生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家 なんでこうなっちゃたの (68698)
日時:2024年12月14日 (土) 11時05分
名前:本音の時代

『生長の家教規』から考えます。(はうら ひとひらさんの【大調和の神示 (66681)】の投稿文使用)



《【生長の家教規】

第1章 名称
第1条 この宗教は、生長の家と称する。

第2章 目的
第2条 この宗教の設立の目的は次の通りである。

(1)谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き 、
その主著『生命の實相』を鍵として、
万教共通の宗教真理を開示し、これを宣布することによって、
人類光明化につくすこと。

(2)教化道場及び礼拝施設を備え、
この宗教の教義に基いて儀式行事を行い、
信者を強化育成すること。

(3)教義の発祥及び発展の沿革を明らかにするため、
総裁の遺跡、遺文、記念物等を保存し、
この宗教の史跡及び施設を散逸せしめざるよう修理保管すること。

(4)各地に生長の家の教化部、道場及び伝導本部を設け
それらにおいて宣布する教義を判釈し及び儀式行事を
行わしめもって布教の統一を図るとともに、
その教務及び事務を総攬すること。

第3章 宣言
第3条 この宗教は、その目的を達成するため実行目標として
次の如き『生長の家七つの光明宣言」を定める。

1.吾等は宗派を超越し、生命を礼拝し、
生命の法則に随順して生活せんことを期す。

2.吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ
個人に宿る生命も不死なりと信ず。

3.吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)
を歩まんが為に生命の創価の法則を研究発表する。

4.吾等は生命の糧(かて)は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは
愛を実現する言葉の創価力なりと信ず。

5.吾等は神の子として無限の可能性を内に包在し、
言葉の創価力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。

6.吾等は善き言葉の創価力にて人類の運命を改善せんが為に、
善き言葉の著述、出版、講習、講演、テレビジョン
その他凡ゆる文化施設を通じて教義を宣布するものとす。

7.吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法により
病苦其の他一切の人生苦を克服し相愛協力の天国を地上に
建設せんが為に実際行動を起す。

第4章 立教
第4条 本教の立教は、昭和4年12月13日谷口雅春が
『生命の実相を知れ」「人間・神の子」「今即久遠」
「天地一切のものと和解せよ」の神啓を受けたるに発し、
昭和5年3月1日「生長の家」なる名称にてその教えを
宣布したるに始まりこれを立教の始源とする。

第5章 教義
第5条 本教の教義の大要は世界のすべての宗教は
唯一の本源より発するものにして、
万教は唯一の真理に帰一し、人間救いの原理も
唯一にしてニあることなきを宣説するものにして、
教えの創始者谷口雅春の唯神実相の神学を鍵として
全世界の宗教の経典の真義を顕示して
人生に光明あらしむるものである。

教義の根本たるものは『生命の實相』巻頭の
『七つの燈臺の點燈者』の神示なり。
曰くーー汝ら天地一切のものと和解せよ。
天地一切のものとの和解が成立するとき、
天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、
天地の萬物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪靈に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと和解してゐない證據であるから
省みて和解せよ。
われ嘗て神の祭壇の前に供え物を獻ぐるとき、
先ず汝の兄弟と和せよと教へたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なるものは汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなはぬ。
・・・・・・

われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解して
われを招べ。われは愛であるから、
汝が天地すべてのものと和解したとき其處にわれは顯れる。
ーーというにあり。》



まず肝心な重要なことは、生長の家の目的がに
【谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き】
と書いてあることです。
谷口雅春創始の、生長の家の教義に基づかない7、雅宣さんが自己流で説くものでは、生長の家とは別物であります。

生長の家とは別物であるのに生長の家と偽るのですから、信者が激減していく現実は、至極当然な事なのであります。

分派した団体は、信者数すら発表していません。思うように信者が増えていないためだと想像します。

雅宣さんの勝手し放題を放任したのは、谷口清超さん (68699)
日時:2024年12月14日 (土) 16時07分
名前:本音の時代

「学ぶ誌」平成17年7月号からです。

【谷口雅春先生ご昇天以後の生長の家(1) 元木卓
谷口雅春先生以後の教団を狂わせたその淵源

 谷口雅春先生が神界に去られてから、生長の家の運動は次第に本来の姿から離れていった。その経緯を明らかにするのが拙論の目的であるが、今の運動からは完全に「国」が抜け落ちている。「国家再建」の運動こそ、生長の家の運動ではなかったのか。
 運動路線を狂わせたその淵源をたどれば、(谷口清超)総裁の法燈継承にあたっての姿勢に行き着く気がする。
 それはいいすぎであろうか。いや、そうは思わない。何故なら、谷口雅宣副総裁の勝手し放題を放任しているのは、谷口清超現総裁だからである。】


