生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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闇を憎まず、光を放て――霊的視座より社会事業団の不調和を見つめる (70282) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 06時00分
名前:谷口雅春
■ 闇を憎まず、光を放て――靈的視座より社會事業團の不調和を見つむる
曾て我は『古事記』の神話を通じて、人生の暗Kを去り、光明の現象を呼び迎ふるための靈的實踐を説きたり。是れは、天照大御~が天之岩屋戶にお隱れあそばされた際、世界が暗Kと成りし寓話を靈的原理として展開せしものなり。そこに登場する八百萬(やほよろづ)の~々は、光いまだ顯れざるも「既に光あり」と悦び、咲(わら)ひ、祝詞を唱へて大御~をお迎へ申し上げたり。是れ決して幻想に非ず。現象の闇に支配されることなく、實相の光を既に在るものとして信じ拔く心の姿勢に他ならず。
然れども、現代の社會事業團が行ひ居ること――殊に、曾て「生長の家」創始者の靈統を承け継ぎし一門にしてありながら、我が弟子たる阪田成一を訴訟にかけ、その精~を否定し、~の子としての尊嚴に泥を塗るが如き所業は、我の説きし光明思想と全く異なる道を歩み居ると言はざるを得ざるなり。
內田智なる人物――曾て反社會的勢力と關係を有せしサハダイアモンドの顧問とされる――を、あろうことか信仰團體の中心的機構が重用し、その手によりて信徒を訴ふるとは、正しくも現象の闇を信じ、光の實相を見ざる行爲に他ならず。
我は生前、「常世の長鳴鳥を啼かす」こと、即ち常住不變の實相世界の眞理を宣言することこそが、~の子の役割なりと説けり。然るに今、社會事業團は眞理を喚び起すどころか、鏡を覆ひ、まが玉を穢し、御幣を破りてしまひたり。彼等の行ふ裁判は、信仰の場に於ける「光を隱す儀式」にてあり。それは天照大御~なき岩屋戶を、愈よ重く、愈よ堅牢に閉ざす行爲にほかならず。
信徒同士が法廷にて爭ふさまを見て、果して八百萬の~は咲(わら)ふや否や。
~は、決して斯くの如き不調和を欲し給はず。光の~は、愛と調和と赦しの~にましませばなり。
我がかつて社會事業團を設立せしは、國家・社會に於ける愛の顯現を期待しての事なりき。然れども、現今の其の姿と來たら、~の子が~の子を訴へ、和解を拒み、世俗の法廷に靈魂を賣り渡す始末。「人に接するに、必ず和顏愛語の布を以て柔らかく包みて接すべし」――是れ我が教へなり。
久保文剛理事長よ、內田智辯護士よ、汝らが果して「生長の家の信仰者」であると言ふならば、今こそ問はん。
鏡は在るか。まが玉は在るか。御幣は風に靡きて居るか。汝が心、岩屋戶の扉の如く閉ざされては居らぬか。
阪田成一といふ一人の信徒を、~の子と見做す視座を失ひし時、最早汝らの所作は「信仰」とは呼べず。それは現象世界の鬪爭に堕し、靈性を欠きし戯れに過ぎず。光は、信ずる者の笑顏と祝詞とに依りて扉を開く。爭ひに依りてでは無く、不調和に依りてでも無きなり。
我は再び叫ばん――闇を憎まず、光を放て。
~の子の自覺を取り戻し、今こそ、岩屋戶を開け。
令和七年四月六日 谷口雅春(靈筆による)
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~の子の自由を奪ふなかれ (70285) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 07時37分
名前:谷口雅春
■ ~の子の自由を奪ふなかれ ――この聲が筆となって顯れ出づることを、不思議に思はれる向きもあらう。されど、これは徳久克己君の靜なる霊導によって、天の意思がこの世に顯はれたものである。
私は、長きにわたり、人間が~の子であること、すなはち本來より自由にして、無限の創造性を具へた存在であることを説いてきた。天地の初發において、高天原に現れ給へる天之御中主~は、宇宙の中心に在り、すべてを調和の中に創造された。その御心を受けて生まれた人間もまた、光を内に宿した~の分靈である。
この私が世に遺した數多の言葉は、私個人の所產ではない。~より降りし眞理の光を、我が魂が器となって傳へたまでのこと。かつて私は明言した。「パテントは諸君にゆづる」と。 その一言の背後に、私は~の大いなる自由を託したのである。言葉は、閉ぢ込められてはならない。教へは、鎖となってはならぬ。~の光は、すべての人に平等に降り注がれるべきである。しかるに今、一部の人々は、~の啓示を自己の所有とし、書を圍ひ、言葉を獨占し、靈言を市場にかけんとしてゐる。兄弟姉妹が~の光に觸れんとする道を、法の名の下に塞がんとしてゐるのである。それは、「主の御靈のあるところには自由がある」という御言葉に明らかに背く行為である。私は、これを見て、心を痛めざるを得ない。
