生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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富田隆『オウム真理教元幹部の手記』を読む (62460) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 05時28分
名前:現役会員
富田隆『オウム真理教元幹部の手記』(青林堂、2018年12月27日。ISBN 978-4792606404。)と言う本を読みました。
著者の富田氏は、
1958年青森県八戸市。日本大学理工学部建築学科中退。少年期より空手を学び、心身を鍛錬。後にダンス教師となり、ここで出会った最初の妻とともにオウムに入信。修行に励み、麻原の信頼を得て幹部に。後に松本サリン事件に加わることになる。教団幹部として麻原に接する中、その真実を知り、2度目の妻とともに教団を脱出。地下鉄サリン事件後、出頭。懲役17年の刑期を終え、出所
と言う人です。
この本では、カルト問題だけではなく、その背景となるスピリチュアル問題にも警鐘を鳴らしています。宗教をする人には参考になる部分があります。
以下、紹介していきます。
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カルト指導者 (62461) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 05時45分
名前:現役会員
オウム真理教の麻原彰晃や統一教会の文鮮明のようなカルト指導者について、メディアは「詐欺師」と言うレッテルを貼るだけで、本質的な分析をしていません。これは逆に危険なことです。
オウム真理教でも統一教会でも、これがある程度、大きくなったのはそれなりの理由があるのです。
また、宗教をしている指導者が、反社会的な行動をすることにも納得できない人が多いです。が、これも、富田氏によれば、不思議ではないことになります。
これらは、谷口雅春先生が、「青年の書」のはしがきの最後(7p)に青年に警告をされるなど、ご生前、説かれていたことであります。富田氏は実際にオウム真理教の幹部をしていた人だけに、説得力があります。
実はオウムの大半の者が麻原の霊能力・超能力を信じる原因となったのは、相手の心、考えをピタリピタリと当てるという能力でした。 心理学的技法や予め調査しておいたデータを使うという方法をとらずに、麻原はこれがで きました。 物理的に遠く離れた場所にいる弟子の精神的な不調や悩みを察知して、間を置かずに電話 でアドバイスを与えるということも頻繁に行われていました。 ただし、当たるときの精度はものすごいものがありましたが、その半面、外れたときの 漢さにもものすごいものがあったのです。私自身は、選挙に出馬したころから外れること が多くなりはじめたと記憶しています。 そして私がオウムから逃げ出したころには、その 力はほとんどなくなっていたと思います。 では、この相手の心、考えをピタリピタリと当てる能力を持っていることは、聖者の証明 になるでしょうか?
なりません。 昔から、狐憑きのように低級霊に憑依された者でさえ、相手の心、考えをピクリピクリ と当てる能力を持ったという例はいくつも記録に残っています。 低級霊に憑依された者の中には、他人の財布の中身を正確にいい当てた者もいるのです。 (P85,86)
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麻原は聖者か? (62462) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 06時00分
名前:現役会員
「麻原は聖者か?
もちろん、麻原は聖者ではありません。 霊能力・超能力を使えることと、人格の高さ、人品人柄のよさは無関係です。霊能力・超能力は、ただの能力でしかありません。歌が上手い、足が速いのと同じ、ひとつの能力に過ぎないのです。
また麻原は、非二元の体験を持っていましたが、それは聖者の証明になるのでしょうか。そんなものも聖者の証明になりません。非二元の体験は、解離性症状のうちの一融合体験(自己と他者、自己と自然、自己と神との合一融合を体験する)」と同じです。精神疾患でも体験をするのです。幻覚剤を使えば、比較的簡単に何度でも体験できます。 幻覚剤を使えば、比較的簡単に何度でも体験できます。 こんなものが聖者の証明になるはずはないのです。 最終解説とはマハー・ニルヴァーナへの没入だそうです。 つまりは一融合体験の一種にしか過ぎません。 非二元の体験は、そんなに珍しいものではないのです。 ちなみに「非二元の体験」と「非二元の悟り」は違います。 「非二元の体験」を何度も何度も繰り返していると、初めに強烈な孤独感が出てきます。 さらにそれを繰り返していると、途轍もない寂しさに襲われます。 その寂しさを乗り越えて初めて、心が波立たない「非二元の悟り」に至れるのです。
すでに何度も書きましたが、麻原がシャクティパット、つまり額からエネルギーをいれて相手に神秘体験をさせるという、単独でやるのも大変なことを連続で平然とやってのけてしまうことには驚きました。そういう力は本当にあったのです。 でも、突出した力といえそうなのはそれだけです。 それ以外の力は、他の霊能力者にもできる程度のものでした。 霊能力でも超能力でもかまいませんが、見える人、聞こえる人、いろいろな人がいます。 私はそういう力の存在は否定しません。 ただし、そういう人たちのいうこと、たとえば予言にしてもそれが常に当たるわけではありません。当たりも外れもあるわけで、そういう話は五分五分でしか聞いてはいけないのだと思っています。 それからもうひとつ重要なのは、霊能力や超能力があっても、人間としてすぐれているかどうかはまったく関係がないということです。これは天才的な数学者、物理学者、言語学者などに置き換えても同じことです。 すぐれた研究者や学者がすべて人格者かといえば、絶対にそんなことはありません。 人格と仕事の素晴らしさは違うわけで、霊的な能力にしてもすごい人はすごいけれど、イコール人格者かというと疑問符がつきます。 人格が素晴らしい人は最初からずっと素晴らしいし、駄目な人は最後まで駄目なのです。 麻原の霊能力はインチキではありませんでしたが、人格的にはまったく駄目でした。 食べ物にしても、弟子たちには厳しい戒律を課していましたが、 自分は好きなものを食べていました。また、信者の家族関係は容赦なく破壊しましたが、自分の家族だけは破壊しませんでした。」(p87)