そうですね。谷口清超さんがしっかり対処していればね。雅宣さんに拘ったのは、教団の私物化です。

>清超先生が後を託したのは雅宣総裁ですよ (68701)
日時:2024年12月14日 (土) 17時06分
名前:本音の時代

その結果、生長の家は胡麻化され、雅宣教になったという真実が残った。

だから、『なんでこうなっちゃたの』ですよ。
まあ、ウジウジしているしていないは主観ですんで。どう思うかは人それぞれです。
で、生長の家の聖使命会員である私としては、『なんでこうなっちゃたの』かを考え、本来の生長の家とは何かを発信するのです。

雅宣さんの長編詩は経典扱いしてはいけません。 (68702)
日時:2024年12月14日 (土) 17時21分
名前:本音の時代

【宗教上の経典は必ず霊感に依って書かれたものでなければならないのであります。】(谷口雅春著 『新版 真理』第1巻 入門篇 3頁)


そのとおりなんですよ。雅宣さんの人間智で書かれた長編詩は経典扱いしてはいけません。
生長の家教団は組織として『生長の家教規』違反を行っているのですよ。改めなければいけませんね。

宗教は原理主義 (68718)
日時:2024年12月16日 (月) 10時57分
名前:本音の時代

生長の家の場合です。
生長の家の創始者は、谷口雅春先生です。
創始者の教えが間違っていたり、古くなってしまえば、その宗教は衰退していくことでしょう。それでよいのです。
しかし生長の家の名称はそのままにして、教えの巧妙に変化させていく行為は、創始者に対する侮辱であります。
生長の家の名称は、生活の糧の為に用いるものでもなければ。権力欲達成に用いるものでもありません。

>現在の生長の家本部は、従来の谷口雅春先生の教えを修正するというスタンスにあると思われます。 (68728)
日時:2024年12月17日 (火) 07時54分
名前:本音の時代

別スレッドから借用しました。
従来の谷口雅春先生の教えを希望する人には「生長の家」という名称の教団を残し、雅宣さんは新しい団体を作ったらよろしい。それが理に適ったことです。

谷口雅春先生の弟子はいるのか、いないのか。 (68737)
日時:2024年12月17日 (火) 20時50分
名前:本音の時代

【一番弟子の意味

 戦後間もない頃、神田にある共立講堂を借りて生長の家青年会全国大会を開催した時のことでした。谷口輝子奥様が青年たちに向かってお話をしてくださいました。お話の内容は次のようなものでした。

 ある日、お山に徳久さんが訪ねてきました。そして、何かのお話から徳久さんが「私は谷口雅春先生の第一の弟子になりたい」と言いました。そこで私は「だめですよ、徳久さん、先生の第一の弟子は私ですよ」と申し上げたのです。そうしたら、徳久さんは「奥様が第一のお弟子でいらっしゃるなら、私は第二の弟子になります」と、そんなお話をしたことがありました。
ここで、今日ここに集まっておられる青年の皆さんにお話しておきたいと思います。それは私が徳久さんに「谷口雅春先生の第一のお弟子」と言ったことについてです。私が「谷口雅春先生の第一の弟子」と申しました意味は、谷口雅春先生のお弟子のなかで私が文筆の才能が一番優れているという意味ではないのです。大勢の先生のお弟子の中には、私より筆の立つ方はたくさんいらっしゃいます。お話が一番上手だから第一のお弟子かと言いますと、私よりもお話の上手な方はたくさんいらっしゃいます。では、何をもって私が「谷口雅春先生の第一の弟子」であるかということです。
 それは、先生のためならいつでも自分の命を投げ出すことができるということです。その意味で私は「谷口雅春先生の第一のお弟子」と申し上げたのです。】


雅宣さんに辞めさせられる状況になると素直に辞めてみたり、左遷されたら素直に辞めたりする人がいる。教団に残り命を投げ出して谷口雅春先生が作った生長の家教団を護ろうとした人はいなかった。所詮、みんな谷口雅春先生より自分が大好きなのだ。

