生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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頭注版は如来の水かき 谷口雅春先生の人類愛の表れ (58063) |
- 日時:2023年04月17日 (月) 11時33分
名前:tapir
《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》掲示板の立葵さんの投稿を読みました。 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3610
私は、谷口雅春先生著の頭注版『生命の實相』は、仏教の「如来の水かき」(「全ての衆生をもれなく救う」「悩み苦しむ衆生を救い取る」気持ちの表れ)だと考えます。“如来の三十二相”は、釈迦が悟りを得て如来になったときに得られた三十二の特徴のことですが、その特徴の一つに「まんもうそう(しゅそくしまんもうそう)」があります。手足の指の間に鳥の水かきがあるのです。
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“三十二相とは”
“如来の三十二相とは釈迦が悟りを得て如来になった時に得られた如来としての三十二の特徴のこと。”
“手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)…手足の指の間に鳥の水かきがある”
“如来の手足の指は全て長くて水かきが付いていますが、全ての衆生をもれなく救うという気持ちの表れが水かきになっているのであって、悩み苦しむ衆生を救いとることは如来の大切な使命なのです。”
(「如来の三十二相とは」「高野山真言宗 やすらか庵」) https://yasurakaan.com/shingonshyu/sanjyunisou/
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頭注版『生命の實相』は、「全ての衆生をもれなく救う」、「悩み苦しむ衆生を救いとる」、谷口雅春先生の全ての衆生を救い取らずにおかない気持ちの表れであると思います。
立葵さんは、谷口雅春先生の「歴史的仮名遣い」を「新仮名遣い」に書き換えた無念を語っておられます。それは谷口雅春先生の「日本文化」、「日本精神」復権の切なる願い、「愛国の情」の発露です。しかし立葵さんのご主張では、「人類愛」(すべての衆生を救う)が忘れられているように思います。生高連の歌にあるように、「愛国の情」に「人類愛」が伴わなければ、「光明思想」は成就しません。
私も「歴史的仮名遣い」が「新仮名遣い」に変えられた歴史にについて、生長の家学生総連合(生学連)で学びました。中学の時も、戦前育ちの古典の先生が、優雅な「てふてふ」という言葉を、「ち、よ、う。ち、よ、う」など味も素っ気も無い仮名遣いに変えたと、嘆いていたことも思い出されます。谷口雅春先生、明治生まれで、文学を志し、日本語をこよなく愛される先生の新仮名遣い、当用漢字導入に対する嘆きが如何ばかりであったかと、戦後生まれの私に100%理解できるはずもありませんが、想像することはできます。現代人の日本の古典離れを心配して「歴史的仮名遣い」を保ち続けたいという立葵さまのお気持ちにも共感できます。
しかし、頭注版、愛蔵版を絶版にして、新編に置き換えることには反対です。同時発行なら許容できます(法的な問題をクリアすれば)。
頭注版発行停止は、「全ての衆生をもれなく救う」谷口雅春先生のお気持ちを無にしてしまいました。さらに愛蔵版発行停止は、谷口雅春先生の歴史的仮名遣いに託された「愛国の情」を無にしてしまいました。
運動の進め方で、頭注版『生命の實相』を新編に置き換えることが、果たして「歴史的仮名遣い」を世に広める方法として、適切かどうかは、きわめて疑問に思います。「歴史的仮名遣い」を尊重したい気持ちは間違っていません。しかし、「歴史的仮名遣い」を普及させたいがために、頭注版を中途半端に愛蔵版の漢字に近づけるという新編の方針は、運動の進め方として失敗だと思います。
失敗の第一は、「全ての衆生をもれなく救う」「まんもうそう」の表れでなくしたこと、失敗の第二は、谷口雅春先生が主導され一定の成果を得ていた「人類光明化運動」の歩みを断絶させたことです。
作家三島由紀夫は著書『「文化防衛論』のなかで、「なにかが断たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ」と述べました。
頭注版『生命の實相』を絶版にしたことで、人類光明化運動に「断弦の時」が生じました。
頭注版絶版の前に、宗教法人「生長の家」が、運動方針の中で『生命の實相』を重んじない傾向があったかもしれません。それでも頭注版が出版されている間は、「通奏低音」のように、『生命の實相』は、心ある信徒の間で読み継がれていました。ところが、それを徹底的に断絶させたのは、教団に反発する一群の人々でした。彼らは教団に反発しているつもりで、谷口雅春先生の光明化運動を否定し、運動を断絶させてしまったのです。(終戦後のGHQが日本の歴史を断絶させたように)
この投稿の目的は、新編を貶めるためではなく、本流派全体を否定することでもありません。新編『生命の實相』を、頭注版と同じ価値を持つ作品として、運動に安心して使える根本経典にしたいのなら、避けて通れない見直しを提言するために投稿しています。生長の家とは何なのか、『生命の實相』とは何なのか、共に真剣に考えて参りたいと思います。
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tapir様 (58065) |
- 日時:2023年04月17日 (月) 11時50分
名前:志恩
tapir様の お書きになられたこと、 一つ一つに 納得し、同意の思いでございます。
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歴史的仮名遣い普及のために (58067) |
- 日時:2023年04月17日 (月) 12時26分
名前:tapir
志恩様
早速のご投稿ありがとうございました。
最初の投稿の追加です
歴史的仮名遣いの普及のために。
谷口雅春先生の『生命の實相』で「歴史的仮名遣い」を普及させたいのなら、愛蔵版を出版した上で、それをテキストとして「歴史的仮名遣い」を学ぶ運動方針を立てて、普及活動を推進すればよいと思います。世間ではクールジャパンなど、日本文化の見直しが行われていますから、「古典を読みこなそう」、「そのために歴史的仮名遣いを学ぼう」という運動は一定数の賛同を得ると思います。中学生以上の青少年練成会で、その時間を設けるのもいいでしょう。そのようにして、『生命の實相』を使って、谷口雅春先生の歴史的仮名遣いの御文章を味わうのはクール(すてき)です。現代語の新編で漢字を差し替えたものより、谷口雅春先生の御文章そのものに接する喜びがあります。余裕があれば、愛蔵版の装丁を簡易にして、歴史的仮名遣いのまま、字を大きくした普及版を作成するのも一案だと思います。
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