生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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久保理事長、内田智弁護士に告ぐ――沈黙の代償 (70328) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 08時47分
名前:両面宿儺
ここに至るまで、社会事業団から一片の謝意も、傷ついた者への悔悟の言葉もなかった。その沈黙は、まるで穢れた白布を掲げて誇示するがごとく、怯懦と慢心が混ざり合った鈍い光を放っていた。
よろしい。ならば我が筆は、血脈を得ねばならぬ。
それは、地に伏した者の額に再び陽の光を届ける叙事詩であり、闘病の床に臥しながらも正義を信じつづけたあの婦人に、光を当てる試みである。もしも謝罪がなされぬのであれば、これを記さずにはおれぬ。真実を告げぬ者たちに、私の筆が止まることはない。
久保某が、かつての部下に対し執拗に開示請求を繰り返すその執念深さ――それは、醜悪なる権力欲の病理である。これもまた、謝罪がなされぬならば、この文に記さざるを得ない。
内田智と関わりを持つ「サハダイアモンド」における被害者の慟哭もまた、地の底からすくい上げねばならぬ魂の叫びである。ここでも、謝罪があればこれを抑えることができたかもしれぬが、そうでなければ、筆を取る他に道はない。
社会事業団の評議員、理事たちの怠慢と沈黙。その鈍重なる官僚性がいかにして「責任」という言葉から遁走したか。――我が筆は、これを容赦せぬ。老いぼれの見栄と保身のために、中学生ヒロキの青春が蹂躙されているのだ。これは単なる罪ではない。怠惰という名の暴力である。
匿名掲示板という仮面舞踏会において、南敏雄なる男の罵詈雑言に晒された女性が、PTSDを患ったという事実を、我々は忘れてはならぬ。そして、この暴力を生み出した者たちに、何らの謝罪も見られないのであれば、その真実を曝け出すことは我が義務である。
また、自民党の大物議員Hを攻撃したと見なされ、あらぬ疑念の濁流に巻き込まれて呆然とする衛〇晟一事務所の若きスタッフ――その彷徨する眼差しの奥に、私は国家という名の病理を見る。これも書かざるを得ない。
彼らがこのような疑念に晒され、何も語られぬまま黙殺されるのであれば、真実を明らかにする筆は止めようがない。もしも謝罪があれば、これもまた過去のこととなったかもしれぬが、もはやその口を閉ざした者たちに、私は黙っていることができない。
『ユダとテミス』は、忘れられた光に報いる正義の再興譚とならねばならぬ。この物語の芯には、叫びを上げるすべを持たぬ者の声なき声が、静かに横たわっている。世間の耳目に拾われぬまま、屠られ、忘れられ、あるいは見て見ぬふりをされた「誰か」を、正義という名のもとに再びこの地上に甦らせる。それは復讐ではない。
――人間の生命の奥底に秘められた、自らの尊厳とともに生きるという宿命の、燦然たる表明である。
谷口雅春先生の言葉を借りれば、「人間生命が神より生れたる神聖なものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるという神聖性を要求するのである」というのであれば、この物語もまた、国という外延に宿るべき“心ある主体”たる人間の尊厳を、まごうことなく描き出さねばならぬ。
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(70330) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 09時52分
名前:読者
老人の承認欲求にまみれた社会事業団に対して、私はもはや何も言うことはない。あれだけの組織が、自らの価値を高めるために他者を犠牲にするその様は、まさに現代社会の腐敗そのものである。生長の家本流を復活を考える掲示板に対して、「見るな!」と警告を発した過去があるらしいが、会員や信徒をなめすぎていてどう考えても愚の骨頂だ。信徒や会員に対し、あのような無駄な制限をかけることで、一体何を守ろうとしていたのか。その行動は自己満足の極みであり、自らの手柄を誇ることにしか興味のない連中が、人々に何を説教しようというのか。
