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小澤征爾さんご逝去 (63224) |
- 日時:2024年02月09日 (金) 22時28分
名前:元信徒
Yahooニュースより
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6491093
小澤征爾様のご逝去を悼み心からご冥福をお祈りします
> 小澤征爾さん、死去 88歳 世界的指揮者 80歳を過ぎても精力的にタクトを振った“世界のオザワ”
小澤征爾さん 世界的指揮者の小澤征爾さんが6日、心不全のため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。世界各地の一流交響楽団で指揮を執り、オーストリアのウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるなど“世界のオザワ”として活躍。80歳を過ぎても精力的にタクトを振ってきたが、近年は腰痛に悩まされていた。
【写真】長男の小澤征悦と握手する小澤征爾さん
日本を代表する指揮者がこの世を去った。
小澤さんは中国(満州)生まれ。小学生の時に引き揚げを経験した。その後、桐朋学園の創立者で指揮者の斎藤秀雄氏の指導を受け、指揮者を目指した。
桐朋学園短大卒業後、単身渡仏。パリ滞在中の1959年にブザンソン国際青年指揮者コンクールで優勝するなど、海外で頭角を現し、61年にNHK交響楽団(N響)に招かれ、日本でも指揮者として活動を始めた。
大きな転機は62年。N響が20代半ばの小澤さんに反発を強め、演奏会をボイコットする事件が発生した。日本と“決別”する形で、海外に活躍の場を求めた。
64年にシカゴ交響楽団のラヴィニア音楽祭の音楽監督を務め、同年トロント交響楽団の指揮者、73年に世界5大オーケストラの一つ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任した(2002年まで)。
恩師・斎藤氏の没後10年をしのび、84年に門下生100人以上でメモリアルコンサートを実施。これは、毎夏に長野県松本市で開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)に発展し、自身のライフワークとなった。98年に長野五輪の音楽監督を担当。2002年に日本人として初めてウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを指揮するなど、第一人者として活躍した。
順風満帆な音楽人生だったが、晩年は病との闘いだった。05年ごろから高齢のため、体調を崩す機会が増えた。70歳を迎えた同年末に白内障を手術。翌年に帯状疱疹(ほうしん)、角膜炎を患い、音楽活動を休止した。10年には食道がんを公表し、手術で全摘出した。
同年8月の復帰会見では「家族がラグビーのスクラムのように一体になって助けてくれた」と、妻、長女で作家の小澤征良氏、長男で俳優の小澤征悦のサポートに涙して感謝。「マイペースでやっていきたい」と生涯現役続行に意欲をみせた。
小澤さんは22年8月、3年ぶりの開催となった「セイジ―」の終演後のカーテンコールに、車いすに乗って登場。ステージで奏者たちをたたえていた。
◆小澤 征爾(おざわ・せいじ)1935年9月1日、中国生まれ。59年、ブザンソン国際青年指揮者コンクールで優勝。2000年から若い音楽家の教育を目的に「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」を開始。20年、米ボストン市が小澤さんの誕生日を「セイジ・オザワ・デー(小澤征爾の日)」に制定した。 報知新聞社
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元信徒様 (63225) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 02時28分
名前:志恩
世界的指揮者の小澤征爾さん、ご逝去されましね。 享年88歳。
”最近亡くなった著名人、有名人”で検索しますと、 お名前を存じ上げている方々が大勢いらっしゃいました。
音楽家では坂本龍一さんも71で、 最高齢は実業家では、トヨタ自動車の豊田章一郎さん97で、
芸能界では、歌手、俳優で知ってる方々が多く亡くなられましたね。 亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
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演奏会に一度は行かれたでしょう (63226) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 03時41分
名前:元信徒
最近亡くなられた方と言われましても、 この悲しみと驚きの中、私の頭の中では、トヨタの社長97歳とか私は直接は関係ないです、 トヨタ自動車は、以前にクラウンマジェスタと言うのがありましたくらいで、坂本龍一さんも特に、分からないです。 このような悲しみの中に、自分の親戚が勤務しているなど全く関係ないない話しになります。
