生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

この掲示板は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。
生長の家創始者・谷口雅春先生のご人格や教えへのご批判をされる内容の投稿は一切許可しません。
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
アラシ投稿や他の投稿者様を誹謗中傷する投稿をする人は、警告なしに削除します。また、アラシ投稿をする人は投稿制限をかけます。
以上の方針に同意された方のみ入室してください。
一般論として、オンライン上の投稿に対して、仮に正当な内容の言論であっても、名誉棄損などを理由にして情報開示請求を行う人が世間には一定数存在します。投稿される方は、そのような攻撃を避けるため、気を付けてくださるようにお願いします。

管理人宛の連絡は、 sandaime-kanrinin@ymail.ne.jp へお願いします。

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

際どい話題は、「生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)」にお願いします。

傍流掲示板

別天地の掲示板です。
名前
メールアドレス
スレッド名
本文
画像
URL
削除キー 項目の保存


残念かな、残念かな (58059)
日時:2023年04月16日 (日) 22時16分
名前:聖典拝読

残念な気持ちになったのでここに記す

妻が県外の友人に『生命の實相』を勧めて、
その友人は早速買って読んだそうなのですが
やはり一般人には難しかったみたいで
「本の内容について聞きたいことがある」と
連絡がありzoomでお話を聞くことに。

お話の前にこちらも
頭注版『生命の實相』第一、ニ巻と三部経を
手元に用意してスタンバイOK
zoomが始まり、挨拶もそこそこに本題に入り、
「この『生命の實相』を読んだんですが」と
出されたのが新編『生命の實相』第一巻。
それはそれでOKとし
頭注版とページ数を突き合わせて
やりとりすればなんとかなるかと思い
話を進めていたんですが

話の流れで
「『生命の實相』頭注版に序して」の中の
《AがBに変化することが可能なためには…》
の箇所が生命(實相)について
分かりやすく説明されているから
そこを使おうと思い、
新編のどこかにあると思うので
探してほしいと伝えると
どこにも載ってないとの回答。
困った私は先生の御文章を朗読して口頭で説明し
相手になんとか内容を伝えました。

また、
「言葉の力」の活用のことで
頭注版『生命の實相』第一巻
「心の世界における運命の形成」の中の
140?ス?142頁の箇所も新編にはなく、
これも朗読と口頭で説明。

新しい方と話をするのに
大事な御文章が新編の第一巻にないのが
ただただ残念でなりませんでした。

章立て変更にこんな弊害があるとは思いませんでした。

※上記の御文章が新編『生命の實相』第一巻にあるようでしたら、
見つけ方が悪かったのだと思いますので
改めましてお詫び・訂正させていただきます。

持ってたので報告のみ (58060)
日時:2023年04月17日 (月) 00時47分
名前:中立派

>「『生命の實相』頭注版に序して」の中の
《AがBに変化することが可能なためには…》
の箇所
は、新編『生命の實相』第二巻
「『生命の實相』の頭注版に序して」Z,[ページ

>「言葉の力」の活用のことで
頭注版『生命の實相』第一巻
「心の世界における運命の形成」の中の
140~142頁の箇所
は、新編『生命の實相』第二巻145,146ページ

尚、新編『生命の實相』第一巻巻頭には
愛蔵版第一巻に序す
はしがき(初版 序文)

中立派さま、ありがとうございます。 (58061)
日時:2023年04月17日 (月) 02時50分
名前:聖典拝読

新編、第二巻に御文章があったんですね。

彼には
新編でもいいから『生命の實相』の熟読を勧めましたが
その方は谷口雅春先生を特別に信奉しているわけでもなく
他にも読みたい本があるので
第二巻の購入はしないと仰られ
機会があれば購入してくださいとお願いするに留まりました。

私の個人的な感想で言うと
メルカリやヤフオク、ラクマなどで
中古の頭注版が安く出品されているので
そちらを勧めるようにしたいと思い
妻にもこれからそのように勧めるよう伝えました。

 (58064)
日時:2023年04月17日 (月) 11時48分
名前:tapir

聖典拝読様

貴重なご体験を投稿して下さり有難うございます。生きた伝道体験は、心に響きます。

>話の流れで
「『生命の實相』頭注版に序して」の中の
《AがBに変化することが可能なためには…》
の箇所が生命(實相)について
分かりやすく説明されているから
そこを使おうと思い、
新編のどこかにあると思うので
探してほしいと伝えると
どこにも載ってないとの回答。<