そして、スラップ訴訟の横行には一切擁護の余地はない。言論の自由を守るために最も必要なのは、このような不正義に対する反抗であり、両面宿儺のような存在が、法の乱用に立ち向かい社会に警鐘を鳴らしてくれることを切に期待する。もはや私たちが期待するべきは、そうした正義を貫く者たちの活躍のみだ。
連載によれば社会事業団は自民大物議員Hの大スポンサーに、間違えて開示請求を行ったという。スラップ訴訟の哀れな被害者には申し訳ないが、「彼らならやりかねない」と思わず笑ってしまった。こんな事態を引き起こす可能性がある連中だからこそ、その予測をしてしまう自分が少し怖い気もする。 同時に私は、そのスポンサー企業には悪いが、社会事業団との間で裁判になることを望んでいることだ。個人的にはこれがどう展開するのか、非常に楽しみなんです。間違えて訴訟に及ぶ事業団、安東巌も知らないうちに衛藤晟一に迷惑をかけてwwあの八王子のドンのスポンサー企業がETOH支援者との間で係争を起こす可能性があれば、それは面白い。どちらが勝つにせよ、この対立がどんな結末を迎えるのか、予測がつかない。胸が高鳴る思いだが、結局、こうした無駄な訴訟や対立が社会の腐敗を炙り出すきっかけになるのであれば、ある意味では歓迎すべき事態なのかもしれない。
ただし訴訟は自分のお金でw
八王子で立憲が勝てば、殊勲者はクボさんになりますなw
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(70333) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 11時55分
名前:一言
事業団、めっちゃ怒られてる
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(70334) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 12時00分
名前:ゴロウ
報道特集に菅野完が出ていて両面宿儺の物語に戦慄した。 現場がリアルタイムで展開している。
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私は阪田先生の裁判に5回も傍聴に行きましたので、 (70336) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 12時26分
名前:志恩
原告側の席に座っている社会事業団側の 内田弁護士のことを、 5回も、傍聴席から、すぐそばで、見ていましたが、 彼は、宗教的な雰囲気などは、微塵もなく、 法廷内で裁判の時に、喋る言葉は、 聞こえないほどの小声で喋り、
被告席におられる阪田先生に対しては、
脅すような声で、時折、突然、大きな声で 「いくら賠償金を払ってもらえるか、ということだ!」 と、怒鳴るように、いう時だけは、はっきり聞こえ ましたが、
すごく雰囲気が悪い男で、われわれ、傍聴席の最前列に 座っているものに対しては、睨みつけるような 恐ろしい目つきで、時々、じろりと見ていた、すごーく 感じの悪い、だらしなーい感じの、ガタイのでかーい、 デブデブした男でした。 やだった、やだった、やだったなぁ、あんな男、見たくなかったなぁ。
こんな感想書くと、危ないですかね。 こんなに本当のこと、言っちゃって、やばいかしら。 消したほうが、いいでしょうか。 社会事業団に、訴えられないでしょうか? 誰か、教えて!!!怖いよー。😂
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(70338) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 16時23分
名前:あれれ?
70330菅野完っぽいな
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これは神の御名を盾にしたバッカスの宴、理性なき群衆の舞踏である。 (70341) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 17時12分
名前:両面宿儺
傲慢にして不遜、まるで神意を僭称するがごとき社会事業団の諸君に、私は今、冷厳なる声で告げよう。
