生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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生長の家が言っていることとやっていることが違うのではダメなんです。 (62944) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 17時02分
名前:本音の時代
言っていることとは、谷口雅春先生が説いた生長の家の教えです。 谷口雅宣総裁については、それすらできていないことが多くなっています。 生長の家の教えは、「神は愛なり」「神ですから、これと整合しているかが必要になります。 雅宣さんの行った左遷人事や人の排除は、「神は愛なり」の実践ではありません。
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亡き谷口恵美子先生のこと (62945) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 19時29分
名前:志恩
>生長の家2代目総裁の谷口清超先生は、 2008年10月28日、89歳でご逝去。 解脱名(戒名)は「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。 教団葬に当たる「追善供養祭」が2008年12月17日に行われた。<
生長の家2代目白鳩会総裁の谷口恵美子先生は、 2023年10月22日に、ご逝去。
ところで、教団葬は、されないのでしょうか。 戒名は、なんとつけられましたか? 奥津城には、いつ納骨されるのでしょうか。
教団の発表を信徒たちは皆、待っています。
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追記: (62946) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 19時38分
名前:志恩
谷口恵美子先生は、満100歳でご逝去されました
谷口清超先生、恵美子先生ご夫妻
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清超さんも、恵美子さんも尊敬できない。(すみません、先生とは呼べなくなりました。) (62948) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 20時41分
名前:本音の時代
雅宣さんは生長の家を貶めた張本人だ。 清超さんは、貴康さんとの会話を読むと、雅宣さんに不安を感じていたようだが、実相を信じたようだ。 実相と現象の区別ができていないように思う。 清超さんは、息子の雅宣さんが可愛いのだろう。 だれでも自分の子供は可愛いが、公私の区別は必要だ。 雅宣さんにはある過去がある。 自分の待遇に不満があり、辞職願を出し退職金を要求した。 清超さんと教団幹部が雅宣さんを呼び戻したのは世間体のためだったのだろうか。そこに生長の家の教えはあったのだろうか。
清超さんや恵美子さんは、雅宣さんのことを本当はどのように思っていたのだろう。
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(62949) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 21時38分
名前:神の子
生命の実相一巻に貴族院の根津嘉一郎氏の話が有ったと思いますが。 若い頃はお茶屋に入りびたりだったが親が良い息子だと信じてたら遂には議員になった…と云う話だったと思います。
清超先生も生命の実相の教義に則って息子を愛して雅宣総裁の実相を信じてそのようにされたのではないでしょうか?
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実相と現象の区別を付ける (62950) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 21時45分
名前:神の子
雅宣総裁は実相は神の子ですが当然それは信じてますがそれはそれとして現象的には馬鹿息子だからそれに応じて最適な現象処理を行うべきだった。
と云う事になりますでしょうか? すると我々は生命の実相の根津嘉一郎氏の事はどう読んだら良いのかわからなくなりますね。
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(62951) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 21時53分
名前:神の子
最大最悪の戦犯は教祖様かもしれんね。 雅宣総裁はこの宗教が気休めにしかならない無力な物だと云う真実を明らかにしてくれる大恩人かも?