本音の時代様 (68738)
日時:2024年12月17日 (火) 21時04分
名前:志恩

>雅宣さんに辞めさせられる状況になると素直に辞めてみたり、左遷されたら素直に辞めたりする人がいる。教団に残り命を投げ出して谷口雅春先生が作った生長の家教団を護ろうとした人はいなかった。所詮、みんな谷口雅春先生より自分が大好きなのだ。<

志恩ー
教団組織というのは、総裁が、あんたを首にすると
言えば、総裁の鶴の一声で、
どの部下も、即、首にならざるを、得ないのです。

左遷だって、総裁が決めたことは誰にも逆らえないのです。
それが、今の教団の恐怖のシステムです。

志恩さんへ (68739)
日時:2024年12月17日 (火) 21時41分
名前:本音の時代

それは労働基準法に順法ですか?異議申し立てはできるのではないでしょうか?
それと左遷とみられる人事は、辞めることは強要していませんよね。
人事が気に食わないから辞めたいと思うのは人事を受けた側ですよね。

本音の時代様 (68740)
日時:2024年12月17日 (火) 21時53分
名前:志恩

教団関係者に、以前聞きましたが、
教団は、その点はひどく時代遅れで
部下が総裁に対して異議を申し建てることができる労働基準法は
今のところはない、ひどく時代遅れの人権無視の団体だそうです。

それこそ、今の時代に沿って
そのような組織(労働組合)を、人道的に基づいて、
教団は、即刻取り入れなければなりません。

そして雅宣さんが総裁になってから、規約を変えて、
部下達が総裁をやめさせることができない規約に改悪
したということも聞いています。

ですから雅宣さんが自分から総裁を辞めますと言わない限り
彼の総裁職は続きます。


志恩さんへ (68743)
日時:2024年12月18日 (水) 00時12分
名前:本音の時代

不当解雇は労働基準法ではなく労働契約法になるらしい。
よって、不当解雇は弁護士対応になるようですね。
訴えなかったらや、闇の中。
そこが雅宣さんのやりて上手なところ。
抵抗しなければ、何事も改善しません。これは世の常。

雅宣さんは辞めさせられませんよ。わかってます。
抵抗の証を残し大きくしたい。いずれ風が吹くかもしれないし。

ただ教団の外部から何を言っても変わらなかった。
学ぶ会が出来てから、22年経っちゃたが教団は変質が止まらない。
それじゃ教団内部からの声が大きくならないから。

本音の時代様 (68744)
日時:2024年12月18日 (水) 00時21分
名前:志恩

生長の家の人たちって、
宗教の本ばかり読んでますので、
法律には、すごく弱い人たちなのよね。
世の中のことに対しては、まるっきし
無知すぎる傾向があります。

だから、そこを逆手に取られたりするんです。
なんでも批判せずに拝んでりゃ、いいもんじゃないですのに。

 (68747)
日時:2024年12月18日 (水) 00時33分
名前:本音の時代

逸れちゃったけど、雅春先生のためならいつでも自分の命を投げ出すことができることって、具体的に何をしたらよいのかなぁ〜って考えます。

本音の時代様 (68757)
日時:2024年12月18日 (水) 05時42分
名前:志恩

谷口雅春先生は、もともとの生長の家のために、
信徒に、いのちを投げ出して欲しいなんて、これっぽっちも
思っていらっしゃらないと思います。

今はネットの時代ですから、
このように、原点回帰が必要だと、掲示板で繰り返し
発言することが、ある意味、
本来の生長の家の信徒として、命投げ出していることでは
ないでしょうか。

だって、何にも言わない方が、楽でしょう。
いくら言ってみても、一円ももらえるうわけじゃないですし、
奉仕の精神で、掲示板へ出ているんですから。

総裁ご夫妻は、毎日きのことったり、自転車で山登りをして、
救済はせず、遊んで暮らしているのに超高給貰ってるんです。

それに引き換え、
私たちは、無料奉仕で、自分のなんの儲けにも得にもならない
のに、このような発言をしているわけで、

神様もご先祖様も亡き生長の家の先輩の皆様もみていて、
陰ながら、応援してくださっていると思います。

陰徳積み放題かもですよ、もしかしたら。笑

(時折、変な奴が出てきて、私たちに対して、
ひどい嫌味を言いにきますけれどね。
私たち、言われてもくじけないものね。

でも、最近は、志恩に向かって
”基地外ばばぁ、くそばばぁ、早く死ね!”が口癖だった
曵馬野さまが出てきませんね。どうされたのかしら。
もうそろそろ、出てくるかな....。)

