生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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傍流掲示板
別天地の掲示板です。
岡 正章先生が、5月24日、帰幽されました (58574) |
- 日時:2023年05月28日 (日) 19時12分
名前:志恩
転載: ━━━━━━━━━━━━━━━━━ トキ様お世話になりました。 (58569) 日時:2023年05月28日 (日) 14時48分 名前:はうら ひとひら
ありがとうございます。 トキ様に御礼をいたしたくて、大変申しわけございませんがこちらに、投稿させていただきました。 私は岡 正章元本部講師と長年誌友会を開催させていただいた者です。トキ様には、いろいろお世話になりました、と岡先生から聞いていたものですから、御礼のご挨拶をさせていただきます事、お許しください。岡 先生のメッセージです。
「感謝・お詫び・ご挨拶 合掌 ご縁のあった皆さま 不肖 岡 正章は はからずも 昨年末救急車にて緊急搬送され ただちに心臓手術。奇蹟的に危機を超えることが出来ました。 3月6日、自宅療養しておりました。その際、皆さまにはご心配 いただきありがとうございました。お礼もお伝え出来ずにおり ました。退院後、2ヶ月程ほぼ霊(人間は非物質にして霊妙なる 働きを有する神霊の意味)の世界にいて、完全に完成された 世界を書き上げることができました。生前これからあと10年は 生きてこの完全に完成された姿を追及しようとしましたが、 この度その理念を霊界で完成しましたので、現象界に顕現させる 事は、同志の皆さまにおまかせすることにいたしました。 今後は霊界から見守り、支援させていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。 「我は死なず、肉体は死んでも私は死なない。死を超えて 永遠に生きん」皆さま大変お世話になりました。 感謝いたします。ありがとうございます。 さようなら」
岡 正章先生は、令和5年5月24日夜10時半頃、帰幽されました。 享年89歳。 ありがとうございました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━ トキ様の代理です (58570) 日時:2023年05月28日 (日) 15時19分 名前:シオ(志恩)
岡 正章先生が、5月24日にご逝去されましたそうで、 大変驚いております。
はうら ひとひら様、 お知らせくださいまして、誠にありがとうございました。
岡 正章先生は、旧トキ掲示板の時、 [復興G]というハンドルネームで、 われわれに数々の深い真理をご教授くだいましたこと、 今更ながらありがたく感謝申し上げます。
岡 正章先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
私は、岡先生のブログ、「みすまるの珠」の 愛読者でもありました。
みすまるの珠 http://misumaru.o.oo7.jp/
━━━━━━━━━━━━━━━━━ 岡先生ありがとう (58571) 日時:2023年05月28日 (日) 16時42分 名前:元信徒
岡先生、 お世話になりました。 先生のチャーミングなご性格が大好きでした。
一度お目にかかれて、本当にありがとうございました。 沢山のプレゼントをありがとうございました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━
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(58579) |
- 日時:2023年05月28日 (日) 21時51分
名前:lll
皆は知っているだろうかコンクリート事件その後真実 犯人の一味であるは横山裕史 2007年に仮出所、そして2009年に刑期満了で完全に出所した宮野裕史は、保護司と養子縁組をして「横山裕史」という名に変更。
悠々自適に家庭を持ち暮らす糞野郎に罰を
女子高生コンクリート詰め事件少年A 宮野裕史
7815235 高 知 県 香 南 市 野 市 下井 1 1 0 1- 1 1
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岡先生のご冥福をお祈り申し上げます。 (58580) |
- 日時:2023年05月28日 (日) 22時00分
名前:三代目管理人
岡正章先生ご逝去の報に接し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
先代の管理人様より、御貢献については伺っておりました。生長の家については、深い情熱をお持ちであり、心から尊敬と感謝の念を先代も感じておりました。
ここに、弊掲示板を代表し、感謝と敬意を表します。
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58579の投稿者様へ (58581) |
- 日時:2023年05月28日 (日) 22時02分
名前:三代目管理人
この掲示板は、生長の家の話題に特化した掲示板であります。
過去の刑事事件の犯人の処遇については、議論がありますが、この掲示板でのプライバシー侵害は目的外の利用ですので、すみませんが、削除をお願いします。
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岡正章先生、有難うございました (58582) |
- 日時:2023年05月28日 (日) 22時30分
名前:tapir
岡正章先生ご逝去の報に接し心よりご冥福をお祈り申し上げます。 生長の家聖歌をこよなく愛された岡先生の歌うお姿がなつかしく思い起こされます。 「みすまるの珠」から多くの大切なことを教えていただきました。天界でますます自由自在にご活躍されることを祈念申し上げます。岡先生の残された御文章を、謹んで再読させていただきます。
はうら ひとひら様、岡正章先生の御昇天をお知らせいただきありがとうございました。
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何と読まれますか。 (58607) |
- 日時:2023年05月30日 (火) 14時20分
名前:はうら ひとひら
皆様の温かいお言葉、ありがとうございました。 6月の誌友会で、紹介させていただきますこと、お許し くださいますよう、お願いいたします。 (岡 先生のご家族から、あまりその足跡を知らないので 教えていただければ幸いですと、言われておりますので)
話は変りますが、次の言葉皆様は何と読まれますでしょうか。
『諦』
・ てい (あきらめる) ・ たい (真理や悟りを意味します)
岡 正章 先生の戒名(神道的にいう謚(おくりな))
「 正諦顕章(しょうたいけんしょう)居士霊位 」
お通夜の席で、天台宗のお坊様は、最高の名前をつけさせて いただいたと言っておられました。 (家族葬でしたので、外部出席者は私だけでした)
ありがとうございます。
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はうら ひとひら様、 (58609) |
- 日時:2023年05月30日 (火) 17時15分
名前:志恩
わからないので、仏教用語で調べてみましたが、
「諦」は、一般用語の単なる「あきらめる」という意味とは 異なりまして、
仏教用語では、 ” 大宇宙の真理である因果の道理を あきらかにみるということ。”
とネット上に載っておりました。
はうらひとひら様が、お伝えくださった
「 正諦顕章(しょうたいけんしょう)居士霊位 」
という岡先生の戒名は、 「正しく真理を明らかにされたお方である」 という意味のようです。
まさしく、最高の戒名を 天台宗のお坊様は、 岡先生の謚(おくりな)に、してくださったのだと存じます。
はうら様ー >(家族葬でしたので、外部出席者は私だけでした)<
家族葬だったので、外部のお方は、 はうら ひとひら様お一人だけでしたとは。
岡先生が、ご自分の生前の深い想いや辞世の言葉を、 正しく皆様に伝えてくださることのできると思われたお方は、 きっとご朋友であった はうら ひとひら様お一人だと思われ ていらしたのかもしれませんね。
貴重な書き込みを大変ありがたく存じております。 また続きをよろしくお願い致します。
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叱られ 二題 (58626) |
- 日時:2023年05月31日 (水) 17時24分
名前:はうら ひとひら
ありがとうございます。 まだ、呆然としている所がありますので、取り留めのない 話で申し訳ありません。
岡 先生が『理想世界』の編集長をされていた時の事ですが、 『理想世界 50-12』の表紙に、尊師の直筆で 「青年に美しい夢と希望を 谷口雅春」と書かれた所の横に ◆日共宮本論文嗤(わら)うべし◆ と印刷して、校正終了後、尊師に確認に上がったところ 尊師は「別に僕は、人にはそのようには思っていない」 という趣旨の話をされて、岡 先生が大変恥じ入った ということがあったそうです。
『生命の實相』頭注版第14巻64頁に 《虚説に対してはあくまでも戦い、人に対しては どこまでも実相を見て許すことにしたのであります」
とありますが、凄い一瞬であったと思います。
これとは別ですが、職場で、女性上司と仕事は出来るが 何かと上司を無視していて、女性上司が私にあの人を 組織的に問題があるので、「首にする。上から許可も もらっている」といわれ、私は「駄目です。あの人は 仕事ができるし、なくてはならない存在です」と反対 しましたが、「もう決定した事です」と言われました。 私は、この二人の実相をじーっと見つめて、それきり 忘れてしまいました。次の朝職場(教育施設の清掃) へいったら、その女性上司から「昨日二人で話を しました。また引き続いて仕事をしてもらうことに しました」との事でした。私はその女性上司に対して 最敬礼しました。
私ほど、岡 先生に叱られた者はいません。 もう嫌だ、と何度も思いながら、しかし、それもそうだ 「自分が悪かったのだ」と思ってなんとかその日を 過ごした亊が何度もあります。 翌日 岡 先生から別件でメールがあり、 「その前に、昨日はあんな酷いことを言ってしまい、 お許しください。お詫びします」と書かれていました。 このような事が何度もありました。 本当は、本当に優しい岡 先生でした。
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はうら ひとひら様 (58633) |
- 日時:2023年06月01日 (木) 05時32分
名前:志恩
”罪を憎んで 人を憎まず”を 自ら実践されておられた谷口雅春先生。
いけないことはいけないときちっと注意され あとで注意した人を優しくフォローされていた岡先生。
生長の家らしい心温まる佳きエピソードですね。
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偶然でしょうか。 (58657) |
- 日時:2023年06月02日 (金) 15時02分
名前:はうら ひとひら
志恩 様 ありがとうございます。 コメントがいただけて、嬉しいです。 志恩 様がお勧めの、榎本一子先生の宇治でのご指導拝聴させて いただきました。よかったです。ありがとうございました。 今回は、岡 先生、榎本恵吾先生、ちょっと私で書かせていただき ます。 岡先生に初めてお会いしたのは、地元での神誌愛行が終わって、 丁度講習会時期で、成果の出るように聖歌の練習をしている所を 応援しようと、区民センターの音楽室を訪ねたら、丁度終わった ようで、何名か音楽室から出てきました。 挨拶して帰ろうとしたら、「やあ、おか(岡)です。これを」 ベージュ色の冊子でタイトルが何も書いていない書物を、 人の影に隠れて目立たないようにしていた私を見つけて、 話かけてくれ、本までいただきました。 「はい、あ どうも」ぺこり。 『葩(はなびら)さんさん 榎本恵吾』とある。 初め通勤電車の中で拝読し、「なに!」と思った。 そして、7回拝読して、読み終わった後に、何とも言えない 温かいものを感じた。これが生長の家だと思った。 それまで、『生命の實相』を数回拝読したが、よくわからず、 にいたのが、氷解したのであった。
岡 先生と榎本恵吾先生とがお会いして、榎本先生が血判書まで 認めて、終生光明化の兄弟と誓った時、このお二人の内奥に、 どのような未来を見ておられたのでしょうか。
《練修生生活の最後の一年の間に、谷口雅春先生を囲む青年の 研鑽会で見解を述べさせて頂いたことが縁となって妻と 一緒にならせていただいたのである。》 (『弟子像 榎本恵吾著 342頁) 榎本先生は早世されたが、そのご意志は継続されていて、 宇治でのご指導をされているのにつけ、ほのぼのとしたもの を感じます。
岡 先生は、後10年は頑張ると言われたが、89歳で「あとは 頼んだよ、」といわれて辞世された。 榎本恵吾先生のご岳父 藤原敏之 先生も89歳でご逝去 された。何か 縁(えにし)を感じるのは、私だけでしょうか。
岡 先生、榎本 先生の共編著『光のある内に』 に不肖 私が少しフォローさせていただきます事 お許し下さい。 『光のある内に』の扉裏に“光のある内に光を信ぜよ、 われは光として世に来れり” (イエス・キリスト・・・・『生命の實相』より孫引き) とあって、榎本 先生の“光の内に”の内とは、 “久遠の今”であるという光輝一元のご文書があります。
私はその孫引きを調べましたら、ありました。 (多分ですが。間違っていたらごめんなさい。)
『新版 ヨハネ伝講義』250頁 《イエス言い給う『なお暫(しば)し光は汝らの 中(うち)にあり、光のある間(ま)に歩みて 暗黒(くらき)に追及(おいつ)かれぬようにせよ、 暗き中を歩む者は往方(ゆくて)を知らず。 光の子とならんために光のある間に光を信ぜよ。 ・・・我は光として世に来(きた)れり。 ・・・夫(それ)わが来りしは世を審(さば)かん為 にあらず、世を救わん為なり。
(原典:『ヨハネ傳福音書 第12章35.36.46.47節) 日本聖書教会『舊新約聖書』1967
ありがとうございます。

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はうら ひとひら様 (58663) |
- 日時:2023年06月02日 (金) 21時19分
名前:志恩
榎本一子先生の宇治でのご指導を拝聴してくださったそうで、 ありがとうございます。
はうらひとひら様は、私と同じくらいのお年だとおっしゃっておられましたが、 そうしますと、岡先生より8歳か9歳、年下でいらっしゃいますから、 きっと、はうら様は、岡先生の弟様的存在でいらしたのでしょうね。
榎本恵吾先生も、岡正章先生のことを兄と慕って、おふたりは魂の交流を 持たれていらしたのでしたよね。
そして、岡先生よりも、先に逝かれた榎本恵吾先生のために、岡先生の ご発案に、榎本先生と昵懇(じっこん)でいらした方々が呼応して、 「編集企画委員会」を起ちあげ、岡先生が「榎本恵吾記念館」を、 冊子にもされ、インターネット上にも載せられて、今まで、榎本恵吾先生を 知らないでいた方々にも、広く紹介されたのでしたね。
それは、 岡先生の何も見返りを求めない榎本先生に対する深い愛の行いでした。
はうら様が岡先生と初めて、出会われた時のこと、 そして目立たないようにされていたはうら様に、岡先生が 「これを」と手渡されたのが、 『葩(はなびら)さんさん 榎本恵吾』著だったのですか。 それを、はうら様は通勤電車の中で、7回も読まれたとは.、すごい。
はうらひとひら様ー >そして、7回拝読して、読み終わった後に、何とも言えない 温かいものを感じた。これが生長の家だと思った。 それまで、『生命の實相』を数回拝読したが、よくわからず、 にいたのが、氷解したのであった。<
>岡 先生と榎本恵吾先生とがお会いして、榎本先生が血判書まで 認めて、終生光明化の兄弟と誓った時、このお二人の内奥に、 どのような未来を見ておられたのでしょうか。<
>《練修生生活の最後の一年の間に、谷口雅春先生を囲む青年の 研鑽会で見解を述べさせて頂いたことが縁となって妻と 一緒にならせていただいたのである。》 (『弟子像 榎本恵吾著 342頁)
榎本先生は早世されたが、そのご意志は継続されていて、 宇治でのご指導をされているのにつけ、ほのぼのとしたもの を感じます。<
志恩ー
岡正章先生の榎本恵吾先生に対する無償の愛が、 今度は、別の魂の弟様によって、このようにトキ掲示板にて 展開されています。なんて、素敵な出来事なのでしょう。 尊いご投稿、ありがとうございます。
榎本恵吾先生が生涯をかけて信じ、叫び続けておられたのは 「実相一元」、「実相独在」の信仰でしたものね。
岡先生は、生き方全て美しかった弟のように思って愛していた 榎本恵吾先生のお姿を生き生きと蘇らせてくださいました。
平成17年8月「ネットワーク宝蔵」の 榎本一子先生のご文章によりますと
>・・・家族を亡くして悲しんでいらっしゃるご家族に、主人は決まって 「満点の卒業です。喜んであげましょう。ほめてあげましょう。」と力強く 言っていました。久遠生き通しの命を教えられていて、本当によかったと 今、感謝でいっぱいです。< と書かれておられます。
岡先生も満点の卒業でいらしたと思っております。
そして、われわれが知らなかった生前の岡先生のことを教えてくださる はうら様のご存在も天の配剤であると、心から神様に感謝している ところです。
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(” 【榎本一子先生】を、ご存知でない皆様のために”
榎本一子先生は、 亡き藤原敏之本部講師のご長女で、 亡き榎本恵吾本部講師の奥様でいらっしゃいます。
榎本一子先生は、生長の家教団の宇治別格本山の練成部に 所属され、本部講師補として、ご活躍されていらして、お話も とてもお上手でいらっしゃいます。
今年、86歳になられますが、 若々しくて、女性らしい可愛い雰囲気の先生で 私は、前から、榎本一子先生の大フアンの一人なものですから、 オンラインで自宅にいながらご講話が拝聴できますことを大変幸せに 思っております。
一子先生は、教団とか学ぶ会とかの組織を超越された ホンモノの生長の家のお話をされていらっしゃる先生です。)

