生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

この掲示板は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。
生長の家創始者・谷口雅春先生のご人格や教えへのご批判をされる内容の投稿は一切許可しません。
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
アラシ投稿や他の投稿者様を誹謗中傷する投稿をする人は、警告なしに削除します。また、アラシ投稿をする人は投稿制限をかけます。
以上の方針に同意された方のみ入室してください。
一般論として、オンライン上の投稿に対して、仮に正当な内容の言論であっても、名誉棄損などを理由にして情報開示請求を行う人が世間には一定数存在します。投稿される方は、そのような攻撃を避けるため、気を付けてくださるようにお願いします。

管理人宛の連絡は、 sandaime-kanrinin@ymail.ne.jp へお願いします。

旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

際どい話題は、「生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)」にお願いします。

傍流掲示板

別天地の掲示板です。
名前
メールアドレス
スレッド名
本文
画像
URL
削除キー 項目の保存


訴訟という名の剣を抜くには―― なぜ理事会の決議が不可欠なのか (71099)
日時:2025年05月07日 (水) 21時32分
名前:両面宿儺

一、剣を抜くということ

 そもそも、「訴訟」とは何か。それは法の大義を携え、人を裁き、あるいは守るために放たれる剣である。一法人がこの剣を抜くというのは、国民に対して宣戦布告を行うに等しい。そして、この剣を抜く者には、法的な「資格」と「覚悟」と「手続き」が、厳格に求められる。では問おう。その剣が、組織の全会一致によって抜かれたものではなかったとしたら――。

 つまり、公益財団法人の理事長が、理事会の承認を得ることなく、独断で訴訟を提起していたとすれば、それは、剣でなく、ただの個人的な凶器であり、「公益法人の名を借りた私闘」に過ぎぬではないか。


二、理事会決議の重み

 公益財団法人は、民間とは異なる「公的信頼」を帯びている。だからこそ、法人の意思決定には、理事会という合議体の決議が義務づけられている。これは、単なる形式的な手続きではない。全理事の目と耳と責任を通じて、その行為が正当か否かを問いただす「民主の儀式」である。そして、日本の法律――一般法人法第91条および第96条には明確にこう定められている。

 「理事会は、業務執行の重要事項について決議をしなければならない。」

 訴訟とはまさに、「業務執行の最たるもの」である。財団の威信と資金を用い、他者の人格や言論を断罪せんとするこの行為が、理事会の決議なしに行われたとしたら、それは明らかに違法である。

 これは、剣の鞘を飛ばして、己の腕一本で斬りかかるがごとき軽率さであり、公益法人の名において行われたことが、実はただの「個人の感情による提訴」であった可能性を孕むというのだ。


三、訴訟能力の欠如という断崖
 
 阪田成一先生に対する訴訟が、果たして理事会の議を経ていたのか。もしも、それがないままに提起されたのであれば、その訴訟の「原告資格」そのものが疑わしくなる。これは、法律上の「訴訟能力の欠如」となり、裁判の訴え自体が無効となる可能性をも孕む。

 すでに判例上、理事会決議を経ていない提訴が無効とされた事例は複数存在する。理事長の印だけで法人を動かせるなら、もはや合議の存在意義は消え失せ、それは「公益」の看板を掲げた「個人経営」に他ならぬ。

 思い起こされるのは、武士が合議なしに刀を抜けば「謀反」となった時代である。それと同じく、理事長が組織の合議を経ずに剣を振るえば、それは「内部秩序の破壊」であり、法の正義を装ったただの暴挙に堕する。


四、訴訟という愚行が照らす、真の美


 しかし、ここにおいて我々はさらに一段深く思索せねばならぬ。そもそも――言葉の齟齬を、話し合いによってではなく、訴訟によって解決しようとする愚かしき姿勢は、およそこの国の美学からは決して生まれてこぬものである。

 ここは日本である。

 日本とは、和をもって貴しとなし、礼を重んじ、言葉に魂を宿し、沈黙にすら意味を認める国である。争いを好まず、話し合いの中にこそ光を見いだす国柄を誇る。そのような国で、言論を封じ、紙の剣によって正義を定めようとする者を、我々は決して看過してはならぬ。

 訴訟という手段を以て意見を封じる者に、真の正義は宿らない。それは、国家の魂を蝕む行為であり、公益法人という制度の信用を根底から掘り崩す毒である。


結語


 願わくは、この戦いが、制度の本義を照らし出し、公益法人が本来の使命を思い出すきっかけとならんことを。そして再び、この国が、言葉と礼と和をもって争いを乗り越える国であるという誇りを、我々が胸に刻むことを願ってやまぬ。

サマリア人さーん (71102)
日時:2025年05月08日 (木) 07時47分
名前:志恩

「サマリア人さーん、生きてますかぁーー!」

河野太郎みたい (71103)
日時:2025年05月08日 (木) 10時17分
名前:通りすがりの名無し

河野太郎が「これからは法的手段で批判者を訴える」と宣言してますね。
幼ないし、下品だし、愚劣だし、日本人じゃありませんね
いつから日本人はこんなにもアメリカかぶれになったんでしょうか?
裁判することをかっこいいと思ってる。
ばかなんじゃないだろうか?



Number
Pass
管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板