生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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ときみつる會の新刊書のお知らせ (68938) |
- 日時:2024年12月31日 (火) 15時29分
名前:志恩
本日、ときみつる会の令和7年1−2月号が届きました。 その裏表紙のところに、新刊書のお知らせが載っておりました のでご紹介させていただきます。
『その時、そこにいてくれる人 ー母、谷口恵美子の回想』宮澤 壽美著 1650円(税込)
1冊のみ、注文の場合は、 1650円+250円(送料)=1900円。
2冊注文の場合は、送料なしの 3300円、を送金すれば、本が送られてくるそうです。
(私は、先ほど、ときみつる會へお電話しまして、 Amazonコムで買えるようにしてくだされば、買いやすいので、 もっと多くの人たちが買われると思いますが、と申し上げました。 今のところは、まだ、それはないようです。)
【内容】 第1章 そばにいる姿 第2章 海外、そして転機! 第3章 母の提言 第4章 終焉の地、高知。90歳からの母。
郵便振替 口座名 ときみつる會 口座番号01690-42882
ゆうちょ銀行通常貯金 口座名 ときみつる會 口座番号16420-15644861
☎︎電話ー088ー872-7133
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石破首相!国民は選択的別姓制度を望んでいません! (68943) |
- 日時:2025年01月01日 (水) 00時26分
名前:神の子
…とか言い出さないから安心して見てられますね。この団体は。 恵美子先生の提言てなんだろね?
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令和6年12月22日発刊、ときみつる會の新刊書、拝読しました。大変素晴らしい本でした。 (69020) |
- 日時:2025年01月08日 (水) 04時19分
名前:志恩
宮澤壽美 様著 『そのとき、そこにいてくれる人ー母、谷口恵美子の回想』、 定価1,650円(税込)
1冊のみ送っていただく場合、送料(250円)=1900円になります。 2冊以上は、送料無料です。 https://www.tokimitsurukai.org/
私は、ひとまず1冊、注文しまして、届いたのが 1月6日の朝でした。 そして6日の夕方から夜中までかかって拝読しまして、読み終わりました。 本の「題」を拝見して、お母様である恵美子先生の回想の本だと思いながら、 読みすすみましたら、そうではなくて、谷口雅春先生についても たくさん書いてございましたので、すごく嬉しくて、何度も涙をぬぐいながら 感動しながら読ませていただきました。 読み終わりまして、すごく感動したものですから、献本用に数冊、追加 注文したくらいです。
皆様も、よろしかったら、注文して、読んでください。
続くー
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続・宮澤壽美 様著 『そのとき、そこにいてくれる人ー母、谷口恵美子の回想』。 (69021) |
- 日時:2025年01月08日 (水) 04時37分
名前:志恩
宮澤潔様も奥様の壽美様も、 昔から谷口雅春先生を心から尊敬されておられる方々なのでした。 そして、谷口雅春先生と輝子先生の1人娘さんの恵美子先生も 同じく、谷口雅春先生を心から敬愛されておられたのでした。
少しだけ、本の中からエピソードを抜粋して書かせていただきます。 p62ー 1 母の力 ーオーストラリア法人を独立させたものは.....
アメリカ、オーストラリアと、私たち家族は「遍歴」した。 結婚した年の翌年昭和51年(1976)4月22日、羽田から ロスアンゼルス空港へ旅立ったとき、長女がお腹で7ヶ月であった。 略 雅春先生から渡米することを勧めていただいた夫は、 その時決まりかけていたドイツの会社の就職を蹴って、 たちまち先生の案に従った。 夫の父は(その会社との仲立ちをしていた関係上)驚き慌てた。 方向を定めたら馬車馬のように突進するたちだった。 略 夫は編集出版していた英文誌には常に、開祖のご文章のみ、 それもなるべくアメリカ人にもわかりやすいような内容と文章を 選んで載せていた。 アメリカに行って18年くらい経った頃、オーストラリア赴任という案が 浮上した。地元の人々の強い要望があったので、夫は快く引き受けた。 オーストラリアやインドネシアには、すでに度々、夫は地元の要請に より講演活動に出かけていた。こうして私たち家族はオーストラリア 行きになった。
略 オーストラリア人への伝道はなかなか日本人には難しかった。
夫にとってどこでもが修行の場であり、挑戦の機会でも あっただろう。果敢に色々と試してみた。 住まう地域でビラをポストに入れて講演会に誘ったり、ユニティ の信者さんに呼びかけて、日本文化を通して(夫はお茶をたてたりした) 雅春先生の御教えの外国人向けの部分を伝道に駆使したりした。
すでに開祖は私たちの渡米中に、 多くの信者の方々に惜しまれながら 御昇天になっていた。
アメリカ時代から私は、母宛に手紙をたくさん送っていた。 母は、長女、次女の出産の時には手伝いに来てくれたし、 長男の時は 間に合わずブラジル講演旅行の後に父と寄ってくれた。
私が手紙で母に書く内容は毎日山とあって、 止まることがなかった。
-志恩;注;- ここから、雅春先生亡き後、教団から、色々あり、 ついに、宮澤潔様は教団から脱退して、独立され「ときみつる會」を 日本で発会し、もともとそうしたいと願っていた 谷口雅春先生の御教えを誰にも妨げられることなく自由に伝道できる 会、を立ち上げるに至った。ことが書かれてありますが... 全文載せていいものかどうか、わかりませんでしたので、 その全文は、省きました。
私が、大昔から存じ上げている谷口恵美子先生は、 無口なお方として昔の時代から有名なお方でしたが、 この本を読ませていただいて、 恵美子先生は、お手紙でも、詩でも絵画でも 書く方は、多才でいらして、なんとお花は草月流の教授の腕前で、 いつもお山のたくさんの花瓶に熱心に、お花をいけておられたことも 知りました。
そして、私が奉職していた原宿本部時代には、 お山には、料理担当、掃除担当などの女中さんが4人もいらしたので、 恵美子先生は、お料理などは、何も されないお方なのかと思って おりましたが、ある時から、女中さんは朝、来なくなり 人数も 減らしたみたいで、朝食は、清超先生がコーヒーをいれたり、 恵美子先生が朝食を作られたり、また、お正月が近づきますと、 恵美子先生は、娘さんとともに、3日間ぐらい立ちっぱなしで、 おせち料理を作っていらしたことなどのエピソードも載っていまして、 知らないことだらけで面白かったです。
そうそう、雅宣様がお小さい時は、 雅春先生ご夫妻と清超先生ご夫妻と、 雅春先生のお孫さんたちという3家族がご一緒に、 1つの家で暮らしておられたことがあり、お食事もご一緒で、 その時に、例の、あの、雅宣様が、味噌汁のお椀を ひっくり返して、畳に味噌汁をこぼした時のことも、 そして、雅春先生が、雅宣様に対して、畳にこぼた味噌汁を 吸いなさいと叱った時のことも、 壽美様は、そのそばにいた 雅宣様の姉の立場で、さらりと感想も書いていらっしゃいます。
雅宣様は、あの時のことを屈辱に感じたと、 文に書いておられましたが....
