生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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谷口雅宣総裁は谷口雅春先生の書物を読んていないのではなかろうか。 (69986) |
- 日時:2025年03月18日 (火) 23時48分
名前:本音の時代
ジェンダー関連問答集の中で谷口雅宣総裁は次のように書いています。 【生長の家はかつて、「男は仕事で女は家庭」とする固定的な役割分担説を採っていました。】 引用元が示されていませんが、これは正しいでしょうか。 結果は、谷口雅宣総裁は間違っています。 皆さんの中に、谷口雅春先生がお書きになった『女の教養』をお読みになった方はいらっしゃいますか。この著書の中には谷口雅宣総裁は間違って書いていることがわかる記述があります。 ご存じの方はいらっしゃいますか?
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『女の教養』=頭注版『生命の實相』第29巻 (69987) |
- 日時:2025年03月19日 (水) 00時29分
名前:拝読マン
で、あなたは『女の教養』を読まれてどう思ったのですか? 『女の教養』をお持ちでないなら 頭注版『生命の實相』第29巻「女性教育編」と同等ですので そちらの方をお読みになってご意見を聞かせてください。
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生長の家教団3代目の谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生が書かれていたことやおっしゃっていたことは、読んでいないのではなく、たとえ読んでも、残念ながら、書いてある内容の本意を理解できない頭脳の持ち主なのです。 (69990) |
- 日時:2025年03月19日 (水) 06時49分
名前:志恩
私たちの時代の小学校の社会科の教科書にも載っていた 婦人参政権運動の騎手であった平塚らいてうとは、 谷口雅春先生は、仲良く、対談までされていたことが、分かれば、
谷口雅春先生が、雅宣さんが言われるように、ひどい男尊女卑の 人であったと言うような誤解は、するわけが、ありません。
夫は、針、 妻は、糸で、夫に”はい”と、したがって生きると書いてあるところは、 家庭内での、夫と妻との役割を書いてあるのです。
女は社会に出て、働いちゃ、いけないという意味で 書いてあるのでは、ありません。
また、家庭の主婦は、主婦として、価値があると言う意味でも 書いておられます。無理に外に出て働きに出なくても、 という女性の家庭内での有益な女性の働きについても認めて 書いておられる言葉なのです。
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婦人運動をしていた 平塚らいてうさんは、 本名を平塚明(はる)と、いい、ペンネームは、平塚明子、 平塚雷鳥ともいいますが、
頭注版『生命の實相』の第26巻に載っているお方です。
谷口雅春先生著『生命の実相』頭注版第26巻 「教育実践篇下」の第四章「宗教教育をいかに施すか」
という座談会形式の一篇にも、 平塚明子の名前で平塚雷鳥(らいてう)が登場しています。
そこで、宗教とは何かと思うのか、との 谷口雅春先生の問いに対して、 平塚雷鳥はこう答えているます。
平塚――言い方によって言葉はさまざまに、どうでもいいのだ と思いますが、 ただ神とともにあるそれが宗教だ、 そういう言葉を使いませんでも、 体験的自覚として、 いろいろ「個々のもの」が、「渾てのもの」と一つ に融合(とけ)たといいますか、「個」というものと 「全体」というものが 一つになって、一つの中に「全体」がありまた全体の中に 「個」というものもあるというふうな、その意識といいますか。 谷口――なるほど…… 平塚――結局、それは神とともにある、 といっても異存はございません けれども、ただ「個」と「全体」とが…… 谷口――神という名前をつけなくても、生命でもよし、 大生命でもよし、 あるいは、仏性でもよしですか。 平塚――なんといっても、すべてのものが一つに帰した という意識でございますが。 谷口――大調和の渾然とすべてのものが一つである という自覚がこれが宗教といわれるのでしょう。 平塚――そうおっしゃっても結構だと思います。 いろいろ言い方がございますが、 どの言葉を選んでも異存はないのでございます。 結局そういうふうに自分が得た体験が宗教だと思っております。
(谷口雅春『生命の実相』「頭注版 第26巻」114〜115頁)
