生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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亡き・鈴木邦男さんについて、トキ掲示板に載った過去文集 (65599)
日時:2024年06月21日 (金) 16時30分
名前:志恩

志恩ー

他スレッドでアクエリアン様が、お懐かしい鈴木邦男さんの
話題を書かれましたので、

別スレッドを、立てて
過去に、トキ掲示板で語られた
鈴木邦男さんのことを、
まとめて、再掲させいただきます。


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(57309)
日時:2023年03月25日 (土) 00時17分
名前:梶猛弩

 鈴木邦男氏は、年齢は20歳以上違いますが学生時代に何度かお会いしたことがあるので、お亡くなりになられたと聞いたときは、何とも言えない寂しい気持ちになりました。

 まだ、一水会の事務所が高田馬場の木造2階建の宝来食堂の2階にあった頃です。
 当時は、テレビ出演とかされる前で、民族派の論客として一部では名を轟かしていたものの、一般の方にはまだまだ知られておらず、
 その後“朝まで生テレビ”とかに頻繁に出演されるようになったときは、びっくりしました。
どちらかと言えば、温厚な学者肌の方で、討論番組に出るようなイメージが全くしなかったためです。

 大学を卒業してから私は全く違う道に進んだたため、30年以上お会いしてませんが、今となっては、あの当時が懐かしく思い出されます。

 後世に名を留められる方の下で短い期間ですが勉強させていただいたことを深く感謝しております。(ちなみに“一水会”とは、“毎月第1水曜日に定例的に勉強会を開催するという意味で名付けられたと会の席上聞いておりました。)
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なぜか日本会議界隈から批判されない鈴木邦男さん (57407)
日時:2023年03月25日 (土) 22時58分
名前:神童会のチコちゃん

鈴木邦男さんは言いました。

「自由のない自主憲法よりも、自由のある押しつけ憲法を」と。

「憲法改正だー!」と声高に叫ぶ日本会議界隈からすれば、
鈴木邦男さんは反日売国奴ということになります。

でも、なぜか日本会議からも谷口雅春先生を学ぶ会からも
批判の声は聞こえてきません。

なぜでしょう。

答えは簡単です。

鈴木邦男さんと「話し合える人」がいないからです。

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カワイイ♪ (57411)
日時:2023年03月25日 (土) 23時12分
名前:神童会のチコちゃん

まぁ、鈴木邦男さんへの批判は、反論が来ない帰りましょう掲示板に書くのが精一杯なんでしょう。逆にカワイイわ(笑)。

鈴木さんに面と向かって批判して、議論した人、いないでしょ。

負けるからね。

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鈴木邦男さんは1時間18分のドキュメンタリー映画にもなりました。アマゾンコムでDVDになって売られています。 (57414)
日時:2023年03月25日 (土) 23時50分
名前:志恩

▶新右翼? 民族派リベラリスト? “謎の右翼活動家"鈴木邦男の真の姿を描き出すドキュメンタリー!
▶2020年2月公開の話題作が、早くもDVDリリース!

●この映画の解説より
劇場公開直後の話題作、DVD緊急リリース! “右"も“左"も関係なしに様々な人たちと交流し続ける“謎の右翼活動家・鈴木邦男"の真の姿に迫るドキュメンタリー!
生長の家の信者の家に育ち、早稲田大学では左翼と闘ってきた生粋の右翼活動家・鈴木邦男。17歳の時に初めて、同い年の大日本愛国党党員・山口二矢が、日本社会党党首を刺殺する映像に心を揺さぶられ、“愛国"に身を捧げることに目覚めたという。大学時代には、今の「日本会議」の前身団体「全国学協」の代表まで登りつめたが、失脚。その後、新聞社に就職するも、右翼運動に自らが引き入れた早稲田大学の後輩・森田必勝が25歳にして、三島由紀夫と自決したことに衝撃を受け、職を辞し政治団体「一水会」を立ち上げることに。政治的・思想的な挫折と葛藤を繰り返す中で見えてきたのは、自らが訴えてきた「愛と正義」「愛国心」さえも疑うこと、そして異なる意見や価値観を持つ人たちの言葉に耳を傾けることだった。社会から疎外された者たちに向ける鈴木のまなざしは限りなく優しさに満ちている。本作は、そんな数奇な運命を生き抜いてきた鈴木邦男に密着。加えて、麻原彰晃の三女・松本麗華、元オウム真理教の幹部・上祐史浩、元日本赤軍で映画監督の足立正生、作家・雨宮処凛、拉致被害者家族会の元副代表・蓮池透といった多彩な人たちが語る言葉から、“謎の右翼活動家・鈴木邦男"の真の姿に迫るドキュメンタリー映画である。監督はニューヨーク大学大学院で映画を学び、エミー賞ノミネート作品『東京裁判』に脚本として参加した中村真夕。共同プロデューサーは、『沖縄 うりずんの雨』や『毎日がアルツハイマー』など、ドキュメンタリーの話題作を数多く生み出してきた山上徹二郎が務めている。

●鈴木邦男プロフィール
鈴木邦男(すずき くにお 1943年8月2日~)は、政治活動家、新右翼団体「一水会」元顧問。既存の右翼と一線を画した行動と言論から、「新右翼」と呼ばれる。今では左翼、右翼にとらわれない民族派リベラリストの論客として知られる。



