生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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徳久克己先生が語る玉置和郎氏 (62568)
日時:2024年01月09日 (火) 21時41分
名前:本音の時代

幸福への道 12 生長の家 徳久克己 から (2:35:30から視聴できます。)
https://www.youtube.com/watch?v=-PGhTEn7BhU&list=PLaAZn5kNrmt6-bVanllJxUMVkjnzYwjzf&index=12

あの人は、おもしろい人ですよ。
いまから、玉置さんというのはね
だいたい一番さきに生長の家に来たのは
三木さん、前の総理大臣の三木さんが
生長の家を読んでいた、青年時代から読んどったから。
玉置さんが剣かばっかりしてしょうがない。
「お前、ちょっと谷口先生のご講習に行ってこい」と、行かせたんです。
その時から心が変わったんですよ。
最初は生長の家を利用して参議員になろうと思ったんですよ。
(略)
あの人はね、落選して落ちた時、その次から第2回目の時に
「玉置さん、あんた今度参議員にでるのか」と僕が言ったのです。
まだ若い、40歳くらいの時ですね。
「そりゃ先生、出たいけど誰も出ろと言ってくれない」生長の家でね。
「それじゃ、みんなで早く決めて、あんたを参議員に決めて早く運動しないとまた落ちるよ」
私が色んな方に申し上げて、谷口先生にも申し上げてね。玉置さんを出そうと決定してね。
で、とにかく玉置さん知らないでしょ。
それで僕と一緒に歩こうと。私となら人が集まるし。
ブラジルに先生と一緒にいった時の、今からずいぶん前の世界一周された時の、
8ミリ、16ミリの映画を持って、玉置さんと一緒に行ったんです。
そしたら、重い映写機をかついで、僕のしたになってね、政治家なのに一緒に来てくれましたよ。
玉置さんがね、僕が総理大臣になるまで先生のカバンを持たせて下さいってね。
と、そういう気持ちでいてくれるんです。
本当にあの人と一緒に歩いて、
僕は
「玉置さんね、生長の家で、とにかく、あんたがもし生長の家を利用してね、当選してね、
生長の家をあざむくようなことがあったら、私が承知せんぞ、私が承知せんより、
神様があんたを生かしておかんよと私が言ってね。本当に神様を利用する行為を持ったら
絶対ダメだよ。そんな気持ちで信仰を持って代議士になったら何の役にも立てんよ。
政治家としてでることができないのだから、本当に生長の家を信じて信者になりなさい。
よく話してね、今、素晴らしい信者になってくれているんです。あの人は素晴らしい人ですよ。

谷口雅宣総裁は素晴らしい信者と言えるだろうか。 (62595)
日時:2024年01月12日 (金) 00時00分
名前:本音の時代

徳久克己先生が語る玉置和郎氏

>本当に生長の家を信じて信者になりなさい。
>今、素晴らしい信者になってくれているんです。あの人は素晴らしい人ですよ。

『玉置和郎の遺言』から
〇昨今生長の家の御教えの有難さがようやく判りかけてきて坐り祈る事の欣びが理解できるようになった。
〇昨今、谷口雅春先生の偉大さが偲ばれてならない。私の人生に最も大きな影響を与えて頂いた大恩人であり、知性では田中忠雄先生である。私の後継者は先ず良い師をまた良き友を求めよ。
〇私の後継者は「生命の実相」を熟読しそのうえ長野の活禅寺に参籠し中条無形老師の教化を受けよ。

谷口雅宣総裁にとって師は誰なのだろう。
谷口雅宣総裁にとって『生命の實相』はどのような存在なのだろう。
雅宣さんは確かに生長の家総裁ではあるが、生長の家信者とは思えない。
不思議なことに、生長の家信者とは思えない指導者に、生長の家信者と称する人々が追随して行くのである。

