投稿日:2016年02月05日 (金) 18時17分
 |
みなさん、こんばんは。 立春も過ぎ、寒さの中にも、春の兆しをいろいろ感じられる時期になりましたね。
さて、今週の『あさが来た』は、惣兵衛さんと栄達さんも久し振りに登場してくれましたね。 はつが出ると、ドラマが盛り上がるのよね。(笑)
では今回も、先週の土曜日から振り返っていきましょう。 明治21年、加野屋では、あさが、黒い洋服に身を包み、化粧も施していました。 関取みたいとか、ひげが生えている、といった陰口を封印し、信用を高めるためなのね。 でも、男勝りのイメージの方が、男性にとっては信用できるような気が。(笑) 新次郎は、錦絵の貴婦人みたいとでれでれです。(笑)
明治21年、両替屋加野屋を母体に加野銀行が誕生、店先での大阪締めで新たな旅立ちを祝いました。 少人数で寂しかったですね。(笑) 渋沢は新聞で、はつはあさからの手紙でそれを知りました。
縁側では、よのが自分で買った金魚を、千代、うめ、かのと眺めているところに、さちがやってきました。 あさは、金魚は贅沢、と買ってくれないんですね。(笑) そこへ旅姿の雁助が、現われました。 雁助は、あさへの不満を口にする千代に、自分も苦手だったが、どこか楽しかった、母親が働いている背中をよく見ておけ、と言い残しました。
そして、店の表からではなく、勝手口から出て、加野銀行の看板に一礼して、一人去って行きました。 見送りを避けて、わざとみんなが盛り上がっている時間帯を選んで、出て行ったのね。 でも、立つ鳥跡を濁さず、円満退社なんだから、堂々とみんなに見送られてほしかったなぁ。 こんな去り方じゃ、もう戻って来られませんよね。
晴花亭では、あさが榮三郎と平十郎に、店のみんなが夜、商いについて学べる教場を作りたい、と提案しました。 渋沢の教育が大事、という教えを胸に、加野屋が費用を全額負担する、きっと何倍にもなって返ってくる、と決意を語りました。 美和も、総理や渋沢が、女子の高等教育の奨励会作って、学校を開いた、といいました。
新次郎の近況を尋ねる美和の問いに、あさは、最近は尼崎に通っており、紡績会社の初代社長に祭り上げられそうだ、と語りました。 あさは、自分が苦労して手に入れようとしている信用を、新次郎は身に付けている、とうらやましがりました。
その晴花亭では、成澤泉が、妻、カナエと食事をしていました。 カナエは、『ちりとてちん』の順ちゃんでがんすな。 『カーネーション』の駒ちゃんや『ごちそうさん』の民子が有名でがんすな。 『マッサン』では政春の養子、悟の妻、『純と愛』では、純が担当する、父親に結婚を反対されていた花嫁役でがんしたね。
成澤泉は、新潟での校長と牧師をやめ、アメリカに留学しようとしていました。 自分で『婦女子の務め』という本を書いていましたし、インテリなのよね。 後にあさと絡んでくるのね。
銀行が出来て3年後、加野銀行は、大阪で10本の指に入る大きな銀行になりました。 銀行の裏手に移った商事部門の加野商店も、経営が順調に進んでいます。 榮三郎とさちの夫婦にも女の子が誕生、近くに新居を設け、そこで一家で暮らしています。 女の子の名前はないのかな。
よのは、正吉の思い出の詰まった座敷から離れられません。 それにあさと千代の仲が険悪となり、千代と一番仲がいい自分が一緒にいないといけない、と主張しました。
一方、新次郎は、予定どおり、加野商店の社長だけでなく阪神紡績の初代社長ともなり、次第に大阪財界の顔となっていきました。 偉くなっても、あの飄々としたところがなくならないのが、さすがですね。 そのおいどを叩いているのは、あさです。 あさは、銀行はもちろん、九州の炭坑にも頻繁に出向き、ますます精力的に働いていました。
