生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

この掲示板は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。
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生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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本音の時代という老人のぼやき (68305)
日時:2024年11月09日 (土) 19時45分
名前:本音の時代

生長の家と他の宗教の違うところ(谷口雅春先生)
https://www.youtube.com/shorts/dJj1YmnyNp0



https://www.youtube.com/watch?v=LAoGFExFaYk


生長の家の人に骨のある人はいなくなってしまったのかなぁ。
命を懸けるような谷口雅春先生を愛する偉い先生はいなくなってしまったのかなぁ。教団の中では雅宣さんに歯向かうことを積極的に行わず、外部から『生命の實相』等の出版継続を許可しないという卑屈な対応しかしない。その対応そのものが谷口雅春先生の教えに反するものなので、結果的にうまく行かないのです。学ぶ会会員は増えていますか? いまだに会員の実数は公表していない。新編の売り上げはどうですか。これも具体的な数を公表していないでしょう。すべて思うようにうまく行っていないから公表できないのです。谷口雅春先生の教えに反するこうどうですからね。


阪田先生はパソコンはいじらないようであるが、生長の家は「人間神の子無限力」の教えです。高齢者であろうが、パソコンやインターネットはやる気になればできるものです。情報拡散の範囲もスピードも印刷物の発送など比較のできない利点があります。勿体ないですね。


ずぅーっと女性が積極的でいいですね。
志恩さんのように頻繁に投稿する男性がいないのは残念ですね。


学ぶ会や社会事業団の人には、本来の生長の家の教えの普及よりは、組織のためという我欲を感じ嫌です。
雅宣さんもそうですね。本来の生長の家の教えの普及よりは、自分を誉めてもらいたい、自分も考えを教えより優先したいという我欲を感じます。幹部も職員も保身第一で創始者はどうでもよいことなんでしょう。

本来の生長の家の教えを愛している方、頑張ってください。

ぼやくくらいなら (68306)
日時:2024年11月09日 (土) 19時56分
名前:ぼやきへのぼやき

本音さんが,阪田先生や宮澤先生の広報担当だというくらいの意気込みでWEBで光の言葉を発信してくださいな

「さん」の付け忘れ、失礼しました (68307)
日時:2024年11月09日 (土) 20時22分
名前:本音の時代

書き急いでしまいました。

ときみつる會は遠慮します。

ボヤクより自ら文書伝道 (68314)
日時:2024年11月10日 (日) 12時03分
名前:ぼやきに提案及び喝

教団の聖使命会だけに入りつつ、
日々、いのちを賛嘆されている本音様。

雅春尊師のこれはと思ふ御著書を、
精一杯の手渡し伝道されてるのかなあ…

ぼやきに提案及び喝様 (68316)
日時:2024年11月10日 (日) 14時20分
名前:志恩

本音の時代様や私に対して、
教団を批判しますと

>雅春尊師のこれはと思ふ御著書を、
精一杯の手渡し伝道されてるのかなあ…<

と、教団を批判しないで、伝道をせよとすぐに言われますが、
肝心の北杜市の雅宣総裁や国際本部の職員様たちは
雅春先生のご著書の手渡し伝道はされてますか?


本音様相方の志恩様、 (68318)
日時:2024年11月10日 (日) 17時36分
名前:ぼやきへの提案及び喝

雅春尊師御著書をアマ◯ンで中古を買い求めておれば、
新しい人々に贈呈する事は出来難いですよね。

組織内には組織内の伝道姿勢があり、
個別にも、勿論言わずもがなです。

あと、

志恩様の問いは子供のような直球の幼さの感。

>ボヤクより自ら文書伝道 (68319)
日時:2024年11月10日 (日) 20時41分
名前:本音の時代

提案も喝も視点がズレています。

現状です (68324)
日時:2024年11月10日 (日) 22時45分
名前:冬の火花

 雅宣さんの言動に失望して、多数の信徒が教団を去りました。現状では、組織の維持も難しい状態です。ただ、最近の教団で良いこともあります。以前は、狂信的な本部大好き人間がいて、盲目的に雅宣さんの言動をありがたがっていました。しかし、さすがに最近は、雅宣さんの言動が、谷口雅春先生の教えから乖離した、異常なものだという認識が信徒の間でも広まっています。本部ではまだ難しいでしょうが、教区では、雅宣さんの言うことを真に受ける人は少なくなりました。教区五者でも、平気で「総裁は、どうみてもおかしい」と公言する人が増えてきました。そのため、ようやく谷口雅春先生の教えに回帰したいと思う人も増えてきました。希望を持ちましょう。


 

 (68327)
日時:2024年11月10日 (日) 23時37分
名前:ぼやきに提案及び喝

「視」点は陶然ズレているでしょうね、

「観」点からの提案ですから。

>「観」点からの提案ですから。 (68333)
日時:2024年11月11日 (月) 08時07分
名前:本音の時代

ズレています。

ぼやきに提案及び喝様 (68335)
日時:2024年11月11日 (月) 08時22分
名前:志恩

ぼやきに提案及び喝様は、

「視」点も

「観」点も

ずれています。

生長の家は、愛を実践しないから衰退する。 (68337)
日時:2024年11月11日 (月) 11時43分
名前:本音の時代

山を移すほどの強い信仰があっても、愛がなければ、何もない。(コリント人への手紙 第13章)


生長の家七つの光明宣言
4、吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を表現する言葉の創化力なりと信ず。


生命は生かすの愛。
人を本当に生かすのは、信仰も大事だが愛だ。
神は愛なり。
神が愛なら、私たちは愛の心でなければ、神と波長が合わない。
愛がなければ、人を憎み、腹をたてる。
腹を立てるということは、人を排斥することです。
愛を失われる時は、無に等しい。
愛は素晴らしい。
ところが、愛というものはわかっていながら、
愛をどのように表現するか、我々人間は現象の世界においては難しい。
愛の表現には3つある。
それが祈りと愛語と讃嘆です。
愛は人を信じることです。


人を信じて、人を排斥することができるでしょうか。
人を信じて、日本教文社から『生命の實相』の出版を認めないということができるでしょうか。
人を信じて、裁判に訴えることができるでしょうか。


幸福への道 4 生長の家 徳久克己先生
https://www.youtube.com/watch?v=ebBdxGKcYl8&list=PLaAZn5kNrmt6-bVanllJxUMVkjnzYwjzf&index=5


(facebook 生長の家のはじめに帰りましょう 掲載文から)

 (68338)
日時:2024年11月11日 (月) 19時14分
名前:ぼやき本音様へ

祈り、愛語、賛嘆

【実践!】されますよう真底お祈り申し上げる次第す。

ぼやき本音様へさんへ ズレてますよー (68339)
日時:2024年11月11日 (月) 19時41分
名前:ぼやき本音

ぼやき本音様へさんへ ズレてますよー

雅宣さんの“宗教目玉焼き論” (68872) (69496)
日時:2025年02月03日 (月) 10時52分
名前:本音の時代

雅宣さんの“宗教目玉焼き論” (68872)
日時:2024年12月27日 (金) 14時51分
名前:本音の時代

【読者はここで、私が提案している“宗教目玉焼き論”を思い出してほしい。2つの同心円を卵の“目玉焼き”に喩え、黄身を宗教の「中心部分」とし、白身を「周縁部分」として捉える考え方だ。】(小寒雑感ブログ 2010年3月30日)

雅宣さんの発信からは、黄身であるを宗教の「中心部分」が全くなくなってしまった。黄身は「教えの神髄」に該当するものだとも雅宣さんは言っている。「教えの神髄」を放棄してしまって、雅宣さんファンは何を学ぶのだろうか。
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(69233)
日時:2025年01月22日 (水) 23時03分
名前:キャベツ次郎

ちょっとスレ立て過ぎかなぁ。
単発で言いたい事だけ言って放置ね。


(69235)
日時:2025年01月22日 (水) 23時05分
名前:本音の時代

上げていただき、ありがとうございます。

正しい教えの全相を護り伝える団体はなくなってしまったということなのでしょう。 (69041) (69497)
日時:2025年02月03日 (月) 11時02分
名前:本音の時代

正しい教えの全相を護り伝える団体はなくなってしまったということなのでしょう。 (69041)
日時:2025年01月10日 (金) 19時18分
名前:本音の時代

されど、みずから立つ意志ももなし。

兄は山でキノコ採り、弟は魚釣りと野菜作り。やっぱり、兄弟なのね。

https://jpqqm948.livedoor.blog/archives/2580707.html
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本音の時代様 (69046)
日時:2025年01月10日 (金) 21時31分
名前:志恩

ときみつる會が最近、頑張っておられるご様子ですよ。
学ぶ会や社会事業団のことは、詳しくわかりませんが、
教団だって、このまま終わるとは限りませんし、ね。

本音の時代様、まだ諦めるのは早いですよ。笑

もしかしたら、霊界で、
谷口雅春先生が新 生長の家を開いているかも知れませんし、
われわれの知らない世界はいっぱいあると思います。

私の実母は、「私、死んで霊界に行ったら、雅春先生がされている
生長の家へ再入会するわ、その日を私、楽しみにしているの」と
死ぬ前に口癖のように、私たち子供達に言っていました。


志恩さん (69048)
日時:2025年01月10日 (金) 22時59分
名前:本音の時代

ときみつる會は、雅春先生と輝子先生を祀る神社を作ったので、雅春先生が掲げた生長の家の教えとは違ってるなと考えています。私は本流志向なので違和感があります。
霊界の件ですが、私は勉強不足なのですが

【谷口雅春先生が新 生長の家を開いているかも知れませんし、』

これは無いと思いますよ。
霊界は似た者同士が集まるという話があります。
谷口雅春先生はチョット、ランクが違うかなと感じます。
霊界は結構シビアみたいです。
似た者同士が集まる生長の家的サークルはあるかもしれませんね。

あちらの世界ではウソや隠し事がつけないそうです。 (69042) (69498)
日時:2025年02月03日 (月) 11時06分
名前:本音の時代

あちらの世界ではウソや隠し事がつけないそうです。 (69042)
日時:2025年01月10日 (金) 19時33分
名前:本音の時代

私もあちらの世界が近くなってきたので、ウソがつけなくなってきたのかな。

伊勢白山道さんは、【先祖や自殺した縁者を楽にすることは、現実界で「今を生きている人」にしかできません。】と書いているのですが、あちらの世界に行ったら私は何をしたら良いのだろうか。
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谷口雅春先生と親しかった浅野和三郎先生のこと (69045)
日時:2025年01月10日 (金) 21時24分
名前:志恩

日本心霊科学研究所を創設された
浅野和三郎先生が、霊界について深く研究されまして
霊界関係の著書を、たくさん出版されていて、
私は全部ではありませんが数冊、読みましたが、
霊界に人間が行ったらどんな修行をするかということが詳しく
書いてあります
「小桜姫物語」や、
翻訳物では
ワ-ドの「死後の世界」: 地獄のどん底から帰った体験記なども
ございますが、人間は、自分で、あの世に行ってからも、
修行を続け、学び続けるものだということが、詳しく書かれて
あります。伊勢白山道の本も私は以前に、よく読みましたが、
伊勢白山道が正しいことを言ったり書いているとは限りませんから
あの世に行ってからのことは、今からご心配されなくても大丈夫だ
と存じます。






心配ではなくて興味深々 (69049)
日時:2025年01月10日 (金) 23時18分
名前:本音の時代

雅春先生は『生命の實相』でも、生命のいきとおしを書いていますからね。どのような個性を持って肉体死後の世界に行くことになるのやら。こちらの世界は、腹の探り合いなどいう愚かしい手法を使いたがりますからね。


