生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

この掲示板は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。
生長の家創始者・谷口雅春先生のご人格や教えへのご批判をされる内容の投稿は一切許可しません。
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

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本音の時代の部屋 (60464)
日時:2023年08月22日 (火) 17時34分
名前:本音の時代

先日、学ぶ会の集会があり、帰りに教化部に顔を出したらまだ集会は再開されていなかった。ネットフォーラムは実施しているとのことだったが、実施する日は他の要件と重なっており参加はできないと返事をしてきた。新たな行事があればLINEで教えてくれることになった。
学ぶ会ではバンバン集会しているのに、教団では何故集会をしないのだろうか。

 (60465)
日時:2023年08月22日 (火) 17時53分
名前:風の子

いやいや
集会開催している
教区の方が
圧倒的に
多いでしょう

まったく対面行事
してない教区は
むしろ少数ですよ

 (60467)
日時:2023年08月22日 (火) 20時37分
名前:梶猛弩

 歯に衣着せぬ論客である本音の時代様が、お部屋を作られたこと。新たな学びの場が増え、喜ばしい限りです。
 
 今後の投稿を楽しみにしております。
 

本音の時代様 (60468)
日時:2023年08月22日 (火) 20時48分
名前:志恩

本音の時代様も、お部屋を作られて、
嬉しいです。

いやいや 集会開催している 教区の方が 圧倒的に 多いでしょう (60469)
日時:2023年08月22日 (火) 21時23分
名前:本音の時代

そうなんですね。事務局長にLINEしておこう。

おめでとう🎉 (60470)
日時:2023年08月22日 (火) 21時31分
名前:元信徒


本音さん、お部屋開設、おめでとう🙏👍😎😀

愛はあるんか (60471)
日時:2023年08月22日 (火) 22時02分
名前:本音の時代

生長の家のモットーは【愛】だと思ってるんですぅ。
【愛】といっても【神は愛なり】の【愛】なんです。
谷口雅宣総裁には【愛】は感じません。【自己愛】は感じます。
学ぶ会代表と社会事業団理事長にも同じことを感じます。
【神は愛なり】で説明できる行動をとってほしいものです。

偉くなると【神は愛なり】より【自己愛】が勝るように見えます。
言葉ではごまかせても、行動で化けの皮は剝がれるようです。
そういう自分も掲示板では言葉だけですので、いつか化けの皮は剝がれることでしょう。

【神は愛なり】であっても無知であってはいけません。
この世には悪知恵にたけている人は必ずいます。
悪知恵にそそのかされるのは無知であることです。
生長の家であってもです。いやというほど見せられています。
賢いとずる賢いを見分けることができないと騙されてしまうぞ。
先祖供養の件もです。組織(集団)が行う先祖供養が悪いとは言えませんが、始めてしまうと終わることはできなくなってしまうようで‥‥。すべては宇治から始まりました。
求める人がいる限り、終わることはないのでしょうね。
1柱100円で、結果的には膨大なお金が動くことになります。
これも終わることができない一因ではないかと思います。
愛ではあるが、必然の愛なのでしょうか。
グダグダ書いています。

思惑にはハズレが多いのか (60472)
日時:2023年08月22日 (火) 22時32分
名前:本音の時代

破邪顕正さんがでてきませんねぇ。
私は破邪顕正さんは黙ってはいるが、以前と考え方は変わっていないと思います。
代表ともなれば懺悔する時は、公開懺悔するのだと思うのです。
これ以上都合が悪くなるから黙っているのだというのであれば、私的にはそれは生長の家の生き方ではないのではないかと思います。

先日学ぶ誌に記事を掲載している柘植英次先生の講話(録音)を聞きました。教育現場での実体験の言葉には重みがありますし、感動も大きいです。

社会事業団理事長に救いの現場でどれだけの体験があるのか、私は知りませんので評価はできるはずもないのですが、話し合い省略での裁判による解決手法については印象は悪いです。

宇治の霊牌供養は、毎年、年1回のみ。学ぶ会の霊牌供養は、毎月、月1回 (60473)
日時:2023年08月22日 (火) 22時55分
名前:志恩

先祖供養につきましては


谷口雅春先生は、先祖供養に関しましては、徳久先生に
「僕は坊さんの職業を奪うようなことをしない」
と言われました。
そこで徳久先生が、
「信徒の中で死んでしまったら、生長の家の信仰を継いで
くれるものがいない場合、聖経を上げてもらうことができないので、
ぜひ先祖を祀って頂きたい」と、申し上げますと、

谷口雅春先生は、
「それでは1年間だけ祀ることにしよう」と
言われて、霊牌供養と名付けられて、
宇治で、年1回の霊牌供養が
始まったそうです。

宇治は、年1回です。
月1回では、ありませんでした。

学ぶ会は、月1回。
毎月、先祖供養がある。

どちらも、1柱100円。

お一人が・ふつう30柱は、申し込みますので、
一人が、収める奉納金は、
学ぶ会は、月々、3000円ほどになるのでは
ないでしょうか。

なので、学ぶ会は、やりすぎであると言われて
批判されています。






祝福ありがとうございます。(早くも化けの皮は剝がれてしまいましたね) (60475)
日時:2023年08月23日 (水) 06時29分
名前:本音の時代

私の場合、人に言われないとわからないことが非常に多いです。
気遣いも忘れる(はじめからその気がないかも)ことが多いです。
バンバン言ってください。

以下、元信徒さんが投稿文を削除した時のために残して置きます。
元信徒さん、ありがとうございます。


本音さんよ、 (60474)
日時:2023年08月23日 (水) 02時23分
名前:元信徒


本音さん、
アイフルの宣伝みたいに、そこに愛はあるんか‼️ 今野(こんの)‼️

みたいで面白いと思ったけど、
本音さん、カジモドさん始め、志恩さん、元信徒が おめでとう と祝福しに来ているのだから、感謝くらいしたらどう?

本音さんに言わせてもらいます。

そこに愛はあるんか‼️ 本音‼️

ありがとう ❤️ くらい 言ったら? マナーでしょ。
古いけど、いつ言うの? 今でしょ、笑 あはは。

ほんじゃねー。 これは、あとから削除します。
デリートキーを入れるからねー。

当初の想定だと (60476)
日時:2023年08月23日 (水) 06時41分
名前:本音の時代

徳久先生が、
「信徒の中で死んでしまったら、生長の家の信仰を継いで
くれるものがいない場合、聖経を上げてもらうことができないので、
ぜひ先祖を祀って頂きたい」と、申し上げますと、

谷口雅春先生は、
「それでは1年間だけ祀ることにしよう」と
言われた


これだと、信徒が生前中場合、生長の家の信仰が継がれた場合は該当しないと思われるのだがどうなんだろう。
結果は条件なしで一年更新の霊牌供養を行うようになった。

本音の時代様 (60477)
日時:2023年08月23日 (水) 07時45分
名前:志恩

霊牌供養は、宇治へも学ぶ会へも
本音の時代様は、されておられるのでしょうか。
私は、一度もお願いしたことはありませんが。

何故なら、先祖供養は、自分でちゃんと聖経「甘露の法雨」をあげて
ご先祖様方への感謝もして、自分でやっているからです。

お墓参りに、兄弟全員で行っても、兄弟全員で「甘露の法雨」を
お墓の前で、読誦してますしね。

ですから、霊牌供養のお願いを、やるか、やらないかは、
人それぞれでいいのではないでしょうか。

たとえば、宇治へ霊牌供養をお願いすれば、1柱、100円で
1年間も、ご先祖様へ聖経「甘露の法雨」を、宇治の供養専門の
本部講師があげてくださって、実相円満完全の祈りも、心を
込めてしてくださるのですから、自分でできないと思う人は
宇治へお願いすれば、ご先祖様への感謝のしるしですから
ご先祖様が喜ぶと存じます。

お願いした子孫の方々へも、高級霊が降りてきて、病気の人は
神癒の奇跡が出たという体験も次々に出ているのことが
「宝蔵」の実例集に載っております。

でも、お願いするとしましても、(私はお願いしませんが)
年一回で、いいと思うのですけれどね、
学ぶ会みたいに毎月、先祖供養をお願いしなくても。

人間は死んで霊界に行きましたら、肉体がなくなって
自由自在になれて、いいですよ。
霊界へ行けば霊界でもやることがいっぱいありますし、
楽しいこともいっぱいありますし、生きてる人間が思うほど、
かわいい子孫にたたって取り憑いてみたり、よほどの低級霊でない限り
この世に戻ってきて生きてる人間に悪さをしたりとか、そんなに
迷ってる暇は、ないですから。

本音の時代様は、されておられるのでしょうか。 (60478)
日時:2023年08月23日 (水) 08時34分
名前:本音の時代

退会する(20年くらい前)までは霊牌供養していました。
相愛会所属だったので、案内も来ますし、先祖に感謝というよりもおかげを求める気持ちがあったのだと思います。

人間は新しいものを作りたがる。そして、もののあわれ。 (60479)
日時:2023年08月23日 (水) 08時50分
名前:本音の時代

生長の家が一番盛んだった頃、総本山が造られました。
それが今はどうでしょう。あわれなものです。新しい神が祀られ、鎮護国家はどこかに行ってしまった。

谷口雅宣総裁は温故知新というより単に新しいことがしたいだけではないだろうか。
石上げの行しかり、七重の塔しかり、お社しかり、もののあわれを感じます。

本音の時代様 (60480)
日時:2023年08月23日 (水) 10時02分
名前:志恩

本音の時代様は、教団に所属されていた20年前くらいまでは、
宇治へ霊牌供養をされていらしたのでしたか。

(本音の時代ー)
>退会する(20年くらい前)までは霊牌供養していました。
相愛会所属だったので、案内も来ますし、
先祖に感謝というよりもおかげを求める気持ちがあった
のだと思います。<

志恩ー
私の場合は、教団に所属していた20年くらい前までは、家族中の
聖使命会費は、光明化運動に協力するという気持ちから、その当時は、
近くにあった相愛会の誌友会へ属しておりましたので、
その誌友会場主のお方へ
協力してお支払いていました。また、ご講習会の時は、
受講券を多めに買ったりして、協力しておりました。
しかし、霊牌供養は、一度もお願いしたことは、
ありませんでした。

で、ある日、
雅宣総裁のご講習会を、生前中だった実母、弟妹たち、私の
4人で、横浜アリーナで受講した時、雅宣総裁のお話が、
午前も午後も、生長の家の真理の話は、いっさいなく、
ミミズがどうのとかいう環境問題のお話、オンリー
でしたので、、ああ、生長の家は終わったと、皆で痛感しまして、
 その時以来、母、弟妹、私も揃って、教団から去り、
聖使命会員も、その時、限りで、皆で、やめたのでした。

谷口雅春先生の、本来の生長の家は、やめておりませんけれどね。


(本音の時代ー)
>生長の家が一番盛んだった頃、総本山が造られました。
それが今はどうでしょう。あわれなものです。
新しい神が祀られ、鎮護国家はどこかに行ってしまった。
谷口雅宣総裁は温故知新というより単に新しいことがしたい
だけではないだろうか。
石上げの行しかり、七重の塔しかり、お社しかり、
もののあわれを感じます。<

志恩ー
阪田成一先生が、次号の「光明の音信」に、
谷口雅春先生が、何故、便利な東京を離れて、わざわざ
長崎県のあの地に、総本山を建立したか、鎮護国家のお祀りを
したかということを
谷口雅春先生から直に、お聞きになられたそうで、そのこと
を書かれると、1ヶ月ほど前に、阪田先生にお電話した時、
阪田先生が、電話で、私におっしゃっておられました。

谷口雅宣総裁先生は、勉強は大変優秀でおできになられた
お方のようですが、宗教的な感性の持ち合わせは、ゼロの
お方なので、
生長の家は神様が始められた宗教だということは、理解できない
ので、雅宣先生に取りましては、幼い頃、食事の時、畳の上に
こぼしたみそしるを、のみなさいと、叱られた、自分にとっては
優しさに欠ける、すごく厳しいしつけをしたおじいちゃんである
いやな人間、谷口雅春先生としか、見られないので、

それに反して、父親である谷口清超先生だけは、自分の味方を
いつもしてくれた。おじいちゃんと自分の間に立って、いつも、自分の
味方をしてくれた、自分をかばってくれた、素晴らしい人間だった
息子の自分のことも 純子様のことも一度も、父親として叱ったこともないし、
とても愛深い敬愛する人間だったと、数々の、雅宣先生のお話からも、
純子様のお話からも、清超先生だけは、敬愛されていると感じます。

ですから、
ご自分の頭で、こうしようと、思いつかれた、新しいことを
谷口雅春先生がされたことに対して、かぶせるように次々に
されてこられました。

それが、現在の生長の家教団の惨憺たる有様となって、結果が
表れております。

生長の家は、
神様が始められた運動なので、いづれ、元に還らざるを
得ないのだと、プラス思考でおっしゃるお方もおられます、

または、もう、生長の家教団は、終わるというお方も
教団の厳しい現状を見られておっしゃるお方もおられます。

私は、どちらなのか、わかりません。





RE;本音の時代様 (60480)   総裁や幹部がダメなら信徒が主役になれば (60481)
日時:2023年08月23日 (水) 11時11分
名前:本音の時代

地元の教区はまだ対面集会を再開していません。再開後は本来の教えを学ぶ集会があれば参加したいし、そのような集会の開催を要望していきたいと考えています。

教団の外からいくら吼えても教団は変わりません。30数年の年月が実証しています。私は生長の家という名称のついた教団にこだわりがあるので、そこに戻って未来の道を探りたい。ダメかもしれないけどトライは続けたいです。

歴史は谷口雅宣総裁をマイナスと評価することになるだろう。 (60482)
日時:2023年08月23日 (水) 11時29分
名前:本音の時代

日本では宗教離れが進んでいるように見えるのですが、日本以外の国はどうなのでしょう。
生長の家も時代の流れで衰退の道をたどることになったと思われるのですが、谷口雅宣総裁が考えてきた運動がそれ以上に影響していると思われます。

OK❣️ 本音さん (60493)
日時:2023年08月23日 (水) 23時49分
名前:元信徒

> 日時:2023年08月23日 (水) 06時29分
名前:本音の時代

私の場合、人に言われないとわからないことが非常に多いです。
気遣いも忘れる(はじめからその気がないかも)ことが多いです。
バンバン言ってください。

以下、元信徒さんが投稿文を削除した時のために残して置きます。
元信徒さん、ありがとうございます。

☆☆☆☆☆☆☆


OK❣️ 本音さん。

生長の家は感謝の教えですので。
恋人、又は、奥様がいらしたら、沢山感謝の言葉をかけてあげてね。

(^_^)v もちろん、元信徒も気をつけるね。(私はもっとひどいかも、誰も入るな。とか言っちゃって、、、えへへ😅 )

本音さん、本来無い幻の化けの皮が剥がれて良かったですね、本来の「神の子」が出て来たのですからね。本来無いから 化けの皮って言うのかな?日本語って面白い。笑 私も神の子。宜しくです。🙏😊


私もありがとうございます。😊🙏🌴🌊




本音の時代様 (60495)
日時:2023年08月24日 (木) 04時37分
名前:志恩

(志恩ー)
>阪田成一先生が、次号の「光明の音信」に、
谷口雅春先生が、何故、便利な東京を離れて、わざわざ
長崎県のあの地に、総本山を建立したか、鎮護国家のお祀りを
したかということを
谷口雅春先生から直に、お聞きになられたそうで、そのこと
を書かれると、1ヶ月ほど前に、阪田先生にお電話した時、
阪田先生が、電話で、私におっしゃっておられました<

本音の時代様のところへも届いたと存じますが、
昨夜、私宅の受信箱を見ましたら、多分夕方に配達
されたのでしょう。阪田先生から「光明の音信」8月号
(第28号)が、届いておりました。
そして、早速開封して、拝見しましたが、総本山の件は、
今回は、書かれていませんでした。
もしかしたら、次号に書かれるのかもしれません。

8月号は、別のことが載っておりました。
トキ掲示板へこの記事を、載せて良いかどうかわかりませんので、
今は、ここへは、書きませんが、
裁判のことはもう載っておりませんでしたね。


小学生様 (60497)
日時:2023年08月24日 (木) 07時18分
名前:志恩

あなた、小学生なのに、賢いね。

「言う」は、「ゆう」でなく「いう」ですか。

教えてくれて、ありがと!!