谷口雅春先生が、生前、超能力や霊能力については、これを重視されていませんでした。これは、谷口雅春先生ご自身がそのような研究を長年された結果であったと拝察しています。
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感想 (62463) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 06時31分
名前:現役会員
これは私個人の感想です。
宗教的な修行をしている中で、潜在意識が浄化され、世間的には悪人と言われた人が聖人君子に変貌した例は多数あります。すると、富田氏の主張は間違いとも言えます。
が、宗教的な悟りにより性格が一変した事例は、霊能力や超能力とは関係がないと思います。ここのところを注意しないといけないと感じます。
オウム真理教などの密教系の宗教と生長の家とは教えが違います。が、「非二元の体験」と「非二元の悟り」は違うと言う富田氏の主張は参考になります。
宗教的な体験は大切ですが、体験があるからと言って、それが悟ったと言うことを意味しないし、人格とは直接、無関係です。逆に言うと、宗教をする人は、そのことを常に自覚し、自分の人格面についても気をつける必要があると感じます。
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追伸 (62465) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 06時47分
名前:現役会員
余談ですが、私が接した先達を見ていると、戦前、戦中、戦後すぐの時期、すなわち谷口雅春先生が直接、ご指導をされていた時期に入信された先達は、やはり優れた人格者が多かったと言う印象を持っています。谷口雅春先生が人格者でしたから、その人格の影響を受けたこともあったし、また、そう言う人格者が集まったと言うのも事実だと感じます。
それが、時代を下るにつれて、やはりいろんな人が混じってきたと感じます。東山半之助先生がご著書「ざっくばらん」で、「信仰者ではなく、仕事師が増えてきた」と書かれていましたが、後になると尊敬できない人も幹部には混じってきたと言う印象はあります。
既に昭和の終わりころには、一部の幹部の質の低下を見て、「このままだと、生長の家の将来は危うい」と言う声が信徒から出ていたそうです。
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教義が本物か、狂気を帯びているか (62466) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 07時36分
名前:元信徒
> 谷口雅春先生が、生前、超能力や霊能力については、これを重視されていませんでした。これは、谷口雅春先生ご自身がそのような研究を長年された結果であったと拝察しています。
そうでもありませんよ、時と場合によりそのように仰る事もありましたが、一面で全面ではありません。 谷口雅春先生の御著書に、信徒の霊感のあったご主人の事を詳細に書いておられます。
霊感自体は、 宗教を学び、ある程度行を積み重ねて行きますと、誰でも霊感が開いていくのは、万人が 感じることと思います。
その中で、人間の正しく生きる道に則るか狂っているかのその宗教の教義を判断するのは、霊感では無くて、現在意識の方だと思います。
現在意識を誤魔化して狂気に満ちたカルト宗教に所属して、犯罪を起こしてしまうのは、 本人の判断の間違いだと思いますよ。
生長の家で有名な話しで、真理 と言う谷口雅春先生著書の中に、新潟の小林春江先生と言う方がとても霊感があり、教化力抜群な事、旦那さんが亡くなって、御寺の坊さんに話しかけてきた事、窓の閉まっている部屋に風が吹いて飾りものが揺れた話しなど、沢山書いてあります。 谷口雅春先生は、小林春江先生を高く評価されていましたし、霊感を否定していませんよ。
又、私は、小林春江先生からこれは要らないな、と、思いながら撮影した写真は、 そこだけ白抜けしてしまったと、言う写真を直接見せて頂き、旦那様のお話しも直接聞かせて頂きました。
又、小林春江先生ご自身が霊感があり、本部職員が神想観の先導をするとその方に何か見えて、必ずご指導されていました、 また、練成受講者にご指導される前には、お線香を立てて必ず亡くなったご主人と、高級神霊を呼んでからのご指導でしたから、練成受講者さん達は、皆様救われていきました。
オウム真理教を例に出して、全ての霊感を否定するのは、間違いだと思います。
正しい教義を説き、神授された行法を継続していたら、だれでも第六感位は自然に開けますし、宇治の高級神霊様は、強制力を使って修行者に様々な事を教えてくれますからスゴイです。 オウム真理教の殺人教と比較対象ではありません。
現役会員さんなら、雅春先生の仰る通りに基本行事の行動をしていけば、高級神霊様によって霊感と言う第六感が開かされますよ。強制力を持って開く場合もあります、使命がある方には。
京都の長村芙美子先生も神想観により、素晴らしい教化力を得た。と書いてありました。