とは思わないが…さりとてどう納得すれは良いのかもわかりません。
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根津嘉一郎氏は知りませんが (62952) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 22時06分
名前:本音の時代
結果が良ければ功績として残ります。 悪ければ残りません。 ヤオハンを見ればわかるでしょう。 商売が好調な時は生長の家の広告塔になります。 倒産すれば教訓の対象にもしないで見捨てます。 都合のよい時は利用し、都合が悪くなると見向きもしない。 これが神の愛でしょうか。それは誰が総裁の時でしたか。 神癒祈願も成就する人もいれば、成就しない人もいる。
根津嘉一郎氏の話は何巻ですか?読んでみます。
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(62953) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 23時09分
名前:神の子
なんかなー。そんなに批判的な見方しなくても良くない? 他人の欠点はよく見えるけど自分の欠点には気づかないものですから。 ちょっと鏡で自分の顔を見てみると良いですよ。鼻毛が伸びてるかもしれません。
根津嘉一郎氏の話は頭注版だと1巻総説編21ページからです。
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>根津嘉一郎氏の話は頭注版だと1巻総説編21ページからです。 (62954) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 23時34分
名前:本音の時代
ありがとうございます。
私自身の欠点などどうでもいいことなのです。 谷口雅春先生が作った生長の家が、作った目的のために動けばいいことだけなのです。 目的のための動いていれば、批判など起こらないでしょう。
根津嘉一郎氏の話は読んでみて感想を書きたいと思います。 清超さんが雅宣さんの実相を祈ったとしても、具体的な現象として何を望んだかも問題です。望んだとおりのものが現象として現れるかは確定できない。相手は人間であり、雅宣さんにもやりたいことがあるでしょうし、それが生長の家の目的と合致するとも限らない。雅宣さんは今、生長の家という既存の組織を利用して、自分のやりたいことを存分にやっている。本人は幸せでしょうから、あえて変えるつもりはないでしょう。
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共通認識として (62955) |
- 日時:2024年01月31日 (水) 23時43分
名前:本音の時代
雅宣さんは生長の家の教えを説いているのでありません。 雅宣さん個人の考えを述べているにすぎません。 雅宣さんは雅春先生の言葉を自分を正当化するために用いるので注意しなくていけません。
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(62951)の投稿者へ (62956) |
- 日時:2024年02月01日 (木) 00時28分
名前:三代目管理人
どさくさに紛れて、規約違反の投稿をしないでください。
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根津嘉一郎氏の話 (62959) |
- 日時:2024年02月01日 (木) 09時43分
名前:本音の時代
『生命の實相』の記事を抜粋します。
【旧貴族院議員なりし根津嘉一郎氏の実話によれば、氏は若い時分に悪所がよいをして手がつけられなかった。いつもお茶屋に入りびたっていて家へも帰らないのであります。しかしその父親が偉い人でありまして、ひとことも小言をいわないで、黙々として息子の代わりに商品の配達車を引いていられたのであります。その有様をふと往来で見た嘉一郎氏はまずその父の愛の深さに心をうたれましたが、お茶屋へ帰ってみると父から手紙が来ていたのであります。そ の手紙には「わたしはお前を信じている。お前は心がしっかりした男だから結局はまちがいのない男だと信じている。身体を大切にせよ」という意味のことが書いてありましたので、嘉一郎氏はこの父親の信頼と愛の深さに打たれてしまったのであります。氏は以来ふっつりと悪所がよいを止めて、ついに貴族院議員になるほどに努力せられたのであります。】
根津嘉一郎とその父親の話を清超さんと雅宣さんの関係に適用するには適当でないと思います。 手紙の内容によると父親は嘉一郎が間違いを犯していると認識し、そのことを嘉一郎に伝えています。 清超さんが雅宣さんに対してどのような思いを伝えていたのか不明です。
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ヤオハンのこと (62961) |
- 日時:2024年02月01日 (木) 11時46分
名前:栄える会会員
ヤオハンのことをご存知の方に事情を聞いたことがあります。
生長の家で有名なヤオハンですが、実際には社員の1割程度しか信仰を持っている人はいなかったみたいです。親が熱心な信徒だが、子供は無関心で、就職口がないので、親が頼んで就職したというケースもあったと聞いています。
和田カツさんは、和田一夫さんの拡大路線には危機感を覚えていて、「そんなに大きくしなくても良いのに」と再三、忠告していたみたいです。楠本加美野先生は、和田一夫さんに「ヤオハンは生長の家を商売に利用している」と忠告するなど、心ある人はヤオハンの暴走に危機感を覚えていたのですが、舞い上がった和田さんには通用しなかったみたいです。
ただ、和田一夫さんは、「谷口雅春先生が亡くなられた時には、生長の家を辞めようと思っていた」と漏らしていたこともあるみたいです。どこか無理をしていた部分はあったのかもしれません。
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