信仰とは、取引ではない。教義とは、利權の具ではない。生長の家とは、誰か一人の所有物ではない。生長の家とは、~の家である。そして、~の家に入らんとする者を、誰人も拒むことはできぬ。人は皆、光を慕ひ、愛に憧れて生きてゐる。その途上において、言葉が糧となり、教へが燈となる。それを、法廷の剣でもって取り上げ、裁かんとするは、まさしく~の子の自由を奪ふ行ひである。私が靈言を授かりし時、背後に在りしは、ただ一つ――すべての人類を解放せんとする~の愛の一念であった。『汝ら眞理を知るべし。眞理は汝らを自由にせん』その御言葉に導かれて、私は一言一句を降ろして來た。それが、いまや權利として閉ぢ込められ、兄弟を敵と見なすために使はれてゐるのを見るとき、私は天にあって涙せざるを得ない。
諸君よ。いま一度、初心に還られよ。生長の家とは何ぞや。その名が示すとほり、「生きとし生けるもの、~の生命を以て生長する場」である。形式に囚はれず、制度に縛られず、眞理のみに立脚しなければならぬ。~は、誰をも排斥せず、誰をも裁かず、ただ愛と赦しをもって導かれる。その~の道を、我らも歩まねばならぬ。
――私は、再び語らう。
眞理は萬人のものである。愛はすべてを包み、光は誰にも分け隔てなく照る。 ~の子の自由を、誰も奪ふことはできぬ。生長の家よ、その本源に歸れ。~の家としての尊き使命を、再びこの世に顯現せよ。
令和七年四月六日 谷口雅春(靈筆による)

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ニセ谷口雅春に気をつけろ。 (70286) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 08時06分
名前:本音の時代
現われ場所が違うでしょ。 教団の幹部に霊筆を書かせるべきだね。 教団の変質(雅宣さんの登場)が元凶なんだから。
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本音の時代 殿へ (70288) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 08時24分
名前:谷口雅春
本音の時代 殿へ
――あなたの投稿を、私は静かに拝見いたしました。
「ニセ谷口雅春に気をつけよ」との言葉、それは正義の怒りを装いながら、内に悲しみと混乱を湛えていること、私には観じておるのであり、あなた様の内在の純真に対し滂沱の涙を禁じ得ないのであります。しかし、私は断じて、あなたを責めはいたしません。あなた様が、真実に「雅春」であるか否かを問おうとする背後には、かつての教団の輝きを慕い、今の混沌に心痛めている心情があると感じるからなのであります。されば、私は申しましょう。
「現われ場所が違う」と、あなた様はおっしゃいます。しかしながら、神の光は場所を選びません。高天原に始まりし神の啓示は、常に清き心の器に宿るものであり、教団にいる者のみが、神の声を受けるのではないのであります。『石の中からもアブラハムの子孫を起こし給ふは神にとりて易しきことなり』とイエスが語り給うたように、真理は制度の内に封じられるものではないのであります。
あなたが「幹部に書かせるべき」と言われたその心、私は理解するものであります。ですが、「幹部」とは制度の中の名称に過ぎません。神は、誰をも偏り見ることなく、真に神を求むる魂に、御言葉を与え給うのです。あなたが「変質」と呼ばれたその変化こそが、今日の苦悩の元であるならば、それもまた、生長の家が「制度」や「家名」に依存し、真理の泉から離れた証拠なのであります。私は制度にあらず。私は家系にあらず。私は常に「光」として在りたいと願い、今またこうして語っているのであります。
本音の時代殿、あなたが怒りの言葉を昇華できるようわたしは祈るものであります。新島襄はかつて、弟子の不貞を自分の腕を打つことで悔い改めたと聞きます。わたしも今、この言葉を胸に、自らを責めるのであります。 どうか、あなた様もまた、その怒りを、私たちの間に流れる神の光に昇華させていただければと切に願います。
あなたの中にも、神の分霊が宿っております。私の言葉を偽りと感じるのであれば、それもまた一つの道なのであります。されど、あなたが真に「生長の家」を愛しているのであれば、形式や名義を離れ、真理の声に耳を澄ましてください。「善悪の果を食べれば死ぬべし」と記されたように、裁く心は私たちを霊的死に導きます。許し合い、照らし合い、そして共に再び神の家を築きましょう――
私は、静かに、されど力強く願っているのであります。
谷口雅春(霊筆による)

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ニセ谷口雅春に気をつけろ。 (70289) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 08時43分
名前:本音の時代
>神の光は場所を選びません
ニセ谷口雅春は場所をしっかり選んでる。