(69203)
日時:2025年01月21日 (火) 20時05分
名前:棚卸し

伊勢白山道サンか・・・ナルホド。



本音の時代様 (69502)
日時:2025年02月03日 (月) 13時24分
名前:志恩

死後の世界のことは案じていらっしゃらないそうで、
さすがでいらっしゃいますね。安心しました。

私も、時が来たら、死にますが、死ぬことは
全然怖くなくて、むしろ、死ぬのを楽しみに
しておりますの。

人間は、生前にやっていたことを、霊界に移動して
からも、結構続きをやるそうなんです。

ですから、谷口雅春先生ご夫妻も、清超先生ご夫妻も
今は、いつもいつも一緒にお暮らしではないと思いますが、

時折、楽しく遭われて歓談されておられるものと思って
おります。

生長の家の大先輩の先生方や、生長の家のことが
大好きだった私の両親も、私の夫も、皆、今は霊界におりますので

私は、あちらに行きましたら、
谷口雅春先生の元へ馳せ参じて、
また、新しく生長の家をやり直そうと、今から死ぬのを楽しみに
しているところなんです。

でもすぐには、死ねませんから、この世でまだ生きる使命があるうちは
この世で、楽しく生きていようと思っております。

この世で、私利私欲で生きていた人たちは、あの世の世界から見たら
丸見えですので、そいう人たちは波動が低くなっておりますので

生前の地位や家柄などは、全く関係なく、私利私欲の性格の人たちが
集まっている、自分の波動と同じような人たちのいる霊界へ行くのです。

ろくな霊界に移動できないそうですよ。
私利私欲で生きていた人たちは、

今は、うまく生きていましても、あの世に行く時は
餓鬼ど世界に落ちると伺っておりますゆえ、
いくら愛の心で、相手を思って批判しても批判しても、
相手がかわらない場合、損するのは
相手の方なのです。

批判は、何度も何度も、言いますと、
悪い波動が自分に反射してくるといけませんから、
一度で、大丈夫。

批判したら、神様にお任せして、その言葉からご自分は、離れていると
悪い波動を受けないそうですよ。

ご存知のように、この世で人生は終わりではありません。

人生には続きが、誰にでもあると教えていただいております。

 (69503)
日時:2025年02月03日 (月) 14時58分
名前:閃光花火



冬の花火様も雅宣「さん」呼びですね。


 (69504)
日時:2025年02月03日 (月) 15時21分
名前:「雅宣くん」も見た


2012年には
「初心者」🟰雅宣くん
というのをアメ一バブログで見かけましたよ

今も検索すればヒットするかな
しないかな


生長の家に反する行動を続ける生長の家社会事業団 (68485) (69506)
日時:2025年02月03日 (月) 16時28分
名前:本音の時代

生長の家に反する行動を続ける生長の家社会事業団 (68485)
日時:2024年11月25日 (月) 20時41分
名前:本音の時代

生長の家40年史には次のような掲載がある。


生長の家の文書伝道部門として、生長の家創始者谷口雅春先生の御筆になるものと、先生の御校閲及び御監修になるものだけを出版し、光明化運動の基本である聖典、神誌の刊行をなし、申し込みの受付も送本も一切の取扱いをする株式会社日本教文社


以上のような歴史背景に考慮しないで、社会事業団が著作権を所有する谷口雅春先生の著作書籍の出版を日本教文社からは認めないのである。谷口雅春先生と日本教文社の一体性なるものを考慮しないでいて、何故、谷口雅春先生から「託された」という言葉を使用するのだろうか。

雅宣さんと男女平等 (68484) (69507)
日時:2025年02月03日 (月) 16時32分
名前:本音の時代

雅宣さんと男女平等 (68484)
日時:2024年11月25日 (月) 19時39分
名前:本音の時代

生長の家の組織内にも、男女平等をもっと取り入れたいと思うのなら、思い切って純子さんを生長の家総裁にすればよい。白鳩会総裁には暁子?さんにすればよい。未婚、既婚は関係ないことにすればよい。雅宣総裁が規約を改正すると言えば、すんなり通ることだ。
でも、雅宣さんは絶対しないだろうな。それは、組織内において自分の居場所がなくなるからだ。
注目投票をする(178)


感想です (68498)
日時:2024年11月27日 (水) 02時27分
名前:教区の幹部です

 最近、教団がジェンダー平等を言い出したのは多くの信徒にとって理解が不能です。

 一つの憶測として、次の総裁としてお嬢さんのお名前が出ています。女性を総裁にすることについて、部内の賛同を得る必要があり、その伏線ではないか、と考えています。


雅宣さんと男女平等 (68530)
日時:2024年11月29日 (金) 18時22分
名前:本音の時代

雅宣さんは、【生長の家では「男女平等」は説かれていないのです。】と書いているのですが本当でしょうか。

私の所有する谷口雅春先生の数少ない女性に関する書籍で、「新版 女性の幸福365章」から抜粋掲載します。「女性の幸福365章」は初版が昭和36年、今から63年前のもので古いものです。教えが古いと考える方は、生長の家を変えるような姑息な手法はやめて、雅宣さんと「雅宣教」を広めて下さい。




模倣は同権ではない

男女同権ということは、互いにその生命の本質が「不可侵権」をもつもの――即ち「神の子」である―― という事実から出発する。そして、女性が男性と同じような働きをすることによるというように、行為において男性模倣によって同権になるのではないのである。女性は愈々女性たることの権利を有すること、男性が愈々男性たることの権利を有するのと同じでありながら、相互に尊ばれるということが男女同権である。
 権利の主張ばかりになってしまっては、人生は索漠として味気のないものになってしまう。愛情を感ずる人には自然に仕えたくなるものなのである。その自然の衝動を殺して、男女同権だと頑張って、ただ機械的に職務だけを遂行するのが“新しい女”だということになれば、そこには“人間”もなく“女”もなく、ただ“機械”と“制度”とだけがあることになる。好意とか愛情とかは、ただの“職務”だけ以上、“機械的”以上に、献げるからこそ表現され、美しい人情というものが湧いてくるのである。ただ権利の主張だけでは、人生は争闘であり、人情の美しさは湧いて来ないのである。(「新版 女性の幸福365章」 245頁)

つづく


「新版 女性の幸福365章」から (68540)
日時:2024年11月29日 (金) 22時56分
名前:本音の時代

“構える心”は美を失う

 男女の絶対平等論で「社会に進出する婦人には、男女に絶対平等主義を貫くべきだ」と主張している坂西志保さんが次のように言っているのは面白い。「お茶汲みをするということにつきまして、日本の女性は少しノイローゼになっていると思うのです。お茶汲みがほんとうに最下級のものであって、それをしておれば男から軽蔑され、男と対等の能力のないものに見られている、と自分で決めてかかる。こういうことはいまの社会に適応しない一つの考えかたで、私が会社に入ってお茶汲みさせられたならば、世界一の立派なお茶汲みになって、できるだけ早くそういうものを卒業して、もう一歩高いところに行こうという努力をしてこそ認められると思うのです。」
 女性が「女らしくある」というのは「本来の自然」であるから、 「構える心」がなくなったとき本当に正しい女らしさを発揮するのである。しかし此頃の若い女性のうちには「近代的らしく」あろうと「構え」ている人が多いのである。「女らしく」あろうと構えるのも「近代的らしく」あろうと構えるのもどちらも其儘の美を失った姿である。


男性と女性は位相が異(ちが)う

「男と対等になりたい」という女性の考えそのものが「対等でない」という劣等感から来るのである。そして女らしいものを抛棄(ほうき)して、男性類似になりたしと思う。しかし男性類似は、どこまでも類似品であって、男性と同等にはなれないのである。そんな事では何時まで経っても真物(ほんもの)と類似品との距離がある。女性が男性と同等になろうとして、女性的なものを拒むのは、本来の天分を否定して、「女性でない女性」――そして男性類似品(つまり不具者(かたわ))になろうとすることである。不具者は 「完全なる女性」よりも一層不完全なものであることは明かである。
 女らしさ 柔らかさ、しなやかさ、愛情の深さなどというものが、男らしさ、剛(つよ)さ、固さ、知的な深さというような諸徳にくらべて劣っているというわけは全然ないのである。それなのに女らしさの諸徳を、男らしさの諸徳よりも劣っているが如く宣伝するのは或る外国が日本の美しい家庭秩序をこわして、社会生活を混乱に陥れたい陰謀にのせられているのである。位相の差によって生ずる秩序は、美的調和の生ずる根本原則である。(「新版 女性の幸福365章」 246〜247頁)

つづく


「新版 女性の幸福365章」から (68643)
日時:2024年12月07日 (土) 18時17分
名前:本音の時代

女は女らしいのが天性

 男女同権になろうとするために、出来るだけ“女性的なもの”を自分から排除しようとする――その事自体が女性意識過剰なのである。病気から治ろう、治ろうと考えること自体が病的意識過剰のようなものである。「病気」を心から放ってしまったときに、「病気」が治っているように、「女性的なものを排除しよう」とか「男性の如く強くなろう」とかいう考えを捨ててしまったときに、「本当の人間」があらわれる。「本当の人間」があらわれるまでの過渡時代の人間は、すべて歪められたる人間像である。女と生まれてその人の「本当の人間像」があれわれたら、その人は「本当に女らしい」のではあるまいか。もっとも,「本当の女らしさ」は、構えて「女らしく」する女らしさではなく、自然の女らしさである。
 数学の天分ある者が数学で人生に貢献し、絵画の天才が絵を画いて人類の文化に奉仕し、科学者が科学的発明によって人間の福祉を増進するのはよいことである。何故ならそれは各々の天分により能力により、人類に幸福を与えるものであるからである。では女性がその「女らしさ」の大天分で誰かを喜ばし人生に花を添えることがどうして悪徳であるのか。


名もあり豊かで美しく

 えらくなることと、幸福になることとは別のことである。社会的に名声をあげながら、家庭生活が不幸な女性は沢山ある。却って地位も名前もない女性の中に本当の幸福を味わっている女がいる。

 女性も知識を積み経験を重ねて、常に一層賢くなることは必要ではあるが、それよりも尚一層必要なことは、新しい自己の発見てある。生れたままの、野生の、幼児のような“自己中心の自我”から脱却して全体につながる自己――“自己没却の自我”を発見することが一層大切なことである。“近代的婦人”と誇称するものの中には、実は幼児そのままの、社会性をもたない自我の主張が多かったり、“封建的女性”とさげすまれているものの中に、実に自己没却に徹し切って、社会性の中に融け込んでいる崇高な自我を発見することがあるのも実に皮肉である。


経済的に独立しても

 女性は自己の力で生活し、経済的には自立していても、それだけでは決して幸福にはなれないのである。人間の幸福は、経済的に豊かなだけで得られるものではない。どんなに経済的に独立していても、「愛情」は心の問題であるから自慰するわけにはゆかない。どんなに経済的に豊かな女性も、誰かに力強いものにじっと抱きしめてもらいたい衝動が起って来る時が来るのである。
 自分で経済的に独立していない女性が、はじめて経済的に独立した生活を得たときには「我れ勝てり」というような喜びを感ずるときがあるかもしれないが、それは空腹のときに食を得て満腹した場合の生き甲斐のようなもので、長つづきはしない。
 その経済的独立がなんの変哲もなくつづいていると、やはり愛情がほしくなる。それが女性の天分である。立派な女社長が若い燕をこしらえたり、有名な女流作家が良人の浮気に泪を流してくやしがったりするのも、経済的独立だけでは女性の生き甲斐は得られないことを示している。