本音の時代様 (62598)
日時:2024年01月12日 (金) 04時25分
名前:志恩

生長の家教団の創始者は谷口雅春先生ですのに、
数年前からだそうですが、今年の教団のカレンダー
(日めくり、真理のことば)にも、
谷口雅春先生のお言葉を、ただの1つも入れない
谷口雅宣総裁監修のカレンダーが発売していること
1つとっても、

今の生長の家は、元々の生長の家の御本尊である
住吉の大神様を祀らず、造化の三神様を祀っていること、
でも、

元々の谷口雅春先生の教えを継承していないことは
明らかです。

このように生長の家が変わり果ててしまった時代に、
谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代のお懐かしき
大物の本部講師でいらした亡き徳久克巳先生のご講話の
ユーチューブを
ご紹介して下さったり、

同じ政治家でも、最初は、生長の家を利用するために
生長の家に、近づいたそうですが、練成会に参加されたり
「生命の實相」を読まれたり、谷口雅春先生のご講話を拝聴されて
感動され、本物の生長の家の信徒の心になられて、生長の家
から参議院議員選挙に立候補され、見事、当選、政治家に
なった玉置和郎さんのことばもご紹介くださり、
徳久先生のご講話を拝聴しながら、胸が一杯になりました。

谷口雅春先生時代からの、
本物の生長の家のお方のお一人である本音の時代様が、
あきらめずに、トキ掲示板へご投稿くださって、大変心強く
ありがたく思っております。

引き続きのご投稿、
私もトキ掲示板の1投稿者ですが期待しております。




志恩さんへ (62605)
日時:2024年01月12日 (金) 11時04分
名前:本音の時代

いつも私のスレッドに書き込みいただき、ありがとうございます。

生長の家教団の退会者が増えているようなのですが、それでは教団は良くならないと思います。教団の中には『生命の實相』勉強会もあるようですが、そのような場と参加人数が増えていけば良いと思います。生長の家教団は『生命の實相』の善き言葉を広めるために作られたようですから、そのことを信徒の皆さんが再確認してもらえば、きっと変わるのだろうとも思うのですが、生長の家に関わる方は私を含め高齢者がほとんどなので、新しい試みには興味がないようにも思います。
その方々は、生長の家に何を求めているのでしょうかねぇ〜。
かつては教団には、人格者や求道者がたくさんいて、その方々の話や文章が自分を向上させてくれた。
実際、自分が向上したかどうかはわからないけれど、そのような雰囲気は好きです。

本音の時代様 (62608)
日時:2024年01月12日 (金) 15時21分
名前:志恩

私は、雅宣総裁と純子様のFBは、毎日、拝見いたして
おりますから、いいねを押している人数が、どのくらいで、
コメント、シェアを押している人数がどれくらい、おられるか
ということは、私もよく存じております。

でも、そのようなことは、気にされなくてもいいと思います。

トキ掲示板へ、自分の意見を書いて投稿することも、
1つの光明化運動の一環ではないかと思っておりますので。

私たちは谷口雅春先生のことを知る古くからの一信徒達に
過ぎませんけれど、あきらめずに、たゆまず、
今日まで投稿を続けておりますゆえ。

私は、娘時代は、鞄やハンドバックに、いつも神誌を数冊入れて
おりまして、
例えば、帰宅途中の電車の中ででも、隣に座った人には、必ず
伝道しておりました。お風呂屋さんに行っても番台に座っている
おばちゃんに伝道していましたし、知ってる人に、道で出会っても
必ずと言っていいほど、伝道していた伝道魔でした。

もちろん中学校時代でも高校時代でも、友人たちにはいうまでもなく、
担任の先生に伝道して、熱心な生長の家の信徒になって下さった男の担任
の先生もおりました。

高校2年生の時でしたが、校内で、弁論大会がありまして

(それは、引っ込み思案で無口だった私が、飛田給の高校生練成会に
参加して、積極的な人間に大変身した後のことでしたので、)

