生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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谷口雅春先生は、生涯において、一度たりとも生長の家の信徒である個人を裁判にかけたことはありませんでした。 (65305) |
- 日時:2024年05月29日 (水) 19時20分
名前:志恩
谷口雅春先生は、生涯において、 一度たりとも生長の家の信徒である個人を 裁判にかけたことはありませんでした。
また、一度たりとも生長の家の信徒である個人に対して、 間に弁護士を立てて、
配達証明付きで、謝罪要求書を送りつけたり、 多額の賠償金要求書を相手に送りつけたりされることも ありませんでした。
谷口雅春先生に学ぶ会は、いったい、谷口雅春先生のどこを学んで おられるのかしらと、
学ぶ会は、社会事業団と一心同体の組織ですから、
正直な気持ちを書かせていただきますと、 失礼ながら、深く疑問に思っているところで ございます。
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愛とゆるしの精神にあふれていて、本当に懐の深かった谷口雅春先生ご夫妻のこと (65306) |
- 日時:2024年05月29日 (水) 19時56分
名前:志恩
谷口雅春先生は、ご自分の部下たちに対しては、深い愛情を 持っていらして、私の知る限りでは、排除したり、左遷したり ましてや、謝罪要求をしたり、多額の、賠償金まで要求したり とどのつまりは、裁判にかけたりされることなど、 一度も、ございませんでした。
私の知っている一つの例として、 以前にトキ掲示板に書かせていただいたことですが、 再度書かせていただきます。
これは、平岡初枝先生が 谷口雅春先生ご夫妻に何度も大失言したのに、 なんのおとがめもなく、
谷口雅春先生はその後、 平岡先生を、首にするどころか、 本部理事に昇格させ、 白鳩会全国副会長にも就任させ 平岡先生の本を2冊も日本教文社から出版されることを 平岡先生に許可されたのでした。
この話は、私が平岡先生に直接、うかがった実話です。
この、平岡先生大失言話を書く前に
平岡先生は生長の家に入信する前は、どのような 活動をされていらしたお方かを、書きませんと、理解していただけない と思いますので、書きますが、
平岡先生は、生長の家に入信される前は、 熱心な左翼の社会運動家だったのです。
日本は、昔、女性に、参政権がなかったのですが、 女性も政治に参加できる 参政権を与えるべきだという”婦人参政権運動”を、 大変雄弁家でいらした 平岡先生は、その社会運動の書記長として、 非常に熱心に運動されてこられたお方でした。
その後、平岡先生は脊椎カリエスという病に倒れましたが、 生長の家の「生命の實相」で、その病気が完治したことが きっかけで、生長の家に入信されたお方なのでした。
その後、原宿本部に本部講師として奉職されたのは、 大阪の阿倍野道場の寺田繁三先生の勧めだったそうです。
で、原宿本部が完成した落慶式の時から平岡先生は、 原宿本部にいらしたのですが、
その昭和29年の、原宿本部会館落慶の折... 一つ目の平岡先生の大失言はありました。
本部の落慶式に 昔の左翼運動家の仲間の一人であった市川房枝氏が 本部会館を見にきたそうなのですが、 その折に、市川房枝氏は、大変失礼なことを言ったのでした。
市川房枝氏は、 「生長の家は、信徒から搾取して、 こんな立派な本部会館を建てたんだ」 といつたそうなんです。
こんな失礼な言葉を言われたのに、 迂闊にも、平岡先生は、輝子先生に、その言葉を 市川房枝がこう言ってたと、そのまま伝えてしまったそうです。
しかも、平岡先生は、そのまま伝えてしましただけでなく、 怒るどころか、「ふふふ」と笑ったことで、 輝子先生のお心を、ひどく傷つけてしまった。
次の、二つ目の大失言は、
その数年後の春の白鳩全国大会の2、3ヵ月前、 プログラムを作成するにあたり、 プログラム担当だった平岡先生が、 今度は、山高しげり(昔の仲間だった左翼系、参議院議員)を 午後の体験談のときに話させたらどうかという提案をされ、 その話は、同じ白鳩会中央部の同じ、当時は、副会長だった古川先生が、 そのことをすごく呆れてお山へ話に行き、これまた、輝子先生に古川先生が 伝えたことで、 もちろん、谷口雅春先生のお耳にも届き..、 この平岡先生の提案のことも、平岡先生の大変な大失言であったのでした。
