生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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本日は、谷口雅春先生 ご命日です。 (65523)
日時:2024年06月17日 (月) 20時26分
名前:三代目管理人

合掌ありがとうございます

 谷口雅春先生のご命日です。

 生前の先生のご功績に心から感謝と敬意を表します。

感謝、合掌


雅春先生ご講話 (65524)
日時:2024年06月17日 (月) 21時00分
名前:⊕「訊」⊕

https://youtu.be/CxwERhp344s?si=91FD7I_R_Cd0wOnu

感謝申し上げます。 (65530)
日時:2024年06月17日 (月) 23時31分
名前:志恩

本日、6月17日は、

谷口雅春大聖師の三十九年目のご命日ですね。

[甘露の法雨]を読誦し、感謝の神想観も心を込めて
いたしました。

ありがとうございます。

唯々感謝。合掌。 (65531)
日時:2024年06月17日 (月) 23時43分
名前:谷口雅春先生に救われし者

谷口雅春先生ありがとうございます。
先生の偉大な御功績に感謝申し上げます。

しかし、神界からこの事業団の体たらくを見られて
どう思われているのでしょうか?

まあ確信犯だから余計にタチが悪い。
誠に嘆かわしいことです。

教団主催の命日祭に参加しました (65534)
日時:2024年06月18日 (火) 00時28分
名前:教団の人間です

 教団に所属している人間です。本日、教団主催の「谷口雅春先生三十九年祭」を拝見しました。当日、総裁のご挨拶を拝聴しましたが、とても残念に感じました。

 まず、総裁の「ご挨拶」の内容が、谷口雅春先生に関連する話ではなく、「男女平等」でした。男女平等の話が45分ほど続きました。この行事に参加した人達は、は谷口雅春先生を偲ぶために「谷口雅春先生三十九年祭」に参列したのです。当然、「ご挨拶」の内容としては、故人に関連する内容であるべきです。ところが、流されたビデオには、谷口雅春先生のお写真も出ませんでした。誰であれ、亡くなられた人を偲ぶイベントで、故人とは関係のない、総裁の個人的な感想を延々と述べるのは強い違和感を感じます。

 これを見たある人が、「これは、総裁のお嬢様を後継者にするために、女性の地位向上に言及したのだよ」と話していましたが、それにしても、納得できませんでした。

 次に、総裁の「男女平等」の話の結論として、谷口雅春先生の説かれた女性の役割に関する考えは古いから、変えましょう、という趣旨の話には残念に思いました。谷口雅春先生のご命日を偲ぶ行事で、いわば谷口雅春先生をディスるように受け取れる話を聞かされたのは、やはり違和感を感じました。

 それと、総裁が戦前の女権向上運動の担い手として平塚雷鳥さんを称賛していました。谷口雅春先生の「女性の役割に関するお考え」(あくまでも総裁の解釈ですが)と、平塚さんの考えを対照することで、ご自分の考えを正当化するような印象がありました。
 ところが、これは他の人から聞いたのですが、平塚さんは女権向上運動を展開すると同時に、谷口雅春先生の教えに共鳴されておられ、生命の実相第26巻にも「平塚明子」として登場しています。つまり、誌友である平塚さんを例に谷口雅春先生のお考えを「古い」と言うのは、論理が成り立たないのです。そもそも、生命の実相第29巻の「女性教育編」を読むと、谷口雅春先生が、そのような男尊女卑の考えをお持ちでないのは明らかです。

 仮に、平塚さんを例に出すなら「戦前、女権拡張運動をしていた平塚さんは、当時、生長の家の信徒でもありました。生長の家の人間神の子の真理は、女性の地位の向上を意味する教えでもあり、それは現在でも通用します。」とでも言えばよかったのです。

 私の教区では、教区七者を含めて拝聴した人のほぼ全てが、総裁の「ご挨拶」に強く失望をしていました。呆れていたと言っても過言ではないです。波風を立てずに黙っておこうかと思いましたが、総裁には正直な感想を言う人は本部にはいないでしょうから、現場から正直な感想をお伝えします。

 