あの時代は、日本国中が、共産主義が跋扈している
安保反対の学生運動も盛んになり始めていた時でしたが、
私はクラスの皆に選ばれて、全生徒、全職員、が集まった
東京都 神田 一ツ橋にある
共立講堂において、「天皇愛し、祖国を愛そう」という題で、弁論大会に
出場しまして、皆の前で、演説しました。

その時、審査員の中に、クリスチャンでありながら、生長の家の熱心な
信徒でもあった鳩山薫校長がおりましたためか、第3位に選ばれ、クラスに
戻りましたら、クラスのみんなに拍手で迎えられた光栄な体験もございます。

私が高校2年の終わり頃だったと思いますが、
生長の家原宿本部会館内の地下に、生長の家東京都支部の
事務局ができまして、本部講師の先生方から、
生長の家高校生連盟を結成するから、初代、副委員長に
なってくださいと私は要請されましたので、お受けして、
私は、初代・東京都高校生連盟の副委員長に就任しました。

その頃から私は、会う人ごとに、生長の家の本を献本しておりました。
そして、生長の家の練成会への参加も熱心に勧めておりました。

でもそれができたのは、教団の練成会や講習会に
胸を張って、お勧めできたからでした。

谷口雅春先生の本物の実相哲学が、
あの当時は、生長の家に、確立していたからでした。

でも、今は、講習会も練成会も
お勧めできません。

私自身が、石上げの行とか、ノーミートを
前面に出している教団の運動方針に、共鳴できないでいるからです。

かといって、社会事業団も学ぶ会も、個人である阪田先生に対して、
裁判ばかりやっている怪しげな団体なので、いまいち、信用できません。

ですから、今、現在は、
どのように、していいかは、私にもわからないことですけれど、

ひとまず、トキ掲示板へ投稿する事だけでも、かなり多くの方達が
閲覧して下さってるみたいですから、投稿しないよりは、投稿した方が、
神様のお役に立っているのではないかしらと考え、それを信じて投稿させて
いただいている状態です。

多い時は、トキ掲示板へのアクセス数は、7,000を超えていますが、
今回は、5,977でした。

でも上位、100まで載せるというブログの中で、今回は、第3位でした。

閲覧してくださる方々がいて下さって、どんなにありがたく思っているか
しれません。皆様、みて下さって、ほんとうに ありがとうございます。

本音の時代様の真摯なコメントも、大きな力になっていると
思っております。

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12位  1,588point 谷口雅春先生に帰りましょう・第二

https://bbs.sekkaku.net/rank.cgi?2023-11-16.ref
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が通学していました私立中高一貫校の校長先生は、
鳩山薫先生でした。
鳩山薫先生の夫は、鳩山一郎総理大臣。
鳩山薫先生は、元はクリスチャンでしたが、熱心な生長の家の
信徒になられまして、当時は、お忍びで、お山の誌友会にも参加
されたり、お忍びで、原宿本部へ、谷口雅春先生ご夫妻にご相談に
いらしていました。文京区音羽邸の離れで、毎月、白鳩会支部会も
開催されていました。

ですが、鳩山薫先生の、三代目の孫の政治家になり、総理にまでなった
鳩山由紀夫は、実にバカなやつでした。

私は数年にわたり、個人的に、お正月に、毎年、音羽邸に
鳩山薫先生に、新年のご挨拶に伺っておりまして、先生と
親しくお話ししていました。鳩山薫先生は、お写真でも
わかるように気品に溢れた気高い雰囲気の美しい
お方でした。

当時の 鳩山 薫先生

徳久克己先生にまつわるお話○平成26(2014)年11月開催「経営トップセミナー」(本部練成道場)の講話より○ (62621)
日時:2024年01月13日 (土) 06時26分
名前:志恩

