[45] 小ボリとニパ |
- 鬱系 - 2007年04月16日 (月) 20時58分
隊長の側につくのを最後まで躊躇わせたのは、他でもないこいつの存在だった。
案の定、皮肉や嫌味を並べ小突き回すという散々な迎撃ぶりだ。 早々に逃げ腰になっているのを悟られ、腕の中に捕らわれる。
それが引き金になり、すっかり忘れていたある出来事を思い出した。
経緯は覚えていない。 奴がどこかのビルから飛び降りようとしているらしいのを、偶然見かけたか報告を受けたか、そんなところだ。
屋上に上がってみれば、ドアを開けた音に驚いた奴が振り返ったところだった。
「ほう、やっぱりまだ居やがったか」
ビルの端に立ち尽くしたまま、奴は動かない。 近付くにつれ奴の表情がはっきり見えてくる。
思わず笑みを漏らした。 そのくらい情けない顔をしている。
「早く飛び降りちまえよ。それとも怖くて飛べねぇか?」
奴はそれでやっと下に視線を向けた。
けれど踏み出す気配はない。 完全に足が竦んでいる。
「何ならオレ様が直々に手伝ってやるぜ?」
柵もないビルだ、軽く手で押すだけで事足りる。
また奴がこちらを向いた。 間近で見る、怯えきった表情。 それが。
「愛しい隊長が待ってんだろ?」
その言葉を口にした途端、血の気が引き凍り付きそして。 体がぐらりと傾いた。
自分に向かって伸ばされた─ように見えた─手を掴んでしまったのは、条件反射というやつだったに違いない。
後ろに倒れ込み、何とか巻き添えを食って落ちるのは免れた。
動揺で激しく脈打つ心臓。 それが掻き消されるくらい、胸にしがみ付いてくる奴の体は震えていた。
引き剥がし、その場に放置して屋上を後にした事だけは辛うじて覚えている。
やる時はいつも裸だったから、服越しに触れ合ったのはその時だけだ。 余計な事を思い出したと悔やむ。
何も知らない隊長は、自分達の様子を見て微笑を浮かべながら言った。
「お前がそんなに楽しそうにしてるのは久し振りだな」
自分の体に回されている腕が引き攣るのが伝わってきた。
「隊長、こういうのは楽しそうとは言わないんすよ」
不満げな声が頭上から返る。 口調とは裏腹に、腕や接した胸から伝わる強張りは解けていない。
それでもう一つ、思い出した。
あの時、引き剥がすまでの少しの間、確かに抱き返していたのだ。 そうでなければ、奴が震える感触を体が記憶しているはずがない。
あれも条件反射だった、とは、もう自分を誤魔化せそうになかった。
腕の中で足掻くのを止めた事に、こいつはまだ気付いてもいない。

|
|