重要な内部告発ですね (65535)
日時:2024年06月18日 (火) 00時39分
名前:本流一信徒

あまりにも重要な告発に感謝します。

曳馬野総裁の反論を待ちたいです。

教団の人間です様 (65536)
日時:2024年06月18日 (火) 02時56分
名前:志恩

6月17日の
総本山での谷口雅春大聖師三十九年祭の
谷口雅宣総裁のお言葉は、教団内の方々は
ライブ中継があり、観ることができたのでしょう。
われわれ信徒は、観れませんでしたので、
総裁は、どのようなお話をされたのかしらと、
思っておりました。

このたびは、話の内容をお知らせくださいまして、
ありがとうございました。

もう、ほんとに情けないといいますか、
三代目総裁でありながら、
本来の谷口雅春先生の真理を全く理解できていない
といいますか
谷口雅春先生に申し訳ない気持ちで
いっぱいになりました。

谷口雅宣総裁ご夫妻の教団本部にいるご長女である
谷口暁子様に、大変な重職を総裁が与えていることからも、
娘さんを、次期総裁にと、総裁ご夫妻が、念頭に
置かれていることはうかがえることです。

谷口暁子様は、かって、生長の家の活動をされたことは
ないお方だと聞いております。

彼女のお話は、私の知る限りでは、
環境問題オンリーです。
数年前に飛田給道場にて、私は実際に彼女の
講話を聞きましたが、お話も、はっきり言って、
ヘタな人で、お話の内容も
なんの魅力も感じられない人です。
聴講者の皆様、ほとんどの皆様が、その話に、しらけていて、
シーンとしてて、拍手した人は、役職のある人とみられる
お一人の人、だけでしたもの、これが事実です。

あの人は家庭向きの人です。

申し上げにくいことですが、
組織の上に立てたら、即、その組織は
破城すると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
はうら ひとひら様のスレッドから一部 引用;
2024年06月16日 (日) 14時41分

>ありがとうございます。
令和6年6月号の『生長の家』機関誌(情報誌)が
月初めに届きました。

その59頁に「本部組織の一部を改革」として
「6月1日付けで機構改革が行われ、

運動推進部は「地球社会貢献部」に改称され、
講師部に「研究課」が新設されました。

研究課では、地域社会貢献部が推進する
業務の宗教的、学問的根拠と展開方法を研究し、
必要な方策を提案します。

本部人事

谷口暁子
(講師部講師教育課課長)
同部部長  <
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

公益法人・社会事事業団を見ましても次々に個人に
対して開示要求するわ、
阪田先生との裁判が敗訴で終わった途端、
今度は、
個人であり、学ぶ会の会員であり、学ぶ会の講師でもある
則天去私様に対する このたびの仕打ちは、
驚き悲しむ思いでいっぱいです。

教団を見ましても
悲しい気持ちでいっぱいになりますけれど、

社会事業団が、個人に対して、内田弁護士を使い
次々に配達証明付きで謝罪要求、並びに、
多額の賠償金(則天去私様に対しては、200万円の)要求を
続けている様を、誰が見ても、おかしいと思える様を

社会事業団と表裏一体である学ぶ会ですが、

そのような社会事業団の言動を

止めようとも されない学ぶ会代表の前原先生、
いったい、あなたは、どうなさってしまったのですか?



雅宣さんは何故、生長の家を名乗るのか。 (65546)
日時:2024年06月18日 (火) 22時55分
名前:本音の時代

雅宣さんは、「谷口雅春先生三十九年祭」で雅春先生の説いた教えを否定していますよね。
それなら、新しく谷口雅宣教を作ったら良いのです。
雅春先生が説いた教えを信じる人達のために、生長の家の名称を返してください。
雅宣さんは、ズルい人です。生長の家の名で飯を食っています。谷口雅春先生の孫であるという事実をもって、賢くない信者の信頼を集め、自己の名声を含め、欲望の達成を目論んでいる。
創始者を絶対的に信じない人が、生長の家総裁職にいるんです。宗教者として信じられないことです。

本音の時代様 (65547)
日時:2024年06月18日 (火) 23時43分
名前:志恩

よく言ってくださいました。
まったくその通りです。

それに、人間には向き向きがあります。
総裁ご夫妻の娘さんの谷口暁子様は
自分の会社を立ち上げたけれど、
倒産して、お母様の純子先生を頼って、
生長の家教団本部に就職し、
活動歴は皆無だというのに、すぐに
本部講師補にさせてもらい、
総裁ご夫妻の娘だという忖度で、
重職につけられ、全国の本部講師を
指導する立場の(講師部講師教育課課長)
同部部長に、なっていますが、
あまりにも能力がなさすぎて、彼女の指揮で
組織がめちゃめちゃになっているということを
教団所属の数名の方々から、言うに言えない悩みを、
漏れ伺っております。