ましてや 小澤征爾さんがなくなられて、全世界が悼 んでいる時に、そのような事を言いに出て来るべきでは無いことも申し上げておきます。
小澤征爾さんは、N響とのことがあり、その後、日本にボストン交響楽団を率いて指揮をされたのは、超有名でしたし、彼の指揮するボストンポップスなどは、皆さん一度は、演奏会にいかれた事でしょう。 日本で小澤征爾さんか有名になったのはここからでしたね。
迫力ある指揮者で素晴らしかったでした。ありがとうございました。 小澤征爾さんのご冥福をお祈りいたします。
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(63228) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 04時21分
名前:志恩
松下幸之助さんは「生命の實相」の愛読者だったということで 前から知られているお方ですが、その友人の豊田章一郎さんも、 戦後の日本経済を牽引し、経済立国の立役者であった人物です。
経営の神様と言われたパナソニック(旧・松下電器産業)の創業者、 松下幸之助さんと、トヨタ自動車の創業者、豊田さん一族は、 電器、自動車で、世界に名をとどろかせた両氏です。
(トヨタの創業者は、章一郎さんのお父さんの豊田喜一郎さんだそうです。 章一郎さんは、喜一郎さんの長男だそうです。代々、トヨタの社長。)
パナソニックにも、トヨタにも、私の親戚や知人の息子さんたちが 入社し現在も会社員として働いていますので、私には親近感が ありました。
坂本龍一さんは、小澤征爾さんとともに 世界的に有名な音楽家の一人です。
坂本龍一さんは、 1983年には、出演と音楽を担当した 映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞を、 映画「ラストエンペラー」ではグラミー賞の映画音楽賞や、 日本人初のアカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞するなど、 世界的な活躍を続けてきた人です。
その日本が生んだ、世界的な音楽家のお二人が、 坂本龍一さんが昨年の3月に、 小澤征爾さんが、今年の2月に亡くなられたわけです。
私は、小澤征爾さんが指揮されるコンサートに行ったことないです。
元信徒様は、小澤征爾さんが指揮されるコンサートを 聴きに行かれたのですか。それは、うらやましいです。
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追悼コンサート (63231) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 08時08分
名前:元信徒
> 小澤さんが2005年から主宰する若手演奏家の音楽塾「小澤征爾スイス国際アカデミー」は訃報を受け、7月9日にジュネーブで追悼コンサートを行うと発表した。小澤さんが生前「若い音楽家と一緒に仕事をすることが大好き。彼らに押しつけるのではなく、お互いに同じ呼吸をしていることだけが求められる。彼らは若くて私は老いている…その両者が、同じように呼吸している」とコメントし、若き才能と時間を過ごすことを楽しんでいたことを紹介。遺志を継ぎ今年も例年通りアカデミーは7月1〜12日の期間に行われる。
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アクエリアン様 (63232) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 08時11分
名前:志恩
『ラデッキー行進曲』(ヨハン・シュトラウス) ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート *指揮:小澤征爾
視聴しました。格調高いすばらしいクラシック音楽の 小澤征爾さんの指揮、感動しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「音楽への情熱が文化を越えた」 “世界のオザワ”が愛された理由 指揮者・佐渡裕さん【報道ステーション】 (2024年2月9日)
ANNnewsCH https://www.youtube.com/watch?v=UYiYmSzghio
志恩ー 小澤征爾さんは、とても日本を愛していたし、 非常に勉強熱心だった。 そして、人柄も気さくでフレンドリーで、 大変愛される人柄だったと語られています。
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小澤征爾さん死去 ボストン交響楽団が追悼演奏 (63233) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 08時13分
名前:元信徒
> 02 小澤征爾さん死去 ボストン交響楽団が追悼演奏|TBS NEWS DIG
「ボストン交響楽団のきょうのコンサートで、小澤さんを追悼する演奏が行われます」
ボストン交響楽団 チャッド・スミス代表 「きょうは楽団を愛する人々にとって、つらい日です。それ以上に音楽を愛する私たち全員にとって、つらい日です。今週“巨人”を失ったのです」
