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GoGo!小説

小説を完成させる自信の無い方、または小説を書く練習をしたい方、そしていつも作品が完成しない無責任なしんかー進化(笑)、等々気軽にこの板で小説をどうぞ!

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[59] 彼岸花
ミヤ - 2008年02月17日 (日) 19時39分

この話は推理ゲームやったりサスペンス系の作品見てた私がずいぶん昔に考えて、
作った話です。偶さか以前書いていたものが発掘されたので、今の私の文章に直して
書いてみたいと思います。

ちなみに 過去の自分はいろんな有名な人の作品の影響を受けまくってるので
似たような(というかほとんどパクリ)みたいなとこもあると思います。

とりあえずその辺については許してくださいw



※中途に生々しい描写が時たまあります。一応ご注意ください。
ご気分悪くされたとかあっても申し訳ありませんが責任取れませんw


 くわえて、この話は理論なども適当なので、現実世界と大きな間違いが存在します。
 
 ですので、この話はあくまで 『SF』 の一つとして考えてください。 
 …あ、本編見りゃ普通にSFだなって思うかw

[62] prologue-プロローグ-
ミヤ - 2008年03月20日 (木) 21時39分

人生というものは面白い。

 自分が信じてきた事がある時を境に全く別のものに変わって驚かされる。
 今まで気づかなかった新しい自分を見つけて気持ちが昂る。
 昨日までの他人事が、今日には私事なんてこともある。

 とにかく、生きているということはそれだけで不思議で神秘的で、
とても興味深い。


 その生の終わり『死』に対しても、それは例外ではない。
 


 さて、これから僕がかつて体験したある話を一つ。

 僕の名前は…… まあ、今は必要ないだろう。あとあと知ることに
なると思うので、ここでは省くとする。




 風の吹いた夜。僕は山の近くにある住宅街にある自宅で仕事に出かけて
まだ帰らない両親の帰りを待っていた。
 父と母は僕が生まれた後も仕事に精を出し、こうして深夜に
なるまで帰っては来ないのが日常だった。

 未だに一度も三人で食卓を囲んだことはなく、冷蔵庫にある
冷え切った食事を一人でもそもそと口に運ぶばかりの日が続いた。

 まだ小学校に通うほどの子供だった僕もはっきりと理解できた。
 二人は僕への愛情なんてケシ粒ほども持っていなかったろう。
 彼らが愛でるものというのは自分の仕事の実績以外僕は知らない。 

 父と母はずっと、やってくる仕事をシュレッダーのように処理していた。 
―――生活の為に仕事を始めた彼らはいつの間にか、仕事をする
為に生活していたのである。

 そんな親を憎んだ事はない。一度として感じた事のない愛情が
どうして憎しみの元になるだろう。

 夜になっても家に一人でいる生活を当然と受け取って、暮らしてきた。

 
―――そうしてある日の夜。いつもと同じく、
僕は二人を待っていた。


 この日は風が強い、秋にしては暖かな日だった。
 窓から外を見ると、紅葉した木の葉が風でちらほらと舞い
散っている。いい具合にこの日は満月で、風景は艶やかで綺麗だ。

 外に出てみたい。そう思って、僕は家を出てゆっくりと歩き出した。


 マンションや一軒家がたち並ぶこの住宅街は草木が生い茂り、
満足に整備されていないアスファルトには苔がそこかしこに
びっしりと敷き詰められたように生えている。

 街灯は電球が切れかけてチカチカとしており、どこも
汚らしかった。近所の住民も気味が悪いと出歩かない深夜の
街を、僕は静かに歩き続けた。
 
 ふと気が付くと、風がおかしな匂いを運んできた。
 気になって、匂いのするほうへ行ってみることにした。

 木が影になって月の光が当たらず、視界が悪い中で映ったのは、
足を引きずりながら歩いていく人。

 怪我をしたのか。
 その人が歩いた道には赤いモノが点々と落ちていた。


    それを見てはっきりと  風に混ざったニオイの正体を理解した。
 

 辺りは異常なまでに濃い、血のニオイが漂っていた。
 気持ちが悪いなんてものじゃない。
 もしこれが朝なら霧が紅く見えるのではないだろうか。
 それほどに、真っ暗な林の視界は不気味だった。

 目が慣れてきた頃に、奥のほうに人が見えた。
 何を思ったか、僕はその人のもとへ近づいてみる。 ソレは動かなかった。
 別にケガも何もない、全く普通だった。 眠っているのだろうか。


 そうして少し顔を見てみようと思って、肩を抱い
―――ずるん。

首が転がった。


       いきなりの事に何が起きたのか分からない。


続けて、肩口から両腕が茂みに落ちる。


       一際強い風が吹いた。


ずるずる、と横に倒れて…… ソレは地面に倒れこむと同時に、


       落ちた首は、僕がいつも見ていた顔。


腹から上と下の二つに分かれる。

     
       向こうには、母がいる。


数秒を置いて、赤黒い血が吹き出る。






――――――僕の少年時代はこんな事件と共に終わりを告げた。
 




[63] 1 ―――日常
ミヤ - 2008年03月20日 (木) 21時40分


「じゃあ、有馬のおじさん。今日はこれで失礼します」
 警察署の裏口で軽く礼をする。 明かりが夕日に染まる
赤い廊下をぼんやりと照らす。

「ああ、気をつけてな。最近、色々と物騒だから」
 眼鏡をかけた人の良さそうな刑事さんが軽く返す。
 一応警察関係者の言葉である以上、無視できない。

「そうですね。交通事故に気をつけないと」
 僕も上着を羽織ながら答える。 外では秋の風が肌に叩きつけられることだろう。
  寒いのはキライなので、シャツの裾なんかもズボンに入れてしまう。

「いやいや、交通事故は個人の注意で何とかできるものかもしれないが―――」
 有馬という刑事さんは、僕に何かを言おうとして、口を閉じる。
 どうやら、月に数十件起こる交通事故さえもそれ以上の何かの前菜に過ぎない、
ということか。それも、注意を呼びかけようとした僕にも伝えないあたり、随分と切迫し
ていると考えていい。

「とにかく、夜道の一人歩きは極力控えることだ。また、よろしく頼むよ」
 
 僕は、署を後にした。


 黄昏時は蝙蝠がバサバサと飛びながら少しずつ、少しずつ、夕闇に溶け込んで、
最後には完全に暗闇と一つになる。


 月が出る頃に、僕は一人だけで暮らす家に帰る。 
  ―――3年前のある日から、ここは三山健一という人間だけの空間となった。


 ある夜に目にした血飛沫の雨。
 その中で油粘土の細工のように両親やその他の人間が細切れになっていく
様を目撃した。


 父と母は今もなお見つかっていない大量殺人事件の被害に逢い、死んだ。
 3年あまり経った今も、あの事件は僕を縛り付けている。



 あの血のニオイに包まれた瞬間が忘れられない。
 アレは、人間の『生』の結晶であり、同時に『死』を形作る空間だった。


 その頃から、僕は『死ぬ』という事に関心を持ち始め、人間の『死』ということに
対して異常なまでに調べ続けた。
 本も読んだし、図書館に入り浸りもした。 医学書を家に持ち込んで徹夜で
読み耽った。ノートに書き込み、記憶し、動物の分解映像も見た。
 新聞なんかで有名人が死んだという記事を見たらまず死因に目を通す。
 とにかく生き物が死ぬのにどんな例があるのかが気になった。

 

 気づいたら、人は体の部位をどうやったら活動を停止するか。
 隅々まで知っていた。
 
 たまに、何でこれにのめり込んでるか分からなくなる時がある。
 別に人を死なせないと思ったわけじゃない。

 たぶん。それくらいしかやることはなかったのだろう。

『死』というものは興味深い。 突きつめていて楽しい。 もっと知りたい。
 僕の人生はつまらない。 


 全く面白くない。興味が湧かない。
 
 成績も学校も世間も歌もテレビもラジオも、
 昔は綺麗だと思った紅葉も。

 自分でもとっくに分かっているけど、初めから普通じゃない。



―――三山 健一は  17年間狂い続けている。





 そんな僕をある知り合いが世話してくれるようになった。それが、先に署で会った
有馬のおじさんである。土日、学校に行かない僕を、簡単な雑用係として特別に
署においてくれることになった。(彼の権力の賜物でもあるだろうが)

 ロクな働きもできないが、彼は収入のない僕に何かと親身になってくれている。
 父と母の残した物ではたかが知れている僕にとっては何よりもありがたい存在だったし、
感謝せずにはいられない、尊敬できる人だ。

 僕は休みの日はそこで日暮れまで軽い雑用をこなし、(特例の特例として)日当をもらい
家に戻る日々が続く。




 そんな中でいる以上、街での厄介事はたいてい耳に入ってくるのが普通である。
 先月のひき逃げ件数は6件だとか。強盗件数が2件だとか。



 そう考えるとさっきの有馬のおじさんの態度はヘンだ。
 事件が起きているのなら普通、注意を呼びかけるものだろう。

 
 だったら、分かりきったこと。今この街には異常な何かがはびこっている。

 一般人が首を突っ込んだところで余計な被害が増えるだけ。何も手を出さずに
夜は家でおとなしくしておけ、という事だろう。



 言わずもがな、夜中に寒くて汚らしい近辺を自分からほっつき歩くほど酔狂じゃない。

 

 おじさんの態度に納得がいったところでその日はさっさと眠ることにしよう。
 気は進まないが明日からはまた、学校がある。




[65] 2 ―――紅い霧
ミヤ - 2008年03月20日 (木) 22時22分

        ■

 そうして彼は、去っていく少年を見届けて署内に戻る。

「あれ、健一君はもう帰りましたか」
 まだ初々しさの抜けきらない年若い警官が入ってくる。
 書類を抱えたまま、机にドンと置く。

「ああ。先ほど帰したよ」
 湯呑みに残った茶を啜る。冷め切っているせいか、飲んでいる気がしない。
「もっと早めに帰してあげたほうがよかったんじゃないですか?
 今月に入ってもう7人も被害が出てるんですから」
 
「…………………」
 彼は答えず、置かれた書類に目を通す。

「しっかし、とんでもない事件ですね。普通の人間の神経で
こんなことできないですよ。我々も気をつけないと…
 有馬さん、健一君には知らせてあるんですか?」

 首を横に振る。若い警官は、ええっ、と大げさに驚いてみせた。

「……今回の事件と、似たようなケースが以前にもあった。
 知っているか」 
 有馬と呼ばれた男が、湯呑みに残った茶を飲みきった後、
こう呟いた。

「え? いえ、今回が初めてじゃないんですか?
 こんな気違いじみた事件、以前にもあったなら忘れるはず…」

「あったんだ、ある街はずれでな。一人の少年の人生を狂わせた、
過去に類を見ない奇怪で凶悪な事件だったよ。
 あまりにも内容が普通ではなかった為に、世間では
夜出歩かないことを呼びかけるだけにしようという事になった。
 この事件は警察関係者でも概要すらロクに分かっていない」

 有馬は遠い目で言った。

「少年って……もしかして…」
 若い警官は、外をちらりと見ながら尋ねた。
 話題の少年の姿は、当然もう見えなかった。


        ■





 日が昇って明るくなってきた頃に、家を出て学校に向かう。
 僕の通う学校は歩いて1時間程度のところにある。同じ制服を着た
生徒たちがバスに乗り込むのはよく見かけるが、随分せわしない。
 今もバスが到着しようとする時、うしろからバタバタと生徒たちが何人か
僕の横を通り過ぎていく。

 程なくして、バスは出発した。排気ガスが程良く不快感を残していく。
 軽く咳き込みながら、歩き続ける。




 学校の生徒は大きく分けると2つに分けられる。 
 一つは明るく、自己主張の強い存在感のある者、もう一つはいようと
いまいと誰も気に留めることのない空気のような者。
 自分はいわれるまでもなく後者だ。教室の隅で時間が過ぎるのを静かに
待ってるだけ。クラスの人間と会話するのも稀である。

 「浮いてる生徒」という言葉もよく耳にするが、僕はそんなものではなく、
「浮遊している」と言える。浮いてるだけならいつかは落ちることもあるだろう。

 漂い続ける自分はきっとずっと、そのまま。



 数十分歩いたぐらいで、学校に着く。教室に着いて、カバンを下ろす。
 HRまで時間があまりなく、周りはあわただしい。自分の机に戻る生徒や、
他の生徒と喋り続けてる奴もいる。あわただしいと同時にこの時間は騒がしい。

 ……が、この日は雰囲気がいつもと違った。ヤバいやら怖いやら、あまり
朝の会話には似つかわしくない感想である。


 と、クラスの中でも目立つ一人が僕を見て、突然話しかけてきた。
「おい三山、お前確か街外れのきたねえ住宅街のほうに住んでんだよな」
 …ロクに話さない奴に人の住まいの情報をキャッチされてるのが不快だが、
「住んでるけど、どうかしたかい」
 質問にだけ答えておくことにした。

「うっわー、お前やべえよ」
「怖いわねー、次にやられちゃうの、三山君じゃないの?」
「シャレになんねえよ、やめとけって」

 まわりが一斉に沸き立つ。ザワつかれるのもうるさいので、一応
何がまずいのか聞いておく。

「あれ、お前知らねーの? あの辺り、夜中に殺人鬼が出るって噂だぜ」

 
 ……ありがちな噂話だった。
「……なんだ、クラス全員そんな話真に受けてるワケか」

「バカ言ってんじゃねえよ。見た奴がいるんだ」
 そいつははっきりと言い切った。
「見たって、事件を?」
 軽い気持ちで尋ねる。
「いや、遠くから見たらしくてな。警察でも目撃した人間なんて今まで
いなかったってんで、見た奴は今ごろ警察じゃねえか」
 誰とでも話すだけあって、いちいち詳しい。
 気をつけるよ、とだけ言ってその話は止めにした。


 ……まあ大体察しはついた。有馬のおじさんはこの事を僕に隠していた
のだろう。まあ確かに、肝心の警察が何の手がかりも得られないのだから
一般人にその事実を明かすわけにはいかない、というところだと思う。
 おじさんにもメンツというものがあったらしい、と少し感心してみる。

 ……にしても、「殺人鬼」ねえ…。
 の押し売りという点で品の無い連中だ、とまるで他人事のように思った。



 昼休みになって、生徒のほとんどは食堂に行ってしまった。まあ、僕も
その一人である。食堂ではカツ丼やら天丼やら、中にはフライカレーやら。

 学生には豪華すぎる気がしないでもないラインナップが揃っている。
 その中で自分は別にそんなにボリュームもないうどんをすする。
 粉っぽい感じがまた庶民的でなんともいえない。



 ふと気づくと、朝の話題の事を考えていた。目撃者は夜中人通りの
ない道端で犯人らしきものを見たと聞いた。

 自分の目で見ていない事件を自分のイメージだけで創造する。
 誰もいない場所での惨劇。悲鳴を上げても助けを呼んでも聞き入れられず、
次々に身体の一部分ずつ切り落とされていく。悲鳴は絶叫へと変わっていき、
次第に声も上がらなくなり、そのまま息絶える。

 ……やってる途中で、バカらしくなって考えるのを止めた。
 
 気がついたら、昼休みは終わっていた。




 天気のいいこの日は窓際に暖かい陽射しが差し込み、食後ということもあってか
眠気を誘う。目蓋を閉じたら、次に目を開けたら1時間ほど経ってるのではあるまいか。

 放課後になっていよいよ本格的に眠気が襲いかかってくる。部活の為にグラウンドに
出ていく他の生徒を脇目に、視界はどんどん狭まっていって、最後には意識ごと暗闇に
落ちる。



 夢を見ている。子供に帰った僕と両親の夢だ。二人の顔はそれほど記憶にないが、
夢の中で僕は親かどうかも知らない人間を父さん、母さんと呼んでいる。
 僕はいつの間にか人形を持っていた。中に綿を詰めてあるような、安物の人形だ。


 その人形が、音もたてずにニヤリ、と笑った気がした。
 その笑顔が無性に気味が悪かったので、首を引きちぎった。
 すると目の前にいた二人の頭はひしゃげて砕けた。体も残らず、二人は消えて
しまった。引きちぎった人形の接続面は、いつの間にか赤く濡れていた。

 

 覚えているのはそこまで。現実の住人である自分にはこれ以上、偽者の世界を
見ることはおろか、記憶することも許されていないらしい。
 体自体が休息しているのだから、仕方がないのだろうか。

 意識があっても意思はない。始まりも終わりも分からない。
 そんな世界から覚めたのは、日も暮れようとしている時だった。



 昼間とうって変わって、この時間外は異常なまでに寒かった。

 

 人通りはない。
 グラウンドにも誰もいなかった。朝聞いた噂の所為だろう、夜になる前に帰宅するように
言われていたのを思い出した。空が青白くなってきたのと同時に、校門を出て、歩き出した。

 バスはついさっき行ってしまっていた。まだ眠たいので歩くのもいやだけど、待つのも寒い
ので歩き続けることにした。
 
 都会だというのにもかかわらず不気味なまでに人通りのない通学路をダラダラと歩く。
 住宅街に入る頃には街灯すらもロクに見当たらないので暗闇の中歩いていて
つんのめったりコケそうになったりすることも一度や二度ではない。
 
 まあ寝ぼけ眼で歩いているのもあるのだが、今日は特に躓くことが多かった。
 

       そして自分の家に着こうとした時。ふと視線を上げて、
       半分閉じていた目蓋がハネ上がった。

 

 自分の目の前に広がっていたのは忘れることもできない、自分を虜にしてしまった
赤い、赤い血飛沫の空間。


 全身の毛穴から汗が噴き出るような感覚に襲われる。外気の冷たさに反して、鼓動の
高鳴った体は灼熱のように熱い。制服が空気中に霧散した人間の血で赤く染まった。



 そうして向こうの方から記憶の片隅に残っていたモノ。
 足を引きずり片手に刃物を持った人影は、いつかどこかで見た気がした。

 即座に朝の話題が頭をよぎる。街に現れた殺人鬼は紛れもなく目の前にいる男だった。


 辺りにはゴロゴロと人間のパーツが無造作にゴミのように転がっている。
 頭の中が空っぽになった気がした。体は汗だくで脚は固まったように動かず、次の瞬間



 とすん。





 おぼつかない足取りでこちらへ歩み寄ってきたその男は笑みを浮かべて、

 躊躇も戸惑いもなく、持っていた刃を突きつけた。




[66] 3  ―――17年
ミヤ - 2008年03月21日 (金) 23時32分

 
 それはあまりにも唐突だった。体全体が軽く揺れたと思うと、
相手の腕の延長線上には、自分の腹に突き立った刃物が見える。



 霧の中で銀色に光る無機質なソレを見た途端、強烈な吐き気と痛みが同時に
感じられた。刺されたという事実よりも、刃の部分の冷たさが傷口からはっきり
感じられて、アタマがおかしくなりそうだ。

 
「ごほっ…………!」
 僕と男を繋いでいる刃物がピクンと動き、引き抜かれると同時に体は前に
倒れこみ、口から血を吐いた。
 胃をやられたらしく、血が止まらない。呼吸ができなくなるかと思わせるほどに
喉を多量の血が通っていく。

 
 咳込んで血を吐くたびに全身に電流を流されたかのような衝撃が走った。
 麻痺していた脳がその度に跳ね起きて、状況を冷静に確認する。
 そこからぼんやりと意識が薄まっていき、また次の咳き込みで目を覚ます。
 
 腹を押さえている手にも、咳き込むたびに血飛沫が飛び散った。


「あ―――が、――――!」
 男の刃物はナイフというには大きすぎて、傷口はバッサリとやられている。
 痛い、などという言葉なんて出やしなかった。言葉にできる程度の痛みなど
何てことはない。

 痛いというのも含めて、何も考えられない。そのくせ、体は強烈に反応する。
 脳に一本一本、針を突き刺されているかのような鋭い衝撃は刻一刻と命を奪う。




―――死ぬ。 ここで。
 絶対に逃げられない、絶対。
 

 今までの自分にヒビが入り、粉々になっていく。
 なにが『死』というものに興味がある、だ。こんなものの何が一体、楽しいというのだろう。

 
 心も体もぐちゃぐちゃに混ざり合って、花火のように弾け飛ぶこの感覚を、
馬鹿にしていた自分は何だ。自惚れもいいところだ。こんな思いをしてこの世から
消えていった人を何人と見てきたろう。そんな人たちを、何人と嘲笑ったのだろう。 

 
 なぜ、そんな生き方を選んでしまったのか。どこで間違っていたのか、何が悪かったのか
今はもう分からない。


 もし間違っていたというのなら、それは初めからだったろう。

 秋の夜の、忘れられない事件。


 あの時僕にあったものなんて何にも無かった。
 人との接し方も知らない。親子の在り方も知らない。
 死んだ親にどうしてやればいいのかも知らない。一人でどうやって生きていくのかも全く分か
らなかった。


 初めから空っぽのままだった僕にある時詰め込まれたのは、ヒトは死ぬという事実だけ。


 一つきりのモノにとり憑かれて、後はそれだけしか考えなかった。道を探すこともせず、
ただ一つ見えた道だけを突き進んできた。間違ってるかなんて知らない。ただ必死だった。

 
 戸惑って膝をついた瞬間、自分は二度と立ち上がれずに消え去ると思ったから。
 だから、
 一つしか見つけることの出来なかった自分の生き方を振り返りもせずに繰り返した。



「…………あ、あぁ……うう……」 
 いつの間にか泣いていた。何年ぶりに自分は涙を流したのか。


 死ぬことに対しての涙ではなく、ただ、自分自身が悲しくて、情けなかった。
 僕は、今までずっとずっと、一人で空回って、それでもどこかで間違いを認めなかった。

 それがどんなことよりも間違ったことだと、どうして気づけなかったんだろう。


 ―――“死ぬとはどういうことなのか” 生きてるうちに見つけてやる―――


 幼い頃に繰り返したその言葉は、ただただ後悔しか生み出さない。 


 
 狂ったままの自分は、生きている意味なんてあったのか。
 この17年間、僕は一度でも人間として生きたことがあったと言い切れるのか。無いのなら……




 いっそのこと、ここで消えてしまえばいい。





 そんな中で。

 男がニヤニヤと笑っているのが、無意識に一瞬目に映った。


 その瞬間、視覚を除いたすべての感覚がなくなった気がした。


―――この男も、今まさに消えようとしているのを見てこの上なく楽しんでいる。

 いや、楽しんで“きた”んだ。


 街の人間を次々に惨殺していったであろうこの男は3年前から、
父も母もその時を平和に生きていたであろう人を、
踏みにじって、引き裂いて、
何も考えられなくなるくらいにズタズタにして、

 彼らは希望をなくし、自分をなくし、感覚も真っ黒に染め上げられて死んでいく。
 存在は消えて、生きていた事実も消えて、周囲の人間は泣き叫んで狂ったろう。
 

 それを見ながら感じながら、目の前の男はケタケタと笑っていた。


 

               自分と同じ。


      ずっとずっと、そんなことを繰り返していた。





――――ビキッ、という音が自分の体に響いた気がした。

 今の今まで生きてきた中でただの一度も感じたことの無かった思いが、
ふつふつとこみ上げる。
 
 目の前の男のにやけ顔がどうしても意識を留まらせて。
 悔しさと自分への憤りがどうしようもなく歯を食いしばらせた。

  僕は目の前のこの男と、何が違うというのだろう。




 動く筈のなかった体が軋みを上げながら、無気力だった自分を奮い立たせた。
 


 ……死にたくない。
 死ぬことは出来ない、今こんなところで。

 こんな馬鹿げた勘違いをしてきた自分は。
 
 



        誰よりもこの世を生きて、この世から退場した人たちに謝らなくちゃいけない……!



