連者の目的は何 (56928)
日時:2023年03月17日 (金) 19時18分
名前:わからない

日本教文社から出版できるように、許可するのが現実的だと思います。/tapir



頭注版発行に行き詰まりの挙げ句、違う形のものを発行したい旨の教文社の願いに対し、文庫本でどうだと総裁が言ったとか。

信徒が増えず頭注版が売れなくなったことが、事の発端ではないのか。今更許可されても売れないものは発行しないのではないか。


この掲示板では、本流叩き、教団叩きが当然のごとくされている。
ちょっと待って下さい。久保氏、前原氏、雅宣氏を引退に追い込んだとして、誰がどの金で『生命の実相』頭注版を発行するのか?

掲示板で色々言う人の未来のビジョンを聞きたいです。
世界中で『生命の実相』を必要としている人がいる。と言うけれど、それは伝道がなされて初めて成り立つことではないのか。
悩み多き人は多くいるでしょうが、生長の家に自ら進んで救いを求めに来る人はほとんどいない。

売れない本を発行するには寄付金に頼るしかないのが実情ではないか。

教団本流ともにケチをつけることばかりの人たちの真意が解せない。
「何のために掲示板で、発言を続けるのか」

伝道そのものがされず、自己満足で足りている信徒ばかりになったことがすべての始まりではないかと感ずる次第。

この掲示板の論客の人達はそこが問題ですね。 (56942)
日時:2023年03月18日 (土) 07時33分
名前:神の子

それで生命の実相なんだけど文中によく、よくでも無いか偶にパリサイ人ユダヤ教ファリサイ派てのが出てきますよね。
この掲示板の人達と似てるなって思いますよ。
言ってる事は正しいんだけどその結果誰もいなくなったのでは困りますよ。

 (56944)
日時:2023年03月18日 (土) 09時17分
名前:梶猛弩

元々、ユダヤ民族にとっての聖典であり古事記であったヘブライ語聖書(旧約聖書)が全世界共通の宗教書となったのは、
ユダヤ教とキリスト教、キリスト教とイスラム、西ローマと正教、キリスト教とイスラム教、カトリック、プロテスタント、聖公会と多くの争いがあっても最終的には万人に受け入れられたからだと思います。

自分個人としては、左右両極端に対立しながらも、「生長の家の教え」が左右両極に浸透し、日本人全体に影響を与えるという未来を想い描いていたのですが。。。

和解派の(WEB上での)旗手であるトキさんがいなくなった今、儚い夢だったと思うようになりました。

ナウシカ (56945)
日時:2023年03月18日 (土) 09時41分
名前:神の子

ユパ様だ!ユパ様!
王蟲の殻から削り出した剣を使う剣豪。

RE:信徒が増えず頭注版が売れなくなったことが、事の発端ではないのか。今更許可されても売れないものは発行しないのではないか。 (56947)
日時:2023年03月18日 (土) 11時14分
名前:本音の時代

日本教文社に継続出版の意志があったことは確認しています。ので、現在も変わっていないと信じます。

https://www.jp.seicho-no-ie.org/news/20140422/


【信徒が増えず頭注版が売れなくなった】ということは、新編にも共通していますね。

 (56948)
日時:2023年03月18日 (土) 11時20分
名前:感想R

和解派設定で登場したトキ管理人さんですが、
ここ数年、阪田氏の一件までは破邪さんに批判ネタ提供派でしたね。文章の後半に和解派風味を数行加えて着地はしておられましたが。

大体そうです。言うだけ言っといて、三正行の実践をなんたらとか、和解をかんたらと言われても、、、御自身脚下照顧〜としか。


>自分個人としては、左右両極端に対立しながらも、「生長の家の教え」が左右両極に浸透し、日本人全体に影響を与えるという未来を想い描いていたのですが。。。<

ねー。
本流を名乗る人たちが教団に過干渉すぎだと思いますね。
教団を退団する信徒を、主とする布教ターゲットとしているから
でしょうか?それぞれの道を歩めばいいのに。


立葵サンご返信が「ツッコミどころしかない」件 (56956)
日時:2023年03月18日 (土) 20時30分
名前:⊕「訊」⊕

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/mode=res&log=3610

 まあホント、この人はすごいですわ(笑)雅春先生をお守りしている体裁を整えながら、あっさりと、雅春先生を裏切っておられます(注『別冊真理』で雅春先生が触れられた各章の重要性など)。

 これは立葵サン、余計なことを書いてしまわれましたね。






追伸


 何から語ろうか.......。迷うところです。なぜなら、ツッコミどころが多すぎるためです。そして、こんな文章はまあ、反論が来ちゃうと泣いちゃいますから投稿場所は、安全地帯に限定されますね。トキ掲示板にはとても書けない内容です。

ツッコミを一点に絞りますと、 (56977)
日時:2023年03月19日 (日) 09時06分
名前:⊕「訊」⊕


 立葵サンへのツッコミです。

>>「總説篇」に續く「實相篇」或は「光明篇」についての尊師の御言葉を虛心に受け止めなければなりません。<<

 はい、そうですよね。私も同意見です。そして、立葵サンご意見に同意する私は「やはり改編はおかしい」との結論に至ります。理由は、「總説篇に續く實相篇或は光明篇についての尊師の御言葉」とは、『別冊真理』のなかで明らかにされているためです。ですから、「(雅春先生の御意向を)虛心に受け止め」るのならば、立葵サンは改編に反対なされないと辻褄が合いませんよね。

 以上が、私から立葵サンへの疑問でした。まあ、貴女には返信されるだけの力量も誠実さもナイでしょうから特に、レスを求めるものではありませんが(笑)

 (56990)
日時:2023年03月19日 (日) 11時16分
名前:神の子

光明思想社の真理は10巻までで別冊てないんですが…
たまたま…ですかね?