小澤さんが29年間、音楽監督を務めたアメリカのボストン交響楽団はさきほど、コンサートで小澤さんを追悼する演奏を実施。集ったファンたちも黙とうをささげ、別れを惜しみました。
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元信徒様 (63234) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 08時30分
名前:志恩
>小澤征爾さんの遺志を継ぎ今年も例年通りアカデミーは 7月1〜12日の期間に行われる。<
小澤征爾さん死去 ボストン交響楽団が追悼演奏|TBS NEWS DIG
>「ボストン交響楽団のきょうのコンサートで、 小澤さんを追悼する演奏が行われます」<
>ボストン交響楽団 チャッド・スミス代表 「きょうは楽団を愛する人々にとって、つらい日です。それ以上に音楽を愛する 私たち全員にとって、つらい日です。今週“巨人”を失ったのです」 小澤さんが29年間、音楽監督を務めたアメリカのボストン交響楽団は さきほど、コンサートで小澤さんを追悼する演奏を実施。 集ったファンたちも黙とうをささげ、別れを惜しみました。<
志恩ー 小澤征爾さんは、世界のクラシック音楽を愛する音楽家たちからも 哀悼の言葉を述べられ、小澤さんが29年間、音楽監督を務めた アメリカのボストン交響楽団は、追悼の演奏が実施されたのですね。 https://www.youtube.com/watch?v=A7bDjCb-Rmo
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タクト (63235) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 09時10分
名前:元信徒
志恩さん
小澤征爾さんの音楽監督は、その道の方々の中でです。 私達が直接触れ合う事が出来たのは、特に日本国内では、サントリーホールで交響楽団を指揮した際。当時、連日新聞に掲載され、技術の高さで人気か出て、当時は大ブームでチケットもなかなか取れませんでしたよ。それが日本国内の出来事です。
私の中では、 亡くなってしまった大好きなアメリカの伯母が、小澤征爾さんのボストンポップスの演奏会にニューポートまで連れて行ってくれた事、その演奏会の休憩時間に地元のアメリカ人男性が公衆の面前でプロポーズを行った事、それを祝福して小澤征爾さんか即興のお祝い曲を3曲もプレゼントをなさいました事なと、アメリカではリラックスした人間らしい一面を見ました。 この時の体験が甦り、私にとっては小澤征爾さんは人生の中の懐かしい方の一部です。
志恩さんの妹さんもアメリカ滞在中にいろいろなコンサートなどに行かれた事でしょう。 そのような事はあちらでは、生活の一部ですし、ましてやあの方ならチケットなどは、 楽に手に入るでしょうから。
アメリカ人のイベント大好きは日本の比では無いでしょう。
私と伯母との楽しい時間の思い出、費用は全て伯母持ちで私が恩返しする事も出来ないまま亡くなってしまいました。思い出すと今だに涙がでます、 もっとお墓参りに行きます。 ありがとうございます。
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元信徒様 (63236) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 09時37分
名前:志恩
>私の中では、 亡くなってしまった大好きなアメリカの伯母が、小澤征爾さんのボストンポップスの演奏会にニューポートまで連れて行ってくれた事、その演奏会の休憩時間に地元のアメリカ人男性が公衆の面前でプロポーズを行った事、それを祝福して小澤征爾さんか即興のお祝い曲をした事なと、アメリカではリラックスした人間らしい一面を見ました。 この時の体験が甦り、私にとっては小澤征爾さんは 人生の中の懐かしい方の一部です。 略 アメリカ人のイベント大好きは日本の比では無いでしょう。 私と伯母との楽しい時間の思い出、費用は全て伯母持ちで 私が恩返しする事も出来ないまま亡くなってしまいました。 思い出すと今だに涙がでます、 もっとお墓参りに行きます。 ありがとうございます。<
志恩ー 元信徒様は、人生の一部に、アメリカの伯母さんが、 元信徒様が、アメリカ滞在中に、連れて行ってくださった アメリカでの小澤征爾が指揮するすばらしい クラシック演奏会での、思い出が、おありになるので、 小澤征爾さんが亡くなられたことが、 大きく胸に響かれたのですね。 わかりました。
ニュースによれば、 小澤征爾さんは、日本のご自宅にて、心不全で 安らかにご逝去されたそうです。
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(63238) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 10時01分
名前:元信徒
志恩様
私がアメリカで行きましたのは、小澤征爾さんの指揮するボストンポップスで、クラシック演奏会ではありません。 私が20代だった為、伯母は何だか気を使ってくれまして、ポップスやら、アイススケートショーも、当時はスコットハミルトンさん主演なんですけど、ディズニーだったり、伯母は私を子供扱いして、タップリと甘えさせてくれました。