映画「愛国者に気をつけろ」DVD、
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鈴木邦男氏は、2016年8月1日、
生長の家総本山へ行き、
谷口雅春先生のお墓・「興津城」も参拝されておられます。


再掲:
日時:2019年01月20日 (日) 17時08分
名前:志恩


今から約2年前の  2016年8月1日、
鈴木邦男さんは、生長の家九州総本山へいらして、
谷口雅春先生のお墓・「興津城」も参拝されておられるのでした。

ぶっとばせブログに、そのことを
当時、鈴木邦男は、書いていました。


【鈴木邦男をぶっとばせ! 生誕100年祭。そして長崎へ】より
  一部のみ 抜粋
http://kunyon.com/shucho/2016/160808.html

今年(2016年)も7月30日(土)に、行われました。
「鈴木邦男生誕100年祭」です。

もう6年くらいやってますが、ずっと100年祭です。
毎年やってるのに。これ以上は年を取らないんですね。
本当は8月2日が誕生日なんですが、

その近くの土曜か日曜にやってます。
初めは単なる「誕生日会」だったんですが、
今では、思想的、文化的な 趣も加わり、楽しい、
ドキドキするものになってます。



今回は3部構成で、
その一つ一つを、女性が司会し、リードします。

第1部では、最近の「日本会議ブーム」にちょっと触れました。

これは40年ほど昔の学生運動の仲間たちの物語です。
一緒に運動をした人です。

その後も残り、運動を続け、日本会議として成功したのです。

第3部「鈴木とガールフレンズ」

心理学では、自分の歴史の中で、一番厳し鍛えられたものを、
何とか、「忘れたい。無視したい」という気持ちはあります。


「鈴木邦男生誕100年祭」の時には、随分と集まりました。

生誕祭が終わって考えてみたのですが、

今年は、「生長の家」の話が 多かったと思いました。

大学時代は「生長の家学生道場」にいたし。
全国から35名の大学生が集まってました。

勉強、修行の場であると同時に、運動の中心地でもありました。

生長の家の谷口雅春先生にも月に一度、ご自宅で、お話を聞く会がありました。

これは学生道場生にだけ認められた特権でした。

又、大学生の組織(=生学連)に入り、そこの書記長になり、
全国を飛び回りました。

さらに、生学連を中心にして、全国の民族派学生をまとめる組織
(=全国学協)が作られ、私は初代の委員長になりました。

でも、それから1ヶ月で、私は「無能」であることが分かり、
追放されました。

そして、一旦は、故郷の仙台に帰り、
本屋の店員をしていた。

70年に縁があって産経新聞に入社。
もうそれからは「運動の世界」に戻ることはない、と思っていたのに、
その年、11月に三島事件が起こる。

昔の仲間たちと会い、72年に一水会を作る。

そして再び、「運動の世界」に戻されました。

A翌日は、昔の同志・井脇ノブ子さん(元生長の家)に会いました


一度は、運動の世界から追放され、
自分でも、もう戻ることはないと思って
産経新聞に入ったはずなのに、とても奇妙な話でした。

自分では、嫌なことは避けよう、忘れようと思っていたのに、
あの事件がずっと尾を引いていたのでしょう。

悔しさもあったし、
このまま終わったらいけないという思いもあった。

又、事件からしばらく経って、

谷口雅春先生が〈内ゲバ〉を悲しみ、
「やまと新聞」に書かれていました。

この中で、私のことを
「日本の国士と言われる人になるでしょう」書いておられました。

涙がこぼれました。

無能で、ダメなリーダーだったので、追放されただけなのに、
そんな思いを持っていて下さったのか…と。

そういえば、今でも、谷口雅春先生のおかげで 生かされていると 思います。


「生命の実相」の40巻は、10年に1度ずつ 読み直しています。


又、キツイ時や、大変な時があると、
いつも「生長の家」の教えが 私を救って くれました。

それなのに、何もしていない。

感謝の気持ちも伝えてない、と思いました。

7月30日(土)の生誕祭で、
あっ、谷口雅春先生の教えが基になって生きてこれたんだ、と思いました。

そして、何故か、急に「生長の家」の世界へと 戻されたのです。


翌、7月31日(日)は、
新日本美術展に絵を見に行きました。
元衆議院議員の井脇ノブ子さんが絵を出展していたからです。

久しぶりに会って話をしていたら、
「今、日本会議がヤケに取り上げられてるね」という話になりました。

あれっ? 井脇ノブ子さんは 日本会議に入ってたんだよね、と聞きました。

国会議員として、日本会議の先頭を走っていたのです。
「でも、ある事件があって、やめたんや」と言ってました。

その前には、生長の家です。

元々、生学連の運動をしてたのです。


そうか。私が全国をオルグして、
井脇さんを 大学の「自治会選挙に出ろ!」と言ったのだ。

そして当選。

1969年の 全国学協結成大会の時は、副委員長だった。

「鈴木さんは 委員長だったんやね」と井脇さん。

でもすぐ、クビになってしまった。

書記長は安東氏。執行委員には椛島氏、高橋氏、衛藤氏(現・国会議員)。

今は、議員、大学教授になった人が沢山います。
優秀な人たちが集まっていたんです。

_____________________

「そうだ、明日、長崎の 生長の家総本山に行って、
谷口雅春先生のお墓に お参りに行くんですよ」と言いました。

昔の生長の家の仲間が、誘ってくれました。