 
 感じることなく止まっていた“衝撃”は“痛み”と名を変えて戻ってくる。
 大丈夫。さっきの感覚に比べればたいした問題じゃない。


 ならば残った気力で立ち、目の前の男の顔面を殴りつけるには充分。

 




 男は足を引きずりながら近づいてくる。刃物が僕を捉えるまでおよそ5歩。

 息を呑んで、うつ伏せの体勢になる。



 4歩。右手を地面に付けて、力を籠める。


 3歩。血を吐きながらも、膝を曲げて備えた。


 2歩。これまで以上に歯を食いしばり、意識をはっきりと呼び覚ます。


 1歩。左手で拳を握り、右手足に籠めた力を一瞬にして、爆発させた。





 バネのように起き上がった体に振りかざされた刃物を、押し上げた右手でそのまま
受ける。骨に直接刃物が差し込まれた。それでも動きを止めることはしない。

 咄嗟に右手を打ち込まれた刃物ごと旋回させて、次の拍子に男の顔を捉える。



「うおおぉぁああっっっっ!!」
 そして―――、左手に籠められた感情と一緒に拳を目の前の男に叩き込んだ。

 この瞬間、自分の間違い―――道を踏み外していた僕自身の歪んだ思いを全て
振り払う―――!



 男は驚きとともにふっ飛んだ。それも当然、地を這う虫けら同然の死にぞこないに
自らの顔を汚されたのだから。
 完全な油断と、こちらの覚悟が、決定的な一撃を繰り出させるに至った。

「ギ―――グギギ――!」
 初めて男が口から発した音は、人間の言葉とは思えなかった。
 顔は引きつり、握った拳からは血がしたたり落ちている。


 だがそのまま男は僕に止めを刺そうとはせずに、足を引きずり林の方に去っていった。
 目を横にやると、車の光が遠くに見えていた。どうやら、目撃されてはまずいと
とったらしい。


 霧は晴れて。冷たい空気の中、戻ってきた吐き気と同時に意識は途切れた。




[71] 5  ―――自殺
ミヤ - 2008年03月28日 (金) 17時19分



 ―――相変わらず異常は誰にも異常ととられることなく、変わらず続いている。

 にもかかわらず、あまり日常から変化したというわけでもない。周りと話すことも
多くない自分には見過ごせないほどの問題とはいえなかった。




 ……が、それはあくまでも一つ目の問題だけにいえる事だ。
 二つ目の異常は便利とか不便とかでは片付かない。今日で三日が過ぎているのだが、たった
数十メートル歩いただけで額に汗が滲み、息も乱れきっている有様である。

 歩いて家に戻ったらとんでもない高熱に悩まされた。家に着いたらもう体の疲れは限界に達して
いて、朝まで続く熱にうなされたままだ。起きた頃には何とか熱が下がっているものの、全身の筋
肉が断線したかのように力がまったく入らない。何とか立ち上がれるようになるのは目を覚ましてか
ら、一時間程たってから。


 この日は三時間ほど遅れて登校した。日に日に自分が地に足をつけていられる時間は少しずつ、
確実に短くなっている。この分だと、完全に外を歩けなくなる日もそう遠くはないと思う。
 今は微熱に侵され、体の関節が痛む。授業なんて欠片も耳に入らない。幸か不幸か、担任には
僕など見えていないので何も言われず休んでいられた。

 ……もしこれで、刺された傷なんて残ってたら今頃は確実に墓の中だろうな。 
 くだらないことを考えてるうちに、午前の授業は終了した。






 昼休みになっても微熱にうなされ、僕は風が当たる屋上にやって来た。ここは風が程よく吹き抜
ける校内でもひそかに人気のある場所だそうだ。陽当たりの良い場所でごろんと横になった。

 ボーっとした頭に吹いてくる風が心地よかった。そこへ、
「きみ、三山君だよね」 
 細く覇気のない、しかし穏やかな声。それは確かに僕に向けられたものだ。顔を上げると気弱
そうな男子生徒が一人、立っていた。顔に見覚えがある。たしか……
「ええと…小野原君……だったっけ。ごめん、名前覚えるの苦手でさ」

「ああ、小野寺だよ。僕は目立たないし、無理ないね」
 小野寺、という生徒は頭を掻きながら言った。

 話を聞くと彼も教室はいづらいというので屋上へやって来たそうだ。似たもの同士なのか、僕た
ちは実に気が合った。しばらく他愛もない話をしたのは新鮮な経験だったと思う。
 初めて同年代の人間とまともに話をしたという嬉しさももちろんあったが、それ以上に現状では考え
られない他人からの接触に驚いていた。
 

 なぜ、彼は僕に声をかけることが出来たのか。疑問が渦巻いたまま、昼休みは終わった。
 教室に戻る途中も、その疑問は拭えなかった。なにしろ普通の人間には僕は見えていないのと同じ
なのだから。
 そんな考えも、教室に戻ると消えた。戻ってきた途端、何人かの生徒が僕の横に立っていた小野寺
君に声をかけてきたのだ。
「よぉー小野寺。三日も学校休んで何してたんだ?」

「学生が学校サボるなんていい度胸じゃんかよ」


 ……こいつらは確かクラスの中でも随分と騒がしい集団だ。午前中いなかったということはついさっき
学校に来たらしい。小野寺君の名前は忘れていたが顔は僕も覚えている。確かにここ三日顔は見てい
なかったが、それにしても随分な言い草だ。

 小野寺君は目を合わさないようにして自分の席へ向かう。それが気に障ったのか、
「おい、なにシカトしてんだよ!」
 とその二人は彼の胸ぐらをつかんだ。小野寺君がうめき声を上げる。
 
 クラスの連中は見て見ぬフリ、同じグループ内の奴らはニヤニヤ笑いながらその光景を眺めている。
「やめろ」と言おうとしたが、突然眩暈がして、床に膝をついた。次の瞬間、小野寺君は投げ飛ばされて
背中から床に叩きつけられていた。息が止まったかのような苦しそうな表情で彼は大きく咳き込んだ。
「気持ち悪ぃんだよ! てめぇ」
 もう一人が腹に蹴りを入れる。小さい悲鳴が上がった。

 止めようと上がらない膝を必で立てて熱で揺れる視界を無理矢理持ち直させて、二人に飛びかから
んとしたその時だった。




「そこまでにしとけ」
 笑いながら眺めていた集団の中の一人が、立ち上がって二人の男にそう言った。意外といえば意外
だった。同じ集団の一人がその騒ぎに割って入ったのだから。そいつはその集団のリーダー格、といっ
た感じがする。


「な、何だよ。お前には関係ねえだろ?」
 一人がそう返す。

「まあ、お前らがどうしようが構わねえ。構わねえが……そんだけやったんだ、それ以上やるのは流石に
黙って見てるわけにはいかねえ」
 よく分からない言い分でそいつは止めろと、二人に告げた。

「別にどうなったっていいじゃねえか、こんな奴。お前もこんな奴に構ってたら、殺されちまうぜ?」
 もう一人は完全に訳のわからないことを言う。小野寺君が危険だ、と言うのか。

「…………」
「分かってんだろ!? こいつぁ殺人鬼を見たってんだ、今に殺されるぜ。こんな奴の近くにいたら一緒
に殺られるに決まってんだ」
 ……なんだって? 彼が、小野寺君があの男を見ていたっていうのか……? それじゃあ彼は、
三日間学校を休んでいた間、警察にいってそれから、怖くてたまらないというのに、それでも今日やっと
ここに来たのではないか。


「分かったら邪魔すんじゃ……ぐっ!!」
「……おい」
二人のうち一人は、先ほどの小野寺君と同じように首を締め上げられ、そのまま壁に叩きつけられた。

「そいつはたまたま見ただけだろ。それが何だ」

「お、お前なにしやがんだ!!」
 もう一人が殴りかかってきたのを、そいつは軽々とかわしてこれまた軽々と床に沈めた。教室にいた者
全員そのあまりにも意外な展開に言葉を失くしていた。そのままそいつは機嫌が悪そうに出て行く。

「この次同じこと口にしたら、脅し抜きでツブすからな」 
 そう一言言い残して。

 次の授業の教師が来るのは、それから数分後のことだった。







 放課後、校舎に生徒はいなかった。学校の方針なのか、日が暮れるまでに下校しろと言われている。そ
んな中、窓から外を眺めていたら、屋上に一人の人間を捉えた。
「……! 小野寺、君……!?」
 屋上にいた彼は、端の方で佇んでいた。気になって早足で屋上に辿り着く。



「…………三山君か」
 彼は僕の方を見ずに屋上から下に広がる石畳を眺めながら呟く。こっちなどまるで興味ない、といった感
じだった。
「小野寺君、どうしたんだ? もう下校時間は過ぎてる。さあ、帰ろう」
 
「…………僕さ、殺人鬼を見たんだ」
 ふと、彼はそう言った。
「……」
「あいつはいつか僕も殺しに来る。そう思って学校にも来れずに家で震えてた」

「……あいつらの言うことなんて気にするなよ。心配ないって」

「怖いんだよ。いつあの男が現れるかと思うと、頭がおかしくなりそうになる。眠ることも出来ない、もう限界
なんだ僕は!」

 彼は心がもうボロボロになっていた。それは人間としては当然のことで、恐怖に長時間さらされた人間が
壊れ始めるのに、そう時間はいらない。

「もう僕のことは放っておいてくれ。今すぐここからいなくなってくれよ!」
 
「……っ!」



 僕は屋上を後にした。彼の言葉に逆らえなかった。

 彼がどうするのか、何となく分かってしまっていたから。
 それを自分ではどうにも出来ないというのも、分かってしまった。



 人間が恐怖から逃れることは難しい。原因が自分の力をはるかに超えている場合はなおさらだ。心臓は
常に鼓動を早くし、五感までもが過敏になり、その人間の精神は削り取られていく。削り切られたら最後、
その人は俳人となり、心を失うのだろうか。

 逃れられないならば、心というものを失くせばいい。彼は最後にそう考えた。


 

 止めろ。一体僕は何をしている。のうとしている人間を止めるのが、お前の誓いじゃないのか。

 自分の中でそんな言葉が巡る。だがだからといって無駄だと分かっている事は出来ないと、僕の頭は
拒んでしまった。彼を助けたところで、救われない。あそこまで枯れ果ててしまったあの男に、これ以上
どうして苦しませることがある。

 小野寺君は苦しんでる。僕なんかが勝手なことを言えないくらいに追い詰められたんだ。もう、いい加減
にそれから解放してやりたい。もう彼を苦しみから逃がして…












「―――――たまるか」
 

 
 次の瞬間、口は正反対のことを言っていた。

「逃がしてたまるか。たった数日で自分の思いを曲げるほど軽い男じゃないぞこっちは!」 
 階段を上る。足はビリビリと痺れはじめ、息は途端乱れ始める。そんなものも今は全く気にならない。
 
「ちょぉっと待てえええぇぇぇぇぇ!」
 叫びながらフェンスの向こうにいる小野寺君に向かって走る。小野寺君は驚いた顔でこっちを見た。
 
 フェンスに掴みかかって小野寺君を引き止める………はずだったのが。

 

                 ベキッ

 

 脆くなっていたのか、それともあまりにも勢いをつけたからか、はてまた欠陥工事か。
 ともかくフェンスの網の部分から突き抜けた僕の体は、そのまま小野寺君を通り越して空に舞った。

「って、の゛あぁあ゛あ゛あ゛ぁ゛ああぁあぁっ!!」
 まっさかさまに落ちていくかと思いきや、
「……三山君…!」
 小野寺君が僕の足を掴んだまま、ブロックに足を縛りつけた格好だった。

「お、小野寺君っ! 君まで落ちるって!」 
 何とかして手を離すように言う。が、

「だだだ、だって離したら君がぬだろ! そんなことできないよ!」
 聞けば感動的な台詞かもしれないが、聞いてるこっちは無性に頭に来た。

「に゛ゃに゛おおぉー!? さっきまで飛び降りようとしてた奴が人が落ちるのが耐えられないってなんだ
そりゃあぁ!? 怖いんなら最初っからするな、このくたばり損ないがっ!」
 自分でも何を言ってるのか意味不明で。

「な、何だよ! どうだっていいだろ僕のことは! ほっとけって言ってるのにわざわざ戻ってきて間抜け
にも程があるぞ!」
 向こうも負けじと言い返してくる。



 そこに、
「そんな状況で何で漫才やってんだ、おめーらは」
 聞き覚えのある声が聞こえたが、見ることができない。と思うと、そいつは小野寺君ごと僕を引っ張りあげた。




「ったく、手間かけさせやがる」
 引き上げてくれたのは、昼休みに2人組を悶絶させたあの男だった。

 とにかく助けてくれたんだからお礼を言うべきだが、その前に一つ、
「君の名前何だったっけ?」
 切り出した言葉が、これだった。

「……同じクラスで名前知らないってどういうことだ。ケンカ売ってんのか」
 と、言わんばかりの表情でこっちを睨んでくるチンピラ混じりの男。頭を掻きながらそいつは呟いた。
「目粒志、だ。変な名前だから自分でも気にいらねえんだが」

 ポカンとした。めつぶし? そんなバカみたいな名前が存在するとは。それはともかく、
「助かったよ、ありがとう」
 とりあえずお礼を言うと、目粒志は溜息で答える。

「ま、これに懲りたらおかしなマネはやめるんだな。日も暮れたし、さっさと帰れよ」
 そう言い残して、目粒志は屋上から去っていった。




「…口喧嘩したら、何かバカらしくなったよ」
 小野寺君が、ふとそう言った。その顔はどこか清清しかった。
「ごめん、三山君。もうバカなマネは止めるよ。また明日、学校で」

 何だかどっと疲れたが、最後はこちらも笑って返す。
「うん、それじゃあまた明日」


 空は薄らと赤紫色に染まっていた。気分は穏やかだったけど、疑問は拭えない。僕を確認できた
人間がこれで二人になった。

 ……? もしかすると、勘違いしてたのか。僕は確かにとんでもなく影が薄くなったけれども、
消えてしまったわけじゃない。
 もしかして、その場に僕しかいない場合、僕に目がいくのだろうか。存在感のあるものが周りにない
時だけ、人は僕に気づいてくれるのか。

 まあとにかく、今は小野寺君の問題が無事解決……したにはしたが、あいつの真意だけ聞いておかな
くては。

         

 次の日、僕は放課後に目粒志と話をした。
「何だ、お前が俺に話があるなんてずいぶん珍しいな」
 目粒志は沈みかけの夕陽をぼーっと眺めている。

「昨日、君が二人組に割って入ったのは、何でなのかなって思って」
 
 虚を突かれた、といった顔をした後そいつは当然と言わんばかりに、

「あいつらが鬱陶しいから」

 と言ってのけた。全く悪気もなく、自分の発言がおかしいとも思ってないらしい。
「うっとうしい…?」
 小野寺君を結果的に助けたこの男は、たったそれだけの理由でこういう行動をとったんだろうか……?
「あの二人が言ってたろ、殺人鬼が小野寺を殺しに来るからあいつに関わるとぬ」

 確かにあの二人はそう言っていた。それでも、こいつの言動から考えるとそれだけで手を出した
ようには見えない。
 こちらの考えを無視して目粒志は続ける。


「まあ分からんでもない。人間ってのは自分達と違うものは徹底的に排除したいと考えるもんだ。どれだけ
力や技術を持ってたとしてもそいつ個人は非力で臆病だからな。
そのクセ、自分は他のものより勝ってるっていうプライドも併せ持ってる。

 だからこそ、自分たちと違う境遇にあるものを集団で踏みつけて、自分たちの自尊心を満たす。臆病である
からこそ、弱さをさらに弱いもので隠そうとする」

 話し続ける目粒志からは、先ほどのとぼけた表情は微塵もない。

「あいつのせいで俺たちまで危険に晒される、ってのが二人の言い分だったが、そんなもの通らない。全員
対象になり得るんだから、小野寺に押し付けるのはふざけてるだろう?
 どの道俺たち全員これから逃げるなんて出来やしないんだからな」

「じゃあ、小野寺君の為にあの二人を……」

「なワケねえだろ。 俺が一番腹立つのはあの野郎だ」
 途端に目粒志の顔は不機嫌になる。


「え…? 何で?」

「怖いかなんか知らねえけどな、そんなもん皆同じだろうが。勝手にあいつ一人逃げてるだけだ」
 吐き捨てるように言う目粒志。それにどうしても、素直に「うん」という気にはなれなかった。

「小野寺君は目の前で見てるんだ、お前等みたいに気楽でいられないんだよ。目の当たりにしてない
奴に分かるわけないだろう」
 なぜか分からないけど、勝手なことを言われたくはないと思った。自分でも思ってることの正反対の
ことを言ったがしかし、

「分かるさ。俺も同じだったからな」
 そいつは教室の出口に近づきながらそう言った。同じ、といことはどういう事なのか。

「小っちぇえ頃に強盗みたいなのが入ってな、親父もお袋も姉貴も血まみれだったよ。俺は一部始終
見てて、まあ逃げ出して奇跡的に助かったんだが」

 ……それは、この男もいつ強盗が殺しにやって来るか毎日怯えながら、日々を生きたということなのか。


「聞きてえのはそれだけか? なら帰るぜ」
 返事も聞かず、扉を乱暴に閉めて目粒志は出ていった。

「…………」
 引き止める言葉も無かった。

 僕は本当に、あの二人に何かを言う資格があるんだろうか。

 

        ■

 目粒志 徹は夕焼けの道を歩いていた。昔の話をしたためか、気分が優れない。カラスが電線にとまり
ながら鳴き続けているのが、無性にイライラする。電柱を蹴ると、どこかに飛んでいった。

 何年も昔のこと、家族は強盗に襲われた。隠れて震えていた自分は、見つかった時に必で逃げた。
 とにかく逃げた。家族がどうなったかなんて振り返ることも出来なければ、強盗を撃退するなんて事も
出来はしなかった。ただとにかく知っている人の家に駆け込んで警察を呼ぶことしか出来なかった。