「女性経営者,繁栄ストーリー」より

素晴らしい人生を!
2015年5月16日

東京第二教区栄える会会頭 小池 光子

(小池光子ー)
有難うございます(拍手)。私は地元の調布市に住んでおりまして、小さい頃に飛田給道場によく遊びに来ておりまして、先程お話しになりました、徳久克己先生のご長男である、徳久日出一さんとは、お相撲を取ったりして遊んでおりました(笑)。

別室でお話を聴きながら、幼い頃からの色々な事が思い出されました。様々な体験が私の身体の細胞、心の細胞に染み込んで私の人格が形成され、現在の私があるんだなあと思い、感謝の想いに満たされました。

徳久克己先生に導かれた母
私の父は戦死いたしましたので、私は父の顔を知らないのです。私は3人姉妹の末っ子ですが、母は夫を亡くして、これから一人で育てて行かなければならないという辛い時期に、生長の家のみ教えに導かれたことは、母は勿論、私達子供にとっても大変有難いことでした。母は昭和39年まで履物屋を営み繁盛しましたが、40年からは不動産業に移り、現在の(株)とみや不動産に至っております。

母にとって幸せだったことは、飛田給道場があったこと、そしてそこに徳久克己先生が居らしたことでした。昭和25年頃から、母は毎朝毎朝、降っても照っても4時半に起きて、真っ暗な道を自転車を漕いで、飛田給道場の早朝神想観に通っておりました。毎朝一番早く道場に着きますので、母が道場のドアを開けておりました。そして『生命の實相』に説かれている、「人間・神の子、無限力」の素晴らしい真理を、徳久先生がやさしく説いてくださることによって、母の心に真理がどんどん染み込んで行ったのでした。

徳久先生は、生長の家の基本である、「認めて讃める」ことによって、母を導いて育ててくださいました。「飛田給道場のドアを初めに開けるのは誰だと思う? それは小山ヤエさんだよ」と言って、皆さんに発表してくださる。皆さんの前で、認められ、讃嘆されて、歓びと感謝に満たされた母は、どんどん、魂が生長して行きました。

ある時、道場の畳が汚れて来たことに気づいた母は、「何とかしなければ。気付いた私がやればよい」と思い、畳の取り換えを申し出ました。昔はその様に出来たのですね。それで自分で職人さんも手配して、畳を取り換えさせていただきました。

すると徳久先生は、皆さんの前で母を紹介して、「この人は偉いんだよ。道場の畳を取り換えてくれたんだよ」と讃えてくださる。そして母の話を聴いてくださり、「今日も寒かったろう、気をつけて帰るんだよ」と気遣ってくださる。本来なら苦しい、辛く寂しいはずの母の心に、自分を認めて讃えてくださる徳久先生の導きによって、母は喜びと嬉しさで明るい心になり、私達子供にも明るく優しく接してくれました。そのお陰で、私達も自然と生長の家のみ教えに導かれて来ました。

突然の夫の死
母の実家は農家でしたので、食糧不足の時代であっても、私達は食糧の心配をすることなく、母の愛に守られて幸せな日々を送って来ました。そして「人間神の子」と言われて、時には反抗しつつもこの教えに導かれて、生長の家青年会の活動もしておりました。その活動を通じて、同じ青年会員であった夫と縁あって結婚し、長男にも恵まれて、毎日をルンルンとした気持ちで、幸せ一杯に送り、「この人生は順風満帆、絶対幸せに決まっている」と思っていました。

ところが昭和59年の4月18日、スキルス性胃癌に侵された夫が天国に召されるのですね。雪が一杯降る日で、子供はまだ小学校4年生でした。それまで人生の優等生だった私は、ドカンと奈落に落ちてしまい、家の中で涙する日が続きました。

ダイヤの価値は何で決まるか知ってる?
そのような私の生活の中で、壁に掛けてあった谷口雅春先生の光明の言葉が、目に留まりました。それには、「世の中に無駄なものは一つもない。困難さえもその人に知能を付与する」と書かれてありました。