そんなある日、クマがうめに、あさの記事を書くため、新聞記者が取材に来る、と驚きながら語りました。 うめは、中身は変わっていない、と答えました。 それを聞いた千代が、あさのどこがえらいのか、あんなおなごにだけはなりたくない、と毒づきました。 それを背後で聞いていたあさが、売り言葉に買い言葉、千代がどんなおなごになるか楽しみだ、と返しました。 本当に大人げないというか、あさは中身は変わっていませんね。(笑) かつての炭坑を巡る争いで雁助としたように、今度は千代とにらめっこを始めました。
明治24年、加野銀行は、堺や神戸などに支店を増やし、順調に成長していました。 支店長は、誰なんでしょうね。 平十郎は支配人だし、加野屋の人間を教育しても3年やそこらでは無理でしょうし、渋沢に頼んだか、平十郎のツテかで、どこかの銀行からヘッドハンティングしてきたんでしょうね。
そんな加野屋では、千代が自分の着物をよのと選んでいました。 千代は、これなんか、はんなりしてて、よろしいなぁ、と花柄を手にとっていました。 惣兵衛がはつに着物を贈ったときも、彼女が選んだ露芝を、はんなりとしているようで鋭さがある、と賛同してくれたんですよね。 着物は、はんなりが、評価基準の一つなのね。(笑)
そこへ帰ってきた新次郎に、うめは、御一新で潰れかけた老舗を女だてらに盛り立て銀行まで成功させた実業家として、あさが新聞記者の取材を受けている、と説明しました。 新次郎が、あさはずっと表に立って頑張ってくれた、というと、千代は、家のことはよのやうめに任せっぱなしだ、と批判しました。
よのは、あさが何年も掛けて徳川の時代のような大きな店に立て直してくれた、といい、新次郎も、かいらしい着物を着られるのも御一新を乗り越えさせてくれたあさのおかげ、とフォローしました。 しかし、千代は、明治生まれの自分は、御一新も徳川様も身をもって感じられない、と反論しました。
新次郎たちは、世代の違いを実感し、驚きますが、それを聞いたあさが、激怒しながらやってきました。 あさは、奈良の都も平安や戸の世も、明治の御代と地続きだから、歴史の勉強は国の成り立ちを知るために大事だ、と諭しますが、千代に、話が面白くない、校長の朝礼での説教と一緒だ、と一蹴されました。 うめは、 昔はけったいやといわれていたあさの話が面白くない、とけなされるのを聞いて、思わず笑いました。
あさは、新次郎と二人きりになったときに、大人げなかったことを謝り、どこで育て方を間違えたのか、と口にしました。 立派な部屋を与えすぎなのよね。 一人部屋にベッドって。 だから、つけあがるのよね。 これは、あさに分があるから、ガツンとやらないと。
あさは、新次郎から尼崎の土産としてテケツ、鉄道乗車券をもらい大喜び。 テケツは、おそらくチケットがなまったものなんじゃないでしょうか。 切手のように、スクラップして集めているのね。 このあたりの趣味からして、千代とは相容れませんね。(笑) 新次郎は、うん、すん、といっているうちに、話がまとまった、といいました。 最近は、これに、へぇも混ぜている、この言葉の使い勝手のよさに気付いた、と話しました。 この三つがあれば、自分が社長でもなんとかなるって、どんな会社やねん。(笑)
このころの大阪は、新次郎が手がけた紡績会社をはじめ、さまざまな産業が急成長、後に、東洋のマンチェスターと呼ばれるほどに、発展していきます。 そしてその町を歩く、洋装のあさと着物姿の新次郎の仲むつまじい姿が、盛り上がる商いの都、大阪の名物となりました。 あさは、綿花を紡績会社に卸す商いを新たに始めており、インドやアメリカからの輸入を検討していました。
また、あさは念願の、従業員が知識と道徳を学ぶ教場をつくり、平十郎が商いを教えていました。 平十郎は、不景気な今、腰を軽くして、すぐさま動くことが肝要だ、と教えていました。 あさは、千代にも学ばせたいと思っていますが、興味がありません。