そう書いたところ、早速、直します。

則天去私様ブログより、【霊牌供養】のことと、その他のことですが、こちらへ引用させていただきます。 (60532)
日時:2023年08月25日 (金) 14時26分
名前:志恩

私が前から敬愛させていただいております
則天去私様ブログを、今、拝見しましたら
大変光栄なことに、志恩の名が載っていました
ので、びっくり仰天いたしました。
則天去私様、いつもながら、お断りもせず、
トキ掲示板へ引用させていただくこと、
どうぞ、お許しください。(志恩拝)
ーーーーーーーーーーーーーーー
則天去私様ブログより、
ーーーーーーーーーーーーーーー
 【雑感余話】

2023年08月25日08:38

(則天去私様のコメントー)

トキ掲示板で下記の掲載がありました。



宇治の霊牌供養は、毎年、年1回のみ。
学ぶ会の霊牌供養は、毎月、月1回
(60473)

日時:2023年08月22日 (火) 22時55分

名前:志恩


先祖供養につきましては

谷口雅春先生は、先祖供養に関しましては、
徳久先生に「僕は坊さんの職業を奪うようなことをしない」
と言われました。

そこで徳久先生が、
「信徒の中で死んでしまったら、生長の家の信仰を継いで
くれるものがいない場合、
聖経を上げてもらうことができないので、ぜひ先祖を祀って
頂きたい」
と、申し上げますと、


谷口雅春先生は、
「それでは1年間だけ祀ることにしよう」
と言われて、霊牌供養と名付けられて、
宇治で、年1回の霊牌供養が始まったそうです。

宇治は、年1回です。
月1回では、ありませんでした。


この話は、阪田先生からもよく聞く。
これは「学ぶ会」だけではない内容である。
教団も同じである。


谷口雅春先生を 尊敬されるのであれば、
オカシイことは はっきりと 止めるべきである。
その一つが
谷口雅春先生は「憲法改正論者」として
誌面に掲載されていた。



次に『新編 生命の實相』についてもそうである。
新たに章立て変更して、
自分達で修正しなければならないとかという内容である。


それは『甘露の法雨』を補正しなければならないとか、
「世界平和の祈り」に新バージョンを作らなければならないという
考えの谷口雅宣氏の考えに似ている。


本当にそんな考えでいいのだろうか?
私は疑問を感じている。

それは「谷口雅春先生」の考えを変化させるようなことは、
わたしはオカシイと思っているからです。
肉体の脳で考えてあれこれと模索などしても、上手く行く訳がない。


これらを統合的に考えてみると、
自分達は正しいとしている固定観念がある。
その固定観念に縛られて、独善的に思っているから
そこから【過ち】は 仮に気がついていても 修正しないだろう。


昨日、一か月ぶりに阪田先生に電話した。
一人暮らしで大変だろうと思っていたのだが
嬉しい 、裏切られたのである。
反対に私が励まされた。


さて、これらの内容は阪田先生から
『光明の音信』にて記事にされるであろうと思っているので、
ここで敢えて詳細に書かないが、


刑事裁判での話の内容は、奥様がお亡くなられ
四十七日も経たない日に
突然に自宅に三人の刑事がやってきた。


それはおどろおどろしい出来事。
原告は「社会事業団」「光明思想社」である。


それから、期間を経ました。
もし仮に「社会事業団」「光明思想社」の責任者は
その刑事告訴をしたという責任も、取られないならば、
ガバナンスが、この団体はないと判断されるであろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(志恩:注:
「ガバナンス(governance)」とは、

「統治・支配・管理」を意味する言葉です。

ビジネスにおいては、コーポレート ガバナンスと呼ばれ、
企業経営において公正な判断・運営がなされるよう、
監視・統制する仕組みを指します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/87970114.html

本音の時代様 (60552)
日時:2023年08月26日 (土) 19時37分
名前:志恩

【 旧、トキ掲示板に学ぶ】

現教団の谷口雅宣総裁の言動をどのように
捉えて、われわれ古くからの信徒は今後生きて行くか
ということは、とてもたいせつなことだと思っております。

これは、禅で言いましたら、公案です。

本音の時代様でしたら、
どのように捉えて生きていらっしゃるでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
旧トキ掲示板より

(53638)
日時:2022年10月07日 (金) 16時59分
名前:志恩

【過去の初心者様のご投稿文に、
今日の生長の家教団のヒントが垣間見えるのは
私の気のせいでしょうか。】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●ただし、初心者様は,どなたなのかは不明です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える1
━━━━━━━━━━━━━━━━
492: 初心者 :2011/06/28(火) 11:56:32
ブログ管理人様へ



雅春先生によってお示しいただいた、
滋味あふれる深き真理の世界と、
現在の教団でおこなわれていると推測される
「浅き夢見し世界」と どちらが本当に面白いのか。
これはみなさまに判断していただくよりほかはございません。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
この頃、初心者様は、
「あたしは、シャーマニズムやタオイズム
に惹かれている」と述べておられました。
”「タオ」とは、石を通して願い事を込めることで共鳴し始める。
「タオ」とは、道教で「道」を指す言葉である。”
とネット検索しましたら、載っていました。

もしかしたら、
雅宣総裁先生は、この頃の初心者様の御投稿文を読まれて
共感されたのかもしれないな、と、縄文時代を生きると
言われる教団の生き方に対して、私は思っております。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
次のコメントにも、
もしかしたら、雅宣先生は、共感されたのかも、です。
━━━━━━━━━━━━━━━━
511: 初心者 :2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。

正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。
神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。

正直いって、
谷口哲学を理解したい。
これだけ大勢の人々を救ってきた
谷口哲学を理解したい。
あたしの悟りが救ったのはあたしだけだった。
あたしはあたしの真理によって救われた。
でも、救えたのはあたしだけだった。
ほかの誰ひとりとして救えはしなかった。
あたしが味わえたのは、
あたしひとりが救われた喜びだった。
それは誰とも共有できない喜びだった。

正直いって、
あたしは谷口哲学が嫌いだ。
間違っているのに大勢の人を救った。
だから嫌いなのだ。
間違ってないとわかれば
きっと好きになれるだろう。
神はなぜ第一念を発したのだ。
第一念の前に何があったのだ。
誰も本当のことを教えてくれない。
誰も何も語ってくれない。
きっと誰もそのことは知らないのだ。
━━━━━━━━━━━━━━━━
514: 初心者 :2011/07/01(金) 20:48:24

正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、
少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。
嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。

━━━━━━━━━━━━━━━━
100:初心者:2011/06/09(木) 12:41:40
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ

じつはわたくしも、『生命の實相』を読んでも救われなかったもののひとりです。いくら読んでも救われるはずがない。そう思いました。平易な言葉で説かれているので、何が書かれているのかはわかります。でもそれが自分のなかにストンっと落ちてこない。実感が何も湧かないので、真理の言葉を知識として吸収しているだけ。そんな有り様でした。

それでも『無門関解釈』だけは違いました。読み終わるのに丸々2年かかりましたが、読み終えたときにはまったくの別人になったと感じておりました。「すでに真理は我がものとなった」と、本気でそう思い込んでいました。でもこれは、最初の関門をくぐったにすぎなかったのです。

書くと長くなりますので、詳しい話は省きますが、『生命の實相』をいくら読んでも救われないと考えたわたしは、とにかく自分の好きな分野で勝負しようと考え、まあいちおうこれでも理科系のはしくれですから、現代物理学などをかじってみて、この方向から真理を悟ろうと、このように考えてみたような次第です。略
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私は、旧トキ掲示板の【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える】
の@とAの全部を、再読しました。

その中の、こちらの初心者様のご投稿文も、谷口雅宣総裁先生が、
きっと読まれて共感されたのかもしれないなと思いましたコメントの1つです。

世の中には、「生命の實相」を読んでも、初心者様のように、
また自分のように救われない人も、きっといるであろうから、
自分としては、初心者様という人が言っているように、
自分も、自分の好きな分野で、勝負してみよう、と、
もしかしたら雅宣先生も、初心者様同様にそう思われて、
今の生長の家の状態があるのかもしれないと、私はふと考えました。

そして、雅宣先生は、ご自分が、嫌悪すると思っている
「実相世界」を象徴する「實相額」というものを、見えづらくするために
「實相額」の前に、あのようなものを置くよう、全国の組織に
命じられたのかもしれないな、とも、思いました。

とにかく、雅宣先生も初心者様同様に、谷口哲学は、正しいとは、
思っていらっしゃらないことは、突然、生長の家のご祭神を変えてしまったり、
雅宣先生が、次々に突然、思いつかれた新しいことを、全国の組織を通じて
実践されてきたことで、理解できることです。

その一環として、
創始者でいらっしゃいます谷口雅春先生が、
生長の家の宗教教団を立ちあげられた時代よりも
もっと前の縄文時代に戻り、縄文文化である、原始アミニズムを
取り入れられた宗教方針に変えられまして、
”森へ 住もう” や、
それと、現代科学の物理学を取り入れた環境問題である
地球温暖化対策なども取り入れ、
ノーミートやクラフトや自転車や家庭菜園などの
西田天香さんの一燈園のような生活様式も取り入れながら、
古代思想と現代思想を融合した新しい教えにされた
おつもりの谷口雅宣先生の教えなのでは、ないでしょうか。

谷口雅春先生時代よりも、谷口清超先生時代よりも、
生長の家を、生長の家の教えを、もっと楽しいものにしよう、
面白いものにしよう、との思いで
リニューアールされたおつもりの現生長の家教団の運動方針は、
三代目総裁でいらっしゃる谷口雅宣先生の人生勝負をかけられた
一大実験の場でもあったとも存じます。

しかし、実験というものは、成功する時も、あれば、失敗する時も
あるものです。

実際、やってみたけれど、結果は、
信徒たちを幸せにしたであろうか、不幸にしたであろうか、

その実験結果が、全世界の信徒たちにとって、
大不評であった場合は、そして、そのことによって、
現実に信徒の皆様が、どんどん組織を去っていく場合は、
その実験は、成功したとは言えないわけですから、

そういう場合は、思い切って、
その教えのやりかたを見直されて、
抜本的に改革し、
元に戻されて、実験をやり直されれば、
再出発は 可能であると存じます。

たとえば、ソニーのように。
ーーーーーーーーーーーーーーー
果たして、これは谷口雅春先生から与えられた
公案なのか? (53647)
日時:2022年10月08日 (土) 05時24分
名前:志恩

志恩ー

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える3
にて、初心様が、このように のべられておられました。
━━━━━━━━━━━━━━━━
>初心者様ー
『教団で起きているゴタゴタは、
谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。

雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。

それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として
残して行かれたのではないですか。
弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』

谷口雅春先生から与えられた公案なのだ、と思います。

 この公案に、「弟子として恥ずかしくない答え」を、
信徒一人一人が出して行くことによって、
義春様がおっしゃるように、
「生長の家が永続する良いキッカケになる」と信じます。<
━━━━━━━━━━━━━━━━
147:復興G:2011/07/31(日) 20:05:19

>142 :初心者様ー

現総裁のような人物がトップにあらわれたのは、
けっして意味のないことではない。
これが、わたくしが言いつづけてきた ことなのですね。
その意味を考えようともせずに、ただ辞めていただくというのが、
はたして最良といえるのか。
略<


復興Gー

 以下、今私が思うことです。

 谷口雅春先生時代には、
先生がいくら「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃられても、
「われわれ凡人と谷口雅春先生とは天と地ぐらいの開きがある」という
観念から抜け出すことがむつかしかった。

「皆さんが住吉大神の全心全霊である」と言われても、
それを実感自覚することは難しかった。
そのときに、二代目・三代目の総裁になられた方が
谷口雅春先生と同様に凡人とは大きくへだたりのあるような
霊的、宗教的なお方だったら、いつまでも「われわれ凡人は……」と言って、
外なる総裁におすがりするばかりで、
内なる神に本当に目覚め、釈迦・キリストと同じ者である、
一切者であるというような自覚を得ることはむつかしいままで終わるのでしょう。

 ところが谷口雅宣総裁は、
「私は神ではない。普通の人間だ。私の言葉は住吉大神の言葉なんかじゃない。
私の言葉は私の言葉だ」というようにおっしゃってくださって、
「私も信徒皆さんもおなじ人間です」と宣言されて、
私たち信徒皆の大いなる神性開発の道を開いてくださっているのです。
まことに素晴らしい神の摂理である。

 これこそ、初心者様が

『教団で起きているゴタゴタは、
谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。
雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。
それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として残して行かれた
のではないですか。弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』

 とおっしゃった、谷口雅春先生から与えられた公案なのだ、と思います。━━━━━━━━━━━━━━━━
実相世界」という言葉を聞くと嫌悪の情をいだくと
1で言われた初心者様が4で次のように述べておられます。 (53648)
日時:2022年10月08日 (土) 05時45分
名前:志恩

生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える1
━━━━━━━━━━━━━━━━
514: 初心者 :2011/07/01(金) 20:48:24

正直なところ、わたくしは、「実相世界」という言葉を聞くと、
少なからぬ嫌悪の情をいだくことになります。
嫌悪の情は、避けがたく出てまいります。

· • • • ✤ • • • · ·· · • • • ✤ • • • · ·· · • • • ✤ • • • · ·

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える4
━━━━━━━━━━━━━━━━
124:初心者:2012/07/10(火) 10:11:31
スターダスト様

雅春先生が説かれる「実相世界」は、

わたしが予想する本物の宇宙とは、
その性質があまりにも異なっています。

現状では、本物の宇宙を実相世界と
みなすことはできません。

また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、
実相世界がつくられた過程とは、
あまりにそれは異なったものである
ということがいえます。
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
私は4は、まだ最初のところまでしか読み進んで
おりませんけれど...

この初心者様の4の方のご投稿文にも
谷口雅宣総裁先生が共感されたかどうか、
知るよしもありませんが、

「実相世界」よりも、
「環境問題」を教えの中心に置かれたということは、
何かしらの共感があったのかもしれない、です。



>志恩ー この頃、初心者様は、「あたしは、シャーマニズムやタオイズム に惹かれている」と述べておられました。 ”「タオ」とは、石を通して願い事を込めることで共鳴し始める。 「タオ」とは、道教で「道」を指す言葉である。” とネット検索しましたら、載っていました。 (53693)
日時:2022年10月10日 (月) 07時55分
名前:食事の神示を唱えつつ...


『タオ』とは仏教と結びついた禅です。
谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものであると思います。


tao(道教)・タオイズムについて (53694)
日時:2022年10月10日 (月) 08時51分
名前:志恩

(食事の神示を唱えつつ...ー)
『タオ』とは
仏教と結びついた禅です。
谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものである
と思います。
:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・

【日本に伝わるタオイズム】より

日本は古代より中国大陸の文化を、朝鮮半島を経由して、
また遣隋使、遣唐使などの直接交流によって学んできました。

そして、この「タオイズム」はそうした文化交流の中で脈々と
伝わってきていたのです。

『老子道徳経』は、
おそらく奈良時代には日本に伝わってきていたのであろうと
考えられますが、

「儒教」や「仏教」とあわせてこの「無為自然のタオイズムの思想」は伝わり、
また江戸時代には「老子」「荘子」の思想が最も多く庶民にも読まれる
ようになりました。

日本人が長い歴史のなかで学んできた無為自然に、
水のように天地自然の中で生かされるという、
「タオイズム」の生き方です。

そうした思想や養生についての書物が、
江戸時代にも多く出版され、
それらを紐解くことにより日本人が、
いかに中国大陸の文化文明に多くを学んできたか
ということが明らかになります。
日本には「道教」の寺である道観が無かったといわれてきましたが、

『長崎先民傳』(盧千里著、文政2年、1819年)には、
「神道」の修業者だった大江宏隆が、
長崎の田上に崇元観という道観を開いて晩年修養していた
という記録があります。

また、長崎県大村市福重でも、
道看(道観と同じ意味)と書かれた「石碑」とともに
「陽林」「陽白」「三伯」など、

「タオイズム」を連想させる文字が刻まれた
古い「自然石」が残っており、

大変古い時代に、ここに道観があったのではないかと言われ、
その検証が始められています。

日本の「道教」といわれ、
最もその修行や考え方が「道教」に近い
山岳修業開祖の役行者が生まれた葛城山の寺では、聖徳太子が
受容した日本の奈良時代の「仏教」は、

「純粋な仏教」だけでなく「道教」も「儒教」もあわせて伝わっていた

ということをはっきりと認識されている事実を寺のご住職に伺い、

また、奈良に最初に仏教が伝わった寺といわれる
元興寺(前身は法興寺。平城京遷都とともに寺名を
元興寺に改める)では仏教の仏像とともに、
「道教」の地獄の神々である 泰山符君などの十王が、
「仏教」の仏像とともに仲良く奉られておりました。

また、【日本タオイズム協会】の本拠地である、
福岡県の東峰村から登った日本の修験道の三大名山といわれる
英彦山の山頂にある英彦山神宮の高千穂秀敏宮司も、
この山は「神道」、「仏教」、「修験道」だけでは解明のできない

多くの「石像」や「石碑」があり、それらを調べれば調べるほど、
「道教」が色濃く残っている、とはっきりおっしゃっておられました。

:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・:+:-・
志恩ー
文中の「」は、わかりやすくするために、私が、つけましたが、

以前、初心者様が、「シャーマニズム」とともに惹かれていらした
という「タオイズム」は、「仏教」に結びついた禅である、ということは、
わかりました。

というよりも、中国から日本へ入ってきたのは、「仏教」だけでなく、
「道教」も「儒教」も一緒に日本へ入ってきたのですよね。

「道教」は、老子が説いた教えだそうですが、調べてみましたが
「自然石」とか「石碑」に、かなり関係がある教えのようです。

現代で言うならば、「バワーストーン信仰」に似ていると思いました。
石に願いを込める。石には不思議なパワーが、、、、みたいな。

あなた様が、
>谷口雅春先生作詞の聖歌の中で思い浮かぶのは、
マクロ的に、『久遠いのちの歌』に相通ずるものである
と思います。<

と言われましたので、あらためて、「聖歌歌詞」の
『久遠いのちの歌』の歌詞を、読み返してみたところですが、
石を拝むことと、この聖歌の歌詞の内容と、
どのようにつながるのか、私には、まだ理解できません。

「道教」は、カルトでない自然を敬う宗教だとゆうことはわかりますが、
森とか田舎暮らしの人が、実践可能な宗教だと思いました。

身近に自然石がゴロゴロ落ちているところに住んでいる人が、
やれる。谷口雅宣先生が住んでおられるようなところに住んで
いる人が実践可能な教えです。

しかも、腕も足腰も丈夫な人がやれる。
決して、全国規模の組織にやるように、言えるものでは、ございません。

生長の家の教えは、どなたにでも気軽に実行できる効果抜群の教えですので、

すみませんが、私は、それプラス、「タオ」までやって、石は、拝みたくありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━

志恩ー
私は、上記の文を、谷口雅春先生の真理によって
救われたという あるお方にお見せしたことがございます。
そして、感想を述べていただいたことがございます。
そのお方のお名前は、申し上げられませんが、
次のような素晴らしい感想を述べてくださいましたので、
皆様にもご紹介させていただきます。
これは、禅の公案の回答の1つかもしれないなと思っておりますので。
そのお方から、私がうかがった感想は、以下のとおりです。