実際に、信徒の激減ぶりを見れば、
それが、わかるでしょう。

その位置に相応しい人でしたら、
それでいいのですが、
そうではない、相応しくない人を
自分たちの娘だからといって、
重職につけるということは
公私混同になるのではないでしょうか。

また、過去の谷口雅春先生の書かれたご文章の中から
現代の科学や常識に当てはまらない箇所は、削除
しようという試みもなされるということも、漏れ伺って
おりますが、

宗教体験とは、科学や常識を遥かに超えたものです。

環境問題という唯物論的なことのみを運動位方針
中心にした教えは、谷口雅春先生の教えとは、
全然違う教えです。

ですから、本音の時代様が言われますように、
「環境問題研究会」というような新しい宗教団体を
谷口雅宣先生ご夫妻は、新たに立ち上げられまして、
新宗教団体として再出発される方が、今の生長の家の
教えの信徒を集めやすいと存じます。

もともとの生長の家教団は、
谷口雅春先生の教えをそのまま継承してくださるお方に、
お譲りになられて....と願っております。



【九折スタジオから (116)】−−生長の家の女性観  谷口雅春大聖師三十九年祭での私の挨拶をまとめ、動画にしました。 (65550)
日時:2024年06月19日 (水) 01時08分
名前:志恩

生長の家総裁
8時間 ·
(44:49)
https://www.facebook.com/Seichonoie.Sosai/


志恩ー
今から8時間前に、
谷口雅宣総裁が、
九折スタジオから (116)】
−−生長の家の女性観
 谷口雅春大聖師三十九年祭での
挨拶をまとめられまして、動画にされました。

この動画だけ載せたかったのですが、載せられなくて、
FBごと載せさせていただきました。




動画を拝聴した感想を書かせていただきます。 (65551)
日時:2024年06月19日 (水) 05時16分
名前:志恩

谷口雅宣総裁が、九折スタジオから
−−生長の家の女性観
 谷口雅春大聖師三十九年祭での
挨拶をまとめられました動画を
拝聴いたしました。

まず、申し上げたいのは、教団の人間です様が
書かれておられましたが、谷口雅春大聖師三十九年祭での
総裁のご挨拶なのですから、創始者、谷口雅春先生を偲ぶ
お言葉が、あるべきはずですのに、それは皆無でしたのには、
私も生長の家の信徒として、驚きました。
谷口雅春先生に対して、
また、谷口雅春先生に救われた全信徒に対して、
失礼にあたるように思いました。

ひどいこといって、ごめんなさい。
でも、全体の内容も、決して、雅春先生の過去のご文章を
褒めてはいませんでしたよね、むしろくさしていました。

男女平等が、書いていないとか。
はっきり申し上げますとね、雅宣さんは、
『生命の實相』を、心を込めて読んだことがないから、
といいますか、読んでも理解できない人だから、
こんなばかなことを言うんです。

そのことはさておきまして、
後からまた、この続きは書かせていただきますが、

雅宣さんは、谷口雅春先生が総裁先生で
いらした原宿本部時代は、まだ小学生でいらしたので、
無理はないとは存じましたが、
組織の主従関係のことを、このたび間違って言われました。


あの当時、女性の本部講師や女性の信徒たちである「白鳩会」は、
男性の信徒たちである「相愛会」に対して、従、の関係であったが、
清超先生時代になってから清超先生が、白鳩会を独立させた、
と言われましたが、それは、正確なことでは、ありません。
間違っております。

私は、谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代の
原宿本部の「白鳩会中央部」に8年間奉職していた人間ですので、
当時の白鳩会のことについては、誰よりも詳しく知っている人間なのです。

私は、原宿本部に、昭和36年1月から昭和43年12月までの8年間、
在職しておりました。

谷口雅春先生が、総裁先生時代の信徒数は、3百万人おりましたが、
当時、そのうちの90%は、女性信徒である白鳩さん達でした。
圧倒的な数の白鳩さん達のおかげで、生長の家の組織は支えられていたのです。