しかも自然に女らしく

 自力で自己の生活を支え、はたらくことの中に人類の仲間として何事かを貢献している悦びを持ちながら、男子と対等の立場に立って、男の飼猫になることなく、しかも女の優しさを失わずに、夫婦互いに相愛し合う生活を送り得る女性は幸いである。自力で自己の生活を支える女にありがちな欠点は、その家庭生活でも女の優しさを失いがちなことである。マス・コミにおだてられて、今まで圧迫された階級の反動みたいな言語動作をするのは本物ではないのである。なんでも反動は行き過ぎであり、自然そのままではない。女性のそのままがあらわれながら、高い理想を失わずに、そのはたもきのうちに人類へ奉仕しながら、それでいて愛する人に事(つか)える喜びを楽しむ生活。
「男に負けてなるものか」という観念があって生活を自己で支えようというような力みの生活がウソの生活である。勝っとか負けるとかの概念がなくなって、女性でなければ与えられない種類の愛を男にささげ、男でなければ与えられない種類の愛を男から受けるべきであり、愛の種類が異なるだけで価値の上下がないことを相互に理解して愛し合うべきである。


対立観念は奴隷の心

 男に対して対立観念をもっている間は、たといその対立観念が男を征服しようという考えに発展してさえも、女は男に対して奴隷である。女性が男性を征服したと思ったとき、彼女は男性の奴隷となっている。
 ボーヴォワールはこのことを巧みに表現して、「交尾のあとで雄を食ってしまうカマキリでも彼女は雄を自己の快楽の道具に使おうと試みるが、それによって雄から解放されているとはいえない。なぜなも雄を引き寄せるために先ず雄に媚びなければならないからだ。アメりカの女は自分を偶像のように崇拝させようとして、彼女の崇拝者たちの奴隷になっている。彼女は、着るにも、息をするにも、ただもう男を気にし男を目あてにする」と。

 結局、女性が男性よりも優越しようと思っても、対立観念で相対している限りは彼女は男の奴隷である。対立がなくなったとき、もう征服者も被征服者も、主人も奴隷もなくなり、そのまま調和した男女関係があらわれるのである。


男の仕事・女の仕事

 妻の仕事が単調であると言って、女性ばかりが生活の重荷をひとり負わせられていると考えるのは間違いである。男のやっている仕事も随分単調なことばかりてある。毎日同じ乗物にのって出動する、同じ机に向って、同じ帳簿に向って、同じような数字を記入する。而も自分の生活とは殆ど関係のない会社の物品や金銭の出入である。まいにち同じ自動車を運転する商売の良人もあるし、同じ機械で同じような金属を削っている食業の良人もある。しかもその自動車も金属も「自分の持物」ではない。
 それにくらべると、家庭の中で、自分の腹から出た子供を育てたり、自分の良人に着せる着物を手入れしたりする妻の方が、実際はたらき甲斐のある仕事をしているのである。何故なら、利害関係ばかりでなく、愛情を含んだ仕事をしているからである。家庭の仕事をまるで奴隷の仕事のように思って、家庭から逃げ出したがる女性があるが、どちらかというと、現代の分業的経済組織の世界では、男性の社会的仕事の方が愛情もない機械的な仕事をしているのだということを知らねばならない。


家事は女性の尊い天職

 家庭的な仕事はもっと権威をもち、且つ尊重されなければならない。女性みずから家庭的な仕事(例えば炊事・洗濯・育児等)を軽蔑して、外部的仕事に進出することによってのみ、男女同権になれるというような考え方をするときには、女性の本性そのものをみずから軽蔑していることになるのである。炊事・洗濯・育児等が、会社の事務にくらべてまさるとも劣らない尊い仕事であることは、一日でも女性が家庭においてその仕事を廃したら生活が殆ど成立たなくなる事実によって知ることが出来るのである。女性の地位を向上させるということは、女性が外部的な社会生活に進出することによらないでも、内部の家庭的仕事が如何に重要であるかを男性に知らせることによってできるのである。
 乾燥した会社の事務的な仕事だけが「人権」を確立するのであって、暖かい柔しい優美な家庭的な仕事が「人権」を低くするという考え方が間違っているのは、公平な眼で見たら誰にもわかる筈である。女性の人権を尊重せしめることは、女性が家庭的な仕事から逃げ出すことによってではなくて、家庭的な仕事の尊さを男性に覚らしめることによってである。


仕えることは自然の喜び

 女性が、男の機嫌をとり、男の周囲を快適にするためのサービス的生活をするのを何か恥辱な生活のように感じて、その反対をすることが新しい女の生活のように宣伝している知識もある。しかし女を愛する男は、女の機嫌をとり、女の周囲を快適にするために自然にサービスしたくなるのである。男を愛する女がそれと同じ感情を持つことも自然ではないか。その自然の感情から美しい男女関係、夫婦関係が生まれるのである。その自然をこわして、互いに相手を快適にしてやらないように修行することが、民主主義というものだったら、民主主義は地上に天国を実現する資格をもたないものである。

 人のために働くとき、その働きそれ自身が幸福感を招(よ)ぶ。さらに彼の働きによって恩恵を受けた者が喜ぶ笑顔や感謝する心の反応がつたわって来るとき、二重の幸福が重なって来る。人間は自分の存在が誰かの為になっているのだという自覚がないときは、生き甲斐が感じられなくなるものである。


おんな生ける意義あり

 女性が食事の支度をしたり、家族の着物の世話をしたりうるのは、女性が本来「育てる」天分をもつっているつづきなのである。赤ん坊がうまれたら、女性は直接的な“生みの親”として、食物を与え、着衣をととのえ、おむつなどを洗濯してやらなければならぬ。それが「母性」の仕事である。女性が、炊事をし、裁縫をし、洗濯を受持つのは、人間においては自然の天分の実現であって、決して女性侮辱でもなければ、女性に「低社会的地位」を与えたという訳でもない。良人が機械工場で重い金属を運搬し、油で腕や顔を真黒にしながら働いているのと、妻が家庭で、子供を育てたり、炊事や裁縫をしているのと、どちらが「高い社会的地位」というのであろうか。(谷口雅春著『をんな生ける意義あり』参照)
“面倒だが婦人の役目だから仕方がない”と思って御飯を炊くことも自由であるが、お米や水や火に、それらを出現せしめたまうた神に、また農人や商人に感謝しつつ良人や子供に、美味しい食事を手ずから調理し得ることを悦びながら炊事することも自由である。同じことをしながら、前者は「苦痛の世界」に住み、後者は「悦びの天国」に住むのである。


これからの女性は

 これからの女は、昔の女のように、自分の運命を男のやり口の上手下手にまかせて置くだけて、ただ男の儲けて来た金のうちの幾分かをヘソクリという形で貯えて置き、そのヘソクりの中にかすかな“自分の自由”を見出して楽しむというような消極的な考えではいけない。もっと高い理想と、大きな希望をもたなければいけない。ごく平凡な生活で、どうにか食わせて貰って満足しているような生活から、一歩進んで、女でなければ出来ないような社会的な仕事を見出して、男と争うのではなく、女性としての文化も築いて行くようにしなければならない。

 肉体の柔かさと、容貌の美しさとだけを売り物にして、男に飼いならされて生きて行く飼猫のような生活は恥じなければならない。しかし ゴツゴツした男のような女になれというのではない。現代の生活がだんだん集中豪雨的な荒々しさになって行って、優美な言語動作が失われ行きつつあるのは人類の損失である。


もつと勉強しましよう

 新しい経験には恐れずにぶつかって行くようにするがよい。そして会合なども出来るだけ出席し、新しい人にも出来るだけ対談する機会をつくるがよい。人生は触れ合うことによってて多く学ぶことがあるものである。引込み思案になっていてはいけないのである。
 
 おおくの女性は書物や新聞雑誌を見ても、政治経済評論や学芸欄や哲学的な記事はあまり読まないで、小説や軽い随筆や、三面記事などに心をひかれがちである。だから世間話の種は沢山もっていても、物事の実体を正しく把握するために必要な、腰の据った、基礎的な資料や人生観をもっていないことが多い。「科学する心」と共に、もっと「哲学する心」というものを養うことが必要である。「哲学する心」とは五官で現象を見て、その状態の変化にフラフラさせられるような心ではなく、移り変る現象の奥にある真実の実体をつかもうとして真実を凝規する心である。


決断力を養うこと

 決定的な瞬間が来ているときに、決断の表明を遠慮してはならない。決断の表明を遠慮していると自分の欲しないことが、恰も欲しているかの如く与えられることがある。それがその人の生涯の運命を決定することになりかねないのである。婦人はもっと自己の好悪をハッキリ表明する自由をまなばねばならない。
 不快断はただ精神的に自己の活力を擦り減らすだけである。好きな人は好きてあり、嫌いな人は嫌いである。省みて悔いのない人生を生きるようにしなければならない。他を欺くことは無論悪いが、自己を欺くことは一層大なる悪徳である。
 否(ノー)、ということを断じて言うことを遠慮したために、一生涯の運命を台なしにした女性も多い。悪事に対して否と言い得るばかりでなく、自己の快楽や物質的利益に対しても、それが魂の生長を裏切るものである場合には否と断じて言い得る女性にならなければなりません。決意と断行の勇は女性には殊更に必要です。決意と断行なければ、いたずらに生命力と時間とを浪費するのみです。


男ごころを知ることも大切

 男というものは、どんなに深く一人の女を愛していても、そのほかの女の美に51きつけられたり、魅力を感じたりすることがあるものなのだ。だから、夫がほかの女に多少引きつけられることがあっても、妻への愛情がうすれた証拠にはならないのである。それなのにその夫が一人の妻を守りつづけるとしたならば、それはその夫が、道徳性が高く、意志が強固で、妻に対する愛情への責任感が強く、生理的な誘惑を自分自身で支配し抑制しているにほかならないのである。
 軽い冗談のような嫉妬は、夫婦の愛情に一種の風情をそえることがあるが、真に女性が嫉妬したとき、その女性は醜くなり、却って魅力がなくなって、夫からきらわれる。夫が仕事に忙がしく、妻を顧みなくなったように見えても、妻は夫の愛情がうすれたのだと思って嫉妬してはならない。夫が妻を顧みないように見える場合に、実はその夫はもう完全に妻を愛しっていて、「妻は決して私からは離れ去らないものだ」と信じて、安心し切って仕事に従事していることがあるものである。


男の手連手管にのってはいけない

 計画的な技巧の含まれた恋愛遊戯が、所謂る手練手管というやつである。男は時として犬を計画的技巧で飼いならすように、女を飼いならして自分の自由にすることがある。犬に餌をやるように、男は女に金をやったり、贈り物をしたりする。それを受けて 女は男から愛されていると思う。男の方もその女性を愛していないことはない。しかし、その愛情は、自分が計画的技巧で飼いならした犬を手ばなしたくないのに似ている愛情に過ぎないこともある。男からの贈り物に注意せよ。

 男に自分の容貌や衣裳をほめられて“好い気”になっていると、男の誘惑にかかるものである。男は、その女に真に夢中になっているならば、その女の容貌などをほめるほどには余裕はないのである。女の容貌や衣裳をほめたりするのは、多少ともその女を客観的に離れて見る“心の余裕”がある証拠であり、女の心を動かそうと、多少計画的な技巧が含まれている証拠である。


弾力ある女性たれ

 女性は優しくあれ。ドライな女性を好む男もあるが、それは女性的な男のみである。やさしくて心が強く、弾力性がなければならない。そして弾き返すべき時には敢然として弾き返す。“ノー”と言うべき時にはハッキリ“ノー”と言う。それでいて把むべきときにはシッカリと護謨のような弾力性で相手を把住しなければならない。風をひいたゴムのように弾力性のないドライな女性は、女性たる天分を失ったものである。
 女が男に身をまかせてしまった後はガラリとその男に対する態度が変る。まるで、その男を女が占領したような気になるのである。占領者が被占領者に対するような態度で、妻が良人に対したならば、良人だってやり切れない。
 婚前の交際中は美点のみを見せたり、遠慮勝ちな、つつましやかな態度をとっていた女性が、ひとたび結婚すると強情になり、まるで膨れっ面をする権利を獲得したようになるのは、女性みずからが自己の愛の基盤を履えしつつあるようなものである。家庭を幸福にしようとしまいと妻の心ひとつにあるのである。