谷口雅春先生は、もともとの生長の家のために、 信徒に、いのちを投げ出して欲しいなんて、これっぽっちも 思っていらっしゃらないと思います。 (68762)
日時:2024年12月18日 (水) 13時41分
名前:本音の時代

孫が教団を変質させるなって夢にも思ってはいなかっただろう。
明窓浄机欄では留学の為日本を去った際に、教団外で活動していくことを感じていたのだから、教団に戻って来た時に、何を感じていたのだろうか。

 (68769)
日時:2024年12月19日 (木) 02時30分
名前:ポスト

曵馬野さんという人に
そんなことを言われたんですねぇ
へえ、、、

ところで志恩さん、
コスモスさん、ソ一レさん、
流浪の民さん達はお達者でしょうかな。

ポスト様 (68771)
日時:2024年12月19日 (木) 05時56分
名前:志恩

>曵馬野さんという人に
そんなことを言われたんですねぇ
へえ、、<、

志恩ー
そうなんです。曵馬野さんは、志恩に対して
「基地外ばばぁ、くそばばぁ、早く死ね!!」が
口癖の人でしたよ。


>コスモスさん、ソ一レさん、
流浪の民さん達はお達者でしょうかな。<

志恩ー
最近、アクセス禁止を解いてくださったのか、
私も、第二掲示板が読めるようになりましたので、
ときおり拝見しておりますが、

最近は、その方達、出ていませんね。
その中のコスモス様は伊勢白山道の言葉を
時々、ご紹介くださっていたお方でした。
お懐かしいです。

最近、第二掲示板は、
護法の天使様(社会事業団の久保様)のオンパレードですね。

志恩さん思い出話で判明、生長の家崩壊の原因 (69171)
日時:2025年01月20日 (月) 18時31分
名前:長い間の謎がやっと解けた

昭和40年過ぎ全国白鳩会会長古川恵偉女史が時折70歳過ぎの輝子女史とお山で一二時間の歓談の折り、「私は清超さんと相性が合わないのよ」と語り、会長はそれを若い一本部員に語ったそうな。志恩さん思い出話

本来の生長の家の教え、なんて言葉が踊り、感謝一点張りが生長の家であるとの感想が多い。

しかし清超先生そんな義母をどう感じたでしょうか。
幼い我が子に畳にこぼした味噌汁を吸い取れと命じる義父の行動をどう感じたでしょうか。


そんな祖父母と父親の不和を感じ取った子供達が祖父母を尊敬しながら成長できるはずもないでしょう。そのような家庭にあって、母たる恵美子女史はどんな行動をとったのでしょうか。

母親の葬儀にさえ出たくないと思わせるほどの心の傷を負わせたのでしょうか。

生長の家総本山の存在を清超さんはとのように感じていたのでしょうか。
総裁公邸の存在をどのように感じていたのでしょうか。

教えが正しいとしても、その実践を義父母に見いだせなかったことが、今の生長の家の有り様になったものと思う。




人様の家庭の事までわからんでしょう。 (69174)
日時:2025年01月20日 (月) 21時54分
名前:神の子

輝子先生と清超先生の合わない件はカレーに添えるのは、らっきょうか?福神漬か?での意見の違いを冗談で言ったかもしれないし。
畳の味噌汁の話も伝聞での話で正確にはわからない事。

総裁は母の葬儀に出なかったんだっけ?それだけが客観的事実。それだって行くつもりだったけど変なキノコを食べて腹を壊してやむを得ず欠席かもしれん。

そっと胸の内にしまっておくべきことだったのに (69176)
日時:2025年01月20日 (月) 22時34分
名前:道義上の守秘義務はどこへ?