私が初めて頭注版『生命の實相』を読んだとき、“『生命の實相』頭注版に序して」の中の
《AがBに変化することが可能なためには…》“のご説明を読んで谷口雅春先生の理論的なご説明に、何て頭のいい方だろうと、驚嘆し、それから『生命の實相』にぐんぐん引き込まれて、「ここに自分が探し求めていた宗教があった」と深く感動し、『生命の實相』全巻を読もうという意欲が湧き、練成会を受講しようという気になりました。

あの流れでなく、第二巻「光明篇」(新編第一巻)から読んでいたら、あの感動は無かったと思います。度肝を抜かれる意外性が、まぶしいばかりの光明だったのです。

>彼には
新編でもいいから『生命の實相』の熟読を勧めましたが
その方は谷口雅春先生を特別に信奉しているわけでもなく
他にも読みたい本があるので
第二巻の購入はしないと仰られ
機会があれば購入してくださいとお願いするに留まりました。<

第一印象は大切です。第一巻を読んで、惹きつけられるものがなければ、次の巻の購買に結びつかないでしょう。

私見ですが、第一巻と第二巻の「実相篇」と「光明篇」の入れ替えは、『生命の實相』全巻の魅力を著しく低減させたと思います。(「著作権は事業団にあるんだぞ」としつこく説明する編集者のはしがきも余分に思われます。)光明化運動に使用するテキストにふさわしいとは思えません。

中立派様の親切なご説明は有難いことですが、くわしい説明がなければ、頭注版で運動してきた人と、新編を読んだ人の間が断絶されてしまうことが、円滑な運動の阻害要因になると思います。「本流派」の皆さんは、そういう阻害要因解消対策は考えていらっしゃるのでしょうか。阻害要因を上回るメリットが新編にあるのでしょうか。

頭注版と新編と、どちらかを新しい読者にプレゼントするなら、私も頭注版を選びます。頭注版が手に入らなくても、今の新編はプレゼントしません。

聖典拝読様のご体験を読みながら、「頭注版を返してください」と、慟哭したくなりました。

私も心の底からの (58066)
日時:2023年04月17日 (月) 12時17分
名前:志恩

慟哭です。

「頭注版を返してください」


「頭注版を返してください」


「頭注版を返してください」

ご意見、ありがとうございます。 (58071)
日時:2023年04月17日 (月) 19時59分
名前:聖典拝読

みなさま、ご意見ありがとうございます。
みなさまのご意見にいちいち納得して感嘆して読ませていただきました。

信徒行持要目に
「全ての人に物に事に行き届くべし」
とありますが
新編を作成する際に
文字数頁数やら利益に重点をおいて
「救う」という事に重点を置かったのではないかと
思ってしまいます。
読みやすくはなったとは思いますが
今回のような事態が発生したということは
やはり、行き届いてなかったように感じます。

新編を作成する前に
頭注版を持っている古い信徒、
新編を買われる新しい方々(学ぶ会々員、一般人)
がうまく交流できるような智慧を
神様からいただかなかったんでしょうか?
逆にいただけなかったのかも知れません。
人間智慧で考えた章立ては「救い」に遠いと感じました。

また、
頭注版 第30巻 児童教育篇・聖典講義篇
 総ページ数 302頁
頭注版 第32巻 宗教戯曲篇
 総ページ数 139頁

倍以上違うページ数でも同じ金額で頒布していたということは谷口雅春先生が章立てを大事にされていたと拝察いたします。

そしてまた、
表紙も一般受けするものでないのが悲しいです。
表紙は本の顔です。
「ジャケ買い」という言葉もあるように
表紙の印象で買っていく人も多数います。
昭和の『生長の家』の熱心な信徒なら
『生長の家大神』の御神像を見てありがたく思い購入するかも知れませんが
一般の人が
どこのお爺さんか分からない石像の写真を見て買っていくことはないのではないかと。
よほどの神縁がない限り一般の方は手に取ることもなく、買わないでしょうね。