虚栄心を捨てましよう

 およそ人の上に立った感じで自己の尊厳を維持しようと思う者は、常にその尊厳を傷つけられないかを恐れて、いらいらしていなけれぱならない。虚栄心の多い女性はこうして苦しむのである。人の偶像になりたいような虚栄心は捨てるがよい。一番下に落ちたとき、人間の生命は安定する。
 虚栄心が却って、自分を堕落の世界に落している場合がある。美しく自分を飾りたいために、身体を売っている女性もある。そしで身体を売るためには益々美しく自分を飾らねばならない。虚栄心は、阿片吸引の悪習慣と同じように悪循環をして、生涯彼女を縛りつづけるのである。
 あらゆる財宝よりも「神」は尚一層すぐれたる財宝である 何故なら、あらゆる財宝は朽ち、滅びて無くなるものであるけれども、「神」は決して朽ち滅びて無くなることはないからである。神の御心に従って生きんことを願い、神の如く高く神の如く清くならんことを願い、しかもその願いを捨てずして、世俗の良人に誠心(まごころ)をつくす者、よき妻なる哉(かな)。


別あって和あり

 幼年期に、あまり男性・女性の区別をつけて教育してはならない。「お前は女だから、引込んていなければならない」と始終口癖のように言う母親は、自分の娘に劣等感を与えるものである。

 性的特徴が肉体にもハッキリあらわれるような年齢になると、女性には女性にふさわしい天分が自然に開発されて来るのである。それは肉体的特徴や女声男声の声の特徴がハッキリあらわれて来るように能力の特徴もハッキリして来るものである。こういっても女性を唯「家」の中に閉じ込めて置けというのではない。社会に又は学的研究に進出するにしても女性に適するものと、男性に適するものとがおおよそあるのである。特殊の例外はこの限りでないが、社会は、男性と女性との特殊な力の扶(たす)け合いによって出来ているのである。男女の能力の調和した社会が理想的社会である。


女は女であることが幸せ

 女性は男から「有(も)たれる」ことを望み、男性は女を「有つ」ことを望みがちでめる それは両者の天分がしからしめるところで、女性が男を「有つ」ことを望み、男性が女から「有たる」ことを望むようになったら、天地逆転である。近代の男女は多少この逆転の傾向がないでもない。
 社会的に活動する婦人も幸福でないことはない。けれどもそんな婦人は特殊の天分をもって生れて求た女性だけに限られた幸福である。大多数の女性は「女が女であること」が幸福なのであろ。そこに受身の生理的構造をもった女性の天賦の幸福があるのである。一般に女は“愛される妻”となって、夫に「有たれる」ことに無上の幸福感を得るものである。
 妻が夫から「有たれる」ことをわすれて、夫を「有つ」こと、夫を支配することを好むようになったとき、妻の幸福も、夫の幸福も共に逃げでしまうものである。そうした夫が、家庭の外にただ純粋に「有たれる」ことを悦びとする女を求めることになるのは、無理もないのである。(「新版 女性の幸福365章」 248〜265頁)

以上で抜粋掲載を終わります。



雅宣さんは生長の家の教えを説いているのか、自分の考えを説いているのか。 (68471) (69509)
日時:2025年02月03日 (月) 16時41分
名前:本音の時代

雅宣さんは生長の家の教えを説いているのか、自分の考えを説いているのか。 (68471)
日時:2024年11月24日 (日) 08時36分
名前:本音の時代

よーく見て、よーく考えましょうね。

谷口雅春先生は書籍を発行する場合、発行所は日本教文社としていましたが、雅宣さんは発行所を宗教法人生長の家としています。私はこれは教えのスリカエへの画策であると見ています。巧妙なやり方です。
生長の家総裁が雅宣さんであっても、「私はこう思う」と言えば、それはすでに「生長の家の伝道者の立場」にたっているのではなく、雅宣さん個人の立場にたっていることになります。それでは「雅宣教」になってしまって、生長の家の伝道者してのものではなくなってしまいます。生長の家の教えは、創始者である谷口雅春先生が、みずからお書きになった聖典があるのでありますから、勉強さえすれば、それにもとずいて、正確に生長の家の教義をつたえることが出来るはずです。何時の間にか我流になっているのかもしれませんので、『生命の實相』を繰り返し拝読することによって、生長の家の御教えの本流にかえらなければなりません。(参考:谷口雅春先生監輯「地方講師活動指針」)

社会事業団ニュースリリース【新編『生命の實相』の正統性と優秀性を説明いたします】を検証する。 (68465) (69512)
日時:2025年02月03日 (月) 16時47分
名前:本音の時代

社会事業団ニュースリリース【新編『生命の實相』の正統性と優秀性を説明いたします】を検証する。 (68465)
日時:2024年11月23日 (土) 20時25分
名前:本音の時代

ニュースリリース【新編『生命の實相』の正統性と優秀性を説明いたします】の中に次のような記載があります。



【回答補注】
インターネット上に流布されている風説のなかには、谷口雅春先生がお書きになった『新版 真理』別冊に、「最初に総説篇+實相篇』の編成を変えてはいけない」と書いてあるかのような風説が流布されているが、それは誤解にすぎない。たしかに同書は、総説篇と實相篇は「一番中心になっておる真理が書かれている」(百十三頁)から大切な篇だと教えていらっしゃる。しかし、「最初に総説篇+實相篇』の編成を変えるな」と命令されているのではない。そのようなお言葉はまったく存在しない。 また、やはりインターネット上に流布されている風説のなかには、徳久克己先生著『心の持ち方一つ』下巻22頁に、「最初に総説篇+實相篇』の編成を変えてはいけない」と書いてあるかのような風説もあるが、これも誤解にすぎない。このご本も総説篇と實相篇の大切さを説明しているだけである。「最初に総説篇+實相篇』の編成を変えるな」と述べているのではない。ももこれら二冊の本が、「最初に総説篇+實相篇」の編成を変えることを禁じているのならば、携帯版叢書や滿洲篇を作成なさった谷口雅春先生は、谷口雅春先生や徳久克己先生の禁を破っていた…ということになってしまう。



上記について検証します。

先ず『光明の音信』第36号からです。

題として【絶対WしてはならないことWこと 『新編生命の實相』第一巻を勝手に構成を変えること】あります。

掲載内容です。

【平成24年1月1日に発行された『新編生命の實相』第一巻は、谷口雅春先生の御人格を貶めるようなことをしているのです。なんと『新編生命の實相』第一巻の構成を変え、「編者はしがき」にその理由がつぎのように書いてあります。
<本書第一巻は、愛蔵版第一巻収録の「総説篇 七つの光明宣言」と同第二巻収録の「光明篇 生命に至る道」が収められている。これは、「総説篇 七つの光明宣言」が前述の昭和七年の初版皮表紙版では「序篇 七つの光明宣言の解説」とあり、「光明篇 生命に至る道」はその翌年の昭和八年に『生命の實相』第二巻に当たる『久遠の実在』に「総説篇 生命に至る道」として収録されており、共に序章の役割を担って収録されている。そのため、本全集では、この二篇を『新編生命の實相』全体の序章とし、第一巻に収録することとした。>
『生命の實相』第一巻は、<序章 七つの光明宣言の解説>のあとに<実相篇 光明の真理(メタフィジカル・ヒーリング講座)>として「第一章 近代科学の空即是色的展開」が最初に掲げられています。
これは谷口雅春先生が本当の神(絶対善なる神)と本当の世界(実相世界)を悟られる直前にW物質なしWの真理を悟られてW無Wの関門を超えてW実相Wを把握されたからでした。
それ故先生は、「唯神実相の世界」に導かんとしてまずその前提となるW物質なしWの真理を近代科学の方面から解らせようとされたのです。『生命の實相』には、心霊現象やW唯心所現の真理Wを通して、W物質無しWの真理が説かれています。
この第一巻の構成を変えたことの間違いを証明する尊師の御文章があります。囲み記事をお読みください。
この御文章によって新編『生命の實相』の「編者はしがき」が如何にさかしらで、Wこじつけ“であるか分かると思います。



囲み記事の内容です。

題として「生命の實相」第一巻は「総説篇と実相篇」 谷口雅春先生」とあります。

本文です。

<「生命の實相」の第一巻は、「総説篇と實相篇」(頭注版では第1、2巻)であります。「総説篇」は総括した真理が書かれているのであり、「實相篇」は「人間」の実相は如何なるものかと云うことが説かれているのでありまして、これは一番中心になっておる真理が書かれているのです。その次の第二巻には「光明篇」(頭注版では第3巻)があります。実相の完全な事を知って、それを生活に応用する方法を示すのが、「光明篇」で病気の非存在の事を読み、潜在意識の底の底の阿頼耶識までその真理を知りますと、現象の心で病気があると思っておっても、その病気がすうっと消えてしまうのであります。>(新版「真理」別冊113〜114頁)


次に、徳久克己先生著『心の持ち方一つ』下巻22頁を掲載します。
<先生は、『生命の實相』の第1巻の総説篇で、「七つの光明宣言」の解説をされ、生長の家はこのようなことをするという総説をされ、次に、「近代科学の空即是色的展開」を説かれて、「物質は無い」ということを、科学的に説明しておられるのである、と私は気がついたのです。「近代科学の空即是色的展開」というような、あんな難しい問題を、どうして『生命の實相』の一番先にもってこられたのか、ということは、私にとって長い間の疑問でした。
 なぜかと言いますと、あんな難しいことを、最初にもってきてしまったら、そこをみただけで、『生命の實相』を読むことを、やめる人がいるのではなかろうか、と私は思ったのです。これは、私のまことにアサハカな考えであったことが、ダンダンとわかってきました。難しいとか、わかりにくいとかではなく、「物質は無い」という真理を、まず最初にわからせることこそ、生長の家の説く真理を、本当に理解させることである、ということをわからせていただきました。>



さて【回答補注】と『真理』と『心の持ち方一つ』の原文を比較します。
【回答補注】には原文の掲載がありません。これは十分といえるでしょうか。
『真理』と『心の持ち方一つ』には、たしかに「編成を変えてはいけない」という言葉はありません。しかし『生命の實相』を理解するための順序は示されています。この順序をどのように受け止めるかです。谷口雅春先生が直接示されているのです。



社会事業団の説明には次のようなものがあります。
【今までに出版された多くの『生命の實相』は、最初の第一巻に「総説篇」があり、そのつぎに「實相篇」が連続しているという、「最初に総説篇+實相篇」の編成になっています。これは谷口雅春先生のお心によって決まった編成です。 しかし、すべての『生命の實相』がその編成になっているわけではありません。】

資料も添付されており、事実に間違いありません。
しかし、あえて言うのなら、谷口雅春先生が書かれた「真理」別冊の発行は昭和33年でした。しかし社会事業団が示されたものは、昭和33年以前もの、戦前のものでした。どれだけの説得力があるといえるのでしょうか。

生長の家教団は、書籍『生命の實相』を発行する意志があるのか? (68447) (69513)
日時:2025年02月03日 (月) 16時50分
名前:本音の時代

生長の家教団は、書籍『生命の實相』を発行する意志があるのか? (68447)
日時:2024年11月22日 (金) 11時11分
名前:本音の時代

かつて私は、生長の家教団は、書籍『生命の實相』を発行する意志があるとの考えで「帰りましょう掲示板」で投稿しました。しかし、議論の途中で管理人は私を投稿禁止にしたのです。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2006




生長の家社会事業団を弁護します。事実誤認や無意味な注文、さらに無理な注文を生長の家社会事業団につけないようにしましょう。 (8608)
日時:2018年01月01日 (月) 20時19分
名前:かくれ本流応援人

