生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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「虚説に対してはあくまでも戦い」,「人に対してはどこまでも実相を見て許す」― 讃嘆門と折伏門 (頭注版『生命の實相』倫理篇、及び『眞理六巻 人生篇』) (58276)
日時:2023年05月06日 (土) 14時06分
名前:tapir

谷口雅春先生の御教「虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す」(『生命の實相 頭注版 第14巻』64頁)、及び「讃嘆門と折伏門」について考えました。「讃嘆門と折伏門」は『眞理六巻 人生篇』に載っていたので、併せて紹介させていただきます。(引用文は『新版真理 第六巻』です。)

谷口雅春先生の御教は「智慧の御教」であると同時に「愛の御教」です。神想観(座禅的瞑想法)で、「神の無限の知恵の海」を繰り返し唱え、その次に「神の無限の愛の海」を繰り返し唱えます。生長の家における「智慧」と「愛」は一体なのです。

谷口雅春先生が、「虚説に対してはあくまでも戦い」、「人に対してはどこまでも実相を見て許す」を、現実にどのように実行されたか、頭注版第14巻(倫理篇)に記しておられます。


+++++引用はじめ+++++++

“”虚説を排撃することいよいよ明瞭であればあるほど、真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。
 わたしにも最近その例がありました。「生長の家」の某支部をみずから造るべく申し出られまして、聖典『生命の實相』を数十部みずから進んで預かって帰られた方がありました。その某氏は最近、「物質はある」「真我も迷う」の虚説を立てて「生長の家」の真説を迷わす機関雑誌を発行されたのであります。それとともに聖典『生命の實相』を誌友その他に売られたまま、その公金を私用に着服費消しておしまいになったのであります。わたしは「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって文章でその虚説を排撃したのでありますが、(すなわち虚説に対してはどこまでも排撃したのでありますが)その人が消費された公金に対しては少しも咎めず、無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて、その人の実相――決して公金を費消せぬような完全なその人の実相を見ることにしたのであります。これがわたしの範例であります。虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許すことにしたのであります。どうかみなさまも虚説に対しては和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で進んでいただきたく、人間に対しては、その表面の包み(罪)を見ないで、その完全なる実相を見て、その罪を赦す(その罪を本来ないと見て捨てる)ことにしたいのであります。“
(『生命の實相 頭注版 第14巻』64頁)

+++++引用終わり+++++


谷口雅春先生は、「物質はある」「真我も迷う」という某氏の「虚説に対して」「真我は神であるから決して迷わぬ」という正説をもって「文章でその虚説を排除」されました。しかし、聖典数十部を私用に着服費消した某氏に対して、「公金を消費せぬような完全なその人の実相をみる」ことにして、損失を取り戻すことをされなかったのです。「文章で虚説を排撃し」ても、公金を着服して損害を与えたことを「無条件にその金額を進呈して決して請求しませぬという深切な手紙を書いて」「どこまでも実相を見て許した」。のが、谷口雅春先生の許しの深さ、これが神の愛の表れです。何と愛の深いことかと感動いたしました。

「虚説の排撃」は、あくまでも文章で反論されたのであり、某氏に、聖典数十部の金銭的損害について返却を求めず、もちろん法的手段に訴えることもなさいませんでした。

>従って、虚説に対する尊師の教えに基づき、やむなく、法治国家が定める法的救済(名誉毀損に対する謝罪等の請求)を求めた次第であります。(護法の天使氏)<
〔14708 文中見出し「虚説に対する尊師の教えと法的救済の意義」〕
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3616


争点の重要部分について文章で直接反論することなく、直接の話し合いの2回の求めにも応ぜず、裁判の地を神戸とせず、東京に何回も呼び出して、交通費と時間を費消させる行為、名誉を棄損されたとして、損害賠償金500万円を請求する行為は、谷口雅春先生の「人に対してはどこまでも実相を見て許す」という御教の重要部分を置き去りにしているように見えます。御教は全体を見ないで一部分だけ実行すると間違うことがあると思います。