この座談会は戦前に行われたものであり、 当時は谷口雅春先生も平塚雷鳥も、どちらも権力に弾圧される 側としての連帯意識もあったのかもしれませんが、
平塚雷鳥が思想的にエマーソンや谷口雅春先生の光明思想に 近かったのも事実です。
頭注版「生命の實相」28巻

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この件に関する、トキ掲示板の過去文を再掲します。 (69991) |
- 日時:2025年03月19日 (水) 06時54分
名前:志恩
【教団主催の命日祭に参加しました 】 日時:2024年06月18日 (火) 名前:教団の人間です
教団に所属している人間です。本日、教団主催の「谷口雅春先生三十九年祭」を拝見しました。当日、総裁のご挨拶を拝聴しましたが、とても残念に感じました。
まず、総裁の「ご挨拶」の内容が、谷口雅春先生に関連する話ではなく、「男女平等」でした。男女平等の話が45分ほど続きました。この行事に参加した人達は、谷口雅春先生を偲ぶために「谷口雅春先生三十九年祭」に参列したのです。当然、「ご挨拶」の内容としては、故人に関連する内容であるべきです。ところが、流されたビデオには、谷口雅春先生のお写真も出ませんでした。誰であれ、亡くなられた人を偲ぶイベントで、故人とは関係のない、総裁の個人的な感想を延々と述べるのは強い違和感を感じます。
これを見たある人が、「これは、総裁のお嬢様を後継者にするために、女性の地位向上に言及したのだよ」と話していましたが、それにしても、納得できませんでした。
次に、総裁の「男女平等」の話の結論として、谷口雅春先生の説かれた女性の役割に関する考えは古いから、変えましょう、という趣旨の話には残念に思いました。谷口雅春先生のご命日を偲ぶ行事で、いわば谷口雅春先生をディスるように受け取れる話を聞かされたのは、やはり違和感を感じました。
それと、総裁が戦前の女権向上運動の担い手として平塚雷鳥さんを称賛していました。谷口雅春先生の「女性の役割に関するお考え」(あくまでも総裁の解釈ですが)と、平塚さんの考えを対照することで、ご自分の考えを正当化するような印象がありました。
ところが、これは他の人から聞いたのですが、平塚さんは女権向上運動を展開すると同時に、谷口雅春先生の教えに共鳴されておられ、生命の実相第26巻にも「平塚明子」として登場しています。つまり、誌友である平塚さんを例に谷口雅春先生のお考えを「古い」と言うのは、論理が成り立たないのです。そもそも、生命の実相第29巻の「女性教育編」を読むと、谷口雅春先生が、そのような男尊女卑の考えをお持ちでないのは明らかです。
仮に、平塚さんを例に出すなら「戦前、女権拡張運動をしていた平塚さんは、当時、生長の家の信徒でもありました。生長の家の人間神の子の真理は、女性の地位の向上を意味する教えでもあり、それは現在でも通用します。」とでも言えばよかったのです。
私の教区では、教区七者を含めて拝聴した人のほぼ全てが、総裁の「ご挨拶」に強く失望をしていました。呆れていたと言っても過言ではないです。波風を立てずに黙っておこうかと思いましたが、総裁には正直な感想を言う人は本部にはいないでしょうから、現場から正直な感想をお伝えします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【動画を拝聴した感想を書かせていただきます。】 日時:2024年06月19日 (水) 名前:志恩
谷口雅宣総裁が、九折スタジオから −−生長の家の女性観 谷口雅春大聖師三十九年祭での 挨拶をまとめられました動画を 拝聴いたしました。
まず、申し上げたいのは、教団の人間です様が 書かれておられましたが、谷口雅春大聖師三十九年祭での 総裁のご挨拶なのですから、創始者、谷口雅春先生を偲ぶ お言葉が、あるべきはずですのに、それは皆無でしたのには、 私も生長の家の信徒として、驚きました。
谷口雅春先生に対して、 また、谷口雅春先生に救われた全信徒に対して、 失礼にあたるように思いました。
全体の内容も、決して、雅春先生の過去のご文章を 褒めてはいませんでしたよね、むしろくさしていました。
男女平等が、書いていないとか。 はっきり申し上げますとね、雅宣さんは、 『生命の實相』を、心を込めて読んだことがないから、 といいますか、読んでも理解できない人だから、 こんなばかなことを言うんです。
そのことは、さておきまして、 後からまた、この続きは書かせていただきますが、
雅宣さんは、谷口雅春先生が総裁先生で いらした原宿本部時代は、まだ小学生でいらしたので、 無理はないとは存じましたが、 組織の主従関係のことを、このたび間違って言われました。