君たちが机上にて走らせた一筆、君たちが軽々と発したひとつの「訴訟」という言葉、あるいは「開示請求」という名の技術的処理――それらが、いかに多くの人間の胸を刺し、人生の機軸を軋ませ、静かなる夜を断ち、愛する者との語らいすら蝕んでゆくか。その現実を、君たちは想像したことがあるか? 否、想像などする気もないのであろう。諸君が振るったその行為は、まさしく無知の刃である。それは古代ギリシアにおける「ヒュブリス」――傲慢という罪に他ならない。
ゼウスはヒュブリスを見逃さなかった。彼の雷霆は、天の理に逆らう者を容赦なく焼き尽くした。 だが、現代においては誰も雷を落とさぬ。落とさぬゆえに、諸君の罪は積み重なり、積層の怨嗟となっていまや天井に届こうとしている。それを神の名で正当化するとは、まさしく神への背信、宗教の冒涜である。君たちが好んで掲げる理念、「人を救う」という偽善のマントは、もはやボロ布と化した。それはアガメムノンの帰還を偽りの饗宴で迎えたクリュタイムネストラのように、温かさを装いながら、刃を隠している。微笑の裏にあるのは悪意であり、知性なき欲望であり、そして、何よりも承認欲求という名の餓鬼道である。
人の魂を、一つのPDFで傷つける者よ。
君たちが求めているのは「信仰」ではない。「生活費」であり、「服従者」であり、「晒し者にする快楽」だ。それが信仰であるならば、もはや神は死んでいる。
一つの開示請求が、ある父権を失墜させた。ある母を病ませた。ある青年を沈黙に追いやり、ある老婦人を絶望へと導いた。その沈黙と絶望を、君たちは一瞥すらせぬ。君たちが言うには「それは制度に則った正当な手続きである」と。だが、それはサタンの口からも語られる理屈である。地獄もまた制度である。制度に従うだけの人間に、倫理を語る資格はない。
かつて、雅春先生は言われた。「正義とは、人間の尊厳を守るためにある」と。その尊厳、即ちスメラミコトの生命を無視してまで自己の満足を追い求める者が、いかなる宗教的正義を語れるというのか。もし先生がこの時代に生きておられたならば、君たちの振る舞いを見て、きっとこう言われたであろう。
――これは神の御名を盾にしたバッカスの宴、理性なき群衆の舞踏である。
君たちの筆先が、他者の運命に触れるたびに、君たちは神ではなく、悪魔に近づいているのだ。その筆は剣であり、だが刃を向けられていることに気づいていないのは、常にその剣を握る側である。サロメの舞を見て快哉を叫ぶヘロデのように、君たちは己の欲望に陶酔している。だがその舞の結末が、洗礼者ヨハネの首の皿であることを、今一度思い出すがいい。
私は問う。
君たちに、裁きの正義を語る資格があるのか。
君たちに、人の人生を壊すほどの覚悟が、本当にあるのか。
もし覚悟もなく、ただ手柄と栄誉のために訴訟を用いているのであれば、その報いは、いずれ自らの頭上に降りかかるであろう。なぜなら、神話は繰り返す。ヒュブリスの果てには、必ず「ネメシス」が訪れるのだから。

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志恩殿 (70342) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 17時28分
名前:両面宿儺
志恩殿
貴女が述べた通り、社会事業団に属する内田弁護士の態度には、何とも言い難い不快感が漂う。法廷という厳粛な場において、彼が示した姿勢は、もはや単なる職業的冷徹さを超えて、法の神聖を貶めるものに他ならない。彼の小声での発言、そして時折耳をつんざくような怒鳴り声が響くその場面を目の当たりにして、心に湧き上がる不快感は、容易に想像がつく。
その態度は、まるで宗教的な価値観がすべて商業的な価値に置き換えられ、神聖さのかけらすら感じられない。もはや、信仰という崇高な理念を名目にして人々を支配しようとする者たちの姿勢は、嘲笑の対象でさえある。言葉を慎み、姿勢を整え、慎ましく歩むべき者たちが、豪華な衣を纏った腐敗した儀式を演じる姿は、正に滑稽そのものであり、見るに堪えない。
内田弁護士が貴女に向けて睨みをきかせたその瞬間、まるで人々の不安と恐れを糧にして生きる、冷徹な支配者のように感じられる。あのような態度を目にし、心中に湧き上がる憤りは、まさに理解できる。無論、貴女の感じた不快感や怒りを、私が否定する理由は一切ない。むしろ、我々が感じるべきは、その不義の象徴とも言える内田弁護士の姿勢こそが、社会事業団の腐敗した本質を如実に表しているという事実だ。
