生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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立葵様の正論!「頭注版のそのままの再出版には反對です」 (57332)
日時:2023年03月25日 (土) 09時26分
名前:神聖なる宇治

立葵様の投稿を読ませていただき、頭注版に拘る皆様の主張は的を射ないとの思いを強く抱きました。以下、引用させていただきます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
合掌
 以前にも申し上げたことがありますが、私は頭注版の編輯・出版に從事された方々に敬意を抱いてをりますし、~緣深く御ヘへに結ばれて頭注版を讀み繼がれてこられた無數の方々の御足跡を仰ぎ見るばかりです。
 しかしながら、頭注版のそのままの再出版には反對です。その理由は、次世代に御ヘへをつないでゆく聖典が、先の世代の方々の、御自分が親しんでこられたといふ愛着の念のあまり、時代に卽して當然行はれるべきリニューアルを拒んで負の側面をも次代に押しつける弊害を定着させてしまひかねないからです。

 リニューアルとは、ここでは單に装幀を一新する「改装」のことだけではなく、頭注版が初めて施した謂はば革命的な文字表記の變更と既に60年ほどが經過して還曆を迎へた頭注の説明文の見直しとを指してをります。

『広辞苑』を始めとする辭書類や事典類は原著者の歿後にも絶えず改訂が續けられてゐることは申すまでもありません(『広辞苑』の場合、新村出博士御昇天後久しい平成30年に第七版)。
 例へば頭注版第36巻26頁に「ジフテリア」の語注として「法廷伝染病の一つ。」といふ説明がありますが、法定傳染病は「伝染病予防法」によつて定められてゐた疾患のことでしたがこの法律は平成11年に感染症法の施行によつて廢止されました。ですから今日では法定傳染病の元となる法律が存在しなくなつたため、當然注記にも改訂が必要となるかと思ひます。

 元々聖典には頭注も脚註もなかつたのだし、意味がわからなくても『生命の實相』を持つてゐるだけで救はれたり、意味のわからない幼少年に讀んで聞かせるだけで癒されたりすることも勿論あります。眞理の言葉の力、~韻の功コに只々合掌の思ひです。
 ですからいつでも誰でも杓子定規に註釋を見るべきだなどと申し上げるつもりはありません。
 ただ、ここでは註記を參照する場合について申し上げます。

 頭注も脚註も大切な本文を活かすためのあくまでも脇役ですが、後發の新編の脚註はプラスアルファの足し算の註記であると感じます。
 足し算によつて谷口雅春先生の記された一つ一つの御言葉の奥深くに内包されてゐる眞意に少しづつでも、より近づいていつて、つい讀み流してしまひさうな言葉の背景を振り返るきつかけを私は與へられます。それには二つの面があります。

 一つは、頭注版以前の時代には誰でも知つてゐたであらう言葉であつても、あまり知らないかもしれない次の世代に向けたかのやうにわざわざ註記の項目として取り上げてゐること。
(例)
 『生長の家』誌
 『生命の實相』
 誌友、誌友會
 明治天皇、明治~宮
 火鉢
 レコード
 印畫液
 活動冩眞のフイルム(大切な譬喩なるもデジタル化時代のZ世代に實感ありや?)
 女中さん
 蓄音機、サウンドボックス(聖典講義篇には眞理を感受する要としての譬喩)
 ネオンサイン(現代はLEDに移行の過渡期)
 中學校、中學生(現代の高校生前後。今の中學生よりも年上)
 一圓、百圓等々の貨幣價値(現代は約2,000倍から3,000倍に換算。それを忘れて今の感覺で讀むとありがた味が薄れる)


二つには、敗戰後には學校でほとんどヘへられなくなつた日本民族のありのままの姿
(例)
<言霊の幸(さきは)う国> 言葉に宿る霊力が栄えて幸福をもたらす国。日本の別称(新編第47巻6頁の脚註)
(頭注版第30卷5頁の頭注は「言霊」と「幸う」それぞれの單獨の意味を掲出、二つ合はせて日本の國のことだとは言及なし)

<歌を詠んで雨を降らす> 例えば『万葉集』巻十八には越中国守の大伴家持が詠んだ雨乞いの長歌と反歌、続いて雨が降った喜びの歌がある(四一二二〜四一二四) (上記に續く新編第47巻6頁の脚註)(頭注版第30卷5頁には注記無し)