あの当時、女性の本部講師や女性の信徒たちである「白鳩会」は、 男性の信徒たちである「相愛会」に対して、従、の関係であったが、
清超先生時代になってから清超先生が、白鳩会を独立させた、 と言われましたが、それは、正確なことでは、ありません。 間違っております。
私は、谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代の 原宿本部の「白鳩会中央部」に8年間奉職していた人間ですので、 当時の白鳩会のことについては、誰よりも詳しく知っている人間なのです。
私は、原宿本部に、昭和36年1月から昭和43年12月までの8年間、 在職しておりました。
谷口雅春先生が、総裁先生時代の信徒数は、3百万人おりましたが、 当時、そのうちの90%は、女性信徒である白鳩さん達でした。 圧倒的な数の白鳩さん達のおかげで、生長の家の組織は支えられていたのです。
ですから、原宿本部でも、全国の組織でも、 主は、「白鳩会」でありまして、 従は、「相愛会」、「青年会」でありました。
わかりやすく書きますと、
女王様が 「白鳩会」で、 下僕たちが 「相愛会」と「青年会」だったのです。
ということです。
白鳩会は、雅春先生が総裁先生でいらした その当時から完全に独立しておりました。
清超先生が総裁になってから、 清超先生が、白鳩会を独立させたのではありません。
雅宣さんのお話ですと、 まるで雅春先生は、女性蔑視者みたいに 聞こえましたけれど、それは大変な間違いです。
当時、原宿本部にいた人間として、 正しいことを、証言させていただきました。
追記; 谷口雅春先生は、あの当時から、白鳩会を一番大切に考えて くださってましたから、白鳩会中央部の部屋も 総合企画局のすぐ隣りの部屋にされたり、
「本部白鳩会」を第一、第三金曜日に開催されて いらしたのです。 「本部相愛会」も、「本部青年会」も、ありませんでしたが。
男はハリ、女は糸という真理は、家庭における 男の役割と、女の役割、を 言ったのです。
女性に参政権をという社会運動を起こした その中でも、リーダー格だった平塚らいてうさんは、 外の社会に向かっては、男のような活躍をした人 でしたが、
実際の、人間、平塚らいてうさんは、内である 家庭では2児の母親で、宗教心の強い子供に 育てていると、谷口雅春先生と対談されています。 平塚明子(社会評論家)という名で、 頭注版、生命の實相26巻の130ページに書いて あります。家庭では、優しい女性として生きていた のです。
頭注版「生命の實相」26巻の P108 - P156で、9人で対談していますが、 その中の一人として、48頁にわたって、 谷口雅春先生と平塚さんは、対談されてます。
男女平等ということについては、谷口雅春先生は 書いてはおられませんが、平塚らいてうさんのように 女性なのに社会で活躍している人も認めておられるから、 谷口雅春先生は、平塚らいてうさんと対談したわけで、 言わずもがなであります。
男性に女性がしたがって生きるという真理は、 あくまでも、家庭内でのことを、書いていらっしゃるのです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 旧トキ掲示板 今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2より
>2696:トキ 2015/10/02(金)
「見性」で思い出しましたが、「青鞜」で有名な平塚らいてう さんも、禅の修行をして、「見性」を認められたと聞いた事があり ます。その平塚さんは、生長の家が始まると、谷口雅春先生の教え に共鳴されたときいています。「青鞜」の同人の中には、平塚さん の紹介で生長の家に入信され、幹部になられた人もおられたとも あります。
その平塚らいてうさんですが、谷口輝子先生が、実際に会われた 時に拝見すると、文章から受ける印象とは違い、たいへん大人しい 感じの方だったみたいです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ [平塚らいてう]と[平岡初枝](元生長の家本部講師) 二人をセットにして、 検索して見ました。 日時:2023年03月19日 (日) 19時10分 名前:志恩
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <論説>全関西婦人連合会の構造と 特質 - 京都大学
平岡初枝の婦人運動のスタートであっ ... 浦子が全婦発起人大会に 参加したとき、その席上で、平塚らいてうより新婦人協会の創立が表明され.