もう、書いているだけで、涙、涙で、もう咳まで出て、優しい愛情に包まれた時間を思い出すのは泣いてしまい、もう書けません。
なので、勘違いとかあるかも知れませんが、そのまま勘違いしておいてください。
泣いてしまいもう書けないです、すみません。
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小澤征爾指揮 15年ぶりの「歓喜の歌」『ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》』 (63240) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 10時15分
名前:アクエリアン
志恩さん、コメントありがとうございます。
>小澤征爾さんは、とても日本を愛していたし、 非常に勉強熱心だった。
小澤征爾さんの名前を聞くと、「満州青年聯盟」「満洲国協和会」の創設者で、満洲国を五族協和の王道楽土として実現させようとする熱烈な理想主義者であった小澤開作氏の息子ということが真っ先に浮かんできます。
理想主義者であった父親の影響を受け、やはり、小澤征爾さんも「理想主義者」であられたのではないか。
音楽を通して、人類の平和を実現させる、そんな思いがあられたのではないか。
小澤征爾さんも、人類光明化運動の推進者のお一人であられたのではないでしょうか。
ということで、小澤征爾指揮 ベートーヴェン「歓喜の歌」を紹介させてもらいます。
小澤征爾指揮 15年ぶりの「歓喜の歌」『ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》』 https://www.youtube.com/watch?v=jnLFpfz5Plw
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アクエリアンさま (63244) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 11時04分
名前:元信徒
アクエリアン様 コメントをありがとうございます。
あなたの小澤征爾さんとの思い出をお話しください。
楽しみにしております。
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小澤征爾さんとの思い出といえば、林房雄著「大東亜戦争肯定論」拝読の時でしょうか (63246) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 12時19分
名前:アクエリアン
元信徒さん、
>あなたの小澤征爾さんとの思い出をお話しください。
「小澤征爾さんの思い出」ですか。
小澤征爾さんの演奏を生でというか、演奏会場で聴いたこともないですし、メディアを通して、名前を聞いていたぐらいですね。
ですから、平均的日本人の一人といえるでしょう。
特に意識しだしたのは、林房雄著「大東亜戦争肯定論」を読んだときに、満州国建国のところで、小澤開作氏の事を読み、その息子が小澤征爾さんであったことを知ったときからでしょうか。
小澤征爾さんの演奏を特に意識して聞いたこともないですし、クラシック音楽は時々聞くぐらいですね。
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アクエリアン様 (63248) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 13時51分
名前:元信徒
アクエリアン様、ご投稿ありがとうございます
> 特に意識しだしたのは、林房雄著「大東亜戦争肯定論」を読んだときに、満州国建国のところで、小澤開作氏の事を読み、その息子が小澤征爾さんであったことを知ったときからでしょうか。
上記のような素晴らしそうな本の題名を知る事ができました、アクエリアン様ありがとうございます。 それなので、小澤征爾さんのご尊父様をwikiで調べましたら、日本では歯医者さんでいらしたがやめて、五族協和の王道楽土を理想として満州に渡られて、またいろいろあり、 (wikiを貼ろうとしましたが、長いので貼れません) 生長の家の考えに似た理想をお持ちでしたが、軍部の力が強くなりやめて、岸信介さんの事も書かれてありました。
小澤征爾さんのお父様も立派な方なのですね。初めて知りました、 こう言う大切なことも、メディアは合わせて放送してくれれば良いですね。
アクエリアンさん、ご紹介をありがとうございました。 私は、お父様のことは全く知りませんでした。詳細は、また自分で調べてみたいと思いました。 より小澤征爾さんを深く見て更に好きになれると思いました。
教えて下さりありがとうございました。
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林房雄著「大東亜戦争肯定論」 (63249) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 15時38分
名前:アクエリアン
元信徒さん、
>上記のような素晴らしそうな本の題名を知る事ができました
ありがとうございます。
こういうコメントは本当にうれしいですね。(笑)
「生長の家五十年史」に、この本のことを書いている箇所がありますので、ご参考のために紹介させてもらいます。