練成受講者のアルコール中毒者を祈り、背中から茶色の酒毒と言う液体が流れ出て、それから一切の飲酒癖が消えた体験談などは、圧巻です。
霊感を人助けに使用するか、 社会に害悪を起こす為に使用するか、で変わりますから、霊感自体は良い方に使用すれば 助かる方は沢山出ると思います。
不思議なのは現在の現役会員さんは、 宗教教団に所属しながら、霊感が開いていなさそうな事です。
谷口雅春先生の仰る行を実行していましたら必ず、第六感は開きます。 これは、自身の体験と小林春江先生のお話しから確信しています。 かつて、雅宣先生が霊感が無いと仰っておられましたが、あれは生長の家の信徒の行の怠慢か、下から信徒の積み重ねをしないまま高い位置についたからでしょう。
普通に生長の家をし続けていたら霊感くらいは開くよね。
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(62467) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 08時02分
名前:元信徒
麻原の事は分かりません。
一般的な霊感の話しをしました。
ただ、私は、麻原の場合は全てインチキくさくて、信じる根拠が何も無いです。
最初の第一歩が間違えているから、間違いの拡大としか、、、
霊感と人格や人物は別物ですね、それは同意です。
霊感と現在意識が両方建設的な方向を向いていないと、ロクな事有りません。
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私には霊感は、まったくないのですが、谷口雅春先生がお説きになられている霊感的な力という存在はあると信じております。 (62468) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 12時43分
名前:志恩
霊のつく言葉に、わかりやすいように💚を 私がつけました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 再掲:はうら様のスレッドより
(はうらひとひら様ー) 業を直截破壊する。 (60268) 日時:2023年08月07日 (月) 18時05分 名前:はうら ひとひら
聖経『甘露の法雨』で「神」の項の次に💚「霊」の項が 出てきます。 しかも、その💚「霊」の項の内容は、 「神が神の叡智(えいち)による正しい想念によって 創造された<第一次創造の世界>の💚「霊」の世界では なく、「原因が変われば結果が変わる」三業(さんごう) 身意口(しんいく)の業について述べられている。 身(み)の行いと意(こころ)と言葉が蓄積されて、 業として生まれ変わっても前世のものが蓄積されていて、 ある縁がきっかけとなって、現われる、やっかいなもの である。 💚『霊界』にも現象界と同じように、両(ふたつ)の世界 がある。 「物質の奥に、肉体の奥に、靈妙(れいみょう)きわまり なく完全なる存在あり。」(聖経『甘露の法雨』物質の項) と、「迷い迷いて流転(るてん)せる心はその信念が 形となりて仮の相(すがた)を現(げん)ずべし。」 (聖経『甘露の法雨)霊の項)
因果(いんが)昧(くらま)さず、として原因結果の法則 は厳然として存在する。しかしそれは余りにも厳しい。 過去の身意口の行動も責任を負わされる・・・
(略) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
再掲:『何故外にたよるんだ!』 (61264) 日時:2023年10月04日 (水) 17時38分 名前:はうら ひとひら
(略) 《 直覚力(ちょっかくりょく)というものは実に 不思議な力である。それはたんなる想像力とも異なって 一種の洞察力(どうさつりょく)である。 片鱗(へんりん)を知って全体がパッと明るく頭の中へ 閃(ひらめ)いてくるところの💚霊感的な力 である。・・・・ 直覚力は直接的に物全体に突き入って、そのもの全体を 端的につかんでしまうのである。・・・・ 宗教家にして奇跡(きせき)を知らず、死後を知らず、 生命のいずこより来(きた)りていずこへ到るかを知らず、 科学者にして大なる発明が出来ないのは、 すべてこの 💚霊感的 直覚の欠乏より来(きた)るのである。 すべて偉大なる芸術の創作や科学的発明は 💚霊感的直覚の助けなくして 人間の頭脳知識だけでできるものではない のである。・・・・ 神秘を知らない人間ほど始末におえないものはない。 (略) (『生命の實相』頭注版 第14巻 155〜157頁 抜粋) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 志恩ー 私は、生長の家の教えを生きてまいりましたが、 大事なことは 霊感よりも神感だと思っております。
私と実母が生長の家に入信する前に入っていたところは、 浅野和三郎先生が主催する「日本心霊科学研究所」というところでして、 私も心霊の力で重い病を消していただいた体験がございますから 霊感とか心霊の存在は信じておりますが、「生命の實相」を拝読 しますと、人間の霊魂にもいろいろありますから、自分自身は、むしろ 霊感はない方がいいし、霊には、かかわらない方がいいと書かれてあり ましたので、実母と私は、「日本心霊科学研究所」の方は、きっぱりやめまして その後は、「生長の家」1本で生きてまいりました。
霊界も現象界も波動でできているそうですから、ご先祖様という霊に 対しては感謝すれば、いいと思っております。たとえ、自分には霊感が なくても。
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(62469) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 12時55分
名前:神の子
霊感が有る人は無い人より上位なの?