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 全関西婦人連合会機関誌 - 不二出版 http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/11/hujin.pdf 平岡初枝(一八九一~一九七八). 富山県の小学校教員とし て処女会や ... 平塚らいてうが,新婦人協会の創立趣意書を 配ったことで知られ. ている。
志恩 追記; 平岡先生も結婚されてますよ、早くにご主人を病気で亡くされましたが、 女の子一人、子供がいました。その平岡先生の一人娘さんが、結婚されて 一人息子さんがおられました、つまり平岡先生の孫にあたる男の子でしたが、 大学は東京の早稲田大学卒で、大学在学中に、その平岡先生のお孫さんと 亡き私の夫は、友人でしたので二人で、飛田給道場の練成会に参加したのでした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 前に、トキ掲示板へ投稿くださった 立葵様の過去文を再掲します。
再掲;【平塚らいてうさんのこと】
『白鳩』誌昭和46年8月号の谷口輝子先生の御文章を 紹介申し上げます 。 日時:2021年07月23日 (金) 10時52分 名前:立葵
(前略) 『白鳩』誌昭和46年8月号の谷口輝子先生の御文章「女の生と死」は、全文の引用転載はここでは不可と判断して、輝子先生にこれで間違ひありませんかとお尋ね申し上げつつ概要を紹介させていただきます。
この玉稿は、平塚らいてうさんの訃報に接せられた輝子先生からの、平塚らいてうさんへの御追悼文であると拝しました。
文中には二組の御夫妻が登場されます。 光明思想普及會や日本教文社の取締役も務められて戦前戦中戦後を通して『いのち』『白鳩』等にも多数の短歌や御文章を寄せられた西村陽吉さんと夫人の佳圃さん、そして画家であり指輪の作家でもあった奥村博史さんと平塚らいてうさんです。
西村陽吉さんは、書肆の東雲堂主人であると同時に社会主義者をもって任ずる歌人でもあられました。その方が生長の家に入信されてからの軌跡が『いのちの自覺:求道手記』(昭和13年、厚生閣刊)と『新天新地』(昭和17年、光明思想普及會刊)の二著に綴られてゐます。
前者に於て、西村陽吉さんが生長の家に入信した動機は、不摂生が祟って身体が危なくなった時に『生長の家』誌と『生命の實相』を取り寄せた折しも、夫人から、平塚らいてうさんのお宅でも『生命の實相』を読んでゐると聞き、同時に平塚らいてうさんから九段の軍人会館に於ける「人類光明化運動第四回講演會」のチラシが送られてきたので夫妻で聴講したのだと明記されてゐます。(『いのちの自覺:求道手記』9〜13頁)
この記述は、谷口輝子先生が西村佳圃さんから、入信の動機は平塚らいてうさんに勧められたからだと聞いたと書かれてゐることと一致してゐます。(『白鳩』S46.8 45頁)
(志恩注;西村佳圃さんは、生長の家埼玉県白鳩会県連合会長を長年にわたり されてらしたお方です。)
文芸雑誌『青鞜』を創刊して婦人解放運動でも名高い平塚らいてうさんが生長の家を友人に勧めるほど信奉された時期があられたことは、一般にはあまり知られてゐないのかもしれません。
しかし平塚らいてうさんは『生命の實相』教育實踐篇第十二章「宗教教育を如何に施すか」の座談会に「平塚明子(はるこ)」さんの御名で参加されてゐます。(頭注版第26巻108頁〜)
その中で平塚さんが谷口雅春先生から直々に参禅の修行で得たことを話して下さいと請はれて雅春先生に次々と答へてゆかれるさまが紙数を費やして記されてゐます。
さらに、昭和30年刊教文新書『愛を語る女性群像』(谷口輝子先生他執筆)の広告チラシには、 >平塚らいてう氏評 >わたしたちの不幸や、苦しみ、惱みの原因を只政治惡、社會惡だけに歸して、自分自身を省みようとしない今の若い婦人たちも、たまには謙虛なこころで、この本を讀んで下さい。 とあります。
さて、生長の家の草創期に、谷口輝子先生は制定されたばかりの生長の家のマークの図案で奥村博史さんに指輪を作っていただいては、と人から奨められたので承諾されたところ、夫人の平塚らいてうさんが出来上がった指輪を届けに来られたと「女の生と死」に書かれてゐます。(『白鳩』S46.8 46頁) そして予想に反して上品な美しいしとやかな平塚らいてうさんが「元始、女性は太陽であつた。…」と宣言された御事情を憶念してゆかれます。