 警察が来た頃は、すでにコトは済んでいた。家族は血に溺れて、自分はいつ来るかも分からない強盗に
神経をすり減らした。

 それから目粒志徹は逃げるという事自体を異常に嫌った。どんなことにも立ち向かったし、自分を常に
前に進ませた。だがそれが本当に自分が望んでいたのかは、今は知らない。
 
 自分が強くなるためだったのか。それとも、
 ただ、自分が家族を捨てた「逃げる」という行為そのものが嫌だったのか。

 考えれば考えるほど分からなくなる。


 「……くっだらねえ、何であんな話したんだ、俺は」

 音が遠くなった夕陽の帰り道は、余計に気分を重くさせた。       


        ■



[72] 6  ―――氷の街
ミヤ - 2008年03月31日 (月) 21時48分

  

        ■

「そうか、分かった。しばらくはゆっくりするといい」
 
『ありがとうございます、おじさん。体が治ったらまた署にも顔を出しますので』
 そうして、聞き慣れた気がする声は、電話を切る音とともに途絶える。
 机の向こうから、若い刑事が話しかけてきた。

「あれ? 有馬さん朝から誰と話してたんです? もしかして“これ”とか?」
 親指を立てる仕草を見せる勘違い男。

「馬鹿抜かすな。彼だよ」

「……? 彼って誰です?」
 首をかしげる仕草を見せる察しの悪い男。

「そりゃあ…………、……? あれ……? 誰と話していたんだっけ…………?」
 今さっきの声の主が、浮かんでこない。

「ええー? ちょっと大丈夫なんですかぁ? 年には勝てないってヤツですかねえ」
 ダメだこりゃ、の仕草を見せる無礼な男。

「ええい、馬鹿いってないで仕事だ仕事。ボヤボヤするなよ」 



 綻びは見つけられることはなく、ただただ時間が流れていく。


        ■





 土日ともに署に行かず、体を休めることにした。夜になって、体がますます重く
感じられるようになってきていたのだ。

 小野寺君の件で階段を思いっきり駆け上がったせいか、力も入らなくなってい
た。
 立ち上がるだけで軋み始める足では、外を歩くのもままならない。

 まあ、たぶん暫く眠っておけば、ある程度回復すると思う。


 この日は、そのまま眠りについた。
 とにかく、この二日の休みの間で何とかして体調を戻さなくては学校にすら行け
なくなる。

「……くそっ、自分の体がここまで思い通りにならないのが、こんなにイライラする
とは……」
 



 ―――目を覚ましたのは翌日の夕方だった。体は幾分かマシにはなっている。
 微熱も引いていたし、足の痛みもない。

 久々に散歩にでも行こうか。天気のいい日に家にじっとしていなくてもいいもんだ。
 家を出て、駅前とは正反対の方角に歩いていく。




 と。しばらく歩いているところで、パトカーが数台止まっていた。野次馬も集まっていて、
遠目で見ても目につくくらいの騒ぎだった。

 野次馬に紛れて現場を見たら、そこは夕焼けの街に似つかわしくない光景が広がっている。
 死体がゴロゴロと転がっていたのだが、その状態が普通とはいえなかった。


 まず、原形を留めている死体は一つもない。ある死体は肩口がかろうじて体についている
有様で、首から上が吹き飛んでいた。
 
 またある死体は全体をプレス機にでもかけられたかのようにひしゃげて関節が有り得ない
方向に曲がっている。

 骨が陥没している死体もあれば、ほとんど粉々になって人間とも思えないモノになっている
死体もあった。

 首を絞めた跡が残っている死体に至っては、咽喉から鎖骨まで骨が粉砕されていて、皮膚も
ズタズタになっている。

 ひどいものになると、口から心臓部分までが削り取られたかのようになっていて、臓器までが
見えている。
 恐らく、口に手を突っ込んで力任せに振り下ろしたのではないか。
 
 当然だが、人間に出来る行為でも芸当でもない。



 だけど、あの殺人鬼の手口でもなかった。ヤツは対象をバラバラに切り裂くのだから、これは
全く別のモノが起こした事件だと思う。
 
 青ざめた顔で死体を眺めている野次馬たちをあとにして、もう少し街を歩いてみることにした。

 


 夜の8時頃になると、人通りはほとんど少なくなった。
 街の明かりも賑やかな雰囲気は無く、既に深夜を回っていると思わせるほどに静かになる。

 体はマシになっていたというのに、たかが2時間歩いただけで息も上がりに上がっている。
 一休みしようと公園に入ろうとした時。



「うわわわわっ!」
 公園に入るための階段に足をかけた途端、力が入らなくなって。
 次の瞬間、階段から転がり落ちた。

 打ち所が悪かったのか、一番下に落ちる直前に意識は途切れてしまった。
  





 生暖かい風が強く吹く中で目を覚ました。体中が痛むが、傷などにはなっていないらし
い。公園の時計を見ると、夜中の11時になっていた。

「……さ、三時間寝てたってのか? 僕は」
 殺されそうになった夜にも夢まで見て眠っていた事もあるし、どこまで呑気者なのか。
 自分に呆れる。とにかく、さっさと家に戻ったほうが良さそうだ。

 
 公園は電灯も何もなく、風の音だけが吹き抜けていく。階段を上って街の方に出たら、街
も明かりはほぼ消えていた。
 
 とはいっても、人が少ないことを除けば別に普通の街並みだ。少し安心して、ゆっくりと
道を歩き続けた。







 だが数百m先の街はそれまでの風景とその甘い考えをひっくり返す。


 ぐしゃ、という音と、びしゃびしゃびしゃっ、という音が同時に聞こえて、背筋が凍った。


 目の前には、呻き声とも悲鳴とも取れる声を上げながら処理されていく半死体がある。

 
  
   
 そしてそれを丁寧に、しかし惨たらしくさばいていたのは、
 僕と同じ、いや
 引き裂かれている死体と同じ、


 
 人間の手によるものだった。 
 

「…………っ!!」
 胃から体の中のものをぶちまけそうになるのを必死に堪える。

 もはや人間とも呼べないソレは刃で出来た扇風機に巻き込まれていくかのように秒
単位で血と肉片に変わっていく。


 信じられない。 ヒトの体を素手で引き裂く人間なんて存在するはずない。
 そして。そんなことが出来て正気でいられるニンゲンなどいるはずがない。


 一体目の前に立つ人達に何があったというんだろう。醜く微笑みながらソレらはつかつかと
近寄ってくる。とっくに人間としての意思はない。

 作業を終えた血まみれのヒトは、標的をこちらにうつしたのか、その怪しい目をこちらに光らせた。

 目からは理性というものも既に見られない。言ってみれば、ゾンビと大差ない。
 その体は服もボロボロで、片腕は切断されかのようなキレイな切れ口だった。



 笑いながらソレは迫ってくる。傍にあるヒトの残骸を見て、自分が1分。いや30秒でアレと
同じになると思うと。

 体の状態なんて気にしていられなかった。




 走った。とにかくアレから離れるしか考えつかない。 



 それでも。
 ビル街は暗く、更に多数の狂った人間が立っていた。
 
 どれもこれも、体の一部はなくなっていたし、服なんてあってもなくてもいいようなものだった。




「あ―――う」
 足元には誰のものかも分からない肉が敷き詰められているかのように散乱している。


 ヤツらはまだ生きている人間を手当たり次第に侵しながら近寄ってくる。

「だ―――だずぐぇべっ……!」
 中年のサラリーマンが頭から踏み潰される。

「ひ―――あ゛あ゛あ゛あぁっっっ!!!!!」
 OLらしき女性も背中から切り刻まれていって、途中でピクリとも動かなくなっていく。



 必死に逃げ回っていたチンピラ風の男は腹にかすった部分が裂け、血が噴き出た。
「うぎゃあああぁあ、ぁぁあああああぁっっ………っ…」

 倒れたチンピラは腹を押さえてゴロゴロと転がる。転がるたびに傷口はきたなく汚れ、
ますます苦しみ続ける。もがけばもがくほど、血は地面を染め上げていって、

 最後には、動かなくなった。その体を、さらに踏み潰されてひき潰された。



 ……なんだ、これ。

 あいつらは一体、なんなのか。
 なぜあんなにも同じ人間を料理でも作るかのようにツブせるというのか。

「…………っ!!」
 気づけば、背後に狂人がいた。列車のように早い一撃は間一髪で避けられた。

 というのに、首元が切れて、血が飛ぶ。
 少しの差でかすっていたのか。血の出方は半端ではない。

「ぐ……っ!」
 二撃目を地を転がりながらかわす。路地裏にまで逃げたところで、足の付け根に
一撃を食らった。

「うあっ!!! ……!」
 クマにでも引っかかれたかのような傷が、踵に出来て。踏ん張る事も出来ずに地面へ
頭から突っ込んだ。

 咄嗟に体を返して、ゴロゴロと不恰好に転がると、タッチの差でヤツらは地面を踏み
つける。ビキ、という音と共にアスファルトの地面が砕ける。


 冗談じゃない。あんなもの食らったらイノチがあったとしても、痛覚がぶっ飛んでイカレて
しまうに違いないぞ。


「がっ!!」
 と、油断したところに横っ腹を蹴られ、行き止まりの壁まで吹っ飛んだ。材木の山に突
っ込む。そしてとうとう彼らに囲まれて逃げ場もなくなってしまった。

「しまっ………」


 少しずつ、ヤツらは歩を進めてくる。

 
「はぁー…、はぁー…、はぁー…、…げふっ……」 
 息が上がり、血反吐は止まらない。意識がいつ飛んでもおかしくない。
 足なんて痛いとか以前にもう動くかどうかも分からない。

 そんな中でこちらの状況を嘲笑うかのように狂者の群れはやってくる。


 最悪だ。
 このまま何の行動もしなければ確実に死ぬ。


 左側のアバラ骨はとっくにボロボロだろう。終わりだ。今の僕にはヤツらを撃退するのも、
撒くのも絶望的。

 もう、とるべき手はない。自分はここで狂い死ぬだけなのか。


 
 そして、次の一撃が、肩口をかすった。一瞬で肉は裂け、骨が外気に晒される。
 今度こそ、立ち上がる気力も痛みに圧されて無くなってしまった。

「…………く…」


 意識はそこで消える。 現実か夢かも分からなくなってしまった。


        

 ……ヒトが歩いてくる。 そいつを見ると、なぜかは分からないが、思い出のような。
 穏やかなものもあれば少し汚れた風景も見えた。


 きっとそれは。そのヒトの辿ってきた記憶なんだろう。


 でも自分の記憶は、ドス黒い背景に赤々とした血塗れの禍々しい一枚絵。
 血生臭い、だけどただ一枚の自分を表したモノだった。

 
 ……思い出なんて、自分にはないというのだろうか。 
 愕然とした裏で、無性に腹が立った。



 



 
 ここで、僕は死ぬのか。      


                                         ……こんなところで、死ぬのか。




    あんな酷いことを、されるのか。


                                  ……あんなことをされて、黙っているのか。




      なぜ、僕は殺されなければならないのか。


                     ……なぜ、こんなヤツらに殺されてやらないといけないのか。




         一体、僕が何をしたというのか。


                      ……ここまで我慢してやったのに、まだ何もしない気か。




             あいつらは、あまりにも残酷だ。


                                 ……ヤツらは、そろそろ目障りだ。


  

                僕はこんなことをしたあいつらを、許さない。


                       ……僕は、ヤツらの手際の悪さが腹だたしい。




                         僕がこの手でヤツらを、


                     ……僕がもっとキレイに上手に確実に、

 







      



                            ―――殺してやる。










[84] 7  ―――時殺
ミヤ - 2008年04月12日 (土) 00時11分

 


 意識が、戻った。目の前には迫り来る狂人たち。それらの体を冷静に捉え、

 肩口からボタボタと流れる血も気にせず、散らばった木材に紛れていた窓ガラスの
破片を拾い上げて、片足に力を籠めて跳ぶ。

 ガラスの尖った部分をすれ違いざまに一人目の膝に貫き通す。呆気なくそいつは膝を地面に
つき、倒れこむ。
 
 更に頭を掴んで壁に何度も叩きつける。しばらく続けているうちに腕はだらりと下がり、
動かなくなっていた。
 やはり化け物じみていようと元は人間。脳を破壊されればその瞬間停止するらしい。

 二人目の狂人が近づいてくる。振り向きざまに軽く足払いをかけて転ばそうとすると、



「……!」
 払いにかかった足はいとも簡単に止められた。いや、止められたのではなく、止まった。
 相手は足の筋力だけで不意打ちの一撃を耐え切ったのである。……やはり、こいつらは
肉体面が異常に発達している。蹴ったこちらの方が痛いくらいのもので、先ほど抉られた
踵の傷から血が勢いよく噴き出た。

「ふん。我慢強さもたいしたもんだ」
 そこから体勢を立て直して蹴り上げた足は顎をうち抜いて二人目を沈めた。脳を揺らした
一撃が効いたのか、相手は起き上がらなかった。



 そこへ三人目、四人目、五人目と、続けて襲い掛かってくる。そのうち一人が刃渡り20cm
程のナイフを構えていた。

「く、気が利くじゃないか。獲物がエモノを持ってるなんて」
 三人目、四人目の一撃をかわし、さらに壁際へ跳び、壁を蹴る反動で五人目に近づく。
 五人目の狂人がこちらに気づくと、ナイフを振り上げた。



 ガシュッ、という音がしたと同時に、ナイフは肘の骨を貫いて二の腕にまで突き刺さって
いた。その一瞬で、左手に握ったガラスで相手のナイフを持った手を手首ごと切断する。



 距離をとって肘からナイフを抜き取ると、血が噴き出ているのも目にとめないで三人の
脊髄、頚動脈、脳幹と順番に、正確に切り裂いた。



 幸か不幸か。
 人体の急所全てを心得ている三山健一は、この時最強の殺人機械となる。



 残る標的は五人。いとも簡単に仕留められる。

 二人をこめかみからナイフを通し、殺した。次の二体は背骨にナイフを突き立て、
その後で適当に料理した。

 残るは一匹。これまた簡単に―――、


「ぐっ!?」
 足が踏み込んだ瞬間に沈んだ。二人目の顎を蹴りつけてやったヤツが、
僕の足を掴んでいたのだ。

「この―――!」
 首元にナイフを差し込むと、動かなくなった。が、足は内出血し、痺れが来ている。
 しばらくは立ち上がれそうにない。
 
 最後の一人が近づいてくる。このままでは紙粘土のように砕かれるだけだ。
 ナイフを右手に持ち替え、構えた。


 痛みのせいか、また視界がぼやけてきた。冗談じゃない。
 今意識を失いでもしたら、次に目を覚ます事は絶対ない。


 
 意識が薄い中で、再びさっきの幻覚が見える。目の前にまた一枚絵のようなものが見えた。
 ちょうど心臓の部分に薄く浮かび上がっている。
 

 不快だ。自分にはないものが見えているのがこの上も無く不快だった。


 
 向こうから飛んでくる一撃を左手の肩で掠めて食らい、その腕を潜り抜けて、相手の心臓を
突き刺し見えていた一枚絵ごと貫いてやった。肩の関節はその掠めた一撃で完全に外れた。

 驚いたのはその後。刺した瞬間そいつは全くといっていいほどに、動かなくなった。


「……?」
 不思議だった。心臓を刺されたというのに立ったままで、断末魔も上がらないなんて、まるで
そいつは凍っているかのように、止まったままになった。
 でも、それ以上に心を奪われてしまった一つの光景が、佇む体の向こうにあった。


 道に転がる体の中に少女が一人、ぽつんと立っていた。



 細い体躯とは裏腹に凛とした目。
 小さい身体からは想像もつかない存在感。

 その場の雰囲気にそぐわないほどにその少女は綺麗で、荒れ地に咲いた一輪の、
儚げな花みたいだった。
 

 けど今はそれも気にするヒマなく、

「あ」
 血が流れすぎたのか自分の意識は持たず、そのまま眠りに落ちてしまった。
 

 





「気がつきましたか」
 数時間後、目を覚ました目の前には一人の女の子がいた。言うまでもなく、さっき体の
中に立っていた女の子である。
 

「え…と、君は誰?」
 とにかく、一番聞きたかったことをまず口にした。

「……え?」
 と、その女の子は面食らったように呟いた。

「あ、あれ? 何かまずいこと言った? もしかして、どこかで会った事が」
 覚えはないが、どこかで出会っているのだろうか。

「……あ、いえ。先ほどの貴方とはあまりにも雰囲気が違いすぎたので…」
 目の前の女の子は不思議そうに言った。

 つまり、さっきヤツらを殺し続けた僕の事を言っているのだと思う。が、しかし。
 僕自身、さっきの自分がなんであんなに気持ちが昂ぶっていたのか分からない。
 
 いきなり体中に熱が戻ってきて、何でも出来そうな気になってきたのだった。
 あの連中を前にしてあれほど無茶な行動を取れたのはもう奇跡としか言いようがない。

 どうやら、僕の身体は思っているよりもずっとおかしくなっているみたいだ。
 


 とにかく、今は目の前の子のことが気になるし、自分のことは後回しでいい。

「……私の名前、でしたね。申し訳ありません」
 咳払いをしてから、その子は言い直した。


「私は日向、日向 渚といいます。…あなたは…?」
 少し申し訳なさそうに尋ねてくる。何というか気の弱そうな子だ。

 …………む。
 こういう時に言うのもなんだが、その。 日向 渚という女の子は髪を頭で結わっており、独特の
装束というのだろうか、何というか街中を歩くには不適切というか、そんな時代錯誤な格好を
していた。
 反面、顔立ちは端正なもので、街中を歩いてもそうそうお目にはかかれないだろう。
 さらにその仕草が、何というか。 思わず顔が赤くなる。

 ……とりあえず、名前だ名前。
「え、えーと、あの。 ぼ、僕は三山健一って、いう」
 あんまりにも情けない答え方である。自分自身に呆れかえってしまう。

 その渚という少女は、目を細めて、少し低めの声で話し始めた。

「では健一さん。あなたも…先程の人達を見ましたね。今、この街は少々厄介なことになっているの
です。夜道の出歩きは非常に危険ですので、極力控えてください」
 日向渚の話は、自分の緩んだ顔も一瞬で引き締める言い分だった。
 
「厄介な、こと?」

「はい。
 ……ですがその前に、貴方の事を話しておきたい。貴方のその時殺能力は、
非常に危険なものだという事をよくよく分かっておいて欲しいのです」

 じさつ? いったいなんだそれは。そもそも僕はそんなもの持っていないし、そんなもの
聞いた事もない……

「なんなの? それ。僕は別におかしなもの持ってなんか……」

「……? ……そう。あなたは自分では気づいていないのですね。分かりました、出来るだけ
簡単に説明します。
 貴方は何故かは分かりませんが、時殺という恐ろしい力を持っている」

 そうして渚はひと呼吸おいて、再び話し始めた。

「人が誰かを殺めるにも色々な手段が存在します。銃殺、刺殺、絞殺、焼殺……。
 時殺というのは、それらの中でも特に知られていない、また最も確実に相手をこの世から
消し去る、本来人の手で持ってはならないとされる力です。

 その名のとおり、対象の時間を殺してしまう。つまりは、“相手が今この世に生きている
という事実そのものをこの世から消し去ってしまう”能力。その人の命ではなく存在を滅ぼす
のです。

 存在を消された人は殺した人間以外のものから、その認識が消える。簡単に言うと、その
人がいたという記憶が消えていってしまうのです。
 先程あなたは一人だけ、その能力を使って相手を殺してしまった。

 結果、私はその最後の一人を殺す瞬間は見ていますが、その相手の像がもう浮かんでは
こない。あなたが刺したという事実だけでその人物を記憶していますが、本人についてはもう
思い出す事すら出来ないのです」



 最後の一人は、僕が心臓を刺した相手だ。確かにそいつは、凍ったように動かなくなったまま
んでしまった。……つまり、生きているという事実がんだのだから、中の筋肉や血なども一切
動かなくなり、あとは誰の目にも留まらず、風化していく。

 結局、僕はどこで、そんなものを手に入れたんだろうか……?