「鈴木さんは、谷口先生に一番お世話になり、
信じてもらったんでしょう。ちゃんとお墓参りに行って感謝しないと」
と言われたのです。

その通りだなと思って、2016年8月1日、長崎に行きました。

生長の家総本山は もの凄く 広いのです。

そこに、練成道場や 神社などが あります。

後に谷口先生のお墓も造られました。

広い、大きな山一帯が全部「生長の家」です。

学生時代、私は何度も来ました。


「献労練成」と言って、道場を造るために働くのです。

土を運んだり、木材を運んだりして、一日中、働くのです。
そして 夜は講義です。それが「献労練成」です。

お金を払って、働かせてもらうのです。
これは 宗教でなくては味わえません。

その献労の甲斐あって、壮大な建物ができ、
それを見たのは、今回が初めてです。

本当に感動でした。

「生長の家」が 直に私の体の中に住みつき、

いかに影響を与えていたか、

を実感しました。


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鈴木邦男氏が尊敬していると言っていた保阪正康氏の発言。
ここでは、東條英機はコミンテルだという言葉ないが、
東條英機の戦争責任について述べている。 (57436)
日時:2023年03月26日 (日) 07時18分
名前:志恩

2022.12.10

太平洋戦争に突き進んだ「東條英機世代」の正体がヤバすぎた…
「世代」で昭和史を読み解いてみたら
保阪 正康 プロフィール

東條英機と山本五十六…あまりにも対照的な姿

太平洋戦争の指揮を執り、大正世代の兵士や軍属を200万人も
戦死させたのは、明治17年(1884年)生まれの東條英機を中心とする体制だ。

同い年の生まれには、戦後に内閣総理大臣を務めた石橋湛山、
政治家の三木武吉もいる。
海軍の山本にしても、石橋や三木にしても、東條ほど好戦的な人物ではなかった。

彼らとは対照的に、東條英機はイケイケドンドンで太平洋戦争に突き進む。
慨嘆すべきことに、日露戦争(1904〜05年)
当時に陸軍士官学校在学中だった東條は、本格的な戦闘体験がないまま
日本軍の最高指揮官に就いてしまった。
保阪正康氏は、東條の発想の特徴を5点にまとめる。
https://gendai.media/articles/-/103197?page=3

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2019.1.15一水会フォーラムでの鈴木邦男氏の言葉 (57437)
日時:2023年03月26日 (日) 07時28分
名前:志恩

再掲:

鈴木邦男さんが、講演のとき、皆様に読むといいと、
勧めていた人の本は、

保阪 正康(ほさか まさやす)という人の本でした。

で、

保阪正康とは、
どういう人かと 調べてみましたら、
昭和史、近代史の研究者の第一人者で、1939年 生まれですから、今、79歳。

過去、鈴木邦男さんのぶっとばせブログで、鈴木邦男さんが
彼を紹介していました。


●鈴木邦男をぶっとばせ!∇保阪正康さんの講演と志と友情
http://kunyon.com/shucho/2016/161205.html


●保阪正康 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7



●「平成とは何だったのか」
(1) ノンフィクション作家・保阪正康氏 2018.5.16 - YouTube
(1:54:24)
https://www.youtube.com/watch?v=t0iUvfKd5R0


さらに
保阪正康で、検索していましたら、彼のご長男さんが校内暴力にあい、
自殺していました。1993(平成5)年2月26日に。
それで、
保阪正康は『愛する家族を喪うとき』という悲しみが癒えない自分の
心情を吐露した本も著しています。私は、未読ですけれど。



保阪正康が学びについて、どのように考えているかを知る著書は、

『実学と虚学』学びは人をどう変えるか PHP文庫

本を買わなくとも、ブックレビューだけで、
このお方の 人となりや、考え方が 伺えます。


ブックレビュー

●5つ星のうち4.0何かを学びたいのだけど
方向性が分からない人のために

今、漠然と自分に何か「学」が足りないと思っている人、
しかし何をどういうふうに学べばよいのか分からない人、
そして学ぶ側だけでなく教える側にとっても格好の指針となる本であると思う。

現在、私も漠然と色々な本を読み自分を高めたいと考えているのだが、
この本を読んで自分でも曖昧だった目的がクリアになってきた。

タイトルの「実学と虚学」であるが、本文中で著者は、

実学 … 自分が「人間的に」生きる姿、人生での価値を高からしめる姿、
     それを求める心に忠実に従って教えを求めること。

虚学 … 自分が「社会的に」生きる姿、社会での自分の価値を「表面上」高から
    しめる姿、その利害を求める心に従って教えを求めること。

と述べている。

つまり学歴や資格、スキルの勉強は虚学であり、
本文で登場する方々が学ぶ仏教学、福祉学、哲学、数学などを実学の例としている。

おそらく多くの一般人のイメージである「実学と虚学」とは逆の結果で用いていることは
興味深いところで本書の核心でもある。

本文中には4人の例と著者自身の体験から数多くの納得させられる
「学び」に関する考えが散りばめられている。
私が気に入ったものの一つに以下があった。

(一部まとめ)