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誌友会前後 (58674) |
- 日時:2023年06月03日 (土) 17時43分
名前:はうら ひとひら
志恩 様 いろいろご配慮いただきまして、ありがとうございます。 岡 先生の事は、あまり知らないのですが、平成27年 (2015年)前後からでしたら、幾らか存知ております。 その前後を書かせていただきます。
その4.5年前から、月一で地区連会議というのがあって、 相愛会長会議があるのですが、その前に1時間程、実相 研鑽のような、出席者が特定の聖典(神示講義)の 感想などを発表し、そのあと岡 先生の講義がありました。 それはそれで、素晴らしいのですが、当時の私の岡 先生 の印象は、逃げ水のような存在でした。 捉えたと思ったら、するっと逃げていく存在でした。 縦の真理しか説かないのです。現象はどうあれ、最後は 総裁に帰一するというものでした。 私はこれには、ついていけませんでした。 何故なら、『新版 菩薩は何を為すべきか』第9条には 「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教。この三つを 結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である。 ・・・人は中心ではない。神意が中心である。 ・・・地上の生長の家本部が如きは、中央事務所に過ぎない と書かれているにもかかわれず。(同書54〜57頁)
或る日、岡先生と会議の帰りが一緒の時こんな話をされました。 (日本教文社に勤務時、社内旅行で、現総裁(三代目)と 風呂で一緒になり、現総裁が(未だ総裁・副総裁でもなかった 時)「自分は、多分このままでいくと、総裁になるだろう。 しかし、そんな力もなく、不安である」のような話を聞いた というのである。この時、岡 先生の中に、尊師のお孫様を お守りするという思いが起こったのは、難くない。 岡 先生は、それ以来、現総裁の実相を観られていたのであろう。 しかし、事態はますます、尊師の実相哲学から離れて行く。 岡 先生は苦しかったと思います。
私は、7度目の職場として、片道1.5時間以上かけて、ある町工場 (西八王子)に通っていた。その通勤時間を利用して、一日 『聖経 甘露の法雨』を10巻ずつ読誦して、気が付いたら3年間で 1万巻読誦していた。 (観世音菩薩の慈悲の體をほぼ、観じられていた) 2012年(平成24年)5月末の朝一番電車をホームで待って いながら、『生長の家』機関紙の6月号に掲載された 「大自然讃歌」を読んでいて、途中で頭に異変を起こし 思考する事が出来なくなって、ホームに落ちそうになった時、 電車の警笛と急ブレーキ音で、われに返った。 その夜 岡 先生に電話したら、「あれは贋(にせ)経だ」 と吐き捨てるように言った。波長が合わなかったのである。
2013年(平成25年)6月から半年間、5000万円の負債の発生する 事となった、仕事の為ほとんど寝ずに、当然土日も休まず、 会議にも出なくなっていた。
2015年(平成27年)3月20日付けで、岡 先生は「総裁への 公開質問状」として A5判250頁の書籍を、総裁、参議、理事、 各教区教化部長・・・等々の幹部、知人らに送付した。 作成時私も意見を求められ、何点かその中に取り入れられた。 又賛同者として、私の名前を出しても好いと言って、そのように なる直前、有る事があって、岡 先生単独名で出された。 即座に、本部理事長から「岡さんは、生長の家の会員で もない」と言われ、ブログからその内容を削除と、総裁の 著書をテキストとして、誌友会に出講するなら、本部に詫び 状をいれてもよい、との教区のトップの話を断った。 そして自ら聖使命取扱者であると言って、教団に残ることを 宣言した。
岡 先生から、「これからは、コーラスと短歌を作って 日々を過ごしたい」と言ってきました。
暫くして、岡 先生から「真の誌友会をやってみたい」と 言ってきたので、いろいろな人に相談したが、誰も何も 言わなかった。あんなに世話になっていながら、皆離れて 行った。僅か2名の人(実相独在のみ言っていた人)が 賛成してくれたが、直前で一人は、本州の端に引っ越し、 一人は岡 先生がいることだけで貴重なので、その誌友会には 反対すると言ってきた。 私は岡 先生に誌友会開催を打診した時、躊躇されていた。 私は「前後際断」とメールを送った。 「わかった。そうしましょう。しかし、人は集めませんよ。 最初は2.3人から始めましょう。」と言われた。 その頃の私は、誌友会を開催していたが、一人か二人の出席 しかいなかった。 テキストは『到彼岸の神示」とした。 「人即ち神である」という『至上者の自覚の神示』から 始める事にした。
私は、会場整理や、下足番の役目をする事にした。 会場は45人入場出来る、一番大きな会場を選んだ。 そして当然であるが、岡 先生が出席されるとは、一言も 言わなかった。言える雰囲気ではなかった。 2016年(平成28年)8月13日午後1時スタートの誌友会は 23名が出席され、丸く机を並べたら、会場一杯になった。 出席されたある方は、まるで選人のようだと喜んでくれた。
誌友会はコロナ感染時もZOOMで行われ、岡 先生のご指導は 91回にのぼった。 発会2ヶ月後に、私は出講停止を命ぜられ、今も続いている。 (総裁を批判しているというのである。文章でくれるよう 依頼したが、未だにこない。)
岡 先生の名誉回復の為、敢えて、書かせていただきました。 いろいろご異論もあると思いますが、縦の真理だけではなく、 横の真理も取り入れないと、現象処理は出来ない事を 学びました。
因みにですが、最近軽く「人間神の子」という人が増えた ような気がしますが、そんな軽いものではなく 「この場合の人とは、肉体人間ではなく、人間の本性又は 實相は神である」『到彼岸の神示』6頁 の覚悟が必要と思います。
あまり面白くない話を、長々と申し訳ありませんでした。 ふと思い付いた亊を、書いてみました。 (5000万円等の話は、貴『シオの部屋』にその内投稿させて いただきます。) ありがとうございます。

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はうら ひとひら様 (58675) |
- 日時:2023年06月03日 (土) 19時20分
名前:感謝の子
有り難うございます
岡先生のすばらしいお話を 拝読しました
ひとつだけご質問させてください
人間神の子という言葉は 軽く使えないというお話が 心に留まったのですが ふだん、私もあなたも神の子なんだ というとき、どのような言い方を した方がよいのでしょうか?
いろんな人たちに 教えを伝えようとするときの 伝え方が、うまく表現できないので 教えていただけると とても助かります
よろしくお願いします
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はうら ひとひら様 (58677) |
- 日時:2023年06月03日 (土) 21時32分
名前:志恩
はうら様は、岡先生のことは、 平成27年(2015年)前後からでしたら、幾らか存知ております。 その前後を書かせていただきます。
ということは、岡先生が、ちょうど雅宣総裁に公開質問状を 出されまして、その後、理事長から岡先生宛に地方講師剥奪の知らせ が届いた頃の、前後の頃を、ご存知でいらっしゃるのですね。
(岡先生は、2015年4月21日、地方講師解任の通知を受ける。)
ある意味、爆弾発言になるとは思いますが、 お気持ちを、正直に書いてくださいまして、ありがとうございます。
はうら様ー >その4.5年前から、月一で地区連会議というのがあって、 相愛会長会議があるのですが、その前に1時間程、実相 研鑽のような、出席者が特定の聖典(神示講義)の 感想などを発表し、そのあと岡 先生の講義がありました。 それはそれで、素晴らしいのですが、当時の私の岡 先生 の印象は、逃げ水のような存在でした。 捉えたと思ったら、するっと逃げていく存在でした。 縦の真理しか説かないのです。現象はどうあれ、最後は 総裁に帰一するというものでした。 私はこれには、ついていけませんでした。
何故なら、『新版 菩薩は何を為すべきか』第9条には 「生長の家大神ー総裁・副総裁ー御教。この三つを 結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である。 ・・・人は中心ではない。神意が中心である。 ・・・地上の生長の家本部が如きは、中央事務所に過ぎない と書かれているにもかかわれず。(同書54〜57頁)
或る日、岡先生と会議の帰りが一緒の時こんな話をされました。 (日本教文社に勤務時、社内旅行で、現総裁(三代目)と 風呂で一緒になり、現総裁が(未だ総裁・副総裁でもなかった 時)「自分は、多分このままでいくと、総裁になるだろう。 しかし、そんな力もなく、不安である」のような話を聞いた というのである。この時、岡 先生の中に、尊師のお孫様を お守りするという思いが起こったのは、難くない。
岡 先生は、それ以来、現総裁の実相を観られていたのであろう。 しかし、事態はますます、尊師の実相哲学から離れて行く。 岡 先生は苦しかったと思います。<
志恩ー 実は、2015年の4、5年前というのは、岡先生が、復興Gという ハンドルネームで、旧トキ掲示板に盛んにご投稿されていらした 時期でもありました。
2011年、2012年、2013年頃だったと記憶いたしております。 その頃の岡先生は、「君民同治の神示」、「合わせ鏡の法則」を、われわれに 教えてくださっていまして、われわれ信徒の心が雅宣総裁に反映 しているのだと、申されておられました。
雅宣総裁に中心帰一するというよりも、雅宣総裁を通じて神様に 中心帰一すべしと、教えてくださっていました。
あくまでも、雅宣総裁を立てたお考えの時期でありました。 __________________________ 旧トキ掲示板より、再掲:
2914 :復興G:2013/09/25(水) 22:29:25 「君民同治の神示」―― 「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。 されば民が主であり、君は客である。」 これは、生長の家において、 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。 されば信徒が主であり、総裁は客である。」 と置き換えることもできるでしょう。 ________________________ それから数年経ちまして、岡先生が雅宣総裁をお支えする気持ちに だんだんと限界が生じてきたのだと感じております。
それで、総裁に公開質問状を出されて、岡先生は、地方講師の地位を 剥奪されたのでした。
それでも、岡先生は、聖使命会員は、お辞めになりませんでしたよね。 それは、岡先生には岡先生のお考えがあったからだとお察ししています。
はうら様のおっしゃる通り、 確かに、縦ての真理だけでは、この現象世界の出来事は、解決しない 場合が多いです。縦の真理と横の真理の両方がバランスよ く組み合わさってこそ、物事は、解決することが多いと存じます。
私は、岡先生にとっては、地位など、全然必要なかったんだと思います。 地位を剥奪されたことは、お若い時とは違って、決して不幸なことでは なかった。自由になられましたから。
自慢ではありませんが、私は、本部講師の資格も、 地方講師の資格も、持っておりませんけれど、このように えらそうな発言を、自由にさせていただいております。
(はうら様ー) 私は、7度目の職場として、片道1.5時間以上かけて、ある町工場 (西八王子)に通っていた。その通勤時間を利用して、一日 『聖経 甘露の法雨』を10巻ずつ読誦して、気が付いたら3年間で 1万巻読誦していた。 (観世音菩薩の慈悲の體をほぼ、観じられていた)
2012年(平成24年)5月末の朝一番電車をホームで待って いながら、『生長の家』機関紙の6月号に掲載された 「大自然讃歌」を読んでいて、途中で頭に異変を起こし 思考する事が出来なくなって、ホームに落ちそうになった時、 電車の警笛と急ブレーキ音で、われに返った。 その夜 岡 先生に電話したら、「あれは贋(にせ)経だ」 と吐き捨てるように言った。波長が合わなかったのである。<
志恩ー お経は、波動でできていますから、永年、「甘露の法雨」で 生きてきた人が急に、雅宣総裁作のお経を読んだり、 先祖供養をしますと、心身ともに、不調になったお話はよく 耳にします。私の義理の兄も、永年「甘露の法雨」をあげて いましたのに、聖使命会費を集めに来た人に勧められて 雅宣総裁が作ったお経に変えて読むようになり、半年ぐらい 経ちましたら ほとんど目も見えなくなり、ほとんんど耳も聞こえなくなりまして、 それは偶然かもしれませんが、 私に、義兄から、どうしたもんだと、相談の電話がありましたので、 急に、お経を変えて波動を変えたからかもしれませんから、 元のお経に戻して、先祖供養さたほうがいいですよ、と、アドバイスを 差し上げたことがございました。
でも、雅宣総裁の作ったお経を、毎日、あげている人でも、お元気な 人もありますから、人によって波動(波長)が合う、合わないが、あるのだ と存じます。
ですから、人それぞれで、いいのだと思っております。 私は、今でも、先祖供養は「甘露の法雨」のみですが。
はうら様ー >因みにですが、最近軽く「人間神の子」という人が増えた ような気がしますが、そんな軽いものではなく 「この場合の人とは、肉体人間ではなく、人間の本性又は 實相は神である」『到彼岸の神示』6頁 の覚悟が必要と思います。<
志恩ー 感謝の子様が、これについて、質問されてます。 どうぞよろしく’ご教授くださいませ。

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岡先生(復興G様)の過去文 (58678) |
- 日時:2023年06月03日 (土) 21時46分
名前:志恩
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 再掲: 旧トキ掲示板より 「今の教えと本流復活を考える/信仰/体験談」
>>1079:復興G2012/02/12(日)
私は今、「法燈継承」ということについて、考えています。 「法燈継承」は、過去のことではない。 「法燈継承」は、「今」のことである。 「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。 それは、自分のことである。 「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、生長の家信徒一人一人が 皆、各自の内に「法燈継承」をすべきなのではないか──と。
「法燈」とは、何でしょうか。 谷口雅春先生が神啓を受けて悟られた「真理の火」である。 それは── 「肉体なし」「現象本来なし」と過去の自分を否定し、 「あるものは唯神のみなり」「我神なり」 「すべては我が心の展開なり」と自覚する。 そしてすべての人を神の子として礼拝し、 「今起て!」と真理の火をすべての人に点じて行く。 ──その真理の火が、「法燈」である。 その「法燈継承」の時は、「今」なのである。 それが、「今、起て!」ということなのである。──と。
真理への道はただ一つ、「人間は神の子だ」ということである。 和解への道はただ一つ、「人間は神の子だ」という「法燈継承」を、 全信徒が行うことである。 それなくして、相手を責めてばかりいては「和解」はできず、 「和解」ができなければ生長の家はつぶれてしまう。 生長の家が潰れれば、「万教帰一」がなくなり、 人類の恒久平和はあり得なくなるのである。 もはや、絶体絶命の時が来たのである。
さあ、「今」全信徒が「法燈」を継承すべく、 起ち上がろうではありませんか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「みすまるの珠より」
「久遠の今」
人間至上主義、万歳!
そして、「人間至上主義万歳!」 を説く生長の家、万歳!
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しかし谷口雅宣 現生長の家総裁は、なぜこの 「人間至上主義万歳」 を説かれず、動物人間のレベルで 「人間至上主義はいけない」 と説かれるのであろうか。
それは――と、僕は考える。
生長の家創始者は、現象界では谷口雅春先生であるが、根元的・第一義的には神が創始者である。実相界の創造神が生長の家創始者である、と思う。
第一義的に神の創造に成れるものは、時期来たれば必ず現象界に現成する。
それは、人類の大多数が 「人間は神である」 という真理を自覚して互いに愛し合い生かし合い、中心に帰一して大調和の神の国を現(うつ)しだすのである。
しかし実相世界に成れる神の国が現象界に顕現するには、踏むべき段階を経なければならない。
谷口雅春先生の時代には、谷口雅春先生が神の啓示を受けて、万教帰一の大真理を大々的に雑誌・書籍などの文書や講習会で宣べ伝えられた。信徒はそれを受け、歓喜して雑誌・書籍(神誌・聖典)頒布拡大や講習会推進運動などに命がけで働いた。
その時代は谷口雅春先生が直接に神の啓示を受けられた神の化身で、衆生信徒は神そのものからはほど遠い凡夫であるという観念から抜けきれなかった(僕もそうだった)。谷口雅春先生は 「皆さんが谷口雅春であり、皆さんが住吉大神の全心全霊である」 と説かれたにも拘わらず、である。
それは謂わば谷口雅春先生依存症であったとも言えよう。
それを打ち破るために現れておられるのが、現 谷口雅宣総裁ではないか。と、僕は考えるのである。
谷口雅春先生依存症・総裁依存症から離脱し、信徒一人一人が神であるとの自覚をもって起ち上がる、奇蹟の時は 「今」、「久遠の今」 である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 【岡 正章(おか・まさあき)先生 ・プロフィール】
1933年6月 東京生まれ、 2023年5月24日ご逝去(89歳)
山口在住の1950年頃 父親が生長の家入信。 その影響か、1951年春 霊的体験を得て人生観が一変。 1952年 山口高校卒、同年 東京大学入学。
1953年 生長の家青年会入会、谷口雅春師ご自宅での青年会 「お山のつどい」でご指導を受ける。
1959年 青年会中央執行委員学生部長。 1960年 東京大学教育学部卒。 1964年 日本教文社勤務、聖典・書籍の編集に従事。
1975年、生長の家本部青年局に転じ『理想世界』編集長。 1976年、同誌100万部突破。 1984年〜2006年、茨城・福島・山形の各教区教化部長歴任。 2006年 東京第一教区地方講師。
2015年4月21日、地方講師解任の通知を受ける。 しかし、その後も亡くなるまで、相愛会員、聖使命会費取扱者であった。

