投稿日:2014年08月15日 (金) 19時11分
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みなさん、グッド・イヴニング。 お盆、いかがお過ごしでしょうか。 世間もドラも、すっかりお休みモードに入っていますね。 そんなわけで、申し訳ありませんが、書き込みも短縮バージョンにさせていただきます。
さて、『花子とアン』、今週は、はな、蓮様両家族の子供を巡る物語でした。 ドラマは、青凜社ができたと思いきや、あっという間に2年が過ぎ、大正15年の初夏になりました。 初夏が好きですね。(笑) そういえば、今日、家の前の電柱に、青凜社の広告を出しているのが、映りましたね。 もったいないなぁ。(笑)、
新聞を神蔵さんと英治が分け合って読んでいるのが、微笑ましいですね。 その横で、はなが、自分の子供を歩ちゃんって呼んでますよ。 かよは、歩って呼んでいるのにね。(笑) それどころか、突然ダーリングボーイって呼び始めましたよ。 ジュリーの歌が、流れてきますね。(笑) 歩の方は、パパ、ママからお父ちゃま、お母ちゃまに変えたんですね。 パパママはないけど、だからってこれもどうよ、って気がしますけどね。(笑)
そして、なんとかよは、自分のお店を持っていました。 必死に働いたからって、わずか2年で持てます?(笑) 食堂と屋台の店員ですからね、給金も知れているでしょ。 当然、借地、借家でしょうけど、それでも無理でしょ。 大阪から、倉田さんでも引っ張ってきたのなら、話は別でしょうけど。(笑) もっとも、これまでのこのドラマの流れからして、土地や建物の所有形態なんて、この作家先生は、何も考えていないんでしょうね。(笑) 場所は、大森なんでしょうね、今日、英治がはなを探すとき、走っていける距離だもんね。(笑)
店の名前は、『カフェータイム』、郁弥の腕時計から名付けました、多分。 そして、なんとその郁弥の腕時計が動き出しましたよ。 愛くんの腕時計も、新生ホテルサザンアイランドのプレオープンの日、両親と妹の誠ちゃんが愛くんと待田家の絆を取り戻したときに動き出しました。 こちらは、そのすぐ後に糸電話中の愛くんが倒れてしまうんですけど、かよには、いいことがあるといいですね。
『カフェータイム』のプレオープンというか、開店祝いのパーティーが、こじんまりと行われました。 やってきたのは、村岡家の他に、蓮様の家族と醍醐さん。 このドラマの常連というか、はなの知り合いばっかりじゃん。(笑) かよは、はなが修和女学校の最上級生となった大正2年に工場を脱走して東京にやって来てから、かれこれ13年になりますが、こちらで自分が作った友達は、誰もいないということなのでしょうか。 それとも、そちらは、別の機会に、ってことなのかな。 吉平とふじは、呼んであげてもバチが当たらないと思うぞ。 その意趣返しに、わざわざ歩の海水浴のために、上京したのかも。(笑)
そうそう、蓮様には長女が生まれ、ふじ子と名付けられました。 ふじのような優しい女性になってほしいとの願いを込めたそうで、二人目なので、蓮様が名付けたのね。 これって、タケオ母への当てつけだけど、本人には絶対分からない、見事な仕返しですね。(笑) もっとも、帰りが遅くなってしまい、夕飯を早く作れ、としかられちゃいましたけど。 蓮様、かよの指導で、タケオ母の口に合う料理が作れるようになったんですね。 そうじゃなきゃ、自分の分だけを自分で作って、勝手に食べてますよね。(笑)
話は戻りますが、パーティーの席には、ビールやワインも出されていました。 純喫茶じゃないのね。(笑) コーヒーにしても、ドミンゴでは、自分で淹れていたわけじゃないでしょうし、練習したんでしょうね。 そのパーティーの席で、なんと醍醐さんが蓮様のことを書いた記事を本としてまとめて出版したという報告がありました。 その本を配りましたが、全員じゃなく、家族ごとに1冊ずつ、という計算高さに笑いました。(笑) 青凜社からじゃないのは、文芸東洋で連載していたから、そこの出版社から出さざるを得なかったんでしょうね。 はなも英治も、そんなことは全然気にせず、素直に喜んでいましたね。(笑)