「……僕がその、何だっけ。時殺っていう物騒なものを持ってるのは分かった。でも、どうして君は
そんな事を知ってるんだ? それに街が厄介な事になっているって……」
 
 とにかくそう、目の前のこの子がいったい何のつもりで僕に近づいてきたのか。
 それを知らないと今の話もどこまで信用していいものか…


「それがもう一つの話です。

 私は街から外れた里に住む一族です。3年前に、我々の一族の一人の男が里を抜けると言い、
里の人間を次々に殺害して出ていきました。私はその男を追ってこの街にやって来たんです。

 …里の人間は全滅、私は最後までその男を追いつめようとしたのですが、彼には敵いません
でした。私は瀕の重症を負い、引き換えに相手の片足を使いものにならなくしただけ。

 傷が癒えた今、その男を見つけ出し、同族を殺し里を抜けた男を亡き者にするために私はヤツを
探しています。今は、この街にいる筈なのですが……」


 ……片足を、使いものにならなくした? ならその男は、足が不自由なのか。
 だとすれば、きっと……

「僕が見たのは…その男だったのかな……?」

「! ……何か知っているのですか!?」 
 渚は今までにない顔でずい、と身を乗り出してきた。


「……少し前に、足を引きずった男を見たんだ。僕はそいつに殺されかけて……」
 
「殺されかけた? では、あの男から逃げたのですか? 一体どうやって?」
 そんなものこっちにだって分かりゃしない。あの時確かに僕の体は致命傷だったのにも関わらず
今もこうして生き延びている。

「……偶然車が通りかかったんであいつはいなくなっただけだよ。結局僕は何にもしちゃいない。
 切りつけられた傷もいつの間にか治って……」


 そうしてそこまで話して気がついた。目の前の少女が、今までとは全く違う、敵を見るかのような
目で僕を睨みつけていた。

「……傷が、治った…? ではあなたは、彼に傷を負わされながら生き延びた、という事なので
すか? あの男が標的を仕留めそこなうなんて有り得ないのに……」
 
 敵を見る目というのは間違いだった。どちらかというと、自分と全く異質のモノに向けるかのような、
そんな眼差しを向けてくる。

「と、とにかくヤツが来た事で街が厄介な事になってるって言ったな。さっきの事もあるし、知ってる
事を話してくれないか」

 視線を外してからじっと考え込んでいた渚ははっとして、
「あ、そうですね。
 ……この街に潜伏している男の名は、銅実蓮也というのですが、殺人事件を度々起こしている、
これまた非常に危険な男です」

「……あかさね、れんや…」
 その名前を、忘れないように胸に刻む。そいつは渚にとっても僕にとっても敵だということだけは
はっきりしている。


「そしてその男もまた、完全にではありませんが、時殺能力を持つ一人です」
 先ほど耳にした、その名前がまた話題に浮かんだ。が、どうも言い分がいまいちよく分からない。

「……完全じゃない? でも、人を殺す能力に完全も不完全もあるのか?」
 違いがあるのか、と聞くと渚は眉を落とす。
 
 どうやら人に説明をするのは本人も苦手なようで、顔に出やすいと思う。何て言うか、とっつき
にくいかと思ってしまったが、実は意外と分かり易い子なのかもしれないな。

「……何がおかしいのですか、健一さん」
 む、とした顔で睨んでくる。こういうところも分かり易い。

「いやいや何でも。それで?」

「……」
 しばらく渚はむくれていたが、やがて話は再開された。



「完全でない時殺能力は事実の変更、命の塗り替えが出来ません。
 時殺能力は相手の体を時間ごと凍結させることで霊体、つまり魂が入っていられない状態にします。
 
 そしてその霊体は能力者のもとへ向かい、飛び回ります。
優れた術者はそれらの霊体を媒介として自らの力を強化したと言われていますが、それを出来るの
は能力者の中でも更に数少ない。

 大抵は力及ばない紛い物に過ぎません。それらの能力は先程の工程をこなす事ができない。
 蓮也が持つ時殺能力は相手の体を殺すまでは可能ですが、霊体を自分のものにすることが
出来ないのです。

 結果、霊体はもう一度生きようとんだ自分の体に強引に戻りますが、体はんでいる為かつての
自分としての生き方は出来ない。そんな者たちがその未練だけで体を動かし、人として街を徘徊する
ようになる。
 それが、先程あなたが見た人たちの正体です。」

 じゃあ、僕が次々と倒したそれはみんな銅実蓮也という男に殺されたということか。
 知らず、手は汗が滲んでいる。いくら命が無くなっていたとしても、僕が切り裂いていったのは人間の
体だと思うと、どうしても既にんでいたからと割り切ることは出来そうになかった。

 
「蓮也が時殺能力を手にしたのはつい最近のようです。私も2年ほど前からヤツを追い続けていま
したが、このような事態はこの街に来て初めてでしたから。
 ヤツは自らの身を隠す為に街中の人間を殺し、人とさせて私の目をくらませるつもりでしょう。

 私が不思議なのは、あなたがそんな中でどうして殺されずにすんだかという事です」


 それは確かに考えれば考えるほど恐い。僕も間違えれば、あいつらと同じものになっていたのかも
知れないから。


「……あ」
 何かを思い出したかのように、渚は言う。 

「……先程失礼ながら、あなたが眠っている間に傷を診せてもらいました」
 ……今まで気づかなかったのだがよく見れば、包帯が巻かれていたり、外れていた関節もはめられて
いたりと、ところどころきちんと手当てがされている。

「あ、ありがとう、わざわざ」

「……いえ、蓮也との問題に巻き込んでしまった、私の責任です。本当ならあなたは私に怒鳴りつけて
いないとおかしいのですから」

 ……それは違う気がする。僕がとっちめるのは銅実蓮也の方であって、彼女に怒るなんてお門違いだ

「夜にほっつき歩いてる僕が馬鹿だっただけだよ。……でも、僕は銅実蓮也を放っておけない。
 あいつは街の人たちを次から次へと殺していってる。さっきみたいな人たちがもうこれ以上増えて
欲しくない」

 渚はきょとんとした顔で僕を見た。


「……不思議な事を言うのね、あなたは。自分が生きているだけでもこれ以上無い幸運なのですよ。
 だというのに見ず知らずの他人の為に拾った命をまた捨てるような真似をするなんて……」

 まあたぶん、一人の人間のとる行動としてはどうかしてるんだろう。
 
 ……確かに自分には銅実蓮也に対抗する手段なんて知らない。おかしな能力を僕が持ったって
使い道もロクに分からないやつがまともな相手になる筈もない。

 それでもやっぱり、答えは変わらない。

「僕はぬのはイヤだ。一度殺されかけた身だし、痛いのも怖い。だけど、人がぬって分かってる
のにそれを知らんぷりなんてしたら、ぬより後悔すると思う。

 ……僕はさ、今まで人がぬのをどこかで期待してた。んだ人達を蔑むことで自分は違う、そいつらみたいなことにはならない、って。
 そんな自分が大嫌いだ。生きてる以上、僕は今までの自分をひっくり返していかないといけない」


 ……言ってますます自分の馬鹿さ加減に頭を痛める。
 そんな話を今さっき会ったこの女の子に話したところで何にもなりはしない。そんなことは分かっていた。だが、その話を聞いた渚は、



「……そう。あなたはそうやって生きてきたのね…。







 これで、確信が持てました。





 あなたは殺されかけたのではなく。殺されている。
 確かに、あなたは銅実蓮也の手によってんだの」





 そんな事を、口にした。




[85] 8  ―――分裂
ミヤ - 2008年05月04日 (日) 20時08分


「……僕が、銅実蓮也に殺された?」
 

 ワケが分からない。だって僕は今もこうして生きている。体に異常は残ったものの、ちゃんと
今もこうして人間としていられているんだから。

「はい。確かに健一さんは蓮也によって殺されています。その証拠に―――」
 そういって彼女は、僕の胸の辺りに手を当ててきた。
         
「あなたの体は、“人間の体温ではない”のですから」


「……え?」
 人間の体温ではない? そんな筈ないだろう。僕は別に寒くもないし冷え性でも……

「これは自分では分からないと思います。あなた自身はこの体温に適応している。ですが事実、
体は死体のように冷たくなっています。

 当然、筋組織や内臓も全部が全部正常に機能しているとは思えません」


 ……その言い分は、今の自分に恐ろしく符合していた。僕の体は異常なまでに軋みを上げているし、心肺機能もメチャクチャだ。だが、

「そ、それでも僕はちゃんと自分がある。さっきの死人みたいに理性をなくしてなんかいないじゃない
か」

「ええ、ですから健一さんは完全に死んでいるというわけではないのです。恐らくあなたは、死に拒まれたからここにいられるのでしょう」

 
 いよいよ話が分からなくなってきた。そもそも“拒む”って何なんだ。死ぬのにハイもイイエもあるもんか。渚の言い分には正直ついていけない。


「……そ、そんな顔をしなくても…」
 
「いーや、流石に今の話は非現実的過ぎる。信じろって方がムリな話じゃないか」 


 意外と渚は押されると弱いみたいで、さっきからも何度か説明に対して「分からない」と言うと
うろたえながら説明しなおしたりと、妙に説明している時との態度にギャップがある。

 つくづく謎な子だと思う。


「い、いいでしょう、分かりました。徹底的にお話します!」
 しまいにムキになってくる。

「なるべく判り易くね」

「う…は、はい……」
 さっきとまた態度がコロッと変わった。……この子の性格は全く掴めない。




「えーと、では…こほん。




 ……生と死という二つの言葉を、私たちは“真理”としてとらえています。
 
 これらはこの世の誰もくつがえす事も否定する事も出来ません。それ故に、真理というものは
神の手によるもの、と考えられました。 

 そこから神の意思が宿った真実が理、または法則と呼ばれていった。
 ですから、生と死の二つの“法則”はそれぞれ意思を持っている、というのが我々の考えです」



 いきなり難しい話から始まったが、そこは我慢して聞く事にした。それにしても、神の意思というのもまた胡散臭い話ではある。


「古くから歴史上の人間はそれらの法則を見つけたことにより、歴史に名を残していきました。

 先程言ったように、法則そのものにも意思があります。彼らは人間のもとへ、神の手から途方もない時間をかけてこの世に降り立つのです。

 その時間は人間の一生の何十倍、何百倍とも言われていました。人がそれを探り出すほど、その
速度も速くなっていき、最後は必死で追い求めた人間のもとへ舞い降りる。

 もちろん、その前に命を失くす人間も数多くいました。凄まじい精神で追い求めた者に答えて法則は世に現れる。
 それが、歴史上に残る人たちの発見、“正の法則”。


 その正反対に当たるのが死、つまり“負の法則”と言われています。


 ―――死、というものは正の法則と違い、求めれば求めるほど遠ざかっていき、拒めば拒むほど
近づいてくるもの。人は死ぬのを恐れるけど、それが逆に死というものを側に寄せてしまうのです。
 だからこそ、人は必ず死ぬ。

 もしその『死』を自ら強く意識するならば、どうなると思いますか?」

 
 ……自殺願望とはまた違った意味でそれを意識する。そんな人間は存在するかは分からないけど、
もし本当にそんな人間がいたらその人は、

 死ぬ事がない、という事なのだろうか。


「……確かに、体の劣化による死は別の法則が混じってきますから、逃れる事は出来ないでしょうが。

 しかし、純粋に死を問い続けたならば、負の法則である『死』は、きっとその人間に見切りをつける。
 そうすれば恐らく外部からの力による死は通じなくなる。

 三山健一という人間は、自らの死を遠ざけ蓮也の時殺から逃れ体にとどまっていることが出来た。
 きっと、そういうことなんだと思います」




 冗談にしか聞こえない。聞こえないが、思い当たる点もある。

 僕は、死ぬ運命にありながらそれをただ単に神の気まぐれで生かされているらしい。


「信じられない気持ちは分かりますが、あなたが死んでいないというのなら、これしか当てはまり
ません。それより、今の健一さんにはそれ以上に不味いことがあります」

 今現在、自分は仮死状態で尚且つ意識だけがある、というものだ。

 それ以上に不味いことなんざあるワケが、……無いとも思えないな。


「今の健一さんは体の半分以上が“無い”状態になっています。

 私は修練を積んでいるので常人に比べて気配を察知する能力は高い筈なのですが、あなたに対しては目で
見ていないと確認すら出来ません」
 

 確かに今の僕はまるっきり道端の小石だ。死んでいないというならなぜそんな事になってるんだろう。


「これもあくまでも仮説ですが、今のあなたは三山健一であってそうではない。

 先ほど私はあなたが殺されたと言いましたが貴方にはそれが通らないようですから、蓮也が健一さん
を能力で殺そうとした時、魂が抜けてしまうと本体、つまり体が完全に死亡してしまう。

 ですからそれを防ぐために抜ける筈の魂が一緒に体の一部分を持っていってしまったのでしょう。分裂はしたものの、
両方とも魂と体がある程度残り、何とか存在を保つ事が出来ているのです。

 つまり今この世には二人、健一さんが存在している。
 不味いこと、というのは今のあなたはちゃんと人格があるので問題ありませんが、『もう一人の三山
健一』に理性があるのかどうかです。

 片方に心が寄り掛かっていたならもう片方はそれが“ない”という事。
 分裂した片割れが本能だけで動くモノだった場合、先ほどの死人同様、殺戮を繰り返す恐れがある」


「……」
  
 言葉が出ない。
 何だって殺されかけた挙句こんな真夜中にワケの分からん話を聞かせられてるんだ?

「な、何ですか? その目は。これはドッペルゲンガーの一つとも言われており、実際に目撃例もあると
言われているんですっ!」 

 ……とは言われても、こう一日で色んなことが重なりすぎると分かるものも分からなくなってくる。
 体中の痛みもあるし、いい加減家に戻った方が良さそうだ。

「まあ、今はその話はいいよ。それで、実際僕たちは銅実蓮也をどうやって追いつめたらいい?」

「え?」

 またもやきょとんとする渚。結局説明に夢中で人の話は聞いていなかったのか。




「僕もあいつを放っておく気はない。だから、君が銅実蓮也を倒すのを手伝いたい。僕に力が
あるんなら、何か出来るかも知れないだろ?」


「な…! 話を聞いていたのですか、あなたは! あなたの体は非常に危険な状態です。おとなしく
普通の生活に」 
 
「冗談じゃない! 死なない体なんだったらそんな事気にする必要もないっ!」


「馬鹿を言わないで下さい! 以前はどうあれ、今のあなたはもう生き方そのものを変えて
いるのなら、死ぬことも避け切れませんっ」


 ……む。そういえば僕はもう生きることに意味を見つけてたんだっけ。死に見放されたというのも
もう効かないってことか。



「だとしても! 自分の街の事だ! 人任せにして暮らすなんて出来やしないだろ!」




「――――――」

 その瞬間、渚は右手を振りかざして僕の真横にあった電灯に叩き込んだ。見るだけで痛い、と
思ったのは大きな間違い。


 公園を照らしていた電灯は、鈍い音と共にへし折れたのだった。

「ええっ!」
 素っ頓狂な声を上げる。無理もない。細腕の女の子の一撃で鉄ごしらえの柱がペンチで
捻られたかのように曲がりながら折れたのである。

 この子も銅実蓮也と同じく人間離れした力を持っているのだと、この時初めて気が付いた。
 渚の目は今までにない殺気を帯びて、本当に敵を見る目で自分を見ていた。


「―――私が貴方に話をしたのは事情を知ってもらった上で自重することを納得してもらう為です。
 運良く生き延びられただけの貴方程度が蓮也に関わろうなどと、思い上がりもいい加減にしなさい」

 
 自ら地獄に飛び込むようなものだ。

 これ以上忠告を無視してうろつくなら、お前は邪魔なだけだ。
 彼女の目はそう告げているように見える。


 声が出ない。渚の威圧感に圧されてか、体も震えはじめる。

「拾った命を無碍にするのはやめなさい。夜出歩きさえしなければ、平和な生活を送れるのですから」
 そうして腕をゆっくりと下ろす彼女の殺気が薄れていく。


「死者の数を考えて、今夜はもう死人も現れないはずです。もう自分の家に帰って下さい。
 忘れられるものならば忘れなさい。それが貴方にとって一番良いことなのですから―――」

 去り際にそう残して、日向渚は夜の背景に消えていく。


 残った自分は、風がその場に倒れていた死体を砂のように空に散りばめていくのを、
ただ呆然と眺めていた。


「拾った、命―――」


 これからもきっとこの街で死人は増え続けるんだろう。

 運よく助かったのなら、その幸運を噛み締めて平穏な生活へ戻り、死にゆく人たちなど
見捨てていけという事。
 
 真っ白になった頭では考えたところで答えが出ることもなかった。
 






[86] 9  ―――午後の雑談
ミヤ - 2008年05月04日 (日) 20時11分


        ■


「忘れられるものなら忘れなさい。それが貴方のためです」

 日向渚は一人になってから、その言葉を思い出してため息を吐いた。あんな目に合って忘れること
なんて当然ながら無理だ。自分の問題に彼を巻き込んでおいて随分と都合のいい話だと思う。

 だけどこれ以上彼を巻き込むのは避けたい。体の問題は付きまとうにせよ、まだ平穏な生活を送る
ことのできる位置にいるのだから、自分自身の為に生きて欲しかった。




 もちろん彼女は彼に対しての負い目と生きていてもらいたいという願いがあったのだが、



それとは別にあの男はいても邪魔になるだけ、今の自分にとっては害でしかないと、そんな思いも
併せ持っていた。

 今回は忠告もし、あとは彼自身に任せるカタチになったが。




――――――それでもなお続けるというのであれば、もはや殺されようと知ったことではない。



 そう心に置いて、夜の道を歩いていった。


 ……彼女の考えは正しい。三山健一では銅実蓮也に敵うはずもない。巻き込まないという考えは
決して誤りではない。




 そんな日向渚のただ一つの間違いは、

 三山健一はとっくに平穏に引き返せる位置になどいないという事である。


        ■





 週が明ける頃には体もある程度動ける程度には戻りかけていた。とはいっても数日前に聞かされた
話の通りだったら僕の体はまともに動いていないし、ドッペルゲンガーやら何やらでますますややこしく
なってきている。


 ―――今この世界には、二人の健一さんが存在する。


 ……こんなこと言われてどこの誰が信用するんだろうと言いたいけど、身の回りに滅茶苦茶なことが
起こり続けている今になって、非現実的だなんて言葉は使う気になれない。



 教室の中で周りが騒いでいてもそれが異世界のようで、自分が元々いた日常はどっちだったかと
考える事が最近増えた。

 というのも、渚の話は自分でも事実だと感じられるところがあったからだ。最近になって気づいた
事だが銅実蓮也に襲われた日以降、自分の中から何か大事なものが幾つか消え失せていると感じた
時があった。

 特にこれと名指しで言えるものではないが、人間として持っていなければならないものがない、
そんな感じがする。

 体は機能していないから当然身体機能の大半はない。脈なんかもあるのか無いのか分からない。
 それとは別に、上手くは言えないがどこか自分というものが薄くなった。

 薄くなったというよりは、ある日を境に突然すっと抜けていってしまった、そんな感じだった。
 


 渚も確かにそんな事を言っていたし。
 あんまり考えたくもないことだけど、僕が二人の人間に分かれたのなら、三山健一という人間が持つ
人格、性格、その他にも今まで考えた事もなかった自分の裏面までもがバラバラに散らばって分かれて
しまったのではないか。


 そうすると今の僕は精神面にはある程度問題はない。考える事に関しては問題なく行える。

 が、身体的には恵まれなかったのか、動く事に関してはやはりガタガタだ。歩くにしても数mで息は
上がり始めるし筋繊維なんて何回悲鳴を上げた事か。

 まあ、できればもう片方の僕はとっとと消えておいて欲しいもんだ。もう一人の自分がいるなんて
そういい気分じゃない。
 

 と、考えていると横からバランスを崩した生徒がこちらの肩を掠めてすっ転んだ。

「……!! こ……け…!」
 で、今また肩がビリビリと痺れながら悲鳴を上げたのだった。

「おっとと、悪い悪い」
 と、追い討ちをかけるかのように背中を軽くパンと叩いてくる生徒は当然、こちらが3日前に
殺されかけているなんて知る由もない。


「おいおい、そー怒るなって。な?」
 悪意があるよりもタチが悪い冗談交じりで、そいつはドスッと僕のどてっ腹に拳を突いた。
 

 ッッッ……! ア…アバラは……反則…


「…! ……!!」
 イヤな汗が背中を伝う。そこから僕の意識はしばらく途切れるのだった。









 目を覚ました自分は天井を見上げていた。むくりと起き上がると、そこは保健室だった。周りを見回し
たが、自分以外の誰もいないようだ。窓際のベッドからは、外のグラウンドで走りこんでいる生徒たちが
見える。


 ……………………何で、こんなとこにいるんだっけか。
 そんな事を考えていたら足音と一緒に保健室の扉がガラッと開いて、一人の女子生徒が入ってきた。

「あ、起きました? 随分長く眠っていたんですねー」
 その子は起き上がってる僕を見るなり、人懐っこい笑顔を見せながら元気よく声をかけてきた。


「あっと、私は保健委員の菜畑目といいます。今は保健の先生が急用で外出中なので、昼間の間だけ
私がこの場を預からせてもらっているんです」

 ぺこりという音が聞こえそうなくらいに、その子は深々と頭を下げて挨拶した。
 
 ……菜畑目 倫というこの生徒は学年の中でも随分成績がいいと評判の生徒で、教師からも一目
置かれているという。反面、一日中校舎をうろつきまわって妙な事件を起こしているという奇妙な噂も
絶えない。