ですから、原宿本部でも、全国の組織でも、
主は、「白鳩会」でありまして、
従は、「相愛会」、「青年会」でありました。

わかりやすく書きますと、

女王様が 「白鳩会」で、
下僕たちが 「相愛会」と「青年会」だったのです。

ということです。

白鳩会は、雅春先生が総裁先生でいらした
その当時から完全に独立しておりました。

清超先生が総裁になってから、
清超先生が、白鳩会を独立させたのではありません。

雅宣さんのお話ですと、
まるで雅春先生は、女性蔑視者みたいに
聞こえましたけれど、それは大変な間違いです。

当時、原宿本部にいた人間として、
正しいことを、証言させていただきました。


追記;
谷口雅春先生は、あの当時から、白鳩会を一番大切に考えて
くださってましたから、白鳩会中央部の部屋も
総合企画局のすぐ隣りの部屋にされたり、

「本部白鳩会」を第一、第三金曜日に開催されて
いらしたのです。
「本部相愛会」も、「本部青年会」も、ありませんでしたが。

男はハリ、女は糸という真理は、家庭における
男の役割と、女の役割、を 言ったのです。

女性に参政権をという社会運動を起こした
その中でも、リーダー格だった平塚らいてうさんは、
外の社会に向かっては、男のような活躍をした人
でしたが、

実際の、人間、平塚らいてうさんは、内である
家庭では2児の母親で、宗教心の強い子供に
育てていると、谷口雅春先生と対談されています。
平塚明子(社会評論家)という名で、
頭注版、生命の實相26巻の130ページに書いて
あります。家庭では、優しい女性として生きていた
のです。


頭注版「生命の實相」26巻の
P108 - P156で、9人で対談していますが、
その中の一人として、48頁にわたって、
谷口雅春先生と平塚さんは、対談されてます。

男女平等ということについては、谷口雅春先生は
書いてはおられませんが、平塚らいてうさんのように
女性なのに社会で活躍している人も認めておられるから、
谷口雅春先生は、平塚らいてうさんと対談したわけで、
言わずもがなであります。

男性に女性がしたがって生きるという真理は、
あくまでも、家庭内でのことを、書いていらっしゃるのです。


つづく


頭注版「生命の實相」26巻
(画面をマウスでクリックすると、拡大します。)

トキ掲示板に、生長の家と平塚らいてうさんのことが書かれてスレッドが、いくつかございますので、再掲します。 (65552)
日時:2024年06月19日 (水) 06時13分
名前:志恩

過去文再掲:
━━━━━━━━━━━━━━━━
旧トキ掲示板
今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2より

>2696:トキ 2015/10/02(金)

「見性」で思い出しましたが、「青鞜」で有名な平塚らいてう
さんも、禅の修行をして、「見性」を認められたと聞いた事があり
ます。その平塚さんは、生長の家が始まると、谷口雅春先生の教え
に共鳴されたときいています。「青鞜」の同人の中には、平塚さん
の紹介で生長の家に入信され、幹部になられた人もおられたとも
あります。

 その平塚らいてうさんですが、谷口輝子先生が、実際に会われた
時に拝見すると、文章から受ける印象とは違い、たいへん大人しい
感じの方だったみたいです。
━━━━━━━━━━━━━━━━
[平塚らいてう]と[平岡初枝](元生長の家本部講師)
二人をセットにして、
検索して見ました。
日時:2023年03月19日 (日) 19時10分
名前:志恩

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<論説>全関西婦人連合会の構造と 特質 - 京都大学

平岡初枝の婦人運動のスタートであっ ... 浦子が全婦発起人大会に
参加したとき、その席上で、平塚らいてうより新婦人協会の創立が表明され.

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全関西婦人連合会機関誌 - 不二出版
http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/hujin.pdf
平岡初枝(一八九一~一九七八). 富山県の小学校教員とし
て処女会や ... 平塚らいてうが,新婦人協会の創立趣意書を
配ったことで知られ. ている。

追記;
平岡先生も結婚されてますよ、早くにご主人を病気で亡くされましたが、
女の子一人、子供がいました。その平岡先生の一人娘さんが、結婚されて
一人息子さんがおられました、つまり平岡先生の孫にあたる男の子でしたが、
大学は東京の早稲田大学卒で、大学在学中に、その平岡先生のお孫さんと
亡き私の夫は、友人でしたので二人で、飛田給道場の練成会に参加したのでした。