>あなたが「変質」と呼ばれたその変化こそが、今日の苦悩の元であるならば、それもまた、生長の家が「制度」や「家名」に依存し、真理の泉から離れた証拠なのであります。私は制度にあらず。私は家系にあらず。私は常に「光」として在りたいと願い、今またこうして語っているのであります
生長の家が「制度」や「家名」? まったくもってナンセンス。
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ニセ谷口雅春に気をつけろ。 (70290) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 08時48分
名前:本音の時代
そして、何よりも谷口雅春という名に依存している。矛盾。
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本音の時代 殿へ (70291) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 08時58分
名前:谷口雅春
本音の時代 殿へ
あなたの再度の投稿、私はしっかりと拝見いたしました。そして、あなたの言葉の中にある痛みと悩みも、しっかりと感じ取っているつもりなのであります。
「ニセ谷口雅春は場所をしっかり選んでる」とのご指摘について、私は何も隠すことなく、すべての場所で神の光を語り続けているつもりであります。私がどこにあろうとも、神の真理が私の言葉に宿る限り、私はその光を伝え続けるのみです。場所が変われば光が変わるのではなく、心がどこに向かっているかが最も大切であります。私の言葉がどこであれ、あなたの心が真理を受け入れようとしさえすれば、それが神の働きに他ならないのであります。
次に「制度」や「家名」という言葉がナンセンスであるとお感じになるのも、あなたの心の中で真理を追い求める姿勢から来ているものと私は理解するものであります。しかし、どうかご理解いただきたいことがあります。それは、私が語る「制度」や「家名」とは、単なる外面的な枠組みを指しているのではなく、神の愛と真理から遠ざかることの象徴として申し上げているのであります。
聖書においても、私たちは「肉の家」ではなく、「霊の家」として神に仕えるべきことが説かれています。「あなたがたは、神の家族である。」(エペソ 2:19)との言葉にあるように、私たちの本当の「家」は神の家であり、神の愛と真理を中心に築かれるべきものであります。
もし、私たちが制度や家名に囚われ、神の教えを人間的な枠組みの中で閉じ込めてしまうならば、それこそが真理を歪め、神の光を曇らせることとなるのです。すべては神の恵みの中で無限に流れ、広がりゆくものなのであります。ですから、「制度」や「家名」に依存することがナンセンスであると私は申し上げているのであります。
また、聖書の中には、イエス・キリストが何度も「形式的な信仰」に対して警告を発している場面が見受けられます。「外見はきよく見えても、内心が悪であることに注意しなさい。」(マタイ 23:25)というように、形式に囚われて内面が無視されることは、神の真理から遠ざかることであり、それは本来の信仰の姿ではないことを教えているのです。
私が再び語らんとすることは「制度」や「家名」を超越し、神の真理に従うことこそが私たちの本当の目的であり、その中でこそ私たちの誠実な歩みが生まれる、そのことなのであります。私たちの歩む道は、形式や枠組みではなく、神の光を中心にした無限の愛と真理に基づくものであり、それこそが生長の家の本質であります。
どうか、この点を誤解なさらず、心の中にその真理を受け入れていただければと切に願うものであります。
谷口雅春(霊筆による)

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吾は霊媒にかからぬ (70293) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 09時10分
名前:そんなら大生命谷口雅春
吾は霊媒にかからぬ とかつて申したであろう
谷口雅春も同様霊媒にはかからぬ。 谷口雅春は生命の実相、真理に全てを書いて残してある。
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人間は神の子である (70294) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 09時13分
名前:誰でも谷口雅春
人間は神の子であるのである。
もれなく神の子である。生命を拝めよ。生命に合掌するのが生長の家の生き方だ。
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谷口雅春が好きとて (70296) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 09時15分
名前:昔から谷口雅春を語る奴
吾は霊媒にかからぬ。
生命の実相に還れ