<アナカシコ> あなかしこ。感動詞「あな」と形容詞「かしこし」の語幹。ああ、おそれ多い。ああ、もったいない。また、手紙の終わりに用いて相手に敬意を表す語
(新編第47巻93頁の脚註。靈感で自働書記する人が「ア」と書き「ナ」と書いたので次は「タ」と書くか、それとも「アナカシコ」か、といふ文脈) (頭注版第30巻64頁には注記無し)

<五色の酒> 比重の異なる五色のリキュールをコップに入れて五色の層を造ったカクテル。平塚らいてうが創刊した『青鞜』に記載されたため話題となった
(新編第53巻71頁の脚註) (頭注版第33巻135頁には注記無し) 
(谷口雅春先生は當時「新しい女」と呼ばれた平塚らいてうさん等の著名な女流文學者や女流歌人と交流がおありで『生命の實相』女性ヘ育篇等隨所で「新しい女」の語を引かれました。そのやうな時代背景のさなかに生長の家の新しい女性運動としての白鳩會と『白鳩』誌とが誕生しました。)


<鴨緑江節(おうりょっこうぶし)> 大正年間に流行した俗謡。和歌山県の熊野地方から出稼ぎに行った筏師(いかだし)が当地で歌って後に日本各地に伝わった。鴨緑江は現在の北朝鮮と中国との国境の大河で日清・日露戦争の戦場にもなった
(新編第55巻92頁の脚註) (頭注版第33巻177頁には注記無し)

 この場面は、夫婦で御ヘへに救はれた兼井さん夫妻の夫人が生長の家の御ヘへで光明化された工場が完成した祝賀會の宴席で「鴨麹]節(あふりょくかうぶし=おうりょっこうぶし)」の替歌を歌つて踊つたといふものです。

(以下引用)
「……先頃この工場の出来た祝賀会を催すことになり、工場の皆様に静岡県の私宅まで来て頂きました。その席上鴨緑江節に合せて歌を作りまして、一同で歌い、主人が振附をして又一同で踊ったりしたのでございます。その歌はこういうのでございます。ちょっと歌ってみます。」こういって兼井夫人は何のわだかまりもない朗かさで歌われた。その歌は次の通りであった。
「生長の家の 家族の
    あるその中で ヨイショ
いとも名高きアリャ製作部よ
    無限に 生長する チョイチョイ」
     (新編『生命の實相』第55巻91・92頁)

「鴨麹]節(あふりょくかうぶし=おうりょっこうぶし)」といふ歌を私は全く知りませんでした。今まで讀み流して特に調べたりもしませんでした。ところが上のやうな時代背景を持つた歌であり、その頃の人々の多くが知つてゐて愛唱してゐたから宴を盛り上げたであらうことをこのたびヘへられました。
 皆で樂しんだといふ替歌の元はどんな曲だらうかと調べてみますと、國立國會圖書館でも音源が視聽できますし、YouTubeにも例へば次の方々による歌唱など、さまざまなものがあることがわかりました。
(敬稱略。土取利行、春日八郎、東海林太郎、日本大衆文化倉庫等)

 當時、滿洲への入口として渡し舟ならぬ渡し筏が國境の大河鴨麹]を流行歌を生むほど往來したこと、滿洲で生きたあまたの先人がいらしたこと、そこで中林政吉先生を筆頭に生長の家の御ヘへも懸命の努力で大いに宣布されて谷口雅春先生も巡錫なさつたこと、戰局の惡化と共に内地で困難となつた聖典の出版の一部を擔つたこと等、さまざまなことがまた思ひ起されました。

 満洲での我が國の先人の營みを、距離をもつた上から目線で暴走と論斷する日本人もおいでのことは遺憾です。
 歷史の光と影との兩面を檢證することは大切なことです。しかし、そこに現實に生きて信仰した方々の魂を同じ日本民族の後世を托された者として寄り添つて振り返る立場があれば、たとひ至らざりし點を指摘するにしても暴走などといふ言葉で表現することはあり得ないと思ひます。

 頭注や脚註の扶けも借りて聖典を拜讀するにあたり、附隨して思ひ至つたことをも併せて述べさせていただきました。
   再拜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3610

どうして皆様が頭注版に拘るのか、私には理解できません。

せっかく安全地帯から吠えておられるのに(笑) (57335)
日時:2023年03月25日 (土) 09時41分
名前:⊕「訊」⊕


 反論が怖いから立葵サンは、あっちに書いておられるのですよ?せっかく安全地帯から吠えておられるのに、それをわざわざコピペなさるとは(笑)