━━━━━━━━━━━━━━━━


頭注版「生命の實相」26巻
(画面をマウスでクリックすると、拡大します。)

前に、トキ掲示板へ投稿くださった立葵様の過去文を再掲します。 (65553)
日時:2024年06月19日 (水) 06時23分
名前:志恩

再掲;【平塚らいてうさんのこと】

『白鳩』誌昭和46年8月号の谷口輝子先生の御文章を
紹介申し上げます 。
日時:2021年07月23日 (金) 10時52分
名前:立葵

(前略)
『白鳩』誌昭和46年8月号の谷口輝子先生の御文章「女の生と死」は、全文の引用転載はここでは不可と判断して、輝子先生にこれで間違ひありませんかとお尋ね申し上げつつ概要を紹介させていただきます。

この玉稿は、平塚らいてうさんの訃報に接せられた輝子先生からの、平塚らいてうさんへの御追悼文であると拝しました。

文中には二組の御夫妻が登場されます。
光明思想普及會や日本教文社の取締役も務められて戦前戦中戦後を通して『いのち』『白鳩』等にも多数の短歌や御文章を寄せられた西村陽吉さんと夫人の佳圃さん、そして画家であり指輪の作家でもあった奥村博史さんと平塚らいてうさんです。

西村陽吉さんは、書肆の東雲堂主人であると同時に社会主義者をもって任ずる歌人でもあられました。その方が生長の家に入信されてからの軌跡が『いのちの自覺:求道手記』(昭和13年、厚生閣刊)と『新天新地』(昭和17年、光明思想普及會刊)の二著に綴られてゐます。

前者に於て、西村陽吉さんが生長の家に入信した動機は、不摂生が祟って身体が危なくなった時に『生長の家』誌と『生命の實相』を取り寄せた折しも、夫人から、平塚らいてうさんのお宅でも『生命の實相』を読んでゐると聞き、同時に平塚らいてうさんから九段の軍人会館に於ける「人類光明化運動第四回講演會」のチラシが送られてきたので夫妻で聴講したのだと明記されてゐます。(『いのちの自覺:求道手記』9〜13頁)

この記述は、谷口輝子先生が西村佳圃さんから、入信の動機は平塚らいてうさんに勧められたからだと聞いたと書かれてゐることと一致してゐます。(『白鳩』S46.8 45頁)

(志恩注;西村佳圃さんは、生長の家埼玉県白鳩会県連合会長を長年にわたり
されてらしたお方です。)

文芸雑誌『青鞜』を創刊して婦人解放運動でも名高い平塚らいてうさんが生長の家を友人に勧めるほど信奉された時期があられたことは、一般にはあまり知られてゐないのかもしれません。

しかし平塚らいてうさんは『生命の實相』教育實踐篇第十二章「宗教教育を如何に施すか」の座談会に「平塚明子(はるこ)」さんの御名で参加されてゐます。(頭注版第26巻108頁〜)

その中で平塚さんが谷口雅春先生から直々に参禅の修行で得たことを話して下さいと請はれて雅春先生に次々と答へてゆかれるさまが紙数を費やして記されてゐます。

さらに、昭和30年刊教文新書『愛を語る女性群像』(谷口輝子先生他執筆)の広告チラシには、
>平塚らいてう氏評
>わたしたちの不幸や、苦しみ、惱みの原因を只政治惡、社會惡だけに歸して、自分自身を省みようとしない今の若い婦人たちも、たまには謙虛なこころで、この本を讀んで下さい。
とあります。

さて、生長の家の草創期に、谷口輝子先生は制定されたばかりの生長の家のマークの図案で奥村博史さんに指輪を作っていただいては、と人から奨められたので承諾されたところ、夫人の平塚らいてうさんが出来上がった指輪を届けに来られたと「女の生と死」に書かれてゐます。(『白鳩』S46.8 46頁)
そして予想に反して上品な美しいしとやかな平塚らいてうさんが「元始、女性は太陽であつた。…」と宣言された御事情を憶念してゆかれます。

>天照大神は肉體的には女身を現してゐられるが、その靈性は陽であつて男性だと私は教へられてゐる。…天照大神の靈系を繼いで居られるのが日本天皇であり、男性であるのが正しいとされてゐる。
(『白鳩』S46.8 50頁)