墓地に行くと赤い火の玉が見える人は赤いスピリット…低級霊と波長が合うからそれが見えるんで、良い事とは言えないんじゃないかな?
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(62471) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 13時44分
名前:元信徒
志恩さん、
霊感と神感の境目はどこなのでしょうか。
谷口雅春先生が、神想観の時に聞いた声は神感でしょうが、 輝子先生が神想観中に観た白髪の老翁は、どちらですか? また、信徒さんが遠隔から谷口雅春先生の執筆中に神様と置き換わられたと、仰っていましたが、生命の実相の中で。 それは、霊感と書かれていたようですが?
霊感と神感の境目とはどこなんですかね? 素朴な疑問のようで、難しい、難しいようで単純かも。
どうでしょうか? ご返信下さい。
オウム真理教の麻原のは、神感か霊感か。
その違いを見抜くには、ズバリ どこが違うのだろうか。 生長の家の方はだまされはしないけど。
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> 霊感がある人は上位なの?
人間には皆、肉体の力と霊の力か備わっていると教えてもらいました。
うろ覚えですが、先祖供養の本に書いていたようです。 上位とかではなく、どなたにも初めからあるもの。
霊的な修行を積むとその力が肉体の力より強くなり霊の事が分かるそうです。
昔の生長の家の方々は、講師でも職員でも霊感の強い人が多かった。
お墓の火の玉って、霊感の無い人でも見るよね。 土葬でご遺体のリンが燃えるそう。と昔は良く言っていましたが、 最近は、雷の発生みたいに電気のせいと言うみたい。
でも、最近では、ほとんど火葬だから火の玉の話は聞かないね。
ちなみに参考まで 学研キッズより引用します。
> 火ひの玉たまというのは本当ほんとうに存在そんざいするのです。しかし、昔むかしからいわれているような、死しんだ人ひとのたましいが光ひかっているものとはちがいます。このことは、ようやく最近さいきんになってわかってきたことです。最近さいきんでは、火ひの玉たまを実験じっけんでつくることに成功せいこうした大学だいがくの先生せんせいもいます。 火ひの玉たまは、プラズマという一種いっしゅの電気でんきのようなものが原因げんいんで発生はっせいします。この火ひの玉たまは、ぼんやり光ひかったり、ゆらゆらと動うごいたりするもので、めったに起おこる現象げんしょうではないようです。火ひの玉たまというのは、雷かみなりのように、自然しぜんの中なかで起おきる電気でんきのいたずらであると考かんがえられ、おばけやゆうれいとは何なにの関係かんけいもないものなのです。
現代では、火葬が主流ですから火の玉の話は聞かないけど、子供さん達にはこのように教えている様子。
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もしかすると (62472) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 13時49分
名前:元信徒
小林春江先生のあの力は、
神感と言うものだったのだろうか?
小林春江先生は、高級神霊から練成受講者をどう救済すれば良いのか、その声を聞いていた様子です。
これが志恩さんの言う神感なのだろうか?
神感は、どうで、霊感と言うのはこう言うものと、違いの詳細を教えてほしいです。
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元信徒様 (62473) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 14時11分
名前:志恩
谷口雅春先生は、神感という言葉は著書に書かれて おられませんでしたが 「天界からの啓示を享けた」と書かれておられました。
それは、神界におられる最高級霊からの啓示を享けられたのだ と思います。
「霊感の力」とは、高級霊からのお導きの力という意味ですから 人間が霊界に行き、高級霊になったお方からの良い霊からの お導きを享けられたのだと思います。神界からではなく。
小林春江先生のように、修行を重ねた伝道一筋のお方でしたら、 そのようなことができると存じます。
私も小林春江先生とは直接、お話したことがございます。 小林先生は、本も出されておられますが、『生命の實相』にも 取り上げられた“山新田のおかか”の心暖まる話などで 有名な先生ですよね。 新潟県出身のお方で、女性ですが修行僧の ようなキリッとされた雰囲気のお方でしたよね。
長村先生とも、先生が原宿本部へいらした時、 何度もお話ししたことがございます。 長村先生の本も読ませていただきました。 「み教えにいのち捧げて」長村 婦美子著 (私の蔵書の中に、今もあります) お二人の先生とも、宗教的で人間的に可愛くて とてもいい先生でしたよね。
元信徒様がお二人の先生のこと、ご存知でいらした なんて嬉しいです。 お懐かしいですね。
話は戻りますが、 信徒であるわれわれは、神想観の時、 心を向けるのは、わが内なる神なのですから そのように祈る時は、霊感ではなく、神感なのだ と自分では、思っております、
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(62476) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 14時47分
名前:元信徒
志恩さん ありがとうございます。
神想観の際の念を神感と、一線を引けば、とても分かりやすいですね。 あの神招歌の元で波長を神様に合わせている時は、内なる神と宇宙に編満する神様がピッタリと同体となり、一つに一致しますから、確かに、それは、神感だと思います。
すると、私が神想観中に観た歳神様の綺麗な龍神様は、神感で観じたものでいいのだろうか。えーい、そうしよう。笑笑 今年2024年は良い事ばかりがありそうです。笑
霊感とは、 霊耳、鼻、口もありますね。
私は、宇治の早朝行事の神想観中に、越後の笹飴を誰かに入れてもらいました。笑 あの感覚も神感なのだろうか?