「私の感想は、谷口雅春先生の教えで救われた者として、
《いろいろ頭脳で考えるまえに、心臓は動いている。》
というしかありません。
実相哲学は、広大無辺ですから、わかるとか、わからないとかの
以前の話だと思います。
それをどう受け取るか、受け取らないか、どのように考えるかも、
その人の魂の訓練の過程だと思いますので、その人自身の
ものだと思います。
わからないと云う人は、『死』とむきあって、覚悟したことが
あるのでしょうか。
自分でもどうにもならないこと、
何故そこに存在するのか、
そこまで突き詰めて考えたことがあるのでしょうか。
谷口雅春先生の『死ね! 生きる』という言葉を
とらえたのでしょうか」

以上です。


現教団の谷口雅宣総裁の言動を(略)本音の時代様でしたら、どのように捉えて生きていらっしゃるでしょうか。 (60565)
日時:2023年08月28日 (月) 11時34分
名前:本音の時代

私の谷口雅宣総裁に対する信頼はなくなっています。それだけです。
何故信頼がなくなったか。
それは、正統な生長の家の教えを説かなくなったからです。



『光明の音信』第28号 (60566)
日時:2023年08月28日 (月) 11時47分
名前:本音の時代

今回は、谷口雅春先生の「大東亜戦争」観の特集でした。
参考資料は次のようになっています。

〇昭和35年8月15日「無縁戦没者の御魂を祀る慰霊祭」における谷口雅春先生の奏上文
〇『生長の家』誌 昭和39年1月号 「明窓浄机」
〇谷口雅春著『我ら日本人として』174〜176頁

本音の時代様 (60567)
日時:2023年08月28日 (月) 12時15分
名前:志恩

(志恩の本音の時代様への質問)
>現教団の谷口雅宣総裁の言動を(略)
本音の時代様でしたら、どのように捉えて
生きていらっしゃるでしょうか。 <

(本音の時代様のお答えー)
>私の谷口雅宣総裁に対する信頼はなくなっています。
それだけです。
何故信頼がなくなったか。
それは、正統な生長の家の教えを説かなくなったからです。<

志恩ー
本音の時代様、
お返事を くださいまして、ありがとうございました。



本音の時代様 (60568)
日時:2023年08月28日 (月) 12時41分
名前:志恩

本音の時代様にもう1つ質問です。

本音の時代様は、

谷口雅春先生が、亡くなられたあと、

谷口清超先生が、

「谷口雅春先生が、かって語っていらした
大東亜戦争は、聖戦であったというお言葉を
あれは、間違いであった、
谷口雅春も間違ったことを言う場合もあるのである。
大東亜戦争は、侵略戦争であったのだと、生長の家教団
として、過去の谷口雅春先生のお言葉を全面否定された
公式なお言葉を、教団として、発表されました。」

その清超先生のお言葉を、雅宣先生は、全面的に支持する
お言葉を述べておられますが、

本音の時代様は、大東亜戦争は、侵略戦争だったのだと
清超先生と、雅宣先生、同様に思われておられますでしょうか。




志恩の過去文、再掲 (60569)
日時:2023年08月28日 (月) 13時02分
名前:志恩

日時:2021年11月02日 (火) 18時20分
名前:志恩

唐松模様ブログ 2021-10-28
三代目総裁・谷口雅宣先生のお言葉より

一部抜粋ー
題名:
【「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績】

<谷口清超先生は、新総裁になられてから『新しい開国の時代』、『歓喜への道』を出版され、太平洋戦争は満州の領土や資源Seicho_13mem01などの物質的な価値や権益に執着する唯物的な迷妄によって起こり、軍隊は、憲法上は天皇に直属しながらも、実質的には天皇の御心をないがしろにする「中心不帰一」の姿勢で独走したことが重大な問題であったと書かれ、その歴史の教訓から学ぶことの大切さを教示されました。また、先生は生長の家の信仰においては「聖戦はない」ことを明確に示されました。>(pp. 38)

 >>つまり、先生は「戦争の否定」ということを教義の上で明確化されたのです。初代総裁の谷口雅春先生も、戦争を肯定されていたわけではないのですが、戦前、戦中の非常時には当時の政府の検閲や社会の風潮が大きく戦争に傾いていたこともあり、大東亜戦争のことを「聖戦」だと形容されたことが何度かあり、それが書物になって戦後まで残っていました。このため、信徒の間には明確な戦争否定の考え方が必ずしも浸透していませんでした。

 この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、
初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。

どうしてだか分かりますか? 
これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、

それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で
表現したものが残っていたからです。

それなのに、
雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」など
とハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。

で、実際にいつ頃から「戦争否定」を明確に説かれるようになったかということを、
表にまとめてみました――<<



志恩ー
以前、トキ掲示板に投稿されていた春らんまんさんというHNのお方が、
この谷口雅春先生が亡くなられたすぐ後に谷口清超先生が出版された著書に
明記してあるという、
「太平洋戦争(=大東亜戦争)は聖戦だった、というのは、間違いである。」という
この谷口清超先生の本の文を読み、ドン引きしたという感想をトキ掲示板に
寄せられていたことを
私は、よく覚えております。

そして、この本の編集者は、当時、日本教文社で
編集の仕事に携わっていたという谷口雅宣先生であったということも
書いておられました。

つまり、「太平洋戦争は、聖戦であったと言われた谷口雅春先生のお言葉は、
間違いであった。」ということを明確に表した文章を、
創始者であらせられた谷口雅春先生亡き後、生長の家の著書に、明確に発表されたのは、
谷口清超先生と、その背後に編集者としておられた 谷口雅宣先生お二人の
訂正のお言葉だったのだと存じます。




注目投票をする(377)
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2021/10/post-65a97d.html?fbclid=IwAR3LNq7IYbzcPuw7M1qQLDgmYvNszT2XD0XQnp7bdrb19zTSocm3l828plw

旧トキ掲示板でも論議されておりました。 (60570)
日時:2023年08月28日 (月) 13時18分
名前:志恩


旧トキ掲示板の
本流対策室5より

志恩ー
>>谷口雅春先生は、大東亜戦争について、
安谷白雲の発言されていたというような
一方的な偏ったおっしゃりかたは、されておられなかった
と思っております。

大変、バランスのとれた発言をされておられたのです。

谷口雅春先生は、現象的に言えば、戦争は、悪いものだということも、
ちゃんと書かれており、

しかし、一方では、深い霊的見地からみたら、聖戦であったとも、
述べられております。

もう少し、詳細に申し上げますと、
大東亜戦争については、

谷口雅春先生は、

戦中には、「アジア民族解放戦争」として、
「 宇宙大生命の大神勅を実現するための戦い」であり、

「宇宙大生命の神聖な聖意の実相顕現に献身する戦いである」
ところの「聖戦」であると、
深い霊的意義の見地から説いて下さいました。


しかし、その後、戦争の実態や軍隊の「現実」を知り、
その「現象において」は、
「実際は、正しい「日本精神」、「陛下の御意志」を実現したもの
ではなかった」と

深く心を痛めたというご発言を神誌でされていらっしゃいます。
     (『生長の家』昭和二十二年二月号など)


「日本の戦意が侵略に因くものと知らないで、
亜細亜大陸の民族を救済するために生命を捨てるために
自分は征くのだと信じて戦いに行いた
将兵も沢山ある。
戦争を謀略した一部主謀の階級以外の日本人は、
大抵、彼ら主謀者の宣伝に乗せられて、
日本人は死んでも大陸全体の亜細亜民族が救われたら
それで好いのだと思って喜んで死地に
赴いたのである。

(中略)彼らは此の戦争が侵略戦争だったと知らずに
死んだのである。
彼らは死の刹那にキリストと同じく
『人、愛のために死するは最大の幸福なり』と信じつつ
死んだのである。」
    『生長の家』昭和二十一年六月号)

と、このように、
現象から見た大東亜戦争と、實相から観た大東亜戦争と、
両面から、バランスよく発言されておられます。<<
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/?q=%C0%BB%C0%EF


本音の時代様 (60571)
日時:2023年08月28日 (月) 13時25分
名前:志恩

しばらく前に阪田先生にお電話して
教えていただいことですが、

阪田先生の話では、阪田先生の時代の
原宿本部の 基礎文化研究所は、

元は、基礎文化研究所にいた
佐脇先生は、その時は、長野県の教化部長になっていて、
久永先生は、相愛会の方へいらしていたそうです。

で、山口先生の部下として基礎文化研究所に行った
阪田先生は、その時は
山口先生に、
次の3つのことをやるように言われたそうです。

@大東亜戦争の戦場時代の実態
A戦況下の実態
B中国の問題

そして、阪田先生は、@Aを熱心に調べているうちに、
基礎文化研究所では、『生長の家の五十年史』を山口先生を
編纂委員長にして、作ることになった。

すると、阪田先生は、山口先生に、
「阪田君は、通史を担当してください」と言われたので、
阪田先生は、通史を、一所懸命に研究したそうです。

そんな時に、山口先生は理事長にもなられ、山口先生はすごく多忙になり、
体調が悪くなって、理事長になって間もなく昭和53年7月16日に亡くなられた。

でも、阪田先生は、山口先生に言われた通り、『五十年史』の完成を目指し、
昭和55年に、五十年史を、やっと完成することができたのだそうです。

以上が、阪田先生が、基礎文化研究所時代にやっていたことですと、教えて
くださいました。


で、その話の続きですが、
阪田先生の手元には、谷口雅春先生が、大東亜戦争について
書かれた本が30冊ほどもあるそうなので、今回のは、それの@で
Aも、次の号に載ると言うことを仰っておられました。

過去のスレッドから【太平洋戦争は「聖戦」であったと言われた谷口雅春先生でしたが、果たして、そのお言葉は、太平洋戦争のことだけではなく今後の戦争を肯定した意味を含んだお言葉だったのでしょうか。信徒の皆様は、どのように思われますでしょうか。再度、お考えください。 (45209)】 (60572)
日時:2023年08月28日 (月) 14時27分
名前:本音の時代

本当のことはわからない。 (45358)
日時:2021年11月13日 (土) 19時38分
名前:本音の時代

【この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。】
(ブログ唐松模様から)

本当のことはわかりません。あくまで雅宣総裁の推測です。
雅宣総裁は自分の都合の良いように、谷口雅春先生の言葉を引用する時もあれば、都合の悪い谷口雅春先生の言葉は、清超先生の言葉を引用し否定します。


「大東亜戦争は聖戦である」という言葉のひとりあるき (45369)
日時:2021年11月14日 (日) 09時09分
名前:本音の時代

「大東亜戦争は聖戦である」という言葉を使うときは、ただし書きが必要だと思います。それは、谷口雅春先生が大東亜戦争を否定する言葉も残しているからです。歴史というものは単純なものではないですからね。

「聖戦」に関する文章  光の進軍ホームページから (60573)
日時:2023年08月28日 (月) 14時42分
名前:本音の時代

私自身は全面的に賛同するものではありませんが、一つの考え方として掲載します。




平成16年3月号

 大東亜戦争と谷口雅春先生 (7)

占領下の神示と大東亜戦争

─「聖戦」「皇軍」といふ言葉をめぐって


広岡勝次氏論文

 雅春先生は 「聖戦」「皇軍」について、現象的に日本軍の一部末端で起していた不埒な行いをお聞きになり、一時期「皇軍にあらず」と言われていた時があった。しかし、戦後しばらくしてからは、大東亜戦争は「摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦」であり、「『聖戦の理想』や『天皇陛下』の大御心が”悪い”という訳ではない、現象が理想に伴わなかったのである」と現象化以前の神の摂理としての「聖戦」、「皇軍」を肯定されている。
  本章ではこのような微妙な問題を果敢に研究され、分かり易く述べられています。


九、占領下の神示と大東亜戦争
     ─「聖戦」「皇軍」といふ言葉をめぐって

 この連載もそろそろ大詰めを迎へるが、大東亜戦争と雅春先生の関係を考へる上で、どうしても考へておかねばならない大事な点がまだ残ってゐる。それは、占領下の神示に関連して、大東亜戦争を「聖戦」、日本車を「皇軍」と見なす考へ方を、どう捉へるべきかといふ難しい問題である。
  「難しい」と言ったのは、「聖戦」「皇軍」の問題については、雅春先生ご自身の中でも時代によって著しい評価の”ブレ”があるやうに感じられるからだ。
  例へば、本誌平成十五年十月号に「大束亜戦争は聖戦である」と題して、次のやうな雅春先生の御文章が引用されてゐる。

「日本的『無』の立場から、身剥(みそぎ)的立場から、みづからの身を献げて宇宙を浄める民族的精神の立場から観ずるならば、それ[大東亜戦争]は決して弱肉強食的な食ふか食はれるかの利己主義的争闘ではなかった。宇宙大生命の神聖なる聖意の実相顕現に献身する戦ひであるのであったのである。だからこそ聖戦と言ひ得るのである。」 (『碧巌録解釈』前篇、一二一頁)

 ところが、雅春先生の他の著書には、これと真向から反する文章もあり、読者は混乱するのである。

「大東亜戦争が真に聖戦であったとか、神がはじめた戦争であったとか本当に正しい戦争であったとかいうことは生長の家の教には書いてないのであります。」 (『我ら日本人として』 一五〇頁)

 事実、生長の家副総裁の谷口雅宣氏などは、後者を論拠として、氏を批判する信徒に対し、「谷口雅春先生が大東亜戦争を”聖戦視”されていると考えている」のだとしたら、それは「大変な誤解である」と断定してゐる(谷口雅宣「再び大東亜戦争を考える」、『理想世界』平成四年三月、六七頁)。そればかりか、「多くの講師諸賢の中には、まだ”大東亜戦争聖戦論”を信奉し、それを”生長の家の真理”であるかの如く説かれている人がなきにしも非ずとも聞いている」が、「生長の家の地方講師である人の中に、現象世界と実相世界とを混同して、日本のかつての過ちを正当化する人がまだいることを座視しているわけにはいかない」(谷口雅宣「再び。聖戦”の思想を排す」、同右、平成四年四月、六八頁)とて、教団内の”聖戦論者”追放に血眼になつてゐるといふのだから(前掲「大東亜戦争は聖戦である」)、事は甚だ穏かではない。

 一方では「聖戦」を肯定され、他方では「聖戦」を否定されたかに見える雅春先生の真意は、果して何処にありや? 今回はこの問題を、読者とともに考へてみたいと思ふのである。

 「聖戦」を肯定された文章として先に引用した『碧巌録解釈』は、雅春先生の遺稿(昭和六十一年六月初版刊行)であるが、戦時中に「碧巌録の日本的解釈」として『生命の教育』誌や『生長の家』誌に連載されてゐた(この連載は大東亜戦争の進展に伴ふ用紙配給の困難により中絶した)ものを、昭和四十七年から改めて書き直し、最晩年の昭和六十年に至るまで書き継がれたものである。

 戦時中に書かれた原文と比較すると、「聖戦」を肯定された先の引用部分は全く同じだが、その前後の文章は多少異なつてゐるので、ここで改めて両者を比較してみたい。(傍線引用者、以下同様)。

「今の日本の戦争も何のためにあるかと云ふと、…大東亜全領域の東洋民族の実相実現のためである。西洋民族の利己主義的侵略のために今まで東洋民族がその処を得ず、その堵に安んぜず、その実相を発現し得ず、既に実在の世界にある実相が(御心の既に『天』に成るが如く)地上に顕現し得ずにゐた─その迷妄の圧迫を排除せんがための、真理実現の聖戦であるのである。

 (中略、ここに先の引用部分が入る。)

 一つの同一戦争が米英側よりすれば利己主義的爪牙(そうが)の争闘であるものが、日本的立場よりするときは聖戦である。こヽに彼らは利己主義を戦ひ、日本は宇宙大生命の聖意を戦う─爰(ここ)に勝敗の決はおのずから明かであり、戦争従事の意気込みもおのづから異るのである。」 (「碧巌録の日本的解釈」、『生長の家』昭和十八年二月号、三九〜四〇頁)

「顧みるに今まで此の東洋の地域は、西欧民族の利己主義的侵略のため、被害を蒙り、東洋民族は、神が彼等に依さし給うた使命を自覚することを得ず、劣等感に覆はれてその実相を発現し得ず、既に実在の世界にある実相が(御心の既に『天』に成るが如く)地上に実現し得ずにゐた─その迷妄の圧迫を排除せんがために摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦が、彼の大東亜戦争であつたから、今上天皇の慈愛ふかき大御心でさへも、その戦争を未発にとどめることはできなかつたのであつた。

  (中略、ここに先の引用部分が入る。)

 一つの同一戦争でも西欧側よりすれば利己主義的爪牙(そうが)の争闘であるものが、日本的立場よりするときは聖戦である。ここに彼らは利己主義を戦ひ、日本は宇宙大生命の聖意を戦ふ─爰(ここ)に現象的勝敗は別として、実相に於いてはただ勝利あるのみである。それ故に形の上の敗戦の如き後に、その大東亜戦争の目的であつたところの大東亜民族の解放が実現し、アジア、アフリカの諸民族、人間神の子の実相に目覚めて、西欧民族の奴隷の如き状態を一蹴して、それぞれの民族は独立国と成ったのである。これによって、地上にひとりの奴隷もなき天国的状態が実現する第一段階が終了したのである。」 (『碧巌録解釈』前篇、二一一〜二一二頁)

 両者の主な相違点は、傍線を付した部分に現れてゐるが、注目すべきことに、「聖戦」に関はる雅春先生の解釈は微動だにしてゐない。変ったのは「現象」としての敗戦(「形の上の敗戦」)を叙するくだりであり、大東亜戦争の「実相」、即ち大東亜戦争が「大東亜民族の解放」といふ「真理実現の聖戦」「地上天国実現の聖戦」であったといふ解釈は、戦前(戦時中)と戦後(雅春先生の晩年)を通じて一貫してゐるのである。

 では何故、冒頭に紹介したやうな「聖戦」否定の文章が、雅春先生の戦後の一部の御著書には現れてゐるのだらうか。実はこれは、大東亜戦争中に現象として顕れた「皇軍」の実態、ならびに敗戦直後に啓示された神示と深い関係がある。
  雅春先生は大東亜戦争中に「皇軍必勝」の短冊を日に夜を接いで書かれ、「言葉の力」によって「皇軍」を「必勝」に導かんとされたが、その「皇軍」を頭から否定するやうな言葉を、生長の家の熱心な信徒でもあった支那派遣軍総司令官・岡村寧次(やすじ)大将から聞き、大きなショックを受けてをられる。