 残酷な方ですね。

 (57385)
日時:2023年03月25日 (土) 12時36分
名前:tapir

神聖なる宇治さんに質問します。

谷口雅春著作編纂委員会の編纂責任者名を教えてください。

>『広辞苑』を始めとする辭書類や事典類は原著者の歿後にも絶えず改訂が續けられてゐることは申すまでもありません(『広辞苑』の場合、新村出博士御昇天後久しい平成30年に第七版)。(立葵さま)<

>新村出博士御昇天後久しい平成30年に第七版<

広辞苑第七版改定の編纂責任者名は、もちろん公表されていると思います。

一方、「谷口雅春著作編纂委員会」の編纂責任者名は、未だに公表されていません。(もしかして立葵さんですか。)

編纂責任者名が非公表の、無責任体制のままでは、新編『生命の實相』の権威は保てないでしょう。編纂責任者名を明らかにできない書物は、聖典とは言えません。世間の常識から逸脱しています。

勿論、頭注版に拘る必要は感じません (57386)
日時:2023年03月25日 (土) 13時26分
名前:アクエリアン

神聖なる宇治さん

>どうして皆様が頭注版に拘るのか、私には理解できません。

私は、頭注版に拘る必要は感じませんね。

新編も広く読まれればいいんじゃないでしょうか。

そして、頭注版に愛着を感じられている人も多いでしょうから、こちらも出版すればいいのではないでしょうか。

兎も角、いろいろな版で、リニューアルを重ねながら、出版できる体制を整えられないか、これは本音の時代さんの一貫した主張ですね。

生長の家の信仰者同士が裁判なんかやっている場合じゃないと思うのですが、そのエネルギーを、いかにすれば、多くの人に読んでもらえるか、に注ぐべきではないか、と強く思います。

なぜ、光明思想社刊にこだわるのでしょうか?日本教文社は嫌いだから? (57387)
日時:2023年03月25日 (土) 13時56分
名前:本音の時代

それと、電子書籍版は発行しないのでしょうかねぇ。
価格は下げられると思うし、スマホ・タブレット・パソコンでも読めて利便性が良いのに。
また、章立ては考えないとねぇ。

今の時代にそぐわないという理由で「頭注」または、「脚註」を今の時代に合わせて変えるべきという立葵さんのご意見について (57388)
日時:2023年03月25日 (土) 14時32分
名前:栞

第二掲示板より

立葵ー

><新編『生命の實相』の脚註は足し算の脚註>
谷口雅春先生御生誕130年の佳き年にあたり、先生の御文章に漲る~韻と言靈との世界に超入いたしませう

合掌
 以前にも申し上げたことがありますが、私は頭注版の編輯・出版に從事された方々に敬意を抱いてをりますし、~緣深く御ヘへに結ばれて頭注版を讀み繼がれてこられた無數の方々の御足跡を仰ぎ見るばかりです。
 しかしながら、頭注版のそのままの再出版には反對です。その理由は、次世代に御ヘへをつないでゆく聖典が、先の世代の方々の、御自分が親しんでこられたといふ愛着の念のあまり、時代に卽して當然行はれるべきリニューアルを拒んで負の側面をも次代に押しつける弊害を定着させてしまひかねないからです。

 リニューアルとは、ここでは單に装幀を一新する「改装」のことだけではなく、頭注版が初めて施した謂はば革命的な文字表記の變更と既に60年ほどが經過して還曆を迎へた頭注の説明文の見直しとを指してをります。

『広辞苑』を始めとする辭書類や事典類は原著者の歿後にも絶えず改訂が續けられてゐることは申すまでもありません(『広辞苑』の場合、新村出博士御昇天後久しい平成30年に第七版)。
 例へば頭注版第36巻26頁に「ジフテリア」の語注として「法定伝染病の一つ。」といふ説明がありますが、法定傳染病は「伝染病予防法」によつて定められてゐた疾患のことでしたがこの法律は平成11年に感染症法の施行によつて廢止されました。ですから今日では法定傳染病の元となる法律が存在しなくなつたため、當然注記にも改訂が必要となるかと思ひます。