今だに、その意味が分からないのですが、 どう言う事だと思いますか?
志恩さんも小林春江先生をご存知でしたか。それは、そうですよね、本部でいらしたから、、、 小林春江先生は、練成中は、とても気の張った厳しいお顔をされていらしゃいましたが、 普段の日は、優しい、優しいおしゃべり好きな良いお方でしたよ、いろいろなお話しを聞かせて頂きました。 その中で、前世の事まで分かるようで、私には、「貴女は、前世で良く人を生かして来ていますから、、、」あとは、内緒です。笑 と、教えてくれたり面白い先生でもありました。
普通の本部の先生方も当時は教化力抜群で、個人指導は素晴らしかったですね。
志恩さんの病気は、ちなみにどのようにして治ったのですか? 祈りですか?供養とかですか? ご指導中ですか?
良ければ体験談として聞かせてください。
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神感とは、 (62478) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 15時04分
名前:元信徒
神感とは、 神招歌 の元で内なる神様と一致している時の感覚にいる時に、 観じた感覚 と言う事ですね。
霊感は、 特に、神招歌を歌わない時に五感を超えた感覚を感じる時。 と、言うように分けるようにします、
志恩さん、ありがとうございました。
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元信徒様 (62480) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 19時11分
名前:志恩
私は中2の時に実母と共に、生長の家に入信させて いただきましたが、その前は、
かかりつけの医学博士の桑原博士の紹介で、
実母と私は、谷口雅春先生と友人だった浅野和三郎先生が 創立された日本心霊科学研究所にいました。
しかし、創立されたのは浅野先生でしたが、 母と私がお世話になっていましたのは浅野和三郎先生ご本人 ではなく、その愛弟子で浅野先生の一番弟子と言われていた T大卒で、本職は弁護士で、 日本心霊科学研究所は、趣味でされていた 大変高潔な人格者であった竹内満朋先生というお方でした。
竹内先生は、本物の物理霊媒士でしたが、その降霊会に 降霊していたお名前は、ローム太霊というお方に、 私は、重度の腎臓病で、あと半年の命と、医者に言われている ことを母が話しましたところ、ローム太霊さんが、霊媒士の竹内先生の 口を使って、「ロームが、新しい腎臓をあなたにあげますよ。 だから、あなたの腎臓病は、治りました、病気はもうありません。」 と言いました。
その言葉だけで、 それっきり、本当に、私の腎臓病は、完治し消えてしまったのでした。
別に供養もしていませんし、おはらいもしていません。 薬も飲んでいません。 言葉一つで、ほんとうに全快してしまったのです。 そのような奇跡的体験を私は得ています。
で、お礼に、幾らかの代金を、母が竹内先生に お渡ししようとしましたが、竹内先生は、決して1円も、 受け取られませんでした。
「僕は、本職でお金は稼いでおりますから、お金には困っておりません。 これは趣味でやってるもんで、 商売でやってるわけじゃありませんから、お金はいりません、 お金は、受け取れませんので。」と申されて。 うちだけじゃなく、他のお方からもお金は絶対に受け取っていませんでした。
竹内先生に理由を聞きましたところ、自分は、人助けのために、純粋な気持ちで この自分の霊媒という能力を使っている、金なんかもらったら、波動が低くなって、 高級霊と波動が合わなくなるから、高級霊が降りてこなくなるのよ 低級霊なんかが降りてきたら、嫌だから、金はもらえないのだと言ったそうです。
そして、私が中2の時、実母と私は生長の家に入信し、 母と私は、その後は日本心霊科学研究所へは、行かなく なりました。
律儀な母は、日本心霊科学研究所でお世話になった竹内先生に 『生命の實相(頭注版)全巻』を、先生のご自宅に、お礼にとお送りしました。 浅野和三郎先生のことも書いてある著書ですし、 竹内先生は、『生命の實相』を読まれて、素晴らしい本だと 大変共感してくださいました。
ーーーーーーー 「ローム大霊について」
ローム大霊は、実在の人物だそうです。 BC7世紀にネパール王国の首都カトマンズの 北方百キロのニアク地方に生まれた聖者で、 ヒマラヤ山中で苦行を重ね、宗教改革を志して宗敵と戦い、 馬上で槍に刺されて亡くなったと伝えられております。
ご自身のことを“自分は生前地仙であり、 イエス、釈迦、孔子、老子なども同じである”と仙道での資格を 述べておられますが、死後、修行を重ねて高貴な力と神徳を 得られたために、神霊界では特に大霊と尊称されておいでです。
人間界の昏迷を救済することを使命とされ、 竹内満朋の物理降霊会をメディアとして、 昭和20年代の初めから昭和の終わりに掛けて、 特に選ばれたメンバーを対象とした「幹部会」に降霊して いました。
本も数冊出ています。
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志恩様 (62484) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 21時08分
名前:元信徒
ありがとうございました。
志恩さん、余命半年とは?がんですか? どう言った状態で余命が半年だったのですか。 どんな症状がありましたか。
神霊学会で、新しい腎臓をあげます。 と言われて、何か拝まれ無かったのですね。
なんだか、今は、理解を超えてます。 そんな事、あるー???