『新編 生命の實相』第55巻は、2023年4月5日(水)に発売されるとネットに載っていました。 (57006)
日時:2023年03月19日 (日) 15時42分
名前:志恩

『新編 生命の實相』 第55巻 道場篇 弁道聴き書き(下)」
■著者 谷口 雅春
■責任編集
  公益財団法人生長の家社会事業団 
  谷口雅春著作編纂委員会
■定価 1,676円(税込)
■発行日 令和5年4月5日
■四六判・上製
■216頁
--------------------------------
ちなみに
『新編 生命の實相』第54巻、
道場篇  弁道聴き書き(上)は、
2023年2月23日に発売されています。

全巻65巻ですから、あと10巻ですね。
-----------------------------------
神の子様ー
>光明思想社の真理は10巻までで別冊てないんですが…
たまたま…ですかね?<

志恩ー
光明思想社の真理については、調べてみていないので、
わかりません。

 (57039)
日時:2023年03月19日 (日) 19時37分
名前:神の子

そういう事言ってるんじゃないんですよね。
文章が読めても文脈が読めない人ですな。

別冊真理に章の順番の重要性が書いてあるから突っ込まれないように意図的に別冊真理だけ出さないのかな?と思った次第。

神の子様へ (57041)
日時:2023年03月19日 (日) 19時49分
名前:志恩

『新編 生命の實相』が、何巻まで出たのか、
調べただけで、精一杯のわたしですんで、

人にイチャモンつける時間がありましたら、
光明思想社の真理が、どうたら、なんてことは、
ご自分で、調べてみられた方が、より早く
わかると存じます。

 (57046)
日時:2023年03月19日 (日) 21時09分
名前:宇在神(今風に言うと)

名前:志恩

『新編 生命の實相』が、何巻まで出たのか、
調べただけで、精一杯のわたしですんで、

人にイチャモンつける時間がありましたら、
光明思想社の真理が、どうたら、なんてことは、



あなたに調べてなんて一言も頼んでない。

勝手にしゃしゃり出て、見当違いの投稿し、挙句に、「イチャモンつける」と非難する。

どうにも救いようがないご老人。

別冊真理はなぜ出版されないのか。 (57060)
日時:2023年03月19日 (日) 23時02分
名前:本音の時代

別冊真理だけは社会事業団の検印がないのですよ。不思議ですね。
真理シリーズは別冊込みで完全版になると思います。
いわば光明思想社刊の真理シリーズは欠陥版になるのではないかと。
これでは谷口雅春先生の教えを正しく伝えていくことはできないのではないでしょうか。

著作権がらみで出版できないのか、それとも、社会事業団にとって都合が悪い重要な章立ての記述があるから出版できないのか、謎であります。

そのうち、こうならないか (57066)
日時:2023年03月20日 (月) 07時55分
名前:⊕「訊」⊕


 『別冊真理』には総説編等の重要性が触れられていますが、そのうち、「別冊真理は我々命懸けで運動している者を否定してる!」とか、言い出したりしないか心配です(笑)

立葵サン、完全なる敵前逃亡。 (57162)
日時:2023年03月21日 (火) 21時08分
名前:⊕「訊」⊕


 立葵サン、貴女は完全なる敵前逃亡をなさいましたな。いやホント、すごいお人ですわ。

おかしな人を見かけたら相手せず逃げませう (57163)
日時:2023年03月21日 (火) 22時42分
名前:宇在神

 『別冊真理』には総説編等の重要性が触れられています>>


これについては彼女書いてるけど意味わからんのかな。
初版の『生命の實相』と『久遠の實在』では「総説篇」の立て方が今の『生命の實相』とは違うと、これは私も指摘したこと。

大体どこに何が書いてあるかなんて学者に成る訳でもなく、「真理」本当のことを知るために読むのに、『生命の實相』を一巻から続けて四巻まで読まなければいけない、なんてことだったら、ほかのシリーズものを読んだのでは真理を知ることができないと言わんばかりの言い草だ。

何のためのシリーズものなんだろう。印税稼ぎかと勘繰りたくなるというものだ。




@ 以上が、私から立葵サンへの疑問でした。まあ、貴女には返信されるだけの力量も誠実さもナイでしょうから特に、レスを求めるものではありませんが(笑)>>


A立葵サン、貴女は完全なる敵前逃亡をなさいましたな。いやホント、すごいお人ですわ。>>


昔から「逃げるが勝ち」と言われてる。敵だ味方だなんて分け隔てする人間の相手するほど暇じゃない、が本音かも。

「君子危うきに近寄らず」鵜の目鷹の目の刃物を持つお吉には近づかないほうが良い、が彼女も含め第二の投稿者かもと思う。何故なら

@で「レスを求めるものではありませんが(笑)」と笑い飛ばし屁馬鹿にしながら、Aで「敵前逃亡したすごい人」嘲笑う、こんな二重人格というか、すぐ自分の言ったこと忘れるお吉とは関係持ちたくないのも納得。

連戦連勝ですな(笑) (57164)
日時:2023年03月21日 (火) 23時31分
名前:⊕「訊」⊕

>>昔から「逃げるが勝ち」と言われてる。<<

 ってことは立葵サン、連戦連勝ですな(笑)。他にも連戦連勝な方がおられますが(笑)

 (63464)
日時:2024年02月19日 (月) 21時42分
名前:観覧者

理事長、学ぶ会代表は辞任レベルの失態

「も」の指し示すのは (63472)
日時:2024年02月20日 (火) 16時32分
名前:「え」……中立だけど曲解の印象操作はノー

「も」は
普通の注意と読み方をすれば

一審の地裁
二審の知財高裁「も」



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