古川先生は輝子先生のお話の内容を決して口外してはならなかった

しかもよりによって歳をとってからネットで拡散するような人に

古川先生と志恩さんの二人はそれぞれそっと胸の内にしまっておくべきだった

ここのスレッドにも、載せておきますね。 (69180)
日時:2025年01月21日 (火) 01時26分
名前:志恩

>「私は清超さんと相性が合わないのよ」<

輝子先生は、大変真面目できっちりしたご性格で、正直なお方で
いらっしゃいましたから、
お山の室内では、よく鼻歌まじりに、オペラを口ずさみながら
ラフな生き方をされていらしてて
和風なことよりも、洋風なことが大好きでいらした清超先生とは、
相性が合わないのだろうな、と、私は、そのお言葉は、批判ではなく
当たり前のように、受け取っておりました。

そのお話を伺っても、私は、
輝子先生にがっかりすることもなく、清超先生にがっかり
する気持ちも、微塵も浮かびませんでした。

私は、その当時、清超先生に、個人的に和文タイプを習いに、
ちょくちょくお山へ行っていまして

清超先生が事務室にされていた6畳ほどの洋室にて、
和文タイプを習っていましたから、清超先生の普段のご様子は、
みなさまよりも多く、身近に拝見していたからです。


清超先生と恵美子先生は、とても仲良しでいらっしゃいましたよ。
恵美子先生は、口数は少ないお方でしたけれど、夫である
清超先生をいつもたてて行動されてました。恵美子先生は
本部へお越しになった時や私にも、笑顔で接してくださることは
あまりありませんでしたが清超先生は、
「自分は恵美子の笑顔しか見たことがない」と、
常々おっしゃっておられました。


相性が合わないと思われた娘婿とも、仲良く喧嘩もせず、
祖父母、父母、子(孫)の三世代が1つ屋根の下で住んで
いらしたのですから、大したことです。

ドラマにもなるような、色々なことがお互いにありましたでしょうし、
人生の魂の訓練場としては、最高の舞台を生きていらしたのだと
存じます。

小さい子供(孫たち)が4人も食事の時にいれば、さぞ、にぎやかだった
であろうことも想像できます。

小さい子たちが、お行儀が悪いことをすれば、時には、
お爺ちゃまでいらした雅春先生は、将来のことを考えて、
ここは、あまやかしておいちゃ、ろくな人間にならないと
お考えになって、お椀をひっくり返した男の子の孫に、
畳にこぼした味噌汁を吸いなさい、と叱って、
吸わせたこともあったでしょうことも、当然のことだと
思います。

でも、それを、屈辱と感じたと、ある時、大人になった
雅宣さんは、公表されましたよね。

では、同じ、雅春先生のお孫さんである、雅宣さんの1つ上の
寿美さんは、同じくその場にいて、その頃、どのように
感じておられたでしょうか。


雅春先生は、時には、雅宣さんだけじゃなく
4人も、にぎやかな幼い孫たちが、同じ食卓ですることを、
目に余った場合、他の孫たちにも、叱っていたようですよ。

その様子が、この度、発刊された宮澤壽美著「その時、
そこにいてくれる人、ー母、谷口恵美子」という著に
詳しく書かれていました。

例えば、遠い昔の話として、お山で三世代が一緒に食事を
していた風景のことも書いてありましたが、

”....孫たちは、吸うのでした。”

と、孫たち、と書いてありましたから、畳に味噌汁を
こぼした場合、吸わされていたのは、雅宣さんだけでは、
なかったのでは、ないでしょうか。

畳にではなく、食卓の上に、お椀をひっくり返して、
味噌汁を、食卓の上にこぼすばあいも、
幼い子供たちはあったと思います。
その時は、食卓の上にこぼした、味噌汁を吸わせたの
でしょうか。

食事の時、雅春先生は2、3回ですが、
怒鳴ったことがあるということも書いてありました。

孫たち全員に対して、怒鳴ったこともあった、
孫たち4人が一斉に生卵をかき混ぜた時、「やかましい」と、と。

長期間、一緒に食事していて、たったの2、3回、
怒鳴ったからって、いつまでもいつまでも、その大昔の
ことを屈辱と捉えている方が、おかしいと、私は思います。

”後日、私よりも1歳年下の方の弟が、このことを「屈辱的」
と不満げにどこかに書いていたようですが、私はそうは
思わなかったのです。

所詮、祖父と孫、怒りたくもなるでしょう。
食卓の塗料の味というのも今でもおぼえていて、同じく覚えている
という4歳下の弟と笑い合って「あったね、そんなこと」と、
ぶざまな自分たちの姿を、祖父の大声を思い出しています。”

(宮澤壽美著「その時、そこに。。。p204より)


同じ孫でも、寿美さんは、大変雅春先生のことや、雅春先生の
教えを尊敬して、今日まで生きてこられたことが、この本を
拝読してよくわかりました。





一番、言ってるのは、雅宣さんですよ。 (69181)
日時:2025年01月21日 (火) 01時33分
名前:志恩

雅宣総裁は、ビデオのお話の中で、たびたび、
私は雅春先生と意見が違う時が、よくありましたが、
その都度、清超先生が、雅春先生と自分との間に
入ってくださって
自分に味方してくれて、自分をたすけてくれた。
私は父親である清超先生の薫陶を受けて育った。