不思議、不思議な事ですね。
その後消えたと分かったのはどうしてですか。
いつか会えましたら、詳しく聞かせて下さい。
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元信徒様 (62486) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 21時32分
名前:志恩
志恩さん、余命半年とは?がんですか? どう言った状態で余命が半年だったのですか。 どんな症状がありましたか。
(元信徒様ー) >神霊学会で、新しい腎臓をあげます。 と言われて、何か拝まれ無かったのですね。
なんだか、今は、理解を超えてます。 そんな事、あるー???
不思議、不思議な事ですね。
その後消えたと分かったのはどうしてですか<
志恩ー 私は3歳ぐらいから腎臓病だったのです。 あと半年の命と医者に宣告されたのは、重度の 腎臓病だったからでした。
小学1年生の時は、ほとんど学校へは行かずに 生きるか死ぬかで、病院へ入院していたのです。 小学1、2年生の時は、体育は絶対禁止と医者に言われていて 病院を退院したあとも、学校のかえりがけに先ほど、書きました 桑原先生が院長の個人病院へ寄って、太いぶどう糖の注射を 腕に打ってもらってから帰宅していましたが、だるくて 起きていられなくて、自宅へ帰ると、ほとんど、横になっていたそうです。 でも、ロームさんに、腎臓をもらった、その翌日から、 夏でしたが、小学校のプールの授業に参加しました。体育の授業も 参加しました。腎臓をもらったのは、小学2年生の夏です。
小学校の高学年になり、 私立の中学受験をするようにと父に言われて、自転車で 塾通いをし、運良く、私立の女子中学校へ合格しましたので 都電で通学し、中学3年間、皆勤賞をもらったほど健康に なっていました。中高一貫校でしたのでそのまま元気で 通学しました。私は最近、内科で、内臓を全部診ててもらい ましたがレントゲン撮っても血液検査しても、いまだに無病でした。 頭も大丈夫と言われました。
私の守護霊の一人は、ローム太霊さんかもしれないな、と最近、 ロームさんのことを思い出しています。ロームさんの写真も 昔、みましたが、インド人のようにターバンを頭に巻いた ハンサムな男性でした。笑 紀元前の人ですから、今、何歳の人なのかわかりません。笑
世の中には、信じられないことってあるのものです。 でも、竹内先生は、なくなりましたから、日本心霊研究所は 今は、ないです。
先先代のトキ様に勧められて読みました浅野和三郎先生の2冊の著は 心霊関係の本でしたが、普通に霊界通信している本でした。 「小桜姫物語」と「新樹の通信」。
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(62487) |
- 日時:2024年01月04日 (木) 23時10分
名前:元信徒
生長の家における病気を消す方
抜書きしてみますね。 谷口雅春先生著書 真理2巻 206ページ
信仰はいざと言う時に力を表す
新潟県の小出タケさんは無学であるけれども実に信仰の深い人で、この人に救われた人は、数多いと小林春江さんが、長岡の講習会を終わって、新発田へ行く途を、記者の中で言われた。小出さんは「 お腹に雁(癌)がおろうが、鴨がおろうが、鳩がおろうが、人間神の子だからそんなことを心配いらん」と言うような調子で、直腸癌と診断されて心配している患者を治してしまったと言うのである。
全然病気の存在を認めない。信仰の深い人の言葉は、ちょうどキリストが「死せずにあらず、眠れるなり」と医学的診断と全然異なることを断言して、ラザロを復活せしめたと同じように、「 癌 」を「雁」語呂合わせしながらでも治すことができるのである。
ある日、小出タケさんは、稲架けにかけておいた1段18畝の稲を全部一晩中に盗まれてしまった。家人が慌て騒ぐのを制して、「 稲は、盗まれても、心まで盗まれるなよ 」と言って平然としていたと言う。
小出タケさんみたいな純粋な信仰のある所には、神様の徳がそのまま現れてくるのでしょうか。
先に志恩様の返信が投稿されていらしゃいますが、まだそれは、読んでいない前にこれを 書いて投稿します、志恩さんのご返信ありがとうございます、投稿後に読ませて頂きます。ありがとうございます😊
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- 日時:2024年01月04日 (木) 23時24分
名前:元信徒
志恩様、