<「東京五輪と日本人の自信回復」
ところで第二次五ヶ年計画が打ち出された昭和三十九年の十月には東京オリンピックが開催されている。昭和三十五年の「安保」が、戦後日本のピークであたとすれば、次のそれは昭和三十九年の東京オリンピックであったことは否み得ない。そこにあらはれた雰囲気はこれまでに現れたものとは、まつたく違つていた。それは復興なつて、さらに成長をとげた日本の姿であり、自信を回復した日本人の姿であつた。オリンピックはこれまで戦後の教育で否定されていた「規律、自己抑制、自己犠牲」といつた徳目と「愛国心」を日本人に蘇らせると共に、日本人であることの意味を国民に考へさせ、日本を見直す機会を与へることにもなつた。この前後に論壇においても大東亜戦争の再評価と占領時代の再検討の論が提起されて、日本民族の主体性を回復しようとする新しいナショナリズムが台頭しつつあつたのである。林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』は、その代表的な著作であつた。> 「生長の家五十年史」482p
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志恩様 (63252) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 17時22分
名前:元信徒
小澤征爾さんのお若い頃のドキュメンタリーを掲載して下さいまして、有難うございました。
今日は、今から餃子を沢山作りますのでまた、誰にも邪魔されない時間に楽しみに視聴させていただきます。
ドキュメンタリー、初めて拝見するのでとても楽しみです。 アメリカの伯母の写真を隣りに置き、一緒に拝見させて頂きます。
ご紹介を ありがとうございました。
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生長の家五十年史は (63253) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 18時18分
名前:志恩
原宿本部時代、 基礎文化研究所にて 山口悌治先生が編纂委員長の元、 阪田成一先生が編纂委員で 山口先生から通史を担当するように阪田先生は言われて 作られたと、「光明の音信」に記されてありました。
>阪田先生は、 昭和54年1月、「生長の家五十年史」の「谷口雅春先生と 人類光明化運動五十年の軌跡」を担当 昭和55年11月、「生長の家五十年史」完成<と。
(もしも、お持ちでないのでしたら、今、見ましたが、 中古本が、アマゾンコムででも メルカリ ででも、数冊のみ、売り出されております。 アマゾンコムは、3000円。 メルカリは、定価9800円のが、2200円。(両方、送料込み))
これは、日本の古本屋 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=64418640
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明日は建国記念の日ですね (63261) |
- 日時:2024年02月10日 (土) 22時31分
名前:アクエリアン
元信徒さん、
>御掲載の五十年史は 雅春先生のご文章でしょうか?
これについては、志恩さんが詳しく執筆者について教えて下さっています。
<阪田先生は、 昭和54年1月、「生長の家五十年史」の「谷口雅春先生と 人類光明化運動五十年の軌跡」を担当>
これは本当に大変な作業であったと思います。 ただただ、敬服、感嘆せざるを得ない凄い内容で、これを読まずして、生長の家は語れないのではないか、と思えるほど勉強になります。
>それにしても、アクエリアンさんは、英語も抜群に堪能でいらして、それに変に外国かぶれせず、さらに、この様な愛国の御本をご存知で、日本人としての立場を逸脱されておられないのでしょう、本当に素晴らしいお方でいらしゃいますね。
ちょっと、これは買い被りされ過ぎという感じでして、恐縮しております。とてもこのような人間ではないですね。
英語に関しては、谷口雅春先生の御著書に感化されて、だんだんとアメリカのニューソートという思想に興味を持ち始めて、ニューソート関連の英語の本も読み始めるきっかけを作ってくださったというところでしょうか。
英語は決して、堪能ではありませんよ。
今も、英語を自家薬籠中の物としようと、格闘しております。
明日は建国記念の日で、去年の建国記念の日の、元生学連委員長の高橋史郎先生の講演を紹介させてもらいます。素晴らしい内容だと思います。大谷選手のことについても最後に少し触れられています。
【日本建国の精神「国のみ柱」とは何か】令和5年「建国記念の日」安城奉祝祭 高橋史朗氏講演 https://www.youtube.com/watch?v=YJb0XI7GOpg
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(63265) |
- 日時:2024年02月11日 (日) 02時18分
名前:元震
> 明日は建国記念の日ですね (63261) 日時:2024年02月10日 (土) 22時31分 名前:アクエリアン
元信徒さん、
>御掲載の五十年史は 雅春先生のご文章でしょうか?