涙で乱反射するような毎日でしたけど、その言葉を何回も何回も何回も読み返しました。こんな困難はあるはずがないと思っていた、その悲劇のどん底にいた私は、「こんな苦しみに居る私に、神様はどんな智慧を与えてくださるのかしら」と思って、何回もその真理の言葉を反芻しました。

その頃、ちょうどバブルの時期でしたが、姉の友人が訪ねて来ました。この方は宝石がとても好きで、大きなダイヤの指輪をしておられました。そして私に「小池さん、これ良いでしょ。ダイヤの価値って、どこにあるのか、解る?」と言われたんですね。「解りません」と言うと、「石の大きさが同じでも、カットの仕方で価値が違うのよ」と。精巧にカットしてあるほど、その輝きが違うのだということなんですね。

「ああそうか」と思ったんですね、ここが私の素晴らしい所なんですけど(笑)、ダイヤは切り刻まれて美しくカットされ、磨かれて、それでこそ素晴らしく輝くのだなと思った時に、「私の人生も同じだな」と思ったのです。ダイヤの気持ちになれば、カットされる時にさぞ痛かったろうけれど、カット数が多いほど光り輝く。そのように私も、「色々な体験を積むほどに、今は辛い経験を味わっているのだけれど、人間神の子、光り輝くんだー」と思ったんです、その瞬間、それからの私の人生は変わりました(拍手)。

『無門關解釈』の「趙州勘婆」に学ぶ
ある時、栄える会の輪読会で、『無門關解釈』の第31則の「趙州勘婆」を読んでおりました。どのような内容かと言いますと、昔、中国に五臺山という山があり、お坊さんは修行のためにその山に向かうのですが、途中に茶屋があり、そこで道は二又に分れているのです。それでどちらの道を行ったらよいかと、茶屋のお婆さんに尋ねるけれども、お婆さんは誰に対しても「道か、道なら真直ぐ行けよ」と言うばかりなのです。この公則の内容はもっと続くのですが、その時に私は「真直ぐに行くというのは、神様の道、誠の道を真直ぐに行くことなのだ。私はその道を行こう」と思ったのです。

その時に、主人が亡くなった葬儀の時に、物凄く皆さんに良くしていただいた事を思ったのです。生長の家の人は勿論、主人の大学の友人、職場の人達、近所の皆さん、全ての人に本当に良くしていただいて、「なんて素晴らしい主人だったのだろう」と、強く思ったのです。

悲しいどん底だったんだけど、心の底から、「なんてありがたい事なのか」という感謝の想いが、ワーッと湧き出して来たのです。一人一人に「ありがとうございます、ありがとうございます」と言って廻りたいほどの自分になったんですね。

この人生の分岐点の時に、「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」と、大調和の神示の中に示されていますが、感謝したら、必ず救われるわけですよ。「分岐点を行く時に、無上なる感謝というものがピタッとつくと、それがどんどん神様の方へ行くんだ」と、その時私は確信しましたね。これは私の大発見であり、「真直ぐの道」へと歩み出したその一点でしたね。

人を励ます言葉の大切さ
生長の家では、言葉というのは、想念と、発生音と、表情とを合わせて「コトバ」と言っておりますね。仏師は、鑿(ノミ)によって仏像を彫りますが、人は今述べた3つの言葉によって人格を彫るんですね。だから言葉というのは大切なものであり、重いものなんですね。自分自身にも、人にも、明るい言葉、元気の出る言葉、励ます言葉を大切にして、良き運命を創って行かなければならないと思います。今日のテキストである谷口雅春先生著の『栄える生活365章』の24頁「自己が変れば世界が変る」を読ませていただきます。

繁栄の為には吾々は“明るい性格”を有たねばならない。人生に対する積極的な生活態度、進んでやまざる向上精神を養わねばならないのである。何を見ても、その欠点を見て、ものを崩してかかるようなケチな態度から一転して、何に対しても美点を見つけ、それを生かし育てて行くような建設的な精神を育てることが必要であるのである。このような生活態度と精神とが養われて、はじめて、人は新しき一層よき生活を期待することができるのである。