まあ、ビックリ‼️です。 毎日、元気にズンバに通っていらして、スーパー元気な志恩さんがそんなに重病でしたとは、、、腎臓は、水がたまる病気ですから、生まれた子供や愛する妻をおいて行かなければならなかったお父様の悲しみの感応であるかもしれませんね。
ロームと言うのは名前でしたか。 ご紹介の御本が図書館にあれば、読んでみたいです。
霊感の事、調べてみたくなりました。笑
それにしても、不思議な事だらけですね、この世界は。
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続き (62500) |
- 日時:2024年01月05日 (金) 21時44分
名前:現役会員
生長の家では最近、「石上げの行」と言うものを始めています。これは、スピリチュアル系でも、かなりアニミズムの色彩の強い行です。
この行の発案者は総裁です。発案をした、と言うことは、これまで自分でも実践し、それなりの自信があるから紹介したと思われます。実践をしたと言うことは、総裁なりに研究をし、勉強もしたのでしょう。ひょっとしたら、ある種の神秘体験をしたのかもしれません。
ただ、石あげの行は、谷口雅春先生の教えとは関係がない内容です。すると、自然主義的なスピリチュアル系統の霊魂の影響を強く受けていると想像できます。彼なりの神秘体験をした上で、ある種の啓示を受けてこの儀式を組み立てたのでしょう。さらに言うと、彼の現在の指導霊は、生長の家の大神ではなく、ある種のスピリチュアルな霊魂である可能性が強いと感じます。
これは危険なことだと思案しています。生長の家の大神ではない指導霊がついた場合、その正邪はわかりません。正体不明な指導霊に導かれることは危険です。
その危険性について、冨田氏が麻原彰晃を例に挙げて警鐘を鳴らしているので、紹介します。特に最近の総裁が、教団運営でも安全保障でも現実離れした空理空論を展開していることや、ご母堂の葬儀にも出席されなかったことは、参考になると思います。また、教団内で総裁の教えを忠実に実践して、様々な不幸に遭遇している人を何人も見てきています。
私は、総裁の人格まで否定するつもりはありません。総裁は人間的には真面目な人だと思います。ただ、谷口雅春先生の教えを継承する考えが薄いとは思います。それで独自の行を模索しているうちに、石上げの行にたどり着いたのでしょう。ただ、「審神者」もなく、独自で霊感を受けることは危険です。後、これは私の個人的な印象ですが、総裁は、自分が正しく、他者が間違っていると言う意識を強く持っているような発言をされることが多いと感じています。こう言う心境である場合、かなり個性的な霊がつくことがあります。
私は、現在、総裁が、善意であることは疑いは持っていませんが、総裁が正しいとはつゆほども感じていません。問題は、総裁よりも、総裁の後ろにいる指導霊であると思います。が、その指導霊を引き寄せているのも総裁ですから、やはり気がつかれるべきだと思います。
そのことも付け加えます。
「まず現実ありきです。 現実を見つめることなくして、スピリチュアルなどありえません。 神秘体験の多い者にとって、神秘体験を多少したからといって、それが現実世界にさほど影響をもたらさないのは自明の理です。 現実を動かすには、それなりの手段が必要なことを知っています。 神秘体験の少ない者は、たとえば非二元の体験をすると、宇宙の実相を悟ったと思い込み、宇宙の中心に自分がいるというような間違った唯我独存に入ることが多いようです。そして不都合な現実は無視して、悟った自分の思うがままに世界は動くなどと主張して、信奉者を集めます。
それに対し、神秘体験の多い者は、非二元の体験などたびたび経験する現象のひとつに過ぎず、非二元の体験をしただけでは駄目で、それなりの行動・実践をして初めて現実が動きだすということを知っています。
ただしこれはビジュアル系、つまりは見える系・感じる系の神秘体験についていえることです。 これが聞こえる系になると、少し事情が変わってきます。 神仏の声を聞くと言う体験をすると、それが本当に神仏の声なのか、それとも低級霊や邪神の声なのか、聞いた本人だけでは判断がつかない場合が多いといえます。 しかも低級霊や邪神が自らを低級霊や邪神だなどというわけもなく、必ず高位の神仏を名乗ります。そのため、聞こえる系の多くの人は、自分に話しかけてくれているのは高位の神仏だと心から信じているのです。 有名な寺社に行って感得した場合でも案外、低級霊や邪神の場合が多いのが現実です。 そのために必要になるのが、その神が本物かどうか、どんな霊界の存在なのかを客観的に見定めてくれる審神者です。 麻原も自分に語りかけて来るのは高位の神仏だと、心の底から信じていたのだろうと思います。 現代では審神者としての能力がないくせに、知識があるだけで審神者をしてしまう人が多いようですが、 これは恐ろしいことです。 