これについては、志恩さんが詳しく執筆者について教えて下さっています。
<阪田先生は、 昭和54年1月、「生長の家五十年史」の「谷口雅春先生と 人類光明化運動五十年の軌跡」を担当>
これは本当に大変な作業であったと思います。 ただただ、敬服、感嘆せざるを得ない凄い内容で、これを読まずして、生長の家は語れないのではないか、と思えるほど勉強になります。
>それにしても、アクエリアンさんは、英語も抜群に堪能でいらして、それに変に外国かぶれせず、さらに、この様な愛国の御本をご存知で、日本人としての立場を逸脱されておられないのでしょう、本当に素晴らしいお方でいらしゃいますね。
ちょっと、これは買い被りされ過ぎという感じでして、恐縮しております。とてもこのような人間ではないですね。
英語に関しては、谷口雅春先生の御著書に感化されて、だんだんとアメリカのニューソートという思想に興味を持ち始めて、ニューソート関連の英語の本も読み始めるきっかけを作ってくださったというところでしょうか。
英語は決して、堪能ではありませんよ。
今も、英語を自家薬籠中の物としようと、格闘しております。
明日は建国記念の日で、去年の建国記念の日の、元生学連委員長の高橋史郎先生の講演を紹介させてもらいます。素晴らしい内容だと思います。大谷選手のことについても最後に少し触れられています。
【日本建国の精神「国のみ柱」とは何か】令和5年「建国記念の日」安城奉祝祭 高橋史朗氏講演 https://www.youtube.com/watch?v=YJb0XI7GOpg
建国記念日、おめでとう御座います。
記念公演のYouTubeを有難うございます。 高橋史郎さん、生長の家だったのですか!ビックリ‼️
◯◯大学にいらして、ダライラマの公演会の時にお見受けしました。
アクエリアンさん、いろいろな事をご存知ですね。
この掲示板で沢山投稿して、いろいろ教えて下さいませ。
有難うございました。 英語は私も勉強したいと思っている一人ですが、なかなか。
森田先生が国際局にいらしたそうですが、先生は外国語が話せたのかしらね? どうして国際局にいらしたのかしら? 心がカッコよくて優しい先生と言うイメージがあります。笑
小澤征爾さんも音楽を通して世界平和を訴えていたそうです。
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「熱狂にこたえる道 小澤征爾の音楽会をきいて」三島由紀夫氏、朝日新聞に寄稿(1963年1月16日付) (63384) |
- 日時:2024年02月16日 (金) 08時06分
名前:アクエリアン
(読者の声2)指揮者の小澤征爾が2月6日に死去して各紙追悼の記事も出揃った。満洲生まれ(1935年)の小澤の名前は板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつとったことは有名。1959年には成城学園時代の同級生の父である水野成夫らの援助で渡仏。水野成夫は初代赤旗編集長にして後にフジテレビ初代社長。
デイリー新潮のネット記事では1962年のN響事件について詳しく書いている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/8048693e3b83c611105ecba0af2300b9ca1d476a? 小澤の不手際もありN響との関係はぎくしゃくし、ついには演奏会をボイコットされてしまう。
『「僕は何から何までアメリカ流で、あけっぴろげだった。日本のやり方を、まったくわかっていなかった。出る杭は打たれるんだ」
「ボクは絶対にひけない。聴取料でささえられ、演奏を一般に提供するという義務をもっているはずのNHK及びN響事務当局が、こんなことで逆上し、一方的に演奏会を中止するとは。/午後七時、帝国ホテルのロビーに記者の方々に集まってもらい、ボクは事件のイキサツと自分の考えを発表した」
このとき若手文化人たちが集結して『小澤征爾の音楽を聞く会』なる、いわば自主公演組織ができていた。発起人の中心は、作曲家・一柳慧と、詩人・谷川俊太郎。そのほか、作家・石原慎太郎や三島由紀夫、演出家・浅利慶太など。その後、中止となったN響定期公演にかわって、翌1963年1月15日、日比谷公会堂で「小澤征爾の音楽を聞く会」が開催される。
この公演を聴いた三島由紀夫は、感動のあまり、翌日、かなりの長文〈熱狂にこたえる道 小澤征爾の音楽会をきいて〉を、朝日新聞に寄稿している(1963年1月16日付)。15日夜公演のレビューを、翌16日朝刊に載せたのだから、すごい勢いである。三島は、こう書いている。