「讃嘆門」と「折伏門」について

谷口雅春先生は、さらに、『新版 真理 第六巻 人生篇』(62〜66頁)で、「第七章 果して讃めるばかりが好いか」と題して、同じテーマを取り上げておられ、「讃嘆門」と「折伏門」について説明されています。

谷口雅春先生は誌友からの質問に答えて、思想内容に対して矛盾や誤謬を指摘することは「人」を攻撃することではない、質問者の誌友が「私の説を矛盾だとして正そうとしていられ」るのは「私を愛し尊敬していられるようなもの」である、矛盾や誤謬を指摘するのは「人、時、処の三相応」であると説かれています。引用しませんでしたが、批判した相手の氏名を伏字にする説明にも、谷口雅春先生の行き届いた心配りが感じられます。詳しくは是非、原文を読んでいただきたいと思いますが、一部を引用いたします。


++++++

“問”(中略)
“疑念を疑念のままに放置しておくのは、決して生長の家の御教に添う所以ではないと信じ、敢て筆を執らせて戴く次第であります。と申しますのは、今回貴著の一つを得て何回も繰り返し読ませて戴きましたが、或箇所に於いて納得のゆかない事がありますので、御解答を得たいと思うのであります。即ち同書二二六頁に先生は○○氏と○○××氏の書かれた記事を指摘され、それを非なりとして攻撃されて居る様お見受け致しますが、これは先生が従来あらゆる機会に説かれている「他人の悪を攻撃する勿れ。自己を正しく神と知り他人を愛せよ」との御教、又同書の三五九頁に特に「新しく生まれるものは他の旧き悪に捉われるな」と被仰ったのと比して甚だしい矛盾の様に感ぜられるのですが、先生はいかなるお考えで如斯〔かくのごとき〕矛盾に見える言葉を述べられたのか迷わざるを得ないのであります。何卒小生のこの疑念に正しい解決を与えられんことを切望いたします。”(61〜62頁)


“答”(中略)
“さて、御たずねに関しては『生命の實相』倫理篇の終に近きところに、詳しく説明してございますから、それをお読み下さいませ。その要点を摘記しますと、「非真理」を駁撃するのは「真理」を宣揚し、「真理」と却って調和する所以となると云う一語につきるのであります。相手の「非真理を絶滅し、「真理」を宣揚するのには「讃嘆門」(ほめる部門)と「折伏門」(まちがいを破さいし降伏せしめる部門)とがありますが、生長の家では「讃嘆門」をより多く使っているのであります。人、時、処三相応と云う事を言っていまして、讃嘆以外に採るべき手段を失ってしまうときは、自由を失うのであります。だから生長の家は「ねばならぬを開放する教」とも云われております。”(63頁)

“しかしこれは人により場合により時により相違してくるので、駁撃せずに、その人の論説を賞揚する(ほめて高くあげる)ことによって、相手の論説が「非真理」から「真理」へ転向する見込がつく場合は、時には相手の所論を賞揚する場合もあるかも知れませんが、「人間を賞揚する」のではなく、「論説」を賞揚する場合には、その論説が「非真理」なる場合にはその「非真理」に拍車を掛け、従って大衆を「非真理」に導く(即ち迷わす)ことになりますので、「人は概ね賞めてよくなる」ので、この方には讃嘆門を用いますが、「非真理は概ね賞めて悪くなる」ので折伏門を用いるのであります。”(65頁)

“貴方の御質問の中にもありますように私は○○氏の書かれた「記事を指摘されてそれを非なり」〔「記事」と「非なり」に強調の「、」が付されている〕としたのであって、これは思想内容に対する折伏門であります。それを貴方は「他人の悪を攻撃する勿れ、自己を正しく神と知り、他人を愛せよ〔「最初の「他人」に強調の「、」が付されている〕」と云う教に反すると誤解されたのでありますが、矛盾とか誤謬とか云うものを指摘することは、その「人」を攻撃することではありません。貴方が、私の説を矛盾だとして正そうとしていられても「私の悪」を攻撃していられるのではなく、私を愛し尊敬していられるようなものであります。人生一々の場合には、常に、人、時、処の三相応を必要とするものでありますから、具体的場合に於いては千変万化を必要とすること、剣道の試合の如きであります。”(66頁)