 元々聖典には頭注も脚註もなかつたのだし、意味がわからなくても『生命の實相』を持つてゐるだけで救はれたり、意味のわからない幼少年に讀んで聞かせるだけで癒されたりすることも勿論あります。眞理の言葉の力、~韻の功コに只々合掌の思ひです。
 ですからいつでも誰でも杓子定規に註釋を見るべきだなどと申し上げるつもりはありません。
 ただ、ここでは註記を參照する場合について申し上げます。

 頭注も脚註も大切な本文を活かすためのあくまでも脇役ですが、後發の新編の脚ちゅしゃく註はプラスアルファの足し算の註記であると感じます。
 足し算によつて谷口雅春先生の記された一つ一つの御言葉の奥深くに内包されてゐる眞意に少しづつでも、より近づいていつて、つい讀み流してしまひさうな言葉の背景を振り返るきつかけを私は與へられます。それには二つの面があります。<




栞ー
説かれた真理は、変わりませんが、昭和初期の時代に書かれた
頭注版の注釈と、現代に於ける注釈は、
時代の進歩とともに、喩えは、変わって当然です。

しかし、そんなことを言うのでしたら、日進月歩の激しい今の時代の
科学や医学情報と、今から10年先、20年先の科学や医学情報は
今のものとは、全然別物になっている可能性がありますが。
それについては、どうお考えなのでしょう。

つづく

たとえば昭和初期の文豪の、次のような作品,一つとっても、今の時代では、ありえないようなその時代特有のことが書かれています。今の時代ではナンセンスな事柄が描かれています。 (57389)
日時:2023年03月25日 (土) 14時55分
名前:栞

📕森鴎外著『雁』

📕谷崎潤一郎著『細雪』

📕太宰治著『斜陽』


栞ー
今の時代では、ないことだからと、いちいち 注釈を変えなくても、ああ、
昭和初期とは、こうゆう時代だったのか、という時代背景のことまで
伝わるじゃないですか。

「生命の實相」にも、それがいえませんか。

「新編生命の實相」を出したのだから、谷口雅春先生の「生命の實相」を
我々が守ったのだと言うような、おかしな勘違いを、あなた方はされていませんか。

「新編生命の實相編纂委員会メンバー」
とは、いったい誰と誰なんですか、

誰と誰が、あのように谷口雅春先生が著された「生命の實相」の
章立てなどを変えたんですか。

再度書きます。
正直にお答えください。
「新編生命の實相編纂委員会メンバー」とは、誰と誰なんですか。


私は、「新編生命の實相」は、あと10巻で全巻揃うのですから、それはそれで
いいと信徒の一人として思っております。

しかし「新編生命の實相」を出したからと言って、元々の「頭注版 生命の實相」
は、この世から消し去ったままでいいと言うことは、絶対にありえないことだとも
思っております。

谷口雅春先生が、認められた「生命の實相」は、守ってなどいません。

以下の作品も、今の時代にそぐわない時代背景の喩えが描かれています。 (57390)
日時:2023年03月25日 (土) 15時54分
名前:栞

📕幸田露伴(こうだ ろはん)
『五重塔』(1891年)

📕樋口一葉
『たけくらべ』(1895年)

📕尾崎紅葉(おざき こうよう)
『金色夜叉』(1897年)

📕与謝野晶子(よさの あきこ)
『みだれ髪』(1901年)

📕夏目漱石
『吾輩は猫である』(1905年)

栞ー
谷口雅春先生の「生命の實相」は、宗教書であると同時に
哲学の書であります。
ですから、その時代背景も、当時の喩えも、込みで大事なものなのです。
勝手に変えてはいけないものなのです。