>天照大神は肉體的には女身を現してゐられるが、その靈性は陽であつて男性だと私は教へられてゐる。…天照大神の靈系を繼いで居られるのが日本天皇であり、男性であるのが正しいとされてゐる。 (『白鳩』S46.8 50頁)
の段落は、平塚さんの、天照大神が女身で現れ給うたので元始は女性は太陽の如く立派であったものが次第に低められていったといふ女性観に対しての生長の家の御教への御立場を表明された御言葉ではないかと、畏れ憚りながらも拝し奉ります。
無論、このお言葉は、皇位の男系継承は神話時代から一貫して当然であったために敢へて云ふまでもなかったので、雅春先生の御文章の基調は今日なされてゐるやうな男系か女系かと両者を対比させた議論の形とは一線を画してゐると拝されます中で、するための議論ではなく自然に書かれたお言葉ゆゑ、どれほど心強い御一文であるかは申すまでもありません。
そして輝子先生は率直に、平塚らいてうさんが自身の結婚生活を結婚と呼ばずに実家から分家した平塚家の当主として奥村氏との「共同生活」と称したことへの違和感をも記されてゐます。 ところが、らいてうさんの死亡を告知した新聞に「本名奥村明(はる)」と記されてあり、「いつの間にその心が變つたのか」「らいてうさんは何故奥村姓に變られたのか、私は知らない。」とあります。(『白鳩』S46.8 48頁)
そこで、この間の消息を平塚らいてうさんの自伝により辿ってみました。
>さてここで、わたくしは、奥村との婚姻入籍についてふれなければなりません。 >日記というものを、ほとんどつけたことのないわたくしですが、昭和十六年八月十四日の日付で、こんなことがしるされています。 >「朝、山崎今朝弥さんを訪問、婚姻届の証人を依頼、快く引受けて署名捺印して下さった。いま一人を曙町の姉さんになって貰ふ。それをもって、お父さんに渋谷区役所に行って頂く。無事、婚姻届はこれで済んだ。長い間の懸案が片付いてうれしく、安心したやうなものの、しかし同時に平塚家の廃家は、またなんとも一方で淋しいものも感じられる。しかしお父さんが満足して下さるならこれが何よりの慰めであり、よろこびとしやう。また敦史にも幸することなのだもの……」
>ここに「お父さん」とあるのは、むろん奥村のこと。日記に書いてあるように、この日わたくしは、奥村との婚姻届を完了したのです。大正三年、ふたりが共同生活をはじめてから、二十七年目のことでした。わたくしが奥村姓となることを、もっともよろこんだのは奥村でした。(中略)
>根が自由人の奥村のことですから、この法律無視の独自の結婚生活に、世俗的な意味でこだわったということではありません。そんなありきたりのことでなく、奥村の気持としては、戸籍に記載された「妻」として、わたくしとの絆を自分の手でしっかりにぎりしめていなければいられないおもいが、たえず胸にわだかまっていたのでしょう。そしてそれは、奥村の気持の内部に、相当切実な要求として、長いあいだくすぶっていたのは事実でした。(後略) (『続 元始、女性は太陽であった』戦後篇22〜23頁 昭和47年、大月書店刊、文庫版は平成4年発行のC37〜38頁)
平塚らいてうさんの功績と人生の厚みはあまりにもスケールが大きくて今の私などには到底論ぜられるものではありません。しかし、らいてうさんが奥村家に入籍されるにあたっての素直な気持を夫君への思ひ遣り溢れる爽やかな一文にしたためて自伝に入れられたことは、貴いことだと思ふ次第です。 再拝

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拝読マンさんへ (69992) |
- 日時:2025年03月19日 (水) 07時57分
名前:本音の時代
私は『女の教養』を呼んだので、この投稿をしています。 どう思ったかって? 谷口雅宣総裁は間違っていると書いてるでしょ。 どこに書いてあるかですか。一例をあげれば、『女の教養』の37頁です。 あなたが、『女の教養』=頭注版『生命の實相』第29巻を読んでいるのならわかるはずです。
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私は拝読マンさんでは、ありませんが (69994) |
- 日時:2025年03月19日 (水) 08時29分
名前:志恩