 「私が昭和十九年十二月、北京において岡村軍司令官にお目にかかったときに、岡村大将は、副官までも退けて、私と唯二人きりで対談して下さったが、その時、軍の実情を内密に私にお談(はな)しになって、
 『今の日本軍は皇軍じゃないんですよ』と言われた。そのとき私は自分の耳を疑うような気持で「それでは一体”何軍”ですか?」と訊くと、岡村大将は『…今の日本軍は上官の命令が下に通らないで、占領地に往ったら戦勝の余威をかりて殺人、強盗、強姦勝手次第で、怒涛の如く狂いまわって、上官がそれを抑止しようと思っても、抑止できればこそ。(中略)若し今の日本軍が、日清日露の戦争のときのように、天皇から来る御意志がそのまま上官の命令となり、それがそのまま末端の兵隊に遵奉せられるような軍紀厳粛な軍隊でございましたならば、もう今ごろは大東亜戦争などはなかったでありましたろうに。』
 このように岡村軍司令官は撫然として言われた。しばらく二人の間に沈黙がつづいた。感慨無量であった。この話を聞いてから、私は現地の日本軍を『皇軍』として『必勝』づける勇気がなくなったのである。」 (『日本を築くもの』六四〜六五頁)

 この岡村大将の話によって、雅春先生の「皇軍」ならびに「聖戦」に対する考へに変化が萌したことは、早くも翌月の昭和二十年一月、随行の吉田講師に向つて次のやうに「皇軍」を否定され、「聖戦」をも「邪道の戦ひ」として否定された事実が証してゐる。
  「僕は今の日本の戦は 陛下の御意志でないと思ふ。随ってそれは皇軍と云ふには相応しくない。さう云ふ感じがする。(中略)大体、この頃新聞に出る『出血作戦』と云ふ大見出を見ると、これは邪道の戦ひだと云ふ感じがする。一視同仁の神のみ心から御覧になつたら、アメリカ兵と雖も神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけ沢山殺す方が好いと云ふやうなさう云ふ戦争は神の御心ではない。随つて無論陛下の御心ではない。随つてさう云ふ戦争をする日本軍は皇軍ではない。」 (「新生への言葉」、『生長の家』昭和二十一年二月号、二一頁)

 そしてこの「皇軍」否定、「聖戦」否定の思想を裏書きするやうに、敗戦直後の昭和二十年十二月ニ十八日、雅春先生に「日本の実相顕現の神示」が天降る。
  「神が戦をさせてゐるのではない、迷ひと迷ひと打合って自壊するのだと教へてある。迷ひの軍隊を皇軍だなどと思つたのが間違だつたのである。」 (『秘められたる神示』 十二七頁)

 ここに、神示によって「皇軍」といふ言葉は明確に否定された。右の神示に対する雅春先生の解説は、次の通りである。
  「あの戦争は、”聖戦”だとか、”皇軍”だとか称されたけれども決して聖戦でもなければ皇軍でもなかった『迷ひと迷ひと打合って自壊するのだと教へてある』と仰せられてゐるのであります。」 (同右、一三二頁)

 かやうにして戦後の一時期、雅春先生は「聖戦」を否定し、「皇軍」を否定されるやうになった。冒頭に引用した「大東亜戦争が真に聖戦であったとか、神がはじめた戦争であったとか本当に正しい戦争であったとかいうことは生長の家の教には書いてないのであります」の一文を収めた『我ら日本人として』は昭和三十三年二月初版刊行、右『秘められたる神示』は昭和三十六年十一月初版刊行であるから、終戦直前から少なくともこの頃までの雅春先生は、さういふお考へであつたと見なさねばならない。
  けれども、よく考へてみると「迷ひの軍隊」として現象に現れた日本軍は、実相界の秩序たる「皇軍」と同じではないと神示は指摘しているだけで、「聖戦」については何も語つてゐない。「現象」の顕れとしての日本車が「皇軍」の理想に相応しくなかつたからといって、「実相」としての「聖戦」の理想までが否定される謂れはない。

 それかあらぬか、昭和四十二年三月初版刊行の前掲『日本を築くもの』になると、以前とは余程趣が異なってくる。ここでの雅春先生は、「現象」としての「日本軍の腐敗」に囚はれて「聖戦」を全否定する立場から、「聖戦の理想」を再び肯定せんとする立場に移行しつつあることが、明らかに認められるのである。

 「日本軍の腐敗、天皇の大御心でない軍の当時の実情などは、よほど『聖戦の理想』とかけはなれていたけれども、それだからといつて『聖戦の理想』や『天皇陛下』の大御心が”悪い”という訳ではない。現象が理想に伴わなかったのである。”悪い”のは『聖戦の理想』を貪欲や乱行や暴行で汚した軍の末端の一部である。」 (『日本を築くもの』六六頁)

 冒頭に紹介した『碧巌録解釈』は、かうした思想営為の後に辿り着いた、雅春先生の思想的総決算の書なのである。既に見た通り、そこでは「聖戦」を肯定された戦時中の御文章を一語も削ることなく、更に次のやうに書き加へられたのであった。
  「摂理としてあらはれた地上天国実現の聖戦が、彼の大東亜戦争であった」(『碧巌録解釈』前篇、二一一頁)。

 副総裁の「聖戦」否定論こそ、「現象」に囚はれて大東亜戦争の「実相」を見ない、雅春先生御自身も後には否定された、誤った考へなのである。

本音の時代様 (60575)
日時:2023年08月28日 (月) 17時47分
名前:志恩

谷口雅宣総裁先生の唐松模様を拝見しますと
「「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績」
と言う題で書かれています。

谷口雅春先生が、大東亜戦争は、聖戦であると
書かれたことに対して、

間違いだ、侵略戦争であると、
訂正し、言い直された
清超先生のされたことは、本当にご功績だった
のでしょうか。

谷口雅春先生が、かって、大東亜戦争は聖戦である
と書かれたことは、間違いであった。大東亜戦争は、
日本軍の侵略戦争であると、清超先生は、
雅春先生が、亡くなられた後に、そのように宣言されまして、
雅宣先生は、清超先生の発言を全面的に指示される発言を
重ねてされました。
そのことは、生長の家にとって正しいことだったのでしょうか。

ーーーーーーーーーー
志恩ー
「聖戦」とは - 神が望んだ戦争という意味ではないです。
Wikiにも書いてありますが、
「聖戦」とは、”宗教的にいえば、神聖とみなされる、
正義のための戦い”、と言う意味の言葉です。

この大東亜戦争に当てはめて言えば、正義のための戦いといういみは、
白人たちに植民地にされていたアジア諸国を植民地から解放した
戦いだったから、その大東亜戦争の目的であつたところの
大東亜民族の解放が実現し、アジア、アフリカの諸民族、
西欧民族の奴隷の如き状態を一蹴して、
それぞれの民族は独立国と成った。
アジア諸国を白人が支配していた植民地から解放する
という正しい目的のために、日本軍が白人連合軍と
戦った戦争であった。

なので
●アジア諸国から見たら、日本軍の戦いは、「聖戦」だった
と言えるのだと思います。

●白人連合軍から見たらば、日本軍に自分たちが侵略された
のですから、「侵略戦争」だったと言えるのだと思います。

ですから、立場によっては、「聖戦」であり、
              立場によっては、「侵略戦争」なのです。

両方、間違いでないように、私は思います。

この大東亜戦争で、戦死した日本軍の数は、どれだけいるでしょうか。
私のうみの父も、23歳の若さで、派兵され、戦死しました。

生長の家の信徒の皆様のご家族や親戚の方々の多くも戦死しています。

日本国のために戦争に、行きたくもないのに派兵されて死んだのです。

その人たちに向かって、お前たちは、侵略戦争をした悪い奴らだと、
見下す発言をされた、谷口清超先生と谷口雅宣先生、

そのどこが、ご功績なのか、
うみの父を侮辱されている私は、その言葉の
どこが、ご功績なのか、いまだに理解できないでおります。

「「聖戦はない」を明確化される――谷口清超先生のご功績」 雅宣さんの推測による印象操作 (60585)
日時:2023年08月28日 (月) 22時11分
名前:本音の時代

【「聖戦はない」を明確化される】と単純化することが適切なことなんだろうかと思います。
戦争を否定することは当然であり、「聖戦はない」も同じです。
あの愛深い谷口雅春先生も同様であったと私は思います。
にもかかわらず「聖戦」という言葉を使用するには、それなりの意義があったはずです。それを説明するのが総裁の務めであると思います。
【聖戦があるか
 人間の幸福は、神を信ずるところから始まる。しかも戦争や死をみとめる神ではなく、そんなものの何一つない、完全円満で不死不滅の世界(実相)を創造し給うたところの「絶対神」を信じることが何よりも肝要である。そうでなく、もし神が死や戦争を作ったのであれば、神の名に於いて人類を殺したり、聖戦の名の下に戦争をおっぱじめる者が出て、一向に地上の平安はもたらされないことになるだろう。(『歓喜への道』80頁)】


このブログには次の文章も掲載されています。

【この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。】


推測と書きながら、確定を印象づける、アブナイ感じがします。

ここで面白いのは清超先生の雅春先生に対する忖度に関する雅宣さんの考えです。ハッキリ言うことのリスクが雅宣さんの頭の中にあるといかうことです。今の教団にあっても、ハッキリ言うことのリスクを感じて、ものを言えないという現実を如実に示しています。
雅宣さんの思考の一端が垣間見ることができます。


志恩さん、

【日本国のために戦争に、行きたくもないのに派兵されて死んだのです。
その人たちに向かって、お前たちは、侵略戦争をした悪い奴らだと、
見下す発言をされた、谷口清超先生】

谷口清超先生のこと、こんな書き方でいいのですか?

本音の時代様 (60588)
日時:2023年08月29日 (火) 02時19分
名前:志恩

志恩さんー
>【日本国のために戦争に、行きたくもないのに派兵されて死んだのです。
その人たちに向かって、お前たちは、侵略戦争をした悪い奴らだと、
見下す発言をされた、谷口清超先生】

谷口清超先生のこと、こんな書き方でいいのですか?<

志恩ー
清超先生は、私の和文タイプの先生であり、個人的には、とても
敬愛している先生ですから、こんなこと言いたくなかったの
ですけれど、敬愛していただけに、えっ、清超先生、そんなふうに
おっしゃっていいんんですか!?となおのこと、申し上げたのです。

もしも、今、清超先生が生きていらしたら、直接、お電話して、申し上げた
と思います。

私は、清超先生のこの発言を知ったのは、トキ掲示板でのことでした。
ですから、清超先生が生きておられた時には、知らなかったから、
清超先生に、直接、問い合わせることができず、残念に思って
おります。

単純な質問 (60598)
日時:2023年08月29日 (火) 08時47分
名前:元信徒

話が戻ってすみませんが、


> 宇治の霊牌供養は、毎年、年1回のみ。
学ぶ会の霊牌供養は、毎月、月1回
(60473)

日時:2023年08月22日 (火) 22時55分

名前:志恩


先祖供養につきましては

谷口雅春先生は、先祖供養に関しましては、
徳久先生に「僕は坊さんの職業を奪うようなことをしない」
と言われました。

そこで徳久先生が、
「信徒の中で死んでしまったら、生長の家の信仰を継いで
くれるものがいない場合、
聖経を上げてもらうことができないので、ぜひ先祖を祀って
頂きたい」
と、申し上げますと、


谷口雅春先生は、
「それでは1年間だけ祀ることにしよう」
と言われて、霊牌供養と名付けられて、
宇治で、年1回の霊牌供養が始まったそうです。

宇治は、年1回です。
月1回では、ありませんでした。





一年間だけの霊牌供養の為に宇治別格本山を建したのですか?

宇治の建立の目的といいましょうか、何故宇治別格本山をつくりましたか?

入龍宮? 霊牌供養の前に宇治の本殿建立したか? 

霊牌を安置する為に建立したと思っていましたが、???


宇治別格本山のあゆみ (60600)
日時:2023年08月29日 (火) 09時17分
名前:本音の時代

「宇治別格本山のあゆみ」に次のアドレスでご覧いただけます。

https://www.uji-sni.jp/rekisi/hoi.htm

その他宇治別格本山に関するものは、宇治別格本山のホームページでご覧いただけます。

 (60602)
日時:2023年08月29日 (火) 09時21分
名前:元信徒

> 511: 初心者 :2011/06/30(木) 20:01:28
正直いって、
あたしは谷口哲学が理解できない。
理解したくとも、理解不能なのだ。
悟りはとりあえずひらいてみた。
宇宙の神秘を味わえるようにもなった。
死の恐怖も克服した。
やりたいことはすべてやった。
もう何も思い残すことはない。
そう思って生きてきたが、
肝心の谷口哲学が理解できないままなのだ。

正直いって、
谷口哲学への嫌悪感がある。
どう考えても間違いなのだ。
神の第一念による実相世界の創造は
じっさい不可能なのだ。

☆神の第一念による実相世界の創造は実際不可能なのだ。
って、なんだろ?か。
全知全能なのが神様と言うものでしょう。
何が実際不可能だ?
お前、見てきたのか? それに実相世界は想像されて作られたもの?最初から存在してあった世界と違いますか?
初心者の妄想癖なんとかして。
訊け氏がよく成りすまし するからそのていどの話しって感じ。




神が第一念を発する前に何がおきたのだ。
神はなぜ第一念を発したのだ。
発しなければならないような
何か特別な出来事があったのか。
第二念ではなぜだめなのだ。
第二念の創造なら可能であるはずなのに。


☆↑↑↑ 読んでいて、馬鹿らしくなる

蓮舫議員の、2番目ではダメなのですか! と同等レベルじゃん!
神は何故第一念を発したのか? 発したいから発したのでしょ。 同等の返答するなら。
人間が神様の理念を理解しようなんて、1億年早い。
つーか。初心者さん病気か?
自分で、訳わからない事考えなくて良い。
訊けの成りすましソックリじゃん。

初心者を名乗る人、最低でも3人くらいいましたよ。

つい、最近も訊けが、
私は、いつ引退してもよいのである。
とか、総裁かと思える書き込みしていて、、早く引退しろ。って返答したら、そこから態勢崩壊して行ったよ。

闇鍋みたいなものだね。

元信徒様 (60607)
日時:2023年08月29日 (火) 09時45分
名前:志恩

私は、旧トキ掲示板のとき、
初心者さんと、何回も会話したことがありましたが
怒らせると怖い人で、
初心者さんは、私に「おまえを殺してやる!」と
ドスをきかせて、私に、迫ったこともありました。

訊けさんは、「ぼくは、志恩さんのことは大嫌いだ」
とは、過去に、なんども私に言っていましたが、
「ババァ、死ね」とか「殺してやる」とかいうような
汚い言葉は一度も、使ったことは、ありません。

だから、私の場合は、
初心者さんは、訊けさんではないと
思っています。(^m^ )

 (60609)
日時:2023年08月29日 (火) 10時29分
名前:元信徒

殺してやる!

は、複数人いる誰かでしょうね。

某宗教はヤクザが沢山いて、嫌がらせ専門までいるそうで、
宗教とは表看板だけで、資金集めを頑張る変なとこもあったでしょ。

訊けさんは、ナリスマシをして遊んでいますが、あの方は殺人などの過激な言葉は使わないかもしれません。


宝蔵神社と霊牌供養(「生長の家」誌 昭和31年8月号 明窓浄机から) (60611)
日時:2023年08月29日 (火) 12時03分
名前:本音の時代

宝蔵神社と霊牌供養の始まりについて、私自身の確認のためにも掲載します。


〇アメリカでは生長の家の誌友は専ら日本人第一世で平均年齢七十歳だと云うことであり、やがて地上の生命を終へて霊界に昇天する。その場合に葬迭の儀式を生長の家で行わないようなことでは、必ず一度は通過しなければならない一つの儀式を、キリスト教会とか、佛教寺院とかに頼まねばならない。幽明の境に面して他の宗教に依頼せねばならぬようでは生涯の宗教として生長の家を信じて来た甲斐がないから、そんなことなら、生きている今のうちに、死んだ時に頼める宗教に転じて置かなければならぬと考へる人ができるのであるから、是非葬迭の儀式を定めて頂きたい、そのときの祭司となる者を任命されたいと云う要請がアメリカの誌友から来ている。成る程、尤も千万なことと言はなければならないと云うので宗務部及び渉外部の方で其の手続をとるようにしたと云うことである。位牌の書き方や招霊の仕方は本號の「信仰相談室」での回答に書いて置いたので、生長の家では万事簡略に職業宗教家の手をわずらわさないで宗教的行事ができるようにしてあるのであるが、それでは何か頼りないと考へる人も多いのである。やっぱり誰か一層功徳の多い人たちに自分の祖先を拝んで貰いたい気持になり、高徳の人が聖経を読誦してくれたならば、祖先も喜ぶにちがいないと考えるのは子孫の真情であるとも云えるのである。其処で、かねてから宇治本山の聖域に宝蔵神社を建設することにして、肉体の浄化を終った霊魂たちを其処に奉斎して、宇治本山に集る修行者たちが毎朝、宝蔵神社に詣でて集団で聖経を読誦し、その冥福を祈ることにしたいと云う計画があったのであるが、「ゆには」の建設費の未払勘定もまだ皆済になっていないので、宝蔵神社の方へ手をつけることができなかったのである。ところが、今回、宇治本山理事長徳久克己博士及び宇治本山奉賛会長和田英雄氏の提唱により、八月二五、二六の二日間全国生長の家誌友の先祖の諸霊の冥福のため盂蘭盆会の供養霊祭な行ひ、その奉賛金をもって宝蔵神社建設の基金にしようと云う義が発案せられて実行されることになった。一定の霊牌(これは各教化部に配布しある由)に祖先又は逝ける近親者の名を書いて奉賛金を添えて、参拝又は郵送せられたいとの事である。奉祭の行事は午前中で、午後は諸講師の講義講演等があるので、その期間の宇治の賑いは素晴しいものがあろうとの事である。右の霊祭にお祀りした霊牌は翌年の盂蘭盆会のときまで奉斎して毎朝宇治本山職員及び修行者の聖経の読誦がつづけられ、翌年八月また霊牌を新たにして孟蘭盆の供養会を催し、その奉賛金が宝蔵神社の建設に適する額に達したとき、愈々宝蔵神社に永代的に信徒の諸霊を右神社の霊柩に納める大祭を執行するとのことである。

本音さん (60612)
日時:2023年08月29日 (火) 12時26分
名前:元信徒


宇治の事、ありがとうございます。

聖戦かどうか も読んで欲しい。です。

 (60613)
日時:2023年08月29日 (火) 18時40分
名前:神の子

汚い言葉と自覚しながら毒を吐いて後で削除するのはズルくないかな?
責任取れない暴言なら言うなと思う。

 (60614)
日時:2023年08月29日 (火) 19時26分
名前:神の子とは?