〈最近、外来演奏家にもなれっこになり、ぜいたくになった聴衆が、こんなにも熱狂し、こんなにも興奮と感激のあらしをまきおこした音楽会はなかった。(略)当夜の喝采は、大げさにいうと、国民的喝采であった。小沢氏は汗と涙でぐちゃぐちゃの顔を、舞台裏で何度もタオルでぬぐい、また拍手にこたえて出て行った。(略)私は友人として、涙と汗にまみれた彼の顔を見ながら、「そら、ごらん、小沢征爾も日本人だ」と思い、意を強うした〉』
小澤征爾と三島由紀夫のあいだにこんな関係があったとは知らなかった。一流は一流を知るであろうか。 (PB生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)小生はむしろ小沢の父親、小沢開作氏を知っている世代、この満州開拓の功労者にして暴れん坊、満州青年同盟の立役者。しかも小沢開作がなくなったのが三島事件のおこる四日前、なにかの予兆でした(詳しくは拙著『三島由紀夫「以後」』(並木書房)参照)。
「宮崎正弘の国際情勢解題」 令和六年(2024)2月16日(金曜日)弐より
(参考動画) 軍艦行進曲 指揮・三島由紀夫 演奏・読売日本交響楽団 https://www.youtube.com/watch?v=FoDlfj4pbfs
昭和43年、文京公会堂
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指揮者 (63386) |
- 日時:2024年02月16日 (金) 12時12分
名前:元信徒
アクエリアンさん、 小澤征爾さんとN響の詳細を教えて下さりありがとうございました。 何かを突き詰めて巨匠となる方は、皆それぞれ大きなアクシデントがありそれにより運命的な変化、出会いや様々な体験をすることとなり乗り越えて前進して成功していますね。 それにしても、外国で入賞していた方が、実際の交響楽団をあまり率いた事が無かったとは、、、それで沢山の入賞って、、?不思議てした。その後の著名人の味方が出来たり、一人でもコンサートの日に出かけて、舞台に登壇したりと小澤征爾さんか巨匠になってゆく片鱗を感じました。
で、いろいろ調べていたら斉藤さんの動画が出てきました。 珍しいと思うので、貼らせて頂きます。
話しは変わりますが、 三島由紀夫さんには、驚きました。笑
https://www.youtube.com/watch?v=cODi4w1xjLk#t=1m25s
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俺指揮者になる (63391) |
- 日時:2024年02月16日 (金) 14時02分
名前:元信徒
上記のはしがき 指揮者になる! ―小澤征爾の青春時代― (2 の 1) 尾ア 綱賀 (2023/01/30 公開) 『頸城野郷土資料室 学術研究部研究紀要』投稿に寄せて 指揮者小澤征爾氏は、昨 2022(令和 4)年、数えで 88 歳に、そして今年 23 年 9 月 1 日に 満 88 歳を迎えられる。すなわち米寿を迎えられた。それを記念して本稿を投稿した。 本稿は元々、小澤氏の古稀を記念して、児童を対象とした伝記として書き始め、2004(平 成 16)年に脱稿した。しかし、作家・評論家でもなく、学識経験もない筆者には出版できる わけもなく、ずっと寝かせておくしかなかった。2018 年に一部改稿し、補注を付けた。そ して 22 年、補注などを一部加筆した。ゆえに、本文・あとがきの内容は、ほぼ 2018 年の ままである。児童向けとはいえ、年齢を問わず一般の方々にも読んでもらえたら幸いであ る。なお、字数の関係で二つに分けた。 はじめに いまから65 年ほど前、日本は戦争の傷あとからようやく立ち直り、アメリカやヨーロッ パ諸国に、追いつき、追い越そうと、老若男女一丸となってがんばっていました。 そのころ、無名の日本人青年が、ひとりスクーターに乗って、ヨーロッパに武者修行の 旅に出かけました。そして、若手指揮者の登竜門であるコンクールに参加して、みごと優 勝しました。 彼はこれを機に、破竹の勢いで、ドイツやアメリカでも賞を取り、アメリカ最古の名門 オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者になりました。 その翌年、つまり日本を出てから 2 年あと、彼はこのオーケストラといっしょに凱旋帰 国したのです。 小澤征爾氏です。 単に、この文章だけですと、天才青年が幸運の波に乗っただけの、成功物語に思えます。 しかし成功する前の、小澤氏の血のにじむような努力。そして失敗。それを乗り越えたチ ャレンジ精神を見のがしてはなりません。 