このように書かれておりますね。生長の家の教えを学んだならば、まず「自分は神の子で素晴らしい」と思い信じること。次に、すべての人は神の子であるから、「どんな状態が現われていても、相手を神の子として観られるような自分になること」、これが絶対条件なんですね。さらに、

人生の主動者は外にあるのではなく、自己にあることを知らねばならない。自分自身の「人間」が「変る」ことによってのみ、自分の周囲の世界が「変る」のである。自分の心が輝いて来て周囲が明るくなるのである。自分自身が世界の灯台とならなければならないのである。しかも、自分が「変る」ための根本は、人間は神の子であり、本来清浄であり、本来罪なきものであり、本来完全なるものであることを知り、心の奥底から劣等感を根絶しなければならないのである。

このように書かれておりますね。私も夫を亡くして悲しみに覆われていた状態から、やっと元気を取り戻して立ち直りつつあった時に、町で、90歳過ぎの方にお会いしたんですね。それで明るくご挨拶しましたら、上から下まで私の顔をじっと見て、「あんたも、気の毒だねえ」と言われたことがあるんです。やっと立ち直りつつあった時に「気の毒な人」というレッテルを貼られて、とても悲しい思いをしたんですね。ですから私は、例えば東日本大震災で沢山の方が亡くなられた、確かにお気の毒ですよね。けれども、健気に悲しみのどん底から立ち上がられて、力いっぱい復興に向けて働いていらっしゃる。その方々に対して、いつまでも「お悔やみ申し上げます」ではなくて、「あなた偉いわねえ、頑張って素晴らしいわねえ」と、讃える言葉でもって対することが大切だと思うのです。大震災に遭われた方々は、今のような生き方ではいけないという事を教えてくださった観世音菩薩であると、生長の家総裁・谷口雅宣先生は、『自然と人間の大調和を観ずる祈り』の中で、

「この作品は描き直し、作り直す必要がある!」と、現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。

我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意を持って前進するのである。

と述べておられます。ですから私達は、被災された皆さんを尊い観世音菩薩として礼拝しなければならないと思うんですね。

思いやりの深い人間になろうと決意する
イエスが死せるラザロを蘇らせた祈りは、どのようなものであったかと言うと、『続真理の吟唱』の「願望を実現するための祈り」の224頁に、

イエスは、「神よ、あなたは常に私の祈りに応え給いし事を感謝いたします」と先ず“感謝”の言葉を述べて神に対したのである。そして、祈りの実現に確信をもってから、その確信をもって自分の願望の実現を言葉の力をもって宣言したのである。その方法によってラザロは癒されて復活したのである。感謝と確信と、信念ある言葉とが、祈りを実現する三要素である。

このように書かれています。けれどもイエスと雖も、磔にかかる時には、

彼はゲッセマネの園に於いて「願わくばこの苦き盃をわれより除り去り給え」と祈ったのである。

と書かれていたんですね。谷口雅春先生は苦い盃があって、キリスト教という愛の宗教が生まれたのだと、書いておられます。そこを読んだ時に、「ああ、キリストは神の子であり私も同じ神の子なんだ」と思ったんですね。そして自分に言い聞かせたんですね。「私も夫の死という苦い盃を、これを魂の生長の糧として、感謝によって受けよう」と決意したんですね。そして「この体験を通して、皆さんに愛を与えられる、思いやりの深い人間になろう、愛を生きよう」と決意したんです。

どうぞ皆様も「私は素晴らしい」と言い聞かせて、明るく愛を表現して行く毎日を送り、繁栄して頂きたいと思います。ありがとうございます(拍手)。

○平成26年11月開催「経営トップセミナー」(本部練成道場)の講話より○
https://www.jp.seicho-no-ie.org/sakk/wp/?p=72



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