そして、ナントその記事がきっかけで、蓮様も小説を出版していました。 しかし、青凜社には編集者もいないし、きっと別の出版社からなんでしょうね。 そういうところにこだわらないのが、はならしいところなんでしょうね。 こういうところから、友情だけじゃ成立しない、社会の厳しさを学べばいいんでしょうけど、きっとできないのよね。 友情といえば、愛のため大胆な事件を起こしてくれたおかげ、という醍醐さんと、女学校時代から結婚結婚とそればかりいっていたわよ、という蓮様の対決は、凄かったですね。(笑)
そして、大正15年の夏を迎えたある日、英治に歩、おまけに神蔵さんまで、海水浴のためのてるてる坊主を作っています。 そこに、吉平とふじが、しつこいですが、意趣返しのために登場。(笑) で、予想どおり、翌日は、篠突く雨のため、海水浴は中止に。
ふてくされる歩のために、畳の上で泳ぐというか、もがく吉平と英治。 最近、こういう笑えないというか、役者さんが気の毒になるシーンが多すぎ。 その二人を冷ややかに見つめる歩に、ほっとさせられました。 これで、歩も畳の上を転がって海水浴万歳ってなったら、目も当てられませんよね。
その頃、宮本家では、外から帰ってきた純平が、手を洗わずに饅頭を食べようとするのをタケオ母が見つけ、しかりました。 甘い祖母が多い中、さすが、と感心してたら、それにしても愛子はいい子だねぇ、ってよもやの差別発言。 悪気はないんでしょうけど、こうした言葉に子供は敏感だからねぇ。 純平は、自分が生まれた事情がふじ子とは違う、と薄々感じちゃいましたが、これが伏線になっていくんでしょうね。
一方、部屋に閉じこもる歩のために、はなが物語を聞かせ、英治がイラストを描きました。 そうそう、いつもイラストを描く回には、アニメーション指導ってクレジットが、タイトルバックに出るんですけど、動かない絵にアニメーションっていわれてもね。 もう少し、あの表現、なんとかならないかな。
お話は、雲が自らを犠牲にして、人々に雨をプレゼントする、というものでした。 はなは、大正10年の夏に相当お腹が大きくなっていたので、秋までには、歩を出産しているはずです。 少なくとも、絶縁状騒動の10月には生まれていました。 8月生まれくらいじゃないでしょうか。 というわけで、現在は5歳くらいになります。
それで、物語に出てきた、想像の翼とか、下界の人間とか、そんな言葉が理解できるとは思えませんけどね。 いわんや、吉太郎がいった、三度の飯より本が好き、なんて分かるわけないじゃん。 神童だ、と英治が吉平のお株を奪う発言をするのも、むべなるかな、ですね。(笑) 雲が、お別れにお空の虹になる、この歩の発言が、悲劇の伏線だったわけですね。
結局、次の日曜日、海水浴に行く約束をしました。 ところが、梶原から、『VOICES OF THE BIRDS』を10日間で翻訳するよう頼まれ、はなは引き受けてしまいました。 はなは、『小鳥のさえずり』と訳していましたね、お見事。 梶原は、オリンビックの水泳選手だったんですよね。 この、翻訳を依頼するときの、正座をしている太もも、異常に太かったですね。 やっぱりそうだったんだ、と納得させられましたよ。(笑)
ところが、というか、皆さんの予想どおり、海水浴には行けませんでした。 理由は、翻訳中に、はなが居眠りしてしまったこと。 結婚記念日の須藤さんの代わりに校正を安請け合いして、居眠りした場面と重ねてきました。 そんな彼女に、昨夜ほとんど寝てないんだろ、無理するなよって、英治とんちんかんすぎ。 十分に寝てますから。(笑)