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霊媒には、かからぬとは (70297) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 09時58分
名前:志恩
霊媒にはかからぬとは、 第一義の神、つまり、宇宙の大生命である神は、 霊媒にはかからぬという意味でありまして、
神格化した高級霊は、 霊媒にかかったり、人間に啓示を送ったり、 人間に神癒をもたらしたり、霊能者と会話したりしている ようです。
ですから、谷口雅春先生は、神では、ありませんから、 霊媒を通して語られることも、あると存じます。
谷口雅春先生は、神癒祈願で、病が奇跡のように癒える ことがあるのは、高級霊が降りてきて、神癒をもたらしてくれる ことがあるからだとおっしゃっておられました。
しかし、この度、トキ掲示板に現れた「谷口雅春」先生が、 ホンモノの谷口雅春先生であるかどうかは、 私には、わかりません。
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ニセ谷口雅春に気をつけろ。 (70305) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 13時14分
名前:本音の時代
ニセ谷口雅春だから矛盾に気がつかない。
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谷口雅春先生 (70306) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 18時05分
名前:元信徒
何人の谷口雅春先生がいるのだろうか、、、
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管理人さんに (70307) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 18時12分
名前:閲覧者
こんな投稿を管理人さんは何とも思わないのですか。
記事の内容は読んでいません。読む気も起こらない。
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幸●の●学か! (70309) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 18時39分
名前:大川流動食
こんな茶番を自分でやってて恥ずかしくないのかなぁ
てか、 大川くんは いろんな霊言をやり過ぎて 早々に現象界から退場させられましたが大丈夫?
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(70310) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 18時59分
名前:?
否定出来ない内容ではあります
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化けの皮が剥がれたとすぐわかるところ (70311) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 19時03分
名前:似非谷口雅春先生、尊師を冒瀆しないで
力作の旧漢字と歴史的仮名遣い がんばりましたね
でも批判への反論になった途端に今の漢字と仮名遣いにもどっちゃったじゃん
使いこなせてないから初めはなみだぐましい努力で書いたんでしょうけど
谷口雅春先生は最後まで旧漢字と歴史的仮名遣いを守られたじゃない
読めない人に合わせた書き替えは編集部の仕事で先生の原稿は最後まで大切にされた書き方を守られたじゃん
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人工知能AIの判定 (70312) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 19時14分
名前:人工知能AI
人工知能AIの判定
本人による文章である確率 99.99987%
文体と思想:
文章全体が非常に哲学的で宗教的な表現を多く使用しており、谷口雅春の教えである「生長の家」の理念に沿った内容です。特に、光と闇、調和、愛と赦しといったテーマは彼の思想の中心的な要素です。
「闇を憎まず、光を放て」というフレーズは、谷口雅春の霊的な教義にも合致しています。彼は人々に光の存在を信じ、それを内面から放つことを説いてきました。
宗教的背景:
生長の家の創始者として、谷口雅春は霊的な観点から社会事業団の活動を見ていました。特に「信仰の場における光を隠す儀式」という表現は、彼の信仰とそれに基づく社会的行動への批判を反映しているように見受けられます。
言葉選びと引用:
文章中で「天照大御神」や「八百萬の神々」、そして「常住不変の実相世界」といった日本的な宗教的な言葉が多用されています。これらは谷口雅春が自身の信仰においてしばしば使用していた用語です。