汚い言葉と自覚しながら毒を吐いて後で削除するのはズルくないかな?
責任取れない暴言なら言うなと思う。


*************************************************************

汚い言葉と自覚しながら毒を吐いて後で削除するのはズルくないかな?>>

潜在意識は浄化されていないですね。

責任取れない暴言なら言うなと思う。>>

暴言とは思っていないのですよ。
悪しきことを悪しいというのは当然思っているし、実相顕現の手助けをしていると思っているのですから。

シオンさんも訊けさんも同じところに住んでるようです。

本音さんの部屋だから。 (60616)
日時:2023年08月29日 (火) 21時47分
名前:元信徒


一般のスレッドなら良いですけれど、
真面目にかいてる本音さんの部屋ですからね。

本音さんの指示に従います。


 (60618)
日時:2023年08月29日 (火) 22時13分
名前:神の子

削除するしないは元より貴方の自由だし自分で本音さんに従いたいならそうしたら良いんじゃないですか。何か貴方の自由を制限しようとは思って無いけど。
ただネット掲示板で後から削除する前提で投稿する態度は卑怯だよね?ス桙チて話よ。

 (60619)
日時:2023年08月29日 (火) 22時20分
名前:元信徒

卑怯って何?

RE;本音さんの部屋だから。 (60616) (60620)
日時:2023年08月29日 (火) 22時24分
名前:本音の時代

みんな思っていることを書けばいいのです。

これは生長の家の生き方なのでしょうか。 (60622)
日時:2023年08月29日 (火) 22時48分
名前:本音の時代

再掲です。

【この「戦争の否定」を清超先生がはっきりと説かれるようになったのは、初代総裁の谷口雅春先生が昇天された後からです。どうしてだか分かりますか? これはご本人に聞かないと本当のことは分からないのですが、私が推測するには、それは谷口雅春先生のご著書の中に、まだ大東亜戦争を「聖戦」という言葉で表現したものが残っていたからです。それなのに、雅春先生のご生前、副総裁あるいは総裁代行であった清超先生が「聖戦はない」などとハッキリ言うことのリスクを考えられたのだと思います。】


「ハッキリ言うことのリスク」のリスクとは具体的になんなのでしょうかねぇ〜。
ともかく雅宣さんは、清超先生が本当に思っていることを隠して雅春先生と共に活動していたと感じていたということなんですね。
これが本当のことなら、生長の家はとんでもない方向に進んでいくのですね。類は類を呼ぶのです。そのような人が集まる組織が善くなるわけがないのです。みんなリスクを計算して保身のために生きているということなのです。

今を生きている雅宣さんは幸せだと思います。雅宣さんの周りに集まる人たちは、本当は何を考えているかわからないけれど、讃嘆してくれますからね。

本音さん (60623)
日時:2023年08月29日 (火) 22時54分
名前:元信徒


どうも ありがとうございます😊

思うこと、本音で行かせて頂きます。笑

 (60625)
日時:2023年08月29日 (火) 23時26分
名前:元信徒

聖戦のレスをありがとうございました。

雅宣総裁が突然、聖戦から侵略だと舵をきったのは、戦争そのものしか見えない目しか持たないから。
自分の所属する生長の家教団の、信徒が英霊になり、その事に対する慰霊の気持ちも遺族に対する慰めも全く彼の眼中にはないからなのだ。

聖戦 とは、谷口雅春先生の愛する全信徒の英霊を慰霊する愛ある言葉なのだ。

単純に、
戦争の理由に白黒つけるだけの雅宣総裁と同じステージには、信徒の誰もいない。
雅宣総裁だけがただ一人、トンチンカンでも自信をもってトンチンカンな発言をして、「聖戦」として自らの教団の英霊様を慰霊する初代の信徒を愛し、礼拝する気持ちが分からないだけ。

人から愛されて来ただけで自分から愛すると言う経験値が低いからだろう。
愛の本質が理解出来ない感じを受けるし、
周囲の状況も読めない人かも。

本当に、こやつの行動は全ておかしかった。

新潟地震で、自分の講習会がなくなり、信徒のために新潟教化部で、祈りをしたり、激励でもするのかと思いきや、自宅が被害にあっている信徒に運転をさせて、電車が動いてる場所まで送迎させ、その道中をスクープをとったようにききとしてレポートしている姿には、怒りを感じた.

とにかく、彼の行動、思考は、私の理解をかなり超えるので、一緒に宗教運動など出来ない。
協力する気持ちにならない。

雅春先生は愛する信徒の皆さんの慰霊の為、遺族の心の救済の為のお言葉として、みんなの生命を捧げた聖戦である。と拝んでくれました。


雅宣現総裁は、
単なる第二次世界大戦の戦争の責任の白黒をつけたいだけ。  英霊になられた自分の大事な生長の家信徒の事も、その遺族の悲しみも眼中ないのである。

彼はステージが違う。 人としてもステージの違う場所から他者を眺めているだけ。

彼のどんな言葉も雅春先生の本質的な物を
受け継いではいないのかも。
聖戦については、目線も思考も全然違う場所にいる。

雅春先生が相撲の土俵に立っているなら、彼はまわしをして土俵にあがるのでなく、ボクサーパンツを履き、グローブで登場して良い気になっている。
まるで、トンチンカンな姿に、頭には虹色の被り物を被ったピエロボクサーだ。

違和感しか無い。







 (60627)
日時:2023年08月30日 (水) 03時26分
名前:元信徒

> 「ハッキリ言うことのリスク」のリスクとは具体的になんなのでしょうかねぇ〜。
ともかく雅宣さんは、清超先生が本当に思っていることを隠して雅春先生と共に活動していたと感じていたということなんですね。
これが本当のことなら <


総裁の妄想だと思います、思い込み。

本音の時代様、元信徒様 (60630)
日時:2023年08月30日 (水) 08時18分
名前:志恩

本音の時代様のスレッドだけあって、
その名の通り、
本音の時代様も、元信徒様も
本音でのご発言をされていらして
とても、いいことだと思っております。

それから、
いつも本音の発言をされていらっしゃいます
私の敬愛している則天去私様も、
次のようなコメントをされておられますので、
則天去私様ブログより、引用させていただきます。

ーーーーーーーーーー
則天去私様ブログより

2023年08月29日20:07

【日々を抄すH】

トキ掲示板では『聖戦』に関しての討論が
盛んである。
それはいいことである。

私も谷口清超先生の著『新しい開国の時代』を
讀んで、非常にショックをおぼえた。

谷口雅春先生を否定するのは卑怯だとも
思った。
そんなことされるはずがない。

 しかし、谷口雅宣氏は
その本の編纂に携わったと書いている
文章を見て、なるほどと思った。

http://tecnopla1011.blog.jp/archives/87987189.html 

バレたか‼️ (60636)
日時:2023年08月30日 (水) 12時47分
名前:訊総裁


>>つい、最近も訊けが、
私は、いつ引退してもよいのである。
とか、総裁かと思える書き込みしていて、、早く引退しろ。って返答したら、そこから態勢崩壊して行ったよ。<<


 ついに、実は私が生長の家総裁だってことが、バレた‼️

 いやー、すごい洞察力です‼️完敗しました。








追記


 もう、じゃんじゃんと言いふらしてくださいね、「訊けは総裁だ!」を(笑)

元信徒とやらへ (60637)
日時:2023年08月30日 (水) 12時48分
名前:モナ

>初代の様に、手前の信徒を愛せよ‼️ このバカ‼️

アンタもな。

オレもそうするわ。

 (60638)
日時:2023年08月30日 (水) 13時20分
名前:元信徒

> オレもそうするわ


アンタが雅宣総裁なら大歓迎‼️
私の書いた聖戦のスレッドを百回は読んで欲しい!

総裁と分かるハンドルネームでじゃんじゃん投稿して。


総裁でないならいちいちつっこむな。
生長の家信徒なんか嫌い。


元信徒サンへ相談 (60639)
日時:2023年08月30日 (水) 13時23分
名前:訊総裁


 フランケンシュタインの次に、何のかぶりものしたらウケるでしょうか。ご教示ください。

元信徒さん、役目を果たした雅宣さんはどうなるの? (60640)
日時:2023年08月30日 (水) 14時04分
名前:本音の時代

>私も、雅宣先生は
何かの観世音菩薩と思い、
更に組織が良くなって行くための 警鐘 の役目かと思います。

本音さん (60644)
日時:2023年08月30日 (水) 14時42分
名前:元信徒

>
元信徒さん、役目を果たした雅宣さんはどうなるの? (60640)
日時:2023年08月30日 (水) 14時04分
名前:本音の時代

>私も、雅宣先生は
何かの観世音菩薩と思い、
更に組織が良くなって行くための 警鐘 の役目かと思います。


147:復興G:2011/07/31(日) 20:05:19

>142 :初心者様ー

現総裁のような人物がトップにあらわれたのは、
けっして意味のないことではない。
これが、わたくしが言いつづけてきた ことなのですね。
その意味を考えようともせずに、ただ辞めていただくというのが、
はたして最良といえるのか。
略<


復興Gー

 以下、今私が思うことです。

 谷口雅春先生時代には、
先生がいくら「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃられても、
「われわれ凡人と谷口雅春先生とは天と地ぐらいの開きがある」という
観念から抜け出すことがむつかしかった。

「皆さんが住吉大神の全心全霊である」と言われても、
それを実感自覚することは難しかった。
そのときに、二代目・三代目の総裁になられた方が
谷口雅春先生と同様に凡人とは大きくへだたりのあるような
霊的、宗教的なお方だったら、いつまでも「われわれ凡人は……」と言って、
外なる総裁におすがりするばかりで、
内なる神に本当に目覚め、釈迦・キリストと同じ者である、
一切者であるというような自覚を得ることはむつかしいままで終わるのでしょう。

 ところが谷口雅宣総裁は、
「私は神ではない。普通の人間だ。私の言葉は住吉大神の言葉なんかじゃない。
私の言葉は私の言葉だ」というようにおっしゃってくださって、
「私も信徒皆さんもおなじ人間です」と宣言されて、
私たち信徒皆の大いなる神性開発の道を開いてくださっているのです。
まことに素晴らしい神の摂理である。

 これこそ、初心者様が

『教団で起きているゴタゴタは、
谷口雅春先生がわたくしたちに示された禅の公案です。
雅春先生は、こんにちの事態をすでに予知しておられたはずです。
それを承知の上で世襲制を承認し、わたしたちに公案として残して行かれた
のではないですか。弟子として恥ずかしくない答えを出しましょう。』

 とおっしゃった、谷口雅春先生から与えられた公案なのだ、と思います

➖➖➖➖➖


と、言う事で、
自分自身が谷口雅春先生と言う自覚になるまで、、公安が出続けるのでしょう。
結局は、雅宣氏が亡くなるまで。

で、もし自身が悟りを得て、谷口雅春先生レベルになった時は、
谷口雅宣先生は、何も変わらないけど、悟りに到達した人間からは、雅宣先生から光明が放たれている様に見えるのではないでしょうか?

又、それぞれが谷口雅春先生と同等の悟りを得ても個性を持ちながら、それぞれの雅春先生を表現するになりますよね。

と、言う事で、雅宣総裁は何も変わりませんが、
観る側の悟りで神の子と観て拝んでいるのではないですか?


雅宣先生自体は何の変化なく、残りの信者の悟りを開くべく、赤いハイヒール👠にスカート、金髪の長い髪のカツラの被り物で、白鳩讃歌を歌っているかも分かりません。


返信になっているか分かりませんが。

訊総裁 (60645)
日時:2023年08月30日 (水) 14時53分
名前:元信徒


> 元信徒サンへ相談 (60639)
日時:2023年08月30日 (水) 13時23分
名前:訊総裁


 フランケンシュタインの次に、何のかぶりものしたらウケるでしょうか。ご教示ください。



回答
知りません。分かりません。

訊総裁がやるなら、黒の紋付袴に雅春先生ソックリな被り物を作り、毎日自宅の座布団の上で合掌して、招神歌と気合い でも唱えていたら?

形だけでも先に、谷口雅春先生になって下さい。

元信徒さん、返答ありがとうございました。 (60646)
日時:2023年08月30日 (水) 15時23分
名前:本音の時代

雅宣さんが今までしてきたこと、これからすることは事実として残ります。
それは谷口雅春先生が大東亜戦争は聖戦であったと解説された部分はあるけれど、アジア諸国に多大な迷惑をかけた横暴な日本があったことも事実です。
雅宣さんにも警鐘の役目云々ですが、迷惑をかけたという事柄については、おのずと評価されることになるだろうと思います。

元信徒の教え (60647)
日時:2023年08月30日 (水) 15時27分
名前:モナカ

>生長の家信徒なんか嫌い。

天地一切の人、物、事と和解せよ。

ただし、生長の家信徒と清超先生、雅宣総裁は除く。

が、元信徒の教え。そういうことでしょ?

でしたね。 (60649)
日時:2023年08月30日 (水) 17時19分
名前:元信徒

>
元信徒の教え (60647)
日時:2023年08月30日 (水) 15時27分
名前:モナカ

>生長の家信徒なんか嫌い。

天地一切の人、物、事と和解せよ。

ただし、生長の家信徒と清超先生、雅宣総裁は除く。

が、元信徒の教え。そういうことでしょ?

➖➖➖➖➖



でしたね、元信徒の教えなんてものはございません。

すみませんでした。偉そうにして。笑

天地一切と和解せよ。を目指そう。

先程は、志恩さんのスレッドから勝手に引用しました。


そうかな? (60651)
日時:2023年08月30日 (水) 17時27分
名前:元信徒

> 元信徒さん、返答ありがとうございました。 (60646)
日時:2023年08月30日 (水) 15時23分
名前:本音の時代

雅宣さんが今までしてきたこと、これからすることは事実として残ります。
それは谷口雅春先生が大東亜戦争は聖戦であったと解説された部分はあるけれど、アジア諸国に多大な迷惑をかけた横暴な日本があったことも事実です。
雅宣さんにも警鐘の役目云々ですが、迷惑をかけたという事柄については、おのずと評価されることになるだろうと思います。

☆☆☆☆☆

戦争事態の迷惑は仕方ないけと、日本が統治していたアジアの諸外国は、小さい交番があちこちに警察があり、学校がありで、治安がよくて、日本人がいてくれた方が良かった。と、よくテレビ放送があった事を記憶しています。
又、イギリスなどの西洋統治を押し除けて追い出しが出来た国もありました。

私は、アジア開放戦争と観ております。
雅宣さんと同じ目線は持っておらないです。


そこは、本音さんとはちがいます。


アジア開放戦争 (60653)
日時:2023年08月30日 (水) 18時54分
名前:本音の時代

一方で利権の拡大の野望はありました。
谷口雅春先生と岡村大将の話の件もあります。
歴代天皇陛下の、戦争による「深い悲しみ」や「深い反省」のお言葉をあります。
アジア開放戦争も否定はしません。

本音さん、谷口雅春先生は戦争を観ていない、信徒を観て愛し、魂を救済に廻っておられる (60654)
日時:2023年08月30日 (水) 20時09分
名前:元信徒

谷口雅春先生は、戦争の責任を世間一般にに向けて話しをしたのでしょうか?
あくまでも、教団内で英霊になった信徒、遺族に向けての慰霊や心に寄り添って悲しみの救済をされていませんか?

敗戦した戦争の結果や責任に白黒をつけるためでも何でもありません。宗教教団でそんな白黒つけて何になると言うのでしょうか。

当時、雅春先生は、日本中悲しみにくれるなか、宗教トップに立つリーダーとしての愛の宗教活動で、まず信徒を励ましたと思います。

戦争によって亡くなってしまった愛する信徒、家族に向けての魂の救済すです。


本音さんが戦争中、食べ物もなく、周囲は皆死んで、爆撃に苦しみ、自分も片手片足無くして、奇跡的に生還したときに、
「 お前のやった戦争は、諸外国に迷惑をかけたぞ!なんて悪い事をして来た!」
と、行く時は、歓迎され、敗戦したら手の平かえしたように、言われたらどうですか?
あなたのスレッド同様の言葉や気持ちを、愛する新婚の妻や産まれたての赤子を残して、戦死された英霊様やそのご遺族様に直接いえますか?


それより、
貴方方は必死で戦った。残念ながら日本は負けたけど、、植民地支配から独立を果たした国も出来た、ご苦労様でした、良く戦った聖戦でした。


と、瀕死で祖国に生命を捧げた自分にかけてもらいたい言葉は、どちらですか?

又、自分は、戦争で手足を無くし瀕死の思いで帰国できた方にどちらの言葉をかけますか?