「自分にとって本当に学びがいのあること」を探す、ということは、
本当の自分とは何か、を探し求める「自分探しの旅」と言い換えてもいいだろう。

この場合、「本当の自分」とは今存在している自分ではなく、
この私が成長し、発展し、育っていく自分、むしろこれから自分がなっていく自分である。

こう考えると、「学び」とは無限に自分の像を求めることであり、
そこには終わりがなく死によって「学び」は終わりを告げることになる。


●5つ星のうち5.0最高の「実学書」

一人の大学生として、また、家庭教師という形で
教育に携わるものとして、実に感銘を受けた。

東大の教授方が書いた専門用語だらけの本よりも
ずっと説得力のある文章だった。

私が家庭教師として常日頃思い知らされる
「教師は魅力的でなければならない」という信条に
理論的な根拠を見出せたような気もした。

魅力的でない人の話など、誰も聞かないことを、
私達はもっと意識するべきだ。

コミュニケーションと魅力というのは実に密接に関連している。

ゲームの例で恐縮だが、かつて「三国志」というゲームの中で
武将のパラメーターに武力と並んで魅力というパラメーターがあった。

ゲームの内容はタイトルが的確に著していて
歴史上実在した武将たちを操って中国統一を目指すのだが、
ゲーム内において、武将の魅力が高いと、
同盟交渉やリクルート、国家の統治がうまくいくのだった。

ゲームと同じように、教授にもパラメーターが
あったとしたらどうだろうか。

魅力と授業の評価はきっと正比例するに違いない。

そういう意味でこの本の魅力は高い。

作者の魅力を反映しているからだろうか。

最高の「実学書」だ。

星五つ。


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鈴木邦男さんが亡くなり、非常に寂しいですね (57444)
日時:2023年03月26日 (日) 09時23分
名前:アクエリアン

鈴木邦男さんについていろいろな考え方の人がそれぞれの考えを書き込みされていて、なかなかいいですね。

十人十色、みなさん、それぞれの考え方がある。

完全一致ということはあり得ない。

それは共産主義、全体主義につながる、鈴木邦男さんが最も嫌った考え方で、私が鈴木邦男さんから学んだことです。

最も大切にしなければならないのは言論の自由で、これがなくなれば、容易に全体主義社会に移行してしまい、人間としての生存の意義が失われてしまい、反論が許されない社会は、結果的に人類に大災厄をもたらしてしまいかねない。

今回のコロナ騒動でも、ワクチンに疑義を唱える言論は非常な弾圧を受けて、結果として、史上最悪の薬害をもたらしてしまいました。

ですから、兎も角、言いたいことが自由に言える社会、言論の自由は、絶対に死守しなければない、これが鈴木邦男さんが最も訴えたかったことではないのか、そんなことを思っています。

ということで、STEVEさんがリンクを貼ってくれた

【右向け右】第113回 - 日本会議と生長の家/鈴木邦男・一水会顧問 × 花田紀凱(プレビュー版)
https://www.youtube.com/watch?v=OSEHUtSWgjs

なかなk興味深いですね。
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鈴木邦男さんは、1984年ごろ、筑紫哲也が編集長を務める朝日ジャーナルの取材を受けて、右翼民族派の「若者たちの神々」の一人として取り上げられて、一躍、民族派のカリスマとしての地位を獲得。その影響があってか、一水会に入会する人が増えたそうです。

1987年にニューヨークタイムズの取材を受け、ニューヨークタイムズ・マガジンの記事に鈴木邦男さんが取り上げられています。

A NEW JAPANESE NATIONALISM
(新しい日本のナショナリズム)
By Ian Buruma
April 12, 1987
https://www.nytimes.com/1987/04/12/magazine/a-new-japanese-nationalism.html

IN A STUDENT AREA OF Tokyo called Takadanobaba, behind a peculiar sculpture showing a nude Marilyn Monroe about to pounce on a sumo wrestler, lies the office of Kunio Suzuki, leader of a ''spiritual movement'' called the Issuikai.
東京の高田馬場という学生街にある、マリリン・モンローのヌードが力士に飛びかかろうとする奇妙な彫刻の裏に、一水会という「精神運動」のリーダーである鈴木邦男の事務所がある。

The group produces a monthly paper called Reconquista, which aims to reconquer what Suzuki thinks has been lost: the pure Japanese spirit. On the wall of Suzuki's tiny office hang pictures of Emperor Hirohito in uniform, snapped sometime during the 1930's, and of Yukio Mishima, the ultranationalist writer who committed seppuku, a form of ritual suicide, in 1970.
このグループは「レコンキスタ」という月刊の機関誌を発行しており、鈴木が失われたと考えているもの、つまり純粋な日本精神を取り戻すことを目的としている。鈴木の小さな事務所の壁には、1930年代に撮影された天皇陛下の制服姿の写真と、1970年に切腹した超国家主義作家の三島由紀夫の写真が飾られている。

Suzuki is a quiet man in his early 40's, casually dressed, more like a research fellow than a right-wing activist. He receives many fan letters from young women, who profess to admire his romantic spirit.
鈴木は40代前半の物静かな男で、右翼というより研究員のようなカジュアルな格好をしている。彼のもとには、そのロマンティックな精神に憧れるという若い女性たちから多くのファンレターが届く。