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感謝の子様へ (58691) |
- 日時:2023年06月04日 (日) 08時34分
名前:はうら ひとひら
感謝の子 様 志恩 様
ありがとうございます。 偉そうな事を申し述べまして、大変失礼いたしました。 最初に命題を述べさせていただき、それから最近の 神癒の体験、最後のまとめとさせて頂きます。 (あくまでも、私個人の責任においての感想です。)
命題
『聖経 続々「甘露の法雨」の最後の方に 《「神の子・人間」の上には神の法則のみ支配す。》 とあります。 一方『聖経 甘露の法雨』の神の項には 《 宇宙を貫く法則 》 とあります。 どう思われますでしょうか。
神癒の体験 この5月の連休中2件の個人相談の受付がありましたが、 1件は面談でした。 この方は、生長の家の信徒で、私の出講の時にお会い しておりました。 ある高齢者施設(立派な)に入られていて、車いすで 介護の方に押されながら、暗い沈んだ顔で出てこられ ました。 詳細は伏せますが、今は亡くなっておられますが、ご主人 の事を60年間も赦せない、と恨んでおられました。 また、今施設に入っているのは、家族に捨てられたと 思ったいる。との2点だと思います。
私はその方の実相だけを観るようにして、およそ次の ような話をさせていただきました。
1.生かされて生きている。 寝ている時でも、呼吸を何回するとか、体温を何度に するとか、血圧をどの程度にして、血液を身体中に 送り出すかとか、考えながら寝ていますか。 空気は、水は、太陽の光は、頼んで現われていますか。 これが生かされているという事です。
2.まわりがどのような状態であれ、自分は完全であると 観じ、そして、相手や環境も完全であると観る時、 そこに自分を含めて浄土が出現します。 これはまちがいのない事です。 (私の体験上からも)
3.救いはいつでもあります。必ず救いは起こります。 しかしそれには、条件があります。 自分だけ救ってくださるという事はありません。 必ず相手も同時に救われなければ、救済はおこりません。 問題は解決策をもって現われます。 解決出来ない問題はありません。出題もされません。 自分の魂の向上の為に、出題されるのです。 それには、和解する事です。 和解とは感謝する事です。
「感謝ですか」と相談者はきつい冷たい目を向けた。 「そうです。相手の実相(神そのままの本当の姿) に感謝するのです。問題から逃げても、解決するまでは、 いつまでも、次の代までも出題し続けられるのです。」 と私は、権威のある言葉で言いました。
相談者は苦しそうにしていました。
暫くして、その顔がほんのりと赤みをおびて、その姿 全体が何ともいえない、やさしい雰囲気に包まれました。 法悦(ほうえつ)の姿がそこにありました。 私は神癒(しんゆ)が起こったことを確信しました。
それ以降相談者は一人で、嫁いでからの話をしました。 その方の半生を語るようでした。 私はただ聞いていました。 義母から、本当によくしてもらった事。又夫のお蔭で、 このように整備され、また介護の方も皆やさしい方の 所に入ることが出来た事。家族にも感謝している・・・ すべて感謝の言葉が述べられていました。 その人の一生が祝福される事になったのです。 数十年間の怨み、不調和が浄土と化したのです。
このとき初めて「現象なし」というみ教えが生きてくる のです。 『観世音菩薩の祈り』にありますように、 「三十三身に身の姿を変じ給ひて 衆生を済度(さいと) したまふやうに、時と処と場所とに応じて、適当なる 方便を行じて人々を救ふことが出来ますやうに。」 (『聖光録 「吾が祈り」より)
その方は、その場でご自分で立ち上がりました。 (手助けなしに) 数日前、お礼の便りがあり、「すべて感謝の日々で体調 も善くなりました。」と和歌山のコンブ漬け梅干しが添え られていました。
まとめとして
私達は、それぞれの使名をおびて、現象界に生かされて 生きております。 その現象にも二つある、とご教示されております。
《 虚(きょ)のコトバから発生したものは本来が虚 であるからあるように見えても存在せぬ。 そういう現象を偽象または虚象(きょしょう)という。 善き言葉であらわれた現象は、実在の延長であるから、 真象(しんしょう)と言う。真象は神御自身のコトバ の延長であるから、神の嘉(よみ)したまうところで ある。神は表現を求めていられるのである。 真象は神の表現であり、神の発展であり、み心の天に なるがごとく地にも成(な)ることである。 真象は神の御稜威(みいつ)の降臨(こうりん)である。 理念の表現である。現象にも真象と僞象とがあることを 知らねばならぬ。「現象なし」と断(た)ち切る場合は 「偽象」なしの意味である。「神」の『心』動き出(い) でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」という 場合の「現象」は真象である。》 (『生命の實相』頭注版 第38巻 104・105頁)
ここでもう一度、最初の命題にもどると、その意味が解るの ではないかと、思います。 拙い説明で申し訳ありません。
このような機会をいただきました事に感謝いたします。 どうぞよろしくご指導の程お願い申しあげます。
感謝 合掌 はうら ひとひら 拝

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(58697) |
- 日時:2023年06月04日 (日) 11時43分
名前:元信徒
志恩様
さすが志恩様!今、タイムリーに復興G様のご文章を出してこれるなんて!素晴らしいです。私は保存もせずにいました。さすがに雅春先生時代の本部員はみな優秀な方々ばかりでした。電話の出方、その後の対応まで素晴らしいご本部でした。 志恩様、岡先生のお言葉に感激しました、又懐かしくて、懐かしくて。嬉しくてたまりません。又、掲示板をのぞいて勉強したいと思いました。当時私は頭に血が登っているだけで現総裁の悪口しか書いていませんでした。そんな私なのに、岡先生は会ってくれて、 貴女の書き込みは痛快だね。と仰って下さいましたが、先生の眼は、私を透過し遠くをご覧になっていらしゃいました、実相はそうでは無いのだよ。と今ならそうおっしゃりたかったのだろうと推察できます。 当時は、初対面の私を、先生が実相を拝んで下さった事が分かりませんでした。その後も悪口三昧の荒んだ私をずっと拝み続けて下さっておられて、、ありがたかったです。泣
又、復興G様の目の前で超失礼な発言をしたにも関わらず、貴女の様な方なら又会いたい、みすまるの珠では大和撫子と名乗りなさい。など優しくしてくれました。(単純でバカな私は、岡先生から大和撫子のニックネームを頂き、そのまま受け取って嬉しくなって1人で舞い上がり喜んでしまいました、ですが、後から考えると、顔を真っ赤に茹でタコのようになって、言葉は乱暴で弾丸のように悪口三昧怪獣だった私に、言霊で、言葉の力で私の中の大和撫子を引き出そうとしてくれた岡先生のご指導でそのようにして下さったと自分で気づきました時は、又また、恥ずかしくなりましたが、岡先生のご指導や先生の深い神愛に心から感謝いたしました。)
お孫さまのツールドフランス参加の事や自転車のなんとか弱虫ペダルでしたか?の主人公のモデルは岡先生のお孫さんだったとか、筑波山で素晴らしい実力をつけたと満面の笑顔で仰っておられました。少しの時間に沢山のお話ができました。今となっては宝の時間です。 岡先生には掲示板で沢山学ばせて頂きました、落ち着いた今、又勉強しに行かないと。と 思いました。ありがとうございました。 あと、懺悔では、私岡先生に復興GのGの意味はなんですか。と伺いました、何だと思うかと問われて、ジジイ(爺)のG だと思う、復興爺と思っています。と、恥ずかしげも無くハッキリ発言してしまい、岡先生のビックリ仰天したお顔を忘れません。すごく失礼過ぎる私。申し訳ございませんでした、GはジャイアンツのGだそうです。その後、恥ずかしさでよく説明を聞けませんでした。そんな私なのに、岡先生は私にいろんなプレゼントを自宅に送ってくれました。手紙や葉書も沢山頂きました。 本や真理のCD類なと沢山、、、。すみませんでした、岡先生。。。 岡先生、私はいい加減な中年でしたのに、 少女が読むよう様な、当時テレビで話題に上がったご本をご自分で作成されて製本されてまで送ってくださったのには、とても感激しまして、改めて岡先生、ありがとうございました。合掌。泣。 志恩様のおかげで又思い出しましたので、改めて今度は真剣に勉強し直したいと思いました。
志恩様、岡先生、ありがとうございます。 合掌🙏

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はうらひとひら様 (58701) |
- 日時:2023年06月04日 (日) 12時18分
名前:元信徒
入信されたのは平成に入ってからと書かれておられましたが、岡先生とお知り合いになり 深い真理を学ばれたのですね。大変勉強になりました。 介護施設の方へのご回答は、私自身に言われているように自分の魂の奥深くに染み入り、内在の神が、その真理によって刺激されて魂が目覚め、光明がさした感じで嬉しくなりました。
真象、偽象の項目も書いて下さりありがとうございました。 前のご回答と、はうらひとひら様の守護指導霊様のお導きの言葉でか、これまた心に深く染み入り私の心は学びの意欲で充満して参りました。 再度、学び直したいです。 又、出来ますならば、許されるならば、zoom誌友会に参加したいです。 はうらひとひら様とメールで聞きたい事がございます、メールをしましたがメールがはじき返されます。 連絡を取れるメールを管理人さんに伝えますので、宜しければご連絡をお待ちします。 どうぞ宜しくお願いします。
素晴らしい体験談のご指導をありがとうございました。合掌
借金返済の体験談も首を長くしてワクワクしながらお待ちしております。
ありがとうございます。
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はうら ひとひら様 (58715) |
- 日時:2023年06月04日 (日) 18時30分
名前:志恩
はうら ひとひら様は、ご文章の中で、”出講”と書いて おられますので、もしかしたら地方講師の先生で いらっしゃるのかもしれませんが、 ご指導のご様子やご文章を読ませていただきますと、 本部講師級のすごいお方でいらっしゃると推察させて いただきました。
まず、【命題】と題されて書いておいでの ところに、
>『聖経 続々「甘露の法雨」の最後の方に 《「神の子・人間」の上には神の法則のみ支配す。》 とあります。 一方『聖経 甘露の法雨』の神の項には 《 宇宙を貫く法則 》 とあります。< とお書きです。
「神の法則」も「宇宙を貫く法則」も、 神様が、この聖経の功徳によって、人類をどこまでも幸福に したいという神様の祈りが一句一句に込められている 大変貴重な聖経なのだということが理解できます。
谷口雅春先生が総裁先生時代、私も谷口雅春先生のご指導の ご講習会や本部の白鳩会での会場の場で、数多くの奇跡と みえる出来事を、人類が次々に救われて行く有様を、驚きとともに、 この目でしかと目撃してまいりました。
しかし、谷口雅春先生没後は、そんな奇跡などあるはずがないという 信念を持つ指導者に変わりましたので、あるはずかないという信念の通り の宗教世界に成り果ててしまいました。
その中で、数少ない、はうら ひとひら様のように実際に神癒の体験を おもちでいらして、なお、他人様を個人指導までされていらして、次々に 実績を挙げていらっしゃるというすごいお方も、中には、数えるほどでしょうけれど、 まだこの世に現存されている奇跡を、実際のご文章で知ることができまして、 それは、はうら様の生々しい体験談の おかげですけれど、
神様も、神界の谷口雅春先生も、さぞかし、我が意を得たりと、喜ばれて、 このトキ掲示板をお読みくださっておられると思わせていただいております。
はうら様の神癒の体験は、ずっと過去の体験ではなく、 ごく最近、起こった体験談であることも、大変貴重であると 存じました。
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(58718) |
- 日時:2023年06月04日 (日) 20時21分
名前:元信徒
> 命題
『聖経 続々「甘露の法雨」の最後の方に 《「神の子・人間」の上には神の法則のみ支配す。》 とあります。 一方『聖経 甘露の法雨』の神の項には 《 宇宙を貫く法則 》 とあります。 どう思われますでしょうか。
この聖経の言葉は、真象、の奥にある動かない実在であると思います。 時により真象は偽象になったりしますが、 上記は不動の実相世界の様子を書かれていると思います。
創造の神は五感六蔵感も超越しているですから
真象とはちがう存在だと認識します。
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現象には、真象(しんしょう)と虚象(きょしょう)と、二つあるについて。 (58722) |
- 日時:2023年06月05日 (月) 04時59分
名前:志恩
はうら ひとひら様 元信徒様
(はうら ひとひら様ー) >現象にも二つある、とご教示されております。
《 虚(きょ)のコトバから発生したものは本来が虚 であるからあるように見えても存在せぬ。 そういう現象を偽象または虚象(きょしょう)という。 善き言葉であらわれた現象は、実在の延長であるから、 真象(しんしょう)と言う。真象は神御自身のコトバ の延長であるから、神の嘉(よみ)したまうところで ある。神は表現を求めていられるのである。 真象は神の表現であり、神の発展であり、み心の天に なるがごとく地にも成(な)ることである。 真象は神の御稜威(みいつ)の降臨(こうりん)である。 理念の表現である。現象にも真象と僞象とがあることを 知らねばならぬ。
「現象なし」と断(た)ち切る場合は 「偽象」なしの意味である。
「神」の『心』動き出(い) でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」という 場合の「現象」は真象である。》 (『生命の實相』頭注版 第38巻 104・105頁)<
志恩
私は、これについて、まだ書いていませんでした。 元信徒様が書いてくださって、ありがとうございます。
現象には二つある「真象」と「虚象」の二つある。 すごい大切なテーマですね。
昭和44(1969)年のことですが、 私が結婚するときに谷口輝子先生から私に 結婚祝いの色紙ができたので、お山まで取りに来るように という連絡がございましたので、お山まで まいりますと 谷口雅春先生が色紙に次のように書いてくださって、それを 丸い額に入れたものを、輝子先生が、私に手渡してくださいました。 そして輝子先生から、結婚のお祝いとして、1万円までいただきました。 (当時の1万円は、今ですと、いくらぐらいなのか不謹慎ながら調べてみますと 3万円から4万円以上のようです。 私だけではなく、当時は、本部職員が結婚する場合、お山様は皆さんに 差し上げていたと、いただいたあと、白鳩会中央部の片岡松枝事務局長から 私は、聞きました)
色紙には、次ぎのように書かれてございました。
【雲上月在 地上華実在 両人幸福有 谷口雅春】です。
この場合、月が真象で、雲が虚象、だと思います。
創造主である神様は、実相の世界の善一元の世界を 現象世界に創造されたのである。
月が雲に覆われてしまって見えない場合、月は、ない、と 感じるだろうけれど 実際には、雲の上には、ちゃんと月が煌々と輝いているのだ。
結婚すれば、いろいろなことがあると思うが、この 精神を忘れずに、結婚生活を送ってください。 そうすれば、食べるものにも困らずに幸福な結婚生活が送れます。
という意味かな、と私は受け取らせていただいておりました。
> 命題 >《「神の子・人間」の上には神の法則のみ支配す。》 《 宇宙を貫く法則 》<
はうら ひとひら様は、 人様を助けたいという深い愛念の持ち主でいらして 日曜日以外は、毎朝3時半に起きられて 先祖供養のために聖経をあげられたり. 仏教でいえば修行僧のようなお方でいらっしゃいますから、 高級霊が、天から降霊して、はうら ひとひら様のされる 数々の治癒をお扶けされているのだと存じます。
繰り返しますが、 実相世界をキチッと把握されておられる、はうらひとひら様でいらっしゃる からこそ、そして、人様を幸せにしてあげたいという深いご愛念の持ち主で いらっしゃるからこそ、数々の奇跡といえる成果が出ているのだと思います。
別の話で、個人的なことですが、 私と娘が昔から、心がけて実践していることがあります。 それは「他人に優しく、深切に!」です。 近所の人と道ですれ違うとき、笑顔で挨拶1つするだけでも 他人に優しくだと考えております。 自分を中心に考えずに 相手のことを考え、相手の気持ちになって、言動して行こうね、です。 ですから地域のことでも、人様があれこれと困ってることがありますと、 できる範囲内で、無償で何かと地域に協力するように心がけております。 そのせいか、不思議なことに、いいことが望まなくても向こうのほうから いつも、やってくるのです。
はうらひとひら様、
われわれが、コメントさせていただいたことで、 それは違うと思われたことは、 ご遠慮なく、ご指摘くださいますよう、 よろしくお願いいたします。