 まあ、目の前の礼儀正しさを見ていると、そういうのも嘘っぽく思えてしまうけど。

「どうもありがとう。……僕はいつからここで眠ってたのかな?」
 軽くこちらも挨拶すると、一番聞きたい質問を投げかける。


「朝礼のすぐ後にここに運ばれましたよ。お話によると誰かと掴みあってる時に倒れちゃったんですね。
 元気なのはとってもいいことだと思いますけど、体には気をつけないと大ケガしちゃいますよ?」

 あくまでにこやかに、しかし子供に言い聞かせるようなしっかりした口調で菜畑目さんはこちらに
話しかけてくる。

「はい、これからは自分の体のことを最優先に考えます」
 自然と敬語になっていた。叱られた子供のように縮こまって答えると彼女は今まで以上ににこっと
笑って、側にあるカーテンを開いて窓を開けていく。
 
 不思議な人だ。同年代にもかかわらずずいぶんと年上に見える。外見的なものではなく、物腰や
振る舞いがとても大人びているからだろう。


「貧血かもしれませんね。落ち着くまではゆっくり休んで下さい」

「あ、はい。ありがとう」
 ……運がよかった。保健の先生がいたならば自分の体の異常は誤魔化しきれなかったろう。
 ヘタすれば生きたまま棺桶にたたっこまれかねない。

 菜畑目さんも僕の体温が異常に低いことも気づいてはいないみたいだし、助かったと思っていいな。

 


 時計を見ると、昼休み半ばだった。次の授業まではまだしばらくあるし、もう少しのんびりしていても
構わないな。体を休められるものなら出来るだけそうしたいし。

「じゃあ、もう少しだけお邪魔してます」

「はい。あ、そうだ。もしよかったら、しばらくお話相手になってもらえませんか? ここは一人では意外と
退屈なので」
 
 満面の笑みと共にお願いしてくる。話していて悪い気にはならないし、断る理由はないな。

「はい、そういうことでしたらいくらでも」
 普通の人とまともに話をするのもずいぶん久々だ。

 というか、今の僕は影が薄いからこういう一対一の状況でないと話すら出来ないワケだけど。









「そうなんですか。三山君は一人暮らしをしているんですね」

「ええ、まあ。もう慣れてしまいましたけど」

 とまあ、他愛もない話をしていた。菜畑目さんはあまり普通過ぎる話はしたくないようで、僕自身の
話をしきりに聞きたがる。
 こっちも自分の話を聞いてくれる人がいるというのは気分が落ち着く。今まで出来なかった体験でも
あるし、思いをぶちまけて、それを受け止めてもらえる相手がいるのはとてもありがたい。

「あ、僕一人で話し込んじゃいましたね。…今度は菜畑目さんの事も聞かせてもらっていいですか?」
 それまでうんうんと頷きながら興味を持って聞いてくれていた菜畑目さんだが、自分の話をしてくれと
言われた途端、えっ? と黙り込んでしまった。

「あ…、失礼でしたか?」
 
「……え? あ、いえいえ何でもありません」 
 しばらく呆けていた彼女は首をぶんぶんと振りながらまた笑顔を向けた。


「うーん、私の事と言いましても、何を話したらいいのか」
 うーん、と唸っているので、とりあえずは聞かれたことをそのまま聞いてみるか。
 家族のことを聞いてみたら、



「私も一人暮らしです。親は仕事が理由で遠くにいるので会う事もありません」
 と、サラッと何の感情も入れずに言った。 

「離れて暮らしてるんですか。何の仕事してらっしゃるんです?」

 娘を置いて仕事に励むという、他人事ではなかった環境に少し親近感というか興味が湧いたので、
ついつい深く聞いてしまった。



「私の父は医者です。難しい手術なんかもいくつかこなしてきたとかで、腕は確からしいですね」
 

「……へ、へえー、すごいじゃないですか。医者ってすごく勉強して頑張らないとなれないって聞きますし」

 答える彼女の表情はあまり楽しそうではなく、不用意に聞いてしまった気まずさもあってかどうでもいい
ような返事をしてしまった。

 普通はどんな仕事でも勉強して頑張らないとなれないものだろうし。

 
 しばらくの沈黙の後、菜畑目さんは
 
「そうですね、きっとすごく勉強して、頑張ったんだと思います。たくさん病気に苦しむ人を治してあげた
とも聞いていますし」
 またにこやかな顔に戻ってくれた。

 
 流石にこれ以上聞けないなと思って部屋を出ようとしたら、今度は彼女から話し始めた。


「父は、不可能だと思われた事に挑戦した人でした」

「不可能?」



「人間にとって絶対に出来はしないこと、死んだ人を生き返らせようとしたんです」

 死人を生き返らせるというのは、確かに出来ない。この積み重なってきた時代の中にはそれに
挑戦しようとした人間もいるとは思う。

 でも最後にはそれが絶対に無理なんだと気づいて挫けていくのが普通だろう。
 
「成功は…しなかったんでしょう? もちろん」
 していたら大騒ぎどころの話ではない。この世全てをひっくり返すような衝撃的な出来事になる。
 
 彼女は答えない。ただにこっと笑って、


「……さ、そろそろお昼休みも終わっちゃいますね。早く教室に戻りましょう」


 座っていた椅子を戻して、開いていた窓を閉めていく。

「……あ、今日はありがとうございます。おかげで随分と落ち着きました」
 頭を下げると、菜畑目さんも笑って返してくれた。



 そのまま、保健室を出て、教室に向かう。 


 “失敗したんですか”
 ……まあ、わざわざ聞くようなことでもないよな。成功するわけないんだから。


 死んだ人間が、もう一度生き返るなんてありゃしない。





 ―――そう思っている裏で、数日前に出会った、自分を襲う死人たちの姿が脳裏に浮かぶ。



 改めて思う。
 そう、わざわざ聞くことでもない。

 聞いたところで、そんなものは自分の今いる状況には通りはしないのだから。







[87] 10  ―――陰・陽
ミヤ - 2008年05月13日 (火) 19時56分


 午後の授業も滞りなく進んで放課後となった。日も傾いていて生徒たちが校門から巣を飛び出していくアリの大群の
ように散っていく。数分もしたら校舎はおろかグラウンドにも生徒の姿は一人も見当たらない。
 ……これまでの学校の風景を意識して見たことはなかったけど。

 いつからだったろうか。学校は静まり返って寂しげなものになってしまった。

 とはいっても、ただ単に今は夕方だからか。教室の夕焼けなどは綺麗であると同時にどこか言いようのない悲しさが
ある。それは普段我々はその場に沢山の人がいる光景しか見ていないからだ。突然静かになったことで満たされない、
物足りなさのようなものが出て来る。

 …なんだ。いつからだろうって、放課後になったらそうなるだけだ。馬鹿馬鹿しい。
 何をしんみりしているのか、こんなもの明日の朝になればあの騒がしいいつもの面々がいるんだから、わざわざ
気にする方がどうかしていた。

 教室の戸締まりをして、鍵を返しに職員室の扉を開けるとそこには

「……………………」
 ものの見事に、人影一つない。

 いや、やっぱり気のせいじゃないだろ。絶対ヘンだ。いくら殺人事件が頻発していてもこの見事なまでの去りようは
職務怠慢、言語道断、青息吐息。

「…あれ? ならどうして職員室は戸締まりされてないんだろ」
 まあ、他にまだ誰かいるのかな。鍵を元の場所に戻して廊下に出たとき、

「こら、もう下校時間なんだから、さっさと帰りなさい」
 誰かに呼び止められた。振り向くとセミロングの髪型の女生徒だった。ピシッと整った制服の着こなしや姿勢まで
どこか凛とした雰囲気を持っている。おまけに右腕には腕章があり、「風紀委員」とある。

「ねぇ、人が話しかけてるんだから返事しなさいよ」 
 眉が少しつり上がったような気がする。

「ごめんごめん、今鍵を返したところだから、すぐに帰るよ」
 軽く流して、彼女の横を通り過ぎようとすると、

「あ、ねえ、ちょっと聞きたいんだけど、いい?」
 またも呼び止められた。


「菜畑目さんが私に用があるって放課後呼び出してきたんだけど、どこにいるか知らない?」
 菜畑目さん? あの人が呼び出しなんてしたのか。どちらかというと自分から訪ねてきそうな人だけど。

「こんな放課後はなにかと危ないから、早く帰るように言いきかせようと探してるんだけど、教室にもいないの。
 あなた、彼女がどこにいるか知らない?」
 保健室の鍵…はもう返されてるし、もう学校にはいないんじゃないのか。

「たぶん…帰ってると思うよ」
 
「え」

 呆然としたあと歯ぎしりしながら肩をブルブルと震わせて、分かりやすくいえば怒り心頭ということである。
 
「ああもう、明日とっちめてやる! キミもさっさと帰りなさいよ!」
 何故かは知らないがこっちまでとばっちりを受けた。

 彼女は持っていた鍵を職員室に戻し、そこの戸締まりもして用務員室へ行ってしまった。
 


 ……ああ、思い出した。規則に厳しい風紀委員は学園内でもちょっとした有名人だったな。


 確か…やすむら、 そうそう、保村涼子とかいったっけ。
 


 今日はずいぶん多くの人と話をしたもんだ。普段教室内では話す事もないから新鮮ではあったけど。

 ……さ、そろそろ僕も帰ろ――――

「うっ……!」
 突然、何の前触れもなく全身に激痛が走った。膝を突くと同時に視界は霞み、滝のような汗が溢れた。
 体中が脈打っているようで、耳も目も効かなくなってくる。 

 またいつもの体の警告らしいけど、今回のは今まで以上にひどいな…。



「………! ……!!」
 まだ校舎には人がいたのか。
 誰かが横で何か言ってるみたいだ。誰か分からないし、言ってることも聞こえない。
 また意識は少しずつ落ちていき、何も分からなくなった。


 あーあ、少しは気楽に生活を送りたいもんだなあ…。
















 バッと目を覚ましたのは知らない部屋だった。水でもかぶったかのように汗まみれになっている体をシャツで
拭う。べっとりしたシャツの生地が正直気持ち悪い。

 視界は薄々開いてきた。始めは暗かった部屋もじきにはっきりと見る事ができるようになった。

「おう、起きたか」
 真横に、目粒志が座っていた。制服から私服に着替えている。

「ここは?」

「俺の部屋だ。廊下でうずくまってっから連れてきた」

 そういえば、初めて話をした日も、こいつは放課後もまだ残っていたんだっけ。
 とにかく、助けてもらったんだしこれ以上迷惑かけるわけにもいかない。

「ありがとう。軽い貧血みたいだから、すぐに帰るよ」
 と、ふらふらした足取りで布団から出て歩き出す。が、足が膝から下に力が入らず、床に沈んだ。


「やめとけやめとけ。まだ起きたばっかで普通にも歩けちゃいねえ」
 倒れこむ前に、目粒志が体を起こしてくれた。


「ごめん、ありがとう。でもあんまりここにいたら迷惑だし」

「別に構わねえよ。俺しかいねえし、ヒマなら泊まってけよ」

 
 時計は、夜の10時を回っていた。

 

 あの一件以来、こいつと僕はあまり話す事もなかったし、
 これもいい機会かと思って、その日はお言葉に甘えることにした。



        ■


 扉から勢いよく飛び出してきたソレは拳だけで看板を突き破る。かわしながら窓から屋内へ入りこむ。中には
芸術的ともいえるほどに床が血で彩られている。
 窓ガラスの割れる音と共に奴らは追ってくる。腹を蹴り飛ばし、首を叩き潰すと一体は静かになった。


 残る一体を階段までおびき寄せ、組み合った拍子に階下まで叩き落す。地面に激突した死人に落下を利用した
突きを頭部にぶつける。

 グシャ、という音と共に死人は一気に崩れた。



「……これで、8人」
 
 血に汚れた腕を風に当て、日向渚は確認する。今日だけで軽く8人。銅実蓮也によって殺された。

 その8人の死人によって殺されたさらなる犠牲者は計り知れない。


 知らず、手に力が入る。いつまでも殺人鬼を野放しにしてしまっている自分の不手際さ、それによって人々が
次から次へと殺されているという事実が許せない。

 毎晩彼女はただひたすら銅実蓮也を捜し求めた。被害が集中する辺りを探せば必ず見つかると。
 そう考えているうちに別の場所に事件は溢れかえる。
 
 それによってまたさらに彷徨う死体達が殺戮の限りを尽くす。
 それらを治めるうちに、またしても別の場所で誰かが殺されてしまう。

 彼女は完全に蓮也の手の上で踊らされていた。 



 キリがない。モグラたたきのようにあっちからこっち、とこちらをかく乱するかのように犯行を重ねている。
 状況は明らかにこちらが不利だ。奴はどんどん手駒を作り出せるのに対し、こちらはただ一人。

 たった一人で被害を抑え奴の居場所を突き止めるなど不可能に近い。


 
 そんな時に必ず、ある男の名が浮かんでしまう。
 が、しかし。
 
「……それだけは、できない」

 巻き込んではならないと決めた以上、彼に助けを頼むことはない。

 あの男は死者だ。これ以上こっちにいてはならない。いようものなら、すぐに死体になる。



 それを考えると、ますます方法のない今の状況に彼女は頭を抱えざるを得なかった。

 だから、







 背後にいる一つの存在にも今の今まで気づく事ができなかった。




「……!」

 ビュオ、と刃が、曲線を描いてこちらに斬りつけてこようとしていた。紙一重でかわし、体勢をすぐさま整えようと、
 した瞬間、相手は既に自分の視界におらず、

 頭上から天井を蹴る反動でこちらに突っ込んできた。
 刃物は上手く避けたが、そこから片足を軸に放ってきた回し蹴りをもろに喰らってしまい、壁に叩きつけられた。


 信じられなかった。



 何が信じられないかといえば、その異常な動きだけではない。

 その自信に満ち溢れた眼が、最も不可解だった。少なくとも彼にだけは、こんな事が出来る筈はない。
 


「健……一さん……」

 笑みを浮かべながら返り血にまみれた腕を誇らしげに晒す一人の男が、そこにいた。


「どういうつもりですか!? こんな時間に出歩くのはやめろと言ったはずです…!」 

「…………ほう」
 あくまで涼やかにこちらの言い分などさらっと流す三山健一。数日前に出会った彼とは全く思えない
気味の悪さがある。

「その言い分、どうやらキサマ、僕を知っているらしいな」 
 いきなり口にした言葉が、理解できない。自分を知っているか、などと聞くなどどういうつもりか。
 

「ならば話は早い。僕は一体どこにいる?」

「…………なにを言っているの。あなたは今ここにいるのでしょう、そんなことより、私を襲ったのは一体何のつもりだと
聞いているのです」
 言葉が通じない相手にイライラしながら返した。こちらの質問に一切答えず向こうからワケの分からない事ばかり
聞いてくるのだから我慢できない。

 すると彼は
「……やれやれ、全く分かっていなかったか。ではもう一度詳しく聞かせてやるとしよう。

 いいか。 “俺”が探している“僕”は、一体どこにいるのかと聞いているのだ」 



 わずかなズレ、しかしそれは決定的に違う点だった。それで全てが繋がった。



 奴は裏面をカタチ作る存在だったのだ。




 目の前にいるこの男は、今なお片割れを探し続ける

 


 もう一人の、三山健一。



        ■

[88] 11  ―――深夜の闘い
ミヤ - 2008年05月25日 (日) 11時49分



「はーあ、菜畑目に保村なあ。モテモテじゃあねーか、色男」
  腕組みしながら嫌みったらしい目で見てくる男、目粒志。

「普通に話をしただけだよ。変な勘違いしないように」

 ふーん、と言いながらまだおかしな目を向ける。こいつ、まだおかしな想像を……。

 が、途中で欠伸をして、目粒志はごろんと横になった。



「まあ、忠告しとくと、菜畑目だ。アイツはやめとけ」

 ……突然こいつは真面目に話をしてくる。まあ、体勢はそっぽを向いてごろ寝だが、このいかにも「面倒臭い」という声は
この男の最も苦手で好まない、深い意味を持つ話をする時だ。放課後に学校で話した時もそうだった。
 
「菜畑目さん、知り合いなのか?」

 返事はない。というか、返そうともしない。頭を掻きながら相変わらず顔をこちらには向けないで、
「いいな。面倒が嫌なら近づかねぇことだ」
 こちらの質問にも答えず、そう言うだけだった。

「菜畑目さんが面倒だってのか? 良くないぞ、そういうの」
 そう言ったら、ククッと笑いながら

「お前ってそういうこと言う奴だったか」
 ニヤニヤしながらようやくこちらに顔を向けた。
 ……言われてみれば、何でムキになったんだ。自分が馬鹿にされたわけでもないっていうのに。

「ま、確かにお前の言うとおりだわな。厄介者みたいな言い方はまずいか。そうだな…なんつーか、アレだ。
 度が過ぎたトラブルメーカー」
 
 それはそれで失礼だろ。……けど、そういう話は耳にしたことがある。彼女は時折、騒動を起こすことがあったという。
 普段が優秀なだけに、余計そういった話は広まりやすい。
 
 でも、噂なんて続けば続くほどデタラメになっていくもんだ。実際に話をした時もおかしなところもない、まったく普通の
人だった。アテにならないもんだよな、ホント。


「周りが勝手に言ってるだけだろ、それ」

「何だ、ずいぶん庇うんだな」
 くっくっと目を細めながら笑う。


「くく…真面目に話してる時に…」
 こちらもつられて笑う。しばらく男二人で笑い続けるブキミな光景のあと、

「作り話で済んだら、それでいいんだけどな」
 笑いは自然と消えた。


 “近づかないこと”…か。

 ……あれ? そういえば何かあったような……




「そうだ、保村っ!」

 いきなりこちらが声を上げたのにびっくりしたのか、目粒志は跳ね起きた。

「っ……! 何だいきなり!」

「あ、いや。今日保村が言ってたんだけど、菜畑目さんが彼女に用があるって言ってたのを思い出して」


 言い終わる前に胸ぐらをつかまれて、

「おい! そりゃ本当か!」
 目粒志の表情が今までにないくらいに引きつっていた。


「なな、何だい突然。今パッと思い出しただけだし、結局菜畑目さんも先に帰っちゃってたんだよ」 
 手を離し、立ち上がると同時に椅子にかけてあった上着を羽織る目粒志。


「あ、おい、どこ行くんだ?」

 袖を通してボタンをとめながら、
「保村か菜畑目。どっちでもいいから探し出すんだ」
 横目で僕を見て言った。

「何だって? 二人の家も電話番号も知らないんだぞ?」

「そんなこと言ってる時じゃない。急がねえと厄介な事になるかも知れないからな。別にお前について来いとは
言ってない。ここで休んでろ」

 っ…! こいつ、まだ菜畑目さんをそういう風に…
「なんでそんなに目のカタキにしてるんだ! そんなにあの人を悪者にしたいのかよ!」


 
 正直、何でここまで頭にきているのかわからない。ただ、こいつの決め付けているかのような態度が我慢ならない。
 口先でなんと言おうとも、この男は菜畑目さんを害としている。

 何でこいつは、何と言うか……冷たい、
 そう、冷たいんだ。この男はどうしようもなく人に対して
「健一」
 
 いきなりすぎる言葉に、一瞬考えてること全部忘れた。

「今は説明してるヒマもない。何にもなかったらそれでいいんだ。ちゃんとアイツにもお前にも謝ろう。
 
 俺はただ、確かめたいだけだ。アイツの事」

 ……さすがに、これ以上文句は言う気になれない。こいつと、菜畑目さんには僕なんかが想像もできない何かがある、
ここまで焦っている目粒志を見ているとそんな気がする。

 ここで引き止めていては、こいつにとって何か取り返しのつかない事が起きるのかもしれない。


「…………分かったよ。その代わり、僕も行くからな」
 
 きょとんとした顔で、目粒志は僕を見てくる。

「へっ、途中でへばっても知らねえからな」
 そのあとすぐにニヤッと笑った。


「フン、バカにするな。さあ、とっとと行くぞ。

 お前の思い過ごしだったってハッキリさせてやるさ!」

 

 さぁ、突っ走るか。もってくれよ、僕の足……!