の段落は、平塚さんの、天照大神が女身で現れ給うたので元始は女性は太陽の如く立派であったものが次第に低められていったといふ女性観に対しての生長の家の御教への御立場を表明された御言葉ではないかと、畏れ憚りながらも拝し奉ります。

無論、このお言葉は、皇位の男系継承は神話時代から一貫して当然であったために敢へて云ふまでもなかったので、雅春先生の御文章の基調は今日なされてゐるやうな男系か女系かと両者を対比させた議論の形とは一線を画してゐると拝されます中で、するための議論ではなく自然に書かれたお言葉ゆゑ、どれほど心強い御一文であるかは申すまでもありません。



そして輝子先生は率直に、平塚らいてうさんが自身の結婚生活を結婚と呼ばずに実家から分家した平塚家の当主として奥村氏との「共同生活」と称したことへの違和感をも記されてゐます。
ところが、らいてうさんの死亡を告知した新聞に「本名奥村明(はる)」と記されてあり、「いつの間にその心が變つたのか」「らいてうさんは何故奥村姓に變られたのか、私は知らない。」とあります。(『白鳩』S46.8 48頁)

そこで、この間の消息を平塚らいてうさんの自伝により辿ってみました。

>さてここで、わたくしは、奥村との婚姻入籍についてふれなければなりません。
>日記というものを、ほとんどつけたことのないわたくしですが、昭和十六年八月十四日の日付で、こんなことがしるされています。
>「朝、山崎今朝弥さんを訪問、婚姻届の証人を依頼、快く引受けて署名捺印して下さった。いま一人を曙町の姉さんになって貰ふ。それをもって、お父さんに渋谷区役所に行って頂く。無事、婚姻届はこれで済んだ。長い間の懸案が片付いてうれしく、安心したやうなものの、しかし同時に平塚家の廃家は、またなんとも一方で淋しいものも感じられる。しかしお父さんが満足して下さるならこれが何よりの慰めであり、よろこびとしやう。また敦史にも幸することなのだもの……」

>ここに「お父さん」とあるのは、むろん奥村のこと。日記に書いてあるように、この日わたくしは、奥村との婚姻届を完了したのです。大正三年、ふたりが共同生活をはじめてから、二十七年目のことでした。わたくしが奥村姓となることを、もっともよろこんだのは奥村でした。(中略)

>根が自由人の奥村のことですから、この法律無視の独自の結婚生活に、世俗的な意味でこだわったということではありません。そんなありきたりのことでなく、奥村の気持としては、戸籍に記載された「妻」として、わたくしとの絆を自分の手でしっかりにぎりしめていなければいられないおもいが、たえず胸にわだかまっていたのでしょう。そしてそれは、奥村の気持の内部に、相当切実な要求として、長いあいだくすぶっていたのは事実でした。(後略)
(『続 元始、女性は太陽であった』戦後篇22〜23頁 昭和47年、大月書店刊、文庫版は平成4年発行のC37〜38頁)

平塚らいてうさんの功績と人生の厚みはあまりにもスケールが大きくて今の私などには到底論ぜられるものではありません。しかし、らいてうさんが奥村家に入籍されるにあたっての素直な気持を夫君への思ひ遣り溢れる爽やかな一文にしたためて自伝に入れられたことは、貴いことだと思ふ次第です。
再拝



雅宣さんは、古い信徒である、私のいうことなど、バカ・シオンと思っておられますから、バカ・シオンが、またなんか、グダグダ、ほざいてるとしか受け取っておられないと思いますが、一応申し上げます。 (65554)
日時:2024年06月19日 (水) 07時10分
名前:志恩

>雅宣さんは、
谷口雅春先生が総裁先生時代でいたときは、
女性の本部講師や女性の信徒たちである「白鳩会」は、
男性の信徒たちである「相愛会」に対して、従、の関係であったが、
清超先生時代になってから清超先生が、白鳩会を独立させた、
と言われましたが、それは、正確なことでは、ありません。
間違っております。<

というのは、事実ですからね。
また、このことを繰り返し、おっしゃらないでくださいね。

お話によれば、白鳩会会則をかえるそうで、
中央委員会→参議会にかけて、
谷口雅春先生が白鳩会を付属みたいに扱っていたが、
(雅春先生は、決して白鳩会を付属みたいに扱ってなんか、
おられませんでしたけどよ)