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ありがとうございます。 (58729) |
- 日時:2023年06月05日 (月) 18時00分
名前:はうら ひとひら
ごめんなさい。 長文を投稿したのですが、エラーで 全部消えてしまいました。 後日挑戦してみます。 ありがとうございます。
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(58731) |
- 日時:2023年06月05日 (月) 22時02分
名前:はうら ひとひら
こちらにご投稿されている皆様に感謝いたします。 私の出没で、別のスレッドで、投稿を止められた 方もいらっしゃいまして、大変申し訳ありません。 今回も取り留めのない事を書かせていただきます 事、お許しください。
『感謝の子』様が、確か『凡夫』と書かれていたような 気がして、探してみましたが、見当たりませんでした。
凡夫は親鸞聖人の 『超世(ちょうぜ)の悲願ききしより、吾等は 生死(しょうじ)の凡夫(ぼんぷ)かは』 (『新版 真理 』第3巻 12頁) が有名です。 超世とは、業(ごう)の世界を横に飛び超える事。
【煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫を超えて】 ・・・現実の私たちの即座の救いに間に合わない・・・ (『新版 真理』第10巻192.193頁)
私は断言します。間に合います。 私の生長の家の思いです。
・宗教なら・・救済。私達の使命ではないでしょうか。 ・實相哲学なら・・物理学(現象)を超越しましょう。
《哲学と云う言葉はその文字の組立てが示す如く、 (物理学)と云う言葉に(超越する)と云う言葉 が結合されている。従って物理的なるもの以上の ものを意味しているのである。》 (『人生は心で支配せよ』13頁)
・生長の家の教義(大調和の神示の全文)の顕現 これは、生長の家に触れた者に与えられた、特権 であり、使命であり、義務だと思います。
岡先生はこれの成就の為、これから、10年追及すると 言われましたが、霊界で完成されたので、現象界での 成就は私達に任せられました。
話は全く変わって大変恐縮です。 私は、正規の職場を離れてから、2年間で2冊の小説を 書きました。 その内の1冊は、『親鸞』『道元』『3.11の意味するもの』等 もう1冊は『キリスト教篇』で殺人者が、生長の家の教え に触れて、救済された事を書いています。 どちらも生長の家の教えを基にしています。 これらを読んだ、生長の家を全く知らない人が、 「病はないんですね」と言って、癌を消してしまった。 もう一人の人は、大変尊師には申しわけないのですが、 『聖典を200冊』以上読んだが、よく解らなかったが、 この2冊で生長の家がスパーッとわかった。 永遠のバイブルです」と言ってきた。 (この2冊は、残り少なく、校正もあまりいき届きませんが、 ご希望の方には、在庫がありましたら、おわけ出来ます。)
またまた話は変ります。
『人間神の子』についてです。
《併(しか)し当時此の思想が實際生活に力を表さなかった のは「大円覚(だいえんがく)や「人格」や「表象」などと 云う宗教的、哲学的、倫理的用語を使って、それを単なる 思索(しさく)上の概念としていたので、論理の正しさは あっても實際生活に直截(ちょくせつ)的に力を及ぼさ なかったのである。この表現がズッと容易(やさ)しく なり、大円覚を「人間神の子」と云い「肉體は表象 (ひょうしょう)也(なり)」を「肉體は心の影」と 表現した時、明らかに哲学が、宗教が、倫理が、生活 の中に飛込んで来て、「人間」そのものが治ることに なったのである。まことに表現の力である。 (『即身成佛の真理』はしがき 5頁)
『法則』と『神の法則』につきまして。
《 法則は神であり、法則が万事を成し給う。》 (『新版 真理』第2巻 236頁》》)
神の法則は、時間空間、因果律を超えた、第一原因者 (大生命)宇宙を理念でつくられた叡智者から出た ものです。
私が半年間殆ど寝ないで仕事をして、(所謂」5000万円 負債)肺が真っ白になっているとCTの原画を見せてもらい ました。その4日後、その原画から肺炎が消えて透明な 画面になったのです。過去起こったことが、完全なもの に修正されたのです、。
《 “今"の一点に“久遠"の絶対時間を生きると、過去も 現在も未来も今ここに一つに把(つか)まれてしまう。 ・・・過現未が自分の掌中(しょうちゅう)にあるのです。 普通、過去は変化することが出来ないというけれども、 過去も変化できる。そこから吾々は真理を自覚すれば 過去の業(ごう)を消すことが出来るということがわかる。》 (『無限供給の扉を開く』237頁)
『元信者』様が メールが返された、とありますが、この掲示板を見ら れて、私にメールをされた方から届いております。 私達の誌友は、数十人が登録していますが、端から端まで、 いろいろな考えを持っていて、すべて自分と他人を 傷つけなければ、OKです。 インドに生長の家を弘めに行った人、日本舞踊の家元 (11月に発表会を開きます)英語講師、良寛、山頭火 を凌いだと言われる草笛禅師の後継者等、いろいろおります。 6月17日のZOOM誌友会は、岡 先生の追悼の会としました。 都合がつけば、岡 先生のお嬢様がのぞいてみたいと言って きました。
またまた話は変ります。 私は、地方講師補です。補ですから講師ではありません。 未だに出講停止中です。
誌友会出席者で白鳩会支部長が、誌友会は難しい。 『○○○の〇〇〇365章」なら解るのですが、と言ってきました。 そこで私は下記のメールをいたしました。
「難しいと言えば、難しいです。何しろ目に見えるものは、 現れているだけであって、本物ではない。 その奥に本物(実在するもの。本当にあるもの)があり、 眼には見えないとの教えですから。 そして「実相哲学」は人間が神に直結する運動ですから、 神は霊でありますから、こちらも霊的にならないと、 同じ波長になりません。 しかし、たった2つの事をするだけでそれが通じるのです。
それは観(神のみ実在する)と、思念(生かされている) しさえすれば、実相が現れて、現実化する、とあります。 (『生命の實相』頭注版 第39巻 188.189頁)
思いおこしていただきたいのは、Sさんの事です。 Sさんはご主人を看病中に、2人で倒れ、全治3ヶ月 と言われ、入院しようとしたら、ご主人が霊界に旅立ち、 その後、息子さんが倒れ、神癒祈願の郵送中にこれもまた 霊界に旅立たれた。(30代で) やっと落ち着いたので、3ヶ月の入院をされて退院後に、 どのように接したらよいかとの相談でしたね。
私は負の連鎖を感じ、貴方と二人でSさんの実相を 祈りましょうと提案しましたね。 そして二人で祈り、2日後Sさんは完治し、残された 息子さんのご家族と協力して生く。Sさんご家族は 今後の道を明るく進んで行きたいとの報告を受けたとの事。
この時なにが起きていたかです。 よい波動が起こり、観と思念が実相に相応すれば、浄土 が現出するのです。難しいことは何もなかったですね。 よい波動が起これば、その波長が霊界のよい波長に あえば、必ず霊界からのご指導、ご援助があります。 お互いに真理の研鑽に励ませていただきます事を、 感謝いたします。」
まだ色々書いたつもりですが、思い出したら、投稿します。
このスレッドにご支援、ご指導くださいました皆様に 深く感謝いたします。 到りませんが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
感謝 合掌 はうら ひとひら 拝

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はうら ひとひら様 (58732) |
- 日時:2023年06月06日 (火) 02時16分
名前:志恩
はうらひとひら様は、昨夕6時に、「長文を書き、投稿を試みた ところエラーが生じて投稿できませんでした、後日、 あらためて、投稿します」という ご投稿をされましたが、 その後、早々と、昨夜10時にご投稿くださいまして、誠に ありがとうございました。
多岐にわって、ご説明くださって、おられますので、 1つ1つ、たいせつに読まさせていただいております。
「補」についてのことですが、 「本部講師補」「地方講師補」というふうに最近は、「補」が ついている役職名が、多く見受けられますが、私が原宿本部に 奉職させていただいていた時は、「補」は、使っていなかった ように思います。私が気がつかなかっただけなのかどうか わかりませんが。
私は、榎本一子先生の役職名を本部講師補と、先日書き ましたけれど、あの役職名は、前の役職名で、現在は、「補」 ではないのかもしれません。 近々、一応、宇治別格本山へ電話して確認してみます。
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はうら ひとひら様 (58736) |
- 日時:2023年06月06日 (火) 09時51分
名前:志恩
(はうら ひとひら様ー) >私は、地方講師補です。補ですから講師ではありません。 未だに出講停止中です。<
はうら ひとひら様,
ただいま、宇治別格本山へ電話して、聞きました。
結論としては、 「本部講師補」、「地方講師補」と、「補」がついていましても、 「本部講師」であり、「地方講師」、であるとのことでした。
実は、宇治へお電話いたしましたら、最初は事務の女性らしき 人が電話に出られて、私が、榎本一子先生のことで、お聞きしたい ことがあると言いましたら、ちょうど、お近くに、 ご本人の榎本一子先生がいらしたご様子で、なんとその人に代わって 私の憧れの榎本一子先生が、お電話に 直接 出てくださいましたので 驚きました。
(一子先生が、「今、忙しい..」と申されましたので、 短めに質問させていただき、短めに電話を切りました。)
榎本一子先生に、直接、お伺いいたしましたので、 間違いございませんが、
一子先生は、今でも、「本部講師補」でいらっしゃるそうです。
で、「補」がついていても、「本部講師」だということを、 教えてくださいましたので、ご報告させていただきます。
ですから、 はうらひとひら様も、「補」がついていても、 「地方講師」でいらっしゃるのでした。 あなた様は、未だに、出講停止中とのことでございますが。
それから、はうらひとひら様が 書かれたとおっしゃる 2冊の小説を 私も拝読したいと思っております。 メールをさせていただきますので、よろしくお願いします。
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悟らざる真理 (58823) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 16時12分
名前:はうら ひとひら
志恩 様 私の為に、わざわざ時間をさいて、宇治別格本山まで電話 されまして、ありがとうございました。 憧れの榎本先生の声が聞けてよかったですね。 折角のご厚意ですが、私は、肩書とか、大会社、大組織の 威光をかりて、自分は偉いような姿をしている人が、稀に おりますが、余り好きになれません。
ルネサスエレクトロニクスという、世界でもトップクラス の製品を製作している、半導体メーカがあります。 私は一時、その出身母体の工場に在籍していて、(一工場 で4千人程従業員がおりました。)設計課員でしたが、言って 入る事と、やっている事が違っていて、辞めました。 この会社は一時国策会社として、血税で支えられていた 事があります。そのような国民の支援があって、現在がある 事を忘れないでほしいのです。一課員が悲しい思いをして いた事、国の支えがあって現在がある事を忘れないで、 ほしいのです。大会社・大組織への私の思いです。
或る日、私はいつものように、一人で一軒ずつ個別訪問 して、祝福の祈りをしてから、チャイムを押しました。 伝道をしていました。 「生長の家と申します。」 「どちらの生長の家ですか。」 私はその顔をみて、大変なショックを受けました。 (血税で国の庇護を受けながら、目的を忘れて、分裂して、 何が真理だ。世間では、目的以外の事でお金を集めると、 詐欺というが、宗教界は違うようだ。形だけの宗教ごっこを やめて、世間なみになるまで、顔を洗って出直せ!) と言っているようであった。 私は、それ以後、伝道をやめた。 そして、3年間で『聖経 甘露の法雨』を一万巻読誦した。 救済の霊的波動をいくらか、観じられるようになっていた。 波動が合えば、霊界からご援助、ご協力が得られるように なってきた。
私は、7回転職をして、会長以外は、ほとんどその肩書 を持った。肩書はその人の責任の重さの範囲だと思って いる。他を威圧するものではない。 因みに、恥をしのんで、私の履歴を書きます。
@設計課員A庶務係→企画係長B技術課員→技術課主事 C代表取締役→専務取締役D臨時従業員→技術課員→ 技術課長→取締役技術部長→懲戒処分を受け損なう →嘱託E設計課員→設計課長待遇F技術課員・営業兼務 Gパート(ぱっとしない)従業員 現在に至る。 中卒程度だとこの程度ですが・・ 肩書を信用してはいけません。その人の中身が問題です。
話は変ります。
岡 先生が日本教文社から、教化部長に転任される時、 その赴任先は、問題を抱えていて、ごたごとしていて、 「あんたがいっても、絶対うまくいかない」と殆どの 人に言われたそうです。一人だけある教化部長が、その 赴任先の信徒名簿と、写真を渡されて、現地に行くまでの 間、この人達を祝福しなさい、と言われたそうです。 岡先生はその名簿と写真を肌身離さず持っていて、祝福 し続けたそうです。 最初の挨拶は、敵陣に入るような状態だったそうです。 暫くすると、講話の通りの奇蹟が続々と出て、教化部が 一つとなり、翌年の講習会は、成績が倍増したそうです。 無償の行為は無限の効果を出すものですね。
またまた話は変ります。 ある相当レベルの高い話をする人から電話をいただいた。 「甘露の法雨に、“悟らざる真理”とありますが、 悟るから真理ではないのか」と口を電話の前で尖がらかして 言う。皆様はどのようにお考えですか。
私は、自分の考えをいろいろ述べたあと、次のご文章を 紹介しました。
《 實相の真理のみに凝著(ぎょうちゃく)してしまっては 却(かえ)って衆生の佛法は生ずることが出来ない。 煩悩(ぼんのう)の泥中(でいちゅう)にこそ衆生の佛法 は生ずるのであります。》
《實相は完全で、慈悲の心を起こしようがないからです。》
(『維摩経解釋』353.355頁)
またまた話は変ります。
『大調和の神示』が垂示されてから12年目に尊師の 『私の念願』が発表されております。 それほど、感謝が難しいという事でしょうか。 恐れながら、全文を謹写させていただきます事、 ご容赦ください。
《【私の念願】
心持のよい生き方をしたい。人に喜ばれる生活をしたい。 今日は善いことをしたと夜になって振り返って見て 自分で安心できるような生活をしたい。 人が自分に 迷惑をかけても自分の方からは、その人の ためを思ってしてあげるような生活をしたい。 損かけられたら 損も黙って受けていたい。 損というものは本来無いのだから それは業が消える はたらきだと感謝して生活したい。 毎日一度でも腹立つことなくして生活したい。 毎日一度でも何か恩を返すようなことをしたい。 皇恩もある。國恩もある。父母の恩もある。配偶の恩もある。 子の恩もある。召使の恩もある。 親の恩も大切だが 子の恩も大切である。 子があるので親はどんなに慰められているか知れない。 親があるので、子はどんなに生きる力を感ずるだろう。 親と子とは相持ちである。どちらからも感謝したい。 夫と妻とも相持ちである。どちらからも感謝したい。 主人と召使とも相持ちである。どちらからも感謝したい。 一切衆生の恩をおもうとき 一切衆生に感謝したい。 一切の事物の恩を思うとき 一切の事物に感謝したい。 これが私の念願である。 -谷口雅春先生の御言葉-
【生命の凝視】昭和18年7月20日 発行 『理想世界』誌 昭和49年6月号 (現代仮名遣)
ありがとうございます。

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はうらひとひら様 (58845) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 23時16分
名前:志恩
久しぶりにトキ掲示板へご投稿くださいまして、 ありがとうございます。
トキラジオが閉局になりましてトキ掲示板は寂しくなりましたが、 天から降ってこられたような、はうらひとひら様がトキ掲示板へご参加 ださいまして、どれだけ心づよくありがたく感謝しているかしれません。
とにかく、はうら様の実行力には、驚くばかりです。
>3年間で『聖経 甘露の法雨』を一万巻読誦した。 救済の霊的波動をいくらか、観じられるようになっていた。 波動が合えば、霊界からご援助、ご協力が得られるように なってきた。<
>一人で一軒ずつ個別訪問 して、祝福の祈りをしてから、チャイムを押しました。 伝道をしていました。<
お仕事は、半導体メーカーで設計をなさっていらしたようですね。 大手企業から、中小企業から、7回も転職されたそうですが、
>会長以外は、ほとんどその肩書 を持った。肩書はその人の責任の重さの範囲だと思って いる。他を威圧するものではない。<
肩書を信用してはいけません。その人の中身が問題です とおっしゃる はうらひとひら様。
どの職につかれても、上の方の役職になって行って、 自ら辞められて、転職されていらっしゃるのでした。
だけど、私と同じくらいのお年だとは思えないくらいのパワーをお持ちで、 どこから、そのような、底知れぬパワーが湧いてくるのかしらと不思議に 思います。 ご高齢になられた今でも、パートになってでも、まだお仕事を続けて いらっしゃるとは。
岡 先生が日本教文社から、教化部長に転任されたときの 奇跡のようないいお話も、ありがとう存じました。
それから、話題が変わりますが、
はうらひとひら様にお願いしましたら、 早速に送ってくださいましたご自作の小説 『葉裏のそよぎ』・『ひとひらの夜明け』の2冊。
この本の題名から、「はうらひとひら」というHNをつけられたのだと わかりました。
真っ白い上質な用紙で製本された、 2冊とも約300ページにも及ぶ大作です。
裏表紙のところに定価の代金が書いてありましたので、 この本代2冊分と送料を合わせてお送りさせていただきましょうと 思いましたら、
同封のお手紙に 「メールでも書きましたが、代金はくれぐれもお送りなさいません ようにお願いいたします。神様の祝福がますますあります事も 感謝申し上げます」 と書いてありましたので、今回は、お言葉に甘えて、代金は お送りしないで、無料でいただきました。すみません。
私は、『葉裏のそよぎ』のほうを、本日から先に読み進めて おりますが、本日は日中に兄弟姉妹による生長の家zoom座談会 が数時間ありましたので、夜になってまた拝読しておりますが、
お世辞でもなんでもなく、これはすごく面白い内容のある小説です。 面白いといいましても全然軽くないのです。大変語彙が豊富で詩的な 表現も多く、生死の極限のことも宗教、哲学の本質を学んでこられま したので、格調高く描かれております。 登場人物の口から、背景から、それらが、よみとれるのです。
まだ初めの頃を読み進めておりますが、しょっぱなから、 私は自分の生い立ちと重なる部分がありましたので、 思わず泣いてしまいました。
主な登場人物に、17歳の哲也という少年がいるのですが、 哲也は、兄で 誠二は、弟で、 お母さんは、何かと、弟よりも兄である哲也を可愛がる。
である時、哲也は自分がこの母の子でない、お父さんの前妻の子だという ことに気がつくことがあるのでしたが、
私は、生みの父は戦死し、 母の連れ子で、母は、戦後に再婚、 継父と母との間に生まれた弟妹たちは 4人いたのですが、幼い頃から大人になるまで、父は、私を一番 たいせつにしてくれていたな、ということを不意に思い出しまして 父には、色々な欠点もありましたが、それを遥かに超えて、父への 感謝を改めてすることができたのでした。
全部拝読しましてから、改めて、読書感想を書かせていただいます。