表紙といい、金額といい、章立てといい
一般人に売りたくないのではないかと勘繰ってしまいそうです。

 (58090)
日時:2023年04月18日 (火) 17時01分
名前:tapir


聖典拝読様

>新編を作成する際に
文字数頁数やら利益に重点をおいて
「救う」という事に重点を置かったのではないかと
思ってしまいます。<

立葵さんの投稿文を読んでいると、読者を「救う」ことより、自分たちの努力を分かってほしいという気持ちが先立っている気がします。読者が置き去りにされている感があります。

>新編を作成する前に
頭注版を持っている古い信徒、
新編を買われる新しい方々(学ぶ会々員、一般人)
がうまく交流できるような智慧を
神様からいただかなかったんでしょうか?<

立葵さんの投稿が、新編を作成した人たち(編纂委員会)の思いを代弁しているとしたら、作成者は、頭注版を持っている古い信徒には「頭注版を使わせることに反対」という考えであり、同時に、生長の家を知らない一般人が手に取りやすくすることは考えていなかったのではないかと思ってしまいます。自分たちの納得の行くものにしたかったという思いばかりが伝わってきます。

「古い信徒」と「学ぶ会会員、一般人」という以前に、「学ぶ会」内部でも意見を吸い上げる過程を経ていない気がします。「学ぶ会」には、元本部講師、元教化部長が何人も在籍しているようですが、新編編纂にあたり、その人たちの意見を聴取していないように思います。立葵さんの見方は、生長の家の教化活動、新人への伝道にかかわった経験のある地方講師、本部講師の見方とは、大きくへだたっているからです。新人に教えを伝えたいという熱意が感じられません。自分たちの伝えたいことがこれだということばかりに関心があるように見えます。

>倍以上違うページ数でも同じ金額で頒布していたということは谷口雅春先生が章立てを大事にされていたと拝察いたします。<

1冊を200頁以内にそろえるという物量にこだわらず、その1冊が統一した形で伝える神様の言葉の構成を大切にされたのだと思います。

>表紙も一般受けするものでないのが悲しいです。
表紙は本の顔です。
「ジャケ買い」という言葉もあるように
表紙の印象で買っていく人も多数います。
昭和の『生長の家』の熱心な信徒なら
『生長の家大神』の御神像を見てありがたく思い購入するかも知れませんが
一般の人が
どこのお爺さんか分からない石像の写真を見て買っていくことはないのではないかと。
よほどの神縁がない限り一般の方は手に取ることもなく、買わないでしょうね。<

同感です。頭注版や新版『真理』、365章シリーズ、生長の家の主な本は、宗教嫌いの人でも何気なく手に取れる表紙が使われています。谷口雅春先生の生長の家は「宗教運動というよりは、哲学思想運動として出発した」という「『生命の實相』頭注版に序して」のお言葉を形に表されたのだと思います。

++++++
“最初、生命の實相%N学をわたしの個人雑誌『生長の家』で発表した者であって、これは宗教運動というよりは、哲学的思想運動として出発したのであるが”
(『生命の實相』頭注版 第1巻 5頁)
++++++

>昭和の『生長の家』の熱心な信徒なら
『生長の家大神』の御神像を見てありがたく思い購入するかも知れませんが<

私も昭和の信徒で『生長の家大神』の御神像は素晴らしいと思いますが、『生命の實相』の表紙、それも65巻全部の表紙になると、所を得ていない、居心地の悪い気がします。頭注版のように、宗教を感じさせないデザインの方が「哲学思想運動として出発した」生長の家の書籍には、ふさわしいと思います。

色々とご意見を書いてくださり、ありがとうございました。

私見ですが (58093)
日時:2023年04月18日 (火) 17時21分
名前:tapir


私見ですが、新編『生命の實相』出版に当たって、多くの人の意見を聞いて合意に至るプロセスが必要だったはずですが、それをせずに65巻発行に着手して、時間経過とともに欠陥が表面化して来た気がします。自らの準備不足のために立ち行かなくなったのを、外部の力で、新編が貶められたと考えるのは、顛倒妄想ではないでしょうか。

解決の近道は、外部の批評に耳を傾けて、新編の欠陥の疑いを晴らすべく説明し、欠陥があれば一刻も早く修正することです。引き延ばせば引き延ばすだけ、傷が深くなるだけです。



Number
Pass
管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板