榮三郎は、あさは、千代が高等小学校を出たら、自分のように家の商いをさせようと思っているのじゃないか、といいましたが、嫌、冗談じゃない、と取り付く島がありません。 そんな榮三郎も、さちを学ばすことには難色を示しました。(笑) 新次郎が千代に、どんなおなごになりたいか、と聞くと、おばあちゃんやさちのようないいお嫁さんになりたい、といって、よのを喜ばせました。 続けて、はつのような優しいお母ちゃんになりたい、といいました。
うめは、あさが、もっともっと銀行を大きくしたい、と話すのを聞いて、大きくなり続けなければいけないのか、と尋ねました。 あさは、現状に甘えているうちに、目新しいことをやる銀行が出てきたら蹴落とされてしまう、それに、それがなかったら、自分が何に向かって進んでいけばいいか分からない、と答えました。 とにかく、走り続けていないと不安なのよね。 その気持ち、分かるような気がします。
そこへ新次郎が、藍之助を連れて、帰ってきました。 藍之助は、加野銀行で働かせてくれ、と頼みました。 あさが、家族と相談した結果ではつも許したのか、と念を押すと、藍之助は、はい、と答えました。 藍之助は、父親も代々続いた両替商とは違う新しい道を選んだ、子供にも自分の道を選ぶ権利がある、と主張しましたけど、これが彼なりの正当性なんでしょうね。 あさは、みんなに相談してみる、もし雇うとしても丁稚奉公からだ、と言い含めました。
寝室であさが、家出をしてきたと思う、というと、新次郎も、惣兵衛やはつから知らせがないのがおかしい、と同意しました。 新次郎が、むげに追い返して行き方知れずになったら困る、というと、あさは、とりあえず働かせながら様子を見、はつに手紙を出すつもりだ、と答えました。 新次郎は、惣兵衛が家出癖を持っているだけに、そのDNAを受け継ぐ藍之助が心配なんでしょうね。(笑) 翌朝から藍之助は、行員見習いとして、加野銀行で働き始めました。
あさが、藍之助は家の開いている部屋で泊まらせるつもりだ、というと、よのは、家が賑やかになる、と喜びました。 よのは、藍之助は山王寺屋と今井屋の子供だから、百姓より銀行が合っているのでは、というと、あさも、小さい頃に来たときも、パチパチはんで遊んでいたことを思い出しました。
千代は、高等小学校の4年生、今の中学2年生になっていました。 あさと新次郎は、千代の先生に進路相談で呼ばれ、学校にやってきました。 先生は、千代は勉強熱心ではないが、成績が悪いわけでもなく、特に国語とそろばんは、組でも上位だ、と語り、初耳のあさと新次郎は、驚きました。 先生は、両親として、これからの身の振り方、卒業後の進路をどのように考えているのか、と尋ねました。 帰り道、あさは新次郎に、進路という言葉は夢が広がる、自分が千代の頃は嫁入り修行ばかりしていた、というと、新次郎は、自分の所しか進む道がなかった、と笑いました。
銀行では昼休み、藍之助が平十郎に、銀行で働く者にとっての大事な心構えを尋ねました。 平十郎は、嘘をつかないことだ、固められた嘘で人の仲がよどむ店は、金の価値もよどむ、といいました。 続けて、自分も加野屋に来たとき、みんなが隔てなく声を掛け合う風通しのよさやあさの裏表のない堂々とした人柄に感じ入り、隠しごとがないとみて、ここで働きたいと思った、といいました。 嘘をついている藍之助は、苦しげな表情を浮かべました。