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私達のめざすもの、試案 (58899) |
- 日時:2023年06月13日 (火) 16時56分
名前:はうら ひとひら
合掌 ありがとうございます。 岡 正章先生は私達の誌友会のめざすもの、 として下記のことを残されました。 皆様はこれを、どのように考えられますか。
1.私たちは『生命の實相』を深く学び 実相にズームイン(超入)、実相から出発して、 エデンの楽園に遊楽し無限生長する 幸福な神の子を拡大します。
2.私たちは「生長の家七つの光明宣言」に則り、 地上天国実現をめざします。
3.私たちは「人間は神の子、命の兄弟姉妹」 というのが日本の理想であることを信じ、 世界平和の理想実現をめざします。
私はこれを
・宗教なら・・・救済をしよう。 ・実相哲学なら・・・物理学(現象)を超越しよう。 ・教義の実現・・・大調和の世界 (一つの生長の家) と訳しましたが、皆様はどのようにお思いでしょうか。
ありがとうございます。
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(58901) |
- 日時:2023年06月13日 (火) 21時09分
名前:はうら ひとひら
合掌 ありがとうございます。 先程、ある方からメールで、聖典に岡 先生のお名前が のっているが、知っていますかとの連絡と、その時岡 先生とこの方との交流の資料が添付されておりました。 この方は、『恩寵のウイルス』の奥田知志牧師と晴佐久 昌英神父の事を知らせてくださった方です。
『国のいのち 人のいのち』 131頁
《5 祈りなき人生と祈りある人生と
『理想世界』誌の編集責任者の岡正章氏から手紙に 添えてサンケイ新聞の切抜数枚と、毎日新聞の切抜 一枚とを送って来られた。》
優秀な学生が死を決して行動した事に対する、尊師 へのお考えをお示しいただきたいとの内容でした。
《 もう一つは唯物論ではなく、神を知り、祖国を知り、 祖先を知り、霊を知り、祈りを深めて、神霊の導きに よって、より高邁なろ理想をもち、それに“全生命を ささげる¨ために、死を決して・・・》(同書143頁)
《その冷え切った京都の正月に水ごもりをなされる。 ・・・私は天皇のこの深い切実な国の生命と御一体となって 身を棄てての御祈りが、神界の高級霊と通じ、イザ という時の天皇の御裁断によって、今将に国が危ない という時に国を支え、国民を護り給う力になったのだろう。 終戦当時の天皇の御裁断や、マッカーサー元帥を御訪問 された御時に、自然にあらわれたお言葉や態度が元帥を 感動せしめて、国民を餓死から救い給うたなどは、 それである。やがてこの陛下の御徳が現在の日本国の 繁栄と国民の福祉の原因につながることを思えば、 おのずから唯々合掌されるのみである。》(同書158.159頁)
取り急ぎ、お知らせいただいた方に感謝と、感動した 箇所を謹写させていただきました。
ありがとうございます。
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はうらひとひら様 (58903) |
- 日時:2023年06月14日 (水) 02時11分
名前:志恩
(はうらひとひら様ー) >私はこれを
・宗教なら・・・救済をしよう。 ・実相哲学なら・・・物理学(現象)を超越しよう。 ・教義の実現・・・大調和の世界 (一つの生長の家) と訳しましたが、皆様はどのようにお思いでしょうか。<
志恩ー 本来の元々の生長の家の教えでは、 その通りだと存じます。
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はうらひとひら様 (58904) |
- 日時:2023年06月14日 (水) 02時20分
名前:志恩
(はうらひとひら様ー) >聖典に岡 先生のお名前が のっているが、知っていますかとの連絡と、その時岡 先生とこの方との交流の資料が添付されておりました。 この方は、『恩寵のウイルス』の奥田知志牧師と晴佐久 昌英神父の事を知らせてくださった方です。
『国のいのち 人のいのち』 131頁
《5 祈りなき人生と祈りある人生と
『理想世界』誌の編集責任者の岡正章氏から手紙に 添えてサンケイ新聞の切抜数枚と、毎日新聞の切抜 一枚とを送って来られた。》 略<
志恩ー 聖典に岡先生のお名前を、谷口雅春先生が、お書き くださっていたことは、知りませんでした。 貴重なお話をありがとうございました。
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「今」を生きる。 (59084) |
- 日時:2023年06月18日 (日) 12時23分
名前:はうら ひとひら
ありがとうございます。 岡 先生から『今を生きる』 -服部仁郎氏と生長の家- 辻村彦次郎編・日本教文社 の複写したものを戴いた事があります。 表紙に仁王立像(多分服部先生の彫像)の写真があります。 岡 先生が若いころに、この編集の仕事をされたという事を 聞いたことがあります。 岡先生ご指導の誌友会は尊師の「久遠の今」DVD拝聴から 始まりました。 「今」という「前後際断」の岡先生の原点は、この辺に あるのかも知れません。
《服部氏が「“今"という不思議の光を見た」と言ったのは、 まさに“信"が“自覚"が誕生したときであったのである。 この“信"が生まれることによって、神のいのちに飛び込み、 “光"と“命"の自覚によってはじめて、尊師の教えられた 「現象なし」ということが判ったという。 この光の進軍によって癒しが行われたのである。 「それは病気が治ったというよりも、それは生命力が 発現したと云うべきである」と言っている。 その意味では服部氏は治す人ではなく創造(つく)る人 であったと言えるのである。 いくらイエスが説いても、聴くひとに自(おの)づから 神性が目覚めなかったならば、いのちは存在に入らない のです。その神性なるものが生きた客観なのです。 ここに神性・佛性の礼拝があり、和解があり、感謝が ある。この内なる神なる佛なる真の相(すがた)への 祝福礼拝の道が尊師の歩まれている道である。 それがそのまま人類光明化運動の光の進んでいる姿に ほかならないのである。 「私は神の子であるか」また「今此処が極楽浄土であるか」 「地上はすでに天国であるか」答えは常に 「汝の言えるが如し」である。》 (榎本恵吾著『弟子像』85・86頁)
この「今」を生きるのがなかなかです。 実相直視(実相の直接認識)がなければ、神癒は 難しい。と思っていたのが、実は私は別ルートを使って それを試みた。(今のところ、二通りあります。) 今回はその一です。
『如意寶珠(にょいほうじゅ)観』です。 《如意寶珠とは“鹽乾珠"(しおひるのたま)と“鹽盈珠” (しおみつのたま)との二つです。 鹽乾珠は、「悪しき現象はアルが如く現れて見えていても 本来存在しないのである。」と念じて、それを否定する 言霊(ことたま)又は想念である。・・・ “心の世界"でその存在を否定してしまうのがこのハタラキ です。一切の事物は唯心所現のものであり、心によって 支えられて存在しているのでありますから、その存在を 否定すると、それは存在し得なくなるのです。 次に鹽盈珠で、心で否定してそこが空(から)っぽに なったあとへ、“實相"(又は“實在”の完全な 相(すがた)を心の中にもって念じて、実相の完全な すがたを、現象界に実現するのです。 (『古事記と現代の預言』155.156頁要約)
少し前、ある方(本州以外)から電話があった。 「死にたい」と言う。私はしめた、と思いました。 それは、何とかして生きたい、という裏返しだから。 そこで、新陳代謝によって、神癒がいつも起こって 生かされているのです。使命がある間は生かされて いるから、大丈夫といいました。自分で生きている のではない、生かされて生きているのだと。 次に、不完全なものを否定して、空っぽになったら、 完全なものしか入ってこないのです。 貴方は、すでに完全なのです。 およそ1時間半程話をして、「楽しくなくても笑えば 楽しくなるんです。笑いましょう」 と言ったら、突然笑ってくれました。 観と思念が正しければ、自分が救われるのです。 ありがとうございます。

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「今を生きる」続 (59090) |
- 日時:2023年06月18日 (日) 13時59分
名前:はうら ひとひら
「今を生きる」の続きです。 今回は所謂“現象処理”についてです。 ある文章からヒントを得て考えました。 ですから、これは私独自のものではありません。
「現象」の観方(みかた)の一考察 (三十三身に身の姿を変じ給いて、衆生を済度したまう、 観世音菩薩様のお働きの一つの理解法として)
本来救われ済みなのが、真理であるのに、本来無いはずの 「現象」がわざわざ現われるのは何故であるか。 現われ(現象)は「洗われたい、浄化されたい、 浄(きよ)められたい」ために、自(おの)ずから 現われて、浄化(浄め)を求めているのである。 それを、敵対するものと観(み)ないで、自分が それを浄める事によって、(魂の向上の課題として) 相手(目に見える現象、環境、不調和な想念感情) も浄められ、浄化され消えていくのである。 そして自身も、魂の向上が出来るのである。 双方の魂が浄化され、高められるのである。 ここに「現象」に感謝する意味がある。共に 浄められ、共に向上出来るのである。 偽象(ぎしょう)が真象(しんしょう)に変わる のである。そこに「現象」のありがたさがあるのである。 なぜなら、人間はすでに救われ済みだからである。 現象が実相に振り向くのである。 「闇」は「光」と和解しないのである。 「闇」などなかったのである。 現れて、浄化されて感謝して消えていくのである。 ただありがたいだけの人生である。
私はこれを使って、『58691』で紹介したように、 60年間恨んでいた「闇」という「現象」に光をあてさせて いただくことができたのである。 光ばかりで影がなければ、人生の映画はスクリーンに 投影できないのである。
ありがとうございます。
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9巻か1巻か (59148) |
- 日時:2023年06月20日 (火) 17時19分
名前:はうら ひとひら
志恩 様 お返事をこちらで差し上げますとした ある方(本州以外)の(59084) からの事柄、いくらか伝わりましたでしょうか。 文章を書くのが苦手なものですから、上手く書けませんが 真意は幾らかわかっていただけたかと、独善ですが 思います。その真意が難しい問題が下記です。
先週の土曜日(6/17)弊誌友会で岡 先生の追悼の会を させていただきました。 早朝の仕事から帰って、大急ぎでPCを立ち上げたのですが、 ご機嫌が悪く、再起動したりして、四苦八苦、結果的に 岡 先生が青年時代に朗読編集、録音した『夢を描け』 を共有することが出来ず、出席者から、お叱りを受けました。 当日は、岡 先生のご家族の方も出席され、なんとか 追悼の感謝の意を伝える事が出来たと思います。
6月19日(月)朝 岡 先生宅を訪問して、先日のご出席の お礼と、その時の会のメモのコピーしたものと、7月の 会報を持って伺い、岡先生の御参りもさせていただきました。
その時、ご家族の方から、私あてに送られたメールの件に ついて何点か、質問があり、わかる範囲でお答えしました。 岡先生の奥様は、私あてに霊界から長文のメールを送った という話を聞いた、と話されました。 私はああ、あの事かと思いました。 それは、岡先生のメールで 「わたしのおもいは「新版 真理」第九章です」 という短い文章でした。そこで、私はご家族に 『真理 第9巻九章」の「神の導きによる問題の解決」 だと思います。と言うと、ご家族はそうですか・・・ と何か “ふ" に落ちないような顔でメモをされていました。
その夜、ご家族からメールがあり、あれは真理第1巻の九章 のような気がする、と言うのです。 「人の値打ちの生かし方」はよく父はその事を話をし、 コピーなどしてもらった記憶があり、ベットで読んで いた聖典の栞の箇所もそこだったそうです。 そこには「墜落は機会である」とあります。 確かに岡 先生らしい。その『新版 真理 第1巻』は 奥様が岡先生のお棺に入れて送られたので、今は確認の しようもありませんが。とありました。
私は、第9巻も第1巻も岡 先生らしいですが、皆さんは どのように感じられるか、聞いてみましょう。という ことになりました。 このように、真意は神意なのです。だれも解りません。 ご本人しか。皆さんはどちらかを、と言われたら、どちら を選びますでしょうか。
ありがとうございます。