        ■




「さあ、俺が聞いているのだ、さっさと答えるがいい。僕はどこにいるのだ」

 あくまで威圧的に、健一は日向渚を虫を見るように視線を向ける。


「……知ってどうする。自分に会って何をしようというのだ」
 こちらも気圧されぬよう、殺気を向ける。

 意にも介さず、男は続ける。
「分かりきった事を聞くのだな。お前は鏡に映った自分が動き出したら気持ちが悪くはならないか?」
 

「殺す、というのか」

「俺が必要と感じればそうしよう。どのみち俺がいる限り僕に生きる道はなかろうよ。

 同じ空間に一人の人間が二人に別れた時点で三山健一という個体には途轍もない負担になるのだからな。
 空気がのしかかるようなものだ。俺に身体の大半を持っていかれている以上、僕はその重さにとても耐え切れまい」

 
 蔑みを込めて、奴は自分に言葉を向けた。
「そのような姿、見苦しいだけだ。いずれ消え行くならば早いほうがいい」

 
 まさに健一とは正反対だ。彼は必死で生きると言ったのに対し、この男はそれを汚らわしいという。
 腹が立って仕方がない。


 そんな言葉を、その顔で、そんな声で口にするな―――!


「む―――!?」




 
 風のように奴の目前へ跳んだ。
 顔を狙って拳を繰り出す。

 まだ距離は遠すぎたのか、敵は後ろへ跳んでかわした。



 逃がすまいと、再び地を蹴り、懐へ入る。

「―――チ、鬱陶しい―――!」
 奴もナイフを構えなおす。


 たて続けに殴りかかる。壁・床・柱が次々にひび割れ、砕けていく。





 未だ相手には直撃を与えられていない。

 拳を繰り出す瞬間、奴は至近距離でこちらをナイフで狙ってくる。当たれば致命傷を負いかねない。
 自然、こちらはそれを避ける動作に入る。結果、こちらの攻撃はおろそかになり、まともに相手に当たらないのである。

 驚くところはそこだ。
 奴は避けるという安全ではなく、こちらの攻撃に自ら向かいナイフで軌道を逸らすという危険を選ぶ。
 先程から彼女の攻撃をすべて、それで凌いでいるその技量はもはや想像もつかない。

 
 加えて、突然のナイフを必死に避ける渚は体勢を崩され、そこをさらにナイフで狙われているのだ。距離をとろうにも、
奴の雨あられのように繰り出される斬撃はそれを許さない。
 ますます不安定になるにつれ、服や髪が切り取られ宙に舞う。

 あくまで目の前の男は笑いながらとめどなく刃物を持った左手を動かしてくる。

「そら、まだまだ速くなるぞ? うまく避けなければその白い肌が真っ赤になる。
 痛いぞ? …いや、痛いなどという言葉では片付かんな。言葉が浮かんでくるようなものなど大したものではない」

 遊んでいる。互いに、一歩間違えたら命を落とすこの状況を奴は楽しんでいる。

「減らず口を……!」
 苛立ちに任せての蹴り。相手は突然視界から消えたかと思うと、彼女のまっすぐ伸ばしきった脚の上に、立っていた。
 凄まじい勢いで繰り出した脚を何事もないように回避し、さらにその脚に乗るという離れ業をやってのけたのだ。



 


 その時初めて、日向渚は身震いするほどの思いをした。彼女の身体は、特殊な一族ゆえの能力が備わっており、普通の
人間にはない身体能力があった。
 死人と互角に渡り合えるのも彼女の卓越した腕力や敏捷性、並外れた反射神経などがあってのことだ。

 その彼女が、たかが一人の人間に遅れをとるということ自体考えられないのである。


 渚自身は、この光景をどう捉えたのだろう。

 電灯を叩き折ったのを見て怯えた健一。その彼が今は笑いながら自分の必殺の一撃をわけもなくかわし、頭上から
自分を見下ろしている。


 ―――そうか。この目の前の敵は健一さんと別れたことで、器に入りきらない程の力がある。

 
 例えて言うなら、紙のコップに水が2分の1の位置まで入っているとする。この紙コップが人間の身体だ。そして水が、
人間の力としよう。

 正常な人間は、この紙コップ1つと2分の1の水の量でバランスが取れている。
 しかし仮に、紙コップの上半分を切り払ってしまうとしよう。

 
 下半分、つまり、2分の1の大きさになったコップには、水が溢れんばかりに入っているのだ。
 その結果、その人間は爆発的な能力を使う事が出来るようになる。
 
 これこそが、健一に起こった異常の正体だったのであろう。

 
 
 目の前の男は少なく見ても、常人の倍以上の力があると考えていい。さらにそれも、本人の元の運動能力に左右されるの
だから、正確に測ることなど出来ない。

“……ふ。
 健一さん、あなたはどうやら私が思っているよりもずっと、危険な人だったみたいですね……”

 脚を振り払うと同時に相手は跳んだ。


 着地などさせない。奴を自由にしては、次に何をしてくるか予測もつかない。地に脚をつけんとした相手の左腕めがけて
一撃を繰り出す。

“ナイフが来ようと、もう避けはしない。この手で、叩き落してみせる……!”

 
 それは賭けだった。
 奴は再び拳を逸らすためにナイフを向ける。今度はそれをかわすことなく、ナイフごと敵を粉砕するのだ。

 決死の覚悟で、彼女は飛び込んだ。




 その覚悟も、1秒と持たずに揺らぐのだが。

「なっ………!」



 相手は避けようともしなければ、ナイフも振ろうとせず、左肩にもろに拳を食らった。

 メキメキ、と音をたてて、左肩がへこんでいく。



 ありえない。彼女の拳を食らったら確実にこうなることは相手も重々承知のはずだ。それを無抵抗のまま受けるなど
どうかしている。

 そう思ったとき、奴はこれまでよりも一層深い笑みを浮かべた。



 いつの間にか、ナイフは右手へと移っていたのだ。


 こちらの体勢は、勢いづいて前のめりになりすぎている。
「しまっ―――」





 


            右腕が、光ったかのように見えて。
 

                 次の瞬間、私の左胸を鋭い痛みが貫いた。






        ■     







[91] 12  ―――決着
ミヤ - 2008年08月22日 (金) 22時41分

        ■

「ふむ。なかなかいい反応をしているな。腕一本では足りなかったか」
 避けた左肩から流れ出る血を見ようともせずに、相手は手までつたってきた血をべろりと舐め、笑う。

「ふぅ、ふ………!」
 胸を刺されたが、後ろに跳んだため傷はそう深くはなかった。それでも神経をすり減らすようにチクチクと
痛みが集中を乱す。一瞬のスキが命取りになるこの闘いにおいて、深い傷を負うよりもまずい事だ。
 血液は服をじわじわと紅く染めていき、ポタリポタリと地に滴る。

 奴は笑みを浮かべたまま渚の傷を見て、口を開く。
「つらそうだな。しかし大したものだ。肺から心臓までえぐり出すつもりだったが、腕一本無駄にしてしまった」
 
 さらりと、表情に全くと言っていいほど合わない言葉を吐く。自分の眉がつり上がったのが分かる。
 この男が本当に危険だと改めて思った。自分の片腕を失ったことに何とも思わないように、人の体が死んでいく
ことに何の感情も持たない。


 “……やはりこの敵は生かしていてはいけない”
 服の袖をちぎり、傷口にまきつける。少なくとも急な出血はマシになるだろう。

 



「……まあ、考えようによっては好都合。

 お前は僕の居場所を知っているようだったな、もう一度聞こう。話してくれるのなら生かしておくというのも
考えないでもないぞ」

 見下すようにしてこちらを見る。もう私には抵抗する力もないと思っているのだろう。それでも、構えは崩さず、
スキは一瞬たりとも見えない。

 だがこちらも我慢の限界が来ていた。奴の言い分に苛立っていたのである。あいつに私を殺す理由はないけど
生かしておく理由もない。だったら殺人狂であるあいつは確実に私を殺しに来る。

 信用できない上、先程の一撃は確実に殺しにきていた。たまたま息があったから聞いておこう。
 ただそれだけだ。


 何より。自分の命を助けるために健一の命を差し出すような選択に怒りがともった。

 

 立つ。 
 む? と相手は笑みを消した。

「そんな必要はない。貴様がここから生きて出ることは無いからだ」
 ハッタリだった。というより、腹をくくるためだ。こう言った以上、もう殺るしかないと。

 笑みが完全に消えた。眼は獣のように荒々しく、傷まで響きそうなほどの威圧が走る。
「……なら、死ね」

 言い終わる前にその場から相手は消えた。次の瞬間、首の手前にナイフが迫っている。

 
 後ろに跳んだ。常に全力。
 そうでないと、あの相手とは闘いにならない。気を抜けば意識を失いかねない上、胸に傷を負っている
のだから、限界という限界を出すつもりでなくては一瞬で死んでいる。

 避け続ける。そうしているうち、体力にも限界が来る。足元から震えが起こり、視界もぼやけ始める。
 ほとんど気力でかわし続けるが、それも長続きはしない。

「あ、う―――!」
 鎖骨をやられ、血が夜に溶け込む。膝をつきそうになるのを必死でこらえた。
 心臓に近いところをやられたとなると、もう動きを捉えられてきているらしい。



 仕方がない。もうここらで本当に腹をくくらなくてはいけない。

 


 大きく距離をとった。当然相手は追ってくるが、その前に床に向かってまっすぐに、
拳を叩きつける。 
 オフィス内の床のタイルや、散らばった書類、机の破片が盛大に飛び散り、天井に届くほどにまで
舞い上がる。

「なに……!」
 予想もしていなかったのか、今までとは違って焦りの混じった声をあげ、散らばった破片をナイフで
振り払いながらこちらへ跳んだ。

「こんなもので、逃げられるとでも思ったか!」
 それを逃げるための目くらましととったのか。
 きっとそれは奴の全力の追撃だったろう。今までのどれよりも素早い、見事な跳躍。

 これでは逃げられない。私はこの相手からは、絶対に逃げ切ることはできないだろう。


















 逃げるつもりも毛頭ないのだが。


 次の瞬間、真っ直ぐに相手に向かって跳んだ。
「残念だったな。お前は今まで獲物の逃げる姿しか見たことがなかったんだ」

 相手の表情が変わった。奴からしてみれば考えもつかないことだったろう。今まで仕留めた獲物に、
自ら向かってくる“人間”なんて一人もいなかった筈だ。

 異常ととったのか、相手が逃げに転じようと速度を落としたその時、初めてわずかなスキが生じる。


「きっ、貴様ぁ……!」
 首根っこをつかんで、壁にたたきつけると壁を突き破った。

 ナイフを振りかぶった相手の腹に拳をねじ込む。胃液に混じって血を吐きながら、崩れる壁とともに
2階の高さから落ちていく。が、まだ甘い。こんなものでアレが死ぬとは思えない。

 完璧に息の根を止めてやる。そう思い、私も飛ぶ。壁を蹴る反動で相手のもとへ向かいながら、
意識を呼び覚まし、拳を再び握り締める。

 

 今度こそ、相手の貌は凍りついていた。
「うがあぁぁぁぁっっ!」
 再び叩き込まれた拳は腹を突き破らんほどの勢いで入った。そのまま地上に激突し、砂煙の中
人間に似つかわしくない叫び声が上がる。

 目を開けると、辺りはまだ砂煙があがったままだった。立ち上がろうとして、右手がビクンと震える。
 落下の衝撃のせいか、しばらく使い物になりそうになかった。左半身は胸と鎖骨の傷を考えると、あまり
酷使するのは難しい。




 その時、遠くのほうで建物が崩れるような音がした。
 ただ崩れた、というわけではない。恐らくこれは死人の手によるものだろう。


「まさか、蓮也が殺した死人がまだいたのか……!?」
 すぐにその場に向かおうと考えたが、まだだ。まずは奴を完璧に仕留めなくてはならない。


「う、ううぅ……」
 奴のうめき声が上がる。

 ふと、渚は足を止めた。


 ……不思議なことに、向こうで瓦礫の崩れる音がするたびに砂煙の中からは苦しそうな声が上がる。
 まるで、瓦礫がスイッチとなるかのように呻き声があがり続ける。

 煙が晴れた頃になって見えてきた敵の姿を見て、渚は言葉をなくした。
 頭を抱えて苦しむその姿からは、先ほどまでほとばしっていた殺気などが消え失せている。赤子のように
ただうずくまる目の前の男は、闘った時とはまったくの別人としか思えないほどだった。


 これではそう、まるで
「…………健一さん」

 知らず、声が漏れた。呼びかけた相手は、彼女が呼んだ「健一」では決してない。ないのだが、
彼女の目に映った相手はそれほどまでに公園で出会った彼に寸分違わぬ気を纏っていた。

 何かに怯えたような雰囲気を持っていた、あの夜の彼にいま目の前にいる男はまったく同じだ。





 瓦礫の音が止んだ。と同時に奴は再び立ち上がり口を開く。
「ぐっ………! くそ、いつもいつも僕は……!」

 先ほどの光景は嘘だったのか、再び目つきが変わっていた。

「…どういう事だ。いつも?」
  
 それには答えようとせず、奴は頭を右手で押さえながら
「とんだ邪魔が入った。今日は疲れた」

 こちらに目もくれず、衰えない脚力で姿を消した。



 逃がすわけには行かないと思って、
「待…!」
 追おうとしたとき突然ぐらりと視界が曲がった。膝をつき、力が抜けていく。

 見ると、落下の衝撃で二箇所の傷口からは血が滲み出ている。血を流しすぎたのか、真っ暗になった
目の前で最後に見たのは近づいてくる地面だった。



        ■





[92] 13  ―――時殺U
ミヤ - 2008年09月30日 (火) 22時08分




 息が上がって、目の前を走っていた筈の目粒志がどんどんと離れていく。どうやら、相当な時間走っていたらしい。体中の
筋肉は痛いと叫ぶかのようにドクンドクンと音を立てているように思う。秋の夜中なのに体は熱くなっていて、ヘタすれば脱水
症状になるんじゃないか。足取りは次第に遅くなっていき、とうとう電信柱に寄りかかったまま止まってしまった。

「やっぱ病み上がりじゃ無理だろ。今からでも俺の家に戻っとけよ」
 引き返してきた目粒志が汗を拭いながら言う。その顔つきは焦りが滲んでいて、菜畑目倫だけに意識が傾いてるみたいだ。
 それが気に入らないからと僕も飛び出してきたけど、体はそんな事お構いなしに警告を流してくる。

 …実際今も体勢を少し変えるだけで関節がパキ、と嫌な音を立てる。銅実蓮也に体を刺されて以来、体温を失った体は凝り
固まっていて特に外気が冷たい状態ではほとんど動かすことが出来ない。

 でもだからこそ止まってられない。走っている間はまだ自分の体は熱を持っているけどもし、体温が外気で下がりきって
しまったらもう、自分は絶対に動けなくなってしまう。

 引っ張るかのように足を上げて、再び走り出す。目粒志は呆れ顔になりながらも僕の後ろを走り始めた。


 表札を片っ端から見ていく。菜畑目なんてものがあったらすぐに見つかるだろうし、保村というのもそこかしこにあるという
ものじゃない。結局一つも二人の名字が彫られた表札は無かった。


“…くそー、これじゃ何のために走ってるのか分かりゃしない。”
 初めは二人のうちどちらかが家にでも居れば目粒志の疑いは思い過ごしだといってやれると思ったが。
 二人の手がかりが無いのでは、何も証明しようがない。



 夜の街を歩いているという希望も持っていたが、今この街には人影すら見えない。

「……くそ。出直すしかねえのかな……」
 目粒志は眉を落としながら細く呟く。


 その向こうに、人がいたように見えた。
「あれ…?」
 かと思うと、突然その人影は前のめりになって倒れてしまった。そこに、

 
   グシャッ  

       ズル  ズル  


                                      ビチャビシャッ





 背筋から順に感覚が凍っていくような感じだ。
 目粒志もその異常に気づいた様子で、音のする方角を息を呑んで眺めている。

 
 思い出したくもない光景がまた再現されてる。土気色をした■人がゆったりとした足取りで目の前のものを壊して潰して
また歩いてくる。明確な目標は特にないらしく、自分の進路を遮るものだけを排除するらしい。

 手術を途中で投げ出したような状態の■体に吐き気がしながらも、目粒志を呼ぶ。
「おい、すぐここから逃げよう!」

「な、何なんだありゃ、人が■んでる……」 
 固まってる目粒志を無理矢理引っ張って■人から離れる。標的と認識されないうちに逃げないと、一瞬で殺される。


「いいから逃げるんだよ、■んじまうぞっ」
 急いで曲がり角を曲がった目の前には、

「……あ」 
 さっきと同じことが繰り返されてる。ヒトが人を捌いてゴミにしていく。こんなもの何回見ても慣れるはずがなくて、人が
恐怖と痛みで歪んだ顔のまま静止していて、はみ出た内臓も白地のTシャツも見開いた眼球も血で赤黒く光っている。

 割り箸でも割るかのように人の胴体から腕がちぎれるし、まだ生きている人の「助けてくれ」「■にたくない」「いやだ、
いやだ」という悲鳴全て、血が飛ぶ音や肉と骨がひしゃげる音でかき消されていく。

 女の人と目が合った。涙に目を滲ませながらこちらに手を伸ばしてくる。助けて、こいつらを何とかしてと、訴える。その目も
じきに、痛みで気が触れて焦点が合わなくなっていく。同時に僕に対して怨みと憎しみの眼差しを向けてきた。

 自分だけ助かる気か、お前も■。こっちにきて■。
  ■。 ■。 ■、しね しね しね しね シネ……

「おい、健一! おい!」
 目粒志の声で我にかえった。女の人はもう■んでいた。
 ……さっきの視線は気のせいだったんだろうか。そろそろ現実だと信じられなくなってきてる。

「お前はその体だ、さっさと逃げろ! 俺があいつら引きつけるからよ!」
 とにかくあいつらが普通ではないことを分かったのか、道端に落ちてた木材を拾い、目粒志は■人たちのもとに走っていく。




「バ、バカ野郎! ■にたいのかっ!」

 追いかけようとしても、足が追いつかない。体がビキビキと警告を発する。視界は二重三重になって肺がしめつけられる
ように苦しくなる。それでもとにかく走った。いま限界を出し切らないと目の前で学友が■ぬ。さっきの女と同じようになって、■ぬ。

 あいつは最後まで逃げようとしないで、持っていた木を振りかざす。


 
 ……ああ、そういえば。放課後に話をした時、小野寺君に対してあいつは逃げだと言って、随分と苛立っていたっけ。
 逃げるというのがあいつにとっては考えられないことなのかもしれない。

 ■人は木を拳で吹き飛ばし、その衝撃で目粒志も吹っ飛ばされて壁に突っ込んだ。



「おい! 大丈夫か、目粒志!」
 返事がない。頭を打ったみたいだった。 
 
 もしかしたら■んだんじゃないのか。走り寄ろうとした目の前に、■人の群れが道を塞いだ。どうやら、僕を次のターゲットに
したらしい。


「……くそ、……こいつら!!」
 持っていたナイフを抜く。

 邪魔するのなら殺してやる。少し力があるだけ。
 こんな奴ら僕なら簡単に殺せるんだ。僕には誰にもない力がある。 

 時殺能力であいつら全員仕留めて……

「……あれ? どうやって仕留めればいいんだ?」
 

 今まで成功したのはただの一回だけ。どうやったら時殺を使えるのか分からない。



 足取りはゆっくりでも、いざ標的を狙うと恐ろしく俊敏になる■人たちが、いま目の前にいた。
 風を切りながら腕をかざしてくる。

「い、でっ……!」
 脇腹が抉れた。傷自体は浅いらしく、血は少ない。
 ゴロゴロと転がりながら体勢を立て直す。傷はドクンドクンと鼓動を打ち痛む。

「ふうっ…… ふ…、大丈夫。痛いってことはまだ生きてる…!」

 ナイフを構えなおして向かい合うが、今度は意識が薄くなってきた。周りの音も聴こえなくなってきているし、感覚がどんどん
無くなりはじめてきている。
 
「さっさと殺さないと、おかしくなりそうだ……!」
 
 あれ? いま何て言ったっけ? おかしくなりそうだなんて言った。
 あ、そうか。早く殺さないと僕が狂って■んじゃうからだ。


 とうとう耳は完全に聞こえなくなった。ゆらゆらと■人の群れは近づいてくる。
 


 ……だんだんイライラしてきた。

 イライラする。殺せないことにイライラする。
    耳が聞こえないことにもイライラする。これじゃ血しぶきの音も聴こえない。
       視界がぼんやりするのも。刺す時に相手の顔が見えない。
 

 あ、おかしくなるってそういうことか。
 僕はあいつらをコロしてやりたくてたまらないんだ。
 

 遠くで建物が壊れる音がして、それがスイッチになった。
 思考がクリアになって霧のように頭から抜けていき、そこにもやもやした思いが頭に入り込んでくる。

 さっきまでの自分は追い出され、夜の街を彷徨っていた自分が呼び込まれる。



 すごくいい気分。何しろ目の前に的がたくさんあるからいくらでもやってやれる。
 その時にようやく、■人たちの胸にあの絵が映る。これで準備は整った。

 同時に初めて分かる。時殺能力はあの絵を刺し貫くことで相手を殺してしまうものだけど、その絵をみるにはまず自分が
意識を落ちるか落ちないかの境目まで持っていくことをしないといけない。夢はざまの状態になったときだけ、僕はこの力を
使うことが出来る。
 
