生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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【戦時下の性被害】歴史のタブーを語る95歳の女性 満州“黒川開拓団”の真実 (58807) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 01時55分
名前:歴史の真実
開拓団として満州にわたり戦争で犠牲をしいられていたという女性たちがいます。 生きて日本に帰るために性的な接待を強いられ犠牲となった一方、町の人はその犠牲を隠そうとしました。 岐阜県郡上市にで暮らす佐藤さん(当時95歳)は女性たちの苦しみや嘆きを絶対に忘れてはならないと訴えます。 1932年日本が事実上の植民地としていた満州に、佐藤さんは移住。日本軍が不当に安く買いとった家に住みすでに耕やされていた広大な畑でアジア人労働者を率いて作物を作る日々を過ごしていました。政府が満州に開拓民を送りこんだ狙いは、大陸で戦う日本軍の食糧増産。 その裏で「満州国」の支配、防衛という軍事的な目的もあったとされています。 1945年、敗戦間近の8月ソ連が満州に侵攻。敗戦が決まると中国人など現地の人が家や土地を取り返そうと一部が暴徒と化し襲ってきたといいます。 集団自決も脳裏をよぎる中、団の幹部が出した答えは、侵攻してきたソ連兵に守ってもらうという選択でした。その見返りは女性。 これまでタブーとされてきた歴史ですが、黒川開拓団の遺族会は、女性たちの犠牲の上で多くの人の命が救われたと認めて敬意を表し今まで認めてこなかったことを正式に謝罪しました。 佐藤さんは「どんなことがあろうともわたしなんか恥ずかしい思いもしたし1歩間違えば死ぬ境を通ったのに口をつぐっていてはだめ」「歴史や体験で悔しかったことであろうともしゃべって残していくのが人間の社会の歴史じゃないですか」と語った。
【2020.9.5 放送】 https://www.youtube.com/watch?v=qYZvmtfNCyw より引用
「満州は五族共和の理想郷建設」と謳った谷口雅春、これは正しいか。
その総括を彼はしたのか、代わりに孫がしているように思う。ソ連兵の暴行も勿論有ったであろう。 しかし土着民を虐げて満州開拓団の居留地を作り上げた、その反作用で終戦後土着民に攻撃され、開拓団全滅を避け引き上げるために、ソ連兵に自ら性接待を申し出たという事実。
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歴史の真実様へ (58808) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 05時03分
名前:栞
歴史の真実ー >「満州は五族共和の理想郷建設」と謳った谷口雅春、これは正しいか。
その総括を彼はしたのか、代わりに孫がしているように思う。
ソ連兵の暴行も勿論有ったであろう。 しかし土着民を虐げて満州開拓団の居留地を作り上げた、 その反作用で終戦後土着民に攻撃され、開拓団全滅を避け引き上げるために、 ソ連兵に自ら性接待を申し出たという事実。<
栞ー
あの当時の満州で、日本軍が暴走したとか、 開拓団として満州にわたり戦争で犠牲をしいられていたという 女性たちがいた、とかいうことは、 ここ数年になってから、発表されていることです。
前にも書きましたが、私の実母の姉にあたる伯母が、 伯母の夫が満洲国の日本の銀行の支店長として、日本の銀行から 派遣されたために、夫とともに、満洲国の大連に渡り、暮らしていました。 しかし、満洲国で、夫が病気で亡くなったために、満州で生まれた 子供達三人を連れて、日本へ帰国し、居酒屋を開いて、子供たちを そだてた人がいました。
伯母は、満洲国にいた時、日本軍とか、ソ連軍とかに ひどい目にあったなんて話は、聞いたことは、ありません。 その伯母は、だいぶ前に、亡くなっておりますが、
ですから、満洲国へ渡った日本人の全員がひどい目にあったのではない。 ひどい目にあった人もいたという話です。
あの当時、谷口雅春先生が満洲国に生長の家教化部を作ったり、 愛弟子の徳久克巳本部講師まで満州へ派遣されて、各地で 講演して歩かれたことと、このような負の部分とは、 関係のないことではないでしょうか。
>「満州は五族共和の理想郷建設」と謳った谷口雅春、 これは正しいか。<
「満州に五族共和の理想郷建設」と謳ったのは、 谷口雅春先生ではありません。
そのようなスローガンに協力して当時、谷口雅春先生は 満洲国へも 、光明化運動を広げようとされたのではないですか。
谷口雅春先生にまで、ケチをつけて、 孫の雅宣先生が、谷口雅春先生がされなかったことを、 今になって、補強してるとでも、おっしゃりたいのかしら。
言い方が、下手です。
同じ、おっしゃるなら、 「五族共和の理想郷建設」と謳ったあの当時は、わからなかった 負の部分が、今の時代になって、次々に暴露されるようになり、
それについて、谷口雅春先生の孫である谷口雅宣先生が 取り上げておられるとか、語っておられると、おっしゃった方が、 全信徒の皆様に素直に受け入れられると存じます。
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=7756

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五族協和とは、満洲国の民族政策の標語(スローガン)、谷口雅春先生が謳ったのではない。それに協力しただけです。 (58809) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 05時19分
名前:栞
ネットより
【五族協和(満州)】とは、
満洲国の民族政策の標語で 「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の五民族が協調して暮らせる国を目指した。
清朝の後期から中華民国の初期にかけて使われた民族政策の スローガン「五族共和」に倣ったものであるが、 こちらの「五族」は「満・蒙・回・蔵・漢」を指しており構成が異なる 。
ーーーーーーーー 満洲国は、 1932年(昭和7)から1945年まで、 中国東北地方と内モンゴルをおもな領域として存立した。
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自分の考え (58814) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 12時34分
名前:元信徒
メチャクチャな極悪民族が戦争中に約束などしないな。
全てを奪っていくのが戦争。
国と国の条約さえ破る奴に何か出来るか? 答えはノー!です。
満州引き上げの親戚やその友達から沢山聞いてきたおそロシアの話を聞いたら、 性奴隷と引き換えなんてするわけないよ。
メチャクチャに向こうだって誰に殺されるか分からない時だからね。
何が真実かは、自分で決めて気をつけるよ。
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(58818) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 12時56分
名前:歴史の真実
口を閉ざす人々
照子さんは八路軍(のちの中国人民解放軍)によって留用され、1953年に日本へ帰ることができた。看護婦として働かされた漢口の陸軍病院では、兵士の誤射によって被弾し、左足に傷跡がうっすらと残る。八路軍の幹部は、「日本人は女を出した」と黒川開拓団の性接待を知っていたという。なぜ、あんなことをしたのか……。八路軍兵士からそう言われたことが照子さんの胸に深く刻まれている。
https://gendai.media/articles/-/52609
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1945年に満洲国へソ連軍が攻め込んできたそうですから (58821) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 14時57分
名前:栞
もしかしたら、私の伯母は、その前に 日本へ帰国していたのかもしれません。
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(58824) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 17時37分
名前:歴史の真実
満洲国の大連に渡り、暮らしていました。
大連は中華民国から租借したもの。 ソ連が作った都市を、日露戦争の戦利品として引き継いだもの。
満州国ではない。満蒙開拓とは縁もゆかりもない土地。
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えっ、そうなんですか。 (58825) |
- 日時:2023年06月11日 (日) 18時23分
名前:栞
伯母さんから,「「満州の大連 」から引き揚げてきました。」と 聞いていましたもんで、満洲国の大連だと、ずっと思っていました。 違うんですか。それは失礼しました。
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