生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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光を掲げる者の使命――南敏雄殿に寄す (70354)
日時:2025年04月08日 (火) 06時25分
名前:両面宿儺

 論とは、単なる意見の交換にあらず。それは、国家と精神を支える柱であり、人間が己の魂を賭して放つ最後の防波堤である。故に我々は、どのような場においても、言論に対しては最大の敬意と、最小の嘘しか許さぬという覚悟をもたねばならぬ。インターネットの掲示板とて例外ではない。それがたとえ匿名の荒野であり、顔なき者たちの書き散らす電子の砂塵にまみれていたとしても、その場において真実を発した者の声は、剣のごとく潔く、光のごとく高貴であるべきだ。しかし、南敏雄君。君はその神聖な場を守る責を帯びながら、最も恥ずべき背信を犯した。

 君は「谷口雅春先生に帰りましょう掲示板」という名の電脳の広場において、真実を削除したのだ。いや、それは「削除」という軽薄な行為にとどまらぬ。君は光を消したのだ。光とは何か。それは、ある無名の投稿者が発した一文であった。

 阪田成一氏について、ある者――「破邪顕正」と名乗る男が、阪田氏が「著作権は事業団にない」と主張したなどという、悪意に満ちたデマを掲示した。これは、事実に反するのみならず、人格をも貶め、読者を欺く最悪の中傷であった。だが、その虚偽を照らす言葉が現れた。
 一人が『光明の音信』を引用し、阪田氏が「著作権は社会事業団にある」と明言していることを、明晰に、かつ静謐に指摘した。この投稿は、濁流に流された真珠のように尊く、掲示板という場において、唯一の良心であった。

 だが君は、それを消した。虚偽を残し、真実を葬った。これは卑劣である。光を恐れ、闇を庇ったその指先に、君は何を見ていたのか。

 その結果、破邪顕正の誤解は肥大し、正義の名を借りた狂信へと変貌し、阪田成一氏を訴訟へと追い込んだ。言葉の正義が抹殺されたことにより、法廷という戦場に、剣なき者が立たされたのである。阪田氏は深く傷つき、そして妻を失った。その死は、偶然か? いや、それは真実を守らなかった者たちの連帯責任である。
 君の指先が押した「削除」のボタンは、単なる文字の抹消にあらず。それは人格の抹殺であり、誠実の消去であり、なによりも希望の消滅であった。我々はもはや、こうした欺瞞に沈黙してはならぬ。言論とは「自由」の別名ではない。それは「責任」の別名である。
 掲示板の管理人とは、ただの番人ではなく、言葉の番士であるべきだ。正しき言葉に盾を与え、誤れる言葉には剣をもって臨む者でなければならぬ。君がもし真に「管理人」であるというのなら、掲げよ、真実を。隠すな、光を。掲示板とは「掲げる場所」である。では何を掲げる? 無責任な虚構か? 臆病な沈黙か? それとも――君自身の過ちをか?

 我々は君に問う。光を掲げよ。

 それこそが人の為しうる、最も高貴な使命であると、君が今も思うならば。


追伸――証言の重みと、沈黙の罪

 忘れてはならぬ出来事が、ひとつある。かつて邁進黒蜥蜴氏への情報開示請求が行われた際、君、南敏雄の書いた電子郵便(メール)が流出したのだ。その文面に記されていたのは、驚くべき真相である。そこには明確な「言論の封殺」を目的としたものであると、君自身が暗に認める一節があったのだ。君のその通信が送られた先の名簿は、沈黙の同盟者たちで満ちていた。事業団の久保理事長、内田弁護士、そして光明思想社の社長までもがその送信先に名を連ねていたのである。つまりこれは、個人の軽はずみな言動ではない。組織的な共謀の一端が、君の軽率な指先によって暴かれたのだ。

 今後、邁進黒蜥蜴殿――かの自民党有力議員と繋がる人物に対し訴訟を起こすことになれば、君、南敏雄の証言は、極めて重き意味をもつことになるであろう。なぜなら、君のひとことが――その証言の一行が、この訴えが言論封殺目的と確定させる鍵となるからである。それはまた、事業団という組織が掲げてきた理念の真贋を、全世に問う分水嶺ともなる。