海に行かない、と拗ねた歩は、英英辞典に落書きをし、はなを怒らせました。 お父ちゃまからもらった大事な辞書、っていってるけど、本の部屋から捨てようとして、水浸しにしちゃったんだから、どのツラ下げて、って気もしないでもないけど。 まぁ、当時は若気の至り、って奴だったのよね、仕方ないよね。(笑) それに、辞書に落書きすることは、いけないことだからね。
そこに歩のお気に入り、吉太郎がやってきました。 かよは、かよ叔母ちゃんで、吉太郎は呼び捨てかい。(笑) 二人で鉱石ラジオ作り、これ、ラジオ製作指導の人がついていたので、タイトルバックでネタバレになっちゃいました。 もっとも、詳しい人なら、一目見てラジオだって、分かるんでしょうけど。
そういえば、あの変な歩の歌、歌唱指導がついているのよね。 しかも、『あまちゃん』と同じ人。(笑) 生活のためとはいえ、今回の指導は、気の毒ですね。(笑) あっ、スコット先生の歌の指導も、もちろん、この方でした。 当然、はなの酩酊『きらきら星』もね。(笑)
そして、またまた醍醐さんが弁当持参で登場。 はなが居眠りしなかったら、海に行っていて留守、お弁当が無駄になるところでしたね。(笑) みんなで食べてたら、はなまでやってきました。 こうしたところに、仕事に対する真剣みが感じられないのよね。 一区切りつくまで、空腹をこらえて、こぴっと翻訳がんばれし。
卵焼きを食べた吉太郎の表情が、変わりましたね。 醍醐さんも、機械に詳しい人が、好きなようです。 どうやら、二人にも幸せが訪れそうです。(笑)
そんな中、大正15年8月31日、歩が熱で倒れてしまいました。 高熱でお腹も下しており、駆けつけた町医者に疫痢と診断され、翌9月1日払暁、あっけなく帰らぬ人となってしまいました。 シャボン玉を飛ばし、入道雲を見つめてた関東大震災の日から、ちょうど3年後のことでした。
疫痢って、要するに赤痢のことですよね。 伝染病なのに、あの医者、悠長でしたね。 最初から治療をあきらめていたみたいだけど、普通は、大きな病院に搬送するよね。 当然、家族も、隔離すべきですよね。 母親にも移るかも知れないのに抱いてあげて、なんていうかな。 死亡後もそのまま放置、大森で疫痢が大発生したら、あの町医者、切腹ものですよね。
はなたちも、疫痢と診断されたら、取りあえず、病院に連れて行けばよかったのに。 歩の目がきれい、って誉めてましたけど、それが致命的な症状だったんでしょうね。 そこだけ、ちょっとうるっときちゃいました。 はな、というかおそらく英治が、蓮様に電報を打ちました。 走っていける距離なんだから、直接、伝えればいいのに。(笑) タケオ母が、朝ドラだねぇ、急にいい人になって、蓮様に駆けつけるよう、促しました。 疫痢だと知っていても、同じように行かせたかなぁ。 よけいに、強く勧めていたりして。(笑)
蓮様は、駆けつけましたが、かよや吉太郎の姿がありません。 彼らにも電報、送ったんでしょうね。 吉太郎は、仕事中で受け取れなかったとしても、かよは何をしていたんでしょ。
梶原さんは、偶然、原稿を取りにきただけなんでしょうね。 普通なら、上がって、元部下のはなにお悔やみをいうべきでしょうが、玄関先で帰りました。 疫痢のにおいを嗅ぎつけたのかも。(笑) 危険が去ったのを察知したのか、葬式には図々しく出ていましたね。(笑)
蓮様は、この時のはなのことを歌にして詠みました。 あすよりの 淋しき胸を 思ひやる 心に悲し 夜の雨の音 美輪さん、この歌に続いて、さようなら、とごきげんようを省略しました。 美輪さんも蓮様も、よるのあめのおと、と詠んでいましたが、8音だし、よるのあまのね、の方がいいんじゃないでしょうか。(笑)
そして、葬儀の日、あらら、蓮様が親族席に座ってるじゃん。(笑) 喪主といってもいいくらい、堂々としていました。 一方、村岡家側は、親類・縁者誰一人来ていませんでした。 この不自然さは、この上ありませんが、ドラマだから致し方ないんでしょうね。 葬儀中、ツクツクボウシとミンミンゼミが鳴いていたけど、ミンミンゼミは、もともと山に生息するセミなので、当時、大森のような海岸近くの平地には、ほとんどいなかったんじゃないかな。 アブラゼミにしておけば、無難だったのに。(笑)