壽美様は、なんて書いてあるかは、書かないでおきましょうね。 お知りになりたいお方は、是非この本を買って、読んでください。
過去に、宮澤潔様ご夫妻は、雅宣様率いる教団にひどい目に あいましのに、 裁判にまでかけられて、、、ひどい目に... 色々とありましたのに、 雅宣様のことは、さらりと書いていて、そんなに悪くは書いていませんから さすがだと思いました。
直接的ではないかもしれませんが、「ときみつる會」が創設できた陰には 恵美子先生と昔からとても波長があっていた仲良しの母娘の深い心の交流と 絆があったことは、よく伺えました。
その愛深い娘さんの壽美様のもとで恵美子先生は、最晩年を9年半も過ごす ことがおできになって 100歳までご長寿できたのですから、最高におしあわせなお方だった と存じます。
ときみつる會様、 素晴らしい本を出版してくださいまして、ありがとうございました。

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谷口恵美子先生著「愛にこたえて」より (69043) |
- 日時:2025年01月10日 (金) 20時27分
名前:志恩
谷口恵美子先生著「愛にこたえて」は、 谷口雅春先生が、数え年90歳、 谷口恵美子先生が60歳の時に出版された本です。
(昭和58年(1988)9月1日 日本教文社出版)
以下にご紹介する、1文でも、
娘である恵美子先生が、父親である雅春先生を どのように思われていたかが、わかります。
94頁ー マウスでクリックすると、拡大して読めます。
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谷口恵美子先生がご逝去された時の谷口純子様のブログより (69044) |
- 日時:2025年01月10日 (金) 20時57分
名前:志恩
http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-cce539.html
>清超先生と父親の雅春先生は食事の好みが違い、 清超先生が「美味しい」と思われたものを、 雅春先生は「これはもう作らない方がいい」と 言われるくらいだったそうです。
私はその話を聞いて、なぜか目頭が熱くなるような 思いがしました。 尊敬する父親と、愛する夫との間で、 言葉にはならないご苦労があったのだと考えたからでした。<
志恩ー 私が原宿本部時代にお聞きしていたことですが、 谷口雅春先生は、お食事は、和食がお好きでした。 清超先生は、洋食がお好きでした。 音楽の好みも、 清超先生は、オペラなどの洋楽がお好きでした。
これはいい悪いではなく、 人それぞれの好みの問題です。
特に食事の好みの違いは、毎日毎日、3度3度の ことですから、好みが違う場合は、
老夫婦と若夫婦は、 食事は、別にされた方がよいと思います。
ちなみに、私と娘一家は、完全に別世帯にしてあります。 なので、各々が自分たちで好きな食事を作って食べておりますので、 何も不満は起こりません。
純子様がブログに書かれておられますように、 恵美子先生は、考え方は、雅春先生で、 夫は、食べ物などの好みは、雅春先生とは、異なることを 知っておられましたから、 間に入ってご苦労されていらしたかも知れないな、と思いました。
あの当時白鳩会全国会長の古川恵偉先生が お山へ輝子先生とお話にいらした時、輝子先生は、昔から 気心が知れていた古川先生に、「清超先生とは、合わないの」、と 本心をポロリと言われたというを、 お山から婦人局へ帰っていらした 古川先生から、直接、室内でお聞きしたことがございました。
私は、輝子先生のご性格も清超先生のご性格も、身近で 拝見しておりましたから、素直に、そうだろうなと 受け取っておりました。
別のスレッドにも書きましたが、 これは、悟っているかいないかというもんだいとは、 全く関係がないことです。
どちらがいいか、悪いか、という問題でもありません。
気が合うか合わないか、趣向が合うか、合わないかという問題です。
ですから、そういう場合は、別世帯にして生活された方が、 お互いが、ストレスなく、調和して生きられる方法だと思います。
いつかの時点で、雅春先生は、お山のお庭に、 清超先生ご一家の、家の新築許可を出されて、 お山は、隣同士で、2軒になって暮らされるようになったと 伺っております。
その方法を取り入れられましたので、 お互いが、健全な解決をされたのだと思っております。
三世代が、1つの家で、お暮らしだった時も、相性が合う、合わないを 乗り越えて、大調和して仲良くお暮らしだった谷口家の皆様は、 本当に、生長の家の教えを実践されていらした信徒たちのお手本となる 素晴らしいご一家であったと存じます。

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