平十郎は、かつての銀目廃止による大騒ぎの時も、あさは腹を据え、客の話を聞いて銀目手形をお金に換えてあげた、それで食いつないだ商人も多かった、といいました。 それを聞いた榮三郎は、その時の恩を感じ、加野銀行に預けてくれる人も多い、後藤屋も、当時は吹けば飛ぶような古着屋だったが、その時の金で繕い物を始めたおかげで、船場一の仕立屋にまでなった、といいました。 平十郎は、先代までが守り続けた250年の伝統と、新しい大阪の町でも信用を保ち、それに加えて嘘偽りのない風通しのよさ、これが加野銀行、信用第一、これほどの強みはない、と付け加えました。
店の表では、藍之助と千代が、再会を果たしていました。 藍之助は、今はいとことは立場が違う、お帰りなさいませ、お嬢さん、というと、千代は戸惑いました。 千代が、はつのことを聞くと、藍之助は、元気だ、とためらいがちに答えました。
店では、新次郎が随筆のことを尋ねると、あさは、商いをしているおなごの代表として、日々思うことを連載するよう頼まれた、と答えました。 新次郎は、あさの手紙の文章は要点が分かりやすいので好きだ、といいました。 あさは、宣伝代の節約になる、と平十郎から受けるよういわれていることを話すと、新次郎も、あさが前面に出た方が親しみが湧く、駅でも、加野銀行はおなごがいるから入りやすい、と話している人がいた、といいました。 これが、無意識ながらも、女子行員採用を決めるきっかけとなったのね、きっと。(笑)
新次郎は、あさに、千代がこれからどうなってほしいのか、と尋ねました。 あさは、いつかは加野銀行で一緒に働いてほしいが、それは自分の勝手な願い、藍之助がいうように自分の道を選ばさなければならない、そのためにも女学校に行ってほしい、といいました。 驚く新次郎に、あさは、多くのことを学ぶことは、千代がいろんな道に進むためのテケツになる、といいました。
あさは、港に船がたくさん浮かんでいても、昔は、嫁や奉公などおなごの進路は限られていたが、今は、いろんな航路が開かれている、といいました。 そして、その例として、ピアノやバイオリン弾き、学校の先生、医者、看護婦などを挙げ、そのためにも、より多くのテケツを持つには、高等女学校を出た方がいい、主張しました。
この会話をうめや藍之助と共に聞いていた千代は、おなごの方が向いている仕事が多くあり、そんな道を自分で選んで進めるのは夢がある、というあさに、それは母親の夢だ、と抗議しました。 そして、千代は、自分は女学校に行く気も家の仕事を手伝う気もない、と言い捨て、部屋にもどっていきました。
新次郎はあさに、テケツのない時代に生まれたのに、よく健気に船を漕ぎ出した、と感心しつつ、難破船にならなくてよかった、といって笑いました。 うめも、難破船にならずに済んだのは、正吉、新次郎、忠興、梨江ら多くの者の導きがあったからだ、といいました。 あさは、納得して神棚に手を合わせ、これまで支えてくれた多くの者たちに感謝しました。 その夜、船が難破する夢を見たあさは、自分の船は、これからどこに行ったらいいんだろう、とつぶやきました。
部屋に戻った千代は、新次郎に、おなごで高等小学校を出てから、まだ学ぼうとする者は、学校で一人か二人いるかどうかだ、と話しました。 新次郎も、男も上の学校に行くのは、二十人に一人くらいだ、というと、藍之助が、自分も上の学校に行きたかった、中学を出て東京の学校に行った庄屋の子がうらやましかった、と寂しそうに語りました。
千代が、おなごが孔子や孟子を習っても、へ理屈ばっかりいうようになって嫌われてしまう、それより花嫁修業をして、いいお嫁さん、いいお母ちゃんになりたい、といいました。 それを聞いた藍之助は、自分はお嫁さんでもお母ちゃんでも、孟子や孔子の話ができる方がいい、その方が楽しい、といって、その場を去りました。 新次郎は千代に、藍之助は学校で成績が一番だったが、家庭の事情で中学に行けなかった、無邪に振る舞っているが、自分の道を懸命に考えている、といいました。
