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日記を読ませてもらっていろいろなことを思い出しました。 小学校2年生から一緒に暮らしていた犬のチロは、子供の頃からいつも私のことを気遣ってくれる子でした。私が大人になって就職をした年まで一緒にいました。そのころ、私はまだ仕事になれておらず、毎日アップアップ状態でした。そんなとき、チロは病気になりました。 動けなくなり、目も見えなくなり、誰かがそばにいないと、不安そうに小さく鳴きました。それで、ずっと誰かがそばについているようにしていました。仕事を早く切り上げ、できるだけチロのそばについていました。いよいよ危ないというとき、私は、急激な眠気に襲われました。ふっと目を閉じた瞬間、私は眠っていました。そして、次に目を開けたとき、チロは私を見て二、三度大きく息をし、そのまま動かなくなりました。チロは最後に、疲れ果てている私を休ませたかったのだろうと思いました。そして、最後のお別れのときには、ちゃんと起こしてくれたのだろうと。 ペットは家族です。 こちらが思っている分、向こうもこちらを思ってくれている気がします。 クーちゃんは、美しく、潔く、思慮深いネコだったのですね。 クーちゃんの魂が安らかでありますように、ご冥福をお祈りします。 2011/05/22(Sun) 18:25[1604]
ありがとうございます! ブログで書くようなことかなと迷いつつ(それを言い出すと、たいがい?なのですが)、書きましたが、悲しい思い出をよみがえらせてしまったのではと……。 でも、悲しい思い出も含めて、共に暮らした大切な記憶なんですよね。 チロちゃんのこと、書いていただいて、ありがとうございました。 言葉で説明がつけられないような、いろいろなことがありますよね。会話できない動物ですが、確かに、気持ちのやりとりはできますね。 母は、すごく沈んでいます。さびしいというより、つらい体験で、回復に時間が必要なようです。 2011/05/30(Mon) 14:12[1606]
お返事ありがとうございます 私の言葉足らずの書き込みにお返事ありがとうございます。 お母様は、まだ沈んでみえるんですね。 無理もないですよね。 ほんと、ペットは家族だから。 今回の震災で、被災地に置き去りにされた動物とか、飼い主と別れてしまった動物とかの映像を何度か見ました。 何度見ても胸がつぶれるような気がしました。 津波はともかく、原発の事故の影響で置き去りにされたり、安楽死をさせられたりした動物は、本当に不憫ですね。 私は今動物が出てくるお話のシリーズものを書いていることもあり、動物の話がどうして気になります。佐藤さんのおっしゃるとおり会話のできない動物ですが、その表情から、態度から、目つきから、いろんなものを語ってくれますよね。 「共に生きる」っていろんな場面で使われる言葉ですが、人間が他の動物たちと共に生きるためには きっと今の数倍も謙虚にならなくてはいけないと、最近思います。 2011/06/01(Wed) 00:02[1608]
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