生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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| ただいま、阪田成一先生から私宛にお電話がございました。 (74481) |
- 日時:2025年12月04日 (木) 16時25分
名前:志恩
本日の裁判の結果、阪田成一先生が、
「勝訴」 という判決がおリました。
というお知らせでした。
つまり、社会事業団が、また「敗訴」しましたわけです。
思わず、阪田先生に 「良かったですね。おめでとうございます!!」
と申し上げました。
皆様にも、お知らせさせていただきます。
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| (74482) |
- 日時:2025年12月04日 (木) 16時31分
名前:一言
阪田先生おめでとう! しおんさん連絡ありがとう!
ところで判決は今回も却下でしたか? 棄却でなく却下なら大問題ですよ!
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| 一言様 (74483) |
- 日時:2025年12月04日 (木) 16時37分
名前:志恩
判決は、 棄却か、却下か、お電話して お尋ねしてみましょうかね。 お待ちください。
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| 正義は勝つ (74484) |
- 日時:2025年12月04日 (木) 16時49分
名前:通りすがり
正義は勝つ! 阪田先生おめでとうございました
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| 一言様 (74485) |
- 日時:2025年12月04日 (木) 16時49分
名前:志恩
今、阪田先生にお電話いたしまして、
「今日の勝訴の判決は、 棄却か、却下か、どちらでしたか?」 とお尋ねしましたが、
「それは、わからない。 今日、大阪裁判所から電話があり、 阪田さんが、勝訴しましたという 判決の、お電話でした。 それ以上のことは、書類で来ると思う。」
ということでした、近いうちに先日のように 公表されるのではないでしょうか。
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| (74501) |
- 日時:2025年12月05日 (金) 11時38分
名前:?
却下された訴えを控訴したんですね。 意味が分からないです いずれにせよ阪田先生おめでとうございました!
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| (74503) |
- 日時:2025年12月05日 (金) 15時00分
名前:宇治参拝
阪田先生の勝訴を知り嬉しくなりました。さっそく宇治に行ってきました。 本日の宇治はいつものように荘厳な宇治でございました。
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| 本日、阪田先生からお手紙が届きました。 (74504) |
- 日時:2025年12月05日 (金) 23時21分
名前:志恩
私は、最近、数回にわたって、トキ掲示板へ裁判関係の 投稿がございますと、プリントアウトして、 阪田先生にお送りさせていただいておりました。
本日、阪田先生からお手紙が届きました。 阪田先生のお手紙は、4日の裁判の結果が出る前の 12月3日に書かれたものでした。
阪田先生は、この度の裁判に至るまで、最初から最後まで 弁護士なしで、法廷に、被告人として立ち続けておられたと いうことが、本日のお手紙に、書いてありました。
それから、阪田先生の奥様でいらして、 昔の原宿本部時代に私の友達でもありました 亡き阪田紀子(のりこ)さんが、亡くなられてから、今年の 12月30日で、3回忌を迎えられます。
ですので、私は阪田先生宛に 奥様の御仏前にお供えくださいと申し上げて、 先日、和菓子セットをお送りしまして、
このトキ掲示板の元信徒さんが 立ててくださったスレッドの中から、 阪田先生にもご縁のあった山口先生、佐脇先生、林先生、 榎本一子先生、それから紀子奥様の親友で、私の部局の 後輩の女性二人と私の一緒に写っている昔の写真もコピーして それも、先日、お手紙に同封してお送りしたのです。
その写真をご覧になられた 阪田先生が、先生も、昔の懐かしい写真を数枚コピーして、 お手紙と共に、本日、送ってくださったのでした。
阪田先生からの、本日のお手紙は、便箋16枚もありました。