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はうら ひとひら様 (59153) |
- 日時:2023年06月21日 (水) 02時39分
名前:志恩
はうらひとひら様
ご投稿ありがとうございます。 私は昨日は、慶應スポーツクラブのレッスンを 真面目に受け、夕方からは、二種類の仲間たちとの 時間差のディナーとお茶の集いに出席し、夜になってから 帰宅しましたので、さすがに疲れて、掲示板へは投稿もせず 早めに寝てしまいまして、夜中に目ざめたところです。
私は、はうらひとひら様の小説「葉裏のそよぎ」を ハンドバッグに入れて持ち歩きまして、レッスンの待ち時間など を有効活用して、少しずつ読み進みまして、読み終わりました。
私は、一般的な小説などの本は、あっという間に読破し、 あっという間に、読書感想文は、書けるですが、 はうら様の小説は、物語の展開がスリリングであり、なおかつ、 音楽、科学、哲学、宗教、などのエッセンスがちりばめられており、 大変魅力的な深い内容ですので、簡単には、とてもとても 私には、感想文が書けない素晴らしい本です。 ありがとうございます。
北海道出身でいらっしゃるそうですが、この小説の舞台背景に よく北海道が、出てまいりますね。
「生命の實相」、「真理」、「聖経」のこと、「生長の家の出来事」も、 名前は変えて表現されておられますが、大変わかりやすく解説されて いらっしゃって、 すごいなあと感動しながら読み進むことができました。 (330頁あります。) 私は、読みながら、いっぱいご文章にサイドラインを引いてしまいました。 サイドラインを引いたところは、のちに、少しづつ、皆様にも ご紹介させていただきますので、ご了承くださいませ。
次は、もう1冊の小説「ひとひらの夜明け」を楽しみに拝読させていただきます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━ (はうらひとひら様ー)
>「今」を生きる。 (59084) 《服部氏が「“今"という不思議の光を見た」と言ったのは、 まさに“信"が“自覚"が誕生したときであったのである。
この“信"が生まれることによって、神のいのちに飛び込み、 “光"と“命"の自覚によってはじめて、尊師の教えられた 「現象なし」ということが判ったという。
この光の進軍によって癒しが行われたのである。 「それは病気が治ったというよりも、それは生命力が 発現したと云うべきである」と言っている。
その意味では服部氏は治す人ではなく創造(つく)る人 であったと言えるのである。 いくらイエスが説いても、聴くひとに自(おの)づから 神性が目覚めなかったならば、いのちは存在に入らない のです。その神性なるものが生きた客観なのです。
ここに神性・佛性の礼拝があり、和解があり、感謝が ある。この内なる神なる佛なる真の相(すがた)への 祝福礼拝の道が尊師の歩まれている道である。 それがそのまま人類光明化運動の光の進んでいる姿に ほかならないのである。
「私は神の子であるか」また「今此処が極楽浄土であるか」 「地上はすでに天国であるか」答えは常に 「汝の言えるが如し」である。》 (榎本恵吾著『弟子像』85・86頁)
この「今」を生きるのがなかなかです。 実相直視(実相の直接認識)がなければ、神癒は 難しい。と思っていたのが、実は私は別ルートを使って それを試みた。(今のところ、二通りあります。) 今回はその一です。
『如意寶珠(にょいほうじゅ)観』です。 《如意寶珠とは“鹽乾珠"(しおひるのたま)と“鹽盈珠” (しおみつのたま)との二つです。 鹽乾珠は、「悪しき現象はアルが如く現れて見えていても 本来存在しないのである。」と念じて、それを否定する 言霊(ことたま)又は想念である。・・・
“心の世界"でその存在を否定してしまうのがこのハタラキ です。一切の事物は唯心所現のものであり、心によって 支えられて存在しているのでありますから、その存在を 否定すると、それは存在し得なくなるのです。
次に鹽盈珠で、心で否定してそこが空(から)っぽに なったあとへ、“實相"(又は“實在”の完全な 相(すがた)を心の中にもって念じて、実相の完全な すがたを、現象界に実現するのです。
(『古事記と現代の預言』155.156頁要約)
少し前、ある方(本州以外)から電話があった。 「死にたい」と言う。私はしめた、と思いました。 それは、何とかして生きたい、という裏返しだから。 そこで、新陳代謝によって、神癒がいつも起こって 生かされているのです。使命がある間は生かされて いるから、大丈夫といいました。自分で生きている のではない、生かされて生きているのだと。 次に、不完全なものを否定して、空っぽになったら、 完全なものしか入ってこないのです。 貴方は、すでに完全なのです。 およそ1時間半程話をして、「楽しくなくても笑えば 楽しくなるんです。笑いましょう」 と言ったら、突然笑ってくれました。 観と思念が正しければ、自分が救われるのです。 ありがとうございます。<
志恩ー お話と、ずれるかもしれませんが、お許しください。
榎本恵吾先生著『弟子像』も読んでおられるのですね。 私も拝読いたしましたが、
ご神像の制作者である彫刻家の服部仁郎先生(本部講師)は、 私が、今から60年前の原宿本部に奉職させていただいていた頃は、 祈願部におられました。
そして、服部先生の奥様は、 個人指導部の本部講師をされていらして、 奥様の服部一枝先生は、草木染めが得意でいらしたので、 本部の女子職員の希望者に、無料で、本部の仕事が終わった 後の時間帯に、草木染めを、教えてくださっていました。
私は服部先生の奥様に教わりながら、草木染めの和服の帯を、 母と自分用の2本、作成したことを覚えております。 奥様は、普段から和服をお召しの先生でした。 当時の個人指導部には、 東山半之助先生、堀静先生、石井先生(女性)も おられました。
私が一番大好きな祈り、 『如意寶珠(にょいほうじゅ)観』のことも書いてくださって、嬉しいです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━ (はうら ひとひら様ー)
>「今を生きる」続 (59090) 「今を生きる」の続きです。
今回は所謂“現象処理”についてです。 ある文章からヒントを得て考えました。 ですから、これは私独自のものではありません。
「現象」の観方(みかた)の一考察 (三十三身に身の姿を変じ給いて、衆生を済度したまう、 観世音菩薩様のお働きの一つの理解法として)
本来救われ済みなのが、真理であるのに、本来無いはずの 「現象」がわざわざ現われるのは何故であるか。
現われ(現象)は「洗われたい、浄化されたい、 浄(きよ)められたい」ために、自(おの)ずから 現われて、浄化(浄め)を求めているのである。
それを、敵対するものと観(み)ないで、自分が それを浄める事によって、(魂の向上の課題として) 相手(目に見える現象、環境、不調和な想念感情) も浄められ、浄化され消えていくのである。 そして自身も、魂の向上が出来るのである。
双方の魂が浄化され、高められるのである。 ここに「現象」に感謝する意味がある。共に 浄められ、共に向上出来るのである。
偽象(ぎしょう)が真象(しんしょう)に変わる のである。そこに「現象」のありがたさがあるのである。 なぜなら、人間はすでに救われ済みだからである。
現象が実相に振り向くのである。 「闇」は「光」と和解しないのである。 「闇」などなかったのである。
現れて、浄化されて感謝して消えていくのである。 ただありがたいだけの人生である。
私はこれを使って、『58691』で紹介したように、 60年間恨んでいた「闇」という「現象」に光をあてさせて いただくことができたのである。
光ばかりで影がなければ、人生の映画はスクリーンに 投影できないのである。 ありがとうございます。<
志恩ー
ただ今、私たちが直面している現象問題は、やはり、社会事業団が個人を 損害賠償付きの訴訟裁判にかけていること、それは、阪田先生 お一人にとどまらず、別のご自分に批判した人間を情報開示請求 している現象だと存じます。それは、他人事だとは思えません。 私自身にも無関係なことだとは感じられない恐ろしいことです。
その答えを、はうらひとひら様の小説『葉裏のそよぎ』に 見つけましたので、以下、 皆様に、一部引用して、ご紹介させていただきます。
p169から
(大いなるもの)は私たちの能力を鍛えるために、ある期間困難な 「場」に置くことがあります。現在に困難は、却って潜在的な勝利への 道程ということもできます。
自己完成の為にのみ、を想って現在与えられている環境で全能力を 尽くします。
すべての逆境は、自己完成に役立ちます。 逆境をいかに受けるかの心構えが大切であります。
そしてその逆境という関門を越えた時、(そのような門も またないのでありますが)その逆境という学校を卒業する 事になるのであります。その時の逆境は消え去り、今までよりも もっと整った環境が表れるのであります。よき時、よき場所に 生まれ合わせた事を思って、ありがたいという気持ちを 持ちます。有難いとは、ありえない、滅多にない事、の如(ごと)くに ひとの好意などに対して、めったにない事と感謝しなければ なりません。その感謝の中から、心は明るくなり、 より良い智慧が湧き出てくるのであります。 略 (志恩ーまだまだ大事な言葉が続くのですが。)
別のページには、魂が高い人ほど、難問題を与えられる、 魂の向上のために、とも書かれてあります。)
p146から 「では何故この様な死にたい様な事をさせているのですか」菊には それがわからない。 「それは、あなたの魂が高いからです。略」
p162から 人間の運命はですね、大まかに分けて、 三分の一は、本人(個人)の現生での努力(自由に)、 三分の一は宿命(前世の業)、 三分の一は 、先祖の導きと高級霊の導きと修正、 となります。
172から 業を消す事は、人類意識まで遡って行わなければならないので 無理であります。しかしそれを真正面から捉え、自分の人生過程で の進級試験として受け入れ、真摯に身体ごとぶつけて向き合って 行くとき、 解決できないと思っていた事柄が、いつのまにか処理されて それらが高い絶壁と思ったり、立ち入ることが出来ない深い渓谷と 思っていた事柄が、穏やかな長閑な平原となり、午後の微睡みの 様な世界が表れる事になります。そしてその業から離れ、卒業する こととなるのであります。相手のことでは、ありません。略
この菊さんが、自殺しようと思った原因、菊さんが自殺を思いとどまったこと、 これを、詳細に書いていいかどうか、ネタバレになりますので、迷い まして、今回は、その肝心の深い闇の話は、省略して書かせていただいて おります。
(現象はない、という意味は、瞬間 瞬間 瞬刻 瞬刻 想った通りに変わる ものは、不変なるものではなく、実在ではないので、現象は、ない という事になります。)
一部だけ、引用させていただきましても、智慧の言葉とか、 日々....、とかいうショートフレーズでは、ありませんから、 わかりづらいと存じます。それは私の力不足です。すみません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━ (はうら ひとひら様ー)
>9巻か1巻か (59148) その真意が難しい問題が下記です。
先週の土曜日(6/17)弊誌友会で岡 先生の追悼の会を させていただきました。 早朝の仕事から帰って、大急ぎでPCを立ち上げたのですが、 ご機嫌が悪く、再起動したりして、四苦八苦、結果的に 岡 先生が青年時代に朗読編集、録音した『夢を描け』 を共有することが出来ず、出席者から、お叱りを受けました。 当日は、岡 先生のご家族の方も出席され、なんとか 追悼の感謝の意を伝える事が出来たと思います。
6月19日(月)朝 岡 先生宅を訪問して、先日のご出席の お礼と、その時の会のメモのコピーしたものと、7月の 会報を持って伺い、岡先生の御参りもさせていただきました。
その時、ご家族の方から、私あてに送られたメールの件に ついて何点か、質問があり、わかる範囲でお答えしました。 岡先生の奥様は、私あてに霊界から長文のメールを送った という話を聞いた、と話されました。
私はああ、あの事かと思いました。 それは、岡先生のメールで 「わたしのおもいは「新版 真理」第九章です」 という短い文章でした。そこで、私はご家族に 『真理 第9巻九章」の「神の導きによる問題の解決」 だと思います。と言うと、ご家族はそうですか・・・ と何か “ふ" に落ちないような顔でメモをされていました。
その夜、ご家族からメールがあり、あれは真理第1巻の九章 のような気がする、と言うのです。
「人の値打ちの生かし方」はよく父はその事を話をし、 コピーなどしてもらった記憶があり、ベットで読んで いた聖典の栞の箇所もそこだったそうです。 そこには「墜落は機会である」とあります。 確かに岡 先生らしい。その『新版 真理 第1巻』は 奥様が岡先生のお棺に入れて送られたので、今は確認の しようもありませんが。とありました。
私は、第9巻も第1巻も岡 先生らしいですが、皆さんは どのように感じられるか、聞いてみましょう。という ことになりました。
このように、真意は神意なのです。だれも解りません。 ご本人しか。皆さんはどちらかを、と言われたら、どちら を選びますでしょうか。
志恩ー 私は、手元に新版 真理の9巻は、ありますが、1巻はありませんので どちらなのか、わかりません。
真理一巻の概要が載っています。 https://www.kyobunsha.co.jp/product/9784531010219/book.html
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私の岡先生の見方なら (59172) |
- 日時:2023年06月22日 (木) 09時45分
名前:元信徒
> 私は、第9巻も第1巻も岡 先生らしいですが、皆さんは どのように感じられるか、聞いてみましょう。という ことになりました。 このように、真意は神意なのです。だれも解りません。 ご本人しか。皆さんはどちらかを、と言われたら、どちら を選びますでしょうか。
◎ 岡先生は、生長の家だけでなくいろいろな事を教えてくれました。 だから、私は、両方‼️ でお願いします。笑
あと、余計ですが、 又誌友会を対面でしたいと仰っておられた方がいましたね。 あの方は、ご自宅を開放できるなら、やって頂いては?
対面とzoomの両方の誌友会が今はできますから。
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元信徒様 (59173) |
- 日時:2023年06月22日 (木) 10時06分
名前:志恩
『新版 真理 1 入門篇を』 拝読してみれば、わかることですので、 中古本をAmazonコムに注文しました。 (たまっていたポイントで購入しましたのでタダで) 届くのは、6/26(月)、と書いてありました。 中古本は、届くのが遅いのよね。
9巻か1巻かは、 わかり次第、掲示板に書かせていただきます。 いつもありがとうございます。
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本日、阪田成一先生にお電話差し上げました時、 (59181) |
- 日時:2023年06月22日 (木) 17時51分
名前:志恩
阪田先生にお電話差し上げました時、 話の流れで、 私が、「岡 先生が、亡くなられましたね。」と 申し上げましたら、
阪田先生は、すごく驚かれまして、 「えっ!岡先生、亡くなられたんですか。 それは、いつのことですか?」 とおっしゃいました。
「5月24日に亡くなられたそうですよ。 岡先生の朋友の〇〇さんが、トキ掲示板に書いてくださいました ので、知りました。」と申し上げました。
阪田先生は、このことでも、わかりますように、 掲示板は、ほんとうに、ご覧になっておられないのです。
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質問 (59201) |
- 日時:2023年06月23日 (金) 15時26分
名前:元信徒
> その時、ご家族の方から、私あてに送られたメールの件に ついて何点か、質問があり、わかる範囲でお答えしました。 岡先生の奥様は、私あてに霊界から長文のメールを送った という話を聞いた、と話されました。 私はああ、あの事かと思いました。<
質問させてください。
> 霊界から長文のメールを送った。
上記は、どんな意味ですか? 岡先生が生前に言った?のか? 本当に霊界からメールが届いてくるのか? 意味不明です。なんのこちゃ???
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「久遠の今」 (59206) |
- 日時:2023年06月23日 (金) 16時58分
名前:はうら ひとひら
「元信徒」様 ありがとうございます。 誌友会の件ですが、私はZOOMをベースにして、対面も 応援して行こうと思います。 (誌友会開催のガイドライン順守が基本ですが) 誌友会2時間の内、初めの1時間は、聖典の感動した処を 発表しあって、それを生活にどう活かしていくか。を話合い。 残りの1時間は「実相直視(じきし)実相を直截認識する 法」を、テーマを絞って研鑽しあう。 ここ5ヶ月程やってみて、出席者から、大変喜ばれ、 実相の神髄にせまっている、と言われました。 「元信者」様は、これからは、一人で真理を学んで行くと 言われましたが、是非、苦しんでいる人を、助けてあげて ください。私達の運動は、人間が神に直結する運動だと 思うからです。そこには、組織の入りこむ隙間は、1ミリ もありません。万教帰一の教えは、すべての正しい教えは “救済済み"を説いているのです。既に救われ済みです。 どうぞよろしくお願い申しあげます。
「志御」様 ありがとうございます。 私のちっとも面白くない本を読んでいただきまして、ありがとう ございます。もう一冊も読まれるとの事ですが、読み終わられ て、批評のようなものを書かれる段階になりましたら、 あっとは驚かないと思いますが、少し楽屋話を披露させて いただきたいと思います。 どうぞよろしくお願い申しあげます。
『みすまるの珠』を久しぶりに訪問して岡先生の「今」を 確認させていただきました。
【540】 生長の家は「久遠の今」にあり 戦前も戦後も 一貫して不変
僕らは、平成28年8月から約3年半、有志相集い、谷口雅春先生 の説かれた生長の家の神示講義三部作(『神ひとに語り給ふ』 ・『到彼岸の神示』・『秘められたる神示』を深く丁寧に学び 研鑽し合う勉強会を、毎月1回休みなく開催し、ひととおり 学び終えたのである。・・・そこで、生長の家は「久遠の今」に あり 戦前も戦後も一貫して普遍である、ということを、 さらに深く確認した。・・・私は、生長の家の運動は戦前・戦中・ 戦後で変化があったけれども、一貫して流れている教えの 中心真理は、時間・空間を超えた「久遠の今」の真理であって、 微動だもせず、変わっていない、ということを思いつづけて きた。・・・ 生長の家の「神示」は全部で三十三あると言われている。 「神示」には教義の中でも別格の根本教義が説かれていると する人もあるが、生長の家はその三十三の神示が天降って から始まったわけではない。『生命の實相』の自伝篇 (頭注版では第20巻の134〜136頁には・・・ 《イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来る という象徴である。! 今、ここに、久遠生き通しの 生命が復活する。今だ、今だ!久遠の今だ!今が復活だ! 今を活きよ。」》 と書かれているその大濤(おおなみ)のような声は、やはり 「神示」であったと言えるのではなかろうか。 いや、これこそ後に啓示された三十三の神示の基(ベース) となった別格の神示だとすら思える。 「久遠の今」こそ、生長の家の出発点アルファであり、 目的地オメガである。それ故に、私たちの勉強会では、 毎回開会前に谷口雅春先生の「久遠の今」の御講義を 拝聴して来たのである。「久遠の今」に、すべて」がある。
《一切現象は念の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、 無より一切を生ず。・・・イエスの十字架は現象を抹殺せば 実相が生きて来るという象徴である。!今だ!久遠の今だ! 今が復活だ!今を活きよ。」》
という最初の神示をお受けになって以来、己を無にして 高級霊=神の導きのまにまに『生長の家』誌に執筆され、 『生命の實相』に収載されたご文章は、すべてほぼ 「神示」と言ってもよいものではないだろうか。 (令和2年1月15日)
ありがとうございます。

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はうらひとひら様 (59213) |
- 日時:2023年06月24日 (土) 01時19分
名前:志恩
はうらひとひら様著の「葉裏のそよぎ」は、つまらなくないですよ。 すごくいい本でしたよ。 これは『生命の實相』、『甘露の法雨』の解説書でもありますね。 おかげさまで、『生命の實相』の素晴らしさや真髄を、 以前よりも深く理解できました。ありがとうございます。
今は、はうらひとひら様著の『ひとひらの夜明け』を少しづつ、 読み進んでいるところです。
小説『ひとひらの夜明け』は、2011年3月11日に起きた 東北大震災が舞台です。
このトキ掲示板を亡きトキ管理人さんが立ち上げたのは 2011年6月でした。
この小説は、どんな展開になるのか楽しみです。
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はうら ひとひら様へ (59266) |
- 日時:2023年06月26日 (月) 19時03分
名前:志恩
志恩ー 本日、新版・『真理』第1巻が届きましたので、 9章のところを拝読してみました。 ━━━━━━━━━━━━ 再掲; 9巻か1巻か (59148) 日時:2023年06月20日 (火) 17時19分 名前:はうら ひとひら (前略) 真意が難しい問題が下記です。
先週の土曜日(6/17)弊誌友会で岡 先生の追悼の会を させていただきました。 早朝の仕事から帰って、大急ぎでPCを立ち上げたのですが、 ご機嫌が悪く、再起動したりして、四苦八苦、結果的に 岡 先生が青年時代に朗読編集、録音した『夢を描け』 を共有することが出来ず、出席者から、お叱りを受けました。 当日は、岡 先生のご家族の方も出席され、なんとか 追悼の感謝の意を伝える事が出来たと思います。
6月19日(月)朝 岡 先生宅を訪問して、先日のご出席の お礼と、その時の会のメモのコピーしたものと、7月の 会報を持って伺い、岡先生の御参りもさせていただきました。
その時、ご家族の方から、私あてに送られたメールの件に ついて何点か、質問があり、わかる範囲でお答えしました。 岡先生の奥様は、私あてに霊界から長文のメールを送った という話を聞いた、と話されました。 私はああ、あの事かと思いました。 それは、岡先生のメールで 「わたしのおもいは「新版 真理」第九章です」 という短い文章でした。そこで、私はご家族に 『真理 第9巻九章」の「神の導きによる問題の解決」 だと思います。と言うと、ご家族はそうですか・・・ と何か “ふ" に落ちないような顔でメモをされていました。
その夜、ご家族からメールがあり、あれは真理第1巻の九章 のような気がする、と言うのです。 「人の値打ちの生かし方」はよく父はその事を話をし、 コピーなどしてもらった記憶があり、ベットで読んで いた聖典の栞の箇所もそこだったそうです。 そこには「墜落は機会である」とあります。 確かに岡 先生らしい。その『新版 真理 第1巻』は 奥様が岡先生のお棺に入れて送られたので、今は確認の しようもありませんが。とありました。
私は、第9巻も第1巻も岡 先生らしいですが、皆さんは どのように感じられるか、聞いてみましょう。という ことになりました。 このように、真意は神意なのです。だれも解りません。 ご本人しか。皆さんはどちらかを、と言われたら、どちら を選びますでしょうか。 ありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━ (はうらひとひら様ー) >私はご家族に 『真理 第9巻九章」の「神の導きによる問題の解決」 だと思います。と言うと、ご家族はそうですか・・・ と何か “ふ" に落ちないような顔でメモをされていました。
その夜、ご家族からメールがあり、あれは真理第1巻の九章 のような気がする、と言うのです。<
志恩ー 岡先生は、倒れらてからの最後のメールで、 ひとひら様に、 1通目は、すべてをお任せいたします。
そして、2通目のメールの時に、 「新版 真理の第何巻」ということは書かずにただ 「わたしのおもいは「新版 真理」第九章です」と 書いてこられたのでしたよね。
それで、はうらひとひら様は。第9巻の第九章のことだと 受け取られ、岡先生のご家族のお方は第1巻の第九章の ことだと受け取られたということでした。
さて、どう思われますかという問いを出されましたので、 私は、第9巻は手元にあったのですが、第1巻は、なかったので 中古本の第1巻を購入したのです。
第9巻の第9章 【神の導きによる問題の解決】 のところの
章題は、「あなたに難問題が訪れた時」(p193)です。
第1巻の第9章【人の値打ちの生かし方】 のところの
章題は、「墜落は機会である」(p102)です。
どちらも、難問題が自分に与えられた時の 心の姿勢についてのことが書いてありました。
第1巻ー >一層自己生長のの機会が与えられたのである。 どんな逆境でも墜落でも、不幸でも、それが皆さんを一層 生長させる好機会なのである。(p105)<
第9巻ー >もしあなたが無制限に、全然、無我になって神にまかせ切る ならば、神はどんな困難をも 乗り超える力をあなたに与えて くださいます。(p194)<
志恩ー
第9巻の第9章と 第1巻の第9章とは、 奇遇にも、難問題にあったときの、心の持ち方が同じように 書かれていますので、
結論としては、岡先生が、どちらのことを言われたのか、 私には、わかりませんでした。
以上が、ご報告です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (志恩:追記です。6/28朝、記)
霊界からのメールではなく、 岡先生が倒れられて、最後のメール を、ひとひら様に送ってこられた時、 に訂正しました。 間違えまして、すみません。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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はうらひとひら様 著『ひとひらの夜明け』より (59291) |
- 日時:2023年06月29日 (木) 06時10分
名前:志恩
数年前(4年以上も前)に、東京第二教化部にて、 当時、東京第二の教化部長先生でいらした 久都間 繁先生が、谷口清超先生著『正法眼蔵を読む』を テキストにされた「真理勉強会」を開催されておられました時、 私もその「真理勉強会」に参加いたしまして、 久都間先生の素晴らしい解説を、拝聴したことがございました。
この 『正法眼蔵を読む』は、 私は、上中下とも揃えて購入しましたが、1冊の 頁数が、500頁のものから650頁のものもある 谷口 清超先生の超大作でございます。
内容は、いうまでもなく道元禅師の教えを清超先生が、 私たちにも理解できるようにお説きくださった素晴らしい本です。
はうらひとひら様が、道元が、修行している最中のことを 詳しく書いておられますので、懐かしくなりまして、その部分を 一部、引用させていただくことにいたしました。 はうら様、勝手に引用させていただいてすみません。
⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒ 『ひとひらの夜明け』より
p104 日々は、時代は道元には辛かった。心が純心なほど、 僧とは名前だけで、政争や功利ばかりに眼を向ける者に 対して、嫌悪感を感じていた。
それを無視して環境から耳を覆うようにして、道元は修学に 精進していた。
略
人間というものは、生まれながらにして、完全な人格を 備えているという。 それならば、もともと悟っている者が、 何故修行が必要なのか。 もともと生まれながらにして完全な人間であるならば、何故 諸仏は、苦しんでまで修行するのか。 もともと悟っているならば、 何故悟りを求めようと発心し、修行するのか。
修行とは一体なんなのか。 完全な人格とはなんなのか。 分からない。わからない。 誰も明解してくれない。 もとめれば求める程、真理は遠ざかっていく。 周りの悟った筈の僧の眼は死んでいる。
p105 道元は良寛から公胤を紹介され、公胤から栄西を 紹介してもらった。 栄西はその時74歳、明州(中国)に渡り、禅という 新しい仏教を日本に根づかせようとしていた。 その時鎌倉で病の治療に当たっていた。しかし痩せて 小柄な老僧の眼光だけは人を射るように鋭利であった。 大きな頭鉢が印象的であった。
「道元と申す者にございます。ご教授いただきたく、 罷り越しました。 経典には、人間は生まれながらにして、既に悟っている と説かれております。 なれど三世の諸仏たちは、発心し、修行を積んでおります。 その必要は無用だという人もおります。 修行を積む必要があるのでしょうか。 また、仏教の究極の到達は悟りだ、と言われていますが、 悟りとは一体なんなのでしょうか。」
栄西は道元を睨みつけるようにして、一言も発しなかった。 張り詰めた沈黙が漂った。
道元は薙ぎ倒されそうな気迫を感じた。 その時身体全体を突き抜けるような、大音響が響き、 道元は吹き飛ばされそうな衝撃を感じ、座しているのが やっとであった。
道元はいまだかって感じたことのない、別の世界があることを 感じていた。 それは今までの経験や生き方を一瞬にして一掃するような、 人間智では理解できない何かが、別の世界の何かがある事を、 直感的に感じていた。
p106 暫く重い沈黙のあと、栄西は気迫のある静かなしゃがれた口を開いた。 「悟りなどないわ!経典がどうのと、そんなものは、狐や狸の類だ。 そんなものが、修行するか、この馬鹿者が。」
その時、道元は今まで知識だけの、学問の中にだけ仏道はある と思っていたが、
栄西のこの一喝で、仏道とは理論の中にあるのではなく、 自分自身の内部の深いところにある、未だ自覚しない処に あるものであるような気がした。
略 この時、道元15歳、栄西はその姿を見て、自分も道元と 同じ13歳の時出家して 同じような疑問を持って宋へ渡った事、禅を弘めようとし、 厚い壁にぶつかっている事を思いいたした。
略
p109 ある日道元は暁天の座禅の時、豁然として大悟した。 自分は、自分の力では生きているのではなく、何か見えない 大きな力によって、諸仏とともに生かされてあるという喜びが 全身を満たしていた。如浄(この頃の道元の正師)はそれを 認証した。 1225年、道元26歳のことであった。
p110 人間は生まれながらにして、仏性が備わっている。 それは修行する事によって現成する。
それを実証し自覚し体認するために、座禅がある。 『只管打坐』とは、実証そのものである。
⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨⌒¨ まだまだ 続きがありますが、長文ですので、 この辺で失礼いたします。