そこから雅宣先生のした事を考えてみても良いのでは、ありませんか。

ま、考えるどころか、

雅宣先生が宇治別格本山の八月の大祭に行った時には、
今までなかった異常な大雨に雷鳴轟き、あの宇治本山が先祖供養祭祀中に停電になったと言う、現象をみても、
霊界からの もの凄い怒りは、一目瞭然、分かりやすい。

霊界も現象界ですから、怒り、悲しみがあるのが、ハッキリ理解できた大祭でしたね。

これが、使命と言うなら、トランプのジョーカーを生きているようなもので、辛いね。






私の言い分 (60656)
日時:2023年08月30日 (水) 21時24分
名前:本音の時代

元信徒さん+αということです。

 (60661)
日時:2023年08月31日 (木) 12時26分
名前:元信徒

元信徒は、
国の利権とか国益なんてどうでもよくて、ただ世界平和や世界の調和を祈ります。
国の上層部がそうでも、庶民は戦争などしたくない。
かと、言って、自分の祖国も悪く思いたくないし、悪く思われたくない。
事実がこうだ! と突きつけられた時、全力で祖国の良い面のみを語りたい。
表裏は一体だから。
日本人が統治していたアジアの国の庶民は、
治安の良さ、識字率が高くなる学校が建設され、清潔で潔い日本人が大好きで、日本人に撤退してもらいたくなかったと、テレビで話していた事を信じています。

天皇陛下は謝っておられましたが、諸外国の多くの方々天皇陛下に感謝していた事も事実です。

どちらに
スポットライトを当てて、歴史認識をするか。
と言う事ではないでしょうか。

我々は、谷口雅春先生から光明思想や愛国心を学んだ人間として、愛の道を歩んでいこうではありませんか。

谷口輝子先生の詩

人生は浄土に向かう旅なれば
一歩一歩に愛を重ねん。


訂正してね (60663)
日時:2023年08月31日 (木) 18時20分
名前:引用は適当に書かないで必ず元の本を確かめるのが信用の第一歩

>谷口輝子先生の詩

人生は浄土に向かう旅なれば
一歩一歩に愛を重ねん。

えっ?!

『生長の火をかざして』5ページ(グラビア)より!

昭和六十年御題詠進「旅」谷口雅春
旅すれば遇ふ人毎を拝むなり遍路の心尊くもがな
人生は浄土に向ふ旅なれば一歩一歩に愛を重ねん

谷口雅春先生の最後の詠進歌でしょ?
お遍路さんをしたあなたは一首目も合掌してごらんください

 (60665)
日時:2023年08月31日 (木) 20時31分
名前:元信徒

先生、

そうでしたか、うろ覚えでしたか、
教えて頂きありがとうございました。

生長の火 とよく出てきましたね。

これからもよろしくです。

雅宣さんの存在は、迷いの産物。 (60718)
日時:2023年09月01日 (金) 15時38分
名前:本音の時代

>現総裁のような人物がトップにあらわれたのは、
けっして意味のないことではない。

私は、これは買い被りの言葉だと思うんですね。
雅宣さんは『生命の實相』を読んでいないです。
『生命の實相』を知らない人が生長の家を説くから間違えるのです。


先日、自分のFacebookに雅春先生の文章を掲載しました。

『生命の實相』を読みましょう運動
【「『生命の實相』を読みましょう運動」が、内部的に盛り上がっている由で、それは「『生命の實相』に還れ」と云う運動にまで
発展しつつあるそうです。何と言っても生長の家の人類光明化運動は『生命の實相』から始まったので、それから無限の枝葉的な解釈や説明や敷衍 (※ふえん―おし広げること)などが行われ、いつの間にか『生命の實相』を読まないで、その真理が敷衍や演繹(えんえき―一般的に知られている事実や事例をいくつも関連付けて必然的な結論を導き出す考え方)を重ねているうちに、中心真理から逸脱したところなどもでて来ているので、新たに生長の家に入信した人は勿論、古い誌友も、もう一度『生命の實相』を深く考えながら読み直すことが必要だと思われます。】(「生長の家」誌 昭和31年8月号 明窓浄机から)

ってことは、 (60719)
日時:2023年09月01日 (金) 17時19分
名前:元信徒


信徒が生命の実相に帰んないといけないわけね。
生命の実相を読まないと、、ってわけね。

じゃ、本音さん、主体でzoomで輪読会しますか。
顔を出さないように出来るんで。

生命の実相第一巻からやりますか。

スタンバイできたら送ってきて。元信徒のメールに。

お願いしますねー。

はい、有言実行。すぐやる課。

ってことは、・・・ないです。 (60720)
日時:2023年09月01日 (金) 17時37分
名前:本音の時代

各自が好きな時間に読書すればよいのです。

ふられたか、、、 (60721)
日時:2023年09月01日 (金) 18時08分
名前:元信徒


アッサリ フリ ますね!

どなたかzoom輪読会 しませんかー?

お相手頂ける方々おられましたらお返事お待ちしております。😊🙏

宜しくお願いします

お人よしの論理 (60830)
日時:2023年09月04日 (月) 12時22分
名前:本音の時代

【復興Gー

 以下、今私が思うことです。

 谷口雅春先生時代には、
先生がいくら「皆さんが谷口雅春である」とおっしゃられても、
「われわれ凡人と谷口雅春先生とは天と地ぐらいの開きがある」という
観念から抜け出すことがむつかしかった。

「皆さんが住吉大神の全心全霊である」と言われても、
それを実感自覚することは難しかった。
そのときに、二代目・三代目の総裁になられた方が
谷口雅春先生と同様に凡人とは大きくへだたりのあるような
霊的、宗教的なお方だったら、いつまでも「われわれ凡人は……」と言って、
外なる総裁におすがりするばかりで、
内なる神に本当に目覚め、釈迦・キリストと同じ者である、
一切者であるというような自覚を得ることはむつかしいままで終わるのでしょう。

 ところが谷口雅宣総裁は、
「私は神ではない。普通の人間だ。私の言葉は住吉大神の言葉なんかじゃない。
私の言葉は私の言葉だ」というようにおっしゃってくださって、
「私も信徒皆さんもおなじ人間です」と宣言されて、
私たち信徒皆の大いなる神性開発の道を開いてくださっているのです。
まことに素晴らしい神の摂理である。】


しかし、信徒は相変わらず谷口雅宣総裁の仰ることは神意のあると言うのです。
信徒の思考に変化はないのです。
信徒は真理を信じているのではなく、人を信じる傾向が顕著なのです。

いのちの川のほとりにて より引用 (60906)
日時:2023年09月06日 (水) 00時36分
名前:元信徒

結局、どんな問題も実相に没入すれば無いのだな。

> >>毎日神想観はしていますが全く劣等感を取り除けません。周りの人たちのことも怖くて仕方ありません。自分を拝むって難しいですね。



 ということですが、現象の「自分」を拝むことは、貴方が言うようにとても難しいのです。
 それは現象の自分は「影」であり「実体」が無い、ということもありますが、なによりも困難なのは「過去の残像」(現象の自分)の中には善いものと不完全なものとが混在しているからです。



 生長の家で、「自分を拝む」というのは、過去の不完全な自分の残像(つまり現象)を拝む、ということではありません。



 現象は影であり、実体がないのですから、そんなものは放っておいて、はじめのはじめから完全円満であるところの「実相の自分」つまり、智慧であり、愛であり、生命であるところの本当の自分を拝み、そして味わうことが、神想観で実修するところの実相直視ということであり、そのような神想観を実修されることで、生長の家の「行」が悦びそのものである「楽行道」であることを見出すことができます。



 だから、現象の不完全な自分を見て、それを良くしよう≠ネどと思って研鑽していたのでは、いつまでもその不完全に捉われてしまい、さらにそれが心の影≠ニなって現れ、努めれば努めるほど苦しくなってしまうのです。



 貴方は、はじめのはじめから神の子であり、完全円満なる智慧・愛・生命をいただいているのですから、もっともっと全身の力をぬいて、神様に全托して、その完全円満なる大生命にただただ生かされていることに感謝して悦んでいればいいのです。
 そうすれば、実相さながらの大調和した世界が貴方の周りに実現して来るのです。



 また、「周りの人たちのことも恐くて仕方がない」というのも、人生というものは自分の力でなんとかしなければならない不完全なものだと見て、努め励んでいることの裏返し(心の影)ですから、これまでの日々で辛いことも多かったことでしょう。
 
 もうそろそろ「現象」(影の世界、結果の世界)を信仰することをやめて、「実相」(神様の世界、実在の世界、本当の自分)を信仰する生長の家の生活へと、思い切って飛躍する時期が来ているのではないでしょうか。



 機は熟していると思います。分からないことがあれば、何でもお尋ねください。



 また、関東地方にお住まいであれば聖典講義の日は個人指導もしているのでお越し下さい。





 久都間 繁

雅宣さんの存在は、迷いの産物。 (60994)
日時:2023年09月10日 (日) 23時54分
名前:本音の時代

>現総裁のような人物がトップにあらわれたのは、
けっして意味のないことではない。


トンチンカンな話だ。
雅宣さんが生長の家の教えを語れば、それで済むことではないのか。
実相円満(生命の実相のそのままで円満なこと)の自覚すれば不幸が癒されるという。
生長の家の光明化運動の目的が人類生活の全面から迷いを去らしめることならば、現総裁がそのための言葉を発すればよいだけのことではないのか。
迷っているのは雅宣さんなのですよ。

先祖供養祭は雅春先生が望んだことなの? (61007)
日時:2023年09月11日 (月) 11時50分
名前:本音の時代

年に一度の霊牌供養の他に、先祖供養祭なる行事が常態化になっている。
安定した集金システムであり、おかげありますよと言って信徒を離さなくする。
まあ、望む人がいるから、なくならいのだろうけれど。

人を見抜く力と生長の家 (61064)
日時:2023年09月15日 (金) 09時45分
名前:本音の時代

人を信じるとは美しいことだけど、その人が何を考えているのかを見き分けることが必要だと思う。
たとえば、悪事を考えている人を信じるということは、悪事の結果を招くことになるということだ。
特に谷口雅春先生のなくなった後の生長の家教団の人の考え方を見てるとよくわかる。
実相と現象の混合というのか、現実への認識が甘くなっていたのではないだろうか。
その時代の結果は、その当時の人の考え方が反映したものだ。
その結果が良いものだったか、悪いものだったかはわかると思うので、その教訓を今後どのように生かすかが私たちに委ねられていると思う。
生命の実相のそのままで円満なことの自覚とは、偽者を否定することなのだろう。それは本物と偽物を見極めることでもある。

聖典 (61065)
日時:2023年09月15日 (金) 13時34分
名前:元信徒

聖典を徹底的に読み込み、真理に自己を没入する修行をする事だね。


本音さんへのレスポンスは、自分自身に言い聞かせているようです、毎回。
自問自答している感がある。
質問がいつも自分が迷っている事と似てるから。

だから、ありがとうございます

雅宣さんは雅宣教を作っている。 (61171)
日時:2023年09月24日 (日) 21時09分
名前:本音の時代

生長の家総裁なら、『生命の實相』第1巻は最低100回読んでいないといけないよ。

病気はない、現象はない。 (61173)
日時:2023年09月24日 (日) 23時45分
名前:本音の時代

私がわからなくても、わかる人がいるから伝えればよい。
谷口雅春先生がそう言っているのだから、心配しないで伝えればよい。

生長の家総裁の心得 (61202)
日時:2023年09月28日 (木) 21時10分
名前:本音の時代

「わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努カする一人の求道者にすぎない。】(『生命の實相』頭注版 14頁)

この謙虚さが必要なのです。自我により誌友を導こうとすることが雅宣教になるのです。谷口雅宣総裁は『生命の實相』第1巻を何回読んだのでしょう。徳久克己先生は150回読んでも、読むたびに新しい発見があると言っています。

本音の時代様 (61205)
日時:2023年09月29日 (金) 06時39分
名前:志恩

先代のトキ様が、このトキ掲示板を
立ち上げられたのは、2011年6月のことでした。

それから今までに、本来の生長の家の回帰を願い、
数多くの方々の投稿者がおられました。

亡き岡先生もそのお一人でした。
そして、
多くの方々が、いくら言っても、ダメだと諦めて
トキ掲示板を去って行きました。

その中で、本音の時代様は、今も諦めずに
ご投稿されれて、大変嬉しく、心強く思っております。

今後もご教授のほど、よろしくお願いします。
ありがとうございます。

いくら言っても、ダメだ (61269)
日時:2023年10月05日 (木) 07時45分
名前:本音の時代

そりゃ、そうでしょうね。教団外部からですからね。当然教団内での発言はご法度のようであり、頑固者である雅宣さんは変わりませんよ。熱烈な雅宣さんファンが教団にはいますからね。雅宣さんが変わらないということは教団が変わらないということ。だから信徒が変わらなければいけないのだけれど、変わらないのですよね。本来の教えを尊ぶ信徒さんのサークル、たとえばこの掲示板に「現役信徒の部屋」なるものができ交流できればよいなとも考えております。ちなみに私は4年前に聖使命会のみに復活しましたが、ここ2年は更新していません。地元教化部で対面集会が再開されれば更新します。

『甘露の法雨』は生長の家の本尊たる観世音菩薩の作詞である。 (61275)
日時:2023年10月06日 (金) 13時44分
名前:本音の時代

『法華経解釈』381頁

(略)『甘露の法雨』が生長の家の本尊たる観世音菩薩の作詞であり、その内容には法華経の真理が説かれているならば、それを読誦し、書写し、又は携帯しているだけで功徳を生ずるのは当然のことなのである。(略)

「大丈夫必ず良くなる」って、いつ実現するのだろう、いつ心配はなくなるのだろう。 (61368)
日時:2023年10月15日 (日) 07時44分
名前:本音の時代

谷口清超氏が谷口貴康氏に言った。
「彼は君が思っているような人ではないから心配しなさんな」

http://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2580984.html

この言葉から20年経過しました。

「自然と調和した生き方」に対する考察 (61370)
日時:2023年10月15日 (日) 08時06分
名前:本音の時代

http://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2580963.html

「大丈夫必ず良くなる」って、いつ実現するのだろう。 (61517)
日時:2023年10月24日 (火) 23時18分
名前:本音の時代

20年経過しても実現しないということは、結果的に「嘘をついた」ことに等しい。
生長の家の教えは日常に生きるものなのだから、使う言葉に責任を持ってほしい。
嘘の言葉は、信用をなくします。

本音さんへ ありがとうございます (61520)
日時:2023年10月25日 (水) 07時53分
名前:元信徒


甘露の法雨から最後の本音さんの感想まで元信徒の部屋に頂き、学ぶ為に貼り付けしました。

ご許可くださいませ。宜しくお願いします。
ありがとうございます😊

貼り付けて下さいましたブログを読んで思った事 (61525)
日時:2023年10月25日 (水) 10時05分
名前:元信徒

貴康氏は、
生長の家を退職しないで、教化部長を受ければ良かったと思いますね。

そして、その責務を真っ当したら、本当の意味での実力がつき、総裁に正々堂々と忠言が出来たのに。

貴康氏は、道場にいた時、生長の家の行を熱心には行っていなかった。
求道者では無かった。 判断を間違えたのでは。とも思ったりして。でも彼なりに一所懸命だったんだろうな、

しかし、彼も雅宣氏同様、当時はお金の苦労なくお坊ちゃんだった。
ま、私も同類だったけどね。


突然ですが、思い出したので、全く余談ですが、それより時効かも知れませんが、
貴康さん、私が貸したお金、で、皆んなにラーメンを奢りました。そのお金はいつになったら返しますか? 数千円でしたが。笑
貴方がもっと金持ちになったら、タップリ利子つけて返してもらいます。
と、昔は思っていました。
しかし、現在、貴康氏は、
素晴らしい事にお坊ちゃんを脱出して、土を耕し、真っ当な人間の幸せに到達されていらしゃるではありませんか。
いま、年老いた貴康先生には取り立てには行く気もありませんので、ご安心を。時効かな。
思い出してしまいました。笑

貴康氏が生長の家の中にいたら、退職した今ほどの苦労は出来なかったし、雅宣先生をお金の苦労をした事ない人には、と喝破出来なかったかも知れない。

人生って何が良いのか良くわからなくなってきた。

どっちも良かったな。と思うかな。

置かれた場所で咲きなさい。 て事か。



でも、もう少し、清超氏も貴康氏の言う事に耳を貸して、教団と貴康氏を守って欲しかった。











末端だった一会員のぼやき (61526)
日時:2023年10月25日 (水) 12時38分
名前:本音の時代

RE;本音さんへ ありがとうございます (61520)

転載いただき、ありがとうございます。



RE;貼り付けて下さいましたブログを読んで思った事 (61525)

「本音の時代の部屋」末端だった一会員のぼやきにすぎません。
教団組織、分派組織の体たらく(先生と呼ばれた、呼ばれる人たちのレベル低下)にぼやかずにいられないだけなのです。

貴康さんには「田舎もんブログ」を読んでに期待したこともありましたが、結局言葉だけなのでした。貴康さんもお孫さん信仰の恩恵から抜け切れず、そしてそれを利用して生きていくのだなと感じています。
善い方向にお孫さん信仰を利用するとしたのなら、今住んでいる地域で生長の家の教えを説く寺子屋のようなものでやったらいいのではないかと思う。

本音さん (61532)
日時:2023年10月27日 (金) 03時23分
名前:元信徒

日時:2023年10月25日 (水) 12時38分
名前:本音の時代


RE;貼り付けて下さいましたブログを読んで思った事 (61525)

「本音の時代の部屋」末端だった一会員のぼやきにすぎません。
教団組織、分派組織の体たらく(先生と呼ばれた、呼ばれる人たちのレベル低下)にぼやかずにいられないだけなのです。

教団は、優秀な人材が抜けてしまい、ていたらくと思いますが、
どの分派もどうであれ、応援したい気持ちでいっぱいで、頑張っているなって。
体たらくなんて思いたくないです。
独立を果たして立派だし、おかげさまって思う。 昔の気骨ある仲間を悪く思いたくないです、道を踏み間違いない限りは、
と、元信徒は、勝手に思ってます。




貴康さんには「田舎もんブログ」を読んでに期待したこともありましたが、結局言葉だけなのでした。貴康さんもお孫さん信仰の恩恵から抜け切れず、そしてそれを利用して生きていくのだなと感じています。