吉太郎は、襟に喪章を付けていましたね。 軍服の場合、ああいう風にするのね。 その吉太郎、鉱石ラジオを抱え、大泣きしています。 確かに歩に慕われていたとはいえ、ちょっと泣きすぎと思いきや、醍醐さんと接触させるためだったのね。(笑) 本棚に置かれた吉太郎作の船のおもちゃが、切ないですね。 そういえば、白いダルマの置物が、二つ並んでいますよね。 あれって、こっちじゃ見かけないけど、甲府地方独特のものなのかな。
翌日、蓮様が、はなの心に寄り添った歌を届けてくれました。 これに、元気をもらい、はなは、翻訳を再開し、無事に完成させました。 いつもは最後に、「完」と書くのに、今回は、「終」でした。 この辺りに、歩を亡くした心の変化が表れている、なんて訳ないですよね。(笑)
その原稿を英治が、梶原に届けました。 その中に、かわいいお宝の歩ちゃんへの思いを綴った原稿用紙が、混ざっていました。 普通、紛れ込みまないっしょ、っていいたいけど、尋常じゃない精神状態ですから、あり得るかも。 でも、悲劇のヒロイン振るため、わざと挟み込んだ可能性も捨てきれません。(笑)
翌朝、はなは、村岡家から姿を消しました。 はなは、散歩してきた、といいましたが、神蔵さんは、自殺を疑いました。 そんなはなを慰めるために、蓮様の発案で、海に出掛けました。 自分を責めるはなに、英治が、歩がはなを選んだ、と励ましました。 選択ミスってことも、あるんですけどね。(笑) そして、青空に架かった虹を見て、これから数多くの物語を子供たちに届けることを決意しました。 砂は乾ききっていたし、虹ができる気象条件じゃなかったけど、まぁ、いいですね。(笑) ついにというか、やっとというか、はなが本業に邁進しそうですね。 とにかく、今後の推移を見守りたいと思います。
さて、第19週の関東地区の最高視聴率は、出版・印刷会社の設立資金を工面するため、はなが、お静さんのように着物を売り払った7日(木)の25.3%と25%台を回復、もちろん第1位です。 蓮様が、洗濯物を叩くとしわが伸びるとか、拭き掃除用の水にお酢を少し入れるといいとかを、かよから学んで感激した5日(火)も25.2%と高視聴率でした。 ついでに、『思い出のメロディー』は、15.2%で第16位でした。
関西地区の最高視聴率は、伝助が、神戸の博覧会で会うた金髪の踊り子からの手紙を、はなに翻訳してもらった5日(火)の23.1%で、台風関連のニュースを抑え、第1位でした。 『思い出のメロディー』は、16.4%で第13位でした。 名古屋地区の最高視聴率は、醍醐さんが、カフェータイムで、これからは仕事以外に結婚相手を見つけることにも頑張ると宣言した9日(土)の24.8%で第2位、これは台風の影響でしょうね。 第1位は、10日(日)の『おはよう日本』の26.8%、『思い出のメロディー』は、18.8%で第15位でした。
『軍師官兵衛』の第32回は、関東地区が16.1%で第14位と急降下しました。 ちなみに八重の第32回は、関東地区で13.9%でした。 第32回までの全平均は、官兵衛15.98%、八重15.12%です。 名古屋地区は、18.4%と前週より1ポイント近く上がりましたが、順位は第17位と大きく下がってしまいました。 関西地区は19.2%と前週から1.5ポイントも下がり、第6位に後退しました。
『花子とアン』、あんまり短くならなかったので、官兵衛で、帳尻を合わせよっと。(笑) しかし、今回も、いろんな出来事が、台風11号のように駆け抜けていきましたね。 小牧長久手は、官兵衛が絡んでないので分からないでもありませんが、大活躍した四国平定まで、速攻でしたね。 おまけに、いつの間にか、大坂城も完成しちゃってるし。(笑) ところで、官兵衛がもらった宍粟郡、今の宍粟市って名前、生まれて初めて耳にしましたよ。 合併して新たに名前を付けた市ならいざ知らず、こんな歴史のある街の名前を知らなかったなんて、汗顔の至りでがす。