私は「生長の家社会事業団」の者でなく「谷口雅春先生を学ぶ会」の者でもなく「ときみつる會」の者でもありません。

しばらくこの掲示板を見ないでいて久しぶりに拝見してみたら「生長の家社会事業団」に対する無理な注文が並んでいるので驚きました。

その注文は真剣な気持ちで投稿された注文なのですが、よく読んでみると事実誤認に立っていたり、社会事業団に対して無理・無意味な要求であったり、ときには無礼な決めつけをしたりしている内容のようで、しかし真剣な提言であるだけに放置しておけないので、私の感想を次に申し上げます。

まずは、最近ほぼ大多数に認められていると思われる事実確認をしておきます。



【事実の確認】

(1)
現在の日本教文社は『生命の實相』も『聖経』も発行(出版)する気はない。かりに発行したい社員がいても、谷口雅宣総裁(以下、総裁)の命令によって発行することは不可能である。
(2)
生長の家社会事業団(以下、社会事業団)はそのような日本教文社を信用していない。
(3)
社会事業団は、「光明思想社は本気で『生命の實相』や『聖経』を発行し、販路を拡大しようとしている」と考えている。
(4)
現在、総裁は『生命の實相』も『聖経』も必要としていない。また、総裁は初めから『生命の實相』や『聖経』を徐々に絶版状態にするつもりでいた。だから社会事業団が日本教文社に出版の権利を与えても総裁は日本教文社に出版させない。たとえ総裁が信徒たちの目を気にして少数部数の『生命の實相』を出版させても、信徒たちに『生命の實相』を学ばせない。

そのことは現在、総裁が練成会や学習会で『生命の實相』の使用を禁止し、『聖経』に代わる『偽経』をでっち上げ、信徒たちに読誦させ、こともあろうに『日本会議の研究』を「聖典」に格付けしていることから明らかである。

……とは言っても、読者のなかには、「社会事業団が日本教文社に『生命の實相』を出版する権利を与えても、総裁が日本教文社に出版させない」という事実を疑う人がいるかもしれません。それで、次の事実を挙げておきます。

@
徳久克己先生の『生命の實相に学ぶ』、さらに楠本加美野先生の『信仰の活人剣』と『人類無罪宣言』と『あなたは無限能力者』は『生命の實相』の類纂本なので、これら4冊の本は社会事業団が徳久克己先生と(あるいは楠本加美野先生と)の共有著作権者になっている。そして、社会事業団はお二人の意志を尊重して今も日本教文社に出版の権利を与えている。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/koumyou2/&mode=res&log=1251#
A
ところがこの4冊は長いあいだ「品切れ」になっている。確認方法は、日本教文社のホームページ「キイワード検索」
https://www.kyobunsha.co.jp/search.html
B
徳久克己先生のご遺族と楠本加美野先生が自分の本を絶版状態にするはずは無い。だから、社会事業団が出版契約を継続していても、「『生命の實相』を学ぶことは原理主義だ」と考える総裁によって4冊が事実上の絶版にされているとしか考えられない。
C
なお現在、日本教文社が出版した『生命の實相』が今も売られているが、この本は最高裁判決が出る前に出版されたものが残っているためである。だから、この本が売られていることを理由にして、「総裁は『生命の實相』を出版する気持ちを持っている」と見なすことはできない。総裁は『生命の實相』を出版する気持ちを持っていなかったし、今も持っていないのである。





次に、真剣な投稿であるが「生長の家社会事業団」に無理・無意味な要求をしている8301記事、「教団に在籍している信徒の誤った認識を解くために。生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい (8301)」
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1960
に対する私の感想を申し上げます。青文字が8301の本文です。

>生長の家社会事業団の『生命の實相』等の著作権問題により、日本教文社からの『生命の實相』『聖経』等の発行はできなくなった。その非は、教団側にあるものの、発行禁止の処置を講じた社会事業団側の思惑にも不純な部分があったものと私は感じている。

本音さん。社会事業団が信用できない日本教文社に新たな発行を禁止したことは当然のことですよ。もしも社会事業団が日本教文社にも新たな発行の許可を与えるならば、それは本気で聖典・聖経を発行・頒布しようとしている光明思想社に対して、「私はあなたをあまり信用していない。あなたは私が信用していない日本教文社と同じ信用度である」と社会事業団が宣言することです。そのように無礼なことを社会事業団が光明思想社に行えるはずがありません。

しかも日本教文社は『頭注版・生命の實相』も『聖経』も出版できない出版社です。なぜならば『生命の實相』も『聖経』も必要としていない総裁が日本教文社に出版させないからです。本音さんはそのような日本教文社に出版の権利を与えろと社会事業団に要求しておられる。これは無意味な行動を社会事業団に要求しているにすぎません。

>『新編』発行の強い願望の存在もその一因ではなかろうか。しかし、そこに我欲はなかっただろうか。

これは本音さんの誤解でしょう。『新編・生命の實相』発行による頒布拡大を昔から願い、実際に行っているのは光明思想社の方たちです。社会事業団の方たちではありません。社会事業団は『新編』の発行を認可したけれども、『新編』が発行されるにいたった根本要因は光明思想社の頒布拡大戦略です。だから『新編』が持つ長所や短所について論じるのならば、光明思想社にむかって言うべきです。まして、社会事業団に「我欲があった」などというのは、「我欲」の内容が明確に述べられていないだけに社会事業団に対して少し無礼なのではないでしょうか。

>『生命の實相』を読みたい人達の願いは届いていない。

いや。届いていますよ。社会事業団には届いています。社会事業団の人たちは『生命の實相』を読みたいという人達の声を聞いています。ただ、その声が総裁と教団には届いていないのでしょう。

>救済の道は閉ざされている。

そのとおりです。救済の道は閉ざされています。総裁と教団によって閉ざされています。それに対して、著作権者である社会事業団は「光明思想社から聖典・聖経が出版されているから遠慮なく使ってほしい」と全国の教化部に通知して、救済の道を開いています。

>救いを求める人々のためになっているのだろうか。

おっしゃる通りです。救いを求める人々のためになっていません。まったく救いを求める人々のためになっていません。現在の総裁と教団の態度は、まったく救いを求める人々のためになっていません。それに対して、社会事業団は救いを求める人々のために可能な限りの努力を行っています。

>組織の我の(を?)より優先するものがあるのではないか。

本音さんは「社会事業団に組織としての我がある」とか「我欲がある」などとおっしゃいますが、具体的に何のことを言っておられるのか不明です。もしもここで本音さんが、「日本教文社に『頭注版・生命の實相』や『聖経』の発行を認めないことが社会事業団の我欲である」と言いたいのならば、それは無理な注文というものです。

なぜならば、本音さんは「聖典や聖経を出版できないことが明らかである出版社にも出版許可を与えろ。その結果、本気で出版・拡大に努力している出版社を侮辱することになっても構わない。侮辱することを気にするのは組織の我欲である」と主張しているからです。本音さんは自分が何を言っているのか、一度整理なさることを勧めます。

>奪うものは奪われるのである。これは法則である。

そのとおりです。奪う者は奪われます。……ところで、社会事業団は誰の何を奪ったのでしょうか?本音さんがここで仰っている意味がよく解りません。まさか本音さんは、「社会事業団が教団から著作権を奪った」とお考えなのではないでしょう。それでは本音さんは、「社会事業団が一般信徒から聖典・聖経を読む機会を奪った」とお考えなのでしょうか。それならそれで理屈は通りますが、実際にはすでに確認したとおり、社会事業団は全国の教化部に連絡して、できる限りの努力をしています。また、実際に一般信徒から聖典・聖経を読む機会を奪い、今も奪っているのは谷口雅宣総裁であり教団です。

あるいは本音さんは、「社会事業団が日本教文社の出版チャンスを奪った」と考えておられるのでしょうか。それならそれでも理屈は通りますが、それならば本音さんは「全く信用できない相手にも発行の権利を与えろ」と主張しているのですよ。その考え方を少し拡大するならば「朝日新聞にでも日本共産党出版部にでも聖典と聖経を発行する機会をくれてやれ〜」ということになりかねません。本音さんは一度、「社会事業団は誰から何を奪ったのか」について自分の考えを整理したほうが良いですよ。本音さんはここで社会事業団をほぼ泥棒扱いしているのです。くれぐれもご注意を。

>奪うことを優先した者に、何が与えれるというのだ。

これは余りの言いようですね。これは無礼ですよ。本音さんは社会事業団が何を奪う事を優先したというのか、それさえも明確にしていない。それなのに「あなたは奪うことを優先した」と言う。そのような事を言われたら、言われた方はたまったものではありません。もし本音さんの言いようを第三者が見たら、ほとんどの人は「本音さんに悪意はないのだろうけれども、完全に自分の世界に入り込んでいるようだね……」と言いますよ。本音さん。ご自分の物の言い方を再考なさることをお勧めします。

>得をした者がいたのだろうか。生長の家の教えは目先のことだけを考えた教えであったろうか。『生命の實相』『聖経』等を発行できなくなったため教団側は痛い目にあったと当然のように見ているのなら、それは、生長の家的にはあまりにも次元が低いのではないか。生長の家の教えは、『与える』の教えである。生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい。

何度も申すようですが、日本教文社は現実には『頭注版・生命の實相』と『聖経』を発行(出版)できません。だから社会事業団が日本教文社に発行の権利を与えても、その結果起こる物事は無意味あるいはマイナスの事柄ばかりなのです。

>使用料は、しっかりいただきなさい。『新編』は収支成立の自信があるのだから継続していけばよいのではありませんか。在籍信徒の社会事業団側(学ぶ会、光明思想社)に対する反目は現状も依然として強大なものがあります。反目の原因となっているものは解く必要があります。もう時間がありません。躊躇していたら谷口雅春先生の生長の家がなくなってしまいます。脚下照顧。 

このご意見は本音さんの事実誤認の上に立った意見です。まず、本音さんは「社会事業団が日本教文社に『頭注版・生命の實相』と『聖経』を発行する許可を与えないから、在籍信徒が社会事業団側に反目しているのだ」と事実認識しておられるようですが、それは本音さんの事実誤認です。在籍信徒が「学ぶ会」や「社会事業団」に反発している最大の原因は総裁と教団が真実を在籍信徒に知らせてこなかったからです。決して社会事業団が日本教文社に発行許可を与えていないことが原因ではありません。

もしも本音さんの事実認識が正しいのならば、在籍信徒から「社会事業団が日本教文社に出版許可を与えないのはけしからん。」とか「社会事業団は日本教文社に出版許可を与えろ〜」という声が出ているはずです。しかし、そのような声は教団のホームページにも「トキ掲示板」にも「愛国掲示板」にもこの掲示板にも全く出ていません。だから、もしも本音さんが「社会事業団が日本教文社に発行許可を与えないから在籍信徒が社会事業団側に反目しているのだ」とお考えならば、それは本音さんの事実誤認です。

したがって、かりに社会事業団が日本教文社に『頭注版・生命の實相』と『聖経』を発行する許可を与えても在籍信徒の社会事業団側に対する反目の程度は減少しません。なぜならば、たとえ社会事業団が日本教文社に発行許可を与えて「太っ腹」を見せても、その「社会事業団の太っ腹」を総裁と教団が信徒に知らせて社会事業団を称揚するはずがないからです。

また、かりに「社会事業団の太っ腹」が在籍信徒たちの間に噂となって広まっても、教団は「昔の教えに過ぎない『生命の實相』と『聖経』は不要だ」と言って日本教文社に出版させません。そして「社会事業団」や「学ぶ会」などへの非難中傷は決してやめません。だから教団に残っている信徒の社会事業団に対する反目は減らないのです。本音さんはこのあたりの言論力学も考慮に入れて、そろそろ社会事業団を批判する矛を収めてはいかがでしょうか。



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『生命の實相』『甘露の法雨』の発行に関する教団側の見解 (8616)
日時:2018年01月02日 (火) 13時36分
名前:本音の時代

以下は教団HPからの抜粋になります。公式な見解と判断してよろしいのではないかと私は思っています。

 
平成25年7月10日
生長の家社会事業団からの書面等について
宗教法人「生長の家」

(略)
なお、日本教文社は本年2月25日、同事業団との出版使用許諾契約に基づき、聖経や『生命の實相』頭注版等について著作物利用権を有することの確認を求める訴訟を提起し、現在、係争中です。この裁判で日本教文社が勝訴した場合、聖経や『生命の實相』頭注版等は従前通り、日本教文社から出版されることになることを付記いたします。
以上



平成26年4月22日
生長の家社会事業団等との訴訟について
株式会社 日本教文社

(略)
弊社に対して日頃からご支援ご理解を頂いている多くの方々に、ご心配とご迷惑をおかけしていることを心からお詫び申し上げますとともに、差止状態となっている谷口雅春先生のご著書『生命の實相』や『甘露の法雨』等の1日も早い発行を目指して鋭意取り組ませて頂いている現状をご報告させていただく次第でございます。
以上



平成26年10月30日
生長の家社会事業団等との訴訟について
株式会社 日本教文社

(略)
弊社に対して日頃からご支援ご理解を頂いている多くの方々に、ご心配とご迷惑をおかけしていることを心からお詫び申し上げますとともに、差止状態となっている谷口雅春先生のご著書『生命の實相』や『甘露の法雨』等の1日も早い発行を目指して鋭意取り組ませて頂いている現状をご報告させていただく次第でございます。
以上


本音の時代さま (8618)
日時:2018年01月02日 (火) 19時27分
名前:雅夫の妻春子

本音さん

あなたは学ぶ会の会員ですか?