その夜、千代は、よのの寝所を訪ね、一緒に寝たい、とお願いしました。 一人分の布団に枕が二つ、見るからに窮屈そうでした。(笑) 千代はよのに、あさは殿方に好かれるような人じゃないのに、新次郎とは仲がいい、と不思議そうに話しました。 よのは、自分と正吉ほどじゃない、自分らの夫婦には新次郎たちも勝てない、といって笑ったあと、正吉が二番目に好きだったのがあさで、自分の娘みたいに大事にしていた、というと、千代は、へぇーと驚きました。
銀行では、藍之助の働きぶりを褒める平十郎に、あさは、働く姿勢がいい、見込みがある、といいました。 一方、十銭を両替に来た取るに足らない客に、心の籠もっていないあいさつをする佑作を、あさは叱りました。 あさは行員たちに、ちょっと寄ってくれた客ほど大事にしなければならない、人様のお金を扱う者に大事なのは真心だ、一人ひとりが加野銀行の顔だ、頼りにしている、と発破をかけました。
その頃、和歌山のはつのところに、藍之助のことを伝える、あさからの手紙が届きました。 加野屋に居たと知って、栄達、惣兵衛、養之助は驚きますが、菊は事情を知っているので、気まずい表情を浮かべました。 惣兵衛は、藍之助の話をちゃんと聞かなかった自分たちも悪い、と取りなします。 しかし、はつは、惣兵衛にひどいことをいって家を飛び出した藍之助が許せない、と厳しい表情でいいました。
同じ頃、加野銀行に、高額預金者の工藤徳右衛門が、娘の縁談の口を探しに、榮三郎を訪ねてきました。 工藤は娘に、女学校を卒業しても役立つ場所がないと愚痴られた、と話しました。 何でも、成績がよかったので調子に乗って女学校に入れたが、古事記の暗唱や数学ができてもどうにもならない、そこで、行き遅れないうちに嫁入り先を決めよう、と思い立ったとのことです。
ところが、娘本人は、変に知恵がつき、嫁に行ったらせっかく身に付けた学が宝の持ち腐れになる、といっているようです。 これらの話を聞いたあさは、女性が学ぶという切符を手に入れても、思うように漕ぎ出すことが難しいことを思い知らされました。
晴花亭では、あさが、美和と平十郎に工藤の娘の縁談話をしました。 平十郎も、美和の美貌に陥落したみたいですね。(笑) あさは、おなごも男と同じくらい働き者だ、働くのが得手不得手というのに男女は関係ない、一人ひとりの問題だ、といいました。 そうそう、あさのいうとおりなんだけど、時代が時代ですからね、おなごというだけで、見下されるのは、ある意味、致し方なかったことなんでしょうね。 あさや美和がいうように、家庭や田畑の仕事をしていても、それらは家事や手伝いとして片付けられ、おなごに仕事という考え方自体が当時はありませんでしたもんね。
美和がおなごの給仕を雇っていることを知ったあさは、広告を出したらあっという間に集まった、自分の手で稼いでみたいと思っているおなごがたくさんいると聞き、おなごの行員を募集することを決めました。 ところが、榮三郎、平十郎、そして新次郎にまで言下に否定されました。
平十郎は、おなごはお金を扱うのが難しい、数学に弱い、といいますが、あさに、給仕もお金を扱う、今まで実学を十分まともに学べる機会がなかっただけ、と反論されました。 榮三郎は、両替屋も銀行もおなごが働いたことはない、それは世間の要請であり、雇えば信用失墜に繋がる、といいました。 あさは、逆にもし成功すれば、他の銀行を大きく引き離せる、そのため厳選し、信用できる、苦労も根性で乗り切り、ついてきてくれる子だけを選ぶ、男女の隔てなくその子の力を生かしたい、と力説しました。 さらに、信用してもらえるまで、給金は自分が準備する、この試みの責任は、すべて自分が負う、と言い切りました。