 意識がここまで薄くなった理由は一つ。「僕」が「俺」になる段階での出来事だ。
 自分の人格は二つの体を電波のように飛び、繋がっている。

 遠いどこかに自分は「俺」として必ずいるのが今もずっと感じられる。今ようやく二つが互いの体に送信され、完全に
入れ替わりが完了した。

 銅実蓮也のおかげでこの力が備わったんだから多少感謝はしてやってもいいか。

 ……さてと。
 ナイフをまず目の前の男の■人に刺す。まず一人固まった。じきに塵にでもなって■ぬだろう。二人目、三人目、四人目。
 一瞬で刺す。その度に石像のようになった■人に目もくれず、次から次へと殺していく。


 相手の一撃を軽々とかわす。体が随分使いにくいが反射神経でことごとく避けた。
 不便だけどもこの際文句は言ってられない。


 すでに住人が■んでいるボロボロの一軒家に拳がめり込み、崩れ落ちた。耳はまだ感覚を戻していないらしく、崩れる音は
聴こえない。
 相変わらず馬鹿力だが、そんなもの当たらない。
 
 サッとナイフを刺して、次に移る。


 ……反応がないんじゃ面白くないな。十三人目、まずは両足を切断しそのあとで首を落とす。聴覚は少しも戻っていない
のでやっぱりそう変わらない。血の音も断末魔もない。

 仕方がないのでその後で胸の絵を貫く。

「お前で終わりか」
 最後の一人を無造作に刺す。 
 無数に立ち尽くした■体の仲間がまた一つ増える。とうとう動く■人はいなくなった。
 

 ナイフには血一つついていなかった。時殺は手ごたえが感じられないため、面白くない。
 ナイフを収めると、傷がまた痛みはじめた。動き続けたせいかもしれない。

 ぼんやりしていた感覚は少しずつ戻ってくる。夜の虫のさえずりが耳に入ってくるようになった。
 同時にもやが晴れて自分というものが入ってくる感じがする。役目を終えたために、元に戻っているのだろう。




 ふと、どこか遠くで建物が崩れた音がした。まだ■人がいるんだろうか。

 ……日向渚は■人を今も狩っているのだと思う。彼女なら気づいてくれているかもしれない。

 それよりも今は、
「目粒志、大丈夫か!」 


 息はあった。頭を軽く打ったせいで血が流れてるけど、手当てすればそんなに心配することもないか。
 ふ〜、と息を吐いて、


「フンッ!」

 どてっ腹に拳をぶち込む。


「はうおっ!!」
 一発で目を覚ました。これぞ署長に習った相手をすぐに起こす方法である。

「てめー……なにしゃーがる…」
 せきこみながら涙目で睨んでくる目粒志に肩を貸す。

「やかましい。こんなところで先に眠ってたら一晩で冷凍ミカンだ」
 肩に担いで、夜の街を歩き始めた。
 こっちの肩のほうが痛いけど、弱音を吐く元気もない。


 こいつはもうさっきの■人は覚えてないだろう。全員最後には時殺で殺したから知ってるのは僕だけだ。
 菜畑目さんと保村は見つからないということで、今日は戻ることにしよう。





 目粒志の家に戻る途中で、建物が全壊していた。何があったのかは、■人の屍があったことですぐに分かる。

 驚いたのは瓦礫と一緒に倒れている見知った姿にだった。

「渚!?」
 目粒志を投げ出して走る。なにすんだコノー! という声が後ろで聞こえるがそんなことどうでもいい。

 日向渚はそこかしこが傷だらけで体も冷え切っていた。連中にここまでボロボロにされたのか。

「おい、何だこいつ。ズタズタじゃねえかっ」
 歩いてきた目粒志が声を張り上げた。とにかく考えるより先に口が動く。



「目粒志、この子をお前の家に連れて行きたい。いいよな?」

「え?」
 口をぽかんと開けている友人を尻目に渚を背中に乗せる。



「お、おい、お前体悪いんだろ。わかったから俺に任せろよ」
 



 ……一応許しを得たようなので、ここはお言葉に甘えることにする。
 二人を探しにきて、思いがけない人を見つけた。


[93] 14  ―――夜明けまで
ミヤ - 2008年09月30日 (火) 22時09分



 部屋に戻ってきた時には体は当然クタクタで、そのままソファーの前まで歩いて倒れこむ。
 目粒志に蹴られる。
「そこにこいつ寝かせるから、床で寝やがれ」

 こっちを引き摺り下ろして、渚をソファーに寝かせた。
というか、置いた。

「それで? 誰なんだこいつは。こんなズダボロになってるのを見ると厄介事に巻き込まれたんじゃねえのか」
 薬箱から包帯やらバンソーコーやら取り出している。ケガの応急処置は慣れてるらしい。

 打ち身の部分に湿布薬を渡された。全員が怪我をしてるから他人を気遣ってるヒマもない。
 ベタベタと割れた花瓶をガムテープで補修するみたいに体中に貼る。その間目粒志は消毒液を浸したガーゼで頭を痛そう
に拭ってる。
 ツギハギのように湿布をはってる自分と、ターバンの如く包帯を頭に巻きつけてるもう一人はどうも奇妙な画である。

 ともかく自分たちの方はこれで済み。あとは目の前で傷だらけの女の子の手当てが残った。
 恐る恐る眺めながらどうするかの相談。
「お前やれよ」
「イヤだ」
「知り合いだろ」
「腕がイタい」
 ……異性の扱いに全く慣れてない二人は積極的でなく、結局ジャンケンで決めることになった。

「「最初は」」
「パー」
 ということで汚い手を使った目粒志の勝利に終わる。で、人に任せてさっさと眠ってしまった。


 ……まず、何をどうしたらいいものか。傷はすり傷、切り傷、打ち身、アザといくらでもどこにでもあるものだからどこから
手をつけるのか分からない。
 ともかくは消毒液で傷口を……

「痛い!!」
 なんて声が響き渡ったかと思うと自分の体は壁にまで飛んでいた。痛みで意識が戻った渚が反射的に僕を投げ飛ばして
しまったのだった。 

 派手に壁際の棚に突っ込んでゴロゴロゴロと部屋中転がった。
「…………!! 痛い、痛い、痛い! 死ぬ! もう死んでるけど死ぬ!」

「あ、ここは…?」
 こちらがブラックジョークかましてる間に正気に戻った渚がぼんやりと部屋を見回して、目が合った途端、彼女の目がギラリと
光って立ち上がった。その視線はもう臨戦態勢という感じで。おまけに拳までつくって。

「え? なに、何で?」 
 こちらの話など全く聞いていない様子で

「死になさい!」
 と最後に聞こえた。 





「健一さん、本当にごめんなさい!」
 で、起きて最初に聞いたのはこっち。渚は死人たちと戦ってる間に気を失ってしまったようで、僕を見た時は敵だと思った
かららしい。

 その後彼女から聞かされたのは僕とそっくりな相手が目の前に現れた事。それが二つに分かれてしまった僕自身だという事。
 僕を見て襲い掛かってきたのはつまりそういう事だったのだ。

 あの後目粒志が起きてきて止めてくれたらしく、その間の記憶はない。家も半壊手前で済んだのは不幸中の幸い。
 渚は二人にただただ謝り続けてようやく落ち着いた。

「で、コイツ誰」
 ぶっきら棒に尋ねる目粒志。家をメチャクチャにされてるのでいい印象は持ってないのも仕方ない。

「…えーっと、どう説明したものか」
 僕らの関係は非常に分かりにくいもので説明しようにも長すぎる。どういったらいいかなと考えていると、

「この街は今死体で溢れています。その原因を断つためにこの街に来ました」
 バッサリとこちらの考えを斬ってホントの事をおっしゃった。

「……は?」
 当然の反応だ。意味が分からないという顔でこちらを覗き込んでくる。
 ああもう、これじゃ一から全部言わなくちゃいけないじゃないか…… 信じてもらえるのかなぁ…。



「……ふーん。じゃあ何か。死体が夜中街歩いて最近の通り魔事件みたいなのが起こってるわけか」
 半分も信じてない様子だ。そりゃ死人は全部時殺で殺してしまったから、こいつは死人を見ていないという状態になっている。
 流石に時殺なんて話をしても信じられるワケはないだろう。本人しか確認できない力なんだし。

 話したのは死人のことと、その原因である銅実蓮也のこと。
 夜はもううろつくなという警告をして、話はひとまず終わった。

「……はあ、菜畑目も保村も見つからねえ上にこんなワケの分からん話を聞かされるとは……」
 頭を抱えて目粒志はうなだれた。時間はかかるだろうけど、まあ一応頭には入れてくれたみたいだし、安心していいのかな。


 あ、そういえば菜畑目さんも保村も見つからなかったな。何か妙に気にかかるけども…
 まあ、気のせい。思い過ごしだ。


 明日また学校で二人と会うだろうし、今日は疲れたからさっさと眠ってしまおう。









        ■




「……ん、あれ?」
 目を開けたら、天井がそこに映った。自分の部屋にしては殺風景な天井だし、そもそも昨日いつ寝ちゃったんだっけ……

「って、ここ学校じゃない!」
 がばと起きたのは保健室のベッドの上。真っ暗な部屋の中、時計を目を凝らして見る。
 夜中の2時。学校に人がいる時間ではない。

 自分はいつからここにいたのか。そもそもこんなところに来た覚えがない。誰かが自分をここに連れて来たのなら、一体
誰が何のためにここへ運んだのだろう。
  


「ああ、保村さん。起きました?」
 入り口に声がした。どこか聞き覚えのあるような声だった。電気もつけないで自分の名を呼んだ相手を見て驚く。

「菜畑目さん…? あなたが私をここに運んだの!?」
 一番聞きたかった事をまずは口に出した。自分の置かれた状況が全く分からなかったから。

「ええ、放課後校庭で倒れていたので、ここに運ばせてもらいました。軽い貧血みたいですね」
 いつもの彼女と全く変わらない口調で明るく返してくれたのに、少しほっとする。ワケの分からない状況の中で現実に引き戻さ
れたと少し感じる事が出来た。


 とにかく、早く帰らないと親も心配しているだろうし、何より彼女にも悪い。
「もう夜中だし、早く学校から出ましょう。こんな時間まで学校にいちゃいけないわ」

 ベッドから跳ね起きて電気の消えた部屋を懸命に歩き、入り口を探す。

「えー、もう夜明けが近いですしこのまま学校にいてもいいんじゃないですか?」
 素っ頓狂な声を上げる菜畑目にピシッと言う。

「ダメです。家族がいるんだから。あなただってそうでしょう? 早く帰るわよ」
 そう言い放って、入り口のドアを開けた。

 










「大丈夫ですよ。
 

 だってあなたは今から、“いなかった人”になりますから」


 言葉の意味が分からず、え? と振り向こうとした時彼女は既に私に絡みつくように密着していた。

 首の後ろに何かを刺されたと同時に視界がぼやけ、二重にも三重にも見えてくる。
 首から順に体がだんだん熱くなってきて、息がまともにできなくなった。

「あ…あぁ…」
 力も入らなくなったまま床に倒れこむ。横で菜畑目が見た事もないような笑みを浮かべて自分を見下ろしている。
 じきにそれも見えなくなり、再び意識が消えていった。





「…ふふ。さぁて、次はこれをどうやって使いましょうか…」


 クスクスと笑い声が夜中の校舎に響き続ける。


        ■



[105] 15  ―――想うはあなた
ミヤ - 2008年11月05日 (水) 21時00分




 夜明けの直前、朝5時ごろ。全身が何かに浸かっているかのような錯覚に陥る。あまりの暑苦しさと肌をおおう水気に
がばと起きたら、Tシャツが雨に打たれたみたいに汗でずぶ濡れだった。

 秋も半ばを過ぎてるのにこの寝汗の量は普通じゃない。借りたTシャツに着替えて立ち上がる。立ち上がろうとした。
 とたんに体ががくんと揺らいで床に膝から落ちた。

 体が動かない。自分の思うようについてこないというのはしょっちゅうだったけど、今度のはそんなものじゃなかった。今のは
体がもう自分の体でないように命令を無視した感じだ。脳と神経が繋がっていないかのように手を上げようとしたところで腕は
だらんと下がったまま。

 これほどではなかったけど、以前にも近い症状が一度あった。渚と初めて逢った日の翌日。力の入れようが分からずに、
歩くだけでも相当な負担だったことを覚えている。



 思い当たるのは、『時殺』だ。

 この能力を使うためには僕ともう一人の自分が波調を合わせ、精神と人格を入れ替える段階で意識を極度に薄めることが
必要なのだが、これには一つ大きなリスクがある。

 俺という人格が僕の体に一時的に納まるが、心の記憶と体の記憶は重ね合わせる事は出来ない。そのためどうしても身体
能力を引き出そうとすると体がついていかなくなってしまう。

 俺という搭乗者が僕という車に乗ると、速度を出しすぎてオーバーヒートしてしまうわけだ。酷使された体は死体とほぼ
同じのようになりまた一日を迎えた。
 鼓動一つうたない体を壁にもたれかかり手すりにしがみ付きながら居間まで引きずった。

 
 風に当たりたい。そう思ってベランダの前まで行き、窓を開けた。

 11月にさしかかろうとしている秋の朝の風景は、木の葉が舞い散って空全体が少しずつ赤みを増す。涼しげな風が
じわりじわりと熱を持った手足を冷ましてくれた。
 引きずるだけでも重すぎるこの足は風を浴びていると正直、動かしたくなくなってくる。




「つらいですか?」
 気がつくと渚が居間に入ってきていた。
 思うと、初めて逢って以来、こうして二人で話をするのは一度もなかった。


「大丈夫だよ。まだ体は動くし、行こうと思ったら学校だって」
 嘘はつかない範囲で平静を装う。体はガタガタでも痛みはないし、その気になれば学校だって行けないことはないはずだ。
 
 だけど渚は一層眉を落としてけわしい顔をしながら口を開く。

「今のあなたは気力だけで立っているのでしょう。前にも言ったようにこの街は普通じゃないと念を押しておいたでは
ないですか。
 健一さんは死体の一歩手前。糸を腕に巻いて枝にぶら下がってるのと何も変わりません。これ以上の無茶は
あっけなくその糸を切り落としてしまうんですよ」

 どくん。 

 心臓がひときわ強く鼓動をうち、汗がつっと背中を伝う。次の言葉を聞くのが怖くて堪らなかった。
 それでも、事実は残酷に突きつけられる。


「もう無茶はしないで。あなたはいつ死んでもおかしくないんです。
 残りの時間は全て自分のためだけに使ってください」


 その言葉で世界がくるっと逆になったかのような気分になった。
 
 残りの時間。 
 
 それがなくなると僕は死ぬ。
 今まで見てきた死体や死人みたいに、物も言わないシロモノになる。

 あと1週間か、1日か、もしくはもう1時間ないのかも知れない。


「……そんなの、嘘だろ。じゃあ僕はもう助からないのか?」
 自分で言って無茶苦茶だとは分かりきってる。それでも今日明日で死ぬと言われてハイそうですかと死ねるわけはない。
 まだ生きていたい。死ぬような目にあって、助かったのに今になって死ぬなんて納得できない。

 渚は何も言わなかった。ただずっと目を伏せている。
 こらえていたものが、そのとき一気に弾けた気がした。

「……そうだよな、今ここにいる僕がもう死体なんだ。さっさと土にでも還ればいいんだよな
 死にたくないだの助かりたいだの、見苦しいったらありゃしないよな」

 驚きの顔でこちらを見ていた彼女などお構いなしに言葉をぶつけた。

「……そんなこと、私は思いません。誰だって生きたいという気持ちは同じです」

 
「いいや、惨めだ! 体なんてボロボロだし汚れきっているし、人と話もまともに出来ない。
 そのうち全身腐っていくんだ。そんなにまでなってもまだしぶとく生きてる。

 お笑い種だ、バカみたいじゃないか! なあ、そんな顔してないで笑えよっ」
 

 もうやけくそになって悔しさと一緒に言葉を吐く。
 
「…………笑えよ」


 外の風が冷たく頬をうった。
 体も熱を失くしてしまって、心も冷え切って、もういっそこのまま死んでしまってもいいのかも知れない。
 そう思い始めた時、ふわりと何かが背中に回った。

「え」
 見ると、僕は渚に抱きしめられていた。

 電柱すらも折るほど強かった彼女の腕は今、羽根のように軽く、優しい。

 
「ごめんなさい」
 ただ一言、彼女はそう言った。精一杯の思いを込めてようやく出た言葉だったんだと思う。
 全部私のせいです、と。たぶんそう続けたかったんだと分かった。
 自分と銅実蓮也の問題に巻き込んでしまった。そう言いたかったのだろう。

 下を向いていたから顔は見えなかったけど、背中に回った手は小刻みに震えていた。


 凍ったような気持ちが少しずつ溶けていく。自分がとんでもないことをしてしまったと思えた。
 結局死ぬか死なないかは自分の問題でしかない。渚に、それを自分のせいだと言わせた。




「……みたいじゃなくて。本当に、バカだった」 
 心は落ち着きを取り戻してる。もうどうにもならないなら、残っている自分の時間を精一杯やるだけだと腹をくくる。

「……本当にごめん、渚。
 もうあれこれ考えて悩むのはナシだ。どうせなら足掻きたおしてやる。
 最後の最後まで自分の生きかたはもう捨てないよ」

 そう言って、彼女の小さな肩を力いっぱいグッと抱いた。


「……。……はい」
 しばらくして、彼女も言葉を返した。
 
 今日もまた残された一日を生きていく。怖いけど、後悔がないくらいに生き抜いてやろうと思う。


 でも今は、少しだけそれを忘れて彼女といたい。





「……いま出ていくのは、やっぱマズいな…」
 その裏で、制服とカバンを揃えたこの家の主が、部屋の外に座り込んでため息をついていた。









[106] 16  ―――夜襲
ミヤ - 2008年11月05日 (水) 21時01分


 

 その日、体を無理矢理引きずって学校まで行った。
 目粒志にも肩を借りるなどして遅刻寸前で何とか辿り着く。

「帰りはバスでも使って帰れよ」
 息を上げながら文句を言ってくる目粒志。朝からどうも機嫌が悪い。

 渚は街へ出て行った。とにかく銅実蓮也の手がかりを探したいみたいだ。

 
 …足音よりも体の関節や骨がギシギシ、パキパキと鳴る音の方が大きいのが気持ち悪い。
 生きた心地がしないというのはこういうことを言うんだろうか。

 教室について、朝礼が始まった。
 担任のいつもと変わらない進行のあと、一つの報告があった。

「えー、7組の保村という生徒が昨日から家に帰っとらんそうだ。見かけた者はすぐ知らせること。親でも学校でも
警察でもいいからとりあえずな、知らせろ。以上、終わり」


 あまりにもあっさりと語られた話は胸が大きく鼓動するような内容だった。
 

 保村涼子は昨日、菜畑目倫を探しているところに会って、それから見ていない。
 ……菜畑目さん?