つまり、平岡先生は、お山様(谷口雅春先生ご夫妻)からみたら、 とんでもない失言を、二つも された こと になります。
この話は 平岡先生が本部を退職後、 富山市にある 平岡先生のご自宅の居間にて、 私は、平岡先生と二人で楽しく一日中お話した時のこと、
平岡先生は、現役当時の頃の自分の失敗談として 私に、こう正直に話してくださったのでした。
「私わね、ちっとも 素晴らしくなんか ないのよ。 だって、私、本部にいた時、よく失言してたからね..」と。
それを伺った私は、 平岡先生って、正直で、えらぶらなくて、ほんとに 可愛い素敵な 先生だな、と思いまして、ますます平岡先生のフアンになりました。
そして、大失言を二つもされた平岡先生のことを、許された 雅春先生と輝子先生の人間の大きさと懐の深さに、あらためて 心から感動したのでした。
余談ですが、 平岡先生は、本部を退職後、 すぐに生長の家の地方講師になられまして、
亡くなられるまで、「生命の實相」を何度も読み返されてまして、 ご自宅で、母親教室を開かれ、若いお母様方を集めて、 皆様に真理の話を、語り続けられて、生涯を閉じました。
平岡先生は、富山に2カ所、もっていらした土地も、 富山駅に近い方の交通の便のいい方の土地を 生長の家に寄付されまして、平岡先生ご自身は 富山駅からバスで40分もかかる富山市のはずれの 辺鄙な土地にお住まいを建てられて、退職後、暮らして おられました。
谷口雅春先生ご夫妻の愛と赦しに対して、 平岡先生は、ずっと感謝されて晩年を過ごしていらっしゃいました。
平岡初枝先生は、 明治24(1891)年10月9日生まれ。卯年。
ご逝去された年月日は、 昭和53(1978)年11月29日、87歳の時。
ーーーーーーーーーーーー 平岡初枝先生は、 日本教文社から二冊の本を出版されてます。 『こどもを見つめて』 (1965.11.10.出版) 『しあわせを見つめて』(1967.12.14.出版)、 二冊とも良書です。 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51j1zR5YFaL.jpg ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※ 平塚らいてう、山高しげり、市川房枝、は、 平岡初枝先生とともに、 女性に参政権を!という 「 婦選運動」をともにされた 平岡先生の同志でした。
平塚らいてうのことは、「生命の實相」にも、のっております。
昔は、選挙権は、男性のみに与えられていたのでしたが この「婦選運動」の成果により、女性も参政権を獲得し、 日本でも女性も選挙権を得られるようになったそうです。
山高しげりは、「国民新聞」「主婦の友」の記者のあと、 参議院議員を9年間されて、母子福祉運動を熱心にされた お方です。
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私はトキ掲示板で教団のこと総裁のこともよく批判しておりますが (65308) |
- 日時:2024年05月29日 (水) 21時05分
名前:志恩
私はトキ掲示板に13年近くもおりますし、 そして、その間、教団の批判や総裁の批判もしておりますが、 だからといって、 トキ掲示板では、私を書き込み禁止になんかしておりませんし、 教団から、弁護士を間に立てて、謝罪要求や多額の賠償金の請求書も 届いたことは、ありません。
社会事業団や学ぶ会にも 谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板があるのですから、 もしも批判されることがありましたら、その掲示板に反論を 書かれたら、済むことだと思うのですが、 私の考えは、前原先生、久保様、間違っておりますでしょうか?
なんで、批判されたりするとすぐに、批判者を書き込み禁止に してしまうのでしょうか。そして、なんの前触れもなく、 なんで突如、証明付きの文書が、批判した個人宛に 社会事業団のお抱えの弁護士から届き、 謝罪要求や多額の倍書金の請求がなされるのでしょうか。
掲示板で反論しあえば、いいのでは、と 普通に考えるとそう思うのですが、 私の考えは、前原先生、久保様、間違っておりますでしょうか?