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はうらひとひら様 (59373) |
- 日時:2023年07月01日 (土) 06時13分
名前:志恩
このたびは、 「実相ひかり誌友会」魂の交流文 【ひかりのお便り】(A4の印刷紙) 2023年7月号を、志恩宛にまでお送りくださいまして 誠にありがとうございました。光栄に存じました。
zoomも活用される実相誌友会を、『生命の實相』を テキストにして、毎月第3土曜日の、13:30~15:30に 開催されていらっしゃるなんて、(7月は、15日に開催と)
はうらひとひら様は、ほんとうに、77歳のお方なのかしらと 思ってしまうほど、頭が冴えていらして、 インターネットにも強く、プロの小説家の ような優れた文才もおありになって、類稀なる 才能の持ち主でいらっしゃると尊敬申し上げております。
私は土曜日は、午前、午後と、慶應スポーツクラブで レッスンがある日と重なりますので、参加できませんが、 かげながら充実した誌友会をお祈りさせていただきます。
封書の差出人の住所のところに、電話番号も記されて ありましたので、初めて、はうら様にお電話して、ご挨拶して みました。 お優しいあたたかみのあるお声のお方で、嬉しかったです。
最近は、トキ掲示板へは、あまり投稿されなくなられましたが、 トキ掲示板は、ご覧になって くださっているそうです。 ありがとうございます。
岡 正章先生の後継者として、この「実相誌友会」を、 はうら様は、連絡係となって、継続して開催されますそうで、 岡先生も霊界から、さぞかし喜んでご覧になられていることと 存じます。
本日から、7月に入りましたが、もう、猛暑となっております。 ますますお身体ご自愛くださいませ。
いつか、また、お気が向かれる時がございましたら、 トキ掲示板へご投稿くださいませ。
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『日々読誦三十章経』の基 (59419) |
- 日時:2023年07月02日 (日) 08時56分
名前:はうら ひとひら
志恩 様 お気遣いいただきまして、ありがとうございます。 現象処理が多々ありまして、ご無沙汰いたしました。
岡 先生からは、多くの事を学びました。 ZOOMで誌友会を行うようになってから、その案内に 聖典からの心に響くご文章を謹写させて、皆様に 送付しておりました。 ある日の事、数十名にその案内を送り終わってやれやれ と思っていたら、岡 先生からメールがきました。 「先程おくられた文章の中の『人生は心で支配せよ』 のなかに、誤字が2箇所あります。僕は、『日々読誦 三十章経』を毎日拝読しているので、すぐ気がついた。 『人生は心で支配せよ』は『日々読誦三十章経』 の基になったご文章です。送られたご文章を読んで 祈られると困るので、至急訂正して、送り直して 下さい」との事でした。 私はその時初めて、『人生は心で支配せよ』が 『日々読誦三十章経』の基(ベース)になっている事 を知りました。
尊師は『人生は心で支配せよ』のはしがきで 《本書は私の神想観入門である》と述べられている。 《大體私は本書の示すが如き思念法を行い、神の叡智 を流入せしむることによって、私の性格は明るくなり、 自由自在性が加わり、私の運命は暗黒から光明に転回 して来たのである。》(同書はしがき より)
《すべて癒す力は宇宙の自浄力(いやすちから)で あるから、神聖である。「それは求むるに従って 与えて下さるのである」。それは賜(たまもの)で あって、自分の力がなすのではない。(同書16頁)
《以上説明せる運命を支配するための法則を要約して 掲ぐれば、次の四箇条となるであろう。 (一)吾々の生活せる宇宙は靈的生命體である。 物質は無い、物質と見えるものも悉(ことごと)く 「靈」の変貌(へんぼう)である。だからこの宇宙の 萬物は皆生きており、固定せるものは一つもない。 従って想念に対して非常に感じやすく変形し易い のである。何故ならこの宇宙の萬物は心を材料として 想念と云う手続を通して出現したものであるからである。 (二)この靈智的生命體なる宇宙靈は、吾等の想念する 観念の鋳型にしたがって、眼に視(み)えない想念を 眼に見える形にまで作り出すための材料であると共に、 その創化作用を司(つかさど)る創造力そのものである。 (三)宇宙靈が物を造り出すのは、宇宙靈みずからが 思い浮かべた観念(コトバ)及び、吾等の心が 宇宙霊の上に印象したる最も強き想念(コトバ)に 従うのである。 (四)宇宙靈は吾等の生命及び智慧の源泉である。 従って、吾等もし許さるることを得ば、直観という形式 を通じて、その無限の智慧から指導を受け得るのである。 かくの如く宇宙靈は、吾々の想念の鋳型に従って、その 創造の神業(みわざ)を営むことがわかるのである。 従って自分の思う想念の如何(いかん)は自己の生活と 境遇とを支配することが出来るのである。 實に吾等は想念(コトバ)の力によって運命の主人公 となることが出来るのである。》(同書31.32頁)
『神想観』については、榎本恵吾著『弟子像』にこの様な ご文章があります。
《ただ、ただ神想観をする時間の長さと回数で信仰の 深さを計量しようとする気風、集まった人数でその 祈りの価値をはかり、成果があった、成果があったと 言うようになってはいないだろうか。 『詳説 神想観』は手っ取り早く便利ではあるが、 『生命の實相』の中になんとも言えないニュアンス をもって納められているその神想観の説明のところ だけを取り出して来ても、ただ能率的に近道をとる くせがつくだけになるという場合もなきにしもあらず ではなかろうか。》(『弟子像』144頁)
《あゝ、私は神の中にいる! 神様の中に溶け込んでいる! これが神想観でございます。》(『弟子像』452頁)
岡 先生は『生長の家』の事柄は、全て知っていると 思っていた。 ある時誌友会で『秘められたる神示』の講義勉強で 「久遠天上理想國實現の神示」を学んでいた。 出席者(書誌学を専門に研鑽していた方)の発言で 「何故この神示で冒頭に『生長の家』の因縁(いんねん) を書き置く』という言葉がでてくるのであるか」 という発言があった。 私は咄嗟に「この神示の初めの名は『生長の家について の神示』という名ではなかったか」、と言ったら、 岡 先生がそんな話は、聞いた事がないという。 私は次の誌友会までに、その事をお知らせしますと 言って、その場をのがれた。 それからの1ヶ月ほぼ、この探索に費やした。 次の誌友会1週間前、万策尽きて祈った。 そしてついにその確証を得た。 『生命の實相』の次に刊行された『久遠の實在』 にそれは書かれているという。オークションで それを求め、誌友会前夜遅く、台風の大雨の中、郵便 配達員様が届けてくれた。
『久遠の実在』(昭和八年十二月発行)(復刻版) 418頁に『大生長の家』に就(つい)ての神示』 《『生長の家』の因縁を書き置く。・・・》とある。
もう一つは『生長の家』の奇蹟に就いての神示』 が415頁にあるが、現在は『自然流通(じねんるつう) の神示』となっている。 その他の神示はすべて『七つの燈臺の點燈者』の神示』 となっている。(『久遠の實在』扉の裏及び目次の 前後頁)に記載されている。
それがどうしたという事ではなく、ただ事実を認めた だけである。
ありがとうございます。

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はうらひとひら様 (59427) |
- 日時:2023年07月02日 (日) 14時17分
名前:志恩
久々のご登場、大変嬉しく思っております。
『人生は心で支配せよ』は『日々読誦三十章経』 の基になったご文章です、と 岡先生からはうら様にメールがきたお話、 私は、全然、知りませんから、驚きました。
岡先生は、 『日々読誦三十章経』を毎日拝読されておられたので 気がつかれたそうですね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >尊師は、『人生は心で支配せよ』のはしがきで 《本書は私の神想観入門である》と述べられている。<
略 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー >『神想観』については、榎本恵吾著『弟子像』にこの様な ご文章があります。<
略
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (はうら様ー) >岡 先生は『生長の家』の事柄は、全て知っていると 思っていた。 ある時誌友会で『秘められたる神示』の講義勉強で 「久遠天上理想國實現の神示」を学んでいた。 出席者(書誌学を専門に研鑽していた方)の発言で 「何故この神示で冒頭に『生長の家』の因縁(いんねん) を書き置く』という言葉がでてくるのであるか」 という発言があった。 私は咄嗟に「この神示の初めの名は『生長の家について の神示』という名ではなかったか」、と言ったら、 岡 先生がそんな話は、聞いた事がないという。 私は次の誌友会までに、その事をお知らせしますと 言って、その場をのがれた。 それからの1ヶ月ほぼ、この探索に費やした。 次の誌友会1週間前、万策尽きて祈った。 そしてついにその確証を得た。 『生命の實相』の次に刊行された『久遠の實在』 にそれは書かれているという。オークションで それを求め、誌友会前夜遅く、台風の大雨の中、郵便 配達員様が届けてくれた。
『久遠の実在』(昭和八年十二月発行)(復刻版) 418頁に『大生長の家』に就(つい)ての神示』 《『生長の家』の因縁を書き置く。・・・》とある。
もう一つは『生長の家』の奇蹟に就いての神示』 が415頁にあるが、現在は『自然流通(じねんるつう) の神示』となっている。 その他の神示はすべて『七つの燈臺の點燈者』の神示』 となっている。(『久遠の實在』扉の裏及び目次の 前後頁)に記載されている。
それがどうしたという事ではなく、ただ事実を認めた だけである。<
志恩ー 神想観についての深い意味、 岡先生の緻密で誠実な真理探究に対する態度、 はうらひとひら様も、岡先生が、認めてこられたお方 だけあって、岡先生と大変ご性格や思考が優秀で 似ていらっしゃるなぁと、思いました。

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桃の実三つ (59537) |
- 日時:2023年07月07日 (金) 17時24分
名前:はうら ひとひら
ありがとうございます。 今回は、少し気が重いのですが、避けて通れない 問題ですので、書いてみる事にしました。 ご指摘、ご教授の程どうぞよろしくお願い申しあげます。
まずは暖気運転(ウオーミングアップ)の 準備よりいたします。
・縦の真理と横の真理を駆使しての自分の存在
《「自分は神の子だ」と云う縦の真理ばかりで突進 していると、時とすれば、三界唯心の横の真理を 忘れてしまっている。心の法則に照らして見ないと、 自分の現在の心の動きを映し出して、反省せしめる 「鏡」がなくなる。それでは自己反省が成立たない。 どんな美人でも、美人の自覚があっても、鏡がなければ、 白粉(おしろい)がむらに着いていて、醜い顔をして いることがある。「人間、神の子」の自覚は、縦の真理で、 「人生百般(ひゃっぱん)の相(すがた)は自分の心の影」 と云うのは横の真理である。 縦は永久にかわらないこと、織物の経糸(たていと)みたい なものであって永久に真直(まっすぐ)に打貫(うちつらぬ) くのである。しかしそのあらわれがどのようになるかは 緯糸(よこいと)の運びかたにあるのであって、経(たて) と緯(よこ)との十字交叉(こうさ)の中心に、形なく 無相(むそう)にして一切の相(すがた)を現(げん)ずる 実在として「自分」が存在するのです。》 (新編 『真理』第6巻 302.303頁)
岡 先生から『生長の家 三位一体』を教わった。 『古事記と現代の預言』106頁にある 『桃の實(み)三つ』 「日本天皇の生命の實相」「日本國の生命の實相」 「人間の生命の實相」がそれであるという。
ある日、私はある記事に接しそれを書いて、別文と 一緒に共通の認識の会の方達に送ったことがある。 すると、岡 先生からメールがきた。 「その出典、根拠は何ですか。?不正確な情報を真実 のように伝えては、信用を失いますよ!」 と鋭い口調である。
これには、少し説明が必要です。 ある時、岡 先生はある事柄を、文章で多数の方に 送ったことがあった。しかし、それは二.三の方から の指摘で岡先生の誤認識であることを理解した。 送付した全ての方に、お詫びの文章とともに、その 文章を返却されるか、破棄していただくように 依頼し、収拾するのにかなりの時間を要した。 それから、岡 先生が、実相独在から、横の真理にも 眼を向けるようになった。 私にとっては、それまでは、岡先生は、『逃げ水』のような 存在だったが、やっとその後姿を捕まえられるように なってきた。
《最も苦(にが)き経験につまずきながら苦杯を嘗(な)め ている其(そ)の最中に、其の人が真に勝利者であることも あり得るのである。・・・・ 仆(たお)れた時にだけその起き上がる努力によって発達 する筋肉もあるのである。兎(と)も角(かく)、一度も 倒されたことがなくて立っている者は、倒れたときに 如何にすべきかを知らないであろう。 彼はまだ未熟である。 倒れて、再び起き上がった人は、倒れないで今迄来た人 よりも偉大である。》 (『新編 叡智の断片』117.118頁)
私などは、倒れっぱなしで、未熟であるが。
話を元に戻すと、私への指摘された文とは、 尊師が「国の為にならなければ、生長の家の一つや二つ 潰れても構わない」という発言があったか、なかったか である。私はその記事をさがしたが、見当たらない。 そこで別の方に問い合わせてみた。その方から丁寧に 説明いただいたが、少し内容が異なるが、その方の 説明を根拠とするより仕方がなかった。
『「日本を守る会」が結成される前に、円覚寺管長の 朝比奈宗源先生、富岡八幡宮宮司の富岡盛彦先生が、 原宿の「生長の家」本部に谷口総裁を訪ねられた時の ことを、陪席された澤渡盛房氏(富岡八幡宮・権宮司) が話されるには、谷口先生は朝比奈・富岡両先生の お話を真剣な御表情で聴かれたあと、「日本を守る会」 に賛同されて、次のお言葉を述べられた、といふ。 「生長の家」の二つや三つ潰れても、祖国日本が 本来の姿に立ち戻るためには、それもやむを得ない・・・ 協力を惜しまぬどころか、「生長の家」の活動そのもの が目指すところはそこにある。」 と言ひ切られた由である。谷口先生ならでは、と 深く感じ入ったものである。』
およそ、そのような事を岡先生に返事した。 岡先生からは、そのような事は既に聞いていて、大変驚いた ので、直接上司(当時)に聞いてみたら、 「そのような事はない」という返事だったという。
あったか、なかったかは別にして、次に尊師のお言葉を 謹写いたします。
《満州への教化旅行に出発せんとする前日、徹夜、 宇宙真理国家たる日本國を想(おも)ひ大君(おおきみ) を仰(あお)ぎ奉(たてまつ)り、草莽(そうもう)の 微衷(びちゅう)のなほ邦家(ほうか)の全臣民 (ぜんしんみん)の心を動かすこと能(あた)はざる 臣(しん)谷口の無力を恥じ、涙滂沱(なみだぼうだ) として眠る能はず、此(こ)この稿(こう)を整理す。 日本國民全部が天皇を宇宙神として仰(あお)ぎ奉ら ざるは吾が罪なり。邦家思想信仰界の現状目を覆(おほ) はしむるもの多く、ために吾が視力頓(とみ)に 減耗(げんもう)せるを覚(おぼ)ゆ。 頼山陽(らいさんよう)は杜鵑(ほととぎす)血を 吐く想いにて広島の四帖半(よじょうはん)裡(り) に幽閉され、肉體に血を吐く疾(やまひ)を あらはして『日本外史』の執筆に専念せり。 吾れもまた視力を失ふとも、邦家思想界の現状に 憤激(ふんげき)を止(とど)むること能はず、 愈々(いよいよ)励みて皇國(こうこく)の道を 筆に口に教化伝道せんのみ。 これ皇臣(こうしん)としての吾に與(あた)へ られたる唯一の道なのである。 (『大日本皇神學序説』はしがき) (昭和12年出版『完成の聖書』) (昭和16年9月出版『生命の實相』第16巻神道篇) (昭和18年11月号『生長の家』誌)
(一部歴史的仮名遣いを約しました。)
ありがとうございます。