ポイントは、女性の立場の変化に伴い

過去の、谷口雅春先生時代の時のような
固定的役割分担論を主張するのは、やめましょう。

と、男女平等論を、新・生長の家では、ぶち上げるそうで..。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生長の家教団の繁栄をお祈りします。

再掲:谷口雅春先生が総裁先生時代の昭和36(1961)年の写真。 (65566)
日時:2024年06月20日 (木) 08時18分
名前:志恩

小学生時代の谷口雅宣さん、谷口輝子先生、志恩が
一緒に写っている写真がございます。
(59435)
日時:2023年07月02日 (日)
名前:志恩

(シオの部屋より転載)
昭和36(1961)年と、この写真の裏にメモしてありました。

一番手前に写っている小学生の男の子が、谷口雅宣さんです。

谷口輝子先生が、原宿本部の「白鳩バザー」へお買い物に
いらした時の写真です。

輝子先生の手前に写っている娘さんは一般信徒さんの
お子さんで、輝子先生のお孫さんでは、ありません。
(本部・神泉の間にて)

志恩は、一番奥のところで黒いスーツを着て写っています。

この日は、輝子先生がお買い物された品物を持つように言われ、
私は輝子先生の、あまり近くへ行っては失礼かと考えまして、
少し離れたところにおります。

志恩のすぐ手前の、モナリザのようなお顔をされている
小柄な中年女性が、片岡松枝白鳩会事務局長です。
(服部仁郎先生を生長の家に導かれた彫刻家の
片岡環先生の奥様です。)


※写真をマウスでクリックすると拡大します
(一番手前に写っている少年が、谷口雅宣さんです。)
(今から63年前、雅宣さんが、9歳か10歳のとき)

逃げたね (65568)
日時:2024年06月20日 (木) 09時28分
名前:本流一信徒

曳馬野総裁、逃げたね

これからです。 (65578)
日時:2024年06月20日 (木) 12時25分
名前:志恩

いえいえ、曵馬野総裁さんは、これからゆっくり、
バカ・シオンをやっつけに、出てこられますよ。

「バカ・シオン、早く死にやがれ。」と言いに、  

     ゎ‹ゎ‹( ˘  ˘)ゎ‹ゎ‹

谷口雅春先生は「男女平等」の精神を実践されていらしたお方でした。 (65591)
日時:2024年06月21日 (金) 07時57分
名前:志恩

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「男女平等」を日本国憲法草案作成した
ベアテ・シロタ・ゴードンさん。

ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、
GHQ民政局員として日本国憲法草案作成に携わりました。

新憲法作成のおり、
第14条「法の下の平等」、
第24条「両性の平等の原則」の条文を
ドイツの憲法から引用して作成し盛り込んだ人です。

(ベアテさんは、その時、22歳のアメリカ人でしたが、
過去、日本に5歳から15歳まで、いたことのある人で、
彼女は、オーストラリアでユダヤ人の両親のもとに生まれた人です)


ベアテさんは、「1945年のクリスマス」という著書も出しました。

Wiki;
1923/10/25  オーストラリア のウイーンで生まれる
2012/12/30  アメリカ、ニューヨーク、マンハッタン(89歳)没
1946年、 日本国憲法制定に関わった人物

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Q;憲法は男女平等をどのように定めていますか?
A:第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない

Q:具体的には、
A;女性や女児に対するあらゆる形態の差別・暴力の撤廃です。
未成年の早期結婚や強制結婚、女性器切除などの有害な
慣行をなくすこと、また無報酬の育児・介護や家事労働の評価
などが盛り込まれています。


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志恩ー
日本国では、女性に「参政権」といって女性が政治に参加して
選挙で投票する権利が 以前は、ありませんでした。
また、女性は、選挙に立候補する権利「公民権」もありませんでした。

大正9(1920)年、「新婦人協会」が設立し、
市川房枝、平塚らいてう、etc,
(元、生長の家本部講師の平岡初枝先生は、その会の書記長
だったと、私は平岡先生に直にお聞きしました。
平岡先生は、生長の家に入信する前は、そのメンバーの一員で
熱心に日本の女性が「参政権」を得るための社会運動をされて
いたお方でした。)