素人考えでは、則天去私様に対しては、谷口雅春先生のことを 自費で、ご自身はアルバイトをされながら、あちこち、調べにいらして 谷口雅春先生のことを調べてくださっている貴いお方なのですから、
多額の賠償金を請求するのではなく、 むしろ財団法人、社会事業団は 資金をたくさん持つていらっしゃるのですから、奨励金を 則天去私様に差し上げるお立場ではないのかしらと、私は 一信徒として、不思議に考えております。 私の考えは、前原先生、久保様、間違っておりますでしょうか?
私は、学ぶ会の全国大会には、第一回目から第六回目までは参加していましたし 毎年行われている大真理講演会にも毎回、欠かさず、参加していた人間です。
「新編 生命の實相」も、最初のうちは、協力する気持ちで、新刊が出るたびに アマゾンコムから買っておりましたが、これも途中でやめました。
私は、阪田先生を裁判にかけるようになってから失望して、学ぶ会から去った 人間なのです。
私のお友達になってくださった、そちらの講師でもある彼女は、私と同様に 阪田先生を裁判にかけるようになってから、そちらに失望して、学ぶ会を やめたそうです。
この上、則天去私様まで裁判にかけたりされますと、今後、大失望した 会員の皆様が、それこそ、波が引くように、いなくなりそうな気がしております。
前原先生、久保様、 個人を裁判にかけるような手法は、絶対に、間違っております。
どうぞ、即刻、取り消し願います。
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谷口雅春先生が総裁先生時代、8年間、『本部白鳩会』の集いで、マイク係をしていた志恩の体験談。 (65310) |
- 日時:2024年05月29日 (水) 21時39分
名前:志恩
前にも書きましたが、 私は谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代に 原宿本部の白鳩会中央部の事務員として8年間、 奉職しておりましたので、
当時は、 第一金曜日の午後1時から3時までと 第三金曜日の午後1時から3時まで 原宿本部の白鳩の間にて、
ある時は、 谷口雅春先生と 谷口輝子先生、
ある時は、 谷口雅春先生と 谷口輝子先生と 谷口清超先生と 谷口恵美子先生、
御臨席のもと、 白鳩の会員の皆様が、毎回、300人ほど 参加された本部白鳩会が開催されておりました。
そこでは、白鳩さん達が、一人一人マイクを渡されて、 谷口雅春先生に直接質問し、その質問に 谷口雅春先生が、丁寧に答えてくださるという
とても光栄でめぐまれた集いでした。
参加費は、無料でした。
その会のマイク係を私は、8年間、仰せつかって務め させていただきました。
その時の感想を、その時、その場にいた、生き証人として 書かせていただきます。
【生長の家の組織のことよりも、 ご自分の生長の家の総裁としてのメンツよりも、 生長の家信徒個人の真の幸せを優先し願っておられた 谷口雅春先生】
ある本部白鳩会の集いの時、 ある一人の白鳩さんが、移動マイクを片手にその場に立ち、 谷口雅春先生に、次のような質問をされました。
ある白鳩さんの質問: 「私の娘が恋愛しまして、ぜひ結婚したいといい、 先方も娘との結婚を望んでいるのですが、その相手の男性 というのが、娘が言うには、熱心な創価学会の会員であるのだそうです、 その上、その相手の男性のご家族も、皆、熱心な創価学会の会員 だと、娘が私にいうので、わたしは創価学会だけは、ひどく苦手なので その結婚に反対しているのですが、娘は、どうしても結婚したいと いうので困っております。私は、どうしたらいいでしょうか?」
(私・志恩は、この質問を聞きながら、たぶん 谷口雅春先生は、娘さんは嫁に言ったら生長の家の教えを 黙々と実践するように、そうしたら、いつかは、創価学会会員の 夫も、先方のご家族も生長の家になりますから、とお答えに なられるだろうと、予想しておりました。 ところが、谷口雅春先生のご回答は、... 私の予想とは、まったく、違っていて、 私は、心底、驚きました。)
谷口雅春先生のご回答: 「あなたは、娘さんの結婚に、ぜひ賛成して、心から祝福して 送り出して、あげてね。 そしてね、娘さんに、金輪際、きっぱりと生長の家は、やめるように 言ってください。 そして、結婚したら、先方のされている創価学会の教えに専念して、 幸せに生きるように、娘さんに、言ってね。 娘さんの結婚を 母親として祝福して賛成して、娘さんを送り出してください。」
と、答えられたのでした。