個人的なお話も書いてございましたが、原宿時代の 様々な先生方との思い出のお話も多々ありまして、本当は、 これらは生長の家の歴史の一つでもあると思いました。
私の場合は、平の職員でしたけれど、
阪田先生の場合は、 数々の要職を重ねていらしたお方なので、 私とは比べ物にならないほどの 貴重なお話も書いてございました。
トキ掲示板へ、本日阪田先生からいただいたお手紙の全文を ご紹介させていただきたいくらいですが、それができなくて、 とても残念に思っております。
徳久先生も山口先生も 阪田先生の恩師であり上司であった先生でした。 岡田純先生や榎本恵吾先生との懐かしい思い出話も 書かれてありました。
亡き紀子奥様は、結婚前の原宿本部時代は、 経理部に所属されていて 松本紀子さんというお名前でした。
経理部は、榎本一子先生が ご結婚前に原宿本部の渉外部に勤務されていて、藤原一子さん 時代の時、経理部と渉外部は、部屋が隣同士だったこともあり、 紀子さんは一子さんを大変慕っていらしたし、一子さんも、 紀子さんを可愛がっていらした関係だったそうです。
紀子さんは、私が所属していた白鳩会中央部の、私の後輩の 事務員である人と、親友でしたので、毎日のように昼休みに うちの部屋に遊びにきていましたので、私とも友達でした。
私は、大変いい時代に、生長の家教団本部に、 いさせていただけた身に余る光栄を思い、今更ながら 神様、谷口雅春先生に感謝の気持ちでいっぱいに なっております。

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| 宇治参拝様 (74505) |
- 日時:2025年12月05日 (金) 23時44分
名前:志恩
>宇治参拝ー
阪田先生の勝訴を知り嬉しくなりました。 さっそく宇治に行ってきました。 本日の宇治はいつものように荘厳な宇治でございました。<
志恩ー 宇治へ参拝くださり、誠にありがとうございました。
(阪田先生は、平成8(1996)年4月1日から、 生長の家京都第一教区教化部長 並びに 生長の家宇治別格本山理事に就任。
お住まいを、宇治市 羽戸山に移され、 宇治でもご夫妻で暮らしておられたのでした。)
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| 谷口雅春先生に、何か説明されている若い時の阪田成一先生。 (74509) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 10時19分
名前:志恩
九州総本山にて、 のちに温故資料館の館長を された阪田先生。
温故資料館にて、谷口雅春先生に 何か、説明されている時のお写真。
阪田先生は 昭和54(1979)年1月に「生長の家五十年史」の編纂を 山口悌治編集長のもと、編纂委員として、着手。
そのため、谷口雅春先生ご夫妻に 度々、直接お会いになって取材される機会に恵まれました。
阪田先生は、 「谷口雅春先生と人類光明化運動五十年の軌跡」を担当されまして、 昭和55(1980)年、「生長の家五十年史」を 完成させました。
阪田先生が 温故資料館の館長に就任されたのは 数々の要職を務めたのちの平成18(2006)年3月からでした。
昭和56(1981)年の時、(今から44年前) 谷口雅春先生、88歳 阪田成一先生、36歳
(谷口雅春先生は、昭和60(1985)年6月17日、 天寿を全うされ、ご昇天(満91歳)。
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| 高齢化社会 (74515) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 18時49分
名前:神の子
却下なのか棄却なのかもわからずに勝った勝ったと騒いでる。
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| 神の子様 (74520) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 19時53分
名前:志恩
>却下なのか棄却なのかもわからずに勝った勝ったと騒いでる。<
志恩ー
却下なのか棄却なのかは、間も無くわかること。
「勝訴しました」という件は、わざわざ、阪田先生ご本人から
お電話でお知らせくださったのですから、確かなことなのでは?
高齢でも、若くても、
このことは年齢に関係ないことでは、ないでしょうか?
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| (74521) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 20時08分
名前:?