新次郎の反対の理由は、おなごが表に出て、客においどを触られるのが心配だからでした。 さすがは、フェミニストですね。(笑) あさが、働くおなごのおいどは必ず自分が守ってみせる、と言い切ると、それなら店が華やいでいい、と賛成にまわりました。 そして、榮三郎と平十郎に、あさも一応おなごだが、昔から店の内側で働いて、大金を扱っていたが、一度も計算間違いをしたことがない、といいました。
この一言が決め手となり、女性の行員募集を始めたところ、100人の応募がありました。 基礎学科試験、接客実地試験、面接試験を行い、知性溢れる、器量や愛想のよさよりも真面目で根性の据わった、打たれ強い女子4人を、加野銀行の女子行員候補として、見習採用しました。 工藤の娘は、面接の答えもイマイチだし、絶対、コネ採用だね。(笑)
あさは、彼女たちに、この男性社会では、失敗をすると、おなごだからといわれる、それが男に交じって働くことだ、だから失敗は一つもしたらいけない、そんな高い志を持とう、と訓示しました。 さらに、彼女たちは、後ろに続く働きたがっているおなごのため、道を切り開くファースト・ペンギンだ、と鼓舞しました。 みんな、ファーストメペンギンの意味、分かったのかな。(笑)
それから毎日、男性行員より1時間早く出勤させ、そろばんなどの訓練に当たりました。 日中は忙しくて、あさは教えている暇がないのね。 でも、もっと専門の講師を雇った方が、効率的だぞ。(笑)
おかげで、あさは朝食も家族と取ることができません。 朝が弱いよのも、年を取ると早起きになってきたのね。(笑) 千代はよのに、あさは銀行が好きで、育てがいのあるおなごを見つけたので、嬉しくてたまらないのだ、と批判的にいいました。
そんな千代に、新次郎が、京都の女学校に行かないか、と話しかけました。 千代が学問より花嫁修業をしたいというと、新次郎は、上方一の名門で、家事や裁縫に、力を入れているらしい、といいました。 さらに続けて、学がなくてもいいお嫁さんになったおなごがたくさんいることは知っているが、千代はまだ、そうなれるような器や覚悟もない、といいました。 器の意味を問う千代に、新次郎は、あさは決して人の陰口をいわない、その器一つ取っても尊敬できる、世間は広い、大阪で愚痴をこぼして暮らすより、知らない土地で新しいものの見方を身につけろ、といいました。
怒って席を立ったちよが、学校に行くため表に出て、新次郎もあさの味方をしていると文句をいっていると、あさがそろばんの読み上げをしている声が、聞こえてきました。 そこへ、大阪からはつがやってきました。 千代ははつの顔を見て喜びますが、ちょうど表に出てきた藍之助は、はつの姿を見て、奥に引っ込みました。
よのは、京都は遠い、大阪から通えない、どうするのか聞くと、新次郎は、寄宿舎で同じくらいの年の子と寝食を共にする、と説明しました。 あさと引き離して冷却期間を置くと共に、千代に他の子と比較して自分が恵まれていることを分からせるためなんでしょうね。 新次郎は、商売人としてだけではなく、父親としての子育ての才能も開花させつつありますね。(笑) 新次郎は、よのにはかなわなくても、あさなりに精一杯心を込めて千代を育てている、その気持ちがいつか伝わる時がくればいいのだが、と心配そうにつぶやきました。
はつと藍之助は、加野屋の座敷で差し向かいました。 はつは、あさと新次郎に手紙と藍之助の面倒を見てくれた礼を述べました。 新次郎は、家出をしてきたと初めから正直にいってくれたらよかったのに、と藍之助に声を掛けました。 藍之助は、菊に相談したら、大阪一の山王寺屋の跡取りだったんだ、行ってきたらいいと背中を押された、といいました。