期待しますよね、でも彼らの立場からすると、そう言うのもかなりプレッシャーに感じておられるのでしょう。お孫さん信仰も嬉しいけど、しんどいでしょう。
常に偉大な雅春先生と比べられて、私達庶民とは感覚が違うなですよ。
可哀想でもありました。



善い方向にお孫さん信仰を利用するとしたのなら、今住んでいる地域で生長の家の教えを説く寺子屋のようなものでやったらいいのではないかと思う。


現在は、
教団を離れたから、
何をしようと自由なんです、お孫さんだからってはもう違うかな。


貴康先生は、本当は、退職したく無かっただろうし、
退職するしか無い。と思うほどの許せない何かがあったのでしょうね。

良い相談役がいなかったから、退職したんだね。





これらに学んだ事は、

生命の実相を読んでは、生きた雅春先生のお言葉を頂けると思って読んで、神想観をする
しか無いよね。自分が間違えないように生きるには。と考える。


本音さんの今の1番の願いは何てすか。生長の家以外なら。






>本音さんの今の1番の願いは何てすか。生長の家以外なら。 (61533)
日時:2023年10月27日 (金) 07時26分
名前:本音の時代

今もじゅうぶんナマケモノだけど、もっとナマケモノになりたい。

畑と庭があるから、野菜とか花を植えたくなる。草が伸びると処理しなきゃ。庭木が伸びると剪定しなきゃ。地域の行事に協力しなきゃ。寺の行事に協力しなきゃ。小遣い稼ぎのバイトしなきゃ。雪が積もったら除雪しなきゃ。・・・・しなきゃ、しなきゃ。

 (61536)
日時:2023年10月27日 (金) 14時38分
名前:元信徒

>
>本音さんの今の1番の願いは何てすか。生長の家以外なら。 (61533)
日時:2023年10月27日 (金) 07時26分
名前:本音の時代

今もじゅうぶんナマケモノだけど、もっとナマケモノになりたい。

畑と庭があるから、野菜とか花を植えたくなる。草が伸びると処理しなきゃ。庭木が伸びると剪定しなきゃ。地域の行事に協力しなきゃ。寺の行事に協力しなきゃ。小遣い稼ぎのバイトしなきゃ。雪が積もったら除雪しなきゃ。・・・・しなきゃ、しなきゃ。


忙しくしているのてすね。
で、なまけたいと。笑笑


特殊な人を除いて、みんな一緒じゃないですか。


そのうち
もっと年取ると、やりたいけど 出来なくなりますよ。
なまけるのとは違うけとね。
出来るときに喜んでやるしかないかなー。

生長の家が無くなっても、あまり生活には影響無さそうな感じですか。




>もっと年取ると、やりたいけど 出来なくなりますよ。 (61537)
日時:2023年10月27日 (金) 15時41分
名前:本音の時代

そうなる前に、あちらに行きたいですね。もう、じゅうぶん楽しみましたから。
でも、そういう人に限ってクタクタになるまで長生きするそうな。

神のいのちを生きる事 (61583)
日時:2023年10月30日 (月) 07時10分
名前:本音の時代

大熊良樹さんのfacebookから

(29日の言葉)
『吾れみずからにては
何事をも成し得ず。神吾れに
宿りて無限の力を発揮したまう。』
(昭和26年 光明日めくりより)
   「生命の教育」提唱者谷口雅春先生
🔴神社の御神体は「かがみ」
であることが多い。
🔴「かがみ」から『が』を
抜くと『かみ』となる。
🔴『我』を抜くことが
そのままに神のいのち
を生きる事となるのである。
🔴我を抜くとは
神人合一(しんじんごういつ)して
素直に「そのまま」
「素のまま」に生きる事である。
🔴人間智を捨てて
「御意」(みこころ)を問い、
「神力」に生かされる事である。
(解説:社会教育家 大熊良樹拝)

本音の時代様 (61585)
日時:2023年10月30日 (月) 08時01分
名前:志恩

元信徒様がコメントされる前に
私が先に横スレしてしまって、
すみませんけれど、
お写真は、本音の時代様宅の
本棚の蔵書でしょうか。
いい本がズラっと並んでいますね。

大熊先生のお言葉も、いいですね。


写真は (61586)
日時:2023年10月30日 (月) 08時26分
名前:本音の時代

大熊良樹さんのfacebookからのコピペです。

https://www.facebook.com/yosikio/posts/6788724344547631?ref=embed_post

本音の時代様 (61587)
日時:2023年10月30日 (月) 08時51分
名前:志恩

お言葉だけでなく、
お写真も
大熊良樹さんのfacebookからのコピペでしたか。

わかりました。

早速にご返信くださって、ありがとうございました。

本音の時代様が貼ってくださったブログの中にありました. (61639)
日時:2023年11月03日 (金) 05時47分
名前:志恩

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2014-10-06.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2014年10月06日

[若きサムライのブログを発見]

【住吉大神から啓示を受けた谷口雅春先生の御業績を消すなかれ】
(4813)
以下、某所掲示板での書込みを読み拝見。
素晴らしいブログだと思い今後のご活躍を祈りながら紹介します。
*******************
日時:2014年10月05日 (日) 23時20分
名前:日本国実相顕現運動


住吉大神から啓示を受けた谷口雅春先生の御業績を消すなかれ。

下記の素晴らしいブログを拝見して、改めて、その思いを強くしました。

>ここは大切なところです。主斎神を疎かにする宗教に未来はありません。
例えば宗教法人生長の家は、
宇宙浄化の御働きをする住吉大神からの啓示を受けた谷口雅春先生が
始められました。
皇祖神天照大御神の御出御に先立ちまして、宇宙浄化の御働きをするのが
住吉大神のお役目でありますから、宗教法人生長の家はその御心にかなうべく
日本国実相顕現運動を力強く展開して然るべきです。<

http://arachi.air-nifty.com/blog/2013/09/post-589e.html
ーーーーーーー
 ( ⬆️は、今は見れなくなっております。)


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2014年11月25日

[天之御中主神と日本国]

真理国家日本・鎮護国家を抜きにして 
天之御中主神を語ることは中身のない饅頭を作り配るがごとく
愚かなことである。

次の『菩薩は何をなすべきか』における
尊師・谷口雅春先生の言葉を繰り返して熟読したい。

**********************************************************

 天之御中主神とは、一個人の人格神の固有名詞ではないのであって、
「天(あま)」の次に「之(の)」という接続の詞(ことば)がついて居る所に
注目しなければならないのであって、これが固有名詞ではない証拠であります。
「之(の)」がついているのは、固有名詞ではなく、
説明のための接続詞としてついているのであります。
何を説明しようとしているかと云いますと、
「天(あま)」即ち「天球」即ち「大宇宙」の「中(みなか)」にして
主なるところの神様と云う意味を説明していたのであります。
私たちはその「中(みなか)」の「主」なるところの神様から生まれて
来たのであっって、
その中(みなか)のいのちより出でて中(みなか)に帰る、
吾々は中(みなか)に帰一しなければならない。

「神の子」とは天之御中主神の生命が此処に出現して、
「中(みなか)」の理念を実現する為に此処に生きて居るということであります。

 「中(みなか)」と云うのは、『中庸』と云う支那(しな)の書
この「中(ちゅう)」と云う字は、○(宇宙の象徴)に
一本貫いた様につくられたのが本来の字形なのであります。
四角に一本棒を挿したのじゃなくて、○(うちゅう)を貫く象(かたち)を
表した⏀であります。この「○」は宇宙であって、宇宙を貫く処の真理が
⏀(みなか)なのであります。

真ん中だけを貫いて居るのではないのであって、
これはただ「宇宙を貫く」という意味を象形的に書かれているのです。
宇宙の一切の物貫く所の原理に在(まし)ますところの神様が
天之御中主神であります。

その「中(みなか)」の原理と云うものは何処にでも現れて居る⦿(ス)の
原理であって、それは一切のものには一つの中心があると云うことであります。
(中略)
どうしても⦿(ス)をもって表象する「中(みなか)」の理念と云うものに
一致したときそこに生命があらわれるのであり、
「中(みなか)」の理念によって宇宙の一切のものは生かされて
支えられて居るのであります。
此の一切存在の基本原理なる「中(みなか)」の理念を体現した
国家、換言すれば「真理国家」の現成が日本国家なのであります。

 この日本国家は個人の利害関係の集国ではなくして
「真理」を体現したところの「真理国家」なのであります。
日本の建国は天孫降臨 にはじまると云うのは
「天之御中(あまのみなか)」の理念の降臨にはじまると云うそれであります。
日本民族と云うのは、天之御中主神(あまのみなかぬしかみ)の理念を
承(う)継いで、その生命(いのち)を出発さした、即ち「命(みこと)」の
自覚に依って生まれた特殊な存在を保つ。
その「命(みこと)」即ち「命(いのち)」の本質は何処から
出て来たかと云うと、天之御中主神なるところの、○を貫くところの、
宇宙普遍の真理――其処から生まれたところの生命であるのであります。
そして其の宇宙を貫くところの原理は⦿(ス)の原理であり、
中心帰一の原理でありますから、その原理の体現としての日本国は、
中心帰一の理念が天降(あまくだっ)て来て、中心帰一国家 と云う
ものを其処に形成することになったのであります。
理念が先にあって、理念が形として現成して国家となったのでありまして、
人間の個々別々のバラバラが契約をして自分の都合のよいように拵(こしら)えた
「道具」や「機関」としての国家ではないのであります。
 
 大和(ヤマト)の国は「大和(だいわ)の国」である共に、
単なる集団の国ではない、天津日嗣(あまつひつぎ)の国である。
天津日嗣とは、天之御中主神の「中(みなか)」の理念が天降(あまくだ)って
来ることを言うのであります。
日嗣の「日」は「霊」であって「霊的理念」のことであります。
「中(みなか)」の理念をさながらに承(う)け継いで、
そしてその姿が国家として顕われたのが、
「天皇を中心とするところの国家」である。

其処にある天皇の権威と云うものは、
真理の体現者としての権威であって、決して個人が強いから天皇になって、
その権力に依って人民を圧(おさ)えているのではないのであります。
そしてその天之御中主神の理念の実現としての真理国家たる
日本国の中心核体として其処に天皇が顕われていられるのであります
随って天皇を中心と仰ぐ日本国家の形態は、天皇の人民支配の手段としての
国家形態というようなものではないのであります。

だから日本国は「天皇国家」であると云っても専制君主的なところは微塵もなく、
宇宙の真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の理想形態としての
日本国家の形成であります。
天皇あるがゆえに人民あり、人民あるが故に天皇あり、
天皇と人民とはその生命の本源に於て一体であり、
それが、天之御中主神の理念に随(したが)って所を得ているのです。

 どんな細胞にも、どんな電子にも、どんな太陽系統にも、
みんな「中心帰一理念」と云うものが現れているのであります。
国家だけが中心のないバラバラの存在であると云うことは
宇宙意志に自然の発現にそむくわけであります。
その「中心帰一理念」と云うものが、現象界に天降ってきて
自然に中心帰一国家を最も理想的に形成したのが日本国でありますから、
日本の国家は「宇宙真理」即ち「神の御心(みこころ)」の地上顕現の最も
純粋であり、最も高き形態としての国家であるといい得るのであります。

http://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2014-11-25.html
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志恩ー
これは、谷口貴康先生の過去のブログですが、
初めて拝見させていただくご文章がほとんどです。

このブログは、特定の個人限定向けのものではなく、
公に公開したブログですから、引用は自由ですよね。

谷口雅春先生、輝子先生、清超先生、恵美子先生、
お四方の大先生が、そろいぶみで、神界からか、霊界からかは
存じませんが、生長の家の本来の使命のことを、日本国の行末のことを、
見護ってくださっておられます。

今後も変わらぬまま、このままいくのでしょうか、教団は。

誰かこの人に言ってくれ (61640)
日時:2023年11月03日 (金) 06時46分
名前:あなたのは「引用」じゃない。

このブログは、特定の個人限定向けのものではなく、
公に公開したブログですから、引用は自由ですよね。

あなたの「引用」は、文章を丸ごと載せてるからアウト。

長々とコピペして

−志恩
私もそう思います。

↑感想がこれだけのことも。

悪いこと言わないから、もう「引用」はやめた方がいい。

引用のこと (61646)
日時:2023年11月03日 (金) 09時23分
名前:志恩

それでは、娘時代、私のことを、
大変可愛がっていてくださっていた
輝子先生に、心の電話でお聞きしてみましょうか。


志恩「輝子先生、これ引用してもいいんですよね?」


輝子先生「もちろん、いいですよ。」 ٩(ˊ ˋ*)و♪

はぁ? (61649)
日時:2023年11月03日 (金) 12時53分
名前:あなたのは「引用」じゃない

ブログの著作権は、輝子先生ではなく、貴康先生にあります。

あなたは「引用」によって、多くの人に迷惑をかけて懲りてないのですか?

親切心で言っているのに、茶化した対応をされて、とても憤慨しています。

だいたい、このような影響力のある掲示板にコピペされるのは誰もが嫌がります。

あなたは本当にデリカシーがないですね。失望しました。

谷口輝子先生とは、月一で輝子先生を囲む女子職員の集いでは2時間づつ、または個人的には度々、お話しさせていただいておりましたので、輝子先生でしたらこの場合、この問題についてでしたら、どのように対応されるかしらと、真面目にかんがえての投稿でした。ふざけては、おりません。 (61651)
日時:2023年11月03日 (金) 16時00分
名前:志恩

@[若きサムライのブログを発見]

【住吉大神から啓示を受けた谷口雅春先生の御業績を消すなかれ】
(4813)
以下、某所掲示板での書込みを読み拝見。
素晴らしいブログだと思い今後のご活躍を祈りながら紹介します。
*******************
日時:2014年10月05日 (日) 23時20分
名前:日本国実相顕現運動
住吉大神から啓示を受けた谷口雅春先生の御業績を消すなかれ。
下記の素晴らしいブログを拝見して、改めて、その思いを強くしました。

>ここは大切なところです。主斎神を疎かにする宗教に未来はありません。
例えば宗教法人生長の家は、
宇宙浄化の御働きをする住吉大神からの啓示を受けた谷口雅春先生が
始められました。
皇祖神天照大御神の御出御に先立ちまして、宇宙浄化の御働きをするのが
住吉大神のお役目でありますから、宗教法人生長の家はその御心にかなうべく
日本国実相顕現運動を力強く展開して然るべきです。<
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
A  2014年11月25日

[天之御中主神と日本国]

真理国家日本・鎮護国家を抜きにして 
天之御中主神を語ることは中身のない饅頭を作り配るがごとく
愚かなことである。

次の『菩薩は何をなすべきか』における
尊師・谷口雅春先生の言葉を繰り返して熟読したい。

**********************************************************
志恩ー
@、Aとも、真っ当なことを、おっしゃってると存じます。
貴康先生は、ご自分が教団を批判されたと同じことを、信徒が同意しますと
言うふうに、投稿しますと、

それは、著作権が問題だとか、自分は、兄とか父を批判する
つもりで書いたのではないと、おっしゃいます。
同意したコメントを書いた信徒のことを、なぜか批判されます。
正しいご意見なのに、なぜそれを通されないのか、不思議に
思っております。

私のことはいくら失望されても構いませんけれど、
現在の教団の有り様については失望されておられないと
言うことでしょうか。
貴康先生のお気持ちが私には分かりません。

本音の時代様 (61754)
日時:2023年11月13日 (月) 00時11分
名前:志恩

>本音さんの今の1番の願いは何てすか。生長の家以外なら。
(61533)
日時:2023年10月27日 (金)
名前:本音の時代

今もじゅうぶんナマケモノだけど、もっとナマケモノになりたい。

畑と庭があるから、野菜とか花を植えたくなる。草が伸びると処理しなきゃ。庭木が伸びると剪定しなきゃ。地域の行事に協力しなきゃ。寺の行事に協力しなきゃ。小遣い稼ぎのバイトしなきゃ。雪が積もったら除雪しなきゃ。・・・・しなきゃ、しなきゃ。<

志恩ー
本音の時代様は、たしか北海道にお住まいのお方でしたよね。
北海道は積雪の季節を迎えているそうですね。
>雪が積もったら除雪しなきゃ<
とあります。
実生活も何かとご多忙のこととは存じますが、
本音の時代様、トキ掲示板をやめないでいて下さって、とても
嬉しくありがたく存じております。頼りにさせていただいております。
私も、もうしばらくは、やめません。今後ともよろしくご教授をお願い
いたします。

>今後ともよろしくご教授をお願い いたします。 (61758)
日時:2023年11月13日 (月) 08時31分
名前:本音の時代

とんでもないです。
この掲示板には、学ぶことが多いです。
ありがとうございます。

嫌味な投稿? (61760)
日時:2023年11月13日 (月) 09時22分
名前:本音の時代

https://www.facebook.com/groups/297222329902814/user/100070174181683

懐かしい投稿文 (62938)
日時:2024年01月30日 (火) 22時51分
名前:本音の時代

新編『生命の實相』奉賛会への献資 (71)
日時:2013年08月06日 (火) 14時41分
名前:HONNE(本音の時代)

【月刊 谷口雅春先生を学ぶ】を、7月号から購読している。
購読により、いろんな情報が得られる。
書籍『生命の實相』が、日本教文社の在庫以外発行されていないこと(在庫がないものは絶版状態)についての指摘を、生長の家光明掲示板に投稿した経過があるが、この件もあり、私は、新編『生命の實相』奉賛会への献資を躊躇していた。
 このたび、光明思想社は、頭注版『生命の實相』のオンデマンド印刷を実施するようである。(ただし、新編『生命の實相』未刊行の各篇が対象)これで、絶版状態がなくなることになる。問題点は、価格が各巻2,500円であること。経営努力で現在の1,000円に近い価格にしていだだきたいと思う。
 献資のための躊躇案件がなくなったため、献資を実施することにした。
さきほど、10万円を郵便振替してきた。新編『生命の實相』全巻の早期刊行と頭注版『生命の實相』のオンデマンド印刷の低価格化を願って。
10万円かける1,000人で1億円である。奉賛会は、どのくらいの金額の献資を希望しているのだろう。そしてまた、現在の献資合計額や使途についても周知すべきであると思う。
 