『女の教養』=頭注版『生命の實相』第29巻の女性教育篇は、 最初から、読み直してみましたが
【生長の家はかつて、 「男は仕事で女は家庭」とする固定的な役割分担説を採っていました。】
と言うようなことは、一言も書いてありませんでした。
しょっぱなから、 「女性は、経済生活に、いつでも独立しうるように」と、 書いてありますもの。
雅宣さんが、雅春先生が、【生長の家はかつて、 「男は仕事で女は家庭」とする固定的な役割分担説を採っていました。】 と言われたのでしたら、大いなる間違いです。
雅宣さんという人は、祖父の谷口雅春先生のされてきたことや 書いてこられたことを、すごく安っぽく捉えていて、 ことあるごとに、雅春先生のことを、 いちいち、ケチつけまくっておられますよね。
清超先生が総裁になってから、 聖戦はないと訂正したとか、 白鳩の地位を認めるように訂正したとか、 カバーしたとか、 父親である清超先生と孫である雅宣さん二人で、 過去の、谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代の間違いを 親子でカバーしてきた、みたいなことをおっしゃってますが、 本当に、聞いてる古い信徒たちからしたら、どん引きします。
どこまで谷口雅春先生のことを踏みにじったら、 気がすむのでしょう。 だから、信徒たちの激減が止まらないと言うのに。 本当に悲しくなります。
初代管理人さんの亡きトキさんというお方が、このトキ掲示板を 立ち上げられたのは、2011年6月のことでした。あの日から14年間 と言う月日が流れましたが、
トキ掲示板が立ち上げられまして、多くの投稿者の皆様が、 生長の家教団の復活と、原点回帰を夢見て、ボランティアにて 投稿を続けてまいりました。
でも、トキ掲示板が立ち上げられたあとでしたよ。 谷口雅春先生が総裁時代に、全国の信徒の皆様のご愛念によって 貴い献資によって、 建てられた原宿本部会館が、旧館の方は、耐震工事さえ施せば、 大地震が来ても大丈夫だと言う診断がおりていたにもかかわらず、 雅宣さんの鶴の一声で、ほんの一部を残したまま、取り壊して しまったのは。
そして、全信徒が、行きたくても、ちょっとや そっとでは、 いけないような交通の不便な 山梨県北杜市南山麓の標高1300mの地に本部を移転させたのは。
その後、まもなく、谷口恵美子先生のお山での軟禁のような事件が 発覚し、とうとう恵美子先生は、雅宣さんご夫妻のお近くのところから 逃れられまして、高知県にお住まいの娘さんの寿美さんご夫妻のところ へ行かれまして 9年間という晩年を穏やかに過ごされました。
そしたら、今度は、雅宣さんは、生長の家のご祭神は住吉大神様でしたのに 造化の三神を生長の家の神にされて、お社とミニ七重の塔を全国の 練成道場、並びに全国の教化部の實相額の前に、設置することを総裁として 全国の組織に、お命じになりました。
それだけでなく雅宣さんは、ご自分の頭で考えられたお経を、次から次へと 創作されまして、今はお経は3部になりましたが、これも全国の組織で読誦する ように、お命じになりました。
個人救済は、やめて、自然を拝む宗教にされまして、 石を拝むという石上げの行も取り入れました。
肉は、なるべく食べちゃダメだし、 自転車に乗るのよね、ガソリンを使う自動車には乗らずに。 バスや電車はよかったかしら、乗るの。 歩くのが一番いいけれどね。
今や、そういうわけで、生長の家は、谷口雅春先生の教えではなくて、 雅宣教と化しました、わけでございます。
もうすぐ4月に、入りますと、 こんどは、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日.... 雅宣さんご夫妻のFBには、あの辺でしかとれない珍しいきのこが 今日も取れた,今日も取れた、そのきのこで、純子さんが、すごくおいしい きのこ料理を作ってくれて食べた、というご報告の記事が、いやというほど 載りまくりますので、 それは4月頃から晩秋まで延々と続きますので、 信徒の皆様は、楽しみに お待ちくださいませ。
まだまだ書こうと思えば、山ほど、ございますが、 長くなりましたので、 今日は この辺で、辞めさせていただきます。
『女の教養』=頭注版『生命の實相』第29巻より

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