 君の沈黙は、すでに一人の死を呼び込んだ。ならば、君の証言は、ひとつの未来を左右するであろう。その時、君が何を語るか――それが、光を掲げる者の使命か、あるいは闇を護る者の再犯か、歴史は正確に記録するであろう。

南敏雄よ、君に問う。 (70436)
日時:2025年04月10日 (木) 19時38分
名前:両面宿儺


 南敏雄よ、君に問う。

 君は言う、「国や社会に貢献しましょう」と。だがその言葉は、あまりに無風で、あまりに湿度が高い。そこに汗はあるか? 血はあるか? 美はあるか?

 昔、奈良の安国寺に一人の坊がいた。彼は竜と心を通わせ、国を救うために、愛するものの死を受け入れた。竜は、己が身を削り、空に昇り、三日の雨を降らせて民を救い、地獄の王に首を斬られて果てた。その血で赤く染まった池の上に、小さな寺が建てられた。
 君はその赤い池を見たことがあるか? いや、見たことはないだろう。見ようとしたことすらないはずだ。君の語る「社会貢献」は、雨を乞う者たちの群れの中で、ただ傘を差し出すだけのことだ。決して自ら雨になる覚悟はない。

 君の指先が押したという「削除」なる行為。それは現代という、責任を曖昧にし、美を喪った社会においては、日々誰もが無自覚に犯す凡庸な犯罪であろう。だが、君がその凡庸なる罪に甘んじた時、それはたちまち、魂の死に等しくなる。君は一行の真実を抹殺し、一人の名誉を損ね、さらにはその妻の命をも間接に葬ったと言われている。その重さに、君の肩は耐えうるか?私は問う。君に美はあるか?

 美とは、剣である。自らの言葉に刃を宿し、いかなる暴風にも斃れぬ誇りである。君が守るべきだったのは「秩序」ではない。「権威」でもない。「利害関係」でもない。君が掲示板という名の広場において番人を任されたならば、守るべきはただ一つ、「真実」という名の美である。たとえそれがどれほど危ういものであろうと、君が背を向けた瞬間、それは単なる石礫となり、汚泥となる。

 君は「光を消した」と責められている。それは当然である。光とは何か? それは、行動する意思であり、発言する勇気であり、真実の言葉である。君がそれを抹殺したのならば、君は単なる傍観者ではない。歴史の加害者である。黙して逃げる者の手には、常に他人の血がついている。君に足りぬのは勇気ではない。誠である。誠とは、自らの行為に責任を負う覚悟である。

 お坊さんは、泣いて竜と別れ、竜は笑って空へ昇った。三日後、血まみれの骸が池に沈み、坊はそれを土に埋め、供養の寺を建てた。法華経を唱えると、池の水が透きとおり、竜の魂は雷とともに天空を駆けた。君の掲げる言葉もまた、そのような霊魂を持っているか? 君が次に書く一行は、池を赤く染めうるのか? それとも、また一つ、凡庸なる削除を繰り返すのか?

 君が再び「光を掲げたい」と思うならば、それは容易いことだ。真実を語れ。過ちを認めよ。そして、責任を取れ。ただし、その道に一片の打算も許されぬ。潔癖でなければならぬ。君の口から放たれる一語一句が、君の死に様を決定する。それが言論というものだ。君はその重さに堪えうるか?

 我々は皆、皇軍であらねばならぬ。言葉に生き、言葉に死す。それがこの国において、真に名誉と呼ばれる行いである。掲示板の管理人などと、くだらぬ肩書きに甘んじるな。君が掲げるべきは「管理」ではない。「真理」である。

 南敏雄よ。今こそ覚悟せよ。
 次に君が書く言葉こそが、君という人間の本質を、この国に刻むであろう。魂を灯せ。剣を抜け。そして、美しく斃れよ。迎合し付和雷同し打算に甘んじるその、腐りきった精神こそを抹殺せよ。



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