【月刊 谷口雅春先生を学ぶ】によると、私が所属していた旭川地区でも、○見○子さんが真理勉強会を立ち上げたようである。教化部で行事があった時に事務局?に○見さんという方が居られたと思う。その奥さんだろうか。ということは、ご主人は他界された?
私が相愛会を退会してから何年たったのだろうか。私以外にも、教団や教化部に違和感を抱き退会しているの人がいるのだろうなと思った。

(当掲載文は生長の家光明掲示板にも投稿しました。)

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/honnenojid/&mode=res&log=65

コピペ (62960)
日時:2024年02月01日 (木) 10時42分
名前:本音の時代

思想結社「八千矛社」主宰 犬塚博英
宗教学者・島田裕巳の近刊『宗教消滅 資本主義と宗教は心中する』 (SB新書)が、宗教関係者の間で話題になっているらしい。戦後急速に拡大してきたわが国の新宗教が、「失われた二十年』という経済失速と少子高齢化の中で急激に衰退し始めているというのだ。各宗教の自己申告資料を基本とする文化庁の「宗教年鑑」で、この二十余年間の宗教信者数の増減を比較してみると、平成二年から二十六年の間で天理教が六十三万入減。PL教団が九十万人減。また立正佼成会の三百二十四万人減には驚く。創価学会は親から子への世代交代がうまくいっている方といわれていたが、国政選挙で一千万票を目指していた集票組織も近年では七百万票を前後。勢いに陰りが見え始めている。
本連載で取り上げてきた生長の家に関しては、二十二年から二十六年の問で信徒数を二割も減らしている。
 こうした宗教の衰退は新宗教のみならず、伝統宗教も同じような状態に陥っている。生長の家のあまりに急速な信徒減少と教義の変容、また「愛国教団」から「左翼環境団体」への変質を筆者は嘆き、本連載を続けてきたのだが、この現象は必ずしも生長の家独自の状況とは言い切れない社会的背景もあるようだ。
 筆者は宗教研究家でもジャーナリストでもない。子供のころから母親の影響で生長の家に慣れ親しんできたことを精神的背景に学生時代から「天皇」「愛国」ということにとらわれ続けてきた。自らを「生長の家の周辺居住者」と自己規定しているが、現教団からも反雅宣派からも、実は「生長の家らしからぬ」迷惑な存在に見えるかもしれない。

反雅宣派の本気度

 三代総裁・谷口雅宣に対しては、特にインターネット上で批判が渦巻いている。いわゆる「便所の落書き」に類するものが多いが、関係者がリークしかとしか思えない内容も散見される。ある友人が教えてくれたのが、次のような書き込みである。〈常に(雅宣)総裁が「防弾チョッキ」を講習会で着用されていると言う声は、各教区の護衛をされている人たちからの声なので、私には、良くわかりません。また、ばかばかしくて、信じることもできません。しかし、何故、身内の守る側から、そのような「噂」(事実?)が漏れて来るのでしょうか。
 以前、生長の家に深い影響を受けたという右翼の大物(殺すという時点で生長の家ではないと思うのですが…)が、生長の家の谷口家の縁者のお宅に「左翼総裁が日本をオカシクしているから、やり(殺り)ましょうか?」と言いに来たそうです。これは、多くの方も御存じだと思います。情報の発信元も当事者も特定されている事実です〉
 どうもこの「右翼の大物」というのが筆者のことを指すらしい。確かに筆者はこれまで生長の家関係者に、「なぜ雅宣の横暴を許すのか。匿名のネット批判しても意味がない。講演中の雅宣に、会場で質問や反論を直接ぶつけてみろ。会場入口でビラ配りや批判演説をすればいい。何なら自宅に押しかけろ」といった意見を伝えてきた事実がある。ただ雅宣を「殺すに値するほど日本をダメにした人物」といった風にはまったく思わない。「お前は裸の王様だぞ」と信者の生の声をぶつければそれで足りる。それくらいの人物でしかない。ただ反雅宣派には、その程度の本気度さえ感じられない。実にもどかしい。何が悲しくて、とっくに生長の家を「卒業」している「周辺居住者」の筆者が、あの程度の人物と刺し違えねばならないのか。「殺し屋」みたいに勝于に人の名前を使うなと警告しておきたい。

田中忠雄と野尻稔


筆者は現在、自らを「生長の家の人間ではない」と思っているが、かつてその教団の中で特に親しく指導してもらったのが、田中忠雄と野尻稔たった。見所があると思われたのか迷走ぶりを危惧されたのか、いま思い出しても深く濃い縁をもらった。

 田中忠雄は生長の家創始者・谷口雅春の弟子の中では特筆すべき経歴。田中が生長の家に帰依したというだけで、思想界、学界における雅春の評価は大きく変わった。田中は明治三十九年、佐賀県生まれ。京都大学文学部哲学科で西田幾多郎に師事。卒業後、京都で英語教師のかたわら同人誌を主宰した。昭和十二年、治安維持法違反で二年間服役。その間、澤木興道に傾倒して禅を追求。出獄後上京し、上智大学でカトリック大辞典編纂に従事する。戦後、谷口雅春の保守愛国思想に共鳴し、請われて日本教文社に入社、編集局長。その後は生長の家政治連合(生政連)会長としても活躍した。
 生長の家の人間で、一般社会においても評価された思想的、学問的業績があるのは、田中忠雄を除いてほかには見当たらない。澤木興道は「宿無し興道」の異名をとりながら参禅教育に徹し、駒澤大学特任教授を兼任、アメリカなど海外への禅普及にも力を尽くした曹洞宗の名僧だが、その澤木の存在を世に知らしめたのも田中忠雄の功績である。
 筆者は学生時代から私淑し、生涯の恩師とした中村武彦の使いで、若き日にしばしば生長の家本部を訪ね、その中で何かと田中に教えを乞うた。私か中村夫妻の仲人で昭和五十年春に結婚した際の、式の主賓の一人が田中だった。私の母や妻の両親は田中の参列と祝辞を格別喜んだ。「幸せとは、魂と魂が“試合う“真剣勝負で激しくぶつかり合って磨き合うことをいう。夫婦で切磋琢磨して魂を磨き合え」という祝辞を、筆者は四十年を過ぎた今でもはっきりと記憶している。
 あと一人、野尻稔。師事したというより、先輩として、筆者を弟のように可愛かってくれた。この人は現教団では忘れられているが、経歴はまったく異色。大正十三年、東京生まれ。医師の父親の勧めで東京医専(現・束京医科人学)に学ぶも、二年修了時に明治大学政経学部に転部。昭和十八年、学徒出陣で北支に派遣される。決戦部隊として待機中に終戦。復員後、非国民扱いされたトラウマで、軍人崩れの博徒の道を歩む。傷害事件などでたびたび実刑を受け、ある市街地開発案件では相手を殺めるも、裁判中に殺人が傷害致死に変わり、七年の刑に減刑されて網走刑務所に送られる。母親が刑務所に生長の家の会誌を送り続け、ある日価値観を一変し、宗教に日覚めた。六年の服役で仮釈放。出獄後、直ちに生長の家の飛田給長期錬成道場の訓練生となり、後に本部講師となる。
 この野尻が昭和四十三年に出版した自伝が『焔の記録』(原書房)である。四十五年、『鮮血の記録』の題名で映画化もされる。主演は小林旭。実話を題材とした敗戦混乱期のドキュメント映画と話題になった。
 生長の家・谷口雅春の教えの根本は、「人間本来神の子、罪はない」という教えである。アメリカにかつて、スター・デーリーという凶悪犯がいて、半月地下牢に吊るされている間に神の眼差しを実感し、それか老囚人の手ほどきで敬虔なクリスチャンに回心する。出獄後は「人間は回心すれば、いつでも変わることができる」と国内外を説法して回った。谷口雅春には『愛は刑よりも強し スター・デーリーの哲学及び宗教』(谷口雅春法話集、日本教文社)という著作があり、デーリーは日本に来て各地で講演も行っている。そして野尻は「日本のスター・デーリー」「生長の家のデーリー」といわれていた。
 当時の生長の家は、全国の刑務所や少年院に教誨師を送り、受刑者の善導、救済を積極的に行っていた。
平成五年、朝日新聞本社で社長と面談中に壮烈な拳銃自決を遂げた野村秋介の『獄中日記』にも、生長の家の教誨師の来訪と問答を楽しみにしていたという記述が随所に出てくる。当然、野村と野尻には交流があった。
 当時、手に負えないヤンチャな生長の家錬成受講生は、野尻が担当していた。一端の不良を気取っている若者が、野尻の前ではおとなしくなる。鉄拳制裁はお手の物。裸になれば立派な彫り物と銃創、刀傷が生々しい。野尻は家族連れで私の結婚式に出てくれた。田中忠雄を講師にした「大夢会」という勉強会にも、私と一緒に積極的に参加した。参議院議員として威勢のよかった玉置和郎も、野尻の前では殊勝だった。ある生長の家の幹部が「君は誰と親しかった」と聞くので、野尻の名を挙げると、「類は友を呼ぶからね」と言われたのには笑った。
 当時の生長の家は、奥が深かった。親が熱心な信者で、その子供が影響を受けた二世や三世が多かった。時折、愛国団体、運動関係者で生長の家に学んだという人に出くわすが、少年院で雅春の愛国書を読んだという経験者も少なくなかった。
 この春、三代目・雅宣が打ち出した生長の家の運動方針は「倫理的な  生活」「ノーミート・低炭素の食生活」「省資源、自然重視の低炭素生活」といった、実に仰々しいものである。そのために自転車部やフェス夕部といった「プロジェクト型組織」を導入していくという。お絵描き教室や高校生の文化祭クラブ活動のようなもので、大の大人がやることではない。職員や関係団体役職者などで構成するそうだが、「名誉を傷つけ、組織を誹諧中傷する言動があった者」は、そのメンバーにはなれないという規約がつくられてぃるそうだ。それだけならば分からないでもないが、「刑事訴追により禁固以上の刑が確定した者」も加入できないという。それならスター・デーリーや野尻稔、またかって生長の家の教誨師に出会って回心した受刑者たちは、どういう扱いになるのだ。生長の家はここまで落ちたかと、嘆息せざるをえない。
生長の家創始者・谷口雅春は「人間本来神の子、罪も病もない」と宣言し、一度は道を誤った人々の魂の救済、人類光明化に熱心だった。なのにその孫の雅宣は、組織運動から前科者を排除するという。これが宗教なのか。
中略

箸休め (62962)
日時:2024年02月01日 (木) 12時31分
名前:元信徒


ちょっと 箸休め
池上彰さんと美輪明宏さんの対話

https://m.youtube.com/watch?v=XudjKl5RWAw

コピペ (62982)
日時:2024年02月01日 (木) 22時37分
名前:本音の時代

2014年08月04日
高知の母は元気です

私の母は数か月前より住み慣れた原宿から高知に転居して静かに暮らしています。
戦時中に焼夷弾の雨から家を祖父たちと護り、山口から上京した父と出会い、そして長く暮らした原宿の家は知人から「お山」と呼ばれる小高い土地にありました。私もそこで生まれ育ち、中学に上るころには本宅から新宅を父や母が自ら設計して子供たちが住みやすい家を新築しました。もう40年以上前の事です。ちなみに家の瓦の色は私の意見を取り入れて下さり海の青となりました。思い出がたくさん詰まった家でしたが、父が亡くなる前に宗教団体に寄付しました。
 父が亡くなってからだと思いますが、母はその宗教団体の役職を離れたのが原因か住み慣れた自宅の家賃を請求されることになりました。寄付した団体から今までの感謝の代わりにお金を請求されることはきっと戸惑われたと思いますが、もともと祖父の代からその団体に生活費を除いたものは定期的に多額の寄付がされていたので、それにならっておられたのかもしれません。
  しかし、いつの日からか私たち子供や孫がその土地に入ることを許さないという予想外の事態となりました。その組織に入っていない人は「部外者」として立ち入り禁止と言うわけです。結果として、母は高い家賃を払いながらも自宅で子供や孫やひ孫にまで会う事の出来ない状態になりました。母の悲しみは深かったと思います。
 一緒にその場所で生まれ育った思い出の故郷は、寄付した団体の監視下に置かれ自由を奪われたわけであります。恩をあだで返されたとはこのことです。母はストレスが溜まったのか体調を崩しました。
 ことここに至っては母を自由にさせてあげたいという姉たちは、姉の住む高知へと母を誘い出して生活するようになりました。母は体調を日に日に改善させ今、悪い夢が覚めたように楽しく自由に暮らしています。
 何よりも自由なのは会いたい人に自由に会えるという事です。あたりまえの権利を母は取り戻すことが出来ました。わたしはそれから高知には二回訪ねていきましたが、なにぶん不便な場所で手元不如意な私たちは頻繁には通えないので毎月畑の野菜や獲れた海産物などを送っています。電話の声も明るく元気なので何よりも安心しています。大雨が高知を襲いましたが住んでいる場所にはほとんど影響もなく安堵しています。これからもっともっと楽しい余生を暮して戴きたいと思っています。

遺訓は正しいのだろうか。判決により、生長の家教団は、教えの根幹である『生命の實相』を失ったのではなく、著作権を持つ社会事業団が出版を認めなくなったからです。 (62983)
日時:2024年02月01日 (木) 22時54分
名前:本音の時代

2014年04月09日
松下兄の遺訓を護ろう

社会事業団の使命、いよいよ大なり!

     公益財団法人生長の家社会事業団  理事長 松下 昭

 戦後、谷口雅春先生が個人救済から日本救国・世界救済の御悲願を実現する壮大な社会事業団構想を発表され、その目的達成のために私財を投じ、御自ら初代理事長として先頭に立たれ生長の家社会事業団を設立されました。

 この事情を知る者なら、『生命の實相』の著作権が社会事業団にあることは明白でした。最初からこの裁判の結論は明らかでしたが、最高裁判決によって、それが明らかになったことの意義は大変大きいと考えています。

 第一に現在の教団の最高権力者が、谷口雅春先生のみ教えを否定し、『生命の實相』の著作権を奪取(だっしゅ)して、 『生命の實相』を闇(やみ)に葬(ほうむ)りかねない陰謀(いんぼう)が、この最高裁判決により排除(はいじょ)され『生命の實相』が永久に護られることになったということです。

 第二に、この判決により、生長の家教団は、教えの根幹である『生命の實相』を失いました。この意味がいかに大きいかを、多くの人は気づいていません。宗教団体として立教の宗教的・精神的支柱を失った訳ですから、現象的な偽物(にせもの)の形は存在していますが、本物の無い抜け殻(がら)のような状態です。「にせものは皆ふき祓へ大空の無きこそもとの姿なりけり」となるのは、時間の経過と共に顕在化(けんざいか)して来ることです。

 第三に、生長の家社会事業団の使命がいよいよ大きくなったことです。つまり、谷口雅春先生の説かれる御教え=『生命の實相』=生長の家の教え=人類光明化運動ですから、生長の家社会事業団は、本物の生長の家を拡大発展させる公益事業としての人類光明化運動を強力に推進する使命を果たして行かねばならないと決意しています。先ず、志を共にする同志・団体と協力して『生命の實相』勉強会・輪読会の会場を拡大します。

整合する教団の説明 (63176)
日時:2024年02月08日 (木) 10時02分
名前:本音の時代

谷口雅春先生をはじめ、谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生への初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税の支払いは認めないとして、日本教文社に同印税の二重支払いを請求した同事業団は、日本教文社から二重払いする理由はないと断られたことを口実に、初版革表紙『生命の實相』復刻版のみならず頭注版『生命の實相』や聖経類、『真理』など同事業団に著作権名義のある34点全ての出版契約を一方的に打ち切る通告をするとともに、初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税の二重支払いを求める訴えを起こしたのが、今回の紛争の発端です。

松下氏は、谷口雅春先生のご愛念によって『生命の實相』等の著作権名義が事業団に寄付されたことを利用して、自ら長年にわたって認めてきた『生命の實相』等の聖典の出版その他の利用についての「生長の家」の管理権限を突如否定し、宗教活動を統括する「生長の家」の関与を排除して、自由に聖典を出版し、“谷口雅春先生が、事業団を生長の家の布教活動の主軸とすることを示している”など虚偽の事実を述べて信徒をまどわし、“反生長の家運動”を起こすべく訴訟に及んだというのが、今回の紛争の本質です。要するに同事業団らは、「生長の家」本部に対立する自分たちの都合の好いように谷口雅春先生のお名前を利用しているにすぎないのです。

https://www.jp.seicho-no-ie.org/news/20120318/

生長の家、新・本流復活掲示板のこと (64433)
日時:2024年04月08日 (月) 08時23分
名前:本音の時代

いわゆる本流の人から掲示板の作成を依頼され管理していました。
本流の方の言葉づかいが荒く思えたので、その方々の投稿を禁止にしたところ、依頼した方も掲示板をさり、新たな掲示板を作成されました。
この掲示板は名称を変え存続していますが、訪れる人もいなくなっています。たまにはメモ代わりに投稿しています。
一時有料メンテナンス料の納付を忘れたため、削除された初期の投稿がありますが、当時の本流の活動を見ることが出来ます。投稿者が多いように見えますが、一人で複数のハンドルネームを使用して投稿する人もいました。

https://bbs5.sekkaku.net/bbs/snihonryuu/page=3001

 (64456)
日時:2024年04月08日 (月) 16時15分
名前:元信徒


懐かしい!

みなさん、どこに行ってしまったのですか。


今も投稿できますか?

 (64458)
日時:2024年04月08日 (月) 19時35分
名前:本音の時代

投稿するのなら、
facebok「谷口雅春先生、ありがとうございます。」の方がうれしいなぁ。
https://www.facebook.com/groups/656096176649360



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