これでもわからないと言う方々のために (57391)
日時:2023年03月25日 (土) 16時13分
名前:栞

幼いお子さんでもわかるように食べ物のことで喩えます。

もともとの「鯛焼き」や「大判焼き」は、”粒あん”入りのものでした。

しかし、新種の 「鯛焼き」や「大判焼き」を作りました、
新種のは、”カスタードクリーム”をあんにしたものを作りました。

新種の”カスタードクリーム”入りの「鯛焼き」や「大判焼き」を作った
人たちは、われわれは、「鯛焼き」や「大判焼き」を守ったのだと
豪語しています。

この世から、もともとの、”粒あん”入りの「鯛焼き」や「大判焼き」を
いっさい売らなくして。

この世から、もともとの、”粒あん”入りの「鯛焼き」や「大判焼き」を
無くして。

私たちが言いたいのは、

確かに、”カスタードクリーム”入りのも
「鯛焼き」や「大判焼き」に違いありません。

でも、私たちが、たいせつだと 心底思い、求めているのは、
もともとの、”粒あん”入りの「鯛焼き」や「大判焼き」なのです。

ところで、『生命の實相』の著作権の範囲は? (57392)
日時:2023年03月25日 (土) 16時32分
名前:本音の時代

頭注部分は入るのですか?
注釈は入るのですか?
ご存じの方はお願いします。

考えられません。 (57396)
日時:2023年03月25日 (土) 19時46分
名前:⊕「訊」⊕

 以前tapirさまがお使いになられた喩えで考えますと、「ロダンの考える人の彫刻」ですがこれを、著作権者を名乗る者が右腕と左腕を勝手に切り離して入れ替えたとしましょう。それ、素晴らしいですか?
 そして新編についてです。これには章の改編が加えられてますけど、それを素晴らしいとおっしゃる方の感覚が私には分かりませんね。

 ・・・とは言え日本は広いのです。「右腕と左腕を取り替えたって素晴らしい!」な方もおられます。ご紹介しますが、

>>そのやうな狀況下で取り組まれてゐる新編のリニューアル事業には、今日出來得る最大限の繼承の形を摸索し續けてゐる軌跡が見てとれます。<<(立葵)


 てな感じです。(『別冊真理』を読まれててもこれです)私には考えられませんね。





参考

>>「谷口雅春先生が生長の家社会事業団に『生命の實相』の著作権を寄付されたのは『生命の實相』の印税によって神の国寮の運営のためであって、本を出版するためではなかったのに、どうして先生のお心にそむくことをするのでしょうか」(谷口恵美子先生)<<

 (57448)
日時:2023年03月26日 (日) 13時11分
名前:tapir

神聖なる宇治様

>立葵様の投稿を読ませていただき、頭注版に拘る皆様の主張は的を射ないとの思いを強く抱きました。以下、引用させていただきます。<

引用には、責任がともないます。「引用」された神聖なる宇治様には、立葵様に替わって回答する責任が生じています。


質問1:「谷口雅春著作編纂委員会」の責任者名に公表について、ご回答をお待ちしています。「千と千尋の神隠し」の「顔無し」のようでは、社会的な責任を果たしていません。

逃げないで答えてください。

 (57450)
日時:2023年03月26日 (日) 13時27分
名前:tapir

神聖なる宇治様

頭注については、長くなるので、別スレッドを立てます。

デジタルの時代にも対応すべきではないか (57474)
日時:2023年03月26日 (日) 22時44分
名前:アクエリアン

本音の時代さん、

>それと、電子書籍版は発行しないのでしょうかねぇ。
価格は下げられると思うし、スマホ・タブレット・パソコンでも読めて利便性が良いのに。
また、章立ては考えないとねぇ。

新編はまだ電子版は発刊されていないようですが、著作権者である生長の家事業団としても、考えておられるのでは。

それと共に、生長の家誌、白鳩誌、理想世界誌、などの機関誌のアーカイブの充実も、生長の家教団に期待したいのですが、現教団では無理か。

現教団総裁の愛読誌であるアメリカのタイム誌のようなアーカイブがあればいいのになあ、とずっと願ってきたのですが、なかなか実現しそうにないですねえ。残念

タイム誌は創刊号から購読者にはすべてネット上で読むことができるようにアーカイブが整えられています。

私はタイム誌のようなアーカイブがあれば、信徒や生長の家に関心のある人にとって、どれだけ便利で、ありがたいか、と思っています。

生長の家誌、白鳩誌、理想世界誌など、創刊号から最終の号まで、主に、谷口雅春先生の毎月の法語などを拝読できないものか。

タイム誌のアーカイブは、検索しやすく非常に便利で、こんな感じのアーカイブを作ってくれたら非常にありがたいのですが・・・・


タイム誌創刊年
https://time.com/vault/year/1923/
大東亜戦争開戦の年
https://time.com/vault/year/1941/
終戦
https://time.com/vault/year/1945/
サンフランシスコ講和会議の年
https://time.com/vault/year/1951/
60年安保の年
https://time.com/vault/year/1960/
東京オリンピック開催の年
https://time.com/vault/year/1964/
大阪万博、三島事件の年
https://time.com/vault/year/1970/
タイム誌の中で、最も話題を呼んだ号
"Is God Dead?"
https://time.com/vault/year/1966/



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