そういえば、みんな小牧長久手といっていましたけど、当時は、そんな風にはいっていませんよね。(笑) ところで、備中で九郎右衛門が官兵衛と小六に、尾張長久手でお味方大敗、と注進したのに気付きました? そう、彼だけは、小牧じゃなく尾張といったのよ。 一応、一連の合戦の中で、池田恒興らが討ち死にした長久手の戦いのことを伝えようとした、と受け止めることができます。 しかし、なんで前川さんが、このシーンだけを、わざわざ尾張長久手と表現する必要があるのか、疑問です。 私は、単に九郎右衛門が台詞を間違えたけど、筋が通っていたので流した可能性が高いと睨んでいます。(笑)
そうそう、吉太夫って、まさか官兵衛が妾に産ませた子供じゃないですよね。(笑) 誰の子供なんでしょ、気になって、夜も8時間しか眠れません。(笑) あの牢番の息子、竹松も登場しませんね。
中国の割譲を巡って、毛利家とあんな葛藤があったとは知りませんでした。 もっと、じっくり観たかったなぁ。 でも、今回は、職隆のおかげで、ほのぼのとした、とてもいいドラマだったと思います。 メインは、長政の成長物語でしたね。 職隆や官兵衛の言葉に触れ、次回からは、しゃきっとするんでしょうね。
職隆は、いつもほんわかとした雰囲気を醸し出しつつも、いいことを沢山いってくれたので、いなくなるのは残念です。 でも、ピンピンコロリ、人間としてこれ以上に贅沢な人生は、ありませんよね。 お福が糸に、ケチじゃなくて倹約、と説いた場面もよかったですね。 もうすっかり、黒田の家風に染まったようです。(笑)
しかし、予想どおり、小牧長久手は、官兵衛がいなかったから負けたという流れでした。 それどころか、今回は、秀吉が再度徳川を攻める、というエピソードまででっちあげて、官兵衛を持ち上げちゃいましたね。(笑) あの頃の秀吉なら、家臣に自分の非を認めるなんてことは、もうしないんじゃないですかね。 でも、このエピソードで、三成と官兵衛の間に亀裂を生じさせたし、なかなかよかったんじゃないでしょうか。
秀吉は、源氏姓じゃないため征夷大将軍になれない、そこで、近衛前久の養子になって、公家の最高位関白に狙いを変更したのは見事でしたね。 官兵衛は、あくまで戦術家ですから、こうした知恵はありません。 このドラマでは、三成が手掛けたかのように描かれていますね。 実際は、この策を編み出したのが、今出川晴季という人物なんでがす。 公家でありながら、稀代の策略家、秀吉は、いい人をブレーンにつけました。
天下が統一され、戦がなくなれば、官兵衛のような軍師よりも、彼や三成といった政治のためのブレーンが必要になります。 義経が軍隊の大将として平家を滅ぼせても、頼朝のように国を作り上げる政治家としての資質がなかったのと同じですね。 その辺りを描いてくれると、このすきま風の意味が分かりやすくなるんですけどね。
はぁー、結局いつもの週と、あんまし変わんなかったなぁ。(笑) 書き始めると、あれも書こう、これも書こうってなっちゃうのよね。(笑) 次回は、官兵衛が、洗礼を受けるみたいですね。 このネタも、あっさり終わっちゃうのかな。(笑)
それでは来週も、先を見通しつつも警戒されることなく、裏切られても信ずる気概で太刀には手を掛けることなく、時が来るまで育つのを待ち、摘み取る頃合いを見極め、三河衆の結束の強さを見習って心を一つにして、こぴっと仕事がんばれし。
「恐れながら、このまま過ごした日の因縁にとらわれ日陰の道を進まれるか、それとも新たな望みが待ち受ける日の当たる道を歩まれるか、選ぶのは茶々様ご自身でございます」 ごきげんよう さようなら |
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