私は違うと思います。


本音さんの言ってることは

大きな大きな鉄の鍋に 靴、「鉛入りの安全靴」鞄、ベルト、帽子、ヘルメット、皮の手袋、タンス、布団に衣類、バケツ、風呂の道具、自転車
その他、米、野菜、魚、お菓子、コンクリートの固まりやカケラ、
釘、ペンチ、カナズチ、針金、廃油、その他何でもです。

こう言う物を一緒くたに煮て「さあ、皆さんお上がりなさい、これが一番幸せになる美味しい美味しい栄養食ですよ!」

そう言ってるのと同じことですよ。共産党もこう言うことです。

一緒くたにしない為に裁判してるのですよ。

聞き訳がないから根暗人間と呼ばれてしまうのです。


本音さんへ (8624)
日時:2018年01月02日 (火) 22時16分
名前:でしたっけ

ハンドルネームが本音の時代さんですから、当然、「本音と建て前」と言う
言葉はご存じですよね。
生長の家教団が、ホームページで書いた内容。

日本教文社が裁判で勝訴すれば、これまで通り「聖経・聖典」は日本教文社から
発行します。これって、本音でしょうか、建て前でしょうか。

私は教団の本音では無いと思ってます。頭の良い本音さんならすぐ
分かると思います。

当時教団は、最高裁まで行っても、教団の敗訴は予想していたでしょ。
谷口清超先生と、恵美子先生が、社会事業団に著作権を寄与する旨を、
お二人が捺印し、文化庁に届けていたのですから。
あの変なお経を雅宣さんが作ったのも、敗訴予想故なのでは。

さてHPですが、教団としては敗訴後、自分達の正当性(正当じゃないけどね)
と社会事業団を悪者にするには最高のHPだったのでは。それを目論んでのHP
だったと思います。

事実敗訴後、多くの教区では、社会事業団はひどい、教団から、
「聖典・聖経」を奪ったと洗脳され、それを主張する人達が大勢
いらっしゃいました。

その様な方々の一部には、真相をお話しし、大半の方々は納得いただきました。
その方々は、退会せれましたよ。

少なくても教団は「聖典」については、裁判中にも関わらず、古くて時代に
合わないとか、原理主義だと散々批判していました。

私の記憶が正しければ、総本山の団参で、谷口雅春先生の聖典は、もう古い、
原理主義だと堂々と講話をされていたのも、確か、裁判中だったと記憶
しています。

ひょとしたら、逆転勝訴するかもしれない、その可能性が残っているにも関わらず、
何で、「聖典」批判をされたのでしょうか。

教団側は、「聖典」はもういらない。どうせ敗訴するのだし、腹を括って
いたからではないでしょうか。

さて、ある教区では「生命の実相の頭注版」でも、を誌友会で、講師が使用しては
いけない事に成っています。これは上からの指示らしいです。

何で「頭注版」を誌友会で使えないのでしょうね。

頭の良い本音の時代さんは、全て分かって書きこんでいらっしゃるのでは、
と私は感じています。



でしたっけさんの記憶は間違いです (8626)
日時:2018年01月03日 (水) 00時22分
名前:帰りましょう

>>私の記憶が正しければ、総本山の団参で、谷口雅春先生の聖典は、もう古い、原理主義だと堂々と講話をされていたのも、確か、裁判中だったと記憶しています。


雅宣総裁は団参のみならず練成道場での指導は皆無です。

練成指導は苦手としているからです。

雅宣氏の批判は正しい正確な事実で伝えないと訴えられますよ。


帰りましょう様 (8631)
日時:2018年01月03日 (水) 09時50分
名前:でしたっけ

しっかりして下さい。雅宣さんの講話ではありません。

当時の総本山総務がされた講話です。あえて総務とは書きませんでしたが、

その講話を聞き、ショックを受けた方々は沢山います。

一方で、納得された方々もいたので私も逆の意味でショックを受けたのを
覚えています。

帰りましょう様は、何処の何方を擁護されているのですか?

勿論、谷口雅春先生を大好きなんは、ひしひしと伝わって来ます。
でも、一体何をどうすればよろしいのでしょうか?


「本音の時代」さんは本当に「本流復活」や「教団正常化」を願っているのですか? (8634)
日時:2018年01月03日 (水) 16時44分
名前:かくれ本流応援人

本音さん。8616の子記事をつけてくださり、ありがとうございました。

ふと気がついたら、「でしたっけ」さんと「帰りましょう」さんとのやりとりが始まっているようです。

拙論に関心をもっていただいたことに感謝して、お二人の議論はお二人で解決してくださるよう、まえもって御願いしておきます。また、私はこの掲示板で優れた意見を提示しておられる破邪顕正さんではないことを申し上げておきます。

そのうえで……

本音さん。8616の子記事はなんですか。

8616には教団や日本教文社の発言が掲示してあるだけではありませんか。私の見解や提言に対して何も答えていません。この掲示板は、自分の言いたいことだけを勝手に言いいちらす掲示板ではないはずです。早く私の見解や提言に答えてください。

それから、

本音さんは社会事業団に無理・無意味な行動を要求し、なかば泥棒あつかいまでしたのだから、8616のなかに社会事業団への謝罪の言葉があって当然なのではありませんか。それとも本音さんは何か社会事業団に恨みでもあるのでしょうか…。いや。たとえ正当な恨みがあったとしても、無理・無意味な行動を要求し、泥棒あつかいまでした相手に詫びるのは当然のことですよ。

……まだあります。

本音さんは8616のなかに教団や日本教文社の発言を掲示された。私は今そのこと自体をとやかく言うようなことはしません。しかし今は裁判にまでなっている問題を扱っているのです。本音さんは8616に社会事業団の発言も掲示するべきでした。それが公平・客観的な態度というものです。

それなのに、あなたは教団や日本教文社の発言だけをもっともらしく掲示して社会事業団の発言を掲示しなかった。これはあなたの心が教団の代弁者になっているということです。

私は怒りました。本音さん。

@私の見解と提言にまともに答えてください。もちろん批判や反論でもかまいません。
A社会事業団に無理・無意味な行動を要求し、泥棒あつかいをしたことを謝罪してください。
B裁判になっている問題なのに、一方の当事者である教団や日本教文社の発言だけを掲示し、他方の当事者である社会事業団の発言を掲示しないのは教団代弁人の投稿態度です。教団だけの発言をもっともらしく掲示したのはどういう理由からか。説明してください。

……私はこの親記事8608を書いたとき、最初は本音さんの8301「教団に在籍している信徒の誤った認識を解くために。生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい。」を「優れた内容」と書いたのです。

しかし自分が批判する投稿文を「優れている」と言うのも奇妙だと思って「真剣な投稿」と修正しました。

ところが今はその8301を「教団代弁人の投稿」だと思っています。もしそれに本音さんがご不満ならば、上記の質問3点に誠実な回答を必ず出してください。






ひとつづつ (8635)
日時:2018年01月03日 (水) 21時47分
名前:本音の時代

まず、8608の

【事実の確認】

(1)
現在の日本教文社は『生命の實相』も『聖経』も発行(出版)する気はない。かりに発行したい社員がいても、谷口雅宣総裁(以下、総裁)の命令によって発行することは不可能である。


の件です。
この情報の源を、示してください。
伝聞は確実とはいえませんので、印刷物があれば写真の添付、ネット上で確認できるのであればアドレスを掲載してください。


教団側の発行意思ありについては、8616にて確認できると思います。


教団代弁人「本音の時代」氏へ。 (8638)
日時:2018年01月04日 (木) 06時46分
名前:かくれ本流応援人

本音さん。8635記事を付けてくださり、ありがとうございました

と普通ならば言うところですが、私はあなたに「ありがとう」などと言いません。

結論から先にいうと、あなたの8635は私への回答でもなければ反論でもない。単なる回答のがれの質問にすぎない。しかも論点を逸らそうとする意図を含んだ卑劣な質問である。だから私はあなたに「ありがとう」などと言いません。

……と言っても読者のなかには私が何を言っているのか解らない人がおられるかもしれません。だから私も本音さんに倣って勝手なことを言いながら説明します。



本音さん。あなたは8635のなかで(1)に関して「情報の源を示せ」とか、「伝聞は確実とはいえない」とか言っておられます。しかし(1)は「情報」ではありません。私の事実認識を述べた文です。私は決して誰かから聞いたことを(1)に書いたのではありません。だから(1)に「情報の源」などあるはずがありません。

本音さん。

もしもあなたが(1)を批判したいのならば、貴方は、「なぜ(1)が言えるのか。その根拠を示してください」と私に言うべきだったのです。そうすれば私も(1)を主張した根拠を説明できます(ただ、私はすでに親記事8608のなかで根拠を丁寧に説明していますけれどもネ)。

……というよりも、

本音さん。あなたは論点をずらそうとしているでしょう。なぜならば貴方自身が8635で(1)を「事実の確認」と書いていて、「情報の確認」とは書いていないからです。自分で「事実」と書いているのに、なにが「情報」ですか。なにが「伝聞は確実とはいえない」ですか。

あなたは私に回答することを避けるために論点をずらそうとしている。あなたの論の進め方は非常に卑劣です。私はあなたのような汚い論の進め方をする人には一切容赦しません。覚悟してください。

……と宣言しておいて、怒りを抑えて本音さんの汚い論の進め方に付きあって話を進めましょう。

まず、本音さん。あなたは(1)の根拠を示せと私に要求した(としておきます。「情報源を示せ」では返答のしようがありませんから)

それに対してお答えします。

すでに私が親記事8608で説明したように、『生命の實相に学ぶ』『信仰の活人剣』『人類無罪宣言』『あなたは無限能力者』は『生命の實相』の文章が多く使われている本です。だから日本教文社が信徒に『生命の實相』の文章を読んでもらえる格好の本である。しかも4冊は今も日本教文社が出版の権利を持っている(情報源は親記事を参照)。それなのに、日本教文社はこの4冊を長いあいだ「品切れ」にして(情報源は親記事を)、誌友が『生命の實相』の文章を読めない状態を作っているからです。これを簡単にいうと、日本教文社は『生命の實相』や『聖経』を本気で出版する気を持っていないからです。これで解りましたか。