私は、谷口雅春先生は、本物の宗教家でいらっしゃると その時もマイク係でしたから、その場におりましたけれど 深く驚いたり、感動したり、したのでした。
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8年間、身近に接していて感じていた、人間・谷口雅春先生と、輝子先生の、お人柄と魅力。 (65312) |
- 日時:2024年05月30日 (木) 05時57分
名前:志恩
私が谷口雅春先生が総裁先生時代に原宿本部に奉職していたのは、 昭和36年1月から昭和43年12月の、ちょうど8年間でした。
あの頃は、生長の家の信徒数は、3百万人いました。 なのに、最初の頃は、聖使命会費もなかったそうで、 肝心の1番の収入源である「生命の實相」の著作権は 「社会事業団」に谷口雅春先生は、あげちゃってるしで、 「生命の實相」は、あの当時は、たくさん売れていたにも かかわらず、売れれば売れるほど、本の売上金は、 原宿本部の経理には、入らず、社会事業団へ行って しまっておりましたので、本部自体は、本当にお金がなくて、 本部の建物はありましても、なかなか本部職員は、雇えなかったと 私が、珍しく本部に奉職した時に、白鳩会中央部の先生方や 片岡事務局長から、私は聞いていました。
そして、私が本部へ奉職できたのは数年前から、有留本部講師 のお山様への提案で、聖使命会費というのが全国の組織に導入 されたことにより、やっと本部は、経理が潤ってきて、私のような 若い事務員も、雇えるようになったのだと、教えてもらいました。
私の所属部署の、白鳩会中央部には全国講師が4人おりましたが 他には、片岡事務局長と藤田会計係がいるだけでした。 私という若い事務員は、そこへ、手薄のところへ、やっと一人入ったのです。
白鳩会中央部のすぐ隣の部屋は、総合企画局でした。 山口悌治先生が局長で、そこには、佐脇先生、大峡先生、 など9人の男性の、錚々たる先生がいましたが、事務員は 女性二人しかおらず、そういうわけで、私は、山口先生や 佐脇先生や大峡先生に頼まれて、企画局の仕事も ボランテァでしていたのです。(手が足りなかったので)
私は、お山係と言いまして、お山の先生が本部へお越しの時は お茶や、お菓子をお出ししたり、ご講習会の時は壇上にお茶を 運んだり、昼食のお世話をしたりする光栄な係にも、選ばれて、 日々、多忙に 楽しく過ごしておりました。
本部職員の皆様も、皆様、とてもいい方々でした。 私は、皆様から、とても かわいがって いただいておりました。
白鳩会中央部の直属の上司は、白鳩会総裁であった 谷口輝子先生でした。
ですから、私は、ちょくちょく、お山の玄関先に行き、 輝子先生にも仕事上のことで、お目にかかったり、 いろいろな、お話もさせていただいておりました。
お山係もしていましたので、 谷口雅春先生、輝子先生にも身近に、接することが多く ありました。
それで、私が谷口雅春先生、輝子先生に直に接していて 強く感じていたことをお話ししますが、
両先生とも、一人の人間として見ましても、 この上なく魅力的で宗教的な清らかな雰囲気を 漂わせていらしてて、高貴で素敵で、 素晴らしいお人柄のお方達でいらっしゃいました。
あの当時の、本部職員のお給料は、驚くくらい安かった のですが、お給料が安いの、高いの、と不満に思う気持ちは 微塵もありませんでした。もちろん、残業手当も、いくら残業 しても、1円もありませんでしたけれどね。
私は26歳の時、結婚のため、夫とは休日が異なるために 本部を退職しましたが、
退職後も、あの8年間の光栄で幸せだった思い出に、 今後も、自分はふさわしい人間でありたいと、 ずっとずっと、あの日々の思い出に背中を押されながら、 今日まで、結婚生活も、子育ても、前向きな気持ちで 純粋な気持ちを忘れないように真面目に生きてくることができました。
私にとりましては、あの8年間の原宿本部の思い出は、 何にも増して、尊く、大事な、誰にもけがされたくない 宝石のような光り輝く貴い思い出なのです。
私は、あの頃、谷口雅春先生や輝子先生のような お人柄の人間になりたいなぁと、どんなにお二人に対して 憧れを持っていたかしれません。
その気持ちは今でも変わりません。 あの時があったからこそ、今の晩年の幸せが、 私には、あるのでした。
谷口雅春先生、輝子先生、本当にありがとうございます。
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もう、嫌になります。死にたくなります。 (65313) |
- 日時:2024年05月30日 (木) 06時06分