というお話を、ちょくちょくされます。
雅宣さんが、雅春先生のことをお嫌いなんだと、
私は、そのお話を聞くたびに寂しい気持ちにさせられております。

生長の家の崩壊を、人のせいにするクセ、あなたの昔からの悪いクセです。 (69182)
日時:2025年01月21日 (火) 02時00分
名前:志恩

>志恩さん思い出話で判明、生長の家崩壊の原因 (69171)
日時:2025年01月20日 (月) 18時31分
名前:長い間の謎がやっと解けた

昭和40年過ぎ全国白鳩会会長古川恵偉女史が時折70歳過ぎの輝子女史とお山で一二時間の歓談の折り、「私は清超さんと相性が合わないのよ」と語り、会長はそれを若い一本部員に語ったそうな。志恩さん思い出話

本来の生長の家の教え、なんて言葉が踊り、感謝一点張りが生長の家であるとの感想が多い。

しかし清超先生そんな義母をどう感じたでしょうか。
幼い我が子に畳にこぼした味噌汁を吸い取れと命じる義父の行動をどう感じたでしょうか。


そんな祖父母と父親の不和を感じ取った子供達が祖父母を尊敬しながら成長できるはずもないでしょう。そのような家庭にあって、母たる恵美子女史はどんな行動をとったのでしょうか。

母親の葬儀にさえ出たくないと思わせるほどの心の傷を負わせたのでしょうか。

生長の家総本山の存在を清超さんはとのように感じていたのでしょうか。
総裁公邸の存在をどのように感じていたのでしょうか。

教えが正しいとしても、その実践を義父母に見いだせなかったことが、今の生長の家の有り様になったものと思う。<


志恩ー
全ては、雅宣総裁が、雅春先生の教えを理解できなかったことに
つながると思います。

そんなふうに、輝子先生や古川先生や志恩のせいにしたいんだ。
生長の家の崩壊の原因を。

あなたの発想は、お粗末すぎる発想で、あきれますよ。

相性が 合う合わないは、個人の感性によるものです、理屈ではないのです。
でも、相性が合わないな、と感じた相手とも和解して調和した状態で、
だいぶ長い間、同じ家の中で暮らされていた輝子先生、清超先生、恵美子先生、
それぞれの努力と気遣いがあったと思われます。そこに人間としての魂の
成長があったのではないですか。でも、いつの時点でか、お山のお庭に
清超先生ご一家の新築の家が建てられて、別世帯で生きられるように
なったじゃないですか。ですから、その後は、お互いのストレスは、
なくなったと思います。

私は、どんなに気の合う人たちとでも、別世帯で住むことが、調和して生きる
コツだと思っています。



ここへも載せますね。 (69186)
日時:2025年01月21日 (火) 08時10分
名前:志恩

輝子先生が娘婿とは、本当は相性が合わなかった。
そのことを昔から仲良しだったお山へいらした
古川先生に輝子先生は、吐露し、
それを聞いた古川先生は、本部の白鳩会中央部へ
帰ってから、白鳩会中央部内にて、話された。
そのことを年取ってから志恩が掲示板へ書いた。

相性が合わない家族と同居して、お互いが努力して
生長の家の教えの通り、調和した家庭を築いていた
事実です。

谷口家として、恥ずべき事柄ではありません。
立派なお家であったと思います。

お互い、人間同士で相性が合う合わないは、

悟っているからとか悟っていないから、には
関係ないことです。

例えば、和菓子が好きな人もいれば、洋菓子が好きな人
もいますし、和食が好きな人もいますし、洋食が好きな
人もいます。

現象人間には、好き嫌いがあるのです。

人間同士の場合、それを乗り越えて、相手に感謝して
生きて調和して生きてゆくのが、生長の家の大調和の教え
なのですから、
谷口家は、その教えを見事に実践していた証拠の話となります。


別のスレッドに、書いたことですが、
谷口雅春先生は、完全に和食がお好きで、

清超先生は洋食がお好きだったようですから、
食べ物の、好みが違う場合は、別世帯で、隣同士で生きてゆく方が
調和して生きていけると思っています。



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