“急がねえと、厄介なことになるかもな”

 昨日の目粒志の言葉が頭の裏をかすめる。急いで菜畑目さんのいるクラスにいってみた。
 

 一人で教室から出てきた生徒に声をかける。
 辺りは誰もいなかったので向こうは僕をはっきり認識してくれた。
 
「菜畑目? 今日は来てないよ。何の連絡もないし何やってんだろね」





 
「……野郎。やりやがったか」
 放課後、二人になった教室で話した。授業中は複数いる生徒の中で埋もれてしまうのでこうして話が出来るのは
この時間だけだ。

「保村がどこにいったのかは分からないけど、菜畑目さんもいなくなったのには何か関係あるのかな。
 ……ところでお前、何で菜畑目さんが危険だと思ったんだ?」
 
 まるで、目の前の男はこうなる事を予測していたようだった。
 信じたくないけど、二人とも同時にいなくなってしまったとなれば、昨日の話を笑い飛ばすわけにもいかない。



 視線をそむけて、宙を眺めながら目粒志はぽつりと呟いた。

「……さあ。あいつは初めて見た時から何となく、嫌な感じが漂ってたんだ。
 うまく説明できねえが、危ないって無意識に思った」

 ワケの分からない答えが返ってきた。別に彼女のおかしな噂とか全く関係なしにこいつは最初から菜畑目さんが
危険だと感じていたという。


「とにかく二人を探すのが先……」
 一瞬思考が止まった。

 窓から見て学校の外に、大勢の死人がざっと並んでいたのだ。

「…? 何だあいつら」
 目粒志も奴らに気づいた。

 
 まずい。こいつに死人を倒す力はない。 
 かといってこの体では奴らを仕留めることも出来ない。

 何とか逃げきらないといけないと思って、急いで教室から出る。

「目粒志! 外におかしな奴らが大勢来てる。あいつらプッツン来てる奴だから関わらない方がいい!
 裏口から逃げよう!」
 
 階段を精一杯の速度で駆け下りる。
 門の前に出たころには死人たちは大勢押し寄せていた。


「こいつら……えらく大勢で来てやがるな」
 
「……あれ?」  
 気づくと、死人たちはその場に立ち尽くしたままだった。まるで、門から出さぬと列を組むように立ち並んでいるだけ。
 それは異常だ。思考のなくなる死人なら、そんな統率の取れた行動なんてしない。

 日が暮れ始めた頃、辺りは静まり返った。


「こんばんは、お二人さん」


 聞き覚えのある声が響く。立ち尽くす死人の群れから一人が歩み寄ってきた。
  
 菜畑目倫は昨日保健室で見た笑顔のままでこちらに向かって歩いてくる。にこやかな表情がこの状況においては
不気味以外の何物でもなかった。

「てめえ……保村をどうした」
 目粒志が強い口調で聞く。その顔は今までにない、恐れと警戒心に満ちている。

 菜畑目倫はそんな彼を目で笑うと、
「ああ、状況は分かってるみたいですね。じゃあ話は早くていいです。
 そうですね、彼女なら……私の後ろにいる大群のどこかにいるんじゃないですか」

 後ろも見ずに死人の群れを指した。
 

「こ、殺したのか!? 菜畑目さん!」
 いつの間にかポケットの中にあるナイフを握り締めていた。

「おかしなことを言いますね、三山君。後ろに立っている人たちがどうして死んでいるなんて思うんですか?」

 その言葉でようやく気がついた。後ろで列を組んでいた彼らは、死人ではない。


「最近、人を殺しでもしたんですか? …そのせいで死体と錯覚しちゃったとか」
 にこっと笑い、恐ろしい事を聞いてくる。それは図星なのだから。
 返事を待たず、彼女は続ける。
 
「この人たちは操り人形、といったところです。面白いでしょう? わたしの思い通りに動くんです。みんな」
 あくまでも笑顔を崩さず、彼女は満足げに語った。

 まるで、自分の芸術を披露するかのように、ただ誇らしげだった。


「……どういうことなんです。この人たちみんな、自分の意識が無くなってるんですか」
 

「ふふ。まあ、そういう事ですね」
 彼女が手に持った細長い針を見せてくる。

「これは私の精製した針です。
 この特殊な毒を塗った針を頭の後ろに刺したら、神経中枢が麻痺し、その人はもう考えるということがなくなって
しまいます。ただ、誰かの言葉を命令と受け取って実行に移す素直な人になるんですよ。

 今のこの人たちは、私の言葉がないと動くことすらできないんですねえ」
 

 クスクスと笑いながら彼女は針を構える。聞く限り、あれを刺されたら終わりということか。
 

「……ふざけやがって。ただじゃおかねえぞ、てめえ」
 笑っているのが気に入らないのか。ぎり、と歯ぎしりしながら目粒志が指をバキボキと鳴らした。
 


 ニヤ、と笑う菜畑目倫の後ろで、何人かの人間が石像のように動き出す。

「ただですまないのは、誰でしょうね……」



        ■


「……? あれは」
 人の大群が学校の門の前に集結している。

 日が暮れている今それは異様な光景であり、今の街の状況では考えられない。
 夜は最も恐ろしい時間帯だとこの町の人間ならば分かっている筈だから。

 気になった渚は、その集まる先に行ってみることにした。




 屋根から屋根、電信柱と強靭な脚力で飛び移ってみるみるうちに学校の門に近づく。
 空に浮かぶ満月に照らされた校舎の前に、二人の男が見えた。

「…健一さん、徹さん」 
 無数の人に囲まれている。健一は体ももう動かない以上、一刻も早く助けにいかなくては。



「行かせんっ」
 突然声が聞こえた。真横を向くと同時に銀色に光る刃が顔を掠める。咄嗟にかわしていなかったら喉をやられていた。

「! お前は…」
 屋根に降り立った。続いて屋根にたん、と降りたのは昨日見たばかりの敵、健一の半身だった。


「お前に邪魔はさせんぞ、今日であいつは殺す」
 構えなおした敵を目の前にして、こちらも今は意識をこの場だけに集中させる。

 汗が額を伝った。学校の二人に意識を移すとその瞬間こちらがやられてしまう。
 ならば全力を持ってこの男を倒して、助けに向かうのが今やるべきこと。


「いいでしょう。私も死力を尽くして、今この場でお前を殺します」
 
 焦りは自分の力を失くしてしまう。いかに冷静さを保ちながら、この男を速やかに倒せるか。
 
 


   指がパキ、と音を立てて鳴った。



        ■


[111] 17  ―――鏡T
ミヤ - 2009年02月19日 (木) 15時34分

「うおらっ!」
 ドガッ、という音が無表情の人の顔に響く。次々と菜畑目倫の命で人々は目粒志に襲い掛かり、それらを目粒志は
次から次へと叩きのめしていった。

「…すごい」
 見とれるほどに素早く、鮮やかになぎ倒していく。
 ケンカ慣れしているのか、ボコボコにしてしまうと相手は起き上がってこなかった。




 残ったのは菜畑目さんと保村が立っているだけ。
 それでも彼女は笑みを絶やさない。

「……ふう。さあ、あとはてめえらだけだ」
 さすがに疲れたのか、息が上がりきった目粒志は汗を拭いながら二人を睨みつけた。


「ふうん。まあ、よく頑張りました」
 笑顔に満たない笑いを浮かべ、パチパチと軽く拍手を送る菜畑目倫。余裕の態度を全く崩さず、
むしろ楽しんでいるようにさえ見える。

 見ていれば見ているほど信じられない。本当に、この人は保健室で話した人と同じ人なのか。
 
 昨日の彼女は柔らかな雰囲気を纏った、優しい人とずっと思っていた。奇妙な噂なんて全部ウソだといえるくらい
素敵な人間だったのが、今は飢えた狼がじっと息を潜めているようなそんな緊張感を持ちながら不気味な表情で
対峙している。

 そのまま彼女は手をすうっと上げ、横に立つ保村涼子を操り、動かし始める。

「じゃあ次は“これ”を相手にしてもらいます。ご学友を力いっぱい殴れますか? 目粒志君」 
 
 その表現がぞわ、と身の毛をよだたせた。動かぬ腕が、ぎりぎりと震え始める。


 この瞬間、保険委員の菜畑目さんと、
 目の前の敵の菜畑目倫はぷつりと切れ、別々のものと認識し始めた。
 
「おまえ、人を何だと思ってる」

「それはあなたに言える言葉じゃありませんね、三山君」

 怒りに任せた言葉に返ってくるのは、予想もしてない言葉だ。
 この瞬間だけ、昨日のような笑顔を返して、彼女は頭の考えの止まるような言葉を吐いた。


「……ど、どういう事ですか」


 答えを聞く前に、保村は無言のまま僕たちに向かってくる。あまりにも無防備に歩いてくるその姿は、ある意味
襲い掛かる連中よりも恐怖を感じさせられる。

 生気のない目をまばたきもせずこちらに向け、無表情に。
 これがまさに、嵐の前の静けさだった。


「けっ、女だから殴らねえとか思ってんのか? 冗談じゃねえ!」 

 目粒志が拳を振り上げる。保村はただ、歩いてくるだけ。



「顔にキズつかねえ程度に手加減しといてやるぜ!」
 握った拳が保村の顔に入った。


 入ったまま、保村は動かない。後ずさりすらしない。痛がりもしないし反応もしない。
 人形を殴ったかのように、手ごたえというものが感じられなかった。




「……こいつ」
 目粒志もその異常に気づいた。確かに手加減したのは事実だ。力をそれほど込めなかったのは確かだが、
なぜこの女はよろめきすらしないのか。

 同じ人間を相手にしているのに、こんな事がありえるのか。


 突然、保村はゆっくりと歩を進める。機械のように無造作に。


「……っの野郎!!」

 全力で腹部にねじ込む。普通の人間なら胃液すら吐いてもおかしくないほどだ。
 だがそれも、効き目はなかった。


 そのまま保村は目粒志の両腕を掴み。信じられない事に男である彼の体を宙に持ち上げた。

「なっ……! 何なんだ、こいつは…」
 体の自由を奪われた目粒志は焦りを隠せない声で目の前の女を恐れる。


「く、くそ…あいつを助けなきゃ」
 足を引きずりながら二人の元へ向かおうとする。そこへ


「ダメですよ三山君。邪魔しちゃ」
 ナイフを持とうとした左手に鋭い痛みが通った。針だった。すぐ前には菜畑目倫が無数の針を構えて立っている。
 ヒュッっと手を振りかざすと同時に肩に、足に、針が突き刺さる。


「うわっ…!」
 よろめき、膝を突いた。力が入らない。菜畑目を挟んだ向こうでは目粒志が締め上げられているというのに、
助けにすら入れない。

「今の彼女に心はありません。何をされても反応はないですし、死ぬ事にすら気づかずに死ぬでしょう。
 殴ったところで何も感じないですから、彼女を倒すには人体ごと破壊するほかないんですよ」

 ロボットと変わらない。電源さえ切ってしまえば機械というものは停止する。


「おまけに脳もほとんど機能していません。

 知ってました? 人間って脳で筋肉の働きを抑制しているんですよ。そのリミッターを外してしまったら
すごく力持ちになって、何でもかんでもボコボコに、グチャグチャにしてやれるんです」

 死人と同じだ。執念だけで体を動かしている死人には加減というものがなくなる。
 でも、保村はまだ、生きている。殺すなんて絶対にできない。

「ぐおっ!」 
 その時聞こえたのは目粒志の悲鳴だ。

 離れていても分かるほどに、奴の体から軋みの音が上がっている。
 必死で歯を食いしばっていた。


 生きている人が、目の前で死ぬ。
 その数秒先の出来事をどうしても避けなくちゃいけないと、僕の体がすぐさま動きに出た。



「やめさせてくれ! 菜畑目さんっ、あんたが保村をああさせてるんじゃないのか!
 お願いだ! あいつを助けてくれ!」

 
 必死で頼み込んだ。敵だという事も忘れて。
 待っていましたといわんばかりに彼女は微笑んだ。

「……じゃあ、一つだけ交換条件です。この針を、あなたの頭の後ろに刺します。それで目粒志君は助けましょう。
 どうですか?」 


 その針は、人の神経毒で意識を消し、思い通りに操るもの。
 つまり、代わりに僕に自分を捨てろということ。

「……どうして、僕を」

 ニヤ、と笑うと指をパチンと鳴らす。 途端、目粒志の首を絞める保村の腕の力が緩んだ。
 依然、首は掴まれたままだけど、しばらくは大丈夫か。


 腕をゆっくりと下ろすと、菜畑目さんは話し始める。

「始めて会ったときのこと、覚えていますか?
 あなたの体に保健室で体に触れたとき、死体のように冷たかったんです」

 体に電撃が走る。すでにあの時、彼女は気づいていた。
 それに気づかないフリをしていただけだ。
 

「あれからあなたに興味が湧きました。
 前に言いましたね。私の父は、人を生き返らせる方法を探していたと」

 
 その瞬間だけ、彼女の目が鈍く、哀しそうに光る。

 なぜかは分からないけど、
 一瞬菜畑目さんが敵であるという考えが吹き飛んでしまいそうになった。
 
 

 しかしその目の光はすぐに消えて、また不敵な笑みを浮かべる。
 
「死体のような体で生きているというんですからあなたを追えばその方法は必ず見つかる。
 そう思って君を監視していたんですが、夜に随分と元気に動き回っていたのを見ちゃいました」

 つまり、死人を次々に殺して回っているのも、すべて、見られているということになる。
 


「見事な動きでしたよ、ほかに類を見ないほど。……残念ながら肝心の殺してしまう場面は覚えていないのが
不思議なんですけども、ね」

 
 時殺の力が働いているのか、やはり殺す瞬間は覚えていない。
 最悪、時殺まで思いのままに操られる事はないと思うが。


「でも、やられた人は確実に死ぬでしょうね。

 さっきはこうも言いました。あなたに人を何だと思っているか言える筋じゃないって。
 それほどあなたの殺し方は初めから殺す以外の動きをしていなかった」


 だから僕を自分の道具にすれば究極の殺人機械に出来て、その上父親の研究も成功するというわけか。
 それでも、今の体ならば彼女が考えるであろうことは実現しようがない。

 だって僕の体は死んでいる。 この体は人間の手でどうこうできるようなものじゃない。


 どうせすぐに僕は死んでしまう。
 だったら迷わずあいつを助ければいい。残された時間をこう使うのも悪くはないと思う。

 きっと渚も許してくれるだろう。
 銅実蓮也を追い詰められなかったのが残念だけど…



 彼女の問いにうなずこうとしたその時。


「……見つけたぞ。今この場で、キサマを殺してやる…」

 聞き覚えのある声が響く。正面の菜畑目さんは驚きに目を見開いている。


 そうじゃない。
 聞き覚えがあるなんてものじゃない。これは、自分の声。僕自身の声だから。

 振り向いた先に立っているのは、自分だった。

「な…なに、これ…」
 焦りに満ちた声で菜畑目さんは震えながら言う。
 当たり前だろう。目の前に同じ顔が二つもあれば混乱もする。

 
 いつか渚は言っていた。


“自分の影が、自分の前に現れ、殺しにやってくる。
 気をつけてください。あなたを遥かに上回った力を持って襲い掛かってくるはずです”


 ……僕の最期は、もう目の前にあるのかもしれない。



[112] 18  ―――鏡U
ミヤ - 2009年02月19日 (木) 15時35分

        ■


「う………」
 
 目を覚ますとそばには誰もいない。


 うっすらと先の出来事がよみがえって来る。

 もう一人の健一と闘い、傷の痛みで隙を許して不覚にも屋根から地面に叩き落された。
 そのまま意識を失ってしまったのだ。

 
 となると、敵は既に自分自身を殺すために向かっている。

「…! う…!」
 軋む体を無理矢理に跳ね起こさせる。
 急がなくては、最悪の事態となってしまう。

 未だどくどくと流れ続ける血を目にも留めないで渚は動き始めた。


        ■



 目の前にいる男は自分と全く同じ顔。だけど自分とは違って生命力に満ちている。

 すぐに分かった。僕はコイツに殺される。
 今度という今度こそもう逃げ場はない。

 体は異常だらけというのに、汗だけは額を伝って通常の人間と同じように落ちてくる。



「あ、あなた…もしかして双子の兄弟さんとかですか…?」
 横で菜畑目倫が恐る恐る聞いている。
 もちろんもう一人の自分は相手にもしない。


「今はお前などに用はない。こいつを仕留めたその後で
そこらのガラクタと共に殺してやるから待っておけ」

 そう言いながら一歩一歩、僕に歩み寄ってくる。
 
「な、なんですって……! その人は私の実験材料、勝手なマネは許しません」

 彼女が合図をすると同時に、後ろに控えていた操り人間たちが一斉に飛びかかった。


 一人が襲い掛かったのを闘牛士のように軽くかわし、そのすれ違いざまに心臓を貫いていた。
 そのまま■体となって校庭に沈む。

 次に大きく跳んで空中から襲い掛かる4人を舞でも舞うかのように流し、切り裂いていく。
 


 保村は無表情で、目粒志はいまだ混乱したまま見つめていた。
 菜畑目さんに至っては声も出ないといったところか。

 そこにいた人間は僕たちを除いて全て■体となった。


「……順番が変わったが、今度こそお前だ。覚悟しろ」

 奴がそう言い、僕も思わずナイフを構える。 
 わずかにでも構えを解いたらその瞬間■ぬのじゃないかという不安が身を固めさせる。

 
 片時も目を離さなかった結果か、奴が突進してくる動きだけがはっきりと見えた。夜風が体に当たるよりも速く、
奴はこちらに迫ってきている。

 右腕が光った。
 
 そう思った瞬間無意識のうちに、咄嗟にナイフを胸の前に置いた。直後、キィンと金物の弾きあう音が響く。
相手のナイフは正確に心臓への軌道を描いている。今は防げた。
 この距離で居たとなると、この次はない。


 千切れそうな足で思いっきり地面を蹴った。 後ろに跳び、距離をとる。 とろうとした。

 自分の身体能力なんかでこいつから逃げようなんて甘過ぎた。
 奴は軽く地を蹴ると僕の真横に移っていた。


 目を横に向ける間もなく、横の軌道でナイフが迫った。

 
「うわっ…!」
 鎖骨から肩にかけて切れ目が入った。 あまり深くはなかったけど、これもやはり痛みで動きが鈍る。
 
 
 視線を向けると相手は既にその場にいなかった。木に視線を向けると、奴は木を蹴る反動でこちらに大きく跳んだ。
 かわしさえすれば相手に一瞬の隙が出来る。

 着地点から離れる。

“…いや! 相手は隙なんか作らせないぞ……” 
 
 すぐに頭にそんな考えが浮かんだ。パッと、何の前触れもなく。



 すると奴は着地点をさらに蹴り、軌道修正して僕の方に突っ込んできた。
 次々と繰り出されるナイフを力ずくで叩き返す。腕の筋肉なんて何本断線しているかも分からない。
  
 じれったいととったか、一旦奴は距離をとった。僕の息は乱れきっている。

「……ふん、やはり自分を殺すとなると難しいな。
 俺の思考も、クセも、もとは全てお前から生まれたものだ」

 それを聞いて、さっき頭に浮かんだ考えに思い当たった。だから、奴の攻撃をかわして先の動きも
読むことが出来たのか。
 
 加えて、僕達はもともと同じ人間だ。精神が同調しているというのもあってか、
ある程度の表面的な思考は察知できる。

 その時に、ふと思った。というか今の今まで落ち着いて考えるヒマがなかったからだが。


「…何でお前、僕を殺そうとするんだよ」
 一番聞きたかったことを口にする。

「……何で、だと?」

 言い終わる前に奴は再びこちらに向かってくる。

 斬撃を何とか受け止め、かわす。今の言葉を聞いた奴は、少し苛立たしげに
刃物を切りつけてくる。



                  「三山健一は身体が分裂したが精神はそうじゃなかった。
                   主人格のお前の心理状態で俺たちの精神は勝手に入れ替わっていく。

                   お前と同じで、俺も何度もそれを経験した。生き物を殺している最中だった。
                   わかるか? お前は殺人鬼に成り代わるだけだ。何の苦もないだろうな」


「そんなわけないだろう。戻ったときも自分が殺してしまった記憶は消えない」


                 「■人相手にならいくらでも言い訳がきく。人間とも呼べないものになるんだからな。
                  俺はお前と入れ替わる時、生きていた人間が■んでいるのを見て
                 どうしようもない罪悪感に苦しんだ。
                  それでも元に戻れば殺さずにはいられず、また入れ替われば後悔の念に潰される。

                  入れ替わる事さえなければ、俺は影の部分として人を殺め続けて、
                 何の思いも抱かずにいられる。
                
                  お前がいなかったら、俺は俺のままでいられる!」



 荒々しくなってくるナイフを次々と受け、僕も言い返す。 



        「自分だけが苦しいみたいな言い方を…! 僕の体はお前に取られたせいでボロボロだ!
         ■ぬような思いだって何度もしてきた!」


            「なら■! 弱い方が消えれば残ったほうは何の問題もない!」


 
 ■にたくない、誰がそう言われて大人しく■んでやるものか。 
                   
 こちらがやられかけている以上、取るべき行動は一つしかない。


                        「そう簡単に、■んでやるか! こんなところで…」


                   「■ぬんだよ、いまこの場でっ! お前は邪魔だ!」 

 
          

 こっちが殺す。そんな考えが頭の中に差し込んだ。
 
 今なら見える。目の前にいる自分の心臓に、一枚。
 何も描かれない空っぽの人生を示す絵。

 
 そこを一突きすれば、こっちが勝つ…!  
 

 そう思う瞬間、ナイフが帯のような軌道で一閃した。

 



 敵の心臓には、何の傷もない。こちらの攻撃は届かなかったのだと、思った自分の喉元から
見たこともない量の血液が飛んだ。

 勘違いだった。届かなかったのではなく、初めからこっちは抵抗すら出来ていない。
 奴の刃物は一瞬にして喉をかっさばいていたから。

 
 体は一気に石像のように重くなり、膝から地面に落ちた。
 今度こそ、自分は■んだ。 

 
 
 目に映る地面。誰かが自分の名前を呼んでいる声。
 
 そのどちらもまだ頭に入ってくる。でも、脳がそれを理解しなくなっていく。
 

 ……じかんが、とてもながくかんじる。

 ……………………、……






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