名前:志恩
社会事業団が個人である生長の家信徒に対して 謝罪要求したり多額の賠償金を請求したり、そのうえ、 裁判にかける、なんてことして
私は、この現実を見ると 悲しすぎて、死にたくなります。
明日の朝、起きたら霊界にいた、というのだったらいいと 思うのです。
阪田先生の裁判事件の時も、私は死にたかった。悲しくて。 なのに、私は、まだこんな元気にこの世に生きたままなのに、 阪田先生の奥様ののりこさんが、私よりも4歳もお若いのに、 夫を裁判にかけられた ストレスが重なり急性心不全で突然倒れて、死んでしまったの。 私が、先に死にたかったわ。
こんな生長の家、もう、見たくないもの。
谷口雅春先生も、悲しんでいらっしゃると思います。
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知恵の言葉 (65317) |
- 日時:2024年05月30日 (木) 12時49分
名前:神の子
生長の家の生き方は、賞める生活である。某月の集まりでわたしはある人を賞めた。善いところばかりを拾ったのである。けれどもわたしに賞められた人はわたしを裏切った人なのである。 頭注版『生命の實相』第22巻 91頁
と、谷口雅春先生は説いてくださってるのになあ。 親の心、子知らず。
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言わせなてはならない事 (65318) |
- 日時:2024年05月30日 (木) 17時59分
名前:元しんと
悲し過ぎて 言葉 もありません。
雅春先生の合掌🙏なさる姿が、、、頭の中で 想像してきます、、、、
「 皆、私の不徳の致すところだよ、、、、」
こんな事、言わせてはいけないです。 だれもがです。
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谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板の管理人様へ (65339) |
- 日時:2024年06月02日 (日) 02時39分
名前:志恩
私は、数年前から【書き込み禁止処分】を あなた様から くだされているので、 そちらへの書き込みは 出来ないのですが、
「谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板」は、 数ヶ月前より、【閲覧】もできない状態になっております。 ”このサイトにアクセスできません”という表示が出て。
すみませんが、 そちらに、何が書いてあるのかわかりませんので、 そちらへの投稿は不可能でも、 閲覧だけは、せめて、させてくださいませんかでしょうか。
それとも、そちらを見ようとしますと、 ”このサイトにアクセスできません” という表示が、私のパソコン画面に表示されるのは、 私のパソコンの方に何か問題があるのかしら。
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閲覧価値なし (65347) |
- 日時:2024年06月02日 (日) 18時30分
名前:出禁仲間
志恩様
第二掲示板の件ですが、 志恩様がご家庭でお使いのグローバルIP(インターネットを利用するために割り振られたインターネット用の住所)が接続禁止になっているので閲覧できない状態です。 閲覧を希望でしたら、 Wi-Fi通信ができる環境(例えば、街のカフェやファミリーレストラン、コンビニ等)に スマホまたはWi-Fi接続可能なノートパソコンをお持ちいただきWi-Fiに接続されたら 第二掲示板が閲覧可能になりますよ。
それかスマホでキャリア(docomoやau)の電波を利用すれば閲覧可能になります。
しかし、閲覧したところで大した記事がないので閲覧する価値ないですよ。 令和6年5月7日から更新もないし(添付画像参照)
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出禁仲間様 (65353) |
- 日時:2024年06月02日 (日) 23時57分
名前:志恩
第二掲示板の件、教えてくださってありがとうございます。 よく理解できました。
私は、ノートパソコンは、持っておりませんし、 スマホでは、掲示板は見ません。
自分の部屋に置いてあるパソコンでしか見ませんので、 このままに、させていただくことにいたしました。
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