……それからついでに、

ここで本音さんが、「日本教文社にこの四冊を出版させていない犯人が谷口雅宣総裁だという根拠を示せ」という分かりきったことを質問してくると面倒なので、前もって述べておきます。

日本教文社にこの四冊を出版させない犯人が谷口雅宣総裁であろうが、かりに谷口貴康先生であろうが(貴康先生。読んでおられたらお許しを)、日本教文社が長い間4冊を出版していないという事実は動かない。だから犯人が生きているかぎり(あるいは犯人がとつぜん思想の転回を起こさないかぎり)、将来、日本教文社が『生命の實相』の出版権を手に入れても日本教文社は『生命の實相』を出版できません。

だから、(1)の「日本教文社は……谷口雅宣総裁の命令によって発行することは不可能である」という事実認識に誤りはありません。

たとえ本音さんが、「『谷口雅宣総裁の命令によって』と言える理由を示せ」と言っても、「谷口雅宣総裁の命令によって」を「犯人の命令によって」に代えれば良いだけのことです。それでも(1)の結論「日本教文社は……発行することは不可能である」は動きません。本音さん。よろしいですね。

……ということで、本音さんに付きあって、さらに次に進みます。

本音さんは8635のなかで、

>教団側の発行意思ありについては、8616にて確認できると思います。

と言っておられる。

本音さん。

あなたは本気でそう言っているのですか。親記事8608でも申したように、日本教文社(および犯人)は『生命の實相』の文章がたくさん含まれている4冊の本を長いあいだ絶版状態にしつづけてきたのですよ。しかも『生命の實相』の文章がたくさん含まれている本はこの4冊だけです(情報源は、日本教文社のホームページ「キイワード検索」https://www.kyobunsha.co.jp/search.html確認はご自身で)。つまり『生命の實相』の文章がたくさん含まれている本はすべて絶版状態だということです。

だから

宗教法人・生長の家が「裁判で日本教文社が勝訴した場合、聖経や『生命の實相』頭注版等は…日本教文社から出版される」と発表しようが、

株式会社・日本教文社が「『生命の實相』や『甘露の法雨』等の1日も早い発行を目指して鋭意取り組ませて頂いている」と発表しようが、

そんな発表は表面だけの言葉。簡単にいえば「嘘」であるに決まっているではありませんか。もし「嘘」というのが言いすぎならば「不完全」です。教団や日本教文社の発表は不完全です。なぜならば両者の発表には次の重要な一文が抜けているからです。「ただし、総裁先生のご不興を買いそうな場合は、信徒様の要望がいかほど多くても出版いたしません。」

この一文があれば私も教団や日本教文社の発表を信じます。しかし、この正直な一文が欠落しているから私は胸を張って、「教団や日本教文社の発表は信用できない」と宣言します。今この掲示板を見ているほとんどの教団改革派の読者も同じ気持ちでいるはずです(私のこの宣言に賛同なさる読者のみなさま。ぜひ賛同の子記事を投稿してください)。

それに対して本音さんは簡単に「教団や日本教文社の発言を信用できる」と言う。

ここまで来ると、本音さんは教団代弁人です。私は親記事8608を書いたころは、「本音さんは単に頑固なだけかもしれない」と思っていました。しかし8635を読んだ今は、本音さんは教団代弁人だと断定します。この掲示板を見ているほとんど全ての人も私と同じ意見のはずです。おそらく読者のほとんどは次のように言うでしょう。「本音さんは教団代弁人だ。本音さんは『かくれ本流応援人』に反論できないから『事実の確認』を『情報の確認』にすりかえ、わざわざ『情報の源を示せ』などと言って論点をねじ曲げようとしたのだ」と。

……ということで、以上、本音さんの卑劣な論の進め方に付き合いました。



さて、本音さん。

私が8634であなたに提出した当然の要求
@私の見解と提言にまともに答えなさい。
A社会事業団に謝罪しなさい。
B裁判になっている問題なのに教団の発言だけを掲示した理由を言いなさい。

に、いつ応えるのですか。

私は8634で「この3点に誠実な回答を必ず出してください」と念を押したはずです。しかし貴方の8635は、ほとんどが私への質問であって回答ではありません。しかも回答逃避のための自分勝手な質問でした。

すでに申したように、私はそのような卑劣な論の進め方は許しません。私は貴方と付きあっている時間が惜しいので(この記事をまとめるために7時間以上かけました)、また、貴方の意見は教団代弁人の意見なので、あなたを投稿禁止にするよう管理人様に直訴します。この記事を読んでいる多くの読者もそれに賛成してくれると思います。






管理人様。投稿の基本ルールを守らず、また教団代弁人としか思えない「本音の時代」氏を投稿禁止にしてくださるよう、お願いします。 (8639)
日時:2018年01月04日 (木) 08時56分
名前:かくれ本流応援人

管理人様

いつも手間のかかる管理を担ってくださり、ありがとうございます。

このスレッドを親記事から読んでくださればお分かりのように、「本音の時代」氏は投稿の基本ルールを守らず、また、この掲示板で教団の代弁を行っています。

氏の投稿内容は「この掲示板のルール」に反する内容です。よって、「本音の時代」氏を投稿禁止に処してくださるようお願いいたします。

しかも「本音の時代」氏が「この掲示板のルール」に反している事実は他にもあります。

「本音の時代」氏は「かくれ本流応援人」へのレスポンスとして、このスレッドに子記事8616を投稿しています。氏はそのなかで教団や日本教文社の発表文3通を紹介しています。

ところがこの3通はいわゆる「蒸し返し訴訟」であって、すでに一審、二審、最高裁とも日本教文社が完敗しています
http://www.seichonoie-sj.jp/pdf/n201604_6.pdf
 http://www.seichonoie-sj.jp/pdf/n201604_7.pdf
 http://www.seichonoie-sj.jp/pdf/n201604_8.pdf
 http://www.seichonoie-sj.jp/pdf/n201604_9.pdf

「本音の時代」氏は日本教文社がすでに完敗したことについて全く触れていません。

それどころか、「教団側に『生命の實相』を発行する意思があることは、この3通によって確認できる」などと、シャーシャーと述べています(8635)。

このような発言を平気で行う「本音の時代」氏は教団に都合のよいことだけを述べる教団代弁人であると断言せざるをえません。

かりに氏が頑固で片意地を張っているためにこのような発言をしているとしても、氏が今後も掲示板のルール「この掲示板の目的に反する書き込みは禁止いたします」を平気で破って投稿することは疑いありません。

以上の理由から、「本音の時代」氏を投稿禁止に処してくださるようお願いいたします。


かくれ本流応援人





直訴の結果を待ちます。 (8640)
日時:2018年01月04日 (木) 10時12分
名前:本音の時代

投稿禁止になった場合には、自分が管理する掲示板にて感想を述べることにします。


管理人から報告です。 (8644)
日時:2018年01月04日 (木) 23時55分
名前:管理人

今日、一人のお方を投稿禁止にいたしました。

なお、投稿禁止はアクセス禁止と異なり、本掲示板を閲覧することが可能です。


管理人

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客観的事実 (68448)
日時:2024年11月22日 (金) 11時53分
名前:本音の時代

毎月出版されている「学ぶ誌」には、「谷口雅宣氏が絶版にした谷口雅春先生聖典一覧(32点)」が掲載されているが、その中には書籍『生命の實相』は含まれていない。
よって、書籍『生命の實相』を絶版状態にしているのは、谷口雅宣氏ではないということが学ぶ会の公式見解と受け取れる。


日本教文社は『生命の實相』も『聖経』も発行(出版)する気はない。かりに発行したい社員がいても、谷口雅宣総裁(以下、総裁)の命令によって発行することは不可能である。 (68450)
日時:2024年11月22日 (金) 12時20分
名前:本音の時代

上記の情報源を求めました。

記事投稿者(かくれ本流応援人)の返答は次のものでした。
【私の事実認識を述べた文です。】
【情報の源」などあるはずがありません。】

確定に至る情報もなく、私の認識したことが事実であるという判断は乱暴であります。

後段では、『生命の實相に学ぶ』『信仰の活人剣』『人類無罪宣言』『あなたは無限能力者』の品切れを、【日本教文社は『生命の實相』も『聖経』も発行(出版)する気はない。】の根拠にしているフシがあるのですが、『生命の實相に学ぶ』『人類無罪宣言』『あなたは無限能力者』の3誌は現在出版中であり、記事投稿者(かくれ本流応援人)の考えははずれたものとなっています。


教団の本音が、書籍『生命の實相』は発行しませんという認識の方へ (68455)
日時:2024年11月22日 (金) 20時32分
名前:本音の時代

それなら、出版契約を持ちかけたら良いのです。
書籍『生命の實相』は発行しませんということなら、日本教文社が出版契約を結ぶことはしないのです。そのことの方がハッキリするでしょう。


ですが、現実は社会事業団は日本教文社との信頼関係がなくなったということで出版継続契約を行いませんでした。
さて、ここからは生長の家の信仰の話になります。
信頼関係がなくなったから関係を断つというのが生長の家の教えであったでしょうか。
生長の家は愛を説く教えでもあります。
愛でお互いが幸せになる教えであります。
社会事業団の行動は生長の家の教えであると言えるでしょうか。

 (69514)
日時:2025年02月03日 (月) 16時54分
名前:甘露


印籠の如く、谷口雅春尊師の御文章を
写した後に綴り置く自分独自の考えを
十二分に吟味されたし。

生長の家の教えは谷口雅春先生ご自身が幸せになったから、それを人に伝えたくて始まったものです。 (67578) (69515)
日時:2025年02月03日 (月) 16時58分
名前:本音の時代

生長の家の教えは谷口雅春先生ご自身が幸せになったから、それを人に伝えたくて始まったものです。 (67578)
日時:2024年09月22日 (日) 20時22分
名前:本音の時代

生長の家の教えの始めに帰りましょう。

【幸福への道 1 生長の家 徳久克己】しつこく聞きましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=Sso_OZFP1Ys&list=PLaAZn5kNrmt6-bVanllJxUMVkjnzYwjzf&index=1
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https://www.youtube.com/watch?v=Sso_OZFP1Ys&list=PLaAZn5kNrmt6-bVanllJxUMVkjnzYwjzf&index=1

ほめられることの快感 (67795)
日時:2024年10月08日 (火) 15時54分
名前:本音の時代

人はほめられること快感を味わうとほめられることのみするようになるようだ。
雅宣さんは生長の家の教え(と言っても雅宣さんは本来の教えを雅宣教にして生長の家と名乗っているのだが)を世の中に広めるという総裁の役割を果たさず、自分の趣味を拡散してお孫さん信仰の人たちからほめちぎられている。
学ぶ会は先祖供養祭をすると会員からほめられる。学ぶ会においては、生長の家の教えは先祖供養教になってしまったようだ。

生長の家の教えでは、生命の糧は愛であるという。いつのころからか組織維持のため、愛はどこかにすっ飛んでしまったようだ。

愛を説くより、人を排除するようになった。
愛を説くことより、敵を作るようになってしまった。

穢れた言葉が氾濫する生長の家關連のネットはシャットアウトだって (69709)
日時:2025年02月18日 (火) 22時36分
名前:本音の時代

じゃあ、生長の家らしい生長の家關連のネットはどこにあるのだろうか。
教えを広めるを口実に、飯を食っているのではないだろうか。
無報酬やボランティアでやっていけないだろうか。

次回の投稿は、2003年に開設した『本音の時代掲示板』のことでも書いてみようかな。

生長の家社会事業団の特別献資額 (69855)
日時:2025年03月04日 (火) 10時48分
名前:本音の時代

この1年間の特別献資額をした人数は31名であった。
31名×33万円=1,023万円
何に使われたかは公表されない。

職権乱用 (69996)
日時:2025年03月19日 (水) 10時21分
名前:本音の時代

今日の生長の家総裁ブログから
【朝起きたら積雪25センチ。そして、まだまだ降っている。今日は重要会議の日だから、オフィスへ行かねばならない。午前7時からオフィス職員4名による救援隊が到着。あっという間に、アプローチから玄関までの雪掻きをしてくれた。】