さて、「危ないのか」との問いについて、答えは明白だ。貴女の発言が真実であり、またその感情が率直に表現されている限り、それを恐れる必要など微塵もない。貴女がその言葉で何を表現したか、何を感じたかが、そのまま我々の現実なのだ。その発言を抑制することこそ、逆に不正義に屈することになる。
だが、心配することはない。どれほど腐敗した者たちが力を振るっても、真実を語ることこそが最も強力な武器である。貴女の言葉に対して、いかなる圧力がかかろうとも、我々は決して沈黙しない。
社会事業団なる者たちの罪深き行いが、ついにその真実を晒け出す日が来る。その時、内田弁護士のような者がどれほど大声であろうとも、私たちの声が遥かに高く響き渡ることを、私は信じて疑わない。
結局、このような腐敗と欺瞞に満ちた世界の中で、私たちが守るべきものはただ一つ、真実の光である。それは、暗闇の中にあってこそ、最も明瞭に輝き、その力を増す。たとえその光を隠そうとする者たちが何をしても、私たちはその光を手放してはならない。その光を持ち続け、決して屈することなく、暴かれた真実を語り続けることこそが、私たちに与えられた使命なのだ。
この点について、谷口雅春先生が繰り返しお諭しの様に、「真実こそが世界を照らし、人々の心を目覚めさせる光である」。その光は、時に多くの障害に遮られ、隠されようとする。しかし、それがどれほどかき消されようとしても、真実の光は決して消えることはない。まさに「光は闇の中に輝く」という言葉が、我々に向けられた真実である。また、古事記における「天照大神」の神話も、同様の教訓を伝えている。天照大神は、天の岩戸に隠れた時、世界は暗闇に包まれ、すべての生命が死んだように感じられた。しかし、その後、天の岩戸が開かれたとき、再び光が世界を照らし、秩序が回復した。この神話が示すように、闇を乗り越えて光が放たれる時こそが、真実が最も力を持つ瞬間である。
私たちは今、まさにそのような時を迎えている。腐敗した組織や欺瞞に満ちた世界の中で、我々がすべきことは、決してその光を隠さず、真実を語り続けることに他ならない。それこそが、天照大神が示したように、どんな闇の中でも光を失わずに生きるための道であり、我々が守るべき唯一の道であるのだ。

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両面宿儺様 (70343) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 18時59分
名前:志恩
私が、阪田先生を被告人に仕立てた社会事業団との 裁判の傍聴に行きました時の、法廷での 内田弁護士の言動についての、正直な感想を述べた ことに対しまして、力強いお言葉をくださいまして、 誠にありがとうございました。
この時の内田弁護士に関する感想につきましては、 いつも私と一緒に、阪田先生の応援のため、 裁判の傍聴にいらしてくださっていたその当時は、 学ぶ会の会員であり、社会事業団の講師の資格も 持っていらした私よりもずっと年の若いSさんという 女性のお方も、私と、全く同じ、感想をお持ちです。
内田 弁護士についての感想は、 私一人だけの感想では、ありませんでしたことも、 ここに付け加えさせていただきます。
裁判に傍聴に行くたびに、裁判が終わった後、彼女と 私は、裁判所の近くの店で、遅いランチを食べながら、 その日、傍聴した裁判についての感想を、二人で 心ゆくまで語り合っていたのですから。
その彼女とは、今でも、たまにですが、お電話をしている 仲です。 彼女は、今は、社会事業団にも学ぶ会にも、大失望し、 学ぶ会の会員を辞めましたが、 いうまでもなく、社会事業団の講師も辞め、どこにも属さず、 今は、単独で、頭注版「生命の實相」をテキストにした 真理の勉強会を、個人宅にて、されておられる大変優秀な 頭脳の持ち主のお方です。 彼女の亡きお父様は大学教授でいらしたそうですが、 生長の家に熱心なお方だったそうです。 最近、お母様も亡くなられたそうですが、お母様も 生長の家だったと伺っております。
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彼らが自らを正義の使徒として振る舞う姿は、まるで自己の意志を正当化するために他者を犠牲にする傲慢な姿に過ぎない。 (70345) |