He explained that ''because of biased textbooks'' many people of his generation felt guilty about the Japanese role in World War II, ''and people who did better than I did at school all joined the left-wing student movement.'' He concluded that there was something wrong with Japanese education. He also worries about the spiritual state of most Japanese, ''who spend their time reading comics and watching TV,'' but he conceded they were probably quite content.
彼は、「偏った教科書のせいで、第二次世界大戦で日本が果たした役割に罪悪感を持つ同世代が多く、私より成績の良い人は皆、左翼の学生運動に参加していた」と説明した。彼は、日本の教育はおかしいと結論づけた。また、「マンガを読んだり、テレビを見たりして過ごしている」多くの日本人の精神状態も心配だが、「おそらく満足しているのだろう」と認めた。
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(57447)
日時:2023年03月26日 (日) 12時16分
名前:梶猛弩

 怪しげなルポライターが本にして、その後も世間一般の共通認識となってしまった、鈴木邦男氏の全国学協追放劇は、A氏との権力闘争に敗れたとか、権力の暗躍がどうのとか、好き放題書かれていますが、(本人もその方が面白いので積極的に否定しなかったのかもしれませんが、)
そんなドラマや漫画の世界の話ではなくて、単に、鈴木氏の考え方が他のメンバーと違い過ぎて、他のメンバーがとてもやってられないと感じてさっさと解任されたということのようです。

 事実、鈴木氏が生学連で活動されていた頃の全国学協のメンバー(その後、日本会議の事務局や政治家や学者になった人達)とは、しこりなく普通にランチに行ったりしていました。
 憲法改正を目指すという最終目標では、(少なくとも昭和の時代には)一致していたのに何故かというと、
決定的だったのは、自民党政権に寄り添うのか反権力反体制か、反共の手段として親米路線か反米路線のどちらを取るかということでした。
 これは、掲げるスローガンとしても、目標達成のプロセス・手段としても全く異なるものになってしまい、全国学協執行部多数の考え方と相容れません。鈴木氏の委員長早期解任は当然というか必然だったと当時聞いています。
(より掘り下げた部分は項を改めて書きます。)
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(57449)
日時:2023年03月26日 (日) 13時15分
名前:梶猛弩

 鈴木邦男氏の思想の根底に流れていたのは、“反権力・反体制”です。これは一貫して変わってません。
 
 戦前の日本に喩えれば、贅沢三昧の政治家・軍首脳部・財閥・華族・士族がいた一方で、満足に食べるものもなかった東北の農山漁村出身の青年将校や下級兵士が、天皇制のもとで皆が幸せになれる社会を作ろうと五・一五事件や二・二六事件で決起したかのように、一部の政治家・財界人等特権階級だけが肥え太る体制をとても嫌っていました。
 
 そうした鈴木氏の主張は、生学連よりもむしろ、阿部勉氏や野村秋介氏のような在野の憂国の士や、
極左と言われながらも、昭和当時のソ連や中国や北朝鮮のような国民を虐げる共産主義国家は大嫌いという、元左翼系言論人が共鳴し、勉強会“一水会”に集まってきました。

 当時の鈴木氏の魅力が、右も左も中道も駆けつけて、多彩な人材・人物の集う勉強会を創ったのです。

 鈴木氏の思想や交友関係をもって、鈴木氏本人を右翼だとか左翼だとか、日本会議と繋がっているとかいうのは全く的外れだと思います。

(続けて書きたいことは沢山あるのですが、午後から別の用事があるので、本日の投稿はここまでとします。)
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余談ですが (57454)
日時:2023年03月26日 (日) 13時49分
名前:視聴者は見た

>怪しげなルポライターが本にして、その後も世間一般の共通認識となってしまった、鈴木邦男氏の全国学協追放劇は、A氏との権力闘争に敗れたとか、権力の暗躍がどうのとか、好き放題書かれていますが、(本人もその方が面白いので積極的に否定しなかったのかもしれませんが、)


ご本人は「僕が無能だったから」と、あくまでもへりくだり姿勢。
むしろ、当事のその件に関し批判めいたことは一言も言っていませんでした男前。

ただ怪しげなルポライターなる者が書いたその本自体は、
「しかしよく調べてますよねぇ」と鈴木氏は太鼓判を。
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鈴木邦男氏が語る「愛国と憂国と売国」YouTube (57455)
日時:2023年03月26日 (日) 15時02分
名前:志恩

2012/10/14
(鈴木邦男氏、69歳の時)

田中康夫公式アーカイブch
(20:38)
https://www.youtube.com/watch?v=H6KMRC5Kyjw

志恩ー
この動画の中で、スタートしてから4分半ぐらいのところで、
鈴木邦男氏は、”生長の家”という名を出して語っています。
大変深いためになる話をされてますから、本流のお方も、
よろしかったら、是非 ご視聴くださいませ。