私邸の除雪の為にオフィス職員を収集ですか?
公私混同もはなはだしい職権乱用です。
重要会議があるのなら前日から気象状況に留意して、事前に対処しておくべきです。
私邸の除雪の為に職員が働く、教団の勤務管理はどうなっているのだろう。

それについては、雅宣さんは、賢い人ですから、ちゃんと考えていると思います。 (69997)
日時:2025年03月19日 (水) 11時04分
名前:志恩

お山も谷口家は、教団に売ったので、教団のものにした
と聞いています。

何億で売ったのか、何十億で売ったのか。知りませんが、
教団は、谷口家に、お金を払って買ったのでしょう。

寄付したのではなく、売ったと聞きましたから。
その後は、
つまり教団が、お山のお住まいを、総裁公邸の1つとして、
所持し、固定資産税を払っているということになります。


ですから、今、雅宣さんご夫妻が総裁ご夫妻として住んでいる
北杜市の今泉町のところも、
総裁公邸として、住んでいると思われます。

もしも、そうだとしましたら、今泉町の総裁ご夫妻がお住まいの
お宅は、総裁公邸なので、固定資産税は、教団が払っていること
なります。
いうまでもなく、その家を買ったのも教団。

そして、
電話も教団名義だとすれば、住んでいる人たちの電話代も
ただ。だと考えられます。

最近、総裁の家の裏山の針葉樹林を全部伐採して、キノコが
たくさん生えるという広葉樹林に、業者に頼んで
全部入れ替えましたよね、
あれの業者に払った費用も、教団が払ったということも考えられます。

だから、これは、もしもの話になりますが、
総裁公邸が教団のものならば、教団職員が教団の
建物の1つである総裁公邸の雪かきをしても、私用で使った
ことにはならないと思います。

教団所属の人に以前に聞きましたが、純子さんが、毎朝、白鳩会総裁
として、総裁に作っているノーミートのおべんとうの写真を、載せて
おられますが、
あれは、白鳩会総裁である純子さんが、ノーミート運動を推進する一貫の
仕事としても、載せているので、材料費は、後から教団の経理部に請求が来て、
その経費は
教団が払っていると聞きました。
本当かどうかは知りませんが。

では、総裁ご夫妻は、いただいている高給はどうされているのでしょうね。
もしかしたら、
東京あたりに高給マンションを買っておられるのか、息子たちや娘や
孫たちのお役に立てているのでしょうか。その点は、
私は存じ上げないことです。

すべて、教団のお方から、漏れ伺ったことなので、
真偽の程は、わからないことばかりで、これは断定では、ありません。

公邸であるならば (69998)
日時:2025年03月19日 (水) 11時57分
名前:本音の時代

公邸管理規則みたいなものあるのでしょうかねぇ〜。
なければおかしいのですが。

純子さんのノーミート料理の材料費の件は、石破総理のおみやげ代よろしく、庶民の感覚からしてみれば、そこまでやるのっていう感じですね。

本音の時代様 (69999)
日時:2025年03月19日 (水) 12時24分
名前:志恩

>公邸管理規則みたいなものあるのでしょうかねぇ〜。
なければおかしいのですが。<

志恩ー
そのようなものは、あるとは思えません

規則は、その団体の長が決めます。

雅宣さんが、生長の家教団の総裁になったら、
雅宣さんは、部下たちが誰も総裁を辞めさせられないという
規則に、改悪したということは、有名な話です。

自分に厳しい規則をつくる長なんてものは、おりません。

残念ながら、です。

志恩さんへ (70028)
日時:2025年03月21日 (金) 14時43分
名前:本音の時代

>自分に厳しい規則をつくる長なんてものは、おりません。

谷口雅春先生もそうでしたか?

本音の時代様 (70029)
日時:2025年03月21日 (金) 15時32分
名前:志恩

そうでした。そうでした。
今の三代目総裁と比較しましたら、比較するのも
情けなさすぎますが、

谷口雅春先生は、別格中の別格のお方でしたよ。
神様のように慈悲深く愛深く誠実なご自分には厳しい
お方でしたよ。

総裁としての「規律」があったのかどうかは存じませんが、
規律なんかあってもなくても、
信徒から見て、がっかりするような事柄は、皆無でしたもの。

あの当時、私はお山係の時もありまして、
谷口雅春先生が、原宿本部からお山へお帰りになるとき
先生のお靴を、本部の裏玄関の玄関先に並べましたが、
擦り切れるような古い革靴を
履いていらして、お客様の履いていらした靴と
いつも、間違えそうなほどでした。

あの頃も、本部職員たちは木曜日が、休日でしたが、
谷口雅春先生は365日、休みなく、
一人でも多くの人たちを救いたいという
深く強いお志を抱いていらしたので、
輝子先生が仰っておられましたが、
谷口雅春先生は、木曜日も休まずに無休で
原稿を書いていらして、お仕事をされている
と仰っていました。

あの頃、いちばんの収入源であった「生命の實相」の
著作権を、戦災で親を亡くした子供達のためにと
神の国寮を作り、今の社会事業団のことですが、

一番大事な収入源であった「生命の實相」の著作権を
与えてしまったのも、無私の精神の表れでされた
ことだと、本部講師のその当時の先生方から伺いました。

ですから、原宿本部ができても、最初の頃は、
全然お金がないので、本部職員を雇えなかった
のだと、私は、昭和36年に久しぶりに、雇われたとき
本部講師の先生方に事情を聞きました。

あの頃、有留先生という男性の本部講師の先生が
聖使命会費という
のをお山に提案し、聖使命会員を全国の組織へ募ることで、
やっと少しづつ教団の経理部にお金が入るようになったので、
本部員が雇えるようになったのだと、教えてもらいました。

あの頃は、
本部の早朝神想観に来てくださる信徒の方々には、出来立ての
丼いっぱいの芋粥を、無料で信徒の皆様にふるまっていましたし、

月2回、本部で開催されていたお山の4先生ご臨席の
谷口雅春先生が信徒の質問に直接答えてくださる
本部白鳩会も、女性の信徒たちは、無料参加でしたし、

当時、日曜日は大道場で、
ウイークデイは小道場で、
午前午後と行われていた講演会も、
信徒たちは、無料参加でした。

谷口雅春先生は、全国の信徒の皆様を喜ばすこと
ばかり考えていらして、ご自分は質素にされてて、
他人には
ふかふかと与える生活を、心底実践されていた、まるで
大聖者のような崇高な美しい心を持ったお方でした。

それが、生長の家教団は、二代目、三代目になってから、
嘘のように、ガタガタっと、崩れ堕ちていったのです。

私の弟のセリフ
組織は、組織の長、次第。
まさにその通りだと存じます。

で、見るも哀れ、聞くも哀れな状態に、
怒涛の勢いで 落ちぶれてしまいまして、
今の教団は、なっております。

それに、もしも、今も谷口雅春先生が、お元気で生きていらして
もしも谷口雅春先生が、
社会事業団の理事長をされておられましたら、
あのように個人を、間違ったことを言ったからと言うことで
信徒である個人に対して多額の損害賠償金付きで訴訟し裁判に、
かけたり
何百万円という賠償金を信徒個人から、巻き上げるような
酷い行いは、決してされなかったと思います。

こうゆうことをしますとね。今はネット社会ですから、
あっという間に、しれわたるのです。

せっかくあちらの講師がいいお話されても、
実際にやることが、ひどければ、
信徒は増えないでしょう。
私は以前は、あちらも応援していましたから、
それについても大変残念に思っております。

別格中の別格のお方ですが (70032)
日時:2025年03月21日 (金) 23時36分
名前:本音の時代

生長の家と他の宗教の違うところ(谷口雅春先生)
https://www.youtube.com/shorts/dJj1YmnyNp0


その谷口雅春先生が私たち(誌友)に対して「あなた方の中に谷口雅春がいる」とおっしゃった。だから私たちも中にいる谷口雅春先生を自覚したら別格になれると思いますよ。自信を持って良いと思います。
常に谷口雅春先生を忘れないことです。
誰かさんのように谷口雅春先生を補足するなどという考えは持たないことです。

谷口雅春先生が「生長の家と他の宗教の違うところ」で描いていますが、生長の家は「天地一切との和解を説く」があります。和解とは感謝であり調和を導くものです。
しかし、昭和58年生政連の活動停止という形で宗教と政治の調和を教団は捨てました。一見、宗教と政治のことのように感じますが、これは重大な落とし穴です。生長の家の根本といえる「天地一切との和解を説く」を貫かなかったのです。これが今に繋がっています。分派は和解の結果でありません。和解できなかった結果です。分派は教団をやめた人の受け皿になっていますか。結果はなっていません。宗教団体になってその信者数すら発表していません。教団の長や幹部や職員が間違っていても誌友はそれについていかなくてもよいのです。誌友は誌友として谷口雅春先生が説いた教えを学ぶ、実践し続ければ良いのです。分派に行って谷口雅春先生の教えを学ぶと言っても、結局それは「学ぶ会の教え」であり「ときみつる會の教え」であって、「生長の家の教え」とは違うものになってしまうのです。


本音の時代様 (70037)
日時:2025年03月22日 (土) 07時09分
名前:志恩

>谷口雅春先生が私たち(誌友)に対して「あなた方の中に谷口雅春がいる」とおっしゃった。だから私たちも中にいる谷口雅春先生を自覚したら別格になれると思いますよ。自信を持って良いと思います。
常に谷口雅春先生を忘れないことです。
誰かさんのように谷口雅春先生を補足するなどという考えは持たないことです。<

志恩ー
それができるのは、本音の時代様や私のように谷口雅春先生の
教えに救われた体験がある人だと思います。

雅宣さんの総裁時代に、生長の家に触れた方々は、雅宣さんが生長の家
のトップですから、あのお方の運動方針が、元々の教えの運動方針なのだ
と勘違いするでしょう。

もう少し、わかりやすく言いますとね、
雅宣総裁代弁者である曵馬野さんの常套句を使うと、わかりやすいですよ。
「本音の時代の基地外クソジジィも、志恩の基地外クソババァも、
うだうだ ほざいて いてねぇで、早く死にやがれ!!!」

しかし、私たち古い信徒たちは、そのような悪辣な言葉に挫けずに
明るく強く、これからも、谷口雅春先生の教えを生きてまいりましょう。

雅宣総裁時代に、何の魅力があるのでしょうか? (70038)
日時:2025年03月22日 (土) 07時37分
名前:本音の時代

生長の家と他の宗教の違うところ(谷口雅春先生)
https://www.youtube.com/shorts/dJj1YmnyNp0

私の投稿には、↑を必ず張り付けることにしました。

『生長の家の教規』には、「教義の根本たるものは『生命の實相』巻頭の「七つの燈台の点燈者の神示」なりと示されています。生長の家は「天地一切との和解を説く」のです。説くだけではありません。創始者・谷口雅春先生はそれを実生活の中で実践していたのです。家(生長の家)から出て、その家の中の問題を解決できません。その家から出る行為は「天地一切との和解」とは言えません。その家の中にいて「天地一切との和解」をしてこそ、その家の幸福は実現するのです。

 (70086)
日時:2025年03月27日 (木) 09時05分
名前:神の子

でも本音さんもゴミの日に燃えるゴミとか捨てるでしょ?コレも重大な落とし穴で『天地一切との和解を説く』を貫いていない事になりますかね。

本音さんは天地一切(より具体的には燃えるゴミ)と和解していない!

> (70086) (70089)
日時:2025年03月27日 (木) 10時29分
名前:本音の時代

書いてある意味がわかりません。



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