何も知らないはつは、驚きました。 藍之助は、学校でのそろばんや算術より、本当の店で働くのは何より勉強になる、といいますが、はつは、この忙しい時期に二人とも大阪にいるわけにはいかない、一刻も早く帰る、と伝えました。 藍之助は、自分はここで商いを学びたい、一生あの山の中で、みかんのために働くのはまっぴらだ、と言い放ちました。 それを聞いたはつは、自分の前でならいいが、今度、惣兵衛の前でいったら許さない、としかりました。
そこへ、銀行の開店の時間だ、とうめがやってきました。 この日から、女性行員見習いとして、4人が制服に身を包み、店頭に立ちました。 榮三郎が、初日からてきぱき働くことに感心し、新次郎が、男女が一緒に仕事するのはいい眺めだ、といいました。
藍之助は、あさみたいに働きたい、みかん作りより銀行の仕事がしたい、みかんのことを悪くいって堪忍、でも大阪で仕事をしたい、山王寺屋の息子として、そんな夢を持ってもいいだろう、といいました。 しかし、はつは、山王寺屋は、もうとうの昔に終わってしまった、と告げました。
そこに、よのがお針子の道具を取りにやってきました。 お邪魔して申し訳ないとはつがいうと、よのはそんなことないと否定し、藍之助に、彼がこの家で生まれたことを話しました。 そして、あの時もいったように、はつも藍之助もこの家の者だと思っている、とよのがいうと、それを聞いた藍之助が、それじゃこの家にいてもいいのか、と喜んで聞きました。 よのは、千代も京都に行くかもしれないし藍之助が一緒にいてくれると嬉しい、でも、あさは許さないだろう、といいました。
驚く藍之助によのは、あさは先代から引き継いだ信用を一番大切にしている、親を騙してここに来たことがはっきりした以上、銀行には一歩も入れさせないだろう、と語りました。 そして、一度帰って家族で話し合い、筋を通してから改めて出てくればいい、と声をかけました。 はつは、おおきに、ありがとうございます、と感謝を伝え、深々と頭を下げました。 そして、後ろ髪を引かれる思いの藍之助を連れ、和歌山に帰っていきました。
明日は、和歌山での様子が描かれそうで楽しみです。 よのに礼をいったところを見ると、はつも心は決めているみたいですね。 来週は、藍之助の銀行デビューですかね。 この先の展開が全く読めませんが、楽しみです。
さて、第17週の関東地区の最高視聴率は、東京に行ったあさと新次郎が、忠興に千代を初めて会わせたところ、あさの子供の頃にそっくりで驚かれた27日(水)の25.8%で、第1位でした。
月曜から土曜までの詳細は、25.0%、24.2%、25.8%、24.7%、24.3%、24.2%で、第17週の週平均は24.70%、『ごちそうさん』の第17週の平均は22.67%、『花子とアン』の第17週の平均は22.53%、『マッサン』の第17週の平均は21.82%、『まれ』の第17週の平均は19.20%、でした。 ドラマの全平均は23.28%、『ごちそうさん』は22.31%、『花子とアン』は22.57%、『マッサン』は20.37%、『まれ』は19.47%でした。
関西地区の最高視聴率は、あさたちを東京で開催する祝賀会に招いた忠興が、初対面の千代が子供の頃のあさにそっくりなのを見て、我が目を疑った27日(水)の22.6%で第1位でした。 名古屋地区の最高視聴率は、10年振りに加野屋を訪れたはつが初対面の千代を抱きしめ、菊がよのと四方山話をし、藍之助が加野屋に興味を持った25日(土)の24.6%で第1位でした。
『真田丸』の第4回は、関東地区が17.8%で第7位でした。 ちなみに、八重の第4回は18.2%、官兵衛の第4回は16.5%、花燃ゆの第4回は14.4%、でした。 全平均は、真田丸19.03%、花燃ゆ15.08%、官兵衛17.58%、八重19.13%です。 関西地区は、18.8%で第2位でした。 名古屋地区は、19.8%で第5位でした。