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はうらひとひら様 (59540) |
- 日時:2023年07月07日 (金) 20時24分
名前:志恩
ご質問、ありがとうございます。
難しいご質問なので、私には答えられません。
梶猛弩様でしたら、答えられそうな気がいたします。
梶猛弩様、はうら様の質問に、答えていただけませんでしょうか。
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はうらひとひら様 (59549) |
- 日時:2023年07月08日 (土) 04時52分
名前:志恩
はうら様は、学者みたいなお方でいらっしゃいますから 私は、専門的な質問には難しいのでお答え できないと思いまして、大変賢そうでいらっしゃる 梶猛弩様に回答していただこうと存じましたが、 お願いしましたが、保留にされるということですので、 地方講師でもなんでもない 私めが、お返事させていただくことにいたしました。
それからですね。旧トキ掲示板へ、岡先生が、復興GというHNで、 投稿者として、まめに出ていらしたのは、2013年の頃でしたが、 岡先生は、その頃、「合わせ鏡」の法則を言われておられ まして、家庭内の人たちだけでなく、世界の有名な人たち たとえば、北朝鮮の将軍様の言動も、われわれの責任、 「つまり合わせ鏡」だと主張されておられました。で、私は あの頃は、その岡先生のご意見が、理解できなくて、反発して いましたので、よく私は、岡先生に叱られていた人間なんです。
同じ真理でも、受け取り方が、違うのだと思っております。 私は、世界で起きる全てのことが、 自分の責任だとは思えないのですよね、たしかに北朝鮮の将軍様も 実相は神の子ですが、悪いやつは悪いやつだとしか、思えないん ですよね。それで、あの頃、岡先生に、私は、呆れられていた 人間なんです。実は、私は、年は取っておりますが、精神年齢は、 すごく未熟者なんです。
ですから、はうら様と真理について、話し合えば、なんだ志恩さんて、 こんなに真理がわかっていない人だったんだと、きっとがっかりされると 思います。その点は、先に言っときます。
梶猛弩様が、はうらひとひら様の質問を次のように 箇条書にしてくださいました。
1.「国の為にならなければ、生長の家の一つや二つ潰れても構わない」という発言があったか、なかったか 2.『生長の家 三位一体』とは『桃の實(み)三つ』「日本天皇の生命の實相」「日本國の生命の實相」「人間の生命の實相」である。 3.“縦の真理と横の真理を駆使しての自分の存在” 4.それ以前の投稿ある問答(難しい問題とか難問題とか正法眼蔵に関しての記載)
それで、 >1.「国の為にならなければ、生長の家の一つや二つ潰れても構わない」 という発言があったか、なかったか<
についてのことは、 以前、トキ掲示板でも、議論になったことがございました。 結論は、あった。というものでした。 私は、谷口雅春先生から、このお言葉を、直接、伺ったことは ございませんけれど、いろいろな方々の証言によりますと、 谷口雅春先生は、神誌でもこのことを書かれましたし、ご 講演会の時も、おっしゃったそうです。
このお言葉が、谷口雅春先生のお口から出るぐらい、当時は、 社会主義、共産主義が、日本中を跋扈し、日本中を吹き荒れていて、 天皇制も危うくなっていたのでした。私の娘時代のことでしたが、 天皇陛下のことを、学校の先生も「天ちゃん」と言い、左翼の人たちの ことを、進歩的文化人と、ほとんどのマスコミ連中が、持ち上げていた 時代でした。
2、については、 私は難しすぎて、お答えできません。
3、4、についても、私の頭では、すっきりと、はうらひとひら様に わかっていただけるようには、回答できないと存じます。
できれば、私のような普通の高齢者にもわかるような、 もう少し、平易な言葉で、教えていただけますと、ありがたいです。

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安易と平易は大違い (59560) |
- 日時:2023年07月08日 (土) 10時20分
名前:若輩者
>もう少し、安易な言葉で、教えていただけますと、ありがたいです。
安易と 平易は
大違い 安易な姿勢と 平易な言葉は
大違い 調べて納得されたら >>もう少し、平易な言葉で、教えていただけますと、ありがたいです。
と、普通は書かれるのでは?
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若輩者様 (59561) |
- 日時:2023年07月08日 (土) 10時33分
名前:志恩
>安易と 平易は
大違い<
志恩ー そうでしたか。教えてくださって、ありがとうございました。 早速、訂正いたします。すみません。
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49日 (59637) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 03時52分
名前:元信徒
明日、岡先生の満中陰 49日だそうです。 こちらで親しくご指導下さいましたので、沢山の感謝の思いで先生にお聖経をお願い致します。
はうらひとひら様より
> 合掌 ありがとうございます。
[7月11日(火)は岡 正章先生の四十九日 (満中陰)です。 お時間の取れる方は、聖経『甘露の法雨』 を読誦して、お見送りいたしましょう。] <<
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元信徒様 (59638) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 05時28分
名前:志恩
>明日、岡先生の満中陰 49日だそうです。 こちらで親しくご指導下さいましたので、 沢山の感謝の思いで先生にお聖経をお願い致します。 はうらひとひら様<
そうですか。早いものですね。明日は岡先生の49日でしたか。 わかりました。甘露の法雨を感謝を込めて、あげさせていただきます。
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はうらひとひら様、桃の實三つ (59639) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 05時54分
名前:志恩
(はうらひとひら様ー) >岡 先生から『生長の家 三位一体』を教わった。 『古事記と現代の預言』106頁にある 『桃の實(み)三つ』 「日本天皇の生命の實相」「日本國の生命の實相」 「人間の生命の實相」がそれであるという。
ある日、私はある記事に接しそれを書いて、別文と 一緒に共通の認識の会の方達に送ったことがある。 すると、岡 先生からメールがきた。 「その出典、根拠は何ですか。?不正確な情報を真実 のように伝えては、信用を失いますよ!」 と鋭い口調である。
これには、少し説明が必要です。 ある時、岡 先生はある事柄を、文章で多数の方に 送ったことがあった。しかし、それは二.三の方から の指摘で岡先生の誤認識であることを理解した。 送付した全ての方に、お詫びの文章とともに、その 文章を返却されるか、破棄していただくように 依頼し、収拾するのにかなりの時間を要した。 それから、岡 先生が、実相独在から、横の真理にも 眼を向けるようになった。 私にとっては、それまでは、岡先生は、『逃げ水』のような 存在だったが、やっとその後姿を捕まえられるように なってきた。
《最も苦(にが)き経験につまずきながら苦杯を嘗(な)め ている其(そ)の最中に、其の人が真に勝利者であることも あり得るのである。・・・・ 仆(たお)れた時にだけその起き上がる努力によって発達 する筋肉もあるのである。兎(と)も角(かく)、一度も 倒されたことがなくて立っている者は、倒れたときに 如何にすべきかを知らないであろう。 彼はまだ未熟である。 倒れて、再び起き上がった人は、倒れないで今迄来た人 よりも偉大である。》 (『新編 叡智の断片』117.118頁)<
志恩ー 『古事記と現代の預言』は、私も持っておりますので、 106ページのところと、その前後を読み直してみました。
はうらひとひら様は、「桃の實3つ」の意味は、先に書かれてありますから お分かりなのだと存じますが、はうら様のおっしゃりたいことは、 別のことではないかと、
つまり、縦の真理だけでなく横の真理にも、心をいたさなければ、 『生命の實相』を正しく生きることには、ならないのではないかと、 岡先生に、はうらひとひら様が ご忠言されたことがおありになって、 それから岡先生は、 実相独在から、横の真理にも目を向けるようになった。
ということを、おっしゃりたかったのではないでしょうか。 つまり、われわれにも、それは言えることではないか、と。 私は、それにつきましては、完全同意でございます。

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『みすまるの珠』余滴 (59656) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 17時35分
名前:はうら ひとひら
ありがとうございます。 「元信徒」様が岡 正章先生の満中陰をお知らせ くださいましたので、ありがたかったです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 「元信徒」様からお問合せもいただいておりましたので、 そのへんも含めて、まとめさせていただきます。
令和4年12月16日夜、岡 先生が倒れられて、救急病院に 運ばれましたが、次の日が私達の誌友会の開催日でもあり、 最後まで、出席するんだ、と言われていたそうです。 その後、心臓部分を3箇所手術され、目が覚めるのは 3週間後と言われながら、3日後には覚醒され、『甘露の 法雨』と携帯電話を探されたという。
私が岡 先生のご自宅を訪れたのは、倒れられてから13回、 3月6日にご自宅に戻られてからは、4/17にやっと声がいくらか 出せるようになって来たという事で、苦しそうにしながら 「ありがとうございます」という声が聞けました。 私はただ合掌し、お互い合掌し合い、お互い手を振り合って ご自宅を辞去した。 5/22お伺いした時は、ご家族がいろいろ声をかけて くださったが、目を一度開けたが、そのまま眠ってしまった。 そして5月24日夜、再び目覚めることはなかった。
6月19日ご自宅を訪れた時、奥様から「あちら(霊界)で 完全なものを書き上げて送った」という主旨の事を話された。 私は、「霊界の事はよく解らないし、(そのようなメールも いただいていないが)わかるような気がします」と話をした。 「今まで私は、1回祈っただけで、ほぼ皆完治しているし (これは自慢でもなんでもなく、神がそのように指導されて いると理解している。自分の力では何にも出来ない事も知って いる)ましてや、岡 先生もご自分で治す力をもって いらっしゃる。皆も祈っているし、これは何かあると思って いたが、やはり、霊界で、現象界でし残した事を処理する ために、退院後は、ほぼその為に費やされ、それが霊界で完成 したので、この現象界を去る事が出来る、ということだった と理解しました。」と言いました。 お医者様も、どこにも異常は無く、天寿を全うされたと 言っておられたとの事でした。
6/17 誌友会でも、私はその報告として ・すべてはお任せします。(Cメールにて) は、「種まきは終わっているので、その育成と刈り取りは 皆さんに託しました」 ・わたしの思いは真理第9章です。(Eメールにて) は、『真理 第9巻第九章』 「神の導きによる問題の解決」 と報告させていただきました。
『生長の家』は神が始められた、神の国運動だと理解して おります。 「生長の家大神(住吉大神)の別名はキリスト」 (『終戦後の神示』) (『新講甘露の法雨 解釋』20.21頁) (『生命の實相』第一巻の表紙のすぐ次に出現する 「ヨハネ黙示録」第一章の白髪の老翁なるキリスト の現成と、生命の實相との繋がり。すべて一体であります。 神において能わざるなし、であります。 今はすべてが浄化される過程での自壊作用とみるべき と思います。何も恐れることはない。 自分の使命を果たすのみです。
『みすまるの珠』立ち上げ時に、多くの方のご協力 があったという。例えば、トップページの色彩 豊かな絵などは、その作者のお名前を書いて報い たいが、それも出来ないと、悔まれていた。
『みすまるの珠』[520]から[525]に 榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 -「神癒の社“無”の門関・入竜宮幽斎殿」にての 覚え書-が記載されていますが、これは 53字X19行 1000頁約100万字になるという。3年程前 私達の会の誌友もその(一)をいただいたが、難しい。 実相独在である。かなり深く真理に到達した方からも、 2〜3質問があり、理解出来ないという。 岡 先生は、榎本一子先生に、そろそろこの全文を 公開してもよいのではないでしょうか?と問い合わせた ところ「まだだめです。」とのことだったという。 それほどに、誤解されやすい難解なご文章である。 『華厳経』のように、まだ暫く永い眠りにつくので あろうか。
難解といえば『正法眼蔵』もそうである。 人間はだれもが仏の子であり、人の本体である仏が 住んでいる実相世界と、その写し世である現象界の 関係をいろいろな角度から説いているとされるが、 その説いている側が、仏の側から説いているから 難しいのだという。
その難しいとされる『正法眼蔵』をきっちりと説ける 人が、『みすまるの珠』【広場】投稿者のトレモスさん だった。コロナ騒動でZOOMで誌友会を開いた時、初回から 出席されて『ヨハネ伝』を話されていた。 毎回出席されていて2年程して、突然帰幽された。 岡 先生より10歳程若かった。 都立大大学院フランス文学部卒の変わった方で、これも 実相独在しか説かなかった。
ともかくも、岡 先生の満中陰を迎えてしまった。 ある方が送ってくださった一首
實相の 種を蒔かれた 先生の こころ思うと 涙あふるる
皆様 大変お世話になりました。
ありがとうございます。

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はうらひとひら様 (59660) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 21時50分
名前:志恩
元信徒様が、はうらひとひら様に、お問い合わせくださったそうで、 そのおかげで、 はうら様から、岡先生のこの世でのお別れの時の詳しいご様子と 明日は49日だということも、伺うことができまして、ありがたく存じ ました。
岡先生は、天寿を全うされたのでした。
>私が岡 先生のご自宅を訪れたのは、倒れられてから13回、 3月6日にご自宅に戻られてからは、4/17にやっと声がいくらか 出せるようになって来たという事で、苦しそうにしながら 「ありがとうございます」という声が聞けました。 私はただ合掌し、お互い合掌し合い、お互い手を振り合って ご自宅を辞去した。 5/22お伺いした時は、ご家族がいろいろ声をかけて くださったが、目を一度開けたが、そのまま眠ってしまった。 そして5月24日夜、再び目覚めることはなかった。< 岡先生を深く敬愛する方々が、はうらひとひら様、トレモス様 から、おそばにいらして、ご家族もそうですが、
岡先生は、とても恵まれた先生でいらしたと存じます。
>『。みすまるの珠』立ち上げ時に、多くの方のご協力 があったという。例えば、トップページの色彩 豊かな絵などは、その作者のお名前を書いて報い たいが、それも出来ないと、悔まれていた。
『みすまるの珠』[520]から[525]に 榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 -「神癒の社“無”の門関・入竜宮幽斎殿」にての 覚え書-が記載されていますが、これは 53字X19行 1000頁約100万字になるという。3年程前 私達の会の誌友もその(一)をいただいたが、難しい。 実相独在である。かなり深く真理に到達した方からも、 2〜3質問があり、理解出来ないという。 岡 先生は、榎本一子先生に、そろそろこの全文を 公開してもよいのではないでしょうか?と問い合わせた ところ「まだだめです。」とのことだったという。 それほどに、誤解されやすい難解なご文章である。 『華厳経』のように、まだ暫く永い眠りにつくので あろうか。
難解といえば『正法眼蔵』もそうである。 人間はだれもが仏の子であり、人の本体である仏が 住んでいる実相世界と、その写し世である現象界の 関係をいろいろな角度から説いているとされるが、 その説いている側が、仏の側から説いているから 難しいのだという。
その難しいとされる『正法眼蔵』をきっちりと説ける 人が、『みすまるの珠』【広場】投稿者のトレモスさん だった。コロナ騒動でZOOMで誌友会を開いた時、初回から 出席されて『ヨハネ伝』を話されていた。 毎回出席されていて2年程して、突然帰幽された。 岡 先生より10歳程若かった。 都立大大学院フランス文学部卒の変わった方で、これも 実相独在しか説かなかった。
ともかくも、岡 先生の満中陰を迎えてしまった。 ある方が送ってくださった一首
實相の 種を蒔かれた 先生の こころ思うと 涙あふるる
皆様 大変お世話になりました。 ありがとうございます。<
誠にありがとうございます。合掌

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はうらひとひら様 (59662) |
- 日時:2023年07月10日 (月) 23時11分
名前:元信徒
私は簡易的に書きましたので、
はうらひとひら様、正式に時間などお知らせ下さい。
宜しくお願い致します。
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