私が2019年1月に、一水会フォーラムへ行き、
最初で最後の、鈴木邦男氏の講演を聞きに
行きましたのは、
トキ掲示板のマキ様のご紹介によるものでした。

当時、鈴木邦男氏は、75歳で、彼にとりましては
晩年だったのですが、彼、一人だけの話を
聞くだけなのに、参加費用2000円だったのにも
かかわらず、会議室は後の立ち見の空間も人がいっぱい
でした。大勢の人たちが、鈴木邦男氏の話を聞きに
集まっていました。

あの日はその中で、女性の参加者は私を含めて四名でした。

男が惚れる鈴木邦男氏の人間的魅力は、実際にお目にかかって
みないとわからなかったと思います。
多くの人を惹きつける彼の人間的魅力は彼が持つ独特の愛のオーラ
ですから。

あの日、彼は疲れていたのか、体調が思わしくなかったのか
ヨレヨレの感じでしたが、なのに、とても自然体で、なぜか
愛すべき人でした。
参加者の皆様が、くいいるように彼の話を聞いていたのが
印象的でした。

今となっては、マキ様が勧めてくださったおかげで、たった1度
だけでしたが、鈴木邦男氏に直にお目にかかっておいて、
本当に良かったとマキ様に 感謝いたしております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
鈴木邦男の愛国問答より【「宗教」と「愛国心」は似ている】 (57592)
日時:2023年03月28日 (火) 02時58分
名前:志恩

http://www.magazine9.jp/article/kunio/28082/
鈴木邦男ー
>前略
 ベアテさん(ベアテ・シロタ・ゴードン)が来日した時、
僕は何度も会っているし、
随分と話を聞いた。
又、ニューヨークに呼んでもらい、一緒に憲法を考えるシンポジウムに出た。
ゆっくり時間をとって話をし、それを本にしましょう、と言っていた。
ところが、亡くなられた。残念だ。

ベアテさんに教わったことは多い。マッカーサーの指示のもと、
占領軍のスタッフが
日本国憲法の骨子を作った。
しかし、アメリカでもできない世界一進んだ、
民主的な憲法だったという。

又、第二次世界大戦は「最終戦争」だ。
もう戦争はない。
だから、軍隊のない国をつくるべきだ。
その信念で日本の非武装の9条が出来たという。
いくらいいことをしても、占領中の日本に憲法を押し付けたんじゃないか、
と初めは反撥した。しかし、彼らの夢や理想や情熱の一端は分かった。

それに比べたら、安倍政権の改憲をしようという人たちには、占領軍のような
夢や理想や情熱もない。「昔に戻ろう」という後ろ向きの姿勢だけだ。
そのことを会津若松では講演した。愛国心は必要だ。
でも「必要だ」「当然だ」という思いだけが強くなると、
「じゃ、学校でも教えよう」「教科書にも書こう」「憲法にも書こう」
という動きになる。「形」をつくろうとするのが政治家だからだ。
でもそうなると、日本人一人ひとりをしばることになる。
「心」は心として、心の中で
思っていればいい。それを基にして話す、行動するのはいい。

だが、宗教や愛国心を正面に出して闘うと、危なくなる。
「言論の自由」もおびやかされる。

 「立派な憲法」が出来、愛国心に満ちた国家になっても、

個人の自由や人権がおかされるのでは、本末転倒だ。

「自由のない自主憲法よりは、自由がある押し付け憲法を」
と思うわけだ。<


志恩ー
(※ベアテさんとは、
日本国憲法に 「両性の平等」条項を 起草した
当時は、22歳だったアメリカ人女性です。)

当時、ベアテさんが、来日し、GHQに就職しまして
民政局に配属されました。
その彼女が、民政局長のホイットニーにいわれて
作ったのが、第24条憲法です。

ベアテさんは、都内にある図書館や大学で各国の「憲法」を読み
その中で「ドイツ憲法と、ソビエト憲法」に胸を強く打たれました。

彼女は、ドイツのワイマール憲法をそのまま書き写してきて、
そのままを日本国憲法に盛り込みました。
そして、私は過去の、いくつも の記事で、ベアテさんは共産主義者だと
いうことも読んでいましたから、鈴木邦男氏のベアテさんに対する
印象とは、私は、別の印象をベアテさんに持っていました。

ベアテさんが盛り込んだ憲法24条とは、なんなのか。

憲法24条とは、

[婚姻は結婚する当事者の合意のみで成立し、
夫婦は同等の権利を有することや、結婚や離婚、家族や相続
に関する法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して
制定されなければならないということが定められています。]
というものです。

今は、戦後70年以上も経ち、この第24条の考え方は、普通の考え方に
なっておりますから、今読みますと、私の場合は、違和感はありません。


歴史を紐解くと、ベアテ・シロタ・ゴードンさんについては、当時、
アメリカでさえ女性の権利が弱かった時代、何故彼女はこれを盛り込んだのか?
ということを81歳になったベアテさんに日本の記者が質問したテレビ番組の
情報によりますと。

 戦前、子供時代に、日本で暮らした経験のあるベアテさんは,
日本で暮らしていた時、
お手伝いさん・沢辺美代さんから日本の女性について話を聞いていた。

女性に権利は全く認められていなかっただけでなく男に、かしずく
存在でしかなかった立場、家父長制度の末端をささえる位置づけで
しかなかった
日本の女性のために、22歳の彼女は男女平等を盛り込んだ。
彼女曰く「感情で書きました」と。