1936年3月7日、3月7日とは輝子先生のお誕生日の日ですが
その日に白鳩誌の創刊号が、発売されたそうです。

また、それから後の平成11(1999)年に、内閣府「男女共同
参画局」ができたと雅宣総裁は、お話しされました。

では、生長の家創始者・谷口雅春先生は、
「男女平等」の精神を持たないお方だったのでしょうか。

糸とハリの真理をお説きくださっていましたから、、
という疑問ですが、

私は先に書かせていただきましたが、
女は男に従って生きるという真理は、、
家庭内での男の役割と女の役割を
言われたと思っております。

だからといって、男が台所へ
立ってはいけないとか、男が、女みたいに編み物をしていけない
などという、狭い考えを述べられたことは一度もありませんでした。

もしも、谷口雅春先生が、男女平等の精神に欠けていたお方で、
男尊女卑の精神をお持ちのお方でしたら、
本部講師も地方講師も
女性が就任することを禁止されていたはずです、

平塚らいてうさんや、市川房枝さんと共に、過去、
参政権獲得のために、社会運動を熱心にやり、
彼女たちの仲間であった平岡初枝先生を、
白鳩会全国講師に、本部理事に、
また、全国白鳩会副会長に就任させることも
なかったことでしょう。

これも先に書きましたが
昭和30年代後半は、生長の家の信徒数は、3百万人いました。
そのうちの90%は、女性信徒が占めていました。

多くの白鳩さんたちのおかげで、生長の家が成り立っていたと
言いましても
過言ではありませんでした。

その白鳩会を、谷口雅春先生が、
相愛会、青年会の、付属として扱っていたと、
雅宣総裁は、言われましたが、
再度言いますが、それは大きな間違いです。

多くの白鳩会員の支えがあってこその生長の家でしたのに
白鳩会を付属に扱うわけないじゃないですか。

あの当時から、白鳩会は、独立しておりました。

このことも、谷口雅春先生が総裁でいらした当時、
原宿本部の「白鳩会中央部」に所属していた私が
生き証人として証言いたします。



それから、「青年よ夢を描け」という
谷口雅春先生の壮大な詩がございますが、

どこに、青年とは、男だけのことある、なんて
但し書きがありますか、ないですよね。

私の兄弟姉妹も、あの詩に感化されまして、
弟だけでなく、妹たちも夢を描き、
自分の夢を達成できました。

谷口雅春先生、ほんとうにありがとうございます。




ベアテさん、市川房枝さんに同行

ベアテ・シロタ・ゴードンさん、「徹子の部屋」に登場 (65597)
日時:2024年06月21日 (金) 12時22分
名前:アクエリアン

「徹子の部屋」ベアテ・シロタ・ゴードン 1996.5.2
https://www.dailymotion.com/video/x6efuez

これは貴重な映像ですね。

私は、鈴木邦男さんのレコンギスタに連載していた記事によって、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの日本国憲法との関わりについて、初めて知りました。

この記事は、レコンギスタとは別なメディアに掲載されていた鈴木邦男の「愛国問答」第116回ベアテさんのこと
https://www.magazine9.jp/kunio/130109/




アクエリアン様 (65598)
日時:2024年06月21日 (金) 16時04分
名前:志恩

>「徹子の部屋」ベアテ・シロタ・ゴードン 1996.5.2>

志恩ー
ベアテさんは、「徹子の部屋」に出ていらしてたんですね。
存じませんでした。日本語も流暢に話されていて、
アメリカからお越しになられたそうですが、頭のいい人なんですね。
今から28年前、ベアテさんが72歳の時のものです。
貴重な映像を御紹介くださいまして、ありがとうございました。


鈴木邦男さんは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの日本国憲法作成
の時の女性の権利を盛り込んだ作業をしたことを、高く評価されて
いる人でした。

私は、鈴木邦男さんが亡くなられる数年前の、「一水会フォーラム」
へ鈴木邦男さんお話を聞きに、一度だけ行きました。
行ったのは、2019年01月15日、開催場所は、市ヶ谷でした。


その時も、鈴木邦男さんは、
ベアテさんのことを評価して、講話の中で、話しておられました。

今は、ベアテさんも、鈴木邦男さんも、亡くなられているのですね。

(鈴木邦男さんは、2023年1月11日に、79歳で亡くなられました。)


[24条知ってるかい、]守屋浩 歌
https://www.youtube.com/watch?v=W2JpJWw6KYM


晩年のベアテさん



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