スピリチュアル系の人々の中には、頭の中がお花畑の人が多いように思います。 自分が相手に害意を向けなければ、相手も自分に害意を向けてこない――この言葉は一面の真理ではありますが、これを使いこなせたのはイエス・キリストやマザー・テレサのよう深い愛をお持ちの方たちだけです。 多少スピリチュアル系の修行をした程度の者が使いこなせるほど、甘いものではありましてこれを国際的な外交の場で使えると主張するのは、愚の骨頂です。 自衛隊があるから大陸系や半島系が反発するのだとか、単純な反アメリカ思想だけで米軍は出ていけだとか。国を何だと思っているのでしょうか。 それでも外交の場でも使いこなせるというのなら、自分の家にいっさいの防犯をせず、 害意がないということだけで泥棒の侵入を防いでみせるとか、 無差別殺人者が暴れている場面を害意がないということだけで鎮めてみせるとか、今まさに強姦魔に自分が襲われようとしているときに、 害意がないことだけで助かるとか······そんなことができて、はじめていえる ことでしょう。 スピリチュアル系の頭の中がお花畑の人は、家族や知り合いとの仲が上手くいっていない人が多いといわれています。 まず自分の家族や知り合いとの関係を、スピリチュアルで何とかしてから話すべきです。 理想を述べる前に、目の前の現実を直視するべきだと思います。 波動が高いとか低いとかいうのは、そのあとのことです。理想を述べる前に、目の前の現実を直視するべきだと思います。 波動が高いとか低いとかいうのは、そのあとのことです。 スピリチュアルで幸せになっているのは、本を書いたり、講演をしたり、人を集めたりしている人がほとんどです。 それ以外の人は、幸せになれず、幸せの周りをウロウロしているだけです。 波動が高いとか低いとかいっている時点で、己は他人より上だと思っているわけで、そんな選民思想を持っている己の醜さに気づくべきでしょう。 それを無視してしまうなら、麻原と何ら変わらないメンタリティーの持ち主だということです。 これがオウムにいて、犯罪者にされた男からの忠告です。
大本教の開祖である出口なおは、極貧の中で苦労に苦労を重ねた末に、神降ろしをしてもらい神を感得して霊能者になったそうですが、これも解離状態の中で得た能力だろうと思い ます。また、日本人特有の信心深い心の持ち主だったからこそ、正しい神が憑いてくれたのだろうと思います。
しかも出口なおには、出口王仁三郎という最高の審神者がいたのです。(以下、略)
(94Pから98pまで」
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旧トキ掲示板での、初心者様語録を思い出しております。 (62509) |
- 日時:2024年01月06日 (土) 02時32分
名前:志恩
旧トキ掲示板での 「初心者様語録」を読み返してみましたが、 正直に申し上げますと、 私は雅宣総裁と、初心者様とに対しましては 共通の感覚を強く感じております。
だから初心者様は、総裁だということは、 申し上げませんが。 共通の感覚は、お持ちのように感じております。
初心者様は、「実相独在」という言葉が大嫌いだと 書かれてました。
自分は、アーノルド・ミンデルのシャーマニズム、タオ、アミニズムが 大好きで、神想観はしていないが、ドリーミングという瞑想はいつもしている。
自分はすでに、他者からのコンタクトは得ている。 (霊界通信のこと) そして、いつも幸福感に満たされている。
これからの生長の家は、タオ、アミニズムの縄文時代の生き方を やってゆくべきだ。
真理探究と救済は、両立しない、 自分は救済は、できないので、しない。 真理探究は、続ける。
そして、 初心者様は、一見、生長の家の実相哲学を大否定しているような 谷口雅春先生否定の数々の発言をなさり 当時、トキ掲示板にて、
「今後の生長の家は、どのような方向へ持って 行ったら良いか、広く皆さんの声を聞きたい」
ということも個人であるといいながら 総裁であるかと思えるような発言を トキ掲示板にてされておられました。
生長の家の今後の歩むべき道を、個人だと言いながら まるで総裁のように、真剣に模索されてもおられた不思議な 人物でもありました。
雅宣総裁は、生長の家関係の掲示板など見ていない、 とトキ掲示板へ出ていらして書く人がいましたが、 以前から雅宣総裁も北杜市の教団本部も生長の家系掲示板を見ている ということは、知られていることです。
タオ、アミニズムは石を拝むことも入る考え方です。
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