(『新版 真理 第六巻 人生篇』(62〜66頁)
+++++


谷口雅春先生はこう言われます。

“貴方が、私の説を矛盾だとして正そうとしていられても「私の悪」を攻撃していられるのではなく、私を愛し尊敬していられるようなものであります。”御自分の説を矛盾だと正そうとする質問者が、「悪」を攻撃するのではなく、「愛し尊敬している」からと受け取れる、先生の心の広さ、器の大きさが感じられます。

私がこれまで破邪顕正氏や護法の天使氏の説の矛盾を指摘したのは、宗教団体や公益法人の代表者であるお二人なら、谷口雅春先生のように異論に耳を傾けるだけの度量があるだろうと信じたからです。それが通じなかったのは、私の不徳の致すところです。谷口雅春先生に質問した誌友のような「愛」と「尊敬」を表現できなかったからでしょう。

谷口雅春先生は、言論で批判されましたが、損害を与えられた相手(人間)に対しては、「どこまでも実相を見る」ことを実行され、損害賠償を求めて、相手の生活に金銭的な負担を与えることはなさいませんでした。話し合いを求めている同じ生長の家の信仰者に対して、言論で正当な反論や解答をせずに、いきなり訴訟という法的手段をとることは「人、時、処の三相応」を得ているでしょうか。神の御心にかなっているでしょうか。谷口雅春先生の行いを再読して、その感を深くしていますが、同時に自己をも顧みたいと思います。


テパさん (58278)
日時:2023年05月07日 (日) 09時55分
名前:元信徒


テパさん、よくお勉強なさって素晴らしいご文章を見つけられて、説得力あるテパさんご自身のご意見を読んで涙がでました。全くその通りと思いました。

昔の教団は、もっと徹底的に雅春先生を学ばなくてはいけませんでしたね。
練成会と言う初歩講義があり、その後教区で学ぶのですが、それが全国バラバラで。

キチンと悟りに達するまでの教育過程を組んで教学試験をうけて、次々と段階を上がれるようなプログラムが生長の家には必要だと感じました。


皆さん、テパさんの仰るような真理がキチンと理解出来ていないから、教えに反するような行為をしてしまうのではないでしょうか。

すみません、沢山の思いがあるのですが、
それが語彙不足で形になりません、悪しからず。


元信徒さま コメントを下さり、ありがとうございました (58279)
日時:2023年05月07日 (日) 16時02分
名前:tapir

元信徒さま
コメントを下さり、ありがとうございました。

>昔の教団は、もっと徹底的に雅春先生を学ばなくてはいけませんでしたね。<

>キチンと悟りに達するまでの教育過程を組んで教学試験をうけて、次々と段階を上がれるようなプログラムが生長の家には必要だと感じました。<

初めて受けた練成会で、本部講師の先生に、私が地方講師になりたいと言ったら、『生命の實相』全巻を3回以上、読みなさいと、指導されました。講師試験を受けたのは、二十数年前ですが、宇治錬成道場出身の先輩講師が、○○巻の××頁が必須だというリストを渡してくれて、それを元に勉強し、無事合格しました。当時は、『生命の實相』を熟読していれば合格したのですが、今はどういう基準になっているのでしょうか。

『生命の實相』と『真理』を読むと、いつも新しい発見があります。この度の『眞理六巻』も、通読したのは3回目ですが、「讃嘆門と折伏門」に、初めて気がつきました。何度でも読み返すことが大切だと思いました。また、この言葉に着目したのが、護法の天使氏の投稿がきっかけであったのは、観世音菩薩の御働きと言えるかも知れません。半面教師として、御教の学びを深めてくれることがあります。

自分のことですが、真理が頭で理解できても、魂の底から実行できているかというと、はなはだあやしいです。練成会で奉仕されていた地方講師の先生が、相手が変わらないのは自分の愛が足りないから、と言われたことが、いつも思い出されます。まだまだ努力が必要だと思います。「虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す」という谷口雅春先生の御心に少しでも近づきたいです。特に「人に対してはどこまでも実相を見て許す」が難しいので、小さなことから、日々努力を重ねたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

コメントを下さり、ありがとうございました。



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