却下でも棄却でも阪田先生が勝ちました 事業団は負けたんです
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| 連戦連勝 (74524) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 20時23分
名前:神の子
そうですか…じゃあ来年の裁判も頑張ってくださいな。
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| 志恩さんへ (74530) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 21時17分
名前:教団所属の本音の時代
阪田先生は『光明の音信』の頒布数を増やす考えはないのでしょうか。メールにて『光明の音信』をPDF化して添付する方法もあります。私は『光明の音信』購読者ですから、阪田先生が許可させるなら可能です。名簿管理が必要ならば、できます。
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| 教団所属の本音の時代様 (74532) |
- 日時:2025年12月06日 (土) 23時24分
名前:志恩
>阪田先生は『光明の音信』の頒布数を増やす考えはないのでしょうか。メールにて『光明の音信』をPDF化して添付する方法もあります。私は『光明の音信』購読者ですから、阪田先生が許可させるなら可能です。名簿管理が必要ならば、できます。<
志恩ー いいご意見をありがとうございます。 私も本音の時代様と同じ気持ちで、「光明の音信」を もっと拡散すればいいと、以前から考えておりましたので、
東京で裁判が行われていた時、 私は、5回も法廷に傍聴に行きましたが、
毎回、裁判が終わりました直後に、私以外にもう一人、 その当時は、学ぶ会所属で、学ぶ会だか、社会事業団だかの 講師の身の上でありながら、 私と一緒に阪田先生を応援に、傍聴に来てくださっていた Sさんという女性が、いらっしゃったのですが、 阪田先生とその女性と私は、裁判後に、
裁判所の面接室に移動して、毎回、約1時間ぐらいお話 していたのです。
私も、その時は、「光明の音信」を、 もっと多くの方達が読める ようにしたらいいのでは、と考えておりました。
それで、トキ掲示板へ「光明の音信」を、 そのまま載せさせていただくことを、 阪田先生に、ご許可していただきたく、 熱心に先生を説得致しましたが、 阪田先生は、決して、首を縦には、振られませんでした。
阪田先生は、「僕は、「光明の音信」は、誰にでも読んで もらいたいとは思っていません。 僕の書くことを理解してもらえると 僕が思える人だけに、僕は、お送りして読んでもらいたい のです。 今は、毎号、500部ちょっと発行している、 それでいいんです。」
と、きっぱりおっしゃって、どんなに拡散することを 説得しても、そのお考えは変わりませんでした。
それで、阪田先生は、これ以上は増やすお考えは、 お持ちでないことが、わかったのでした。
お電話をおかけした時も、先生は、僕は80歳になったと ご自分で、おっしゃいました。 疲れやすくなったそうですから、 いつまで「光明の音信」の発行を続けられるかも、 わからないことだと思っております。
-------------------------------- 訂正; 上記の文で、裁判の5回とも、裁判後に、阪田先生と私達は、お話し合いを したと書きましたが、
落ち着いて思い出してみましたら、5回のうちの最初の2回ぐらいは、 裁判が始まる15分か20分ぐらい前に 阪田先生はいらして、裁判所の法廷室のドアの前の廊下に並ばれるので、
私たちは、いつも阪田先生よりも、先にそこへ着いて並んでいましたから、 5回のうちの最初の2回ぐらいは、裁判前の15分間ぐらいでした 阪田先生とお話しさせていただいたのは。
その頃は、阪田先生の奥様も先生とご一緒に上京されてました。そして、 裁判所の上の階のお部屋で夫の裁判が終わるのを待っていらしたので、 阪田先生は、「上で、家内が、まってますので失礼します。」と私達に おっしゃって、裁判後は、足早に、去っていかれたのでした。
3回目くらいからでした、 奥様は体調を崩されたみたいで、 阪田先生がお一人で上京されるようになりました。
それからでした。 裁判後に裁判所の面会室で私たちと、ゆっくりお話しされてから、 帰られるようになられましたのは。

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| >教団所属の本音の時代様 (74532) (74559) |
- 日時:2025年12月07日 (日) 20時50分
名前:教団所属の本音の時代
阪田先生は購読者を増やす考えはないのですね。残念ですね。 そして、自分は購読する機会を与えられてラッキーだったと思います。阪田先生のお考えをカタチを変えるか、間接的に知らしていきたいと思います。
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