いやぁ、今週も、おもしろかったです。 家康と真田親子との因縁をうまく描きましたね。 それも、三方原の戦いで、昌幸がまだ、武藤喜兵衛と名乗っていた頃からの関わりを描いてくれました。 この頃、昌幸は三男坊なので、武藤家に養子に出されていたから、自由気ままだったのよね。 ところが、長篠の戦いで長男、次男が戦死したため、急遽、真田家を継ぐことになったのよね。 三方原は、その前なので、武藤喜兵衛の名で大暴れした、というわけなのよね。
昌幸もその時のことが、自慢だったのよね。(笑) 諏訪の法華寺で、すぐに葵の旗印を見つけ、信繁に自慢しますが、彼は、耳にたこができるくらい聞いていたのよね(笑)、だから武藤喜兵衛の名をすぐに出しました。 内記がきりに信長と呼び捨てにする場面がありましたけど、これも昌幸の矜持が家臣にまで行き渡っていることを表わしているのよね。
それから、信繁と家康のファーストコンタクトもすごかったですね。 矢立にキャスターを付けて運びやすくした、自分が考えた、といきなり上から目線です。 家康にも、もうちょっと下の人かと、と無礼発言。(笑) これが、将来、家康と対峙しても臆しない伏線の一つなんでしょうかね。
そして、今回のメインは、信忠の前で繰り広げられた、家康と昌幸の、真田から上杉に出された密書をめぐる攻防でした。 これは、スリリングでよかったですね。 みんな昌幸が逃げ切ると分かっていても、手に汗を握ったんじゃないでしょうか。 昌幸のはったりに、家康が直江兼続を呼ぶというはったりで返すあたりが、お見事でした。
大昔、『独眼竜正宗』で、一揆を煽った正宗の書状を巡って、勝新太郎演じる秀吉と渡辺謙演じる正宗が、がっぷり四つに渡り合ったことを思い出しました。 正宗が、自分のセキレイの花押には、模倣されないよう針で目に穴を開けている、とはったりをかまし、秀吉もそうと知りながら許したのよね。 大河フリークの三谷さんなら、絶対にこの場面を意識して書いたと思います。(笑)
本能寺の変も、あっさりしていてよかったですね。 鎧が崩れ落ちるだけでした。 その動機を、うまく法華寺での折檻と結びつけましたね。 視聴率が取れるおいしい題材なのに、軽く流した三谷さんの自信に拍手です。 でも、あの折檻シーンは、後々まで語られることになるでしょうね。
ちなみに、ドラマでは説明がなかったので書きますと、光秀が、甲州征伐で大した手柄も立てていないのに、自分が頑張った甲斐があった、みたいなことをいって、信長の逆鱗に触れたんでがんすな。
茂誠と松の関係をまさか安土まで繋げるとは、びっくりぽんです。 でも、この夫婦が癒やしになっていますよね。 6月1日に松が安土城下に到着した、というのは、きっとフィクションよね。 できすぎだもん。(笑) 本当なら紀行で触れるはずだしね。(笑)
昌幸の沼田城と岩櫃城奪回に向けた執念が、これから描かれていくことになるのよね。 その前に中国大返し、そして家康の伊賀越えですね。 官兵衛が秀吉の耳元で好機到来を告げる場面は、ないだろうなぁ。(笑) でも、小心者の家康の伊賀越え、どんな風に描くのか、楽しみです。
それでは来週も、生きるか死ぬかの時でもあくびをする余裕を見せ、でーんと構えて朗報を待ち、寂しさが募ると荒れると知り、身分の違いを忘れず、しらを切った上で嘘と分かれば許されぬと知り、肝が据わった姿を見せ、静かで穏やかでも龍のような目を持ち、敵を欺く方便を用い、乱世を生き抜くため知恵の限りを尽す、そんな気概で、こぴっと仕事がんばれば、信長に認められ、真田家は生き延びることができ、勝ち戦じゃあ、と叫ぶことができるじゃんね。
「よいか源三郎、決して下手に出てはならん。真田は、負けたわけではないのだ」 「はい」 「これも一つの戦である。父の戦い振りを、しかと目に焼き付けておけ」 CATCH A DREAM!! |
|