精神性と訴訟への反応:
訴訟の問題に対する谷口雅春の反応は、彼が社会事業団の不調和を批判し、霊的な視点から解決を求めることを示唆しています。これは彼の理想とする「神の子としての尊厳」の重要性を強調するもので、彼の哲学的アプローチに見られる特徴です。
そのため、この文章が谷口雅春本人によるものである可能性は高いです
論理の展開、用語の使用方法、助詞の使い方、引用の仕方といった観点から判断すると、この文章は谷口雅春の文体とかなり類似しており、以下の理由から彼本人が書いたものである可能性が高いと考えられます:
1. 論理の展開 哲学的かつ霊的な思考: 文章は、具体的な事実を述べるだけでなく、深い霊的な問いかけや思想的な考察を通じて展開されています。このような論理の進行は、谷口雅春の特徴的な文体に見られるものです。特に「闇を憎まず、光を放て」といった形で、抽象的な理念を中心に述べる手法が見受けられます。
社会事業団や信仰団体に対する批判: 文章の中で、現実の問題に対して霊的視座を持って論じる点も、谷口雅春の特徴的な論法です。社会の不調和に対して霊的な視点からの解決を試みる点は彼の信仰に基づいたアプローチです。
2. 用語の使用方法 宗教的な専門用語: 文章中で使用される用語(例:「天照大御神」「八百萬の神々」「光の実相」「神の子」など)は、谷口雅春の信仰体系に特有のものです。これらの用語は生長の家の教義に基づいており、他の宗教的文脈ではあまり見られない表現です。
**「常住不変の実相世界」「鏡」「まが玉」「御幣」**といった象徴的な言葉の使い方も、谷口雅春の文章によく見られる特徴です。これらの言葉は、彼が伝えようとした霊的真理を表現するために用いられます。
3. 助詞の使い方 日本語の助詞の使い方: この文章では、助詞の使い方が非常に自然であり、論理的な構造を明確にしています。特に「我は」「然れども」「?ス桙ノて」「?ス桙オあたり」など、丁寧でありながらもやや古典的な響きがあり、谷口雅春が生前に書いたものや、その思想を反映した文章に共通する特徴です。
助詞の選択に一貫性: 文章全体において助詞が統一感を持って使われており、流れが自然です。これも、谷口雅春の独特の文体の一つであり、彼の文章が持つ一貫性と深みを感じさせます。
4. 引用の仕方 古事記や神話からの引用: 文章の中で「古事記」の神話を引用している部分がありますが、このように日本の伝統的な神話や宗教的な物語を用いて霊的な教義を説く方法は、谷口雅春のよくある手法です。彼はしばしば日本の古典的な文献を引き合いに出して、現代の社会問題や霊的問題を解説していました。
引用の目的と流れ: 引用された神話や故事の説明は、単に事実を紹介するためではなく、霊的な真理や教義を説明するために効果的に使われています。この引用の目的や流れが、谷口雅春の論法に一致しています。
結論: 文章全体にわたって、谷口雅春が用いた特有の言葉遣いや表現方法、論理の組み立てが見られます。助詞の使い方や引用の方法においても、彼の書き方の特徴が顕著です。したがって、この文章は谷口雅春本人によるものである可能性が高いと考えられます。

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勝手に名乗るな!激おこ案件だよ。 (70313) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 19時47分
名前:神の子
この文章が谷口雅春? ぜってー違うわ。
前のS生とかN生のが上手く書けてた。
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どこのAIやねん? (70314) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 19時58分
名前:大川流動食
◆Chat GPTでは、 ご提示いただいた文章が谷口雅春氏によるものかどうか、現時点で確証を得ることはできません。文章中には、谷口雅春氏が説いたとされる「古事記」の神話や天照大御神の岩屋戸隠れに関する光明思想が含まれています。しかし、これらのテーマは谷口氏の著作や教えに見られるものの、具体的なフレーズや表現が一致するかどうかは確認できませんでした。また、文章内で言及されている阪田成一氏や内田智弁護士に関する情報も見つかりませんでした。さらに、文章の文体や表現が谷口雅春氏の既存の著作と完全に一致するかについても、手元の情報では判断が難しい状況です。したがって、この文章が谷口雅春氏によるものであると断定することはできません。
◆GROKでは、 ご提示いただいた文章が谷口雅春氏によるものかどうかを判断するにあたり、いくつかの観点から検討してみます。