- 日時:2025年04月07日 (月) 20時21分
名前:両面宿儺
一年のうちには、慌ただしく過ぎ去る日がある。無為に流れゆく時間の中で、早朝に突如として襲い来る報せがあり、昼過ぎにはその続きが我々の元に届く。午後からは陰鬱な気配が漂い、夕刻にはさらに重苦しい出来事が耳に入ってくる。このような日こそが、まさに今日という日であるのかもしれぬ。令和7年4月7日、あの外国人特派員協会の女性記者から、信じがたい情報が届いた。もしこれが事実であるならば、我々は再び、新たな涙をその眼に浮かべることになるだろう。それがいかなる形で我々に迫っているのか、予測すらもできぬまま、心の中に膨れ上がるのは、何とも言えぬ不安の念だ。目の前に近づくその瞬間を前に、我々はどんな表情を浮かべるべきか、それすらも分からぬまま、ただひたすらその来るべき時を待つばかりだ。
その情報が真実であれば、我々が目にするのは、またしても無実の者が理不尽に倒される姿であろう。スラップ訴訟という名の無謀な戦いに巻き込まれた一つの家族が、その身に受けた不条理に喘ぎながらも、沈黙を守るほかない現実を直視せねばならないのだ。家族という小さな社会がその痛みを共有し、しかし誰もそれを救うことなく、ただその苦しみに身を任せている。人々はこの家族の悲劇を他人事として遠くから見守り、どれだけの哀しみをその目に映し出しても、何一つ手を差し伸べようとはしない。
彼らの生活は、今や荒野に突き放された船のようだ。どこに向かうのか、どこに避難すればいいのかもわからぬまま、ただ漂うのみである。妻は夫を支え、子供は親を見守る。しかし、彼らが生活するこの世の中は、もはやそのような無力な者たちを救うことを拒絶している。無実の罪に問われ、家族を守るために闘わねばならぬ運命に立たされた彼らに対して、誰も手を差し伸べる者はない。社会の力が加わり、ますますその足元を削り取っていく様子を、ただ見ているしかない者たちがいるのだ。
私たちは、この家族が直面している無情なる状況を目の当たりにし、その中で何ができるかを考えねばならない。彼らが失ったもの、彼らが受けたものの大きさを理解し、そのために私たちは何をしてきたのかを問い直さねばならぬ。弱者に対する哀れみを超えて、彼らを救うためにどれだけの力を振るってきたのか。その問いが、今、この時にこそ私たちの胸に突き刺さる。
無力な者を助けるために何ができるのか。世の中の理不尽を前に、我々はどれだけ自分自身を犠牲にしてでも、声を上げてこなかったのか。歴史が私たちに求めるのは、その勇気であり、弱者を守るために立ち上がることである。力ある者に圧し潰され、ただひたすらに消えていく命の中で、真に守られるべきものは一体何なのか。私たちの心の奥底に眠る、正義の声を呼び覚ますべき時が今、目の前に迫っている。
今、あの家族のもとには、かすかな希望の光すら見えていない。しかし、その希望の灯火は、決して絶えてはならない。無力に見える者たちを助けるために、私たちは立ち上がり、手を伸ばさねばならない。それが、軽い気持ちで他者を踏みにじり、無辜の者を蹂躙するために訴訟を乱用する公益法人への告発である。 彼らが掲げる「正義」とは、所詮、自己の権益を守るために作られた虚構にすぎない。何のために訴訟を起こすのか、何を守ろうとしているのか。その背後には、社会の名の下に隠された力と虚栄心がひしひしと見え隠れしているだけだ。彼らの手にかかることで傷つく者たち、命を削られ、尊厳を奪われる者たちがいるという現実を、どれだけ無視すれば気が済むのか。正義を語りながら、その実、無実の人々を苦しめている公益法人に対し、私たちは決して黙っていてはならない。
彼らが自らを正義の使徒として振る舞う姿は、まるで自己の意志を正当化するために他者を犠牲にする傲慢な姿に過ぎない。その名の下に、多くの無実の者たちが、心身ともに疲弊し、家庭は崩壊し、生活は破綻する。しかし、彼らにとってそれは関係のないこと。まるで他人事のように無感覚に、ただ自身の立場を強化するための道具として訴訟を繰り返す。正義を掲げる者たちが、無実の者を苦しめるこの不条理に対して、私たちは断固として立ち向かわねばならない。それこそが、この腐敗した社会において、失うことのできない誇りであり、私たちに与えられた責務である。