しかし、憲法改憲派の意見は「今の家族崩壊は憲法24条にある。」
と言う。
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ベアテ・シロタ・ゴードン (57603)
日時:2023年03月28日 (火) 07時19分
名前:アクエリアン

志恩さん、鈴木さんのいろいろな記事のご紹介、ありがとうございます。

>ベアテさん(ベアテ・シロタ・ゴードン)が来日した時、
僕は何度も会っているし、
随分と話を聞いた。

このことは、当時のレコンギスタにも、レコンキスタで連載されていた「憲法改正について」の中で、取り上げられていました。

この当時、レコンキスタを読んでいまして、そんな女性が日本国憲法の誕生に関わっていたのか、非常に驚いたものでした。

ベアテ・シロタ・ゴードンさんはメディアでもかなり取り上げられて、あのニューズウィークの英語版でもインタビュー記事が載っていました。

当然、憲法改正なんてとんでもない、九条は世界の宝物だから、絶対守らなければならない、改正は絶対ダメ、女性の権利の擁護を謳った現行憲法は先進的なもの、というような内容でした。

何よりも人権の擁護を主張する鈴木邦男さんとも意気投合したのも、当然のような気がします。

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鈴木邦男氏出演:【内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』刊行記念緊急対談「激論! 日本の外交・国防はいかにあるべきか!?】 (57607)
日時:2023年03月28日 (火) 08時54分
名前:志恩

アクエリアン様、コメント、ありがとうございます。
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第1回
角川書店ブックチャンネル
2013/07/05

2013年6月14日に行なわれた
『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』
刊行記念緊急対談
「激論! 日本の外交・国防はいかにあるべきか!?」で、

執筆者の一人でもある
元外務官僚・京都産業大学教授・東郷和彦氏は、

中国による尖閣諸島の領海侵犯問題に関して
「対話と抑止のバランスがなければ、日本は本当に中国と戦争になる」
と大いなる危機感を持って語った。 

本対談はこの「中国による領海侵犯問題」や
「橋下大阪市長による従軍慰安婦発言」
「北朝鮮日本人拉致問題の解決策について」
「北方領土における2島プラスアルファ返還」
「自民党による憲法改正発議の諸問題」
「参議院選挙を迎える、これからの安倍内閣の課題」
など、短時間ながら多岐に渡る外交・国防緊急的な
諸問題について激論が交わされた。

日本はこれからどう進むべきか。
主権者たる国民は、どうあるべきか。
両氏の注目すべき発言・主張が飛び交い、
一度立ち止まって深く考えることが出来ると

大反響を受けた本対談を、

再配信いたします!(第1回)

また、対談出演の東郷和彦氏、鈴木邦男氏に加え、

ノンフィクション作家・評論家/保阪正康氏、
ジャーナリスト/富坂聰氏、評論家/宇野常寛氏、
衆議院議員/江田憲司氏、
TBS報道特集キャスター・TBSテレビ執行役員/金平茂紀氏、
琉球新報編集局次長兼報道本部長・論説委員/松元剛ら、

各界の識者が国防、外交の諸問題について
多角的な視点から提言。
これからの日本がどうあるべきかを考える、
大きなヒントとなる
『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』は
角川oneテーマ21新書より好評発売中。

(1:08:3)1.5倍速で
https://www.youtube.com/watch?v=N9suFpNI41Y
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志恩ー
今から10年前ですから、鈴木邦男さんが69歳の時、
こんなに充実した対談を、されていたのでした。
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鈴木邦男先生逝去 (55619)
日時:2023年01月28日 (土) 08時48分
名前:日野智貴

生長の家学生会全国総連合元書記長の鈴木邦男先生が逝去されました。

組織としては生長の家から離れておられましたが、谷口雅宣先生の講習会にも参加してくださり、また、私とFBFになるなど、生長の家には終始好意的な方でした。
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(55621)
日時:2023年01月28日 (土) 09時07分
名前:トンチンカソン

鈴木邦男先生

きっといまごろは懐かしい方々と言葉を介さない深い深いハグ&ハグを...。

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😢 (55607)
日時:2023年01月27日 (金) 16時57分
名前:訃報

鈴木邦男さんが誤えん性肺炎のため死去されたそうです。

心底から御冥福をお祈りします。

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(55608)
日時:2023年01月27日 (金) 17時08分
名前:天寿

昇天されたのは1月11日午前11時過ぎだったそうです。

79歳の天寿を全うされました。


合掌

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「愛国心」に気をつけろ (55641)
日時:2023年01月30日 (月) 13時45分
名前:合掌

言うまでも無くニワカネト⦿ヨとは雲泥の開き士鈴木邦男兄でした。

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😢 (55607)
日時:2023年01月27日 (金) 16時57分
名前:訃報

鈴木邦男さんが誤えん性肺炎のため死去されたそうです。

心底から御冥福をお祈りします。

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(55609)
日時:2023年01月27日 (金) 18時19分
名前:志恩

どうされていらっしゃるかしら、と、ふと思ったりしていました。
帰幽されたんですか。さびしいです。
鈴木邦男さんのご冥福をお祈りいたします。

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(33073)
日時:2020年09月10日 (木) 18時03分
名前:「不惜身命」