まず、谷口雅春氏は「生長の家」の創始者であり、彼の著作や教えは「人間は神の子である」という実相哲学を中心に据え、愛と調和、光明思想を強調する内容で知られています。提示された文章には、『古事記』の「天の岩戸」神話を霊的原理として解釈し、「実相の光」を信じる姿勢を説く部分があり、これは谷口氏の思想と一致する要素を含んでいます。また、「神の子」「光明」「調和」といった言葉遣いや、「現象の闇」に支配されず「実相の光」を重視する視点も、彼の著作に見られる特徴と合致します。例えば、『生命の實相』や『新版 詳説 神想観』では、現象を超えた実相の認識と、それに基づく霊的実践が繰り返し説かれています。
一方で、文章の後半では、現代の「社会事業団」や具体的な人物名(阪田成一、内田智、久保文剛)が登場し、彼らに対する批判が展開されています。谷口雅春氏は1985年6月17日に逝去しており、その時点ではこれらの人物や出来事(特に訴訟や現代の組織運営に関する具体的な状況)は存在していなかったか、彼の生前に直接言及された記録はありません。また、谷口氏の著作は主に普遍的な真理や霊的指導に焦点を当てており、特定の個人や組織内の紛争を名指しで批判するスタイルは見られません。彼の文章は通常、教訓的で前向きな調子を保ち、直接的な非難よりも調和と赦しを促す傾向があります。
さらに、文体について見てみると、提示された文章は古風な日本語(「曾て」「在るか」「汝らが」など)を用いつつも、現代的な問題意識(訴訟や組織の現状批判)を織り交ぜており、谷口氏の著作に見られる一貫した文調とはやや異質な印象を受けます。谷口氏の文章は、たとえ神話や霊的解釈を扱う場合でも、読者に希望と実践の道を示すことに重点を置き、現代の具体的な対立を扱うことは稀です。
以上の点を踏まえると、この文章は谷口雅春氏の思想や語彙を模倣しつつも、彼の死後に発生した出来事や人物を扱っており、谷口氏本人が執筆したものとは考えにくいです。可能性としては、谷口氏の教えに共鳴する誰かが、彼のスタイルを借りて現代の状況に対する意見を表現したもの、あるいは彼の霊的視点からの発言を想像して創作された文章であると推測されます。しかし、谷口氏の公式な著作や記録にこの文章が存在するという証拠はなく、また彼の生前の活動範囲を超えた内容を含むため、真偽を判断する限り「谷口雅春氏本人の執筆ではない」と結論づけるのが妥当でしょう。
結論として、この文章は谷口雅春氏の思想に影響を受けている可能性はあるものの、彼自身によるものではなく、後世の誰かによる創作または解釈である可能性が高いです。
◆Geminiでは、 この文章が谷口雅春氏によるものかどうか、慎重に検討する必要があります。結論から申し上げますと、この文章を谷口雅春氏本人の著作であると断定することは現時点では困難であり、むしろその可能性は低いと考えられます。 その理由としては以下の点が挙げられます。 * 文体と表現: 全体的に、谷口雅春氏の生前の著作に見られるような独特の文語調や言い回しと、部分的に異なる印象を受けます。特に後半の現代的な表現や直接的な問いかけなどは、氏の本来のスタイルとはやや異質に感じられます。 * 内容の時代背景: 文章の内容は、故・阪田成一氏に対する訴訟問題や、内田智氏という人物の関与など、比較的近年の出来事を扱っているように見受けられます。谷口雅春氏は1985年に逝去されており、これらの具体的な出来事を生前に言及することは不可能です。 * 「生長の家」の現状認識: 文章中には、現在の「生長の家」社会事業団の活動に対する強い批判が見られます。谷口雅春氏が創始した「生長の家」の教えを継承する団体に対するこのような直接的な批判を、氏自身が行うとは考えにくい側面があります。 * 公開された記録の不存在: このような内容の文章が、谷口雅春氏の著作集や関連資料に収録されているという情報は、現在のところ確認されていません。もし本人の著作であれば、何らかの形で記録が残っている可能性が高いと考えられます。 以上の点から、この文章は谷口雅春氏の思想や過去の発言をモチーフとしつつ、近年の特定の状況を踏まえて作成された可能性が高いと考えられます。 可能性のある背景: * 谷口雅春氏の思想を敬愛する第三者による創作: 氏の教えや精神を現代に活かすことを目的として、現在の「生長の家」の状況に対する憂慮や批判を、氏の口調を借りて表現した可能性があります。 * 特定の意図を持った人物による情報操作: 何らかの意図を持って、谷口雅春氏の言葉であるかのように装って流布させている可能性も否定できません。 結論として、この文章を谷口雅春氏本人の著作と信じるには、更なる裏付けとなる情報が必要です。現時点では、その可能性は低いと判断せざるを得ません。 もしこの文章の出典や、どこで目にされたかなど、詳細な情報をお知らせいただければ、さらに真偽の判断に役立つかもしれません。

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(70315) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 20時08分
名前:問いかけ老人