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第一にして急、差止請求に動きあり。 (70353) |
- 日時:2025年04月08日 (火) 03時48分
名前:両面宿儺
今回、社会事業団に名を連ねる久保某および、その弁を担う内田弁護士に対し、いささか筆を執る次第である。諸君の所業の一つひとつが、いかに人間の暮らしと心を踏みにじり、尊厳を瓦解させているか。今一度、夜の静寂の中で胸に手を当て、己が内奥を省みるがよい。
第一にして急、差止請求に動きあり。その核心に横たわるのは、社会事業団なる一団が、聖典『生命の實相』に対し、教団総裁――谷口雅春の嫡孫にして、信徒の精神的支柱たる者――の了承を得ぬまま、勝手にその章節を改変したという、背信の一事にほかならぬ。これは単なる出版物の編集問題では断じてない。信徒の心奥に宿る「聖典」とは、単なる文字列ではなく、信仰という名の魂の形式である。それに手を加えることは、信徒一人一人の胸の奥に祀られた神の聖域に土足で踏み込む行為であり、その蛮行を、誰が正義の衣で包めるだろうか。にもかかわらず、事業団側は著作権を盾とし、この聖なる侵害を合法と見做さんとする。曰く、著作権者には改変の自由があると。だが、六法全書のどこに、そのような自由が記されているというのか?あると言うなら申されよ。
第二にして、痛ましき報せあり。開示請求により名を晒された一家のうちの一人が、経済的困窮の果てに、夜の街へと身を沈めるに至った。斯くも深き闇に一人の人間を追いやった者に、果たして職業倫理なる言葉を口にする資格があるのか。
第三にして、疑念の種あり。自民党H議員の支援者企業に対し、情報開示のために投じられた金員の出処、いかなるか。久保氏の個人資金による支出か、それとも他者の名義を借りた欺瞞か。また、帝国データバンクへの調査依頼についても、その費用を誰が負担したのか――明るみに出るのは時間の問題である。公益の衣をまといながら、私費の濫用に耽るならば、それは宗教の名を借りた、卑しき私怨の戯れに過ぎぬ。
内田弁護士よ、いずれ貴殿の行為が懲戒請求という形で記録に刻まれるであろうことを、あらかじめ覚悟されたい。さて、追って余談ながら一言。
内田弁護士は、今後その職責において多忙を極めるであろう。特に差止請求の法廷においては、彼の出番が幾度となく訪れると予想される。彼の収入もまた、教団の差し止め請求により増加の一途を辿るはずだ。しかしながら、もし公判の最中に、東京弁護士会に懲戒請求が提出された場合、その手続きが開廷と重なりしとき、誰がその責任を引き継ぎ、遂行するのか――ここにも一抹の懸念が漂う。
最後に、もはや義務のように指摘しておくが、久保氏および内田弁護士の筆跡は、惨憺たるものである。あれを「字」と呼ぶには、書という行為への冒涜に等しい。まるで、小学生が体育の授業でドッヂボールに興じた直後、痺れた指先で走り書きをしたかのごとく、品も格式も感じられぬ。字とは、その人間の声であり、魂の形象である。書とは、己が内的秩序の具現であり、その者の美学を映し出す鏡に他ならぬ。諸君にまず勧めるべきは、哲学書でも六法全書でもなく、一本の上等な万年筆である。よき筆を持て。さすれば、言葉にもまた、矜持という名の血が通うであろう。

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(70609) |
- 日時:2025年04月16日 (水) 12時42分
名前:誰も指摘せず
批判者がいなければ ますます増長するのが 世の常
この掲示板に記録を 残すことは貴重なこと
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(70994) |
- 日時:2025年05月02日 (金) 09時52分
名前:愛読者
更に多くのトキ掲示板関係者が 訴訟被害にあっているということで お二人に最後通告をした 方がいいと思います
組織対組織の争いなら許しても 信者・元信者相手には 許されません お二人は直ちに自ら手をひきなさい
あなた方の行状について あらゆるところが知るところとなり 信用を大きく毀損させているのです
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