優れた“保守”がどのように生まれ、その背後にある理念や団体(この場合は生長の家)が何を考えてきていたかを明らかにした好著です。

2001年のKSDの贈収賄事件で有罪判決を受け、政界を引退しました。

この本は下獄する前に魚住さんが行ったロングインタビューです。また徹頭徹尾、「生長の家」の誌友、信者であり、堂々とその影響下の政治家であることを公言していた政治家の言行録として、日本の政治と宗教(とりわけ神道)との関わりを明らかにしたものとして極めて興味深いものがあります。

村上さんが一貫して私淑していた「生長の家」の創始者・谷口雅春の思想とはどのようなものだったのでしょうか。戦時中は聖戦完遂を唱え、軍国主義を支えた組織として知られています。戦後は元号法制化の急先鋒としてなど、戦後体制に保守の側から異議を唱えていました。

ところで、魚住さんが言うように最近は「論壇とか政界で『右派』の力がすごく強くなってきている」といわれますが、保守政治家として村上さんはこの動きを歓迎しているのでしょうか。意外な言葉を語っています。

──私が政治に関わり、生長の家の谷口雅春先生の教えに触れて以来、思い描いてきた国家のありかたというのは、今の日本のように腐敗した官僚たちと、庶民の生活とかけ離れた政治家たちが好き勝手なことをやる国家ではありませんでした。彼らは特権にしがみつき、厚顔無恥な権力集団と化してしまいました。私は今度の事件(KSDの贈収賄事件)に遭遇して初めて、自分がイメージした、自分が愛した国家と現実の国家がまったく別物であることに気づかされました。──

これは痛切な声というべきでしょう。村上さんが「生長の家」に見ていた国家とはどのようなものだったのでしょうか。それは、天皇制家長原理に貫かれた、農本主義的な社稷国家であり、そこには家族国家といったものの姿がうかがえるように思われます。

実はこのような保守の形には左右のイデオロギーを越えたものすらあったのです。この本でも魚住さんが取材した鈴木邦男さん(政治団体「一水会」元最高顧問)のこんな言葉が収められています。

──僕が学生のころはまだ、右翼運動のなかに自由があった。愛国心を疑う自由さえあったけど、いまは『愛国心を持つのは当たり前じゃないか』『韓国や中国になめられるな』、挙げ句に『核武装だ!』なんて滅茶苦茶なことまで言い出している。本当の覚悟も何もなしに、自分と国家がすぐにポンと一体になっちゃうんですね。──

保守はもっと懐が深かった……それに比べて恐ろしく幼稚化した現在の保守・右翼の姿がうかがえるようです。この姿の延長に現在のヘイトスピーチを行う団体やネトウヨというものが現れました。そこには村上さんが願っているような相互扶助的な関係などというものはありません。他者を貶めて自らを尊しとする傲岸不遜な強者志向があるだけです。そしてそれを鏡に映しているような、劣化した保守政権があるというのが私たちの現在なのでしょう。

かつては輝かしい国があった、というのが村上さんの心の奥にあるものでした。その思いは九州の炭鉱で厳しい労働をしていた青年時代からあったものだったようです。その“かつての日本の栄光”は苦しい生活から民衆を救いだす希望でもありました。村上さんが政治家を目指したのもこの栄光を再びもたらすことでの救世済民というものでした。

村上さんの行動原理を支えるものとして「生長の家」の谷口雅春の存在がありました。興味深いことに村上さんは一貫して谷口雅春を称揚していますが、必ずしも「生長の家」の組織そのものを称揚しているようには見えないことです。

元号法制化等で「生長の家」はその存在を強く政界に印象づけたものの、次第に政治の世界から距離を置くようになりました。谷口雅宣氏が3代目の「生長の家」総裁になるとその流れはさらに加速されていきました。この時、かつて政治活動を行っていたグループが日本青年協議会を結成し、神社本庁の流れを汲むグループ、日本を守る青年会議と合体し日本会議の結成となったのです。村上さんはこの「生長の家」の脱政治過程と日本会議の結成過程を見据えながら政治家として活動していたといっていいのではないでしょうか。


──でもね、今の自公連立政権、今の二世三世の議員たちのやることを見ていると、彼らの手で憲法改正なんかやってほしくないですね。彼らは自民党の世襲制度のなかから出てきた議員たちですから、一般庶民の生活も知らなければ苦労も分からない。彼らは親の財産をそのまま受け継いで努力も何もしない。彼らが政治を支配している限り、日本の国は堕落してしまう。──


──政治というのは、いろいろな議論、いろいろな人たちの意見が出てくる場です。国会ではそのいろんな立場の人たちの利害がぶつかり合って、初めて法案が成立する。それが民主主義なんです。──




若い時の鈴木邦男さん


続;鈴木邦男さんのこと (65600)
日時:2024年06月21日 (金) 16時48分
名前:志恩

愛国心には気をつけろと叫ぶ、右翼だけど左翼みたいな
鈴木邦男さん
https://www.youtube.com/watch?v=HpnaghhETJc



Wikiー
1943年8月2日  福島郡山市生まれ
早稲田大学卒
生長の家学生寮出身
元、一水会代表
2023年 1月11日  東京(79歳、没)


鈴木邦男さん



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