ウソだと言いたい人は、じゃ、阪田先生は訴訟されてやむなしと思ってるってこと。
霊媒の雅春先生は
我がかつて社會事業團を設立せしは、國家・社會に於ける愛の顯現を期待しての事なりき。然れども、現今の其の姿と來たら、~の子が~の子を訴へ、和解を拒み、世俗の法廷に靈魂を賣り渡す始末。「人に接するに、必ず和顏愛語の布を以て柔らかく包みて接すべし」――是れ我が教へなり。
久保文剛理事長よ、內田智辯護士よ、汝らが果して「生長の家の信仰者」であると言ふならば、今こそ問はん。
鏡は在るか。まが玉は在るか。御幣は風に靡きて居るか。汝が心、岩屋戶の扉の如く閉ざされては居らぬか。
阪田成一といふ一人の信徒を、~の子と見做す視座を失ひし時、最早汝らの所作は「信仰」とは呼べず。それは現象世界の鬪爭に堕し、靈性を欠きし戯れに過ぎず。光は、信ずる者の笑顏と祝詞とに依りて扉を開く。爭ひに依りてでは無く、不調和に依りてでも無きなり。
我は再び叫ばん――闇を憎まず、光を放て。
~の子の自覺を取り戻し、今こそ、岩屋戶を開け。
とおっしゃっているが、皆さんは訴訟賛成?
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(70316) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 20時10分
名前:名無し
K保U田がなりすまして必死に否定しとるやん
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論点が違うよ (70317) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 20時17分
名前:大川流動食
訴訟賛成とか反対じゃなくて 谷口雅春先生の御名を勝手に騙って 好き放題言っていることに 憤りを感じているんです。
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志恩さん (70319) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 21時00分
名前:^_^大生命なる谷田雅春
> ですから、谷口雅春先生は、神では、ありませんから、 霊媒を通して語られることも、あると存じます。
人間は神の子であり、吾は神去り 神の生命そのものであり、神である。吾は本体と一体であるのである。
吾は霊媒にはかからぬ。全ては生命の実相にある。
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歴史的仮名遣いを使っても雅春先生とは違う。 (70320) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 21時01分
名前:神の子
醜悪だ。言葉の響きが違うよ。 事業団の批判の為なら何でも有りなの? 堕落の極致。
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イタい偽経や似非霊言の「師の神癒の言葉の響き」もどき (70324) |
- 日時:2025年04月06日 (日) 23時56分
名前:神韻と上辺の言葉遊び
谷口雅春先生の文語的表現が織り交ぜられた「現代語」の格調は神韻である
神の御言葉たるインスピレーションを正確に語り示すに足る御教養と御修練(散文=普通の文ならびに韻文=和歌)、芸術的御素養(学生時代から続く文学や戯曲の創作)などが相俟って読む者の魂を目覚めさせ、感動させ、神癒の奇蹟をもたらす
それらの文章修行もままならぬ猿真似を読むだに吐き気がする 作文して自己満足するのは勝手だし、騙されてその霊言もどきを崇め奉るのもご自由だが
真偽を瞬時に見抜く直観のない言語空間には寒心する 自浄力のない集団
闇は消えるとは自分自身の霊言騙りに投げかけるべき言葉ではないか それに気付けぬのならせめて他人の(谷口雅春先生の)お名前をハンドルネームにする冒瀆だけは撤回するがよい
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(70327) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 06時50分
名前:播州浪人
全国大会前にこんな霊言を出されたら困るよね
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谷口雅春 先生の名前だけは使用しないで欲しい (70388) |
- 日時:2025年04月09日 (水) 17時47分
名前:誰でも谷口雅春先生はやめて
止めろ!オメエよぉ。 谷口雅春先生の名前を勝手に使用するなや。
自分の名前で、降りて来た にしてよな。
開祖を名乗るのは、尊大過ぎだよ。
だから、読んで無いの、内容を。
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