小澤氏は、音楽が好きで好きでたまらなかったのです。だから、氏には根性! 努力! につきものの悲愴感がありません。 小澤氏にとっては、自分の好きなことを徹底的にやってみた結果にすぎなかったのかも しれません。だから、たとえ世俗的に成功しなかったとしても満足だったと思います。 筆者は、これからの日本をになっていく、児童・生徒たちに、ぜひ小澤氏のような人生 『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』Forum104 2023 ISSN 2432-1087 2 を送ってほしい、氏のような生き方もけっして夢ではない、ということを知ってもらいた いと願い、この物語を書きました。 なにも、指揮者をめざしてほしい、といっているのではありません。 みなさんが、それぞれに、自分が夢中になれる道をさがして――それも一度や二度の失 敗に負けない、強いこころも育てながら――これからの人生を進んでもらえたら、と願っ ているのです。 小澤氏の生き方、考え方、そのチャレンジ精神を学んでほしい、ということです。 また、児童たちのご両親やおとなの方たちにも読んでもらえたら、と思います。氏の一 番の幸せは、よいご両親と兄弟、そしてよい師にめぐり会えたことにある、といっても過 言ではないからです。 ところでこの物語は、児童向けの人物ノンフィクションとして、小澤氏の青春時代まで を描きました。その後の氏の活躍については、「あとがき」で紹介しておきました。 氏が指揮した過去の大作曲家や、氏と関わりのあった多くの音楽家・人物が登場します。 この文に記た音楽用語と、有名な作曲家の代表作品(本文にはない作品)も本文のあとに注記 しておきました。 巻末には筆者が参考にしたおもな資料をあげておきました。小澤氏の後半生、または、 指揮者としての業績・演奏に興味を持たれた方は、児童にはむずかしいですが、ぜひ読ん でみてください。なお本文では、敬称はいっさい省略させていただきました。 第1章 父母と兄弟の愛を受けて 誕生――理想主義者の子 小澤征爾は 1935(昭和 10)年 9 月 1 日、旧・満州国(現在の中華人民共和国の東北部)の奉 天(現在の瀋陽)に、小澤開作、さくらの三男として誕生しました。 23 歳のとき満州へわたった開作は、長春(現在の新京)で歯科医院を開きました。そして、 1927(昭和 2)年、若松さくらと見合い結婚をしました。翌 28 年に長男・克己を、30(昭和 5)年には次兄・俊夫をもうけました。 開作は医療のかたわら、政治運動に関心をいだきはじめます。民間人ながら、満州国の 建国に奔走したのです。31 年には、満州事変勃発の契機のひとつとされる、万宝山事件を 指導しました。そのころ、中国人農民から迫害を受けていた、朝鮮人の移住農民を救うた めでした。 こうして歯科医師をやめた開作は、満州国協和党(のちの協和会)の創立者のひとりとして、 奉天にうつり住んだのです。この地で親交を深めた、関東軍参謀副長だった板垣征四郎 (1885〜1948)の征≠ニ、同じく関東軍軍事作戦主任参謀だった石原莞爾(1889〜1949)の
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(63394) |
- 日時:2024年02月16日 (金) 16時20分
名前:元信徒
光明思想社さん こう言う本出したらどうかな?
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(63487) |
- 日時:2024年02月21日 (水) 16時37分
名前:元信徒
> 音楽評論家でもある西村幸祐さんのツイートを紹介させてもらいます。
西村幸裕さんのツイートをありがとうございました。
YouTubeも見させて頂きました。
日本人としてキチンとされていることの評価やベルリンフィル交響楽団のYouTubeでは、まず、一目で指揮は勿論のこと、その時代の小澤征爾さんのいつものあの指揮者の服が懐かしく思い出されました。
録画ですと小澤征爾さんの迫力があまり伝わりませんが、世界を一世風靡した素晴らしい日本人の指揮者でした。 観客の心も機敏に感じ取り、その場全体を考えておられて指揮をとっておられました、、、 日本人らしいおもいやりに溢れていた素晴らしい演奏会でした。本当に巨匠と言われるに相応しい方と思いました。
あらためて、感謝と小澤征爾さんのご冥福をお祈りします。
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